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これ相手のいる戦争での進軍じゃなくてあくまで訓練っていうのが本当にもう救いがなさすぎる…
「天は我々を見放した」は上官が言ってはいけない言葉でした
「天は我々を見放した」というけど、これって起きるべくして起きた人災なんだよなぁ
マイナス41度のシベリアの街を見たが、みんなホカホカの毛皮?に包まれていたものの外出は命懸けらしい。これが猛吹雪の山の中だったらどうだろうか?ロシア人でも外出しないだろう。第5連隊はそのような中を何も考えずに突入したわけだ。まだ天候さえよければ何とかなったかもしれないがね。やはり人間、謙虚に周りの状況と自分を見ないとひどい目に会うかも。冷静な第3者に評価・意見してもらうのは正しい選択肢だろうね。
事実を隠蔽する、失敗から学ばない、上官が責任をとらない日本陸軍の伝統。
八甲田登山を目指して遭難したんじゃないし、雪中行軍資料館も山岳遭難と言うのは間違いと言ってるのに、なんでみんな「山岳史上……」って言いたいのかな。この動画も最初に、行軍経路とは関係無い田茂萢岳山頂からの眺めを出して、「世界最大級の山岳事故」と言う印象操作してるけど、事実は正確にね。
いらすとやさんにはこの当時の黒詰め襟軍装の絵もあったと思います。今の自衛隊の冬季部隊は冬の八甲田が演習地です青森隊は準備研究が不足しており、道案内もつけず、人力で物資を輸送することが目的で、本当の指揮官は「きよてる」なのですが、上官の「きめぇ丸」が勝手についてきて引っかき回しました。なによりも耐寒装備が不足していました。遭難は必然ですなおこの時、青森隊とは全く無関係に弘前からも雪中行軍演習をした部隊があり、これは八甲田越えを数年かけて研究していた特別な部隊で、人数も青森隊に比べればかなり少なく、ぬれても大丈夫なように予備の軍手軍足を大量に用意、軍靴のなかに油紙を敷き足に唐辛子の粉をすり込むなど独自の工夫をこらし、使い捨てという形でしたが現地の住民を案内役に仕立てて、迷うことなく八甲田を全員無事に越えました弘前隊はご指摘のあったことについて充足、またはさらに充実していましたし、事前準備が全く違いました青森隊が迷走していたのは、この弘前隊が青森に着くまで誰にも会うことがなく、到着後に遭難を知ったということからもわかります(と言うことになってますが、発見したが見捨てたという説もあります)。なお「きめぇ丸」は、実は病院で不審な死に方をしています・・・・・・・
八甲田山越えは、徹底的なまでに周到な準備をしていた弘前隊ですら、あわや遭難しそうな状況だったと聞いています。そんな自分たちですら危ない状況で、もし青森隊の遭難者を発見しても、彼らの救助・遺体収容をしたら、二次遭難で自分たちまであの世への道連れにされかねません。だからそのままにしておくしかなかっただろうと思います。
「あ、あんぱんたべたいな。かぶら漬け、食いたいな。ぼたもち…食いたいな…(泣)」
明治では戦争では「天候に勝てない」とは習えなかったんだろうな
天は我々を…
自信過剰なくせに「天は〜」とか言い訳して本心は他力に頼ろうとする根性だからこんな大量遭難したんやぞ
「軍」を含めた世界最大の山岳遭難はインパール作戦です。
鬼畜、牟田口
リーダーが“きめえ丸”って時点でイヤな予感しかしないw
この時代はやっぱりあれかな、気合いでどうにかなる!無理ですとか言おうものならブン殴られるとかかな
なにか一つも違わないからこういう結果になったのです。冬将軍に勝てる者などいない。自然を舐めて遭難する者は後を絶たない。
冬山登山に服装が木綿だったとか。木綿は汗をかくと体が冷える。
いよいよ親玉ともいえる件が出てきましたね僕は遭難と言われればこれが最初に出てきます
映画になったよねー!!
映画「八甲田山」原作:新田次郎「八甲田山死の彷徨」監督:森谷司郎脚本:橋本忍音楽:芥川也寸志出演:高倉健、北大路欣也、三國連太郎、加山雄三、丹波哲郎、小林桂樹ほか
新田次郎が小説を書き、映画にもなった。
小説「八甲田山死の彷徨」映画「八甲田山」主演:高倉健、北大路欣也
実際寝たら死ぬの?なんで?
眠ると一般的に体温が下がります。だから眠ると体温が下がりやすくなるので、低体温症になる確率が上がるんですよ。
実は眠って体の機能を低下させる(冬眠状態)ことによって、誰かに助けてもらう生存確率を上げるためとも言われてますね。なので、眠気が来た時点でもう脳は危ないから寝かせようとしてるとも言えます。
1902年なら明治35年なんじゃ?
まぁ「ドキュメンタリー八甲田山」を見れば、青森隊を叩き、弘前隊を持ち上げる事が間違っている事が良く解るんだが。何故にコメントランでイメージ操作をするのか、解りやすい。
六甲と混ぜて六甲田山
これ相手のいる戦争での進軍じゃなくてあくまで訓練っていうのが本当にもう救いがなさすぎる…
「天は我々を見放した」は上官が言ってはいけない言葉でした
「天は我々を見放した」というけど、これって起きるべくして起きた人災なんだよなぁ
マイナス41度のシベリアの街を見たが、みんなホカホカの毛皮?に包まれていたものの外出は命懸けらしい。これが猛吹雪の山の中だったらどうだろうか?ロシア人でも外出しないだろう。第5連隊はそのような中を何も考えずに突入したわけだ。まだ天候さえよければ何とかなったかもしれないがね。やはり人間、謙虚に周りの状況と自分を見ないとひどい目に会うかも。冷静な第3者に評価・意見してもらうのは正しい選択肢だろうね。
事実を隠蔽する、失敗から学ばない、上官が責任をとらない日本陸軍の伝統。
八甲田登山を目指して遭難したんじゃないし、雪中行軍資料館も山岳遭難と言うのは間違いと言ってるのに、なんでみんな「山岳史上……」って言いたいのかな。この動画も最初に、行軍経路とは関係無い田茂萢岳山頂からの眺めを出して、「世界最大級の山岳事故」と言う印象操作してるけど、事実は正確にね。
いらすとやさんにはこの当時の黒詰め襟軍装の絵もあったと思います。今の自衛隊の冬季部隊は冬の八甲田が演習地です
青森隊は準備研究が不足しており、道案内もつけず、人力で物資を輸送することが目的で、本当の指揮官は「きよてる」なのですが、上官の「きめぇ丸」が勝手についてきて引っかき回しました。なによりも耐寒装備が不足していました。遭難は必然です
なおこの時、青森隊とは全く無関係に弘前からも雪中行軍演習をした部隊があり、これは八甲田越えを数年かけて研究していた特別な部隊で、人数も青森隊に比べればかなり少なく、ぬれても大丈夫なように予備の軍手軍足を大量に用意、軍靴のなかに油紙を敷き足に唐辛子の粉をすり込むなど独自の工夫をこらし、使い捨てという形でしたが現地の住民を案内役に仕立てて、迷うことなく八甲田を全員無事に越えました
弘前隊はご指摘のあったことについて充足、またはさらに充実していましたし、事前準備が全く違いました
青森隊が迷走していたのは、この弘前隊が青森に着くまで誰にも会うことがなく、到着後に遭難を知ったということからもわかります(と言うことになってますが、発見したが見捨てたという説もあります)。なお「きめぇ丸」は、実は病院で不審な死に方をしています・・・・・・・
八甲田山越えは、徹底的なまでに周到な準備をしていた弘前隊ですら、あわや遭難しそうな状況だったと聞いています。そんな自分たちですら危ない状況で、もし青森隊の遭難者を発見しても、彼らの救助・遺体収容をしたら、二次遭難で自分たちまであの世への道連れにされかねません。だからそのままにしておくしかなかっただろうと思います。
「あ、あんぱんたべたいな。かぶら漬け、食いたいな。ぼたもち…食いたいな…(泣)」
明治では戦争では「天候に勝てない」とは習えなかったんだろうな
天は我々を…
自信過剰なくせに「天は〜」とか言い訳して本心は他力に頼ろうとする根性だからこんな大量遭難したんやぞ
「軍」を含めた世界最大の山岳遭難はインパール作戦です。
鬼畜、牟田口
リーダーが“きめえ丸
”って時点でイヤな予感しかしないw
この時代はやっぱりあれかな、気合いでどうにかなる!無理ですとか言おうものならブン殴られるとかかな
なにか一つも違わないから
こういう結果になったのです。
冬将軍に勝てる者などいない。
自然を舐めて遭難する者は
後を絶たない。
冬山登山に服装が木綿だったとか。木綿は汗をかくと体が冷える。
いよいよ親玉ともいえる件が出てきましたね
僕は遭難と言われればこれが最初に出てきます
映画になったよねー!!
映画「八甲田山」
原作:新田次郎「八甲田山死の彷徨」
監督:森谷司郎
脚本:橋本忍
音楽:芥川也寸志
出演:高倉健、北大路欣也、三國連太郎、加山雄三、丹波哲郎、小林桂樹ほか
新田次郎が小説を書き、映画にもなった。
小説「八甲田山死の彷徨」
映画「八甲田山」
主演:高倉健、北大路欣也
実際寝たら死ぬの?なんで?
眠ると一般的に体温が下がります。
だから眠ると体温が下がりやすくなるので、低体温症になる確率が上がるんですよ。
実は眠って体の機能を低下させる(冬眠状態)ことによって、誰かに助けてもらう生存確率を上げるためとも言われてますね。なので、眠気が来た時点でもう脳は危ないから寝かせようとしてるとも言えます。
1902年なら明治35年なんじゃ?
まぁ「ドキュメンタリー八甲田山」を見れば、青森隊を叩き、弘前隊を持ち上げる事が間違っている事が良く解るんだが。
何故にコメントランでイメージ操作をするのか、解りやすい。
六甲と混ぜて六甲田山