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関羽が樊城を攻めたのは漢中戦の後だと思います。まず、樊城への攻撃は関羽の単独ではなく、孫権との共同作戦です。《魏書・温恢伝》さらに、曹操は劉備の北上を恐れて長安から動けなかったですからね。(曹操が洛陽に戻るのは于禁降伏後)
これは、うーむ、もう少し広く見ておくべきだったかもしれないです(;´Д`)
簡単に時系列を整理しておきますね。しかし219年の密度が凄い。217年 劉備軍が漢中に侵攻218年 3月 曹洪が呉蘭・雷銅の軍を全滅させる 9月 曹操が長安に駐屯する 10月 侯温が反乱(~219年1月)219年 1月 定軍山の戦いで夏侯淵が戦死 3月 曹操が斜谷に出陣 5月 曹操が長安に帰還(鶏肋) 7月 劉備が漢中王を称す 関羽が樊城を攻める、孫権が合肥を攻める 8月 于禁が降伏 10月 曹操が洛陽に戻る 呂蒙が関羽の根拠地である南郡を占領する 12月 関羽と関平が孫権に斬られる
少し気になるのは、この短期間で関羽は曹仁と満寵を城に押し込んで、襄陽と共に包囲し、ボロボロになるまで攻撃したってことですよね?これだと、曹仁らを困窮させるレベルまで締め上げられるのかなぁというのが少し気になっていて……というかこのあたりは密が濃すぎて、本当に整理が難しいですよね(笑)
すみません。確認したら218年に関羽と曹仁は戦ってました。そうするとやっぱり侯温の乱と連動していると考えることができますね。
考察が深い〜笑
龐統が死ななければ、諸葛亮や張飛が荊州に留まり関羽の暴走もなかったかなぁ。
どの時代でも活躍して、どの時代でも同じような死に方をしそうですね。ある意味、天才なんだと思います。
関羽の話を聞くと相手に対する敬意を持つこと。能力や性格を正確に知る観察眼を養う。同僚や部下にも思いやりを持ち素直に頼るのが大事だと感じました。
周瑜や魯粛が長生きしていれば同盟関係や領土問題も別の方向に向いていた可能性が関羽を黙らせる魯粛も取り上げて欲しいです
演義と正史のギャップ狙いで関羽を貶めるだけの三国志武将解説が多い中、この動画は勉強になる。
横山光輝三国志では、関羽の後ろから曹操が重臣たちと共に、見送りに来て、別れる際、曹操は「玄徳よお前が羨ましいぞ」と言っている描写がありますね。そのセリフは、曹操の本音だと思います。
お疲れさまです!新解釈楽しみですね!周瑜:孫呉が天下を取るんじゃー魯粛:孫劉で天下を取るんじゃー呂蒙:荊州取って孫呉を安定させるんじゃーなイメージ。とんどん意思弱くなっていく感。関羽が死んでから、そこが天下の転換期と言えるくらい急激に変化しますよね。たくさんの英雄が死にますし、漢滅びますし。ここの一連の、荊州争奪戦から夷陵までの怒涛の勢いと、その後の喪失感が、たまりません。
周瑜は天下統一を、魯粛は統一を諦めて三分割を、呂蒙は長江流域を、みたいな戦略を描いていますね。魯粛が構想し、呂蒙が現実と擦り合わせたみたいな。
関羽という人物は劉備がいなかったら「何ら為すことなく、ただひたすらトンガリ続けて自爆した」禰衡のような人生を送っていたのかもしれません。ひょっとしたら関羽自身もそういう自覚があったから劉備に忠誠を尽くしていたのかなぁ、などと思っています。
劉備集団が反社集団だったのはそうかも(関羽の出自の伝説も含め)しれませんね笑その集団が『問答無用の錦の御旗』として劉備の『皇室ゆかりの血縁』というやんごとなき出自(自称w)を前面に推し立てて生き抜いてきた構図が面白いですね(蒼天航路の董卓の『暴虐と大義』の二刀流的なw)
扶蘇・項燕を名乗った、陳勝・呉広を彷彿とさせる……(ぇ
関羽ほど、どの漫画家が書いてもそれほど違いが無い人物がいるだろうか?
三國志関連の書籍でも関羽は士大夫(管理職)に対して傲慢で、雑兵など下っ端には優しかったと述べられている。叩き上げの苦労人ゆえに士大夫が気に入らなかったのかもしれないが、孫権の息子と自分の娘の婚姻を断ったことについては関羽の断り方に非があっただろう(ちなにみこれと真逆なのが張飛)。呉と魏の思惑も絡んだにせよ、荊州を失い自らも非業の死を遂げたのは、彼の短所が身を滅ぼしたように思えてならない。法正が生きて入れば、諸葛亮を荊州に派遣して関羽が陸遜の策にはまるのを防げただろうと思うのは私だけだろうか。
最後に試験をだす試みはまさに「試験に出る三國志」のタイトルとピッタリでいいですねえ。
うれしい(´;ω;`)
関羽のような英雄であっても、実績を積むと、年とってから自惚れたり油断することがあるという教訓。劉備も同様
劉備と関羽は主従ではなく任侠で生きる同士。だがその中でも名士の利便性に気付き活用したのが劉備、最後まで気付けなかったのが関羽。そんなイメージです
名士とバチバチに敵対して滅びていった公孫瓚兄貴の末路に、弟分として劉備は何かしらを感じ取ったのでしょうね。
曹仁・満寵・于禁・徐晃それから裏には呂蒙・陸遜といった超一流武将たちが結集してようやく倒した関羽の配下には有力な将がほとんどいない(演義系で有名な周倉や関索は正史では見ませんし)、むしろ周辺の劉備陣営諸将とは険悪な関係だったと思うのですが、最終的に敗れたことよりむしろ、そんな人的リソースでここまで魏を追い詰めたほうが異常だと思いました。正史で敵陣営に斬り込んで名のある敵将を個人的武勇で討ち取ったってヒトもあんまりいないですよね。
ホウ徳忘れないで・・・・。関羽殿は関平、趙累しかいないのにそこまで追い詰めてるで。
@@島悟-o3u そうでした、ホウ徳も倒してますね。あ、関羽殿の配下にはのちの蜀の筆頭武将(?!)廖化さんもいますね。(このときは逃げただけかな・・)
@@frenchbreadish 逃げたというより援軍要請ではなかった?
@@石塚大吾-s2g 演義だと(コーエー三国志のイベントとかでも)孟達と劉封に援軍要請に行って断られ、ぼろぼろの体で成都へ・・という話でしたが正史だと廖化が行ったという記述ではなかったような。うろ覚えなので間違ってたらごめんなさいです汗
@@frenchbreadish 横山版ではボロボロになって劉封と孟達に援軍要請に行くが断られて廖化が二人を罵倒した後に成都に行った。劉備が廖化から劉封、孟達に断られた顛末を報告したくだりがあった。孟達が曹丕に降って劉封に討たせるはずが返り討ちにあって廖化「全くの腰抜けだ」とポソッと嫌味を言ったのを近くで聞いた劉備が示しが付かないと思ったのか劉封を処刑したってのがあった
”荊州に行ってから劉備が何となく関羽を持て余してる”感を蒼天航路は上手く表現していたように思います
勝手にポンポン印綬とか官爵とか与えてますし、確かに難しいですよねぇ……(笑)
よい表現の仕方だった。
やっぱりちゃんとした軍師は必要だというのがわかる気がするなー。
一気に領土が広がり、手が回ってない感もありますね(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA それもありますが、関羽が軍師がいたとして話を聞くか疑問な所もありますよね。軍を統率し、作戦立案、行軍、攻城戦から野戦まで器用にこなし、国の統治も無難にこなす、将軍として有能だがその道のスペシャリストには敵わないということに気がつけなかったのが、彼自身の末路を決めてしまいましたね。しかし、于禁は晩節を汚したように言われますが、ある意味関羽を滅ぼしたのは于禁の降伏が原因な気がしますね。
于禁がプレイアブル化された三国無双では、于禁が関羽軍の内部不和を招く為にわざと降伏する献策を曹操にしているシーンがあった。実情は不明だが、夏侯家とも付き合いが長い曹魏古参の一人という事を考えると降伏するくらいなら最期まで城を守ろうとするんじゃないかね。
それでも関羽は今に至るまで中華の神である。それだけ魅力的な人物だったのだろうね。
個人的に劉備と関羽を現代の人物に当てはめると何となくキューバのカストロとゲバラを想起するけど如何だろう?。
荊州は来る北伐の最短ルート、と考えれば下手に撃って出るより、漢中と共に安定させて、国力を充実させる選択肢もあったのかなあ。それならば、関羽よりもより控えめで手堅い将を置いても良かったのではなかろうか。
実は張飛の方が知的な存在であり、関羽の方がむしろただの乱暴者なんだよな。
関羽が将軍位でごねたとこ表面上4将軍横並びの『前後左右将軍』で黄忠と同格が気に入らない・・・ということですが私はむしろ黄忠はだしに使われただけで関羽の本音はこの時点で『もう一階級上の将軍位』が欲しかったというとこなのかなと思います じつはこの後すぐ劉備は皇帝即位し張飛・馬超らはさらに一階級位を進める(いわゆる二品官)んですが(歴史上関羽はこの時すでに死亡)このようにすぐに皇帝即位があるという前提で『前後左右将軍(いわゆる三品官)』という位が各将に与えられていたのは明白でこの時点(漢中王即位)で関羽が車騎将軍(いわゆる二品官)なり他の3将より上の位を受領していれば皇帝即位段階で関羽が生きていれば大将軍(いわゆる一品官)位受領、つまり(ifの話なのでこの場合孔明が歴史通り『丞相』を拝領するかはわかりませんが)蜀政権で正式な書類上もナンバー2にして独自に開府(政権樹立)できる立場になっていたわけです このような関羽の目論見が私の思う通りなのかはわかりませんが少なくとも歴史上記されている関羽の以後の行動を見るに関羽は荊州の全権を自由に指揮する(てか史実でも後に前将軍位ながら劉備から正式に独自指揮権を与えられていますが)権限が蜀政権内で欲しかったという点は明白でそこまで見据えての官位要求ではなかったのかと思います
なるほど、そういった意図も確かに見えてきますね。関羽生存後のことまで考慮に入れて考察すると、また違った視点が(゜∀゜)
任侠っていうと龍が如く思い出すけどまさしく桐生一馬みたいな存在だったのかもしれない
候恩は、蒼天航路で少し出て法正の友達で覚えてる
ちゃんとそこまで描いてくれる蒼天航路大好き
曹操と関羽の関係マジで好き
関羽ってかなり神のような存在だけど、実際は頑固者で人を見下すのが関羽だし、ゲームではやたら愛されるのにそれ以外は殆んど頑固者が関羽だからね
はじまりのBGMがすごく好き
関羽のおかげで劉備軍は荊州を取れたしかし関羽のやらかしで荊州を失った
演義では、それまで紳士な扱いの関羽が、荊州に赴任した途端に、傲慢な奴に成り下がりますよね。その変化がすごく奇妙なんですよね。最も、演義、そういう箇所、他にいっぱいありますけど
関羽も張飛も、もともと無頼漢の出身だ。彼らは塩や馬の密売に携わっていたと言われている。武将として知られるようになっても、その性根は買えられなかったらしいそのため方々で恨みを買う結果になったのだ。張飛はわずかな手落ちで部下を殺す事を繰り返したもので、最後には部下に裏切られて殺されるし関羽も、不必要な恨みを買って殺される事になった
関羽に歴代の皇帝が諡号を送り続けたのは、確かに「絶対に裏切らない」という都合の良い存在であったからかもしれない。けど、皇帝という権力の象徴にある存在にとって、余計な事を考えずに信じられる存在に憧れている部分もあったのかなと想像しています。
香港かどっかの関羽ちゃん主役のドラマを観た時に、関羽ちゃんが「酒好き」「顔真っ赤」「短気」と言う日本だと張飛ちゃんの役どころをやらされてて「もしかしてあっちだと人物像かなり違うのかねぇ」と思った事があるねぇ。呂布ちゃんもあっちの映画だと「美形」「舞うように戦う」と言う「男前ポジション」になってて、こっちは「あっちでは京劇で貂蝉ちゃんとの悲恋が大人気で基本的に男前ポジション」って事らしいねぇ。
0:07 初手程昱
魏の美髯公
@@KOUMEI_NO_WANADA 関羽「ワイ、太陽持ってる夢見てない、髭違いや」
正当性は正直呉の介入を受けてる時点で劉備側は弱いんだよね。同盟の持ちかけも魯粛側からで益州攻略で怒る孫権をとどめたのも魯粛やし。周瑜も劉備の方に兵を貸しているから、荊南攻略も劉備のみと言いにくい。少なくとも益州攻略の時に魯粛が、怒る孫権と共に攻撃を仕掛けていたら悲惨な状況になってたのは確か
孫権と劉備の関係は、袁紹と曹操と同じか、それよりも希薄なものだと自分は考えているので、なんとなく劉備寄りな感覚になってしまうんですよねぇ(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA そういうのはわかります。無意識のうちに三国のどこか寄りになっちゃうんですよね。自分は結構マイノリティなんで王道はいかないんですよねえ・・・諸葛亮より龐統推しだったりするし蜀より魏、張遼より張郃、周瑜より魯粛と、多分判官贔屓ともチガウ・・・
一番好きな人物が簡雍なので、どうしても……(笑)
こう、劉備の軍団の話聞くとベルセルクの黄金時代編の鷹の団思い起こすなぁこういう社会的通念が通じないというか価値観を持ったキャラクターは創作に使いやすいよなぁ、などと考えてしまった
とにかくカッコいい(笑)
そういえば関羽は春秋を暗読するほど読みこんだとか。どこで読んだのだろうか・・・・?タイミング的に荊州にいた頃だけど・・・・。曹操(あれ?献帝だったけ?)は関羽に漢寿帝侯の位を賜ったようだがどうして?それと関羽は味方からの評価はあまり芳しくなかったり、或いはあまりなかったりしたが曹操や孫権などの他国からの評価が多いのはすごい不思議。以外と謎の多い人物かもしれない。
例えばAmazonトップのジェフベゾスは誰がどう見ても、現代最強の経営者ですが、身内の社員からすれば厳しさが過ぎる上司でもあります。立場によって見方が変わるのはいつの時代もどんな人間も同じです。会社で尊敬されていても、家庭は崩壊してるなんてよくある話です(笑)
荊州問題から劉備陣営の人材不足がはっきりと出てくる。仮に龐統が戦死せず、諸葛亮がサポートになっていればもう少しマシになったかも。でもそうなると今度は本国が伸び悩んでいたと思うし、やっぱり何ともならないかな
荊州存続しても、関羽が半独立状態になりそうな気がしないでも……(笑)
どうだろうな。リアリスト思考が強く、献策内容が魏の謀臣賈詡に似通っていた龐統は劉備とは馬が合わなかった可能性が高いぞ。かえって、内部のゴタゴタが深刻化した可能性も微レ存。そういう観点では、劉備軍一番の損失はおそらく龐統ではなく徐庶。常在戦場型の戦う軍師だったから、関羽とか黄忠みたいなゴリゴリの武闘派とも馬が合っただろうし。
関羽の性格とそこからくる外交が荊州周域の明暗を分けたとは言われるけど、当時の関羽の立場からすると一定の軍権くらいしか持ってないと思うんだよな。だから関羽の対呉外交がまずかったというのはそもそも成立せんと思われる。荊州関係で一番まずかったのは劉備軍の限界や、劉備本人の気質みたいなところにあるんじゃないかな。入蜀で龐統が戦死して時間がかかった上に地方を任せられる人材の喪失。そこから荊州を固める暇もなく漢中、北に目を向けなきゃならない状況って思っている以上に逼迫してたんじゃ。思えば、劉備軍って『こうした方が良い』じゃなくて『こうせざるを得ない』って形での戦が多いし。息子の代になってもそれは変えられんかった。
良くも悪くも、関羽は関羽。武神と言われる武力を持ち、それなりの戦術眼がありながらも、頑固な性格が災いし、戦略はいまいち使いこなせなかった。そして関羽の弔い合戦である夷陵の戦いで、蜀は国が傾く大敗。結局最後まで完全に回復する事なく、滅亡していった。もし関羽がここまで頑固一徹ではなく、柔軟に戦略的に物事を考える人なら、蜀滅亡は更に先だったかもしれない。
戦略としては間違ってはないタイミングだと思うんです。曹仁の異常な粘り、司馬懿の策略、孫権と呂蒙の入念な準備、これらが全て噛み合っての結果かなと(゜ω゜)ただ、劉備と完全に連携できていたとも言い難い。それは関羽という人物の難点ですが、なんというか、運命が関羽を殺したみたいにも思えるのです……(´-ω-`)
次はかこうぼうしてほしいですなー
リクエストはファンボックスにて!
関羽は商売の神様としても扱われていますが、あれも怨霊となった関羽を恐れて神様にしたら商売がうまくいったから…って、日本なら菅原道真が近いのかな?ひょっとしたら経済面でも手腕を振るっていたりしてな。
一応、徐州や荊州で統治経験もありますし、手腕は高かったやもしれませんね
算盤の原型を作ったのは関羽という説があります。
関羽の故郷である解県(山西)は塩の原産地であり、その塩を売る商人達が信義の象徴である関羽への信仰を各地に広めたという説があります。
顔良に関しては侠者として顔見知り、もしくはお互い名前は知っていて顔良の方は劉備に何か頼まれてたんじゃないかなと思います。まぁ迂闊といえば迂闊ですが自分も顔良の立場であれば斬られるなぁ
横山三国志ではコスチュームチェンジしてからツキがなくなった男
でも、後半の衣装の方が大物感があって好きでした(笑)
40巻から最期まで着ていた衣装ですよね⁉️末路の悲しさと関羽の悪い面が殊更出ていて苦手です。
曹操軍と劉表軍の色逆じゃね?
晩年の衣装、めちゃくちゃ好きでした数年前に発売された横山関羽のフィギュアが頭巾verで残念でした(買ったけど)
この荊州の問題を見てみると、劉備が、単に関羽が討たれたことだけに、憤りを覚えただけでなく、盟約違反に腹を立てたとも考えられますね。国家が左右される以上、実益優先なのは分かりますが……これは酷い……「呉は信用ならん!力ずくでわからせてやる!」ってなったのかも。。
まぁ、荊州奪還が国家の意図としては本命だと思います。劉備政権は荊州人士で構成されてますし。ただ、劉備という人間を考えると、感情剥き出しで怒っていてほしいと思ってしまいます。仲間に対する義理人情一本でのし上がってきた感じもありますし(゜ω゜)
そういえば三國無双では関羽生存ルートに入ろうとしたら龐統が生存してて、徐庶が劉備軍残留してて、さらに黄巾の乱で張角を信服させてとかんと駄目やったな…。どんだけ絶望的な状況やねんな…。
張角はホントになんでや(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 完全に戦力差をひっくり返す方法が他に思いつかなかったんでしょうね^_^
それか、黄巾の乱=不満を持った民衆の反乱という位置づけでその首領が張角。で、反乱した民をも心服させる劉備、というストーリーにしたかったのでは?
無双7ですね 張角の展開は謎だったけど嫌いじゃない!
@@saw196 無双7のifはどれも夢がありましたね。もし徐庶、ホウ統、法正が生きていたら、もし典韋、郭嘉が生きていたら、とか。魏シナリオは曹操が劉備に言い残すことを聞いて「民を頼む」と言われ、曹操が感銘を受けるシーン、逆に曹操が劉備に倒され、「お前の仁の世、あの世で見届けてやる」と託して終わるラストは素晴らしかった
赤壁で関羽が曹操にトドメを刺していたら、後継者が決められてなかった状態だから曹丕、曹彰、曹植あたりで国内分裂して袁紹と同じ末路を辿ってた可能性
いや、荀彧や賈詡、程昱等が…いや、許攸と田ぽう、郭図らみたいになるか。
だけどこういう男だから曹操に捕らえられても玄徳に戻ったんだと思う
史実ではそういった場面てあったんでしょうか?
異常な粘りを見せるまんちょう…なのに(城に)入れさせない…
呉としては長江の流域を抑えるために江陵は必要だし、蜀としては2方面作戦を取るためには江陵が必要だし難しいね。
魯粛の代までは徐州侵攻の意思が強かったんですが、呂蒙の代になって長江流域を重要視し始めた感がありますね(゜ω゜)
呂蒙伝にて「徐州取っても四方は陸路。すぐに曹操が大軍で取り返しに来るから8万近くの兵をもってしても維持は困難」って進言してたらしいしなぁ。関羽もそれこそ湘水→長江→漢水と食料輸送の構想もあったんかもしれないね(そうなると孫権領を跨がないと長江まで届けられないというジレンマ)。
どれもこれもそうなのですが…荊州話はタイムマシンでも使って実際に見てみたいものですねぇ。伝記通りだったら「陳寿スゲー('Д')」でそれはそれで感動ですし。違ったら違ったで「そりゃそっかー(´・ω・`)」だと思いますし。この世が可逆的システムで回っている事が証明されたりでもしたら…全ての謎が解けるようになるんだろうなぁ…あ、全然違う話になっちゃいましたね。(xДx)失礼
良くも悪くも関羽や張飛を使いこなせるのは劉備だけだったんでしょうね。
あと徐庶くらいですかね
樊城攻めの時王甫の忠告聞かずに荊州取られたり....龐統が死ななければ孔明、張飛、趙雲等が上手く関羽をコントロール出来たかも....。
多分趙雲と龐統を荊州に置けましたよね
法政と龐統を初期に失ったのが痛すぎた
三國志で一番過大に評価されているのが関羽だと思うんですが、どうですかね?張飛よりも秀いでた武勇も無いし、阿斗を人質に取られたともしても、あっさり曹操に降ったりしている関羽も張飛も方面軍団長としての資質が無い只の地域密着型ヤクザレベルだったってのが、蜀がパッとしなかった理由だとも思ったりする
敵同士なはずの曹操と孫権が裏で手を結んでまで対抗しないと勝てなかったのが関羽という将軍だと思ってます
@@KOUMEI_NO_WANADA 蜀と呉は人材不足だったと思う、文武の切り分けができないので、内政の天才、武の愚才だった諸葛亮が北伐をしたりするレベルだと思います自分としては蜀はヤクザ集団で、呉は半グレ集団の国って感じで、それがずっと改善されない状態が続いたと思う曹操が皇帝を排除しなかったのは、ただ一つ「大国の統治体制を作る為」という、蜀呉とは全く違う感覚を持っていたからで、その為に既存の権力を利用していたと思います関羽だけではなく蜀や呉の武将に関しては防衛戦の戦果が殆どであって、それを曹操(魏)の侵攻・侵略戦とその後の統治までと比べてはいけないと思うこの時代の戦争の成果は領土拡大であった筈で蜀呉の武将はほとんど全てが地域戦で勝利したのみで魏に対しては成果ゼロに近い「鶏肋」レベルだと思います
借荊州の本質は、孫劉二家の間の荊州の分割計画と領土交換です。当時、孫権は曹操からの軍事的圧力の一部を担うために劉備を必要としていました,だから南郡の一部が劉備に渡されたのです。引き換えに、劉備は江夏郡と長沙郡の領土の一部を孫権に譲渡しました。
別の方向に考えると、孫劉二家が領土を交換しなかった場合、孫権の管理下で江陵は曹操からすべての軍事的圧力に耐える必要があります。劉備は荊南に閉じ込められ、蜀地に入ることができません
「司州」は魏になってから使われ出した名称で後漢滅亡までは「司隷」。因みに「司州」が正式名称になったのは晋が天下統一した時。
補足ありがとうございます
三國志14で関羽捕まえても味方にならんし逃げられても厄介なので処断しますぅ
わかる(笑)
益州方面の防衛を考えると難しいと思いますけど、呉は国論がまとまらない国である以上劉備も荊州に部隊をもっと多く文官、武官を配備していてもよかったとも思うんですけどね。孔明が対呉方面の外交を担当し対魏戦線を龐統が補佐、内政を法正みたいにできればよかったんでしょうけど。このあたりの呉の立ち回りは春秋戦国時代だとぼろくそに批判されそうですね。天子・覇者としての行いから実益に合う行動が重視されるように時代が変わった転換点とも受け取れますけど。忙しくて最近見れてなかったですけど長くても苦にならない見やすい動画です。(偉そうな文章になってすいません)
ただ、新天地に君主自ら軍を率いて駐屯するのは統治の常套手段ですし、これまたほんとに難しい……(笑)本当にご視聴ありがとうございます(´;ω;`)
関羽は黄忠との一騎打ちとその後、五虎大将に任命に当たって、黄忠に対する敬意が無くなったのに違和感と傲慢になった感じがある。
色々見てきた後で関羽が塩の密売とかしてなら管理職の方々を嫌ってるのは案外、取り締まられる側だったから取り締まる側が嫌いだっただけなのかもしれませんね
関羽ってむしろ後世によって評価下げられてると思った。顔良不意打ちもどっかのゲーム会社の創作らしいし尊大だったという話もほぼ呉書にしか書いてないらしいし。そもそもあの状況の荊州をどうこうできる将軍なんて三国志にいないと思う。
三国志という厚い漫画が図書館にあって、劉備さんと張飛さんと関羽さん3人兄弟という雰囲気が好きだったな。
横山三国志?
関羽は確か武の神でありながら商売の神でもあるんですよね?武の神として祭られるのはわかるんですが商売の神として崇められる理由誰か知っている人いますか?
信義に厚いことから「商売をする人間は信用が1番だから」というのが一般的みたいです。他にも挙兵前は塩を売って生計を立てていたとか、算盤(そろばん)を発明したとか言われてるみたいですね
関羽は劉備と会う前に殺人犯として各地に人相書きがはられた。その人相書きが貼られた飯店がなぜか大繁盛したため、商才のある人相と評判になり死後商売の神と崇められた。(関羽伝より)
関羽は張遼・夏侯惇・趙雲・などの総大将・都督と、曹操劉備孫権など君主の間の位置にあるイメージ。プチ君主のような異質な感じ
「合理性」や「リスク管理」を重視し、それを最上とする、現代のホワイトカラー的な教育や慣習となっている人たちからは、任侠の鑑とも言える関羽の存在は、批判したくなるのかもしれませんね。関羽の肯定は、自分たちの批判になるから。
戦争に定時退社なんてありません(
4:25劉備軍団は、エージェントスミスたちで構成!?漢寿って、関羽晩年の戦場の江陵から数十キロぐらいなんですね。すごい偶然。江陵の巨大関羽像が移転されるみたいですが、漢寿の人々がウチに来て!!と言ってるかもしれない。
関羽の死は史実ではともかく、三国志演義では劉備陣営凋落の最大の転機であり原因だと思う。龐統が存命で荊州から孔明が動かなければ、或いは劉邦と孟達が少しでも援軍を送っていれば等々。
横山光輝三國志の劉備だと関羽は少数の援軍でもそれなりの働きをしてくるからとりあえず救援に向かっていても問題無いみたいやな?劉封と孟達のどっちか関羽の所に救援か劉備に援軍を要請していれば良かったかもしれん
@@石塚大吾-s2g 、たぶん援軍を差し向ける余裕はないと思いますよ、あの時上庸郡一帯をやっとこさ手中に収めたばかりですし、消耗も激しい筈。その様な状態でから関羽の元に援軍を差し向ける事は限りなく不可能かと、(仮に出したら魏軍に奪還される可能性が強くなりますし)
@@Asuka56433 劉備にとっては上庸より関羽が大事だから関羽を救出できたら後の事はどうでもよいのではないかな?(孔明は良い顔しないと思うけど)
@@石塚大吾-s2g 、法正様が生きていたら可能かもね
@@Asuka56433 ( ´―ω―)σ
関羽は前線にて切り込み隊長としては優秀と言えるだろう。だが大規模な地域を統治するには戦乱の世では、其れに対処する能力を有していなかった。彼は部下思い故に彼の後に主力部隊が存在していたら事態は変わっていたと思うが友軍さえ、彼の性格を嫌っていた人も存在した結果史実であろう。(どんなに優秀な人物も地位や権限が大きくなれば、其れに必要となる能力を有していなければ墜ちていくことになると言う。) 何処かの動画でシミュレーションゲームを利用して架空の歴史をアップしているが三国志時代で色々なことを想定して歴史の変化が知りたいと思う)
関羽は三国志演義や初期のKoeiゲームでの過剰な評価のせいで近年は逆に厳しい評価がされがちな気がしますね。実際には間違いなく時代を代表する将であったと思いますし、でないとあの曹操が遷都を考えるわけがないですからね笑
なおクソ高いプライドから諸葛亮の指示をガン無視して呉との同盟を破棄して単独で樊城攻めした結果呉に荊州を取られたあげく自力で荊州奪還しようとして返り討ちにあってショ刑されたもよう
横山三国志とかだとそういうイメージが強くなりますよね🥲
演技における海原曹操の評価「劉備への忠勇をこれだけ上品に仕上げるとは生意気な猛者だ、わざと門破りを続けてわしに肩透かしを食わせおったか😊」
関羽はしくじり名将の代表だと思いますけどね。最後の最後の本当に最後の重要局面で敗れてしまう
南宋という国に岳飛という関羽の生まれ変わりの様な人物がいましてね…
中国史上最強候補の一角
関羽の超上位互換
曹操って劉備しゅきしゅき関羽しゅきしゅきだけど、張飛のことはどう思ってたんでしょう?
夏侯淵の親族とかいう夏侯の嫁貰ってますし、めちゃんこ取り込もうとしてた風にも見えます(笑)
演義では派生作品によって描かれ方は様々ですが、白馬で関羽が顔良と文醜を討ち取ったときに曹操がめちゃくちゃ褒めますが関羽が「弟の張飛のほうがおれより強いで。あいつ袋から物取り出す感覚で大軍に突っ込んで敵将討ち取ってくるねん」と返し、それが長坂や赤壁追撃戦で曹操の肝を冷やす伏線となっているため、非常にその武勇を恐れています正史の記述では明確な評価をしている文面が見当たらないのですが、曹操の参謀である程昱や劉曄から「その武勇は群を抜いており三軍の筆頭である」「張飛の勇猛さは関羽に次ぐ」「単騎で兵1万に匹敵する(万夫不当)」と評価していることや魏の5将軍である張郃を漢中で撃破している(だいぶ張飛有利な状況で、敗戦にも関わらず張郃は戦後出世してはいるが)実績からも劉備の転戦を長年支え、蜀軍の主力として認識はされているのではないでしょうかなぜ劉備と関羽は明らかに評価されているのか?という点については大きな軍権を持たされてなかったからと思われます。劉備の代で劉備陣営において軍そのものを統括していたのは劉備と関羽のみで、張飛は劉備の指揮下だったことがほとんどのようです
私見が渡辺義浩の影響が強すぎる気がします。
渡辺さんの書籍はよく読んでますね。というか、渡辺さん以外の書籍が少ない……(笑)
傲慢な性格で破滅したと言っていい。諸葛恪や楊修、馬謖などまだまだ。
関羽って劉備にぞっこんなだけでそこまで忠義って感じじゃないし傲慢だし色々やらかしてるよね。徐庶のいう事も孔明のいう事も最初馬鹿にしてるし、結局蜀の兵糧の生命線の荊州も奪われてるし。
中国語の老師曰く、「関羽を軍神と仰いでいるのは、主に反社会組織の人だと思う」と冷静に言っていました(上海人の彼は周瑜ファンw)
蒼天航路って曹操視点の割には五虎将軍(馬超は劉備所属前だけど)の見せ場は純粋に描いてて。関羽の樊城攻めなんて描き方が神がかってる。樊城攻め単独で考えると当代屈指の戦略家だった孔明の匂いがしないんですよねえ。対孫権、江稜の守備、樊城への補給、漢中の戦後処理と援軍派遣等。制御するのが劉備しかいなかったんだろうね。
あそこの怒濤の流れは本当に鳥肌モノ(゜∀゜)
手術中の関羽像、もはや、人間ではないですね
劉備の益州攻略が順調で孔明たちが荊州に残っていたら歴史は全然違ったかもしれませんね
ほんとにそれは思います
ほうとうが生きてたらまた違ってたかも。
関羽や、張飛とかは神になった位凄い人になったけど、現実と、小説では関羽や、張飛とかの扱いとかの扱いのバラつきは凄いからね
横山三国志では諸葛亮が、関羽に荊州を守るための献策をしたのにも関わらず(´TωT`)
魯粛がなくなったのが痛かったですね。
趙雲やって欲しいな
私だけが思ってることかもしれんけど、このお方、あの「超獣」ブルーザー・ブロディに似てません?戦闘をやらせれば天下無双、それでいて普段は理知的で思慮深い。反面、異常に高いプライドの持ち主でそれからくる他人を見下す悪癖があり、それが原因で文字通り身を滅ぼしてしまったところまで一緒。ついでにその風貌まですごく似てるし。もちろん関羽のほうがはるかに前の人なわけだけど。
兵力の少ない方は同時に二カ所の戦線を作るととっさとのき対応が難しい、よって一ヵ所でことを起こして様子を見ながら他が動くという方法をとるのは戦略上のそれほど問題ではない問題は連絡網がどれほど構築されていたかによるそれに本来は呉が魏を攻めるはずで、その後に劉備を上らせる方が正しいのでは?
呉が蜀のために本気で動いたことはないし、その逆もまた然り……(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 本気さはあまり関係がないここでは兵力を分散できるかどうかやねそれに呉の為にも一定の兵力をくぎ付けにして劉備が攻めてくれた方がよかっただろうし蜀がそう期待しておかしいことはない
ホウ統か孔明がけい州にいれば違ったのかも
諸葛亮に並ぶ荊州名士であり、孫呉との繋がりも深い。確かに龐統の価値はとても大きかったですね……
張飛と関羽の性格が逆だったら荊州も守れた可能性が……
たぶん、どっちでも厳しい……(笑)
徐州でやらかしたのが張飛だったからの関羽
諸葛亮は案外張飛からは慕われていて相談にも乗っていたみたいだから張飛の補佐には適任かもね劉備や関羽よりは遥かに素直に諸葛亮の言う事を聞きそうだ劉備には法正の方が性格的にも合うしねただ、呂蒙を上手く徐州方面に向けさせるのは諸葛亮でも厳しそうその前段階から合肥攻めの援護でもしてないとなかなかね
@@nomoney8296 張飛は名士とか知識人にはやたらと態度が卑屈だったらしいよね。
関張どちらも性格的に守将としての適正がなく、張飛は特に局地戦に特化した名将ではありますが、大局を任せる→荊州の軍事や内政全てを掌握し統率するのは難しいでしょう。魏・呉への牽制となれる知名度も含めたら前線の守備は消去法で関羽しかいなかったと思われます
あれ?若い頃って字違くなかった?
ですね。恐らく出奔時に改名してます。
げぇっ!関羽! そんなものはない
有名すぎるネットミーム
良くも悪くもこれが関羽ですから。実際にいたら、付き合うでトラブル起こすでしょう。参考にしたり、教訓とするのは、我々の自由ですから。
あながち新解釈三国志も間違いではないかも(笑)
というか桃園の誓いの義兄弟3人とも性格ヤベー奴しかいない
歴史に名を残す人はだいたいヤバイ
全員ヤベー奴だから意気投合したんだろうな。
「誰それが生きていたら...」孫堅孫策が50~60歳台まで生きていたら、劉備はさすらいの傭兵隊長、いいとこ甘寧あたりの同僚か。張関二将を手足のように操る周瑜、裏方諸葛亮龐統...豪華だな。そうゆう『二国演義』も面白そう。
荊州の守りは孔明が務めていれば歯車は狂わなかった。曹操の追撃でとどめを刺す場面には張飛と魏延辺りを並べとけば曹操の命運は尽きていた。孫劉連盟崩壊以前に劉備軍の歯車は狂い始めていた。
攻めの鳳凰。守り 育成のドラゴン任侠の親分である劉備が心を鬼にして龐統の案を呑んでいれば鳳凰は落ちることはなかった。乱世に劉備という存在は優しすぎた。曹阿瞞くらいのサイコパスがちょうど良かった
帝との狩猟場での曹操の無礼な振舞いに怒り斬ろうとして劉備に止められたが、ここで曹操を斬っておけばよかったとほんとに思う。劉備余計な事すんなや、って思った
信長と家康みたいな関係だったのかな
鳳統が生きていたらな
関羽雲長、五虎大将軍の一人だな。
それどころか筆頭(゜∀゜)!
関羽は美化されすぎ あと5年荊州で戦力整え、孫呉と良好な関係作っとけば、魏打倒は夢物語ではなかった 戦略的観点から見てもただの暴挙 それでも樊城をあと一歩まで追い詰めたから兵の統率力は、間違いない
戦力は万全だったと思います。だからこそ曹仁・満寵・于禁・ホウ徳をも完封しているわけですし。まぁ、結果論として五年後には既に曹操が没していますから、その辺りに付け入る隙は生まれそうですが、流石にそれは予知できないものでしょう。そう考えると戦略的に、あのタイミングでの北進は決して間違いでは無かったと私は思っています。孫呉との関係は本当に難しい。互いが互いに悪感情を持っている状態ですから、関羽の方が先に折れるということも出来ないでしょう。それを見越しての孫権の戦術が巧み過ぎたというのはありますね。白でも黒でもない。そういった外交を主導できる人物、諸葛亮や龐統がやはり荊州に残っていれば。こればかりは関羽だけの責任にするのは酷な話でしょう。
戦略的観点とはについて 荊州は、蜀にとって打倒魏の最重要拠点で失う事は、あってはならない それなのに、孫呉に対する対応をおろそかにし、防衛戦力も最小限にし出陣した挙げ句、荊州失陥している 人気あるから許されてるが、馬謖の次に大戦犯だと思う あと戦力整ってたは違うかな…、主力級の武将が関羽のみでは…満足な後詰の部隊も用意していなかったみたいですし…
@@お気楽ご酒楽蜀方面に主力が殆ど行ってしまい支えられる参謀も馬良のみ如何に龐統の死がデカすぎるかがわかります
@@アイーン四郎 曹仁から見たら樊城(207年)では一度やられているので見事な逆襲劇だったな。
@@大坂智義 確かに 落ちたら都の喉元に刃入るほど重要な樊城ですから 曹仁と満寵の粘りだけでなく関羽勢の兵糧の少なさも見越していた見事な勝利
横山三国志で唯一figmaが発売されているほど人気
みんなだいすき
関羽は孫権が曹操に形だけ藩国の礼出して臣従してたから「あまり信用できない」という見方かつ、後方の食料を湘水(零陵から長沙辺り跨ぐ河川)→長江→漢水と輸送する構想だったが何急に邪魔(関税とか?)してるの・・・て認識。縁談拒否も長男の孫登はまだ10歳(しかも周瑜の娘と婚約済)で孫慮も6歳だし前線のウチに言われても・・・ってか貴国の豪族が絶対文句言うでしょって感じだったんかね呉と魏の国境で談合した上で合肥での小競り合いby揚州刺史温恢+張遼も招集→呂蒙呼ぶ(フリ))同時に二国で挟まないと倒せなかったってのがバケモンなんだよなぁ関羽。一歩間違ってたら220年から劉備と合流してた江陵固められてたかもしれん(間に合わなかったが援軍を先に出してる)
縁談に関しては、先に劉備に話を通すのが筋じゃない?って感じもあるのかなぁ、なんて個人的には感じてますね。にしても対応の悪さは目立ちますが(笑)
関羽が樊城を攻めたのは漢中戦の後だと思います。
まず、樊城への攻撃は関羽の単独ではなく、孫権との共同作戦です。《魏書・温恢伝》
さらに、曹操は劉備の北上を恐れて長安から動けなかったですからね。(曹操が洛陽に戻るのは于禁降伏後)
これは、うーむ、もう少し広く見ておくべきだったかもしれないです(;´Д`)
簡単に時系列を整理しておきますね。しかし219年の密度が凄い。
217年 劉備軍が漢中に侵攻
218年 3月 曹洪が呉蘭・雷銅の軍を全滅させる
9月 曹操が長安に駐屯する
10月 侯温が反乱(~219年1月)
219年 1月 定軍山の戦いで夏侯淵が戦死
3月 曹操が斜谷に出陣
5月 曹操が長安に帰還
(鶏肋)
7月 劉備が漢中王を称す
関羽が樊城を攻める、孫権が合肥を攻める
8月 于禁が降伏
10月 曹操が洛陽に戻る
呂蒙が関羽の根拠地である南郡を占領する
12月 関羽と関平が孫権に斬られる
少し気になるのは、この短期間で関羽は曹仁と満寵を城に押し込んで、襄陽と共に包囲し、ボロボロになるまで攻撃したってことですよね?
これだと、曹仁らを困窮させるレベルまで締め上げられるのかなぁというのが少し気になっていて……
というかこのあたりは密が濃すぎて、本当に整理が難しいですよね(笑)
すみません。確認したら218年に関羽と曹仁は戦ってました。
そうするとやっぱり侯温の乱と連動していると考えることができますね。
考察が深い〜笑
龐統が死ななければ、諸葛亮や張飛が荊州に留まり関羽の暴走もなかったかなぁ。
どの時代でも活躍して、どの時代でも同じような死に方をしそうですね。
ある意味、天才なんだと思います。
関羽の話を聞くと相手に対する敬意を持つこと。能力や性格を正確に知る観察眼を養う。同僚や部下にも思いやりを持ち素直に頼るのが大事だと感じました。
周瑜や魯粛が長生きしていれば同盟関係や領土問題も別の方向に向いていた可能性が
関羽を黙らせる魯粛も取り上げて欲しいです
演義と正史のギャップ狙いで関羽を貶めるだけの三国志武将解説が多い中、この動画は勉強になる。
横山光輝三国志では、関羽の後ろから曹操が重臣たちと共に、見送りに来て、別れる際、曹操は「玄徳よお前が羨ましいぞ」と言っている描写がありますね。そのセリフは、曹操の本音だと思います。
お疲れさまです!
新解釈楽しみですね!
周瑜:孫呉が天下を取るんじゃー
魯粛:孫劉で天下を取るんじゃー
呂蒙:荊州取って孫呉を安定させるんじゃー
なイメージ。とんどん意思弱くなっていく感。
関羽が死んでから、そこが天下の転換期と言えるくらい急激に変化しますよね。たくさんの英雄が死にますし、漢滅びますし。
ここの一連の、荊州争奪戦から夷陵までの怒涛の勢いと、その後の喪失感が、たまりません。
周瑜は天下統一を、魯粛は統一を諦めて三分割を、呂蒙は長江流域を、みたいな戦略を描いていますね。魯粛が構想し、呂蒙が現実と擦り合わせたみたいな。
関羽という人物は劉備がいなかったら「何ら為すことなく、ただひたすらトンガリ続けて自爆した」禰衡のような人生を送っていたのかもしれません。
ひょっとしたら関羽自身もそういう自覚があったから劉備に忠誠を尽くしていたのかなぁ、などと思っています。
劉備集団が反社集団だったのはそうかも(関羽の出自の伝説も含め)しれませんね笑
その集団が『問答無用の錦の御旗』として劉備の『皇室ゆかりの血縁』というやんごとなき出自(自称w)を前面に推し立てて生き抜いてきた構図が面白いですね(蒼天航路の董卓の『暴虐と大義』の二刀流的なw)
扶蘇・項燕を名乗った、陳勝・呉広を彷彿とさせる……(ぇ
関羽ほど、どの漫画家が書いてもそれほど違いが無い人物がいるだろうか?
三國志関連の書籍でも関羽は士大夫(管理職)に対して傲慢で、雑兵など下っ端には優しかったと述べられている。叩き上げの苦労人ゆえに士大夫が気に入らなかったのかもしれないが、孫権の息子と自分の娘の婚姻を断ったことについては関羽の断り方に非があっただろう(ちなにみこれと真逆なのが張飛)。呉と魏の思惑も絡んだにせよ、荊州を失い自らも非業の死を遂げたのは、彼の短所が身を滅ぼしたように思えてならない。法正が生きて入れば、諸葛亮を荊州に派遣して関羽が陸遜の策にはまるのを防げただろうと思うのは私だけだろうか。
最後に試験をだす試みはまさに「試験に出る三國志」のタイトルとピッタリでいいですねえ。
うれしい(´;ω;`)
関羽のような英雄であっても、実績を積むと、年とってから自惚れたり油断することがあるという教訓。
劉備も同様
劉備と関羽は主従ではなく任侠で生きる同士。だがその中でも名士の利便性に気付き活用したのが劉備、最後まで気付けなかったのが関羽。そんなイメージです
名士とバチバチに敵対して滅びていった公孫瓚兄貴の末路に、弟分として劉備は何かしらを感じ取ったのでしょうね。
曹仁・満寵・于禁・徐晃それから裏には呂蒙・陸遜といった超一流武将たちが結集してようやく倒した関羽の配下には有力な将がほとんどいない(演義系で有名な周倉や関索は正史では見ませんし)、むしろ周辺の劉備陣営諸将とは険悪な関係だったと思うのですが、最終的に敗れたことよりむしろ、そんな人的リソースでここまで魏を追い詰めたほうが異常だと思いました。正史で敵陣営に斬り込んで名のある敵将を個人的武勇で討ち取ったってヒトもあんまりいないですよね。
ホウ徳忘れないで・・・・。関羽殿は関平、趙累しかいないのにそこまで追い詰めてるで。
@@島悟-o3u そうでした、ホウ徳も倒してますね。
あ、関羽殿の配下にはのちの蜀の筆頭武将(?!)廖化さんもいますね。(このときは逃げただけかな・・)
@@frenchbreadish 逃げたというより援軍要請ではなかった?
@@石塚大吾-s2g 演義だと(コーエー三国志のイベントとかでも)孟達と劉封に援軍要請に行って断られ、ぼろぼろの体で成都へ・・という話でしたが正史だと廖化が行ったという記述ではなかったような。うろ覚えなので間違ってたらごめんなさいです汗
@@frenchbreadish 横山版ではボロボロになって劉封と孟達に援軍要請に行くが断られて廖化が二人を罵倒した後に成都に行った。劉備が廖化から劉封、孟達に断られた顛末を報告したくだりがあった。孟達が曹丕に降って劉封に討たせるはずが返り討ちにあって廖化「全くの腰抜けだ」とポソッと嫌味を言ったのを近くで聞いた劉備が示しが付かないと思ったのか劉封を処刑したってのがあった
”荊州に行ってから劉備が何となく関羽を持て余してる”感を蒼天航路は上手く表現していたように思います
勝手にポンポン印綬とか官爵とか与えてますし、確かに難しいですよねぇ……(笑)
よい表現の仕方だった。
やっぱりちゃんとした軍師は必要だというのがわかる気がするなー。
一気に領土が広がり、手が回ってない感もありますね(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA
それもありますが、関羽が軍師がいたとして話を聞くか疑問な所もありますよね。
軍を統率し、作戦立案、行軍、攻城戦から野戦まで器用にこなし、国の統治も無難にこなす、将軍として有能だが
その道のスペシャリストには敵わないということに気がつけなかったのが、彼自身の末路を決めてしまいましたね。
しかし、于禁は晩節を汚したように言われますが、ある意味関羽を滅ぼしたのは于禁の降伏が原因な気がしますね。
于禁がプレイアブル化された三国無双では、于禁が関羽軍の内部不和を招く為にわざと降伏する献策を曹操にしているシーンがあった。
実情は不明だが、夏侯家とも付き合いが長い曹魏古参の一人という事を考えると降伏するくらいなら最期まで城を守ろうとするんじゃないかね。
それでも関羽は今に至るまで中華の神である。それだけ魅力的な人物だったのだろうね。
個人的に劉備と関羽を現代の人物に当てはめると何となくキューバのカストロとゲバラを想起するけど如何だろう?。
荊州は来る北伐の最短ルート、と考えれば下手に撃って出るより、漢中と共に安定させて、国力を充実させる選択肢もあったのかなあ。
それならば、関羽よりもより控えめで手堅い将を置いても良かったのではなかろうか。
実は張飛の方が知的な存在であり、関羽の方がむしろただの乱暴者なんだよな。
関羽が将軍位でごねたとこ
表面上4将軍横並びの『前後左右将軍』で黄忠と同格が気に入らない・・・ということですが
私はむしろ黄忠はだしに使われただけで関羽の本音はこの時点で『もう一階級上の将軍位』が欲しかったというとこなのかなと思います
じつはこの後すぐ劉備は皇帝即位し張飛・馬超らはさらに一階級位を進める(いわゆる二品官)んですが(歴史上関羽はこの時すでに死亡)
このようにすぐに皇帝即位があるという前提で『前後左右将軍(いわゆる三品官)』という位が各将に与えられていたのは明白で
この時点(漢中王即位)で関羽が車騎将軍(いわゆる二品官)なり他の3将より上の位を受領していれば
皇帝即位段階で関羽が生きていれば大将軍(いわゆる一品官)位受領、つまり(ifの話なのでこの場合孔明が歴史通り『丞相』を拝領するかはわかりませんが)蜀政権で正式な書類上もナンバー2にして独自に開府(政権樹立)できる立場になっていたわけです
このような関羽の目論見が私の思う通りなのかはわかりませんが
少なくとも歴史上記されている関羽の以後の行動を見るに
関羽は荊州の全権を自由に指揮する(てか史実でも後に前将軍位ながら劉備から正式に独自指揮権を与えられていますが)権限が蜀政権内で欲しかったという点は明白で
そこまで見据えての官位要求ではなかったのかと思います
なるほど、そういった意図も確かに見えてきますね。
関羽生存後のことまで考慮に入れて考察すると、また違った視点が(゜∀゜)
任侠っていうと龍が如く思い出すけどまさしく桐生一馬みたいな存在だったのかもしれない
候恩は、蒼天航路で少し出て法正の友達で覚えてる
ちゃんとそこまで描いてくれる蒼天航路大好き
曹操と関羽の関係マジで好き
関羽ってかなり神のような存在だけど、実際は頑固者で人を見下すのが関羽だし、ゲームではやたら愛されるのにそれ以外は殆んど頑固者が関羽だからね
はじまりのBGMがすごく好き
関羽のおかげで劉備軍は荊州を取れたしかし関羽のやらかしで荊州を失った
演義では、それまで紳士な扱いの関羽が、荊州に赴任した途端に、傲慢な奴に成り下がりますよね。その変化がすごく奇妙なんですよね。
最も、演義、そういう箇所、他にいっぱいありますけど
関羽も張飛も、もともと無頼漢の出身だ。
彼らは塩や馬の密売に携わっていたと言われている。
武将として知られるようになっても、その性根は買えられなかったらしい
そのため方々で恨みを買う結果になったのだ。
張飛はわずかな手落ちで部下を殺す事を繰り返したもので、最後には部下に裏切られて殺されるし
関羽も、不必要な恨みを買って殺される事になった
関羽に歴代の皇帝が諡号を送り続けたのは、確かに「絶対に裏切らない」という都合の良い存在であったからかもしれない。
けど、皇帝という権力の象徴にある存在にとって、余計な事を考えずに信じられる存在に憧れている部分もあったのかなと想像しています。
香港かどっかの関羽ちゃん主役のドラマを観た時に、関羽ちゃんが「酒好き」「顔真っ赤」「短気」と言う日本だと張飛ちゃんの役どころをやらされてて「もしかしてあっちだと人物像かなり違うのかねぇ」と思った事があるねぇ。呂布ちゃんもあっちの映画だと「美形」「舞うように戦う」と言う「男前ポジション」になってて、こっちは「あっちでは京劇で貂蝉ちゃんとの悲恋が大人気で基本的に男前ポジション」って事らしいねぇ。
0:07 初手程昱
魏の美髯公
@@KOUMEI_NO_WANADA
関羽「ワイ、太陽持ってる夢見てない、髭違いや」
正当性は正直呉の介入を受けてる時点で劉備側は弱いんだよね。同盟の持ちかけも魯粛側からで
益州攻略で怒る孫権をとどめたのも魯粛やし。周瑜も劉備の方に兵を貸しているから、荊南攻略も劉備のみと言いにくい。
少なくとも益州攻略の時に魯粛が、怒る孫権と共に攻撃を仕掛けていたら悲惨な状況になってたのは確か
孫権と劉備の関係は、袁紹と曹操と同じか、それよりも希薄なものだと自分は考えているので、なんとなく劉備寄りな感覚になってしまうんですよねぇ(゜ω゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA
そういうのはわかります。無意識のうちに三国のどこか寄りになっちゃうんですよね。
自分は結構マイノリティなんで王道はいかないんですよねえ・・・諸葛亮より龐統推しだったりするし
蜀より魏、張遼より張郃、周瑜より魯粛と、多分判官贔屓ともチガウ・・・
一番好きな人物が簡雍なので、どうしても……(笑)
こう、劉備の軍団の話聞くとベルセルクの黄金時代編の鷹の団思い起こすなぁ
こういう社会的通念が通じないというか価値観を持ったキャラクターは創作に使いやすいよなぁ、などと考えてしまった
とにかくカッコいい(笑)
そういえば関羽は春秋を暗読するほど読みこんだとか。どこで読んだのだろうか・・・・?タイミング的に荊州にいた頃だけど・・・・。
曹操(あれ?献帝だったけ?)は関羽に漢寿帝侯の位を賜ったようだがどうして?
それと関羽は味方からの評価はあまり芳しくなかったり、或いはあまりなかったりしたが曹操や孫権などの他国からの評価が多いのはすごい不思議。以外と謎の多い人物かもしれない。
例えばAmazonトップのジェフベゾスは誰がどう見ても、現代最強の経営者ですが、身内の社員からすれば厳しさが過ぎる上司でもあります。立場によって見方が変わるのはいつの時代もどんな人間も同じです。
会社で尊敬されていても、家庭は崩壊してるなんてよくある話です(笑)
荊州問題から劉備陣営の人材不足がはっきりと出てくる。仮に龐統が戦死せず、諸葛亮がサポートになっていればもう少しマシになったかも。でもそうなると今度は本国が伸び悩んでいたと思うし、やっぱり何ともならないかな
荊州存続しても、関羽が半独立状態になりそうな気がしないでも……(笑)
どうだろうな。リアリスト思考が強く、献策内容が魏の謀臣賈詡に似通っていた龐統は劉備とは馬が合わなかった可能性が高いぞ。かえって、内部のゴタゴタが深刻化した可能性も微レ存。
そういう観点では、劉備軍一番の損失はおそらく龐統ではなく徐庶。常在戦場型の戦う軍師だったから、関羽とか黄忠みたいなゴリゴリの武闘派とも馬が合っただろうし。
関羽の性格とそこからくる外交が荊州周域の明暗を分けたとは言われるけど、当時の関羽の立場からすると一定の軍権くらいしか持ってないと思うんだよな。
だから関羽の対呉外交がまずかったというのはそもそも成立せんと思われる。
荊州関係で一番まずかったのは劉備軍の限界や、劉備本人の気質みたいなところにあるんじゃないかな。
入蜀で龐統が戦死して時間がかかった上に地方を任せられる人材の喪失。そこから荊州を固める暇もなく漢中、北に目を向けなきゃならない状況って思っている以上に逼迫してたんじゃ。
思えば、劉備軍って『こうした方が良い』じゃなくて『こうせざるを得ない』って形での戦が多いし。息子の代になってもそれは変えられんかった。
良くも悪くも、関羽は関羽。武神と言われる武力を持ち、それなりの戦術眼がありながらも、頑固な性格が災いし、戦略はいまいち使いこなせなかった。そして関羽の弔い合戦である夷陵の戦いで、蜀は国が傾く大敗。結局最後まで完全に回復する事なく、滅亡していった。もし関羽がここまで頑固一徹ではなく、柔軟に戦略的に物事を考える人なら、蜀滅亡は更に先だったかもしれない。
戦略としては間違ってはないタイミングだと思うんです。曹仁の異常な粘り、司馬懿の策略、孫権と呂蒙の入念な準備、これらが全て噛み合っての結果かなと(゜ω゜)
ただ、劉備と完全に連携できていたとも言い難い。それは関羽という人物の難点ですが、なんというか、運命が関羽を殺したみたいにも思えるのです……(´-ω-`)
次はかこうぼうしてほしいですなー
リクエストはファンボックスにて!
関羽は商売の神様としても扱われていますが、あれも怨霊となった関羽を恐れて
神様にしたら商売がうまくいったから…って、日本なら菅原道真が近いのかな?
ひょっとしたら経済面でも手腕を振るっていたりしてな。
一応、徐州や荊州で統治経験もありますし、手腕は高かったやもしれませんね
算盤の原型を作ったのは関羽という説があります。
関羽の故郷である解県(山西)は塩の原産地であり、その塩を売る商人達が信義の象徴である関羽への信仰を各地に広めたという説があります。
顔良に関しては侠者として顔見知り、もしくはお互い名前は知っていて顔良の方は劉備に何か頼まれてたんじゃないかなと思います。
まぁ迂闊といえば迂闊ですが自分も顔良の立場であれば斬られるなぁ
横山三国志ではコスチュームチェンジしてからツキがなくなった男
でも、後半の衣装の方が大物感があって好きでした(笑)
40巻から最期まで着ていた衣装ですよね⁉️
末路の悲しさと関羽の悪い面が殊更出ていて苦手です。
曹操軍と劉表軍の色逆じゃね?
晩年の衣装、めちゃくちゃ好きでした
数年前に発売された横山関羽のフィギュアが頭巾verで残念でした(買ったけど)
この荊州の問題を見てみると、劉備が、単に関羽が討たれたことだけに、憤りを覚えただけでなく、盟約違反に腹を立てたとも考えられますね。
国家が左右される以上、実益優先なのは分かりますが……これは酷い……
「呉は信用ならん!力ずくでわからせてやる!」ってなったのかも。。
まぁ、荊州奪還が国家の意図としては本命だと思います。劉備政権は荊州人士で構成されてますし。
ただ、劉備という人間を考えると、感情剥き出しで怒っていてほしいと思ってしまいます。仲間に対する義理人情一本でのし上がってきた感じもありますし(゜ω゜)
そういえば三國無双では関羽生存ルートに入ろうとしたら龐統が生存してて、徐庶が劉備軍残留してて、さらに黄巾の乱で張角を信服させてとかんと駄目やったな…。
どんだけ絶望的な状況やねんな…。
張角はホントになんでや(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA
完全に戦力差をひっくり返す方法が他に思いつかなかったんでしょうね^_^
それか、黄巾の乱=不満を持った民衆の反乱という位置づけでその首領が張角。で、反乱した民をも心服させる劉備、というストーリーにしたかったのでは?
無双7ですね 張角の展開は謎だったけど嫌いじゃない!
@@saw196 無双7のifはどれも夢がありましたね。
もし徐庶、ホウ統、法正が生きていたら、もし典韋、郭嘉が生きていたら、とか。
魏シナリオは曹操が劉備に言い残すことを聞いて「民を頼む」と言われ、曹操が感銘を受けるシーン、逆に曹操が劉備に倒され、「お前の仁の世、あの世で見届けてやる」と託して終わるラストは素晴らしかった
赤壁で関羽が曹操にトドメを刺していたら、後継者が決められてなかった状態だから曹丕、曹彰、曹植あたりで国内分裂して袁紹と同じ末路を辿ってた可能性
いや、荀彧や賈詡、程昱等が…いや、許攸と田ぽう、郭図らみたいになるか。
だけどこういう男だから曹操に捕らえられても玄徳に戻ったんだと思う
史実ではそういった場面てあったんでしょうか?
異常な粘りを見せるまんちょう…
なのに(城に)入れさせない…
呉としては長江の流域を抑えるために江陵は必要だし、蜀としては2方面作戦を取るためには江陵が必要だし難しいね。
魯粛の代までは徐州侵攻の意思が強かったんですが、呂蒙の代になって長江流域を重要視し始めた感がありますね(゜ω゜)
呂蒙伝にて「徐州取っても四方は陸路。すぐに曹操が大軍で取り返しに来るから8万近くの兵をもってしても維持は困難」って進言してたらしいしなぁ。
関羽もそれこそ湘水→長江→漢水と食料輸送の構想もあったんかもしれないね(そうなると孫権領を跨がないと長江まで届けられないというジレンマ)。
どれもこれもそうなのですが…荊州話はタイムマシンでも使って
実際に見てみたいものですねぇ。
伝記通りだったら「陳寿スゲー('Д')」でそれはそれで感動ですし。
違ったら違ったで「そりゃそっかー(´・ω・`)」だと思いますし。
この世が可逆的システムで回っている事が証明されたりでもしたら…
全ての謎が解けるようになるんだろうなぁ…
あ、全然違う話になっちゃいましたね。(xДx)失礼
良くも悪くも関羽や張飛を使いこなせるのは劉備だけだったんでしょうね。
あと徐庶くらいですかね
樊城攻めの時王甫の忠告聞かずに荊州取られたり....龐統が死ななければ孔明、張飛、趙雲等が上手く関羽をコントロール出来たかも....。
多分趙雲と龐統を荊州に置けましたよね
法政と龐統を初期に失ったのが痛すぎた
三國志で一番過大に評価されているのが関羽だと思うんですが、どうですかね?
張飛よりも秀いでた武勇も無いし、阿斗を人質に取られたともしても、あっさり曹操に降ったりしている
関羽も張飛も方面軍団長としての資質が無い只の地域密着型ヤクザレベルだったってのが、蜀がパッとしなかった理由だとも思ったりする
敵同士なはずの曹操と孫権が裏で手を結んでまで対抗しないと勝てなかったのが関羽という将軍だと思ってます
@@KOUMEI_NO_WANADA 蜀と呉は人材不足だったと思う、文武の切り分けができないので、内政の天才、武の愚才だった諸葛亮が北伐をしたりするレベルだと思います
自分としては蜀はヤクザ集団で、呉は半グレ集団の国って感じで、それがずっと改善されない状態が続いたと思う
曹操が皇帝を排除しなかったのは、ただ一つ「大国の統治体制を作る為」という、蜀呉とは全く違う感覚を持っていたからで、その為に既存の権力を利用していたと思います
関羽だけではなく蜀や呉の武将に関しては防衛戦の戦果が殆どであって、それを曹操(魏)の侵攻・侵略戦とその後の統治までと比べてはいけないと思う
この時代の戦争の成果は領土拡大であった筈で蜀呉の武将はほとんど全てが地域戦で勝利したのみで魏に対しては成果ゼロに近い
「鶏肋」レベルだと思います
借荊州の本質は、孫劉二家の間の荊州の分割計画と領土交換です。当時、孫権は曹操からの軍事的圧力の一部を担うために劉備を必要としていました,だから南郡の一部が劉備に渡されたのです。引き換えに、劉備は江夏郡と長沙郡の領土の一部を孫権に譲渡しました。
別の方向に考えると、孫劉二家が領土を交換しなかった場合、孫権の管理下で江陵は曹操からすべての軍事的圧力に耐える必要があります。劉備は荊南に閉じ込められ、蜀地に入ることができません
「司州」は魏になってから使われ出した名称で後漢滅亡までは「司隷」。因みに「司州」が正式名称になったのは晋が天下統一した時。
補足ありがとうございます
三國志14で関羽捕まえても味方にならんし逃げられても厄介なので処断しますぅ
わかる(笑)
益州方面の防衛を考えると難しいと思いますけど、呉は国論がまとまらない国である以上劉備も荊州に部隊をもっと多く文官、武官を配備していてもよかったとも思うんですけどね。孔明が対呉方面の外交を担当し対魏戦線を龐統が補佐、内政を法正みたいにできればよかったんでしょうけど。
このあたりの呉の立ち回りは春秋戦国時代だとぼろくそに批判されそうですね。天子・覇者としての行いから実益に合う行動が重視されるように時代が変わった転換点とも受け取れますけど。
忙しくて最近見れてなかったですけど長くても苦にならない見やすい動画です。(偉そうな文章になってすいません)
ただ、新天地に君主自ら軍を率いて駐屯するのは統治の常套手段ですし、これまたほんとに難しい……(笑)
本当にご視聴ありがとうございます(´;ω;`)
関羽は黄忠との一騎打ちとその後、五虎大将に任命に当たって、黄忠に対する敬意が無くなったのに違和感と傲慢になった感じがある。
色々見てきた後で関羽が塩の密売とかしてなら管理職の方々を嫌ってるのは案外、取り締まられる側だったから取り締まる側が嫌いだっただけなのかもしれませんね
関羽ってむしろ後世によって評価下げられてると思った。顔良不意打ちもどっかのゲーム会社の創作らしいし尊大だったという話もほぼ呉書にしか書いてないらしいし。そもそもあの状況の荊州をどうこうできる将軍なんて三国志にいないと思う。
三国志という厚い漫画が図書館にあって、劉備さんと張飛さんと関羽さん3人兄弟という雰囲気が好きだったな。
横山三国志?
関羽は確か武の神でありながら商売の神でもあるんですよね?武の神として祭られるのはわかるんですが商売の神として崇められる理由誰か知っている人いますか?
信義に厚いことから「商売をする人間は信用が1番だから」というのが一般的みたいです。他にも挙兵前は塩を売って生計を立てていたとか、算盤(そろばん)を発明したとか言われてるみたいですね
関羽は劉備と会う前に殺人犯として各地に人相書きがはられた。
その人相書きが貼られた飯店がなぜか大繁盛したため、商才のある人相と評判になり死後商売の神と崇められた。(関羽伝より)
関羽は張遼・夏侯惇・趙雲・などの総大将・都督と、曹操劉備孫権など君主の間の位置にあるイメージ。
プチ君主のような異質な感じ
「合理性」や「リスク管理」を重視し、それを最上とする、現代のホワイトカラー的な教育や慣習となっている人たちからは、任侠の鑑とも言える関羽の存在は、批判したくなるのかもしれませんね。関羽の肯定は、自分たちの批判になるから。
戦争に定時退社なんてありません(
4:25劉備軍団は、エージェントスミスたちで構成!?
漢寿って、関羽晩年の戦場の江陵から数十キロぐらいなんですね。すごい偶然。江陵の巨大関羽像が移転されるみたいですが、漢寿の人々がウチに来て!!と言ってるかもしれない。
関羽の死は史実ではともかく、三国志演義では劉備陣営凋落の最大の転機であり原因だと思う。
龐統が存命で荊州から孔明が動かなければ、或いは劉邦と孟達が少しでも援軍を送っていれば等々。
横山光輝三國志の劉備だと関羽は少数の援軍でもそれなりの働きをしてくるからとりあえず救援に向かっていても問題無いみたいやな?劉封と孟達のどっちか関羽の所に救援か劉備に援軍を要請していれば良かったかもしれん
@@石塚大吾-s2g 、たぶん援軍を差し向ける余裕はないと思いますよ、あの時上庸郡一帯をやっとこさ手中に収めたばかりですし、消耗も激しい筈。
その様な状態でから関羽の元に援軍を差し向ける事は限りなく不可能かと、(仮に出したら魏軍に奪還される可能性が強くなりますし)
@@Asuka56433 劉備にとっては上庸より関羽が大事だから関羽を救出できたら後の事はどうでもよいのではないかな?(孔明は良い顔しないと思うけど)
@@石塚大吾-s2g 、法正様が生きていたら可能かもね
@@Asuka56433 ( ´―ω―)σ
関羽は前線にて切り込み隊長としては優秀と言えるだろう。だが大規模な地域を統治するには
戦乱の世では、其れに対処する能力を有していなかった。彼は部下思い故に彼の後に主力部隊が
存在していたら事態は変わっていたと思うが友軍さえ、彼の性格を嫌っていた人も存在した結果
史実であろう。(どんなに優秀な人物も地位や権限が大きくなれば、其れに必要となる能力を
有していなければ墜ちていくことになると言う。)
何処かの動画でシミュレーションゲームを利用して架空の歴史をアップしているが
三国志時代で色々なことを想定して歴史の変化が知りたいと思う)
関羽は三国志演義や初期のKoeiゲームでの過剰な評価のせいで近年は逆に厳しい評価がされがちな気がしますね。
実際には間違いなく時代を代表する将であったと思いますし、でないとあの曹操が遷都を考えるわけがないですからね笑
なおクソ高いプライドから諸葛亮の指示をガン無視して呉との同盟を破棄して単独で樊城攻めした結果呉に荊州を取られたあげく自力で荊州奪還しようとして返り討ちにあってショ刑されたもよう
横山三国志とかだとそういうイメージが強くなりますよね🥲
演技における海原曹操の評価
「劉備への忠勇をこれだけ上品に仕上げるとは生意気な猛者だ、わざと門破りを続けてわしに肩透かしを食わせおったか😊」
関羽はしくじり名将の代表だと思いますけどね。最後の最後の本当に最後の重要局面で敗れてしまう
南宋という国に岳飛という関羽の生まれ変わりの様な人物がいましてね…
中国史上最強候補の一角
関羽の超上位互換
曹操って劉備しゅきしゅき関羽しゅきしゅきだけど、張飛のことはどう思ってたんでしょう?
夏侯淵の親族とかいう夏侯の嫁貰ってますし、めちゃんこ取り込もうとしてた風にも見えます(笑)
演義では派生作品によって描かれ方は様々ですが、白馬で関羽が顔良と文醜を討ち取ったときに曹操がめちゃくちゃ褒めますが関羽が「弟の張飛のほうがおれより強いで。あいつ袋から物取り出す感覚で大軍に突っ込んで敵将討ち取ってくるねん」と返し、それが長坂や赤壁追撃戦で曹操の肝を冷やす伏線となっているため、非常にその武勇を恐れています
正史の記述では明確な評価をしている文面が見当たらないのですが、曹操の参謀である程昱や劉曄から「その武勇は群を抜いており三軍の筆頭である」「張飛の勇猛さは関羽に次ぐ」「単騎で兵1万に匹敵する(万夫不当)」と評価していることや魏の5将軍である張郃を漢中で撃破している(だいぶ張飛有利な状況で、敗戦にも関わらず張郃は戦後出世してはいるが)実績からも劉備の転戦を長年支え、蜀軍の主力として認識はされているのではないでしょうか
なぜ劉備と関羽は明らかに評価されているのか?という点については大きな軍権を持たされてなかったからと思われます。劉備の代で劉備陣営において軍そのものを統括していたのは劉備と関羽のみで、張飛は劉備の指揮下だったことがほとんどのようです
私見が渡辺義浩の影響が強すぎる気がします。
渡辺さんの書籍はよく読んでますね。というか、渡辺さん以外の書籍が少ない……(笑)
傲慢な性格で破滅したと言っていい。
諸葛恪や楊修、馬謖などまだまだ。
関羽って劉備にぞっこんなだけでそこまで忠義って感じじゃないし傲慢だし色々やらかしてるよね。徐庶のいう事も孔明のいう事も最初馬鹿にしてるし、結局蜀の兵糧の生命線の荊州も奪われてるし。
中国語の老師曰く、「関羽を軍神と仰いでいるのは、主に反社会組織の人だと思う」と冷静に言っていました(上海人の彼は周瑜ファンw)
蒼天航路って曹操視点の割には五虎将軍(馬超は劉備所属前だけど)の見せ場は純粋に描いてて。
関羽の樊城攻めなんて描き方が神がかってる。
樊城攻め単独で考えると当代屈指の戦略家だった孔明の匂いがしないんですよねえ。
対孫権、江稜の守備、樊城への補給、漢中の戦後処理と援軍派遣等。
制御するのが劉備しかいなかったんだろうね。
あそこの怒濤の流れは本当に鳥肌モノ(゜∀゜)
手術中の関羽像、もはや、人間ではないですね
劉備の益州攻略が順調で孔明たちが荊州に残っていたら歴史は全然違ったかもしれませんね
ほんとにそれは思います
ほうとうが生きてたらまた違ってたかも。
関羽や、張飛とかは神になった位凄い人になったけど、現実と、小説では関羽や、張飛とかの扱いとかの扱いのバラつきは凄いからね
横山三国志では諸葛亮が、関羽に荊州を守るための献策をしたのにも関わらず(´TωT`)
魯粛がなくなったのが痛かったですね。
趙雲やって欲しいな
私だけが思ってることかもしれんけど、このお方、あの「超獣」ブルーザー・ブロディに似てません?戦闘をやらせれば天下無双、それでいて普段は理知的で思慮深い。反面、異常に高いプライドの持ち主でそれからくる他人を見下す悪癖があり、それが原因で文字通り身を滅ぼしてしまったところまで一緒。ついでにその風貌まですごく似てるし。もちろん関羽のほうがはるかに前の人なわけだけど。
兵力の少ない方は同時に二カ所の戦線を作るととっさとのき対応が
難しい、よって一ヵ所でことを起こして様子を見ながら他が動くという
方法をとるのは戦略上のそれほど問題ではない
問題は連絡網がどれほど構築されていたかによる
それに本来は呉が魏を攻めるはずで、その後に劉備を上らせる方が
正しいのでは?
呉が蜀のために本気で動いたことはないし、その逆もまた然り……(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA
本気さはあまり関係がない
ここでは兵力を分散できるかどうかやね
それに呉の為にも一定の兵力をくぎ付けにして劉備が攻めて
くれた方がよかっただろうし蜀がそう期待しておかしいことはない
ホウ統か孔明がけい州にいれば違ったのかも
諸葛亮に並ぶ荊州名士であり、孫呉との繋がりも深い。確かに龐統の価値はとても大きかったですね……
張飛と関羽の性格が逆だったら荊州も守れた可能性が……
たぶん、どっちでも厳しい……(笑)
徐州でやらかしたのが張飛だったからの関羽
諸葛亮は案外張飛からは慕われていて相談にも乗っていたみたいだから張飛の補佐には適任かもね
劉備や関羽よりは遥かに素直に諸葛亮の言う事を聞きそうだ
劉備には法正の方が性格的にも合うしね
ただ、呂蒙を上手く徐州方面に向けさせるのは諸葛亮でも厳しそう
その前段階から合肥攻めの援護でもしてないとなかなかね
@@nomoney8296 張飛は名士とか知識人にはやたらと態度が卑屈だったらしいよね。
関張どちらも性格的に守将としての適正がなく、張飛は特に局地戦に特化した名将ではありますが、大局を任せる→荊州の軍事や内政全てを掌握し統率するのは難しいでしょう。
魏・呉への牽制となれる知名度も含めたら前線の守備は消去法で関羽しかいなかったと思われます
あれ?若い頃って字違くなかった?
ですね。恐らく出奔時に改名してます。
げぇっ!関羽! そんなものはない
有名すぎるネットミーム
良くも悪くもこれが関羽ですから。実際にいたら、付き合うでトラブル起こすでしょう。参考にしたり、教訓とするのは、我々の自由ですから。
あながち新解釈三国志も間違いではないかも(笑)
というか桃園の誓いの義兄弟3人とも性格ヤベー奴しかいない
歴史に名を残す人はだいたいヤバイ
全員ヤベー奴だから意気投合したんだろうな。
「誰それが生きていたら...」孫堅孫策が50~60歳台まで生きていたら、劉備はさすらいの傭兵隊長、いいとこ甘寧あたりの同僚か。張関二将を手足のように操る周瑜、裏方諸葛亮龐統...豪華だな。そうゆう『二国演義』も面白そう。
荊州の守りは孔明が務めていれば歯車は狂わなかった。
曹操の追撃でとどめを刺す場面には張飛と魏延辺りを並べとけば曹操の命運は尽きていた。
孫劉連盟崩壊以前に劉備軍の歯車は狂い始めていた。
攻めの鳳凰。守り 育成のドラゴン
任侠の親分である劉備が心を鬼にして龐統の案を呑んでいれば鳳凰は落ちることはなかった。乱世に劉備という存在は優しすぎた。曹阿瞞くらいのサイコパスがちょうど良かった
帝との狩猟場での曹操の無礼な振舞いに怒り斬ろうとして劉備に止められたが、ここで曹操を斬っておけばよかったとほんとに思う。劉備余計な事すんなや、って思った
信長と家康みたいな関係だったのかな
鳳統が生きていたらな
関羽雲長、五虎大将軍の一人だな。
それどころか筆頭(゜∀゜)!
関羽は美化されすぎ あと5年荊州で戦力整え、孫呉と良好な関係作っとけば、魏打倒は夢物語ではなかった 戦略的観点から見てもただの暴挙 それでも樊城をあと一歩まで追い詰めたから兵の統率力は、間違いない
戦力は万全だったと思います。だからこそ曹仁・満寵・于禁・ホウ徳をも完封しているわけですし。まぁ、結果論として五年後には既に曹操が没していますから、その辺りに付け入る隙は生まれそうですが、流石にそれは予知できないものでしょう。そう考えると戦略的に、あのタイミングでの北進は決して間違いでは無かったと私は思っています。
孫呉との関係は本当に難しい。互いが互いに悪感情を持っている状態ですから、関羽の方が先に折れるということも出来ないでしょう。それを見越しての孫権の戦術が巧み過ぎたというのはありますね。
白でも黒でもない。そういった外交を主導できる人物、諸葛亮や龐統がやはり荊州に残っていれば。
こればかりは関羽だけの責任にするのは酷な話でしょう。
戦略的観点とはについて 荊州は、蜀にとって打倒魏の最重要拠点で失う事は、あってはならない それなのに、孫呉に対する対応をおろそかにし、防衛戦力も最小限にし出陣した挙げ句、荊州失陥している 人気あるから許されてるが、馬謖の次に大戦犯だと思う あと戦力整ってたは違うかな…、主力級の武将が関羽のみでは…満足な後詰の部隊も用意していなかったみたいですし…
@@お気楽ご酒楽蜀方面に主力が殆ど行ってしまい支えられる参謀も馬良のみ
如何に龐統の死がデカすぎるかがわかります
@@アイーン四郎 曹仁から見たら樊城(207年)では一度やられているので見事な逆襲劇だったな。
@@大坂智義 確かに 落ちたら都の喉元に刃入るほど重要な樊城ですから 曹仁と満寵の粘りだけでなく関羽勢の兵糧の少なさも見越していた見事な勝利
横山三国志で唯一figmaが発売されているほど人気
みんなだいすき
関羽は孫権が曹操に形だけ藩国の礼出して臣従してたから「あまり信用できない」という見方かつ、後方の食料を湘水(零陵から長沙辺り跨ぐ河川)→長江→漢水と輸送する構想だったが何急に邪魔(関税とか?)してるの・・・て認識。縁談拒否も長男の孫登はまだ10歳(しかも周瑜の娘と婚約済)で孫慮も6歳だし前線のウチに言われても・・・ってか貴国の豪族が絶対文句言うでしょって感じだったんかね
呉と魏の国境で談合した上で合肥での小競り合いby揚州刺史温恢+張遼も招集→呂蒙呼ぶ(フリ))同時に二国で挟まないと倒せなかったってのがバケモンなんだよなぁ関羽。一歩間違ってたら220年から劉備と合流してた江陵固められてたかもしれん(間に合わなかったが援軍を先に出してる)
縁談に関しては、先に劉備に話を通すのが筋じゃない?って感じもあるのかなぁ、なんて個人的には感じてますね。
にしても対応の悪さは目立ちますが(笑)