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こんばんは🌙😃❗岡山電気軌道の動画見させ貰いました。自分もかなり昔に一度岡山駅前~東山間を往復しましたので、懐かしいかったです。 屋根のパンダの支柱がかなり屋根から高く伸びていたのが印象的でしたね。路面電車が走っている街は何処良いですね😉自分の住んでいる横浜にも昭和47年迄横浜市電が走っていました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。あの個性的なパンタは錘を用いた特殊な構造のようですね。横浜市電はとうの昔に廃止されており、私は幼少期に乗った記憶が微かにあるだけですが、廃止後に滝頭の市電館に行ったことがあります。これを書いていて、市電館に久々に行きたくなってきました。
岡山電気軌道さんは、かなり遅くまで「単車(台車一台)」が残っていた会社としても有名ですが、現在はあの会社再建で有名な両備バスグループになられているようですね。さて、パンタグラフの話が出ていますが、このパンタグラフは世界にただ一つの「錘方式」で、通常の菱形パンタはバネか空気圧で架線にテンションをかけますが、この櫓の上にあるパンタグラフは、菱形の延長線上に錘がついており、その力を利用して架線にテンションをかけています。多分、初代社長と思われる方が発明されたとかで、メリットは架線へのテンションがやさしいので、架線のメンテナンスが楽だとか。両備バスさんの広報の方も正しく把握されていないようなので、だんだん知る人が少なくなって来てるのでしょうか?また、新造車は通常の菱形パンタだったり、チャギントン電車はシングルアームパンタを採用していますので、今後はどうなるか?というところです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。あの個性派パンタにつき詳しく解説いただき恐縮です。初代社長が発明されたというのは知りませんでした。長く使われているので実際にメリットがあるのでしょうね。このパンタも、仰るように9200形では使用されなくなりましたが、機能というよりデザイン面の理由からかもしれません。
特徴的なパンタグラフが目に付きますね。この時代はバスも格好良かったです。今はわけわからないラッピングだらけの四角い箱ばかり。...東芝のβというとビュースターですか。BD-5が格納庫を飛び抜けるCMが未だに忘れられません。
草刈正雄さんが「ウルトラマン。ありがとう。」♪き〜たぞ われら〜の ビュ〜スタァ〜
あのCMの動画上がってますね。ちなみに我が家はマックロード廉価版でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。岡山電軌といえば、当時も個性的なパンタが有名でした。当時は、電車もバスも判りやすい塗分け・カラーリングの時代でした。仰るように今は何が何だか解らない車輛もありますよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。我が家では、SONYのβのあと東芝のビュースターも追加導入しました。若い方々は、β対VHS戦争どころか、そもそもビデオデッキというものをご存知ないでしょうね。それがある年代以上では、結構盛り上がるネタだったりします(笑)。
レーザーディスクすら昭和の遺物と化してますからね。親父がビデオどころかエルモの8mmカメラと映写機を持ってました。月イチぐらいで家庭映写会(笑)
岡山電気軌道も東武日光軌道線の3000形が結構残ってましたが、多くは7900形に更新され、現在は2両が残るだけです。廃車になった3009は栃木県内、3010は東武日光駅前で保存されてます。今じゃここはおかでんメチャンギントンまで走るようになりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。現存3000形のうち1両は、日光軌道線時代の塗装になっているようですね。末長く活躍して欲しいものです。
正真正銘の国鉄バス。今も大活躍中の薬師丸ひろ子さんの広告。リッカーミシンの看板…。廃車された1両は日光に里帰りしたみたいですね。正面2枚窓。主様の好きな湘南形ですねえ。追伸、映画看板の左隅に、名作中の名作、「砂の器」がありますよ😮
確か日光へ里帰りしたのが3010号車でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。はい湘南形承知しております(笑)。いずれ、「湘南形」の路面電車編も動画にまとめようと思います。「砂の器」は確か '70年代の映画なので、あの映画看板は何度目かのリバイバル上映ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。日光へ里帰りしたのは、この動画に写っている3010号なのですね!あと、岡電に残った3005号は日光色になっているようですね。
大変すみません。ところどころに写り込む懐かしい昭和のバス🚌達に目👀がいってしまい、路面電車🚋は、ほとんど見ていません😅。それにしても、あの頃のトラック🚚やバス🚍や鉄道車両は、みんな優しいお顔をしていましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ここ岡山では、ホント次から次に様々なバスが現れますね。もし「昭和バスCH」のようなチャンネルが存在するなら、そこでいろいろ解説して欲しいところです。乗り物の顔については同感です。昔はそれぞれ個性があり、親しみやすい顔をしていましたね。
昭和50年代,所用で度々岡山市を訪れたが表町商店街がメインだったので路面電車は乗らずじまいでした(徒歩往復)😭市内電車が元日光軌道線であった事実を今回初めて知り驚き,かつ深く感じ入りました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。せっかく路面電車があっても、路線が少ないために使用しない(できない)ということはありますよね。函館は路線が減ってしまいましたし、路線網と呼べるものがあるのは広島や長崎くらいでしょうね。
過去の岡山のバス多すぎ問題みたいのを扱った他所のチャンネルで見てましたので、なるほどバスだらけだなぁ~と(笑)日光軌道は日光駅での保存車両しか見た事ありませんでしたので、実働は初めて見ました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。岡山のバス多過ぎ問題(笑)というのがあるのですね。日光軌道線には同じ顔の連接車もいたはずですが、岡山に来たのは1両の車輛だけでした。
@@昭和電車チャンネルさん八晃が要らん事しなければ‥‥‥‥‥
櫓パンタを載せて岡山で活躍した元東武車に このあと水戸岡先生の手が入るとは思わなかった。 そしてその元東武車も半世紀以上もあとになって かつての県都宇都宮に『路面電車』が出来るなんて思ってなかったでしょうね。尚 別に貼り付けたリンクの動画は怪しいものではありません。コメント付きで貼り付けたら なぜか削除されてしまったので🙇西参道駅(停留所)に映っていた 帽子と眼鏡の紳士は 動画の撮影者の故 萩原二郎さんだと思われます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。3007の「KURO」号ですね。やっと開業できた宇都宮ライトレールですが、路面電車の「新規路線」というのはホント画期的ですよね。見れておりませんが、リンクの動画は速攻で削除されたのでしょうか・・・
@@昭和電車チャンネル さんありゃりゃ?こちらには残っているので 大丈夫かと思ったのですが そうでしたか。大変失礼致しました🙇(では ふた月程前に貼り付けた江ノ電800形の 山梨交通時代の動画も観られなかったのかな😥?)お手数ですが『昭和時代 鉄道記録映像 30』『東武電車 日光軌道線 営業廃止 8ミリフィルム』で RUclips検索してみてください🙇💦日光軌道線現役時代のカラー映像が観られます。
なつかしい岡山(元県民)この時代は片上鉄道、下津井電鉄が健在でした。岡山臨海鉄道もあったかな?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時、片上鉄道と下津井電鉄は仰るように健在で、それぞれ訪問時の撮影映像を等チャンネルで動画公開しております。その訪問時は、残念ながら岡山臨港の廃止直後だったようです。
岡山電気軌道は、現在は両備グループの企業なんですけど!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。両備グループはバス事業にとどまらず、タクシーや汽船,フェリー事業まで傘下にあって凄い規模ですね! ダイカスト製品や工具の「リョービ」とは無関係のようですが。
こんばんは🌙😃❗
岡山電気軌道の動画見させ貰いました。
自分もかなり昔に一度岡山駅前~東山間を往復しましたので、懐かしいかったです。
屋根のパンダの支柱がかなり屋根から高く伸びていたのが印象的でしたね。
路面電車が走っている街は何処良いですね😉自分の住んでいる横浜にも昭和47年迄横浜市電が走っていました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
あの個性的なパンタは錘を用いた特殊な構造のようですね。横浜市電はとうの昔に廃止されており、私は幼少期に乗った記憶が微かにあるだけですが、廃止後に滝頭の市電館に行ったことがあります。これを書いていて、市電館に久々に行きたくなってきました。
岡山電気軌道さんは、かなり遅くまで「単車(台車一台)」が残っていた会社としても有名ですが、現在はあの会社再建で有名な両備バスグループになられているようですね。
さて、パンタグラフの話が出ていますが、このパンタグラフは世界にただ一つの「錘方式」で、通常の菱形パンタはバネか空気圧で架線にテンションをかけますが、この櫓の上にあるパンタグラフは、菱形の延長線上に錘がついており、その力を利用して架線にテンションをかけています。
多分、初代社長と思われる方が発明されたとかで、メリットは架線へのテンションがやさしいので、架線のメンテナンスが楽だとか。
両備バスさんの広報の方も正しく把握されていないようなので、だんだん知る人が少なくなって来てるのでしょうか?
また、新造車は通常の菱形パンタだったり、チャギントン電車はシングルアームパンタを採用していますので、今後はどうなるか?というところです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
あの個性派パンタにつき詳しく解説いただき恐縮です。初代社長が発明されたというのは知りませんでした。長く使われているので実際にメリットがあるのでしょうね。このパンタも、仰るように9200形では使用されなくなりましたが、機能というよりデザイン面の理由からかもしれません。
特徴的なパンタグラフが目に付きますね。
この時代はバスも格好良かったです。
今はわけわからないラッピングだらけの四角い箱ばかり。
...東芝のβというとビュースターですか。BD-5が格納庫を飛び抜けるCMが未だに忘れられません。
草刈正雄さんが「ウルトラマン。ありがとう。」
♪き〜たぞ われら〜の ビュ〜スタァ〜
あのCMの動画上がってますね。
ちなみに我が家はマックロード廉価版でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
岡山電軌といえば、当時も個性的なパンタが有名でした。当時は、電車もバスも判りやすい塗分け・カラーリングの時代でした。仰るように今は何が何だか解らない車輛もありますよね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
我が家では、SONYのβのあと東芝のビュースターも追加導入しました。若い方々は、β対VHS戦争どころか、そもそもビデオデッキというものをご存知ないでしょうね。それがある年代以上では、結構盛り上がるネタだったりします(笑)。
レーザーディスクすら昭和の遺物と化してますからね。
親父がビデオどころかエルモの8mmカメラと映写機を持ってました。
月イチぐらいで家庭映写会(笑)
岡山電気軌道も東武日光軌道線の3000形が結構残ってましたが、多くは7900形に更新され、現在は2両が残るだけです。廃車になった3009は栃木県内、3010は東武日光駅前で保存されてます。今じゃここはおかでんメチャンギントンまで走るようになりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
現存3000形のうち1両は、日光軌道線時代の塗装になっているようですね。末長く活躍して欲しいものです。
正真正銘の国鉄バス。今も大活躍中の薬師丸ひろ子さんの広告。リッカーミシンの看板…。廃車された1両は日光に里帰りしたみたいですね。正面2枚窓。主様の好きな湘南形ですねえ。
追伸、映画看板の左隅に、名作中の名作、「砂の器」がありますよ😮
確か日光へ里帰りしたのが3010号車でしたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
はい湘南形承知しております(笑)。いずれ、「湘南形」の路面電車編も動画にまとめようと思います。「砂の器」は確か '70年代の映画なので、あの映画看板は何度目かのリバイバル上映ですね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
日光へ里帰りしたのは、この動画に写っている3010号なのですね!
あと、岡電に残った3005号は日光色になっているようですね。
大変すみません。ところどころに写り込む懐かしい昭和のバス🚌達に目👀がいってしまい、路面電車🚋は、ほとんど見ていません😅。
それにしても、あの頃のトラック🚚やバス🚍や鉄道車両は、みんな優しいお顔をしていましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ここ岡山では、ホント次から次に様々なバスが現れますね。もし「昭和バスCH」のようなチャンネルが存在するなら、そこでいろいろ解説して欲しいところです。乗り物の顔については同感です。昔はそれぞれ個性があり、親しみやすい顔をしていましたね。
昭和50年代,所用で度々岡山市を訪れたが表町商店街がメインだったので路面電車は乗らずじまいでした(徒歩往復)😭市内電車が元日光軌道線であった事実を今回初めて知り驚き,かつ深く感じ入りました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
せっかく路面電車があっても、路線が少ないために使用しない(できない)ということはありますよね。函館は路線が減ってしまいましたし、路線網と呼べるものがあるのは広島や長崎くらいでしょうね。
過去の岡山のバス多すぎ問題みたいのを扱った他所のチャンネルで見てましたので、なるほどバスだらけだなぁ~と(笑)
日光軌道は日光駅での保存車両しか見た事ありませんでしたので、実働は初めて見ました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
岡山のバス多過ぎ問題(笑)というのがあるのですね。日光軌道線には同じ顔の連接車もいたはずですが、岡山に来たのは1両の車輛だけでした。
@@昭和電車チャンネルさん
八晃が要らん事しなければ‥‥‥‥‥
櫓パンタを載せて岡山で活躍した元東武車に このあと水戸岡先生の手が入るとは思わなかった。
そしてその元東武車も半世紀以上もあとになって かつての県都宇都宮に『路面電車』が出来るなんて思ってなかったでしょうね。
尚 別に貼り付けたリンクの動画は怪しいものではありません。
コメント付きで貼り付けたら なぜか削除されてしまったので🙇
西参道駅(停留所)に映っていた 帽子と眼鏡の紳士は 動画の撮影者の故 萩原二郎さんだと思われます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
3007の「KURO」号ですね。やっと開業できた宇都宮ライトレールですが、路面電車の「新規路線」というのはホント画期的ですよね。見れておりませんが、リンクの動画は速攻で削除されたのでしょうか・・・
@@昭和電車チャンネル さん
ありゃりゃ?
こちらには残っているので 大丈夫かと思ったのですが そうでしたか。大変失礼致しました🙇
(では ふた月程前に貼り付けた江ノ電800形の 山梨交通時代の動画も観られなかったのかな😥?)
お手数ですが『昭和時代 鉄道記録映像 30』『東武電車 日光軌道線 営業廃止 8ミリフィルム』で RUclips検索してみてください🙇💦
日光軌道線現役時代のカラー映像が観られます。
なつかしい岡山(元県民)
この時代は片上鉄道、下津井電鉄が健在でした。
岡山臨海鉄道もあったかな?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時、片上鉄道と下津井電鉄は仰るように健在で、それぞれ訪問時の撮影映像を等チャンネルで動画公開しております。その訪問時は、残念ながら岡山臨港の廃止直後だったようです。
岡山電気軌道は、現在は両備グループの企業なんですけど!
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
両備グループはバス事業にとどまらず、タクシーや汽船,フェリー事業まで傘下にあって凄い規模ですね! ダイカスト製品や工具の「リョービ」とは無関係のようですが。