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大河ドラマを入口に、このチャンネルで史実に触れることができ、ドラマを二倍堪能できました。
そこんとこ、僕も気になってました。わかりやすい解説、ありがとうございます♪
大ファンです🤍お三方の会話のやり取りがほほえましくて笑って幸せになっております☺️いつも何度も見て学ばせていただいております🤗💖
きりゅうさん、ホントお話が上手で、内容も興味深くて、毎回、アッという間に終わっちゃうの。今日も8分が8秒に感じられます。
匈奴などの一夫多妻の遊牧民族の場合、後継ぎが実母以外の父親の妻たちを娶る風習があるので、今回の話はそこに通じるものを感じました
同じく「鮮卑族方式じゃんよ…」と思いました。日本にも後妻を跡取りが娶る文化があったんですね。知りませんでした。
今日もありがとうございました💖本編より、イメージ図解の方がむちゃくちゃ分かりやすかった😨放送中にワイプで映してほしかった😢義経がなんで奥州に行ったのかモヤモヤしてたけど、今日初めて分かった✴️
ありがとうございます!
スーパーサンクス、ありがとうございます。
泰衡には国衡という身分の低い異母兄がいるのは知ってましたが、国衡に父の妻を娶れという遺言を残していたとは知りませんでした!秀衡は驚くようなことを考えつきますね!
藤原泰衡は義経を見捨てたという事で好きじゃなかったですが、蓮の花のエピソードを知って気持ちが変わりました。とても丁寧に埋葬されていたんですよね。先生に是非、泰衡の蓮のエピを語って頂きたいです!
なんで奥さんを息子に嫁がせるのかとおもったら、そういうことだったんですね😄兄弟のお母さんはちがうだろうなあとは思ってましたが。。あの優しそうなお母様がそんな大物だったとは、、。秀衡の奥さんだから身分はたかいんでしょうけど。確かに弟の方が衣装が豪華だったような、、。だから途中からどっちがお兄さんかわからなくなってました😅でも秀衡さん演じる俳優さんの存在感がすごかったですね。
善児の仕事が鮮やかすぎて本当のアサシンってこんなんだったのかもって思いました助走も掛け声もなく、スッとやっちゃうとこが不気味でかっこいいかも?感情を出さずに仕事する演技は凄い😆
善児の事は嫌いだったけど、The Professional 🎯かっこよく思えてきました❗
久しぶりの善児の登場!誰を殺すのかとドキドキしてましたけどまさか、泰衡の目の前で堂々と頼衡を殺すとは梶原さんの演技力あっぱれ
もう善児は、【忍者の元祖🥷】として見た方がいい事に気づいた😅
なるほど そういうことだったのか 勉強になります
最近は無いと思うけど、今から50年前あたりなら父親が亡くなった後に、父親の後妻と先妻の息子が結婚するなんて珍しい事じゃなかったと思いますけどね。実際知り合いにそんな人いたし、その事で周りの人にどうこう言われることも無かったですけどね。兄が母親と結婚して、できた子供が弟であり甥でもあるというややこしい家族関係だった。
公家との繋がりを切りたくなかったし、一族を分断して争わせないための策ですかね。
その家独特の「因縁」ってありますよね!
いつの時代も後継問題はこじれますね。泰衡は、おそらく義経を大将軍に置くという遺言に異論があったのでしょうね。とにかく戦をせずに平泉を守ることしか考えられなかった。天命でしょう。
御館は自分が死んだ後のことが心配だったんですねー🥺💦びっくりするような遺言ではありますが、家族への想いがあったんでしょうね
解説ありがとうございました。日本の近親婚の例では、異母兄妹やいとこ婚のパターンは時々ありますが、義母・義息での婚姻はさすがにかなりのレアケースではないでしょうか? こんなところでも、秀衡は頭の回転の良さはさすがだなと思いました。一方で義時、先週は京都⇔鎌倉間を何往復もし、今週は平泉。いくら主人公でも飛び回り過ぎじゃね?と思いました。
そういえば、勧進帳・・・なかった。三谷演出の勧進帳が見てみたかった。
奥州藤原家の解説判りやすくて面白かったです。ちょっと天武・持統天皇の皇子達のゴタゴタを思い出しました
ドラマでは一瞬で鎌倉から平泉に場面が変わるけれどこの時代、徒歩ですよね?身分が高い人は馬かな?いずれにしても義経が本当に平泉にいるかなんて確かめるのにも時間がかかるのだから(まして顔バレしていなさそうなのに)泰衡さんには最後まで義経は来ていないとすっとぼけて欲しかった。あ~まだ日曜の切なさから抜けきれない。
藤原秀衡が、もう三年程生きていたら鎌倉幕府が、出来なかったかもしれない?!
国衡もビックリしてましたよね
母親の身分の違いで、兄弟の順位が違ってしまうのも困ったもんですね。泰衡は、鎌倉幕府の御家人になろうとしていたのでしょうか。でも、読みが甘かったですね。あと甘ちゃんだったのは、河田次郎かな。長田親子の末路の話が、東北までは伝わっていなかったのか、残念。
藤原三代は名君が揃ってるね。清衡のお父さんもかわいそうだったけど名将だし。
義経に現れた幻影の秀衡の舞、美しかった.
さすが田中泯さん!
@@kashimashi_rekishi_ch さんへ返信ありがとうございます.
甲斐姫の解説お願いします!
奥州藤原氏は大陸(騎馬民族)と繋がりがあればそういうこともあったかも。政子も頼朝死んでから強くなるし、熟女の後家ってすごいんだ。
駿河大納言じゃ、ワイも父ちゃん(秀忠)が、先に死んで⁉️母ちゃんが長生きしたら⁉️家光も春日も十兵衛も切腹or打ち首に出来て、ワイが三代将軍に・・・・
お疲れ様です!いつも楽しみにしていますよ!色々な説も言ってくれるから歴史の勉強になりますよ!この時代の側室は皆さん若いですからねぇ、若いと言っても10歳の以下内子でも嫁がせたと記憶していますよ!笑、奥州は義経を筆頭にもし頑張って頼朝と争っていたら歴史も変わった事でしょ!亡き父の遺言を聞かなかった事で奥州は無くなってしまった!
一夫一妻制になった後でも、昔の旧家なら兄の未亡人を弟と結婚させたケースは多々ありますよ。義理の姉と弟ですが、血縁関係がないなら今の日本の民法でも結婚可能(つまり近親結婚にはならない)。実は、私も長兄が37歳で死んだ時、兄の未亡人と結婚しろ!と親戚から言われたことがあります。基本的に旧家だと遺産相続で資産が分散する事を嫌うためなのです。まあ、私の場合は年齢差があったし、兄の未亡人と舅姑関係が最悪だったので、向こうから絶縁されてしまって実現してないんですがねw海外でも、英国がカトリックから離脱したのは、ヘンリー8世が押し付けられた兄の未亡人(年上)と離婚し、若い愛人(アン・ブーリン)と結婚したい、となったのが発端ですね。
アン・ブーリン!女王エリザベス一世の母上ですね~!
今回、義経がキッカケ藤原家がおかしな事になりしたが。もし義経が絡んでなくても、いずれ内紛おきてた可能性があったんですかね。
いつもわかりやすい説明ありがとうございます。三谷幸喜のギャグだと思ったら、何と本当の事でビックリ‼️
千年前の家族と今の家族はやっぱり違うんだと言うことを実感した回でもありました。
秀衡の政治力はかなり凄いと想う。秀衡があと10年長生きしてたら、歴史は変わってたかもね。
私が子供の頃、母親や叔父叔母兄は私をホッ散らかして平泉観光。当時の平泉のパンフレットでは首級のミイラは忠衡公とされていた。今は泰衡だと訂正されていますが、奥州藤原氏を没落に追い込んだ泰衡を認めたくない、というような俗説が流布されていました。「炎立つ」では、戦火から平泉を護るために、あえて災いの種(義経と自分の兄弟)を排除し、敵前逃亡の不名誉を甘んじて受けた人物像が描かれていました(渡辺謙主演なので、武断派っぽく見えるのが残念)。
秀衡の策が上手くいけば政子より先に尼将軍が誕生してたのですね
中関白家って伊周の失墜で家門としては無くなったと思ってました
伊周って道長の甥だね。「大鏡」では道長にいじめらてたんだっけ?
隆家の家系ではないですかね。ちなみに、信頼も中関白家です。
@@牛島巌-r7g 太平記で嫌味たっぷりだった坊門清忠とか実朝の正室も坊門家で中関白家の末裔のようでびっくりしました
お疲れ様です。三人ともキュートになってきたわぁ。そうそう、センセ、私の目を誤魔化せるとでも?耳元のソレ、キラキラして話、分かりませんでした。ごめんちゃい。もう一回、見ますよ。
あはは。頂き物です💖
雑談・1源氏物語とは何か?Y君から電話。Y「お気に入りの彼女、見たよ(笑)」「なんで笑う」Y「だって、あの童顔WWWW]「うるせ。あの童顔にやられるんだよ。究極の美人顔は童顔だと書いとけ」Y「だけどさぁ、再来年、紫式部だよね?」「うん、楽しみ」Y「正直に言うと、源氏物語ってのが分からない」「あぁ、それね。表面上は平安恋愛絵巻みたいに読めるからね」Y「違うの?」「婆様の受け売りだけどね、普通の男なら三千年くらいかかる人生の魂の遍歴を、一人の男に集約して書き、当時の風刺や批判も盛り込むインテリ小説なんだと」Y「え?そうなの?てっきり女子向けの軽いお話かと」「全然、違う。光源氏はアマテラスの男性性の側面を地上に降ろしてみたら、こんなんなりました、って話らしい」Y「マジ、それ?」「うん、西洋では父性不在が神の子、日本では母性不在が神の子、って話らしい」Y「信じられんわ」「イェーツのアレだよ」Y「あ、なるほど」
奥州藤原氏も遡れば藤原北家に繋がりますからね.
忠衡の殺害時期が衣川合戦の前なのか?後なのか?どちらの記述もありますね。どちらかでエラい違いですが、忠衡が殺されているのに衣川に残る義経一行も考えにくく、やはり後、なんですかね?忠衡の母は、佐藤氏(忠信、継信の親)の娘だった可能性もあり、佐藤兄弟及び、その縁者でもある忠衡派を排除した説もありますね。大河では一度も触れられないのが残念ですが、国衡は父秀衡(と義理母兼後妻)の期待に応えて、厚樫山では弟泰衡と平泉の為、奥州軍を見事に戦ったと思います。
衣川の戦いは義経に味方する藤原家と反義経の藤原家の大きな戦いではなかったでしょうか?私のあくまでも仮説ですが歴史上衣川の戦いと伝わるのですから、義経と義経の家臣数人を殺す戦いでしたら、衣川の変とかとして伝わる気がするのですが?この戦いで藤原氏は兵力も落ち頼朝に滅ぼされた気がします、義経をだしにした頼朝の策略ではなかったでしょうか?
@@しげのり-j4u 平家や関東御家人もそうですが、他の武家も幾重にも婚姻や乳兄弟等が重なり、兄弟だから必ず仲が良い、と言う事は無かった時代ですね。仰せの通り、忠衡は義経派として伝わりますが、忠衡の母は佐藤氏の娘だったとも言われており、佐藤一族を中心に秀衡の親義経政策を支えていたとも言われます。つまり、義経=忠衡=佐藤兄弟が一派を形成していた、というワケです。彼らは奥州征伐の前に殆ど壊滅した形となり、僅かに戦跡として石那坂の戦いが伝わる程度です。この粛清の影響か?鎌倉軍が迫る中で兵力を結集出来たのは、国衡と金剛秀綱の2万のみ。これでも凄い動員力だと思いますが。泰衡は今の仙台辺りで後詰しつつ他の援軍が終結するのを待つのがやっとでした。少しだけ興味深いのは、義経最後の地と伝わる高館と、衣川は結構離れている、という点です。義経の平泉内の館は高館付近にあったとして、実際の合戦があったのは衣川、という話です。衣川は藤原基成の館があったとされ、当時は平泉の都の外縁部、殆ど郊外だったと推測されています。討つ事を決意したのが泰衡=基成の一派だとすれば、街中にあたる平泉は避けて、義経と一派を衣川に誘い出し、まとめて討ったのかも知れませんね。
泉三郎が善児に殺されたのは、えぇ~~~っ!?でした。もっとも義時が平泉に行ったことが、えぇ~~~っ!?でしたが。
義平と頼朝みたいな関係ですね。
ひゃ〜!ばーさんを娶らされた意味…そういうことでしたか…。
里が土佐坊昌俊に襲撃させたのは自分だと告白したのは何故何でしょうね、この襲撃事件が有って、頼朝と決裂して、こうなった事を後悔した?義経に殺されたかった?死ぬ時の顔が穏やかだった気がします(*´・ω・)´-ω-)ウン義経動画続き希望します、里の事静の事等々
次の日曜日新井城一般公開されますよ。10時から12時までだそうです。
行けない~~(泣)
@@kashimashi_rekishi_ch ざんねん~。今度何処かの城跡でオフ会でもやってください。
あの婆さんじゃ、キツいなw相手によっては前向きに考えたいが
さすがの頼朝も、平泉を攻めたのは秀衡と義経が死んだ後。所詮、頼朝もそんなもん。2人が生きてる間は手紙で恫喝はしてたけど、実際の軍事行動はとってない。だから秀衡の死はデカかったな。
ぜんじは史実の人だったんですか。ドラマとして作り上げた人物かと思ってました。
善児はドラマオリジナル(架空の人物)です。
血筋か〜。そんなんばっかりですネ。あの自分の奥さんを息子に娶らせるなんて???でしたよ〜。
藤原秀衡は名君的な位置づけだけど、どちらかと言うと愚鈍と言うか、決断力にかけるいや、普通に平家に与すべき判断をすべきだっただろう
史実では、義時と善児が行ってなかったのは、ビックリでした💦この時の使いは、誰だったんですかね?義時は、善人だったんですかね('_'?)
そりゃー滅びるわ
🤩🤩🤩🤩🤩
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きりゅうさん、ホントお話が上手で、内容も興味深くて、毎回、アッという間に終わっちゃうの。今日も8分が8秒に感じられます。
匈奴などの一夫多妻の遊牧民族の場合、後継ぎが実母以外の父親の妻たちを娶る風習があるので、今回の話はそこに通じるものを感じました
同じく「鮮卑族方式じゃんよ…」と思いました。
日本にも後妻を跡取りが娶る文化があったんですね。知りませんでした。
今日もありがとうございました💖本編より、イメージ図解の方がむちゃくちゃ分かりやすかった😨放送中にワイプで映してほしかった😢
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ありがとうございます!
スーパーサンクス、ありがとうございます。
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秀衡は驚くようなことを考えつきますね!
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助走も掛け声もなく、スッとやっちゃうとこが不気味でかっこいいかも?
感情を出さずに仕事する演技は凄い😆
善児の事は嫌いだったけど、The Professional 🎯かっこよく思えてきました❗
久しぶりの善児の登場!誰を殺すのかとドキドキしてましたけどまさか、泰衡の目の前で堂々と頼衡を殺すとは梶原さんの演技力あっぱれ
もう善児は、【忍者の元祖🥷】として見た方がいい事に気づいた😅
なるほど そういうことだったのか 勉強になります
最近は無いと思うけど、今から50年前あたりなら父親が亡くなった後に、父親の後妻と先妻の息子が結婚するなんて珍しい事じゃなかったと思いますけどね。
実際知り合いにそんな人いたし、その事で周りの人にどうこう言われることも無かったですけどね。
兄が母親と結婚して、できた子供が弟であり甥でもあるというややこしい家族関係だった。
公家との繋がりを切りたくなかったし、一族を分断して争わせないための策ですかね。
その家独特の「因縁」ってありますよね!
いつの時代も後継問題はこじれますね。
泰衡は、おそらく義経を大将軍に置くという遺言に異論があったのでしょうね。
とにかく戦をせずに平泉を守ることしか考えられなかった。天命でしょう。
御館は自分が死んだ後のことが心配だったんですねー🥺💦
びっくりするような遺言ではありますが、家族への想いがあったんでしょうね
解説ありがとうございました。日本の近親婚の例では、異母兄妹やいとこ婚のパターンは時々ありますが、義母・義息での婚姻はさすがにかなりのレアケースではないでしょうか? こんなところでも、秀衡は頭の回転の良さはさすがだなと思いました。
一方で義時、先週は京都⇔鎌倉間を何往復もし、今週は平泉。いくら主人公でも飛び回り過ぎじゃね?と思いました。
そういえば、勧進帳・・・なかった。
三谷演出の勧進帳が見てみたかった。
奥州藤原家の解説判りやすくて面白かったです。ちょっと天武・持統天皇の皇子達のゴタゴタを思い出しました
ドラマでは一瞬で鎌倉から平泉に場面が変わるけれど
この時代、徒歩ですよね?
身分が高い人は馬かな?
いずれにしても義経が本当に平泉にいるかなんて
確かめるのにも時間がかかるのだから(まして顔バレしていなさそうなのに)
泰衡さんには最後まで義経は来ていないとすっとぼけて欲しかった。
あ~まだ日曜の切なさから抜けきれない。
藤原秀衡が、もう三年程生きていたら鎌倉幕府が、出来なかったかもしれない?!
国衡もビックリしてましたよね
母親の身分の違いで、兄弟の順位が違ってしまうのも困ったもんですね。
泰衡は、鎌倉幕府の御家人になろうとしていたのでしょうか。
でも、読みが甘かったですね。
あと甘ちゃんだったのは、河田次郎かな。
長田親子の末路の話が、東北までは伝わっていなかったのか、残念。
藤原三代は名君が揃ってるね。清衡のお父さんもかわいそうだったけど名将だし。
義経に現れた幻影の秀衡の舞、美しかった.
さすが田中泯さん!
@@kashimashi_rekishi_ch さんへ
返信ありがとうございます.
甲斐姫の解説お願いします!
奥州藤原氏は大陸(騎馬民族)と繋がりがあればそういうこともあったかも。
政子も頼朝死んでから強くなるし、熟女の後家ってすごいんだ。
駿河大納言
じゃ、ワイも父ちゃん(秀忠)が、先に死んで⁉️
母ちゃんが長生きしたら⁉️家光も春日も十兵衛も
切腹or打ち首に出来て、ワイが三代将軍に・・・・
お疲れ様です!いつも楽しみにしていますよ!色々な説も言ってくれるから歴史の勉強になりますよ!この時代の側室は皆さん若いですからねぇ、若いと言っても10歳の以下内子でも嫁がせたと記憶していますよ!笑、奥州は義経を筆頭にもし頑張って頼朝と争っていたら歴史も変わった事でしょ!亡き父の遺言を聞かなかった事で奥州は無くなってしまった!
一夫一妻制になった後でも、昔の旧家なら兄の未亡人を弟と結婚させたケースは多々ありますよ。義理の姉と弟ですが、血縁関係がないなら今の日本の民法でも結婚可能(つまり近親結婚にはならない)。実は、私も長兄が37歳で死んだ時、兄の未亡人と結婚しろ!と親戚から言われたことがあります。基本的に旧家だと遺産相続で資産が分散する事を嫌うためなのです。まあ、私の場合は年齢差があったし、兄の未亡人と舅姑関係が最悪だったので、向こうから絶縁されてしまって実現してないんですがねw
海外でも、英国がカトリックから離脱したのは、ヘンリー8世が押し付けられた兄の未亡人(年上)と離婚し、若い愛人(アン・ブーリン)と結婚したい、となったのが発端ですね。
アン・ブーリン!
女王エリザベス一世の母上ですね~!
今回、義経がキッカケ藤原家がおかしな事になりしたが。もし義経が絡んでなくても、いずれ内紛おきてた可能性があったんですかね。
いつもわかりやすい説明ありがとうございます。三谷幸喜のギャグだと思ったら、何と本当の事でビックリ‼️
千年前の家族と今の家族はやっぱり違うんだと言うことを実感した回でもありました。
秀衡の政治力はかなり凄いと想う。
秀衡があと10年長生きしてたら、歴史は変わってたかもね。
私が子供の頃、母親や叔父叔母兄は私をホッ散らかして平泉観光。当時の平泉のパンフレットでは首級のミイラは忠衡公とされていた。今は泰衡だと訂正されていますが、奥州藤原氏を没落に追い込んだ泰衡を認めたくない、というような俗説が流布されていました。「炎立つ」では、戦火から平泉を護るために、あえて災いの種(義経と自分の兄弟)を排除し、敵前逃亡の不名誉を甘んじて受けた人物像が描かれていました(渡辺謙主演なので、武断派っぽく見えるのが残念)。
秀衡の策が上手くいけば政子より先に尼将軍が誕生してたのですね
中関白家って伊周の失墜で家門としては無くなったと思ってました
伊周って道長の甥だね。
「大鏡」では道長にいじめらてたんだっけ?
隆家の家系ではないですかね。
ちなみに、信頼も中関白家です。
@@牛島巌-r7g 太平記で嫌味たっぷりだった坊門清忠とか実朝の正室も坊門家で中関白家の末裔のようでびっくりしました
お疲れ様です。三人ともキュートになってきたわぁ。
そうそう、センセ、私の目を誤魔化せるとでも?
耳元のソレ、キラキラして話、分かりませんでした。ごめんちゃい。
もう一回、見ますよ。
あはは。頂き物です💖
雑談・1源氏物語とは何か?
Y君から電話。
Y「お気に入りの彼女、見たよ(笑)」
「なんで笑う」
Y「だって、あの童顔WWWW]
「うるせ。あの童顔にやられるんだよ。究極の美人顔は童顔だと書いとけ」
Y「だけどさぁ、再来年、紫式部だよね?」
「うん、楽しみ」
Y「正直に言うと、源氏物語ってのが分からない」
「あぁ、それね。表面上は平安恋愛絵巻みたいに読めるからね」
Y「違うの?」
「婆様の受け売りだけどね、普通の男なら三千年くらいかかる人生の魂の遍歴を、
一人の男に集約して書き、当時の風刺や批判も盛り込むインテリ小説なんだと」
Y「え?そうなの?てっきり女子向けの軽いお話かと」
「全然、違う。光源氏はアマテラスの男性性の側面を地上に降ろしてみたら、
こんなんなりました、って話らしい」
Y「マジ、それ?」
「うん、西洋では父性不在が神の子、日本では母性不在が神の子、って話らしい」
Y「信じられんわ」
「イェーツのアレだよ」
Y「あ、なるほど」
奥州藤原氏も遡れば藤原北家に繋がりますからね.
忠衡の殺害時期が衣川合戦の前なのか?後なのか?どちらの記述もありますね。
どちらかでエラい違いですが、忠衡が殺されているのに衣川に残る義経一行も考えにくく、やはり後、なんですかね?
忠衡の母は、佐藤氏(忠信、継信の親)の娘だった可能性もあり、佐藤兄弟及び、その縁者でもある忠衡派を排除した説もありますね。
大河では一度も触れられないのが残念ですが、国衡は父秀衡(と義理母兼後妻)の期待に応えて、厚樫山では弟泰衡と平泉の為、奥州軍を見事に戦ったと思います。
衣川の戦いは義経に味方する藤原家と反義経の藤原家の大きな戦いではなかったでしょうか?私のあくまでも仮説ですが歴史上衣川の戦いと伝わるのですから、義経と義経の家臣数人を殺す戦いでしたら、衣川の変とかとして伝わる気がするのですが?この戦いで藤原氏は兵力も落ち頼朝に滅ぼされた気がします、義経をだしにした頼朝の策略ではなかったでしょうか?
@@しげのり-j4u
平家や関東御家人もそうですが、他の武家も幾重にも婚姻や乳兄弟等が重なり、兄弟だから必ず仲が良い、と言う事は無かった時代ですね。
仰せの通り、忠衡は義経派として伝わりますが、忠衡の母は佐藤氏の娘だったとも言われており、佐藤一族を中心に秀衡の親義経政策を支えていたとも言われます。
つまり、義経=忠衡=佐藤兄弟が一派を形成していた、というワケです。
彼らは奥州征伐の前に殆ど壊滅した形となり、僅かに戦跡として石那坂の戦いが伝わる程度です。
この粛清の影響か?鎌倉軍が迫る中で兵力を結集出来たのは、国衡と金剛秀綱の2万のみ。これでも凄い動員力だと思いますが。
泰衡は今の仙台辺りで後詰しつつ他の援軍が終結するのを待つのがやっとでした。
少しだけ興味深いのは、義経最後の地と伝わる高館と、衣川は結構離れている、という点です。
義経の平泉内の館は高館付近にあったとして、実際の合戦があったのは衣川、という話です。
衣川は藤原基成の館があったとされ、当時は平泉の都の外縁部、殆ど郊外だったと推測されています。
討つ事を決意したのが泰衡=基成の一派だとすれば、街中にあたる平泉は避けて、義経と一派を衣川に誘い出し、まとめて討ったのかも知れませんね。
泉三郎が善児に殺されたのは、えぇ~~~っ!?でした。
もっとも義時が平泉に行ったことが、えぇ~~~っ!?でしたが。
義平と頼朝みたいな関係ですね。
ひゃ〜!
ばーさんを娶らされた意味…そういうことでしたか…。
里が土佐坊昌俊に襲撃させたのは自分だと告白したのは何故何でしょうね、この襲撃事件が有って、頼朝と決裂して、こうなった事を後悔した?義経に殺されたかった?死ぬ時の顔が穏やかだった気がします(*´・ω・)´-ω-)ウン義経動画続き希望します、里の事静の事等々
次の日曜日新井城一般公開されますよ。10時から12時までだそうです。
行けない~~(泣)
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あの婆さんじゃ、キツいなw
相手によっては前向きに考えたいが
さすがの頼朝も、平泉を攻めたのは秀衡と義経が死んだ後。
所詮、頼朝もそんなもん。
2人が生きてる間は手紙で恫喝はしてたけど、実際の軍事行動はとってない。
だから秀衡の死はデカかったな。
ぜんじは史実の人だったんですか。ドラマとして作り上げた人物かと思ってました。
善児はドラマオリジナル(架空の人物)です。
血筋か〜。そんなんばっかりですネ。
あの自分の奥さんを息子に娶らせるなんて???でしたよ〜。
藤原秀衡は名君的な位置づけだけど、どちらかと言うと愚鈍と言うか、決断力にかける
いや、普通に平家に与すべき判断をすべきだっただろう
史実では、義時と善児が行ってなかったのは、ビックリでした💦この時の使いは、誰だったんですかね?
義時は、善人だったんですかね('_'?)
そりゃー滅びるわ
🤩🤩🤩🤩🤩