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「親の死に目に会えない」って自分が親よりも先に亡くなるという意味なのか。(遠くにいて)死に際に立ち会えないという意味だと思ってた。
私も親の死ぬ瞬間に立ち会えないという意味で使っていました。自分が先に死ぬという意味で使っている例は今まで見たことも聞いたこともないです。
自分も死に際に立ち会えない、という意味で受け取ってました。子どもながらに、まあそれくらいなら構わないな、と思って親指は隠してなかった。田舎の役所職員なんですが、就職した30年前は宮型霊柩車の公用車が2台ありました。昭和だったなあ
同じでした😅
6:47 地味にず〜っと勘違いしてたことが判明してびっくり…!「親の死に目に会えない」は文字通り、「親の死の瞬間に立ち会えない」というだけの意味だと思っていました。転じて?婉曲に?「自分が親よりも早死にする」ことだったんですね。あまりに小さい頃から「死に目に会えない」を脅し文句として聞いていたためでしょうか、行間を読みとれていないままだったんですね…素直に「パパやママの最期を看取れないというのは悲しいことだなあ」と納得……あるいは学習して、それからは霊柩車や柳の近くで親指を隠したり隠さなかったりして生きてきました。
私も同じく勘違いしてました!親の死に目に会えない🟰危篤の知らせを聞いて駆け付けたけれど、既に親は亡くなってしまっていた、みたいなシチュエーション……だと思ってました。
「親の死に目」の解釈、同じくです!!!
同じだわ。
車の整備士をやっている義父曰く、宮型のものは道交法の改正により作れなくなったそうです。
霊柩車 という言葉が子供には一般的ではなくて、救急車にすり替わってしまったのでは?と、昔葬儀屋の父がこの習俗に対して言っていたことを思い出しました。ご遺体の搬送には、霊柩車ではなく寝台車なもので、なかなかこれの手配も大変なんですよね。以上、学生時代の卒論が葬儀産業だった壁の独り言でした
番組序盤での「救急車を見たら応援」は僕も実践しています。自動車を運転中によく遭遇するので、停車して悪態を言うよりも応援したほうが精神衛生的にずっと良いんですよね。
私が母と一緒に居た時に霊柩車を見て言われたのは、ネガティブなことではなかったので驚きました。確か私が霊柩車を見たら縁起が悪いというようなことを言ったのですが、母が言うには、「人が一人亡くなるのだから、縁談がまとまって、また一人生まれてくる」でした。祖父が仲人をたくさんやっていたのでこじつけかもしれませんが😅
少しだけ葬儀屋のセレモニースタッフのバイトをしてたことがあります。霊柩車は全部洋式のやつでしたねぇ〜。葬儀屋ってチームワークで、セレモニースタッフに花部門に料理部門、葬儀の司会者(これも何年も経験と知識を積まないとなれない)、火葬のプロ、外から呼んでくる「お寺さん」(お坊さん)が連携プレーして葬儀が出来上がるのです。そこの葬儀屋は元々仏花を扱う花屋だったので花部門の人が多かったです。花は全部生花なので一回一回新しいやつです。遺影の横にある花もその場で切って棺桶用に回してました。私は多少の暗い事情と、アンナチュラルってドラマに影響を受けたのもあって葬儀屋のバイトやってみようって思ったんですよね。他のセレモニースタッフの先輩たちは、近しい人が亡くなって葬儀した時に葬儀屋のホスピタリティに胸打たれたのがきっかけっていう人が多かったな。葬儀の9割が仏教、1割のうちほとんどが神道、ごくたまにキリスト教があるらしいです。仏教の場合でもそれぞれの家が贔屓にしてるお寺の宗派によって少しずつ葬儀のやり方や順番が違ったりするのですが、先輩スタッフはそれを全部覚えてました。すごいぜ!「そくよう」=粗供養の渡し方、もっと自信持って差し出せと怒られたなぁ(←その時は「そくよう」がなんなのか知らなかったので平仮名で聞こえましたw)あと私は音楽聴く時は自分の気持ちを代弁してもらうために聞いています。遠くに知り合いを見つけたりしたらすげぇ嫌なので私はもう遠くまで見ようとなんてできません。それが理由で近眼気味なのに普段眼鏡もかけません。
「霊柩車を見たら親指かくす」を知ったばかりのころに親族のお葬式があったので。ずっと見えてる(家に来てる)場合はどうするんだろう?と考えてたのを思い出しました。
取り上げていただきありがとうございます。びっくりしすぎて暫く呆然としながら拝聴しました😅 聴きながら、以前知人(戦後直後の東京生まれ東京育ち)が『昔は湯灌を任されるようになって一人前って言われたもんだけどねぇ』と苦笑ぎみに話していたのも思い出しました。お話を聞く中で死というものが現代、如何に忌避される話であるのかと言うのを改めて思いました。皆必ず死ぬのにね。やはり忌むべきもの、という感覚は強いのかな、と。知人と私はだいたい30年くらい歳が離れてますが、(湯灌ってそもそも何?それ知らないとか)、たったその30年で死への感覚が全く違う、と言うのも、当時話していてとても面白い気づきでした。次回も楽しみにしています。 追伸:救急車を応援するってとてもいいなと思いました😊
葬列と聞いて「七人ミサキとも何か関係ある?」と思って軽くネット検索したら山口県で「親指を隠すことで七人ミサキと遭遇しない」みたいな話もあるみたいで。
最後の今の葬式は自力でできないものになっているというのは本当にそう。実家はド田舎で、葬儀が行われる際は伝統的に村中の世帯主が集まったりして本当に大変でした(お通夜、葬式、49日、etc...)7年ほど前に祖母の葬儀が行われたあと話し合いがあり、もうここまでするのはお互い大変だからやめていこうということになりました…現在ではもう大体が家族葬になっています地域のつながりの強い田舎でもこうなので、新しい段階に入っているというのは実感がありました
小学生の時、霊柩車を見たら親指隠してましたねw子供たち(中学、小学生)は知らないです。救急車バージョンの地域?でないと絶滅危惧種ですね。大阪では救急車の音がすると「呼ばれてるぞ~」って言ってました。面白い剽軽な子に「吉本行け」と言うのと同じノリで。今、思うと大変不謹慎ですが…40代の私が子供の頃は「○○を見たら△△する」は幸せバージョンもあって、・佐○急便のトラックの絵のお尻を触ると幸せになる。・飛行機雲を見たら、まじない(1人アルプス1万尺みたいな手の振りがあった)をすると幸せになるというのがありました。前者はそもそも、子供の身長だと無理がある。かつ、危ないので止めるように学校から指導が入りましたね。地域限定なのか、全国的にあったのかな?同世代の方どうですか?
霊柩車を見ると未だに親指を隠しちゃう。自分が聞いたのはタクシー10台見たら親指を元に戻して良いってルールだったから、隠すだけで良いのは羨ましいなぁ。ちなみに罰(?)は『親の死に目に会えない』でした。
いいねボタン、隠したほうがいいですか?
小学生の遠足で霊柩車とすれ違った時に「みんな親指隠せー!」ってみんな隠してたな
「~と親の死に目に会えない」というシリーズ(?)だと「夜中に爪を切ると~」って言うのも聞いたことがありますがあれも地域とかで違いがあるんでしょうかね?風呂上がりで爪切りたいけど夜だしな…と子どもの頃はよく思っていましたw
台湾人だけど、葬式を見たら親指隠すの小学校の時?少しの間やってた記憶がある。よく覚えてないだけど、多分隠さないと親が死ぬか良くないことが起こるから。自分は何かの本で読んだ気がするが、周りから聞いた覚えがないからどのくらい知られてるかわからない。それから自宅で葬式やること自体減ったかもしれないが全然見なくなってすっかり忘れた…
私もサイレンを流しながら走行する救急車には、中に乗ってる患者さん頑張れ! 救急車にこの後乗車する予定の患者さん、頑張れ!と心に念じて過ごしています。霊柩車の親指隠しはしていましたが、親と妹が亡くなった後は、何もしなくなりました。
幼い頃は「親の死に目に会えないから霊柩車を見たら親指隠す」はやってました。いつの頃からか(たしか高校生ぐらいの時に叔母が亡くなったのがきっかけだったような)「なんか逆に亡くなった方を不吉なモノとして扱うの失礼じゃね?」と思い、親指隠す事をやらなくなりました。現在30代ですが、そのような俗信を信じていた事も忘れていました。ちょっと懐かしい気持ちです😅
「葬列や霊柩車という死後の世界に近いものに対して、親指(親)を隠すことで(死後の世界に)親を連れていかれないようにする」という意味があると勝手に想像してた。
私だけかもしれませんが、霊柩車や葬式だけでなく、道で動物の死骸を見た時も隠す時があります。不吉なものに対して「悪い気」が体に入らないように行うまじないの様なものという認識です。必ずやる訳では無く、気分次第でやったりやらなかったりします。
「霊柩車を見たら親指を隠せ」これを私に教えてくれたのは当時隣の家に住んでいたお兄ちゃんでした。彼は暴走族の頭をしていて、「自分たちは親の死に目に会えなくなるような危険を冒している、それを極力避けるために親指を隠すのだ」という旨のことを言っていました。それを聞いた私は(そんな危険を冒さなければ親指を隠す必要もないのに…)と思ったものです。そんな彼は20歳になる前に彼自身が限りなく死に近づき、その後奇跡的に快復しましたが、果たして親指の効能があったのかどうか…40年前の話です。
【参考文献のリンク】〇しぐさの民俗学amzn.to/40t2qwz〇山田慎也2015「『明譽眞月大姉葬儀写真帖』からみた近代の葬列の肥大化」cir.nii.ac.jp/crid/1390853649019965568〇画像引用Toyota Crown S170 霊柩車Tennen-Gas, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commonscommons.wikimedia.org/wiki/File:Toyota_Crown_S170_002.JPG【ゆる民俗学/音楽学ラジオ公式グッズ】⇨www.valuebooks.jp/shelf-items/folder/3866f8da0769caf【ゆる学徒ラジオ系列すべての公式グッズ】⇨www.valuebooks.jp/shelf-items/folder/4362babbae09d77【サポーターコミュニティへの加入はこちらから!】yurugakuto.com/minzoku
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元納棺師だけど、霊柩車見るたびに指隠してたらもはや仕事にならんからやってないなあ宗教、地域に根付いた文化って面白くて自分が遭遇したのだと「謎の液体の入ったミノン」「謎の液体を意味もなくかける親族」「棺の中に砂をまく」「今から結界を張ります!」があるな〜
謎の液体…祭礼業界の人間からすると、液体をかけるといえば酒か潮水が思い浮かびますが何だったんでしょうね。「ミノン」という単語を初めて聞いたのですが、何か業界用語ですか?
@kuroyoshi9644 ね!キリスト教なら聖水、神道ならなんか水あんのかなと思ったんですけど、出会った謎の水は2個あって一つは「ミノン(法油入り)」(ミノンは敏感肌用のボディミルクです、スーパーとかドラストで売ってます)、あともう一つは「ドクターシナジーウォーター」っていうなんか個人個人に決まってる心臓の振動数?ごとに60種類くらいある液体を持ってくる人がいました多分両方調べたらでてきます知らない身からすると疑似科学とか新興宗教感があって一般的な宗教の知識だと「うーん?」ってなっちゃうので詳しくは聞いてないですw
@@allloster 最初にミノンを調べたらそれが出てきてそんなことある?と思って訊いたのですが、まさにそれなんですねwまた知らない世界を伺えました。ありがとうございます!
松谷みよ子さんの名前が出た時、漢字がある程度読めるようになった時分に読んだ両親の蔵書にあった民話、昔話集の本のことが立ち昇るように思い出されました。
「霊柩車に出会ったら親指を隠す」は小学生低学年頃知ったと思いますが、TVからの情報だったような気がします。また、葬列というと『ごんぎつね』のお話で、白いかみしもの葬列を見たごんが自分のいたずらのせいでおっかあが亡くなってしまったと深く反省するシーンが思い出されます。白い着物と赤い彼岸花のコントラストが強烈な印象の教科書の挿絵でした。ここ数年で相次いで両親を見送りました。一応夫が喪主ではありましたが、本家の一人娘として、実質的に葬儀を執り行い、人の命や儀式の意義などについて深く考えさせられました。因みに、教員を定年退職後、最近全く畑違いの葬儀斎場の営業の仕事を始めました。(←経済‼︎)そんなこともあって今回の話題は特に興味深かったです。これからも楽しみにしています。
私の地元は家で葬儀を行うのが主流で、檀家であれば通夜の翌日の葬儀の後、家から近所の寺までのごく短い距離ですが葬列が組まれました。そのため葬儀屋さんの霊柩車が出る場面が全くなく、私にとっての霊柩車とは火葬場が所有している白に水色の帯を巻いたキャラバンかハイエースのイメージです。この車で寺から町営の火葬場まで故人を送ります。ここ数年で斎場で行う葬儀が増えましたが、初めの頃は「あんな大きな家なのに(家で葬儀しない)」とか陰で言われたり、斎場まで行く時に車を持ってる人と持ってない人(乗せてもらうだけの人)のヒエラルキーが生まれたりと田舎の嫌な部分が滲み出ていました。
うちの地域は「動物の死骸を見たら見えなくなるまで親指隠せ」っていうのもありました。田舎だったので都会より車に轢かれた子たちが多かったであろうことやすぐに片付けられないのも何か関係あるかもしれないなと思いました。
おふたりのお話とてもためになります。いつもありがとうございます。みなさんが仰るように、親の死に目に会えないのはタイミングの問題で、まさか自分に早めに死の可能性が訪れるとは思いもしませんでした。関東の田舎で育ちましたが、幼い頃にたいていのジンクスを聞いたことがあります。親指を隠すのは、不吉なものから親を守る、ひいては庇護されるものとして自分の生活を守るという願いにつながるのかなぁと思っていました。そのせいか、大人になってからは、自分の自立に伴い親指隠しは自然とやらなくなりました。
自分は親指を隠す云々は全くやったことないから、知らない文化を面白く聴いてる人間になってるが、私がそれを知らないことと関連してそうなことを一つ思い出した。私の実家はすぐ近くに消防署があるようなところで、それ故に救急車も消防車も割と日常的にサイレン鳴らして家の近くを通ってた。だから私は子供の頃から、サイレンが聴こえても別に何とも思わない。でも、母によると、母は別なところから実家のところに越して来た人間だったから、越して来て初めの頃は頻繁に来るサイレンに驚いてたらしくて、「へぇ〜」って思った記憶がある。私は子供の頃からサンタを信じないような、民俗宗教的なことに疎い人間だったが、生まれ育った地域の地理的要因もあるのかもしれない、などと思った。
霊柩車と並走する場合は親指を隠せ、すれ違う場合はしなくても良いっていうのを信じていましたがこれは親から言われたのか地域性なのか…
「どんな時に親指を隠すか」について、アンケート結果に無いタイミングが自分の地元でありました。自分の小さい頃はロードキルされた獣達が道端に打ち捨てられている事が多かったのですが、それを見た際に親指を隠していました。また、何故隠すかは「その死んだ獣が悪霊になって襲ってくるから」でした。
洋型霊柩車の意匠は確かに回転させて幌を開閉させるための金具(ランドーレットジョイント)から来ています。かつてはこの金具や後部のレザートップ、キャデラックやリンカーン、クラウン、センチュリーといった車種から容易に区別がつきましたが、アルファードベース車などはこれらの特徴がないので、・2列目以降が目隠しされている・緑ナンバーである・タクシー事業者などの表記がない車はまず霊柩車とみて区別するといいと思います。ちなみに、民間の救急事業者が多いアメリカでは特に地方の町村において、葬儀場が救急事業を提供していた事例が多く、霊柩車兼救急車として使えるcombination carという車両が80年代ごろまで使われていました。これはその時代まで救急車も霊柩車と同じく大型ステーションワゴンをベースにしていた名残です。
救急車はサイレンでは区別できません。同じピーポーサイレンを使用する車両に血液輸送車と移植臓器輸送車があります。生きている人こそ乗っていないこれらの車輛でも親指は隠すんですかね?
「霊柩車」を見たらやっていました。「親の死に目にあえない」と教わっていましたが、離れた場所にいて立ち会えないという意味だと思っていました。それでなぜ親指(=親?)を隠すのかは不思議に思っていたけれど、「死に目」などという不吉なものから親を守りたいという気持ちで親指を握りこんでいたように思います。いつからか霊柩車をほとんど見なくなりましたが、息子が小さかった頃に珍しく見かけた折り、こうするんだよと教えました。いま思うと、高学年ぐらい以降は「道で黒猫を見たら目をつぶって三歩下がる」と同じような、おまじない感覚でやっていました。
「霊柩車を見たら親指を隠せ」は、子供に対する手っ取り早いマナー・モラル教育的な目的だと思っていました。つまり、「親指を出すとサムズアップ(グッドサイン)状態になり、意図していなくとも不幸を喜んでいるように受け取られかねず、それによる不要なトラブルを避けるため」というようなものかと。誰かに教わったというよりは、自分で導いたものだと記憶しています。というのも、(これらも真偽のほどは定かではありませんが)「雷が鳴ったら、雷様にへそを取られないようにへそを隠せ、」という言い伝えは「雷に伴う急激な気温の低下で腹を冷やさぬようにするため(または姿勢を低くし落雷を避けるため)」という意図が込められているとか、「夜に口笛を吹くな、蛇が出るぞ」というのは「夜に口笛を吹くということは景気が良い証であり、それを泥棒に狙われるのを避けるため」という意図が込められているとかの説を聞いた際に、「なるほど理に適っている」と感心したのと同時に、「じゃあ『○○のタイミングで△△するな』という表現は、裏の意図があるのかも」と考えた覚えがあるためです。要するに、「ガキンチョに細かい理屈とか説明してもどうせ守んないだろうから、恐怖心を利用して自分で自分の身を守らせるか」的な知恵かと。
おもしろいですね。たとえば"親指をながら指をさすこと👉"が困難だからという理由も作れそうです。
今はほぼ見ないですが昭和くらいまでは立てた親指は情夫を表していることが多ったと思います(女性の時は小指)酔客がするようなちょっと品のない仕草と言ったらいいでしょうかサムズアップのような意味合いが一般に認知されたのは年代は分かりませんが平成以降かと
実家の蔵から桐の箱に入った真っ白なカミシモみたいなのが出てきて、切腹に使うんじゃないかと思って聞いたところ、お葬式の葬列で喪主が着るとの事でした。昔は喪主は白い着物に白のカミシモのようなものを着ていたみたいです。
戦前までは喪の色は白だったようですよ
韓国も白ですよね。東洋は葬式は白、西洋は黒。黒装は服装の西洋化以降。神道式の葬式だと、神職装束も白、幕?は白黒でなく浅黄(薄いブルー)と白だったと思います。いくら服装が西洋化しても、死人本人は「伝統的な装束」なのは面白いですよね。七五三とかに着物を着る伝統が廃れなかったのと同じ要因でしょうか?
他の方もおっしゃっていますが、「親の死に目に会えない」は親が危篤の状態であってもなんらかの理由で駆け付けられず、死ぬ瞬間に会えないという意味かと思っていました。「情けは人の為ならず」が情けをかけたらその人のためにならないから厳しくすべきと誤解されているという話がありますが、自分の中にもそういうことがあったんだなと驚きました。本題とは外れていてすみません。
私はゆる言語学カフェご近所出身ですが、親指隠し両方のバージョンを聞きました。ただし、親からでなく小学校の同級生たちからと記憶しています。話はそれますが、落語(江戸後期から明治初期設定?)で町人の男二人が仏様(屈んだ姿勢の亡骸、横たわっていない)を樽に入れて運ぶときのドタバタを題材にした噺を聞いたことがあります。
『らくだ』でしょうか。死者を納めた納棺代わりの漬物樽の底が抜ける場面があります。ドタバタ劇です。
自分に信心みたいなものが全くないことを再認識する回だった。話自体はもちろん興味深くて面白いんだけど、その感情部分が想像できない。「霊柩車とかお墓を気持ち悪いと思う人が沢山いて、それに対処したいってことね。なるほど。」というのを理性で理解しただけで、多分本当の意味では腑に落ちていない…。同じ人いませんかね…笑
気持ち悪いというよりも畏れでしょうか。闇に取り込まれないように親指を隠すおまじないで身を守っているような感覚です、私の場合。
「葬列」は霊柩車の登場によって省略することができるようになり、それで市街地から隠蔽することができるようになっていったのかな
松谷みよ子先生は赤ちゃん向けの絵本をいっぱい書かれていて、読み聞かせでとてもお世話になってます!
私は、「霊柩車を見るとor霊柩車を1日に2台みると縁起がいい」っと聞いた覚えがあります曖昧だったのでネットで調べたら同じ事が書かれていて理由としては、「夢占いで、自分の所に来る霊柩車は不運・どこかに行く霊柩車は不運がどこかに行く」が、現実でも同じ効果で、効力を発揮してるみたいです
私も親指隠しは小学生の時に友達に教えてもらいました。似たようなもので「夜に爪を切ると親の死に目にあえない」というものもありましたがこれは母親から教えられました。小学校高学年の頃、昔の遊ぶと文化みたいな図鑑を見ていたら親指隠しは「親指隠しは元々霊柩車を指差すのを防ぐものだったが『指差しちゃダメだよ』と伝えるよりも『親指を隠さないと悪いことが起こるよ』と言う方が子どもが言うことを聞くからこのように伝えられている」というような内容が書いてあって納得した覚えがあります。爪の話も「昔、今のような電気照明がなかった頃は夜とても暗いため、爪を切るのは危なかったから夜に爪を切らせないために『夜に爪を切ると悪いことが起こるよ』と教えていた」と書いてあったのを覚えています。
余談ですが…法改正で車両改造の規制が厳しくなり、今までと同じような宮型霊柩車は新たに作れなくなってしまったらしい…とどっかで見ました。文化の変遷とは関係なく、現役の車両が壊れたら無くなってしまうことが決まっているようです。
36:19 そういえば葬儀の簡略化が15年くらい前にめっきり進んだような気がしています。父の他界が2008だったんですが、その少し後…たしか2010くらい?…から急に簡素でもエエやんって雰囲気が世間に湧いてきた気がします。ぶっちゃけると我々家族は「ああ損した!」って思いましたw
昭和30年代、神奈川県川崎市生まれですが、「親が早死する」という親指隠しの俗信は子供時代にありました。
子供なら、霊柩車のことを少し日が経って救急車だと勘違いしたのもありそう
霊柩車が通ったときに親指を隠さないと、爪の付け根から霊を抜かれる、と教わりました。「親の死に目に会えない」パターンですね。平成10年代、母方の曾祖母の葬式は野辺送り方式でした。家の座敷に祭壇を作って通夜と葬儀を行いました。葬儀の前日から近所の男衆数人がユンボと人力で穴を掘っていました。葬儀後、家から200m程度の距離にある共同墓地まで、喪主が持つ位牌を先頭に、遺影、6~8人で担いだ棺、近しい順に供物を持って進みます。私も、仏花をまとめた大きな花束を持って棺の後ろを歩き、「これが終わったら大ばあちゃんは違う世界の人になってしまうんだ」と思ったことを覚えています。幼心にも異様さを感じたので、野辺送りが一般的だった時代の人々は、葬列に対する穢れ(といってよいのかわかりませんが)の意識はいかほどでしたでしょうか。非日常に引っ張られないようにするために、何らかの仕草が必要だったのでしょうね。
私は爪の間から霊が入り込むと教わりました。
「霊柩車を見たら」が「救急車を見たら」に派生したのは、どちらの車両も死を連想させるからも有り得そうですが、単純に言い間違いもありそうだなと思いました。幼児なら霊柩車と言えなかったとか、霊柩車と救急車を間違えて覚えていたとかもありそうだなと。
親指を隠す俗信、初めて聞いた気がします。一方、黒い外国車については小学生時代、同級生の間では流れ星のように、どちらかというと幸運の象徴として扱われる習俗がありました。自分は小学生になるときに外の街から越してきた身だったので、どこから出てきた習俗なのかが気になって仕方がなかった記憶があります。
このコメを見て、誰が言い出したのかうちでは逆に黒塗りの外車を見る(目で追う)と呪われる的な不吉系の噂がありグラウンドで遊んでる時などに面した道路にそれが通るとみんなで目を背けてたのを思い出しました。大人になった今思い返すとこれは僕の出身が福岡だからなんだろうなぁと思いますw
興味深い話ありがとうございます。
予想としては親指を名の通り親のメタファーでそれを死から遠ざけるために隠すのかなと。子にあたる指々で守るイメージ、みたいな
初コメなので他動画等で紹介されてたらすみません。。「カラスを見た」時に、👉👈のように人差し指同士をくっつけて、他の人にその真ん中を手刀で切ってもらうという儀式が小学生の時行われてました。「カラスの羽」でも条件が発動していました。何だったんだあれ…と今になっては思います。
理由は「呪われる」だの「不吉」だのと漠然としてたように思います
20:50 むしろ視覚聴覚フル動員して周囲を探りますけどねぇ周囲にぶつかりおじさんみたいな変な人はいないかとか,警察に目をつけられていないかとか,危険物が降ってきたり落ちてたりしないかとか
私も小学生の頃、救急車と霊柩車を見たら親指隠す仕草やっていました。学校の怪談や心霊写真が流行っていた80年代〜90年代です。もしかしたら、99(きゅうきゅう)と09(れいきゅう)で響きが似ていたから混同したのでしょうか
「黒い外国産の車を見たら親指隠す」は笑ってしまいました。多分これはヤク◯への忌避感と「縁起でもない」感情が混ざって生まれたんでしょうかね。
宮型霊柩車って、朝青龍がモンゴルに伝えて、モンゴルで大流行って聞きました。
「お葬式と霊柩車を見かけたら親指を隠さないと親の死に目に会えない」というのめちゃくちゃ怖くて中学生くらいまでは必死に隠してました。救急車は初めて聞きました。
霊柩車を見たら何かをする、何かに対して親指を隠す仕草、どちらも本当に見たことも聞いたこともなかったので、動画内で触れられていた調査結果に驚きました。ご飯に箸を立てる、夜中に爪を切る、北枕、そのあたりの俗信は知識として触れる機会も多い気がするのですが、何が違うんでしょうかねぇ。
私もサイレン鳴ってる救急車を見かけたら無事でありますようにと祈るようにしてます。ただ、昔から親指隠しはしたことが無かったです。
16:15 八木山橋、呪術廻戦の八十八橋のモデルの一つともされてたり。。付近には八木山動物園、ベニーランドがあったりして観光地でもありますが。(幼稚園の時に修学旅行?で行った覚えが)・家は馬喰の家系で、旅先で葬式や葬列、霊柩車に会ったら、逆に商機があると言った話を聞いたことがあります。何らかの負の要素を正に転じる民俗学に近いかも?(例:沖で見つかったエビスさんを神として祀ったり。反対に車のナンバーで777は当たり=事故にあうということから逆に避けたり。4,9といった避けられる数字が逆に良いとされたり。。予祝の逆概念で既に予め悪いことはソコで帳消しにされているという感覚とでもいいましょうか?)・私自身は小学生の頃、友人からこの習俗を聞きました。その時は知らずに霊柩車が通り過ぎた後だったので、エンガチョをしなければいけないと、友人に言われた覚えがあります。・宮型霊柩車、日本で見なくなりましたが、中古で東南アジアなどに流れて、そっちで散見されてるようで。あちらではやはり逆に縁起が良いように捉えられてる節すらあったり。。
😊😊😊😊😊😊😊😊😊
「霊柩車を見たら親指を隠せ」という話はよく聞きますが、私の中で強烈に残っているのは、「霊柩車を見たら博打に勝てる」という妙な俗信のほうです。 ただ、問題があります。勝てません。勝てる気配すらありません。何度も霊柩車を見つめながら、全力で勝利を願ったのに、一向に運は微笑みません。親指を隠していたら勝てたのか? いや、霊柩車にお願いする順番が間違っていたのか? もはや「勝利」という言葉が私の辞書から霊柩されているような気すらします。 どうすればいいんでしょう。勝利の霊を降臨させる方法があれば教えてください。賽は投げられたものの、全て裏目に出ております。
そういえばそう言う話あった様な……という薄らとした記憶しか残っていなかったですが、確かに小学生の時に友人から「知ってる〜?」と自慢げに教えて貰ったのを思い出しました。今回視聴しながら「なんで指を?」「なんで親指?」と物凄く気になってきたので来週がすごく楽しみです!予測としては「親」を隠して死神に連れて行かれない様にする。みたいな感じでしょうか🤔あと「親の死に目に会えない」は、自分としては「夜に爪を切ってはいけない」の理由のイメージの方が強いです。
親指の爪の間から霊が体内に入り込むから隠せって言われたのワイだけ?23歳、横浜育ち
今宮式霊柩車なんか全く見ないから、もし見かけたらめっちゃテンション上がる気がする。不謹慎だけど。
医療従事者です。昔は霊柩車にはやってましたが、社会人デビューで病院に勤めはじめ、1日少なくとも10台の救急車、退勤した目先での霊柩車、勤務中に故人を載せたストレッチャーなどを見かけるという環境で、自然と街中でもやらなくなりました。
最近は本当に葬儀に費用をかけず家族葬というパターンが増えてますがあれでお世話になった方の葬儀がとうに終わっているというパターンが多くて家族の負担もわかりますが多少なりとも他人も参加できる形で行ってほしいなという気持ちがあります
ある人が言ってられましたが、手のひらにある労宮という所を親指で押さえて精気が取られないようにするのが、死者と一緒になって広まったのじゃないかと仰ってました!
自分も「霊柩車を見たら親指を隠した方が良い」的なことは聞いたことがあるんですが、「そんなわけないだろ」と思って守ってません。
柩を自動車で運んだのは大隈重信が最初だったと思う。伊藤博文は御輿で柩を運んでる写真が残っていますね。
お二人がお話していますが、救急車の時に親指隠すのは、はちゃめちゃ縁起が悪いですもんね!(30代です、霊柩車の話は小学生低学年の時に何かで知りました)自分は救急車見掛けたら、心の中で「無事でありますように、助かりますように、医療従事者の皆様お疲れさまです」とか祈って思ってしていますwwwしぐさの民俗学…あの本面白過ぎますね…まだ未読の方は是非読んで…っ!!!
ゲストや他のラジオの方とコラボするついでに「俗信食わず嫌い王」できそう
救急車の音で親指隠す人もいるのかあ……と思ったのは近所が病院だから割とひっきりなしで大変みたいな妥協がありそうな気がしてきた
蜂を避けた人にぶつかりそうになったことがあるので周囲への注意は欠かせない。自転車通学中とか免許取って車を運転するようになってからは親指隠すと事故招くから、やらないようになったね…。 もともと不注意だったのもあるが
20:45 視覚情報を増やそうと思って増やせるのか…若いっていいなあ…視力や注意力が減退するとそもそも出来なくなる…orz
たのまち!
黒川さんのこの側面たまらない
霊柩車を見たら親指を隠すというのは聞いたことがありません。午前中に霊柩車を見たら縁起がいいとかいいことがあるとかは聞いたことがありますが(角界のことわざ?)
音楽聴いてない時のほうが周りの景色に集中してる気がするな
すごい...言っちゃ悪いかもだけど強迫観念じみたものを感じる...こういうのたしかに小学生位まではあったけどもう高校生になったら...そういえばいつの間にか何もしなくなってたなこういうの
「親の死に目に会えない」は、臨終の場に立ち会うことができないってことで、自分が先に死ぬってことじゃないんじゃないかな?
黒猫が道を横切ると悪いことが起きる、というようなアメリカあたりから入ってきた迷信が影響したりしてないですかね。関係ないかな😅
黒い外国車ってのは、特定の色の外国車を見たらラッキー(レアもん見た)っていうおまじないのカウンターじゃないかな自分は、黄色いワーゲンビートルはラッキー、黒はアンラッキーというものでした
自分がこの俗信知ったの確か「シャーマンキング」だったなぁそれまで親も周りも誰も言ってなかったですけど小学生だった自分は「そうなのか!」って知って周りにも広めてた記憶が…あと逆の縁起モノ俗信として『黄色い車を見た時に願い事を言うと叶う』ってのも同じくらいに知って実践してた気がします
子供の噂の伝播性って不思議だよなあポケモン初代のバグ技とか全国レベルで広まってた気がするネットもろくに普及してない時代にしかも一瞬で。あれも学校の怪談が全国に広まるのと同じ仕組みで広まったものなんだろうか
コメント欄めっちゃおもしろい。
これは令和の話ですが、父親の葬儀の際、地元のお寺さんにお願いするのですが、「宗派が違う」と断られました。ようやく引き受けてくれるお寺さんが見つかったのですが、菩提寺が成田山新勝寺だと知ると「出来ない」と。仕方なく、新勝寺へコンタクトを取り、お坊さんを派遣してもらいました。以来、新勝寺にお布施を納め続けることになってしまいました。
成田山新勝寺がクレーム入れてくるんかな?と思っちゃいました😅
「黒い外国の車」ってリンカーンに代表される米国セダンが洋式霊柩車のベース車輌になりがちな事に起因してるけど黒いフェラーリ、ポルシェに対してはどうなんだろ?
音楽聴いてるとそこまで注意力落ちる人は歩きながら音楽聴いちゃだめだよ…
なんで柳の下を通る時に隠すんだろう?
ほわほわこわこわはなこさーん で親指隠すこと覚えた39歳です
全然知らない習俗だったなるほどなぁと思いながら見ました
昭和育ち(九州北部)ですけど、親指云々~な話は言われた事も聞いた事も無いですね…。自分が育った地域が割と都市部だったせいなのか。
霊柩車の話は初耳でした我が家では、夜に爪を切ると死に目に会えないと聞かされました
日頃の親指の疲れからか、不幸にも黒塗りの高級外車に突指してしまう。
え?墓の前はメジャーじゃないのか。自分は墓の前でも親指を隠してた。
オカルト系の黒子ラジオとコラボしてくれないかな〜あっちも民間伝承とか民俗学に精通してるから妖怪とかイタコの話盛り上がりそう。まあ本人ががっつり黒子衣装を着てるので様子のおかしい回にはなりそうだけど、、、
そんなこと初耳ですよ。何処の風習 ワゴンみたいな霊柩車見かけるけどね。運転には2種免許いるしご祝儀が貰えるのでタクシー運転より儲かるね。
「親の死に目に会えない」って自分が親よりも先に亡くなるという意味なのか。(遠くにいて)死に際に立ち会えないという意味だと思ってた。
私も親の死ぬ瞬間に立ち会えないという意味で使っていました。自分が先に死ぬという意味で使っている例は今まで見たことも聞いたこともないです。
自分も死に際に立ち会えない、という意味で受け取ってました。子どもながらに、まあそれくらいなら構わないな、と思って親指は隠してなかった。
田舎の役所職員なんですが、就職した30年前は宮型霊柩車の公用車が2台ありました。昭和だったなあ
同じでした😅
6:47 地味にず〜っと勘違いしてたことが判明してびっくり…!
「親の死に目に会えない」は文字通り、「親の死の瞬間に立ち会えない」というだけの意味だと思っていました。
転じて?婉曲に?「自分が親よりも早死にする」ことだったんですね。
あまりに小さい頃から「死に目に会えない」を脅し文句として聞いていたためでしょうか、
行間を読みとれていないままだったんですね…
素直に「パパやママの最期を看取れないというのは悲しいことだなあ」と納得……あるいは学習して、
それからは霊柩車や柳の近くで親指を隠したり隠さなかったりして生きてきました。
私も同じく勘違いしてました!
親の死に目に会えない🟰
危篤の知らせを聞いて駆け付けたけれど、既に親は亡くなってしまっていた、みたいなシチュエーション……だと思ってました。
「親の死に目」の解釈、同じくです!!!
同じだわ。
車の整備士をやっている義父曰く、宮型のものは道交法の改正により作れなくなったそうです。
霊柩車 という言葉が子供には一般的ではなくて、救急車にすり替わってしまったのでは?と、昔葬儀屋の父がこの習俗に対して言っていたことを思い出しました。
ご遺体の搬送には、霊柩車ではなく寝台車なもので、なかなかこれの手配も大変なんですよね。
以上、学生時代の卒論が葬儀産業だった壁の独り言でした
番組序盤での「救急車を見たら応援」は僕も実践しています。自動車を運転中によく遭遇するので、停車して悪態を言うよりも応援したほうが精神衛生的にずっと良いんですよね。
私が母と一緒に居た時に霊柩車を見て言われたのは、ネガティブなことではなかったので驚きました。確か私が霊柩車を見たら縁起が悪いというようなことを言ったのですが、母が言うには、「人が一人亡くなるのだから、縁談がまとまって、また一人生まれてくる」でした。
祖父が仲人をたくさんやっていたのでこじつけかもしれませんが😅
少しだけ葬儀屋のセレモニースタッフのバイトをしてたことがあります。霊柩車は全部洋式のやつでしたねぇ〜。葬儀屋ってチームワークで、セレモニースタッフに花部門に料理部門、葬儀の司会者(これも何年も経験と知識を積まないとなれない)、火葬のプロ、外から呼んでくる「お寺さん」(お坊さん)が連携プレーして葬儀が出来上がるのです。そこの葬儀屋は元々仏花を扱う花屋だったので花部門の人が多かったです。花は全部生花なので一回一回新しいやつです。遺影の横にある花もその場で切って棺桶用に回してました。
私は多少の暗い事情と、アンナチュラルってドラマに影響を受けたのもあって葬儀屋のバイトやってみようって思ったんですよね。他のセレモニースタッフの先輩たちは、近しい人が亡くなって葬儀した時に葬儀屋のホスピタリティに胸打たれたのがきっかけっていう人が多かったな。
葬儀の9割が仏教、1割のうちほとんどが神道、ごくたまにキリスト教があるらしいです。仏教の場合でもそれぞれの家が贔屓にしてるお寺の宗派によって少しずつ葬儀のやり方や順番が違ったりするのですが、先輩スタッフはそれを全部覚えてました。すごいぜ!
「そくよう」=粗供養の渡し方、もっと自信持って差し出せと怒られたなぁ(←その時は「そくよう」がなんなのか知らなかったので平仮名で聞こえましたw)
あと私は音楽聴く時は自分の気持ちを代弁してもらうために聞いています。遠くに知り合いを見つけたりしたらすげぇ嫌なので私はもう遠くまで見ようとなんてできません。それが理由で近眼気味なのに普段眼鏡もかけません。
「霊柩車を見たら親指かくす」を知ったばかりのころに親族のお葬式があったので。
ずっと見えてる(家に来てる)場合はどうするんだろう?と考えてたのを思い出しました。
取り上げていただきありがとうございます。
びっくりしすぎて暫く呆然としながら拝聴しました😅 聴きながら、以前知人(戦後直後の東京生まれ東京育ち)が『昔は湯灌を任されるようになって一人前って言われたもんだけどねぇ』と苦笑ぎみに話していたのも思い出しました。お話を聞く中で死というものが現代、如何に忌避される話であるのかと言うのを改めて思いました。皆必ず死ぬのにね。やはり忌むべきもの、という感覚は強いのかな、と。
知人と私はだいたい30年くらい歳が離れてますが、(湯灌ってそもそも何?それ知らないとか)、たったその30年で死への感覚が全く違う、と言うのも、当時話していてとても面白い気づきでした。次回も楽しみにしています。
追伸:救急車を応援するってとてもいいなと思いました😊
葬列と聞いて「七人ミサキとも何か関係ある?」と思って軽くネット検索したら山口県で「親指を隠すことで七人ミサキと遭遇しない」みたいな話もあるみたいで。
最後の今の葬式は自力でできないものになっているというのは本当にそう。
実家はド田舎で、葬儀が行われる際は伝統的に村中の世帯主が集まったりして本当に大変でした(お通夜、葬式、49日、etc...)
7年ほど前に祖母の葬儀が行われたあと話し合いがあり、もうここまでするのはお互い大変だからやめていこうということになりました…
現在ではもう大体が家族葬になっています
地域のつながりの強い田舎でもこうなので、新しい段階に入っているというのは実感がありました
小学生の時、霊柩車を見たら親指隠してましたねw
子供たち(中学、小学生)は知らないです。
救急車バージョンの地域?でないと絶滅危惧種ですね。
大阪では救急車の音がすると「呼ばれてるぞ~」って言ってました。
面白い剽軽な子に「吉本行け」と言うのと同じノリで。今、思うと大変不謹慎ですが…
40代の私が子供の頃は「○○を見たら△△する」は幸せバージョンもあって、
・佐○急便のトラックの絵のお尻を触ると幸せになる。
・飛行機雲を見たら、まじない(1人アルプス1万尺みたいな手の振りがあった)をすると幸せになる
というのがありました。
前者はそもそも、子供の身長だと無理がある。かつ、危ないので止めるように学校から指導が入りましたね。
地域限定なのか、全国的にあったのかな?
同世代の方どうですか?
霊柩車を見ると未だに親指を隠しちゃう。
自分が聞いたのはタクシー10台見たら親指を元に戻して良いってルールだったから、隠すだけで良いのは羨ましいなぁ。
ちなみに罰(?)は『親の死に目に会えない』でした。
いいねボタン、隠したほうがいいですか?
小学生の遠足で霊柩車とすれ違った時に「みんな親指隠せー!」ってみんな隠してたな
「~と親の死に目に会えない」というシリーズ(?)だと「夜中に爪を切ると~」って言うのも聞いたことがありますが
あれも地域とかで違いがあるんでしょうかね?
風呂上がりで爪切りたいけど夜だしな…と子どもの頃はよく思っていましたw
台湾人だけど、葬式を見たら親指隠すの小学校の時?少しの間やってた記憶がある。よく覚えてないだけど、多分隠さないと親が死ぬか良くないことが起こるから。自分は何かの本で読んだ気がするが、周りから聞いた覚えがないからどのくらい知られてるかわからない。それから自宅で葬式やること自体減ったかもしれないが全然見なくなってすっかり忘れた…
私もサイレンを流しながら走行する救急車には、中に乗ってる患者さん頑張れ! 救急車にこの後乗車する予定の患者さん、頑張れ!と心に念じて過ごしています。霊柩車の親指隠しはしていましたが、親と妹が亡くなった後は、何もしなくなりました。
幼い頃は「親の死に目に会えないから霊柩車を見たら親指隠す」はやってました。いつの頃からか(たしか高校生ぐらいの時に叔母が亡くなったのがきっかけだったような)「なんか逆に亡くなった方を不吉なモノとして扱うの失礼じゃね?」と思い、親指隠す事をやらなくなりました。現在30代ですが、そのような俗信を信じていた事も忘れていました。ちょっと懐かしい気持ちです😅
「葬列や霊柩車という死後の世界に近いものに対して、親指(親)を隠すことで(死後の世界に)親を連れていかれないようにする」という意味があると勝手に想像してた。
私だけかもしれませんが、霊柩車や葬式だけでなく、
道で動物の死骸を見た時も隠す時があります。
不吉なものに対して「悪い気」が体に入らないように行うまじないの様なものという認識です。
必ずやる訳では無く、気分次第でやったりやらなかったりします。
「霊柩車を見たら親指を隠せ」これを私に教えてくれたのは当時隣の家に住んでいたお兄ちゃんでした。
彼は暴走族の頭をしていて、「自分たちは親の死に目に会えなくなるような危険を冒している、それを極力避けるために親指を隠すのだ」という旨のことを言っていました。
それを聞いた私は(そんな危険を冒さなければ親指を隠す必要もないのに…)と思ったものです。
そんな彼は20歳になる前に彼自身が限りなく死に近づき、その後奇跡的に快復しましたが、果たして親指の効能があったのかどうか…40年前の話です。
【参考文献のリンク】
〇しぐさの民俗学
amzn.to/40t2qwz
〇山田慎也2015「『明譽眞月大姉葬儀写真帖』からみた近代の葬列の肥大化」
cir.nii.ac.jp/crid/1390853649019965568
〇画像引用
Toyota Crown S170 霊柩車
Tennen-Gas, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
commons.wikimedia.org/wiki/File:Toyota_Crown_S170_002.JPG
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固定して
元納棺師だけど、霊柩車見るたびに指隠してたらもはや仕事にならんからやってないなあ
宗教、地域に根付いた文化って面白くて
自分が遭遇したのだと「謎の液体の入ったミノン」「謎の液体を意味もなくかける親族」「棺の中に砂をまく」「今から結界を張ります!」があるな〜
謎の液体…祭礼業界の人間からすると、液体をかけるといえば酒か潮水が思い浮かびますが何だったんでしょうね。
「ミノン」という単語を初めて聞いたのですが、何か業界用語ですか?
@kuroyoshi9644 ね!キリスト教なら聖水、神道ならなんか水あんのかなと思ったんですけど、出会った謎の水は2個あって一つは「ミノン(法油入り)」(ミノンは敏感肌用のボディミルクです、スーパーとかドラストで売ってます)、あともう一つは「ドクターシナジーウォーター」っていうなんか個人個人に決まってる心臓の振動数?ごとに60種類くらいある液体を持ってくる人がいました
多分両方調べたらでてきます
知らない身からすると疑似科学とか新興宗教感があって一般的な宗教の知識だと「うーん?」ってなっちゃうので詳しくは聞いてないですw
@@allloster 最初にミノンを調べたらそれが出てきてそんなことある?と思って訊いたのですが、まさにそれなんですねw
また知らない世界を伺えました。ありがとうございます!
松谷みよ子さんの名前が出た時、漢字がある程度読めるようになった時分に読んだ両親の蔵書にあった民話、昔話集の本のことが立ち昇るように思い出されました。
「霊柩車に出会ったら親指を隠す」は小学生低学年頃知ったと思いますが、TVからの情報だったような気がします。
また、葬列というと『ごんぎつね』のお話で、白いかみしもの葬列を見たごんが自分のいたずらのせいでおっかあが亡くなってしまったと深く反省するシーンが思い出されます。白い着物と赤い彼岸花のコントラストが強烈な印象の教科書の挿絵でした。
ここ数年で相次いで両親を見送りました。一応夫が喪主ではありましたが、本家の一人娘として、実質的に葬儀を執り行い、人の命や儀式の意義などについて深く考えさせられました。
因みに、教員を定年退職後、最近全く畑違いの葬儀斎場の営業の仕事を始めました。(←経済‼︎)
そんなこともあって今回の話題は特に興味深かったです。
これからも楽しみにしています。
私の地元は家で葬儀を行うのが主流で、檀家であれば通夜の翌日の葬儀の後、家から近所の寺までのごく短い距離ですが葬列が組まれました。そのため葬儀屋さんの霊柩車が出る場面が全くなく、私にとっての霊柩車とは火葬場が所有している白に水色の帯を巻いたキャラバンかハイエースのイメージです。この車で寺から町営の火葬場まで故人を送ります。
ここ数年で斎場で行う葬儀が増えましたが、初めの頃は「あんな大きな家なのに(家で葬儀しない)」とか陰で言われたり、斎場まで行く時に車を持ってる人と持ってない人(乗せてもらうだけの人)のヒエラルキーが生まれたりと田舎の嫌な部分が滲み出ていました。
うちの地域は「動物の死骸を見たら見えなくなるまで親指隠せ」っていうのもありました。
田舎だったので都会より車に轢かれた子たちが多かったであろうことや
すぐに片付けられないのも何か関係あるかもしれないなと思いました。
おふたりのお話とてもためになります。いつもありがとうございます。
みなさんが仰るように、親の死に目に会えないのはタイミングの問題で、まさか自分に早めに死の可能性が訪れるとは思いもしませんでした。
関東の田舎で育ちましたが、幼い頃にたいていのジンクスを聞いたことがあります。
親指を隠すのは、不吉なものから親を守る、ひいては庇護されるものとして自分の生活を守るという願いにつながるのかなぁと思っていました。そのせいか、大人になってからは、自分の自立に伴い親指隠しは自然とやらなくなりました。
自分は親指を隠す云々は全くやったことないから、知らない文化を面白く聴いてる人間になってるが、私がそれを知らないことと関連してそうなことを一つ思い出した。
私の実家はすぐ近くに消防署があるようなところで、それ故に救急車も消防車も割と日常的にサイレン鳴らして家の近くを通ってた。だから私は子供の頃から、サイレンが聴こえても別に何とも思わない。でも、母によると、母は別なところから実家のところに越して来た人間だったから、越して来て初めの頃は頻繁に来るサイレンに驚いてたらしくて、「へぇ〜」って思った記憶がある。
私は子供の頃からサンタを信じないような、民俗宗教的なことに疎い人間だったが、生まれ育った地域の地理的要因もあるのかもしれない、などと思った。
霊柩車と並走する場合は親指を隠せ、すれ違う場合はしなくても良いっていうのを信じていましたがこれは親から言われたのか地域性なのか…
「どんな時に親指を隠すか」について、アンケート結果に無いタイミングが自分の地元でありました。
自分の小さい頃はロードキルされた獣達が道端に打ち捨てられている事が多かったのですが、
それを見た際に親指を隠していました。
また、何故隠すかは「その死んだ獣が悪霊になって襲ってくるから」でした。
洋型霊柩車の意匠は確かに回転させて幌を開閉させるための金具(ランドーレットジョイント)から来ています。かつてはこの金具や後部のレザートップ、キャデラックやリンカーン
、クラウン、センチュリーといった車種から容易に区別がつきましたが、アルファードベース車などはこれらの特徴がないので、
・2列目以降が目隠しされている
・緑ナンバーである
・タクシー事業者などの表記がない車
はまず霊柩車とみて区別するといいと思います。
ちなみに、民間の救急事業者が多いアメリカでは特に地方の町村において、葬儀場が救急事業を提供していた事例が多く、霊柩車兼救急車として使えるcombination carという車両が80年代ごろまで使われていました。これはその時代まで救急車も霊柩車と同じく大型ステーションワゴンをベースにしていた名残です。
救急車はサイレンでは区別できません。同じピーポーサイレンを使用する車両に血液輸送車と移植臓器輸送車があります。生きている人こそ乗っていないこれらの車輛でも親指は隠すんですかね?
「霊柩車」を見たらやっていました。「親の死に目にあえない」と教わっていましたが、離れた場所にいて立ち会えないという意味だと思っていました。それでなぜ親指(=親?)を隠すのかは不思議に思っていたけれど、「死に目」などという不吉なものから親を守りたいという気持ちで親指を握りこんでいたように思います。いつからか霊柩車をほとんど見なくなりましたが、息子が小さかった頃に珍しく見かけた折り、こうするんだよと教えました。
いま思うと、高学年ぐらい以降は「道で黒猫を見たら目をつぶって三歩下がる」と同じような、おまじない感覚でやっていました。
「霊柩車を見たら親指を隠せ」は、子供に対する手っ取り早いマナー・モラル教育的な目的だと思っていました。つまり、「親指を出すとサムズアップ(グッドサイン)状態になり、意図していなくとも不幸を喜んでいるように受け取られかねず、それによる不要なトラブルを避けるため」というようなものかと。誰かに教わったというよりは、自分で導いたものだと記憶しています。
というのも、(これらも真偽のほどは定かではありませんが)「雷が鳴ったら、雷様にへそを取られないようにへそを隠せ、」という言い伝えは「雷に伴う急激な気温の低下で腹を冷やさぬようにするため(または姿勢を低くし落雷を避けるため)」という意図が込められているとか、「夜に口笛を吹くな、蛇が出るぞ」というのは「夜に口笛を吹くということは景気が良い証であり、それを泥棒に狙われるのを避けるため」という意図が込められているとかの説を聞いた際に、「なるほど理に適っている」と感心したのと同時に、「じゃあ『○○のタイミングで△△するな』という表現は、裏の意図があるのかも」と考えた覚えがあるためです。
要するに、「ガキンチョに細かい理屈とか説明してもどうせ守んないだろうから、恐怖心を利用して自分で自分の身を守らせるか」的な知恵かと。
おもしろいですね。たとえば"親指をながら指をさすこと👉"が困難だからという理由も作れそうです。
今はほぼ見ないですが昭和くらいまでは立てた親指は情夫を表していることが多ったと思います(女性の時は小指)
酔客がするようなちょっと品のない仕草と言ったらいいでしょうか
サムズアップのような意味合いが一般に認知されたのは年代は分かりませんが平成以降かと
実家の蔵から桐の箱に入った真っ白なカミシモみたいなのが出てきて、切腹に使うんじゃないかと思って聞いたところ、お葬式の葬列で喪主が着るとの事でした。昔は喪主は白い着物に白のカミシモのようなものを着ていたみたいです。
戦前までは喪の色は白だったようですよ
韓国も白ですよね。
東洋は葬式は白、西洋は黒。
黒装は服装の西洋化以降。
神道式の葬式だと、神職装束も白、幕?は白黒でなく浅黄(薄いブルー)と白だったと思います。
いくら服装が西洋化しても、死人本人は「伝統的な装束」なのは面白いですよね。
七五三とかに着物を着る伝統が廃れなかったのと同じ要因でしょうか?
他の方もおっしゃっていますが、「親の死に目に会えない」は親が危篤の状態であってもなんらかの理由で駆け付けられず、死ぬ瞬間に会えないという意味かと思っていました。
「情けは人の為ならず」が情けをかけたらその人のためにならないから厳しくすべきと誤解されているという話がありますが、自分の中にもそういうことがあったんだなと驚きました。本題とは外れていてすみません。
私はゆる言語学カフェご近所出身ですが、親指隠し両方のバージョンを聞きました。ただし、親からでなく小学校の同級生たちからと記憶しています。話はそれますが、落語(江戸後期から明治初期設定?)で町人の男二人が仏様(屈んだ姿勢の亡骸、横たわっていない)を樽に入れて運ぶときのドタバタを題材にした噺を聞いたことがあります。
『らくだ』でしょうか。死者を納めた納棺代わりの漬物樽の底が抜ける場面があります。ドタバタ劇です。
自分に信心みたいなものが全くないことを再認識する回だった。話自体はもちろん興味深くて面白いんだけど、その感情部分が想像できない。「霊柩車とかお墓を気持ち悪いと思う人が沢山いて、それに対処したいってことね。なるほど。」というのを理性で理解しただけで、多分本当の意味では腑に落ちていない…。同じ人いませんかね…笑
気持ち悪いというよりも畏れでしょうか。
闇に取り込まれないように親指を隠すおまじないで身を守っているような感覚です、私の場合。
「葬列」は霊柩車の登場によって省略することができるようになり、それで市街地から隠蔽することができるようになっていったのかな
松谷みよ子先生は赤ちゃん向けの絵本をいっぱい書かれていて、読み聞かせでとてもお世話になってます!
私は、「霊柩車を見るとor霊柩車を1日に2台みると縁起がいい」っと聞いた覚えがあります
曖昧だったのでネットで調べたら同じ事が書かれていて
理由としては、「夢占いで、自分の所に来る霊柩車は不運・どこかに行く霊柩車は不運がどこかに行く」が、現実でも同じ効果で、効力を発揮してるみたいです
私も親指隠しは小学生の時に友達に教えてもらいました。似たようなもので「夜に爪を切ると親の死に目にあえない」というものもありましたがこれは母親から教えられました。
小学校高学年の頃、昔の遊ぶと文化みたいな図鑑を見ていたら親指隠しは「親指隠しは元々霊柩車を指差すのを防ぐものだったが『指差しちゃダメだよ』と伝えるよりも『親指を隠さないと悪いことが起こるよ』と言う方が子どもが言うことを聞くからこのように伝えられている」というような内容が書いてあって納得した覚えがあります。爪の話も「昔、今のような電気照明がなかった頃は夜とても暗いため、爪を切るのは危なかったから夜に爪を切らせないために『夜に爪を切ると悪いことが起こるよ』と教えていた」と書いてあったのを覚えています。
余談ですが…
法改正で車両改造の規制が厳しくなり、今までと同じような宮型霊柩車は新たに作れなくなってしまったらしい…とどっかで見ました。
文化の変遷とは関係なく、現役の車両が壊れたら無くなってしまうことが決まっているようです。
36:19 そういえば葬儀の簡略化が15年くらい前にめっきり進んだような気がしています。父の他界が2008だったんですが、その少し後…たしか2010くらい?…から急に簡素でもエエやんって雰囲気が世間に湧いてきた気がします。ぶっちゃけると我々家族は「ああ損した!」って思いましたw
昭和30年代、神奈川県川崎市生まれですが、「親が早死する」という親指隠しの俗信は子供時代にありました。
子供なら、霊柩車のことを少し日が経って救急車だと勘違いしたのもありそう
霊柩車が通ったときに親指を隠さないと、爪の付け根から霊を抜かれる、と教わりました。「親の死に目に会えない」パターンですね。
平成10年代、母方の曾祖母の葬式は野辺送り方式でした。家の座敷に祭壇を作って通夜と葬儀を行いました。葬儀の前日から近所の男衆数人がユンボと人力で穴を掘っていました。葬儀後、家から200m程度の距離にある共同墓地まで、喪主が持つ位牌を先頭に、遺影、6~8人で担いだ棺、近しい順に供物を持って進みます。私も、仏花をまとめた大きな花束を持って棺の後ろを歩き、「これが終わったら大ばあちゃんは違う世界の人になってしまうんだ」と思ったことを覚えています。幼心にも異様さを感じたので、野辺送りが一般的だった時代の人々は、葬列に対する穢れ(といってよいのかわかりませんが)の意識はいかほどでしたでしょうか。非日常に引っ張られないようにするために、何らかの仕草が必要だったのでしょうね。
私は爪の間から霊が入り込むと教わりました。
「霊柩車を見たら」が「救急車を見たら」に派生したのは、どちらの車両も死を連想させるからも有り得そうですが、単純に言い間違いもありそうだなと思いました。
幼児なら霊柩車と言えなかったとか、霊柩車と救急車を間違えて覚えていたとかもありそうだなと。
親指を隠す俗信、初めて聞いた気がします。一方、黒い外国車については小学生時代、同級生の間では流れ星のように、どちらかというと幸運の象徴として扱われる習俗がありました。自分は小学生になるときに外の街から越してきた身だったので、どこから出てきた習俗なのかが気になって仕方がなかった記憶があります。
このコメを見て、誰が言い出したのかうちでは逆に黒塗りの外車を見る(目で追う)と呪われる的な不吉系の噂がありグラウンドで遊んでる時などに面した道路にそれが通るとみんなで目を背けてたのを思い出しました。
大人になった今思い返すとこれは僕の出身が福岡だからなんだろうなぁと思いますw
興味深い話ありがとうございます。
予想としては親指を名の通り親のメタファーでそれを死から遠ざけるために隠すのかなと。
子にあたる指々で守るイメージ、みたいな
初コメなので他動画等で紹介されてたらすみません。。
「カラスを見た」時に、👉👈のように人差し指同士をくっつけて、他の人にその真ん中を手刀で切ってもらうという儀式が小学生の時行われてました。「カラスの羽」でも条件が発動していました。
何だったんだあれ…と今になっては思います。
理由は「呪われる」だの「不吉」だのと漠然としてたように思います
20:50 むしろ視覚聴覚フル動員して周囲を探りますけどねぇ
周囲にぶつかりおじさんみたいな変な人はいないかとか,警察に目をつけられていないかとか,危険物が降ってきたり落ちてたりしないかとか
私も小学生の頃、救急車と霊柩車を見たら親指隠す仕草やっていました。
学校の怪談や心霊写真が流行っていた80年代〜90年代です。
もしかしたら、99(きゅうきゅう)と09(れいきゅう)で響きが似ていたから混同したのでしょうか
「黒い外国産の車を見たら親指隠す」は笑ってしまいました。多分これはヤク◯への忌避感と「縁起でもない」感情が混ざって生まれたんでしょうかね。
宮型霊柩車って、朝青龍がモンゴルに伝えて、モンゴルで大流行って聞きました。
「お葬式と霊柩車を見かけたら親指を隠さないと親の死に目に会えない」というのめちゃくちゃ怖くて中学生くらいまでは必死に隠してました。救急車は初めて聞きました。
霊柩車を見たら何かをする、何かに対して親指を隠す仕草、どちらも本当に見たことも聞いたこともなかったので、動画内で触れられていた調査結果に驚きました。
ご飯に箸を立てる、夜中に爪を切る、北枕、そのあたりの俗信は知識として触れる機会も多い気がするのですが、何が違うんでしょうかねぇ。
私もサイレン鳴ってる救急車を見かけたら無事でありますようにと祈るようにしてます。
ただ、昔から親指隠しはしたことが無かったです。
16:15 八木山橋、呪術廻戦の八十八橋のモデルの一つともされてたり。。
付近には八木山動物園、ベニーランドがあったりして観光地でもありますが。(幼稚園の時に修学旅行?で行った覚えが)
・家は馬喰の家系で、旅先で葬式や葬列、霊柩車に会ったら、逆に商機があると言った話を聞いたことがあります。
何らかの負の要素を正に転じる民俗学に近いかも?
(例:沖で見つかったエビスさんを神として祀ったり。反対に車のナンバーで777は当たり=事故にあうということから逆に避けたり。4,9といった避けられる数字が逆に良いとされたり。。予祝の逆概念で既に予め悪いことはソコで帳消しにされているという感覚とでもいいましょうか?)
・私自身は小学生の頃、友人からこの習俗を聞きました。その時は知らずに霊柩車が通り過ぎた後だったので、エンガチョをしなければいけないと、友人に言われた覚えがあります。
・宮型霊柩車、日本で見なくなりましたが、中古で東南アジアなどに流れて、そっちで散見されてるようで。あちらではやはり逆に縁起が良いように捉えられてる節すらあったり。。
😊😊😊😊😊😊😊😊😊
「霊柩車を見たら親指を隠せ」という話はよく聞きますが、私の中で強烈に残っているのは、「霊柩車を見たら博打に勝てる」という妙な俗信のほうです。
ただ、問題があります。勝てません。勝てる気配すらありません。何度も霊柩車を見つめながら、全力で勝利を願ったのに、一向に運は微笑みません。親指を隠していたら勝てたのか? いや、霊柩車にお願いする順番が間違っていたのか? もはや「勝利」という言葉が私の辞書から霊柩されているような気すらします。
どうすればいいんでしょう。勝利の霊を降臨させる方法があれば教えてください。賽は投げられたものの、全て裏目に出ております。
そういえばそう言う話あった様な……という薄らとした記憶しか残っていなかったですが、確かに小学生の時に友人から「知ってる〜?」と自慢げに教えて貰ったのを思い出しました。
今回視聴しながら「なんで指を?」「なんで親指?」と物凄く気になってきたので来週がすごく楽しみです!
予測としては「親」を隠して死神に連れて行かれない様にする。みたいな感じでしょうか🤔
あと「親の死に目に会えない」は、自分としては「夜に爪を切ってはいけない」の理由のイメージの方が強いです。
親指の爪の間から霊が体内に入り込むから隠せって言われたのワイだけ?23歳、横浜育ち
今宮式霊柩車なんか全く見ないから、もし見かけたらめっちゃテンション上がる気がする。
不謹慎だけど。
医療従事者です。
昔は霊柩車にはやってましたが、社会人デビューで病院に勤めはじめ、1日少なくとも10台の救急車、退勤した目先での霊柩車、勤務中に故人を載せたストレッチャーなどを見かけるという環境で、自然と街中でもやらなくなりました。
最近は本当に葬儀に費用をかけず家族葬というパターンが増えてますが
あれでお世話になった方の葬儀がとうに終わっているというパターンが多くて
家族の負担もわかりますが多少なりとも他人も参加できる形で行ってほしいなという気持ちがあります
ある人が言ってられましたが、手のひらにある労宮という所を親指で押さえて精気が取られないようにするのが、死者と一緒になって広まったのじゃないかと仰ってました!
自分も「霊柩車を見たら親指を隠した方が良い」的なことは聞いたことがあるんですが、「そんなわけないだろ」と思って守ってません。
柩を自動車で運んだのは大隈重信が最初だったと思う。伊藤博文は御輿で柩を運んでる写真が残っていますね。
お二人がお話していますが、救急車の時に親指隠すのは、はちゃめちゃ縁起が悪いですもんね!(30代です、霊柩車の話は小学生低学年の時に何かで知りました)
自分は救急車見掛けたら、心の中で「無事でありますように、助かりますように、医療従事者の皆様お疲れさまです」とか祈って思ってしていますwww
しぐさの民俗学…あの本面白過ぎますね…まだ未読の方は是非読んで…っ!!!
ゲストや他のラジオの方とコラボするついでに「俗信食わず嫌い王」できそう
救急車の音で親指隠す人もいるのかあ……と思ったのは近所が病院だから割とひっきりなしで大変みたいな妥協がありそうな気がしてきた
蜂を避けた人にぶつかりそうになったことがあるので周囲への注意は欠かせない。
自転車通学中とか免許取って車を運転するようになってからは親指隠すと事故招くから、やらないようになったね…。 もともと不注意だったのもあるが
20:45 視覚情報を増やそうと思って増やせるのか…若いっていいなあ…視力や注意力が減退するとそもそも出来なくなる…orz
たのまち!
黒川さんのこの側面たまらない
霊柩車を見たら親指を隠すというのは聞いたことがありません。午前中に霊柩車を見たら縁起がいいとかいいことがあるとかは聞いたことがありますが(角界のことわざ?)
音楽聴いてない時のほうが周りの景色に集中してる気がするな
すごい...言っちゃ悪いかもだけど強迫観念じみたものを感じる...こういうのたしかに小学生位まではあったけどもう高校生になったら...そういえばいつの間にか何もしなくなってたなこういうの
「親の死に目に会えない」は、臨終の場に立ち会うことができないってことで、自分が先に死ぬってことじゃないんじゃないかな?
黒猫が道を横切ると悪いことが起きる、というようなアメリカあたりから入ってきた迷信が影響したりしてないですかね。関係ないかな😅
黒い外国車ってのは、特定の色の外国車を見たらラッキー(レアもん見た)っていうおまじないのカウンターじゃないかな
自分は、黄色いワーゲンビートルはラッキー、黒はアンラッキーというものでした
自分がこの俗信知ったの確か「シャーマンキング」だったなぁ
それまで親も周りも誰も言ってなかったですけど小学生だった自分は「そうなのか!」って知って周りにも広めてた記憶が…
あと逆の縁起モノ俗信として『黄色い車を見た時に願い事を言うと叶う』ってのも同じくらいに知って実践してた気がします
子供の噂の伝播性って不思議だよなあ
ポケモン初代のバグ技とか全国レベルで広まってた気がする
ネットもろくに普及してない時代にしかも一瞬で。
あれも学校の怪談が全国に広まるのと同じ仕組みで広まったものなんだろうか
コメント欄めっちゃおもしろい。
これは令和の話ですが、父親の葬儀の際、地元のお寺さんにお願いするのですが、「宗派が違う」と断られました。ようやく引き受けてくれるお寺さんが見つかったのですが、菩提寺が成田山新勝寺だと知ると「出来ない」と。仕方なく、新勝寺へコンタクトを取り、お坊さんを派遣してもらいました。以来、新勝寺にお布施を納め続けることになってしまいました。
成田山新勝寺がクレーム入れてくるんかな?と思っちゃいました😅
「黒い外国の車」って
リンカーンに代表される米国セダンが
洋式霊柩車のベース車輌になりがちな事に起因してるけど
黒いフェラーリ、ポルシェに対してはどうなんだろ?
音楽聴いてるとそこまで注意力落ちる人は歩きながら音楽聴いちゃだめだよ…
なんで柳の下を通る時に隠すんだろう?
ほわほわこわこわはなこさーん で親指隠すこと覚えた39歳です
全然知らない習俗だった
なるほどなぁと思いながら見ました
昭和育ち(九州北部)ですけど、親指云々~な話は言われた事も聞いた事も無いですね…。自分が育った地域が割と都市部だったせいなのか。
霊柩車の話は初耳でした
我が家では、夜に爪を切ると死に目に会えないと聞かされました
日頃の親指の疲れからか、不幸にも黒塗りの高級外車に突指してしまう。
え?墓の前はメジャーじゃないのか。
自分は墓の前でも親指を隠してた。
オカルト系の黒子ラジオとコラボしてくれないかな〜
あっちも民間伝承とか民俗学に精通してるから妖怪とかイタコの話盛り上がりそう。
まあ本人ががっつり黒子衣装を着てるので様子のおかしい回にはなりそうだけど、、、
そんなこと初耳ですよ。何処の風習 ワゴンみたいな霊柩車見かけるけどね。運転には2種免許いるしご祝儀が貰えるのでタクシー運転より儲かるね。