intel系CPUと比較すると、motorola系CPUは命令が基本的に固定長なのでコード効率が非常に悪く、メモリーや記憶媒体が高価だった当時はその点でintelが有利でした。特にアセンブラでプログラムを記述する場合も使い勝手が悪く、86系の使いやすいアセンブラに歩がありました。 それでも同一ビット長同一クロックではmotorola系CPUがやや高速で、メガドライブ等の家庭用ゲーム機にも積極的に使われました。しかしmotorola系CPUは駆逐され、「intel VS motorola戦争」は現在、「intel VS AMD戦争」になりました。 制御系では今でもザイログのZ80系8bitCPUが使われていたりするのは意外かもしれません。
当時憧れの機械だったなぁ。
当時中学生、高校生だったから買えなかったし、買ってもらえなかった。
社会人になったころには、X68000はもうなくて、少しあとにwindows搭載のメビウスが発売された。
しかし、まったく魅力無くてな。。。
液晶が綺麗なだけで。w
で、シャープに散々詰め寄ったのだけど、「なんでX68000の後継機種出さないの?」とか「名前なんで変えた?」と。
メーカー営業曰く「それは知らない。けれど、X68000はあまりいいと思ってない上の人が多くて、あまり触れてほしくない」と聞かされた。
また、会社の上司から言われたのは「X68000は元々、テレビ事業部が勝手に作ったしろものなので、本社は知らず、気づいたら売れてた」とか聞いた。
んで、それに腹を立てた社長が「X68000は他社と違い3年間は新しいモデルを出しません」とかなんとか言ったらしく、そのせいでx68030の発売やX68000XVIの発売遅れに影響したとまで聞いた。
ただ、当時、この社長の発言はユーザーからは歓迎されていて、コロコロと新機種を出されないので安心して買えるということになった。
社長の思惑とは違う方向に反応したってことだな。
だが、結果的に新しい機種の投入に意欲のない本社というか上層部というか、無理解によって搭載予定だったものが見送りになったり、紆余曲折を受けてようやく出せたものの、世代遅れ感もあり、X68000市場は「ただのゲーム機」という扱いになって行く。
本来、開発者が作りたかったものは、低価格版のマッキントッシュで、名前も「パーソナルワークステーション」というカテゴリーを作っていた。
開發にはハドソンの協力もあって、非常に使いやすく、Hu-BASICなど、ある程度発売されたはずだけど、その後は、やっぱり予算が出なかったのだろうけど、実用ソフトの発売が遅れたというか、少ないというか。
そんな状態になった。
ただ、そういう状況下でありながらも、ユーザーによってソフトが開発されて便利になるという特異な市場構造になった。
総評としては。
「とにかくかっこいい!」である。w
夢の。憧れの逸品💕沙羅曼蛇とイース2のオープニングには痺れた。ビリビリ。そして勿論買う事は叶わず垂涎の。。。。
懐かしき昭和よ。。。良い時代だった。
やっぱりx68000は当時の夢が詰まったパソコン
付録のグラディウスもすごかったし、デザインが今見ても抜群に良い
@@mattariGaming
あれに詰め込むために基盤を分けたり、こだわりがすごかったですね
X6800のパワーユーザーは「無かったら作る」を地で行ってました
WS-windowsは確かハドソン謹製だった気がします、当時のハドソンなにげにすごい(もしかしたらもう1つのOSだったかも)
モニターセットで50万だけど夢がいっぱい詰まってた・・・CPUのアプデがのんびりでwin勢に置いてけぼりなのがちょっと悔しかった
後半のソフトは10MHzじゃもっさりしてたけど、それでも嬉しかった・・・置いてけぼりだけど息の長い良いマシン
当時中学生ぐらいだったけど、憧れのゲームPCだったね
いや~懐かしいなんてもんじゃない
今でもエミュで仮想化したHDDからSOUND聞いてます
ところで
X68Kはパーソナルコンピューターじゃなくて・・・・・
パーソナルワークステーションですw
性能もデザインも車で言えばフェラーリみたいな憧れの対象であった。
知っている限り俺の学年で1人だけ持ってた。
当時の高級パソコンの普及率はそんなもんでした。
ゲーム性能がPSやSSに追い抜かれた時は寂しい気持ちになったな。
メガドラの頃は サブCPUにZ80が積まれてたんで、そのサブCPUをメインにしてるPCの立場は・・・ってなって
サターンの頃はサブCPUが68000になってて、そのサブCPUがメインのX68000は・・・
ってなったw
何もかも懐かしいですね。私は1991年10月にX68000XVIを購入しました。大学1年生でした。その約2年後にMIDIのCM-64と拡張カード07のギターカードを購入し、高品質音源のゲームで夜を明かしまくり単位を落としまくりました笑。
私はエキスパート買いましたね。グレーが品切れとかでシャープの営業の人が直接届けに来てた記憶が。
フロッピー多いゲームやってました。ラストハルマゲドンとか。MAPの切り替え時にFD交換要求される場所プレイしてれば覚えるのでその箇所はなるべく超えないようにしたりしてました。
X68000出してたのって確か家電部門とかでのちにメビウスとか出してたPC部門とは違うと聞いた覚えがあります。
確か、以前から情報機器部門とTV部門あたり2ライン戦略では?
な、多趣味故にMSX系使い倒しておりました・・・
自分は最初にPro買いました、その後にExpert買って あのX68000電卓手に入れました(^ω^)
最終的にはXVIやコンパクトXVIまで行きましたけど、その頃はもうかなり市場が廃れていたかなぁ。
試作機を全てロジックICだけで作ったらサーバーラック大になった話好き
MSXユーザーだった私にとっては夢のバソコン😍
ロータス123懐かしいな。
ロータスと一太郎で会社の資料作成しとったわ。
動画にあったX68000が完全にオワコン化ではなくX68000のゲームしかしないライト層はオワコン化です
ヘビー層はパソコン通信を使ってまだまだ現役でがっつりやってました。
その頃は軽量高速なフリーソフトのドライバが開発され10Mhzでもそこそこ軽かったです。
そうなるとメモリが足りなくなりメーカー品ではないが、
MACのメモリカードを搭載できるようにするボードなんかも販売されたりもしました。
テキストのみのホームページなら閲覧可能なブラウザも作られたり
2000年前後まで秋葉原で年1回のファンによるイベントも開催されていました。
マウスなどの周辺機器が壊れ使えなくなった位でイベントに参加する人も減って開催されなくなった辺りが
X68000の終焉だと私は思っています
高校時代、友達の家に遊びに行った時に紹介されたのが初代X68000。
そのグラフィックとサウンドはPC-98が雑魚に思えるほど鮮やかに美しく際立ってました。
それからしばらくしてX68000EXPERTを所有。
当時としては異例のハイスペックマシンでしたから、父にかなり迷惑をかけてしまいました。
そのインパクトは現在でも受け継がれていると思います。
ローランドのMIDIとか憧れてました
私もX68000XVIユーザーです。私はクロックアップは行っておらず、どノーマルですが、メモリだけは4MBに拡張していました
そんなX68Kですが、数年ぶりに電源を入れてみたら、画面が出た瞬間に突如電源ダウン、以後完全に沈黙しましたが
ネットで調べた所、四級塩コンデンサの液漏れによるコンデンサの底抜けで、例外なく同じ現象が起きていました
ですが、今はATX電源化で、無事復活させました
専用ディスプレTVもアナログ電波廃止でお役御免かと思われましたが
地デジチューナーを購入して現役で使っています
当時がHDDが256MBが2万5千円、メモリ2MBが4万円と、今では考えられないくらい高額でしたね
PC98ユーザーでしたけどHDDは当時ホントに高かったですね
自分は上司に安く譲って貰えましたけど、上司曰く20MBで4~5万とか言ってましたね
使わないからと2千円で売ってくれた上司には感謝しかありません
PCM8懐かしいね~。当方保持してたのはPROで改造しても16MHZで一杯一杯。スパ2でドライバ組み込む時のオプション書き込んで4チャンに制限?音質落とすオプション?処理軽くする命令入れたら快適。死ぬほど遊んだ。さぁおっさんゲーマーは、今夜も帰ってきた魔界村で死にまくるか。いつか自分が死ぬまでね…。
当時中学生の頃に電気屋でX68000のゲームのデモ画面を見てるだけでワクワクして幸せだったなぁ
X68の動画を見ると若い頃の事を思い出して懐かしい気持ちになりますね。
そうなるくらいの年月が経っているのが恐ろしくもあります。
当時はACE→CompactXVI→X68030と乗り継ぎ、さらにもう1台030を追加して60Turbo + 32MB SIMM環境で使用してました。
他にMIDIボードとMach2にツクモ製グラボと色々買い揃えましたが、今手元にあるのは箱に戻したX68030と壊れたCompact XVI(24MHz)だけです。
X68最終期は2画面ファイラーをメインで使用してましたね。STF V2から最終的にはMintへ。
今もWindows10でのファイル整理にはX68互換キーモードがある、あふを主に使用してます。
初期のVisualシェルとSX-Windowsは殆ど使わなかったですね。
あの頃の68ユーザーはSX erとMint使いで綺麗に分かれていた印象です。
当時パソ通等で集めたデータ含めて、実機環境は全てエミュへ移管してますが
出来ることならもう一度、ブラウン管CRTで実機が動作している姿を直にみたいものです。
凄い!スペハリとパロディウス目当てに中古のACEを買った軟派な私とは大違いです。
しかし、この頃ってベーマガ等の雑誌広告の(ちょっと怪しい)店に、いきなり数十万円
の代金を為替で振り込んで半券も振り込んだ証拠&振込ナンバーの確認用として普通に
郵送しちゃうなんて(今考えれば)怖い事を普通にやってましたねw
私はアキバも日本橋も遠い地域に住んでるんで、中古の本体もSX-Windowも上記の怖いw
方法で買ってました。増設RAMだけは近所の家電店で取り寄せて貰いましたが。
店頭でグラディウスのデモを見て感動したけど、中学生にはとても手が出ない価格だった。
40年前位か。。。 MSX。。。 あったねえ。マイコンからパソコンになる過渡期。ぴゅー太とかもあった。松田聖子が人々のヒッビットとかCMやってた。懐かしい。
グラディウスができるパソコンじゃないか!
懐かしいなぁ 90年代はX68エキスパート PC88MC エプソン486 を友人から安く売ってもらっててゲームをしまくってました
pcm8は公開当時、かなり衝撃を受けましたねぇ。ADPCMからPCMに変換・各チャンネル合成してまたADPCMに変換するということをリアルタイムでやっててめちゃくちゃ感動したことを覚えてます。
ちなみにカプコンのドライバは最初からPCMでデータを持ってて、出力するときにADPCM変換をかけて処理の負荷軽減をやってました。音声を合成する処理は単なる足し算なので処理負荷は軽いんですが、PCM↔ADPCM変換が重いんですよね。
当時は中学2年生、貯めまくってた貯金20万と親父からの援護射撃で初代X68kを手に入れた。
その価格、現在では驚きの46万円!!
今でも動く状態で我が家にあります。
XVIやACEへの買い替えなど学生当時には出来るはずもなく、初代を手に入れたのは早計だったかと後悔する日もありました。
ただ、やっぱりあの当時に手に入れていなければ今の自分はない。と思うと買って良かったと思います。
個人的には名機だと思います。
まだPC98がMS-DOSで頑張っていた頃、MacのGUIに憧れX68000を購入しました。
色々オプションを揃え、市販ソフト以外は自販機の武尊で購入したり・・
うーん懐かしいなあ。
初代X68000(CZ-600C)を持ってました、つか今でも持ってます
初期OSはSX-WINDOWの前にビジュアルシェル(VS.X)ってのがありましたね
あと、後にも先にもX68Kでしか出なかった5インチFDのオートイジェクト機能とか
マウスにもトラックボールにもなる変態マウスとかも特徴ありました
初代ですと3Dゴーグル端子も標準装備してましたが、確か結局SHARPからは発売されず
FC版の液晶シャッター式ゴーグルを改造して利用したこともありました
X68000ミニとか出ないかなぁ・・・?
当時はエックスろくまんはっせん とは言わずのペケロッパーって呼んだ
MSXでお絵描きしていた勢としてはパソコン雑誌の投稿絵なんかでもひときわグラフィック性能が高いX68000はうらやましかった思い出。
いろんなパソコンを触ったけどX68kが最強だと思うわ。
一番思い出が詰まったパソワク(パーソナルワークステーション)だ。
自分もZ-musicを使って何百曲と作ったよ
自分があげてる動画のBGMは当時作ったやつを使ってます(著作権の問題もクリアなので使いやすいw)
改めて、うぽつです。
私はまったくパソコンのこと分からないんですが、スト2とかの格ゲーをよくやってまして。攻略本とか見ると、x68000の移植作の写真とか載ってましたね。なんと綺麗なことか。ほぼアーケード並みだった印象は、未だに忘れません。
SxSIとか、SASIにSCSIを接続するなんていうすさまじいドライバもありましたっけ。
MOの接続でお世話になりました。
お疲れさまでしたー
なるほどねー
プログラミングが楽しかった。
全てがシャープで用意されていて、公開仕様も分かりやすい。
x68kの良さはそれに尽きる。
PC98は低コストで変わり続けたから業務用途でブランドは長く続いたってだけで、68kと比較できるこれっていう機種はなかったよね。
そもそも98ブランドと68kというマシンは比較はできないし。
総じてプログラミング環境がめんどくさいし、ハード仕様が分かりにくかった。
@@mattariGaming
おっしゃる通りですね。
もうメーカーなんて関係ねぇ!って感じで。
ユーザーとしてはいい感じに抽象化されましたよね。
ネットワークもTCP-IP標準となりインターネットも見えてきた。
ただ現代はソフトウェアがあり過ぎて、
GUIとかオブジェクト指向とか、概念が複雑化、抽象化が進み過ぎて、個人が思ってるレベルのゲーム作りたい要求に対して、必要ない情報が多すぎる。
そして目的にあうフレームワークを使うものなら、ハードを動かしてる感じがしなくて、パソコンによるモノづくりの実感が得られないというジレンマに陥る時代なのかなと思います。
そういう意味では、x68000は個人にちょうどいい面白さと機械を動かしてる満足を与えてくれる、ホビーパソコン。
まさに現代には無い存在感を放っていると思います。
何しろ、私は未だにこれでゲームプログラミングしてますからね笑
かつてベーシックで始めたしょぼい技術力も
流石に何十年も同じマシンと向き合ってるので機械語まで操れるようになりました。
需要ないけど笑
サラリーマンになって初めてのボーナスがそっくりそのままPROに消えた思い出。
その後動画主と同じくクリスタルオシレーターの交換で12Mhzにクロックアップして楽しんでました。
最終的にツテを使って30の中古を手に入れFM音源増設、メモリ(SIMM)増設、60Turbo化、MIDIボード等
繋げてあるMIDI音源もCM32L+CM32P+CM300+SC88PROをミキサーで繋げてましたね。
今本体は押入れの肥やしになってますが恐らくコンデンサの寿命で起動しないでしょうね。
ATX電源化も知ってますが起動用ディスクが無くなってしまっているので
CONFIGやAUTOEXEの作り直しとかドライバーの入手とか無理なので思い出にとってあるだけです。
@@mattariGaming 60Turboの頃は末期の状態でしたから殆どその速さを活かす事は無かったですね
テキストのスクロールは爆速でしたが^^;
他の方が言っておられますが当時PCM8.xの作者の方sted2.xの作者の方が立て続けに亡くなられて衝撃を受けた記憶があります。
共にX68kの音楽世界の可能性を大きく広げた方達でしたのでこの方達が居なければ60Turboの導入までX68kを使う事は
無かったと思います。
当時は、X68kのレジスタだけを記載した分厚い本も売っていましたね。
68000アセンブラで有名な「青本」とか買ったなぁ。誤記もチラホラあったけど。
後、INSIDE MAC を真似た INSIDE X68K ってのもあった。(MACと同じように白い本だった)
@@あぴよん-i5h PC98のレジスタアドレス本も売ってて、仕事のために買いました。
大学に入ってまず買ったのがこれw 卒研もこれで書いた。
PC通信もSX-Window上でやってた。懐かしいなあ。
私は、X68K ACE-HDDを大学の入学祝いで買ってもらいました。
レポートは、X68Kで書くことも多かったです。
SX-windowは、使っていなかったですね
68000 10MHzは、遅くて…。
今でも電源が壊れた実機を持っています苦笑
40代以上のゲームプログラマはもれなくいじってただろうな
私のX68K ACE HDDは、電源がぶっ壊れて放置プレイになっております。
若い頃に一緒だったので、今も保存しています。
sx-windowは重かったですね
Ko-windowは、10MHzでは遅かったですが、他のCPUなら速かったのかな?
X68030を早目に投入して欲しかった。68000 16MHzでも遅いですからね
その頃、80386-80486の時代になっていたので、80286相当の68000はきつかった
68030でメモリーがそれなりに乗ったらunixが動いてもう少し生き残れたと思うのだけれど
それと海外でも売れば良かったのなぁって思います。
世界的に見てもamigaとmacに対抗出来るとしたら大きく出たらX68Kならって思います。
もっと頑張って欲しかったなあ
安いlanカードを販売して欲しかった苦笑
そしたらLANやインターネットなどに繋げやすかった
RAMボードとMIDI I/Fで空きはなかったけれど苦笑
仕方がないのでデータのやり取りはRS-232Cのクロス通信でやったりすることもありました。
それにしても、もうフロッピーは読み込め無さそう…。
ドライブも…。
私もXVIユーザーです、もっとも主様の様にRED ZONE化はしていませんがね
4級塩電解コンデンサの液漏れで電源ユニットが死にましたが
ATX電源化改造を施して復活しています
4級塩電解コンデンサ問題はX68Kユーザーなら避けては通れない道ですね
メモリも2MB増設して4MBにしましたが、当時は2MBで4万円だったので
今の時代なら、考えられないくらい高価でしたね
X1時代だと380KB程度の拡張RAMボードが10万円近くしてたから
それでも安くなったと感じたもんです。
とても、高くて買うなんて夢のまた夢。当時、X68000に移植されるゲームが発売される度にドキドキした。X68000からアーケード移植されたゲームがサンダーフォースAC。メガドライブにも移植された。
今では信じてもらえないけど、エニックス(現、スクウェア・エニックス)がX68000用ハードディスクを販売していたんだよ。
購入時に外箱を半信半疑で見たけど、確かにエニックスのロゴマークがついていたしな。
私はローランドsc55をつないで曲をつくって遊んでいました。
Zaurusとかシャープは一歩先を走っていた
ような気がします。
PC98と迷って学生時代に男の48回ローン組んで買ったのは、
後ろめたさらか、最もビジネスっぽいグレーのX68K PROII。
(98は高額な拡張ボード追加しないと多色にならんかったので除外)
CGの勉強をしたかったので最初のソフトは中古のC-TRACE68KとYs3を買った。
しかし、レイトレは3種類の透明体のオブジェのレンダが1日
経っても終わらないので辟易し、レイトレは早々にあきらめ
同時に買ったYs3のOPに感動した後は、ほぼゲーム機になるまでに遅くはなかった。
何年か経って80368のDOS機とX68KのDhrystone値の差に愕然とし、
以降、Doomに魅了された俺はX68030には行かずIBM互換機に移行しましたとさ。
なのでツインタワーにしなかった後悔とか、68030への憧れは残ったまま。
ハードウェアがFM音源x8 PCM音源x1だったのに、
ユーザーが作ったアプリでPCMx8音源になったのはカルチャーショックでした。
クリスタル買ってきて、X68Superとバッ活片手にクロックアップして、骨の髄まで楽しんだパソコンでしたわ
X68のグラⅡはやっぱMT32が一番良いですね~
XVIは「エクシブ」ではなく「エクシヴィ」
同じ16ビットのPC-9801がメインメモリどんなに増築しても直読限界1MB、メモリアクセス2~3クロックウェイトに対し、16MB直読可能で実装12MBをノーウェイトでアクセスする圧倒的なメインメモリ。
ビデオメモリはPC-9801が128KBに対し2MBという圧倒的な発色力と解像度。
なお、このメモリはデュアルポートRAMといって、画面に転送するための読み取りと、CPUがピクセルを書きかえる書き込みを同一クロックで並行して実行できる特別製だった。
有名なスプライト画面系は、史上最強だったファミコンの8倍近い性能をもち、切手サイズの妖精(スプライト)を最大で同時に32枚、水平方向には8枚並べてもちらつかないものだった。
このスプライト画面系には、同時に用意できる128枚の切手サイズの画像片をスキマなく並べて背景を描くBG画面を2枚持っていて、スプライト32枚とはさらに別に座標を自由に設定できた。
つまり、このBG2枚は二重スクロール可能だった。
実はこのBG画面こそ、PC-9801でいう文字画面の発展系なのだ。
それを2枚、さらにマウスポインタが最大32枚、グラフィック画面がそれとは別に最大4枚テキスト画面は実は解像度固定のグラフィック画面なので、座標を瞬時に書き換え可能な画面を
39重スクロール!
という途方もない画面系を持っていたのだ。
サウンドはPC-9801が標準ではポー。というビープ音だけしか鳴らないし、サウンドカードを刺しても、FM音源6音なのに対し、FM音源8音+ボイスレコーダー1音という歌唱力。
FM音源の衰退と共に、デジタル波形記録のボイスレコーダーが単発であることは、PCM音源化のなかでは次第に泣き所になっていったかに思えた。
だが、無ければ作ればよいMZ/X魂は不可能をくつがえす。次に鳴る打楽器の音と今鳴った残響を合わせた波形を作り出すプログラムすらユーザーの手で開発され、FM音源が苦手とする打楽器の音を飛躍的に向上させた。
C言語に非常によく似たx-basicは、値を与えて関数を呼び出すという手続きや、その関数を定義する部分、関数内部だけで有効なローカル変数さえ完備していて、どこかで使った数値の容器が、同じラベルを使って別の作業で使われた数値で勝手に上書きされるのを防ぐことができ、これによって、一度作った関数を別のプログラムにそのまま突っ込むライブラリという概念を実現した。
このx-basicは別売りのC言語にコンバートでき、コンバートしたプログラムはコンパイルして体感8~64倍ほどの速度で作動させることもできた。
なお、このような言語は10万円以上するのが通例だが、シャープはこれを39800円で発売しやがりました。
x-basicはまた、通常のBASICとしても中間コードの出来が抜群で、似たような中間コードをもち先行して発売された SHARP MZ-2861は、8MHzでありながらPC-9801の12MHzのBASICとほぼ等速で走った。
第3棟として横に並べることができる拡張Input/Outputボックスはスロット4枚。
このI/Oスロットは本体クロックが10MHzなのに、20MHzがさらっと出力されているw
ただし!
接続ケーブルは10cm単価1万円という完全無欠なシールド線で、
このためボックス単価は12万円という天をあおぐ価格となっていた。
パーソナルコンピューティングの探究という、アマチュアが担うべき役割のため、
想定しうる全インターフェイスが標準または別売りで用意されたが、
なかでも21世紀になってようやく普及してきた3Dスコープの同期端子は、
普及の約20年も前、1986年から標準装備されている。
キーボードには、短いスペースキー左にXF1, XF2、右側にはXF3,xF4,XF5と、5つの変換キーが特別に装備されていて、日本語入力では同じシャープのMZ-2861「MZ書院」を猛追、当時の日本語ワープロの代名詞「一太郎」変換ソフトの代名詞ATOKと対峙した。マウス前提の標準ワープロは別売りではなく同梱ソフトだった。
このワープロのほかにもDOSレベルで使えるEDという文字入力専用のソフトもある。
特筆すべきは、これらはCTRLキーを押しながらMキーを押すことで改行ができた。
CTRLキーは今のIBM準拠キーボードと違って、CAPSキーの位置にあり、容易に押しながら他のキーを押せた。
これが文章を書くうえで、どれほどの威力を発揮したかは筆舌に尽くしがたいほどだった。
まさに「夢を映すマシン」。
貧しい夢しか抱かぬ者には「コンピュータ、ソフトなければただの箱」。
無限の夢を持つ者には、すべてを可能にするドリームマシンだった。
X68KのSRAMの速度が45nsというDOS/V時代から見ても速かった
コピーソフトに悩まされた機種でしたね
他機種でも同じだけど、市場が小さいだけになおさら影響が・・・
この時期にPCを触ってた人なら分かると思うけどHDDを初めて使った時の衝撃は凄かったなあw「なんて速くて便利なんだ!」
@@mattariGaming
当時出回ったウィルスソフトで、HDDの制御部分を技術マニュアルの誤植そのままコーディングしたせいでフロッピーディスクでしか機能しないのがあったなぁ
「このウィルス作った奴も俺たちと同じようにHDDに手が届かなかったんだ」と、何故か涙がこぼれたあの日・・・
@@67gaosen 懐かしいw おかげさんで、S-Ramにセキュリティツール入れる知恵がついた。
ウィルスもS-Ram常駐タイプ出てたし
@@mattariGaming
なにせ40Mが4万円の時代
もうちょっと出始めは高かったけど手が届かなかった
おぉ、秋葉原ツクモの荒井熊さんのお客様だったのですね。
私はX68は指をくわえて見ていました。
intel系CPUと比較すると、motorola系CPUは命令が基本的に固定長なのでコード効率が非常に悪く、メモリーや記憶媒体が高価だった当時はその点でintelが有利でした。特にアセンブラでプログラムを記述する場合も使い勝手が悪く、86系の使いやすいアセンブラに歩がありました。
それでも同一ビット長同一クロックではmotorola系CPUがやや高速で、メガドライブ等の家庭用ゲーム機にも積極的に使われました。しかしmotorola系CPUは駆逐され、「intel VS motorola戦争」は現在、「intel VS AMD戦争」になりました。
制御系では今でもザイログのZ80系8bitCPUが使われていたりするのは意外かもしれません。
@Daisuke さん。
きちんと「積極的に使用されていた分野もあった」と記述したつもりでしたが、それでは足りませんでしたか?
68Kアセンブラ知ってたから、日立のSH系CPUはかなりすんなり入れたなぁ
IPhoneが出る前からドアフォンの「アイフォン」って製品があったんだけどアレのOS「VxWorks」のポーティングをやりました。
そのアイフォンに搭載してたのが確かSH3だったと記憶してる。
その後MPCだのPowerPCだの使ったのも出てきたけど、あれは高機能過ぎて全部把握するのは困難でした。
X68000… 今でもSUPER-HD改(15MHz化)が動いてます。今度ファルコムアーリーコレクションがでるので購入予定です。
メモリを4MBにしてHDDも720MB(内臓SCSI)に換装してますが時代を感じますね。
当時MIDI-IFぐらいつけてくれてもバチは当たらないのではと思ってました。
当時X68KエキスパートとFM-Towns持ってました。 MidiもローランドSC-55Mk2とヤマハのMU-50?も使ってました。
X68kは16Mhzにクロックアップ改造もしてました。60MHzの水晶が入手困難でしたねー。
当時中学生で msx2持ちで x68000が欲しくて 欲しくて堪らなかった。
新聞配達の給料貯めてたけど とても足りない・・・
親も 離婚したばかりだし・・
せがんで暴れて PC8801MA2を買ってもらった・・・
二年ほど前に 近所のハードオフ ジャンクコーナーで
x68000の完品(動作可能)が 二万円で売ってましたね。
@@mattariGaming バイト代を溜めて一括。しかし田舎だったんで郵便局の振替?為替?で
送金、振り込んだ証拠として為替?の領収書も書留で送付という、今では考えられない様
な怖い方法で中古のACEを買いました。運送系の力仕事のバイトで稼げた(帰宅時にクタ
クタになるけど)ので可能だった芸当ですね。稼げた分、資金に余力があったので勢いで
家庭用ゲーム機やMSX2、PC8801FEも買いましたが、国民機までは手が回りませんでした。
マックやアミーガのユーザーだったけど、X68はよりスペックが高く移植ゲームの再現性が高くて羨ましかった。
5ちゃんねるで異常なほどX68000を目の敵にする奴がいるけど、一体どんな怨みがあるんだろう。
かなり面白いぜww
ワタクシのACEはまだ現役です。
電源がいつか壊れるけど。
@@mattariGaming さん
AGEはの電源は比較的初代とかEXPERTよりも壊れにくいとか。。
ま、こわれても治してくれる人がヤフオクで居るので安心ですね〜。
X68000、懐かし過ぎる。 まさかこの話題が出てくるとは、UP主さん結構お歳いってる人ね。
あの双頭?ボディ、なぜ二つに分かれてたのか、知ってる人いたら教えてください。
次は、パソコン番組「パソコンサンデー」の紹介をよろしく。桃屋のごはんですよのキャラにしか見えない宮永先生、どうしてるのかなぁ。エックスをエッキスって言ってたよな。 BASICのフォア・ネキスト、耳にこびりついてる。
我々の仲間内では、ツインタワーはオフ会等にパソコン持ち込めるから、取っ手はそのフットワークを軽くするため、重い?68愛が詰まってるからさ。と厨房の時に可愛がっていただいた68サークルのニキ達が言ってました。
令和3年になった今
憧れのX68000買いましたよ!ジャンクで、しかもPROですが
とりあえず昔の液晶やマウス変換器など一通りそろえたので、起動するといいなあ、まあ当然ジャンクだからしないだろうなあ…
ていうかドラゴンバスターの歩行音、どべっどべっどべっどべっどぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃん!(擬音化下手か)、あれMDXになってないんですねえ
TOWNS-PCも忘れないでくださいwww
FM-Rなんで久しぶりに聞いたわ。
FM-RとOasys端末の二つがそろってファミリーですね。
当時はメインフレームの端末としてFM-COBOL開発してましたね。
Copy句にどれだけ時間を無駄に費やしたか・・・
グレーのジョイカードマーク2にはお世話になりました
X68030・・今では押入れの中で眠っています。懐かしいな・・
あたしも同じく押し入れの中に眠らせてます、壊れてますけど😓
X68030の本体でテレビに繋げることが出来れば買い直したいですね。
自分はXVI+SC-155(SC-55の上位互換)+外付けHDD+外付けMOで使ってました。バイト代ほぼ注ぎ込んでました。あとどこかのジャンク屋で内蔵メインメモリが5000円で動作保証無しで買って認識した時は嬉しかったですね。
自分は主にZMUSIC使って音楽を移植したりしてましたね。竜虎の拳だったかな?CDからpcmに吸い取ったりしてましたね。今はどこにあるんだろう・・・DragonOuest(ドラクエのパクリ)とかよくやってました。
懐かしい話しですね。
友人がX68KでOS9いじってたよ。
FM-77AV版OS9は4万もして当時の自分には手が出せなかった。
6809でOS9が動いたんですよね
どちらのマシーンも持っていましたが、OS9は使ったことがありませんでした。
使ってみたかったのですけれど
憧れのマルチタスクOSでした。
無線の友達は、FM-11でOS9使っていると言っていたかな
X68KのOS9で動いてたゲーム貰った事があるわ。
サザエ倶楽部とかいう奴だったかなw
X68000といえばPCM8。当時のスペックでリアムタイムでPCMを同時に8音再生するとかいうとんでもないソフトだった。作者はお亡くなりになられた…。惜しい方をなくした…
それと沖電気製のADPCMの仕様が公開されていたからこそですね。
当時のPCショップや 家電量販店のPCコーナーでは
えらい目立つデザインだった
俺が見たときは デモがドラスピだったなぁ
ロッパーなつい
タウンズが出るまではオンリーワンだったなあ
最近になって出てきた都市伝説に、SX-Windowでフォトショが出る計画をシャープが
蹴ったのだとか。これが実現してれば、今も生きのこってるOSかもしれないと思うと
何か寂しいものがありますね。個人的にはZ'sスタッフに限界を感じて、中古の低価格
版のMac+フォトショ(何故か単体で売ってた廉価版)に走ったので複雑な心境です。
68Zは結局エミュレーターですしやっぱり実機かなぁと思うわけです。ゲーム業界でも若い女性社員が68持ってたりしてあらおたくも?って思ってしまった。当時はWindowsよりも独自OSのほうがクールだよと感じてたなぁ。
懐かしい、CPUも16ビットと言ってるがこれ32ビットじゃねっていつも思ってる製品だからね。
内部32ビット外部16ビットですからね。
同じく内部32ビット外部16ビットの80386sxはインテルでは32ビットCPUと言ってましたけど。
当時は子供だったから買える訳ありませんね。
というか、持ってる人周りに居なかったから、凄さも解ってませんでした。
こういうマニア向け機種の為にソフトが沢山用意されてるなんて、良い時代でしたね。
あ~~懐かしいペケ6当時高嶺の花的存在でした源平討魔伝やイースプレイしたかったな当時
mt32emu_win32drvというMT-32のエミュレーターもあります
x68000かFM-TWONSがPC-9801か悩んで、かなり安かった98を買った。
もう32年前ですわ。
XVIは純正品だとメインメモリ2Mから4Mにするために6万円もかかるというハードルの高さがあった
RAM増設ソケットがその最初の増設メモリにあるというなんともな仕様(笑)
6M以上に増設して、RAMディスクを設定し爆速ロードなんてやったな
XVIで16MHzになったと言ってもI/Oの速度は10MHzのままですからね
そこにメモリ拡張しても遅いのでXVIにはメモリ用のソケットが追加されてたんですね。
電脳クラブの解説もお願いします
エミュのMIDi出力はローランドのケーブル経由でMT32やSC55の本体で聞けるようになります。
コメントありがとうございます。
XM6typeGは物理MIDI・ソフトMIDI共にWindowsのデバイスとして認識されている物は全て使えるみたいですね。他の細かい部分にしても作者様のこだわりを感じます。
PROと68030持ってるけどどちらも電源の故障で動かなくなりました。030はネットで修理してくれる方を探して修理してもらったけどPROはまだ放置したままです。
030では動かないソフト(スペースハリアーとかアフターバーナーとか)もあるのでいずれPROも修理したいけどまだ修理してくれる人見つかるかな。
初代機登場当時のネタ
「PC買ったんだぜ」→「どれを?」
「CZ-600」→「ふっ落ちたな」
なおIO-725とまとめて買った重罪人です w
ソフトがなければ作ればいいじゃないの精神ねw
@@mattariGaming MIDI関係はフリーがたくさんあったので、SC-55mkIIで大活躍でした。
高校の友達がスペースハリアーをやるためだけにX68000買ってたけど
あれからどうしたのかなぁ・・・
当時地元で安くても16万台だったからガキの自分には手が出せなかったんですよね
親に強請ってもゲームPCじゃ買ってくれなくて悔しかったなぁ
社会人になって働いてた時には衰退してて遊ぼうと思えなくなったのが今思うと残念でした
源平とかサンダーⅡとかドラキュラとか遊んでみたかったなぁ
エミュでMMDSP動かしたい・・・がDATAはもうないw1000曲以上あったはずなのに。
聴いてるだけで楽しんでたのが懐かしい、DOS版もあったけどもう何もないや。
MS-DOS版
ペケロッパーACEにCM32Lボードを差して持っていました。 ボスコニアンのBGMが神になりました。 そして、サンダーフォース2が最高でした。
ボスコニアンのゲームミュージックは古代祐三(YK2)という人が作曲してました。
草の根NET時代を思い出しちゃったぜ。
ソフトのタイトルって、なんちゃら68kが多かったなぁ。
Formula68kとか。
X68KでMacもうごいてたんだぜ(ハードエミュレータだけど・・・)
それは知りませんでした。
ソフトでエミュってる奴知り合いから貰った事ある
MAC1なんで当然画面は白黒。ゲームもあったけど英語でチンプンカンプンだったw
確か「サージェント」とかいう外科医のゲームがあったのは覚えてる
SASI端子にSCSI機がつなげるようになるドライバ、というのバッ活で見てそんなことできるんかい!と驚愕したのが懐かしいです。
@@mattariGaming 最初の頃は季刊誌でしたね。
書店に並ぶのが待ち遠しくて。
niftyでよくバックナンバーを買い漁ってました。
私の兄が持っていました。当時50万だったかな?グラディウスや源平討魔伝、シムシティをよく遊んでいました
六羽ー北ー(゚∀゚ 三 ゚∀゚)
駅スパ2とXVI持ちでした
これはろっぱー持ちにはもっと見て欲しい動画ですねぇ
当時小学生でスネ夫並みの金持ちの同級生がパパに買ってもらってたw
青春時代の憧れたパソコンでした。PSやSSが発売されてゲーム機としては時代遅れになったのが悲しかったな。
PRO持ってたなぁ
ボスコニアンは?
パーソナルゲームステーションw
初代を中古で購入した遊んでた。
ま、アセンブラが使いやすくて感動してた。
途中でC言語が広まったがクソ遅くてみんなアセンブラだったよ。
ボスコニアンとか超カッコイイからSwitchで遊べる様になってほしい。
@@mattariGaming あ、ですですアレンジ版ですね
。
いまx68を楽しもうと思ったらエミュ環境を整えるしか無いのが辛いので、特に主力のゲームだけでも遊べる様にならないかなあと思います。
ペケロッパの愛称が懐かしい 大学の友人が「満開製作所」に就職したけど そいつが98はクソって常々言ってた
今はラズパイ用にX68000型の小型ツインタワーのケースとかあったりするのでファミコンミニっぽいのが作れます