Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
急行佐賀は、1962年~1969年のお盆や年末年始を中心に運行されていた急行筑豊を改称した列車でした。この列車は主に大阪や新大阪~飯塚(1965年の夏のみ名古屋→飯塚・鳥栖→名古屋)で運転されていましたが、1968年~1969年の年末年始に運転区間が大阪~佐賀or直方に改められました。その後1969年の夏の運行はありませんでしたが、1969年~1970年の年末年始に急行佐賀に改称した上で再び運転されるようになりました。
「急行ちどり」も晩年は千鳥城のお膝元の松江までいかないし、「くにびき」の1往復も、国引き神話関係ない鳥取〜米子間。現在も「きのさき」といいつつ福知山止めのものもあり…いつの時代も詐欺名称はあるんですね
夜行特急「富士」は富士駅を通過する時代が長く続いたのだよなあ。
直方発着で盆正月の臨時急行とかどう考えても夏休みや冬休みを満喫中の修学旅行用キハ58ー800番代でしょ。
瀬戸大橋が開通していない時代に、宇野行の夜行急行列車が「さぬき」というのは納得いかん素直に「びぜん」でいい。
急行日南→日南駅まで行きません。急行かいもん→開聞駅まで行きません。寝台特急なは→那覇まで行けません。
初代準急が日南線古江線経由の鹿屋行きだった日南は日南駅まで行っていた時代がなくもないですけど、しいばとか青島とかを含めて当時の愛称設定はかなり大雑把ですよね
盆正月の臨時急行人吉はしっかり覚えている。なぜなら八代駅には急行しろやま増結に準備された客車がたくさん控えていたからだ。集団就職で大阪に行き働いた方々は乗ったに違いない。一晩で里の球磨・人吉に帰れると。
予約システムの変更が面倒だったのだろうか?
当時のマルスは、つばめとかこだま しか対応してなかったはず。台帳管理でやってた時代ですよ。
急行佐賀は、1962年~1969年のお盆や年末年始を中心に運行されていた急行筑豊を改称した列車でした。この列車は主に大阪や新大阪~飯塚(1965年の夏のみ名古屋→飯塚・鳥栖→名古屋)で運転されていましたが、1968年~1969年の年末年始に運転区間が大阪~佐賀or直方に改められました。その後1969年の夏の運行はありませんでしたが、1969年~1970年の年末年始に急行佐賀に改称した上で再び運転されるようになりました。
「急行ちどり」も晩年は千鳥城のお膝元の松江までいかないし、「くにびき」の1往復も、国引き神話関係ない鳥取〜米子間。
現在も「きのさき」といいつつ福知山止めのものもあり…
いつの時代も詐欺名称はあるんですね
夜行特急「富士」は富士駅を通過する時代が長く続いたのだよなあ。
直方発着で盆正月の臨時急行とかどう考えても夏休みや冬休みを満喫中の修学旅行用キハ58ー800番代でしょ。
瀬戸大橋が開通していない時代に、宇野行の夜行急行列車が「さぬき」というのは納得いかん
素直に「びぜん」でいい。
急行日南→日南駅まで行きません。
急行かいもん→開聞駅まで行きません。
寝台特急なは→那覇まで行けません。
初代準急が日南線古江線経由の鹿屋行きだった日南は日南駅まで行っていた時代がなくもないですけど、しいばとか青島とかを含めて当時の愛称設定はかなり大雑把ですよね
盆正月の臨時急行人吉はしっかり覚えている。なぜなら八代駅には急行しろやま増結に準備された客車がたくさん控えていたからだ。
集団就職で大阪に行き働いた方々は乗ったに違いない。
一晩で里の球磨・人吉に帰れると。
予約システムの変更が面倒だったのだろうか?
当時のマルスは、つばめとかこだま しか対応してなかったはず。
台帳管理でやってた時代ですよ。