ishi kouさん、こんばんは。初めまして^^ お尋ねの件ですが、それは全く問題ないですよ。基本的に宗教は信教の自由がある訳ですから、何宗を信仰しても良いですし、このようなケースはたくさんありますからね。 宗派が変わることの問題ですが、もし今お付き合いのお寺様があるならば、そちらにまずは一言「他所のお寺に変わる」旨を申しておいてください。後日トラブルにならないためにも。最近は、そのような人に対して「離檀料」なるものを取る(それもお寺によっては法外な金額)お寺があるそうですが、基本的に檀家・門信徒になる段階でそのような申し合わせ事項がない限り、請求されるいわれのないものですので、キチンと拒否して大丈夫です。但し、長年お世話になったりなどをしていたら、「お気持ち」だけ包むのは良いと思います。お付き合いのお寺様がなければ、ここのところはスルーしてください。 そしてもう一つ。阿弥陀さまの願いと言うのは基本的に生きとし生けるすべての者の上にかかっています。だから、その方もお浄土参りされますよ(o^―^o)
49日の捉え方、とても参考になりました。舟川ご住職さま、いつもありがとうございます。
。鳩子さん、こんにちは^^
こちらこそ、いつもありがとうございます✨
ご法話ありがとうございます。
私の実家は曹洞宗ですが、今回真宗の教えを知ることができて感謝しております。
南無阿弥陀仏🙏
けんたろうさん、おはようございます。
他を知ることも大切なことだと思いますからね。
お聞き下さり、ありがとうございます☆
いつも心で助け合い本音で語らい何も言わなくても通じ合った😑大切な弟と乗り越えて来た日々も老い往く命だけは😞どうしようもなく無情であって🥺涙が出ます🥺🙏皆さん同じ想いです
nyoiさん、こんばんは^^
弟さんご往生のこと、お寂しいことですね😢
これは49日の動画ですが、なかなかに49日では悲しみは尽きないところがありますね。
仏事は、その日を過ぎてはいけないと思われてるのは、前もって勤めることで、仏事を忘れないように先人達から受け継がれてるもの
と聞いたことがあります。
なるほどー❗️と思ったことがあります😊
七日、七日のお勤めを勤めるのは、多少なりともグリーフケアになってると思います🍀
みもざさん、おはようございます。
仏事を忘れないように、それは良い心がけですよね。
グリーフケア、そうですね。私もそう思います。
今回は話しの流れで49日の日程ということで話しましたが、基本的にどんな法事でも「遅れちゃいけないんですよね?」ということはものすごく聞かれるのですが、その言葉のニュアンスの中に「遅れたら、何か悪いことが起きるんじゃないか」というような雰囲気があったりするので、それは違うと思うんですよね。
そして「その人のためにしなくてはならない」というただの義務感だけでしていたりします。そうではないんだという所を一つ伝えていきたいなぁという部分ですね。
ちなみに今年はコロナの影響もあって、春の法事を秋に延ばされた方もいましたが、だからそれは全然問題ない話で、みんなが落ち着いて集まれる時期を選びながら、子どもも孫も参加してみんなで勤めていく。それが大切なことですよね。
真宗の貴公子、舟川御住職こんにちは、なまんだぶ。
家族を失くした悲しみは、寄せては返す波のように断続的に襲って来るように感じます。やがてその波は徐々に穏やかになりますが、七日毎の法要はそのサイクルに合っていると思います。
そして、忌明けしてお返しなど付随する仕事をすべて終え、日常のペースを取り戻した頃行うのが100ヵ日法要で「卒哭忌」と言うのだと、あるお坊様から聞きました。
てんてんさん、こんばんは^^
それ、やめてください(´;ω;`)あの日のトーク中だけでお腹いっぱいです(笑)
そうですね、感じ方は人それだとは思いますが、ちょうどよいサイクルのようには僕も感じますね。
そう、100か日は卒哭忌ですね、祖母の100か日の際にお世話になったお寺様から聞きました。その時に書いたブログの内容、貼り付けておきます。
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7日には祖母の100ヶ日法要が勤まりました。自分でいつもしていて知らなかったですが、100ヶ日法要は卒哭忌とも呼ぶそうです。悲しみから慟哭している時間の終わりということでしょう。やはり大切な方との別離の悲しみに一区切りつくには100日くらいの時間が必要とも言えますし、またそれは悲しみの先に、死の問題を私自身の問題として考え始めるスタート地点に立ったということにもなるのでしょう。
鈴木章子さんのお話を通してご法話をしてくださいました。鈴木章子さんは、『癌告知のあとで』という著書があり、以前ご法話を聞いた際に購入して持っていますが、久しぶりに読み返してみようと思いました。せっかくなので一片の詩を紹介します。
今現在説法
肺がんになって
ここ あそこから
如来様の説法が
少しずつ
きこえてきます
今現在説法
真只中でございます
人間元気な時、順調な時にはなかなか自分への呼びかけ、はたらきかけは聞こえてこない、耳に入らないものです。でも、逆境に立ったからこそ聞こえてくるもの、支えてくれる人々に自然と目が向いていくというところはあると思いますね。今が仏法に耳を傾ける時なんでしょう。
はじめまして、1つ1つの法事がグリーフワークなんですね。
ありがとうございます
t dlnさん、こんばんは🌙(^▽^)/
コメントありがとうございます✨
そうですね、今も中陰(49日期間)でお伺いしているお宅がありますが、そのような意識でもって私としてはお参りに伺っています。
ありがとうございます✨
舟川住職さん、こんにちは😃南無阿弥陀仏🙏僕の母親が、亡くなった時に、葬儀の後、葬儀社の方が祭壇を自宅に作ってくださり、49日までは、仏壇に入れないから、49日の供養の時に、白木の位牌は、お寺様が預かりました。そして、49日の供養後に住職さんが、今日から、仏壇に入れるから、祭壇は、要らないですと、おっしゃいました。今日も49日の法話ありがとうございます。😊南無阿弥陀仏🙏
つとむさん、こんにちは^^
いつもありがとうございます。
んー、失礼ながら住職さんは浄土真宗としてはちょっと勘違いされているところが何点かあるように思います。
まず49日まではお仏壇に入れないなどという話はないんです。いろんな動画で語っているように、浄土真宗は往生即成仏で、49日間行き先が保留されるような教えではないからです。だからむしろ祭壇も最初から必要ありませんくらいのものなんです。
そして、他宗派では位牌に故人の魂が宿るという考えがあるかもしれませんが、その考えも元々中国の道教(儒教?)から来たもので、仏教的な発想でもないですし、特に浄土真宗はその考えを全く用いないので、我が地域ではその考えに紛れないように位牌は用いず、法名軸という掛け軸型のものを用いています。全国的にみても、浄土真宗では位牌を用いる地域の方が少なかったと記憶しています。
大切なことは、お仏壇は仏さまを奉っている壇だということで、そこがブレなければ大丈夫なんですが、皆さん色んなことを言われますね(;^_^A
舟川住職さまこんばんは☺️
四十九日いつもご法話悩みます。
浄土真宗は往生即成仏ですからね。
気持ちに整理をつける時間なんですよね。
今葬儀の簡素化が進んでいます。コロナ禍の中の葬儀は1日葬儀が殆どです。
中でも納骨まで済ませてしまうので
仏縁に逢わせていただくことが減っています。儀礼を大切にして頂きたい気持ちと心の落ち着きを取り戻して頂きたい気持ちがあります。
今臨終勤行をしたばかりなんです。
最近葬儀が続いております。
舟川住職さまはこのようなお話をされているのですか?
勉強になりました。
ありがとうございます😊
なまんだぶ
まちえさん、こんばんは🌙
うちの方は田舎なので、まだ1日葬というものもなく、むしろ臨終・通夜・葬儀・還骨・初七日それぞれ勤めています。納骨は49日か100か日か、というところです。
これは法話というより説明なので、中陰のお参り時に聞かれたら話す感じの話ですね。
ぼくは
通夜はお浄土の話
還骨は法名の話
初七日はお墓って何のためにあるの?で話してる話
49日は還相廻向の話
を基本にしています。その人によって当然変わるんですが。ご参考までに😁
おはようございます^_^
亡くなった直後は、号泣したかと思いきや、すぐに 法的な手続きや 業務作業用をするかのように目紛しくなり、お仏壇、また亡き方に ゆとりを持って向き合っていく事が難しいですね。
四十九日の意義とは、自分のあり様や、念仏の道を歩む者の これからの命の行方を聞いていく感じですかねぇ?
往生された方が、亡くなられた遺族を心配して「落ち着いたら お念仏を大切にしてほしい」と、言っておられるようで、その用意して下さったご縁を受け止めなければいけませんね。
仏様の願い 教えに目覚め、味わって行くことを願って下さるんですね。
亡くなった方が、どうなる こうなるということは 言葉の表現としてはあっても、基本的にはどう受け止めるか、ということが 大前提なんでしょうね。
私達が如何に受け止め、考えていくかということが大切なですね☺️
それにしても 宗派によって 49日の意味が全然違ってくるんですね。
今日も 為になる教えを有難とうございました。
🙏南無阿弥陀仏✨
なるみさん、おはようございます^^
たぶん僕の動画をいくつも見ていたら、特に仏事ごとの動画には共通して言い続けていることが一つあることに気づくと思います。それは誰かのためではなく、「私」のためのご法事なんだということ。
人の為にすることというのは、義務にしかならず私に何ももたらしてくれません。人のためと思うから、人によっては時間の無駄くらいに思って、法事をすることもなくなっていくのだと思います。でも、「私」のためと思ったならば、人の身は動きますからね。この法事の時間から、中陰の時間から自分は何を学べるだろうか、何を味わえるだろうか。そんな気持ちでご法事に参加して下さる方が増えることを願います。
@@funafuna-houwa さん
はい、有難うございます。
この「私」の為に…
仏様あっての…
と言う言葉が記憶に残っており、その教えのお陰で、日々の過ごし方が変われてきた事に嬉しく思います^_^
そうですね…
近しいかどうかの関係上で、参加するか否かを 決める事って ただの事務的でしかないですものね。
自分は 有難い仏縁が ありましたので、これからは 参加したほうが良いか?等 聞かれましたら、参加した方が良い と言うだけでなく、理由も添えて伝えようと思います。
いつも 大切な気付き有難とうございます☺️
🙏南無阿弥陀仏✨
ありがとうございます❤南無阿弥陀仏🙏🙏🙏
母方の先祖代々の菩提寺が浄土真宗ですが檀家は皆さんお金持ち
うちはお金ないし親族とも疎遠なので
お布施が高いので
法要はやりません。
罰が当たるんでしょうね
お寺さんは何も言ってきませんけど
お金ある檀家しか相手にされないみたいでもともと付き合いもないので
いいですよね
saki nekoさん、こんばんは^^
ちょっと分からないのですが、「お布施が高い」と言われますが、この金額ということをお寺様から請求されるのでしょうか?それは「布施」の精神としてお寺さんの方が悪いです。「布施」は気持ちですから、いくらというのはありません。確かに大まかな地域的な相場みたいなものは存在しています(地域格差が本当に大きくて、福岡の田舎に住んでいる私からしてみれば、東京辺りは桁がひとつあがるようで、確かに経済的な理由でされないというのも分かる気がします)が、大なり小なりその相場から大いにずれることもままあります。立派な生活をしている人ばかりが目につくかもしれませんが、実際にはご門徒さんには色んな家庭環境・経済状況の方がいるんですから。
法事は、人のため(親戚の為)にするものでもないし、大きくお金をかけたから良いというものでもないんです。もし大切に想ってくれるならば、「うちはあまりお布施は包めませんけれども、法事を勤めたいのでして頂けませんか?」とお尋ねしてはどうでしょう?心ある住職さんならば、ダメとは言わないはずです。それでダメというお寺ならば、そんなお寺とは付き合う必要はないと思います。昔、縁があったかもしれませんがさっさと離れて違うお寺とご縁を結んだ方が良いです。
基本的に、お寺の人間はお寺に来てくれること自体が嬉しいし、仏教、法事に興味をもってくれるだけで嬉しいもので、お金のことは二の次です。なので、一歩お寺に近づいてくださったら嬉しいなと思います。
おはようございます。私の家は浄土宗です、満中陰には、施餓鬼をします。宗派や地域では、作法やしきたり違うのでしょうね。南無阿弥陀仏合掌
佐々木さん、こんにちは^^
たくさんのコメントありがとうございます✨
順番に返信していきますね。
浄土宗さんという事ですが、浄土宗の鎮西派でしょうか?西山派でしょうか?いずれにしても、浄土真宗と浄土宗、特に鎮西浄土宗さんとでは考え方が全くもって違いますからね。
同じ宗派内でも地域が変われば異なることもありますが、考え方としては同じなので大差はないんですね。ただ、地域的な風習が宗派の考えを凌駕することがたまにあるので、そこはなんとも言えませんが
^^;
@@funafuna-houwa 返信ありがとうございました。私の家の宗派は、浄土宗でも、鎮西派です。歴代上人様は、総本山知恩院、大本山増上寺で、得をつまれました。私の母方の叔母の家が、浄土真宗本願寺派ですお西さんです。南無阿弥陀仏
大谷派も同じですか?
メンバーになる場合課金は、どのようになりますか?電話代から引かれますか
仏陀の予見どおり、。
悟りを開いた仏陀は村に行き
スジャータにミルク粥を
布施されました。
私の教えは薄まったミルク粥
の様に扱われてしまうだろう
予見されたそうですね。
本場、
インド、チベット、タイなどにはお墓はないし、
位牌もない。
無になり空になるんだし
念仏を唱えれば
誰でも極楽浄土にいけるなら
49日って
何ですか❓️
四十九日の考え方について、些か疑問に思いましたので書かせていただきます。
(他宗派)追善回向。
(浄土真宗)六七日、七七日の頃遺人の心に寄り添っている。
と比較されていましたが、人の心に寄り添っているのは、浄土真宗だけと聞き取れる言い方には些か疑問を感じました。
他宗派の追善回向の考え方の背景にも、そのお祀りで、四九日をやり終えられた。亡くなった家族も良い世界に行って下さるから、ご遺族も踏ん切りを付けて、「そろそろ我々も前を向かなくては」の意識に繋がる面もあるのではないでしょうか。
即ち、他宗派ではお取り次ぎを重ねて、亡くなった方に回向し、遺族も少しずつ、心の整理の時間を持てる、と言える捉え方も出来るのでないでしょうか。
ご住職の仰られ方には、他宗派は追善供養だけで、ご遺族の心に寄り添っていないかのように聞き取れるのは、私だけでしょうか。
浄土真宗を持ち上げる余り、他宗派をディスる感じがして、舟川ご住職の何時もの柔らかいご法話とは違うな、と思いましたので、お伝え致したく。
仏弟子としては、遥か前を歩まれている舟川さまに、ご意見も如何か、とは存じますが、この動画は、些か、他宗派との浄土真宗が違いってことを指し示す点ではないと感じた次第です。
浄土真宗に良く有って欲しいと思う老婆心故に(当方、言論61歳、歳だけは喰っています)。
ご不快な思いをされましたら、お詫び申し上げます。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
北畑宏道 拝
南無阿弥陀仏。
北畑さん、こんばんは^^
そのように聞こえたならば、私の語り方がまずかったですね。
すみません。
もちろん他宗派をディスろうと思って語っている訳ではないです。他派の方であろうと故人を偲ぶ想いに変わりはないと思ってます。
ただ①他宗派においては、49日は「追善廻向」という教義的裏付けがあることに対して浄土真宗においてはそのような意図がないということを言おうとしたこと、そして②だからこそ「故人を偲ぶ」という意味付けしかしようがないという話をしているだけなんです。
@@funafuna-houwa 舟川ご住職さま、ご丁寧に有難うございます。
勿論、ご住職さまが意図的にディスろうとされているとは思っていません。
只々、文の間を読まないと、誤解が生じるなぁ、と感じた次第です。老婆心と書きつつ、ご住職さまがキツく感じ取られていたとすれば、私の方こそ言葉足らずで、申し訳ございませんでした。
他宗派は、結果として四九日懸けて、遺されたご遺族により沿っていることになっている。浄土真宗は、この点について、供養する必要がない故に、結果として、教義がなく、直接的にご遺族に寄り添う形になるし、なる以外にあり得ないとの言い換えをさせて頂きます。
間違ってなければよいのですが。
改めまして、貴重なお時間を有難うございました。
この度の事に懲りられず、引き続き、お教えの程、お願い申し上げます。
お盆の門徒さまへのお参り、また、門徒さまが御寺に来られる等、ご多忙な日々が続くと存じますが、どうぞ、お身体お気をつけ下さって、津々がなく、お盆のお勤めを終えられますよう。 北畑宏道 拝
こんにちは、自分の母の代々は浄土真宗、父の代々は他宗なのですが、自分は浄土真宗の教えが良いと思っているのですが、浄土真宗のお寺さんにお世話になっても大丈夫でしょうか?
また、宗派が変わることに問題はありますか?(他宗の人の死後、浄土真宗で葬式等を行えば49日を待たずに浄土へ行けるのでしょうか?)
ishi kouさん、こんばんは。初めまして^^
お尋ねの件ですが、それは全く問題ないですよ。基本的に宗教は信教の自由がある訳ですから、何宗を信仰しても良いですし、このようなケースはたくさんありますからね。
宗派が変わることの問題ですが、もし今お付き合いのお寺様があるならば、そちらにまずは一言「他所のお寺に変わる」旨を申しておいてください。後日トラブルにならないためにも。最近は、そのような人に対して「離檀料」なるものを取る(それもお寺によっては法外な金額)お寺があるそうですが、基本的に檀家・門信徒になる段階でそのような申し合わせ事項がない限り、請求されるいわれのないものですので、キチンと拒否して大丈夫です。但し、長年お世話になったりなどをしていたら、「お気持ち」だけ包むのは良いと思います。お付き合いのお寺様がなければ、ここのところはスルーしてください。
そしてもう一つ。阿弥陀さまの願いと言うのは基本的に生きとし生けるすべての者の上にかかっています。だから、その方もお浄土参りされますよ(o^―^o)
@@funafuna-houwa 返信ありがとうございます!
@@funafuna-houwa すみません、もう一つ同じ内容の追加質問よろしいでしょうか?
他宗の場合、裁判のようなものがあると調べた時に知ったのですが、上記の質問同様、他宗の人を浄土真宗でお勤めすればそういった裁判もなくなるのでしょうか?
49日とは
墓に骨をぶちこむための日
現世でエグい事した奴はどうなん?