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いつも素晴らしい動画有り難う御座います。カラーの地図と少しずつ動く動画のスピードの案配がよくて、地図上の文字の読み取りと私の昭和30年代の記憶がシンクロして、何とも言えない懐かしい感情がこみ上げてきます。今回もその一つ。戦前昭和の地図では、岡山市北西部津島に陸軍の駐屯地が広がっています。現在は岡山大学の広々としたキャンパスとなり、各学部ごと大きなビルが立ち並んでいます。今から60年以上昔の私の小学生時代、岡大キャンパスには旧陸軍以来の木造兵舎がたくさん残っており、大学の校舎として利用されていました。これに目を付けたのが旧軍隊映画を撮影しようとするロケ隊。松竹映画「二等兵物語」のロケ隊が岡山にやって来たことが山陽新聞で大々的に報道され、そのことをお爺さんから伝えられた私は、翌日近所の子供たちと一緒に子供用の自転車に二人乗りしてロケ地とされた岡大を目指しました。ロケがおこなわれていたのは、岡大東西道路の北側、現在の理学部か教育学部あたりではなかったかと思います。少し広めのグラウンドのようなところに兵隊の格好をした俳優たちが整列し、撮影がおこなわれていました。ほとんど俳優たちの動きは無く、それを遠くから眺めるだけのロケ見物、眼前で映画の面白い場面が展開されると思っていた私たちにとっては全くの期待外れでした。次のシーンに移ると、そこに居たら映画の画面に入ってしまうので姿を隠せとチンピラのような若者にどやしつけられる始末。這々の体で帰宅しました。今でも岡大の東西道路と通るとこのロケ見物を思い出します。偕行社(陸軍将校クラブ)や連隊本部の建物は各地で歴史的建造物として保存されています。しかし、徴兵された一般の若者が一時期を過ごした木造兵舎、歴史的建造物として保存されているのでしょうか。岡大構内で保存されていると嬉しいのですが。
コメントありがとうございます!貴重な生の体験談ありがとうございます。「二等兵物語」のロケは当時はかなり話題になったんですね。岡大の施設については、一部戦前の施設の保存や構内施設の調査・記録などは行っているようですが、現役の大学施設ということもありますし、悩ましい側面はあるかもしれませんね。
番町が見れた。嬉しい。
コメントありがとうございます!すでにご覧いただいていたみたいですね。《短編》の方のコメントはスルーしていただいてけっこうです。
良かったです、現在の県道を辿るルートで見せれば、普段の通勤通学とどう違うのかわかってさらに面白くなりそう。
コメントありがとうございます!なるほどですね。今後の参考にさせていただきます。県道というのは旧2号線のことでしょうかね。
@@nasutorybrass1321 西大寺軽便鉄道を辿るようなことを地図上でやれば良いかなと思ったんです。旧い地図を見るとき、私の場合いつも通るルートを見ていくので、動画のような場合ルートが途切れてしまいちょっとノリが悪くなるかなと現代の通勤ルートかなあと、思いの他軽便鉄道が多いのでそのルートもあれば、今現在の道が意味なくまっすぐな理由もわかると思うのでそれも面白いかな
コメントありがとうございます!なるほどですね。また参考にさせていただきます!
浜に住んでたけど昔は何もない畑ばかりのところで畑もってた人は土地売ってかなり資産家になったって70過ぎの人が言ってましたね
コメントありがとうございます!確かにその辺りは、かつては農村で戦後に都市化していったようですね。
昭和14年当時、御津郡は大きくて少しビックリしました。
コメントありがとうございます!
倉敷紡績の工場は今は榊原病院になってますねいまじゃ聞かない地名も
コメントありがとうございます!たしかに榊原病院の辺りは風景がかなり変わりましたね。
岡山市内に鐘紡・郡勢の工場があったんですね。
コメントありがとうございます!岡山紡績→鐘淵紡績岡山工場備前紡績→鐘淵紡績備前工場と変遷しています。グンゼは、郡是製絲という社名だったようです。残念ながら工場だったかどうかは地図からはよくわかりません。
@@nasutorybrass1321 蚕事所の支所ということなので、おそらく取扱所とか集積所みたいな所だったのかもしれません。場所的には今のハローズ東古松、ジェイグラン大元、JR東古松社宅のあるブロックのように思えます。
いつも素晴らしい動画有り難う御座います。カラーの地図と少しずつ動く動画のスピードの案配がよくて、地図上の文字の読み取りと私の昭和30年代の記憶がシンクロして、何とも言えない懐かしい感情がこみ上げてきます。今回もその一つ。戦前昭和の地図では、岡山市北西部津島に陸軍の駐屯地が広がっています。現在は岡山大学の広々としたキャンパスとなり、各学部ごと大きなビルが立ち並んでいます。今から60年以上昔の私の小学生時代、岡大キャンパスには旧陸軍以来の木造兵舎がたくさん残っており、大学の校舎として利用されていました。これに目を付けたのが旧軍隊映画を撮影しようとするロケ隊。松竹映画「二等兵物語」のロケ隊が岡山にやって来たことが山陽新聞で大々的に報道され、そのことをお爺さんから伝えられた私は、翌日近所の子供たちと一緒に子供用の自転車に二人乗りしてロケ地とされた岡大を目指しました。ロケがおこなわれていたのは、岡大東西道路の北側、現在の理学部か教育学部あたりではなかったかと思います。少し広めのグラウンドのようなところに兵隊の格好をした俳優たちが整列し、撮影がおこなわれていました。ほとんど俳優たちの動きは無く、それを遠くから眺めるだけのロケ見物、眼前で映画の面白い場面が展開されると思っていた私たちにとっては全くの期待外れでした。次のシーンに移ると、そこに居たら映画の画面に入ってしまうので姿を隠せとチンピラのような若者にどやしつけられる始末。這々の体で帰宅しました。今でも岡大の東西道路と通るとこのロケ見物を思い出します。偕行社(陸軍将校クラブ)や連隊本部の建物は各地で歴史的建造物として保存されています。しかし、徴兵された一般の若者が一時期を過ごした木造兵舎、歴史的建造物として保存されているのでしょうか。岡大構内で保存されていると嬉しいのですが。
コメントありがとうございます!
貴重な生の体験談ありがとうございます。
「二等兵物語」のロケは当時はかなり話題になったんですね。
岡大の施設については、一部戦前の施設の保存や構内施設の調査・記録などは行っているようですが、現役の大学施設ということもありますし、悩ましい側面はあるかもしれませんね。
番町が見れた。嬉しい。
コメントありがとうございます!
すでにご覧いただいていたみたいですね。《短編》の方のコメントはスルーしていただいてけっこうです。
良かったです、現在の県道を辿るルートで見せれば、普段の通勤通学とどう違うのかわかってさらに面白くなりそう。
コメントありがとうございます!
なるほどですね。今後の参考にさせていただきます。
県道というのは旧2号線のことでしょうかね。
@@nasutorybrass1321 西大寺軽便鉄道を辿るようなことを地図上でやれば良いかなと思ったんです。
旧い地図を見るとき、私の場合いつも通るルートを見ていくので、動画のような場合ルートが途切れてしまいちょっとノリが悪くなるかなと
現代の通勤ルートかな
あと、思いの他軽便鉄道が多いのでそのルートもあれば、今現在の道が意味なくまっすぐな理由もわかると思うのでそれも面白いかな
コメントありがとうございます!
なるほどですね。また参考にさせていただきます!
浜に住んでたけど昔は何もない畑ばかりのところで
畑もってた人は土地売ってかなり資産家になったって70過ぎの人が言ってましたね
コメントありがとうございます!
確かにその辺りは、かつては農村で戦後に都市化していったようですね。
昭和14年当時、御津郡は
大きくて少しビックリ
しました。
コメントありがとうございます!
倉敷紡績の工場は今は榊原病院になってますね
いまじゃ聞かない地名も
コメントありがとうございます!
たしかに榊原病院の辺りは風景がかなり変わりましたね。
岡山市内に鐘紡・郡勢の工場があったんですね。
コメントありがとうございます!
岡山紡績→鐘淵紡績岡山工場
備前紡績→鐘淵紡績備前工場と変遷しています。
グンゼは、郡是製絲という社名だったようです。
残念ながら工場だったかどうかは地図からはよくわかりません。
@@nasutorybrass1321 蚕事所の支所ということなので、おそらく取扱所とか集積所みたいな所だったのかもしれません。
場所的には今のハローズ東古松、ジェイグラン大元、JR東古松社宅のあるブロックのように思えます。