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石城日記、江戸時代の日常に興味があり図書館でン十年前に出会い、夢中で読んだ記憶があります。食事は意外に豊かな日もあり宴会のような日もありで。自身も食材を調達したり料理したり。絵も楽しく描かれており、いつの間にか石城の大ファンになりました。RUclipsでこらまた偶然に石城を紹介されていて記憶がよみがえり嬉しかったです。ありがとうございました!
尾崎石城殿、大変貴重な物を後の世に残して頂いた事感謝申し上げます。また維新後日本の近代化にご尽力された事合わせて感謝申し上げます。☺️今は天界で美味しいお酒と肴を天界の方々と存分に楽しまれている事を願っております。☺️
せきじょう、の名前が一回変換で出ませんが、とても面白かったです。共に暮らした祖父が明治生まれでしたが、祖母の父は江戸時代にも遠くなく、その影響か、似たような食生活でした。ご飯、味噌汁、沢庵、たまに金平、昆布の佃煮(自宅で作ったもの)肉は年に2度。魚はお客があった時。それでも90まで生きました。母方の祖父も質素で、汁物、ご飯、おかず一品(たまに行った時見ただけ)でも、99歳まで生きました。祖父の祖父とかがついこの間の江戸時代も無関係ではなかったのだなと、実感しました。参考になりました。貴重な紹介ありがとう
私の曾祖母(戦前没)は「四足のものは食べない」が信条だったそう。---動画主さんは質素と言われていますが、居候でぷらぷらしているんだから、そんなもんじゃないですか。
昔の時代劇で貧乏な侍が「たった5俵扶持の下っ端侍が」となじられる場面がありました。その時は子供心に「あんな大きい米俵を毎年5個(俵)ももらえるんなら喰うのには困らないじゃん?」と思ったのですが考えてみれば全部食用にできるわけじゃなくその米を売って生活費も工面するのですから確かに5俵で家族を養うのは大変だったでしょう。
その下っ端侍もパワハラで奉行所に訴えても、ボイスレコーダーが無い時代でしたから、証拠不十分で却下されたでしょうね。😮
5俵扶持というのが1年分の配当だったら、現代価値だと40万円前後、激貧でしょうね。
現代でも朝抜きの人もいますから、強ち変ではないのかも知れません。また、同じメニューが連続したり、日によって「たったこれだけ?」の場合ですが、現代と違って冷蔵庫もありませんから、作り置きも出来ませんし、たまたま手に入った食材(豆腐とか売りに来た?)を有り合わせで作った、大雨で買い物は面倒だから多めに作って残りを食べた、とかかも?など想像してしまいました。戦国時代の武将ですら、戦場のメニューはかなり質素だったりしますね。現代で本当に幸せです。
素晴らしいです。改めて、今自分が頂いている命に感謝しながら生きようと思いました。
石城と変わり無い私の夕食、納豆ご飯に味噌汁、ある日はツミイレのウドンなので似ていると思いましたが、毎晩ビールが有るのは石城よりも恵まれていますし、朝食も昼食も食べますので現代は良いですね。そうすると現代人は中級武士以上の食生活かも知れませんね。
居酒屋店主ですが自分が食べるのは、近所の農家からもらった売れない野菜。自分で採った山菜(大量に採って塩漬け)。閉店間際のスーパーの半額お惣菜。やっすいカップ麺。こんなもんです。自分の食事にはあまり関心ないんですよね。でもお客様のおつまみには徹夜してでも手をかけられるだけかますけど。
書いた本人も、数世紀の時を経て貴重な資料として重宝されるとは思わなかったろうな
2023年、オレゴンに暮らす私86歳と87歳の主人の食事も同じく質素、石城さんのお食事は農薬まみれの食事より豊か友人に恵まれたお人柄素晴らしい。
その時代その時代で食生活や習慣なども異なる事でしょうし、過去を知る参考になる文献だと思います。
今では高級品とされるものだが、昔は、普通に川で捕れるウナギも、松茸も安くて庶民の食べ物だった、薪を取るために山は整備されていたから、秋には普通にあちこちで松茸が生えていたそうです。羨ましいことです。
失って判る有難味ってやつですかね。母方実家の近くに松林(防風防砂林)があって、秋になると松茸は喰い放題。毎年の事だったので3日も松茸を喰い続けると、椎茸の方が余程美味しいと思っていた。時は移ろい道路の拡張改良工事のせいで松林がなくなり松茸とは縁遠くなってしまった。まぁ、ガキの頃に一生分喰い尽したせいか、最早松茸を食べたいと言う気持ちすらなくなったけどね。
100年前には、天麩羅屋さんには普通にマツタケの天麩羅があったそうですよ。明治生まれの私の親が言っていました。
松茸を、思い切り食べた子供の頃が懐かしい。
とてもおもしろかったです。同じ時代を生きたかも知れない幕臣山本政恒の日記が元の本は読んだことがありますが日記は日記でも絵日記は初めてでした。またすぐ近くにそのような方がいたことに驚きです。
現在の日本人は、いろいろな美味しい物があって幸せですよね❗️江戸下級武士は栄養失調に近い状態で、当時の成人男性は現代の女性の身長の高さに驚くでしょうね。
優しい語り口調で最後まで見れました😊
砂糖も無かったから、余り旨く無かったでしょうね、酒呑めれば上等、沢庵が出て来ない、酒はどぶろくか濁りでしょうね。
検索すれば出てくるので広く読まれてほしい絵日記。画才があり、日記の挿絵が脱力感あってたまらない。ジャンルはゆるふわ日常系。基本的にメシ。貧乏ながら悲壮感はない。
人生50年で良いと思いました。ありがとうございます。🙏いいですね~日本人は、シンプルで。🤗
質素な食生活というよりは、酒の飲み過ぎが短命の原因であるような気がする。
その通りです
そしてそれも資料になるよねあと酒で失敗する人のようだね
今と違って酒の濃さ薄っいから!ね!大丈夫大丈夫( ´ཫ`)( ´ཫ`)( ´ཫ`)
大変興味深く拝聴いたしました。
お茶漬けはインスタント食品の代わりみたいな感じですね😊
ふつうに美味しそうな食事。豆腐、漬け物、お茶漬け、酒呑みは大好きな食べ物です。
グルメで明け暮れる現代人よりも薄めの食事で過ごす謙遜な心持ち。平穏、平安な生活感。
現代人とは比較にならない気性の荒さだろw
すごいおもしろかったです。とてもリアルで,いつの時代も調理をして食べて生活をしているという当たり前だけど,なんだかありふれあた日常がとても尊く感じました。このような貴重な資料ありがとうございました。ところで,石城さんの食事は質素ですが栄養の偏りというよりは,あきらかにアルコール多飲によって肝臓や腎臓,大腸等の病気で早死にされたと推測します。
八杯豆腐、 はじめて知りました。 「作り方検索してみよう」と思ったら、 レシピと 言われまで。 ありがとうございます。
ネットや携帯が無かった時代は、石城のようにリアルでの人との交流が頻繁だったな。今はネット環境での繋がりが沢山あるのは良いんだけど、その分リアルでの交流は激減した。良いんだか悪いんだか…
勉強になりました、結構、現代より健康的な食事でしたね、いまの食事は成人病になるようなものが多いですが、質素に立ち帰るようにすべきですね
石城さんの毎日の献立やお正月のメニューがとても興味深かったです。豊かな食生活の現代は幸せ?お金を出せば大体の生活用品は手に入るし、便利に暮らせる。でも、本当の豊かさはそれだけでは満たせない…と、石城さんに論じられそうです。
とてつもない信者臭w
酒代をおかずに当ててたら質素ではなかったかもね 酒は高級品
農村で大きくなった者です。下級武士とはいえ、結構なものをたべていますね。高度成長前の農村では、魚など月に数度、カレーも月に数度でした。それ以外は野菜を煮たものと漬物、味噌汁でした。江戸時代にこれほどの食生活が出来たのは10人扶持、つまり10人分の食費を提供して貰えたからですね。
食のこともさることながら「口は禍の元」だなと思いました。石城さんが「藩政について語る」ことが無かったら、その後の暮らし向きも変わっていたでしょうし、これほどの貧乏暮らしとは無縁だったかもしれないと思うと・・・ますます「言葉に気をつけなければ」と思います。
石城、昔だけど親近感湧きます。サラリーマンみたいですね。食事の日記もこんなに鮮明にわかって面白いです
お酒のツマミにちょうど良い感じでした😊ごちそうさまでした😊
「日本酒」は原料が白米なのでごはん代わりみたいなものですね。それにしても石城さんは豆腐が大好きだったんですね☺
ここまで細かく説明されているなら、ぜひその日記の現物が見たかった。
必殺仕事人の中村主水の表の生活を思い浮かべればいいですよね。武士が厳格な生活を送っていたというのは後世の誤解でしょう。
天ぷらもあったんですね。油は何を使ったんでしょうか?食事は質素で有機野菜、化学調味料や添加物はなかったので、実は現代より健康的かもしれませんね。
素晴らしいコンテンツ
やたら質素かどうかというのが強調されている動画でしたが、そんな事よりは当時どういうものを食してきているのかというのに興味があったので、大変参考になりました。
一日三食食べるという習慣は明治時代に欧州から行政制度とともに導入された。また欧州も産業革命前は一日二食である。一日二食というのは武士でも農民でも同じである。朝食は午前10時以降に食べる食事である。日が昇ると仕事を始め、10時以降に朝食休憩をとり、その後午後の作業を行い夕食を食べて日没とともに就寝する。「朝飯前の仕事」という言い回しがあるが、本来は半日仕事である。だから「朝飯前の仕事」というのは今日中に終わるという意味で簡単といういみでは本来ない。玄米というのはアミノ酸スコアが100の完全栄養食であり、その点は小麦とは違う。つまり玄米さえ食べていればたんぱく・ビタミン不足で栄養失調になることはない。ただし、玄米だけでたんぱくを補おうとすると玄米を一日4000kcal(玄米で10合弱)摂食する必要がある。だから山盛りのどんぶり飯と梅干で日本人は生きてこれたのである。
今日初めて伺いました。いい内容なので登録させていただきました。
私の先祖も武士で白河藩の中流の身分だったそうです。当時はまんべんもなく長生きするのではなく「いかに生きるか⁉️」が常識だったのでしよう。🤔
粗食の方が、美食より長生きできると、医大の先生が言っていました。
こういう人を取り上げた大河ドラマも面白いかもなぁ。まあ、大河じゃなくても普通にドラマとして作れそう。
この アプローチ興味深いです!人の暮らしあり❗up有り難う御座います。
石城さんは、たしか食に無頓着な方だったようです。食べることよりもお酒に目がないような記述があったはず。そのことから下級武士のスタンダードでは無かったと考えられていますよね。
飲んべえでなかったらもうちょっとまともな食事してたと思う。飲んべえというのは酒さえあれば満足で食い物には無頓着になるもんや。
博識な飲んべえ😁。酔わせれば、面白い話しをするし、時には、大風呂敷を広げで『藩政』について、物申す😁。さぞかし、酔わせがいのある方だったのでは😅。朝、昼抜きの描写になってますが。二日酔いなら、有り得そうな話😂。もしくは、その日の気分(暇をもてあました時だけ)。日記に食事描写を書いたのかもしれないですね🤗
下級だけならまだしも居候ですもんね。妹夫婦にかなり遠慮してたんではないかな。まじめな人っぽいし。ごはん時にも「拙者はあまり腹が減ってはおらぬ」とかね。
大変楽しませていただきました。
当時の国民の大半を占めるのは農民。地方の農民で小作農以下の農民では白米を食べる事は、ほぼできませんでしたけどね。それと、武士であっても白米を食べるのは江戸詰めの武士で、藩に帰ると玄米だったようですよ。※江戸の武士では、脚気が流行。理由は、白米の食べすぎ。
8代将軍吉宗のテレビドラマで脚気の事やってました❗ニワトリの餌の雑穀米を混ぜたら治った人がいて、それがヒントになったらしい!!
地方によって異なる
石城さんは、50年の生涯は当時としては、長生きですね、江戸時代の平均、寿命は35歳ですから、それにしても石城さんは、なかなかの人気者だったのかな、でも食事は肉が無い。
八杯豆腐、料理名が同じだったか分かりませんが初版が昭和70年代くらいの調理学校の教科書に同じレシピがあったような…精進料理のカテゴリだったかな?おぼろげな記憶ですが昭和一桁生まれだった祖父もお正月のお餅を80代でも7個くらい食べてました。若い頃はもっと食べてたらしい。食べるものが今より少なかった時代、お餅はご馳走だったそうです。
今の食生活に比べれば質素になりますが当時はこれが普通だったのでしょう、昭和初期も現代と比べれば質素だったと思います。
秀逸と言われるだけあって挿絵が上手いですね。色使いもキレイ。絵によって画風が違うのが不思議です。ちゃんと木の芽とかも書いてある。
今の底辺フリーターでも生活保護受給者でも刑務所の食事でももっと多彩で美味しいもの食っている。卵は一個30円ほどで変えるし肉、野菜、パンでも色々な総菜パン、味付けも醤油だけじゃなく様々な調味料がある。なんて今の時代はありがたい時代なのだろう…しかし少なくとも自分は日々の食事をそんなに素晴らしいものとは思っていないこの動画を見て自分は日々なんてすばらしい食事をとっているんだと考え直さされる良い機会だった
その後の明治時代では30円あれば卵が100kg以上、つまり1500~2000個買えたわけだけど
今と比べたら質素で味気なさそうな食事なのに妙に美味そうに見えるのはなぜなんだろうね。
DNAが思わせているのかも❓
江戸時代の豆腐は高級食材。江戸時代のレシピで豆腐1丁作るのにとんでもない量の大豆が必要なんだな。卵や肉なんて更に超高級食材。
歴史が好きだが、武将の話などは読み飽きた。最近は、書店で雑誌の特集記事を立ち読みしても新しい話は、もうない。然し、戦国時代、長距離の旅はどうしていたんだろう(宿場、支払など)と思うが判らない。勉強になった。
この時代、お茶漬けは通常食です。朝に1日分のご飯を炊くので、冷たいご飯をお茶漬けで食べる事が多いのです😊
勉強になった
飲まなきゃやってらんないのは今も昔も変わらないのなw
動画ありがとうございます🙇楽しかったです😁🤔栄養はあるが添加物だらけの食事で病持ち、寝たきりで長生きするか、質素な食事でも健康に生きて五十で逝くか。さてどちらが楽しいでしょうね✨
健康に生きて50歳で死ぬほうが良い❗
3泊4日くらいで江戸時代行ってみたいです。
何だその妙な服は?しまむらで買いました
@@ヒロッペ365いいですね❤笑
30代独身だが、今の私と変わらない食事事情だった。江戸時代はうなぎは今ほど高価ではなかったでしょうね。
武士は食わねど高楊枝。か…💧ご先祖様…ご苦労様でした🙇
居候だから遠慮しないとね😮しかし貴重な資料ですね。鬼平とはかけ離れてる。
一緒に呑んでみたい方ですね。色々な話をして下さるのだろう。
素敵な声読み聞かせ上手
藩政を真剣に考え意見を述べ藩主の怒りを買い中級武士から下級武士に落とされましたか・・・お家の事を考え世の中上手く泳ぐ武士が多いと思いますが、ひょうひょうとして居る様で骨の有る方ですね。
今で言えば地方公務員の食事ですね。面白かったです。
I love this kind of history.
私は糖尿病になったのと食欲が無い時があるので、石城さんと同じ様な食事をしています。お酒は飲めなくなったので飲んでいません。😂
😊石城さんと同じような食事 上等です。 これから30分でもぶらぶら散歩や お庭掃除などしますと 食欲も上がるでしょう❤ お大事に。
登録しました(*^^*)楽しい動画です😀
お酒の飲み方も食事の献立も自分とそっくりだ笑笑
人生わずか50年と言われた時代でしょうか?そんなに早死にではないと思いますし、質素な食生活という感じもしません。埼玉は内陸県ですが、結構海産物も採っていた気がします。野にある野草を野菜代わりに食べたという記載もない様ですし。当時の平均寿命が短かったのは、子供の時に死ぬ人が多かったこと、医療が発達していなかったこと等が大きな理由だと思います。簡単に言うと食生活よりも医療の問題と思います。日本ではないですが、オーストラリアでも早死にする人は昔多かったようですが、19世紀あたりでも80代、90代まで生きた人はかなりいた様です。先住民のアボリジニー等はイギリス人の入植が始まって以降、平均寿命は逆に短くなっています。
下級武士といっても!まだいい方だと思います!お米も少くお餅も!食べれない!武士も!いました!世襲性の厳しさ!もあったし!まともな!お正月が迎えることが藩!によってあったみたいです!
豆腐の栄養価が高いのは分かりますが人は植物性たんぱく質を吸収出来ないらしいですよ。つまり栄養素にはなりません
江戸時代が、好きで読みました。絵は、詳細には描かれてはいませんがイラスト的かな。結構暇なようで、物見遊山をしていた感じで暮らし振りが分かりました。
流通事情が悪いから野菜は地物、冷蔵がないから魚はほぼ食べられない干物ならば食べられた野菜を保存するには塩漬けにするしか無いから高血圧になりやすく脚気にもなりやすい
江戸末期の奄美に島流しにされた名越左源太が帰鹿した時に藩主に奉呈した「南島雑話」が当時の薩摩の植民地奄美の自然・風俗を挿絵付きで詳細に記述しており、古層の琉球民族を知る非常に重要な文献になっています。読んでいても楽しい本です。
栄養士を始め、多くの方が和食は健康的な食事で戦後一般家庭で食べられるようになった西洋の食事は身体に悪いので昔の日本の食生活に戻るべきだ!みたいな声が聞こえることがありますが、こういう炭水化物過多、塩分過多、タンパク質不足の食生活だったので江戸時代の平均寿命は60〜65歳でした。今回の動画はそれを見事に証明してますね。
妹夫婦のところに居候した時点で、冷遇されることはお察し。日記をつけ始めたのも、相当ヒマだったからでしょう。
居候の独身の酒飲みですからね。友人の例を見ても、今でもバランスのとれた食生活はしていませんね。石城が奥さんと二人暮らしで、酒をもう少し控えていたら、質素でも、もう少しバランスがとれた食事だったかも。今は飽食ですから。
尾崎石城は栄養不足の酒好きで歯を早く失ったために五十歳を越えられなかったように感じる。
昭和40年代のワイが小学生の頃の母子家庭での食事はネタこそ違えほぼ似たような感じやったで、ご飯はすきなだけお代わり出来たし全然不自由と感じず毎回楽しみやったねぇ、ああこれ見てたら腹減ってきたw
歓迎する内容ですね。江戸時代のいち断面ですね。大多数は、質素だった。そして文明の進化とは、多くの何気ない素晴らしい文化的な事を、忘れ去ってきてるのかな?
17:05質素な生活に加えて酒の飲み過ぎが原因かも。
野菜が圧倒的に足りない。病気にならないのが不思議なくらい。
お酒は身を滅ぼす🍶って,聴いた事があります。偏った食事もそうですが、皆さんのコメントの様にお酒でしょうね
江戸時代の大工やってる町人とか、中々狂った量の米を食っていたという。塩分も取り過ぎな事が多かったそうだ。豆腐ばかりで小食なイメージだがそうではなく、醤油多目にかけた豆腐をご飯山盛りで食っていたのではないか?とにかく米と醤油を大量に摂る。普段からそうであれば、正月に餅を15切れ食ったとしてもおかしくない。寿命が短かったのは栄養が偏っていたからで、タンパク質やビタミンが不足し、病気にも抵抗力が無かったのだろう。
人の上に立つ人ほど質素な暮らし。贅沢はしない。それが日本人。農民の方が食事は豪華でした。だから日本食は世界三大料理に入らなかった。誠実な日本人だからこそ。
多分この人、根っからの酒飲みなんだと思う。 酒飲んじゃうと飯食わなくても良いタイプなんじゃないかな? だから早死にしちゃう。
庶民の平均の食事に比べたら、食べ物の数がすくないかもしれないけど、質素な生活ですね😢食べ物の数が多ければいいわけではないですよ😮味噌汁は万能薬ですよ。かえって健康的で長生きなさるかもしれないですね🤗悪い食べ物もありますから。長生きしてくださいね😊
絵日記のおかずに加えて米と漬物ぐらいは食べていたのでしょうか そうでないならちょっと質素すぎる気がしました
江戸時代に日記をつけていた人はまだまだいるのかなあ。
今の普通が相当豪華だな。
鰻、茶碗蒸し、なすの煮物? 鰻など、年金暮らしの私は、食べた記憶がありません。 酒は飲みますが、日本酒は高いので、一番安物の焼酎を飲んでいます。 最近は、卵も高くなり、大好きな卵かけご飯も食べれなくなりました。 下級武士の食生活が羨ましくてなりません。
続き二人ともイチゴ、アダンといふものの実取て食とし数日に及んで及んで遂に餓死しけるが、今にイチゴ、アダン実の熟するころは、わらんべの声に歌のごとくあり。その歌に「アダンとて呉ちよ、イチビもて呉ちよ」と(アダン下さい、イチゴください)折り返し歌う、その声を聞くときは村中男女聞く者涙を流しける。誠に聞もすさまじき事也。
とっても興味深い内容ありがとうございます。動画の中に、彼によって描かれた絵はあるのでしょうか?
今の自分たちもすでに「今までどうしていたの?」と言われている。スマホや携帯電話のなかった時代の事を。そして、むしろそれらが無い時代の方が個人個人にドラマや出来事、その時ある物の工夫や加工してちょっと満たされていたような感じがしていた。今はなんだか全てが個人の力を上回ってすでにそろっている状態なのでつまらないだろうなと思ってしまう。
これくらいの献立なら、野菜が少し足りない程度で栄養不足と言うには当たらないと思います。現代人は過食過ぎるんですよ。
いや、緑黄色野菜が少しどころか全然たりていないし、糖質・動物性たんぱく質も必要量が接種できていないと思う。
石城日記、江戸時代の日常に興味があり図書館でン十年前に出会い、夢中で読んだ記憶があります。食事は意外に豊かな日もあり宴会のような日もありで。自身も食材を調達したり料理したり。絵も楽しく描かれており、いつの間にか石城の大ファンになりました。RUclipsでこらまた偶然に石城を紹介されていて記憶がよみがえり嬉しかったです。ありがとうございました!
尾崎石城殿、大変貴重な物を後の世に残して頂いた事感謝申し上げます。また維新後日本の近代化にご尽力された事合わせて感謝申し上げます。☺️
今は天界で美味しいお酒と肴を天界の方々と存分に楽しまれている事を願っております。☺️
せきじょう、の名前が一回変換で出ませんが、とても面白かったです。
共に暮らした祖父が明治生まれでしたが、祖母の父は江戸時代にも遠くなく、その影響か、似たような食生活でした。
ご飯、味噌汁、沢庵、たまに金平、昆布の佃煮(自宅で作ったもの)
肉は年に2度。魚はお客があった時。
それでも90まで生きました。
母方の祖父も質素で、汁物、ご飯、おかず一品(たまに行った時見ただけ)でも、99歳まで生きました。祖父の祖父とかがついこの間の江戸時代も無関係ではなかったのだなと、実感しました。
参考になりました。貴重な紹介ありがとう
私の曾祖母(戦前没)は「四足のものは食べない」が信条だったそう。
---
動画主さんは質素と言われていますが、居候でぷらぷらしているんだから、そんなもんじゃないですか。
昔の時代劇で貧乏な侍が「たった5俵扶持の下っ端侍が」となじられる場面がありました。
その時は子供心に「あんな大きい米俵を毎年5個(俵)ももらえるんなら喰うのには困らないじゃん?」と思ったのですが考えてみれば全部食用にできるわけじゃなくその米を売って生活費も工面するのですから確かに5俵で家族を養うのは大変だったでしょう。
その下っ端侍もパワハラで奉行所に訴えても、ボイスレコーダーが無い時代でしたから、証拠不十分で却下されたでしょうね。😮
5俵扶持というのが1年分の配当だったら、現代価値だと40万円前後、激貧でしょうね。
現代でも朝抜きの人もいますから、強ち変ではないのかも知れません。
また、同じメニューが連続したり、日によって「たったこれだけ?」の場合ですが、現代と違って冷蔵庫もありませんから、作り置きも出来ませんし、たまたま手に入った食材(豆腐とか売りに来た?)を有り合わせで作った、大雨で買い物は面倒だから多めに作って残りを食べた、とかかも?
など想像してしまいました。
戦国時代の武将ですら、戦場のメニューはかなり質素だったりしますね。現代で本当に幸せです。
素晴らしいです。
改めて、今自分が頂いている命に感謝しながら生きようと思いました。
石城と変わり無い私の夕食、納豆ご飯に味噌汁、ある日はツミイレのウドンなので似ていると思いましたが、毎晩ビールが有るのは石城よりも恵まれていますし、朝食も昼食も食べますので現代は良いですね。そうすると現代人は中級武士以上の食生活かも知れませんね。
居酒屋店主ですが自分が食べるのは、近所の農家からもらった売れない野菜。自分で採った山菜(大量に採って塩漬け)。閉店間際のスーパーの半額お惣菜。やっすいカップ麺。
こんなもんです。自分の食事にはあまり関心ないんですよね。
でもお客様のおつまみには徹夜してでも手をかけられるだけかますけど。
書いた本人も、数世紀の時を経て貴重な資料として重宝されるとは思わなかったろうな
2023年、オレゴンに暮らす私86歳と87歳の主人の食事も同じく質素、石城さんのお食事は農薬まみれの食事より豊か
友人に恵まれたお人柄素晴らしい。
その時代その時代で食生活や習慣なども異なる事でしょうし、過去を知る参考になる文献だと思います。
今では高級品とされるものだが、昔は、普通に川で捕れるウナギも、松茸も安くて庶民の食べ物だった、薪を取るために山は整備されていたから、秋には普通にあちこちで松茸が生えていたそうです。羨ましいことです。
失って判る有難味ってやつですかね。
母方実家の近くに松林(防風防砂林)があって、秋になると松茸は喰い放題。毎年の事だったので3日も松茸を喰い続けると、椎茸の方が余程美味しいと思っていた。時は移ろい道路の拡張改良工事のせいで松林がなくなり松茸とは縁遠くなってしまった。まぁ、ガキの頃に一生分喰い尽したせいか、最早松茸を食べたいと言う気持ちすらなくなったけどね。
100年前には、天麩羅屋さんには普通にマツタケの天麩羅があったそうですよ。明治生まれの私の親が言っていました。
松茸を、思い切り食べた子供の頃が懐かしい。
とてもおもしろかったです。同じ時代を生きたかも知れない幕臣山本政恒の日記が元の本は読んだことがありますが日記は日記でも絵日記は初めてでした。またすぐ近くにそのような方がいたことに驚きです。
現在の日本人は、いろいろな美味しい物があって幸せですよね❗️
江戸下級武士は栄養失調に近い状態で、当時の成人男性は現代の女性の身長の高さに驚くでしょうね。
優しい語り口調で最後まで見れました😊
砂糖も無かったから、余り旨く無かったでしょうね、酒呑めれば上等、沢庵が出て来ない、酒はどぶろくか濁りでしょうね。
検索すれば出てくるので広く読まれてほしい絵日記。画才があり、日記の挿絵が脱力感あってたまらない。ジャンルはゆるふわ日常系。基本的にメシ。貧乏ながら悲壮感はない。
人生50年で良いと思いました。ありがとうございます。🙏いいですね~日本人は、シンプルで。🤗
質素な食生活というよりは、酒の飲み過ぎが短命の原因であるような気がする。
その通りです
そしてそれも資料になるよね
あと酒で失敗する人のようだね
今と違って酒の濃さ薄っいから!
ね!
大丈夫大丈夫( ´ཫ`)( ´ཫ`)( ´ཫ`)
大変興味深く拝聴いたしました。
お茶漬けはインスタント食品の
代わりみたいな感じですね😊
ふつうに美味しそうな食事。豆腐、漬け物、お茶漬け、酒呑みは大好きな食べ物です。
グルメで明け暮れる現代人よりも薄めの食事で過ごす謙遜な心持ち。平穏、平安な生活感。
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とてもリアルで,いつの時代も調理をして食べて生活をしているという当たり前だけど,
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このような貴重な資料ありがとうございました。
ところで,石城さんの食事は質素ですが栄養の偏りというよりは,
あきらかにアルコール多飲によって肝臓や腎臓,大腸等の病気で早死にされたと推測します。
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勉強になりました、結構、現代より健康的な食事でしたね、いまの食事は成人病になるようなものが多いですが、質素に立ち帰るようにすべきですね
石城さんの毎日の献立やお正月のメニューがとても興味深かったです。豊かな食生活の現代は幸せ?お金を出せば大体の生活用品は手に入るし、便利に暮らせる。でも、本当の豊かさはそれだけでは満たせない…と、石城さんに論じられそうです。
とてつもない信者臭w
酒代をおかずに当ててたら質素ではなかったかもね 酒は高級品
農村で大きくなった者です。下級武士とはいえ、結構なものをたべていますね。高度成長前の農村では、魚など月に数度、カレーも月に数度でした。それ以外は野菜を煮たものと漬物、味噌汁でした。江戸時代にこれほどの食生活が出来たのは10人扶持、つまり10人分の食費を提供して貰えたからですね。
食のこともさることながら「口は禍の元」だなと思いました。石城さんが「藩政について語る」ことが無かったら、その後の暮らし向きも変わっていたでしょうし、これほどの貧乏暮らしとは無縁だったかもしれないと思うと・・・ますます「言葉に気をつけなければ」と思います。
石城、昔だけど親近感湧きます。サラリーマンみたいですね。食事の日記もこんなに鮮明にわかって面白いです
お酒のツマミにちょうど良い感じでした😊
ごちそうさまでした😊
「日本酒」は原料が白米なのでごはん代わりみたいなものですね。
それにしても石城さんは豆腐が大好きだったんですね☺
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やたら質素かどうかというのが強調されている動画でしたが、そんな事よりは当時どういうものを食してきているのかというのに興味があったので、大変参考になりました。
一日三食食べるという習慣は明治時代に欧州から行政制度とともに導入された。また欧州も産業革命前は一日二食である。
一日二食というのは武士でも農民でも同じである。朝食は午前10時以降に食べる食事である。日が昇ると仕事を始め、10時以降に朝食休憩をとり、その後午後の作業を行い夕食を食べて日没とともに就寝する。「朝飯前の仕事」という言い回しがあるが、本来は半日仕事である。だから「朝飯前の仕事」というのは今日中に終わるという意味で簡単といういみでは本来ない。
玄米というのはアミノ酸スコアが100の完全栄養食であり、その点は小麦とは違う。つまり玄米さえ食べていればたんぱく・ビタミン不足で栄養失調になることはない。ただし、玄米だけでたんぱくを補おうとすると玄米を一日4000kcal(玄米で10合弱)摂食する必要がある。
だから山盛りのどんぶり飯と梅干で日本人は生きてこれたのである。
今日初めて伺いました。いい内容なので登録させていただきました。
私の先祖も武士で白河藩の中流の身分だったそうです。当時はまんべんもなく長生きするのではなく「いかに生きるか⁉️」が常識だったのでしよう。🤔
粗食の方が、美食より長生きできると、医大の先生が言っていました。
こういう人を取り上げた大河ドラマも面白いかもなぁ。
まあ、大河じゃなくても普通にドラマとして作れそう。
この アプローチ興味深いです!人の暮らしあり❗up有り難う御座います。
石城さんは、たしか食に無頓着な方だったようです。
食べることよりもお酒に目がないような記述があったはず。
そのことから下級武士のスタンダードでは無かったと考えられていますよね。
飲んべえでなかったらもうちょっとまともな食事してたと思う。
飲んべえというのは酒さえあれば満足で食い物には無頓着になるもんや。
博識な飲んべえ😁。酔わせれば、面白い話しをするし、時には、大風呂敷を広げで『藩政』について、物申す😁。さぞかし、酔わせがいのある方だったのでは😅。朝、昼抜きの描写になってますが。二日酔いなら、有り得そうな話😂。もしくは、その日の気分(暇をもてあました時だけ)。日記に食事描写を書いたのかもしれないですね🤗
下級だけならまだしも居候ですもんね。妹夫婦にかなり遠慮してたんではないかな。まじめな人っぽいし。ごはん時にも「拙者はあまり腹が減ってはおらぬ」とかね。
大変楽しませていただきました。
当時の国民の大半を占めるのは農民。
地方の農民で小作農以下の農民では白米を食べる事は、ほぼできませんでしたけどね。
それと、武士であっても白米を食べるのは江戸詰めの武士で、藩に帰ると玄米だったようですよ。
※江戸の武士では、脚気が流行。
理由は、白米の食べすぎ。
8代将軍吉宗のテレビドラマで脚気の事やってました❗ニワトリの餌の雑穀米を混ぜたら治った人がいて、それがヒントになったらしい!!
地方によって異なる
石城さんは、50年の生涯は当時としては、長生きですね、江戸時代の平均、寿命は35歳ですから、それにしても石城さんは、なかなかの人気者だったのかな、でも食事は肉が無い。
八杯豆腐、料理名が同じだったか分かりませんが初版が昭和70年代くらいの調理学校の教科書に同じレシピがあったような…精進料理のカテゴリだったかな?
おぼろげな記憶ですが
昭和一桁生まれだった祖父もお正月のお餅を80代でも7個くらい食べてました。
若い頃はもっと食べてたらしい。食べるものが今より少なかった時代、お餅はご馳走だったそうです。
今の食生活に比べれば質素になりますが当時はこれが普通だったのでしょう、昭和初期も現代と比べれば質素だったと思います。
秀逸と言われるだけあって挿絵が上手いですね。色使いもキレイ。
絵によって画風が違うのが不思議です。ちゃんと木の芽とかも書いてある。
今の底辺フリーターでも生活保護受給者でも刑務所の食事でももっと多彩で美味しいもの食っている。
卵は一個30円ほどで変えるし肉、野菜、パンでも色々な総菜パン、味付けも醤油だけじゃなく様々な調味料がある。
なんて今の時代はありがたい時代なのだろう…しかし少なくとも自分は日々の食事をそんなに素晴らしいものとは思っていない
この動画を見て自分は日々なんてすばらしい食事をとっているんだと考え直さされる良い機会だった
その後の明治時代では30円あれば卵が100kg以上、つまり1500~2000個買えたわけだけど
今と比べたら質素で味気なさそうな食事なのに妙に美味そうに見えるのはなぜなんだろうね。
DNAが思わせているのかも❓
江戸時代の豆腐は高級食材。江戸時代のレシピで豆腐1丁作るのにとんでもない量の大豆が必要なんだな。卵や肉なんて更に超高級食材。
歴史が好きだが、武将の話などは読み飽きた。最近は、書店で雑誌の特集記事を立ち読みしても新しい話は、もうない。
然し、戦国時代、長距離の旅はどうしていたんだろう(宿場、支払など)と思うが判らない。
勉強になった。
この時代、お茶漬けは通常食です。
朝に1日分のご飯を炊くので、冷たいご飯をお茶漬けで食べる事が多いのです😊
勉強になった
飲まなきゃやってらんないのは今も昔も変わらないのなw
動画ありがとうございます🙇
楽しかったです😁
🤔栄養はあるが
添加物だらけの食事で
病持ち、寝たきりで長生きするか、
質素な食事でも健康に生きて
五十で逝くか。
さて
どちらが楽しいでしょうね✨
健康に生きて50歳で死ぬほうが良い❗
3泊4日くらいで江戸時代行ってみたいです。
何だその妙な服は?
しまむらで買いました
@@ヒロッペ365いいですね❤笑
30代独身だが、今の私と変わらない食事事情だった。
江戸時代はうなぎは今ほど高価ではなかったでしょうね。
武士は食わねど高楊枝。か…💧
ご先祖様…ご苦労様でした🙇
居候だから遠慮しないとね😮
しかし貴重な資料ですね。
鬼平とはかけ離れてる。
一緒に呑んでみたい方ですね。色々な話をして下さるのだろう。
素敵な声読み聞かせ上手
藩政を真剣に考え意見を述べ藩主の怒りを買い中級武士から下級武士に落とされましたか・・・
お家の事を考え世の中上手く泳ぐ武士が多いと思いますが、
ひょうひょうとして居る様で骨の有る方ですね。
今で言えば地方公務員の食事ですね。面白かったです。
I love this kind of history.
私は糖尿病になったのと食欲が無い時があるので、石城さんと同じ様な食事をしています。お酒は飲めなくなったので飲んでいません。😂
😊石城さんと同じような食事 上等です。 これから30分でもぶらぶら散歩や お庭掃除などしますと 食欲も上がるでしょう❤ お大事に。
登録しました(*^^*)楽しい動画です😀
お酒の飲み方も食事の献立も自分とそっくりだ笑笑
人生わずか50年と言われた時代でしょうか?そんなに早死にではないと思いますし、質素な食生活という感じもしません。埼玉は内陸県ですが、結構海産物も採っていた気がします。野にある野草を野菜代わりに食べたという記載もない様ですし。
当時の平均寿命が短かったのは、子供の時に死ぬ人が多かったこと、医療が発達していなかったこと等が大きな理由だと思います。簡単に言うと食生活よりも医療の問題と思います。
日本ではないですが、オーストラリアでも早死にする人は昔多かったようですが、19世紀あたりでも80代、90代まで生きた人はかなりいた様です。先住民のアボリジニー等はイギリス人の入植が始まって以降、平均寿命は逆に短くなっています。
下級武士といっても!まだいい方だと思います!お米も少くお餅も!食べれない!武士も!いました!世襲性の厳しさ!もあったし!まともな!お正月が迎えることが藩!によってあったみたいです!
豆腐の栄養価が高いのは分かりますが人は植物性たんぱく質を吸収出来ないらしいですよ。
つまり栄養素にはなりません
江戸時代が、好きで読みました。
絵は、詳細には描かれてはいませんがイラスト的かな。
結構暇なようで、物見遊山をしていた感じで暮らし振りが分かりました。
流通事情が悪いから野菜は地物、冷蔵がないから魚はほぼ食べられない干物ならば食べられた
野菜を保存するには塩漬けにするしか無いから高血圧になりやすく脚気にもなりやすい
江戸末期の奄美に島流しにされた名越左源太が帰鹿した時に藩主に奉呈した「南島雑話」が当時の薩摩の植民地奄美の自然・風俗を挿絵付きで詳細に記述しており、古層の琉球民族を知る非常に重要な文献になっています。読んでいても楽しい本です。
栄養士を始め、多くの方が和食は健康的な食事で戦後一般家庭で食べられるようになった西洋の食事は身体に悪いので昔の日本の食生活に戻るべきだ!みたいな声が聞こえることがありますが、こういう炭水化物過多、塩分過多、タンパク質不足の食生活だったので江戸時代の平均寿命は60〜65歳でした。今回の動画はそれを見事に証明してますね。
妹夫婦のところに居候した時点で、冷遇されることはお察し。
日記をつけ始めたのも、相当ヒマだったからでしょう。
居候の独身の酒飲みですからね。友人の例を見ても、今でもバランスのとれた食生活はしていませんね。
石城が奥さんと二人暮らしで、酒をもう少し控えていたら、質素でも、もう少しバランスがとれた食事だったかも。今は飽食ですから。
尾崎石城は栄養不足の酒好きで歯を早く失ったために五十歳を越えられなかったように感じる。
昭和40年代のワイが小学生の頃の母子家庭での食事はネタこそ違えほぼ似たような感じやったで、ご飯はすきなだけお代わり出来たし全然不自由と感じず毎回楽しみやったねぇ、ああこれ見てたら腹減ってきたw
歓迎する内容ですね。江戸時代のいち断面ですね。大多数は、質素だった。そして文明の進化とは、多くの何気ない素晴らしい文化的な事を、忘れ去ってきてるのかな?
17:05
質素な生活に加えて酒の飲み過ぎが原因かも。
野菜が圧倒的に足りない。病気にならないのが不思議なくらい。
お酒は身を滅ぼす🍶って,聴いた事があります。偏った食事もそうですが、皆さんのコメントの様にお酒でしょうね
江戸時代の大工やってる町人とか、中々狂った量の米を食っていたという。塩分も取り過ぎな事が多かったそうだ。
豆腐ばかりで小食なイメージだがそうではなく、醤油多目にかけた豆腐をご飯山盛りで食っていたのではないか?
とにかく米と醤油を大量に摂る。普段からそうであれば、正月に餅を15切れ食ったとしてもおかしくない。
寿命が短かったのは栄養が偏っていたからで、タンパク質やビタミンが不足し、病気にも抵抗力が無かったのだろう。
人の上に立つ人ほど質素な暮らし。贅沢はしない。
それが日本人。
農民の方が食事は豪華でした。
だから日本食は世界三大料理に入らなかった。
誠実な日本人だからこそ。
多分この人、根っからの酒飲みなんだと思う。 酒飲んじゃうと飯食わなくても良いタイプなんじゃないかな? だから早死にしちゃう。
庶民の平均の食事に比べたら、食べ物の数がすくないかもしれないけど、質素な生活ですね😢食べ物の数が多ければいいわけではないですよ😮味噌汁は万能薬ですよ。かえって健康的で長生きなさるかもしれないですね🤗悪い食べ物もありますから。
長生きしてくださいね😊
絵日記のおかずに加えて米と漬物ぐらいは食べていたのでしょうか そうでないならちょっと質素すぎる気がしました
江戸時代に日記をつけていた人はまだまだいるのかなあ。
今の普通が相当豪華だな。
鰻、茶碗蒸し、なすの煮物?
鰻など、年金暮らしの私は、食べた記憶がありません。
酒は飲みますが、日本酒は高いので、一番安物の焼酎を飲んでいます。
最近は、卵も高くなり、大好きな卵かけご飯も食べれなくなりました。
下級武士の食生活が羨ましくてなりません。
続き
二人ともイチゴ、アダンといふものの実取て食とし数日に及んで及んで
遂に餓死しけるが、
今にイチゴ、アダン実の熟するころは、わらんべの声に歌のごとくあり。
その歌に「アダンとて呉ちよ、イチビもて呉ちよ」と(アダン下さい、イチゴください)
折り返し歌う、その声を聞くときは村中男女聞く者涙を流しける。
誠に聞もすさまじき事也。
とっても興味深い内容ありがとうございます。
動画の中に、彼によって描かれた絵はあるのでしょうか?
今の自分たちもすでに「今までどうしていたの?」と言われている。
スマホや携帯電話のなかった時代の事を。
そして、むしろそれらが無い時代の方が個人個人にドラマや出来事、その時ある物の工夫や加工してちょっと満たされていたような感じがしていた。今はなんだか全てが個人の力を上回ってすでにそろっている状態なのでつまらないだろうなと思ってしまう。
これくらいの献立なら、野菜が少し足りない程度で栄養不足と言うには当たらないと思います。現代人は過食過ぎるんですよ。
いや、緑黄色野菜が少しどころか全然たりていないし、糖質・動物性たんぱく質も必要量が接種できていないと思う。