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どの動画も面白いです😊前略、歴史を語ってみた。さんの活動を応援します。
多大なるご支援ありがとうございます!そう言っていただけてとても嬉しいです☺️良い動画をお届けできるよう精進いたします。今後ともよろしくお願いします🙇♂️
死後、あれだけ統治民に愛されたり、処分した李厳や廖立から惜しまれたりしたのって、演技のフィクションよりものすごいことのように思える
あくまで個人的な感想だけど、なんかそれゆえに出来すぎてる印象があるんだよな…陳寿が作り上げた英雄物語のように感じられてしまう
@@NY-cz5to さん孔明の神のような軍略が目立つ三国志演義を書いたのは施耐庵あるいは羅貫中で陳寿ではない。陳寿は蜀に仕えてるけど孔明に対して「臨機応変の軍略は、彼の得手ではなかったからであろうか」と客観的な評価をしてる。
その話自体、演義の物ですけどね。民に愛されてたどうか分からないし、李厳や廖立は諸葛亮が死んで復職出来なくなったことを嘆いたんでね。所詮、世襲の酷い荘園持ちの名家がお互いを褒めちぎってた時代の記録なんで。三国志自体が過大評価ですよ。
@@nami4566jj 陳寿は諸葛亮と同時代ではないけど元蜀臣で、諸葛亮集という本の編纂もしている孔明オタクみたいな人だった。晋の宮廷で蜀出身の者の立場を良くするためにも「おらが村の英雄」をかなり持ち上げてる印象があるんだよね〜。たまに指摘してる人もいるど、諸葛亮が権力を握るまでの権力闘争の過程が一切描かれていなかったりと聖人のように書きすぎてるイメージ。
@@nami4566jj 疑問形なのがミソだと思う。「なんで勝てなかった理由が思いつかない。強いて言うなら…」みたいな感じで申し訳程度にバランス取ろうとしたのか、「そう思うくらいしか理由のつけようがない」と言いたかったのかもしれない。 公孫淵や孟達戦みたく速攻が得意な司馬懿が速攻捨てないといけない人間がどれほどいるのやら
夷陵で蜀漢が滅亡寸前にならなければ諸葛亮が最高権力者になることもなかった可能性もありますね。ですが諸葛亮は演義成立前の唐の時代に三國志の人物で唯一の武廟十哲に選ばれています。出師の表がその選ばれた理由かとは思いますが、北伐を繰り返してもなお国力を保った点、あそこまで国を牛耳っていながら臣下に徹したという点が評価されているのかもしれません。
雲梯の発明とか饅頭の切っ掛けとかあれらも実際のところはどうだったのだろうか。
すんません…「雲梯」は「墨子」のストーリーの中にあって、墨子は雲梯の対抗策をしてます。饅頭は知らんけど…
饅頭の話は確か、荒れる川に生贄の代わりに人の頭を模した饅頭を投げ入れて鎮めたってヤツだな。あれも創作って聞いた事がある。
@@八人目の名探偵 さん5月の節句の笹餅の起源…伍子胥を供養するために川に笹でくるんだお餅をあげます…どっかで聞いた覚えが…屈原だったかな?
空中浮揚とビームを撃つからやっぱり、天才ww😊
軍師というより優れた政治家と法律家って感じですね。孔明の軍略の疑問を抱く人が少なくないですが荊州を失陥してる時点でもう天下三分の計は頓挫してるのですよね。7倍の勢力に対して互角以上の戦いをしたのですからね。よく戦ったと言えるでしょう。孔明がいなかったら劉備が死去とともに滅亡の道へ行ってたでしょう。
何度も敵地に侵略して相手の前線すら突破できずに死亡しているのは互角以上ではないよ…
@@NY-cz5to 国力を考えると互角以上ですよ?第一北伐は馬謖が失敗する前は天水・南安・安定を手にしてますし、第三北伐では武都・陰平を平定してます。それに撤退戦では敵将を討ち取ってます。王双や張郃など第四次では李厳の補給の失態が大きいでしょ。元々勝ち目がない戦いなのに善戦でしょ。相手は7倍の国力ですよ。
@@ユーケン 実際に7倍の数の敵と対峙したわけではなく、呉や北方・西方などの異民族の対応もせざるを得なかった魏の弱点を突いて侵略したものの曹叡が自ら指揮してそれらを各個撃破したら手詰まりになったのが現実そして「孔明がいなかったら」はただの仮定で、孔明がいても蜀は滅亡しているのが現実中国史全体で見たら地方弱小政権の宰相がなぜそこまで評価が高いのかは興味深いけども、現実はこうだと思うんだけどなあ
@@ユーケン 撤退後はすぐに拠点を取り返されてるし、国力7倍と言っても蜀方面に向けられるのはそのうち何割かというか呉や異民族、荊州の孟達らと共闘する予定だったはずがその選択肢をことごとく潰されて諸葛亮はもう手詰まりになっていたのは曹叡が芝居に送った書簡からも見て取れる
政治家としては超一流かと夷陵の戦いでボロボロになった蜀漢を立て直したし
「天才の裏側は地味なもの」というのを史実の孔明から教えてもらった感じがする実際、大業を成すには地味で小さな作業の積み重ねの連続。史実の孔明もいい
いやまぁ普通に無茶苦茶とんでもなく凄い人だよね、と
曹操の水軍が都合よく火矢を用いていないのがワロ~ス
政戦両略の人でしょうな諸葛亮は
諸葛亮の知力100に違和感を覚えてました…政治100なら納得ですが…演義の作者の羅漢中はなぜ赤壁合戦で水軍司令官の周瑜が風向きを読めなかったのかとか色々ツッコミどころが多いエピソードがありますね…😅
正史ー1流演義ー超1流
劉備の下に諸葛亮が加わった直後に、劉表〇亡&劉宗降伏。じゃあ劉宗が曹操に荊州を渡す前に奪っちゃおうぜYOU!ってのが諸葛亮最初の献策って言われてるね。
演義で周瑜が矢を作るのに依頼した納期は10日?で諸葛亮自身が3日で用意すると答えたんだったと記憶。
ここまで着色されてるのは知らなかった。ためになる笑
孔明はどっちにしろ報われてるけど、周瑜は演義が強すぎてめっちゃ小物にされてるイメージ。蜀の荊州領有も周瑜が許可してたらしいし、もっと人格的に高邁な人物だったと思う。
三国志の物語は、その多くが面白おかしく描かれた創作であったのは、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」に似てると思います。歴史家の加来耕三さんによると、龍馬の幼少期の記録はないし、龍馬が千葉道場にいたということはあり得ない、これらは全て創作だとしています。しかし、実際の龍馬は創作よりももっと凄い人物だっただろうとも言っています。加来耕三さんは小説でこのような創作がされることは悪いことではない、先ずは、多くの人に興味を持ってもらうことの方が大事と言っていたと思います。その上で、史実を追求すれば良いと。
三国志演義の主人公、前半は劉備で後半は孔明と言われる。もし孔明が後世の人たちに慕われるような人物でなかったら、三国志はここまで面白い物語にはなっていなかった可能性もある。創作された功績も多いとはいえ、そういう意味では三国志を世界に広める最大の功労者とも言える。
孔明の唯一の弱点は自身が万能の天才であったということです。孔明よりまかせられる才能のある部下などいなかった。
広大な中国で演義通りの活躍が出来たなら超能力です😂だけど真面目な人だったのかなと思います。
正史でもあの司馬懿三国志最恐司令官と言える人物が勝てなかった。むしろ何度も煮え湯を飲まされた。
何度もって、諸葛亮と司馬懿が戦ったのって4次と5次北伐の2回だけ。しかも4次の時、司馬懿は裏方で指揮は取っておらず、正面から激突したのは5次北伐の1回だけで、諸葛亮の〇期が近い事を察していた司馬懿がひたすら守勢に回って諸葛亮の餌に喰いつかなかっただけ。『〇せる孔明、生ける仲達を走らす』は諸葛亮が亡くなって撤退する蜀軍を追撃する魏軍が、突然転進した魏延の部隊に対し、『これは孔明の罠か!?ヤツはまだ生きている!」って勘違いして一時撤退したって話だからね。
凡人とは言わない凄いとは思うけど司馬懿好きな俺的には…
17:35 馬岱も裏切ったらどうすんw
惜しむらくは、諸葛亮以上の人材がいなかったことだろうか。一応後も費禕、姜維などが蜀を支えてはいるが
2人を足して割らず、更にオプションをいくつか付けたのが諸葛亮だからな
名軍師ではなく名宰相なんよ魏びいきの三国志正史で称賛されていることから、天才だったのは確かが、国力差を無視した北伐はやるべきではなかったね
全く同感ですただ北伐に関しては蜀漢建国の名分的に、無理だと分かった上でやらなくてはならなかったと思います
北周が巴蜀&関中&河西回廊から天下平定してるので後世の事例から見てもスタートが巴蜀だけでも関中確保したら十分天下狙えます。諸葛亮や姜維が何度も北伐したのもその為
ほっといたら隴西に拠点築かれ、漢中をスルーした攻撃ルート作られてで詰みなんですよ。現に鄧艾に築かれて漢中の守りを武都に割かないといけなくなって蜀は終わった。だから常に戦い続けて攻勢防御しかけないといけない。引き籠ってたら最悪、郭淮・張コウ・司馬懿・曹真らの二方、三方攻撃という悪夢の光景に…
1回目の北伐が成功して涼州を手に入れていたら国力差を拮抗まで持って行けた可能性まであるからな、やはり諸葛亮北伐の最大の戦犯は、命令を無視した馬謖かもしれない。
個人的に諸葛亮は石田三成とイメージがめっちゃかぶるあくまで法に厳格な兵站のスペシャリストであり、自ら軍を率いるタイプではないので北伐と関ヶ原でしくじったような感じ。
諸葛亮が毛利元就だったら蜀が統一してたのかなと思います
そもそも赤壁の戦いで、曹軍は疫病で撤退した説あるし、開戦して敗走しても、曹軍の主たる大将の死亡などの記述がないので、赤壁の戦い自体の信憑性が疑われている
軍略に関しては龐統と法正内政に関しては諸葛亮と評されてますね。惜しむべきは龐統の早過ぎる戦死法正の病死ですね。
中国ならではのフィクションに光栄や漫画家はぼろ儲け。正史三国志が映画化されても当たらないだろうしね。
どちらかというと諸葛亮の功績で後世に評価されているのは、内政官としてですね。北伐前にボロボロだった蜀を立て直したのが評価されていると思う。軍略家としては平凡だったのではないかと。
小説(演義)のモデルになったことは彼の忠節一徹の清廉な人生に何の支障もないはず完璧な内政家であり完璧な主君の遺言を全うした偉人でした。軍人ではないのですよ彼は。
そりゃ有能だったとは思うけど、大きな間違いもたくさんしているからね。①関羽に荊州を任せた②個人の好き嫌いで人事を決める③重税で北伐を繰り返す④劉備の呉侵攻を止められなかったそれでも蜀の中では欠かせない人物だったとは思うけど。
①関羽以外に荊州を任せられる人物がいない②少なくとも公平よりでは?よく言われる魏延は北伐の大駒として重用してるし③季漢が北伐しない場合、諸葛亮は立場を追われ国がもっと早い段階で崩壊する④劉備一派の面子を潰した孫権に落とし前付けなきゃ劉備は腰抜け扱いされちゃう(だから曹丕も孫権を攻めたわけで
@@matukawatositane 補足③重税を課して尚、反感を持たれず、寧ろ敬われた諸葛亮のずば抜けた政治的手腕④義を重んじるからこそ、劉備・蜀漢は慕われ多くの人材が集まった。故に筋を通す為にも落とし前つけないと離反される恐れがあるから延期以外の方法が無かった。関羽〇亡から夷陵の戦いまで2年も経ってるから、それだけ我慢させただけでも充分凄い。
@@matukawatositane 他は結果論でどうとでも言えるけど、②に関しては北伐で劉備や他の重臣が反対したのを押し切ってお気に入りの馬謖を重用し、ああいうことになったのでこう言われてもしょうがない
@@NY-cz5to 馬謖は少なくとも街帝まではそうなくこなしてるんすよね…そも先帝が夷陵で人材を冥府に送ってなきゃみたいな面はあるし
@@matukawatositane この時、重臣らは「戦闘経験が豊富な魏延や呉懿の方がいい」と進言しているし他にも李厳などもいたが経験の浅い馬謖に先鋒を命じているので他に人材がいなかったというのは違うかなと。逆に劉備の頃からの武闘派を意識して排除していた感じもあり、秀吉が関東攻略の時に石田三成に忍城攻めを命じたように自分の子飼いの武将に経験を積ませたかったんだろうなあと。
まぁ天才軍師は法正だけ!法正が生きていたら魏にも勝てたな
劉備亡き後は孔明が政務と後方支援、北伐は法正が指揮を執っていたしていたでしょうね。ただし、法正は性格に難ありなので軍内でいざこざを起こしそうです。なので蒋琬などを帯同させる必要がありますね。ただし、夷陵の戦いに参戦して勝利して荊州を取り戻すとかしてない限りは、国力の差を考えると法正がいたとしても厳しかったと思います。
どの動画も面白いです😊
前略、歴史を語ってみた。さんの活動を応援します。
多大なるご支援ありがとうございます!
そう言っていただけてとても嬉しいです☺️
良い動画をお届けできるよう精進いたします。
今後ともよろしくお願いします🙇♂️
死後、あれだけ統治民に愛されたり、処分した李厳や廖立から惜しまれたりしたのって、演技のフィクションよりものすごいことのように思える
あくまで個人的な感想だけど、なんかそれゆえに出来すぎてる印象があるんだよな…
陳寿が作り上げた英雄物語のように感じられてしまう
@@NY-cz5to さん
孔明の神のような軍略が目立つ三国志演義を書いたのは施耐庵あるいは羅貫中で陳寿ではない。
陳寿は蜀に仕えてるけど孔明に対して「臨機応変の軍略は、彼の得手ではなかったからであろうか」と客観的な評価をしてる。
その話自体、演義の物ですけどね。
民に愛されてたどうか分からないし、李厳や廖立は諸葛亮が死んで復職出来なくなったことを嘆いたんでね。
所詮、世襲の酷い荘園持ちの名家がお互いを褒めちぎってた時代の記録なんで。三国志自体が過大評価ですよ。
@@nami4566jj 陳寿は諸葛亮と同時代ではないけど元蜀臣で、諸葛亮集という本の編纂もしている孔明オタクみたいな人だった。
晋の宮廷で蜀出身の者の立場を良くするためにも「おらが村の英雄」をかなり持ち上げてる印象があるんだよね〜。
たまに指摘してる人もいるど、諸葛亮が権力を握るまでの権力闘争の過程が一切描かれていなかったりと聖人のように書きすぎてるイメージ。
@@nami4566jj 疑問形なのがミソだと思う。「なんで勝てなかった理由が思いつかない。強いて言うなら…」みたいな感じで申し訳程度にバランス取ろうとしたのか、「そう思うくらいしか理由のつけようがない」と言いたかったのかもしれない。 公孫淵や孟達戦みたく速攻が得意な司馬懿が速攻捨てないといけない人間がどれほどいるのやら
夷陵で蜀漢が滅亡寸前にならなければ諸葛亮が最高権力者になることもなかった可能性もありますね。
ですが諸葛亮は演義成立前の唐の時代に三國志の人物で唯一の武廟十哲に選ばれています。
出師の表がその選ばれた理由かとは思いますが、北伐を繰り返してもなお国力を保った点、あそこまで国を牛耳っていながら臣下に徹したという点が評価されているのかもしれません。
雲梯の発明とか饅頭の切っ掛けとかあれらも実際のところはどうだったのだろうか。
すんません…「雲梯」は「墨子」のストーリーの中にあって、墨子は雲梯の対抗策をしてます。
饅頭は知らんけど…
饅頭の話は確か、荒れる川に生贄の代わりに人の頭を模した饅頭を投げ入れて鎮めたってヤツだな。
あれも創作って聞いた事がある。
@@八人目の名探偵 さん
5月の節句の笹餅の起源…伍子胥を供養するために川に笹でくるんだお餅をあげます…どっかで聞いた覚えが…
屈原だったかな?
空中浮揚とビームを撃つからやっぱり、天才ww😊
軍師というより優れた政治家と法律家って感じですね。
孔明の軍略の疑問を抱く人が少なくないですが荊州を失陥してる時点でもう天下三分の計は頓挫してるのですよね。
7倍の勢力に対して互角以上の戦いをしたのですからね。
よく戦ったと言えるでしょう。
孔明がいなかったら劉備が死去とともに滅亡の道へ行ってたでしょう。
何度も敵地に侵略して相手の前線すら突破できずに死亡しているのは互角以上ではないよ…
@@NY-cz5to
国力を考えると互角以上ですよ?
第一北伐は馬謖が失敗する前は天水・南安・安定を手にしてますし、第三北伐では武都・陰平を平定してます。
それに撤退戦では敵将を討ち取ってます。
王双や張郃など
第四次では李厳の補給の失態が大きいでしょ。
元々勝ち目がない戦いなのに善戦でしょ。
相手は7倍の国力ですよ。
@@ユーケン 実際に7倍の数の敵と対峙したわけではなく、呉や北方・西方などの異民族の対応もせざるを得なかった魏の弱点を突いて侵略したものの
曹叡が自ら指揮してそれらを各個撃破したら手詰まりになったのが現実
そして「孔明がいなかったら」はただの仮定で、孔明がいても蜀は滅亡しているのが現実
中国史全体で見たら地方弱小政権の宰相がなぜそこまで評価が高いのかは興味深いけども、現実はこうだと思うんだけどなあ
@@ユーケン 撤退後はすぐに拠点を取り返されてるし、国力7倍と言っても
蜀方面に向けられるのはそのうち何割か
というか呉や異民族、荊州の孟達らと共闘する予定だったはずが
その選択肢をことごとく潰されて諸葛亮はもう手詰まりになっていたのは
曹叡が芝居に送った書簡からも見て取れる
政治家としては超一流かと
夷陵の戦いでボロボロになった蜀漢を立て直したし
「天才の裏側は地味なもの」というのを史実の孔明から教えてもらった感じがする
実際、大業を成すには地味で小さな作業の積み重ねの連続。史実の孔明もいい
いやまぁ普通に無茶苦茶とんでもなく凄い人だよね、と
曹操の水軍が都合よく火矢を用いていないのがワロ~ス
政戦両略の人でしょうな諸葛亮は
諸葛亮の知力100に違和感を覚えてました…政治100なら納得ですが…
演義の作者の羅漢中はなぜ赤壁合戦で水軍司令官の周瑜が風向きを読めなかったのかとか色々ツッコミどころが多いエピソードがありますね…
😅
正史ー1流
演義ー超1流
劉備の下に諸葛亮が加わった直後に、劉表〇亡&劉宗降伏。
じゃあ劉宗が曹操に荊州を渡す前に奪っちゃおうぜYOU!ってのが諸葛亮最初の献策って言われてるね。
演義で周瑜が矢を作るのに依頼した納期は10日?で諸葛亮自身が3日で用意すると答えたんだったと記憶。
ここまで着色されてるのは知らなかった。ためになる笑
孔明はどっちにしろ報われてるけど、周瑜は演義が強すぎてめっちゃ小物にされてるイメージ。蜀の荊州領有も周瑜が許可してたらしいし、もっと人格的に高邁な人物だったと思う。
三国志の物語は、その多くが面白おかしく描かれた創作であったのは、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」に似てると思います。歴史家の加来耕三さんによると、龍馬の幼少期の記録はないし、龍馬が千葉道場にいたということはあり得ない、これらは全て創作だとしています。しかし、実際の龍馬は創作よりももっと凄い人物だっただろうとも言っています。加来耕三さんは小説でこのような創作がされることは悪いことではない、先ずは、多くの人に興味を持ってもらうことの方が大事と言っていたと思います。その上で、史実を追求すれば良いと。
三国志演義の主人公、前半は劉備で後半は孔明と言われる。
もし孔明が後世の人たちに慕われるような人物でなかったら、三国志はここまで面白い物語にはなっていなかった可能性もある。
創作された功績も多いとはいえ、そういう意味では三国志を世界に広める最大の功労者とも言える。
孔明の唯一の弱点は自身が万能の天才であったということです。孔明よりまかせられる才能のある部下などいなかった。
広大な中国で演義通りの活躍が出来たなら超能力です😂だけど真面目な人だったのかなと思います。
正史でもあの司馬懿三国志最恐司令官と言える人物が勝てなかった。むしろ何度も煮え湯を飲まされた。
何度もって、諸葛亮と司馬懿が戦ったのって4次と5次北伐の2回だけ。しかも4次の時、司馬懿は裏方で指揮は取っておらず、
正面から激突したのは5次北伐の1回だけで、諸葛亮の〇期が近い事を察していた司馬懿がひたすら守勢に回って諸葛亮の餌に喰いつかなかっただけ。
『〇せる孔明、生ける仲達を走らす』は諸葛亮が亡くなって撤退する蜀軍を追撃する魏軍が、突然転進した魏延の部隊に対し、
『これは孔明の罠か!?ヤツはまだ生きている!」って勘違いして一時撤退したって話だからね。
凡人とは言わない凄いとは思うけど司馬懿好きな俺的には…
17:35 馬岱も裏切ったらどうすんw
惜しむらくは、諸葛亮以上の人材がいなかったことだろうか。一応後も費禕、姜維などが蜀を支えてはいるが
2人を足して割らず、更にオプションをいくつか付けたのが諸葛亮だからな
名軍師ではなく名宰相なんよ
魏びいきの三国志正史で称賛されていることから、天才だったのは確か
が、国力差を無視した北伐はやるべきではなかったね
全く同感です
ただ北伐に関しては蜀漢建国の名分的に、無理だと分かった上でやらなくてはならなかったと思います
北周が巴蜀&関中&河西回廊から天下平定してるので後世の事例から見てもスタートが巴蜀だけでも関中確保したら十分天下狙えます。
諸葛亮や姜維が何度も北伐したのもその為
ほっといたら隴西に拠点築かれ、漢中をスルーした攻撃ルート作られてで詰みなんですよ。現に鄧艾に築かれて漢中の守りを武都に割かないといけなくなって蜀は終わった。
だから常に戦い続けて攻勢防御しかけないといけない。引き籠ってたら最悪、郭淮・張コウ・司馬懿・曹真らの二方、三方攻撃という悪夢の光景に…
1回目の北伐が成功して涼州を手に入れていたら国力差を拮抗まで持って行けた可能性まであるからな、
やはり諸葛亮北伐の最大の戦犯は、命令を無視した馬謖かもしれない。
個人的に諸葛亮は石田三成とイメージがめっちゃかぶる
あくまで法に厳格な兵站のスペシャリストであり、自ら軍を率いるタイプではないので
北伐と関ヶ原でしくじったような感じ。
諸葛亮が毛利元就だったら蜀が統一してたのかなと思います
そもそも赤壁の戦いで、曹軍は疫病で撤退した説あるし、開戦して敗走しても、曹軍の主たる大将の死亡などの記述がないので、赤壁の戦い自体の信憑性が疑われている
軍略に関しては龐統と法正
内政に関しては諸葛亮と評されてますね。
惜しむべきは龐統の早過ぎる戦死
法正の病死ですね。
中国ならではのフィクションに光栄や漫画家はぼろ儲け。正史三国志が映画化されても当たらないだろうしね。
どちらかというと諸葛亮の功績で後世に評価されているのは、内政官としてですね。北伐前にボロボロだった蜀を立て直したのが評価されていると思う。軍略家としては平凡だったのではないかと。
小説(演義)のモデルになったことは彼の忠節一徹の清廉な人生に何の支障もないはず
完璧な内政家であり完璧な主君の遺言を全うした偉人でした。軍人ではないのですよ彼は。
そりゃ有能だったとは思うけど、大きな間違いもたくさんしているからね。
①関羽に荊州を任せた
②個人の好き嫌いで人事を決める
③重税で北伐を繰り返す
④劉備の呉侵攻を止められなかった
それでも蜀の中では欠かせない人物だったとは思うけど。
①関羽以外に荊州を任せられる人物がいない
②少なくとも公平よりでは?よく言われる魏延は北伐の大駒として重用してるし
③季漢が北伐しない場合、諸葛亮は立場を追われ国がもっと早い段階で崩壊する
④劉備一派の面子を潰した孫権に落とし前付けなきゃ劉備は腰抜け扱いされちゃう(だから曹丕も孫権を攻めたわけで
@@matukawatositane 補足
③重税を課して尚、反感を持たれず、寧ろ敬われた諸葛亮のずば抜けた政治的手腕
④義を重んじるからこそ、劉備・蜀漢は慕われ多くの人材が集まった。故に筋を通す為にも落とし前つけないと離反される恐れがあるから延期以外の方法が無かった。
関羽〇亡から夷陵の戦いまで2年も経ってるから、それだけ我慢させただけでも充分凄い。
@@matukawatositane
他は結果論でどうとでも言えるけど、②に関しては北伐で劉備や他の重臣が反対したのを
押し切ってお気に入りの馬謖を重用し、ああいうことになったのでこう言われてもしょうがない
@@NY-cz5to 馬謖は少なくとも街帝まではそうなくこなしてるんすよね…
そも先帝が夷陵で人材を冥府に送ってなきゃみたいな面はあるし
@@matukawatositane この時、重臣らは「戦闘経験が豊富な魏延や呉懿の方がいい」と進言しているし他にも李厳などもいたが経験の浅い馬謖に先鋒を命じているので他に人材がいなかったというのは違うかなと。
逆に劉備の頃からの武闘派を意識して排除していた感じもあり、秀吉が関東攻略の時に石田三成に忍城攻めを命じたように自分の子飼いの武将に経験を積ませたかったんだろうなあと。
まぁ天才軍師は法正だけ!法正が生きていたら魏にも勝てたな
劉備亡き後は孔明が政務と後方支援、北伐は法正が指揮を執っていたしていたでしょうね。
ただし、法正は性格に難ありなので軍内でいざこざを起こしそうです。
なので蒋琬などを帯同させる必要がありますね。
ただし、夷陵の戦いに参戦して勝利して荊州を取り戻すとかしてない限りは、国力の差を考えると法正がいたとしても厳しかったと思います。