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北九州線の顔は600形でした。多くは廃止までに解体されたものの、筑前山家に1両が保存、台車が長崎電気軌道1500形・1800形・1200A形に転用されました。現在も600形の音はこの3形式で長崎で聞くことができます。他にも北九州線には福岡市内線から転用した561形、66形もいました。これも路面区間廃止後に解体されました。1000形連接車もいたものの、筑鉄乗り入れがメインだったので北九州線だと熊西~八幡駅前だけでした(大がかりな検査とかは砂津まで乗り入れ)。ただ路面区間廃止後以降に筑鉄2100形ともに折尾まで乗り入れたことがありました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。映像を見返すと600形ばかりが登場するので調べてみたところ、総計50両!も製造されたことを知り驚きました。1両とはいえ保存されたのは良かったです。あと機器類も転用されているのですね。
西鉄北九州線600形の保存例は他に611号が苅田幼稚園(京都郡苅田町/行橋市に限りなく近い)に またかつては634号が旧到津遊園(現·到津の森公園)がありますが到津の634号は2000年頃に解体されましたがこれは「お別れメッセージ号」として活躍した3両の内1両でした筑前山家の1両は621号でその後324号(元北方線で後に土佐電気鉄道301)と共に香椎花園→保存車両ヤード福岡と渡り歩き現在に至っておりますここにはその後筑豊電鉄2002号も仲間入りを果たした他 近くの筑前山家駅構内にも旧福岡市内線の507号や大牟田からやって来た旧式の西鉄バスもあります
西鉄1000形として唯一の静態保存例は1024ABがあり保存先は福岡市東区西戸崎(西戸崎駅から徒歩で15分程度)にある「みつみ介護老人施設さくら園」の敷地内であります当初は倉庫代用として利用されておりましたが2023年3月に訪問したところ再塗装済で車内にあった備品は片付けられていました尚 A車とB車とで行先表示が異なります(A車が黒崎駅前B車が筑豊直方)
この区間は駅間が長く、フルノッチで飛ばしてましたねぇ😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。駅間が長くて飛ばしていたのもそうですが、複線で更に標準軌だったので、運転席を見なければ、幹線を疾走している鉄道線と錯覚しそうでした。
@@昭和電車チャンネル 北九州線は他社線と違って、都市間輸送、今で言うLRTの はしりですからね🙂
1980年代後半、折尾に住んでいました。貴重な映像ありがとうございます。
懐かしの西鉄北九州線(折尾線)の前面展望動画ですこの動画が投稿された1987年8月は私は高校座3年生で正に青春時代真っ盛りでありました私は鹿児島本線での通学でありましたが時折この西鉄北九州線で通学したことも度々ありました幼稚園時代からの西鉄電車好きの証が高校生になっても伝わっていたことはそれだけ愛着心が強かったことでしょう
黒崎駅前〜熊西間は今も筑豊電鉄が運行してるよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。北九州線の全廃は大変残念でしたが、筑豊電鉄としてこの区間だけでも存続できたのは良かったです。
先のメールに関係して皇后崎5号踏切の初代警報音でいわゆる「姉妹品」とも言える踏切は北九州線は他に荒手3号(1977年まで)又 筑豊電鉄では穴生1号 森下1号 土手ノ内4の2号 遠賀野4号 同10号(いずれも同じく初代)で長らく使用された時期がありましたが2016年までに消滅してしまいました
陣の原電停周辺の線路沿いは、私が幼少期の頃の遊び場だった。今は住宅地に化けており、電車が走っていた頃の面影はほとんどない。隣駅の皇后崎、地名としては今もあるが、ヨメ(コテコテの神奈川人)がしっかり「こうごうさき」と読んでしまった。尤も、北九州は皇后崎に限らず難読地名が多いが。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ご幼少時の遊び場が線路沿いだったとは、なかなか良いですね。この地域では原を「はら」ではなく「はる」と読むのは知っていたので、隣の「じんのはる」は読めましたが、「こうがさき」は私も読めませんでした。
私も皇后崎の読み方で「こうがさき」と知ったのは中学生の時でしたそれまで「こうごうざき」と適当に読んでいましたのでいかに難読であるかがよくわかります因みに日明(ひあがり)風師(かざし)についても「ひあけ(又はひあき)」「かぜし」とよく間違って読んでおりました他に「通谷(とおりたに)」も「つうたに」と読んでいたことを覚えております
先の「皇后崎5号踏切」に続いて同様の警報音を持つ「皇后崎3号踏切」(5号踏切の次で約300メートル先の踏切/こちらは普通のリズム)の初代警報音も聞きたかったのですがこの踏切部分がカットされていたのが惜しかったです
テープ代や持って行く本数の制約から、当時のビデオ撮影では全線に亘って撮影していないことが多くて、今にして思うと残念に思うことがよくあります。
皇后崎5号踏切(陣原陸橋をくぐり抜けた先の4本遮断機の踏切)の初代目警報音(ドレミ段階でド半音上+ファの組み合わせでリズムがめちゃめちゃに早い)を実に35年ぶりに耳にしました2020年に視聴した戸畑線の「工大前3号」(現·小芝三丁目バス停)と同様に30年以上「御無沙汰」した非常に懐かしの光景です
いつもご視聴、コメントありがとうございます。特定箇所の警報器音の記憶、また他との同一性あるいは違いなどを詳細に記憶されていることに驚きました。(次のコメントと併せての返信です。)
折尾東口2号踏切が片開き2本遮断器の時代であります動画投稿の10年後の1997年春に皇后崎3号や同5号踏切と同じく両開きの4本遮断器となって最後を迎えました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そういえばここに限らず、昔の遮断機は片開きで(必然的に腕が長くなり)、開閉に時間が掛かっていた印象があります。
JR折尾駅は現在は高架駅に変ったよ。
JR折尾駅の素晴らしかった洋館駅舎は結局解体されてしまいましたが、イメージ復元されているのがせめてもの救いです。
西鉄さんは 日本一のバス会社でもありますが 路面電車網も中々のワイドさで 北九州にも『西鉄電車』は走っていたんですよね。連接車を多数走らせるなど 車両面でも意欲的で 何故か狭軌で独立した『北方線』もありました。ひと駅間1.6kmとか1.4kmって 大手私鉄の鉄道線の普通の駅間距離ですよね。電車の性能と『軌道法』の縛りで40km/h迄しか出せない筈だけど 動画を観た限りでは もっと飛ばしているようにも見えます。運転士さんは インカムを付けて 車内放送(自動じゃなかったんですね)に運転操作に大忙し。各駅での停車時には 自動ブレーキのハンドルを忙しなく 込め→保ち→階段緩めと操作しています。鹿児島本線には 九州ならではのキハ66・67も走ってますね。熊西で 電車が行った方向に見える『黒崎そごう』は 『そごうで一番長い店舗』として知られていましたが 閉店してしまいましたね。調べてみたら『黒崎そごうメモリアル』というサイトがあって 中々面白かったですよ。黒崎そごうメモリアル isisis.cocolog-nifty.com/
いつもご視聴、コメントありがとうございます。西鉄の路面電車網は素晴らしかったのですが、私が地方行脚を始めた80年代末時点では、福岡市内線はとうに廃止されており、北九州線も門司や若松方面、北方線が消えておりました。幸い、小倉までの併用軌道はまだ残っておりましたので一応撮影できました。路面区間の映像も、いずれ動画をアップ予定です。仰るように、時速40キロどころか、60キロくらい出てそうでした。この運転士さんの車内放送の声はなかなか味がありますが、電停名が聞き取り易い感じではありませんね(笑)。写っていた気動車はキハ66・67なのですね。
「そごうメモリアル」のサイト見ました。これは凄い資料ですね。黒崎だけでなく夥しい数の写真が掲載されており、有楽町店(現ビックカメラ)の写真もありました。
最後に登場した筑豊電鉄2000系黄電は車掌さんが2人いたのを思い出したよ😅
2000年にはJR九州鹿児島本線の黒崎〜折尾間に陣原駅🚉が開業したよ。陣原駅🚉の開業も西鉄北九州線が全線廃止になった理由の1つだよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。黒崎~折尾間に限りませんが、JRの駅間はとかく長いですね。間にJRの新駅ができれば、北九州線の利用者は減ったことでしょうね。
現在折尾駅周辺は大きく生まれ変わろうとしていますJR鹿児島本線や福北ゆたか線(筑豊本線)の完全立体交差化が完了し折尾駅周辺の道路事情もすっかり様変わりを成し遂げ気が付けばかつての「オリオンプラザ(再開発ビル)」そして西鉄折尾駅も解体されて皆無となり今や付近にある赤レンガのアーチ橋が生き証人として残るのみでありますまた旧西鉄折尾線跡地も住宅地や緑地道等へと変貌を成し遂げかつての筑豊電鉄との分岐点付近に僅かにその名残りを留めるに過ぎなくなりました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。え!築100年のあの優雅な洋館駅舎、解体されちゃったのですか!?(早速ググりましたが残念ながら事実のようですね)最近まで健在だったので保存されるものと思っていただけにショックです。本動画のビデオ映像撮影時にJR折尾駅も探索し、駅舎だけでなく古めかしい立体交差の階段辺りのレトロ感にも浸っておりましたが、それを映像に残すことを忘れており大変後悔しております。
なつかしいです。ありがとうございます。この運転士さんは明らかに遅いですね。折尾ー皇后崎でパラに入れない人に当たった事が無く、初めて見る低速運転で意外でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。これで「低速」なのですねw 目一杯すっとばず電車にも乗ってみたかったです。
@@昭和電車チャンネル 折尾東口~陣の原~皇后崎間は停留所間が長く、フルノッチですっ飛ばすのが常でしたw懐かしい映像ありがとうございます😂😂
ほとんど、ライトレールじゃん。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。筑豊電鉄と同時に、折尾までの専用軌道は残して欲しかった・・・
北九州線の顔は600形でした。多くは廃止までに解体されたものの、筑前山家に1両が保存、台車が長崎電気軌道1500形・1800形・1200A形に転用されました。現在も600形の音はこの3形式で長崎で聞くことができます。他にも北九州線には福岡市内線から転用した561形、66形もいました。これも路面区間廃止後に解体されました。1000形連接車もいたものの、筑鉄乗り入れがメインだったので北九州線だと熊西~八幡駅前だけでした(大がかりな検査とかは砂津まで乗り入れ)。ただ路面区間廃止後以降に筑鉄2100形ともに折尾まで乗り入れたことがありました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
映像を見返すと600形ばかりが登場するので調べてみたところ、総計50両!も製造されたことを知り驚きました。1両とはいえ保存されたのは良かったです。あと機器類も転用されているのですね。
西鉄北九州線600形の保存例は他に611号が苅田幼稚園(京都郡苅田町/行橋市に限りなく近い)に またかつては634号が旧到津遊園(現·到津の森公園)がありますが到津の634号は2000年頃に解体されましたがこれは「お別れメッセージ号」として活躍した3両の内1両でした
筑前山家の1両は621号でその後324号(元北方線で後に土佐電気鉄道301)と共に香椎花園→保存車両ヤード福岡と渡り歩き現在に至っております
ここにはその後筑豊電鉄2002号も仲間入りを果たした他 近くの筑前山家駅構内にも旧福岡市内線の507号や大牟田からやって来た旧式の西鉄バスもあります
西鉄1000形として唯一の静態保存例は1024ABがあり保存先は福岡市東区西戸崎(西戸崎駅から徒歩で15分程度)にある「みつみ介護老人施設さくら園」の敷地内であります
当初は倉庫代用として利用されておりましたが2023年3月に訪問したところ再塗装済で車内にあった備品は片付けられていました
尚 A車とB車とで行先表示が異なります(A車が黒崎駅前B車が筑豊直方)
この区間は駅間が長く、フルノッチで飛ばしてましたねぇ😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
駅間が長くて飛ばしていたのもそうですが、複線で更に標準軌だったので、運転席を見なければ、幹線を疾走している鉄道線と錯覚しそうでした。
@@昭和電車チャンネル
北九州線は他社線と違って、都市間輸送、今で言うLRTの はしりですからね🙂
1980年代後半、折尾に住んでいました。
貴重な映像ありがとうございます。
懐かしの西鉄北九州線(折尾線)の前面展望動画です
この動画が投稿された1987年8月は私は高校座3年生で正に青春時代真っ盛りでありました
私は鹿児島本線での通学でありましたが時折この西鉄北九州線で通学したことも度々ありました
幼稚園時代からの西鉄電車好きの証が高校生になっても伝わっていたことはそれだけ愛着心が強かったことでしょう
黒崎駅前〜熊西間は今も筑豊電鉄が運行してるよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
北九州線の全廃は大変残念でしたが、筑豊電鉄としてこの区間だけでも存続できたのは良かったです。
先のメールに関係して
皇后崎5号踏切の初代警報音でいわゆる「姉妹品」とも言える踏切は北九州線は他に荒手3号(1977年まで)
又 筑豊電鉄では穴生1号 森下1号 土手ノ内4の2号 遠賀野4号 同10号(いずれも同じく初代)で長らく使用された時期がありましたが2016年までに消滅してしまいました
陣の原電停周辺の線路沿いは、私が幼少期の頃の遊び場だった。
今は住宅地に化けており、電車が走っていた頃の面影はほとんどない。
隣駅の皇后崎、地名としては今もあるが、ヨメ(コテコテの神奈川人)がしっかり「こうごうさき」と読んでしまった。尤も、北九州は皇后崎に限らず難読地名が多いが。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ご幼少時の遊び場が線路沿いだったとは、なかなか良いですね。この地域では原を「はら」ではなく「はる」と読むのは知っていたので、隣の「じんのはる」は読めましたが、「こうがさき」は私も読めませんでした。
私も皇后崎の読み方で「こうがさき」と知ったのは中学生の時でした
それまで「こうごうざき」と適当に読んでいましたのでいかに難読であるかがよくわかります
因みに日明(ひあがり)風師(かざし)についても「ひあけ(又はひあき)」「かぜし」とよく間違って読んでおりました
他に「通谷(とおりたに)」も「つうたに」と読んでいたことを覚えております
先の「皇后崎5号踏切」に続いて同様の警報音を持つ「皇后崎3号踏切」(5号踏切の次で約300メートル先の踏切/こちらは普通のリズム)の初代警報音も聞きたかったのですがこの踏切部分がカットされていたのが惜しかったです
テープ代や持って行く本数の制約から、当時のビデオ撮影では全線に亘って撮影していないことが多くて、今にして思うと残念に思うことがよくあります。
皇后崎5号踏切(陣原陸橋をくぐり抜けた先の4本遮断機の踏切)の初代目警報音(ドレミ段階でド半音上+ファの組み合わせでリズムがめちゃめちゃに早い)を実に35年ぶりに耳にしました
2020年に視聴した戸畑線の「工大前3号」(現·小芝三丁目バス停)と同様に30年以上「御無沙汰」した非常に懐かしの光景です
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
特定箇所の警報器音の記憶、また他との同一性あるいは違いなどを詳細に記憶されていることに驚きました。(次のコメントと併せての返信です。)
折尾東口2号踏切が片開き2本遮断器の時代であります
動画投稿の10年後の1997年春に皇后崎3号や同5号踏切と同じく両開きの4本遮断器となって最後を迎えました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そういえばここに限らず、昔の遮断機は片開きで(必然的に腕が長くなり)、開閉に時間が掛かっていた印象があります。
JR折尾駅は現在は高架駅に変ったよ。
JR折尾駅の素晴らしかった洋館駅舎は結局解体されてしまいましたが、イメージ復元されているのがせめてもの救いです。
西鉄さんは 日本一のバス会社でもありますが 路面電車網も中々のワイドさで 北九州にも『西鉄電車』は走っていたんですよね。
連接車を多数走らせるなど 車両面でも意欲的で 何故か狭軌で独立した『北方線』もありました。
ひと駅間1.6kmとか1.4kmって 大手私鉄の鉄道線の普通の駅間距離ですよね。
電車の性能と『軌道法』の縛りで40km/h迄しか出せない筈だけど 動画を観た限りでは もっと飛ばしているようにも見えます。
運転士さんは インカムを付けて 車内放送(自動じゃなかったんですね)に運転操作に大忙し。
各駅での停車時には 自動ブレーキのハンドルを忙しなく 込め→保ち→階段緩めと操作しています。
鹿児島本線には 九州ならではのキハ66・67も走ってますね。
熊西で 電車が行った方向に見える『黒崎そごう』は 『そごうで一番長い店舗』として知られていましたが 閉店してしまいましたね。
調べてみたら『黒崎そごうメモリアル』というサイトがあって 中々面白かったですよ。
黒崎そごうメモリアル isisis.cocolog-nifty.com/
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
西鉄の路面電車網は素晴らしかったのですが、私が地方行脚を始めた80年代末時点では、福岡市内線はとうに廃止されており、北九州線も門司や若松方面、北方線が消えておりました。幸い、小倉までの併用軌道はまだ残っておりましたので一応撮影できました。路面区間の映像も、いずれ動画をアップ予定です。仰るように、時速40キロどころか、60キロくらい出てそうでした。この運転士さんの車内放送の声はなかなか味がありますが、電停名が聞き取り易い感じではありませんね(笑)。写っていた気動車はキハ66・67なのですね。
「そごうメモリアル」のサイト見ました。これは凄い資料ですね。黒崎だけでなく夥しい数の写真が掲載されており、有楽町店(現ビックカメラ)の写真もありました。
最後に登場した筑豊電鉄2000系黄電は車掌さんが2人いたのを思い出したよ😅
2000年にはJR九州鹿児島本線の黒崎〜折尾間に陣原駅🚉が開業したよ。陣原駅🚉の開業も西鉄北九州線が全線廃止になった理由の1つだよ。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
黒崎~折尾間に限りませんが、JRの駅間はとかく長いですね。間にJRの新駅ができれば、北九州線の利用者は減ったことでしょうね。
現在折尾駅周辺は大きく生まれ変わろうとしています
JR鹿児島本線や福北ゆたか線(筑豊本線)の完全立体交差化が完了し折尾駅周辺の道路事情もすっかり様変わりを成し遂げ気が付けばかつての「オリオンプラザ(再開発ビル)」そして西鉄折尾駅も解体されて皆無となり今や付近にある赤レンガのアーチ橋が生き証人として残るのみであります
また旧西鉄折尾線跡地も住宅地や緑地道等へと変貌を成し遂げかつての筑豊電鉄との分岐点付近に僅かにその名残りを留めるに過ぎなくなりました
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
え!築100年のあの優雅な洋館駅舎、解体されちゃったのですか!?(早速ググりましたが残念ながら事実のようですね)最近まで健在だったので保存されるものと思っていただけにショックです。本動画のビデオ映像撮影時にJR折尾駅も探索し、駅舎だけでなく古めかしい立体交差の階段辺りのレトロ感にも浸っておりましたが、それを映像に残すことを忘れており大変後悔しております。
なつかしいです。ありがとうございます。
この運転士さんは明らかに遅いですね。折尾ー皇后崎でパラに入れない人に当たった事が無く、初めて見る低速運転で意外でした。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
これで「低速」なのですねw 目一杯すっとばず電車にも乗ってみたかったです。
@@昭和電車チャンネル
折尾東口~陣の原~皇后崎間は停留所間が長く、
フルノッチですっ飛ばすのが常でしたw
懐かしい映像ありがとうございます😂😂
ほとんど、ライトレールじゃん。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
筑豊電鉄と同時に、折尾までの専用軌道は残して欲しかった・・・