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毎回、清水先生のご本を片手に楽しく拝見しております。(先日はお会いできなくて残念でした)。ところで、「推古天皇という人も蘇我稲目の娘」とありますが「孫」です
ぎゃーご指摘ありがとうございます!推古の母が稲目の娘でした失礼しました
ありがとうございます!
ありがとうございます。応援を励みにこれからも頑張ります。
今回もありがとうございます。仏教が伝来した頃のお寺を訪れて、当時のお寺の建物があった様子を思い浮かべながら、その時代の全体像のこともイメージするということに興味を持ちました。最後におっしゃった仮説はわたしにとってはとても真実味がありました。そうやって歴史のイメージづくりをやっていくと、その時代のことが本当に身近に感じられますね。
ご視聴ありがとうございます。飛鳥時代のお寺は手がかりが少ないことも多く、想像がほとんどになってしまったりしますが、それもまた魅力のひとつだと思っています。
今回も楽しく拝見しました。奥山廃寺とは、ちょっと渋めのところですね。私は行ったことがないので今度行ってみます。そろそろ、買いそびれている清水先生のあの著作も購入しようと思います😊
いつもありがとうございます♪清水先生のご本には、奥山廃寺より渋いお寺がたくさん紹介されています。ぜひぜひご購入検討くださいませ✨
冴えわたる解説に今回も楽しく観させて頂きましたそれにしても、人もニャンコもワンコ一匹も出てこなかったのはギネス級ですね^^
確かに! ワンちゃんもネコちゃんも人も出てきませんでしたね! 気がつきませんでした。
久しぶりのコメントです。最近、体調不良でしたので。相変わらず面白いコメントですね。今年はとても暑かったので。あまり無理をしないでください。私は最近、山の遭難事故、犯罪事件関連の動画を見ています。これは実際に起こったことなので、ちょっと怖い話ですよね。
コメントありがとうございます。今年はいつまでも暑いので体調崩しがちですよね。どうかお体お大切に。またコメントお待ちしてます♪
いつもありがとうございます。自身で歩くことができないので豆知識も含め本当に楽しみにしています。
こちらこそいつもご視聴ありがとうございます。お楽しみいただけたら嬉しいです。
小墾寺。失われた当時の寺の名前を予想するだけでワクワクします。今後、〇〇廃寺という遺跡に出会う度、この寺の本当の名前は何だろうと考えてしまいそう。露盤博士。勉強になりました。言葉は知っていたのですが、何となく読み流していました。
ハルキー先生ありがとうございます♪露盤博士、私も今回初めて詳しく調べました。塔の上に石を上げるって、結構すごい技術ですよね。
奥山廃寺へはなぜかたどりつけなかった思い出があります。思い込みがある性格なので、寺跡イコール粗石のみ、門前からのびる敷石イコール民家、これでは無理でした。大変参考になりました。次回行く機会が有れば是非訪れます。ありがとうございます。
私も今回初めて行きました。以前は南側の道路から入るとばかり思って南側をうろうろしてしまいました。これも思い込みってやつですね。
ありがとうこざいます。あの塔を見た瞬間に韓国風と思いましたら、百済から職人呼んで建てたものと聞いたとき、やはりと思いました。蘇我氏に関わる建てものだったんですね。またしても645年乙巳の変以降つぶされる運命をたどったわけですね。
わかりにくくて申し訳ありません。今立っている十三重石塔は鎌倉時代のもので、飛鳥時代のものではありません。崇峻朝に百済からやってきた技術者たちは、飛鳥寺などの建立に関わったと思われます。
@@umemaeSakiko さんありがとうこざいます。
仏教伝来の時に建てられた寺院の瓦屋根と藁葺き屋根を対比して「あの藁葺き」は何ぞや!と聞かれて咄嗟に固い藁葺き=かわら、と答えた。と見てきたように嘘を言いました(^O^)
>固い藁葺き=かわら、と答えた。確かに「固いわらぶき」=略して「かわら」ですね!(笑)まあ、あんな焼き物を屋根の上に乗せるなんて、当時の人からすれば考えてもみないことでしょうから、「固い!」と驚いたことは十分ありえますね(≧▽≦)
飛鳥寺が三金堂だったのは安置する仏像が三体あったらしいんですね。素人は年代的に稲目の仏像は飛鳥寺に入れ、この場所に小墾田宮を考えてしまいます。
仏像が三体あったから三金堂。なるほど。貴重なご教示ありがとうございます。
毎回、清水先生のご本を片手に楽しく拝見しております。(先日はお会いできなくて残念でした)。ところで、「推古天皇という人も蘇我稲目の娘」とありますが「孫」です
ぎゃーご指摘ありがとうございます!
推古の母が稲目の娘でした失礼しました
ありがとうございます!
ありがとうございます。応援を励みにこれからも頑張ります。
今回もありがとうございます。仏教が伝来した頃のお寺を訪れて、当時のお寺の建物があった様子を思い浮かべながら、その時代の全体像のこともイメージするということに興味を持ちました。最後におっしゃった仮説はわたしにとってはとても真実味がありました。そうやって歴史のイメージづくりをやっていくと、その時代のことが本当に身近に感じられますね。
ご視聴ありがとうございます。
飛鳥時代のお寺は手がかりが少ないことも多く、想像がほとんどになってしまったりしますが、それもまた魅力のひとつだと思っています。
今回も楽しく拝見しました。
奥山廃寺とは、ちょっと渋めの
ところですね。私は行ったことが
ないので今度行ってみます。
そろそろ、買いそびれている清水先生のあの著作も購入しようと思います😊
いつもありがとうございます♪
清水先生のご本には、奥山廃寺より渋いお寺がたくさん紹介されています。ぜひぜひご購入検討くださいませ✨
冴えわたる解説に今回も楽しく観させて頂きました
それにしても、人もニャンコもワンコ一匹も出てこなかったのは
ギネス級ですね^^
確かに! ワンちゃんもネコちゃんも人も出てきませんでしたね! 気がつきませんでした。
久しぶりのコメントです。最近、体調不良でしたので。相変わらず面白いコメントですね。今年はとても暑かったので。あまり無理をしないでください。私は最近、山の遭難事故、犯罪事件関連の動画を見ています。これは実際に起こったことなので、ちょっと怖い話ですよね。
コメントありがとうございます。今年はいつまでも暑いので体調崩しがちですよね。どうかお体お大切に。またコメントお待ちしてます♪
いつもありがとうございます。
自身で歩くことができないので豆知識も含め本当に楽しみにしています。
こちらこそいつもご視聴ありがとうございます。お楽しみいただけたら嬉しいです。
小墾寺。失われた当時の寺の名前を予想するだけでワクワクします。今後、〇〇廃寺という遺跡に出会う度、この寺の本当の名前は何だろうと考えてしまいそう。露盤博士。勉強になりました。言葉は知っていたのですが、何となく読み流していました。
ハルキー先生ありがとうございます♪
露盤博士、私も今回初めて詳しく調べました。塔の上に石を上げるって、結構すごい技術ですよね。
奥山廃寺へはなぜかたどりつけなかった思い出があります。思い込みがある性格なので、寺跡イコール粗石のみ、門前からのびる敷石イコール民家、これでは無理でした。大変参考になりました。次回行く機会が有れば是非訪れます。ありがとうございます。
私も今回初めて行きました。以前は南側の道路から入るとばかり思って南側をうろうろしてしまいました。これも思い込みってやつですね。
ありがとうこざいます。
あの塔を見た瞬間に韓国風と
思いましたら、
百済から職人呼んで建てたものと聞いたとき、やはりと思いました。
蘇我氏に関わる建てものだったんですね。
またしても
645年乙巳の変以降つぶされる
運命をたどったわけですね。
わかりにくくて申し訳ありません。今立っている十三重石塔は鎌倉時代のもので、飛鳥時代のものではありません。崇峻朝に百済からやってきた技術者たちは、飛鳥寺などの建立に関わったと思われます。
@@umemaeSakiko さん
ありがとうこざいます。
仏教伝来の時に建てられた寺院の瓦屋根と藁葺き屋根を対比して「あの藁葺き」は何ぞや!と聞かれて咄嗟に固い藁葺き=かわら、と答えた。
と見てきたように嘘を言いました(^O^)
>固い藁葺き=かわら、と答えた。
確かに「固いわらぶき」=略して「かわら」ですね!(笑)
まあ、あんな焼き物を屋根の上に乗せるなんて、当時の人からすれば考えてもみないことでしょうから、「固い!」と驚いたことは十分ありえますね(≧▽≦)
飛鳥寺が三金堂だったのは安置する仏像が三体あったらしいんですね。素人は年代的に稲目の仏像は飛鳥寺に入れ、この場所に小墾田宮を考えてしまいます。
仏像が三体あったから三金堂。なるほど。貴重なご教示ありがとうございます。