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これ、待ってました!いろいろ解説あるけど、このチャンネルの解説を見たかった!
現場に行きました本当に過酷なところでしたご冥福を祈ります
八甲田山と二百三高地は好きな映画で何度も観てます。絶望の中で亡くなった方々は無念だってでしょうけど、無事に訓練が終わっていたとしても更に地獄のような戦地が待っているのですから、戦争は本当に怖いですよね。
生き残った中でも一番元気?だった大尉も、高倉健さんが演じた役のモデルの弘前の大尉も、結局日露戦争で命を落とされているんですよね…映画「八甲田山」の最後に字幕で書かれてて、更に暗澹たる気分になりました。
映画を見ましたが、実際に現地に行って撮影したため、エキストラが逃げようとして本当に遭難しかけたなど寒さと視界が効かなくなることは、本当に死につながるのだとよくわかる事件だと思いますね。倉石大尉が軽傷ですんだのは、たまたま休暇で東京に行った時にゴム長靴を購入しており今回の訓練で「これを履けば足が濡れないで済むな」と考えて持って行ったことが、結果的に命を救うことになったようです
映画の撮影も過酷だったようですね映画に出演した役者さんが後年「撮影中気を失いかけたけど、ここで気を失ったらNGでこのシーンはまた最初からやり直ししなきゃいけなくなると思って気力で演技続けた」って語っていた記憶(その時は半分笑い話のように話されてましたが)
@@ほんだあかし 大竹まこと氏が輜重卒役で出演しているんですが、ロケ中あまりに寒いわ大部屋俳優の待遇がひどいわで立ち〇ョンしていた上級将校役の俳優をイライラ解消に背後から蹴飛ばしたら見事に雪に埋もれてしまったとか。なお、蹴飛ばされたのは緒形拳氏だったようで「バレずに済んだ」とのこと。
@@fa-masf1leclairon177 大竹まこと過激だなぁ😭
@@パク-e2o さんそりゃあ夕焼けニャンニャンでおニャン子ガチ泣きさせたからね
棺の中で5時間待たされたのは誰だっけ……
「帰ろう。帰ればまた来られるから」の精神が必要ですね
キスカ撤退作戦だ
今の撮り鉄に一番欠けてる精神
読み応えのある長編wikiの中で、やはり心に残る八甲田山。この時代だったからこそここまでの恐ろしい事態になったのだろうが、母親の立場である自分としては、お母さんの幻覚が見えた隊員の話がとてつもなく心に突き刺さり、もし自分の息子がと思うと胸が張り裂けそうになりました。
加えて後日弘前隊は日露戦争でほぼ全滅したそうです。
どちらにしても悲劇の運命か…
@@ヤス-l4b 青森連隊の行軍が素人の師団長の顔色伺いで滅茶苦茶になったのを引いても八甲田山雪中行軍演習自体が対露戦の想定演習でしたから。
自分北海道住んでるんだけど小学生の頃下校中吹雪が凄すぎてプチ遭難した事ある、 マジで怖かったなあ
下校途中に遭難って…😰
@たくあんみかん 雪国あるあるですよね〜 今では笑い話ですが当時は本当に怖かったw
@@東條りん-r9s さん今でもあるそうですよ。
確か玄関先に新聞取りに行ったままホワイトアウトで視界失って凍死したんでしたよね。
この話を聞くたびに驚くのが、退却を提案した将校たちが下の階級である下士官の反対意見を受け入れてしまう柔軟さを見せたところです。日本の軍隊は上下関係が厳しかったと聞きますが、反対を受け入れず、将校の意見を押し通す厳格さがここでは発揮できなかったのが残念ですね。(日本語を習っている途中なので、言葉が変かもしれません)
旧日本軍では「星の数よりメンコの数」って言葉がありまして。在籍年数が長い叩き上げの下士官の意見は結構重視されていますよ。八甲田の場合は裏目に出ましたね。あ、メンコってのは食器を指すスラングです。
なんの問題もない日本語です👍️
下士官連中にしたらここで撤退したら今まで散々バカにして来た平民や兵卒にバカにされると言う思いがあったのでしょうね。実際青森五連隊雪中行軍隊の多くは出世の見込めない除隊寸前の長期勤務伍長や士官勤務下士官(特務曹長)が兵卒をこき使う構成で弘前隊が将来有望な下士官や見習士官中心で、研究テーマを与えていじめる暇を与えなかった事とは好対照です。実際弘前隊の兵卒は指揮官の従卒とラッパ卒、地元出身の案内人役の4名のみで従卒には行軍中の伝令方法、ラッパ卒には寒中でのラッパの吹き方と言う研究テーマがありました。他の士官は従卒同行を禁じられていました。
文章もちゃんとしているし、句読点も正しく付けているし、漢字も正しく使えているし、誤字脱字も無いし、完璧だと思います✨むしろ、ネットでの日本人の書く文章より余程きちんとしていて読みやすいです👍っていうか、日本人である自分の日本語や文章に不安すら感じてしまうレベルだと思います💦旧日本軍に限らず、現代の日本の組織でも、下の正しい意見を上が受け入れず取り返しのつかない結果を招くというのはよくある事ですが、この八甲田山大量遭難死に関しては、将校達が下士官達の血気や使命感を押し止め、時には撤退する勇気が必要だということを実行していたら…と、悔やまれますね…。
おそらくは、大目標は、訓練の完遂であることから、中止と継続のどちらを至上とするかとなると、継続となるからではないでしょうか。
小説は本当にオススメだぞ、生き残った隊員の詳細も載ってたし、なにより読んでる読者側にも震えが伝わって来るほどの本だった
何というタイトルの本でしょうか??
@@j7301001ag 八甲田山死の彷徨です。
ありがとうございます!
@@j7301001ag 「八甲田山死の彷徨」
ドキュメンタリー八甲田山 ~世界最大の山岳遭難事故~ってDVDを推奨致します。今の職場は青森にも事務所があるんですが,そこで借りて観たのですがよかったです。
この事件もだけど、その後の第二次世界大戦末までの軍のクソっぷり調べると、大日本帝国ぶっ潰れてホント良かったなってなる。
ちなみにサムネになってる褌の男性は役者の原田君二さんという人CGなんかほぼ無い時代に八甲田山の映画をやることになり、マイナス何度という天候の中でロケ隊も遭難しかけるわ、雪の中で服を脱ぐ演技しなきゃいけないわでほんとに命懸けだったそうです。
確か今は大竹まことと名乗っている様な
旭川でマイナス41℃が記録された時の事故だったんですね
他ルートで行動した弘前31連隊が無事に雪中行軍を終えたことから、余計に悲劇的に感じる。
実際には全員生きて帰った以外は失敗だったそうです。青森にたどり着いた時はボロボロになっていて、宿についた瞬間そのまま倒れ込んで入浴も食事も出来ない状況まで疲労していた上に凍傷でやられた者も多く、一時は翌日の汽車で全員帰還させる事も検討された位で、結局梵珠山と言うそれまでの犬吠峠や増沢ー田代ー田茂木野ルートとは比較にならない楽なルートを辿る事さえ断念して国道経由途中一泊、に変更しています。まあここでこう言うルート変更が柔軟にできてエスケープ出来るのが31連隊の強みではありましたが。
@@古家武史-f5d それは弘前31連隊が何かまだ不足やミスがあったんでしょうか?それとも冬の八甲田に対して計画自体が非現実的なものだったということ?
@@blackheart7568さん案内人に対する扱いはともかく準備等はほぼ完璧でしたが実際には彼らの想定をも超える過酷な状況だった故です。水筒に酒混ぜて常に動かして凍結防止したり服装も5連隊とは比較にならない位充実していたし握り飯やもちは絶対肌身離さず持て、ポケットに煎り米や乾パン入れておけと食糧確保にも万全をきたしそもそも古参で中途半端な特務曹長連中を初めから隊に入れず、兵卒は指揮官の従卒とラッパ卒、地元出身の案内人役以外の引率も参加も認めず、下士官と見習士官中心にする事で1、行軍目的の明確化2、兵卒いじめ撲滅と指揮系統への介入を防ぐ3、万が一福島隊が遭難全滅しても志願者である下士官や見習士官なら紙切れ一枚で強引に連れてきた兵卒と違いたとえ死んでも遺族からそれほど文句は出ないと踏んだからを行ってこれが「成功」要因です。それでも道中は握り飯が食ってる途中で凍結してあっという間に喫食不能になった、凍傷で一名三本木から帰営させたなど青森には全員満身創痍で辿り着くのがやっとで到着と同時に全員が倒れ込み、隊長はもうこれ以上行軍は不可能、ここで休養後当初予定の梵珠山越え弘前帰営を断念して国道経由大釈迦越えで途中一泊帰営ルートに変更してます。31連隊の場合は遭難してもほぼ天災や不可抗力レベルですが5連隊は自滅や人災そのもの
「天は我々を見放した」は映画を観ていない幼児期の私でも知ってる言葉です。格好良い悲劇のヒーローかと思ってましたが、全然違ったと知った時は驚きました。
八甲田山か来たか……地元の人の申し出は受けておいた方がいいよなもう一隊も敵陣であれば相手を取り込めるかは重要な事だし案内人さんを大事にしてあげれば良かったのに……
当時の軍隊は、兵士士官でない者に冷たかった。結果的にそれが失敗へと…人間いつまでも謙虚さが大事ですね
31連隊の「成功」が後年日中戦争や太平洋戦争で日本軍が現地住民のゲリラ戦に苦しんだ挙句正規軍との決戦前に戦力をすり減らしたり補給線を切断されて孤立無援の末全滅の悲劇があちこちで起きる原因にもなってます。中野学校では両方とも雪中行軍に失敗した。31連隊は全員生きて帰ることができたから真の失敗(地元住民の慰撫に失敗して強引に案内させた)を誤魔化す事に成功した。とされているそうです。
人間が極限状態になるとこんなにも怖い現象が起きるのか…😨こんなに犠牲者が出て鍛えるどころか無駄に死者を出しただけ、本末転倒だわ💦
もともとの命令が酷かったという説もあり……休憩無し装備不足は極寒戦闘を見据えた、雪が珍しい地方に住んでいた偉い人が指示したとか。弘前側の装備が充実していたのは弘前側が自費で用意したからで、案内人にも予算が下りなかったから自費で払っていたらしい。青森側は雪山を知っていた隊長が強固に反対したから左遷されて、雪が余り積もらない地方に住んでいた人を責任者にしたよう。困難は精神力で克服って真顔で言われていた時代、この後の対露戦でもろくな装備も無しに機関銃に立ち向かう無茶させてるし、無為無策が好きな上層部だよ……。
士官や見習士官は成功のために用意されたATMだった。
でその究極が太平洋戦争であり昭和から続く体育会系部活動でありブラック企業
今の日本政府と何ら考え方は変わってないのが‥
福知山の自衛隊第七普通科連隊のスキー訓練動画で「気象の克服とは根性論ではなく、知識と技術に裏打ちされた、その場その場での最適解を導き出すこと」というシーンの画像が映画八甲田山なんだけど、何重もの皮肉なんだなあれ。。。あるいは自戒か。
いつの時代も上層部はそりゃーそーだろね。基本的に身銭切るのも死にに行くのもテメエじゃねーからな。
有名な八甲田山雪中行軍遭難事件…同じような悲劇が二度と繰り返さないように現代に生きる私達がしっかりと後世に伝えていかなければなりませんね。
暖かい地域の人には分からない北日本の厳冬期。
隠匿や歪曲なしに永遠に語り継がれるべき大失態だ
映画八甲田山、大好きな健さんそして北大路欣也さん達の本当に魂の籠った作品でした😢常々ゆっくりまうんてんさんが言われている、決して自然を侮ってはならないということのお手本のような遭難事件でした😢十分な準備と冷静な判断、そして時には引く勇気。無理なものは無理で精神力や気合だけでどうこうできるものではない。命を懸けて教えてくれた英霊たちの御霊に合掌😢🙏🏼
経験不足の高齢者や未経験者が、登山に行ってよく遭難するケースで、あまりにも山を舐めているとしか思えない報道を聴くと、なんか腹が立ちますよね。自分も登山部の体験入部で、いきなり60㎏もの装備を背負わされて、6階までの縦階段を一日30往復させられる日々があり、いい体験ができました。※まぁ、「ヘタレの俺にはどうせ続かないさ!」と、早々に自分の限界に見切りをつけただけなんですけどね。装備の質が良くなり、軽量化が進んだりしても、一人一人が十分生存できるくらいの装備が必要で、「自分の命は自分で守れ」と言われた意味が、後年この映画を観てからよくわかりました。だからこそ安易に「ソロキャン」とか「山ガール」とか、マスゴミが取り上げているのを見るとイラっとしますね。
根本的な原因は人災ですよね。
生き残った隊員の中の凍傷が酷くなかった兵士は、日露戦争に出兵して戦死した人もあったと言うことです
さすがの高倉健さんもあまりに過酷な撮影で涙が出たと言われてましたね。
実際足の指先に凍傷を負い、死ぬまで曲がったままだったそうです。駅員(ぽっぽや)で足先を映さないのはその為。
@@古家武史-f5d マジっすか😱
@@はる-n2y3m さん北大路欣也さんもあれ以降時代劇の仕事が来ない。時代劇では曲がった足先は映せないからと語ってます。実際に崖から落ちそうになったところを加山雄三さんに助けられたそうです。
@@古家武史-f5d 昔だからうやむやに出来たのか?今だったら補償問題になりますよね…それ以前にそんな無茶なロケはさせない誓約がありそうだし。
暑い暑いと極寒の中で服の脱ぐのは妄想ではなく、体が極限状態の寒さに陥ると筋肉の過剰な収縮から熱を放出して体が熱くなるから生理現象
今でも新田次郎の「八甲田山 死の彷徨」を読むに当時の青森第五連隊の行軍装備のお粗末さと計画の杜撰さがこの大遭難を引き起こした「人災」だったと再認識しますね
私も「八甲田山死の彷徨」を読みました!!最後にかなりの方が発狂して亡くなっていく様は本当にリアルで恐ろしいです上官の命令は絶対ですからね( ;´Д`)
日本人の悪いところを煮詰めたような遭難事故。
@@結猫-i2q さん発狂死は途中段階最後は発狂する元気もなく力尽きて死んでいったそうです。ちなみに映画で発狂死する役を演じたのは大竹まこと
ホワイトアウトした時に遭難しやすいのは八甲田山みたいに広い尾根の方が遭難しやすいですね。狭い尾根は目印になりやすい岩場があるので!
知りませんでした( ̄0 ̄;)勉強になりますm(_ _)m
この記念碑のある所に行きましたが、まわりは何もなく森があるだけ…近くの飲食店の片隅にある資料コーナーで、この悲劇の詳細を知りました…
あの飲食店、廃業してたんですか…美味しかったのに残念です…
昔から日本の軍隊とか警察はくだらん見栄とかプライドに拘るところあるよなそのせいで判断を見誤って大惨事になる
以前八甲田山に行く時に大量遭難の話を家族から聞いて心配されたことがあった。そりゃあ心配になるなって思いました。
この映画を子供の頃に見たけど、映画ですらも、極寒の寒さ人間模様が見れた、実際は想像を絶する状況だったと思う。
哀しいなぁ…
初夏の山で想定外の雨風に凍えたことあるけど、寒さってマジで思考能力奪うな。体の感覚が鈍るからなのか、無理・無茶をしがちになる🥶
この前八甲田山に行って気になってたから助かります🙇🏻♂️
生き残る人がいたということのほうが驚くレベル…
確かに…ゴム長ひとつで命拾えるのかと。ダウンでも○ートテックでもないウール二枚重ねで4日間吹雪の中を彷徨うとか…
県立青森図書館のアーカイブでは、生存者の惨状の写真が公開されています。
田代温泉って温泉街みたいな温泉じゃなくこの当時はただ温泉があるだけで街じゃない所ですからね。事前準備がでたらめですね…
@@user-pb3ux7sg さんとても210人を泊める様な宿は無くたどり着いたとしても将校だけ温泉で一杯、兵士は野営と言う酷さで翌日抗命して全員逃亡していたと思います。
@@古家武史-f5d さん坑命して逃亡なんてしたら、厳罰処分とか軍法会議とかにならないんですか?例えば本人の家とか実家とか迄逃げ延びたとしても、連れ戻されるとか…。
@@May_La-C5THKSL_eternalさんあの吹雪ですからホワイトアウト利用して遭難装って逃亡は可能。但しそのあと本当に遭難するが。もっとも陸軍は海軍と違い将校ー兵卒、下士官の身分的壁はあまりないので交替で風呂に入れたり、宿舎入りは大隊本部限定程度だったでしょうが
映画を観ても分かるけど、八甲田山の山麓、里山を行進しただけです。大荒れの天候で視界が効かなければ、里山でもわけがわからなくなる。
作者の新田次郎の妻の藤原ていが書いた、流れる星は生きているという、敗戦後小さな子を連れてぼろぼろになりながら引き揚げて来た壮絶な体験を記した本もすごいです。今の若者に読んでもらいたいです。
実際に、通常の社会生活の中でも引き際のリミット(限界タイミング)ってありますよね。とても大変なことになる前に、それまで注ぎ込んだリソースを捨て、切り上げる決断をしなきゃならない見極めって。登山や雪中行軍(耐寒訓練)、それに戦闘でも、それは同じなのでしょう。この事件は、トップがその見極めや決断タイミングを誤ると、大勢の人を死に追いやってしまったと言うことだったんですね。
だいぶ前ですが、八甲田にある無人の別荘から119番に電話がかかってきた事件?もありましたよね。まだ何かが居るんですかね。
何か聞いたことがある話なと思って、検索したら、記事になってました。以下記事より↓青森県内で消防通信指令室に掛ってきた1本の119番通報が謎を呼んでいる。先月17日(2014年5月)深夜、119番通報を受けたが応答がなく、ザーザーというノイズ音しか聞こえない。通報者が電話機の前で倒れているのではないか。消防はそう考えて、かけてきた電話の所在地を調べたところ、八甲田山の別荘地にある家からとわかかり、救急隊員10人が現場に急行した。 救急隊員が到着してみると、家はしっかり戸締りがされ人が入った形跡がない。窓ガラスを割り中へ入って調べたが人気はない。ただ、119番通報の発信元である古いダイヤル式の黒電話を発見した。指令室は電話を切らず信号音を出し続けておいたため、この黒電話が発信元であることは間違いないのだが、受話器は電話機に置かれたままだった。つまりオフの状態だ。 プレゼンターの岸本哲也が現地に行ってみると、地元ではさまざまなうわさ、憶測が飛び交っていた。一つは偽装通話説。電話に詳しい専門家によると、海外の回線を使えば偽装通報もできないことはないという。ただ、可能なのはプッシュホンだけ。そもそも、そんなことまでやってニセ通報する動機が見当たらない。 もう一つ可能性は風のイタズラだ。当時、この地域では最大瞬間風速16メートルの強風が吹いて、NTT東日本によると別荘の電話線が切れかけていた。そこに強い風が当たって通話状態になったのではという説だ。ダイヤル式の電話は番号の数だけ通電と断線を繰り返す仕組みで、9の場合は限られた時間内に9回通電と断線を繰りかえさないと掛からない。風が同じ間隔で通電と断線を繰り返す偶然なんてあるだろうか。「兵士が歩いているのを見た」という複数証言 残る有力な説は雪中行軍で死亡した兵士説。実は、この場所は1902年冬に陸軍兵士199人が雪中行軍中に遭難死した「八甲田山死の彷徨」に近く、記念碑もある。夜間の別荘を撮影した写真に複数の正体不明の白い球が浮いていたとか、「兵士が歩いているのを見た」という人が複数いるという。 宋美玄(産科医)「私は心霊現象を信じないから、風のいたずら説」 司会の小倉智昭「戸が閉まっていても入れる誰かでしょう。八甲田死の彷徨でまだ見つかっていない人があの辺をさまよっていることはないですかねえ。じゃないと話は面白くない」 機械の誤作動か。それとも何かのメッセージか。昨年11月以来、無言の119番通報が同じ消防通信指令室に6回もあり、いずれも固定電話からだという。この話ですね。今回の解説動画の話と繋がっていますね。偶然なのか何なのか分かってないのがゾッとしつつ悲しいですよね。
@@kai_tama58 そうそう、これです。色々興味深いですよね。
ここで死者を出さなかった弘前隊は日露戦争で全員戦死したんでしたっけ。
ありがとうございました。わかりやすかったです。今はどんな情報でも手に入るから実感わかないけどぬくぬく育ったおぼっちゃまの隊にいた人かわいそう…。地元民からもアドバイス受けたり窮地に陥るのを回避することはできたのにねぇ…
八甲田は訓練だったのですね残念でなりません改めてご冥福を祈ります
民間人の犠牲はサラっと流すんですよね。
可哀想すぎて涙出た。魔理沙さんが淡々と話す口調が更に悲しさをます。そもそもロシアと戦う為に訓練してんのになんで雪に殺されなくちゃならん。死んでも死に切れなかったろうに。
生き残った兵士は『英雄』とされて花嫁募集などもされたという話…
しかし、そんな人たちも日露戦争から帰ってきた「英雄」たちにとって変わられすぐに忘れられてしまったようです。
映画「八甲田山」は今では人権的に絶対撮れない程リアルでオススメですねキャスト・スタッフは冬になる度に八甲田山で撮影し続けて、マジ凍傷になったとかCG特撮一切無しの、ガチ撮影は今でも見応え十分です
一連の撮影で一番大変だったのが晴れた日に岩木山を背景に高倉健の部隊が行軍するシーンだったそうです。理由は岩木山がバッチリ見えるほどの晴天を待つために、スタッフ・演者ともに数日間、近くで缶詰状態だったそうです。映画では割と序盤の行軍シーンです。
大丈夫。CGがなんとかしてくれる。(皮肉)
@@fa-masf1leclairon177 さんそれができるようになったのはタイタニックの成功例からでいまだに日本映画では出来てません。
てか当時の日本らしいよねそりゃ…生きていられちゃまずいよな…
気温はマイナス20℃体感温度はマイナス50℃だったとか
恐山よりも恐ろしい山の話
私は映画を観ずに仕事で夏でしたが、下北半島へ旅行の添乗に行きました。バスで八甲田山に登って行く途中、気持ちと裏腹に涙が出て止まらないのです。仕事から戻ってTSUTAYAで借りて映画を観て恐ろしくなると同時に歴史に学ぶと言う事で英霊にご冥福を祈り、感謝しました。鎖国からイキナリ西洋に追いつかなければならなかった日本は富国強兵しかなかった大変な時代だった、想像を絶します。人身事故でよく電車が止まります。冬場の通勤に際して、教訓になる事もたくさんあります。
自衛隊はこの八甲田で97年、噴気孔に近寄ることで3人、死亡させてる。岩木山・八甲田には小さな噴気孔の窪地が多数あって、地元の陸軍が知らないでは済まされない事故だった。古くは、根性主義の訓練で殺したケースもあったような。
全然八甲田と関係ないですが、富士山でスパッツいっちょの外国人に出会うと驚愕する。
ダーウィン賞ものです。
モチベーションが上がるからコメントしてほしいという認識でいいですか?今までの動画めちゃくちゃ面白くて大好きですよ😃全部見てます多分!四十路のオッサン自衛官ですが応援してます‼️
天「え?わいのせい!?」
19:21 wikiを見て戦慄したわ。少なくともまともな人間がすることじゃないけどそれを可能とした時代が恐ろしい
全く同感です…。何から何まで有り得ないですよね…。恐ろしいです。
高倉健が弘前隊の隊長を演じる映画がむちゃくちゃ寒そうな映画だった。天は我々を見放した…と口にした途端に、それまで無言でついてきた部下たちがパタパタと力尽きて倒れたのが印象的ひとつの教訓は、たとえ大勢で行っても助け合える範囲はたかが知れて、人数の分だけ死者が増えるだけという事実を理解すべき。
当時、その台詞がブームになったと同時に、そりゃ隊のリーダーである将校にそんな事言われたら、それでなくても気力だけでそこまで何とかついてきてた部下達の糸はプツンと切れるだろうって、非難轟々っていう現象だったなぁ…。
以前、自衛隊の広報映像かなにかで第5普通科連隊の雪中訓練の様子を紹介していたのを拝見しましたが、現代的な雪上車やスキー、防寒に対応した戦闘服、すぐにお湯を沸かせて食べることができる調理器具や食糧、気象予報にに基づいた医務官からの凍傷防止の注意など現代の知識、科学を駆使しても雪山は恐ろしい所であると思わされました。
この遭難事故には色々な原因があるが、なにより天候が悪かった。夏の最高気温は年々更新されるのに、この冬の最低気温は、100年以上経ってもいまだに更新されていない。つまり日本史上、最も寒い冬だった。
物事をスムーズに進める時、絶対必要なのは、「天の時、地の利、人の和」と言うけど、この遭難はそれが全部ダメだった。(この場合の「人の和」は、トップに立つ人物が不適格という意味で)
ましてやリーダーが数日前に雪中行軍を知らされたとかね。みんなが未知の領域という事もあったんだろうけど、あまりにも準備期間としては短すぎる。
下手なホラー映画の100倍怖い
社内の管理職教育で「その時リーダーはどうすべきか」を議論する教材として今でも時折り取り上げられる本件。結果論としては色々いうことはできるだろうが、もし自分がその時現地で判断を迫られ立場だったらどう判断し行動できるか、どれだけ考えても結論が出ないのが本心。ただしこれを考え続ける機会を与えてくださった英霊の方々に対して、たたえる事しか出来ない。
今もその場所で陸上自衛隊の冬季戦技教育隊で訓練をしています
割と最近、TV番組で観たことがあります。この大量遭難死の行軍の過去を考えながら観ていると、色々と複雑な思いを感じてしまいました…。
〽雪の進軍、氷を踏んで どこが川やら道さえ知れず 馬は倒るる捨てても置けず(中略) 焼かぬ干物に半煮え飯になまじ命のあるそのうちは こらえ切れない寒さの焚火 煙いはずだよ生木が燻る(中略) 義理に絡めし恤兵真綿 そろりそろりと首絞めかかる どうせ生かして返さぬつもり(軍歌 「雪の進軍」より抜粋)
笑えない…(╥﹏╥)あくまでこれらの苦難を乗り越えた人達だけが後から笑い飛ばす唄ですね
自分も当時、レコードを購入しました。八甲田山のメインテーマを歌にしたもので確か、出だしが雪の~地獄の凍った空を~白いカラスが~笑って通る~とかだったような記憶です。ちなみにB面は我が子よ~お前にほんの少し私の命を~送ろう~で始まる歌で泣けてしまいます。
八甲田山雪中行軍遭難事故は、映画「八甲田山」を見た方が手っ取り早いと思う。見るも無惨なストーリーだったけど^^;
数年前テレビで放映した時は、2chの実況スレがヒートテック貸してあげたい、とかダウンジャケット至急しろ、とか盛り上がりました。
早速リクエストにお答えいただきありがとうございます。当時は冬山に対する知識や技術、装備もまだ未発達でその悲惨さは南極探検のスコット隊を彷彿とさせるものでしたね?。自衛隊も行軍訓練をしますがやはり遭難事故もあるのでしょうか?
元自です、行軍中は数メートル離れた位置に雪上車が同行し、天候があまりにも悪い場合は検閲中でも中止になります(実際、設営中の時点で地吹雪がひどくて中止になった訓練検閲がある。)。
部隊の解散については5連隊生存者の伊藤中尉が否定してましたねもっとも極限の状況じゃあ正確に記憶しているのは難しいでしょうが
体感温度マイナス50℃の「地獄」なら記憶の錯誤があってもおかしくないですからね
@@user-cn7tm4eh5r さん真冬でもせいぜい気温一桁台くらいしか経験のない身としては、体感温度-50度とか、桁違い過ぎて、どんな凄まじい状況なのか、正直想像すらつかないです…😰
青森隊は豪雪を知らない岩手出身者が多かったし(地元出身者は弘前隊に多かった)、当初の計画ではソリではなく馬車に依る機材運搬の予定だったような…人数が多くなり馬車でないと運べない分量になってしまったものの、雪のため馬車が使えずやむを得ずソリに切り替えたとか…弘前隊には地元の新聞社の記者が同行して記事を書いていたという話も有ります。道に迷って樵の小屋にたどり着いて生き延びた隊員が居たという話も。なお、伍長さんが立ったままで見つかったのは衣服が凍りつき、倒れられなかったからとの話も有ります。…小説を書いた新田次郎氏と事件について調べて纏めて居た小笠原孤酒さんとの間で揉め事もあったようです。孤酒さんは事実をきちんと書いてほしいと資料を次郎氏に見せたものの、話を脚色されてしまったのでかなり憤慨していたようです。そのへんは『八甲田山 消された真実』という本で触れられてますね…
一応岩手県も結構降雪あるのですが八甲田山の乾雪と違い湿雪ですのでホワイトアウトの経験もカンジキが役に立たないと言う経験も無かったからね。後糧食一つとっても、初日故宿で炊飯委託できない状況や最高に困難な犬吠峠や増沢ー田茂木野ルートでは出来るだけ餅を携行し、凍結しても火に焚べて再喫食可能にしていた福島隊と握り飯主体で事実上再喫食不能と思われていた神成隊とで差がありましたし福島隊は事前に糒や乾パンを全員に支給してました。
小説読んでみたくなった。
遭難すると、笑いだしたり錯乱する。一人がやると皆が…凄まじいね。ルック青森!
冬の八甲田はヤバいな
そもこれ温泉行っても宿泊ができなかったのがもうね
ものすごく「日本!」って感じ
壮大な人体実験(兵士が東北の農家出身なので平気でできたのか🤔)
その意図を誤魔化す為、旧徳川家の華族を雪中で死なせた。
凄い話ですね…😰まぁ、古今東西を問わず、軍とか国家なんてそんなものですね…。
五連隊を構成していた兵卒は東北出身一応雪に対する知識はあったのですが多くは降雪が少ない地域や、八甲田山とは違い湿雪地域の出身故カンジキが雪に埋もれてアウト雪が下から降ってくる呼吸しただけで雪を吸い込む上に降雪量も桁外れで中途半端に雪を知っているが故に舐め切っていた兵卒には脅威以上の自殺行為でした。生き残った兵卒は岩手県北部などで炭焼きやマタギに従事していて雪や寒さへの対処法は知っていて、これが生死を分けてます。長谷川特務曹長がほぼ無傷で帰って来れたのは「田代といっても僅かに5里ばかりで、湯に入りに行くつもりで、たった手ぬぐい1本を持っただけだった」と言う自身の発言や隊員の多くの意識とは対照的に士官勤務下士官の特権を活かして雪対策どころか凍傷予防策まで研究していて1、マッチや蝋燭のほか予備の足袋を持参していた。2、予備の足袋を手袋代わりに使用3、常に手の摩擦を怠らない4、足先に唐辛子を塗した5、軍銃の革と毛皮の外套の襟を剥がして足に巻き凍傷を予防6、焚き火をしても直接火に当たらなかった7、握り飯や餅は油紙や新聞紙に包んで腹帯の中に入れたりして喫食時以外絶対肌身離さず凍結させなかった(それでも喫食中に飯粒が見る間に凍結してしまい「雪中行軍に握り飯は不向き」と結論づけてます。但し表面を真っ黒に焼く焼きおにぎりにすれば一応大丈夫で、これは福島隊が案内人に教わって実践している)故です
関東育ちワイ、雪山には一生近寄らないと決心しました…
映画を小さい頃に見たことがあります。おそろしくて若干トラウマです…、
戦争となると、こんな無能のポンコツ上司の命令を聞いて、死ななきゃならないんですね。人災で死んだなんて、送り出した家族も報われなさすぎる。みんな若くて前途ある人ばかりだっただろうに。
失敗は成功の母、成功は慢心の父ですね
やってる事が、その辺のサークル以下で軍隊って何なの状態
別に天は見放してはいないけどね
天も天のせいにすなって突っ込んだんじゃないか
神成大尉「天は我々を見放した!!」天「えっ?!!」
中学生の時映画版を授業の一環として学年全員で鑑賞したんだけど、あまりにも凄惨な内容にトラウマになった生徒が続出しました(笑)。発狂して褌一丁で雪中に飛び込む兵士を演じた役者さんは前日実家に『俺、明日死ぬかもしれない』と一報を送ったとか。
数年後夕焼けニャンニャンでおニャン子クラブのメンバーいじめ抜いた時にもこんなんへのカッパじゃあ!俺は雪の八甲田で死にかけたからな!庇うなら木梨、お前雪の八甲田山でパンツ一丁で雪の中に飛び込め!と言ったそうです。
普段ゆっくりグループさんの内容の完成度に圧倒されてコメントやいいねを忘れてました○今回は危機管理に考えさせられると共に、隊員さん達への哀悼とご苦労様でしたとお伝えしたいです
新田次郎の引用だけやな読み間違えや事実誤認も多過ぎる
露営では眠らないようにですね。
本来なら、予め平地でいつでも訓練中止出来るところで試験実施してみて、今の装備で耐えられるか、食料の凍結防止、夜営場所の設営、調理方法を研究する事が準備というものだと思う。
この時代にモンペルがあれば・・・。
スカイツリー程度の標高で起きた遭難事故
シベリア寒気団と聞くだけで死ぬと分かる
後に外国人士官が言ったとか「あぁ、この時スキーがあれば全員下山出来たのに……」
実際この事件を知ったオーストリア?国王からスキー用具が贈られたとか。
多分これが原因で、今の北方の陸自は冬にアホみたいにクロカンスキーやらせるんだろうね…。
@@ジョージマッケンジー-f8sさん確かノルウェー国王から贈られたと聞いてます
全ての動画見たのに登録してなかったぜwしといたぜwアンナプルナや危険な山をもっと掘り下げて特集してくれ。
天が見放したんじゃなくて200人で無理ゲーして爆死って話だよな。無理すぎて神様だって困惑する。
なんとも…怖くて怖くてやめたいのに最後まで観てしまいました。登場する大勢の人たちじゃなく、その上に元凶があったのですね。2014の御嶽山についてリクエスト申し上げて良いでしょうか。この動画の大惨事とは対照的だけど、やりきれない災害でした。
ニキロ……たったニキロ……
人の命を粗末にしすぎる
天は我々を見放した!!😱
映画の予告でも効果的に使われ、「がきデカ」でも使われた台詞でした(こまわりが冷蔵庫に閉じ込められて言った台詞)
でももう一隊はちゃんと準備してたから生還してるんだよな……どう考えても酷い言葉
極寒地じゃ素肌で金属に触れては絶対ダメなのにラッパ吹かせるとか、隊長レベルでその程度の知識しか無かった時代なら死んで当たり前やな
ゆってもそれ以外の速伝達方法ないしな、、
@@bf109fujikawa8 猛吹雪で救助なんて来る状況でもないのに誰に伝達すんの笑
@@二重スリット実験 そりゃ部下にやろ。まさか救難信号でラッパ吹いてると思ってるのか? 休憩のはじめとおわりだけでも集団での行軍には命令の伝達が必須やぞ。この時代ほとんどの人間が時計すらないやからあらかじめ時間決めといて判断させるってこともできん。
@@bf109fujikawa8 休憩の終始をラッパで知らせる軍隊なんてあると思ってんのか?行軍ってのは敵に発見されないようにする隠密性が基本なのに、わざわざラッパ吹くバカいねーよ笑
@@二重スリット実験 訓練中でしかも遭難してるのに、敵に発見されるから隠密行動に徹する、なんてあほなこと言ってる指揮官がいたらさすがに旧軍でもバカにされてたと思うが
昔 恐ろしいニュースを見たことがある北海道の真ん中へんでー30℃超えの大寒波の実況で おっさんが 厚手の上着5枚ズボン5枚を重ね着して屋外に居られるのは5分が限界ですとか言っている画面の隅に・・・女子高生が超ミニ生足で通学していくのが見えてしまったのだ北海道の女子高生なら八甲田山で軽く全員生還では? と思ってしまった
当時の軍隊はイジメが酷く、やせ細った兵士も多かったのでもしかしたらあり得ますね。
女子高生は太腿などに結構脂肪を溜め込んでいるからね。
これ、待ってました!
いろいろ解説あるけど、このチャンネルの解説を見たかった!
現場に行きました
本当に過酷なところでした
ご冥福を祈ります
八甲田山と二百三高地は好きな映画で何度も観てます。
絶望の中で亡くなった方々は無念だってでしょうけど、無事に訓練が終わっていたとしても更に地獄のような戦地が待っているのですから、戦争は本当に怖いですよね。
生き残った中でも一番元気?だった大尉も、高倉健さんが演じた役のモデルの弘前の大尉も、結局日露戦争で命を落とされているんですよね…映画「八甲田山」の最後に字幕で書かれてて、更に暗澹たる気分になりました。
映画を見ましたが、実際に現地に行って撮影したため、エキストラが逃げようとして本当に遭難しかけたなど
寒さと視界が効かなくなることは、本当に死につながるのだとよくわかる事件だと思いますね。
倉石大尉が軽傷ですんだのは、たまたま休暇で東京に行った時にゴム長靴を購入しており
今回の訓練で「これを履けば足が濡れないで済むな」と考えて持って行ったことが、結果的に命を救うことになったようです
映画の撮影も過酷だったようですね
映画に出演した役者さんが後年「撮影中気を失いかけたけど、ここで気を失ったらNGでこのシーンはまた最初からやり直ししなきゃいけなくなると思って気力で演技続けた」って語っていた記憶(その時は半分笑い話のように話されてましたが)
@@ほんだあかし 大竹まこと氏が輜重卒役で出演しているんですが、ロケ中あまりに寒いわ大部屋俳優の待遇がひどいわで
立ち〇ョンしていた上級将校役の俳優をイライラ解消に背後から蹴飛ばしたら見事に雪に埋もれてしまったとか。
なお、蹴飛ばされたのは緒形拳氏だったようで「バレずに済んだ」とのこと。
@@fa-masf1leclairon177 大竹まこと過激だなぁ😭
@@パク-e2o さん
そりゃあ夕焼けニャンニャンでおニャン子ガチ泣きさせたからね
棺の中で5時間待たされたのは誰だっけ……
「帰ろう。帰ればまた来られるから」の精神が必要ですね
キスカ撤退作戦だ
今の撮り鉄に一番欠けてる精神
読み応えのある長編wikiの中で、やはり心に残る八甲田山。この時代だったからこそここまでの恐ろしい事態になったのだろうが、母親の立場である自分としては、お母さんの幻覚が見えた隊員の話がとてつもなく心に突き刺さり、もし自分の息子がと思うと胸が張り裂けそうになりました。
加えて後日弘前隊は日露戦争でほぼ全滅したそうです。
どちらにしても悲劇の運命か…
@@ヤス-l4b 青森連隊の行軍が素人の師団長の顔色伺いで滅茶苦茶になったのを引いても八甲田山雪中行軍演習自体が対露戦の想定演習でしたから。
自分北海道住んでるんだけど小学生の頃
下校中吹雪が凄すぎてプチ遭難した事ある、
マジで怖かったなあ
下校途中に遭難って…😰
@たくあんみかん 雪国あるあるですよね〜 今では笑い話ですが当時は本当に怖かったw
@@東條りん-r9s さん
今でもあるそうですよ。
確か玄関先に新聞取りに行ったままホワイトアウトで視界失って凍死したんでしたよね。
この話を聞くたびに驚くのが、退却を提案した将校たちが下の階級である下士官の反対意見を受け入れてしまう柔軟さを見せたところです。日本の軍隊は上下関係が厳しかったと聞きますが、反対を受け入れず、将校の意見を押し通す厳格さがここでは発揮できなかったのが残念ですね。(日本語を習っている途中なので、言葉が変かもしれません)
旧日本軍では「星の数よりメンコの数」って言葉がありまして。在籍年数が長い叩き上げの下士官の意見は結構重視されていますよ。八甲田の場合は裏目に出ましたね。
あ、メンコってのは食器を指すスラングです。
なんの問題もない日本語です👍️
下士官連中にしたら
ここで撤退したら今まで散々バカにして来た平民や兵卒にバカにされる
と言う思いがあったのでしょうね。
実際青森五連隊雪中行軍隊の多くは出世の見込めない除隊寸前の長期勤務伍長や士官勤務下士官(特務曹長)が兵卒をこき使う構成で
弘前隊が将来有望な下士官や見習士官中心で、研究テーマを与えていじめる暇を与えなかった事とは好対照です。
実際弘前隊の兵卒は
指揮官の従卒とラッパ卒、地元出身の案内人役の4名のみで
従卒には行軍中の伝令方法、ラッパ卒には寒中でのラッパの吹き方
と言う研究テーマがありました。
他の士官は従卒同行を禁じられていました。
文章もちゃんとしているし、句読点も正しく付けているし、漢字も正しく使えているし、誤字脱字も無いし、完璧だと思います✨
むしろ、ネットでの日本人の書く文章より余程きちんとしていて読みやすいです👍
っていうか、日本人である自分の日本語や文章に不安すら感じてしまうレベルだと思います💦
旧日本軍に限らず、現代の日本の組織でも、下の正しい意見を上が受け入れず取り返しのつかない結果を招くというのはよくある事ですが、この八甲田山大量遭難死に関しては、将校達が下士官達の血気や使命感を押し止め、時には撤退する勇気が必要だということを実行していたら…と、悔やまれますね…。
おそらくは、大目標は、訓練の完遂であることから、中止と継続のどちらを至上とするかとなると、継続となるからではないでしょうか。
小説は本当にオススメだぞ、生き残った隊員の詳細も載ってたし、なにより読んでる読者側にも震えが伝わって来るほどの本だった
何というタイトルの本でしょうか??
@@j7301001ag 八甲田山死の彷徨です。
ありがとうございます!
@@j7301001ag
「八甲田山死の彷徨」
ドキュメンタリー八甲田山 ~世界最大の山岳遭難事故~ってDVDを推奨致します。
今の職場は青森にも事務所があるんですが,そこで借りて観たのですがよかったです。
この事件もだけど、その後の第二次世界大戦末までの軍のクソっぷり調べると、大日本帝国ぶっ潰れてホント良かったなってなる。
ちなみにサムネになってる褌の男性は役者の原田君二さんという人
CGなんかほぼ無い時代に八甲田山の映画をやることになり、マイナス何度という天候の中でロケ隊も遭難しかけるわ、雪の中で服を脱ぐ演技しなきゃいけないわでほんとに命懸けだったそうです。
確か今は大竹まことと名乗っている様な
旭川でマイナス41℃が記録された時の事故だったんですね
他ルートで行動した弘前31連隊が無事に雪中行軍を終えたことから、余計に悲劇的に感じる。
実際には
全員生きて帰った
以外は失敗だったそうです。
青森にたどり着いた時はボロボロになっていて、宿についた瞬間そのまま倒れ込んで入浴も食事も出来ない状況まで疲労していた上に凍傷でやられた者も多く、一時は翌日の汽車で全員帰還させる事も検討された位で、結局梵珠山と言うそれまでの犬吠峠や増沢ー田代ー田茂木野ルートとは比較にならない楽なルートを辿る事さえ断念して国道経由途中一泊、に変更しています。
まあここでこう言うルート変更が柔軟にできてエスケープ出来るのが31連隊の強みではありましたが。
@@古家武史-f5d それは弘前31連隊が何かまだ不足やミスがあったんでしょうか?それとも冬の八甲田に対して計画自体が非現実的なものだったということ?
@@blackheart7568さん
案内人に対する扱いはともかく準備等はほぼ完璧でしたが
実際には彼らの想定をも超える過酷な状況だった故です。
水筒に酒混ぜて常に動かして凍結防止したり
服装も5連隊とは比較にならない位充実していたし
握り飯やもちは絶対肌身離さず持て、ポケットに煎り米や乾パン入れておけ
と食糧確保にも万全をきたし
そもそも古参で中途半端な特務曹長連中を初めから隊に入れず、兵卒は指揮官の従卒とラッパ卒、地元出身の案内人役以外の引率も参加も認めず、下士官と見習士官中心にする事で
1、行軍目的の明確化
2、兵卒いじめ撲滅と指揮系統への介入を防ぐ
3、万が一福島隊が遭難全滅しても志願者である下士官や見習士官なら紙切れ一枚で強引に連れてきた兵卒と違いたとえ死んでも遺族からそれほど文句は出ないと踏んだから
を行ってこれが「成功」要因です。
それでも道中は
握り飯が食ってる途中で凍結してあっという間に喫食不能になった、
凍傷で一名三本木から帰営させた
など青森には全員満身創痍で辿り着くのがやっとで到着と同時に全員が倒れ込み、隊長はもうこれ以上行軍は不可能、ここで休養後当初予定の梵珠山越え弘前帰営を断念して国道経由大釈迦越えで途中一泊帰営ルートに変更してます。
31連隊の場合は遭難してもほぼ天災や不可抗力レベルですが
5連隊は自滅や人災そのもの
「天は我々を見放した」は映画を観ていない幼児期の私でも知ってる言葉です。
格好良い悲劇のヒーローかと思ってましたが、全然違ったと知った時は驚きました。
八甲田山か来たか……
地元の人の申し出は受けておいた方がいいよな
もう一隊も敵陣であれば相手を取り込めるかは重要な事だし案内人さんを大事にしてあげれば良かったのに……
当時の軍隊は、兵士士官でない者に冷たかった。結果的にそれが失敗へと…
人間いつまでも謙虚さが大事ですね
31連隊の「成功」が後年日中戦争や太平洋戦争で日本軍が現地住民のゲリラ戦に苦しんだ挙句正規軍との決戦前に戦力をすり減らしたり補給線を切断されて孤立無援の末全滅
の悲劇があちこちで起きる原因にもなってます。
中野学校では
両方とも雪中行軍に失敗した。31連隊は全員生きて帰ることができたから真の失敗(地元住民の慰撫に失敗して強引に案内させた)を誤魔化す事に成功した。
とされているそうです。
人間が極限状態になるとこんなにも怖い現象が起きるのか…😨こんなに犠牲者が出て鍛えるどころか無駄に死者を出しただけ、本末転倒だわ💦
もともとの命令が酷かったという説もあり……休憩無し装備不足は極寒戦闘を見据えた、雪が珍しい地方に住んでいた偉い人が指示したとか。
弘前側の装備が充実していたのは弘前側が自費で用意したからで、案内人にも予算が下りなかったから自費で払っていたらしい。
青森側は雪山を知っていた隊長が強固に反対したから左遷されて、雪が余り積もらない地方に住んでいた人を責任者にしたよう。
困難は精神力で克服って真顔で言われていた時代、この後の対露戦でもろくな装備も無しに機関銃に立ち向かう無茶させてるし、無為無策が好きな上層部だよ……。
士官や見習士官は成功のために用意されたATMだった。
でその究極が太平洋戦争であり
昭和から続く体育会系部活動でありブラック企業
今の日本政府と何ら考え方は変わってないのが‥
福知山の自衛隊第七普通科連隊のスキー訓練動画で「気象の克服とは根性論ではなく、知識と技術に裏打ちされた、その場その場での最適解を導き出すこと」というシーンの画像が映画八甲田山なんだけど、何重もの皮肉なんだなあれ。。。
あるいは自戒か。
いつの時代も上層部はそりゃーそーだろね。
基本的に身銭切るのも死にに行くのもテメエじゃねーからな。
有名な八甲田山雪中行軍遭難事件…同じような悲劇が二度と繰り返さないように現代に生きる私達がしっかりと後世に伝えていかなければなりませんね。
暖かい地域の人には分からない北日本の厳冬期。
隠匿や歪曲なしに永遠に語り継がれるべき大失態だ
映画八甲田山、大好きな健さんそして北大路欣也さん達の本当に魂の籠った作品でした😢
常々ゆっくりまうんてんさんが言われている、
決して自然を侮ってはならないということのお手本のような遭難事件でした😢
十分な準備と冷静な判断、そして時には引く勇気。無理なものは無理で精神力や気合だけでどうこうできるものではない。
命を懸けて教えてくれた英霊たちの御霊に合掌😢🙏🏼
経験不足の高齢者や未経験者が、登山に行ってよく遭難するケースで、あまりにも山を舐めているとしか思えない報道を聴くと、なんか腹が立ちますよね。
自分も登山部の体験入部で、いきなり60㎏もの装備を背負わされて、6階までの縦階段を一日30往復させられる日々があり、いい体験ができました。
※まぁ、「ヘタレの俺にはどうせ続かないさ!」と、早々に自分の限界に見切りをつけただけなんですけどね。
装備の質が良くなり、軽量化が進んだりしても、一人一人が十分生存できるくらいの装備が必要で、「自分の命は自分で守れ」と言われた意味が、後年この映画を観てからよくわかりました。
だからこそ安易に「ソロキャン」とか「山ガール」とか、マスゴミが取り上げているのを見るとイラっとしますね。
根本的な原因は人災ですよね。
生き残った隊員の中の凍傷が酷くなかった兵士は、日露戦争に出兵して戦死した人もあったと言うことです
さすがの高倉健さんもあまりに過酷な撮影で涙が出たと言われてましたね。
実際足の指先に凍傷を負い、死ぬまで曲がったままだったそうです。
駅員(ぽっぽや)で足先を映さないのはその為。
@@古家武史-f5d マジっすか😱
@@はる-n2y3m さん
北大路欣也さんも
あれ以降時代劇の仕事が来ない。時代劇では曲がった足先は映せないから
と語ってます。
実際に崖から落ちそうになったところを加山雄三さんに助けられたそうです。
@@古家武史-f5d 昔だからうやむやに出来たのか?今だったら補償問題になりますよね…それ以前にそんな無茶なロケはさせない誓約がありそうだし。
暑い暑いと極寒の中で服の脱ぐのは妄想ではなく、体が極限状態の寒さに陥ると筋肉の過剰な収縮から熱を放出して体が熱くなるから生理現象
今でも新田次郎の「八甲田山 死の彷徨」を読むに当時の青森第五連隊の行軍装備のお粗末さと計画の杜撰さがこの大遭難を引き起こした
「人災」だったと再認識しますね
私も「八甲田山死の彷徨」を読みました!!
最後にかなりの方が発狂して亡くなっていく様は本当にリアルで恐ろしいです
上官の命令は絶対ですからね
( ;´Д`)
日本人の悪いところを煮詰めたような遭難事故。
@@結猫-i2q さん
発狂死は途中段階
最後は発狂する元気もなく力尽きて死んでいったそうです。
ちなみに映画で発狂死する役を演じたのは大竹まこと
ホワイトアウトした時に遭難しやすいのは八甲田山みたいに広い尾根の方が遭難しやすいですね。狭い尾根は目印になりやすい岩場があるので!
知りませんでした( ̄0 ̄;)
勉強になりますm(_ _)m
この記念碑のある所に行きましたが、まわりは何もなく森があるだけ…
近くの飲食店の片隅にある資料コーナーで、この悲劇の詳細を知りました…
あの飲食店、廃業してたんですか…美味しかったのに残念です…
昔から日本の軍隊とか警察はくだらん見栄とかプライドに拘るところあるよな
そのせいで判断を見誤って大惨事になる
以前八甲田山に行く時に大量遭難の話を家族から聞いて心配されたことがあった。
そりゃあ心配になるなって思いました。
この映画を子供の頃に見たけど、映画ですらも、極寒の寒さ人間模様が見れた、実際は想像を絶する状況だったと思う。
哀しいなぁ…
初夏の山で想定外の雨風に凍えたことあるけど、寒さってマジで思考能力奪うな。体の感覚が鈍るからなのか、無理・無茶をしがちになる🥶
この前八甲田山に行って気になってたから助かります🙇🏻♂️
生き残る人がいたということのほうが驚くレベル…
確かに…ゴム長ひとつで命拾えるのかと。ダウンでも○ートテックでもないウール二枚重ねで4日間吹雪の中を彷徨うとか…
県立青森図書館のアーカイブでは、生存者の惨状の写真が公開されています。
田代温泉って温泉街みたいな温泉じゃなくこの当時はただ温泉があるだけで街じゃない所ですからね。事前準備がでたらめですね…
@@user-pb3ux7sg さん
とても210人を泊める様な宿は無く
たどり着いたとしても
将校だけ温泉で一杯、兵士は野営
と言う酷さで翌日抗命して全員逃亡していたと思います。
@@古家武史-f5d さん
坑命して逃亡なんてしたら、厳罰処分とか軍法会議とかにならないんですか?
例えば本人の家とか実家とか迄逃げ延びたとしても、連れ戻されるとか…。
@@May_La-C5THKSL_eternalさん
あの吹雪ですからホワイトアウト利用して遭難装って逃亡は可能。
但しそのあと本当に遭難するが。
もっとも陸軍は海軍と違い将校ー兵卒、下士官の身分的壁はあまりないので
交替で風呂に入れたり、宿舎入りは大隊本部限定
程度だったでしょうが
映画を観ても分かるけど、八甲田山の山麓、里山を行進しただけです。
大荒れの天候で視界が効かなければ、里山でもわけがわからなくなる。
作者の新田次郎の妻の藤原ていが書いた、流れる星は生きているという、敗戦後小さな子を連れてぼろぼろになりながら引き揚げて来た壮絶な体験を記した本もすごいです。今の若者に読んでもらいたいです。
実際に、通常の社会生活の中でも引き際のリミット(限界タイミング)ってありますよね。とても大変なことになる前に、それまで注ぎ込んだリソースを捨て、切り上げる決断をしなきゃならない見極めって。
登山や雪中行軍(耐寒訓練)、それに戦闘でも、それは同じなのでしょう。
この事件は、トップがその見極めや決断タイミングを誤ると、大勢の人を死に追いやってしまったと言うことだったんですね。
だいぶ前ですが、八甲田にある無人の別荘から119番に電話がかかってきた事件?もありましたよね。
まだ何かが居るんですかね。
何か聞いたことがある話なと思って、検索したら、記事になってました。
以下記事より↓
青森県内で消防通信指令室に掛ってきた1本の119番通報が謎を呼んでいる。
先月17日(2014年5月)深夜、119番通報を受けたが応答がなく、ザーザーというノイズ音しか聞こえない。通報者が電話機の前で倒れているのではないか。消防はそう考えて、かけてきた電話の所在地を調べたところ、八甲田山の別荘地にある家からとわかかり、救急隊員10人が現場に急行した。
救急隊員が到着してみると、家はしっかり戸締りがされ人が入った形跡がない。窓ガラスを割り中へ入って調べたが人気はない。ただ、119番通報の発信元である古いダイヤル式の黒電話を発見した。指令室は電話を切らず信号音を出し続けておいたため、この黒電話が発信元であることは間違いないのだが、受話器は電話機に置かれたままだった。つまりオフの状態だ。
プレゼンターの岸本哲也が現地に行ってみると、地元ではさまざまなうわさ、憶測が飛び交っていた。一つは偽装通話説。電話に詳しい専門家によると、海外の回線を使えば偽装通報もできないことはないという。ただ、可能なのはプッシュホンだけ。そもそも、そんなことまでやってニセ通報する動機が見当たらない。
もう一つ可能性は風のイタズラだ。当時、この地域では最大瞬間風速16メートルの強風が吹いて、NTT東日本によると別荘の電話線が切れかけていた。そこに強い風が当たって通話状態になったのではという説だ。ダイヤル式の電話は番号の数だけ通電と断線を繰り返す仕組みで、9の場合は限られた時間内に9回通電と断線を繰りかえさないと掛からない。風が同じ間隔で通電と断線を繰り返す偶然なんてあるだろうか。
「兵士が歩いているのを見た」という複数証言
残る有力な説は雪中行軍で死亡した兵士説。実は、この場所は1902年冬に陸軍兵士199人が雪中行軍中に遭難死した「八甲田山死の彷徨」に近く、記念碑もある。夜間の別荘を撮影した写真に複数の正体不明の白い球が浮いていたとか、「兵士が歩いているのを見た」という人が複数いるという。
宋美玄(産科医)「私は心霊現象を信じないから、風のいたずら説」
司会の小倉智昭「戸が閉まっていても入れる誰かでしょう。八甲田死の彷徨でまだ見つかっていない人があの辺をさまよっていることはないですかねえ。じゃないと話は面白くない」
機械の誤作動か。それとも何かのメッセージか。昨年11月以来、無言の119番通報が同じ消防通信指令室に6回もあり、いずれも固定電話からだという。
この話ですね。今回の解説動画の話と繋がっていますね。
偶然なのか何なのか分かってないのがゾッとしつつ悲しいですよね。
@@kai_tama58 そうそう、これです。
色々興味深いですよね。
ここで死者を出さなかった弘前隊は日露戦争で全員戦死したんでしたっけ。
ありがとうございました。わかりやすかったです。今はどんな情報でも手に入るから実感わかないけどぬくぬく育ったおぼっちゃまの隊にいた人かわいそう…。地元民からもアドバイス受けたり窮地に陥るのを回避することはできたのにねぇ…
八甲田は訓練だったのですね
残念でなりません
改めてご冥福を祈ります
民間人の犠牲はサラっと流すんですよね。
可哀想すぎて涙出た。
魔理沙さんが淡々と話す口調が更に悲しさをます。
そもそもロシアと戦う為に訓練してんのになんで雪に殺されなくちゃならん。
死んでも死に切れなかったろうに。
生き残った兵士は『英雄』とされて花嫁募集などもされたという話…
しかし、そんな人たちも日露戦争から帰ってきた「英雄」たちにとって変わられ
すぐに忘れられてしまったようです。
映画「八甲田山」は今では人権的に絶対撮れない程リアルでオススメですね
キャスト・スタッフは冬になる度に八甲田山で撮影し続けて、マジ凍傷になったとか
CG特撮一切無しの、ガチ撮影は今でも見応え十分です
一連の撮影で一番大変だったのが
晴れた日に岩木山を背景に高倉健の部隊が行軍するシーンだったそうです。
理由は岩木山がバッチリ見えるほどの晴天を待つために、スタッフ・演者ともに数日間、近くで缶詰状態だったそうです。
映画では割と序盤の行軍シーンです。
大丈夫。CGがなんとかしてくれる。(皮肉)
@@fa-masf1leclairon177 さん
それができるようになったのはタイタニックの成功例からで
いまだに日本映画では出来てません。
てか当時の日本らしいよね
そりゃ…生きていられちゃまずいよな…
気温はマイナス20℃
体感温度はマイナス50℃だったとか
恐山よりも恐ろしい山の話
私は映画を観ずに仕事で夏でしたが、下北半島へ旅行の添乗に行きました。
バスで八甲田山に登って行く途中、気持ちと裏腹に涙が出て止まらないのです。
仕事から戻ってTSUTAYAで借りて映画を観て恐ろしくなると同時に歴史に学ぶと言う事で英霊にご冥福を祈り、感謝しました。鎖国からイキナリ西洋に追いつかなければならなかった日本は富国強兵しかなかった大変な時代だった、想像を絶します。
人身事故でよく電車が止まります。冬場の通勤に際して、教訓になる事もたくさんあります。
自衛隊はこの八甲田で97年、噴気孔に近寄ることで3人、死亡させてる。岩木山・八甲田には小さな噴気孔の窪地が多数あって、地元の陸軍が知らないでは済まされない事故だった。古くは、根性主義の訓練で殺したケースもあったような。
全然八甲田と関係ないですが、富士山でスパッツいっちょの外国人に出会うと驚愕する。
ダーウィン賞ものです。
モチベーションが上がるからコメントしてほしいという認識でいいですか?今までの動画めちゃくちゃ面白くて大好きですよ😃全部見てます多分!四十路のオッサン自衛官ですが応援してます‼️
天「え?わいのせい!?」
19:21 wikiを見て戦慄したわ。
少なくともまともな人間がすることじゃないけどそれを可能とした時代が恐ろしい
全く同感です…。
何から何まで有り得ないですよね…。
恐ろしいです。
高倉健が弘前隊の隊長を演じる映画がむちゃくちゃ寒そうな映画だった。
天は我々を見放した…と口にした途端に、それまで無言でついてきた部下たちがパタパタと力尽きて倒れたのが印象的
ひとつの教訓は、たとえ大勢で行っても助け合える範囲はたかが知れて、人数の分だけ死者が増えるだけという事実を理解すべき。
当時、その台詞がブームになったと同時に、そりゃ隊のリーダーである将校にそんな事言われたら、それでなくても気力だけでそこまで何とかついてきてた部下達の糸はプツンと切れるだろうって、非難轟々っていう現象だったなぁ…。
以前、自衛隊の広報映像かなにかで第5普通科連隊の雪中訓練の様子を紹介していたのを拝見しましたが、
現代的な雪上車やスキー、防寒に対応した戦闘服、すぐにお湯を沸かせて食べることができる調理器具や食糧、気象予報にに基づいた医務官からの凍傷防止の注意など現代の知識、科学を駆使しても雪山は恐ろしい所であると思わされました。
この遭難事故には色々な原因があるが、なにより天候が悪かった。
夏の最高気温は年々更新されるのに、この冬の最低気温は、100年以上経ってもいまだに更新されていない。
つまり日本史上、最も寒い冬だった。
物事をスムーズに進める時、絶対必要なのは、
「天の時、地の利、人の和」と言うけど、この遭難はそれが全部ダメだった。
(この場合の「人の和」は、トップに立つ人物が不適格という意味で)
ましてやリーダーが数日前に雪中行軍を知らされたとかね。
みんなが未知の領域という事もあったんだろうけど、あまりにも準備期間としては短すぎる。
下手なホラー映画の100倍怖い
社内の管理職教育で「その時リーダーはどうすべきか」を議論する教材として今でも時折り取り上げられる本件。結果論としては色々いうことはできるだろうが、もし自分がその時現地で判断を迫られ立場だったらどう判断し行動できるか、どれだけ考えても結論が出ないのが本心。ただしこれを考え続ける機会を与えてくださった英霊の方々に対して、たたえる事しか出来ない。
今もその場所で陸上自衛隊の冬季戦技教育隊で訓練をしています
割と最近、TV番組で観たことがあります。
この大量遭難死の行軍の過去を考えながら観ていると、色々と複雑な思いを感じてしまいました…。
〽雪の進軍、氷を踏んで どこが川やら道さえ知れず 馬は倒るる捨てても置けず(中略)
焼かぬ干物に半煮え飯になまじ命のあるそのうちは こらえ切れない寒さの焚火 煙いはずだよ生木が燻る(中略)
義理に絡めし恤兵真綿 そろりそろりと首絞めかかる どうせ生かして返さぬつもり
(軍歌 「雪の進軍」より抜粋)
笑えない…(╥﹏╥)あくまでこれらの苦難を乗り越えた人達だけが後から笑い飛ばす唄ですね
自分も当時、レコードを購入しました。八甲田山のメインテーマを歌にしたもので確か、出だしが雪の~地獄の凍った空を~白いカラスが~笑って通る~とかだったような記憶です。ちなみにB面は我が子よ~お前にほんの少し私の命を~送ろう~で始まる歌で泣けてしまいます。
八甲田山雪中行軍遭難事故は、映画「八甲田山」を見た方が手っ取り早いと思う。
見るも無惨なストーリーだったけど^^;
数年前テレビで放映した時は、2chの実況スレがヒートテック貸してあげたい、とかダウンジャケット至急しろ、とか盛り上がりました。
早速リクエストにお答えいただきありがとうございます。
当時は冬山に対する知識や技術、装備もまだ未発達でその悲惨さは南極探検のスコット隊を彷彿とさせるものでしたね?。
自衛隊も行軍訓練をしますがやはり遭難事故もあるのでしょうか?
元自です、行軍中は数メートル離れた位置に雪上車が同行し、天候があまりにも悪い場合は検閲中でも中止になります(実際、設営中の時点で地吹雪がひどくて中止になった訓練検閲がある。)。
部隊の解散については5連隊生存者の伊藤中尉が否定してましたね
もっとも極限の状況じゃあ正確に記憶しているのは難しいでしょうが
体感温度マイナス50℃の「地獄」なら
記憶の錯誤があってもおかしくないですからね
@@user-cn7tm4eh5r さん
真冬でもせいぜい気温一桁台くらいしか経験のない身としては、体感温度-50度とか、桁違い過ぎて、どんな凄まじい状況なのか、正直想像すらつかないです…😰
青森隊は豪雪を知らない岩手出身者が多かったし(地元出身者は弘前隊に多かった)、当初の計画ではソリではなく馬車に依る機材運搬の予定だったような…人数が多くなり馬車でないと運べない分量になってしまったものの、雪のため馬車が使えずやむを得ずソリに切り替えたとか…弘前隊には地元の新聞社の記者が同行して記事を書いていたという話も有ります。道に迷って樵の小屋にたどり着いて生き延びた隊員が居たという話も。なお、伍長さんが立ったままで見つかったのは衣服が凍りつき、倒れられなかったからとの話も有ります。
…小説を書いた新田次郎氏と事件について調べて纏めて居た小笠原孤酒さんとの間で揉め事もあったようです。孤酒さんは事実をきちんと書いてほしいと資料を次郎氏に見せたものの、話を脚色されてしまったのでかなり憤慨していたようです。そのへんは『八甲田山 消された真実』という本で触れられてますね…
一応岩手県も結構降雪あるのですが
八甲田山の乾雪と違い湿雪ですので
ホワイトアウトの経験も
カンジキが役に立たない
と言う経験も無かったからね。
後糧食一つとっても、初日故宿で炊飯委託できない状況や最高に困難な犬吠峠や増沢ー田茂木野ルートでは出来るだけ餅を携行し、凍結しても火に焚べて再喫食可能にしていた福島隊と握り飯主体で事実上再喫食不能と思われていた神成隊とで差がありましたし
福島隊は事前に糒や乾パンを全員に支給してました。
小説読んでみたくなった。
遭難すると、笑いだしたり錯乱する。一人がやると皆が…凄まじいね。ルック青森!
冬の八甲田はヤバいな
そもこれ温泉行っても宿泊ができなかったのがもうね
ものすごく「日本!」って感じ
壮大な人体実験(兵士が東北の農家出身なので平気でできたのか🤔)
その意図を誤魔化す為、旧徳川家の華族を雪中で死なせた。
凄い話ですね…😰
まぁ、古今東西を問わず、軍とか国家なんてそんなものですね…。
五連隊を構成していた兵卒は東北出身
一応雪に対する知識はあったのですが
多くは降雪が少ない地域や、八甲田山とは違い湿雪地域の出身故
カンジキが雪に埋もれてアウト
雪が下から降ってくる
呼吸しただけで雪を吸い込む
上に降雪量も桁外れで中途半端に雪を知っているが故に舐め切っていた兵卒には脅威以上の自殺行為でした。
生き残った兵卒は岩手県北部などで炭焼きやマタギに従事していて雪や寒さへの対処法は知っていて、これが生死を分けてます。
長谷川特務曹長がほぼ無傷で帰って来れたのは
「田代といっても僅かに5里ばかりで、湯に入りに行くつもりで、たった手ぬぐい1本を持っただけだった」
と言う自身の発言や隊員の多くの意識とは対照的に
士官勤務下士官の特権を活かして雪対策どころか凍傷予防策まで研究していて
1、マッチや蝋燭のほか予備の足袋を持参していた。
2、予備の足袋を手袋代わりに使用
3、常に手の摩擦を怠らない
4、足先に唐辛子を塗した
5、軍銃の革と毛皮の外套の襟を剥がして足に巻き凍傷を予防
6、焚き火をしても直接火に当たらなかった
7、握り飯や餅は油紙や新聞紙に包んで腹帯の中に入れたりして喫食時以外絶対肌身離さず凍結させなかった(それでも喫食中に飯粒が見る間に凍結してしまい「雪中行軍に握り飯は不向き」と結論づけてます。但し表面を真っ黒に焼く焼きおにぎりにすれば一応大丈夫で、これは福島隊が案内人に教わって実践している)
故です
関東育ちワイ、雪山には一生近寄らないと決心しました…
映画を小さい頃に見たことがあります。おそろしくて若干トラウマです…、
戦争となると、こんな無能のポンコツ上司の命令を聞いて、死ななきゃならないんですね。
人災で死んだなんて、送り出した家族も報われなさすぎる。みんな若くて前途ある人ばかりだっただろうに。
失敗は成功の母、成功は慢心の父ですね
やってる事が、その辺のサークル以下で軍隊って何なの状態
別に天は見放してはいないけどね
天も天のせいにすなって突っ込んだんじゃないか
神成大尉「天は我々を見放した!!」
天「えっ?!!」
中学生の時映画版を授業の一環として学年全員で鑑賞したんだけど、あまりにも凄惨な内容にトラウマになった生徒が続出しました(笑)。発狂して褌一丁で雪中に飛び込む兵士を演じた役者さんは前日実家に『俺、明日死ぬかもしれない』と一報を送ったとか。
数年後夕焼けニャンニャンでおニャン子クラブのメンバーいじめ抜いた時にも
こんなんへのカッパじゃあ!俺は雪の八甲田で死にかけたからな!庇うなら木梨、お前雪の八甲田山でパンツ一丁で雪の中に飛び込め!
と言ったそうです。
普段ゆっくりグループさんの内容の完成度に圧倒されてコメントやいいねを忘れてました○今回は危機管理に考えさせられると共に、隊員さん達への哀悼とご苦労様でしたとお伝えしたいです
新田次郎の引用だけやな
読み間違えや事実誤認も多過ぎる
露営では眠らないようにですね。
本来なら、予め平地でいつでも訓練中止出来るところで試験実施してみて、今の装備で耐えられるか、食料の凍結防止、夜営場所の設営、調理方法を研究する事が準備というものだと思う。
この時代にモンペルがあれば・・・。
スカイツリー程度の標高で起きた遭難事故
シベリア寒気団と聞くだけで死ぬと分かる
後に外国人士官が言ったとか
「あぁ、この時スキーがあれば全員下山出来たのに……」
実際この事件を知ったオーストリア?国王からスキー用具が贈られたとか。
多分これが原因で、今の北方の陸自は冬にアホみたいにクロカンスキーやらせるんだろうね…。
@@ジョージマッケンジー-f8sさん
確かノルウェー国王から贈られた
と聞いてます
全ての動画見たのに登録してなかったぜw
しといたぜw
アンナプルナや危険な山をもっと掘り下げて特集してくれ。
天が見放したんじゃなくて200人で無理ゲーして爆死って話だよな。無理すぎて神様だって困惑する。
なんとも…怖くて怖くてやめたいのに最後まで観てしまいました。
登場する大勢の人たちじゃなく、その上に元凶があったのですね。
2014の御嶽山についてリクエスト申し上げて良いでしょうか。
この動画の大惨事とは対照的だけど、やりきれない災害でした。
ニキロ……たったニキロ……
人の命を粗末にしすぎる
天は我々を見放した!!😱
映画の予告でも効果的に使われ、「がきデカ」でも使われた台詞でした(こまわりが冷蔵庫に閉じ込められて言った台詞)
でももう一隊はちゃんと準備してたから生還してるんだよな……
どう考えても酷い言葉
極寒地じゃ素肌で金属に触れては絶対ダメなのにラッパ吹かせるとか、隊長レベルでその程度の知識しか無かった時代なら死んで当たり前やな
ゆってもそれ以外の速伝達方法ないしな、、
@@bf109fujikawa8
猛吹雪で救助なんて来る状況でもないのに誰に伝達すんの笑
@@二重スリット実験 そりゃ部下にやろ。まさか救難信号でラッパ吹いてると思ってるのか? 休憩のはじめとおわりだけでも集団での行軍には命令の伝達が必須やぞ。
この時代ほとんどの人間が時計すらないやからあらかじめ時間決めといて判断させるってこともできん。
@@bf109fujikawa8
休憩の終始をラッパで知らせる軍隊なんてあると思ってんのか?
行軍ってのは敵に発見されないようにする隠密性が基本なのに、わざわざラッパ吹くバカいねーよ笑
@@二重スリット実験 訓練中でしかも遭難してるのに、敵に発見されるから隠密行動に徹する、なんてあほなこと言ってる指揮官がいたらさすがに旧軍でもバカにされてたと思うが
昔 恐ろしいニュースを見たことがある
北海道の真ん中へんでー30℃超えの大寒波の実況で おっさんが 厚手の上着5枚ズボン5枚を重ね着して屋外に居られるのは5分が限界ですとか言っている画面の隅に・・・
女子高生が超ミニ生足で通学していくのが見えてしまったのだ
北海道の女子高生なら八甲田山で軽く全員生還では? と思ってしまった
当時の軍隊はイジメが酷く、やせ細った兵士も多かったので
もしかしたらあり得ますね。
女子高生は太腿などに結構脂肪を溜め込んでいるからね。