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この戦いは蒼天航路 横山三国志共に面白い戦いでしたね蒼天航路の馬超が一騎で断崖から曹操を追い詰める 西涼軍に押され気味な曹操軍が夢梅老人の助言で氷の城を作るなど曹操の戦歴では漢中攻防 赤壁 官渡に次ぐ苦しい戦でしたね
美しく義憤を貫けぃ!!
め…めっかったぁ
潼関の戦いの敗戦より、韋康を殺しちゃって王異を敵にしちゃったことが失敗なのよねぇ
あそこの戦いの凄惨さたるや
こうしてみるとだいぶ持ち上げられた感はあるが一時の煌めきはあったとも
いつも楽しく拝見しています^ ^馬超の活躍が光るこの戦役は、聴いていて、めちゃくちゃワクワクしました!!
動画面白かったです。『三國志』武帝紀を見ると、馬超たちの軍が到着するたびに曹操は喜んだみたいで、“關中長遠,若賊各依險阻,征之,不一二年不可定也。今皆來集,其衆雖多,莫相歸服,軍無適主,一舉可滅,為功差易,吾是以喜。”(関中は遠距離にある。もし賊が各自険阻な地に立てこもれば、それを征伐しても一、二年を費さなければ平定できないだろう。今全部が集まってきたのだ。その軍勢は多いけれども、互いに頭を下げることをせず、軍にはふさわしい大将がいないとなると、一挙にうち滅ぼすことができる。仕事がいささかやりやすくなる。わしはそれで喜んだのだ。)と言ったと書いてあり、「曹操の自信満々な態度かっこいいー!」って思いました。その割に結構苦戦してたんですね…
敵を前に弱気になったら示しがつかないですしね(笑)
曹操がその戦術的才覚を発揮できた最後の戦いですね。これ以降は戦役が大規模かつ拠点での攻防で持久戦がメインになり、曹操自身が出向いてもその戦術的能力を発揮できる余地がほとんど無いという。曹操の最後の数年、孫権→劉備→関羽と振り回される姿は見ていて少し悲しい気持ちになります。
馬超に勝利しても掃討を途中で諦めたり、漢中郡を得ても益州に攻め込まなかったり、往年の頃と比べれば確かに元気が無い感じがしますよね。
馬超が韓遂を説得する時に「某司隷校尉が私に韓遂殿を抹殺するよう言って来ました」と言ったとか関中諸将から奴はやりかねないって思われてたんやろね…
辺境と中央の確執みたいなものがありありと伝わってきますよね
予想以上の被害が出たことに加え、「そのまま討伐に乗り出したら再び馬超と韓遂が手を組むかもしれない」と考えて曹操は本隊を一旦引き上げたのかもしれない。
一応、河北で反乱が起きて本拠のギョウ城がちょっと危なかったから急いで引き返してるみたいですね。この反乱は曹操本隊が帰還したからなのかはよくわかりませんが、すぐに鎮圧されてます。だからこの反乱はそれこそ曹仁とかに任せておいて、馬超の討伐に足を伸ばしてもよかったんじゃないかなぁ、という見方もできるという感じですね。
いまthree kingdoms見てて丁度馬超活躍の回を見終えたところです、ドラマ内でも曹操を危うく負かそうとして張飛と一騎打ちで互角に戦ったりして馬超は強いですね
スリキンの一騎打ちシーンめちゃくちゃ好き
曹操自らが殿やったんですね(戦術的にどうしてやろ?)。馬超も苦渋の決断・判断の連続やったんでしょうかね。一群雄といえる立場から、その後に臣下の道を選んだり。賈詡はマジで好き。組織人としての個人的なモデルケース。意図的なわざとらしさに同意。でないと効果を発揮しない。即断即決タイプは急ぎの案件の際には本当にテンポがいい。しかしこれは各個撃破に向いていて戦略眼や計画性のようなところが弱点。
賈クはホントに心理戦やらせたら敵なしですね
この戦い、一面では烏桓の騎兵が羌の騎兵を打ち破ったともいえますね(しかし曹操が最後尾にいたの、完全に馬超をなめきってましたよね)
孫権も渡河のときに殿をつとめて張遼の餌食になってるし、総大将が最後尾で仕事すべきっていう慣例みたいなのがあったんですかね?🤔
曹操の場合、戦力差は圧倒的なんだから総大将が危険な場所にいる必要なんてないんですね。最後尾なんて誰かにまかせてとっとと渡ってしまえばよかった。これまで危険な場所に身を置いても生き残ってきたという過信が生んだ驕りだと思います。孫権のは本来安全圏にいたのに、徐盛・宋建・陳武と3枚抜かれてメタメタになったんだと思います。
なるほど、つまり張遼がやっぱりおかしいと(
まあそうなんですが(笑) 僕の場合見方が違って、、、徐盛の部隊が逃げ出したので、宋建の部隊がパニック起こして、陳武が貧乏くじ引かされた、だと思ってます(つまり徐盛が全部悪い
恐らく曹操は「一番重要な場所に一番優秀な将軍を置いた」つもりだったんじゃないかなと思います。確か張繡との戦いでも自身が殿を勤めた事があったはず。つまり曹操の主観では奢りどころか合理的な判断だったのでしょう。もちろん弱小群雄時代ならともかく、大勢力のトップとしては完全にアウトですが。曹操・劉備・関羽の晩年の言動を見ると、若いときの行動規範が抜けきれていないと思うことがあります。この3人が挫折して退場していった理由の一つにジェネレーションギャップがあると考えています。
馬超「虎侯はどこだ!」 許褚「ここ」
牛を引きずり回す怪力将軍
馬超軍が敗れたのは、賈詡の謀略を看破する謀将がいなかったことも大きな理由の一つだろう。もっとも謀将がいたところで、思慮深いイメージがない馬超が諫言を容れたか甚だ怪しい。結局曹操を唯一討ち取るチャンスを逃した時点で敗れる定めだったのだろう。
まさしく千載一遇の好機でしたね
賈詡がもともと西方の人間だというのが大きいと思います。つまり馬超軍の弱い部分が全部わかっている。
非漢民族である羌族と関わりの深い、涼州特有の文化を理解していたでしょうね…謀略のイメージが強い賈詡ですが、政務においては非常に儒家的だったのも、涼州という特殊な環境を経験していたから客観的に漢民族を見れたのではないかと思います。
それはわかりきってるかなあ
横山三国志では馬超に左腕斬られた時点で韓遂は強制退場させられてたけど……。
馬超はともかく演義が馬超の動機を全く逆にしたのは嫌だわ
まぁ、ストーリーとして分かりやすいですからね。演義は歴史書じゃなくてエンタメ小説なのでそこは致し方なし
負ければ西の都である長安含む関中一帯が賊軍に奪われるだけでなく、赤壁に続いての敗北は曹操の威信の低下に繋がり、各地で反乱が勃発したかもしれない。勝てて内心ホっとしたんじゃないかなぁ、曹操。
ですね。この勝利で何とか赤壁による威信低下を防ぎとめられた感じもありますし、非常に重要な一戦であったことは間違いないでしょう。
馬超の正史を見れば見る程、何で蜀の五虎将軍になれたのか解らなくなる目立った戦績がこの潼関の戦い以後、殆どないというのにただ、後の北伐の際に孔明や姜維が関中方面の反乱を容易に起こしてた事から馬超は水面下で地道に関中方面の人脈作りをやってたのかも・・・
格式って大事
領主レベルだったから関羽、張飛と同格にせざるを得なかったというところだろう。現代風に言えば、買収した会社の社長だから貢献に関係なく役員クラスで処遇せざるを得ない的な。
馬超は劉備の仲間になってからは影が薄いイメージがあるんだよなあ。
本当にボロボロの体で転がり込んできた状態ですから、まともな私兵も支持勢力も乏しい、でもめちゃくちゃ有名人みたいな立場となると、バリバリ働いてもらうとはならないという(;'∀')
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正史の馬超ムーブがクソすぎてな笑父ちゃんが曹操の所に居る時に挙兵はアカンやろ笑
だって曹操が、これだけの人質差し出してなお人質要求やら内紛工作を仕掛けてくるんだもん…🥲
中々な名家の出身なのに名士抑圧して地域支配に失敗するテンプレムーブかましてるあたり、器としてはまぁ強化版公孫瓚という感じが……
親の仇の戦いでなく、実は親不孝の戦い。何故捏造したのか意味がわからない。やっぱ玄徳への忖度やな。
そりゃ、演義はエンタメ小説なので。ストーリーは分かりやすくて面白くなくちゃ🌞
たしかに脚色は仕方ありませんがあまりに間逆なんで(笑)
それは確かに(笑)
この戦いは蒼天航路 横山三国志共に面白い戦いでしたね
蒼天航路の馬超が一騎で断崖から曹操を追い詰める 西涼軍に押され気味な曹操軍が夢梅老人の助言で氷の城を作るなど
曹操の戦歴では漢中攻防 赤壁 官渡に次ぐ苦しい戦でしたね
美しく義憤を貫けぃ!!
め…めっかったぁ
潼関の戦いの敗戦より、韋康を殺しちゃって王異を敵にしちゃったことが失敗なのよねぇ
あそこの戦いの凄惨さたるや
こうしてみるとだいぶ持ち上げられた感はあるが一時の煌めきはあったとも
いつも楽しく拝見しています^ ^
馬超の活躍が光るこの戦役は、聴いていて、めちゃくちゃワクワクしました!!
動画面白かったです。
『三國志』武帝紀を見ると、馬超たちの軍が到着するたびに曹操は喜んだみたいで、
“關中長遠,若賊各依險阻,征之,不一二年不可定也。今皆來集,其衆雖多,莫相歸服,軍無適主,一舉可滅,為功差易,吾是以喜。”
(関中は遠距離にある。もし賊が各自険阻な地に立てこもれば、それを征伐しても一、二年を費さなければ平定できないだろう。今全部が集まってきたのだ。その軍勢は多いけれども、互いに頭を下げることをせず、軍にはふさわしい大将がいないとなると、一挙にうち滅ぼすことができる。仕事がいささかやりやすくなる。わしはそれで喜んだのだ。)
と言ったと書いてあり、「曹操の自信満々な態度かっこいいー!」って思いました。その割に結構苦戦してたんですね…
敵を前に弱気になったら示しがつかないですしね(笑)
曹操がその戦術的才覚を発揮できた最後の戦いですね。これ以降は戦役が大規模かつ拠点での攻防で持久戦がメインになり、曹操自身が出向いてもその戦術的能力を発揮できる余地がほとんど無いという。曹操の最後の数年、孫権→劉備→関羽と振り回される姿は見ていて少し悲しい気持ちになります。
馬超に勝利しても掃討を途中で諦めたり、漢中郡を得ても益州に攻め込まなかったり、往年の頃と比べれば確かに元気が無い感じがしますよね。
馬超が韓遂を説得する時に「某司隷校尉が私に韓遂殿を抹殺するよう言って来ました」と言ったとか
関中諸将から奴はやりかねないって思われてたんやろね…
辺境と中央の確執みたいなものがありありと伝わってきますよね
予想以上の被害が出たことに加え、「そのまま討伐に乗り出したら再び馬超と韓遂が手を組むかもしれない」と考えて曹操は本隊を一旦引き上げたのかもしれない。
一応、河北で反乱が起きて本拠のギョウ城がちょっと危なかったから急いで引き返してるみたいですね。この反乱は曹操本隊が帰還したからなのかはよくわかりませんが、すぐに鎮圧されてます。
だからこの反乱はそれこそ曹仁とかに任せておいて、馬超の討伐に足を伸ばしてもよかったんじゃないかなぁ、という見方もできるという感じですね。
いまthree kingdoms見てて丁度馬超活躍の回を見終えたところです、ドラマ内でも曹操を危うく負かそうとして張飛と一騎打ちで互角に戦ったりして馬超は強いですね
スリキンの一騎打ちシーンめちゃくちゃ好き
曹操自らが殿やったんですね(戦術的にどうしてやろ?)。
馬超も苦渋の決断・判断の連続やったんでしょうかね。一群雄といえる立場から、その後に臣下の道を選んだり。
賈詡はマジで好き。組織人としての個人的なモデルケース。意図的なわざとらしさに同意。でないと効果を発揮しない。
即断即決タイプは急ぎの案件の際には本当にテンポがいい。しかしこれは各個撃破に向いていて戦略眼や計画性のようなところが弱点。
賈クはホントに心理戦やらせたら敵なしですね
この戦い、一面では烏桓の騎兵が羌の騎兵を打ち破ったともいえますね
(しかし曹操が最後尾にいたの、完全に馬超をなめきってましたよね)
孫権も渡河のときに殿をつとめて張遼の餌食になってるし、総大将が最後尾で仕事すべきっていう慣例みたいなのがあったんですかね?🤔
曹操の場合、戦力差は圧倒的なんだから総大将が危険な場所にいる必要なんてないんですね。
最後尾なんて誰かにまかせてとっとと渡ってしまえばよかった。
これまで危険な場所に身を置いても生き残ってきたという過信が生んだ驕りだと思います。
孫権のは本来安全圏にいたのに、徐盛・宋建・陳武と3枚抜かれてメタメタになったんだと思います。
なるほど、つまり張遼がやっぱりおかしいと(
まあそうなんですが(笑) 僕の場合見方が違って、、、
徐盛の部隊が逃げ出したので、宋建の部隊がパニック起こして、陳武が貧乏くじ引かされた、だと思ってます(つまり徐盛が全部悪い
恐らく曹操は「一番重要な場所に一番優秀な将軍を置いた」つもりだったんじゃないかなと思います。確か張繡との戦いでも自身が殿を勤めた事があったはず。つまり曹操の主観では奢りどころか合理的な判断だったのでしょう。もちろん弱小群雄時代ならともかく、大勢力のトップとしては完全にアウトですが。曹操・劉備・関羽の晩年の言動を見ると、若いときの行動規範が抜けきれていないと思うことがあります。この3人が挫折して退場していった理由の一つにジェネレーションギャップがあると考えています。
馬超「虎侯はどこだ!」 許褚「ここ」
牛を引きずり回す怪力将軍
馬超軍が敗れたのは、賈詡の謀略を看破する謀将がいなかったことも大きな理由の一つだろう。もっとも謀将がいたところで、思慮深いイメージがない馬超が諫言を容れたか甚だ怪しい。結局曹操を唯一討ち取るチャンスを逃した時点で敗れる定めだったのだろう。
まさしく千載一遇の好機でしたね
賈詡がもともと西方の人間だというのが大きいと思います。
つまり馬超軍の弱い部分が全部わかっている。
非漢民族である羌族と関わりの深い、涼州特有の文化を理解していたでしょうね…
謀略のイメージが強い賈詡ですが、政務においては非常に儒家的だったのも、涼州という特殊な環境を経験していたから客観的に漢民族を見れたのではないかと思います。
それはわかりきってるかなあ
横山三国志では馬超に左腕斬られた時点で韓遂は強制退場させられてたけど……。
馬超はともかく演義が馬超の動機を全く逆にしたのは嫌だわ
まぁ、ストーリーとして分かりやすいですからね。演義は歴史書じゃなくてエンタメ小説なのでそこは致し方なし
負ければ西の都である長安含む関中一帯が賊軍に奪われるだけでなく、赤壁に続いての敗北は曹操の威信の低下に繋がり、各地で反乱が勃発したかもしれない。
勝てて内心ホっとしたんじゃないかなぁ、曹操。
ですね。この勝利で何とか赤壁による威信低下を防ぎとめられた感じもありますし、非常に重要な一戦であったことは間違いないでしょう。
馬超の正史を見れば見る程、何で蜀の五虎将軍になれたのか解らなくなる
目立った戦績がこの潼関の戦い以後、殆どないというのに
ただ、後の北伐の際に孔明や姜維が関中方面の反乱を容易に起こしてた事から
馬超は水面下で地道に関中方面の人脈作りをやってたのかも・・・
格式って大事
領主レベルだったから関羽、張飛と同格にせざるを得なかったというところだろう。
現代風に言えば、買収した会社の社長だから貢献に関係なく役員クラスで処遇せざるを得ない的な。
馬超は劉備の仲間になってからは影が薄いイメージがあるんだよなあ。
本当にボロボロの体で転がり込んできた状態ですから、まともな私兵も支持勢力も乏しい、でもめちゃくちゃ有名人みたいな立場となると、バリバリ働いてもらうとはならないという(;'∀')
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正史の馬超ムーブがクソすぎてな笑
父ちゃんが曹操の所に居る時に挙兵はアカンやろ笑
だって曹操が、これだけの人質差し出してなお人質要求やら内紛工作を仕掛けてくるんだもん…🥲
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親の仇の戦いでなく、実は親不孝の戦い。何故捏造したのか意味がわからない。やっぱ玄徳への忖度やな。
そりゃ、演義はエンタメ小説なので。ストーリーは分かりやすくて面白くなくちゃ🌞
たしかに脚色は仕方ありませんがあまりに間逆なんで(笑)
それは確かに(笑)