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8:21 対策委員会編2章16話より名前を拝借しているとあるので、恐らくデカグラマトンを作ったゲマトリアと今のゲマトリアは別物なのかな〜と感じてます
ありそうだ・
アインソフオウルは旧時代の生き残りで彼女らが望んだものをデカグラマトンが創り出したのでは?
デカグラマトンの預言者たちの総力戦の前に挟まる小話の語り部が黒服なんですけどデカグラマトンの正体を知らなさそうな語り口が気になりますね
確かに~!
喋っていることが頭に入ってきて見ていて飽きなかったです。デカクラマトンが自我を持っているようにプログラムされたという視点は持っていなかったので思わず「おお〜」と声が出てしまいました。これからも動画作ろ頑張ってください
やはり期待に違わない興味深い動画でした!デカグラマトン周りは色んな意味で男のロマンを詰め込んだ感じがしてまた独特な興奮を感じます
男の子は好きそうよね
アイン ソフ オウルがマルクトに対して「お姉様」呼びするのは、AIや機械ゆえの価値観かも例えば、鉄腕アトムの両親は、アトムの後から作られていたし固定電話の親機と子機も、親機だけ最新の物に換えても呼び方は変わらないどっちが先に生まれたかではなく、役割で親と子、姉と妹が決まる感じなのかな
この辺りは本当に謎なところよな
3人がそれぞれ目耳口を隠しているのはどんな意味があるんだろうねぇ
デカグラマトンの目的それに近しいものは最終編1章のゲマトリア会議で黒服が触れた神聖の再臨「パルーシア」にあるのではないでしょうかこれについて詳しくはないですが、キリストと同じ道を辿る事で自らの復活を果し、神となる。そのあたりでしょうか?
前回の百花繚乱イベもだけど、敵の動機や出方が明らかにならないと盛り上がりづらいですよね。いずれにしろ今回は残念でしたが今後に期待です
まあそこはそうだよね。特に文章媒体はね。
考察お疲れ様です。個人的に、こういう風に徐々とベールを剥がしていく物語構造は大好物だし、デカグラマトン関連の設定もかなり興味深く感じているので、デカグラマトン編はブルアカのストーリーの中でも特に楽しみにしているもののひとつです。だがしかし、確かに進展はゆっくり目なので、歯痒い感じがするのも頷けますね。中国語の部屋は、考えさせてくれるのにいい例だと思います。Tさんと同じく、自分もこの実験は少々見当外れなところがあると思っていますが、理由はちょっと違います。肝心なところは「内容を理解せずに出力されたものは、果たして意識が含まれているのだろうか」と言う一点にあるので、欧米人が人間であり、時間が経つのにつれ経験則により学習・成長ができる点は、勘定に入れなくてもいいと言うか、本筋から外れた詭弁じみた論点になりかねないとは思います。が、この実験で、AIは自我を持つかどうかを証明できるかと言うと、そうも思いません。何故かと言うと、この実験は前提から否定しているだけで、証明はしていません。欧米人は漢字が理解できない。これがこの実験の大前提です。この前提をAIのプロセルに置き換えると、「AIは入力されたものを理解できない」と言うものになります。そうしたら確かに、AIに自我があるとは言えないと、感じる人は多いでしょう。しかしながら、AIに「自我があるかないか」の判断は、そもそも「理解できるかどうか」と言う点にあると思うので、中国語の部屋はそれを前提からして否定しているのです。「部屋の中の人間は果たして漢字を理解できるかどうか」・「理解したとどうやったら証明できるのか」、論じるべき点はこんな感じのものだと思います。思うに、主観世界において、たとえ相手が人間でも、自我を持っていることを証明するのは、不可能だと思います。自分ではないからです。自分以外の人間の、自我や感情に見えるものが、実は全部精密にプロフラムされたものでないと、どうやって証明するのでしょうか?どんなに論理立てて証明しようにも、結局は「自分」と言う根拠と照らし合わせたうえでの「推論」にしかなりません。主観と言うものの面倒くさい所ですが、私たちは「あると信じる」しかできないのです。こういう観点なので、どんな過程やプロセスで生まれた自我にせよ、個人的には、「あると感じたもの」、「あると信じたいもの」は、あると見なしていいと思っています。少なくとも、基本最低限の尊重をあげたいです。相手がAIでも人間でも、そこに「心がない」と思い蔑ろにするより、「心がある」と言う前提で接した方が、円満な世界に近付けると思っているからです。それはそれとして、Tさんの言う「デカグラマトンの自我は外からの干渉によるもの」と言う観点には賛成です。「単純に自販機のプログラムから進化した」と言うことよりも、理にかなっていますからね。それは確かにそうですわ。アイン・ソフ・オウルと言う生命の樹の原初たる無限光が、10番目のセフィラであるマルクトを姉と称するのは、確かに元ネタからすると違和感はありますが、そもそも、預言者たちがセフィラの名前を冠するのも、アイン・ソフ・オウルの三人がこう名乗るのも、あくまでも「自称」でしかないはずなので、それぞれが意味するところにぴったりハマらなくても、あまり気にしなくてもいいのかも知れません。やや短絡的な考え方ですが、マルクトと言う存在を生み出したい(呼び起こしたい)から、アイン・ソフ・オウルと名乗っているだけなのかも知れません。預言者をサポートするエンジニアと言う立ち位置にも気になりますし、本当に続きが楽しみで待ち遠しいですね。
突き詰めると、自意識を持った個々人にとっての世界の在り方って、唯我論で間違いないからな~。
8:21 対策委員会編2章16話より名前を拝借しているとあるので、恐らくデカグラマトンを作ったゲマトリアと今のゲマトリアは別物なのかな〜と感じてます
ありそうだ・
アインソフオウルは旧時代の生き残りで彼女らが望んだものをデカグラマトンが創り出したのでは?
デカグラマトンの預言者たちの総力戦の前に挟まる小話の語り部が黒服なんですけどデカグラマトンの正体を知らなさそうな語り口が気になりますね
確かに~!
喋っていることが頭に入ってきて見ていて飽きなかったです。
デカクラマトンが自我を持っているようにプログラムされたという視点は持っていなかったので思わず「おお〜」と声が出てしまいました。
これからも動画作ろ頑張ってください
やはり期待に違わない興味深い動画でした!デカグラマトン周りは色んな意味で男のロマンを詰め込んだ感じがしてまた独特な興奮を感じます
男の子は好きそうよね
アイン ソフ オウルがマルクトに対して「お姉様」呼びするのは、AIや機械ゆえの価値観かも
例えば、鉄腕アトムの両親は、アトムの後から作られていたし
固定電話の親機と子機も、親機だけ最新の物に換えても呼び方は変わらない
どっちが先に生まれたかではなく、役割で親と子、姉と妹が決まる感じなのかな
この辺りは本当に謎なところよな
3人がそれぞれ目耳口を隠しているのはどんな意味があるんだろうねぇ
デカグラマトンの目的それに近しいものは最終編1章のゲマトリア会議で黒服が触れた神聖の再臨「パルーシア」にあるのではないでしょうか
これについて詳しくはないですが、キリストと同じ道を辿る事で自らの復活を果し、神となる。そのあたりでしょうか?
前回の百花繚乱イベもだけど、敵の動機や出方が明らかにならないと盛り上がりづらいですよね。いずれにしろ今回は残念でしたが今後に期待です
まあそこはそうだよね。特に文章媒体はね。
考察お疲れ様です。
個人的に、こういう風に徐々とベールを剥がしていく物語構造は大好物だし、デカグラマトン関連の設定もかなり興味深く感じているので、デカグラマトン編はブルアカのストーリーの中でも特に楽しみにしているもののひとつです。
だがしかし、確かに進展はゆっくり目なので、歯痒い感じがするのも頷けますね。
中国語の部屋は、考えさせてくれるのにいい例だと思います。
Tさんと同じく、自分もこの実験は少々見当外れなところがあると思っていますが、理由はちょっと違います。
肝心なところは「内容を理解せずに出力されたものは、果たして意識が含まれているのだろうか」と言う一点にあるので、欧米人が人間であり、時間が経つのにつれ経験則により学習・成長ができる点は、勘定に入れなくてもいいと言うか、本筋から外れた詭弁じみた論点になりかねないとは思います。
が、この実験で、AIは自我を持つかどうかを証明できるかと言うと、そうも思いません。
何故かと言うと、この実験は前提から否定しているだけで、証明はしていません。
欧米人は漢字が理解できない。これがこの実験の大前提です。
この前提をAIのプロセルに置き換えると、「AIは入力されたものを理解できない」と言うものになります。そうしたら確かに、AIに自我があるとは言えないと、感じる人は多いでしょう。
しかしながら、AIに「自我があるかないか」の判断は、そもそも「理解できるかどうか」と言う点にあると思うので、中国語の部屋はそれを前提からして否定しているのです。
「部屋の中の人間は果たして漢字を理解できるかどうか」・「理解したとどうやったら証明できるのか」、論じるべき点はこんな感じのものだと思います。
思うに、主観世界において、たとえ相手が人間でも、自我を持っていることを証明するのは、不可能だと思います。
自分ではないからです。
自分以外の人間の、自我や感情に見えるものが、実は全部精密にプロフラムされたものでないと、どうやって証明するのでしょうか?
どんなに論理立てて証明しようにも、結局は「自分」と言う根拠と照らし合わせたうえでの「推論」にしかなりません。
主観と言うものの面倒くさい所ですが、私たちは「あると信じる」しかできないのです。
こういう観点なので、どんな過程やプロセスで生まれた自我にせよ、個人的には、「あると感じたもの」、「あると信じたいもの」は、あると見なしていいと思っています。
少なくとも、基本最低限の尊重をあげたいです。
相手がAIでも人間でも、そこに「心がない」と思い蔑ろにするより、「心がある」と言う前提で接した方が、円満な世界に近付けると思っているからです。
それはそれとして、Tさんの言う「デカグラマトンの自我は外からの干渉によるもの」と言う観点には賛成です。
「単純に自販機のプログラムから進化した」と言うことよりも、理にかなっていますからね。それは確かにそうですわ。
アイン・ソフ・オウルと言う生命の樹の原初たる無限光が、10番目のセフィラであるマルクトを姉と称するのは、確かに元ネタからすると違和感はありますが、そもそも、預言者たちがセフィラの名前を冠するのも、アイン・ソフ・オウルの三人がこう名乗るのも、あくまでも「自称」でしかないはずなので、それぞれが意味するところにぴったりハマらなくても、あまり気にしなくてもいいのかも知れません。
やや短絡的な考え方ですが、マルクトと言う存在を生み出したい(呼び起こしたい)から、アイン・ソフ・オウルと名乗っているだけなのかも知れません。
預言者をサポートするエンジニアと言う立ち位置にも気になりますし、本当に続きが楽しみで待ち遠しいですね。
突き詰めると、自意識を持った個々人にとっての世界の在り方って、唯我論で間違いないからな~。