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モザイクかかってる広告がキニナル
カルピスの黒人キャラクターを不謹慎扱いするのはこのキャラを廃止に追い込んだ圧力団体の意見を追認してるみたいで正直気分はよくない
そもそも何か酷い目にあってるとかじゃなくて楽しんでるんだけどねどうやら彼らには楽しんでるように見えないらしい
不可思議なのは、製造は高橋氏がひとりで行っていて量産化は断っていたから製法は高橋氏(と高橋氏の甥)しか知らないとされていながら、販売数は昭和6年だけで450ml瓶のどりこのを220万本も売ってること。220万本を365日無休で製造しても1日あたり平均6,000本を製造してたことになる。これはひとりで作れる量とは思えない。
むかーし(40年くらい前)高校の部活で作ろうとした事があります。正解がわからないのでちゃんとできたかわからないのですが、おいしい飲み物ができました。
「どりこの饅頭」は今でも北海道の芦別市で未だに販売されています最初の頃は「どりこの」の液体を案に混ぜていたそうで、「どりこの」そのものが高いので庶民に手が入らなかったから手軽に「どりこの」成分を食して欲しいとの意味合いで作ったそうで、芦別は炭鉱町だったから滋養強壮には丁度良かったんじゃないかとの事今は当然「どりこの」液体は入ってないものの、制作当初と味は変わらず美味しいとの事です
コーラを濃縮して、カルピスぽくしたら どりこの になりそう。
そう言えば、昔はビンが2本化粧箱に入った『お歳暮』用のカルピスあったもんな。確かにカルピスは高級品だったな。
広告の爺さんが田中正造みたいだな。
カルピスなんか高くて粉末オレンジを水に溶いたものしかなかった
大正から昭和初期は現代人が思うより遥かに社会全体が豊かだったそうですよ。貧富とか身分の差は今とは質が違うにしても、物流も改善されて、かなり現代に近い。むしろ戦後の方が貧しかった(戦後すぐではなく)とも。戦争に負けたことで、戦災でそれ以前と以後に断絶が生じたとも思いますよ。
カルピス系の乳酸飲料では、森永コーラス、不二家ミルトンも見ないから絶滅したんでしょうね😢
どりこのどこをどう張り倒したら、そんな珍妙な言葉が出てくるのか不思議でなりませんわ!
3:25ドーマポ体液ルーオタビってなんか卑猥 ww
安いと広告で二度も押してるカルピスでも当時は高級品だもんな今まで残ってる飲料ってやっぱすごいな
うちの母(故人)高校卒業後(昭和30年代中頃)に、どりこのの開発者高橋博士のお屋敷にお手伝いさんでバイトに行っていたそうです。
この頃の日本はまだあまり戦争の影が無くて、明るい雰囲気なのが良いですね
オレンジカルピスって有ったよね。
ぶどうもありましたね。
こういう知識を見つけてはじいちゃんばあちゃんに聞くのが楽しいんだわ
当時のイチゴってあんまり甘くなかったもんねぇ
6:46 の後にトロピカーナの広告動画が入ってきて「違う、そうじゃない」ってなった
どりこのを追跡調査した書籍で知りました。講談社が独占販売していた清涼飲料で、砂糖から精製したそうです。開発者亡きあとは甥の方が製法を引き継いでいたそうですが、この方は製法を明かさないまま亡くなられ、どりこのの再現は不可能となったそうです。現在も講談社にはどりこののサンプルが存在しているそうですが、あれほど一世を風靡した代物が今は忘れ去られているのも凄い話です。
どりこの 450ml 1円20銭昭和5年の物価は米の価格で比較すると約2500倍なので現在の物価に換算すると約3000円当時の庶民 小作農や工員(中卒 月給35円)などには無縁とは言わないまでもとても贅沢な物だったでしょうね。華族 地主 財閥など富裕層だけの物だったのでは
カルピスはまさに幼少期の思い出の味です。盆正月におばあちゃんちに行くと必ずガラス瓶入りのカルピスが冷蔵庫に冷やしてあって、それを氷と水で割って飲む…というのが最高の贅沢でした。贈答用で頂いていたみたいですね。昭和の頃は一般家庭で気軽に買って飲むものではなかったんです笑だから気軽にお小遣いで買える価格のカルピスウォーターが発売されたときは衝撃でした
「どりこの」は、「消化不要」というところをみると、現代のドリンク剤のはようなものだったのではないでしょうか?「グリーンピースを甘く煮た」というのは、時代を感じさせます。現代では、エンドウ豆を使うのでは?
昭和5年生まれの亡き父が戦前の少年倶楽部の復刻版を持っていてその中にもこの「どりこの」の広告があり気になっていました。もっと薬っぽい養命酒みたいなものを想像していましたがこの動画で清涼飲料だと分かりました。貴重な広告と解説ありがとうございました。
カルピスのそっくりさんで、コーラスってのもあったと思う。当時は瓶入りで栓抜きで開けるが、包装紙を外すか外さないかは各々家族ルールだったよね。
他には「ミルトン」(乳児器具用消毒剤では無い)というのもありました。
どりこのの話を聞いていると、比較的最近の話だと駄菓子の梅ジャムなんかがそうだけど、意外とこういうものは簡単に散逸してしまうんだな。むしろ、カルピス菌の原液が無くなってしまったらもう作れないと言われているカルピスがよく戦争を乗り越えられたなと思う。
カルピス瓶入りのがなくなったのが残念夏の風物詩だったのだが
もし今もどりこのが生き残ってたら、レッドブルやモンスターに対抗し得る【ノンカフェインのエナジードリンク】になってただろうな、勿体無い😢😢😢
昔の商品広告特有のちょっと大仰で独特の言い回しの宣伝文句、クセになる
ドクターなんちゃらってあったなぁ。味は水薬に炭酸が入った感じ。どりこのって養命酒みたいな物では?
滋養強壮…今で言ったらレッドブルやモンエナみたいな感覚だったのかね。幻の飲み物…ハイクロンか!(違)
カルピスによく似た「アンバサ」も消えちゃったね😂
この当時の三ツ矢サイダーのポスターを所有していますが、サイダーと並んで、「シトロン」「平野水」の文字が。平野水とは天然の炭酸水のことらしいです。
講談社の本社には、当時の未開封どりこのが保存されているとかされていないとか。今思うと出版社が飲料出してたってのが面白いよね
死んだ爺さんがカルピスを麦茶で割って「どりこ割り」とか言って飲んでたなぁ、もしかしたら似たような味だったのかも
カルピスと三ツ矢サイダー令和の今や、同じとこ(アサヒ飲料)から発売してるのは、時代の流れか。
10年位前に「どりこの」の解説本が出ましたが出版元はまさかの角川書店
あのKADOKAWAが…
講談社ではなく
ソフトドリンクをジュースと呼ぶ昭和感70代のじいちゃんは缶コーヒーもお茶も炭酸飲料もひっくるめてみんなジュース
そういえばカルピスはいつから瓶からペットボトルに変わったんだろう……
ほっといたらそのうちどりこの味噌汁とかどりこのすき焼きとか言い出しそうな広告
2:29の新聞の内容の方が物凄く気になる…新聞左上の人は高橋是清蔵相のはずその右斜め下の男性は当時はまだ皇道派が優先だったからその当時次長?なる役職で多分陸相に出世したと思われる?今尚226事件と言うと黒幕とされている真崎甚三郎氏?
カルピスの黒人イラストはカルピスの顔とも言えるものだったんですがねえ。東海道新幹線の車内広告でもよく見かけるものでした。ポリコレがやかましくなってからこの広告は廃止されるんですが、カルピスが左前になっていくのはこの頃からだったような気がします。
3:35 金線サイダー 九州の唐津に金扇サイダーがあるけど金線にあやかったのかな
「上品ます」は誤植じゃなくて「上品増す」ですね。文字数制限のある電報等では定番の言い回し、かつ、柔らかく表現するため、ひらがなで書いたと思われます。
そこは空飛ぶ幽霊船のボアジュースでは?🤣。瓶のスピルカでは?。黒人キャラですね🥶。昭和45年産まれの私が小さい時にはお誕生日や〇〇のお祝い。病気の時などカルピスは飲めましたが普段から気軽には飲んでないし。お歳暮でカルピスの詰め合わせ、缶詰の詰め合わせの時代でしたから😢。となりの便秘にラキサール?の方が気になったりして😑お通じによく効いたのかな?。レッキス?知らないです。でも駄菓子屋にも名前忘れましたが?カルピスに似たジュースありましたよ🤔。とりこの?😳知らない〜😵。甘酒?養命酒?に近いのかな?。(言葉の癖が強いから飲むとお腹壊しそう?🥶)。頭のハッキリしないと時?最初のコカ入りコーラ😱?。甘いのかな?蜜豆&アイス?。レモンアイス?ようは冷たいと言う事ね!!。連想クイズ?😵💫。あやふや!抽象的で判らないよ〜!。ビール?😅ホッピー?。とりこのをご飯にかけて食べて…😆。豆腐にかけて!。饂飩にかけて🤣気が付いたら甘いの冷たいの飲み過ぎ食べ過ぎてお腹ピー🥳。勿体ないな~とりこのは駄菓子屋とかに引き継いで欲しいかったですね🤪。探偵ナイトスクープに依頼してちょ〜😁🤗
カルピスのこのキャラクターは、ムーミンやハイジのTV放送の時には出てきてましたね。まだこのころのアニメシリーズはカルピス劇場でした。ハウス劇場になったのはいつごろからだろう。
ハウス名作劇場になったのは昭和54(1979)年の『赤毛のアン』からだそうですよ。
森永キャラメルもこのころすでにあったはず。どりこのですが、主成分がブドウ糖と砂糖って説もあって、すると一部成分をカラメル化させて、香ばしい香りをつけたものだったりするのかな?液色も黄金色だったらしいですし。
どりこのは細川貂々さんの本で瓶の話が出ていたのでどんな味か気になっていました。展開レシピで想像するにメイプルシロップみたいな気がします。昔の飲食については現代人と変わらない料理が提供されていたとの証言があり、繊細な日本人の舌はむしろ舶来の味なんか興味深々で受け入れられてた可能性があります。
ざっと調べてみたけど蔗糖をベースにグルタミン酸の力で加水分解してブドウ糖果糖の転化糖を作り出しその反応過程で発生した香味とメイラード着色で黄金色になった香り高い糖飲料というような体でした成分的には同量程度の果糖とブドウ糖と反応残りのわずかな蔗糖とこれまた残りのグルタミン酸と反応で発生した香味と色になりますねおいしそうな印象ですがこれを滋養飲料とは当時の基準ではそうなのかもしれませんね
特許から製法を推定したサイトを読みましたが、仮にこの現代に製法が伝えられていた場合に継続的に売れたかどうかは意見が分かれるだろうなと思いました。
せめて昭和の頃なら、どんな味だったか覚えてる人もいただろうけど、今の時代じゃ難しそうな。しかし製法門外不出なのはともかく、次世代に残していってほしかったな。カルピスやコーラみたいに。
カラダにピース✌️カルピスはうまいね😋上品ます😂😅
本当に昔は「滋養強壮」が飲料や食料品の広告において大事なウエイトを占めているんですね今でもあるのか?クイズで出てきた養命酒や今回のカルピスなどのそういった側面の強い商品はもちろん、赤玉ワインとか私が気に入った「美味滋養スヰートカレー」とか・・・何かにつけて「滋養」「滋養強壮」が強調されているのを見るにつけ、現代の美味しさや食感、食べごたえのみで勝負できる、そんな栄養状況の改善、進化に感謝ですね
ビールとカルピスで検索するとダブルカルチャードなるカクテルが出るので、この手の飲み方は割とあるちなみにコーラとカルピスを混ぜたキューピッドなるものも
渡辺のジュースのもとです。もういっぱい!😊知ってる
今から40年ほど前に奇跡の復刻版が発売されて、実は復刻版のものなら飲んだ事がある その当時から話題だったのか、箱の中にどりこのの本体と立派な小冊子がセットになっていた 味は冷やし飴のような感じの記憶
ちなみに、各種飲料を「金持ちしか飲めない」は言い過ぎです。戦前を過小に見過ぎですよ。当時からアイスケーキや現代と同じヒートポンプ式クーラーは有りましたし、肉もパンもそれなりに食されてました。ラムネに至っては、当時の庶民の定番です。消火に炭酸ガスを多用してたので、炭酸飲料はよくあるものでした。カルピスもどりこのも、当時のお中元やお歳暮、年始挨拶等の程よい定番品で、庶民でも年数回のデパートへの買い出しで調達してました。当然、庶民も頂くもので、頻繁ではありませんが、時々は飲まれてましたよ。喫茶店とかでもね。
どりこの!!のヒゲのおじいさん👴有名ですよね!何度か見た事有ります😮
『伝説の「どりこの」 一本の飲み物が日本人を熱狂させた』(2011年刊行)という本で倉庫に眠ってた「どりこの」を飲んでますね。昭和54年に一度復刻されたということなので、飲んだことある人いるかも?製法は発明者の甥が継承してるようですよ。
昭和45年までは販売後に復刻販売したとか、ウィキより
ディーゼルやダブルカルチャードなんてカクテルあるからビールとも合いそうなんだよなグリンピースは小豆がわりだろうか、本当に人気だったのだろうな
今ほど薬事法とかも整備されていないから言いたい放題な宣伝文句が凄く面白い
昔の果物は今のものに比べたら甘みより酸味が強かったし、平成の頭くらいまでは苺も練乳とか掛けないと子供には食べにくい代物だった。甘味がご馳走だった時代の、憧れのハイカラな飲み物って感じ。琥珀色っぽいならハチミツベースのシロップかも知れない。アミノ酸も豊富だしね。
一世を風靡しながらあえなく消えていったどりこの、現代まで生き延びカルピコの名で世界進出まで果たしたカルピス・・どこで差がついた?
まあ濃縮はちみつレモンとかメープルシロップになにか入れた感じがしますね。値段が1円20銭とかだと、1本数千円というところでしょうか。濃縮系飲料ならば、夏に1本買って家族で飲むことができたかも知れませんね。
紙面の広告スペースの大きさから見ても、高い広告料を払っているでしょうから、かなりの売れ行きだったんじゃないかと想像できますね。
12年前に伝説の飲み物どりこのって本が角川書店から出版されていました。図書館で見かけて借りて読んだことがあります。内容は濃かった。
カルピスで(Since) 1919(イクイク)だなんて❤😂
今で言うところの栄養ドリンクなのかな?
色々動画見させていただきました。昔ながらの楽しい茶番でハマりました♫更新、無理の無いように頑張ってくださいね。
滋養というキーワード満載の戦前の飲料たち(ま、森永キャラメルとて『滋養豊富・風味絶佳』と唄っていたし。私は学生時代、『四文字熟語を書きなさい』という問題で是を書いて先生に叱咤と賛美を貰いました)。
カルピスも三ツ矢サイダーと結局はアサヒグループになったと考えると面白いです。
回春補講に無二の需要 に反応したwそれより新聞広告のボカシが気になった。オロナミンCから炭酸を抜いて濃縮したもの、はちみつに生姜を混ぜたもの、高麗人参がはいってるものなどを想像したりする。今なら、品質保持がうるさいからそのままでは販売できないかもしれないな。カルピスの味も昔と変わっちゃったしな。
そもそも「どりこの」なんて当時としては随分キャッチーなネーミング、由来は何なんだろう「どり」はたぶん「ドリンク」として、「この」・・・??
パッと見、スピルカって読んでしまった人いるはず
ミツヤ金線サイダ-の瓶見たことあるわ。雄別炭鉱の廃墟に落ちていたぞ。炭鉱病院の先にあった消防署の跡地の辺りに。今はクマ出るから行けないけど。
まったく消化がいらず、直ぐ腸で吸収される糖って、現代の医者が言うには一番アカン飲み物らしい(空腹時)
デイリーポータルZで空き瓶を入手して、パチもんのラベルを自作して再現しています。(空瓶8,000円、中身は蜂蜜)。
昔は冷蔵庫が各家庭に普及しておらず、性能も今とは比べ物にならないほど。なのでジュースは常温でも保存でき、しかも長持ちする濃縮還元タイプが普通でした。80年代辺りから瓶タイプや缶ジュースが普及し始め、ペットボトルになったのは平成に入ってから。
粉ジュースも昭和の中期には同じ理由で人気ありました
瓶ジュースは60年代から普及してましたし、缶ジュースも穴を開けるタイプはその頃からありました。瓶コーラは空き瓶を販売店に持っていったら10円くれました。切り離し式のプルタブは70年代から。切り離さないプルタブが80年代からになります。
出ましたね、幻の飲料「どりこの」。再現出来ないか一生懸命調べ回ってる人も多いようですね。Wikipediaによると甥が製法を受け継いだようですが、秘密主義を貫いていて訊いても駄目だったとか。継承者がしっかりいたのに杜絶したのは余りに惜しい話です。余談ながら長野市には「どりこの焼」という「どりこの」にちなんだらしい回転焼きのお店がありました
🎵レッ、キス、ほほよせてっ!🎶(©️サカモトキゥ) 😂
昔祖父の家に行くと、三ツ矢サイダー飲んでたな〜。酒屋から瓶で定期購入してた。
都内には「どりこの坂」っていう坂がありますね
大正時代生まれの婆ちゃんによく聞いてましたが、やはりこういう嗜好品はお金持ちしか、らしいです。 貧農の娘だった婆ちゃんの話と、はいからさんがとおるの紅緒さんの物語は凄まじくギャップあり! ていうか、「おしん」にハイカラはお菓子や飲み物とか出てこないでしょ?(笑)
あの時代は栄誉失調から脚気で亡くなる人もいたから、滋養強壮って言葉は必須だったんだと思います売れるのに
あまり関係ないけどプラッシーが割と最近製造終了しててショックだった。
うちにある復刻版少年倶楽部昭和八年一月~三月號にも、ぴよぴよ連隊が毎回どりこのを飲んで、試験に合格したり、幅跳びの新記録を出すという内容の広告が掲載されていました。
毎回思いますけど この時代の言葉使い、好きですわ☺️
子供の頃冷蔵庫開けると普通のジュースは無いのにカルピスだけはいつも置いてある謎
16:35どりこの「解せぬ」
幻の飲み物か……。また欲しな、ビートニック・ドライ・ジンジャー!清流茶房の麦茶。
幼い頃に「どりこの◯◯」ってお菓子が駄菓子屋で売っていたんですが、元々は飲料で既にロストテクノロジーと化していたとは…。でも戦前有名だったお菓子が戦災や戦後の混乱で製法が失われてしまった事は少なからずあったようですね。
どりこのは昭和45年まで製造されていたので、戦争で失われたとはまた違うんだよねえ…
味が不明なだけで要するに香料の入ったシロップ以上のものではないように見えるな
毎回笑わせてくれるんだよなぁ~だから、あっと言う間に動画終わってしまう😅
雑感。カルピスが滋強飲料というのは今では意外な感があるけど、食糧事情というか栄養状態が悪かった時代や、その時代に育った人が子育てを終わる辺りまでは牛乳や卵に対する根強い信仰があったんですよ。うちの母親は昭和10年代前半の生まれなんだけど、その信仰があったからか、オイラが子供の頃風邪をひいたら大抵ミルクセーキを飲まされたもの。講談社だけでなく戦前の大手出版社の多くは、「代理部」という形で通販事業を営んでいたようです。「どりこの」の場合は当時の講談社お得意のど派手な宣伝が功を奏して人気商品になった、という側面もあるみたい。
どりこのよりカルピスの方が美味しいっておばあちゃんが生きてた頃言ってたなーヤクルトに少し味が似てるらしい。おばあちゃんは庶民だったけど、なんかお歳暮とかお中元で貰う定番だったみたいよ。カルピスも昔はそうだったし。
昭和7年は全く知らん初めて見るばかりだよ
陸軍の「軍隊調理法」に「カルピス樣飮料」のレシピがありますね😊ガッツリ昭和のチビ時代、カルピスは御中元で親が頂き、もったいないから薄ーくして飲んでましたね🤣
8倍希釈が当たり前でどこの友達の家なら濃ゆいカルピスを出してくれるかとかどこそこにカルピスがお中元で来てた。とか情報交換してましたね。
@@ふきのとう-v1o さん 分かる🤣‼️😆👍✨
カルピスウォーターが発売された時、「真面目に黄金比」かと思った。この黄金比、家庭では再現不能かと思う。あと、高校時代に理科の教師が話していたけど、ビール製造会社ってサイダーを作っているけど、ビールの製造過程で二酸化炭素が発生するらしく、その二酸化炭素を使って炭酸飲料を作っているらしい。(間違っていたらすんません。)
一応どりこのの瓶は極小数ですが残っているようなので今なら科学調査で味や作り方の再現できるかもしれませんね
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カルピスの黒人キャラクターを不謹慎扱いするのは
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不可思議なのは、製造は高橋氏がひとりで行っていて量産化は断っていたから製法は高橋氏(と高橋氏の甥)しか知らないとされていながら、販売数は昭和6年だけで450ml瓶のどりこのを220万本も売ってること。220万本を365日無休で製造しても1日あたり平均6,000本を製造してたことになる。これはひとりで作れる量とは思えない。
むかーし(40年くらい前)高校の部活で作ろうとした事があります。
正解がわからないのでちゃんとできたかわからないのですが、おいしい飲み物ができました。
「どりこの饅頭」は今でも北海道の芦別市で未だに販売されています
最初の頃は「どりこの」の液体を案に混ぜていたそうで、「どりこの」そのものが高いので庶民に手が入らなかったから手軽に「どりこの」成分を食して欲しいとの意味合いで作ったそうで、芦別は炭鉱町だったから滋養強壮には丁度良かったんじゃないかとの事
今は当然「どりこの」液体は入ってないものの、制作当初と味は変わらず美味しいとの事です
コーラを濃縮して、カルピスぽくしたら どりこの になりそう。
そう言えば、昔はビンが2本化粧箱に入った『お歳暮』用のカルピスあったもんな。
確かにカルピスは高級品だったな。
広告の爺さんが田中正造みたいだな。
カルピスなんか高くて粉末オレンジを水に溶いたものしかなかった
大正から昭和初期は現代人が思うより遥かに社会全体が豊かだったそうですよ。
貧富とか身分の差は今とは質が違うにしても、物流も改善されて、かなり現代に近い。むしろ戦後の方が貧しかった(戦後すぐではなく)とも。
戦争に負けたことで、戦災でそれ以前と以後に断絶が生じたとも思いますよ。
カルピス系の乳酸飲料では、森永コーラス、不二家ミルトンも見ないから絶滅したんでしょうね😢
どりこの
どこをどう張り倒したら、そんな珍妙な言葉が出てくるのか不思議でなりませんわ!
3:25ドーマポ体液ルーオタビってなんか卑猥 ww
安いと広告で二度も押してるカルピスでも当時は高級品だもんな
今まで残ってる飲料ってやっぱすごいな
うちの母(故人)高校卒業後(昭和30年代中頃)に、どりこのの開発者高橋博士のお屋敷にお手伝いさんでバイトに行っていたそうです。
この頃の日本はまだあまり戦争の影が無くて、明るい雰囲気なのが良いですね
オレンジカルピスって有ったよね。
ぶどうもありましたね。
こういう知識を見つけては
じいちゃんばあちゃんに聞くのが楽しいんだわ
当時のイチゴってあんまり甘くなかったもんねぇ
6:46 の後にトロピカーナの広告動画が入ってきて「違う、そうじゃない」ってなった
どりこのを追跡調査した書籍で知りました。
講談社が独占販売していた清涼飲料で、砂糖から精製したそうです。
開発者亡きあとは甥の方が製法を引き継いでいたそうですが、この方は製法を明かさないまま亡くなられ、どりこのの再現は不可能となったそうです。
現在も講談社にはどりこののサンプルが存在しているそうですが、あれほど一世を風靡した代物が今は忘れ去られているのも凄い話です。
どりこの 450ml 1円20銭
昭和5年の物価は
米の価格で比較すると約2500倍なので現在の物価に換算すると約3000円
当時の庶民 小作農や工員(中卒 月給35円)などには無縁とは言わないまでもとても贅沢な物だったでしょうね。
華族 地主 財閥など富裕層だけの物だったのでは
カルピスはまさに幼少期の思い出の味です。盆正月におばあちゃんちに行くと必ずガラス瓶入りのカルピスが冷蔵庫に冷やしてあって、それを氷と水で割って飲む…というのが最高の贅沢でした。贈答用で頂いていたみたいですね。昭和の頃は一般家庭で気軽に買って飲むものではなかったんです笑
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「どりこの」は、「消化不要」というところをみると、現代のドリンク剤のはようなものだったのではないでしょうか?
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昭和5年生まれの亡き父が戦前の少年倶楽部の復刻版を持っていて
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貴重な広告と解説ありがとうございました。
カルピスのそっくりさんで、コーラスってのもあったと思う。
当時は瓶入りで栓抜きで開けるが、包装紙を外すか外さないかは各々家族ルールだったよね。
他には「ミルトン」(乳児器具用消毒剤では無い)というのもありました。
どりこのの話を聞いていると、比較的最近の話だと駄菓子の梅ジャムなんかがそうだけど、意外とこういうものは簡単に散逸してしまうんだな。
むしろ、カルピス菌の原液が無くなってしまったらもう作れないと言われているカルピスがよく戦争を乗り越えられたなと思う。
カルピス瓶入りのがなくなったのが残念
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もし今もどりこのが生き残ってたら、レッドブルやモンスターに対抗し得る【ノンカフェインのエナジードリンク】になってただろうな、勿体無い😢😢😢
昔の商品広告特有のちょっと大仰で独特の言い回しの宣伝文句、クセになる
ドクターなんちゃらってあったなぁ。味は水薬に炭酸が入った感じ。どりこのって養命酒みたいな物では?
滋養強壮…今で言ったらレッドブルやモンエナみたいな感覚だったのかね。
幻の飲み物…
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この当時の三ツ矢サイダーのポスターを所有していますが、サイダーと並んで、「シトロン」「平野水」の文字が。平野水とは天然の炭酸水のことらしいです。
講談社の本社には、当時の未開封どりこのが保存されているとかされていないとか。
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死んだ爺さんがカルピスを麦茶で割って「どりこ割り」とか言って飲んでたなぁ、もしかしたら似たような味だったのかも
カルピスと三ツ矢サイダー
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10年位前に「どりこの」の解説本が出ましたが出版元はまさかの角川書店
あのKADOKAWAが…
講談社ではなく
ソフトドリンクをジュースと呼ぶ昭和感
70代のじいちゃんは缶コーヒーもお茶も炭酸飲料もひっくるめてみんなジュース
そういえばカルピスはいつから瓶からペットボトルに変わったんだろう……
ほっといたらそのうちどりこの味噌汁とかどりこのすき焼きとか言い出しそうな広告
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当時はまだ皇道派が優先だったから
その当時次長?なる役職で多分陸相に出世したと思われる?今尚226事件と言うと黒幕とされている真崎甚三郎氏?
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東海道新幹線の車内広告でもよく見かけるものでした。
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「上品ます」は誤植じゃなくて「上品増す」ですね。
文字数制限のある電報等では定番の言い回し、かつ、柔らかく表現するため、ひらがなで書いたと思われます。
そこは空飛ぶ幽霊船のボアジュースでは?🤣。瓶のスピルカでは?。黒人キャラですね🥶。昭和45年産まれの私が小さい時にはお誕生日や〇〇のお祝い。病気の時などカルピスは飲めましたが普段から気軽には飲んでないし。お歳暮でカルピスの詰め合わせ、缶詰の詰め合わせの時代でしたから😢。となりの便秘にラキサール?の方が気になったりして😑お通じによく効いたのかな?。レッキス?知らないです。でも駄菓子屋にも名前忘れましたが?カルピスに似たジュースありましたよ🤔。とりこの?😳知らない〜😵。甘酒?養命酒?に近いのかな?。(言葉の癖が強いから飲むとお腹壊しそう?🥶)。頭のハッキリしないと時?最初のコカ入りコーラ😱?。甘いのかな?蜜豆&アイス?。レモンアイス?ようは冷たいと言う事ね!!。連想クイズ?😵💫。あやふや!抽象的で判らないよ〜!。ビール?😅ホッピー?。とりこのをご飯にかけて食べて…😆。豆腐にかけて!。饂飩にかけて🤣気が付いたら甘いの冷たいの飲み過ぎ食べ過ぎてお腹ピー🥳。勿体ないな~とりこのは駄菓子屋とかに引き継いで欲しいかったですね🤪。探偵ナイトスクープに依頼してちょ〜😁🤗
カルピスのこのキャラクターは、ムーミンやハイジのTV放送の時には出てきてましたね。まだこのころのアニメシリーズはカルピス劇場でした。ハウス劇場になったのはいつごろからだろう。
ハウス名作劇場になったのは昭和54(1979)年の『赤毛のアン』からだそうですよ。
森永キャラメルもこのころすでにあったはず。どりこのですが、主成分がブドウ糖と砂糖って説もあって、すると一部成分をカラメル化させて、香ばしい香りをつけたものだったりするのかな?液色も黄金色だったらしいですし。
どりこのは細川貂々さんの本で瓶の話が出ていたのでどんな味か気になっていました。
展開レシピで想像するにメイプルシロップみたいな気がします。
昔の飲食については現代人と変わらない料理が提供されていたとの証言があり、繊細な日本人の舌はむしろ舶来の味なんか興味深々で受け入れられてた可能性があります。
ざっと調べてみたけど蔗糖をベースにグルタミン酸の力で加水分解してブドウ糖果糖の転化糖を作り出し
その反応過程で発生した香味とメイラード着色で黄金色になった香り高い糖飲料というような体でした
成分的には同量程度の果糖とブドウ糖と反応残りのわずかな蔗糖とこれまた残りのグルタミン酸と反応で発生した香味と色になりますね
おいしそうな印象ですがこれを滋養飲料とは当時の基準ではそうなのかもしれませんね
特許から製法を推定したサイトを読みましたが、仮にこの現代に製法が伝えられていた場合に継続的に売れたかどうかは意見が分かれるだろうなと思いました。
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本当に昔は「滋養強壮」が飲料や食料品の広告において大事なウエイトを占めているんですね
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ビールとカルピスで検索するとダブルカルチャードなるカクテルが出るので、この手の飲み方は割とある
ちなみにコーラとカルピスを混ぜたキューピッドなるものも
渡辺のジュースのもとです。もういっぱい!😊知ってる
今から40年ほど前に奇跡の復刻版が発売されて、実は復刻版のものなら飲んだ事がある
その当時から話題だったのか、箱の中にどりこのの本体と立派な小冊子がセットになっていた
味は冷やし飴のような感じの記憶
ちなみに、各種飲料を「金持ちしか飲めない」は言い過ぎです。
戦前を過小に見過ぎですよ。
当時からアイスケーキや現代と同じヒートポンプ式クーラーは有りましたし、肉もパンもそれなりに食されてました。
ラムネに至っては、当時の庶民の定番です。
消火に炭酸ガスを多用してたので、炭酸飲料はよくあるものでした。
カルピスもどりこのも、当時のお中元やお歳暮、年始挨拶等の程よい定番品で、庶民でも年数回のデパートへの買い出しで調達してました。
当然、庶民も頂くもので、頻繁ではありませんが、時々は飲まれてましたよ。
喫茶店とかでもね。
どりこの!!のヒゲの
おじいさん👴有名ですよね!何度か見た事有ります😮
『伝説の「どりこの」 一本の飲み物が日本人を熱狂させた』(2011年刊行)という本で倉庫に眠ってた「どりこの」を飲んでますね。
昭和54年に一度復刻されたということなので、飲んだことある人いるかも?
製法は発明者の甥が継承してるようですよ。
昭和45年までは販売後に復刻販売したとか、ウィキより
ディーゼルやダブルカルチャードなんてカクテルあるからビールとも合いそうなんだよな
グリンピースは小豆がわりだろうか、本当に人気だったのだろうな
今ほど薬事法とかも整備されていないから言いたい放題な宣伝文句が凄く面白い
昔の果物は今のものに比べたら甘みより酸味が強かったし、平成の頭くらいまでは苺も練乳とか掛けないと子供には食べにくい代物だった。
甘味がご馳走だった時代の、憧れのハイカラな飲み物って感じ。
琥珀色っぽいならハチミツベースのシロップかも知れない。
アミノ酸も豊富だしね。
一世を風靡しながらあえなく消えていったどりこの、現代まで生き延びカルピコの名で世界進出まで果たしたカルピス・・どこで差がついた?
まあ濃縮はちみつレモンとかメープルシロップになにか入れた感じがしますね。
値段が1円20銭とかだと、1本数千円というところでしょうか。
濃縮系飲料ならば、夏に1本買って家族で飲むことができたかも知れませんね。
紙面の広告スペースの大きさから見ても、高い広告料を払っているでしょうから、かなりの売れ行きだったんじゃないかと想像できますね。
12年前に伝説の飲み物どりこのって本が角川書店から出版されていました。
図書館で見かけて借りて読んだことがあります。
内容は濃かった。
カルピスで
(Since) 1919(イクイク)
だなんて❤😂
今で言うところの栄養ドリンクなのかな?
色々動画見させていただきました。
昔ながらの楽しい茶番でハマりました♫
更新、無理の無いように頑張ってくださいね。
滋養というキーワード満載の戦前の飲料たち(ま、森永キャラメルとて『滋養豊富・風味絶佳』と唄っていたし。私は学生時代、『四文字熟語を書きなさい』という問題で是を書いて先生に叱咤と賛美を貰いました)。
カルピスも三ツ矢サイダーと結局はアサヒグループになったと考えると面白いです。
回春補講に無二の需要 に反応したw
それより新聞広告のボカシが気になった。
オロナミンCから炭酸を抜いて濃縮したもの、はちみつに生姜を混ぜたもの、高麗人参がはいってるものなどを想像したりする。
今なら、品質保持がうるさいからそのままでは販売できないかもしれないな。
カルピスの味も昔と変わっちゃったしな。
そもそも「どりこの」なんて当時としては随分キャッチーなネーミング、由来は何なんだろう
「どり」はたぶん「ドリンク」として、「この」・・・??
パッと見、スピルカって読んでしまった人いるはず
ミツヤ金線サイダ-の瓶見たことあるわ。雄別炭鉱の廃墟に落ちていたぞ。炭鉱病院の先にあった消防署の跡地の辺りに。今はクマ出るから行けないけど。
まったく消化がいらず、直ぐ腸で吸収される糖って、現代の医者が言うには
一番アカン飲み物らしい(空腹時)
デイリーポータルZで空き瓶を入手して、パチもんのラベルを自作して再現しています。(空瓶8,000円、中身は蜂蜜)。
昔は冷蔵庫が各家庭に普及しておらず、性能も今とは比べ物にならないほど。
なのでジュースは常温でも保存でき、しかも長持ちする濃縮還元タイプが普通でした。
80年代辺りから瓶タイプや缶ジュースが普及し始め、ペットボトルになったのは平成に入ってから。
粉ジュースも昭和の中期には同じ理由で人気ありました
瓶ジュースは60年代から普及してましたし、缶ジュースも穴を開けるタイプはその頃からありました。瓶コーラは空き瓶を販売店に持っていったら10円くれました。切り離し式のプルタブは70年代から。切り離さないプルタブが80年代からになります。
出ましたね、幻の飲料「どりこの」。再現出来ないか一生懸命調べ回ってる人も多いようですね。Wikipediaによると甥が製法を受け継いだようですが、秘密主義を貫いていて訊いても駄目だったとか。継承者がしっかりいたのに杜絶したのは余りに惜しい話です。余談ながら長野市には「どりこの焼」という「どりこの」にちなんだらしい回転焼きのお店がありました
🎵レッ、キス、
ほほよせてっ!🎶
(©️サカモトキゥ) 😂
昔祖父の家に行くと、三ツ矢サイダー飲んでたな〜。酒屋から瓶で定期購入してた。
都内には「どりこの坂」っていう坂がありますね
大正時代生まれの婆ちゃんによく聞いてましたが、やはりこういう嗜好品はお金持ちしか、らしいです。 貧農の娘だった婆ちゃんの話と、はいからさんがとおるの紅緒さんの物語は凄まじくギャップあり! ていうか、「おしん」にハイカラはお菓子や飲み物とか出てこないでしょ?(笑)
あの時代は栄誉失調から脚気で亡くなる人もいたから、滋養強壮って言葉は必須だったんだと思います売れるのに
あまり関係ないけどプラッシーが割と最近製造終了しててショックだった。
うちにある復刻版少年倶楽部昭和八年一月~三月號にも、ぴよぴよ連隊が毎回どりこのを飲んで、試験に合格したり、幅跳びの新記録を出すという内容の広告が掲載されていました。
毎回思いますけど この時代の言葉使い、好きですわ☺️
子供の頃冷蔵庫開けると普通のジュースは無いのにカルピスだけはいつも置いてある謎
16:35
どりこの「解せぬ」
幻の飲み物か……。また欲しな、ビートニック・ドライ・ジンジャー!清流茶房の麦茶。
幼い頃に「どりこの◯◯」ってお菓子が駄菓子屋で売っていたんですが、元々は飲料で既にロストテクノロジーと化していたとは…。でも戦前有名だったお菓子が戦災や戦後の混乱で製法が失われてしまった事は少なからずあったようですね。
どりこのは昭和45年まで製造されていたので、戦争で失われたとはまた違うんだよねえ…
味が不明なだけで要するに香料の入ったシロップ以上のものではないように見えるな
毎回笑わせてくれるんだよなぁ~
だから、あっと言う間に動画終わってしまう😅
雑感。
カルピスが滋強飲料というのは
今では意外な感があるけど、
食糧事情というか栄養状態が悪かった時代や、
その時代に育った人が子育てを終わる辺りまでは
牛乳や卵に対する根強い信仰があったんですよ。
うちの母親は昭和10年代前半の生まれなんだけど、
その信仰があったからか、
オイラが子供の頃風邪をひいたら大抵ミルクセーキを飲まされたもの。
講談社だけでなく
戦前の大手出版社の多くは、
「代理部」という形で
通販事業を営んでいたようです。
「どりこの」の場合は
当時の講談社お得意のど派手な宣伝が功を奏して
人気商品になった、という側面もあるみたい。
どりこのよりカルピスの方が美味しいっておばあちゃんが生きてた頃言ってたなー
ヤクルトに少し味が似てるらしい。
おばあちゃんは庶民だったけど、なんかお歳暮とかお中元で貰う定番だったみたいよ。カルピスも昔はそうだったし。
昭和7年は全く知らん初めて見るばかりだよ
陸軍の「軍隊調理法」に「カルピス樣飮料」のレシピがありますね😊ガッツリ昭和のチビ時代、カルピスは御中元で親が頂き、もったいないから薄ーくして飲んでましたね🤣
8倍希釈が当たり前でどこの友達の家なら濃ゆいカルピスを出してくれるかとかどこそこにカルピスがお中元で来てた。とか情報交換してましたね。
@@ふきのとう-v1o さん 分かる🤣‼️😆👍✨
カルピスウォーターが発売された時、「真面目に黄金比」かと思った。
この黄金比、家庭では再現不能かと思う。
あと、高校時代に理科の教師が話していたけど、ビール製造会社ってサイダーを
作っているけど、ビールの製造過程で二酸化炭素が発生するらしく、
その二酸化炭素を使って炭酸飲料を作っているらしい。
(間違っていたらすんません。)
一応どりこのの瓶は極小数ですが残っているようなので今なら科学調査で味や作り方の再現できるかもしれませんね