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子供の頃、四国の祖父が迎えに来て「急行鷲羽」で宇野にて「宇高連絡船」に乗り換えました。船内のうどん屋さんの出汁の香りが忘れられません。高松からの蒸気機関車も良き思い出です。
宇高連絡船を経験している世代の者ですが、今の宇野駅を見ると面影が無さすぎて愕然としますね…… 本当に賑やかな駅だったんですよ。瀬戸大橋前年に走った備讃ライナーは9両編成でその長さにビビった記憶がありますw
「UNO言い忘れたらもう一泊分料金」で爆笑してしまったwwこういう小ネタ挟んでもらえるとより記憶に残るのでどんどん関係ない話もしてほしいです!
西園寺氏のIQは160あると思うし、メンサに入れるはず
uno言うと割引券もらえるとか、ドリンクサービスとかはあってもいいかも‼️
まひるさんといえば私の中ではアイカツの真昼ちゃんと和歌山県の紀伊由良を関連付け
山田君、座布団1枚!
サムネ見て宇野駅だと思いました瀬戸大橋線沿線民です!宇野を取り上げてくださってありがとうございます!自分はマリンライナーを岡山と最寄り駅までの区間でしか基本乗らないので、宇野にはあまり行きませんが、昔は宇野までマリンライナーの前身の快速が走っていたのだと思うとマリンライナーに乗るのも感慨深いです!
サムネイルだけで良く分かりましたね!一度見ただけでは全然分かりませんでした!
@@youwata172 213系と1面2線のホーム、サムネの文字から宇野だとわかりました!
@@motchan0711 僕は分かりませんでした^_^;
早くも宇野駅行ってきたんですね。近くの温泉がめちゃくちゃよかったです。
こういう所で、歴史の1ページになっている人たちと、想い出の1ページになっている人たちの対比が見れるのが、良いですね。
宇野駅もなかなか儚い歴史があるんですね…!そのターミナルの面影も栄光もかつてのものになってしまいましたが、遺構を残していただいて嬉しいですね…!
誰も気づかない遺構けどね
私が西園寺さんの年齢の頃、一度だけ宇高連絡船に乗ることができました。青函連絡船もです。国鉄→JRの年に大学生になったバブル世代ですが、鉄道マニア的には恵まれた年代かもしれません。
宇野線、直島に行く時に乗りました!このような歴史があるもは驚きです✨今日も楽しい動画をありがとうございます✨今度五能線から北条鉄道に行ったキハ40の動画作ってほしいです
駅に案内があった路線バスは、リクライニングシートの快適な特急バスで運行されております。所要時間・料金もJRと大して違いはなく、本数はJRの倍なので利便性も上々です
宇高連絡船は最終日のさよなら宇高連絡船に乗って高松に渡って宇田津駅前で野宿して高松からの瀬戸大橋線1番列車に乗った思い出があります。それ以前以降と国道フェリーの方は何度も乗っていましたが…駅前といい凄い変わりように時代を感じてしまいました。西園寺さん訪ねていただいてありがとうございました。
昔は宇野駅に着くと、みんな一斉に連絡船へダッシュしてたなぁ〜
213系備讃ライナー(2階建グリーン車無し)は普通車指定席もありました。それ以前は113系の快速でグリーン車(サロ112)も連結されていた時代(京阪神間の快速電車に一部グリーン車が連結されていた時代)もありましたね。
宇野駅取り上げていただきありがとうございます!話が無かったですが、宇野線は途中駅もやたら線路の長さが長くて、長い編成の貨物列車や優等列車がすれ違えるようになってます。関西本線の加茂〜亀山みたいな感じです。宇野駅は、衰退したと言いつつ瀬戸芸のときはまあまあ混みます。特に外国人観光客が多いです。
昔は、東京から特急「富士」、大阪から特急「うずしお」準急→急行「鷲羽」が乗り入れていました新幹線岡山開業時に昼間の列車は、新幹線から快速に乗り換えとなり、優等列車は寝台特急「瀬戸」と、急行「鷲羽」のみとなりました
その鷲羽も夜行やんね
宇野駅 特急バスの案内、時刻も掲示してあるのが良心的!
昔、嫌っちゅうほど乗りました。50年ほど前のことです。西園寺さん、良く調べてくれました。
宇野駅は寝台特急瀬戸号の14両編成がありました。宇高連絡船の廃止後で瀬戸大橋開通後約20年間はフェリー会社3社で1日120往復で24時間体制がありました。高松宇野をフェリーで通勤通学する人もいました。
今すごく賑わっている路線や駅でも、10年後、20年後に「昔はこんなに賑わっていました」って言われる事もあり得ますよね。40年前に北海道周遊券で20日間鉄道に乗りまくっていましたが、利用した路線の半分以上はもう廃線になっています。寂しい限りです。
宇高連絡船、高松側はサンライズ瀬戸に乗った時サンポート高松を見たけど、この動画見て宇野駅側も訪れてみたいと思いました。
玉野市民です。思いっきり地元を取り上げてくれて、ありがとうございます。玉野市に来てくれて嬉しい😆昔の事をよく調べていて、感心しました。
サムネで宇野駅って分かりました。ちなみにですが一時特急うずしおは特急ゆうなぎと言う名前になってた事がありましたね。あと、急行鷲羽も走ってましたね。
寂しくなるような話題でも前向きに捉える西園寺さんいいですね!
渋川の水族館に当時の宇野駅を再現した模型が展示されてて、小学生の頃よく、見入ってた思い出があります。あと宇高国道フェリーで思い出したのが『素敵なことで~』っていうフレーズで始まる曲ととも若者4人が車でフェリー乗ってるcmが印象的でした❗西園寺さん、宇野駅を取り上げてくださりありがとうございました‼️
祖父が宇高連絡船の船員で、昔よく利用してました。電車から連絡船までの通路がめっちゃ長ったのを思い出しました。今の姿が余りにも面影なく(特に宇野駅の駅舎・・・)、少し寂しい気もしますが、そのまま廃れているよりも良かったですね。UNO HOTEL泊りに行こうかな。
西園寺さんも宇野駅に行ってくれた。ありがたいです。今から約40年くらい前は、寝台特急などの優等列車が走っていたから感慨深いです。宇高連絡船の歴史を伝えてくれるモニュメントがあり、過去を知る事が出来る。
以前、スーツさんも訪れて、往時を偲ぶリポートをされてた記憶があります。今となっては模型はとても貴重ですね。。橋が通行止めの際にはまた重要な港なのでしょうか。
一昨年、宇高航路定期便が無くなりました…なので近隣の島しょ部を結ぶのみです。
@@bingosaru そうなのですね。。
直島経由便はいまもありますが直島は精錬所主体の産業の島なので危険物便も多く使えない感じですね。
私は子供のころ宇高連絡船に乗りました、宇野駅から走る人が多かったですよ、😃
宇野駅から連絡船に乗って、高松になんどか行きましたね。連絡船の後ろデッキに讃岐うどんの店があって食べてました。美味しかった。今となっては懐かしい思い出です💛
6:04 JR東海でも2両編成,使われてます!
今でも宇野ー直島ー高松で一応船で渡れるんですよねぇ
宇高連絡船、約40年前徳島に行くのに乗りました♪岡山から赤い汽車?で宇野、船、高松から0番線から阿波号だったかな?
直島が母の故郷やから、電車で行くときは良く宇野を使うなぁ。特に直島は観光地やから、瀬戸内芸術祭の時とかそれなにり宇野も居てる。ちなみに、岡山駅から渋川海岸に行く特急バスが宇野駅、宇野港前に止まるんですけど、ぶっちゃけ電車のほうが早いです。特急って行ってるけど、1時間くらい掛かる。ちなみに、宇野駅の斜めになってるモニュメント、算数か数学の教科書に載ってた。
こんなところに寝台列車があったとは…バスの旅、頑張ってください!
初めて高知に行った時、寝台瀬戸に乗って宇野で連絡船に乗った昔の人です。今でもその時のワクワク感は昨日のことのようです😸寝台はホント旅って感じで大好きな乗り物でした😊
小学校の頃、母親の郷里香川県に行くために東京から寝台特急瀬戸に乗って翌朝宇高連絡船で高松に渡る、という旅をしたことかあります。確かに連絡船までの通路は長かったと記憶しています。一度はホバークラフトに乗船したこともありました。宇野駅でホームに降りてそのまま奥にホバークラフト乗り場だったと記憶しています。
西園寺くんが笑いながら楽しく解説すると日帰り旅行がしたくなります。
分かる、その気持ち。
青森駅が変わった線形してるなと思ったらそういう理由があったのか…
主の過去動画だと函館もそんな感じでしたね
再現模型があったとは...あと、急行「砂丘」もかつては始発駅が宇野でしたね...
国土地理院の地図は昔の状況を調べるのに愛用してます。
1988年は瀬戸大橋と青函トンネルの両方が開通した年。当時RUclipsが存在していたら、鉄道系RUclipsrはこの2か所を動画にしまくって大盛り上がりだったでしょうね。
まさか宇野に来てたとは…!!
西園寺さんと同じ年齢の時、宇高連絡船に乗って四国を一人旅しました。「四国ワイド周遊券」を使いました。名古屋市内からの場合、東海道本線の他、関西本線も利用できたので、名古屋〜奈良間は急行〔かすが1号〕、奈良〜大阪間は快速(まだ、「大和路快速」との愛称は無かったです)で移動しました。大阪〜姫路間は新快速に乗りましたが、複々線の内側線(兵庫以東)、電車線(兵庫以西)を走っていた時代です。宇野駅は通り過ぎただけなので詳しい風景は覚えていませんが、今と違い、栄えていたと思います。
うわーワシは還暦過ぎのジジィ。ばあちゃん家が善通寺やったんで夏休みに大阪から準急鷲羽号ってゆう湘南色の宇野行きに乗って行ってたんです。宇野まで3時間以上かかったと記憶してます。取り上げていただいてありがとうございました😭
1.宇野線は、岡山ー茶屋町にも単線部分はある。2.宇高連絡船は、瀬戸大橋開通以降廃止されている。運航していたのは、高速線のみ。3.宇高連絡船(うこう)、四国急行フェリー(うたかろせん)と言われていた。(宇高国道フェリーを含む)。宇高連絡船が廃止された後は、2社あった。
1970年の大阪万博夜明け前に宇野駅から当時 快速鷲羽に乗って大阪駅まで行きました
宇野港には税関がありましたね
西園寺さんが乗ってきた213系もマリンライナー時代に乗ったことがあります!!
宇野駅からかつてあった宇高連絡船、宇高連絡船が現役だったころに生まれたかったなぁ
まさかの地元を紹介してもらえてありがとうございます。高松行のフェリーが廃止されてさらに寂しくなってしまいましたが、瀬戸芸の時期にまた寄ってみてください。ちなみに銅像の県知事の人が宇野港を開港に導いた玉野にとっては凄い人です。
青森は今でも民間フェリー2社が北海道函館まで運行していますが、宇野は完全に四国への玄関口の役目を終えたという感じですね。
埼玉から50年前、高松迄修学旅行で連絡線で行きました、ただ懐かしいかったです、西園寺さんありがとう☺️
急行鷲羽は、宇野線の誇りです。
宇野駅から玉野競輪に夜道を歩くのはちょっとした肝試しでしたw
宇野みなと線を取材してくださってありがとうございます!瀬戸大橋ができるまでは、今の115系湘南色×12両が快速列車として、岡山から宇野を結んでいました(途中の停車駅は茶屋町のみ)格好よかったな…
これが瀬戸大橋開通と同時に登場した現在の「マリンライナー」にそのまま受け継がれています(JR初日の1987年4月1日から瀬戸大橋開通までのつなぎ役として1年と9日間「備讃ライナー」がその役割を担った)。
@@rhscm989 ありがとうございます!115×12両編成はマリンライナーの先輩で、昔は花形列車だったのですね…「今も花形」とフォローしておきます)繋ぎ役の備讃ライナーが走ったのは、たった1ヶ月ですか?レアな列車でしたね!
@@横須賀軍港めぐり 大変失礼しました。つい先程までは思い込みとして1988年3月13日ダイヤ改正から約1ヶ月間とカキコしていましたが、今しがたWikipediaで調査した結果、正しくはJR初日の1987年4月1日から「備讃ライナー」の運転を開始し、以後瀬戸大橋開業までの1年と9日間だけ「つなぎ列車」として運転したとの誤りでした。この度は誠に申し訳ありませんでした。お詫びして訂正します。
@@rhscm989 わざわざ調べてご親切に教えてくださって、本当にありがとうございました✨鉄オタ知識が増えて嬉しいです!
宇高連絡線、一度だけ乗りました。そんなにウロウロ見学したわけではないので、あまり覚えていませんが、中で関東煮、売ってましたね☺️ちなみに到着駅の高松駅も大幅縮小されていますね。
瀬戸内の雰囲気良いなぁ。同じJR西日本なのに関西圏とは違う時間流れてるみたい。
僕は高校に通うのにまさに今の宇野線を使っていました。その頃の宇野駅は2面3線のホームがあり、一番線が各駅停車、2番線は特急や急行、3番線が快速が発着していました。僕が小学4年に進級する寸前に岡山博多間が開業し、それまであった急行鷲羽もなくなりました。うずしおが走っていたのはもっと前。僕は大学受験に瀬戸乗りましたよ。西園寺くん羨ましかろ😁
宇野駅も今は小豆島への船がアクセスしてるからまた高松への船が再開される事を願うしか無いね…
事細かく調べられていますね。他のRUclipsrさんも多く宇野駅を取り上げられていましたが、西園寺さんが一番詳しく調べられていました。他のRUclipsrさんには捕捉コメをいくつかしましたが、西園寺さんに関しては捕捉が何一つ無かったので、正にアッパレです。
過去に2回、この宇野駅から、連絡船に乗って四国上陸したはずなのですが、全く覚えていません。忘却の彼方です。
急行鷲羽号も走っていましたね。
国土地理院、操車場の跡地見るのによく使ってる
宇野駅着いて、フェリーで行くか連絡船で行くか?なんて会話が懐かしい。
実際に乗った訳ではなく時刻表で見ただけですが、宇高連絡船は瀬戸大橋が出来てからもしばらくは高速艇なるものをJRが運航してたんですよね。すぐに無くなりましたけど…
ホーバクラフトの急行もなくなり高速艇は雇用対策だったらしいですね。あと、元連絡船でクルーズも数年やってました。
宇野線は10年前に乗りました。宇野駅を発車する151系特急「うずしお」を撮影したモノクロ写真が駅舎の壁にかかっていましたが、今もあるのでしょうか。あの写真、よく見ると編成の中に153系が2両挟まっているんですよね。最初は見間違えたかと思ったんですが、何度見返してもあれは153系 (もしくは165系) としか思えませんでした。
宇高連絡船あらためて見ると凄いですね!宇野駅も昔は賑わっていたのが分かりますね。直島はいつか行こうと思ってるのでここはぜひとも隅々まで満喫したい場所ですね✨
瀬戸大橋できてもしばらくは宇高連絡船運行してて、玉野競輪行った時は岡山まで行くより高松行った方が近かったので、高松に宿泊するのに連絡船を使ってました。多分民間のフェリーだったと思います。
宇高航路の定期便を最後まで運航していたのは、日本通運が親会社で運航していたフェリーですね。全廃する直前まで「宇高国道フェリー」と「日通フェリー」の二社体制でしたが、「宇高国道フェリー」が先に航路廃止したかと。私もWINS高松が出来て数回ほど宇高航路にはお世話になりました…当時は瀬戸大橋がバカ高かったですから(汗
東京〜宇野間、寝台特急「瀬戸」は、元々は東京〜宇野間を走る急行「瀬戸」でした。確か客車(一等車、二等車)を併結していて、満席の車両に大阪から宇野まで乗車したのを覚えています。
同志社大学を卒業して就職、最初の勤務地の高松へ赴任した41年前を思い出しました。駅構内をダッシュした懐かしい思い出とともに、時代の流れを感じさせていただき、ありがとうございます。
とても興味深く拝見いたしました宇野駅の売却地、娯楽施設『スペイン村』計画があったのですが中止になりましたね茶屋町から下津井までの下津井電鉄の廃線跡サイクリングロードになっているので訪問していただきたいです
若松駅と似ていますね。筑豊で採れた石炭を船で運び出す貨物ターミナルとして栄え、今はホーム一面のみの終着駅になってます。かつて多数の線路があった場所は閑散とした広場や駐車場になってますが保存された機関車や駅の展示資料がかつての栄光を今世に伝えていました。過去優等列車が発着していたような派手さはありませんが、それとはまた違った趣があるので是非訪れていただきたいです。
国土地理院の地図で新旧比較できるの初めて知りました、便利ですね!また一つ知識を得ました。寝台の発着があったのは知ってましたが産まれた年か…時間の流れは早いですね。その時にハイハイ(赤ちゃんなんで)してでも行きたい!
動画でも紹介されていた第二バース跡の保存活動や、産業振興ビル内の昭和45年当時の模型(私共は立体資料と呼んでいます)を作成している宇高連絡船の航跡を後世に伝える活動をしている者の一人です。RUclipsで紹介頂き、また西園寺さんの様な有名な方にお越し頂き感無量です…!大きなイベントの際には窓枠を取り外し、貨車の積み込みの再現や車両運転も行っておりますので、是非またお越し下さい!
お!地元に来てくれてて嬉しいです笑
一度乗ってみたいな
毎年、夏休みに東京から愛媛に帰るのに乗っていました。岡山から宇野まで1時間。窓を全開にして扇風機がクルクル回るのを見て過ごしました。車窓の左側を見ると、昔は海岸線を走っており、海に浮かぶ小島が30年前は田んぼの中に浮かんで見えたものです。
私の好きな駅!これみてまた行きたくなりました
瀬戸大橋が出来るまでは連絡船やら宇高フェリー、いっぱい乗った50代のオッサンです(笑)宇野、高松間はホーバークラフトも運航してましたね、乗ったことはありませんが。
連絡船があった当時は、眠らない駅前とか、コンビニとか無かった時代でも、遅くまでお店がやっていて、人の通りも多かったんですが、連絡船廃止後、結局、宇高国道フェリーや、四国フェリー等、高松直通便が無くなっていき、フェリーターミナルも寂しい佇まいになってしまいました。
鉄オタからすると線路があったところがひっぱがされるのは辛いなあ
宇野駅、こないだ行ってきたばかりなんで興味深く見ました。あの遺構や銅像も見てきましたし、あと駅前に何も食べる所無くて結局セブンで関西味のどん兵衛ミニだけで済ましてきましたw
宇高連絡船を実際に利用してみたかったという感情が強く湧いてしまいますね
高松にいる頃高校の遠足でも岡山へ宇高連絡船を使っていきました。高松港から出る船で紙テープがいっぱいでした。転勤する人が家族で出ていく場所でもありました。ありがとうございます。
当時の国鉄連絡船の駅(港)、青森・函館・高松、すべて今も主要駅だけど、宇野駅だけは架橋位置から外れてるのもあって、一気に縮小してしまった感が。最後まで宇高航路を運航していた四国フェリーですが、それこそ昔は国道フェリーに他数社も競合していた場所でした。深夜も20分間隔くらい、全部で100便以上は発着、それでも長期連休時は3時間待ちとかで、夜中に自販機うどんを食べる人をうらやましく見てた印象です。(当時食べさせて貰えなかったw)12年前に瀬戸内の島で行われた芸術祭から、久しぶりに訪れるようになりましたが、まだ当時は多数の船が往復していて、往時のにぎわいを思い出せたのですが、船便もどんどん減ってちょっと寂しくなりました。とはいっても、芸術の島で有名になった直島行きの船に乗るために、宇野線は結構外国の方が乗っていました。ジャパンレールパス使えば、鉄道乗り放題なので。今は外国人はほぼ居ないので、今のうちに散策するのもおすすめします。競輪場にホテルを併設する等、玉野市も面白い取り組みをしているし。前に往時の写真展があって、本当に懐かしかった。今も残ってるのかなぁ?あと最後の方に船乗り場2か所(高速船乗り場)ありましたが、あれの向こう側の黒い建物、スーパー銭湯タイプの温泉ですw棚田みたいなお風呂もあり(入れ替えなので当たるか注意)船の行きかう瀬戸内海をゆっくり見えるので、非常におすすめです。無料送迎も岡山駅からしているようなので、利用してみてはどうでしょうか?
宇野にはよく船に乗るために行っていましたが鉄道で行ったことはなかったですね(笑)。連絡船無くなったのは悲しいですね。 次は茶屋町にも来てみてください。鬼祭りなど有名ですし、風の道と言って茶屋町から児島経由で下津井まで伸びている下津井電鉄の線路跡もありますので、そこをチャリで駆けるのもまたいいですよ。 チャリで駆けなくても風の道は紹介してほしいです。
四国に帰省する途中、気になる駅として、児島、茶屋町、宇野に降りた。いずれも言葉は悪いけど栄枯盛衰。児島は立ち寄って欲しいと思う。JRの駅から下津井児島まで歩くとなぜ廃止になったか分かる。
岡山駅の運賃表に坪尻駅があることにちょっと感動を覚えた。
西園寺さんが乗られていたのは213系ですか?宇高航路って確かまだ直島で乗り継げば繋がってましたよね
そのころ世に出たドラ〇エの影響で船の移動もしてみたくなって、関東から青春きっぷで来て、連絡船で初めて四国に渡りました。当時、宇野線の普通電車は湘南色の115系鋼製車でしたね。
国鉄宇高航路には、急行料金が必要なホーバークラフトもありましたね。海の新幹線、一度は乗ってみたかった。
瀬戸大橋開通前の"うのえき"周辺に住んでました。駅舎は、ひらがな表記でした。今では信じられないかもしれませんが駅前はロータリーになっててバスも多数発着してました。駅東側の道路及び商業施設のほとんどが昔は貨物の引き込み線でした。今は宇野線岡山~茶屋町の沿線に住んでますが昔の面影はほぼなく寂しいですが時代の流れなので仕方ないです。ちなみに宇高連絡船は瀬戸大橋開通前日で役目を終えました。宇野~高松のフェリーは2019年12月15日を以って休止(事実上の廃止)となりました。
遺構が少ないのが残念だなぁ~…
宇野〜岡山の両備バスはかつて計画されてた宇野新線のルートでちょうど児島湖堤防にその遺構が
小5の年だったか、大阪から新幹線を乗り継いで高松まで、同窓会で帰省していた父のところに一人で行ったことがあります。連絡船のうどんを食べたくて、船に乗り込んだらすぐに甲板でうどん食べました。因みにうどんは出航前に売り切れ。帰りは伊丹までYS11に乗ったのも覚えてます。 その後は南港や神戸から関西汽船で帰省してたから、連絡船はこの時が最後だったかもしれません。
Ys11いいですねー
宇野駅取材に来ていたんですね⁉️
自動放送の宇野の言い方が「UNO」だなぁと思っていたらUNOネタ突っ込んできて笑ったw
宇野駅もそうですが高松駅も移動しましたね。初めての一人旅が四国で宇高連絡船のお世話になりました。国鉄(JR)はウコウで、民間フェリーはウタカで読みが異なってましたね。ウコウだと高知と紛らわしいし、ウタカの方が分かりやすいけど、国鉄って音読みが基本でウコウと読んだのでしょうかね?
お世話になります。少しズレますが、岡山駅の華やかさは地方都市で日本一のレベルかと思われます。郡山はもちろん、高崎、さらには天下の大宮でもこれだけの特急種別は来ない。鳥栖も新幹線駅が違うのでやはり岡山に劣ります。
元運転士の宇田賢吉さんの著書に153系電車で運転されていた快速の話がありましたね。加速不良を感じて宇野駅で折り返すときに点検したら、ジャンパ線の接続部がショートして焦げていた。仕方なくその部分を外したので、12両編成の電車なのに2M10Tの状態で岡山まで運転したそうですよ。急勾配が無い路線だからできたんでしょうね
ブルトレの瀬戸の頃に訪れて見たかったかもしれない
子供の頃、四国の祖父が迎えに来て「急行鷲羽」で宇野にて「宇高連絡船」に乗り換えました。船内のうどん屋さんの出汁の香りが忘れられません。高松からの蒸気機関車も良き思い出です。
宇高連絡船を経験している世代の者ですが、今の宇野駅を見ると面影が無さすぎて愕然としますね…… 本当に賑やかな駅だったんですよ。瀬戸大橋前年に走った備讃ライナーは9両編成でその長さにビビった記憶がありますw
「UNO言い忘れたらもう一泊分料金」で爆笑してしまったww
こういう小ネタ挟んでもらえるとより記憶に残るのでどんどん関係ない話もしてほしいです!
西園寺氏のIQは160あると思うし、メンサに入れるはず
uno言うと割引券もらえるとか、ドリンクサービスとかはあってもいいかも‼️
まひるさんといえば私の中ではアイカツの真昼ちゃんと和歌山県の紀伊由良を関連付け
山田君、座布団1枚!
サムネ見て宇野駅だと思いました瀬戸大橋線沿線民です!
宇野を取り上げてくださってありがとうございます!
自分はマリンライナーを岡山と最寄り駅までの区間でしか基本乗らないので、宇野にはあまり行きませんが、
昔は宇野までマリンライナーの前身の快速が走っていたのだと思うとマリンライナーに乗るのも感慨深いです!
サムネイルだけで良く分かりましたね!一度見ただけでは全然分かりませんでした!
@@youwata172
213系と1面2線のホーム、サムネの文字から宇野だとわかりました!
@@motchan0711 僕は分かりませんでした^_^;
早くも宇野駅行ってきたんですね。近くの温泉がめちゃくちゃよかったです。
こういう所で、歴史の1ページになっている人たちと、想い出の1ページになっている人たちの対比が見れるのが、良いですね。
宇野駅もなかなか儚い歴史があるんですね…!そのターミナルの面影も栄光もかつてのものになってしまいましたが、遺構を残していただいて嬉しいですね…!
誰も気づかない遺構けどね
私が西園寺さんの年齢の頃、一度だけ宇高連絡船に乗ることができました。青函連絡船もです。
国鉄→JRの年に大学生になったバブル世代ですが、鉄道マニア的には恵まれた年代かもしれません。
宇野線、直島に行く時に乗りました!
このような歴史があるもは驚きです✨
今日も楽しい動画をありがとうございます✨
今度五能線から北条鉄道に行ったキハ40の動画作ってほしいです
駅に案内があった路線バスは、リクライニングシートの快適な特急バスで運行されております。
所要時間・料金もJRと大して違いはなく、本数はJRの倍なので利便性も上々です
宇高連絡船は最終日のさよなら宇高連絡船に乗って高松に渡って宇田津駅前で野宿して高松からの瀬戸大橋線1番列車に乗った思い出があります。
それ以前以降と国道フェリーの方は何度も乗っていましたが…
駅前といい凄い変わりように時代を感じてしまいました。
西園寺さん訪ねていただいてありがとうございました。
昔は宇野駅に着くと、みんな一斉に連絡船へダッシュしてたなぁ〜
213系備讃ライナー(2階建グリーン車無し)は普通車指定席もありました。
それ以前は113系の快速でグリーン車(サロ112)も連結されていた時代(京阪神間の快速電車に一部グリーン車が連結されていた時代)もありましたね。
宇野駅取り上げていただきありがとうございます!
話が無かったですが、宇野線は途中駅もやたら線路の長さが長くて、長い編成の貨物列車や優等列車がすれ違えるようになってます。関西本線の加茂〜亀山みたいな感じです。
宇野駅は、衰退したと言いつつ瀬戸芸のときはまあまあ混みます。特に外国人観光客が多いです。
昔は、東京から特急「富士」、大阪から特急「うずしお」準急→急行「鷲羽」が乗り入れていました
新幹線岡山開業時に昼間の列車は、新幹線から快速に乗り換えとなり、優等列車は寝台特急「瀬戸」と、急行「鷲羽」のみとなりました
その鷲羽も夜行やんね
宇野駅 特急バスの案内、時刻も掲示してあるのが良心的!
昔、嫌っちゅうほど乗りました。50年ほど前のことです。西園寺さん、良く調べてくれました。
宇野駅は寝台特急瀬戸号の14両編成がありました。宇高連絡船の廃止後で瀬戸大橋開通後約20年間はフェリー会社3社で1日120往復で24時間体制がありました。高松宇野をフェリーで通勤通学する人もいました。
今すごく賑わっている路線や駅でも、10年後、20年後に「昔はこんなに賑わっていました」って言われる事もあり得ますよね。40年前に北海道周遊券で20日間鉄道に乗りまくっていましたが、利用した路線の半分以上はもう廃線になっています。寂しい限りです。
宇高連絡船、高松側はサンライズ瀬戸に乗った時サンポート高松を見たけど、この動画見て宇野駅側も訪れてみたいと思いました。
玉野市民です。思いっきり地元を取り上げてくれて、ありがとうございます。玉野市に来てくれて嬉しい😆昔の事をよく調べていて、感心しました。
サムネで宇野駅って分かりました。
ちなみにですが一時特急うずしおは特急ゆうなぎと言う名前になってた事がありましたね。
あと、急行鷲羽も走ってましたね。
寂しくなるような話題でも前向きに捉える西園寺さんいいですね!
渋川の水族館に当時の宇野駅を再現した模型が展示されてて、小学生の頃よく、見入ってた思い出があります。
あと宇高国道フェリーで思い出したのが『素敵なことで~』っていうフレーズで始まる曲ととも若者4人が車でフェリー乗ってるcmが印象的でした❗
西園寺さん、宇野駅を取り上げてくださりありがとうございました‼️
祖父が宇高連絡船の船員で、昔よく利用してました。電車から連絡船までの通路がめっちゃ長ったのを思い出しました。今の姿が余りにも面影なく(特に宇野駅の駅舎・・・)、少し寂しい気もしますが、そのまま廃れているよりも良かったですね。UNO HOTEL泊りに行こうかな。
西園寺さんも宇野駅に行ってくれた。ありがたいです。
今から約40年くらい前は、寝台特急などの優等列車が走っていたから感慨深いです。
宇高連絡船の歴史を伝えてくれるモニュメントがあり、過去を知る事が出来る。
以前、スーツさんも訪れて、往時を偲ぶリポートをされてた記憶があります。今となっては模型はとても貴重ですね。。橋が通行止めの際にはまた重要な港なのでしょうか。
一昨年、宇高航路定期便が無くなりました…なので近隣の島しょ部を結ぶのみです。
@@bingosaru そうなのですね。。
直島経由便はいまもありますが直島は精錬所主体の産業の島なので危険物便も多く使えない感じですね。
私は子供のころ宇高連絡船に乗りました、宇野駅から走る人が多かったですよ、😃
宇野駅から連絡船に乗って、高松になんどか行きましたね。連絡船の後ろデッキに讃岐うどんの店があって食べてました。美味しかった。今となっては懐かしい思い出です💛
6:04 JR東海でも2両編成,使われてます!
今でも宇野ー直島ー高松で一応船で渡れるんですよねぇ
宇高連絡船、約40年前徳島に行くのに乗りました♪岡山から赤い汽車?で宇野、船、高松から0番線から阿波号だったかな?
直島が母の故郷やから、電車で行くときは良く宇野を使うなぁ。
特に直島は観光地やから、瀬戸内芸術祭の時とかそれなにり宇野も居てる。
ちなみに、岡山駅から渋川海岸に行く特急バスが宇野駅、宇野港前に止まるんですけど、ぶっちゃけ電車のほうが早いです。特急って行ってるけど、1時間くらい掛かる。
ちなみに、宇野駅の斜めになってるモニュメント、算数か数学の教科書に載ってた。
こんなところに寝台列車があったとは…
バスの旅、頑張ってください!
初めて高知に行った時、寝台瀬戸に乗って宇野で連絡船に乗った昔の人です。
今でもその時のワクワク感は昨日のことのようです😸
寝台はホント旅って感じで大好きな乗り物でした😊
小学校の頃、母親の郷里香川県に行くために東京から寝台特急瀬戸に乗って翌朝宇高連絡船で高松に渡る、という旅をしたことかあります。確かに連絡船までの通路は長かったと記憶しています。
一度はホバークラフトに乗船したこともありました。宇野駅でホームに降りてそのまま奥にホバークラフト乗り場だったと記憶しています。
西園寺くんが笑いながら楽しく解説すると日帰り旅行がしたくなります。
分かる、その気持ち。
青森駅が変わった線形してるなと思ったらそういう理由があったのか…
主の過去動画だと函館もそんな感じでしたね
再現模型があったとは...
あと、急行「砂丘」もかつては始発駅が宇野でしたね...
国土地理院の地図は昔の状況を調べるのに愛用してます。
1988年は瀬戸大橋と青函トンネルの両方が開通した年。
当時RUclipsが存在していたら、鉄道系RUclipsrはこの2か所を動画にしまくって大盛り上がりだったでしょうね。
まさか宇野に来てたとは…!!
西園寺さんと同じ年齢の時、宇高連絡船に乗って四国を一人旅しました。「四国ワイド周遊券」を使いました。名古屋市内からの場合、東海道本線の他、関西本線も利用できたので、名古屋〜奈良間は急行〔かすが1号〕、奈良〜大阪間は快速(まだ、「大和路快速」との愛称は無かったです)で移動しました。大阪〜姫路間は新快速に乗りましたが、複々線の内側線(兵庫以東)、電車線(兵庫以西)を走っていた時代です。
宇野駅は通り過ぎただけなので詳しい風景は覚えていませんが、今と違い、栄えていたと思います。
うわーワシは還暦過ぎのジジィ。
ばあちゃん家が善通寺やったんで夏休みに大阪から準急鷲羽号ってゆう湘南色の宇野行きに乗って行ってたんです。宇野まで3時間以上かかったと記憶してます。取り上げていただいてありがとうございました😭
1.宇野線は、岡山ー茶屋町にも単線部分はある。
2.宇高連絡船は、瀬戸大橋開通以降廃止されている。運航していたのは、高速線のみ。
3.宇高連絡船(うこう)、四国急行フェリー(うたかろせん)と言われていた。(宇高国道フェリーを含む)。宇高連絡船が廃止された後は、2社あった。
1970年の
大阪万博
夜明け前に
宇野駅から
当時 快速鷲羽に乗って
大阪駅まで行きました
宇野港には
税関がありましたね
西園寺さんが乗ってきた213系もマリンライナー時代に乗ったことがあります!!
宇野駅からかつてあった宇高連絡船、宇高連絡船が現役だったころに生まれたかったなぁ
まさかの地元を紹介してもらえてありがとうございます。
高松行のフェリーが廃止されてさらに寂しくなってしまいましたが、瀬戸芸の時期にまた寄ってみてください。
ちなみに銅像の県知事の人が宇野港を開港に導いた玉野にとっては凄い人です。
青森は今でも民間フェリー2社が北海道函館まで運行していますが、宇野は完全に四国への玄関口の役目を終えたという感じですね。
埼玉から50年前、高松迄修学旅行で連絡線で行きました、ただ懐かしいかったです、西園寺さんありがとう☺️
急行鷲羽は、宇野線の誇りです。
宇野駅から玉野競輪に夜道を歩くのはちょっとした肝試しでしたw
宇野みなと線を取材してくださってありがとうございます!瀬戸大橋ができるまでは、今の115系湘南色×12両が快速列車として、岡山から宇野を結んでいました(途中の停車駅は茶屋町のみ)格好よかったな…
これが瀬戸大橋開通と同時に登場した現在の「マリンライナー」にそのまま受け継がれています(JR初日の1987年4月1日から瀬戸大橋開通までのつなぎ役として1年と9日間「備讃ライナー」がその役割を担った)。
@@rhscm989
ありがとうございます!
115×12両編成はマリンライナーの先輩で、昔は花形列車だったのですね…「今も花形」とフォローしておきます)
繋ぎ役の備讃ライナーが走ったのは、たった1ヶ月ですか?
レアな列車でしたね!
@@横須賀軍港めぐり
大変失礼しました。
つい先程までは思い込みとして1988年3月13日ダイヤ改正から約1ヶ月間とカキコしていましたが、今しがたWikipediaで調査した結果、正しくはJR初日の1987年4月1日から「備讃ライナー」の運転を開始し、以後瀬戸大橋開業までの1年と9日間だけ「つなぎ列車」として運転したとの誤りでした。
この度は誠に申し訳ありませんでした。お詫びして訂正します。
@@rhscm989
わざわざ調べてご親切に教えてくださって、本当にありがとうございました✨
鉄オタ知識が増えて嬉しいです!
宇高連絡線、一度だけ乗りました。そんなにウロウロ見学したわけではないので、あまり覚えていませんが、中で関東煮、売ってましたね☺️
ちなみに到着駅の高松駅も大幅縮小されていますね。
瀬戸内の雰囲気良いなぁ。同じJR西日本なのに関西圏とは違う時間流れてるみたい。
僕は高校に通うのにまさに今の宇野線を使っていました。その頃の宇野駅は2面3線のホームがあり、一番線が各駅停車、2番線は特急や急行、3番線が快速が発着していました。僕が小学4年に進級する寸前に岡山博多間が開業し、それまであった急行鷲羽もなくなりました。うずしおが走っていたのはもっと前。僕は大学受験に瀬戸乗りましたよ。西園寺くん羨ましかろ😁
宇野駅も今は小豆島への船がアクセスしてるからまた高松への船が再開される事を願うしか無いね…
事細かく調べられていますね。他のRUclipsrさんも多く宇野駅を取り上げられていましたが、西園寺さんが一番詳しく調べられていました。他のRUclipsrさんには捕捉コメをいくつかしましたが、西園寺さんに関しては捕捉が何一つ無かったので、正にアッパレです。
過去に2回、この宇野駅から、連絡船に乗って四国上陸したはずなのですが、全く覚えていません。忘却の彼方です。
急行鷲羽号も走っていましたね。
国土地理院、操車場の跡地見るのによく使ってる
宇野駅着いて、フェリーで行くか連絡船で行くか?なんて会話が懐かしい。
実際に乗った訳ではなく時刻表で見ただけですが、宇高連絡船は瀬戸大橋が出来てからもしばらくは高速艇なるものをJRが運航してたんですよね。すぐに無くなりましたけど…
ホーバクラフトの急行もなくなり高速艇は雇用対策だったらしいですね。あと、元連絡船でクルーズも数年やってました。
宇野線は10年前に乗りました。宇野駅を発車する151系特急「うずしお」を撮影したモノクロ写真が駅舎の壁にかかっていましたが、今もあるのでしょうか。あの写真、よく見ると編成の中に153系が2両挟まっているんですよね。最初は見間違えたかと思ったんですが、何度見返してもあれは153系 (もしくは165系) としか思えませんでした。
宇高連絡船あらためて見ると凄いですね!
宇野駅も昔は賑わっていたのが分かりますね。
直島はいつか行こうと思ってるのでここは
ぜひとも隅々まで満喫したい場所ですね✨
瀬戸大橋できてもしばらくは宇高連絡船運行してて、玉野競輪行った時は岡山まで行くより高松行った方が近かったので、
高松に宿泊するのに連絡船を使ってました。多分民間のフェリーだったと思います。
宇高航路の定期便を最後まで運航していたのは、日本通運が親会社で運航していたフェリーですね。
全廃する直前まで「宇高国道フェリー」と「日通フェリー」の二社体制でしたが、「宇高国道フェリー」が先に航路廃止したかと。
私もWINS高松が出来て数回ほど宇高航路にはお世話になりました…当時は瀬戸大橋がバカ高かったですから(汗
東京〜宇野間、寝台特急「瀬戸」は、元々は東京〜宇野間を走る急行「瀬戸」でした。確か客車(一等車、二等車)を併結していて、満席の車両に大阪から宇野まで乗車したのを覚えています。
同志社大学を卒業して就職、最初の勤務地の高松へ赴任した41年前を思い出しました。
駅構内をダッシュした懐かしい思い出とともに、時代の流れを感じさせていただき、ありがとうございます。
とても興味深く拝見いたしました
宇野駅の売却地、娯楽施設『スペイン村』計画があったのですが
中止になりましたね
茶屋町から下津井までの下津井電鉄の廃線跡
サイクリングロードになっているので訪問していただきたいです
若松駅と似ていますね。筑豊で採れた石炭を船で運び出す貨物ターミナルとして栄え、今はホーム一面のみの終着駅になってます。かつて多数の線路があった場所は閑散とした広場や駐車場になってますが保存された機関車や駅の展示資料がかつての栄光を今世に伝えていました。過去優等列車が発着していたような派手さはありませんが、それとはまた違った趣があるので是非訪れていただきたいです。
国土地理院の地図で新旧比較できるの初めて知りました、便利ですね!また一つ知識を得ました。寝台の発着があったのは知ってましたが産まれた年か…時間の流れは早いですね。その時にハイハイ(赤ちゃんなんで)してでも行きたい!
動画でも紹介されていた第二バース跡の保存活動や、産業振興ビル内の昭和45年当時の模型(私共は立体資料と呼んでいます)を作成している宇高連絡船の航跡を後世に伝える活動をしている者の一人です。RUclipsで紹介頂き、また西園寺さんの様な有名な方にお越し頂き感無量です…!
大きなイベントの際には窓枠を取り外し、貨車の積み込みの再現や車両運転も行っておりますので、是非またお越し下さい!
お!地元に来てくれてて嬉しいです笑
一度乗ってみたいな
毎年、夏休みに東京から愛媛に帰るのに乗っていました。岡山から宇野まで1時間。窓を全開にして扇風機がクルクル回るのを見て過ごしました。車窓の左側を見ると、昔は海岸線を走っており、海に浮かぶ小島が30年前は田んぼの中に浮かんで見えたものです。
私の好きな駅!これみてまた行きたくなりました
瀬戸大橋が出来るまでは連絡船やら宇高フェリー、いっぱい乗った50代のオッサンです(笑)
宇野、高松間はホーバークラフトも運航してましたね、乗ったことはありませんが。
連絡船があった当時は、眠らない駅前とか、
コンビニとか無かった時代でも、遅くまでお店がやっていて、人の通りも多かったんですが、
連絡船廃止後、結局、宇高国道フェリーや、四国フェリー等、高松直通便が無くなっていき、
フェリーターミナルも寂しい佇まいになってしまいました。
鉄オタからすると線路があったところがひっぱがされるのは辛いなあ
宇野駅、こないだ行ってきたばかりなんで興味深く見ました。あの遺構や銅像も見てきましたし、あと駅前に何も食べる所無くて結局セブンで関西味のどん兵衛ミニだけで済ましてきましたw
宇高連絡船を実際に利用してみたかったという感情が強く湧いてしまいますね
高松にいる頃高校の遠足でも岡山へ宇高連絡船を使っていきました。高松港から出る船で紙テープがいっぱいでした。転勤する人が家族で出ていく場所でもありました。ありがとうございます。
当時の国鉄連絡船の駅(港)、青森・函館・高松、すべて今も主要駅だけど、宇野駅だけは架橋位置から外れてるのもあって、一気に縮小してしまった感が。
最後まで宇高航路を運航していた四国フェリーですが、それこそ昔は国道フェリーに他数社も競合していた場所でした。
深夜も20分間隔くらい、全部で100便以上は発着、それでも長期連休時は3時間待ちとかで、夜中に自販機うどんを食べる人をうらやましく見てた印象です。(当時食べさせて貰えなかったw)
12年前に瀬戸内の島で行われた芸術祭から、久しぶりに訪れるようになりましたが、まだ当時は多数の船が往復していて、往時のにぎわいを思い出せたのですが、船便もどんどん減ってちょっと寂しくなりました。
とはいっても、芸術の島で有名になった直島行きの船に乗るために、宇野線は結構外国の方が乗っていました。
ジャパンレールパス使えば、鉄道乗り放題なので。
今は外国人はほぼ居ないので、今のうちに散策するのもおすすめします。
競輪場にホテルを併設する等、玉野市も面白い取り組みをしているし。
前に往時の写真展があって、本当に懐かしかった。今も残ってるのかなぁ?
あと最後の方に船乗り場2か所(高速船乗り場)ありましたが、あれの向こう側の黒い建物、スーパー銭湯タイプの温泉ですw
棚田みたいなお風呂もあり(入れ替えなので当たるか注意)船の行きかう瀬戸内海をゆっくり見えるので、非常におすすめです。
無料送迎も岡山駅からしているようなので、利用してみてはどうでしょうか?
宇野にはよく船に乗るために行っていましたが鉄道で行ったことはなかったですね(笑)。連絡船無くなったのは悲しいですね。 次は茶屋町にも来てみてください。鬼祭りなど有名ですし、風の道と言って茶屋町から児島経由で下津井まで伸びている下津井電鉄の線路跡もありますので、そこをチャリで駆けるのもまたいいですよ。 チャリで駆けなくても風の道は紹介してほしいです。
四国に帰省する途中、気になる駅として、児島、茶屋町、宇野に降りた。いずれも言葉は悪いけど栄枯盛衰。児島は立ち寄って欲しいと思う。JRの駅から下津井児島まで歩くとなぜ廃止になったか分かる。
岡山駅の運賃表に坪尻駅があることにちょっと感動を覚えた。
西園寺さんが乗られていたのは213系ですか?
宇高航路って確かまだ直島で乗り継げば繋がってましたよね
そのころ世に出たドラ〇エの影響で船の移動もしてみたくなって、関東から青春きっぷで来て、連絡船で初めて四国に渡りました。当時、宇野線の普通電車は湘南色の115系鋼製車でしたね。
国鉄宇高航路には、急行料金が必要なホーバークラフトもありましたね。海の新幹線、一度は乗ってみたかった。
瀬戸大橋開通前の"うのえき"周辺に住んでました。駅舎は、ひらがな表記でした。
今では信じられないかもしれませんが駅前はロータリーになっててバスも多数発着してました。駅東側の道路及び商業施設のほとんどが昔は貨物の引き込み線でした。
今は宇野線岡山~茶屋町の沿線に住んでますが昔の面影はほぼなく寂しいですが時代の流れなので仕方ないです。
ちなみに宇高連絡船は瀬戸大橋開通前日で役目を終えました。
宇野~高松のフェリーは2019年12月15日を以って休止(事実上の廃止)となりました。
遺構が少ないのが残念だなぁ~…
宇野〜岡山の両備バスはかつて計画されてた宇野新線のルートでちょうど児島湖堤防にその遺構が
小5の年だったか、大阪から新幹線を乗り継いで高松まで、同窓会で帰省していた父のところに一人で行ったことがあります。
連絡船のうどんを食べたくて、船に乗り込んだらすぐに甲板でうどん食べました。
因みにうどんは出航前に売り切れ。帰りは伊丹までYS11に乗ったのも覚えてます。
その後は南港や神戸から関西汽船で帰省してたから、連絡船はこの時が最後だったかもしれません。
Ys11いいですねー
宇野駅取材に来ていたんですね⁉️
自動放送の宇野の言い方が「UNO」だなぁと思っていたらUNOネタ突っ込んできて笑ったw
宇野駅もそうですが高松駅も移動しましたね。初めての一人旅が四国で宇高連絡船のお世話になりました。
国鉄(JR)はウコウで、民間フェリーはウタカで読みが異なってましたね。
ウコウだと高知と紛らわしいし、ウタカの方が分かりやすいけど、国鉄って音読みが基本でウコウと読んだのでしょうかね?
お世話になります。
少しズレますが、岡山駅の華やかさは地方都市で日本一のレベルかと思われます。
郡山はもちろん、高崎、さらには天下の大宮でもこれだけの特急種別は来ない。
鳥栖も新幹線駅が違うのでやはり岡山に劣ります。
元運転士の宇田賢吉さんの著書に153系電車で運転されていた快速の話がありましたね。加速不良を感じて宇野駅で折り返すときに点検したら、ジャンパ線の接続部がショートして焦げていた。仕方なくその部分を外したので、12両編成の電車なのに2M10Tの状態で岡山まで運転したそうですよ。急勾配が無い路線だからできたんでしょうね
ブルトレの瀬戸の頃に訪れて見たかったかもしれない