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5:24 ここの「総合的な学習」についての説明は誤りではないでしょうか?教科領域としての「総合的な学習の時間」での学習内容についての評価であり、「人柄や学習態度や生活態度」とは全く関係ありません。むしろ、「そんなことは書かれない」ということを伝えられる場であったはずです。報道番組として内申書の誤解についても扱っているのであれば、そうした点も正確に伝えるべきだと思います。
@@aiueoabc1 私は判断できませんが、指摘の通りであれば出席してる元数学教師とか教育アドバイザーが指摘してもよさそうだけれどね。
かかか、か、、か
@@aiueoabc1 これ僕もおかしいと思いました。総合的な学習の時間についての評価は道徳科と同じように文章で記すものなので,通知表に書いたようなことを転記しているに過ぎません。通知表にも総合的な学習の時間と道徳科の所見の欄があるはずです。それと同じようなことを書いているだけで人柄や学習態度や生活態度なんて記入しません。思い込みで発信しないでほしい。誤解を世間に広めることになります。後日でいいから訂正してほしいです。
教師にいじめられていた身としては、内申内容全て無くして欲しかったです。不登校が続くと授業受けてないので、通知表の成績も下がるので、それらの不具合を防ぐ方法が無いのであれば、無くすべきでは無いかと思います。
いじめた生徒は内申できっちり書いて欲しい。これじゃあ、いじめ得だし不登校にさせられた生徒が浮かばれない
韓国方式だね
@@鬼山田門左衛門の介そうそう
いじめの定義が曖昧だからそんなことはしなくていい。それやりだしたら嫌いなやつを痛い目に合わせることもできてしまうし、いじめを受けたと自称するやつがどうしようもないやつだったらどうにでもなってしまうやん。いじめがホントにあったかどうかなんて痴漢と同じで言ったもん勝ちでしかない
@@Vtuzyuryouyamada定義が曖昧なら定義すればええやん。あからさまな問題行動だけでも。
@@ビッグモーヲタ たとえばなんかあります?(嫌味はまったくない)
「私は人の印象で絶対に左右されません」と言っている人を信用することは難しい「私は個人的に感じる印象の良し悪しを内申書に反映しないように努力しています。他の教員のことまではわかりません」なら信用できる
内申書を受けとる高校側も、一教員の文章をいちいちよみません。だって点数化できませんから。点数化できないものは入試の評価にははいりません。
杉山さんも言っているけど,一教師の裁量でどうこうなるもんじゃないです。管理職も当然チェックする物なので,今の時代個人的な印象で内申書を書く教師なんかいないです。いたとしたら管理職が無能です。説明を求められたときに生徒の成績や提出物の提出状況など事実として言える部分がエビデンスとなります。そこから大きく外れたことを書けるわけがありません。入試の話も真実です。入試の得点順に並べて,最後の最後,どちらを落とすかというボーダーライン上の生徒に関して特別活動を参考にするくらいです。
文章は重要ではない。あれはテンプレに近いし教員のオリジナリティはほぼ出さない。私立入試を受ける場合は内申点は非常に重要で、点を稼いでおけば推薦資格を取ることができる。活動実績も推薦の場合は推薦資格に関わるので重要。それで面接だけで入れるそこそこの名門私立だってある。
@@おせんべい-i9y ま、私立もピンキリだしな
いい教師だ 君、センスあるね?
内申書が学校内でどうとかではなく、学区によって差がある。ある公立中では内申点がとりやすいと言われていて、隣の学区の中学は優秀な子が多いので内申点が取りにくいと言われる。引っ越したら成績があがったとか下がったとかいう話もある。高校はどの中学も平等にみるので内申点が取りやすい中学にいるだけで有利になる。
本当にそのとおり。教員によって差ががある、学校によって差がある、学区によって差がある。
ほんまにこれ。塾とかいってると馬鹿なのに内申点高い子がめちゃくちゃいる中学あってマジで羨ましかったわ。
@@sasinakoせめて動画の中身見てからコメントしろよ内申は最後の砦って言ってるのに内申で合否が決まると勘違いするなよ
@@smilygogo55入試の点数と内申の総合点で判断する県もあったり、内申点が基準以上受験者の中で入試点数を競い、それだけで定員の75%を決めるところもある。絶対に全国共通で最後の砦という訳では無い。せめて調べてからコメントしろよ。
中学の内申点の大半は中間、期末試験の点数で決まる問題は音楽、体育など副教科は努力でどうしようもない部分があるので、その部分の割合か高いと痛いですね先生の主観はそこまで入っていない
会社も同じだよね〜社内の人間関係上手く回せる人ほど可愛がられるし評価される
で、そのいわゆる「潤滑油」ばっかり集めて評価してなんか実績あがるの?
マネジメントはうまく仕事を割り振って、困った時の協力関係を上手く築けるか考える仕事だから、そっち向きかも。
大人になったら飛び抜けてないとそんなに差がつかないからな~同じ会社にいるならテスト的にはだいたい同じくらいの能力だし。結局テストができるだけならよほど飛び抜けてなけりゃ社会に出ても平均的な力しかないんじゃないかな?と思う。テストができるから内申点上げろみたいな人多いけど、結局大きな視点で見たら平均なんじゃないかと思う。なら人間性というか、人当たりよくてこつこつ努力できる人の方がいいよねってなると思う。
先生の運(公平に見てくれるか)や学校によると思う。優秀な子が多ければ、馬鹿な子が多い学校より内心は低くなるのも問題だと思う。(相対的評価)あとは学校によって緩い学校と厳しい学校での差が多いなと思う。正直本当にヤバい子は内心も元々低いから問題行動に関して気にせずするかと。現役高校生ですが、内申書に響くぞと脅されることは結構ありましたし、ある学校ではテストでほとんど決まるし、ある学校では主体性重視で決める。先生によってはテストが100点で、ちゃんと提出物を出していても4にする人もいるし本当に先生の運によって変わる。あとは県によっても変わってくる。 田舎だと内心重視の学校が多い。自分の県の場合は昔よりも内心の分の割合が増え、4割内心で決まる。最終的には内心+テストの点数で決まる。結構不透明な部分が多い為、配分は少ない方がいいかと。
僕の地域では内申点の低い頭のいい学校の生徒の方が内申点の高いはずの田舎の学校の生徒よりも進学校に合格してる。入試と内申点は半々なはずなのに。
すぎやまさんが言ってるのは綺麗事だな。内申点なんて贔屓ばかりだよ。テストで100点取っても90点のやつのほうが内申良かったなんてザラにある。
テストの点数だけで内申点決まらないからね
@@ささみ-r8t7n それはそうなんですが、提出物や出席数も遜色ないのに先の通りになったことあったんですよね…それ以来、内申点は贔屓点て思うようになりました。
@@yohizumi成績はテスト、提出物の出具合・内容、授業内の発言、ノートの記述、ワークシートやレポートの内容など総合的に判断されるものです。100点の子より90点の子が成績が高いならば、テスト以外の部分で90点の子が100点の子を上回っているということです。そもそもテストで100点も90点も成績処理上は優劣がつかないので、他で差がついていることは容易に想像がつきます。
@@owarinoowari1 その通り。テスト以外の学習にかかわる部分で5と4の分かれ目になる差があっただけだ。相対的に見てどこか5の生徒よりも学習の部分で劣っていた部分があったということだよ。コメ主には贔屓で成績をつけるということはないから安心してほしいと思う。といっても杉山さんの最後の話のように,入札で入れなかった業者がどう思うかっていう話になっちゃうんだけどね。
質問ですがそもそもどうやって内申点がいくらか分かったんですか?
いじめとか授業妨害しまくってるやつが、高校3年になってマジメになっても、最初からマジメにやってる子と同じ土俵に立ってできるってほうが嫌なんだが。
損ってわかってるなら真面目にやらなければ良いじゃない? 本当に真面目な人は同じ土俵とかそんなつまらない事考えないと思いますよ。
どうせ虐めをしてた奴も、内申書には普通に書く。公開されたら、評価を正しく書く事が出来無い。
多分サムネとか前半しか見てないんだと思うが、内申にそんな悪いことしたとか今時書かないぞって言われてるぞ
@@jack84200 確かにwありがとうございます。でもそれはそれでいやだなあ。なんでもありなんか・・・・
@@user-in8ik1cj7c まあ真面目な人っていうか、いじめられたほうからしたらいやだなあって感じ
今でも恣意的に内申つける先生なんていっぱいいるよ。子供達はどんな酷い教師にも忖度しまくりだよ。教師の側に忖度されてる自覚がないの本当にヤバい。少なくとも、受験で内申点使うか使わないかを、受験生が出願時に選択できるようにするべき。
「忖度されている自覚がない」ほんとにこういう人がいるから問題自分が偉いと勘違いしてどんどん横暴になる。会社でもそう
内申点とか陽キャがする遊び心みたいなもん。陰キャの非リアや発達障害からすれば生き辛さ増す
@@j8tspt5bznkそれが今の学生教師が何も言えないからやりたい放題
@@妖怪マジシャン-j5z一生そうやって嫌なことから逃げてたら?
@@j8tspt5bznk弱者男性😂ブチギレ
中1からしっかり定期テストで点取る真面目な人が評価されるのは賛成。ただフェアではないことに尽きる
クソ教師が恣意的に付け替えするからね
本当は定期テストが全国で統一されてれば一番いいんだけど、そうすると費用が嵩むし学校ごとのカリキュラムに合わなかったりするから、じゃあ高校の終わりに...つまり共通テスト...と大学はなっているので高校入試版共通テストがあるといいかもね
@@エミル佐藤別に今ある高校入試のままで内申点なくせばよくね?
ウチの中学校のとある教師は学年で3番に常に入っているワイの評価をずっと4にしていた理由は煩いクラスメイトを静かに纏める命令をしても無視していたからと言い切ったワイは学級委員でもなんでもないんやが。親も数字以外理解できん毒やったし。当時は教頭や教育委員会に訴えるという考え自体ない時代やった英語教師やったなたまに生徒にいじめられて逃げ帰ってた
@@エミル佐藤定期テストを全国で統一の内容にすることはそんなに難しくないと思う。文科省で問題作成して各都道府県の教育委員会にでもメールすればいい。HPに教育委員会しかアクセスできないようにしてダウンロードさせてもよい。ただ、そうすると地域の実態に合わせた指導はしづらくなる。行事の関係で授業の進度も変わるだろうから、各校統一の行事、プログラムで教育するしかなくなるかもね。
内申点は受験資格の一環にすべき。学校によって内申点の取りやすさが変わるのは実に不公平
先生の受けがよく内申点でいい高校に行った子は授業についていけず、結局三流大学へ行った。別の子はいい高校に行ける学力があったけど家が近いからと一つ下の高校を受け、県立大学へいった。結局その子のレベルにあった高校にいくのがいい。
私立高校で多額の寄付をしていた人は内申点がめちゃくちゃ高かった成績は金で買えるのはやめてほしい
自分も発達で内申点はあまり良くなかったけど、大学は試験一発勝負で入りたいところに受かった。賛否があるのはわかるけど、自分は偏差値教育に救われた側だから何とも言えないね。
大学や高校の受験って学問するためのものであって、大衆が勝手に「〇大卒=勉強が出来る」に=人間的にも優れているを勝手に足すから妙なことになっている気がする。意欲関心態度とかリーダーシップとか協調性みたいな環境によって現れたり現れなかったりなものをちょっと見ただけで測ろうとするのも傲慢
俺は反対に内申点とか評定で生きてきた人間だからなんとも言えない!
僕も内申点なんか気にしたことない。中学時代遊んでて学校行かなくてもテストは普通にできてたから、先生に「お前は私立は無理。受かるなら定時制かトップの進学校しかない。欠席日数多くてもあそこは入試の得点で決まる」と言われてトップ高受けたら普通に受かった。面接は集団面接だったけど、学校行かなかったことなんか触れられなかった。ちなみに中2から3年の1学期までの通知表は「評定できません」と書かれていたよ。ただ、滑り止めの私立は全部落ちた。だから内申点なんかトップ高以外の学校受験するやつにしか関係ないと思ってる。
内申は相当悪くなければほぼ基準に入れないぐらいでいい
入れるとしても日頃のテストの点数の評価のみを内申点の評価にするのでいいね、60分程のテストだけではわからないというのなら理解できるから
わかりみdeep
学校によって内申点の付け方が厳しいところと緩いところがあるのも問題だと思う。自分は少人数の学校だったから一挙手一投足が評価されてめちゃめちゃ厳しかった。他の学校の友達の話聞くとその子の学校はほぼほぼテストの点がそのまま反映されるみたいで羨ましかった。自分も高校になってから内申点の付け方めちゃめちゃ緩いな!ってなったし学校によって評価基準が全然違うのもどうかと思う。厳しいなら厳しい、ゆるいならゆるいで統一して欲しい。不公平。
>学校によって内申点の付け方が厳しいところと緩いところがあるのも問題だと思う。これが一番の問題かな。
問題はあると思いますが、統一することがいいとは思いません。なぜなら社会に出てからはそのようなことが日常的に起きるからです。結局評価するのは上司や同僚個人で、なんなら自分の成果を奪われたりすることもあるでしょう。この理不尽な社会で生きていかなければならないのに、学生時代に公平公正を完璧にすることが果たして正解なのかは甚だ疑問です。
@@ゴツゴツ >問題はあると思いますが、統一することがいいとは思いません。なぜなら社会に出てからはそのようなことが日常的に起きるからです。仰る通りそれは社会にでてからの話。社会に出るまで、つまりスタートラインまでは公平公正で同じラインからスタートできるようにするのが大事。教育無償化もその発想から出たもの。その先の弱肉強食の世界については「社会というものはいままで通りにはいかないよ」と教育すれば済む話でしょうね。
@@ゴツゴツ 社会に出たら不透明理不尽は当たり前という発想は持つべきとは思わないなそういう人間を育てていけば彼等が社会の担い手になったときに不透明で理不尽な社会を作ることになる
@@ゴツゴツ理不尽なんて社会に出目からでええ
私の通っていた中学は良い内申点を取るのが難しかったため、小学校卒業と同時に荒れてる隣の学区(荒れてるため、テストの問題が簡単で、授業受けてるだけで「意欲関心」の項目が満点になるから)に引っ越した人いました。
その人頭悪いと思う。内申点がいい人は結局どこの学校に行ってもいい。内申点が悪い人が他の学校に行って多少マシになることはあるかもしれないけど。
内申点低くても、内申点の高いバカよりは合格する可能性高いと思う。頭のいい学校の方がバカ学校よりも進学校に進む生徒の割合は高い。バカ学校なら他の学校と比べて平均値が低いから内申点高くなりやすいがだからといって進学校に進めるかというとそんなことはない。逆に平均点の高い学校では内申点は低くなりがちだが、それでも進学校に進む生徒は多い。各校に差がないなら学校間の進学校に進む生徒の割合は変わらないはず。内申点が重視されるならバカ学校で内申点高い方が進学校に進む生徒の割合は高いはずだが事実はそうではない。結論としてはテストで点数が取れるならば内申点なんか言うほど気にしなくてもよいと言うことではないだろうか?
自分の中学は内申書の付け方が厳しかった。これは自分以外の友人も自覚していたし、その周辺の中学をまとめて教えていた塾の先生も「自分の中学」は特段厳しいと言われていた。自分は点数はそこそこ取れていたが、先生の印象が悪く明らかに内申点が低く、結果として志望校のレベルを下げざるを得なかった。他校の生徒で自分より成績が劣っている子が自分の志望校に受かっていた。入学する高校によって人生が左右されるから、評価の差異がでるのは解消して欲しい。
下げざる追えない↓下げざるを得ない
特段厳しいとはいえ,成績を付けて5が一人もいない学校というのは極めて考えにくい。というかない。ならば回りよりも優秀であれば普通に5がもらえるはずだ。それに,教員だって管理職含めて何年かしたら異動になるわけで,いろいろな学校のやり方が回ってくるから一つの学校でそんなに厳しいつけ方がずっと続くことも考えにくい。学校によって成績の割合に差が出てくる可能性はあるが,定期的な教員の異動によって大体平均化されていると思う。そんなに極端に差があれば異動してきた教員に指摘されるだろうからね。特に管理職が変われば一発で変わるよ。
中学校の時に英語で中間期末9割とった学期の評価が3で問いただしたら、挙手が少ないからって言われて本当に腹が立った。毎授業挙げていたのにさされないから発言が少ないとされていて理不尽すぎた思い出
それ調査書じゃなくて通知表の話でしょ
手あげても指されないから、先生が当たり前に答えを全て言ってしまうサイコパスでした❤
それはありますね。学力が高いが消極的な子にはすごく不利になってるのは事実。中学の内申点を高校入試に使うのが本当にダメだと思う。5(内申点):5(試験の点数)の高校もあるし…。陰キャの天才秀才が偏差値高い高校で学べなくなるという弊害は感じます。
@@znomi7937 「学力だけでなく」コミュニケーション力「も」必要ということですね
@@言霊の幸う図のムンジニスト 社会においてはそうだね。でも、高校→大学は学問を学び高め、研究する機関なのに、ひらめきや知能の高い子達よりコミュ力の高い要領の良い子達ばかりをいれる方向で本当に良いの?みてると、私立中高からは知力の高い子を、公立からはコミュ力の高い子をって感じがする。なんだろこの風潮。
当時内申なんて気にしてなかったしよく知らなかったけど、個人の主観で評価が決まるのは怖いと思った学校生活で友達と遊び回ってワイワイしてたのに、三者面談で先生に内向的で友達がほとんど居ないとか言われたことあるもん…
友だちと思っていたのがあなただけだったという可能性は否定できない。他の子たちはあなたのことは別に友だちではないと教師に話していた可能性もある。あなたにはもちろん言わないだろうけど。
高専入ってからはテストと課題点だけで評定が決まるようになったからめっちゃ取りやすい内申点なくして年に2回くらい全国の学校で同じテストを開催して,その点を高校とか大学に伝えれば受験一発勝負ではなくなるんじゃない?あと,今の受験は行きたい大学で勉強するために,どれだけ無意味なことにも努力できるかを問うてる気がする.これがいいのか悪いのか
私も高校では授業態度に関係なく点数だけでの評価だったので得意科目はいつも5だった。
すぎやまって人の学校はいい学校なんですね〜wwwとしか言えないトーク実態実感は柴田さんのが合致するわ
時代遅れすぎるでしょ。今の学校は杉山さんの考え方が普通。本当に普通。柴田さんの話は昭和の話でしょ。20年前には既に杉山さんの話の方が普通でしたよ。
@@fukushimaben.sansantakasan 20年前にあの考え方が普通とは、よほどいい先生のいる学校に通ってらっしゃったのですね!羨ましいです!数年前の時点では、悲しいことにあなたの周囲が世界の普通というわけではないようです。何にせよ杉山さんの理想論が事実・普通になるといいですね。
@@そらぼん-e1p 僕は杉山さんのように元教員ですが,普通に初任校でそのように指導されましたし,いくつか学校を渡り歩きましたが全て同じように指導されました。柴田さんのイメージで未だに運営している学校なんか聞いたことないです。杉山さんの考え方が教員では普通ですよ。内申書や通知表に生徒の悪いことなんか書きません。書いても何も得することありません。杉山さんも言っていますが,生徒への評価は自分への評価なんです。生徒に1をつけるということはその生徒に1を取らせてしまった教師の指導力が1ということなんです。生活面でも同じです。いつも問題行動を起こす生徒がいるならば,いつまで改善できる指導ができないんだという話なんです。それって教師の指導力不足につながる話なんですよ。自分が不利になることをわざわざする人はいないです。それに,生徒の希望通りの進路に進むことができたら教師の株も上がります。どうして自らの株を下げることなんかするでしょうか。それに,受験にかかわる内申点は教科の評定がほとんどを占めます。一教師が操作できるのはせいぜい一教科の評定です。それでも不自然なところがあれば普通は管理職から指導が入ります。テストの得点というのは動かしようのない事実で,この得点と教科の評定があまりに乖離しているなら管理職を納得させる説明が必要です。それで納得させるだけのエビデンスがあるならそれはもうそのように評価されて然るべき生徒ということです。
@@fukushimaben.sansantakasan 今子供が中学に通ってるけど、時代遅れもなにも無いですよ。人が人の優劣をジャッジできるの?っていう状況ですよ。全く不透明で意味を感じません。学力が低くてもコミュ力の高い、先生のお気に入りの子が学力の高いおとなしい子より高内申点とっているのは事実です。
@@znomi7937 内申点って基本的に見れないと思うんですけど、事実とか言われても誰々より高い低いなんてわからないでしょ?
部活と同じで、大学受験のように逃げられない緊張感のなかで点数だけを追うことでしか築かれない人格もあると思うんだよな。一般入試の経験は推薦では得られないその後の人生の糧になるって私の高校の先生は言ってたな。
それは推薦で落ちた人への慰めでしょ
勉強を頑張った経験は良い糧になりますよね。
採点者の好き嫌いの入る余地があるのが駄目なんだよね学力のみの方が公平性が保たれるような?
公平とは
塾行く金のない底辺が不利
@@PomesJapan 特別大学受験に力を入れている私立じゃない公立高なら,しょせん中学校の範囲でしか出題されないから塾はあまり影響ないと思う。自頭のよさとは別に自分で学習計画を立てて努力できるかが重要であって,公立校を受験するなら環境のせいにしている時点でだめだと思う。
@@PomesJapan顔とか骨格肌の色とかよりマシ
確かに15年前中学生だったけど、内申書には悪いことは書かないと聞いたことはあるし、面談で自分の内申書の内容もその場限定ではあったが見させてもらった。
ペーパーだけでいいよ。評価する側の能力追いつかないでしょ。システムで公平さを優先させないと能力低い人間に管理される側としてはたまったもんじゃないでしょ笑
ペーパーテストだけで能力測れると思っている馬鹿発見www
中学校教員だけど通知表のデータとほぼ変わらないし評価基準は客観的事実でしか判断しない。基準も授業や単元の最初に伝える途中で生徒自身がエクセル表計算で評定も確認できるようにする。レポートは再提出もできるようにしている。学校活動もその生徒がやったキャリア(行事部活)しか箇条書きで書かなくなってるよ。主観的なことができるだけ排除されてるシステムに変わってきてますね。
👏
内申点は先生の好き嫌いで決まる事が多い。客観的ではなく、主観的な数字。しかも、女性教師には気をつけないと感情が出過ぎる。
あなたの感想ですよね?
@@Tensaidesu_999 あなたの基準であなたを評価しても意味ないでしょう。あなたが下した授業態度に対するあなたの評価に客観性が認められません。それはただの感想です。実際に見たわけじゃないから何とも言えませんがね。ただ,そういう評価がされたってことはそういうことだったんだなということです。教科主任も学年主任も教頭も校長もその評価が妥当だと判断したのだからそうなったんでしょう。教員一人の好き嫌いで評価を決めることはできないですよ。少なくとも3人くらいはあなたの評価の決定に関わっていると思います。
当時社会の先生に「目付きが気に入らない」という理由で嫌われていたせいで、授業ニコニコしながら聞いて毎回学年1位の点数取ってたのに評定はずっと5段階中4だったのを思い出した笑こんな風に評価基準が非定量的で教師個人によって異なるし、相対評価の面もあるから、例えば優秀な子が多く平均学力の高い中学で取る評価4と、ヤンキーまみれで全体のレベルが低い中学で取る評価4が同列に扱われるのは中学生の時から疑問だったな。学校のレベルによって教師の作るテストの難易度もかなり違ってくるパターンもある。考えれば考える程アホらしい制度。
(私立中や国立中と同様に)公立中学校でも学業成績不振者と素行不良者に対する厳しいペナルティを課す必要があると思う例えば特別支援学校(学級)への強制転校(転級)など
部活の顧問に思いっきり嫌われて退部したら、9割取ってたのに5段階中3でしたw
内申書に悪いことが書けないとかではなく、A,B,Cかつ5段階評価みたいな感じで評価されて点数化されてましたけどね。で、何故か定期テストが良くても内申点が微妙なことがあって、そこが不透明だなぁと思った記憶があります。
8:24 みんながブラックボックスって思ってるのは評価結果じゃなくて、意欲態度の評価方法でしょ。
結局1番の問題は内申“点”だと思う。この点は学校や学区で異なるから、内申点が取りやすいとこと取りにくいところで格差が生まれやすい。地域によっては内申の比重を多くするところも全然あるから、不公平を産む。まず、ここをどうにかするべき
とはいえ、頭のいい学校はトップ高に進学する生徒の割合が高い。頭の悪い学校は低いという事実がある。内申点が言うほど受験に影響するなら、平均点の低い学校の方が内申点は上げやすく、事実とは異なる結果になるのではないだろうか?それに、高校の方でも内申点で全て判断さているわけではもちろんないだろう。進学実績にも関わってくる話である。つまり、言うほど不公平ではないと思う。
百田さんの素行の悪さは幼少期からの筋金入りなのか納得
イジメをしてたり、部活サボったりしていても、テストさえ良ければどこでも入れるってのもどうかと思う。生活態度はある程度は評価するべきだと思ってしまう。
9科目(45点)はテスト、提出物の点数で全てを決める。追加で5点分生活態度や学業以外の実績での加点のMax50で判断すべきだと思います。
自分の場合、中学校の内申点の付け方は最後までよくわからなかったな〜。授業態度も良かったしテストの点も良かったのに5段階中3とか意味わかんなかった。たかが内申点だけど高校受験にもろに反映されるからたまったもんじゃなかったな。そもそもテストの点とかは客観的に測れる指標だからいいと思うけど、意欲とか授業態度は教師の一主観で決められるが嫌。というか人に迷惑かけなきゃどんな態度でも結果が伴ってれば別にいいでしょ。先生の顔色伺わなきゃならないのが本当に苦痛だった。
迷惑かける人がいるから内申が必要なんでしょ
@@言霊の幸う図のムンジニスト 内申が不必要だとは書いてないんだけど。
今って一般入試でも内申点使うの?
@@ドメロン 高校入試は一般入試の場合も内申点がそのまま点数に加算されてた気がする。自分の場合、小論文と面接と内申点で入ったんだけど、その場合内申の比重が高くて、だからこそ余計に気にしなきゃいけなかった。今は知らん。県によっても違うだろうしね。
>授業態度も良かったしテストの点も良かったのに5段階中3とか意味わかんなかった。同じく。万事控えめな性格で授業中に質問なんかできなかった。結果、よく質問するがテストの点数が自分より低いのに評価は上のヤツがいたよ。納得いかなかったなあ。
テストの点は余裕で合格なのに、内申点が足りないので希望の高校を受験しても受かりません。と言われました。どうしたら内申点が上がるか下がるかはっきりしないのが良くない。
課外活動で評価するようになると、親の経済格差を顕著に反映してしまう。経験の格差は、子どもにはどうやっても挽回できない。学業成績だけで合否が決まるのはむしろ公平。課外活動を評価するならフランスのように幼児から義務教育化して格差を縮小するなど、何らかの手立てを合わせるべき。
ちがうよ。評価をする際に定期テストのみならず、提出物や授業態度として2割ないし3割加味し、余りの7割ないし8割が定期テストの点数として、5段階ないし10段階評価をするシステムだから、毎度定期テストで100点を取っても5段階で4しかつかない子が居たのも事実。中学は相対評価だから、平均的が高い科目のテストで100点でも4がつくか5がつくかは、態度で決まるのがおかしいんです。
内申書は教諭1人で作成はしません。学年長、主幹教諭、副校長等が内容を確認してからGOサインが出るので1人よがりの評価にはなりにくくなってますよ
一票の格差みたいな感じだよね。能力をフェア反映した真の内申を求めるために、中学ごとに内申係数みたいな値を決めて、高校受験の時は高校側が内申係数を掛けた補正後の真の内申で判断するってことにしたら平等になるかも…?
内申付けた教師と教頭、校長と関連付けて評価したらまともになるかもですね。「〇〇先生の生徒で男の子で内申が3だから実質5, 女の子だったら実質1」みたいな。データがそろうまでの人が犠牲になりますが
姉が公立中学校の教員。中学在籍時、姉、母共に担任に媚を売りまくり、今でも連絡を取り合ってる。そんな人間が、教師になりたがる。これからもこの体制は変わらない。乙!
あなたの家族と社会を見る目が歪んでいるだけな気がする。
今の時代悪いことなんて書けない。確かにその通りだな。特に世の中が目まぐるしく変わる現代において親の認識が古いものになりがちってのはいい指摘だな。
その通り。みんな勝手に勘違いして、その勘違いをもとに不満を口にしているだけ。コメント欄の批判や不満も大半は勘違いや的外れなものばかり。
内申点の開示を求める保護者は少い。というか、そこを言えない保護者は多い。中学の3者面談は10分程度。3と4の違いは属人性が高い。その1の差で推薦がもらえない生徒もいる。以上が私が経営している学習塾付近の中学校の現状。保護者はメディアで話されてるほど、強い方ばかりではない。
実際に開示を求める保護者がどれだけいるのかは関係ありません。開示を求められる可能性があるということが要点です。
その1の差が何で生まれたかを教師のせいにするのではなく生徒に求めるべきだと思う。そのように評価された原因は生徒にあるはずだ。そして原因が分かれば改善できる。
理想と現実が違う様に、人の評価も人それぞれ違って当然です。そんな細かい事を1人の教師に求める事自体が無茶です。昔は相対評価だったのが、今は個別評価になっただけマシと思った方が良い。
素行悪かったんやろ。まじめにやってる子のほうが大事にしたいやろ。何言うとんねん。両津「不良が更正したって何も偉くない、ずっと真面目に生きてる方が遥かに偉い」
内申書は別にいいんですが問題は内申点の方ですよね。テストの点数だけで決まらない評価基準に苦戦するというか。都道府県によって高校入試の内申点のウエイトが全然違うのも驚きで。例えば兵庫県なんかはテスト250点、5教科100点、副教科150点のトータル500点で競うので副教科の内申点が良くないと、、、
兵庫県に関して、副教科の点数が高い理由は受験科目ではないからと聞いたことがあります。5教科はテストができるから内申はそこまで高くなく、副教科はテストができないから内申点は少しウエイトが大きい。個人的には理にかなっていて、副教科を蔑ろにできないからそれなりにいい制度かなと思ってます。受験のために副教科の時間に他のことをやるとか、作品を作らないとかを防ぐ効果は実感していました。
それだと5教科は実質350点,実技教科は150点だから5教科の方が割合的には高いのではないでしょうか?
教員志望の学生です。すぎやまさんがおっしゃったことは、「指導と評価の一体化」の中であくまで評定や評価は学習者の動機づけ、教師の指導方法の改善というPDCAサイクルを回すという文科省の施策です。今の親世代の時は、相対評価と言われるような、集団の中で自分がどの位置にいるのかが重視された時代で、それこそ勉強のできるできないで判断されていたものですが、今は各教科の目標にどのくらい到達しているのかという絶対評価を採用しています。また成績通知書は公文書の扱いで、昨今校長には重大な責任がありますので、すぎやまさんの言っている通りです。
明らかに20年前、30年前の論理が通じなくなってきているのが教育界です。その改革の原動力は、この動画でもあらゆる人が言及されていた批判の数々です。よりよい教育を作っていくためには、学校関係者だけでなく、地域や保護者の学校運営への参画といった「社会に開かれた教育課程」が必要であることの所以です。
元教員ですけど,絶対評価は絶対評価なんですけど,クラスで差が出ないように「各クラス5の人数は5人まで」など自主的に規制しているので結果的には相対評価になっています。1がいなくなったくらいかな。
高校で10年教員やってました。新入生の内申書を見る機会も多々ありましたが、一言で言うと「あまり参考にならない」皆さんがおっしゃる通りの「ブラックボックス」なんだと思います。教員やってますと色々な話を聞きますよ。内申点は一応点数化されてはいますが、本来は「調査書」で成績ではないので「自由度が大きい」ような気がします。
高校、大学って学問を学び高める場所だと思うので、学ぶ意欲の高い子やひらめきの必要な難問が解きこなせる知能の高い子達が、コミュ力不足や反抗期、先生に媚びない事を理由に内申点が下げられ、進路を妨げられる状態になっているのはとても問題だと思います。そこを不服として私立中学受験にシフトしている家庭の多い事も事実です。そこを話してくれる人がいなくて残念でした。
高校受験の内申"点"への不信感が私立中学受験に繋がっていると感じています。私の子供は中学受験させましたが、理由は、高校受験の内申点回避のためです。うちの子は小学校の成績は良くない状況でそれが何によるものか不明でした。テストは毎回満点レベルですが、態度や提出物を見られているんだろうなとは推測しています。本人に聞くと、簡単すぎて退屈な授業を真面目に聞いたり、同様に簡単すぎて意味のない宿題をきっちりこなすことに意味を感じないとのこと。それがもしそうなのであれば、中学校でも同じ状況になって内申点は全く取れないだろうなと思い、高校受験の無い中高一貫校に入れました。大人ならともかく、10代前半の子供が内申点を取るために先生の顔色を伺って、やる気のある振りをするとか分かっていることも質問して意欲を見せるとかする必要にあるのは酷だと思います。
5段階評価は3つの観点の評価の総合でつけられる。知識・技能はペーパーテストや実技テストで。思考力・判断力・表現力は記述式の問題や授業中の発言,ノートへの記述で主に評価する。学びに向かう力,人間性等は学習への取り組み方で評価される。柴田さんが「美術への関心・意欲・態度とかって授業数も少ないのにどうやって把握するんだろう」と言っているが,この関心等はここに含まれる。とはいえ,ただ発言すれば高評価というわけではない。多くの人は「学びに向かう力,人間性等」とは何なのかが全く分かっていない。学びに向かう力,人間性等とは簡単に言ってしまえば,自ら自分の課題を見出して解決に向かって主体的に動き出す力,人間性等のことだ。例えば数学なら授業中に新しい問題が提示されたときにどのように取り組むかを見ている。教科書を先読みして解き方を見つけようとしたり,既習事項を活用して思考錯誤していたり,友だちと意見交換して解決法を見つけようとしたり,答えが出るまでただ待ちの姿勢を貫いたり,自分では考えず友だちに答えを教えてもらおうとしたりといろいろな生徒の姿が見られる。これらの生徒の姿を見ればどの生徒が高評価になるかは明らかだと思う。教師の説明を待たず主体的に解決に向けて動き出す生徒の方がもちろん評価が高い。「習っていないので分かりません」などと悪びれもなく言う生徒の評価はもちろん低い。受け身の態度で静かに授業を聞いていても高評価にはならない。教えてもらうまで何もしない生徒の「学びに向かう力」が高いとは誰も思わないであろう。授業中に課題を解決するためにどのように活動しているかが大切なのだ。授業中に失敗したとしても,それを克服するためにどのように取り組んでいるか。諦めずいろいろと試行錯誤している生徒は例え解決できなくとも「学びに向かう力,人間性等」は高く評価できる。家庭学習の内容も見られる。学びに向かう力,人間性等が涵養されている生徒は,学習内容を理解するために自分で計画を立てて学習に取り組んでいる。未習の内容を予習して自分が理解できなかったことを整理して授業に臨んだり,テストで間違えたところを復習していたりする。自ら課題を見出して解決,克服するためにどうしたらよいかを考えて主体的に学習に取り組むとこうなるだろうという姿が見られる。つまり,意味のない家庭学習は行わない。この力が低い生徒はルーティンワークのように家庭学習をする。覚えている漢字や英単語を何日も書き取りしたり,ただ教科書を写したり,自分が既に理解している計算問題でノートを埋めたりと学習ではなく作業になっている。自分の課題を解決するという目標が欠けている。それは「学習」と呼べるものではない。ただの「宿題を終わらせるための作業」だ。提出物もただ提出すればよいというものではない。社会人なら分かるが,提出物は期日までに提出するのが当たり前。普通のことだから別に高評価にはならない。評価が下がらないだけ。大切なのはその内容。この「学びに向かう力,人間性等」は社会に出ても必要な資質・能力だ。仕事で上手くいかない時,上司から課題を指摘されるまで動こうとしない人は使えない。ルーティンワークで同じことしかしない人はAIに仕事を奪われるだろう。自ら現状を分析し,課題を見出して解決に向けて主体的に動き出せる人の方が評価は高いはずだ。ペーパーテストしかできない人は本当に能力が高いと言えるのだろうか?単に知識が豊富なだけである。いくら知識を持っていても,その効果的な使い方を自分で考えようとせずに誰かに教えてもらうまで,命令されるまで発揮しないのではもっていないことと同義である。学習についても同じこと。美術にしても,作品のテーマが与えられたときにどのように取り組んでいるか。終わらせればいいと思い入れもなくさっさと作品を仕上げる生徒。教師からアドバイスを受けても「もう終わったんで」と答え,よりよくする努力を怠る生徒は当然評価は低い。自分の作品に自分が納得できるように試行錯誤を繰り返す,より良い作品にしようと友だちの作品をよく見て発想を得ようとしている,うまくできないからといって投げやりに制作をしている,失敗してもうまくリカバーできないか解決法を考えて試行錯誤している,自分ではうまい方法が浮かばないから教師や友だちに方法を尋ねる,休み時間に「私美術は苦手だから適当にやろう」と友だちと話しているなど,生徒の姿を見れば分かってくるところはたくさんある。教師は生徒の頭の中まで覗けるわけではない。だから生徒の行動から生徒の内面を判断して評価する。生徒の思考の結果は行動となって表れる。教師は生徒の行動を見て「そういう行動を取っているということは学びに向かう力,人間性等が高まっているな」というように生徒の内面を判断している。教師の好き嫌いで評価しているわけじゃない。「学びに向かう力,人間性等」が高い評価を受ける生徒というのは努力家なのである。そういう生徒は教師から見たらアドバイスもしたくなるし応援もする。その結果好かれているように見えるのだろう。柴田さんが言っているのは順序が逆。好かれているから高評価なのではなく,高評価になるような努力家だから好かれるのだ。努力家を嫌う教師はほとんどいないのではないか?手をかければその分努力し,力を伸ばしていくのだから。反対に低評価は嫌われているから低評価というわけではない。低評価の生徒というのは自分から動こうとしない生徒だ。教師があれこれ手をかけても「ウザい」「めんどくさい」と憎まれ口をたたく生徒もいる。手をかけアドバイスをしても努力しない,動き出さないという自らの行動の結果,力を伸ばすこともできず低評価となっているだけだ。教師は贔屓で評価しているわけではない。全ては思考の結果から出る生徒の姿から判断し,それを評価しているのである。ペーパーテストは知識・技能を見取る一つの指標にすぎないので,それだけ高得点でも他の二つの観点が低ければ総合して高評価とはならない。ましてや,たった1回だけ高得点で高評価となるわけがない。
教師が正しく子供を評価できるって有り得ないですからね。担任なんてホームルームで少し見てたまに面談するだけで人となりなんてわかるはずがない。結局贔屓の温床になるだけだから、テストの点のみでいいと思います。自分のクラスだけ成績5を付けまくるクソみたいな教師のことを思い出しました。
君みたいな人を省くためには必要ですね
@@言霊の幸う図のムンジニストいろんなコメントに反論してて暇そうリアル充実してなさそう
@@あいう-o6m3j と論点と違う返信しかしないんですね
@@言霊の幸う図のムンジニストただ見てて思ったこと言っただけ😂
教師なんて学生と変わらんレベルの人間だからなw感覚的には社会人ですらない。
社会に出てもいかに上司に好かれるか、お客さんに好かれるかだからな。数字以外の何かってのも必要なんだよ。
社会に出たら、「お客さんに好かれるか」、ニアリーイコール「数字」、ではないですか。
5段階や10段階の評価にも影響が大きいからこの教師の言ってる事は信用出来ない。
自分は内申点ボロボロで、受験一発で進学して行った立場ですが、社会に出てから、学力よりも人間性の方が重視されると感じているので、内申点制度は必要ではないかと思います。内申点悪くても、それを凌駕する学力があれば問題ないですし。
お勉強至上主義の学校行けばいいだけ。俺なんかは素行メチャ悪かったけど、東大行ったし。
教師の主観でつけられてるって当時は実感してないから点数のみなのは分かる。でも副教科の内申2倍ってのが意味わからん。音楽とか美術なんてのは大学の入試ででるわけでもないし、なんなら副教科に内申つける必要がないとすら思ってる。副教科は持って生まれた能力が左右することが多いし、評価の仕方もあいまい。教員の質的にも(言ったら悪いが体育や美術の先生は好き嫌いで決める人が多い)良くない副教科をなぜ2倍にするんだろうか
TikTokとかでダンスしてる企業も多いからじゃね?
五教科に比べて教員の主観入りまくりの副教科が、入試で2倍3倍される県まじ可哀想。
実技教科にもって生まれた能力なんか関係ないです。そもそも,学校の実技教科はプロを育てるものではなく,内容は基礎的なものです。努力すれば誰でもできるようになるものばかりです。できる人ってのは才能があるからできるのではなく,絵を描くのが好きとか体を動かすのが好きとか授業以外でも勝手にそれに取り組んでいるんです。つまり,授業以前に自主的に努力しているのと同じということです。できない人はできないと決めつけて努力すらしない人です。真面目な人は実技教科も手を抜かずに努力するので上達しますよ。要は,実技教科でも自分なりの課題を見出して努力して乗り越えようとするのかどうかという姿勢が試されているということ。実技教科の内申点が高い人というのは,課題を与えられないと動かない人,解法を教えてもらわないとできない人よりも,広い意味での学習に主体的に取り組み,自分の能力を伸ばす力が高いということです。今後の社会ではAIも発達するでしょうし,マニュアルがないと動けない人は求められていないのです。実技教科の内申が2倍になるのは単に入試で出ないのでその取り組み方を見る機会がないからです。5教科は内申点と入試の合計ですから,実技教科を2倍してバランスを整えているのです。
それから,実技教科の評価は客観的なものですよ。それぞれの授業で評価項目が決められており,それを達成できたかどうかです。音楽で言うと,歌がうまいってのは漠然と上手いという評価ではなくて,音程がしっかり取れている,楽譜通りのリズムで歌えている,伴奏と合わせて歌えているなど上手いなりの要素があり,それを評価項目として評価しています。これらは科学的に見てもできているかどうかがはっきり分かるところです。好き嫌いで評価できる内容ではなく,授業でねらっている内容ができているかどうかです。毎回授業では1つか2つの評価項目が設定されており,教師は授業中にそのポイントで生徒を見ています。授業中全員を漠然と評価しているわけではなく,そのポイントがクリアできるかどうかだけを見ています。授業はその評価基準を生徒がクリアできるように指導しているのです。評価の仕方は曖昧なものではありません。技能ができるかどうか以前の細かいポイントができるかどうかの積み重ねです。最終的な作品や技と言うのはそのポイントの積み重ねの結果でしかありません。だから,授業のねらいが空想画で自由な発想力を生かして自分のイメージを表現する力を伸ばしたいというものなのに,立派な風景画を描いたらばポイント的には外れてますからいくら上手でも評価は高くはならないです。この場合,絵を上手に描くことが目的ではなく,自分の中にある,自分しかもっていないはずのイメージをどう形にしていくかという思考がポイントなので,既存の物をいくら上手に描いても意味がないのです。素人はそういうところが分からないから教師の主観で評価していると思いがちですが,明確な評価基準があるのです。それから,美大や音大は当然ですが教育学部の美術科や音楽科でも教授は作品制作や演奏のプロの方です。教師はそのような人に大学で教わっているので機械的にできているできていないを見極める力くらいはありますよ。そもそも教育学部の美術科や音楽科でさえ大学に入学している時点で専門性はある程度クリアしています。そういう入試ですから。美術や音楽教師になるための大学は,学校の美術や音楽の授業だけで入学できるようなレベルではありません。よって,教員の質的にも評価基準的にもあいまいな評価というものは一般的にはないと言ってよいでしょう。
僕の成績はテストと宿題の評価を自分で計算して、ほぼ計算通りの成績だったから、先生の好き嫌いは関係ないと思う。
内申点入れるならいいけど、それならテストは平等にするべきだし、批評項目、批評方法はオープンにして欲しい
小学校の時担任が書類を掲げて「言うこときかないと内申書書かないよ!」と言いましたけどね。30年以上前ですが。親世代はそういうことを経験してきたから言っちゃうんでは。
小学校は内申書なんか書かないよ?私立中学受験なら…って思ったけどあっても指導要録の写しで済ませるんじゃない?
そもそも小学生に内申書なんて言ってもなんのことか分からんだろ。
もっと深堀りしてほしいテーマです。
息子は中学で国語1をつけられて、問題になりました。そ校長先生と担任の先生、1をつけた主任の先生で話し合いをしました。評価の基準もよくわからないし、授業も出てました。どういう気持ちでこの点数をつけましたか?と、先生本人に聞きましたら,「自分なりの表があって、機械的につけました。」と言われました。校長先生は全然どうに評価してるかわかって無かったようで、身体の障害のある子が水泳の時期に体育1なのも知りませんでした。←(校長先生、1をつける生徒の事はチェックしてるんですか?と聞いたら、してます!と言ってましたが。〇〇くん体育1つけられたそうですよ。と、言ったら驚いてました。)どうしようもないなと、諦めました。校長先生によってガラッと変わります。次の校長になったら、途端に透明性が出て変わりました。その、やばい校長は今教育委員会にいますが。
どうあれ日本の未来の為には教育が一番大事だいう事だけは分かった。
内申書はいると思う。フェアにつけていないから問題なんだよなー。ぶっちゃけ私の家系みんな教員で住んでたところが田舎ってのもあったけど贔屓されてたなと思うよ。
内申って日々の積み重ねとか言うやついるけど断然入試試験の勉強の方が日々の積み重ねの気がする
教育業界にいるものですが、今は絶対評価というなの相対評価なんですよ。成績がいい人が多いとダメと言われるし、逆に成績が悪い人が多いとダメだし、5は何人までにしろという上からの圧力があるんですよ
内申の評定の付け方が学校によって変わるのが問題。
こういうの見ると人生は自分の知らないところで不確実な力に左右されてるんだなと思い知らされる…それも自分ではどうすることも出来ない力で😞💨
いやいや,真面目に授業に取り組めば内申点上がるんだから自分で何とか出来るでしょ。
杉山さんが言ってる事は実際の先生の内申点の付け方とはかけ離れてる綺麗事。
イメージで話されてもな~実際は杉山さんの言ってることは合ってますよ。
11:20いい時代になったね。6.7年くらい前まで中学生だったけど、普通に脅されてたな。まぁ勿論その教師は大半の生徒から嫌われてたけど。
本質的な議論が無いですね。問題の本質は内申「点」の基準がブラックボックスで学校毎にまちまちなのに、一律入試点に加算されるからフェアじゃないって事でしょ。A中学とB中学で評定の分布が全く違うという事が起きている。生徒の質がそんなに違うわけないのに。
それは思い込み。実際は公立であろうが地域性によって生徒の学力はびっくりするほど違うし、同じ中学でも学年によってだいぶ変わることもある。
素行悪い人は普通に学校側欲しくないの当たり前やろ。でも、内心が悪い人がそのあとよくなったりとかそういう変化は加味してほしいね。
大学教員(理系)の立場から言えば、いくら高校時代の活動実績が優れていても、学力のない学生が入学してきたら、授業についていけないので困りますね。推薦組の留年率、退学率が高いのが現実です。大学(理系)は学問、研究をする場ですので、学力がなければどうにもなりません。
自分、同級生に医者結構いるけど、彼らの話聞いてると「どうやって医師免許取ったの?」みたいな学力の奴結構いるのが事実だよ。授業についていけなくても医師免許ホイホイ出してる医学部なんていくらもあるのが現実。
@ 医学部は難易度の高い物理や数学を使わないから、そういうことが起こり得るんだと思います。本来なら医学よりも学問的難易度が高い、物理学、数学、電子工学、情報工学などに賢い学生が来るべきだと思います。特に工学は経済力に直結するので、医学部と工学部の難易度が同じくらいになっても良いと思います。
@@dr.eng.k3908 レベルが低い…言うてもmgとg、mlとl間違えたり、肝心の医学に関する知識が足りてない、みたいなケースの話してんだけどね。後、高校で数学や理科の教員やってても自然数と整数の違い解らない、天動説を信じてる、普通にいるし。俺の兄貴もIT系の資格いくつも持ってるけど、九九ろくすっぽ言えない・ローマ字読めないし、○○大付属高校からエスカレーター乗れずに仕方なく専門行っ(でそこでIT系の資格取っ)た。
授業態度はよかったはずなのに評定が低い,授業態度は教師の主観で評価しているというコメントが見られるが,細かいことを説明するのが大変だから授業態度とひとくくりに言っているだけ。授業妨害せずに静かに授業を受けていれば授業態度がいいのかというとそういう話ではない。静かに授業を受けるなんてのは最低限の話であり,できて当たり前の普通のこと。それだけなら評定は3。普通のことなんだから。授業態度というのは3つの観点の内,学びに向かう力,人間性等の観点にかかわるものを言うことが多い。・授業を受けて自分なりに課題をもち,それを解決するために既習事項を生かしたり他者と意見交流して自分の考えを深め,解決に用いた方法を一般化して新たな知識を得ていこうとする態度。・課題解決の方法が躓いても,あきらめず粘り強く試行錯誤して課題に取り組もうとする態度。・グループ学習において分からない生徒にも説明して理解させ,グループ全体の生産性を上げようとする態度。など一例を挙げてみたが,教師がどういう観点で生徒を見取っているか細かく説明するのは大変だ。具体的な生徒の姿としては,・活発に意見交換する,発言する姿。・クラスメイトの発言を取り入れて自分の考えを深め,さらに発信する姿。・ノートに,板書以外にも教師の発言や友達の意見,そこから自分の考えたことをメモし,自分の考えを深めて分かったことを整理してまとめている姿。・分からなくても投げ出さず,粘り強く何度も試行錯誤して問題を解こうとしている姿。(例え解けなくてもその姿は評価している)・グループ活動で,自分だけ発言するのではなく仲間の発言を促し,意見を交流しようとしている姿。他にも考えられるけど,長くなるからこのくらいにしておく。このような姿が授業態度がよいというものであり,ただ黙って話を聞いていればよいというものではない。簡単に言うと積極的に授業に参加しているかどうかだ。ここに挙げたことは社会人でも大切な,必要となる学力だ。学力が高いというのはテストで高得点を取ることだけじゃない。学ぼうとする姿勢も学力の一つ。発言が苦手ならノートを工夫してまとめればよい。グループ学習などで少人数の場面から意見を発しようと努力してみるのもいい。問題が簡単で時間が余ったならばその授業で用いた知識を応用してより複雑な応用問題を作り,自分で解いてさらに理解を深めようとするのもいい。そんな風に授業で積極的に学ぼうとする態度こそが授業態度がいいということだ。受け身の,消極的な授業態度は誰でもできる。誰でもできることが高評価につながるわけはない。他の生徒と差をつけたいと思うなら,他の生徒よりも優れたところを示すことだ。
正直東京都の内申制度は最悪に等しいです。実際文京区の中学校では5の成績の生徒が他の学区の生徒に比べて異常に多いです。(多分中学受験組が過半数だから低い成績をつけると親と色々問題が発生するため)これでは他の学区の生徒がいくら頑張っても報われる事は無いと思います。また3年の成績しか受験に使わないため1年から愚直に頑張って来た生徒が3年になって急に成績が落ちても考慮に入れてくれません。なので都立高校の受験は異質なハードルの高さで結果みんな受験に落ちるのが怖いため私立の専願が学年の半分を占めます。これでは受験の本質から逸脱してると思います。
いや、単に他の地域よりも塾通いが多くて普通に勉強ができるから高いだけなんじゃないか?他の地域よりも生徒のレベルが高いだけだと思うから、それはそれで平等だと思う。
試験勉強だけ出来ても、先生虐めたり、問題行動をしたりするのは受け入れ側にとっては減点材料だからな・・・・、コメンテーターの言ったことが本当で内申書にも通知書にも、クレームが怖くて悪いことは書けないのであれば本当に意味がない。
クレームが怖くて書けないというよりも都合が悪いから書かないというのが正しいと思う。自分の指導がまずくていじめが起きてますなんて自分の評価下げることをわざわざ書かない。校長も管理責任が問われる。それが記録として残っちゃうからね。ま、生徒のために書かないという優しい先生もいるだろうけどね。
平石さんの言ってた企業が前の上司に評価聞くのって今法的にアウトじゃなかったですか?
元教員だけど、内申書の数字って客観的なルールに従って機械的に入力するように決められてる。授業中の小テストの点や宿題の提出率とか。文章についても、他学年の教員や進路指導の教員、学年部長や教頭、学校長のチェックまで入って、一定のクオリティが保たれる仕組みになってた。誰かの主観が入ったまま内申書が通ってしまうなら、学校の教務システム自体に問題があると思う。人間性がクズなやつはどこにでもいるから、客観性妥当性はシステムで担保するべき。
すぎやまって人は素晴らしい人間なのかもしれないけど、この人が言ってる事は全教師が素晴らしい人間じゃないと成り立っていない。実際世の中に実在する教師の全員が人間として素晴らしいかと言うと、、、
それって教員に限らず社会全体に言える話だと思う。どこの組織でも変なやつはいるから全員に素晴らしさを求めるのは無理だ。社会ってそんなものでしょ。ただ、理念と言うか評価の方針は杉山さんの言う通りに進んでいるから、それを信じるしかないのではないかと思う。バイトテロやビッグモーターの不祥事、政治家ですら…そういうこともあるから学校を問題視するなら社会と言うか大人全体に完璧を求めるべきだと思う。無能者はどこの職業でもいるもんだ。
理不尽なルールである一方で世渡り上手になれたし、終わってみればこれはこれで良いのかもと思える
これ議論の出発点がおそらく内申点だったのに、途中から内申書の話にすり替わってるのが残念内申書は確かにいいことしか書かれない(それでも遅刻、欠席、保健室登校は書かれるので一度躓いた子には致命的ですが)問題なのは内申点で、私の出身の千葉県では公立校はテストの点数、学校の成績でプロットして、両方上位3割が自動合格、それ以外は職員会議で決定だったはずです個人的には、私立校が内申点が低いリスク因子を回避するのはいいですが、公立校は公教育の観点からやってはいけないと思います。現実が逆転しているのが残念です。正直、自分の子供が陰キャっぽかったら中学受験一択です
出演者のほとんどが内申書について正しく理解していないからだと思う。番組制作者も含めて正しく理解しているのは杉山さんだけだからあなたの言うような展開になっている。内申点が低くても普通に受かる生徒は受かります。特に進学校では。進学実績に関わる話ですし、内申点高くともテストで点数取れない人がいたら授業の質に関わります。勉強できない人を多くいれてしまったら授業のレベルをそこに合わせるしかなくなりますから…だから言うほど内申点は受験に影響しないと思っています。影響が大きいなら、平均点の低い、内申点が高くなりやすい、頭の悪い学校の生徒が進学校に進む割合が高いはずですが事実はその逆です。ライバルが多く、内申点が上がりにくい頭のよい学校の方が進学校に進む生徒の割合は高いです。
内申に悪い部分が評価されないとなると堂々と苛め等の犯罪する子も出てきそうな所に危機感を覚えてしまいます。
それはそれで内申とは全く関係のない話です。内申関係なく悪いことは悪いと指導している。逆に内申に響くから悪いことはしないでおこうと生徒に考えさせるのは教育ではないと思う。
悪意をもって特定の生徒の内申を下げることは有り得ない。各教科の担当がテストの点数をベースに決め、それを学年主任や管理職がチェックをする。寧ろ、受験の有無、志望校を鑑みて「上げてあげたい」と多くの教員が思っている。2者3者、希望面談を設けその成績について説明もする。すぎやま氏は「関心・意欲・態度」と発言したがそれは古い情報。今は「学びに向かう力、人間性等」となっている。これは「自分の学習をよりよく選択(調整)しているか」「1度の失敗で諦めずに粘り強く努力しているか」の2つが主な基準。これを忖度してそう見せている生徒がいたとしても、それは決して無駄にならない。問題はそれを内申のためにいい子ぶってると、他人を歪んだ目で見るその人の人間性。そして自分の内申が低いことを評価者や環境のせいにすること。そうすることでその子の気持ちは多少晴れるかもしれないが現状は何も変わらないし、反省や学びも生まれない。原因自分論。すぎやま氏は「調査書は並んだ時の判断材料」のように言っていたがこれは合っている。つまり、合格ボーダーギリギリの点じゃなくてぶっちぎれるように普段から頑張れば良い。そうなれば、調査書は合否の判断では使われず、合格者のお墨付きの紙に変わる。
的確な指摘ですね。このコメントがもっと伸びて多くの人の目に触れてほしい。
まったくもってその通り。そもそも高校受験なんて受験者の成績は似たり寄ったりだから内申点でそこまで差がつかない。結局はボーダーギリギリの人が気にするもので,だから落ちた人が内申のせいにするんでしょうね。結局は入試の得点が低いだけ。
内心云々より、頭がいい子たちの中で内申点を争うのとレベルが低or中間で内申点を争うのでは違うと思うのだが。テストもみんな満点取れる様なテストもあれば平均40/100点みたいな授業してる学校もあるわけで。それで同じ大学を受けたのに、高校のレベルは割と普通だけど推薦やAOで受かったor高校のレベルが高すぎて推薦やAOの枠に落ちたなんて話もあるので、そういう意味では一般試験は皆同じ試験を受けて差別化を図るのである意味、公平な気がするんだけど、どうなんだろうか。
教師の言うことなんて欠片も信じられないな
君よりはマシかと
頭が良ければ人格に問題があっても合格できるのはどうかと思う。
所詮教師ですからね…
内申点低そう
少しだけ内申が入試に関係することに文句を言わせてほしい。学校ごとに生徒のレベルの差があるから内申に差が出る。(不平等)(テストが簡単だったり、評価が甘くなるから)また学校の定期テストが完全に暗記ゲーと化している。例えば国語の文章丸暗記筆者暗記 作られた背景暗記数学でさえ知識事項を出すこれのどんなところを入試に影響させるべきかが分からないまたうちの学校でやったことがある。ある二人の生徒がほぼ同じレポート(振り返りシート)を提出したらある先生の好みの女子生徒の評価はA+もう一方の普通の男子生徒はBこれはもう差別ではないかこんなゴミ制度によって自分のいた中学校では女子の大半は偏差値の高い高校に推薦や併願優遇を使って入っていった(生徒の本当のレベルはピンキリ)男子は一部の気に入られた生徒を省いてほとんどが低い内申で一般入試を戦った。こんなのは、うちの学校だけかもしれないがこんなことはもうやめてほしい。
そんな悔しいんだったら、学力で見返そう!ほんとに偏差値が高いところは、内申の割合は低い。
嘘くさい話だな。特にレポートのところ。ほぼ同じ内容のレポートで評価がそうも分かれるものかね?まず他人の評価をどう知ったのかが疑問。百歩譲って他人の評価を簡単に知ることができる状態なら教員側だって配慮して評価するに決まっている。この教員,自分からツッコミ入れてくださいと言っているようなものでしょ。問題になることが分かっていながらそのような評価をするのはバカすぎる。だから普通はそんなことはない。つまりあなたの話は嘘っぱちか,あなたの学級にだけ起こった超特殊な出来事だったというだけだ。一般化できる話じゃない。普通じゃない話だから心配しなくていい。ほとんど全ての学校でそんなことはやっていない。
@@ファルファ-g7uそれ私立だけじゃね
受験で主観評価を使うのはあんま良くないと思ってるので、どっちかっていうと推薦に教師のお気持ちが入っちゃうのが問題な気が生徒会やってるとか活動記録的な事実を羅列するのはいいんじゃない
都内は主要5科目以外の副教科の4科目が×2されるのがかなり影響あるね。運動できる体育5の子は5×2=で10点になるけれど、体育3の子は3×2=6点と1科目だけで致命的な4点差が付いてしまう。
4点差は致命的かな?そうとは思えない。そもそも体育ができる生徒とできない生徒では差がついて当たり前では?その分他の教科で挽回すればいいと思う。内申点だけで合否を判断しているわけでもないし、そんなに気にしなくてもいいと思う。高校の側だって内申点は高いが入試の得点が低い生徒よりもその逆の生徒の方を合格させるよ。進学実績に関わってくるし、授業についてこれない生徒を入学させても対応が面倒になるだけでしょ。進学校ならね。進学校じゃないなら高校なんか別にどこでもいいじゃんか。行けるとこ行けばいいよ。出身高校で人を判断する社会人ってほとんどいないと思うし。内申点なんか気にしなくていいよ。
質問とかしに行った人の方が内申点高い時に贔屓だって言う人いそうだけど、先生から見たら質問に来てくれるってのは意欲的ってことであってね、、、
授業聞くまでも無く全部分かってる子が意欲を見せる場がないよねってのが問題だと思いますよ。結局教師よりやや能力的に劣ってて教師が「俺が育てた」って感じられる子が可愛いんです。可愛いことは悪いことではないけど、それが内申点に活かされるのが良くない
@@myu252成績上位者は教師に質問しなくても、ノートのまとめ方なり、人より多めに問題を解いたりより難しい問題に取り組んで自学のノートを提出するとか、アピールできることはありますけどね。
@@fukushimaben.sansantakasan自学ノートは受け取りませんって先生もいたので、受け取る受け取らないの差が出てる時点で不平等だと感じてました。課題とテストのみの先生。テスト、課題、自学ノートや発表回数など全てを見る先生。一つの学校でも割と差はありましたよ。
@@kira-uo5wm 誰かのを見て誰かのを見ないというわけでもないのでは?学校内で評価の軸がぶれていなければ問題ではないと思います。教科の先生たちの間で共通理解が取れていればいいと思います。
@@fukushimaben.sansantakasan 同じ科目でも担任が違えば評価するものも違うことはあったので不公平だと感じてました。中学6クラスのうち3クラスはA先生、残り3クラスはB先生って感じで、その2人で評価してもらえるモノの数が違ったことがあります。
私は大学受験の時に調査書を多めに請求して見たことあるけども、成績は別として行動面は当たり障りのないことしか書いてなかったな。ちなみに高校時代3回も謹慎食らうような素行の悪さだったけどもそんな私でも。
内申点は社会不適合者弾くのに最適なんだよな。うちの高校学年600人超いて4.5割の人が内申点の書類選考だけ(43/45以上ないと入れない)で入ってきてるけど、書類組は社交的な人が多い気がしている。学年のヤバいやつ(協調性ない、コミュ力0)とかは一般入試組が多い気がする。ただ、同じように書類で入ってきても、中学での内申の取りやすさが違うから学力差があるのも事実。だから、定期テスト全国共通でやって、80パーセントは共通定期テスト、残り2割は各学校の裁量で決めるみたいな感じでいいと思う。
法政二高か?
7:58 すぎやまさんそれは言い切らない方がいいこれが事実なら逆に内申書以外の学校独自の特記事項書類があるとしか思えない
シャツインしてようがしてまいがそれは内申点とは全く関係ないです。なぜなら、そんなの評価じゃないし、得点化もできないからです。そもそも悪いことは書きませんが、書いたところで得点化はされず,その事実を高校側がどのように判断するかということにすぎません。内申点で中学校の方で得点として出せるのは教科の成績だけですよ。
こういうテーマをあえてやらないでブラックボックスのままでいた方が学校の統治はやりやすい ばらしたら言うこと効かない奴が増えそう
千葉県は偏差値高い高校ほど内申点の配点が低かったり無かったりする
テストはできても神戸大みたいな学生もいるからな~。内申書は大切かな。
まあそういうので社会や目上の人への媚び方を学べるのはいいんじゃないかな。でもイジメについては不記載、一教師の主観だけで決めるのはマジで良くない。
記述内容じゃなくて評定だよ。テストの点数でつかない観点は先生に嫌われてたらAがつかない。説明求めてもなんとでも言えるから。Aがつかないと5がつかない。そこが問題。
配点の中に内申点があるのが問題なんよな学力試験の合格ライン上の人間を篩にかけるだけならまだ分かるとしていくら頑張っても内申のせいで志望校を狭まって、グレた奴が更生したり、3年から追い上げたりする芽を摘みかねない
グレた人より始めから真面目にやっていた人が評価された方がいいと思う。3年から追い上げるより1年から頑張っていた人の方が上なのも当然と思う。
15:00 大学受験を揶揄してるけど、内申で評価しても「カリカリ受験勉強する人」ならぬ「ぺこぺこ教師や学校に媚びるだけの人」を生み出しかねない
そんなに教師に媚びてる生徒いない
むしろ日本ほど内申書・調査書が軽視され、一発筆記試験による救済があるような国は他にあるのでしょうか?
みんなが内申書を誤解し過ぎ!この時期の調査書作成委員会で何重もチェックを受けて来たものが、生徒に不利益が生じることは書かれる訳がない!本当に、評価の1点や2点の差で希望校に入れなくなったことは、その生徒がそもそもそこまでの実力を備わっていないとのこと。それだけです。
地域によって受験制度が違う。少なくとも埼玉県の高校受験は内申が超重要。内申が足りなければ受験者の上位2割以上に入るレベルではないと落ちることがある。すぎやまさんの話が正しい地域もあるのかもしれないが、この話をを鵜呑みにすると大失敗するので学校の先生か受験制度をきちんと理解している塾の講師に話を聞きに行ったほうがいい。
そもそも頭が悪いから落とされるのでは
内申が足りない=そもそもの学力がその高校を受けるレベルではない。内申点のほとんどは教科の評定です。それが足りないということはその高校を受験する集団の中で偏差値的に既に下位であるということです。そういう状態なのですから,当日の入試で上位2割に入らなければ落ちるのは当たり前です。
内申点(調査書)の内訳は英数理社国の5科目と技家保体音美の4科目。5科目は学力中心だが4科目は実技中心。実技4科目はペーパーテストを行う科目もあるが明確に点数化できないところで評価される割合が高いため学力が高くても内申が伸びない生徒はたくさんいる。極端な例(実際にいた)ですが5科目はオール5、4科目はオール3というように合計値で見ればオール4程度にしかならず、模試の偏差値では65前後取れていても上記の内申点では偏差値60前後の学校に行ければ御の字となる。学力=内申点と単純に決まるものではは無いし、そもそも内申点は12月頃に決まってしまうため受験時の学力が反映されたものでもない。地域差もあるが大学受験と違って学力だけでは適正な偏差値の高校に合格できないケースがざらにあるため注意が必要。
@@noris1764 実技教科のペーパーテストは知識を問う部分が大きい。美術などは技能も入るが。知識・技能,思考力・判断力・表現力,学びに向かう力,人間性等の3つの観点の中の知識・技能を見取るために実施していることがほとんどで,他の二つの観点も大きな比重を占めるからペーパーテストだけで実技教科の評定が決まるものではない。作品制作過程で生徒が何を考え,作品にしていくためにどのような過程を辿ったかを見取って評価している部分が大きいから,実技は受験に関係ないからと手を抜くような生徒はそういうことになる。
@@fukushimaben.sansantakasan内申が低い=学力が足りていないという話をされていたのでは?私は学力だけでは適正偏差値の高校に合格できないため内申点も重要だというコメントをしているつもりです。
今でも特別推薦枠、一般推薦枠で調査書(内申書+通知表)の評価はすごく重視されてるでしょ。一般高校入試でも通知表を点数化(内申点)し入試の点数に加算されてるじゃない。(私の地域の一般高校入試で5教科500点満点+内申点)元教師は先生をボコボコにしても内申には関係ないと言ってるが、特別指導を受けた生徒は推薦枠の資格を失います。先生方の成績のつけ方基準に偏りがあるのは事実だし、最初はできなかったり休みがちだけど3年間の後半に集中して伸びる子もいたりするし、『スタートダッシュが良い子』『最初からできる(環境にいる)子』『見せ方が上手い子』が優遇されている感じがして後半追い付いた子や成績に波あった子休みがちだった子のチャンスが減っているようでそんな子が可愛そうに感じがます。学校とはできなかったことができるように学ぶ場所だと私は思っています。学校からの成績や評価とは本来、親や子供自身が先生からの評価を客観に見つめ直すためのものであり、受験先の学校に渡してそれで評価してもらうためのものじゃないと思ってます。なので、私は内申書はあっても良いとは思いますが、内申書(調査書)を受験をする学校に渡すことはなくしたほうが良いと考えています。
推薦は送り出す側も責任を負うんだから、人をボコボコにするような生徒を推薦できるわけないでしょなんなら学校推薦なら自信をもって送り出せる生徒になるんだから、活動的で積極的な子を推薦するのは当たり前そういうのが嫌なら学校推薦じゃなくて自己推薦枠で頑張れとしか言いようがない
@@オースチン-c8g 元教師は問題行動が内申書には『書かれない』とは言ってるが、実際、内申には『響く』ということを私は言いたかったのです。推薦が取れないだけでチャンスは大きく失います。中学一年生で髪の色を染めて特別指導を受けた場合、それで推薦枠の資格をうしないます。たとえ、そのあと心改め、生徒会長になったり、学業で良い成績を残したとしても。学校からみて活動的でなく積極的でない子が、活動的で積極的な子よりもどう推薦に値しないかが私にはわかりません。例えば高校入試模試で5教科450点以上取れる力のある子が活動的でなく積極的でないとは考えづらいです。意欲的に勉強したからの結果だからだと思います。私の地域で県立高校への自己推薦枠はありません。
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5:24 ここの「総合的な学習」についての説明は誤りではないでしょうか?
教科領域としての「総合的な学習の時間」での学習内容についての評価であり、「人柄や学習態度や生活態度」とは全く関係ありません。むしろ、「そんなことは書かれない」ということを伝えられる場であったはずです。
報道番組として内申書の誤解についても扱っているのであれば、そうした点も正確に伝えるべきだと思います。
@@aiueoabc1
私は判断できませんが、指摘の通りであれば出席してる元数学教師とか教育アドバイザーが指摘してもよさそうだけれどね。
かかか、か、、か
@@aiueoabc1 これ僕もおかしいと思いました。総合的な学習の時間についての評価は道徳科と同じように文章で記すものなので,通知表に書いたようなことを転記しているに過ぎません。通知表にも総合的な学習の時間と道徳科の所見の欄があるはずです。それと同じようなことを書いているだけで人柄や学習態度や生活態度なんて記入しません。思い込みで発信しないでほしい。誤解を世間に広めることになります。後日でいいから訂正してほしいです。
教師にいじめられていた身としては、内申内容全て無くして欲しかったです。
不登校が続くと授業受けてないので、通知表の成績も下がるので、それらの不具合を防ぐ方法が無いのであれば、無くすべきでは無いかと思います。
いじめた生徒は内申できっちり書いて欲しい。
これじゃあ、いじめ得だし不登校にさせられた生徒が浮かばれない
韓国方式だね
@@鬼山田門左衛門の介そうそう
いじめの定義が曖昧だからそんなことはしなくていい。それやりだしたら嫌いなやつを痛い目に合わせることもできてしまうし、いじめを受けたと自称するやつがどうしようもないやつだったらどうにでもなってしまうやん。いじめがホントにあったかどうかなんて痴漢と同じで言ったもん勝ちでしかない
@@Vtuzyuryouyamada定義が曖昧なら定義すればええやん。あからさまな問題行動だけでも。
@@ビッグモーヲタ たとえばなんかあります?(嫌味はまったくない)
「私は人の印象で絶対に左右されません」と言っている人を信用することは難しい
「私は個人的に感じる印象の良し悪しを内申書に反映しないように努力しています。他の教員のことまではわかりません」なら信用できる
内申書を受けとる高校側も、一教員の文章をいちいちよみません。だって点数化できませんから。点数化できないものは入試の評価にははいりません。
杉山さんも言っているけど,一教師の裁量でどうこうなるもんじゃないです。管理職も当然チェックする物なので,今の時代個人的な印象で内申書を書く教師なんかいないです。いたとしたら管理職が無能です。説明を求められたときに生徒の成績や提出物の提出状況など事実として言える部分がエビデンスとなります。そこから大きく外れたことを書けるわけがありません。入試の話も真実です。入試の得点順に並べて,最後の最後,どちらを落とすかというボーダーライン上の生徒に関して特別活動を参考にするくらいです。
文章は重要ではない。あれはテンプレに近いし教員のオリジナリティはほぼ出さない。
私立入試を受ける場合は内申点は非常に重要で、点を稼いでおけば推薦資格を取ることができる。活動実績も推薦の場合は推薦資格に関わるので重要。それで面接だけで入れるそこそこの名門私立だってある。
@@おせんべい-i9y ま、私立もピンキリだしな
いい教師だ
君、センスあるね?
内申書が学校内でどうとかではなく、学区によって差がある。ある公立中では内申点がとりやすいと言われていて、隣の学区の中学は優秀な子が多いので内申点が取りにくいと言われる。引っ越したら成績があがったとか下がったとかいう話もある。高校はどの中学も平等にみるので内申点が取りやすい中学にいるだけで有利になる。
本当にそのとおり。教員によって差ががある、学校によって差がある、学区によって差がある。
ほんまにこれ。
塾とかいってると馬鹿なのに内申点高い子がめちゃくちゃいる中学あってマジで羨ましかったわ。
@@sasinakoせめて動画の中身見てからコメントしろよ
内申は最後の砦って言ってるのに
内申で合否が決まると勘違いするなよ
@@smilygogo55入試の点数と内申の総合点で判断する県もあったり、内申点が基準以上受験者の中で入試点数を競い、それだけで定員の75%を決めるところもある。絶対に全国共通で最後の砦という訳では無い。せめて調べてからコメントしろよ。
中学の内申点の大半は中間、期末試験
の点数で決まる
問題は音楽、体育など副教科は努力で
どうしようもない部分があるので、そ
の部分の割合か高いと痛いですね
先生の主観はそこまで入っていない
会社も同じだよね〜
社内の人間関係上手く回せる人ほど可愛がられるし評価される
で、そのいわゆる「潤滑油」ばっかり集めて評価してなんか実績あがるの?
マネジメントはうまく仕事を割り振って、困った時の協力関係を上手く築けるか考える仕事だから、そっち向きかも。
大人になったら飛び抜けてないとそんなに差がつかないからな~
同じ会社にいるならテスト的にはだいたい同じくらいの能力だし。
結局テストができるだけならよほど飛び抜けてなけりゃ社会に出ても平均的な力しかないんじゃないかな?と思う。テストができるから内申点上げろみたいな人多いけど、結局大きな視点で見たら平均なんじゃないかと思う。なら人間性というか、人当たりよくてこつこつ努力できる人の方がいいよねってなると思う。
先生の運(公平に見てくれるか)や
学校によると思う。
優秀な子が多ければ、
馬鹿な子が多い学校より内心は低くなるのも問題だと思う。(相対的評価)
あとは学校によって緩い学校と
厳しい学校での差が多いなと思う。
正直本当にヤバい子は内心も元々低いから問題行動に関して気にせずするかと。
現役高校生ですが、
内申書に響くぞと脅されることは結構ありましたし、ある学校ではテストでほとんど決まるし、
ある学校では主体性重視で決める。
先生によってはテストが100点で、ちゃんと提出物を出していても4にする人もいるし本当に先生の運によって変わる。
あとは県によっても変わってくる。
田舎だと内心重視の学校が多い。
自分の県の場合は昔よりも内心の分の割合が増え、4割内心で決まる。
最終的には内心+テストの点数で決まる。
結構不透明な部分が多い為、
配分は少ない方がいいかと。
僕の地域では内申点の低い頭のいい学校の生徒の方が内申点の高いはずの田舎の学校の生徒よりも進学校に合格してる。入試と内申点は半々なはずなのに。
すぎやまさんが言ってるのは綺麗事だな。内申点なんて贔屓ばかりだよ。テストで100点取っても90点のやつのほうが内申良かったなんてザラにある。
テストの点数だけで内申点決まらないからね
@@ささみ-r8t7n それはそうなんですが、提出物や出席数も遜色ないのに先の通りになったことあったんですよね…それ以来、内申点は贔屓点て思うようになりました。
@@yohizumi成績はテスト、提出物の出具合・内容、授業内の発言、ノートの記述、ワークシートやレポートの内容など総合的に判断されるものです。100点の子より90点の子が成績が高いならば、テスト以外の部分で90点の子が100点の子を上回っているということです。そもそもテストで100点も90点も成績処理上は優劣がつかないので、他で差がついていることは容易に想像がつきます。
@@owarinoowari1 その通り。テスト以外の学習にかかわる部分で5と4の分かれ目になる差があっただけだ。相対的に見てどこか5の生徒よりも学習の部分で劣っていた部分があったということだよ。コメ主には贔屓で成績をつけるということはないから安心してほしいと思う。
といっても杉山さんの最後の話のように,入札で入れなかった業者がどう思うかっていう話になっちゃうんだけどね。
質問ですがそもそもどうやって内申点がいくらか分かったんですか?
いじめとか授業妨害しまくってるやつが、高校3年になってマジメになっても、最初からマジメにやってる子と同じ土俵に立ってできるってほうが嫌なんだが。
損ってわかってるなら真面目にやらなければ良いじゃない? 本当に真面目な人は同じ土俵とかそんなつまらない事考えないと思いますよ。
どうせ虐めをしてた奴も、内申書には普通に書く。公開されたら、評価を正しく書く事が出来無い。
多分サムネとか前半しか見てないんだと思うが、内申にそんな悪いことしたとか今時書かないぞって言われてるぞ
@@jack84200 確かにwありがとうございます。でもそれはそれでいやだなあ。なんでもありなんか・・・・
@@user-in8ik1cj7c まあ真面目な人っていうか、いじめられたほうからしたらいやだなあって感じ
今でも恣意的に内申つける先生なんていっぱいいるよ。子供達はどんな酷い教師にも忖度しまくりだよ。教師の側に忖度されてる自覚がないの本当にヤバい。少なくとも、受験で内申点使うか使わないかを、受験生が出願時に選択できるようにするべき。
「忖度されている自覚がない」ほんとにこういう人がいるから問題
自分が偉いと勘違いしてどんどん横暴になる。会社でもそう
内申点とか陽キャがする遊び心みたいなもん。陰キャの非リアや発達障害からすれば生き辛さ増す
@@j8tspt5bznkそれが今の学生
教師が何も言えないからやりたい放題
@@妖怪マジシャン-j5z一生そうやって嫌なことから逃げてたら?
@@j8tspt5bznk弱者男性😂ブチギレ
中1からしっかり定期テストで点取る真面目な人が評価されるのは賛成。ただフェアではないことに尽きる
クソ教師が恣意的に付け替えするからね
本当は定期テストが全国で統一されてれば一番いいんだけど、そうすると費用が嵩むし学校ごとのカリキュラムに合わなかったりするから、じゃあ高校の終わりに...つまり共通テスト...と大学はなっているので
高校入試版共通テストがあるといいかもね
@@エミル佐藤別に今ある高校入試のままで内申点なくせばよくね?
ウチの中学校のとある教師は学年で3番に常に入っているワイの評価をずっと4にしていた
理由は煩いクラスメイトを静かに纏める命令をしても無視していたからと言い切った
ワイは学級委員でもなんでもないんやが。
親も数字以外理解できん毒やったし。
当時は教頭や教育委員会に訴えるという考え自体ない時代やった
英語教師やったな
たまに生徒にいじめられて逃げ帰ってた
@@エミル佐藤定期テストを全国で統一の内容にすることはそんなに難しくないと思う。文科省で問題作成して各都道府県の教育委員会にでもメールすればいい。HPに教育委員会しかアクセスできないようにしてダウンロードさせてもよい。
ただ、そうすると地域の実態に合わせた指導はしづらくなる。行事の関係で授業の進度も変わるだろうから、各校統一の行事、プログラムで教育するしかなくなるかもね。
内申点は受験資格の一環にすべき。学校によって内申点の取りやすさが変わるのは実に不公平
先生の受けがよく内申点でいい高校に行った子は授業についていけず、結局三流大学へ行った。
別の子はいい高校に行ける学力があったけど家が近いからと一つ下の高校を受け、県立大学へいった。
結局その子のレベルにあった高校にいくのがいい。
私立高校で多額の寄付を
していた人は
内申点がめちゃくちゃ高かった
成績は金で買えるのはやめてほしい
自分も発達で内申点はあまり良くなかったけど、大学は試験一発勝負で入りたいところに受かった。
賛否があるのはわかるけど、自分は偏差値教育に救われた側だから何とも言えないね。
大学や高校の受験って学問するためのものであって、大衆が勝手に「〇大卒=勉強が出来る」に=人間的にも優れているを勝手に足すから妙なことになっている気がする。意欲関心態度とかリーダーシップとか協調性みたいな環境によって現れたり現れなかったりなものをちょっと見ただけで測ろうとするのも傲慢
俺は反対に内申点とか評定で生きてきた人間だからなんとも言えない!
僕も内申点なんか気にしたことない。中学時代遊んでて学校行かなくてもテストは普通にできてたから、先生に「お前は私立は無理。受かるなら定時制かトップの進学校しかない。欠席日数多くてもあそこは入試の得点で決まる」と言われてトップ高受けたら普通に受かった。面接は集団面接だったけど、学校行かなかったことなんか触れられなかった。ちなみに中2から3年の1学期までの通知表は「評定できません」と書かれていたよ。ただ、滑り止めの私立は全部落ちた。だから内申点なんかトップ高以外の学校受験するやつにしか関係ないと思ってる。
内申は相当悪くなければほぼ基準に入れないぐらいでいい
入れるとしても日頃のテストの点数の評価のみを内申点の評価にするのでいいね、60分程のテストだけではわからないというのなら理解できるから
わかりみdeep
学校によって内申点の付け方が厳しいところと緩いところがあるのも問題だと思う。自分は少人数の学校だったから一挙手一投足が評価されてめちゃめちゃ厳しかった。他の学校の友達の話聞くとその子の学校はほぼほぼテストの点がそのまま反映されるみたいで羨ましかった。自分も高校になってから内申点の付け方めちゃめちゃ緩いな!ってなったし学校によって評価基準が全然違うのもどうかと思う。厳しいなら厳しい、ゆるいならゆるいで統一して欲しい。不公平。
>学校によって内申点の付け方が厳しいところと緩いところがあるのも問題だと思う。
これが一番の問題かな。
問題はあると思いますが、統一することがいいとは思いません。なぜなら社会に出てからはそのようなことが日常的に起きるからです。
結局評価するのは上司や同僚個人で、なんなら自分の成果を奪われたりすることもあるでしょう。
この理不尽な社会で生きていかなければならないのに、学生時代に公平公正を完璧にすることが果たして正解なのかは甚だ疑問です。
@@ゴツゴツ
>問題はあると思いますが、統一することがいいとは思いません。なぜなら社会に出てからはそのようなことが日常的に起きるからです。
仰る通りそれは社会にでてからの話。社会に出るまで、つまりスタートラインまでは公平公正で同じラインからスタートできるようにするのが大事。教育無償化もその発想から出たもの。
その先の弱肉強食の世界については「社会というものはいままで通りにはいかないよ」と教育すれば済む話でしょうね。
@@ゴツゴツ 社会に出たら不透明理不尽は当たり前という発想は持つべきとは思わないな
そういう人間を育てていけば彼等が社会の担い手になったときに不透明で理不尽な社会を作ることになる
@@ゴツゴツ理不尽なんて社会に出目からでええ
私の通っていた中学は良い内申点を取るのが難しかったため、小学校卒業と同時に荒れてる隣の学区(荒れてるため、テストの問題が簡単で、授業受けてるだけで「意欲関心」の項目が満点になるから)に引っ越した人いました。
その人頭悪いと思う。内申点がいい人は結局どこの学校に行ってもいい。内申点が悪い人が他の学校に行って多少マシになることはあるかもしれないけど。
内申点低くても、内申点の高いバカよりは合格する可能性高いと思う。頭のいい学校の方がバカ学校よりも進学校に進む生徒の割合は高い。バカ学校なら他の学校と比べて平均値が低いから内申点高くなりやすいがだからといって進学校に進めるかというとそんなことはない。逆に平均点の高い学校では内申点は低くなりがちだが、それでも進学校に進む生徒は多い。各校に差がないなら学校間の進学校に進む生徒の割合は変わらないはず。内申点が重視されるならバカ学校で内申点高い方が進学校に進む生徒の割合は高いはずだが事実はそうではない。結論としてはテストで点数が取れるならば内申点なんか言うほど気にしなくてもよいと言うことではないだろうか?
自分の中学は内申書の付け方が厳しかった。
これは自分以外の友人も自覚していたし、その周辺の中学をまとめて教えていた塾の先生も「自分の中学」は
特段厳しいと言われていた。
自分は点数はそこそこ取れていたが、
先生の印象が悪く明らかに内申点が低く、結果として志望校のレベルを下げざるを得なかった。
他校の生徒で自分より成績が劣っている子が自分の志望校に受かっていた。
入学する高校によって人生が左右されるから、評価の差異がでるのは解消して欲しい。
下げざる追えない
↓
下げざるを得ない
特段厳しいとはいえ,成績を付けて5が一人もいない学校というのは極めて考えにくい。というかない。ならば回りよりも優秀であれば普通に5がもらえるはずだ。
それに,教員だって管理職含めて何年かしたら異動になるわけで,いろいろな学校のやり方が回ってくるから一つの学校でそんなに厳しいつけ方がずっと続くことも考えにくい。
学校によって成績の割合に差が出てくる可能性はあるが,定期的な教員の異動によって大体平均化されていると思う。そんなに極端に差があれば異動してきた教員に指摘されるだろうからね。特に管理職が変われば一発で変わるよ。
中学校の時に英語で中間期末9割とった学期の評価が3で問いただしたら、挙手が少ないからって言われて本当に腹が立った。
毎授業挙げていたのにさされないから発言が少ないとされていて理不尽すぎた思い出
それ調査書じゃなくて通知表の話でしょ
手あげても指されないから、先生が当たり前に答えを全て言ってしまうサイコパスでした❤
それはありますね。学力が高いが消極的な子にはすごく不利になってるのは事実。中学の内申点を高校入試に使うのが本当にダメだと思う。5(内申点):5(試験の点数)の高校もあるし…。
陰キャの天才秀才が偏差値高い高校で学べなくなるという弊害は感じます。
@@znomi7937 「学力だけでなく」コミュニケーション力「も」必要ということですね
@@言霊の幸う図のムンジニスト
社会においてはそうだね。
でも、高校→大学は学問を学び高め、研究する機関なのに、ひらめきや知能の高い子達よりコミュ力の高い要領の良い子達ばかりをいれる方向で本当に良いの?
みてると、私立中高からは知力の高い子を、公立からはコミュ力の高い子をって感じがする。なんだろこの風潮。
当時内申なんて気にしてなかったしよく知らなかったけど、個人の主観で評価が決まるのは怖いと思った
学校生活で友達と遊び回ってワイワイしてたのに、三者面談で先生に内向的で友達がほとんど居ないとか言われたことあるもん…
友だちと思っていたのがあなただけだったという可能性は否定できない。他の子たちはあなたのことは別に友だちではないと教師に話していた可能性もある。あなたにはもちろん言わないだろうけど。
高専入ってからはテストと課題点だけで評定が決まるようになったからめっちゃ取りやすい
内申点なくして年に2回くらい全国の学校で同じテストを開催して,その点を高校とか大学に伝えれば受験一発勝負ではなくなるんじゃない?
あと,今の受験は行きたい大学で勉強するために,どれだけ無意味なことにも努力できるかを問うてる気がする.これがいいのか悪いのか
私も高校では授業態度に関係なく点数だけでの評価だったので得意科目はいつも5だった。
すぎやまって人の学校はいい学校なんですね〜www
としか言えないトーク
実態実感は柴田さんのが合致するわ
時代遅れすぎるでしょ。今の学校は杉山さんの考え方が普通。本当に普通。
柴田さんの話は昭和の話でしょ。20年前には既に杉山さんの話の方が普通でしたよ。
@@fukushimaben.sansantakasan
20年前にあの考え方が普通とは、よほどいい先生のいる学校に通ってらっしゃったのですね!羨ましいです!
数年前の時点では、悲しいことにあなたの周囲が世界の普通というわけではないようです。
何にせよ杉山さんの理想論が事実・普通になるといいですね。
@@そらぼん-e1p 僕は杉山さんのように元教員ですが,普通に初任校でそのように指導されましたし,いくつか学校を渡り歩きましたが全て同じように指導されました。柴田さんのイメージで未だに運営している学校なんか聞いたことないです。杉山さんの考え方が教員では普通ですよ。
内申書や通知表に生徒の悪いことなんか書きません。書いても何も得することありません。杉山さんも言っていますが,生徒への評価は自分への評価なんです。生徒に1をつけるということはその生徒に1を取らせてしまった教師の指導力が1ということなんです。
生活面でも同じです。いつも問題行動を起こす生徒がいるならば,いつまで改善できる指導ができないんだという話なんです。それって教師の指導力不足につながる話なんですよ。自分が不利になることをわざわざする人はいないです。それに,生徒の希望通りの進路に進むことができたら教師の株も上がります。どうして自らの株を下げることなんかするでしょうか。
それに,受験にかかわる内申点は教科の評定がほとんどを占めます。一教師が操作できるのはせいぜい一教科の評定です。それでも不自然なところがあれば普通は管理職から指導が入ります。テストの得点というのは動かしようのない事実で,この得点と教科の評定があまりに乖離しているなら管理職を納得させる説明が必要です。それで納得させるだけのエビデンスがあるならそれはもうそのように評価されて然るべき生徒ということです。
@@fukushimaben.sansantakasan
今子供が中学に通ってるけど、時代遅れもなにも無いですよ。人が人の優劣をジャッジできるの?っていう状況ですよ。全く不透明で意味を感じません。
学力が低くてもコミュ力の高い、先生のお気に入りの子が学力の高いおとなしい子より高内申点とっているのは事実です。
@@znomi7937 内申点って基本的に見れないと思うんですけど、事実とか言われても誰々より高い低いなんてわからないでしょ?
部活と同じで、大学受験のように逃げられない緊張感のなかで点数だけを追うことでしか築かれない人格もあると思うんだよな。一般入試の経験は推薦では得られないその後の人生の糧になるって私の高校の先生は言ってたな。
それは推薦で落ちた人への慰めでしょ
勉強を頑張った経験は良い糧になりますよね。
採点者の好き嫌いの入る余地があるのが駄目なんだよね
学力のみの方が公平性が保たれるような?
公平とは
塾行く金のない底辺が不利
@@PomesJapan 特別大学受験に力を入れている私立じゃない公立高なら,しょせん中学校の範囲でしか出題されないから塾はあまり影響ないと思う。
自頭のよさとは別に自分で学習計画を立てて努力できるかが重要であって,公立校を受験するなら環境のせいにしている時点でだめだと思う。
@@PomesJapan顔とか骨格肌の色とかよりマシ
確かに15年前中学生だったけど、内申書には悪いことは書かないと聞いたことはあるし、面談で自分の内申書の内容もその場限定ではあったが見させてもらった。
ペーパーだけでいいよ。評価する側の能力追いつかないでしょ。システムで公平さを優先させないと能力低い人間に管理される側としてはたまったもんじゃないでしょ笑
ペーパーテストだけで能力測れると思っている馬鹿発見www
中学校教員だけど
通知表のデータとほぼ変わらないし
評価基準は客観的事実でしか判断しない。
基準も授業や単元の最初に伝える
途中で生徒自身がエクセル表計算で評定も確認できるようにする。
レポートは再提出もできるようにしている。
学校活動もその生徒がやったキャリア(行事部活)しか箇条書きで書かなくなってるよ。
主観的なことができるだけ排除されてるシステムに変わってきてますね。
👏
内申点は先生の好き嫌いで決まる事が多い。客観的ではなく、主観的な数字。しかも、女性教師には気をつけないと感情が出過ぎる。
あなたの感想ですよね?
@@Tensaidesu_999 あなたの基準であなたを評価しても意味ないでしょう。あなたが下した授業態度に対するあなたの評価に客観性が認められません。それはただの感想です。実際に見たわけじゃないから何とも言えませんがね。
ただ,そういう評価がされたってことはそういうことだったんだなということです。教科主任も学年主任も教頭も校長もその評価が妥当だと判断したのだからそうなったんでしょう。教員一人の好き嫌いで評価を決めることはできないですよ。少なくとも3人くらいはあなたの評価の決定に関わっていると思います。
当時社会の先生に「目付きが気に入らない」という理由で嫌われていたせいで、授業ニコニコしながら聞いて毎回学年1位の点数取ってたのに評定はずっと5段階中4だったのを思い出した笑
こんな風に評価基準が非定量的で教師個人によって異なるし、相対評価の面もあるから、例えば優秀な子が多く平均学力の高い中学で取る評価4と、ヤンキーまみれで全体のレベルが低い中学で取る評価4が同列に扱われるのは中学生の時から疑問だったな。学校のレベルによって教師の作るテストの難易度もかなり違ってくるパターンもある。考えれば考える程アホらしい制度。
(私立中や国立中と同様に)公立中学校でも学業成績不振者と素行不良者に対する厳しいペナルティを課す必要があると思う
例えば特別支援学校(学級)への強制転校(転級)など
部活の顧問に思いっきり嫌われて退部したら、9割取ってたのに5段階中3でしたw
内申書に悪いことが書けないとかではなく、A,B,Cかつ5段階評価みたいな感じで評価されて点数化されてましたけどね。
で、何故か定期テストが良くても内申点が微妙なことがあって、そこが不透明だなぁと思った記憶があります。
8:24
みんながブラックボックスって思ってるのは評価結果じゃなくて、意欲態度の評価方法でしょ。
結局1番の問題は内申“点”だと思う。この点は学校や学区で異なるから、内申点が取りやすいとこと取りにくいところで格差が生まれやすい。地域によっては内申の比重を多くするところも全然あるから、不公平を産む。まず、ここをどうにかするべき
とはいえ、頭のいい学校はトップ高に進学する生徒の割合が高い。頭の悪い学校は低いという事実がある。内申点が言うほど受験に影響するなら、平均点の低い学校の方が内申点は上げやすく、事実とは異なる結果になるのではないだろうか?
それに、高校の方でも内申点で全て判断さているわけではもちろんないだろう。進学実績にも関わってくる話である。
つまり、言うほど不公平ではないと思う。
百田さんの素行の悪さは幼少期からの筋金入りなのか納得
イジメをしてたり、部活サボったりしていても、テストさえ良ければどこでも入れるってのもどうかと思う。生活態度はある程度は評価するべきだと思ってしまう。
9科目(45点)はテスト、提出物の点数で全てを決める。追加で5点分生活態度や学業以外の実績での加点のMax50で判断すべきだと思います。
自分の場合、中学校の内申点の付け方は最後までよくわからなかったな〜。授業態度も良かったしテストの点も良かったのに5段階中3とか意味わかんなかった。たかが内申点だけど高校受験にもろに反映されるからたまったもんじゃなかったな。そもそもテストの点とかは客観的に測れる指標だからいいと思うけど、意欲とか授業態度は教師の一主観で決められるが嫌。
というか人に迷惑かけなきゃどんな態度でも結果が伴ってれば別にいいでしょ。先生の顔色伺わなきゃならないのが本当に苦痛だった。
迷惑かける人がいるから内申が必要なんでしょ
@@言霊の幸う図のムンジニスト 内申が不必要だとは書いてないんだけど。
今って一般入試でも内申点使うの?
@@ドメロン 高校入試は一般入試の場合も内申点がそのまま点数に加算されてた気がする。自分の場合、小論文と面接と内申点で入ったんだけど、その場合内申の比重が高くて、だからこそ余計に気にしなきゃいけなかった。今は知らん。県によっても違うだろうしね。
>授業態度も良かったしテストの点も良かったのに5段階中3とか意味わかんなかった。
同じく。万事控えめな性格で授業中に質問なんかできなかった。結果、よく質問するがテストの点数が自分より低いのに評価は上のヤツがいたよ。納得いかなかったなあ。
テストの点は余裕で合格なのに、内申点が足りないので希望の高校を受験しても受かりません。と言われました。どうしたら内申点が上がるか下がるかはっきりしないのが良くない。
課外活動で評価するようになると、親の経済格差を顕著に反映してしまう。経験の格差は、子どもにはどうやっても挽回できない。学業成績だけで合否が決まるのはむしろ公平。課外活動を評価するならフランスのように幼児から義務教育化して格差を縮小するなど、何らかの手立てを合わせるべき。
ちがうよ。
評価をする際に定期テストのみならず、提出物や授業態度として2割ないし3割加味し、余りの7割ないし8割が定期テストの点数として、5段階ないし10段階評価をするシステムだから、毎度定期テストで100点を取っても5段階で4しかつかない子が居たのも事実。
中学は相対評価だから、平均的が高い科目のテストで100点でも4がつくか5がつくかは、態度で決まるのがおかしいんです。
内申書は教諭1人で作成はしません。
学年長、主幹教諭、副校長等が内容を確認してからGOサインが出るので1人よがりの評価にはなりにくくなってますよ
一票の格差みたいな感じだよね。能力をフェア反映した真の内申を求めるために、中学ごとに内申係数みたいな値を決めて、高校受験の時は高校側が内申係数を掛けた補正後の真の内申で判断するってことにしたら平等になるかも…?
内申付けた教師と教頭、校長と関連付けて評価したらまともになるかもですね。「〇〇先生の生徒で男の子で内申が3だから実質5, 女の子だったら実質1」みたいな。データがそろうまでの人が犠牲になりますが
姉が公立中学校の教員。
中学在籍時、姉、母共に担任に媚を売りまくり、今でも連絡を取り合ってる。
そんな人間が、教師になりたがる。
これからもこの体制は変わらない。乙!
あなたの家族と社会を見る目が歪んでいるだけな気がする。
今の時代悪いことなんて書けない。確かにその通りだな。
特に世の中が目まぐるしく変わる現代において親の認識が古いものになりがちってのはいい指摘だな。
その通り。
みんな勝手に勘違いして、その勘違いをもとに不満を口にしているだけ。
コメント欄の批判や不満も大半は勘違いや的外れなものばかり。
内申点の開示を求める保護者は少い。というか、そこを言えない保護者は多い。中学の3者面談は10分程度。3と4の違いは属人性が高い。その1の差で推薦がもらえない生徒もいる。
以上が私が経営している学習塾付近の中学校の現状。保護者はメディアで話されてるほど、強い方ばかりではない。
実際に開示を求める保護者がどれだけいるのかは関係ありません。開示を求められる可能性があるということが要点です。
その1の差が何で生まれたかを教師のせいにするのではなく生徒に求めるべきだと思う。そのように評価された原因は生徒にあるはずだ。そして原因が分かれば改善できる。
理想と現実が違う様に、人の評価も人それぞれ違って当然です。
そんな細かい事を1人の教師に求める事自体が無茶です。
昔は相対評価だったのが、今は個別評価になっただけマシと思った方が良い。
素行悪かったんやろ。
まじめにやってる子のほうが大事にしたいやろ。
何言うとんねん。
両津「不良が更正したって何も偉くない、ずっと真面目に生きてる方が遥かに偉い」
内申書は別にいいんですが問題は内申点の方ですよね。
テストの点数だけで決まらない評価基準に苦戦するというか。
都道府県によって高校入試の内申点のウエイトが全然違うのも驚きで。
例えば兵庫県なんかはテスト250点、5教科100点、副教科150点のトータル500点で競うので副教科の内申点が良くないと、、、
兵庫県に関して、副教科の点数が高い理由は受験科目ではないからと聞いたことがあります。5教科はテストができるから内申はそこまで高くなく、副教科はテストができないから内申点は少しウエイトが大きい。
個人的には理にかなっていて、副教科を蔑ろにできないからそれなりにいい制度かなと思ってます。受験のために副教科の時間に他のことをやるとか、作品を作らないとかを防ぐ効果は実感していました。
それだと5教科は実質350点,実技教科は150点だから5教科の方が割合的には高いのではないでしょうか?
教員志望の学生です。
すぎやまさんがおっしゃったことは、「指導と評価の一体化」の中であくまで評定や評価は学習者の動機づけ、教師の指導方法の改善というPDCAサイクルを回すという文科省の施策です。今の親世代の時は、相対評価と言われるような、集団の中で自分がどの位置にいるのかが重視された時代で、それこそ勉強のできるできないで判断されていたものですが、今は各教科の目標にどのくらい到達しているのかという絶対評価を採用しています。また成績通知書は公文書の扱いで、昨今校長には重大な責任がありますので、すぎやまさんの言っている通りです。
明らかに20年前、30年前の論理が通じなくなってきているのが教育界です。
その改革の原動力は、この動画でもあらゆる人が言及されていた批判の数々です。
よりよい教育を作っていくためには、学校関係者だけでなく、地域や保護者の学校運営への参画といった「社会に開かれた教育課程」が必要であることの所以です。
元教員ですけど,絶対評価は絶対評価なんですけど,クラスで差が出ないように「各クラス5の人数は5人まで」など自主的に規制しているので結果的には相対評価になっています。1がいなくなったくらいかな。
高校で10年教員やってました。新入生の内申書を見る機会も多々ありましたが、一言で言うと「あまり参考にならない」
皆さんがおっしゃる通りの「ブラックボックス」なんだと思います。教員やってますと色々な話を聞きますよ。内申点は一応点数化されてはいますが、本来は「調査書」で成績ではないので「自由度が大きい」ような気がします。
高校、大学って学問を学び高める場所だと思うので、学ぶ意欲の高い子やひらめきの必要な難問が解きこなせる知能の高い子達が、コミュ力不足や反抗期、先生に媚びない事を理由に内申点が下げられ、進路を妨げられる状態になっているのはとても問題だと思います。そこを不服として私立中学受験にシフトしている家庭の多い事も事実です。そこを話してくれる人がいなくて残念でした。
高校受験の内申"点"への不信感が私立中学受験に繋がっていると感じています。
私の子供は中学受験させましたが、理由は、高校受験の内申点回避のためです。
うちの子は小学校の成績は良くない状況でそれが何によるものか不明でした。テストは毎回満点レベルですが、態度や提出物を見られているんだろうなとは推測しています。
本人に聞くと、簡単すぎて退屈な授業を真面目に聞いたり、同様に簡単すぎて意味のない宿題をきっちりこなすことに意味を感じないとのこと。
それがもしそうなのであれば、中学校でも同じ状況になって内申点は全く取れないだろうなと思い、高校受験の無い中高一貫校に入れました。
大人ならともかく、10代前半の子供が内申点を取るために先生の顔色を伺って、やる気のある振りをするとか分かっていることも質問して意欲を見せるとかする必要にあるのは酷だと思います。
5段階評価は3つの観点の評価の総合でつけられる。知識・技能はペーパーテストや実技テストで。思考力・判断力・表現力は記述式の問題や授業中の発言,ノートへの記述で主に評価する。学びに向かう力,人間性等は学習への取り組み方で評価される。柴田さんが「美術への関心・意欲・態度とかって授業数も少ないのにどうやって把握するんだろう」と言っているが,この関心等はここに含まれる。とはいえ,ただ発言すれば高評価というわけではない。多くの人は「学びに向かう力,人間性等」とは何なのかが全く分かっていない。
学びに向かう力,人間性等とは簡単に言ってしまえば,自ら自分の課題を見出して解決に向かって主体的に動き出す力,人間性等のことだ。
例えば数学なら授業中に新しい問題が提示されたときにどのように取り組むかを見ている。教科書を先読みして解き方を見つけようとしたり,既習事項を活用して思考錯誤していたり,友だちと意見交換して解決法を見つけようとしたり,答えが出るまでただ待ちの姿勢を貫いたり,自分では考えず友だちに答えを教えてもらおうとしたりといろいろな生徒の姿が見られる。これらの生徒の姿を見ればどの生徒が高評価になるかは明らかだと思う。教師の説明を待たず主体的に解決に向けて動き出す生徒の方がもちろん評価が高い。「習っていないので分かりません」などと悪びれもなく言う生徒の評価はもちろん低い。受け身の態度で静かに授業を聞いていても高評価にはならない。教えてもらうまで何もしない生徒の「学びに向かう力」が高いとは誰も思わないであろう。
授業中に課題を解決するためにどのように活動しているかが大切なのだ。授業中に失敗したとしても,それを克服するためにどのように取り組んでいるか。諦めずいろいろと試行錯誤している生徒は例え解決できなくとも「学びに向かう力,人間性等」は高く評価できる。
家庭学習の内容も見られる。学びに向かう力,人間性等が涵養されている生徒は,学習内容を理解するために自分で計画を立てて学習に取り組んでいる。未習の内容を予習して自分が理解できなかったことを整理して授業に臨んだり,テストで間違えたところを復習していたりする。自ら課題を見出して解決,克服するためにどうしたらよいかを考えて主体的に学習に取り組むとこうなるだろうという姿が見られる。つまり,意味のない家庭学習は行わない。この力が低い生徒はルーティンワークのように家庭学習をする。覚えている漢字や英単語を何日も書き取りしたり,ただ教科書を写したり,自分が既に理解している計算問題でノートを埋めたりと学習ではなく作業になっている。自分の課題を解決するという目標が欠けている。それは「学習」と呼べるものではない。ただの「宿題を終わらせるための作業」だ。
提出物もただ提出すればよいというものではない。社会人なら分かるが,提出物は期日までに提出するのが当たり前。普通のことだから別に高評価にはならない。評価が下がらないだけ。大切なのはその内容。
この「学びに向かう力,人間性等」は社会に出ても必要な資質・能力だ。仕事で上手くいかない時,上司から課題を指摘されるまで動こうとしない人は使えない。ルーティンワークで同じことしかしない人はAIに仕事を奪われるだろう。自ら現状を分析し,課題を見出して解決に向けて主体的に動き出せる人の方が評価は高いはずだ。ペーパーテストしかできない人は本当に能力が高いと言えるのだろうか?単に知識が豊富なだけである。いくら知識を持っていても,その効果的な使い方を自分で考えようとせずに誰かに教えてもらうまで,命令されるまで発揮しないのではもっていないことと同義である。学習についても同じこと。
美術にしても,作品のテーマが与えられたときにどのように取り組んでいるか。終わらせればいいと思い入れもなくさっさと作品を仕上げる生徒。教師からアドバイスを受けても「もう終わったんで」と答え,よりよくする努力を怠る生徒は当然評価は低い。
自分の作品に自分が納得できるように試行錯誤を繰り返す,より良い作品にしようと友だちの作品をよく見て発想を得ようとしている,うまくできないからといって投げやりに制作をしている,失敗してもうまくリカバーできないか解決法を考えて試行錯誤している,自分ではうまい方法が浮かばないから教師や友だちに方法を尋ねる,休み時間に「私美術は苦手だから適当にやろう」と友だちと話しているなど,生徒の姿を見れば分かってくるところはたくさんある。
教師は生徒の頭の中まで覗けるわけではない。だから生徒の行動から生徒の内面を判断して評価する。生徒の思考の結果は行動となって表れる。教師は生徒の行動を見て「そういう行動を取っているということは学びに向かう力,人間性等が高まっているな」というように生徒の内面を判断している。教師の好き嫌いで評価しているわけじゃない。
「学びに向かう力,人間性等」が高い評価を受ける生徒というのは努力家なのである。そういう生徒は教師から見たらアドバイスもしたくなるし応援もする。その結果好かれているように見えるのだろう。柴田さんが言っているのは順序が逆。好かれているから高評価なのではなく,高評価になるような努力家だから好かれるのだ。努力家を嫌う教師はほとんどいないのではないか?手をかければその分努力し,力を伸ばしていくのだから。
反対に低評価は嫌われているから低評価というわけではない。低評価の生徒というのは自分から動こうとしない生徒だ。教師があれこれ手をかけても「ウザい」「めんどくさい」と憎まれ口をたたく生徒もいる。手をかけアドバイスをしても努力しない,動き出さないという自らの行動の結果,力を伸ばすこともできず低評価となっているだけだ。
教師は贔屓で評価しているわけではない。全ては思考の結果から出る生徒の姿から判断し,それを評価しているのである。
ペーパーテストは知識・技能を見取る一つの指標にすぎないので,それだけ高得点でも他の二つの観点が低ければ総合して高評価とはならない。ましてや,たった1回だけ高得点で高評価となるわけがない。
教師が正しく子供を評価できるって有り得ないですからね。
担任なんてホームルームで少し見てたまに面談するだけで人となりなんてわかるはずがない。
結局贔屓の温床になるだけだから、テストの点のみでいいと思います。
自分のクラスだけ成績5を付けまくるクソみたいな教師のことを思い出しました。
君みたいな人を省くためには必要ですね
@@言霊の幸う図のムンジニストいろんなコメントに反論してて暇そう
リアル充実してなさそう
@@あいう-o6m3j と論点と違う返信しかしないんですね
@@言霊の幸う図のムンジニスト
ただ見てて思ったこと言っただけ😂
教師なんて学生と変わらんレベルの人間だからなw
感覚的には社会人ですらない。
社会に出てもいかに上司に好かれるか、お客さんに好かれるかだからな。
数字以外の何かってのも必要なんだよ。
社会に出たら、「お客さんに好かれるか」、ニアリーイコール「数字」、ではないですか。
5段階や10段階の評価にも影響が大きいからこの教師の言ってる事は信用出来ない。
自分は内申点ボロボロで、受験一発で進学して行った立場ですが、社会に出てから、学力よりも人間性の方が重視されると感じているので、内申点制度は必要ではないかと思います。内申点悪くても、それを凌駕する学力があれば問題ないですし。
お勉強至上主義の学校行けばいいだけ。
俺なんかは素行メチャ悪かったけど、東大行ったし。
教師の主観でつけられてるって当時は実感してないから点数のみなのは分かる。
でも副教科の内申2倍ってのが意味わからん。音楽とか美術なんてのは大学の入試ででるわけでもないし、なんなら副教科に内申つける必要がないとすら思ってる。
副教科は持って生まれた能力が左右することが多いし、評価の仕方もあいまい。教員の質的にも(言ったら悪いが体育や美術の先生は好き嫌いで決める人が多い)良くない副教科をなぜ2倍にするんだろうか
TikTokとかでダンスしてる企業も多いからじゃね?
五教科に比べて教員の主観入りまくりの副教科が、入試で2倍3倍される県まじ可哀想。
実技教科にもって生まれた能力なんか関係ないです。そもそも,学校の実技教科はプロを育てるものではなく,内容は基礎的なものです。努力すれば誰でもできるようになるものばかりです。できる人ってのは才能があるからできるのではなく,絵を描くのが好きとか体を動かすのが好きとか授業以外でも勝手にそれに取り組んでいるんです。つまり,授業以前に自主的に努力しているのと同じということです。できない人はできないと決めつけて努力すらしない人です。真面目な人は実技教科も手を抜かずに努力するので上達しますよ。要は,実技教科でも自分なりの課題を見出して努力して乗り越えようとするのかどうかという姿勢が試されているということ。実技教科の内申点が高い人というのは,課題を与えられないと動かない人,解法を教えてもらわないとできない人よりも,広い意味での学習に主体的に取り組み,自分の能力を伸ばす力が高いということです。今後の社会ではAIも発達するでしょうし,マニュアルがないと動けない人は求められていないのです。
実技教科の内申が2倍になるのは単に入試で出ないのでその取り組み方を見る機会がないからです。5教科は内申点と入試の合計ですから,実技教科を2倍してバランスを整えているのです。
それから,実技教科の評価は客観的なものですよ。それぞれの授業で評価項目が決められており,それを達成できたかどうかです。音楽で言うと,歌がうまいってのは漠然と上手いという評価ではなくて,音程がしっかり取れている,楽譜通りのリズムで歌えている,伴奏と合わせて歌えているなど上手いなりの要素があり,それを評価項目として評価しています。これらは科学的に見てもできているかどうかがはっきり分かるところです。
好き嫌いで評価できる内容ではなく,授業でねらっている内容ができているかどうかです。毎回授業では1つか2つの評価項目が設定されており,教師は授業中にそのポイントで生徒を見ています。授業中全員を漠然と評価しているわけではなく,そのポイントがクリアできるかどうかだけを見ています。授業はその評価基準を生徒がクリアできるように指導しているのです。評価の仕方は曖昧なものではありません。技能ができるかどうか以前の細かいポイントができるかどうかの積み重ねです。最終的な作品や技と言うのはそのポイントの積み重ねの結果でしかありません。
だから,授業のねらいが空想画で自由な発想力を生かして自分のイメージを表現する力を伸ばしたいというものなのに,立派な風景画を描いたらばポイント的には外れてますからいくら上手でも評価は高くはならないです。この場合,絵を上手に描くことが目的ではなく,自分の中にある,自分しかもっていないはずのイメージをどう形にしていくかという思考がポイントなので,既存の物をいくら上手に描いても意味がないのです。素人はそういうところが分からないから教師の主観で評価していると思いがちですが,明確な評価基準があるのです。
それから,美大や音大は当然ですが教育学部の美術科や音楽科でも教授は作品制作や演奏のプロの方です。教師はそのような人に大学で教わっているので機械的にできているできていないを見極める力くらいはありますよ。そもそも教育学部の美術科や音楽科でさえ大学に入学している時点で専門性はある程度クリアしています。そういう入試ですから。美術や音楽教師になるための大学は,学校の美術や音楽の授業だけで入学できるようなレベルではありません。
よって,教員の質的にも評価基準的にもあいまいな評価というものは一般的にはないと言ってよいでしょう。
僕の成績はテストと宿題の評価を自分で計算して、ほぼ計算通りの成績だったから、先生の好き嫌いは関係ないと思う。
内申点入れるならいいけど、それならテストは平等にするべきだし、批評項目、批評方法はオープンにして欲しい
小学校の時担任が書類を掲げて「言うこときかないと内申書書かないよ!」と言いましたけどね。30年以上前ですが。
親世代はそういうことを経験してきたから言っちゃうんでは。
小学校は内申書なんか書かないよ?私立中学受験なら…って思ったけどあっても指導要録の写しで済ませるんじゃない?
そもそも小学生に内申書なんて言ってもなんのことか分からんだろ。
もっと深堀りしてほしいテーマです。
息子は中学で国語1をつけられて、問題になりました。
そ校長先生と担任の先生、1をつけた主任の先生で話し合いをしました。評価の基準もよくわからないし、授業も出てました。
どういう気持ちでこの点数をつけましたか?と、先生本人に聞きましたら,「自分なりの表があって、機械的につけました。」と言われました。
校長先生は全然どうに評価してるかわかって無かったようで、身体の障害のある子が水泳の時期に体育1なのも知りませんでした。←(校長先生、1をつける生徒の事はチェックしてるんですか?と聞いたら、してます!と言ってましたが。〇〇くん体育1つけられたそうですよ。と、言ったら驚いてました。)どうしようもないなと、諦めました。
校長先生によってガラッと変わります。次の校長になったら、途端に透明性が出て変わりました。
その、やばい校長は今教育委員会にいますが。
どうあれ日本の未来の為には教育が一番大事だいう事だけは分かった。
内申書はいると思う。フェアにつけていないから問題なんだよなー。ぶっちゃけ私の家系みんな教員で住んでたところが田舎ってのもあったけど贔屓されてたなと思うよ。
内申って日々の積み重ねとか言うやついるけど断然入試試験の勉強の方が日々の積み重ねの気がする
教育業界にいるものですが、今は絶対評価というなの相対評価なんですよ。成績がいい人が多いとダメと言われるし、逆に成績が悪い人が多いとダメだし、5は何人までにしろという上からの圧力があるんですよ
内申の評定の付け方が学校によって変わるのが問題。
こういうの見ると人生は自分の知らないところで不確実な力に左右されてるんだなと思い知らされる…それも自分ではどうすることも出来ない力で😞💨
いやいや,真面目に授業に取り組めば内申点上がるんだから自分で何とか出来るでしょ。
杉山さんが言ってる事は実際の先生の内申点の付け方とはかけ離れてる綺麗事。
イメージで話されてもな~
実際は杉山さんの言ってることは合ってますよ。
11:20いい時代になったね。6.7年くらい前まで中学生だったけど、普通に脅されてたな。まぁ勿論その教師は大半の生徒から嫌われてたけど。
本質的な議論が無いですね。
問題の本質は内申「点」の基準がブラックボックスで学校毎にまちまちなのに、一律入試点に加算されるからフェアじゃないって事でしょ。
A中学とB中学で評定の分布が全く違うという事が起きている。生徒の質がそんなに違うわけないのに。
それは思い込み。実際は公立であろうが地域性によって生徒の学力はびっくりするほど違うし、同じ中学でも学年によってだいぶ変わることもある。
素行悪い人は普通に学校側欲しくないの当たり前やろ。
でも、内心が悪い人がそのあとよくなったりとかそういう変化は加味してほしいね。
大学教員(理系)の立場から言えば、いくら高校時代の活動実績が優れていても、学力のない学生が入学してきたら、授業についていけないので困りますね。
推薦組の留年率、退学率が高いのが現実です。大学(理系)は学問、研究をする場ですので、学力がなければどうにもなりません。
自分、同級生に医者結構いるけど、
彼らの話聞いてると「どうやって医師免許取ったの?」みたいな学力の奴結構いるのが事実だよ。
授業についていけなくても医師免許ホイホイ出してる医学部なんていくらもあるのが現実。
@
医学部は難易度の高い物理や数学を使わないから、そういうことが起こり得るんだと思います。
本来なら医学よりも学問的難易度が高い、物理学、数学、電子工学、情報工学などに賢い学生が来るべきだと思います。特に工学は経済力に直結するので、医学部と工学部の難易度が同じくらいになっても良いと思います。
@@dr.eng.k3908 レベルが低い…言うても
mgとg、mlとl間違えたり、
肝心の医学に関する知識が足りてない、
みたいなケースの話してんだけどね。
後、高校で数学や理科の教員やってても
自然数と整数の違い解らない、
天動説を信じてる、
普通にいるし。
俺の兄貴もIT系の資格いくつも
持ってるけど、
九九ろくすっぽ言えない・ローマ字
読めないし、
○○大付属高校からエスカレーター乗れずに
仕方なく専門行っ(でそこでIT系の資格取っ)た。
授業態度はよかったはずなのに評定が低い,授業態度は教師の主観で評価しているというコメントが見られるが,細かいことを説明するのが大変だから授業態度とひとくくりに言っているだけ。授業妨害せずに静かに授業を受けていれば授業態度がいいのかというとそういう話ではない。静かに授業を受けるなんてのは最低限の話であり,できて当たり前の普通のこと。それだけなら評定は3。普通のことなんだから。
授業態度というのは3つの観点の内,学びに向かう力,人間性等の観点にかかわるものを言うことが多い。
・授業を受けて自分なりに課題をもち,それを解決するために既習事項を生かしたり他者と意見交流して自分の考えを深め,解決に用いた方法を一般化して新たな知識を得ていこうとする態度。
・課題解決の方法が躓いても,あきらめず粘り強く試行錯誤して課題に取り組もうとする態度。
・グループ学習において分からない生徒にも説明して理解させ,グループ全体の生産性を上げようとする態度。
など一例を挙げてみたが,教師がどういう観点で生徒を見取っているか細かく説明するのは大変だ。
具体的な生徒の姿としては,
・活発に意見交換する,発言する姿。
・クラスメイトの発言を取り入れて自分の考えを深め,さらに発信する姿。
・ノートに,板書以外にも教師の発言や友達の意見,そこから自分の考えたことをメモし,自分の考えを深めて分かったことを整理してまとめている姿。
・分からなくても投げ出さず,粘り強く何度も試行錯誤して問題を解こうとしている姿。(例え解けなくてもその姿は評価している)
・グループ活動で,自分だけ発言するのではなく仲間の発言を促し,意見を交流しようとしている姿。
他にも考えられるけど,長くなるからこのくらいにしておく。このような姿が授業態度がよいというものであり,ただ黙って話を聞いていればよいというものではない。簡単に言うと積極的に授業に参加しているかどうかだ。ここに挙げたことは社会人でも大切な,必要となる学力だ。学力が高いというのはテストで高得点を取ることだけじゃない。学ぼうとする姿勢も学力の一つ。発言が苦手ならノートを工夫してまとめればよい。グループ学習などで少人数の場面から意見を発しようと努力してみるのもいい。問題が簡単で時間が余ったならばその授業で用いた知識を応用してより複雑な応用問題を作り,自分で解いてさらに理解を深めようとするのもいい。そんな風に授業で積極的に学ぼうとする態度こそが授業態度がいいということだ。受け身の,消極的な授業態度は誰でもできる。誰でもできることが高評価につながるわけはない。他の生徒と差をつけたいと思うなら,他の生徒よりも優れたところを示すことだ。
正直東京都の内申制度は最悪に等しいです。実際文京区の中学校では5の成績の生徒が他の学区の生徒に比べて異常に多いです。(多分中学受験組が過半数だから低い成績をつけると親と色々問題が発生するため)これでは他の学区の生徒がいくら頑張っても報われる事は無いと思います。また3年の成績しか受験に使わないため1年から愚直に頑張って来た生徒が3年になって急に成績が落ちても考慮に入れてくれません。なので都立高校の受験は異質なハードルの高さで結果みんな受験に落ちるのが怖いため私立の専願が学年の半分を占めます。これでは受験の本質から逸脱してると思います。
いや、単に他の地域よりも塾通いが多くて普通に勉強ができるから高いだけなんじゃないか?他の地域よりも生徒のレベルが高いだけだと思うから、それはそれで平等だと思う。
試験勉強だけ出来ても、先生虐めたり、問題行動をしたりするのは受け入れ側にとっては減点材料だからな・・・・、コメンテーターの言ったことが本当で内申書にも通知書にも、クレームが怖くて悪いことは書けないのであれば本当に意味がない。
クレームが怖くて書けないというよりも都合が悪いから書かないというのが正しいと思う。自分の指導がまずくていじめが起きてますなんて自分の評価下げることをわざわざ書かない。校長も管理責任が問われる。それが記録として残っちゃうからね。ま、生徒のために書かないという優しい先生もいるだろうけどね。
平石さんの言ってた企業が前の上司に評価聞くのって今法的にアウトじゃなかったですか?
元教員だけど、内申書の数字って客観的なルールに従って機械的に入力するように決められてる。授業中の小テストの点や宿題の提出率とか。
文章についても、他学年の教員や進路指導の教員、学年部長や教頭、学校長のチェックまで入って、一定のクオリティが保たれる仕組みになってた。
誰かの主観が入ったまま内申書が通ってしまうなら、学校の教務システム自体に問題があると思う。人間性がクズなやつはどこにでもいるから、客観性妥当性はシステムで担保するべき。
すぎやまって人は素晴らしい人間なのかもしれないけど、この人が言ってる事は全教師が素晴らしい人間じゃないと成り立っていない。
実際世の中に実在する教師の全員が人間として素晴らしいかと言うと、、、
それって教員に限らず社会全体に言える話だと思う。どこの組織でも変なやつはいるから全員に素晴らしさを求めるのは無理だ。社会ってそんなものでしょ。
ただ、理念と言うか評価の方針は杉山さんの言う通りに進んでいるから、それを信じるしかないのではないかと思う。
バイトテロやビッグモーターの不祥事、政治家ですら…そういうこともあるから学校を問題視するなら社会と言うか大人全体に完璧を求めるべきだと思う。無能者はどこの職業でもいるもんだ。
理不尽なルールである一方で世渡り上手になれたし、終わってみればこれはこれで良いのかもと思える
これ議論の出発点がおそらく内申点だったのに、途中から内申書の話にすり替わってるのが残念
内申書は確かにいいことしか書かれない(それでも遅刻、欠席、保健室登校は書かれるので一度躓いた子には致命的ですが)
問題なのは内申点で、私の出身の千葉県では公立校はテストの点数、学校の成績でプロットして、両方上位3割が自動合格、それ以外は職員会議で決定だったはずです
個人的には、私立校が内申点が低いリスク因子を回避するのはいいですが、公立校は公教育の観点からやってはいけないと思います。現実が逆転しているのが残念です。正直、自分の子供が陰キャっぽかったら中学受験一択です
出演者のほとんどが内申書について正しく理解していないからだと思う。番組制作者も含めて正しく理解しているのは杉山さんだけだからあなたの言うような展開になっている。
内申点が低くても普通に受かる生徒は受かります。特に進学校では。進学実績に関わる話ですし、内申点高くともテストで点数取れない人がいたら授業の質に関わります。勉強できない人を多くいれてしまったら授業のレベルをそこに合わせるしかなくなりますから…
だから言うほど内申点は受験に影響しないと思っています。影響が大きいなら、平均点の低い、内申点が高くなりやすい、頭の悪い学校の生徒が進学校に進む割合が高いはずですが事実はその逆です。ライバルが多く、内申点が上がりにくい頭のよい学校の方が進学校に進む生徒の割合は高いです。
内申に悪い部分が評価されないとなると堂々と苛め等の犯罪する子も出てきそうな所に危機感を覚えてしまいます。
それはそれで内申とは全く関係のない話です。内申関係なく悪いことは悪いと指導している。
逆に内申に響くから悪いことはしないでおこうと生徒に考えさせるのは教育ではないと思う。
悪意をもって特定の生徒の内申を下げることは有り得ない。各教科の担当がテストの点数をベースに決め、それを学年主任や管理職がチェックをする。寧ろ、受験の有無、志望校を鑑みて「上げてあげたい」と多くの教員が思っている。2者3者、希望面談を設けその成績について説明もする。
すぎやま氏は「関心・意欲・態度」と発言したがそれは古い情報。今は「学びに向かう力、人間性等」となっている。これは「自分の学習をよりよく選択(調整)しているか」「1度の失敗で諦めずに粘り強く努力しているか」の2つが主な基準。
これを忖度してそう見せている生徒がいたとしても、それは決して無駄にならない。
問題はそれを内申のためにいい子ぶってると、他人を歪んだ目で見るその人の人間性。そして自分の内申が低いことを評価者や環境のせいにすること。そうすることでその子の気持ちは多少晴れるかもしれないが現状は何も変わらないし、反省や学びも生まれない。原因自分論。
すぎやま氏は「調査書は並んだ時の判断材料」のように言っていたがこれは合っている。つまり、合格ボーダーギリギリの点じゃなくてぶっちぎれるように普段から頑張れば良い。そうなれば、調査書は合否の判断では使われず、合格者のお墨付きの紙に変わる。
的確な指摘ですね。このコメントがもっと伸びて多くの人の目に触れてほしい。
まったくもってその通り。そもそも高校受験なんて受験者の成績は似たり寄ったりだから内申点でそこまで差がつかない。結局はボーダーギリギリの人が気にするもので,だから落ちた人が内申のせいにするんでしょうね。結局は入試の得点が低いだけ。
内心云々より、頭がいい子たちの中で内申点を争うのとレベルが低or中間で内申点を争うのでは違うと思うのだが。テストもみんな満点取れる様なテストもあれば平均40/100点みたいな授業してる学校もあるわけで。それで同じ大学を受けたのに、高校のレベルは割と普通だけど推薦やAOで受かったor高校のレベルが高すぎて推薦やAOの枠に落ちたなんて話もあるので、そういう意味では一般試験は皆同じ試験を受けて差別化を図るのである意味、公平な気がするんだけど、どうなんだろうか。
教師の言うことなんて欠片も信じられないな
君よりはマシかと
頭が良ければ人格に問題があっても合格できるのはどうかと思う。
所詮教師ですからね…
内申点低そう
少しだけ内申が入試に関係することに文句を
言わせてほしい。
学校ごとに生徒のレベルの差があるから
内申に差が出る。(不平等)
(テストが簡単だったり、評価が甘くなるから)
また学校の定期テストが
完全に暗記ゲーと化している。
例えば国語の文章丸暗記
筆者暗記 作られた背景暗記
数学でさえ知識事項を出す
これのどんなところを
入試に影響させるべきかが分からない
またうちの学校でやったことがある。
ある二人の生徒がほぼ同じレポート(振り返りシート)を提出したら
ある先生の好みの女子生徒の評価はA+
もう一方の普通の男子生徒はB
これはもう差別ではないか
こんなゴミ制度によって自分のいた中学校では
女子の大半は偏差値の高い高校に推薦や併願優遇を使って入っていった(生徒の本当のレベルは
ピンキリ)
男子は一部の気に入られた生徒を省いて
ほとんどが低い内申で一般入試を戦った。
こんなのは、うちの学校だけかもしれないが
こんなことはもうやめてほしい。
そんな悔しいんだったら、学力で見返そう!
ほんとに偏差値が高いところは、内申の割合は低い。
嘘くさい話だな。特にレポートのところ。ほぼ同じ内容のレポートで評価がそうも分かれるものかね?
まず他人の評価をどう知ったのかが疑問。百歩譲って他人の評価を簡単に知ることができる状態なら教員側だって配慮して評価するに決まっている。
この教員,自分からツッコミ入れてくださいと言っているようなものでしょ。問題になることが分かっていながらそのような評価をするのはバカすぎる。
だから普通はそんなことはない。つまりあなたの話は嘘っぱちか,あなたの学級にだけ起こった超特殊な出来事だったというだけだ。一般化できる話じゃない。
普通じゃない話だから心配しなくていい。ほとんど全ての学校でそんなことはやっていない。
@@ファルファ-g7u
それ私立だけじゃね
受験で主観評価を使うのはあんま良くないと思ってるので、どっちかっていうと推薦に教師のお気持ちが入っちゃうのが問題な気が
生徒会やってるとか活動記録的な事実を羅列するのはいいんじゃない
都内は主要5科目以外の副教科の4科目が×2されるのがかなり影響あるね。運動できる体育5の子は5×2=で10点になるけれど、体育3の子は3×2=6点と1科目だけで致命的な4点差が付いてしまう。
4点差は致命的かな?そうとは思えない。そもそも体育ができる生徒とできない生徒では差がついて当たり前では?その分他の教科で挽回すればいいと思う。内申点だけで合否を判断しているわけでもないし、そんなに気にしなくてもいいと思う。
高校の側だって内申点は高いが入試の得点が低い生徒よりもその逆の生徒の方を合格させるよ。進学実績に関わってくるし、授業についてこれない生徒を入学させても対応が面倒になるだけでしょ。進学校ならね。
進学校じゃないなら高校なんか別にどこでもいいじゃんか。行けるとこ行けばいいよ。出身高校で人を判断する社会人ってほとんどいないと思うし。内申点なんか気にしなくていいよ。
質問とかしに行った人の方が内申点高い時に贔屓だって言う人いそうだけど、先生から見たら質問に来てくれるってのは意欲的ってことであってね、、、
授業聞くまでも無く全部分かってる子が意欲を見せる場がないよねってのが問題だと思いますよ。結局教師よりやや能力的に劣ってて教師が「俺が育てた」って感じられる子が可愛いんです。可愛いことは悪いことではないけど、それが内申点に活かされるのが良くない
@@myu252成績上位者は教師に質問しなくても、ノートのまとめ方なり、人より多めに問題を解いたりより難しい問題に取り組んで自学のノートを提出するとか、アピールできることはありますけどね。
@@fukushimaben.sansantakasan
自学ノートは受け取りませんって先生もいたので、受け取る受け取らないの差が出てる時点で不平等だと感じてました。
課題とテストのみの先生。テスト、課題、自学ノートや発表回数など全てを見る先生。一つの学校でも割と差はありましたよ。
@@kira-uo5wm 誰かのを見て誰かのを見ないというわけでもないのでは?学校内で評価の軸がぶれていなければ問題ではないと思います。教科の先生たちの間で共通理解が取れていればいいと思います。
@@fukushimaben.sansantakasan
同じ科目でも担任が違えば評価するものも違うことはあったので不公平だと感じてました。
中学6クラスのうち3クラスはA先生、残り3クラスはB先生って感じで、その2人で評価してもらえるモノの数が違ったことがあります。
私は大学受験の時に調査書を多めに請求して見たことあるけども、成績は別として行動面は当たり障りのないことしか書いてなかったな。
ちなみに高校時代3回も謹慎食らうような素行の悪さだったけどもそんな私でも。
内申点は社会不適合者弾くのに最適なんだよな。うちの高校学年600人超いて4.5割の人が内申点の書類選考だけ(43/45以上ないと入れない)で入ってきてるけど、書類組は社交的な人が多い気がしている。学年のヤバいやつ(協調性ない、コミュ力0)とかは一般入試組が多い気がする。ただ、同じように書類で入ってきても、中学での内申の取りやすさが違うから学力差があるのも事実。だから、定期テスト全国共通でやって、80パーセントは共通定期テスト、残り2割は各学校の裁量で決めるみたいな感じでいいと思う。
法政二高か?
7:58 すぎやまさんそれは言い切らない方がいい
これが事実なら逆に内申書以外の学校独自の特記事項書類があるとしか思えない
シャツインしてようがしてまいがそれは内申点とは全く関係ないです。
なぜなら、そんなの評価じゃないし、得点化もできないからです。そもそも悪いことは書きませんが、書いたところで得点化はされず,その事実を高校側がどのように判断するかということにすぎません。内申点で中学校の方で得点として出せるのは教科の成績だけですよ。
こういうテーマをあえてやらないでブラックボックスのままでいた方が学校の統治はやりやすい ばらしたら言うこと効かない奴が増えそう
千葉県は偏差値高い高校ほど内申点の配点が低かったり無かったりする
テストはできても神戸大みたいな学生もいるからな~。内申書は大切かな。
まあそういうので社会や目上の人への媚び方を学べるのはいいんじゃないかな。でもイジメについては不記載、一教師の主観だけで決めるのはマジで良くない。
記述内容じゃなくて評定だよ。テストの点数でつかない観点は先生に嫌われてたらAがつかない。説明求めてもなんとでも言えるから。Aがつかないと5がつかない。そこが問題。
配点の中に内申点があるのが問題なんよな
学力試験の合格ライン上の人間を篩にかけるだけならまだ分かるとして
いくら頑張っても内申のせいで志望校を狭まって、グレた奴が更生したり、3年から追い上げたりする芽を摘みかねない
グレた人より始めから真面目にやっていた人が評価された方がいいと思う。3年から追い上げるより1年から頑張っていた人の方が上なのも当然と思う。
15:00 大学受験を揶揄してるけど、内申で評価しても「カリカリ受験勉強する人」ならぬ「ぺこぺこ教師や学校に媚びるだけの人」を生み出しかねない
そんなに教師に媚びてる生徒いない
むしろ日本ほど内申書・調査書が軽視され、一発筆記試験による救済があるような国は他にあるのでしょうか?
みんなが内申書を誤解し過ぎ!この時期の調査書作成委員会で何重もチェックを受けて来たものが、生徒に不利益が生じることは書かれる訳がない!本当に、評価の1点や2点の差で希望校に入れなくなったことは、その生徒がそもそもそこまでの実力を備わっていないとのこと。それだけです。
地域によって受験制度が違う。少なくとも埼玉県の高校受験は内申が超重要。内申が足りなければ受験者の上位2割以上に入るレベルではないと落ちることがある。
すぎやまさんの話が正しい地域もあるのかもしれないが、この話をを鵜呑みにすると大失敗するので学校の先生か受験制度をきちんと理解している塾の講師に話を聞きに行ったほうがいい。
そもそも頭が悪いから落とされるのでは
内申が足りない=そもそもの学力がその高校を受けるレベルではない。
内申点のほとんどは教科の評定です。それが足りないということはその高校を受験する集団の中で偏差値的に既に下位であるということです。
そういう状態なのですから,当日の入試で上位2割に入らなければ落ちるのは当たり前です。
内申点(調査書)の内訳は英数理社国の5科目と技家保体音美の4科目。
5科目は学力中心だが4科目は実技中心。実技4科目はペーパーテストを行う科目もあるが明確に点数化できないところで評価される割合が高いため学力が高くても内申が伸びない生徒はたくさんいる。
極端な例(実際にいた)ですが5科目はオール5、4科目はオール3というように合計値で見ればオール4程度にしかならず、模試の偏差値では65前後取れていても上記の内申点では偏差値60前後の学校に行ければ御の字となる。
学力=内申点と単純に決まるものではは無いし、そもそも内申点は12月頃に決まってしまうため受験時の学力が反映されたものでもない。
地域差もあるが大学受験と違って学力だけでは適正な偏差値の高校に合格できないケースがざらにあるため注意が必要。
@@noris1764 実技教科のペーパーテストは知識を問う部分が大きい。美術などは技能も入るが。知識・技能,思考力・判断力・表現力,学びに向かう力,人間性等の3つの観点の中の知識・技能を見取るために実施していることがほとんどで,他の二つの観点も大きな比重を占めるからペーパーテストだけで実技教科の評定が決まるものではない。
作品制作過程で生徒が何を考え,作品にしていくためにどのような過程を辿ったかを見取って評価している部分が大きいから,実技は受験に関係ないからと手を抜くような生徒はそういうことになる。
@@fukushimaben.sansantakasan内申が低い=学力が足りていないという話をされていたのでは?
私は学力だけでは適正偏差値の高校に合格できないため内申点も重要だというコメントをしているつもりです。
今でも特別推薦枠、一般推薦枠で調査書(内申書+通知表)の評価はすごく重視されてるでしょ。一般高校入試でも通知表を点数化(内申点)し入試の点数に加算されてるじゃない。(私の地域の一般高校入試で5教科500点満点+内申点)
元教師は先生をボコボコにしても内申には関係ないと言ってるが、特別指導を受けた生徒は推薦枠の資格を失います。
先生方の成績のつけ方基準に偏りがあるのは事実だし、最初はできなかったり休みがちだけど3年間の後半に集中して伸びる子もいたりするし、『スタートダッシュが良い子』『最初からできる(環境にいる)子』『見せ方が上手い子』が優遇されている感じがして後半追い付いた子や成績に波あった子休みがちだった子のチャンスが減っているようでそんな子が可愛そうに感じがます。学校とはできなかったことができるように学ぶ場所だと私は思っています。
学校からの成績や評価とは本来、親や子供自身が先生からの評価を客観に見つめ直すためのものであり、受験先の学校に渡してそれで評価してもらうためのものじゃないと思ってます。
なので、私は内申書はあっても良いとは思いますが、内申書(調査書)を受験をする学校に渡すことはなくしたほうが良いと考えています。
推薦は送り出す側も責任を負うんだから、人をボコボコにするような生徒を推薦できるわけないでしょ
なんなら学校推薦なら自信をもって送り出せる生徒になるんだから、活動的で積極的な子を推薦するのは当たり前
そういうのが嫌なら学校推薦じゃなくて自己推薦枠で頑張れとしか言いようがない
@@オースチン-c8g
元教師は問題行動が内申書には『書かれない』とは言ってるが、実際、内申には『響く』ということを私は言いたかったのです。推薦が取れないだけでチャンスは大きく失います。中学一年生で髪の色を染めて特別指導を受けた場合、それで推薦枠の資格をうしないます。たとえ、そのあと心改め、生徒会長になったり、学業で良い成績を残したとしても。
学校からみて活動的でなく積極的でない子が、活動的で積極的な子よりもどう推薦に値しないかが私にはわかりません。例えば高校入試模試で5教科450点以上取れる力のある子が活動的でなく積極的でないとは考えづらいです。意欲的に勉強したからの結果だからだと思います。
私の地域で県立高校への自己推薦枠はありません。