@@ymatsuda6406 さん Lessons for Life のような貴重な映像を見られることは本当に幸福なことですよね。 ザンダー氏の言葉はわかりやすくかつ説得力があり、既に高いレベルにある受講生の演奏がみるみる輝きを増していく様を見ることができる、奇跡のような映像だと思います。 技術論よりも、意識の持ち方や考え方のアドバイスが多いのも驚きでした。 私もアマチュア吹奏楽団を指揮する身として、ほんの少しだけでもザンダー氏に近づけるようにしたいと思っています。 もっとも、私などがザンダー氏に近づこうなどおこがましい話ですが(笑)
クラシック音楽は用語が難しすぎて、クラシック音楽聞かない人は脳が構えてしまい純粋に音楽の良さを味わえないのではないか?と思います。例えば「楽興の時」とか「献呈」とか、対訳が大げさすぎて圧力がすごい。シンプルに「JOY」「LOVE」を感じるいい曲なのに、もったいないです。あと「長調」「短調」も今の時代「メジャー」「マイナー」でいいと思います。また、音階の「ABC」「ドレミ」「イロハ」も謎です。幼児教育を考えると「ドレミ」は必要でしょうが(Sound of Musicの影響でしょうか?)、日本人にしか通じない、曲名でしか聞かない「イロハ」はもはや不要ではないでしょうか?それとも声楽の世界では「ドレミ」や「イロハ」は健在なのでしょうか?(ブラスではもっぱら「ABC」でした)。対訳した時点ではベストだったのでしょうが、それから1世紀以上経ってますから、古臭い過剰包装で損をしているようにしか見えません。文化継承の立場におられる方たちからすれば「けしからん」のかもしれませんが、あくまで「対訳」ですから。(もちろん、この国が(文科省やら版権やらですか?)変化に消極的(慎重)であることは百も承知で意見してみました)
テレビやCMで多くのクラシック音楽が使われていますけど広まりませんよね(日本の場合、どこの国も同じでしょうけど)その昔、クラシック音楽を現代風にアレンジして演奏するバンド「クライスラー&カンパニー」がいましたけど…24時間、クラシック音楽を流しているラジオ局もないし、ビジネスとして成り立たなんでしょうね。 学校の音楽でも短い時間の演奏や聴きやすい音楽を聴かせるなどの授業もあってもいいのになあと思いますけど、例えばエルガーのSalut d'amourやサティのJe te veuxなどなど。
「質の高い演奏をすることが唯一の方法」
流石歴史的名演奏家の言葉ですね。
私も子供の頃からクラシックを聴いていますが、これがいつか劇的に普及してクラシック人口が10倍100倍になるなどとても考えられません。
一方で素晴らしい作品があり質の高い演奏がある限り、消滅してしまう事も無いように思います。
特に魂を揺さぶられるような稀有の演奏を耳にした時には、次もどんな困難があっても聴きに行きたいと思ってしまいます。
クラシックを聴き易く、アプローチし易くする試み自体は大事ですが、やはり核心は「質の高い音楽」の存在に尽きると思わされました。
確か元ソニー会長の大賀さんだったと思いますが「音楽(クラシック)がわかるにはIQ130以上必要だ」みたいな趣旨の発言をされていたのを思い出しました。今だと選民思想だと炎上しそうですが、わかる人にはわかり、わからない人には永遠にわからないのが芸術だということを言い表した言葉だと思っています。ちなみに自分は130もありませんが(笑)
ただ、それでも、学校の音楽鑑賞などを通して、触れる機会は平等にあった方が良いとは思います。触れたうえで好きかそうでないかを本人にゆだねるという意味でも。さらに、人生経験を積むことで若い頃にはわからなかったものの味わい深さがわかるケースもあることでしょう。ある日ふと「昔学校の授業で聴いたあの曲を聴いてみようか」と思い、コンサートに通うようになる人も少なからずいるのではと思います。
200年前に作られた作品が、今でもこれだけ世界中で再演され続けている、それだけでも凄いことで、本当に価値のあるものだからこそですね。
作曲家が命を削って楽譜にした音楽だからこそ、こうして生き残っているのでしょう。個人的には、楽譜の形で完成されていないものはいずれ忘れられていくと考えています。無理に広める必要はありません。本物の芸術はずっと残ります。
芸術が芸術であり続けられるかがポイントですね😊
楽譜の形で残っていなければ、完成されていなかっ残っていかないとは如何にも上から目線で賛同、共感は得られないでしょうね。鼻につくコメントです。
本物の芸術はずっと残る? 阿呆らしい。今少なくとも日本では西洋音楽のクラシックは消える寸前ですよ?
アフリカなどで昔からある民族音楽は楽譜なしで口伝えで継承されてるので関係ないと思う。
いまは映像や音で残せるしね。
なんとなく感じていたことが明晰になった感じがします。感性に合った授業を受けた後のような、高揚感があります。先生、ありがとうございます。
😊😊
今65なんですが、高校まで東京で暮らしていたので、NHKクラシックコンサートの公開録音に頻繁に行ってました。
まだ、NHKホールも無かった頃だったので、場合によっては録音専用スタジオで演奏家を身近に感じながらクラシックを楽しんでいました。
クラシックの良さを身につけるには、スピーカーからの音じゃない生の音を子どもの内から体験することが大切な気がします。
音楽・芸術に関わらず、文系(ヒューマニティ)分野は生き残りが難しい時代だと思います。大学の文系学科を減らそうという案が出てくるくらいですから。でも、そうなると効率化だけを求める味気ない人生になるだろうなとは、誰しも想像できると思います。音楽・芸術は、いくら素晴らしいんだよって人に言われても、結局は個々の興味・感性によるところが大きく、もちろん大人になってから興味が出てくることもあると思いますが、生まれ育った環境や小さい頃からの教育が大きな鍵を握っているのではないかと思います。そう言った意味で、楽器が上手く弾けるようにというだけではなく、日頃から何気なく質の高い音楽や芸術をこども達が身近に体験できる機会を多く作ることが、長い目で見て芸術の存続・発展につながるのではないかと思っています。
娯楽や商業性にフォーカスしている大衆音楽とある意味芸術性に重きをおいているクラシック音楽、はたまた直木賞とるような大衆文学と芥川賞とるような純文学とでは、とっつきやすさが違いますよね。大衆向けのものはキャッチーで分かりやすくて受け身でも楽しませてくれるものが多いと感じます。しかし後者はどちらかと言うと、作品を理解しようとする自分自身の能動的なコミットが一定程度必要な場合が多いかなと思います。普通の人がクラシックをぼーっと聴いてても多分殆どの人が飽きると思うので。一定レベルの知的好奇心を携えて、深く知ろうと思わないと一過性で終わる気がします。
現代は楽しいものや刺激的なものが身の回りにありふれていて、それらが寄ってくるのを待っている状態に慣れているなと。ゆえに簡単に受け取れるものや分かりやすいものに流れがちなのかなと感じます。
ずっとずっと謎でした。
なんでこんなに素晴らしいクラシック音楽が広まらないのか。
やっと、わかりました。納得です。
でも、やっぱりクラシックは素晴らしいと信じています。
きっと、努力は無駄じゃないですね。
車田さんいつも楽しい話をありがとうございます。
「音楽を広める」に関しまして私がクラシックに夢中になったきっかけを話させていただきます。
小学3年の時、親がオーディオを買い、私は1人で留守番をしている時に、どうしてもそのオーディオを触ってみたくて、たまたまそこにあったレコード(ベートーヴェンの運命)を見よう見まねで大音量でかけてみました。初めはそのオーディオの爆音が楽しかったのですが、しばらく聴いていると音楽によって今まで経験したことのない気持ちの高揚を感じ「なんだこの感覚は!?」と何度も何度も繰り返しレコードをかけているうち、親が帰ってきて「ボリュームでかすぎ」と怒られた経験があります。
それをきっかけに小遣いをためてはレコードを買い、夜空を見ながらヘッドホンで「惑星」を聞けばまるで宇宙旅行している気分になり、NHK-FMでザルツブルク音楽祭のライブを聴けば祝祭大劇場の特等席でカラヤンのアイーダの舞台を見ている気分になれたり、まるで目の前に別の世界が現れるような感覚がありました。
しかし56歳となった現在、音楽を聴くことが何より大好きなのは変わらないものの、小学生当時のあの音楽を聞くたびに感じた感激はすでにありません。
何十年もクラシックを聞き続けて来たのに、初めて聴く曲など頭にすら入ってこないのです。
やはり若い人の感性というのはすごいものがあると思います。
私は小学生ぐらいの若い人にクラシック音楽のもつあの不思議な力を感じて欲しいと思っています。
ありがとうございます。クラシック音楽は沢山の人に聴いてもらいたいです。日本の社会を見ていると芸術と社会の間に深い溝を感じます。社会は芸術が心を豊かにすること見出せず、演奏家は社会全体を深く見ていない点が溝を作っていると感じます。大人自身が日常に文化を求めていない人が多い。。日本はものは豊かになりましたが、心は豊かではない現状を見ますと、クラシック音楽の役目は大きいと思うのです。また、アメリカ文化の影響も大きく、人々が単純明快なものを好む傾向が強まっていることも一つの原因かもしれません。
日本人が心が豊かで無いという根拠は何ですが? それは余りにも上から目線で人々からは支持されないでしょうね。
車田先生、いつも為になるお話をありがとございます😊
クラシックも大好きですが、動画の最後の素敵なTeaTime も大好きです😊
車田さんのお話は、毎回とても深く、面白くて引き込まれます。仰っていることは芸術以外にも当てはまるように思いました。
歴史的に見ると、教会唱→器楽演奏→オーケストラ→オペラ→楽劇→ミュージカル→映画…というふうにいろんな要素の融合に成功したジャンルが時代の流れを作るのでしょうね。「クラッシック」というと欧米では伝統芸能を意味するのでしょうから生き残ることができれば成功と言えるのかもしれません。
伝統を重視するのか?それとも新しい刺激の開拓を重視するのか?はたまた経済的成功を重視するのか?人それぞれなんでしょう。
結局は根気よく聴いてくれる人の感性が育ち続けていくことを手助けしてゆくことが唯一の道と言えるかもしれませんね
😊😊
ありがとうございます。先生のお話の趣旨と私自身の疑問点がうまってきました。先生は常に、教育(する人、去れる人)を視点にして語られています。それぞれの講座も大変興味深い視点に溢れています。はい、おっしゃるように活動していきます。私の思ってきた事が間違いではない確信を持てました。おっしゃるように頑張っていきます。ありがとうございました。また、宜しくお願い致します😔。(講座68)
明るくて気持ちいいものに人は惹かれますから。
冬の夜より春の朝を好む人が多いと思います。
太陽のテノールがとても人気だったのはそういうところだと思います。
冬の夜 芸術性より
春の朝 心地よさ
さすがです!グールドのパルティータを引用する先生👏
グールドのバッハは素晴らしい精神世界に連れて行ってくれます😌
未だ、この国に於いての一般的な認識は「芸術家」=「変な人」だし、「横に合わせる」国民性からして、「音楽」そのモノにコマーシャリズム抜きに「聴ける」人なんて、未だ、全体の1%以下。そんな中、こうした動画をupする勇気に敬意しかないです😂
貴重なお話を、有り難うございます。私は、子供の頃から、いろいろな音楽が好きでした。いろいろなジャンルの中で、クラッシックが一番、波長が合います。(でも、まだまだ知らない曲ばかりです💦)音楽仲間、クラッシック仲間ができる事は、とても楽しいです。でも、広めようとまでは、思いません。(私など、力不足ですし)今回のお話を聞いて、去年の今頃の、某炎上事件を思い出しました。
堅苦しい、敷居が高いと言われる芸術文化にも、一定数の愛好家はいますが、やはり、少子化問題などとも絡んで、先細りが不安です。(ビジネスとしての側面も含め)
たまに、ムーブメントが起きて(ブーニン、三大テノール、のだめなど、、、)観客動員数は一時的に上がりましたが、数年経たないうちに、みんなどこかへ散ってしまう。。。。やはり、その文化と波長が合う、合わないは、他人がどうこうできる問題では無いですね。
私は私なに、【音楽を一生懸命楽しむ】←それに尽きると思います。
本当に芸術を広め様としたら、一生懸命やる事。質の良い芸術を作る事が一番大切という話でしたが、とても心に響きました。素晴らしい話が聞けて良かったです。
クラシックは再生演奏が難しいからというのもあると思います。
近年、少年少女がお父さんのエレキやドラムを使って50年も前のハードロックを当時の大人と同じ水準で演奏してるのを見ると痛烈に思います。
クラシックを好きな人は他のジャンルも好きか、もしくは嫌いではない。しかし、他のジャンルオンリーの人はクラシックは分からないと言って聞かないようです。他のジャンルは次々と新しい楽曲が生まれていますが、クラシックはこれまでの殻を破るような楽曲を聞くことはありません。ずうっとクラシックのままのような気がします。もちろん名曲は名曲でいいのですが。新しい時代の新しい革新的なクラシック楽曲を聴きたいものです。訳の分からないものではなく。過去の著名な作曲家はすべてそんな挑戦を成し遂げてきた人たちであることでした。
クラシック音楽は現在とても広まっていると思います。
バッハやモーツァルト、ベートーヴェンの時代に誰でもがクラシックを聴いていたわけではないでしょう。今は誰でも聴くことができます。
ただ違うのは、クラシック音楽を養うことが出来る社会構成が変化したと言うことだと思います。大衆にオーケストラを維持し新しいアーティストを育てるだけの資源を期待するのは無理があります。
もし、ビートルズ級のクラシックの作曲家が現れて伝統を踏まえ楽器の特性を生かし、今に生きる人々の心を揺さぶる様な表現をすることがあれば、また違ってくると思います。言ってることが分からないと思いますが失礼します。
クラシックを広めるには日本がもっと豊かになる事、心や暮らしに余裕がないとクラシックに入っていきにくい。アフリカや中東で広まらないのはそのため。ある音楽家が病気になり、入院中、音楽の事ばかり考えているだろうなと想像していて音楽は世界を病気の人も救うと思ってたけど、、、実際は来る日も来る日も食べ物の事ばかり、退院したらあれ食べてこれ食べてと考えて音楽の事は一切頭になかったそうです。。やはり体、心、生活に余裕、ゆとりがないとなかなかクラシックを聴きに行かないと思います。
もっと豊かに というか、この30年程で日本人は相当に貧乏になってしまったからねぇ、既に1人あたりのGDPは韓国に抜かれてるし。
わたしもオペラに興味がありましたが、公演が少ないのと、料金の高さ、会場までの遠い距離などから生で見たことがありません。でも映像化されたメトロポリタン劇場のライブビューイングを見てます。メディアのデジタル化が大きな変化をもたらしてますね。
私の音楽の道しるべ、ここでお話し聞くのはそんな感じです。
毎回、黙々と聞いてます。^^;
黄色のチューリップがいっぱい!
もうすぐ春ですね。
パヴァロッティ,ドミンゴ,カレーラス他の歌手は昔足を運び🎉ました❤とても感動
😂しましたが,今はもうyou tubeで楽しんで居ます♪
最近はコンサート再開で友人達の応援も大変に‼️,
月一回は好きなカンツォーネをNHKカルチャー教室で歌って居ます。
車田先生のは何回も繰り返し❣️時には子守唄の如く🍀癒されて居ます🍀感謝🙏🙇♀️。
It's quite simple. Choose what you like and get joy out of it.
クラシック音楽はたまにブームが来る。
映画アマデウスが公開された時は空前のモーツァルトブーム。
佐村河内が話題になったときは佐村河内ブーム。
潜在的に日本人はクラシック音楽に興味があるがなかなか増えない。
これは私の持論ですが、クラシック音楽を聞く才能は遺伝子レベレで決められていると考えます。
興味があるのに本当の趣味にならない人が圧倒的。私が40年以上のクラシック音楽ファンやっていて思うことです。
僕の知り合いにホルンの演奏家、その演奏家から紹介された。僕の先生でもあるピアニストの人がいますが、両極端で
ホルンの人は演奏会などでも、聴かせていただいたとか凄く敷居を高くします。
ピアノの先生は気さくで音楽的にレベルの低い僕にも優しく教えてくれます。
そしてクラシックを広めようと尽力しています。音楽家辞典にも載っているような先生です。
高度な音楽を学んできたというのが敷居を高くし、聴衆の僕らにまでそれを求める。これがダメだと思います。
パバロッティさんが成し遂げたことはオペラを広めたというよりはパバロッティさんを聞く人を広めた事ではないのかなという気がします。(それが良い悪いという気は有りません。)
素晴らしいお話ありがとうございます。
とても良いお話しでした。確かに人の関心はますます多様化しているので、クラシック音楽に全く一生興味が持てない人もいます。結局音楽を好きになり、自分が演奏したり聴いたりしてみたい、という人の中でも、クラシックに特に魅力を感じる人(その中でもポピュラーも好き❤️という人はたくさんいますね)が演奏会に足を運んだり、CDで聴いたりして自分に栄養を染み込ませて、物理的な食べ物とは別の精神の飢えを満たしていくのだと思います。その人にとって音楽はどうしても必要なものだと感じているからです。
クラシック音楽と波長が合うという言葉に、強く共感します。同じ場所、同じ音楽を聴いても、泣いたり、笑ったりして陶酔する人もいれば、えー普通やんと思う人もいますね。
但し、車田先生の動画を見ると、思うのは、クラシック音楽は、やはり通俗音楽より難しくて、分からずに聴くと、えー普通やんと思ってしまうことが多い。先生の詳しい解説を見た上、聴くと、あ!なるほど!え?私にはそう聴こえない、なぜ?とか、クラシック音楽がよりよく面白く感じましたー!
実際、車田先生のチャネルを見てから、動画解説に出た曲を一曲ずつ調べながら、聴いてますので、前より、クラシック音楽とのふれ合い時間、すごく増えました。そして、聴けば聴くほど、好きになってます!
子供の頃から、クラシック好きで、社会人になっても、毎年、コンサートに何度も行ってますが、コロナで、最近、全く行けなくて、車田先生の話しを検証したくて、コンサートにすごく行きたいですね!車田先生は、いつ日本、東京で公演をしますか?絶対、見に行きます!!
いつも良いお話、ありがとうございます!
バーンスタインもそうでしたが優れた音楽家の中には、次世代や後々の世代の音楽家やアマチュア音楽家を育てるために色んな活動を続けた方々がおられました。
最高の芸術を目指すことも芸術家の使命でしょうが、音楽にしろスポーツにしろ、プロの方々が、次世代を担う逸材の発掘やアマチュアの裾野を広げるための活動を継続的にすることも大切だと思います。
コロナでプロとアマチュアの垣根を超えた交流や演奏活動が制限されたことは残念でしたが、これからまた、そういう企画も活発になってほしいと思います。
「オペラを見に行くときにはどんな服装で見に行ったらいいんですか」という質問を見かけた時があります。
芸術とはなんだという話になりますが、クラシック音楽を芸術と位置付けたとたんに敷居が高くなります。
プロスポーツ選手のプレイを子どもたちがいつか真似してみたい思うのと同じように、
音楽も、小さい時から遊びのように楽しめて、少しずつ
いいものって何だろうっていう気持ちを育てて、その時々に大人が、いい声を出したい子には
素晴らしい声楽家を、もっとそろった演奏がしたいという子にはすばらしいアンサンブルを
聴くように促して、彼らはなぜ素晴らしいのだろうっていう会話ができる音楽の教育が
増えてくるといいのですが・・・
いい音とそうでない音がなぜあるのか、どうして揃ってるときれいに聴こえるのか
もう遊びのえんそうではワクワクしないのはなんでかっていう気持ちと耳。
その答えがコンサートにはあるんだよっていう文化と環境を築きたいですね。
興味深い音楽と美味しそうなお菓子の情報、楽しみにしております。
今日と先日のメイプルフィナンシェは東京駅のグランスタで購入できるようですよ。どちらも家族に買ってくるよう頼みました!
美味しいコーヒーとお菓子、そこにモーツァルトの音楽が流れていたら最高に幸せです!
指揮者のベンジャミン・ザンダー氏がTEDの「音楽と情熱」の中で「クラシック音楽は万人のものであり、誰もがクラシック音楽を愛し理解することができる」と実践をまじえて話されています。
これは氏の解説によって、これまで興味のなかった人がクラシック音楽の一部を理解して興味を持つための入り口に立った瞬間だと感じました。
「広める」という言葉の真意や是非はわかりませんが、誰もがクラシック音楽を愛することができるのだと希望のように見えました。
ザンダー氏の教育動画は感動しますよね!私もマスタークラスの"Lessons for Life"シリーズにハマっていました。
彼が素晴らしいのは、何百年も前に作曲された作品の意味を、現代人の私達の感性でも理解できる文脈で説明し、芸術の持つ時代を超えた普遍的な力を伝えてくれるところだと思ってます。
彼がバッハのチェロ協奏曲のマスタークラスで、「バッハは世界で始めてジャズを発明したんだよ。彼はこの音楽を通して、宇宙の律動を私達に伝えている。そして、ベートヴェンはロックンロールの創始者なんだ!」と言った時は、思わず唸りました。確かにバッハが教会以外の仕事で、当時流行の最先端だったコーヒーハウスで大衆向けに自分の作品を披露してたのは、今でいう「ミュージックフェス」のはしりと言えますものね。
こういう現代人の我々にも親しみやすい説明がもっと増えると、クラシック音楽もグッと身近になるはずですよね。
@@ymatsuda6406 さん
Lessons for Life のような貴重な映像を見られることは本当に幸福なことですよね。
ザンダー氏の言葉はわかりやすくかつ説得力があり、既に高いレベルにある受講生の演奏がみるみる輝きを増していく様を見ることができる、奇跡のような映像だと思います。
技術論よりも、意識の持ち方や考え方のアドバイスが多いのも驚きでした。
私もアマチュア吹奏楽団を指揮する身として、ほんの少しだけでもザンダー氏に近づけるようにしたいと思っています。
もっとも、私などがザンダー氏に近づこうなどおこがましい話ですが(笑)
@@キャロットスネーク さん
指揮者でいらっしゃるのですね!それだと尚更、ザンダー氏の映像には色々と深く理解し、感じられるところがあるでしょうね。羨ましい!
ザンダー氏は「Lessons for LifeはInterpretation classなので、技術的なことには言及しない」と動画で明言しておられましたが、だからこそ、生徒さんが作品の真髄を理解した途端にとんでもないシフトが起きる奇跡を目の当たりにすると、「意識の持ちよう1つで人はこんなに変われるのだ」という畏敬の念に打たれます。
私は音楽家ではありませんが、この映像はまさに「万人に向けた人生のレッスン」が詰め込まれた人類の宝と思います。
ご返信、ありがとうございました。
もう一つ、大切な方法は、よい音楽指導者を増やすこと。特に柔軟な頭と心を持つ子供の頃のよい音楽指導が大事だと思っています。そうすれば本当によい音楽に共感する人を少しずつでも増やすことができるのではないでしょうか?
いつも美味しそうにお菓子を食べていますね。確かに他に趣味の選択肢が多くなったのが原因ですね。確かにカラス、パバロッティやブーニン、アルゲリッチやバーンスタインが出てくると一挙にクラシックを聞く人が増えましたね。プレスリーやビートルズが出てくるとまたロック音楽が流行るだけではなくバンドを編成するギター・ボーイたちも増えました。野球ヒーロ・サッカーやフィギュアスケートも同じだと思います。新たな趣味はやはりRUclipsの存在だと思います。私はRUclips依存症です。もうクラシックやポップコンサートに行かなくても手軽にRUclipsで見えますから。もうCDもDVDも買う必要がありません。このような車田さんのRUclipsも特別に学校で講義を受けなくても自宅で手軽にRUclipsで見れるのですから。自分で撮ったビデオを自分で編集して。50年前では考えられ無かったことでした。
学校教育の音楽の授業を根本から見直す必要があります。オペラに魅せられたのは20歳頃です。小中高の音楽の授業でオペラアリアの名曲の一つも聴いたことがありませんでした。ヘルマンプライが歌うシューベルトの魔王を聴いたことがあるだけです。イタリアオペラの名アリアを聴く機会は全くありませんでした。まず担任教師がオペラを知らないし、好きでもないような状況でオペラ好きが増える訳がありません。私の場合は自分の部屋で午睡しているとき、偶然テレビから流れてきたヴェルディのバリトンのアリアで目が覚め、なんて素晴らしい歌声なんだろうと心底感動したのがオペラにハマったきっかけでした。以来40年以上にわたってオペラ、特にヴェルディの音楽に触れない日はありません。ヴェルディを中心にして、プッチーニのアリア、ベッリーニ、ドニゼッティ、モーツァルトのアリアや名場面を聴くようにして、裾野が拡がってきました。 ワーグナーは残念ながらローエングリン、ワルキューレの第一幕がよかったという感じです。ヴェルディの中期以降の作品は全て傑作だと思います。オペラを含めクラシックファンの裾野が拡がるには、ジャンルを問わず、とにかく、いい曲を沢山聞くことだと思います。
両親がともに音楽が好きで、毎日何かの音楽が流れている、そういう環境で育った人は羨ましいなと思います。
私の親の時代、小さ漁村や山村には無縁のものでした。
しかし今ネットでこのチャンネル含め音楽も存分に楽しめます
最近はクラシック音楽を全く知らない人が増えていると思います。昔は義務教育で音楽の授業があり、クラッシック音楽を知る機会があったのですが、今はそれもなくなって来ています。残念ですがおっしゃる通りこの傾向がある限り途方もなく困難な課題です。
結局は教育に行きつきますね😊
私は義務教育でクラシックなど学びましたが、周りの同世代は一切クラシックを聞いていません。20代前半ですが、クラシックを聴いていると言うとなぜ?と不思議がられます。つまり触れる機会があっても、興味を示さなければ意味はないのです。私がクラシックに興味を持ったきっかけは、ドラゴンクエストの音楽を好きになったことがきっかけでした。そこからドラクエのオーケストラに行くようになり、クラシックに興味を持つようになります。また、ある時ロックにハマり、XJAPANにハマりましたが、そのYOSHIKIの影響でもあります。私も昔は、クラシックのどこがいいのか?と思っていましたが、今は真逆です。クラシックは聞けば聴くほど味が出ると思います。ポップス音楽のような、一発でわかるインパクト、刺激はありませんが、聞けば聴くほど素晴らしさを感じる。クラシックを広める上で重要なのは、質の悪いシンセ音のオーケストラ風の音楽などを一切なくすことだと思ってます。やっぱ楽器の音を聴かないとまず、感動そのものを味わうことができない。そして、人々の好きな物に自然に溶け込ませることも重要だと思います。例えば今はヒップホップが流行ってますが、どこかのフレーズでオーケストラ音を混ぜるとか、そういうことをしてくれるような人がいればいいのですが。X JAPANの曲はロックだと思われるかもしれませんが、彼らの音楽はロックとクラシックが混ざり合っています。現代音楽のどこかにクラシックを混ぜることができれば、興味も少しずつ出てくるのではないでしょうか。いやでも難しいかもしれない。あとは堅苦しいイメージをぶち壊すしかない。
長崎県佐世保市のお菓子ですか? 私の出身地ですが、そのお菓子は無かったですね(50年以上前の話です、ははは)
初めての生演奏を聴いたのは、高校時代、アマチュアオーケストラでした、佐世保市民管弦楽団と言いました。曲はモーツァルトのジュピターでした、はっきり覚えてるのは、冒頭の音の出だしが揃わなくて、もう一回やり直したのが驚きで、その後は演奏が続いて行きました、弦楽器の音がこんなに素晴らしいものかとはじめて知りました。 クラシックはこれ以上は広まらないだろうと私も思います、300年の歴史があって、進化の過程で伝統や格式が構築され、クラシックファン以外から見ると敷居が高く感じると思います。広めるためには、敷居を無くす必要があります。しかし無くすのは無理だと思いますし、無くなって欲しくありません。 芸術とはそう言うものだと思っています。
現代の映画でもクラシックに触れる機会があって、その波長に合う方はクラシックに興味を示していくと思います。
過去にモーツアルトを題材にした『アマデウス』は結構話題になり、一時的にモーツアルトブームのような事が起こりましたね。
映画上映中にいろいろなモーツアルト作品が流れて、私はそれまでモーツアルト作品は好みではなかったのですが、
聞いたことがある曲がいくつかあったので、何度も映画を見ました。(ストーリー内容も良かった)
いつも楽しく 拝聴させて頂いています 。 今日 のお題は もしかして 車田さんが 日頃 悩んで いらっしゃる こと の 一つ ではないでしょうか? そして 私も含めて クラシック愛好家の 多くの 皆さんも 同じように考えていると思います 。 クラシック音楽は 難しく 世間一般には 敬遠される方も 多いのも事実です 。 そして 貧富つまり 所得層の格差 の 要因は大きい のではないでしょうか ? クラシックコンサート に ジーパンや ラフな格好で 出かける人は 少ないでしょうし 逆に ロックコンサートに 正装して 出かける人も いない でしょう 。 私たちの 心の根底には 社会の 軋轢から来る 妬みや 疎外感 嫉妬と言う 差別 意識 も あり ポップス などは その辺りが 表現の 原動力に なってるのも 不思議です 。 良いものを 理解してもらうには やはり 時間がかかるものなんでしょうか
そうなんですよね💦
合唱団の高齢化と観客の高齢化は正比例していますから。😢
けど クラッシックに全く興味なかった主人が今は私通してすっかりクラッシックのファンになりました❗️また 主人のアドバイスは意外と⁇
的を得ています♪😅
頑張って歌い続けます❣️
クラッシックは、堅苦しいイメージがあるのではないかと思いますね。ラフな雰囲気で、聴きにくいというか。
小学校でも中学校でも音楽の授業が有って(高校は選択だった)クラシックに入って行ける要素は有るのに、もったいないですね。
やはり教育の問題かな~。
自分は音楽鑑賞の授業は好きだったけれど、殆どの人はつまらなさそうにしていたし…。
ひとつ思うのは、先人達が一生懸命考えて「ハニホヘトイロ」とドレミをあらわしたけれどドレミに変えて欲しいって事です。
無理っぽいけど。
確かにロ短調とか、その呼び方やめても良いかも・・
クラシックや古典は人にラクを与えない。
日頃のお手入れに運動や体操、食事といった健康的なことが大事だと言われる。
だけどそれに時間と労力をきちんと考えて向き合えない。
何かしら心の中で意識が”かったるい”と思っているからだ。だから続かない。
食事は毎日のことだから面倒くさいけど食べざるを得ない、睡眠も取らざるを得ない。
仕事も面倒くさいけどお金がもらえないからやらざるを得ない。
ところが、古典やクラシックはこっちから向き合いに行かないといけない。日常以外のことに教養を出しにいかなきゃいけない。
BGMとして朝かけるのは問題がない。しかし、日常の意識にクラシックを奏でるのは教養が必要なことだと思う。
好奇心と努力をする者のみ古の世界を覗くことが、意識することができるのだと思う。
現代人は好奇心と努力をすることを放棄してしまっていると感じる。
それがなくても、十分満たされているし、生活ができてしまうからである。
現代人は絵画や旧跡、風景、記憶を頼りに昔のことを「想う」というのは、「時々であって良い」と思っているはずだ。
そんなにしょっちゅう過去に教養を向けていては生活に遅れをとるからだ。
意識が現代と合わなくなるのを恐れる。
”古典は現代にも十分通用する「意識」であり、古典から何かを学ぶのはヒトにとって「新しいこと」である”
このように置き換えられたらヒトは古典を日常的なものと意識するはずである。
スマホをずうっと眺めていれば意識はどこに向かっているのだろうか?
古典に向かっているヒトはほとんどいないだろう。
それが現代人の意識だからだと思う。
現代のヒトの意識に過去を忘れさせる”何か”が働いているに違いない。
それは歴史を学ぼうとしない、ご先祖様の系譜を辿らない、手を合わせない、ということにも繋がっているような気がしている。
車田先生
今日も素晴らしいご投稿ありがとうございます(*^_^*)
本当に、説得力のある本質的なお話を、いいお声で、優しくお話してくださるので
ホント、リスペクト、です(^_^)
今週末、母校と関係校が中高一貫となり、2年後からバカロレア対応指導が始まることとなり、やっと、俄に「アート」と言う分野が大事という認識が、進学率一辺倒の管理職達にも芽生え始め、すこし芸術教科の重要性に光が当たり始め、そういった内容で今週末教育論文を学会で発表いたします。
学会に向け、気持ちが少し前のめりになりはやりそうな自身戒めにもなる貴重なお話を拝聴させていただけて感謝感謝です(^_-)
フィナンシェと黄色のチューリップが可愛いですね(*^O^*)
これからもますますご投稿楽しみに致しておりますm(_ _)m
♬現役高校教師ピアニストマユミージュことMayumi♬
分かりやすく 楽しいお話し ありがとうございました。次のお話しも 楽しみに待ってます🎶
高い時間が合わない日にちも。またコンサートホールが遠いしかしCMなんかで聞いたなあと言う曲もあるから耳に馴染んでは居ます。私もクラシック落語ジャズシャンソンなんか好きオペラ歌手でクイーンと共演したねおばさん歌手。ラジオは無料だからラジオで最近聴くコンサートホールは札幌まで出ないとなのでね。
先生のおかげで、ココア派でしたがコーヒーを飲むようになりました!コーヒーを広めるためにも、こちらのチャンネルを推させていただきます!
10年くらい前まで商用で毎年欧州に行っていました。そこでクラシック・ファンだと言うとびっくりされました。そんな音楽をまだ聴いているのかと。ドイツでもオランダでもクラシック・ファンに会ったことはありません。ドイツのオケやオペラは世界最高水準だと思いますが、それに興味を持っているドイツ人がどれだけいるのか心もとない限りです。クラシックの鑑賞は慣れるまで忍耐が必要です。交響曲はどういう構成か頭で整理しながら聴きます。世界のスピードがクラシックの忍耐の時間的余裕を与えてくれない気がしていて正直心配です。クラシックを理解する人は増えないのは仕方ありませんが減っていくのは困るなと。
子供が減った分、教育の質を上げてほしいところです😊😊
他のエンタメとの奪い合いという観点が新鮮でした。確かにそうですよね。
私のメインの趣味はクラシック音楽ですが、野球もサッカーも卓球もゴルフも本当に面白いです。スポーツ中継を観ながらビールを呑む時間を削れば、もう少しオペラを観る時間を増やせるんですが、本当にゴメンナサイ😅
いつもありがとうございます。
このような話は次元が違いますが、プーランクのオペラでも語られていますね。ただ、興味がある人も現状外部要因等々によりコンサートに行けない、行くことができないことがあるというのもあります。
わたしは恥ずかしながら、オペラは学校の授業で、しかもDVDでしか見たことがなく、そのDVDではどれもいかにも「昔の貴族」って感じの衣装だったので、そういう、ちょっと古臭い感じのイメージがこびりついていました。
でも、車田さんのオペラ実演動画を見て、思っていたよりも衣装が現代的だという印象をうけ、それが新鮮な発見でした。またそれとは別にして、チャンスがあればオペラを生で見てみたいと思いましたし、もっと言えば、車田さんの生パフォーマンスを見てみたいと思いました。
なので、自分がいい芸術をやっていくことが、結果として広める?ことにつながる、というのは説得力があるな、と感じました。
また、わたしの場合、父がクラシック音楽をよく聞いていたのと、高校の吹奏楽部の先生が良かったのとで、ほんっっっっとうに少しですが、オペラ以外のクラシック音楽には触れる環境がありました。だから、子供時代にそういう素地を作るのも、やはり必要なのかな、と思いました。
ちなみに、私は元々クラシックよりもミュージカルやテーマパークのショー、映画などエンタメの方が好きな人間です。エンタメは芸術ではありませんが、一応エンタメにもレベルがあると思ってます。
そして、元々クオリティの高かったエンタメが、客を増やすことと収益を上げることを目的に、レベルが下がっていく様をこの目で見てきたので、車田さんの話は結構リアルに感じられます…
どこまで多くの人に受け入れられようとするか、このラインの見定めが肝心ですね。
パバロティのマイウエイのRUclips観ました。いい声でした。最近ストリートピアノでオペラ歌手が一緒に歌うのを観るとすごいと思ってます。
いつも興味深い、濃い内容のお話をゆったりとした、車田さんの時の流れで聴かせて頂き、濃くゆったりと勉強させてもらってます。
娘が音楽教員を目指しているので一緒に拝見してます。
おやつのフィナンシェ、実家が長崎県の佐世保市で(^o^)びっくり😲です。私もメープルが好きです。
今度帰省した時探して試してみます。
次回の配信も楽しみにしてます。
義務教育で社会や英語を習ったけどほとんど判らない。それと同様に芸術が判らない人がいます。
子供の時に興味を持ったかどうかも大きな要因でしょう。
短くかっこいい曲もあるからそういう曲でも聴けばみんなどんどん好きになる
ソースは俺
ヨーロッパでは若い人はオペラに通うのでしょうか?
特にドイツでは 読み替えをしないと評価されないと聞きました。
日本では10個のオケ
大阪に4個という世界でも驚異的な都市です。
地方オケでも京響や仙台フィルのようにソールドアウトを打ち続けるオケもあります。
日本でも常磐津、長唄、舞楽、新内
多くの古典芸能音楽か近未来に絶滅しかけています。
私たちが子供の頃、誰でも知っているヒット曲がありましたが、TVを見ない今の時代、かつてのような国民的ヒットはなくなりました。それぞれが膨大なコンテンツから好きな音楽を聴く時代です
日本ではクラシックは学校現場で教えました。ですから欧米外以外で最も成功した国でしょう。
これからどうなるのでしょう。
最近N響がカーテンコール時に写真撮影許可してSNS投稿を聴衆に促す行為を始めました。「コレ、事務方の力の入れ方間違ってんじゃない?」って思っています。
Netflixの中にもクラシックは、あり、流行りの音楽の中にもクラシックがあります。
クラシックは、日常の木や雑草のように、ただ同然に存在してるわけで、クラシックは、好きとか嫌いとかの次元では、語れない深さがあります。
そうしたクラシックを、深掘りする人もいれば、道の脇の木や雑草のように気にしない人が居るかの違いに思えます
藝術家には美味しいお菓子とコーヒーが絶対必要ですよね😸
興味深いお話、ありがとうございます。
劇場の観客数の喩えですが、見方によっては、回数が少なく都合が合わなかった観客も来場できる機会が増えたため、その200人にとってはありがたい状況だった、とも考えられないでしょうか。私はコンサートにはなるべく行きたいと思っていますが、費用的に高級な娯楽です。出演者のギャランティー確保も重要と思いますが、もう少し「身近な」料金になってくれたらなぁとも思っています。
数年前友達に誘われて歌舞伎を観に行きましたが…ムリだな(笑)
理由は無いです!その友達とは今も付き合ってますが別の趣味で。
そのかたはクラシックは…ムリって言ってます(笑) 難しい❗
私は能と、クラシックが好きです!より好きなのはクラシック。なので能の謡の中に、「あ、今、休符が入った」とか「クレシェンドだ!」とか、お囃子に四拍子を感じたりとかしています(笑)そんな鑑賞方法も楽しいですよ♡
実は食事後の後半を寝てしまいました笑
客席が明るいからかなり目立ったらしく友に恥がかせた!もうトラウマ笑
@@Taka-Musics-Labo 私もお能鑑賞中に寝たことがありますよ!見事に頭がガクッと後ろにいって、周囲や演者の方をびっくりさせたのではないかと顔が真っ赤になりました(汗)
「隅田川」も「春日竜神」も観たことがあります。私は福岡の能楽堂でした!
歌舞伎も能もクラシックも素敵ですよね♡
本物、違い、オーラなどの概念が自身や社会に与える影響が如何に寂しく虚しいものか考えると、もはや自我の時代ではないと思います。労働苦行にこそ学びと健康を得る全我新時代に向けての突破口があると思います。
クラシック音楽は演奏時間が長いというのが娯楽や趣味が多様化した現代人にとってネックかな。同時期の18,19世紀に書かれた長編小説だって現代ではあまり読まれないのと同様で。
やっぱり長さはハードルの一つですね。みんな忙しいですから・・
登録者数が4.32万人はなかなか達成できない数字だと思います。日本も捨てたものではないなと感じます。一方、クラシック音楽雑誌がなくなったり、最近特にクラシックCD売り場もなくなりゲームソフト売り場ばかりなのは気になります。日本で昔音楽人口が多かったのは団塊の世代が牽引していたからであり、少子化の今は塾かゲーム以外には割ける時間がないからなのでしょう。すなわち若者をどう取り込めるかがポイントだと思います。
😊😊
フレンチトーストのお菓子、佐世保市だって。地元なのに知らなかったなあー。さがしてみよー。美味しそう。車田さんのお話も面白かったです。コーヒー飲みたくなちゃた。
この動画、「永久保存版」です。現代は娯楽が多い。だから聴衆、音楽ファン、という人々を「増やす・広める」というのは、「シェアを増やす」という資本主義的考えに陥りがち。永遠のテーマのようなお話だが、マリアカラスの言葉のように、「良いものを追求していく姿勢が唯一の方法」ということでしょうかねぇ。(笑)
日本だけではなく、音楽の国ドイツでも実際に席が埋まらないとは初耳です!確かにサッカー観戦やロックコンサートの雰囲気が好きな人にとっては、クラシックはルールに縛られてつまらなく感じるでしょう。やはり先生はプロのオペラ歌手でクラシックを守っていきたいお考えなので、私みたいな大のロック好きではあるがクラシックまぁまぁ好きという方は受け入れられるか個人的に気になります😊クラシックを日頃から親しんでいる人と比べれば足を運ぶ可能性は少ないけれど😅
僕はどちらも聴きますが、特に区別はしていないです😊😊以前六本木にあったキャヴァンクラブにも行ったことがありますよ。
きょうも深くて大切なお話、ありがとうございました。 (^^♪
先生にスター歌手を目指すのもいいけど、身の回りの方に音楽を伝える歌手になればいいといわれたのを思い出しました😊
「肘をついて食べてはいけませんよ」と言いたいですが、肘をついて食べる姿もカッコイイですね❤
シュトラウス一家のワルツやポルカも、当時の大衆ポピュラー音楽だったわけだし
ジャズでもグレン・ミラーなどディキシーランド系は
他とは少し一線をおく
大衆娯楽音楽として位置付けられています。
クラシック音楽が敷居が高いと感じさせる要素は、やはり
教育音楽としてのイメージが、まだ少なからずありますよね。
ベルリン・フィルなど超一流どころも、野外コンサートをやって、もっとリラックスして馴染んでほしいと努力しですし
もっと市民権が高ってほしいですが、特別な世界としての
ありかたを望んでいる人も多い世界でもありますよね。
でも、ジャズに比べると、クラシックの人口はずっと多いはずです。
モーツァルトに興味を持ち始めた頃、ルチアーノにももちろん興味を持ちました。ちょうど『イドメネオ』がレーザーディスクで出ていたので見たのですが、さすがに寝てしまいました。ちょっと早かったみたいです。その後、DVDを買いなおしたものの未だ見れていません。まだ機が熟していないのかもしれません。
私はもともと音楽は好きだったのかもしれません。しかし、小学校やら中学校やらでねじ込まれる音楽「教育」とやらはクソ面白くもなく嫌いになりました。アマデウスでモーツァルトが言うのですが「ヘラクレスなら大理石のウンコでもするのか?」「古典のどこが面白い?」という発言には共感しました。
しかし、ウルトラセブンのDVDが発売されて面白がって見ていると戦闘シーンの「遥かな星が故郷だ〜♪」というあの曲が流れるのですが、私にはモーツァルトの最後の交響曲の「ド・レ・ファ・ミ」のフーガフィナーレとダブりました。「なんだ、ウルトラセブンのあの曲は交響曲だったのか!」と思いました。
そういう下準備があった後に『アマデウス』でモーツァルトに再会できたようです。宇崎竜童氏は「モーツァルトはロックだ。」と言っていました。私にとってモーツァルトを「ウィーン古典派のロックミュージシャン」と捉えたことにより、より親近感を持ってハマることになったようです。
自分勝手な意見ですが日本でクラシック音楽がブームや人気にならないで欲しい😅独り占めじゃないけど優越感に浸りたい。チケット争奪戦嫌だし😂
30代・40代の男性がもっとコンサート行ったりして欲しいですね。
音源で聴いてるのもありだと思います。
何であんなに拒否感があるんだろうと思います。
古い建造物、文化遺産をみて感動しろと幼い頃に言われてもまるで共感できなかった感覚に似ている。
いまだに新時代の俗っぽいものが好みな自分には遺伝子レベルで高尚な人間ではなかったんだろうなと思う。
そう考えなきゃ、習い事でクラシック系の音楽をやらされていたことがトラウマになるはずがない。
もともと貴族の音楽だからではないですか。至高とか最高とか大作といわれるだけで疲れるというか近寄りがたいです。貴族的な人に向いているでしょう。
小さい頃に親のクラシックCD棚がそばにあったから気がつけばクラシック音楽を聴いて育ち、学生時代もその後の人生もいつもクラシック音楽はプレイリストにありました。30代前半までは神経病み病みライフを送っていたのでクラシックは精神薬というか麻薬みたいな感じに作用してくれていました。今もクラシックは私の人生にかかせないし最終的にやっぱりクラシックに辿り着きます。しかしクラシックを理解できているのかと考えてみるとどうか分からなくなりますが😅病める時も健やかなる時も当たり前にそばにあった感じです。。
クラシック音楽は用語が難しすぎて、クラシック音楽聞かない人は脳が構えてしまい純粋に音楽の良さを味わえないのではないか?と思います。例えば「楽興の時」とか「献呈」とか、対訳が大げさすぎて圧力がすごい。シンプルに「JOY」「LOVE」を感じるいい曲なのに、もったいないです。あと「長調」「短調」も今の時代「メジャー」「マイナー」でいいと思います。また、音階の「ABC」「ドレミ」「イロハ」も謎です。幼児教育を考えると「ドレミ」は必要でしょうが(Sound of Musicの影響でしょうか?)、日本人にしか通じない、曲名でしか聞かない「イロハ」はもはや不要ではないでしょうか?それとも声楽の世界では「ドレミ」や「イロハ」は健在なのでしょうか?(ブラスではもっぱら「ABC」でした)。対訳した時点ではベストだったのでしょうが、それから1世紀以上経ってますから、古臭い過剰包装で損をしているようにしか見えません。文化継承の立場におられる方たちからすれば「けしからん」のかもしれませんが、あくまで「対訳」ですから。(もちろん、この国が(文科省やら版権やらですか?)変化に消極的(慎重)であることは百も承知で意見してみました)
クラシック音楽は人生を心豊かにするものです。音楽の最高峰で頂点です🎶聴衆が偉大な作曲家や演奏家に近づく努力をしなければなりません。
そうだね。
サントリーホールは良いとか。
楽器のフォルムが美しいとか。
何故に名器が高額か。
切り口は多いけど
広める定着の可能性や夢というところで、幼児から中学生までにハイクオリティな演劇なりオペラなり
学校の行事で魅せることです。
プロになりたいと思わせることが一番じゃないでしょうか。
今はRUclipsもあってプロに成れば収入も本人次第だしね。
芸術家になってRUclipsrなんてね。
広める事が目的になって芸術本来の形が歪められるというのは、分かる様な気がします。よくある、コンピレーションCDで~癒やしのモーツァルト~とか色々な曲のAdagio楽章を断片的に繋げたCDがありますが、モーツァルト本来の美しさを壊してしまっている様に思います。
クラシック音楽が和服の失敗と重なる様な気がしてきた。着てみれば大して難しくもなく意外と心地よく普段着にもできるものなのに、なぜかハイソなものとされてしまいなぜか厳しいマナーなどが蔓延り、人々は和服に戻ってこなくなった。自宅で洗濯できる化繊製のものもあるのに。サザエさんなんかで登場人物が部屋着にしてるのにね
クラシック音楽の場合は特に、欧州の上流階級の後見の下で制作され披露されてきた芸術だという点が重いんじゃないかなと思ってる。最初から庶民とは壁がある
音楽の枠を出て日本の芸能をみると、歌舞伎は江戸時代に庶民に浸透したけれど能はそうではなかった訳で、その結果が現在の歌舞伎と能の扱いの差になっているんじゃないか
気軽に触れられることはとても大切なことだと思う
歌舞伎は能から題材を受けたものも多々有るが能とは違いますね。私個人の独断的な考えですが、能もクラシック音楽も数学的だと思うんです。
数学は美しい!っていう著書もありましたね?数学者の藤原正彦さんでしたか。
当時のポピュラーミュージックが今のクラシックだからなぁ
大変興味深いお話でした。情報がいろいろ発信受信出来るようなっていますのでクラッシック音楽=知的階層、芸術を理解している人とみられるという事はなくなっているので本当に感性が共鳴しあう演奏を探すという時代になっていると思います。
先生のRUclipsを公立の音楽の授業の最初10分間学んだら、クラッシックに興味を持つ若い人沢山増えると思いました。本物に触れるというのが一番です。✨
3大テノールの大宣伝は醜悪だったな… ただ、音楽を拡める努力が不要かと言うと…
日本の囲碁は、半世紀以上前には中学の英語の副読本でタイトルの結果が扱われるほどだったのに、今は世界戦の2回戦で全滅と言う体たらくで…
中韓に圧倒されています 国内で『魔王』と言われる井山裕太王座碁聖26世本因坊は、一時世界3位まで行ったのに国民栄誉賞をもらった時には26位になってしまって 中韓は10代~20代前半が世界トップを争っているのに(将棋みたいに50代でタイトル争いができるようなノンビリした世界では無いので)
それもこれも、「囲碁なんか打つやつは放っておいても打つ」と言って普及を一切かえりみなかった元日本棋院トップ(当時の日本航空社長)のせい… この男、昔のプロ相手の指導碁の番組を視たら、一回打った石を平気で動かすようなクズでした(完全なルール/マナー違反)
まあ、うるさ方の棋士が、中盤にちょっと優勢になったくらいで「おわ(り)」と言って検討を止めてしまったり、囲碁界を主導していた巨匠が中盤の検討ばかりやっていたりと、世界の頭脳のスポーツへの潮流に乗れなかったためが大きいのですが
それにしても、「音楽(あえてクラッシックとは言わない)なんか放っておいても聴くやつは聴く」と、私なども思いがちなのだけれど、それでは音楽界が衰退するばかりかも知れません
難しいですね…
音楽にしろ美術にせよ、じっくり向き合う時間が減ってきているように思えます。効率を追及してきた結果なんでしょうね。オーケストラやリサイタルは聴きに行き来する時間も入れると2時間は優にかかりますからねぇ。極端な話し、それだけの時間があればもっと仕事をしろよって言う仕事人間だって存在してるわけですから。そういう人には音楽聴きに行ったり美術展巡りすることの価値をよく理解できていないって思う。まあ、価値観が違うと言ってしまえばそれまでなんでしょう。子供の時からどういうものに触れてきてるか?どんなことを教えらてきたのか?ってのから生じた違いなのかもしれませね。
テレビやCMで多くのクラシック音楽が使われていますけど広まりませんよね(日本の場合、どこの国も同じでしょうけど)その昔、クラシック音楽を現代風にアレンジして演奏するバンド「クライスラー&カンパニー」がいましたけど…24時間、クラシック音楽を流しているラジオ局もないし、ビジネスとして成り立たなんでしょうね。
学校の音楽でも短い時間の演奏や聴きやすい音楽を聴かせるなどの授業もあってもいいのになあと思いますけど、例えばエルガーのSalut d'amourやサティのJe te veuxなどなど。
西洋音楽はまだ多くの人を惹きつけていると思う。でもたとえば謡曲とか韻文の詩とか、、、どうでしょうか、、、。裾野が広がらないと作り手も減っていく。小学校ぐらいからの教科書に載っていて子供に教える時間があるということは非常に大きい影響があると思う。今の音楽教育では明治大正期の童謡などどの程度教えているのかなあ?意味わからなくても暗記するから、あれで結構韻文が定着するんだけどなあ(これは自分の経験)。
自分の経験から言えば、大半の聴衆が安いメーカー製のスピーカーとアンプを使っているからです。
情報量が多く、「響き」を重視するクラシックは、安物ではダメ。 逆にポップスは音や分かりやすいメロディー、歌詞のために、安物でも一応聴ける。
試しに良いスピーカーとアンプでカラヤン流せばいい。誰もが一瞬でファンになる。
生のコンサート? 眠たいマイナー曲とか、正直いらない。
何しろ日本のメディアにおけるエンタメの頂点が吉本だからな
悲しいかな終わっている
箱はでかいが、中身は少ない・・・・過剰包装でエコでなし。最近はおかしいよね。
クラシックが広まるのは嬉しいけど、本当にクラシック好き?って思ってしまう。
私は大好きよ💕
クラシックは趣味というより教養という面が強かったのじゃないかと思います。ですので普及させるには教養として教えるのがよいと思います。日本人が高い教養を射につけることは良いことだと思います。
いや、相当程度以上に学識・教養のある人ならそれらを基礎としてクラシック音楽も理解できるようになるだけの話であって、教養としてクラシック音楽を教えても教養の高さには繋がらないと思うけどなぁ。