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「子どもも、大人も、お姉さんも」を実現させたハードとソフト群。今までのゲームという固定概念の無いゲームソフトも売るって考えつかないって……
DSの時代の充足感は本当に忘れられないなぁ、DSを生かしたサードも任天堂ソフトも色々あって本当に楽しかった、ニンテンドーミュージアムでDSのブースを見てたら懐かしくて少し泣けて来てしまった。
皮肉ではなくある意味「手のひらサイズ」を実感したハードでした
DS初代は本体の作りがおもちゃぽかったのがLightでいっきにモダンになって普及をかなり手助けした印象がありますね
任天堂が目指したゲーム人口の拡大は任天堂だけじゃなくてゲーム業界全体に大きな利益をもたらしたと思ってる
ゲームを遊ばない両親&妹が、各1台づつ購入して脳トレにハマっていたなぁ。
DS以前と以後で任天堂の戦略が大きく変わった、ってわけじゃないのよね。それまで続けてきた戦略を実現させたって感じ。「ゲーム人口の拡大」「ゲームの再定義」なんてシンプルな難題を見事に突破してみせた山内社長が提案し宮本さんと岩田さんで磨き上げるって言う、考えてみたらすげぇメンツだわ
そもそもFCが「ファミリーコンピュータ」ですもんね最初から特定のマニアに向けて売ろうとしてたわけではないんですよね
@@nbh080 ただ開発の上野さんが奥さんに提言された「ファミコン」という略称は山内社長に「なんやねん!それ」と一蹴されたという逸話も・・・
15:20 今でも遊んでる人15%もいるのね。実際、DSとか3DS、ジャンル多すぎ、良いゲーム多すぎで、まだまだ遊べる。タッチ操作、2画面、縦持ち、とか他社じゃ出てこない発想。ソニーは電器メーカー&映像音響機器メーカーだから映像とか性能をアピールする方向性に行ってしまい、どうしても「据え置き機の縮小版」となってしまうが任天堂は古くは娯楽製品、玩具メーカーなので商品企画や発想が独特で新鮮。こういうところも唯一無二。
DSの前半戦はこんなもんだったけど、中盤戦ではいよいよサードメーカーが本格参入して本気を出したり、逆に手を抜いた駄作作ったりでカオスだった。後半戦になるとさらにその差が広がってもう滅茶苦茶だった。お手軽携帯機ゆえにソフトの品質に天地ほどの差があるハードだったなあ。有名シリーズだからとすぐ飛びつくのはやめよう……と学習した時代でもあった。
DSは実は発売日はお店に行けば普通に買える位の人気だったから自分も普通に店で予約もせずに買えたGBAは売れてたとはいえ、GBに比べればそこまで大ヒットでなかったし、ソニー一強時代に入ってた上にPSPに話題を奪われかけてたけど、脳トレの大ヒットが全てを覆したんだよ因みに「川島教授の脳トレ」自体はSEGAが先にエレメカで出してスマッシュヒットさせてたんだけどね・・・まぁいつものセガだなぁって当時思ったものよ
空白の17分たぶんここがゲーム業界の分岐点だったんだろう
アレは結局のところ『すごいGBA』だったからねDSのようなハードを出す事を読み切れなかった時点で負け時代背景としてはスマホが普及する前というのもポイントスマホが十分に普及した今では逆にswitchのようにゲーム専用機という部分が個性になる
DSの全盛期と小学校の6年間がちょうど重なってた世代だったけど、当時はデンゲキニンテンドーDS&Wii(たまにファミ通DS&Wii)を毎月買ってそこで知って気になったソフトを親にねだってたなぁ…
子供たちや今までにゲームに触れて来なかったライト層にゲームというものを普及した機種
脳トレやレイトンなんかは通勤電車の中で大人が遊んでるのをよく見たものだ
あらゆるものに対して「ちょうどいい」「心地良い」ハードだった当時はまさかここでゲームボーイシリーズが途絶えるとは思わなかったけど
DSの頃感じたワクワク感をもう一度味わいたい…
今の任天堂を見るとほんとDSが基盤になったよなーってのがよくわかるswitchでもDSのゲームできないんですか?ってことあるたびに言うやついるから層の厚さがすごいわな
やはり初期のDSはアドバンスとの互換性あったのも大きかったですね、iで無くなったのは残念でしたよ。未だに発売日に買った初期DS、一部割れや画面欠けありますがまだ使えます。
DS lite (赤色)が手元にあるんですが今見ても洒落てるんですよね多分スマホを先取ってたのがDSだった気がします
山内社長「飛び出さへんのか?」岩田・宮本「それじゃ3Dを・・・」SCE佐伯「お子ちゃま」
64のマリオが最適化されてるとはいえ携帯機で動くのが衝撃でしたね
確か3DSが発売後、本体が壊れるまでは遊んでました。ソフトは3DSがあるからまだまだ遊べますね
おじさんの初見は間違いなくゲームウォッチのドンキーコングやん自分はしばらくゲームから離れていたので3DSからになりましたが映像がキレイでびっくりしましたね
実はポケモン、DQ、FFという3つのシリーズタイトル全部ミリオン突破記録あるハードはこのDSのみ(ポケモンはCS機たと任天堂ハードのみDQ、FFはps4で出た最新作が最後、DQはDL版、廉価版込みだとSwitchの11Sがミリオン行ってそうだけど)
山内社長時代だしPS意識した発表はあるだろうな岩田社長時代や今だと敵は世間の無関心であってPSは眼中になくなるからな
・山内社長 ~2002年社長を退く・岩田社長 2002年~社長就任・空白の17分 2004年9月時期的に岩田社長の策だと思われます
DSのスタートは順風満帆じゃないぞ。当時はPSPが勝つって言う声の方が大きかった。
そうだったのか・・自分は任天堂の携帯機にハズレ無し、と思っていたから安心していた。
そんなに声大きかったかな?PSPは高いから購買層は限られるって声は大きかった記憶があるが
当時は「ポケモン出るまでに革命的なソフト出せるかにかかってる」という声が多かったかな。脳トレ出たらそれすら言われなくなったむしろPSPが影響与えたのはWiiのサードソフト。明らかにやる気のない作品しか出さない
DSの歴史は違法DLと転売ヤーに苦しめられた歴史って印象
DSは重かったな。GBAのほうが手軽でよかった。売れなかったけどVita(タッチパネルや背面は大失敗)もよかった。ハード性能優先でなく、遊び方(機能)を創造する任天堂はさすがだな。でも、張り切ったものは失敗、中途半端なものが成功しているイメージ🐶売れたの?脳トレは社会現象になった。
「子どもも、大人も、お姉さんも」を実現させたハードとソフト群。
今までのゲームという固定概念の無いゲームソフトも売るって考えつかないって……
DSの時代の充足感は本当に忘れられないなぁ、DSを生かしたサードも任天堂ソフトも色々あって本当に楽しかった、ニンテンドーミュージアムでDSのブースを見てたら懐かしくて少し泣けて来てしまった。
皮肉ではなくある意味「手のひらサイズ」を実感したハードでした
DS初代は本体の作りがおもちゃぽかったのがLightでいっきにモダンになって普及をかなり手助けした印象がありますね
任天堂が目指したゲーム人口の拡大は任天堂だけじゃなくてゲーム業界全体に大きな利益をもたらしたと思ってる
ゲームを遊ばない両親&妹が、各1台づつ購入して脳トレにハマっていたなぁ。
DS以前と以後で任天堂の戦略が大きく変わった、ってわけじゃないのよね。それまで続けてきた戦略を実現させたって感じ。「ゲーム人口の拡大」「ゲームの再定義」なんてシンプルな難題を見事に突破してみせた
山内社長が提案し宮本さんと岩田さんで磨き上げるって言う、考えてみたらすげぇメンツだわ
そもそもFCが「ファミリーコンピュータ」ですもんね
最初から特定のマニアに向けて売ろうとしてたわけではないんですよね
@@nbh080 ただ開発の上野さんが奥さんに提言された「ファミコン」という略称は
山内社長に「なんやねん!それ」と一蹴されたという逸話も・・・
15:20 今でも遊んでる人15%もいるのね。実際、DSとか3DS、ジャンル多すぎ、良いゲーム多すぎで、まだまだ遊べる。
タッチ操作、2画面、縦持ち、とか他社じゃ出てこない発想。ソニーは電器メーカー&映像音響機器メーカーだから
映像とか性能をアピールする方向性に行ってしまい、どうしても「据え置き機の縮小版」となってしまうが
任天堂は古くは娯楽製品、玩具メーカーなので商品企画や発想が独特で新鮮。こういうところも唯一無二。
DSの前半戦はこんなもんだったけど、中盤戦ではいよいよサードメーカーが本格参入して本気を出したり、逆に手を抜いた駄作作ったりでカオスだった。後半戦になるとさらにその差が広がってもう滅茶苦茶だった。お手軽携帯機ゆえにソフトの品質に天地ほどの差があるハードだったなあ。有名シリーズだからとすぐ飛びつくのはやめよう……と学習した時代でもあった。
DSは実は発売日はお店に行けば普通に買える位の人気だったから自分も普通に店で予約もせずに買えた
GBAは売れてたとはいえ、GBに比べればそこまで大ヒットでなかったし、ソニー一強時代に入ってた上にPSPに話題を奪われかけてた
けど、脳トレの大ヒットが全てを覆したんだよ
因みに「川島教授の脳トレ」自体はSEGAが先にエレメカで出してスマッシュヒットさせてたんだけどね・・・まぁいつものセガだなぁって当時思ったものよ
空白の17分
たぶんここがゲーム業界の分岐点だったんだろう
アレは結局のところ『すごいGBA』だったからね
DSのようなハードを出す事を読み切れなかった時点で負け
時代背景としてはスマホが普及する前というのもポイント
スマホが十分に普及した今では逆にswitchのようにゲーム専用機という部分が個性になる
DSの全盛期と小学校の6年間がちょうど重なってた世代だったけど、
当時はデンゲキニンテンドーDS&Wii(たまにファミ通DS&Wii)を毎月買って
そこで知って気になったソフトを親にねだってたなぁ…
子供たちや今までにゲームに触れて来なかったライト層にゲームというものを普及した機種
脳トレやレイトンなんかは通勤電車の中で大人が遊んでるのをよく見たものだ
あらゆるものに対して「ちょうどいい」「心地良い」ハードだった
当時はまさかここでゲームボーイシリーズが途絶えるとは思わなかったけど
DSの頃感じたワクワク感をもう一度味わいたい…
今の任天堂を見るとほんとDSが基盤になったよなーってのがよくわかる
switchでもDSのゲームできないんですか?ってことあるたびに言うやついるから層の厚さがすごいわな
やはり初期のDSはアドバンスとの互換性あったのも大きかったですね、iで無くなったのは残念でしたよ。
未だに発売日に買った初期DS、一部割れや画面欠けありますがまだ使えます。
DS lite (赤色)が手元にあるんですが今見ても洒落てるんですよね
多分スマホを先取ってたのがDSだった気がします
山内社長「飛び出さへんのか?」
岩田・宮本「それじゃ3Dを・・・」
SCE佐伯「お子ちゃま」
64のマリオが最適化されてるとはいえ携帯機で動くのが衝撃でしたね
確か3DSが発売後、本体が壊れるまでは遊んでました。ソフトは3DSがあるからまだまだ遊べますね
おじさんの初見は間違いなくゲームウォッチのドンキーコングやん
自分はしばらくゲームから離れていたので3DSからになりましたが映像がキレイでびっくりしましたね
実はポケモン、DQ、FFという3つのシリーズタイトル全部ミリオン突破記録あるハードはこのDSのみ
(ポケモンはCS機たと任天堂ハードのみDQ、FFはps4で出た最新作が最後、DQはDL版、廉価版込みだとSwitchの11Sがミリオン行ってそうだけど)
山内社長時代だしPS意識した発表はあるだろうな
岩田社長時代や今だと敵は世間の無関心であってPSは眼中になくなるからな
・山内社長 ~2002年社長を退く
・岩田社長 2002年~社長就任
・空白の17分 2004年9月
時期的に岩田社長の策だと思われます
DSのスタートは順風満帆じゃないぞ。当時はPSPが勝つって言う声の方が大きかった。
そうだったのか・・自分は任天堂の携帯機にハズレ無し、と思っていたから安心していた。
そんなに声大きかったかな?PSPは高いから購買層は限られるって声は大きかった記憶があるが
当時は「ポケモン出るまでに革命的なソフト出せるかにかかってる」という声が多かったかな。脳トレ出たらそれすら言われなくなった
むしろPSPが影響与えたのはWiiのサードソフト。明らかにやる気のない作品しか出さない
DSの歴史は違法DLと転売ヤーに苦しめられた歴史って印象
DSは重かったな。GBAのほうが手軽でよかった。売れなかったけどVita(タッチパネルや背面は大失敗)もよかった。
ハード性能優先でなく、遊び方(機能)を創造する任天堂はさすがだな。でも、張り切ったものは失敗、中途半端なものが成功しているイメージ
🐶売れたの?脳トレは社会現象になった。