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【訂正とお詫び】城長茂は「越前」ではなく「越後」の人物です。仏師を「ぶつし」と言い間違えておりますが「ぶっし」が正しいです。大変失礼いたしました。訂正してお詫び申し上げます。
いつも見てます。わかりやすい解説ありがとうございます。私は和歌山に住んでいます、熊野古道に藤原秀衡が来ていて滝尻王子というところで奥さんが産気づきここの山の窟で三男を生みます。大河には三男は出てこないようですね。赤ちゃんを窟に隠して熊野本宮に行きます。乳岩と胎内くぐりのはなしがあります。本宮に向かう途中に秀衡桜というのもあります。奥州から和歌山の熊野古道に来るのはすごいことだなと思います。それから平清盛ですが、熊野古道の途上で、切目王子で頼朝の恭兵を耳にし、京へ戻ったということもあります。平安時代から名だたる法皇や天皇が熊野詣に来ています。ざっとですが書かせていただきました。熊野古道で歴史を感じています。
かつて家族で中尊寺に旅行した時のことを思い出しました。夏休みの暑い日。立派なお寺、ということと、地形を利用した落ち着いた雰囲気のところだったと記憶しています。あちこちで発掘作業をしており、ふもとにも広々とした発掘予定地がありました。確かにあの一帯全部に仏教関係の施設が建っていれば、一大宗教都市だったのだろうな、と、今になると思います。ドラマの中で義経が「平泉は鎌倉とは比べ物にならないほどの立派な街。これから鎌倉が発展してもとてもかないますまい」とずいぶん非礼なことを頼朝に向かって放言するくだりがありましたが、実際にそうだったのだろうなと思います。今の平泉の姿を見ても、現代のわれわれに想像することは難しいですけどね。視聴者には伝わったのかなぁ…?
東北の歴史に疎かったので勉強になりました。もっとも基本の背骨の部分をわかりやすく学べたので、ここから肉付けをしていきたいと思います。AI音声よりも生身の人間が話す方がやっぱり伝わってきますね。
ずっと前の炎立つという大河が好きでした。渡辺謙さんの初めの藤原さんかカッコ良かったです。
渡辺謙さんは、第一部(北の埋火)で始祖の藤原経清を、第二部「冥き稲妻」(経清の遺児、奥州藤原氏初代藤原(清原)清衡=村上弘明さん)を飛ばして第三部「黄金楽土」で最後の当主(経清の玄孫で四代目)藤原泰衡を、それぞれ演じていましたね。ちなみに泰衡の父(三代目)藤原秀衡は、当初北大路欣也さんが演じる予定が、諸事情により渡瀬恒彦さんに交代しています。
頼朝は奥州合戦の折、平泉の寺社に火をかけることを固く禁じました。また、鎌倉幕府もそれらの文化財を手厚く保護しました。平泉の寺社の多くが焼失したのは、後の世の失火あるいは兵火によるものです。
南都焼討は敵対する僧侶たちが散り散りに隠れて、炙り出そうとして......が原因とも言われますけど義経も泰衡も向こうで勝手に死なせているので、焼け出す隙すら無かったですよね (-ω-;)
前九年、後三年とかすっかり忘れていたので、とても勉強になりました。
奥州平泉は極楽浄土をテーマにした夢の王国だったんですね焼失してもったいないな
分かりやすい
わかりやすい解説動画ありがとうございます。ちなみに、頼朝達は後三年の役で藤原清衡が源義家の配下として働いたことを根拠に『奥州藤原氏は源氏の家人であり、不始末をした家人を討伐するのに朝廷の許可はいらない』と院宣なしで奥州に攻め込んだそうです。
大庭景義が言ったんですよね
「炎立つ」で前九年、後三年合戦の時代と藤原秀衡、泰衡の時代が描かれていましたが、その間の基衡の時代は飛ばされていたので、この解説でよくわかりました。平泉は東北新幹線の一ノ関からのアクセスはよさそうですよ。ぜひロケに行ってください。
後三年の役資料館と中尊寺に連れて行ってもらったことがあります。まだ幼い頃だったのでよく分からないまま行きましたが、解説を聞いて改めて観に行きたいなと思いました。いつも解説ありがとうございます!
ありがとうございました。ちょっとだけ補足させてください。前九年の役で陸奥守源頼義の味方をしたのが、清原武貞の父の清原武則で、俘囚ではあるが安倍氏追討の功で鎮守府将軍に任命された。だから藤原秀衡が鎮守府将軍に任命された時は先例があると考えられた。ところが陸奥守に現地の人間がなるのは先例が無い。だからこそ問題になったんですよね。確か。
解説ありがとうございます、奥州藤原氏はミイラも有名ですね、昭和に学術調査が行われて身長はもちろん血液型や病気の根跡までわかってるそうです、一度は見てみたい物ですが保存のため閲覧できないのは残念。
岩手県盛岡市には前九年という地名がありますが、ぜんくねんの“く”にアクセントがきます。地名の方が馴染みあるので、武士道さんの前九年合戦とのアクセントの違いが面白いです。
炎立つ、ファイアエンブレム聖戦の系譜に通じるものがある。第一部主人公の藤原経清、第二部主人公の藤原清衡。
正直、スカイライダーや仕事人でもそこまで惹かれなかった村上弘明が清衡を演じたあたりから一気に魅力的に思えてきた感がある
前九年の合戦の藤原経清さんの処刑シーンが今でもトラウマで〜す🥶🙏💦 渡辺謙さん、めっちゃ演技上手かった‼️😢初代奥州藤原氏の初代・清衡さんの人生が辛すぎる。家族を異父弟に殺されて😭💦
大河ドラマでは上総広常が「俺がついたほうが勝つ」と言っていたが、実際は奥州藤原氏がついたほうが勝つ、ぐらいの勢力だったんだろうな
上総広常演じる佐藤浩市さんが、炎立つ、では八幡太郎こと源義家を演じていたのを思い出します。どちらも協力した方を勝たせはしたが、その尽力に見合う報いを自身は得られず という終わり方なのでしょうか。
奥州の朝廷に反抗的でない基本姿勢が、そこで成長した義経にも影響与えてそうですね
だから頼朝と対立する構図に…
佐藤継信忠信兄弟は謎が多いので是非武士道さんに紹介して頂きたいです!
月曜日の予告から楽しみにしていました。奥州藤原氏、勉強になりました。私も武士道さん同様、平泉行ってみたいです。
平泉は、千葉の苗字がかなり多いですよ
私も 藤原というのが 本名なんだけれども ご先祖様と言ってもいいかどうかわからない。一応 自分が小学校6年生の頃には図書館まで行って研究までしたくらいのめり込んだ 歴史の有名人ですからね。あの 伊達政宗もそうだし 藤原秀郷の子孫でもあるからね 奥州藤原氏は。もっと遡れば 京都の藤原氏と繋がるはず藤原鎌足まではつながるはずだと思う。
大河ドラマでは文覚が清盛を調伏する展開だけど、史実では頼朝が藤原秀衡を文覚に調伏させています。呪詛は幕末、薩摩藩のお由良騒動でも信じられて島津斉彬の男児は皆、死んでいます。
F・ローズヴェルトも一部では呪詛で死んだと言われてますね
義経の下纏まって頼朝と戦ったら勝てたんじゃないかと思ってしまう東北のヒーロー
あ~っ “おじゃる丸 って、そこから来たんだ!”アニメを見ていなかったので コレ 発見!🤣🙏💦ミスター武士道、歴史解説 “ちゃんと“ ためになってます! 頑張ってください!いつも楽しみに 拝聴しています!
平泉、良いですよ
城長茂は越前ではなく越後の武将ですね~
奥州藤原氏をはじめアテルイや壬生義士伝でお馴染みの吉村貫一郎、旧5千円札の新渡戸稲造や賊軍から総理大臣になった原敬など歴史のポイントで活躍する偉人が多い岩手県。源義経も平泉で自刃したのでは無く、北へ逃げたという「義経北行伝説」もあります。宮古市にゆかりがあり、東日本大地震の被災地域にもなっていました。大河ドラマきっかけでもいいので皆さんに遊びに来て欲しいです。
忘れちゃいけない賢治さん。父方の10代前の女性が新渡戸家に嫁ぎ稲造まで血縁が続いています。私は神奈川生まれ育ちだし、稲造さんもここまで離れていると全くの他人ですが、両親の郷土に偉人が多いのが誇りです。
大正時代に東京市長を務めた後藤新平も岩手出身。
かつて北関東を治めていた藤原秀郷の子孫だって話を聞いたことがある。
奥州藤原氏というとミイラを思い出します…なぜあんなに保存状態がいいのか諸説ありますが、金箔を打ち延ばす時の紙が大量に出るので、それを詰めておいたからという話もありますね。どちらにせよ謎に満ちた一族です!
炎立つ、真剣に見ときゃ良かった~!結局、義経が関わらなければ奥州藤原氏は滅びなかったのでしょうか?
義経が口実になったのは間違いないですが、どちらにせよ頼朝にとっては征服したい相手だと思うので、奥州藤原氏が独立を守り続けたいと思ったら、戦にはなっていたでしょうね。
平泉が奥州合戦で焼かれなかったら、「西の京都」に対して、「東の平泉」みたいな感じで、歴史ある大都市になっていたかも知れません。
大河の、『炎立つ』、思い出します。当時は、評価、いろいろありましたが、わたしとしては、入門的に、面白く、鑑賞できました。👍🏼😊上総介佐藤さんが、八幡太郎義家でしたね。😀そして、平重衡の奥方には、西田法皇様近くの鈴木京香さんでしたね。そして、SMAPのゴローさんが、経清近くの若き武士してましたね。😸※訂正です。平重衡ではなく、平永衡です。🙏😊
前九年の役の頃は、東北地方で反乱を起こした安倍氏を討伐し、朝廷の権威が東北まで届いたという意味で、坂上田村麻呂以来の輝かしい快挙でした。源氏になると、義家が私闘で東北にちょっかいを出してくるようになるから、ちょっと一味違う雰囲気となるのでしょう。
佐藤一族の中に佐藤義清もいますよね?後の西行法師🥰💕
小学生の時金色堂で騒いでお坊さんにゲンコツくらった思い出が蘇りました
江戸っ子は喧嘩っ早いみたいなのあるけど、もしかしてその頃から…
奥州藤原氏に限らず多くの開発領主は土地を貴族、門跡寺院、神社、皇族、上皇などに寄進して不輸不入の権を主張しますこれは永年私財の法により、官職により持てる面積が変わること、より権力の高い貴族等に寄進すれば税金を払うより安くなるから多くの開発領主がしていました河内源氏は経基王の時代から摂関家に与していき、義家などに寄進された土地は摂関家に寄進されます平家は白河法皇に取り立てられ、平家に寄進されたものは法皇、上皇など天皇家に寄進されます院政はそういう天皇家に寄進された土地から上納された資金が基になっています武士たちは自分に寄進された資金の量で朝廷内で権力者に近づき位階をあげていくわけです坂東の武士達の争いもそういうところに根元があります寺社に寄進された土地も最終的には門跡寺院などを経由して天皇家か摂関家に集まります後年、天皇家が分裂した大覚寺統、持明院統のもとはこうして集められた土地から集まるお金です朝廷は税金を取れなくして、私財を蓄積していたのです。その手伝いをしていたのが源氏や平家や寺社です
ほんま鳥羽法皇のあさましさには目を覆いたくなる…
後白河法皇と色々と見てると親子だなと思いました…
後に書かれている文字に岩手県の地名もいくつかあり面白いですね。平泉に構える前は国見山廃寺跡で…だったとか聞いた事あったりなかったり。中尊寺(周辺)にぜひ来てください♪⚠中尊寺は急坂です。(全力坂しちゃって下さいw)
俺の先祖奥州藤原氏に仕えてた、佐藤忠信
平泉、行きたいですよねぇ。私、2009年多賀城、2014年盛岡、2016年水沢に行って、平泉も観光予定に入れてたのに、09年は列車事故運休でアウト、14年は爆弾低気圧で帰りの飛行機を確保するため滞在切り上げ、16年は台風10号が岩手県直撃ルートになったのでやはり帰りの飛行機に間に合わすために断念、と不運が重なり見果てぬ夢の国。新型コロナが収まれば、リベンジしたいと思ってますが、いつになることやら。
当時、東北は金がたくさんとれたようですね、その財力で力あったようです。金のつく地名も沢山残っています。奥州藤原氏は奈良に大仏建立にも金を送ったのです。頼朝はその財力欲しさに奥州藤原氏を潰した。
前九年後三年は人物関係とかややこしくてうまく説明できんね。「炎立つ」とか高橋克彦の作品で理解しました。大陸との交易距離でみると坂東よりも栄えたのが分かる気がする。
奥州藤原氏は平安時代の道長や頼通たちとは別系統ですか?
動画で秀郷流って言っとる、秀郷が北家魚名流で、道長も北家だから、同じ藤原房前の子孫だな
確か清原武則が鎮守府将軍に任官してます。
コメントありがとうございます。参考文献によると、清原氏の鎮守府将軍も同じく異例中の異例だったとのことで、今回は割愛しました。
大河ドラマ「炎立つ」やったやんか。
晋三さんのルーツ…そんな昔から有ったのかぁ……
さずかの頼朝も平泉に攻め込んだのは秀衡と義経が死んだ後。生きてる間に攻めるほど頼朝もバカじゃないけど、秀衡と義経が生きてる間に戦ってたら、どうだったか想像するの面白い。秀衡は威厳がありすぎて、生きてる時は頼朝は秀衡を恐れて頼朝自身は平家追討に行けずに弟を派遣したんだっけな。
聖武天皇が奈良の大仏を造る時に、金が少なくて困っていたところ、陸奥国で金が産出されたことを知って、大喜びされたそうですね。😃
ファーストが藤原経清だったような気がする(渡辺謙の印象しか出てこないな……………)
資料によれば4~11世紀までは温暖期とある。12世紀までは暖かだったんじゃないかな。陸奥周辺の安倍氏も、それにより隆盛を極めたんじゃなかろうか。奥州藤原氏も北を見れば十三湊があるし、交易も含めて財を成し、中央には適当に金を積めば無益な血を出す事も無いし、上手い経営ですな。まあそれでも、気候の変動(寒冷化)に移行するにあたって飢饉が発生し、豪族の争いも増したと考えます。西や中央では東や以北は知ったこっちゃないはずで、まあそれで不満も募り積もった東国武士が動いたんだろうなあ。
「仏師=ぶっし」です。「ぶつし」ではない。
正しい記述が知りたいなら、RUclips動画ではなく、ちゃんとした書物を読んで勉強することをお勧めします。
平泉町行ったのだよ金色堂きれいだったのだよ仏像も凄いあったのだよ ZOMBIEちゃんの守り本尊いたのだよ
前9年は何から9年前なんですか?
奥12年合戦の、前半9年、後半3年、
これかなりややこしいのですが(しかも諸説ある)九年合戦は、後三年合戦の前だから前九年合戦。三年合戦は、前九年合戦の後だから後三年合戦。と名付けられたとか。特に深い意味はなく、丸暗記で覚えてもいいと思っています。参考はこちらですcrd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000103526
@@sengokubanashi ありがとうございます。
主君にそむいてもいないので、泣いて季春を切るはちょっと可哀想かも
アベシ❗
ズエ‼️(あべ静江)失礼しましたァ~🙏🙇(これ、昔少年ジャンプの読者コーナーに掲載されたイラストにありました)
と言うか史実として泰衡は部下に裏切られて、あっけなく殺されたわけで、平泉はほぼ無傷のまま頼朝の手中に収まったのでは?(焼失したのは第二次世界大戦のせいだと思ってました)奥州藤原氏の大河ドラマと言うと”炎立つ”泰衡の最期が史実とは全く違う脚色(つまり原作通り)で凄く良かった。確かに大河ドラマは歴史物ですが、あくまでドラマなんだから史実にこだわる必要はないということですね。(さすがに女信長はやりすぎですけど)
前九年の役、後三年の役共に丸暗記で覚えましたが、何の「前」なのか? 何の「後」なのか? それが今一わかりません。今度解説してください。
城長茂って越後の人じゃなかっけ
言い間違えました。すみません。
平泉の北上川を挟んだ正面、夏…十文字送り火の束稲山の麓、東山がオモシロイ。一、菅原道真公第3夫人の墓一、源頼朝公の墓一、芦東山(江戸中期、伊達藩儒家として、日本初の教育刑を唱えた)記念館来月平泉は、義経・東下りで、俳優の伊藤健太郎さんが、義経役で登場。皆さん、平泉に行かれては!
佐藤兄弟というと頼朝の追ってから逃げるために海路で豊後に行こうとして嵐で行けなかったという話を聞きました。奥州育ちなのになぜ豊後にと不思議に思いました。壇ノ浦の戦いで豊後水軍とコネクションでもできたのですかね?あまりに唐突に豊後が出てきたので強烈に印象に残っています。私自身の名字が佐藤で大分県の出身なので。
TOKIOのリーダーおるやん笑
正しく古都奥州
藤原秀衡をまさか京本政樹さんが演じたことに衝撃。
佐竹の叔父が上総介と内通。🤔なぜ身内が負ける様な事を⁇ちょっとその辺が謎です。
身内より自分の命が大事だったんでしょう。この時代は兄弟で殺し合いも普通にあります。まぁ、佐竹の叔父は命は助かったけどそのあと出世はできませんでしたが。
仏教をしたので潰れた。
わかりにくいな~
この様なお笑いが解説では見たくないです。
【訂正とお詫び】
城長茂は「越前」ではなく「越後」の人物です。
仏師を「ぶつし」と言い間違えておりますが「ぶっし」が正しいです。大変失礼いたしました。訂正してお詫び申し上げます。
いつも見てます。わかりやすい解説ありがとうございます。
私は和歌山に住んでいます、熊野古道に藤原秀衡が来ていて滝尻王子というところで
奥さんが産気づきここの山の窟で三男を生みます。大河には三男は出てこないようですね。
赤ちゃんを窟に隠して熊野本宮に行きます。乳岩と胎内くぐりのはなしがあります。
本宮に向かう途中に秀衡桜というのもあります。奥州から和歌山の熊野古道に来るのはすごいことだなと思います。
それから平清盛ですが、熊野古道の途上で、切目王子で頼朝の恭兵を耳にし、京へ戻ったということもあります。平安時代から名だたる法皇や天皇が熊野詣に来ています。
ざっとですが書かせていただきました。
熊野古道で歴史を感じています。
かつて家族で中尊寺に旅行した時のことを思い出しました。夏休みの暑い日。立派なお寺、ということと、地形を利用した落ち着いた雰囲気のところだったと記憶しています。
あちこちで発掘作業をしており、ふもとにも広々とした発掘予定地がありました。確かにあの一帯全部に仏教関係の施設が建っていれば、一大宗教都市だったのだろうな、と、今になると思います。
ドラマの中で義経が「平泉は鎌倉とは比べ物にならないほどの立派な街。これから鎌倉が発展してもとてもかないますまい」とずいぶん非礼なことを頼朝に向かって放言するくだりがありましたが、実際にそうだったのだろうなと思います。今の平泉の姿を見ても、現代のわれわれに想像することは難しいですけどね。視聴者には伝わったのかなぁ…?
東北の歴史に疎かったので勉強になりました。もっとも基本の背骨の部分をわかりやすく学べたので、ここから肉付けをしていきたいと思います。AI音声よりも生身の人間が話す方がやっぱり伝わってきますね。
ずっと前の炎立つという大河が好きでした。渡辺謙さんの初めの藤原さんかカッコ良かったです。
渡辺謙さんは、第一部(北の埋火)で始祖の藤原経清を、第二部「冥き稲妻」(経清の遺児、奥州藤原氏初代藤原(清原)清衡=村上弘明さん)を飛ばして第三部「黄金楽土」で最後の当主(経清の玄孫で四代目)藤原泰衡を、それぞれ演じていましたね。ちなみに泰衡の父(三代目)藤原秀衡は、当初北大路欣也さんが演じる予定が、諸事情により渡瀬恒彦さんに交代しています。
頼朝は奥州合戦の折、平泉の寺社に火をかけることを固く禁じました。また、鎌倉幕府もそれらの文化財を手厚く保護しました。平泉の寺社の多くが焼失したのは、後の世の失火あるいは兵火によるものです。
南都焼討は敵対する僧侶たちが散り散りに隠れて、炙り出そうとして......が原因とも言われますけど
義経も泰衡も向こうで勝手に死なせているので、焼け出す隙すら無かったですよね (-ω-;)
前九年、後三年とかすっかり忘れていたので、とても勉強になりました。
奥州平泉は極楽浄土をテーマにした夢の王国
だったんですね
焼失してもったいないな
分かりやすい
わかりやすい解説動画ありがとうございます。
ちなみに、頼朝達は後三年の役で藤原清衡が源義家の配下として働いたことを根拠に『奥州藤原氏は源氏の家人であり、不始末をした家人を討伐するのに朝廷の許可はいらない』と院宣なしで奥州に攻め込んだそうです。
大庭景義が言ったんですよね
「炎立つ」で前九年、後三年合戦の時代と藤原秀衡、泰衡の時代が描かれていましたが、その間の基衡の時代は飛ばされていたので、この解説でよくわかりました。平泉は東北新幹線の一ノ関からのアクセスはよさそうですよ。ぜひロケに行ってください。
後三年の役資料館と中尊寺に連れて行ってもらったことがあります。まだ幼い頃だったのでよく分からないまま行きましたが、解説を聞いて改めて観に行きたいなと思いました。いつも解説ありがとうございます!
ありがとうございました。ちょっとだけ補足させてください。
前九年の役で陸奥守源頼義の味方をしたのが、清原武貞の父の清原武則で、俘囚ではあるが安倍氏追討の功で鎮守府将軍に任命された。
だから藤原秀衡が鎮守府将軍に任命された時は先例があると考えられた。ところが陸奥守に現地の人間がなるのは先例が無い。だからこそ問題になったんですよね。確か。
解説ありがとうございます、奥州藤原氏はミイラも有名ですね、昭和に学術調査が行われて
身長はもちろん血液型や病気の根跡までわかってるそうです、一度は見てみたい物ですが保存のため閲覧できないのは残念。
岩手県盛岡市には前九年という地名がありますが、ぜんくねんの“く”にアクセントがきます。地名の方が馴染みあるので、武士道さんの前九年合戦とのアクセントの違いが面白いです。
炎立つ、ファイアエンブレム聖戦の系譜に通じるものがある。
第一部主人公の藤原経清、第二部主人公の藤原清衡。
正直、スカイライダーや仕事人でもそこまで惹かれなかった村上弘明が
清衡を演じたあたりから一気に魅力的に思えてきた感がある
前九年の合戦の藤原経清さんの処刑シーンが今でもトラウマで〜す🥶🙏💦 渡辺謙さん、めっちゃ演技上手かった‼️😢
初代奥州藤原氏の初代・清衡さんの人生が辛すぎる。家族を異父弟に殺されて😭💦
大河ドラマでは上総広常が「俺がついたほうが勝つ」と言っていたが、実際は奥州藤原氏がついたほうが勝つ、ぐらいの勢力だったんだろうな
上総広常演じる佐藤浩市さんが、炎立つ、では八幡太郎こと源義家を演じていたのを思い出します。どちらも協力した方を勝たせはしたが、その尽力に見合う報いを自身は得られず という終わり方なのでしょうか。
奥州の朝廷に反抗的でない基本姿勢が、そこで成長した義経にも影響与えてそうですね
だから頼朝と対立する構図に…
佐藤継信忠信兄弟は謎が多いので是非武士道さんに紹介して頂きたいです!
月曜日の予告から楽しみにしていました。奥州藤原氏、勉強になりました。私も武士道さん同様、平泉行ってみたいです。
平泉は、千葉の苗字がかなり多いですよ
私も 藤原というのが 本名なんだけれども ご先祖様と言ってもいいかどうかわからない。一応 自分が小学校6年生の頃には図書館まで行って研究までしたくらいのめり込んだ 歴史の有名人ですからね。あの 伊達政宗もそうだし 藤原秀郷の子孫でもあるからね 奥州藤原氏は。
もっと遡れば 京都の藤原氏と繋がるはず藤原鎌足まではつながるはずだと思う。
大河ドラマでは文覚が清盛を調伏する展開だけど、史実では頼朝が藤原秀衡を文覚に調伏
させています。呪詛は幕末、薩摩藩のお由良騒動でも信じられて島津斉彬の男児は皆、
死んでいます。
F・ローズヴェルトも一部では呪詛で死んだと言われてますね
義経の下纏まって頼朝と戦ったら勝てたんじゃないかと思ってしまう
東北のヒーロー
あ~っ “おじゃる丸 って、そこから来たんだ!”
アニメを見ていなかったので コレ 発見!
🤣🙏💦
ミスター武士道、歴史解説 “ちゃんと“ ためになってます! 頑張ってください!
いつも楽しみに 拝聴しています!
平泉、良いですよ
城長茂は越前ではなく越後の武将ですね~
奥州藤原氏をはじめアテルイや壬生義士伝でお馴染みの吉村貫一郎、旧5千円札の新渡戸稲造や賊軍から総理大臣になった原敬など歴史のポイントで活躍する偉人が多い岩手県。源義経も平泉で自刃したのでは無く、北へ逃げたという「義経北行伝説」もあります。宮古市にゆかりがあり、東日本大地震の被災地域にもなっていました。大河ドラマきっかけでもいいので皆さんに遊びに来て欲しいです。
忘れちゃいけない賢治さん。
父方の10代前の女性が新渡戸家に嫁ぎ稲造まで血縁が続いています。
私は神奈川生まれ育ちだし、稲造さんもここまで離れていると全くの他人ですが、
両親の郷土に偉人が多いのが誇りです。
大正時代に東京市長を務めた後藤新平も岩手出身。
かつて北関東を治めていた藤原秀郷の子孫だって話を聞いたことがある。
奥州藤原氏というとミイラを思い出します…
なぜあんなに保存状態がいいのか諸説ありますが、金箔を打ち延ばす時の紙が大量に出るので、それを詰めておいたからという話もありますね。
どちらにせよ謎に満ちた一族です!
炎立つ、真剣に見ときゃ良かった~!
結局、義経が関わらなければ奥州藤原氏は滅びなかったのでしょうか?
義経が口実になったのは間違いないですが、どちらにせよ頼朝にとっては征服したい相手だと思うので、奥州藤原氏が独立を守り続けたいと思ったら、戦にはなっていたでしょうね。
平泉が奥州合戦で焼かれなかったら、「西の京都」に対して、「東の平泉」みたいな感じで、歴史ある大都市になっていたかも知れません。
大河の、『炎立つ』、思い出します。
当時は、評価、いろいろありましたが、
わたしとしては、入門的に、面白く、鑑賞できました。👍🏼😊
上総介佐藤さんが、八幡太郎義家でしたね。😀
そして、平重衡の奥方には、西田法皇様近くの鈴木京香さんでしたね。
そして、SMAPのゴローさんが、経清近くの若き武士してましたね。😸
※訂正です。
平重衡ではなく、平永衡です。🙏😊
前九年の役の頃は、東北地方で反乱を起こした安倍氏を討伐し、朝廷の権威が東北まで届いたという意味で、坂上田村麻呂以来の輝かしい快挙でした。
源氏になると、義家が私闘で東北にちょっかいを出してくるようになるから、ちょっと一味違う雰囲気となるのでしょう。
佐藤一族の中に佐藤義清もいますよね?後の西行法師🥰💕
小学生の時金色堂で騒いでお坊さんにゲンコツくらった思い出が蘇りました
江戸っ子は喧嘩っ早いみたいなのあるけど、もしかしてその頃から…
奥州藤原氏に限らず多くの開発領主は土地を貴族、門跡寺院、神社、皇族、上皇などに寄進して不輸不入の権を主張します
これは永年私財の法により、官職により持てる面積が変わること、より権力の高い貴族等に寄進すれば税金を払うより安くなるから多くの開発領主がしていました
河内源氏は経基王の時代から摂関家に与していき、義家などに寄進された土地は摂関家に寄進されます
平家は白河法皇に取り立てられ、平家に寄進されたものは法皇、上皇など天皇家に寄進されます
院政はそういう天皇家に寄進された土地から上納された資金が基になっています
武士たちは自分に寄進された資金の量で朝廷内で権力者に近づき位階をあげていくわけです
坂東の武士達の争いもそういうところに根元があります
寺社に寄進された土地も最終的には門跡寺院などを経由して天皇家か摂関家に集まります
後年、天皇家が分裂した大覚寺統、持明院統のもとはこうして集められた土地から集まるお金です
朝廷は税金を取れなくして、私財を蓄積していたのです。
その手伝いをしていたのが源氏や平家や寺社です
ほんま鳥羽法皇のあさましさには目を覆いたくなる…
後白河法皇と色々と見てると親子だなと思いました…
後に書かれている文字に岩手県の地名もいくつかあり面白いですね。
平泉に構える前は国見山廃寺跡で…だったとか聞いた事あったりなかったり。
中尊寺(周辺)にぜひ来てください♪
⚠中尊寺は急坂です。(全力坂しちゃって下さいw)
俺の先祖奥州藤原氏に仕えてた、佐藤忠信
平泉、行きたいですよねぇ。私、2009年多賀城、2014年盛岡、2016年水沢に行って、平泉も観光予定に入れてたのに、09年は列車事故運休でアウト、14年は爆弾低気圧で帰りの飛行機を確保するため滞在切り上げ、16年は台風10号が岩手県直撃ルートになったのでやはり帰りの飛行機に間に合わすために断念、と不運が重なり見果てぬ夢の国。新型コロナが収まれば、リベンジしたいと思ってますが、いつになることやら。
当時、東北は金がたくさんとれたようですね、その財力で力あったようです。
金のつく地名も沢山残っています。奥州藤原氏は奈良に大仏建立にも金を送ったのです。頼朝はその財力
欲しさに奥州藤原氏を潰した。
前九年後三年は人物関係とかややこしくてうまく説明できんね。「炎立つ」とか高橋克彦の作品で理解しました。大陸との交易距離でみると坂東よりも栄えたのが分かる気がする。
奥州藤原氏は平安時代の道長や頼通たちとは別系統ですか?
動画で秀郷流って言っとる、
秀郷が北家魚名流で、
道長も北家だから、
同じ藤原房前の子孫だな
確か清原武則が鎮守府将軍に任官してます。
コメントありがとうございます。
参考文献によると、清原氏の鎮守府将軍も同じく異例中の異例だったとのことで、今回は割愛しました。
大河ドラマ「炎立つ」やったやんか。
晋三さんのルーツ…そんな昔から有ったのかぁ……
さずかの頼朝も平泉に攻め込んだのは秀衡と義経が死んだ後。
生きてる間に攻めるほど頼朝もバカじゃないけど、秀衡と義経が生きてる間に戦ってたら、どうだったか想像するの面白い。
秀衡は威厳がありすぎて、生きてる時は頼朝は秀衡を恐れて頼朝自身は平家追討に行けずに弟を派遣したんだっけな。
聖武天皇が奈良の大仏を造る時に、金が少なくて困っていたところ、
陸奥国で金が産出されたことを知って、大喜びされたそうですね。😃
ファーストが藤原経清だったような気がする(渡辺謙の印象しか出てこないな……………)
資料によれば4~11世紀までは温暖期とある。12世紀までは暖かだったんじゃないかな。陸奥周辺の安倍氏も、それにより隆盛を極めたんじゃなかろうか。
奥州藤原氏も北を見れば十三湊があるし、交易も含めて財を成し、中央には適当に金を積めば無益な血を出す事も無いし、上手い経営ですな。
まあそれでも、気候の変動(寒冷化)に移行するにあたって飢饉が発生し、豪族の争いも増したと考えます。
西や中央では東や以北は知ったこっちゃないはずで、まあそれで不満も募り積もった東国武士が動いたんだろうなあ。
「仏師=ぶっし」です。「ぶつし」ではない。
正しい記述が知りたいなら、RUclips動画ではなく、ちゃんとした書物を読んで勉強することをお勧めします。
平泉町行ったのだよ
金色堂きれいだったのだよ
仏像も凄いあったのだよ
ZOMBIEちゃんの守り本尊いた
のだよ
前9年は何から9年前なんですか?
奥12年合戦の、
前半9年、後半3年、
これかなりややこしいのですが(しかも諸説ある)九年合戦は、後三年合戦の前だから前九年合戦。三年合戦は、前九年合戦の後だから後三年合戦。と名付けられたとか。
特に深い意味はなく、丸暗記で覚えてもいいと思っています。
参考はこちらです
crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000103526
@@sengokubanashi
ありがとうございます。
主君にそむいてもいないので、泣いて季春を切るはちょっと可哀想かも
アベシ❗
ズエ‼️(あべ静江)
失礼しましたァ~🙏🙇
(これ、昔少年ジャンプの読者コーナーに掲載されたイラストにありました)
と言うか
史実として泰衡は部下に裏切られて、あっけなく殺されたわけで、平泉はほぼ無傷のまま頼朝の手中に収まったのでは?(焼失したのは第二次世界大戦のせいだと思ってました)
奥州藤原氏の大河ドラマと言うと”炎立つ”
泰衡の最期が史実とは全く違う脚色(つまり原作通り)で凄く良かった。確かに大河ドラマは歴史物ですが、あくまでドラマなんだから史実にこだわる必要はないということですね。
(さすがに女信長はやりすぎですけど)
前九年の役、後三年の役
共に丸暗記で覚えましたが、何の「前」なのか? 何の「後」なのか? それが今一わかりません。
今度解説してください。
これかなりややこしいのですが(しかも諸説ある)九年合戦は、後三年合戦の前だから前九年合戦。三年合戦は、前九年合戦の後だから後三年合戦。と名付けられたとか。
特に深い意味はなく、丸暗記で覚えてもいいと思っています。
参考はこちらです
crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000103526
城長茂って越後の人じゃなかっけ
言い間違えました。すみません。
平泉の北上川を挟んだ正面、夏…十文字
送り火の束稲山の麓、東山がオモシロイ。
一、菅原道真公第3夫人の墓
一、源頼朝公の墓
一、芦東山(江戸中期、伊達藩儒家と
して、日本初の教育刑を唱えた)記念館
来月平泉は、義経・東下りで、俳優の
伊藤健太郎さんが、義経役で登場。
皆さん、平泉に行かれては!
佐藤兄弟というと頼朝の追ってから逃げるために海路で豊後に行こうとして嵐で行けなかったという話を聞きました。
奥州育ちなのになぜ豊後にと不思議に思いました。壇ノ浦の戦いで豊後水軍とコネクションでもできたのですかね?
あまりに唐突に豊後が出てきたので強烈に印象に残っています。私自身の名字が佐藤で大分県の出身なので。
TOKIOのリーダーおるやん笑
正しく古都奥州
藤原秀衡をまさか京本政樹さんが演じたことに衝撃。
佐竹の叔父が上総介と内通。🤔なぜ身内が負ける様な事を⁇ちょっとその辺が謎です。
身内より自分の命が大事だったんでしょう。この時代は兄弟で殺し合いも普通にあります。まぁ、佐竹の叔父は命は助かったけどそのあと出世はできませんでしたが。
仏教をしたので潰れた。
わかりにくいな~
この様なお笑いが解説では見たくないです。