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私が育った地域でも蒸気機関車と電気機関車が混在していました。当時は、ホームで列車を待っていて電気機関車が来ると幸運だと喜んだものです。駅員や車掌さんは、国鉄職員でしたから今思うと乗客にはチョット上から目線でしたね。今思えばみなさん職人気質でした。維持管理運行に手間がかかって大変だったでしょうが、当時はそれが当たり前で普通のこと。映像の中で司令室で普通にかけている電話すら一般家庭には無く、緊急連絡方法は電報という情緒いっぱいの昭和の時代でした。
職人気質だったからよかったんだと思います。今の駅員さんたちはクレーマーや悪質な撮り鉄に舐められすぎです。(駅員さんが悪い訳ではないですが…。)
とても懐かしい動画ありがとうございます。操車場の場面は昔の新鶴見操車場の阪阜(ハンプ)ですね。廃止最後の年にちょうどハンプに勤務していました。当時の様子が思い出されてすごく見入ってしまいました。
長い陸橋やその取付け部の感じがもしかして、と思いましたが、やはり新鶴見でしたか!1990年頃近くに住んでいました。すでに線路は剥がされ、広大な敷地と陸橋が残っていました。1976年頃に小学校の遠足(社会見学)で陸橋の上から見た時は、貨車で一杯だった記憶があります。バスガイドさんが、日本一だか東洋一だかと言っていました。転轍器の転換のタイミング、すごすぎです。こんなに際どいのが普通だったんでしょうか。
この記録映画製作時には、信号が機械式ではなく電気式に変更され、スマートに、操作盤で操作している姿が記録されていますが、現場の作業にはマンパワーが残り、その作業班とのやり取りは、架電による確認でやっていたのですね。こうした時代があって、電子計算機(いわゆるコンピュータ)による制御の時代担っているのだなあと思いました。いつの世でも、日本の技術は凄いなぁと思います。日本は定刻に安全に運行されている鉄道網を持つ国として、世界から注目されている理由は、こうした緻密な動きにあるのだと思います。現在の鉄道マンはスマートで魅力的な印象が強いですが、この時代の方たちは凛々しく、かっこいいですね。良い映像をみさせていただきました。
「今日のロード多いからね」......「承知しました」。このサラリ感がいいです。
酔っぱらいのサラリーマンが駅員に両脇を抱えられて降りる姿に時代を感じます。
鉄道の信号に関わる仕事をしているけど見ていて楽しかった架線をがせんといってるのもいいそれにしても胴綱をせずに鉄塔を上ってくのはさすがというか、すげえなぁ真似できない
素晴らしい!当時の方の苦労と努力が、伺える。ご苦労様でした。何より、吊り掛け駆動の音が大好きでした。
このアナウンスはNHKの大塚利兵衛アナウンサー(当時30歳)です。
へまわ
『飯田町変電区、それでは緩行の13、14を開放してください』今はおそらく遠方制御なんでしょうね。当時ならではの現地変電所従事員に指示を出す指令員、シブいですね…
夜作業する人には、頭が下がります。
通過直前に転換させてる場面がチラッとあるけど、当時は日常茶飯事だったのだろうか…。
2:20ギリギリすぎるW轍鎖鎖錠とか無いんだろうけど
旧型国電マニアには堪らない記録映像です。この映画が作られた昭和28年には国鉄で形式番号大改正が行われ、モハ31がモハ11200番台に、モハ50がモハ11400番台にと、17m車が全部10番台になりました。また、一時的にカーブが多いという理由で山手線に17m車が集中的に配属された時でもありました。それに、中央線と京浜東北線には2等車(今のグリーン車)が連結されていた最後の年でもあります。ラストに近いシーンで有楽町を走る京浜東北の先頭に太い青帯をつけたクロハ65(クロハ16)型が見られます。 松住町橋梁を渡る総武線電車の編成の中には更新改造前の張り上げ屋根でグローブベンチレター付きのモハ41、呉服橋ガードでは、これも更新改造前で二重屋根のサハ17などが見られます。 今や鉄道博物館にも無い、これらの車両が確かに生きていたんだという素晴らしい記録ですね。
現代もE235系0代に1両だけ形の違う車が挟まっていたり、中央線に特別車が復活したりしているので、旧型国電の時代からの歴史は繰り返すものだなぁと思いました。
トロリー線の摩耗張り替え、通称トロッ張り。飯田町変電区のジスコン棒による断路器操作。磁石式携帯電話器。電機掛や電力工手。 ジ〜ンと来るな〜。
すごく古くて懐かしい装置が映ってますね あるところもありますが、てんてつきとか今ではもう見ませんね
鉄塔での作業命綱なし
見てるだけでも足がすくみました普通に鉄塔に登っていくところでもう怖かったです
遮断器投入と断路器投入の順序が逆です。断路器は負荷電流の開閉が出来ないので、停電時は遮断器開放→断路器開放ですが、復電時は断路器投入→遮断器投入になります。
1953年製作の映画ですかうちの近所にも武蔵野操作場がありましたがわずか10年程度で廃止されました貨物列車はJR貨物が武蔵野線と常磐線のデルタ式路線を使って運用されていますどこで連結作業をしているのでしょうかね
風邪で熱なんかあったりするとしんどすぎてやっとれんな
貨物の行き先プレートに吹田と書いてましたな。
It's a good idea they were using the train to take home some intoxicated passengers.
小千谷の発電所…残念ながら悪い意味で有名なところですね。たしかに現代のJRには国鉄に比べて良いところが色々あるにせよ、何か大事なものを忘れてしまっている気がします。
昭和28年のものみたいですね
モーニング掲載の漫画カレチの世界みたい
大変だな~。
フルカラー見たいな(。・∀・。)ノ
あ、やっぱりこの時代から丸札あったのね
こるちゃ
今の若い子はハンプヤードは知らないだろうね
納入業者はどこですか?
寺田龍士 これは、操車場なので、行き先ごとに編成を組み立て直すだけなので、いわゆる貨物駅の様な荷積みとかはしないところであります。
ナン年につくったんですか。
もーーーーーーーーーーーばか
D52は御殿場線?
今は隅田川です!新小岩は千葉臨港方面とレールセンターに!
私が育った地域でも蒸気機関車と電気機関車が混在していました。
当時は、ホームで列車を待っていて電気機関車が来ると幸運だと喜んだものです。駅員や車掌さんは、国鉄職員でしたから今思うと乗客にはチョット上から目線でしたね。今思えばみなさん職人気質でした。
維持管理運行に手間がかかって大変だったでしょうが、当時はそれが当たり前で普通のこと。
映像の中で司令室で普通にかけている電話すら一般家庭には無く、緊急連絡方法は電報という情緒いっぱいの昭和の時代でした。
職人気質だったからよかったんだと思います。今の駅員さんたちはクレーマーや悪質な撮り鉄に舐められすぎです。
(駅員さんが悪い訳ではないですが…。)
とても懐かしい動画ありがとうございます。
操車場の場面は昔の新鶴見操車場の阪阜(ハンプ)ですね。
廃止最後の年にちょうどハンプに勤務していました。
当時の様子が思い出されてすごく見入ってしまいました。
長い陸橋やその取付け部の感じがもしかして、と思いましたが、やはり新鶴見でしたか!
1990年頃近くに住んでいました。すでに線路は剥がされ、広大な敷地と陸橋が残っていました。
1976年頃に小学校の遠足(社会見学)で陸橋の上から見た時は、貨車で一杯だった記憶があります。
バスガイドさんが、日本一だか東洋一だかと言っていました。
転轍器の転換のタイミング、すごすぎです。こんなに際どいのが普通だったんでしょうか。
この記録映画製作時には、信号が機械式ではなく電気式に変更され、スマートに、操作盤で操作している姿が記録されていますが、現場の作業にはマンパワーが残り、その作業班とのやり取りは、架電による確認でやっていたのですね。こうした時代があって、電子計算機(いわゆるコンピュータ)による制御の時代担っているのだなあと思いました。いつの世でも、日本の技術は凄いなぁと思います。日本は定刻に安全に運行されている鉄道網を持つ国として、世界から注目されている理由は、こうした緻密な動きにあるのだと思います。現在の鉄道マンはスマートで魅力的な印象が強いですが、この時代の方たちは凛々しく、かっこいいですね。良い映像をみさせていただきました。
「今日のロード多いからね」......「承知しました」。
このサラリ感がいいです。
酔っぱらいのサラリーマンが駅員に両脇を抱えられて降りる姿に時代を感じます。
鉄道の信号に関わる仕事をしているけど見ていて楽しかった
架線をがせんといってるのもいい
それにしても胴綱をせずに鉄塔を上ってくのはさすがというか、すげえなぁ
真似できない
素晴らしい!当時の方の苦労と努力が、伺える。ご苦労様でした。
何より、吊り掛け駆動の音が大好きでした。
このアナウンスはNHKの大塚利兵衛アナウンサー(当時30歳)です。
へまわ
『飯田町変電区、それでは緩行の13、14を開放してください』
今はおそらく遠方制御なんでしょうね。当時ならではの現地変電所従事員に指示を出す指令員、シブいですね…
夜作業する人には、頭が下がります。
通過直前に転換させてる場面がチラッとあるけど、当時は日常茶飯事だったのだろうか…。
2:20ギリギリすぎるW轍鎖鎖錠とか無いんだろうけど
旧型国電マニアには堪らない記録映像です。この映画が作られた昭和28年には国鉄で形式番号大改正が行われ、モハ31がモハ11200番台に、モハ50がモハ11400番台にと、17m車が全部10番台になりました。また、一時的にカーブが多いという理由で山手線に17m車が集中的に配属された時でもありました。それに、中央線と京浜東北線には2等車(今のグリーン車)が連結されていた最後の年でもあります。ラストに近いシーンで有楽町を走る京浜東北の先頭に太い青帯をつけたクロハ65(クロハ16)型が見られます。 松住町橋梁を渡る総武線電車の編成の中には更新改造前の張り上げ屋根でグローブベンチレター付きのモハ41、呉服橋ガードでは、これも更新改造前で二重屋根のサハ17などが見られます。 今や鉄道博物館にも無い、これらの車両が確かに生きていたんだという素晴らしい記録ですね。
現代もE235系0代に1両だけ形の違う車が挟まっていたり、中央線に特別車が復活したりしているので、旧型国電の時代からの歴史は繰り返すものだなぁと思いました。
トロリー線の摩耗張り替え、通称トロッ張り。飯田町変電区のジスコン棒による断路器操作。磁石式携帯電話器。電機掛や電力工手。
ジ〜ンと来るな〜。
すごく古くて懐かしい装置が映ってますね あるところもありますが、てんてつきとか今ではもう見ませんね
鉄塔での作業命綱なし
見てるだけでも足がすくみました
普通に鉄塔に登っていくところでもう怖かったです
遮断器投入と断路器投入の順序が逆です。断路器は負荷電流の開閉が出来ないので、停電時は遮断器開放→断路器開放ですが、復電時は断路器投入→遮断器投入になります。
1953年製作の映画ですかうちの近所にも武蔵野操作場がありましたがわずか10年程度で廃止されました貨物列車はJR貨物が武蔵野線と常磐線のデルタ式路線を使って運用されていますどこで連結作業をしているのでしょうかね
風邪で熱なんかあったりするとしんどすぎてやっとれんな
貨物の行き先プレートに吹田と書いてましたな。
It's a good idea they were using the train to take home some intoxicated passengers.
小千谷の発電所…残念ながら悪い意味で有名なところですね。
たしかに現代のJRには国鉄に比べて良いところが色々あるにせよ、何か大事なものを忘れてしまっている気がします。
昭和28年のものみたいですね
モーニング掲載の漫画カレチの世界みたい
大変だな~。
フルカラー見たいな(。・∀・。)ノ
あ、やっぱりこの時代から丸札あったのね
こるちゃ
今の若い子はハンプヤードは知らないだろうね
納入業者はどこですか?
寺田龍士 これは、操車場なので、行き先ごとに編成を組み立て直すだけなので、いわゆる貨物駅の様な荷積みとかはしないところであります。
ナン年につくったんですか。
もーーーーーーーーーーーばか
D52は御殿場線?
今は隅田川です!新小岩は千葉臨港方面とレールセンターに!