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こちらのTake2動画は、撮り直し再アップ動画となっております。『中陰』なぜ四十九日なの?動画の画面の色味の変化が多く見ずらかったため、youtube動画の差し替えができないことが判明したため再アップすることにいたしました。内容はほぼほぼ同じですが、より詳しくお話ししている部分もあります。よろしくお願いいたします。
コチラの動画も、ぜひ、ご覧ください。法話「人間、死んだらどうなるの?」ruclips.net/video/oFiOLfyN60Q/видео.html
父が亡くなりました。お金がなく私の精一杯のお金で49日の法事だけ東本願寺大谷派のお寺様に頼みました。意味を知って良かったです。ありがとうございます。
中村友子様祭壇の大きさ…献花の多さ…弔問客の多少…通夜葬式に使うお金の多少…そんなものは大切な大事な人の「お弔い」を執り行うのになんの関係もありません。確かに、「かたち」の無い「気持ち」を表すためには形は必要です。しかしその形にこだわるあまり、そこに「心」が伴わなければ…形はただの「かたち」にしかなりません。大切で重要なのは「命の繋がり」に気づいていくことなのです。中村友子様の「精一杯」(お金の話ではありません)のお気持ちがあればそれで良いのだと思います。合掌 高科 修
有難うございました。私は、小さな時亡くなった人が49迄魂が残って別れをしていると聞かされましたが間違いでしたね。勉強になりました🙏
高寺笑子様ご視聴、コメントありがとうございます。いろいろな宗教宗派がございますので、いろいろなお話しがございます。正しいとか間違いというお話しではございません。浄土真宗の宗教的解釈での『『中陰・四十九日』の捉え方であります。『亡くなった人が49迄魂が残って別れをしている』という宗教的解釈をなさっている宗教・宗派も御座います。お坊さんの小話の動画は浄土真宗真宗大谷派の僧侶が了解した話を動画にしております。生き方のお話しをしております。高寺笑子様が何を信じ、どのように生きていくのかは高寺笑子様のご自由でございます。 高寺笑子様が真に、心底頷くことが出来る宗教宗派の宗・軸を信じて生きていかれることを、切に切に願っております。南無阿弥陀仏合掌高科修
前回の『中陰』四十九日なの?を拝聴させて頂いた後、今まで出来ていなかった仏壇の前に毎日、座るという行為。が少しづつではありますが、実行できております。月忌参り(命日)しか念仏を唱えなかったこの私が、如来様の光をありがたく感じさせて頂いています。🙏今日もちゃんと地に足をつけて行けるように、宙ぶらりんのこの六道の心を戒めて南無阿弥陀仏と参らせて頂いています。以前、継続する大切さやその意味を教えて頂きましたが、毎日、仏壇の前に座らせて頂くというこの難しさ、大変さが今、身をもってしみじみを分かりました。(出来るようで出来ない困難さ)そして、笑われるかもしれませんが、煩悩まみれのこの身が言える立場ではありませんが、他人様の煩悩はできるだけ受け入れて、自分の煩悩はできる範囲で抑えることが出来る様にとも、仏壇の前で我が心に言い聞かせております。故人の命日ばかりでなく、法事などを通して、自分を振る変えり今後の生き方を見直すというこのありがたい仏事に答えていけたらなと思っています。今回もありがとうございました。🙇♀️南無阿弥陀仏🙏
M Kwaguchi様ご視聴、コメントありがとうございます。「笑いません!!」いえ「笑うことなど出来ません!!」自分を振り返る生き方を一歩一歩地に足をつけて歩まれているM Kwaguchi様をなぜ笑うことなど出来ますでしょうか。コメントから私もまたあらためて「気づかせて」頂きました。こちらこそ、ありがとうございました。合掌 高科 修
声聞、縁覚、菩薩、仏と言うのも入れて十界という考え方も聞いた事あります。十界互具と。私も真宗大谷派の門徒です。最近チャンネル登録させて頂き動画を拝見してます。ありがとうございます🙇♀️
夜間走行様ご視聴、コメントありがとうございます。十界互具…法華経に示された万人成仏の教えであります。浄土真宗大谷派は、浄土三部経を宗として選び!浄土三部経の教えを宗!とした宗教宗派であります。夜間走行様。そのことは、努々お忘れのないように……南無阿弥陀仏合掌高科修
ありがとうございました。六道、分かりやすいお話で考えさせられました。
とし爺様ご視聴、コメントありがとうございます。みんなが七歩目進めたら…世の中は、もう少し優しくなるのではといつも思っています。そしてそれが、本当の「豊かな世の中」であると。合掌 高科 修
いつも拝聴させて頂いてます。この法話をお聴きして、七歩歩けない私ですが、今が六道のどこいるのか、をホントに時折でも意識するようになりました。悲しいかな、地獄や餓鬼、畜生に居る事が多く思えてなりません。少しでも導師様に近づけるように、と思います。これからも有り難い話をお聴かせ下さいますように、お願い致します。
鯛タロー様ご視聴、コメントありがとうございます。私は鯛タロー様に、敬意と尊敬の念を感じます。鯛タロー様様は素敵な方です。鯛タロー様の今のお気持ちが…鯛タロー様の今、持ち続けている意思が…そう…『六道のどこにいるのか時折でも意識するようになりました』『悲しいかな、地獄や餓鬼、畜生に居る事が多く』のこの自覚が『七歩目にいる証し』であります。七歩目は、六道が無くなるのではありません。今の鯛タロー様のように、自分がどこにいるのかを自覚出来るが七歩目です。私たちは、私も含めて誰一人漏れることなくこの『六道』からは逃げれません。この六道を無くすことなど出来ません。ある意味…この六道があるのが人間だからです。だからこそ、今の自分がこの六道のどこにいるのかを自覚し、自分の出来る範囲で、自分のその時の精一杯の気持ちで、反省し学び、次に繋ぎながら生きていく。その事が一番大切で重要だと気づいて生きていく事が七歩目です。大丈夫です。私などに近づく必要はありません。鯛タロー様は鯛タロー様ご自身を目指してください。自分が描く素敵な自分を。大丈夫です。すでに鯛タロー様は素敵な人になられております。どうかそのまま、『六道のどこにいるのか時折でも意識するようになりました』『悲しいかな、地獄や餓鬼、畜生に居る事が多く』の意識・自覚を感じれる鯛タロー様でおられることを切に願っております。合掌高科修
六道の意味がよく分かりました。 今までの勘違い先入観が恥ずかしくなりました。 今回もありがとうございました。
井上好様ご視聴、コメントありがとうございます。『今までの勘違い先入観が恥ずかしくなりました』となお言葉ですが…恥ずかしくなる必要は微塵もありません。長年の真宗大谷派のご門徒の方でも、この四十九日の六道を他宗の説く四十九日の意味と同様に理解している方が大勢いらっしゃいます。それはひとえに、私も含めた真宗僧侶の怠慢、または力不足以外のなにものでもございません。恥ずかしいのは私たち僧侶の方であります。それ故の、このRUclipsの法話配信であります。どうか今後とも、配信中の動画をご視聴いただければ…と願っております。よろしくお願い申し上げます。合掌高科修
@@buddhism_japanお忙しい中、 いつもいつも有難うございます。恐縮です。
初めて知りました。ありがとうございました。幸運です。 南無阿弥陀仏 合掌
善に生きる様ご視聴、コメントありがとうございます。「幸運」ではないと思います。RUclipsで法話を見るという、善に生きる様の行動があってこその『出会い』であります。それは…『必然』と浄土真宗では申します。合掌高科修
涼風も仏任せの我が身かな!南無阿弥陀仏!
輪廻転生様南無阿弥陀仏合掌高科修
南無阿弥陀仏
Take1と共に、拝聴させていただきました。はいはい、色味変化、初回で気づきましたよ。わざわざ撮り直すほどかな? とも思いましたが、いやいや、Take2の方が、分かりやすかったです。単に2回目の視聴だから、かもしれませんが (^_^;昨年の亡き父の中陰。命日はが8月下旬の月曜日だったので、毎週の中陰逮夜は、土曜日になりました。仕事の都合上、新潟→三重に通うには、とても好都合。息子思いの父親に、ありがとう、の思いでした。高速バスと電車での片道8時間を、7週末 連続。大変でしたが、自分と向き合える、いい時間でした。ところで、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天この六道の順序には、何か意味があるんでしょうか?円形での説明や、悪い順という説明、も散見されますね。正直、どれも同じ様な「格」だと感じてるのですが。 鈴木@新潟 50歳P.S.甘い物は別腹。出る腹は同じなんだけどさ(毒舌).
202 BEAM様「ところで、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天この六道の順序には、何か意味があるんでしょうか?」のご質問に取り急ぎお答えいたします。ハッキリ申しまして…なんの意味もございません。ただ…そう順番に…並べただけです。何にでもその事に理由・意味を見いだそうとするのは人間の「サガ」なので仕方のないことですが、そこに理由・意味のないこともあります。ちなみに大谷派のお焼香は二回。これも二回に特に意味はありません。二回に決めただけです。202 BEAM様の仰る通り「どれも同じ様な格だと感じてるのです」です!間違いありません。ご安心ください。大事なのは、六道一つ一つの内容です。Take1の色味変化。「照明・撮影担当者」がどうしても自分自身で妥協出来ず、また知り合いから色味変化が気になり内容に集中出来ないとの声を聞き、「動画を取り直して下さい」との「指示」があり取り直したのがTake2で御座います。完璧を求める「照明・撮影担当者」です。ちなみに、ほぼ同じ様に、ほぼ同じ時間で、ほぼ同じ法話は話せますが、そこは人間。微妙に違って参ります。よってTake2の方が若干長く詳しくお話をした結果となっております。これも一発撮りの成せるワザで御座います(笑)合掌高科修
多くの返信作業があるなか、小生の細かい質問まで、誠にありがとうございます。あらら、理由は無い、そうなんですね!どこのサイトを見ても、意外とこの順なので、何かあるのかと。サガですか... 納得です。同時に、そのサガに囚われないように、前提を見直すことの重要性、注意していきます。研究現場では、よく出くわすハズなんですが(滝汗)大谷派、2回でしたね。西・東・高田で、1・2・3回だな。頭におしいただかないのは共通ですが。>完璧を求める「照明・撮影担当者」です。仕事に誇りを持たれている証拠ですね!>そこは人間。微妙に違って参ります分かります!小生なんぞ講義で、殆ど同じPowerPoint資料を使ってるのに、それでも毎年、微妙に違ってますから(笑).
七歩とは、そう言う事だったんですね。
加藤真理様はい、七歩目とは、そういうことでした。合掌 高科 修
生まれ変わリと因果応報は絶対に来る!
輪廻転生様ご視聴、コメントありがとうございます。輪廻転生様はそう信じていらっしゃるので、否定も肯定もいたしません。南無阿弥陀仏合掌高科修
大谷派です。恐縮ですが質問が2つあります⚫︎百ヶ日は中陰に入るのでしょうか?年忌のように百日経った○年経ったというお参りなのでしょうか?⚫︎法名は生前に頂くもので亡くなってから法名を付ける意味はあるのでしょうか?法名に関してはとても疑問に思っています。不躾で申し訳ありません、ご返答いただければ嬉しいです。
元々五平餅 様動画ご視聴ありがとうございます。ご質問にお答えいたします。・百ヶ日法要は中陰には入りません。亡くなってから48日目までを中陰。49日目を満中陰といいます。百ヶ日法要は、もともと中国の儒教文化を仏教が取り入れたものといわれています。他の宗派では、亡くなった人の追善供養という位置付けですが、浄土真宗では、追善供養という概念がないため、亡くなってから百日目を、あらためて亡くなった人と向き会う機会ととらえています。もともと、法要、回忌というものは、亡くなって何年たった!何年過ぎた!という考え方ではなく、大切な愛する人が亡くなったその日が。亡くなって、そのことから様々なことを気づかされ学んだその日が、まためぐってきたと受けとります。ゆえに回、めぐる、回ってきた忌ということです。気づき学んだそ日が、三回めぐって来た。七回めぐって来た。十三回めぐってきたというとらえ方です。亡くなった人を過去の事として、過ぎてしまったこととしないということが重要であるとのとらえ方を認識して頂ければよろしいかと思います。・次に法名についてお答えいたします。法名については、この概要欄でお答えするにはあまりにも長い文章になるので、よろしければ下のお坊さんの小話「戒名と法名」をお読みいただければご理解いただけるかとおもいます。0408.jp/s003/howa073.htmそれを踏まえた上で、亡くなってから法名をつける意味についてお話しいたします。サッカーのチームがあるとします。レギュラーは11人です。この11人で大会で優勝しました。けれどく、この優勝にはレギュラー11人の力だけで優勝したのではないはずです。少なくともレギュラーになれなかった選手達の協力もなければ成されなかったことです。そのレギュラー以外の選手が一人亡くなりました。そのお葬式を、共に戦った仲間だから、12人目のレギュラーとして送る。いや12人目のレギュラーとして送らねばならない。この大会が私たちが生きている世界。11人が法名を持ち仏弟子として生きている人達。そして12目のひとにあたるのが亡くなってから法名を授かる人達ということです。一生懸命生きているのは、なにも法名を頂いた人たちだけではないはずです、だから法名を持たない人たちも、共に一生懸命生きた仏弟子の証しとして法名をつけて送るというのが、亡くなってから法名をつける意味と受け取っていただけたら良いと思います。すべてを文章でお伝えし、ご理解いただけるのは難しいことだと感じています。ご質問の件は、また動画を作成しアップいたしますので、ご視聴いただければ幸いです。高科 修
ご返答大変嬉しいです、ありがとうございます。南無阿弥陀仏
六道から極楽浄土に行くことが良いと坊さん話てた。
小松晃様浄土真宗では、亡くなれば即、仏です。亡くなったとたん、極楽浄土から、私たちに願いかけてくれている仏となっております。ご安心くださいませ。合掌高科修
正道と昔聞いたことが、あるけど、六道と聞き間違いですか?
小松晃様『正道』八正道と申します。正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定のことです。六道と正道とは違うものです。合掌高科修
無量寿仏と考えるのは、違いますか?
小松晃様すべてが…私たちが生きているすべてが…過去・現在・未来。その繋がりが『無量寿』そのものです。その無量寿の願いを仏と申します。合掌高科修
こんにちは亡くなって49日納骨は最近の話では?私の記憶では土葬が普通でしたが?49日後納骨は最近の解釈ではないでしょうか?凄くありがたいお話のようですがほぼ心に響きません!私が思う気持ちです。
加山隆史様ご視聴、コメントありがとうございます。「ほぼ心に響きません!私が思う気持ちです。」との加山隆史様のお言葉。それは、それで構いません。動画を見てどのように思うのかは人それぞれ違って当たり前ですから。浄土真宗の僧侶が法話をしている動画で、ございます。ありがたい、お話しを致しておるわけではございません。この、法話から自分自身をどのように見つめ直していくのかが、浄土真宗の聞法でございますので、お見知りおきを。南無阿弥陀仏合掌高科修
死んだお母さんのゆめを良く見る!
小松晃様ご視聴、コメントありがとうございます。お母様に愛されている証しだと思います。南無阿彌陀仏。合掌高科修
こちらのTake2動画は、撮り直し再アップ動画となっております。
『中陰』なぜ四十九日なの?動画の画面の色味の変化が多く見ずらかったため、
youtube動画の差し替えができないことが判明したため再アップすることにいたしました。
内容はほぼほぼ同じですが、より詳しくお話ししている部分もあります。
よろしくお願いいたします。
コチラの動画も、ぜひ、ご覧ください。
法話「人間、死んだらどうなるの?」
ruclips.net/video/oFiOLfyN60Q/видео.html
父が亡くなりました。お金がなく私の精一杯のお金で49日の法事だけ東本願寺大谷派のお寺様に頼みました。意味を知って良かったです。ありがとうございます。
中村友子様
祭壇の大きさ…
献花の多さ…
弔問客の多少…
通夜葬式に使うお金の多少…
そんなものは大切な大事な人の「お弔い」を執り行うのになんの関係もありません。
確かに、「かたち」の無い「気持ち」を表すためには形は必要です。
しかしその形にこだわるあまり、そこに「心」が伴わなければ…形はただの「かたち」にしかなりません。
大切で重要なのは「命の繋がり」に気づいていくことなのです。
中村友子様の「精一杯」(お金の話ではありません)のお気持ちがあればそれで良いのだと思います。
合掌
高科 修
有難うございました。
私は、小さな時
亡くなった人が49迄魂が残って別れをしていると聞かされましたが
間違いでしたね。
勉強になりました🙏
高寺笑子様
ご視聴、コメントありがとうございます。
いろいろな宗教宗派がございますので、いろいろなお話しがございます。
正しいとか間違いというお話しではございません。
浄土真宗の宗教的解釈での『『中陰・四十九日』の捉え方であります。
『亡くなった人が49迄魂が残って別れをしている』
という宗教的解釈をなさっている宗教・宗派も御座います。
お坊さんの小話の動画は浄土真宗真宗大谷派の僧侶が了解した話を動画にしております。
生き方のお話しをしております。
高寺笑子様が何を信じ、どのように生きていくのかは高寺笑子様のご自由でございます。
高寺笑子様が真に、心底頷くことが出来る宗教宗派の宗・軸を信じて生きていかれることを、切に切に願っております。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
前回の『中陰』四十九日なの?を拝聴させて頂いた後、今まで出来ていなかった仏壇の前に毎日、座るという行為。が少しづつではありますが、実行できております。
月忌参り(命日)しか念仏を唱えなかったこの私が、如来様の光をありがたく感じさせて頂いています。🙏
今日もちゃんと地に足をつけて行けるように、宙ぶらりんのこの六道の心を戒めて南無阿弥陀仏と参らせて頂いています。
以前、継続する大切さやその意味を教えて頂きましたが、毎日、仏壇の前に座らせて頂くというこの難しさ、大変さが今、身をもってしみじみを分かりました。(出来るようで出来ない困難さ)
そして、笑われるかもしれませんが、煩悩まみれのこの身が言える立場ではありませんが、他人様の煩悩はできるだけ受け入れて、自分の煩悩はできる範囲で抑えることが出来る様にとも、仏壇の前で我が心に言い聞かせております。
故人の命日ばかりでなく、法事などを通して、自分を振る変えり今後の生き方を見直すというこのありがたい仏事に答えていけたらなと思っています。今回もありがとうございました。🙇♀️
南無阿弥陀仏🙏
M Kwaguchi様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「笑いません!!」
いえ
「笑うことなど出来ません!!」
自分を振り返る生き方を一歩一歩地に足をつけて歩まれているM Kwaguchi様をなぜ笑うことなど出来ますでしょうか。
コメントから私もまたあらためて「気づかせて」頂きました。
こちらこそ、ありがとうございました。
合掌
高科 修
声聞、縁覚、菩薩、仏と言うのも入れて十界という考え方も聞いた事あります。十界互具と。私も真宗大谷派の門徒です。最近チャンネル登録させて頂き動画を拝見してます。ありがとうございます🙇♀️
夜間走行様
ご視聴、コメントありがとうございます。
十界互具…
法華経に示された万人成仏の教えであります。
浄土真宗大谷派は、
浄土三部経を宗として選び!
浄土三部経の教えを宗!とした宗教宗派であります。
夜間走行様。
そのことは、努々お忘れのないように……
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
ありがとうございました。
六道、分かりやすいお話で考えさせられました。
とし爺様
ご視聴、コメントありがとうございます。
みんなが七歩目進めたら…
世の中は、もう少し優しくなるのではといつも思っています。
そしてそれが、本当の「豊かな世の中」であると。
合掌
高科 修
いつも拝聴させて頂いてます。
この法話をお聴きして、七歩歩けない私ですが、今が六道のどこいるのか、をホントに時折でも意識するようになりました。
悲しいかな、地獄や餓鬼、畜生に居る事が多く思えてなりません。
少しでも導師様に近づけるように、と思います。
これからも有り難い話をお聴かせ下さいますように、お願い致します。
鯛タロー様
ご視聴、コメントありがとうございます。
私は鯛タロー様に、敬意と尊敬の念を感じます。
鯛タロー様様は素敵な方です。
鯛タロー様の今のお気持ちが…
鯛タロー様の今、持ち続けている意思が…
そう…
『六道のどこにいるのか時折でも意識するようになりました』
『悲しいかな、地獄や餓鬼、畜生に居る事が多く』
のこの自覚が『七歩目にいる証し』であります。
七歩目は、六道が無くなるのではありません。
今の鯛タロー様のように、自分がどこにいるのかを自覚出来るが七歩目です。
私たちは、私も含めて誰一人漏れることなくこの『六道』からは逃げれません。
この六道を無くすことなど出来ません。
ある意味…この六道があるのが人間だからです。
だからこそ、今の自分がこの六道のどこにいるのかを自覚し、自分の出来る範囲で、自分のその時の精一杯の気持ちで、反省し学び、次に繋ぎながら生きていく。
その事が一番大切で重要だと気づいて生きていく事が七歩目です。
大丈夫です。
私などに近づく必要はありません。
鯛タロー様は鯛タロー様ご自身を目指してください。
自分が描く素敵な自分を。
大丈夫です。
すでに鯛タロー様は素敵な人になられております。
どうかそのまま、
『六道のどこにいるのか時折でも意識するようになりました』
『悲しいかな、地獄や餓鬼、畜生に居る事が多く』
の意識・自覚を感じれる鯛タロー様でおられることを切に願っております。
合掌
高科修
六道の意味がよく分かりました。 今までの勘違い先入観が恥ずかしくなりました。 今回もありがとうございました。
井上好様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『今までの勘違い先入観が恥ずかしくなりました』となお言葉ですが…
恥ずかしくなる必要は微塵もありません。
長年の真宗大谷派のご門徒の方でも、この四十九日の六道を他宗の説く四十九日の意味と同様に理解している方が大勢いらっしゃいます。
それはひとえに、私も含めた真宗僧侶の怠慢、または力不足以外のなにものでもございません。
恥ずかしいのは私たち僧侶の方であります。
それ故の、このRUclipsの法話配信であります。
どうか今後とも、配信中の動画をご視聴いただければ…と願っております。
よろしくお願い申し上げます。
合掌
高科修
@@buddhism_japanお忙しい中、 いつもいつも有難うございます。恐縮です。
初めて知りました。ありがとうございました。幸運です。 南無阿弥陀仏 合掌
善に生きる様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「幸運」ではないと思います。
RUclipsで法話を見るという、善に生きる様の行動があってこその『出会い』であります。
それは…『必然』と浄土真宗では申します。
合掌
高科修
涼風も仏任せの我が身かな!
南無阿弥陀仏!
輪廻転生様
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
南無阿弥陀仏
輪廻転生様
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
Take1と共に、拝聴させていただきました。
はいはい、色味変化、初回で気づきましたよ。
わざわざ撮り直すほどかな? とも思いましたが、
いやいや、Take2の方が、分かりやすかったです。
単に2回目の視聴だから、かもしれませんが (^_^;
昨年の亡き父の中陰。
命日はが8月下旬の月曜日だったので、
毎週の中陰逮夜は、土曜日になりました。
仕事の都合上、新潟→三重に通うには、とても好都合。
息子思いの父親に、ありがとう、の思いでした。
高速バスと電車での片道8時間を、7週末 連続。
大変でしたが、自分と向き合える、いい時間でした。
ところで、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天
この六道の順序には、何か意味があるんでしょうか?
円形での説明や、悪い順という説明、も散見されますね。
正直、どれも同じ様な「格」だと感じてるのですが。
鈴木@新潟 50歳
P.S.
甘い物は別腹。出る腹は同じなんだけどさ(毒舌)
.
202 BEAM様
「ところで、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天
この六道の順序には、何か意味があるんでしょうか?」
のご質問に取り急ぎお答えいたします。
ハッキリ申しまして…
なんの意味もございません。
ただ…そう順番に…並べただけです。
何にでもその事に理由・意味を見いだそうとするのは人間の「サガ」なので仕方のないことですが、そこに理由・意味のないこともあります。
ちなみに大谷派のお焼香は二回。これも二回に特に意味はありません。
二回に決めただけです。
202 BEAM様の仰る通り
「どれも同じ様な格だと感じてるのです」です!
間違いありません。
ご安心ください。
大事なのは、六道一つ一つの内容です。
Take1の色味変化。
「照明・撮影担当者」がどうしても自分自身で妥協出来ず、また知り合いから色味変化が気になり内容に集中出来ないとの声を聞き、「動画を取り直して下さい」との「指示」があり取り直したのがTake2で御座います。
完璧を求める「照明・撮影担当者」です。
ちなみに、ほぼ同じ様に、ほぼ同じ時間で、ほぼ同じ法話は話せますが、そこは人間。微妙に違って参ります。よってTake2の方が若干長く詳しくお話をした結果となっております。
これも一発撮りの成せるワザで御座います(笑)
合掌
高科修
多くの返信作業があるなか、小生の細かい質問まで、
誠にありがとうございます。
あらら、理由は無い、そうなんですね!
どこのサイトを見ても、意外とこの順なので、何かあるのかと。
サガですか... 納得です。
同時に、そのサガに囚われないように、
前提を見直すことの重要性、注意していきます。
研究現場では、よく出くわすハズなんですが(滝汗)
大谷派、2回でしたね。
西・東・高田で、1・2・3回だな。
頭におしいただかないのは共通ですが。
>完璧を求める「照明・撮影担当者」です。
仕事に誇りを持たれている証拠ですね!
>そこは人間。微妙に違って参ります
分かります!
小生なんぞ講義で、殆ど同じPowerPoint資料を使ってるのに、
それでも毎年、微妙に違ってますから(笑)
.
七歩とは、そう言う事だったんですね。
加藤真理様
はい、七歩目とは、そういうことでした。
合掌
高科 修
生まれ変わリと因果応報は絶対に来る!
輪廻転生様
ご視聴、コメントありがとうございます。
輪廻転生様はそう信じていらっしゃるので、否定も肯定もいたしません。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
大谷派です。
恐縮ですが質問が2つあります
⚫︎百ヶ日は中陰に入るのでしょうか?年忌のように百日経った○年経ったというお参りなのでしょうか?
⚫︎法名は生前に頂くもので亡くなってから法名を付ける意味はあるのでしょうか?
法名に関してはとても疑問に思っています。不躾で申し訳ありません、ご返答いただければ嬉しいです。
元々五平餅 様
動画ご視聴ありがとうございます。
ご質問にお答えいたします。
・百ヶ日法要は中陰には入りません。亡くなってから48日目までを中陰。
49日目を満中陰といいます。
百ヶ日法要は、もともと中国の儒教文化を仏教が取り入れたものといわれています。
他の宗派では、亡くなった人の追善供養という位置付けですが、浄土真宗では、追善供養という概念がないため、亡くなってから百日目を、あらためて亡くなった人と向き会う機会ととらえています。
もともと、法要、回忌というものは、亡くなって何年たった!何年過ぎた!という考え方ではなく、大切な愛する人が亡くなったその日が。亡くなって、そのことから様々なことを気づかされ学んだその日が、まためぐってきたと受けとります。ゆえに回、めぐる、回ってきた忌ということです。気づき学んだそ日が、三回めぐって来た。七回めぐって来た。十三回めぐってきたというとらえ方です。亡くなった人を過去の事として、過ぎてしまったこととしないということが重要であるとのとらえ方を認識して頂ければよろしいかと思います。
・次に法名についてお答えいたします。
法名については、この概要欄でお答えするにはあまりにも長い文章になるので、よろしければ下のお坊さんの小話「戒名と法名」をお読みいただければご理解いただけるかとおもいます。
0408.jp/s003/howa073.htm
それを踏まえた上で、亡くなってから法名をつける意味についてお話しいたします。
サッカーのチームがあるとします。
レギュラーは11人です。
この11人で大会で優勝しました。けれどく、この優勝にはレギュラー11人の力だけで優勝したのではないはずです。少なくともレギュラーになれなかった選手達の協力もなければ成されなかったことです。そのレギュラー以外の選手が一人亡くなりました。そのお葬式を、共に戦った仲間だから、12人目のレギュラーとして送る。いや12人目のレギュラーとして送らねばならない。
この大会が私たちが生きている世界。
11人が法名を持ち仏弟子として生きている人達。
そして12目のひとにあたるのが亡くなってから法名を授かる人達ということです。
一生懸命生きているのは、なにも法名を頂いた人たちだけではないはずです、だから法名を持たない人たちも、共に一生懸命生きた仏弟子の証しとして法名をつけて送るというのが、亡くなってから法名をつける意味と受け取っていただけたら良いと思います。
すべてを文章でお伝えし、ご理解いただけるのは難しいことだと感じています。ご質問の件は、また動画を作成しアップいたしますので、ご視聴いただければ幸いです。
高科 修
ご返答大変嬉しいです、ありがとうございます。南無阿弥陀仏
六道から極楽浄土に行くことが良いと坊さん話てた。
小松晃様
浄土真宗では、亡くなれば即、仏です。
亡くなったとたん、
極楽浄土から、私たちに願いかけてくれている仏となっております。
ご安心くださいませ。
合掌
高科修
正道と昔聞いたことが、あるけど、六道と聞き間違いですか?
小松晃様
『正道』
八正道と申します。
正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定のことです。
六道と正道とは違うものです。
合掌
高科修
無量寿仏と考えるのは、違いますか?
小松晃様
すべてが…
私たちが生きているすべてが…
過去・現在・未来。
その繋がりが『無量寿』そのものです。
その無量寿の願いを仏と申します。
合掌
高科修
こんにちは亡くなって49日納骨は最近の話では?私の記憶では土葬が普通でしたが?49日後納骨は最近の解釈ではないでしょうか?凄くありがたいお話のようですがほぼ心に
響きません!私が思う気持ちです。
加山隆史様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「ほぼ心に響きません!私が思う気持ちです。」との加山隆史様のお言葉。
それは、それで構いません。動画を見てどのように思うのかは人それぞれ違って当たり前ですから。
浄土真宗の僧侶が法話をしている動画で、ございます。
ありがたい、お話しを致しておるわけではございません。
この、法話から自分自身をどのように見つめ直していくのかが、浄土真宗の聞法でございますので、お見知りおきを。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
死んだお母さんのゆめを良く見る!
小松晃様
ご視聴、コメントありがとうございます。
お母様に愛されている証しだと思います。
南無阿彌陀仏。
合掌
高科修
南無阿弥陀仏
輪廻転生様
南無阿弥陀仏
合掌
高科修