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この動画は映画の中のセリフやキャラクターの行動や、時代背景なんかを丁寧に読み取って解説してあってていいですね。それお前がそう見たいだけやろ的な解釈の動画や解説が多いので、作品それ自体から読み取ろうとしているのが素晴らしい!
凄すぎる
あまり難しく考えす全体的な映像と作画でふんわり感じた物で良いと思います色々後索してもつまらないとにかくさすがジブリここ20~年はコンピュータがアニメをCGさらに細かな描写が描かれるようになりそれを見るのはとても凄い
7:54 真人の家系は武家であることが弓や刀の登場で表されています。武家は婚姻でお見合いをしていた代表でした。お見合いは言い方は悪いですがサラブレットやブランド犬の血統を品種改良のように守り、能力や血統を守るように、人間自分自身の能力や進化を品種を守っるように導入されたものなんだと勝手に思ってます。真人の家柄も監督のエリート意識が出てしまったのではなく、真人がどういう血脈で、母親がなくなったあと(良家ではよくやっていたように)義妹と再婚するなど、血統を守るために、当時の行動範囲が狭いという縛りためにどうしても血が濃くなったことが表現されていたのだと思うのです。そのため真人は頭がよすぎる、学校で同級生と性格が合わないなど 12:58 12:59 が表現されており、真人はとうとうひきこもることになります。その中で母が燃える白昼夢を見るようになります。そして、ついにはサギという鳥が自分に語りかけてきます。その時、義母が鏑矢で真人の正気を戻します。それは、義母や実母が妄想の中にとらわれる、言わば、知能の限界を超えてしまった家系であり、マヒトが徘徊しだしたことにその血脈的原因があることに義母が心当たりがあることを表現してるのだと思うのです。 その後、お屋敷の敷地内の奥の閉ざされた場所に大叔父が建てたとされる塔が物語の中心変わっていきます。これは(私の妄想の、しかも臨床的な部分のみで解釈しただけなのですが)妄想に取りつかれた人間を閉じ込める閉鎖病棟が表れているのだと解釈しました。昔はまあまあ裕福な農家でも庭に閉ざされた小さな蔵がありましたし、現在でも庭にプレハブがおいてあったりします。 12:24 12:32 もちろん、塔には様々な暗示が込められており、私の妄想のだけが表現されてるのだとは思わないのですが。 その塔に義母は誘われだします。つわりや真人が妄想で徘徊している、その父親の子供を妊娠している自分、やっぱり妄想の家系から逃げられないんだという思い、妊娠期特有のうつ状態などの原因から妄想にとりつかれ?塔に誘われるのです。そこから更に真人も塔に誘われ入って行くことになります。 その塔の中から真人の妄想という映像を利用して監督の今までの人生や社会、思想、宗教、文化がどのように人々の生活の網に影響を与えるのかを表現されていったのだと思いました。 なので、前半の塔の導入部分と、後半の塔の中の精神内面部分に分けられるのだと思うのです。そうすると、真人の現実部分だけ見るならば真人の血脈と大叔父がこつ然と消えた閉鎖塔、それに誘われわれ妄想が発動し、塔の中に入ってゆくという、前半導入部分だけで言えば、ホラー的な病理映画の内容だったと思います。 あと、話は変わってトトロになりますが、よくできた姉は頭が小さく、めいちゃんは頭が張っており、頭の大きさだけで言えばアスペルガーのような、性格もちょっと聞き分けのない天真爛漫な性格に描かれており、さつきがお母さんに髪をすいてもらってる時、あなたはお母さん似だからというんですが、そのお母さんも頭がはってて、教授のお父さんとの子供でやはり、エ 12:05 リート層特有の頭が良すぎて子孫を残すのが難しいという悩みが描かれてるように思いました。
コメ遅くなってすみません!考察いただき、ありがとうございます!所謂、インブリードで能力がアップする一方で、何らかの問題も併せ持ってしまうってことですね。競馬ゲームをイメージしました。真人の妄想だった可能性があるということですか。そういえば、似たような映画があったような。ディカプリオだったか、誰か有名な俳優が出ていた映画があったような。
前半部分の裕福だの特別だののくだりは全く意味が無い。無意味。原作「失われたものたちの本」の設定に宮崎駿の自伝を当てはめたものだから。まずは「失われたものたちの本」を調べて、のちに「『君たちはどう生きるか』と、実際の宮崎駿の両親について(ネタバレあり)|三代目」を調べて見てね。宮崎駿父母の顔写真がまんま眞人父、母だから。「失われたものたちの本」を呼んだらわかるけど、母の死を受け入れられない主人公が物語の世界に迷い込み成長して生きて戻ってくる話なんだけど、この物語の世界の代わりにスタジオジブリのイメージの世界を冒険させるのが本作品。裏のメッセージにスタジオジブリは「生きてる奴より死んだ奴のが多い」高齢化で、「血の繋がった眞人(この時宮崎吾朗)に継いで欲しい」結局断られ、後継者不在で終わるねって言うメッセージを込めています。最後塔の崩壊(スタジオジブリ崩壊)後、若いキリコ高畑勲、アオサギ鈴木敏夫との別れのシーンは裏のメッセージが分かる人には感動シーン。表の冒険活劇で宮崎駿が生まれてから14歳までを描き、スタジオジブリ崩壊=宮崎駿人生の終わりを描き【宮崎駿生まれてから死ぬまで】米津玄師地球儀で【宮崎駿生まれてから死ぬまで】そうすると最後心の中に宮崎駿が問いかけてくる自分宮崎駿はこう生きた!(反語)君たちはどう生きるか?という作品。ペリカンはセル画描きアニメーター(ご先祖様)インコはpc技術アニメーター(子孫)ちなみにおばあちゃんズは宮崎駿がお世話になった友人達キリコ 高畑勲大柄赤鼻おばあちゃん 大塚康生 (宮崎駿、高畑勲の恩人)眉間のおできおばあちゃん 小田部洋一 (宮崎駿、高畑勲、小田部洋一でアルプスの少女ハイジ 盟友)存命鷲鼻おばあちゃん 近藤喜文丸顔おばあちゃん 原徹青いかんざしおばあちゃん徳間康快眼鏡のおばあちゃん 保田道世がモデルです。キリコさんは顔のパーツは高畑勲だからちなみに原作ではカササギだったのをアオサギに変えてる。アオサギの鈴木敏夫に火の鳥猿田彦の鼻をミックス、アオサギはエジプト神話の不死の霊鳥、ギリシャ神話のフェニックスなのでスタジオジブリは一度燃え尽きて灰になるけど、その灰から新しいジブリが生まれる。ポノックジブリとか?パンフレットにも「生と死と創造の自伝的ファンタジー」の記載があるので創造されると思います。この作品は「ゾンビジブリにはしない!」(パンフレット宮崎駿自筆メモ)という気持ちから、スタジオジブリをたたむ、高齢化、後継者不在なのでという経緯説明と了承を得るためスタジオジブリの恩人友人たちに、生きてる人死んでる人問わず報告するため、「生と死の世界へと向かった。そこは、死がおわり、生が始まる場所だった。」死んだ人もアニメで蘇らせて。宮崎駿が友情込めて描いた作品。まだまだあるけど長文すみません
すげぇ!
考察を教えていただき、ありがとうございます!キャラと世界は、とてもメタい設定になっているのがわかりますよね。大叔父が宮崎駿監督で、眞人が吾朗さんということは、吾朗さんはジブリから外の世界に戻っていく、ということかもしれませんね。チャンネルではメタを入れずに考察していますが、あえてメタな視点で考えると、眞人は、火垂るの墓の清太と真逆の状況でしたね。・戦火を避け、戦争で家が富む vs 戦争で家族も生活も失う・大人が皆、眞人を助ける vs 大人に子供を構っている余裕はない・弟を得て、未来に向かう vs 節子を失い、自分も浮浪児となって息絶える清太がもてなかったものを眞人ははじめから持っていたと思います。まったく別の作品ですが、強く火垂るの墓を意識させられました。持つ者と持たざる者を随所で意識しまったので、面白かったのですが、とても重い話だと感じました。動画の台本自体は公開3日後にはできたのですが、なかなかタイピングが進まず、アップが遅くなってしまいました。
@@炭ちゃんねる鬼滅ガンダムの解説 宮崎吾朗さんは、宮崎駿になる事をあきらめ宮崎駿にはない宮崎吾朗にしか無いもので前に進むと言う自分に取って正しい道を今進んでいます。それがジブリパークの設計とかです。ゲド戦記大コケのトラウマを克服出来なかったと言うよりもそれを受け入れた選択です。宮崎駿の思うスタジオジブリは面白い映画を作るのがスタジオジブリであり、それ以外でお金を稼ぎ存続して行くのは「ゾンビジブリ」でしかないのです。宮崎吾朗の正しい道宮崎駿の思うスタジオジブリの後継者2人の思いは一致しませんでしたが、その選択は認めるしかない正しい選択だと思います。ちなみに前半のくだりが無意味なのは、自伝なので眞人=この時宮崎駿少年期が裕福な「だけ」で、そこに意味を求めようとしても意味はありません。事実だから。あと眞人が特別な存在の理由は別にあって、原作「失われたものたちの本」を読んだ人も勘違いしている人も多いのですが、この世界を作った人が大叔父と思い込んでる事です。【真実は受け入れ難いものです。拒絶される方も多い。と思うのであくまで眞人くん視点でのファンタジーとして見て下さい】で、知識としてファンタジーじゃない視点での真実は、眞人くんがこの世界を作ったと言う事です。原作「失われたものたちの本」では主人公が現実を受け入れられず精神病で物語の異世界を作り出します。そう言う作品なのです。その異世界に誘うのが「ねじくれ男」で、主人公がねじくれ男がいると言うところに別の人が見たらカササギが一羽いるだけだったと言うくだりがあります。このねじくれ男が、宮崎駿君たちはどう生きるか?ではサギ男で、カササギがアオサギに変更されています。ちなみに「失われたものたちの本」にも白雪姫と七人の小人は出ていて、太った白雪姫に小人たちが搾取されています。それは白雪姫の本の横に共産主義の本があったため、主人公の中で混ざった結果そう言う再現になっています。宮崎駿君たちはどう生きるか?にも七人の小人は出ています。そうおばあちゃんズです。おばあちゃんズは、塔は大叔父が作ったや眞人お母さんが過去行ったなど話しますが、全部幻覚イマジナリーフレンドです。(スタジオポノックも協力して、屋根裏ラジャーまで伏線を張っています)ほぼ10割この作品を理解すると行き着く、受け入れ難い真実です。やたら夢か現実か分からないような演出、寝て夢から覚めるような白昼夢の描き方が多いと思います。【この作品には受け入れ難い真実があるけど言わない】くらいが丁度いいと思います。あと上よりはマイルドですが、魅力半減の真実があります。不思議な隕石です。この作品は石が多い作品です。実は石は意志の同音異義語の意味を持たせていて「石=意志」さらに意志とは、「目に見えないけどアルもの」の意味を持たせています。隕石は概念産屋はその当時の常識や禁忌お叔父に力をくれた石はジブリのブランドイメージです。「目には見えないけどアルもの」隕石は概念です。その概念とは明治維新前はこの地球上に存在しなかった概念です。その概念とはアニメーションです。明治維新前にハンドフリップ(パラパラ漫画)等がこの世に現れます。「目には見えないけどアルもの」でこの世になかったものなので、どこからともなく宇宙から来た不思議な隕石と表現されています。その隕石の中では願い事が叶う=アニメーションでやればなんでも出来るです。ちなみにその39年後に日本にアニメが来ます。あと余談ですが、現在のスタジオジブリを作る切っ掛けは、薄給と過労死の状況だったので福利厚生等しっかりした現在のスタジオジブリを宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫の3人で設立しています。あの時隕石を覆う建物工事で転落事故の1人は近藤喜文さんの過労死?を表現しています。おばあちゃんズにも居ます。王の墓の王は監督引退した宮崎駿、今回の作品は引退しつつ名前を宮ザキ駿として作っています。「我に学ぶものは死す」はゲド戦記で宮崎駿が宮崎吾朗に送った言葉です。詳しくは「宮崎駿を跳び上がるほど喜ばせた」鈴木P・仕事の名言を検索。まだまだありますが長文すみません。自分には情報発信能力がないので、ある人、共感できる人を探している最中です。
私のチャンネルは、メタ要素を抜きに、物語の描写のみから考察していますが、他の方の動画のメタ考察を拝見すると面白いですよね。別チャンネルでエヴァの考察動画をつくっているのですが、そちらには宗教史からエヴァを考察されている方が書込みいただいて、面白いと思いました。「受け入れがたい」という点で、今までのジブリ作品との違いを感じました。今作品は、主要キャラとMobとの対比が出てきます。・しょういちと片山さん・眞人と田舎の普通の子供達・大叔父の血族とインコ生まれが違うので、後者はどんなに頑張っても前者になることはできませんし、チャンスも永遠にきません。例えば、ラピュタならば、パズーの代わりに、近所の男の子が偶然シータが下りてきた場に居合わせたら、パズーに取って代わることができるかもしれません。君たちはどう生きるかでは、Mobは絶対に眞人達にはなれません。それが重く、苦しいと感じました。
@@炭ちゃんねる鬼滅ガンダムの解説 ちなみに片山一良さんは助監督さんです。出兵させられてますね(笑)今までのジブリは対象年齢を決めて、何歳の女の子に向けてというような感じで作られてました。まあ風立ちぬは別ですが。今回の作品はジブリ流のさよなら作品なので、表にエンタメ作品の冒険活劇、裏にメッセージを埋め込んだ作品です。まあ結果、難解の作品となってる状況です。
この動画は映画の中のセリフやキャラクターの行動や、時代背景なんかを丁寧に読み取って解説してあってていいですね。それお前がそう見たいだけやろ的な解釈の動画や解説が多いので、作品それ自体から読み取ろうとしているのが素晴らしい!
凄すぎる
あまり難しく考えす全体的な映像と作画でふんわり感じた物で良いと思います色々後索してもつまらない
とにかくさすがジブリここ20~年はコンピュータがアニメをCGさらに細かな描写が描かれるようになりそれを見るのはとても凄い
7:54 真人の家系は武家であることが弓や刀の登場で表されています。武家は婚姻でお見合いをしていた代表でした。お見合いは言い方は悪いですがサラブレットやブランド犬の血統を品種改良のように守り、能力や血統を守るように、人間自分自身の能力や進化を品種を守っるように導入されたものなんだと勝手に思ってます。真人の家柄も監督のエリート意識が出てしまったのではなく、真人がどういう血脈で、母親がなくなったあと(良家ではよくやっていたように)義妹と再婚するなど、血統を守るために、当時の行動範囲が狭いという縛りためにどうしても血が濃くなったことが表現されていたのだと思うのです。
そのため真人は頭がよすぎる、学校で同級生と性格が合わないなど 12:58 12:59 が表現されており、真人はとうとうひきこもることになります。その中で母が燃える白昼夢を見るようになります。そして、ついにはサギという鳥が自分に語りかけてきます。その時、義母が鏑矢で真人の正気を戻します。それは、義母や実母が妄想の中にとらわれる、言わば、知能の限界を超えてしまった家系であり、マヒトが徘徊しだしたことにその血脈的原因があることに義母が心当たりがあることを表現してるのだと思うのです。
その後、お屋敷の敷地内の奥の閉ざされた場所に大叔父が建てたとされる塔が物語の中心変わっていきます。これは(私の妄想の、しかも臨床的な部分のみで解釈しただけなのですが)妄想に取りつかれた人間を閉じ込める閉鎖病棟が表れているのだと解釈しました。昔はまあまあ裕福な農家でも庭に閉ざされた小さな蔵がありましたし、現在でも庭にプレハブがおいてあったりします。 12:24 12:32 もちろん、塔には様々な暗示が込められており、私の妄想のだけが表現されてるのだとは思わないのですが。
その塔に義母は誘われだします。つわりや真人が妄想で徘徊している、その父親の子供を妊娠している自分、やっぱり妄想の家系から逃げられないんだという思い、妊娠期特有のうつ状態などの原因から妄想にとりつかれ?塔に誘われるのです。そこから更に真人も塔に誘われ入って行くことになります。
その塔の中から真人の妄想という映像を利用して監督の今までの人生や社会、思想、宗教、文化がどのように人々の生活の網に影響を与えるのかを表現されていったのだと思いました。
なので、前半の塔の導入部分と、後半の塔の中の精神内面部分に分けられるのだと思うのです。そうすると、真人の現実部分だけ見るならば真人の血脈と大叔父がこつ然と消えた閉鎖塔、それに誘われわれ妄想が発動し、塔の中に入ってゆくという、前半導入部分だけで言えば、ホラー的な病理映画の内容だったと思います。
あと、話は変わってトトロになりますが、よくできた姉は頭が小さく、めいちゃんは頭が張っており、頭の大きさだけで言えばアスペルガーのような、性格もちょっと聞き分けのない天真爛漫な性格に描かれており、さつきがお母さんに髪をすいてもらってる時、あなたはお母さん似だからというんですが、そのお母さんも頭がはってて、教授のお父さんとの子供でやはり、エ 12:05 リート層特有の頭が良すぎて子孫を残すのが難しいという悩みが描かれてるように思いました。
コメ遅くなってすみません!考察いただき、ありがとうございます!
所謂、インブリードで能力がアップする一方で、何らかの問題も併せ持ってしまうってことですね。
競馬ゲームをイメージしました。
真人の妄想だった可能性があるということですか。
そういえば、似たような映画があったような。
ディカプリオだったか、誰か有名な俳優が出ていた映画があったような。
前半部分の裕福だの特別だののくだりは全く意味が無い。無意味。
原作「失われたものたちの本」の設定に宮崎駿の自伝を当てはめたものだから。
まずは「失われたものたちの本」を調べて、のちに「『君たちはどう生きるか』と、実際の宮崎駿の両親について(ネタバレあり)|三代目」を調べて見てね。宮崎駿父母の顔写真がまんま眞人父、母だから。
「失われたものたちの本」を呼んだらわかるけど、母の死を受け入れられない主人公が物語の世界に迷い込み成長して生きて戻ってくる話なんだけど、この物語の世界の代わりにスタジオジブリのイメージの世界を冒険させるのが本作品。裏のメッセージにスタジオジブリは「生きてる奴より死んだ奴のが多い」高齢化で、「血の繋がった眞人(この時宮崎吾朗)に継いで欲しい」結局断られ、後継者不在で終わるねって言うメッセージを込めています。最後塔の崩壊(スタジオジブリ崩壊)後、若いキリコ高畑勲、アオサギ鈴木敏夫との別れのシーンは裏のメッセージが分かる人には感動シーン。
表の冒険活劇で宮崎駿が生まれてから14歳までを描き、スタジオジブリ崩壊=宮崎駿人生の終わりを描き【宮崎駿生まれてから死ぬまで】
米津玄師地球儀で【宮崎駿生まれてから死ぬまで】
そうすると最後心の中に宮崎駿が問いかけてくる
自分宮崎駿はこう生きた!(反語)
君たちはどう生きるか?
という作品。
ペリカンはセル画描きアニメーター(ご先祖様)
インコはpc技術アニメーター(子孫)
ちなみにおばあちゃんズは宮崎駿がお世話になった友人達
キリコ 高畑勲
大柄赤鼻おばあちゃん 大塚康生 (宮崎駿、高畑勲の恩人)
眉間のおできおばあちゃん 小田部洋一 (宮崎駿、高畑勲、小田部洋一でアルプスの少女ハイジ 盟友)存命
鷲鼻おばあちゃん 近藤喜文
丸顔おばあちゃん 原徹
青いかんざしおばあちゃん徳間康快
眼鏡のおばあちゃん 保田道世
がモデルです。
キリコさんは顔のパーツは高畑勲だから
ちなみに原作ではカササギだったのをアオサギに変えてる。アオサギの鈴木敏夫に火の鳥猿田彦の鼻をミックス、アオサギはエジプト神話の不死の霊鳥、ギリシャ神話のフェニックスなのでスタジオジブリは一度燃え尽きて灰になるけど、その灰から新しいジブリが生まれる。ポノックジブリとか?
パンフレットにも「生と死と創造の自伝的ファンタジー」の記載があるので創造されると思います。
この作品は「ゾンビジブリにはしない!」(パンフレット宮崎駿自筆メモ)という気持ちから、スタジオジブリをたたむ、高齢化、後継者不在なのでという経緯説明と了承を得るためスタジオジブリの恩人友人たちに、生きてる人死んでる人問わず報告するため、
「生と死の世界へと向かった。そこは、死がおわり、生が始まる場所だった。」死んだ人もアニメで蘇らせて。宮崎駿が友情込めて描いた作品。
まだまだあるけど長文すみません
すげぇ!
考察を教えていただき、ありがとうございます!
キャラと世界は、とてもメタい設定になっているのがわかりますよね。
大叔父が宮崎駿監督で、眞人が吾朗さんということは、吾朗さんはジブリから外の世界に戻っていく、ということかもしれませんね。
チャンネルではメタを入れずに考察していますが、あえてメタな視点で考えると、眞人は、火垂るの墓の清太と真逆の状況でしたね。
・戦火を避け、戦争で家が富む vs 戦争で家族も生活も失う
・大人が皆、眞人を助ける vs 大人に子供を構っている余裕はない
・弟を得て、未来に向かう vs 節子を失い、自分も浮浪児となって息絶える
清太がもてなかったものを眞人ははじめから持っていたと思います。
まったく別の作品ですが、強く火垂るの墓を意識させられました。
持つ者と持たざる者を随所で意識しまったので、面白かったのですが、とても重い話だと感じました。
動画の台本自体は公開3日後にはできたのですが、なかなかタイピングが進まず、アップが遅くなってしまいました。
@@炭ちゃんねる鬼滅ガンダムの解説 宮崎吾朗さんは、宮崎駿になる事をあきらめ宮崎駿にはない宮崎吾朗にしか無いもので前に進むと言う自分に取って正しい道を今進んでいます。それがジブリパークの設計とかです。ゲド戦記大コケのトラウマを克服出来なかったと言うよりもそれを受け入れた選択です。
宮崎駿の思うスタジオジブリは面白い映画を作るのがスタジオジブリであり、それ以外でお金を稼ぎ存続して行くのは「ゾンビジブリ」でしかないのです。
宮崎吾朗の正しい道
宮崎駿の思うスタジオジブリの後継者
2人の思いは一致しませんでしたが、その選択は認めるしかない正しい選択だと思います。
ちなみに前半のくだりが無意味なのは、自伝なので眞人=この時宮崎駿少年期が裕福な「だけ」で、そこに意味を求めようとしても意味はありません。事実だから。
あと眞人が特別な存在の理由は別にあって、原作「失われたものたちの本」を読んだ人も勘違いしている人も多いのですが、この世界を作った人が大叔父と思い込んでる事です。
【真実は受け入れ難いものです。拒絶される方も多い。と思うのであくまで眞人くん視点でのファンタジーとして見て下さい】
で、知識としてファンタジーじゃない視点での真実は、眞人くんがこの世界を作ったと言う事です。原作「失われたものたちの本」では主人公が現実を受け入れられず精神病で物語の異世界を作り出します。そう言う作品なのです。その異世界に誘うのが「ねじくれ男」で、主人公がねじくれ男がいると言うところに別の人が見たらカササギが一羽いるだけだったと言うくだりがあります。
このねじくれ男が、宮崎駿君たちはどう生きるか?ではサギ男で、カササギがアオサギに変更されています。
ちなみに「失われたものたちの本」にも白雪姫と七人の小人は出ていて、太った白雪姫に小人たちが搾取されています。それは白雪姫の本の横に共産主義の本があったため、主人公の中で混ざった結果そう言う再現になっています。
宮崎駿君たちはどう生きるか?にも七人の小人は出ています。そうおばあちゃんズです。
おばあちゃんズは、塔は大叔父が作ったや眞人お母さんが過去行ったなど話しますが、全部幻覚イマジナリーフレンドです。(スタジオポノックも協力して、屋根裏ラジャーまで伏線を張っています)
ほぼ10割この作品を理解すると行き着く、受け入れ難い真実です。
やたら夢か現実か分からないような演出、寝て夢から覚めるような白昼夢の描き方が多いと思います。
【この作品には受け入れ難い真実があるけど言わない】くらいが丁度いいと思います。
あと上よりはマイルドですが、魅力半減の真実があります。
不思議な隕石です。
この作品は石が多い作品です。実は石は意志の同音異義語の意味を持たせていて「石=意志」
さらに意志とは、「目に見えないけどアルもの」の意味を持たせています。
隕石は概念
産屋はその当時の常識や禁忌
お叔父に力をくれた石はジブリのブランドイメージ
です。「目には見えないけどアルもの」
隕石は概念です。その概念とは明治維新前はこの地球上に存在しなかった概念です。その概念とはアニメーションです。明治維新前にハンドフリップ(パラパラ漫画)等がこの世に現れます。「目には見えないけどアルもの」でこの世になかったものなので、どこからともなく宇宙から来た不思議な隕石と表現されています。その隕石の中では願い事が叶う=アニメーションでやればなんでも出来るです。ちなみにその39年後に日本にアニメが来ます。
あと余談ですが、現在のスタジオジブリを作る切っ掛けは、薄給と過労死の状況だったので福利厚生等しっかりした現在のスタジオジブリを宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫の3人で設立しています。あの時隕石を覆う建物工事で転落事故の1人は近藤喜文さんの過労死?を表現しています。おばあちゃんズにも居ます。
王の墓の王は監督引退した宮崎駿、今回の作品は引退しつつ名前を宮ザキ駿として作っています。「我に学ぶものは死す」はゲド戦記で宮崎駿が宮崎吾朗に送った言葉です。
詳しくは「宮崎駿を跳び上がるほど喜ばせた」鈴木P・仕事の名言を検索。
まだまだありますが長文すみません。
自分には情報発信能力がないので、ある人、共感できる人を探している最中です。
私のチャンネルは、メタ要素を抜きに、物語の描写のみから考察していますが、他の方の動画のメタ考察を拝見すると面白いですよね。
別チャンネルでエヴァの考察動画をつくっているのですが、そちらには宗教史からエヴァを考察されている方が書込みいただいて、面白いと思いました。
「受け入れがたい」という点で、今までのジブリ作品との違いを感じました。
今作品は、主要キャラとMobとの対比が出てきます。
・しょういちと片山さん
・眞人と田舎の普通の子供達
・大叔父の血族とインコ
生まれが違うので、後者はどんなに頑張っても前者になることはできませんし、チャンスも永遠にきません。
例えば、ラピュタならば、パズーの代わりに、近所の男の子が偶然シータが下りてきた場に居合わせたら、パズーに取って代わることができるかもしれません。
君たちはどう生きるかでは、Mobは絶対に眞人達にはなれません。
それが重く、苦しいと感じました。
@@炭ちゃんねる鬼滅ガンダムの解説 ちなみに片山一良さんは助監督さんです。出兵させられてますね(笑)
今までのジブリは対象年齢を決めて、何歳の女の子に向けてというような感じで作られてました。まあ風立ちぬは別ですが。
今回の作品はジブリ流のさよなら作品なので、表にエンタメ作品の冒険活劇、裏にメッセージを埋め込んだ作品です。まあ結果、難解の作品となってる状況です。