高天彦神社から辿る大和の高天が原、そしてそこは天孫降臨の地だったのか

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  • Опубликовано: 22 дек 2024

Комментарии •

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 Год назад +1

    大好きな高天彦神社。
    アップ、ありがとうございます♪
    古事記は
    色んな読み方ができます。
    特に、冒頭の上巻は、
    自然科学・宇宙物理学としても、
    哲学としても、
    壮大な宇宙創生が体感でき、
    圧巻です。
    【高天原】は、
    わたしの感覚でも、
    高┃ 時間軸
    原━ 空間軸
    天➕ 時空の交点であり、
    【高天原】宇宙の中心
    を現していると感じます。
    それは、
    自分自身の中にあり、
    おっしゃる通り、
    宇宙に繋がる穴であり、
    全てを生み出す入口であり、
    トーラスの中心でもあります。
    長い間、
    そう解釈して来ました。
    ところが、
    最近、又、別の味方を発見し、
    感動しています。
    とりあえず、
    一旦、切ります。

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 Год назад +1

      話が長くなるので、
      分けて説明します。
      ①高天彦神社のある御所市葛城の地は、
      クシヒカタを長とする
      三嶋一族と東出雲族が
      最初にヤマトに入植し、
      開拓を行った地であり、
      その後、西出雲族と
      丹波の海部家も加わり、
      この地でヤマト政権が創設されました。
      【ヤマト政権発祥の地】です。
      この時代は
      まだ紀元前のお話であり、
      古墳は造られておりません。
      では、埋葬は
      どんなカタチであったか…
      出雲王家では、
      伝承によりますと、
      風葬(シナドオクリ)であったと
      伝えられています。
      古代には、遺体を葬る前に、
      遠方より来る親族や知人に、
      死に顔を拝ませる
      殯(もがり)の習慣がありました。
      当主が亡くなると、まず、
      遺体の口に漏斗をさし入れ、
      水銀朱を流し込み、
      遺体の腐敗処理がなされました。
      朱は、肺や胃腸を通り、
      毛細血管から
      全ての細胞に染み渡り、
      朱には殺菌作用があるため、
      遺体はもはや数ヶ月は腐らず、
      死臭は発生しなかったと言います。
      そして、長期間の殯が終わると、
      大きな竹籠へ入れられ、
      山頂付近に神籬(ひもろぎ)が作られ、
      風葬にされます。
      3年後に、籠から出され、
      洗骨された遺体は、
      頂上付近の磐座の脇に埋葬されます。
      磐座のある山は、
      神名備山と呼ばれ、
      中腹に斎場があり、
      祭祀が行われていたようです。
      又、両墓制の習慣があり、
      遠くの山に葬られた遺体は、
      「埋め墓」とされ、
      屋敷に普段拝むための石を置いて、
      「拝み墓」としたと言われます。
      ここからは
      わたし個人の推測であり、
      どこにも書いてありませんが、
      【白雲岳】とは、
      【初代大王・海村雲が
      埋葬された神名備】ではないかと
      感じるのです。
      まず、
      【白雲岳】という響きが
      【海村雲・天叢雲】を感じさせます。
      そして、ここは、
      ヤマト政権発祥の地であり、
      初代大王の埋葬地として
      ふさわしい場所であるだろうこと。
      神武天皇とは、
      複数の人物の所業と、
      日本という国の理想を掲げた
      壮大なる創作であり、
      ヤマト政権創設期には、
      まだ古墳は造られていなかったことを
      考えますと、
      初代大王は神武天皇陵に
      居られる筈はなく、
      何処かのお山に
      眠っていらっしゃると思うのです。
             つづく…

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 Год назад

      ②動画内で写していただいた磐座は、
      蜘蛛塚ではないようです。
      御神体山「白雲岳」の聖林で
      祭祀を行っていたもので、
      麓に遷座して社殿を創建する際に、
      山の中腹にあったその磐座を
      持ってきたもの…
      との説明があります。
      【蜘蛛塚】は、
      葛城一言主神社の境内に
      あるようです。
      高天彦神社には、
      少し奥に【蜘蛛窟】があります。
      土蜘蛛が住んでいたところ
      とされていますが、
      現在、記念塔が建っており、
      そこら眺める白雲岳が
      絶妙な位置なのです。
      わたしは
      ここは村雲の埋葬地の
      【遙拝所】だと感じます。
      境内に移された磐座が、
      【拝み墓】ではないかと。
      【土蜘蛛】とは何ぞや…🕷
      土蜘蛛伝説は
      全国色々、ありますから、
      一概には言えませんが、
      ここヤマトの土蜘蛛は、
      【初代大王・海村雲の子孫】
      ではないかと思います。
      神武東征は、
      物部の二度に渡る東征をモデルに
      創作されており、
      東征して来た物部勢と戦ったのは、
      磯城王朝なのです。
      この地にいた人たちが
      土蜘蛛だと言うことは、
      初代大王の子孫たちが
      そうだと言うことです。
      土蜘蛛たちは
      初代大王の埋葬地をお祀りし、
      この地を護ってきたのです。
      この地に住んでいたのは、
      葛城氏です。
      葛城国造の系図を見ますと、
      祖は【剣根命】となっています。
      【剣根命】こそが、
      【海村雲】でしょう。
      何故なら、
      正史では名を隠された初代大王は、
      ただ一言、
      【天叢雲剣】として記録されます。
      村雲のシンボルは【剣】なのです。
      【根】は根源であり、
      大王級の人につけられる文字です。
      剣根命が村雲であれば、
      葛城氏とは村雲の子孫ということです。
      初代大王・村雲の死後、
      後継者争いが起こり、
      皇后タタラ五十鈴姫の御子が
      皇位を゙継承してゆきます。
      登美家の系統となります。
      破れた海家の人たちは、
      ヤマトを出て、
      一部は丹波へ戻り海部氏となり、
      一部は伊勢湾沿いに進出し、
      尾張氏となります。
      ここ葛城の地は
      【高尾張】と言われており、
      そこから取った名です。
      ヤマトを出ずに、
      この地で村雲を
      お祀りしていったのが
      葛城氏となったのでは…
      と推測します。
      神武東征で
      吉野にいた土蜘蛛たち🕸
      【尾が生えた人】と記されます。
      尾がある人…
      つまり、「尾有り氏」
      =【尾張氏】
      村雲族です。
      「石押分之子」
      (いしおしわくのこ)は、
      【吉野の国巣(くず)の祖】
      とされ、
      大嘗祭などで、
      歌舞を奏でる一族となりました。
      葛城の【葛】は
      元々、「くず」と読みます。
      土蜘蛛🕸尾が生えた
      石押分之子は、
      【尾張の葛城氏】と言えるでしょう。
            つづく…

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 Год назад

      ③葛城には
      鴨系の神社が集中しています。
      ✤高鴨神社(上鴨社)
      ✤葛木御歳神社(中鴨社)
      ✤鴨都波神社(下鴨社)
      高鴨神社は
      全国のカモ社(鴨・賀茂・加茂)の
      総本社であり、
      高天彦神社も
      高鴨神社の管轄になります。
      同じグループだと言うことですね。
      しかし、
      葛城にある神社の多くが、
      出雲色が強いのに対し、
      この高天彦神社のご祭神は
      【高皇産霊尊】と、
      ここだけが天孫系で
      異色なのです。
      これは、
      ヤマト政権の成り立ちを考えると、
      理解できます。
      ヤマト政権は、
      クシヒカタと
      皇后タタラ五十鈴姫の家系・
      つまり登美家は【東出雲系】で、
      【事代主】をお祀りします。
      続いて入植した
      【西出雲系】は
      【味耜高彦根命】や
      【下照姫】が神門家のご祭神です。
      そして、
      大王になった村雲の海家が
      お祀りしたのが、
      【高天彦神社】だと思うのです。
      【高天彦】とは村雲のことであり、
      何故なら、
      村雲は【徐福の孫】だからです。
      【天孫降臨】したわけです。
      何故、天孫が降臨したのか…
      これは
      徐福と村雲の関係を
      ここに暗示したのだと思います。
      村雲の父・五十猛(香語山)は、
      西出雲王家の大国主の娘・
      高照姫の子であり、
      村雲は大国主のひ孫になります。
      西出雲王家がサポートをしていました。
      味耜高彦根命は高照姫の兄です。
      ですから、
      高天彦神社は
      ご祭神が天孫系なのに、
      高鴨神社の管轄になっているのです。
      人をあまり寄せ付けない
      ピリッとした神々しさが感じられる
      高天彦神社。
      高貴な方の埋葬地であれば、
      うなずけます。
      【高鴨神社の御由緒書き】より
      『日本書紀』によると、
      八咫烏(やたがらす)が、
      神武天皇を熊野から大和へ
      道案内したことが記されています。
      そして神武・綏靖・安寧の三帝は
      鴨族の主長の娘を后とされ、
      葛城山麓に
      葛城王朝の基礎をつくられました。
      この王朝は
      大和・河内・紀伊・山城・丹波・吉備の
      諸国を支配するまでに発展しましたが、
      わずか九代で終わり、
      三輪山麓に発祥した
      崇神天皇にはじまる
      大和朝廷によって滅亡しました。
      ♪ ♫ ♪ ♫ 🦆
      ↑出雲王家の伝承そのままですね。💟
           つづく…

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  Год назад +2

      素晴らしいご考察、大変ありがとうございます
      私にとっては全てに的を射てて痛快です
      ここの神社は通りすがりでしたが行ってみてビックリ、そして今まで深く考えた事も無い大和、葛城族とか、あらためて歴史の奥深さやその膨大なスケールに立ちすくむばかりです
      いろいろ勉強になります
      ありがとうございます
      取り敢えずのコメント返信−その1でした

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 Год назад

      ④高天彦神社が
      初代大王をお祀りしたところだとは、
      どこにも書いてなく、
      出雲の伝承を元に、
      わたしが勝手に推測したものです。
      ですが、
      辻褄の合うことが多すぎて、
      わたしの中では
      とてもしっくり来ています。
      もし、本当だとしたら、
      歴史から名を消された初代大王は、
      忘れ去られたわけでなく、
      今もなお、
      しっかりお祀りされていることに
      感動を覚えるのです。
      ストレートには
      書いてないけれど、
      正史もその他の文献も、
      沢山のヒントを散りばめ、
      史実を匂わせていることに
      ジワっとした
      喜びが溢れてくるのです。
      そして、
      多くの磐座が、
      縄文時代から微動だにせず、
      そのメッセージを
      発してくれていることに、
      感謝でいっぱいになります。
      【蜘蛛窟】の様子が分かる動画を
      貼っておきます。
      参考までに。

      ruclips.net/video/8eUAvOf7LNk/видео.htmlsi=51GkDSnYq7G_nKxx
      ruclips.net/video/C3UrJIjf5vE/видео.htmlsi=KkLteq9fRrQ-rFB3

  • @mayumi3300
    @mayumi3300 Год назад +1

    随分前のご質問の答えに
    訂正させていただきます。
    神魂神社の王宮からは、
    古代では熊野山が見えていたと
    伝えられているようです。
    今は木が生い茂って
    見えないということですが、
    2000年以上前のことですから、
    地形も変わったでしょうね。
    わたしは
    行ったことがないので、
    何とも言いようがないですが、
    Kanji さまから見て、
    方角はいかがでしょうか?!

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  Год назад +1

      方角は真南になりますので見えれば確認できると思います
      頂上からの眺めは全方位見えます
      神魂神社奥宮の裏山へ登れば確実かも?
      神魂神社の裏山も奥宮の山も異常に水が豊富です
      湧き出て流れている感じです
      ので古代の方々は伏流水の山だと思っていたのでは無いかとも思います、私は最初は比婆山からの伏流水かな?イザナミの御陵があるあの比婆山ですが,やや遠いかとも思ってましたが、多分熊野山(天宮山)からでしょう
      神魂神社は最近また行ってみようと思っていました
      丁度、あの近くの風土記の丘の資料館で気になる展示会があるみたいなので行ってみようと思ってました
      ここ一年近く阿波の国に入り浸りなので阿波の経験を持ってまた出雲を見てみようかと思っています

    • @mayumi3300
      @mayumi3300 Год назад +1

      @@kanji-kun1280 さま
      お返事、ありがとうございます♪
      わたしは
      なかなか現地へは行けませんので、
      よろしくお願いいたします。
      水は重要ですね。
      水と一緒に、
      エネルギーが循環し、
      靈氣も伝わってゆくでしょう。
      阿波も奥深いと思います。
      ただ、今、沸騰中の
      阿波起源説は、
      あまりにも正史にそっくりなのが、
      腑に落ちません。
      正史が作られ、
      ガイドラインになると、
      全国でそれに添った神社が作られ、
      伝承も重ねられます。
      それが阿波に凝縮している
      感じがします。
      わたしが響くのは、
      正史と全く関係ないお話の方です。
      これだけは伝えたいという、
      核心的なお話は、
      通常、正史から離れて
      時にはぶっ飛び感があります。
      神さまのお名前も
      ストーリーも似かよっていると、
      正史ができてから、
      作られたかな…
      と感じてしまいます。
      そして、阿波でのお話は、
      おっしゃるように、
      全てがコンパクトに集中し過ぎで、
      表面的です。
      奥との繋がりが
      みえて来ないのです。
      わたしが興味があるのは、
      神話以前の阿波です。
      天孫降臨は
      正史編纂で作られたと思うからです。
      それまで長い長い
      縄文時代がありました。
      阿波にもその古い形跡が
      沢山あるだろうと
      思っています。
      四国は大きく2つの色が
      ある感じがします。
      那賀国に代表される
      龍蛇信仰と(ナーガでしょう)
      ユダヤ系の渡来信仰です。
      龍蛇信仰族の方が
      古い気がします。
      出雲も同じ信仰ですから、
      連帯感はあっただろうと。
      磯城王朝もこの流れですが、
      そこから新しくやって来た
      集団も見え、
      融合は簡単であったろうと思います。
      一方、ユダヤ系は、
      全く違う祭祀を
      元々の縄文の巨石信仰の上に
      重ねていったと想像しています。
      わたしが興味があるのも、
      神話のお話ではなく、
      それ以前の磐座信仰と、
      その後の移り変わりであり、
      Kanji さまの動画を
      また楽しみにしております。
      ありがとうございました❣️

  • @有田貞夫
    @有田貞夫 10 месяцев назад +1

    住所は奈良県御所市高天ですね。

    • @kanji-kun1280
      @kanji-kun1280  10 месяцев назад

      そうですね、その時は通りがかりでたまたま寄ったのですがそれがキッカケで葛城地域に興味が湧いて色々調べたら
      やはり出雲族系の神社がゴロゴロあるし大和を統一した出雲族の流れが大体分かってきました
      ので最近ハマっています
      何か面白い事があれば教えて下さい
      コメントありがとうございました