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以前TVで「砂の器」を中居正広主演で放映したことがあったけど、父親がハンセン病でなく殺人者に変えられていた。これが映画と違うTVの限界かと失望したが、松本清張が生きていたら絶対認めなかったと思う。「闇」の意味合いが全く変わってしまうのに、果たしてこれをコンプライアンスと呼ぶべきなのだろうか。
認めるも認めないも最初の映画と松本清張の原作は全然違うよ。
もう、このレベルの作品は、二度目作れないと断言できる。リメイクは、作られたが、やはり、この作品のレベルには、遠く及ばなかった。神作品である。最後の親子の悲惨な旅は、涙を誘う。なぜ、この親子は、こんな生き地獄に耐えなければならないのか?なぜ、これだけ人は、残酷になれるのか?それを、考えながら見ていると、知らず知らずのうちに、涙腺が崩壊していました。心に残る名作だと思う。
丹波哲郎、森田健作、緒形拳、加藤剛、加藤嘉版の「砂の器」は何度も観ています。名作ですよね。
松本清張の推理小説の魅力が映画という表現手段でさらに進化した奇跡的作品。何回見ても、そのたびに心を動かされる。
この映画を最初に観た時に全国を巡礼しなければならなくなった父息の背景となる日本全国四季の景色の美しさに息を呑みました。
映画の砂の器を見た後、松本清張の原作を読みましたが、感動することはありませんでした。やはり、脚本家の橋本忍の存在がこの映画を名作にしたのではないでしょうか。
自分や自分の周りは日本人なのに、犯人の動機が「ただ過去を隠したい」だとしか思えなかったんだけど、外国人は「自分の独善や正義心で親子を引き裂き、そして会わせようとする幸福な善人の身勝手さに憎悪を募らせた」って、当たり前のように看破したんだよね。それを聞いて見直したら余計に泣けた。
この映画のためにちゃんとしたピアノ協奏曲作っちゃうんだもん。半端じゃなかった。
この映画が公開された当時の衝撃は大きく、ちょっとした社会現象になった。映画関係者への影響も大きく、特に、重厚なミステリーと聴き応えのある音楽の相乗効果で物語が展開していく作品スタイルが流行りはじめ、『犬神家の一族』など角川ミステリー映画などにも影響が見られた。野村芳太郎自身、本作以降も芥川也寸志とコンビを組んで数々のミステリーヒット作を生み出した。音楽もストーリーに合わせそれぞれ個性があって、本作のような重厚なものから『影の車』のバックに流れる流麗なワルツのようなものもあり、作品の彩を増していた。のみならず、このスタイルはテレビ業界へも波及し、個人的には、赤いシリーズ中の実験的ともいうべき異色作の『赤い激流』が大きな影響を受けていたのではないかと思う。やはり重厚な推理作品が、ショパンやリスト、ベートーベンなどクラシックの名作のピアノ演奏とともに展開していく形式で、物語に独特の深みを与えていた。ちなみに、このドラマでピアノ演奏を担当していたのも、『砂の器』で演奏していたのも、当時脂が乗り切って引っ張りだこだった羽田健太郎。『砂の器』の終盤で加藤剛が指揮をとりながらピアノを弾く場面も羽田なのだが、ハネケンの武骨な指が、端正な加藤剛の容姿から抱くイメージとは全く不釣り合いだったのはご愛敬。
原作での癩病の乞食親子は単なる設定で、清張はべつに社会差別への批判をしてるわけじゃない。「ゴジラ」が反核映画じゃなく、東宝の飯の種としての水原大怪獣であるように、清張も話しの彩りとして使ってるにすぎない、癩病である必然性は全くない。そこを運命だの宿命だのって、お涙頂戴の脚色をして受けを狙ったのが映画の「砂の器」ってわけだ。原作は駄作で映画は愚作としか言いようがない。清張の映画で一つ挙げるなら、1961「ゼロの焦点」だろうね。
橋本忍と山田洋次の共同脚本。豪華だな。
映画では無く子供向けの小説ですけど幼い頃よく一緒に遊んだ幼馴染(←男の子)がある日突然引っ越して(←母親談)会えなくなってしまった。その後大きくなってから本人から貰った手紙に【あの時二人で青い林檎を齧った(←林檎の産地で何時も林檎園で遊んでいた)ね、でもあの青い林檎達はきっと赤く実る迄生きたかったんだと思う】の一文が有り差し出し場所が【ハンセン病】の隔離施設がある島◯◯だと初めて知って衝撃を受けた少女が【男の子の母親が言った言葉◯◯の〜であの子は一生を終えるのです】の重みに気付き手紙の【赤い林檎と青い林檎を自分の運命に重ねた少年の心の絶望感と絶叫=赤く実る迄生きたかった】に打ちひしがれたシーンが今でも忘れられません💦その割に作品名も作者名も忘れましたけど……🤷
この映画の展開の遅さをネガティブに捉えるのではなく、当時の情報伝達と交通手段が現代よりも格段に遅く不便だったのがその大きな要因だと認識すべきです。
丹波哲郎の語りによる浄瑠璃と評する人もいたね
凄く場違いで関係無い話ですが現地となる亀嵩には交通安全標語として亀嵩駅に⇛【此処は亀だけ兎は居ない】と【安全運転喚起ポスター】が貼ってあって思わずクスっとなってしまいました😱
私は大学生の時にこの作品を見て感動し、その後も、たびたびビデオで視聴し感動したものです。最近も久しぶりに視聴しましたが、色褪せてはいませんでした。なぜか世界的な名作のトップテン10などには名前が上がらないのが不思議でした。確かに、ストーリーには無理な点がありますが、文楽なども場面場面で感動しますが、筋書きとしては無理な点がありますね。まさに、日本的な作品なのでしょう。個人的には、最高点をつけたいと思います。
プロミンの合成とハンセン病への効能の発見は、ノーベル医学賞を与えられて然るべきだと思う。
饑餓海峡も忘れないで!
饑餓海峡 (海外名:A Fugitive from the Past "過去からの逃亡者" ) は、海外の日本映画ファンから高く評価されてるよ。俺は国内版DVDだけでなく、英語の教材として海外版DVDも購入したわ。(まだBlu-Rayになっていないのは何でだろう?)ちなみに、1974年映画版 砂の器 (海外名:Castle of Sand "砂の城") も海外版DVDが出ており、この動画同様に評価は高いですね。
どこで外人の反応をとってきたんだ?知りたい
imdbというサイトです。
原作読んだ人ならわかってると思うけど映画は完全に橋本忍のオリジナルといってもいい 原作の伏線を交えたミステリーの醍醐味を全く無視 映画は面白いとは思うが原作とは全く別物
映画と原作の小説は全く別物ですよ。原作は推理小説らしくロジカルで、映画は情緒的。ストーリーもテーマも違う。原作を全く違う物語に作り替えた橋本忍の脚本が素晴らしいんです。幼少期に音楽の英才教育を受けていない少年がピアニスト兼作曲家になれるはずがない。と、ロジカルに考えて見ちゃダメ。映像が伝える詩情に浸って感じる映画であり、現実にはあり得ない設定を差し引いても素晴らしい作品。松本清張をして「原作を超えている」と言わしめただけある映画。この映画の関係者は皆戦中派。犬神家の一族もそうだけど、私たちは映画の行間から見える「大東亜戦争の影」に惹かれているのだと思います。リメイクが原作を越えられないのは、そういう空気は戦後生まれには作り出せないから。
コメントを視聴しながら見ていた時、後の感慨がよみがえりました。最近の作で似た作品を見ましたがこれも良かっ0た。人と人との結び付きのテーマは竹取物語からあり日本文化上不滅ですし、過去の荷を背負って生きるまたは死ぬは宗教が強い他国では受け入れがたいと思われますが、ネットで考え方の交流が進めば何かが変化するのでは無いかと。
その昔サウンドオブミュージックと砂の器の二本立てを中学の頃友達と京都は八坂神社の前辺りへ見に行った…二本とも上映時間長くて昼過ぎに入ったけど終われば外は真っ暗で…帰りに食べたお好み焼きの味が忘れられん…その時初めてマヨネーズ付けるの経験した…これがまた美味いんだわ
パトレイバーの映画もこれのマネかもしれませんね
次々にころされるってこの映画では一人だけなんだけどw
原作 [1960-1961] 読売新聞夕刊掲載。1961年に書籍化。 未 [1962 TV版] (今西栄太郎) 高松英郎 (和賀英良) 夏目俊二 ★ [1974 映画] (今西栄太郎) 丹波哲郎 (和賀英良) 加藤剛 ★ [1977 TV版] (今西栄太郎) 仲代達也 (和賀英良) 田村正和 ★ [1991 TV版] (今西栄太郎) 田中邦衛 (和賀英良) 佐藤浩市 ☆ [2004 TV版] (今西修一) 渡辺謙 (和賀英良) 中居正広 ☆ [2011 TV版] (今西栄太郎) 小林薫 (和賀英良) 佐々木蔵之介 ☆ [2019 TV版] (今西栄太郎) 東山紀之 (和賀英良) 中島健人未:1962年版は映像商品が無く、後年の再放送も無い為、詳細不明。★:いずれも素晴らしい出来であり、刑事役の仲代達也・田中邦衛の執念も最高! 1991年版なんてビデオしか出ていないし、プレミア付く前に両方買って良かった・・・。 この1977年版・1991年版の「宿命」も素晴らしい出来なので、機会があれば是非観て欲しい。☆:[1974年 映画版] を原点とした場合、宣伝見ただけでいじり過ぎだったので観ていない。 やはり本作は、昭和の風情を感じられてこその作品ではないだろうか。
むかし、映画で感動したあと、原作を読んだらガッカリした。映画のほうが、むしろ文学的だな。原作は、あくまでも推理小説の形式を守っている。推理小説というジャンルに、疑問を抱いた位だった。
松本清張がテレビで、自分の作品がドラマや映画になると、ほとんどガッカリするけど、砂の器だけは唯一原作を上回っている。と、言ってました。
はああ? 次々と殺害される⁉️1人だ‼️
もし『砂の器』を『刑事コロンボ』や『警部補・古畑任三郎』の様に “ 倒叙型 ( 犯罪が行われた時点で犯人と犯行方法 ( 手段 ) が解っていて、探偵や刑事が如何に犯人へと辿り着けるか? ) ” へと脚本を仕上げたとしたら、如何様な構成・演出になっていたであろうか?犯行直前の被害者 ( 三木 謙一 ) と加害者 ( 和賀 英良 ( 本浦秀夫 ) ) の遣り取りがクローズアップされ、加害者が追い込まれて行く過去の自分と、その自分との決別に苦しむ心理描写が丹念に描かれていたかも知れないし、犯行後に感じ取ったものは明るい未来であったのか、それとも……、当初から加害者が知れているだけに、既存の映画『砂の器』とは全く異なった細やかな加害者心理の描き方が出来るのではないか?と想像する😑
鬼婆を取り上げてほしい
ウィリアム・フリードキンの好きな映画ですね。
この成長先生の写真は若いな。50年位前じゃないかな。時代背景は、昭和30年ころ、もうちょっと古いのは横溝正史の作品かしら?まあ、こういう映画は70年代までの映画だよね。
残念なのは、主人公が音楽家(指揮者…身体全体が音楽表現であること)…他のシーンは満点の演技だとしても、コンサートのシーン、これを俳優に演じさせるのは難しいと言える😮
この『砂の器』以外観る気になれないが。この砂の器も惜しいのがドラマチックに盛りすぎたラストよな。
映画は原作より骨太で面白いけどプロットが致命的なんですよ。
この映画の感想が「景色が素晴らしい,ハンセン病,刑事の心理描写~」などと推理小説とはかけ離れているし,感銘をうけとする意味が不感症の私には全く理解できなかった松本清張原作の映画には,もっと推理小説とよべる秀作映画が色々あるので,松本清張を楽しみたければそちらの方がお勧めである. この小説の本当のテーマは「背乗り」ではないか? 戦後はそんな人間がいたんだろうなが最初に映画を見たときの感想だった.
なぜ主人公を音楽家にしたんだろう?絶対音感は幼少時からの英才教育の賜物でしょうに。ピアノだって幼少から習わないと意味ありません。
でも世界の小沢と言われる小澤征爾は満州生まれでクラッシックとは無縁の子供時代を送っていましたよね。10才の時に初めてアコーディオンの手ほどきを兄から受けて音楽の道に進んでますがそれまで音楽とは無縁の環境でも世界に名だたる名指揮者にまでなっていますから別段不可能でも無ければ不思議でもないと思います。
以前TVで「砂の器」を中居正広主演で放映したことがあったけど、父親がハンセン病でなく殺人者に変えられていた。これが映画と違うTVの限界かと失望したが、松本清張が生きていたら絶対認めなかったと思う。「闇」の意味合いが全く変わってしまうのに、果たしてこれをコンプライアンスと呼ぶべきなのだろうか。
認めるも認めないも最初の映画と松本清張の原作は全然違うよ。
もう、このレベルの作品は、二度目作れないと断言できる。リメイクは、作られたが、やはり、この作品のレベルには、遠く及ばなかった。神作品である。最後の親子の悲惨な旅は、涙を誘う。なぜ、この親子は、こんな生き地獄に耐えなければならないのか?なぜ、これだけ人は、残酷になれるのか?それを、考えながら見ていると、知らず知らずのうちに、涙腺が崩壊していました。心に残る名作だと思う。
丹波哲郎、森田健作、緒形拳、加藤剛、加藤嘉版の「砂の器」は何度も観ています。
名作ですよね。
松本清張の推理小説の魅力が映画という表現手段でさらに進化した奇跡的作品。何回見ても、そのたびに心を動かされる。
この映画を最初に観た時に全国を巡礼しなければならなくなった父息の背景となる日本全国四季の景色の美しさに息を呑みました。
映画の砂の器を見た後、松本清張の原作を読みましたが、感動することはありませんでした。やはり、脚本家の橋本忍の存在がこの映画を名作にしたのではないでしょうか。
自分や自分の周りは日本人なのに、犯人の動機が「ただ過去を隠したい」だとしか思えなかったんだけど、外国人は「自分の独善や正義心で親子を引き裂き、そして会わせようとする幸福な善人の身勝手さに憎悪を募らせた」って、当たり前のように看破したんだよね。
それを聞いて見直したら余計に泣けた。
この映画のためにちゃんとしたピアノ協奏曲作っちゃうんだもん。半端じゃなかった。
この映画が公開された当時の衝撃は大きく、ちょっとした社会現象になった。映画関係者への影響も大きく、特に、重厚なミステリーと聴き応えのある音楽の相乗効果で物語が展開していく作品スタイルが流行りはじめ、『犬神家の一族』など角川ミステリー映画などにも影響が見られた。野村芳太郎自身、本作以降も芥川也寸志とコンビを組んで数々のミステリーヒット作を生み出した。音楽もストーリーに合わせそれぞれ個性があって、本作のような重厚なものから『影の車』のバックに流れる流麗なワルツのようなものもあり、作品の彩を増していた。
のみならず、このスタイルはテレビ業界へも波及し、個人的には、赤いシリーズ中の実験的ともいうべき異色作の『赤い激流』が大きな影響を受けていたのではないかと思う。やはり重厚な推理作品が、ショパンやリスト、ベートーベンなどクラシックの名作のピアノ演奏とともに展開していく形式で、物語に独特の深みを与えていた。ちなみに、このドラマでピアノ演奏を担当していたのも、『砂の器』で演奏していたのも、当時脂が乗り切って引っ張りだこだった羽田健太郎。『砂の器』の終盤で加藤剛が指揮をとりながらピアノを弾く場面も羽田なのだが、ハネケンの武骨な指が、端正な加藤剛の容姿から抱くイメージとは全く不釣り合いだったのはご愛敬。
原作での癩病の乞食親子は単なる設定で、清張はべつに社会差別への批判をしてるわけじゃない。「ゴジラ」が反核映画じゃなく、東宝の飯の種としての水原大怪獣であるように、清張も話しの彩りとして使ってるにすぎない、癩病である必然性は全くない。そこを運命だの宿命だのって、お涙頂戴の脚色をして受けを狙ったのが映画の「砂の器」ってわけだ。原作は駄作で映画は愚作としか言いようがない。清張の映画で一つ挙げるなら、1961「ゼロの焦点」だろうね。
橋本忍と山田洋次の共同脚本。豪華だな。
映画では無く子供向けの小説ですけど幼い頃よく一緒に遊んだ幼馴染(←男の子)がある日突然引っ越して(←母親談)会えなくなってしまった。その後大きくなってから本人から貰った手紙に【あの時二人で青い林檎を齧った(←林檎の産地で何時も林檎園で遊んでいた)ね、でもあの青い林檎達はきっと赤く実る迄生きたかったんだと思う】の一文が有り差し出し場所が【ハンセン病】の隔離施設がある島◯◯だと初めて知って衝撃を受けた少女が【男の子の母親が言った言葉◯◯の〜であの子は一生を終えるのです】の重みに気付き手紙の【赤い林檎と青い林檎を自分の運命に重ねた少年の心の絶望感と絶叫=赤く実る迄生きたかった】に打ちひしがれたシーンが今でも忘れられません💦その割に作品名も作者名も忘れましたけど……🤷
この映画の展開の遅さをネガティブに捉えるのではなく、
当時の情報伝達と交通手段が現代よりも格段に遅く不便だったのがその大きな要因だと認識すべきです。
丹波哲郎の語りによる浄瑠璃と評する人もいたね
凄く場違いで関係無い話ですが現地となる亀嵩には交通安全標語として亀嵩駅に⇛【此処は亀だけ兎は居ない】と【安全運転喚起ポスター】が貼ってあって思わずクスっとなってしまいました😱
私は大学生の時にこの作品を見て感動し、その後も、たびたびビデオで視聴し感動したものです。最近も久しぶりに視聴しましたが、色褪せてはいませんでした。なぜか世界的な名作のトップテン10などには名前が上がらないのが不思議でした。確かに、ストーリーには無理な点がありますが、文楽なども場面場面で感動しますが、筋書きとしては無理な点がありますね。まさに、日本的な作品なのでしょう。個人的には、最高点をつけたいと思います。
プロミンの合成とハンセン病への効能の発見は、ノーベル医学賞を与えられて然るべきだと思う。
饑餓海峡も忘れないで!
饑餓海峡 (海外名:A Fugitive from the Past "過去からの逃亡者" ) は、海外の日本映画ファンから
高く評価されてるよ。俺は国内版DVDだけでなく、英語の教材として海外版DVDも購入したわ。
(まだBlu-Rayになっていないのは何でだろう?)
ちなみに、1974年映画版 砂の器 (海外名:Castle of Sand "砂の城") も海外版DVDが出ており、
この動画同様に評価は高いですね。
どこで外人の反応をとってきたんだ?
知りたい
imdbというサイトです。
原作読んだ人ならわかってると思うけど映画は完全に橋本忍のオリジナルといってもいい 原作の伏線を交えたミステリーの醍醐味を全く無視 映画は面白いとは思うが原作とは全く別物
映画と原作の小説は全く別物ですよ。原作は推理小説らしくロジカルで、映画は情緒的。ストーリーもテーマも違う。原作を全く違う物語に作り替えた橋本忍の脚本が素晴らしいんです。
幼少期に音楽の英才教育を受けていない少年がピアニスト兼作曲家になれるはずがない。と、ロジカルに考えて見ちゃダメ。映像が伝える詩情に浸って感じる映画であり、現実にはあり得ない設定を差し引いても素晴らしい作品。松本清張をして「原作を超えている」と言わしめただけある映画。
この映画の関係者は皆戦中派。犬神家の一族もそうだけど、私たちは映画の行間から見える「大東亜戦争の影」に惹かれているのだと思います。リメイクが原作を越えられないのは、そういう空気は戦後生まれには作り出せないから。
コメントを視聴しながら見ていた時、後の感慨がよみがえりました。
最近の作で似た作品を見ましたがこれも良かっ0た。人と人との結び付きのテーマは竹取物語からあり日本文化上不滅ですし、過去の荷を背負って生きるまたは死ぬは宗教が強い他国では受け入れがたいと思われますが、ネットで考え方の交流が進めば何かが変化するのでは無いかと。
その昔サウンドオブミュージックと砂の器の二本立てを中学の頃友達と京都は八坂神社の前辺りへ見に行った…二本とも上映時間長くて昼過ぎに入ったけど終われば外は真っ暗で…帰りに食べたお好み焼きの味が忘れられん…その時初めてマヨネーズ付けるの経験した…これがまた美味いんだわ
パトレイバーの映画もこれのマネかもしれませんね
次々にころされるって
この映画では一人だけなんだけどw
原作 [1960-1961] 読売新聞夕刊掲載。1961年に書籍化。
未 [1962 TV版] (今西栄太郎) 高松英郎 (和賀英良) 夏目俊二
★ [1974 映画] (今西栄太郎) 丹波哲郎 (和賀英良) 加藤剛
★ [1977 TV版] (今西栄太郎) 仲代達也 (和賀英良) 田村正和
★ [1991 TV版] (今西栄太郎) 田中邦衛 (和賀英良) 佐藤浩市
☆ [2004 TV版] (今西修一) 渡辺謙 (和賀英良) 中居正広
☆ [2011 TV版] (今西栄太郎) 小林薫 (和賀英良) 佐々木蔵之介
☆ [2019 TV版] (今西栄太郎) 東山紀之 (和賀英良) 中島健人
未:1962年版は映像商品が無く、後年の再放送も無い為、詳細不明。
★:いずれも素晴らしい出来であり、刑事役の仲代達也・田中邦衛の執念も最高!
1991年版なんてビデオしか出ていないし、プレミア付く前に両方買って良かった・・・。
この1977年版・1991年版の「宿命」も素晴らしい出来なので、機会があれば是非観て欲しい。
☆:[1974年 映画版] を原点とした場合、宣伝見ただけでいじり過ぎだったので観ていない。
やはり本作は、昭和の風情を感じられてこその作品ではないだろうか。
むかし、映画で感動したあと、原作を読んだらガッカリした。映画のほうが、むしろ文学的だな。
原作は、あくまでも推理小説の形式を守っている。推理小説というジャンルに、疑問を抱いた位だった。
松本清張がテレビで、自分の作品がドラマや映画になると、ほとんどガッカリするけど、砂の器だけは唯一原作を上回っている。と、言ってました。
はああ? 次々と殺害される⁉️
1人だ‼️
もし『砂の器』を『刑事コロンボ』や『警部補・古畑任三郎』の様に “ 倒叙型 ( 犯罪が行われた時点で犯人と犯行方法 ( 手段 ) が解っていて、探偵や刑事が如何に犯人へと辿り着けるか? ) ” へと脚本を仕上げたとしたら、如何様な構成・演出になっていたであろうか?
犯行直前の被害者 ( 三木 謙一 ) と加害者 ( 和賀 英良 ( 本浦秀夫 ) ) の遣り取りがクローズアップされ、加害者が追い込まれて行く過去の自分と、その自分との決別に苦しむ心理描写が丹念に描かれていたかも知れないし、犯行後に感じ取ったものは明るい未来であったのか、それとも……、当初から加害者が知れているだけに、既存の映画『砂の器』とは全く異なった細やかな加害者心理の描き方が出来るのではないか?と想像する😑
鬼婆を取り上げてほしい
ウィリアム・フリードキンの好きな映画ですね。
この成長先生の写真は若いな。50年位前じゃないかな。時代背景は、昭和30年ころ、もうちょっと古いのは横溝正史の作品かしら?まあ、こういう映画は70年代までの映画だよね。
残念なのは、主人公が音楽家(指揮者…身体全体が音楽表現であること)…他のシーンは満点の演技だとしても、コンサートのシーン、これを俳優に演じさせるのは難しいと言える😮
この『砂の器』以外観る気になれないが。
この砂の器も惜しいのがドラマチックに盛りすぎたラストよな。
映画は原作より骨太で面白いけどプロットが致命的なんですよ。
この映画の感想が「景色が素晴らしい,ハンセン病,刑事の心理描写~」などと推理小説とはかけ離れているし,感銘をうけとする意味が不感症の私には全く理解できなかった
松本清張原作の映画には,もっと推理小説とよべる秀作映画が色々あるので,松本清張を楽しみたければそちらの方がお勧めである.
この小説の本当のテーマは「背乗り」ではないか? 戦後はそんな人間がいたんだろうなが最初に映画を見たときの感想だった.
なぜ主人公を音楽家にしたんだろう?絶対音感は幼少時からの英才教育の賜物でしょうに。ピアノだって幼少から習わないと意味ありません。
でも世界の小沢と言われる小澤征爾は満州生まれでクラッシックとは無縁の子供時代を送っていましたよね。
10才の時に初めてアコーディオンの手ほどきを兄から受けて音楽の道に進んでますがそれまで音楽とは無縁の環境でも世界に名だたる名指揮者にまでなっていますから別段不可能でも無ければ不思議でもないと思います。