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【参考文献のリンク】◯ビジュアル・シンカーの脳www.valuebooks.jp/bp/VS0087585344◯クジラと話す方法www.valuebooks.jp/bp/VS0088362069◯動物たちは何をしゃべっているのか?amzn.to/4cSMkAB◯言語の本質amzn.to/4cUYicU
一生懸命言葉にしたのに「コミュニケーション舐めないほうがいいよ」「手抜きの文章」的な扱いを受けてきた経験が浄化されるようだ
!
高校時代、美術の授業で「嫉妬」を題材に絵を描くことになった。これが「嫉妬について作文を書け」と言われたらものすごく苦労したと思う。絵なら内面をさらけ出せるが、文章だとメタモンが発動して、結局は私が思う嫉妬からかけ離れたと思う。私が描いたその絵の裏に先生が「魅力的です」と書いてくれた。なんか伝わった気がして嬉しかったし、ちょっと好きになった。
話すと噛み合わないのにたまに絵をくれて何かを伝えようとしてくれる友達、好きになりそう
コメント欄を拝見して、また私自身を省みて考えるとヴィジュアルシンカーだからと言って、絵にする能力が高いかどうかは関係無いんだろうなと思いました。多分それは逆でも言えて、言語思考だけど、口で話すのは苦手みたいな言語思考の人もいっぱい居るんだろうな。
絵を仕事にしています。「画像で思考する」ことと「絵を描いて伝える」ことは、少し違うと思います。ビジュアルシンカーみんなが絵を描ける、絵で情報を伝えられるわけではなく...藝大生のシェアハウスはこわいこわい帰りたい!とおもいました。
😅😊
共感です!楽しい会話の中でこの部分だけは疑問に思ったので、同じく思う方がいて、ついコメントしてしまいました😊
言語思考者だから文章上手い、会話上手いが通じないので…アウトプットの技術はビジュアルもテキストも別途長時間の訓練を要する。そういうことかなと。
アウトプットの繰り返しで、さらに思考の精度が上がる効果はありそうな気がしてます 商売にしようとしている人は意図的に言語や視覚の能力を磨いていますね
言語化教育なので、言語思考者よりもさらに環境や習慣に左右されるのでしょう。言語思考者でもレベル感によって伝えることが得意かどうかは別だと思いますし。
言語化能力が高い人の文章は、ビジュアルシンカーにとっても魅力的ですよ。ビジュアルに戻しやすいんですよね。文章は絵なんです。絵というより没入できる映画かな。言葉でも絵でも「君にはキリンがそう見えているんだね」ということなんです。逆に言語化能力の高い人は、言語化された文章の何に惹かれているのか、知りたいですね。絵じゃない感じですよね。
わたしは割合としては文章で恋するほうです。「そのキリンは、雲に届きそうなアカシアの葉を食べていた」とか言われたほうが、それを表した絵を見るより、(ああ、首がすごーく長いキリンなんだね、君にはキリンがそう見えてるんだね、と)理解しやすいので、同じものを理解できる言葉が多い言語化された文章に惹かれる気がしています。
@@ninjinika5397 返信ありがとうございます。お尋ねしたいのですが、「そのキリンは、雲に届きそうなアカシアの葉を食べていた」の情景は絵(イメージ)で浮かぶのでしょうか?それとも文字のまま理解してるのでしょうか?私の場合、イメージを言語化できることに感動もするのですが、言語から情景を再イメージできることにも感動してるんですよね。 文章に魅力を感じていないということではないです。これは言語化能力が高い人達も同じですかね?確かに理解するなら文章の方が明確ですね。絵は理解というより、共有する感覚ですかね、私の場合。
@@のりのり3 こちらこそありがとうございます!私の場合は、文章からイメージを作ることが多いです。私が同じキリンを見て、首の長さに感動したとしても自分の言語化能力では十分に表現できないので、それを脳内に再イメージして共有できるほどの言語化能力に「すげー」となるので、そこは @user-od4jr3et1x さんと同じなのかなぁと思いました。その文章と同じことを表現した絵を私が見た場合、「きれいな絵だねー」「空が青くてかっこいいね」とは思いそうなのですが、その絵をそのまま受け取ることができなくて、書いた人が首が長いということに感動しているということを共有できずにスルーしてしまう気がします。
「絵というより没入できる映画」にとても共感しました。自分はビジュアルシンカーですがつい最近絵より文章のほうが好きかもしれないと思った理由がまさにそれでした。そして言語化能力が高く、ビジュアルシンカーではない人たちの感覚を知りたいと常々思っています。想像もつかないです。
@@ninjinika5397この比喩表現は凄いですね。蟻のように小さい自分が見上げたようにも感じるし、首を伸ばして食べているようにも感じる。イメージ出来るし、疑似体験も出来る。
描き手が好きな動物をその人が気に入ってる面白い特徴を示して描いて見せてくれるなんて、「いい」でしかない…向こうはツッコミどころを作ったユーモアも込みで受け取ってくれていて、「そう見えてる(その特徴を重視している)んだね」って言ってる感じします。キリンのアンサーとしてあごが落ちている似顔絵をくれた可能性もありそう。「好きな動物の気に入ってる面白い特徴をツッコミどころ作って誇張して描く」というのが共通しそうだし…時系列分かりませんが。コミュニケーションになっていそうなので失敗談として受け取ってほしくない…めちゃくちゃ良い…
ビジュアルシンカーヤクザは、二人が記憶に数回ある苦い経験をずっとしてんだ
漫画家です。ビジュアルシンカー寄りですが、言語化するのも大好きで、思考するとき言語と視覚イメージ両方がかなりはっきりと浮かびます。漫画家にはゴリゴリのビジュアルシンカーが多いようで、周りの作家さんの多くがビジュアルシンカー。よく漫画家がアシスタントに依頼するとき、「舌がとろけそうなくらい美味しそうな食べ物を描いて」とか「今にも冒険が始まりそうな、ワクワクする町並みを描いて」などと頼むことがあります。アシスタントは各々の解釈でそのような絵を描きますが、多くの場合漫画家のイメージと異なり、「これじゃダメ、リテイク」となってしまいます。こういう漫画家はゴリゴリのビジュアルシンカーで、イメージを具体的な言語に落とし込むことができない、または言語化に多大な精神力を消費するのです。私は幸い言語化するのに苦がないので、アシスタントさんにお願いするときはなるべく具体的に、どういう要素が欲しいのかを説明しています。しかし、アシスタントさんにひとり言語思考者がいました。デッサンや模写はうまく、背景なども基本的には問題ないのですが、「ニュアンスを絵に反映させることができない」と言っていました。上記のようなニュアンス重視の依頼があるとイメージができず頭が真っ白になると言っていて、これは非常に興味深いぞと思いました。ビジュアルシンカー回を視聴したことで、「これは興味深いぞ」と思えましたが、これまでの自分だったら「何言ってんだろうこの人」と思ってしまったかもしれません。いつも視野が広がり学びとなる楽しいコンテンツをありがとうございます。
一読者でしかないですが、面白い漫画って脚本やセリフ回しがしっかりしてるからむしろ言語化能力の部分の方が優れている気はしますね絵を書く能力はストーリー関係ないイラストレーターさんもいるように別物の能力のように思えます
@@こんちゃん-z9k そうですね・・・。ストーリーやセリフは言語が必要になる場面ですから、ある程度は言語化能力が必要になります。漫画の作り方は人によって本当に全然違って、たとえば脚本をガッチリ固めてからそれに合う絵を考えていくタイプや、思いついた場面や絵に合わせてストーリーを考えていくタイプがいます。おそらく前者は言語思考、後者は視覚思考が有意なタイプでしょう。絵に関して言えば、漫画はコマの数だけ絵がありますよね。ストーリーの流れ、ページ配分、演出、感情表現などさまざまな理由で「それぞれのコマにそれぞれの絵」が入っています。しかし、なぜそのコマにその絵を入れたのか、を論理的に言語化できる漫画家は少ないです。特に新人漫画家は「ここはこの構図だ!と思ったから・・・」としか言えない人が多いです。ストーリーに関しても同じで、「なぜこのストーリーが良いのか」を説明できない。漫画家として活動を続けていくうちに徐々に説明ができるようになっていきます。つまり言語化能力は後付けで伸びたという人が多いような感覚があります。
父が美術雑誌の編集をしています。ビジュアルシンカーばかりの社会で、ごりごり言語思考をしているわけです。美大生に、自分の作品を言葉で説明できるようになるための講義もしているらしく。父は、言語思考者の社会と視覚思考者の架け橋になっているのかもしれません。
飼っている(飼っていた)犬の考察ですが、犬にも言語化能力の高い奴と、ビジュアル能力の高い奴がいるのではないかと、聞いていて思いました。n=2で恐縮ですが、1匹目は散歩とか、行くとか、といった言葉を覚えていて、それらの単語を言うと立ち上がって外に出ようとしていました。翻って2匹目ですが、どれだけ話をしても反応がほとんどないんですが、散歩用のロープを見ると立ち上がって外に出ます😮😮
めちゃくちゃ面白い!
論文になりそう。
@@Harusawaxxx さん ありがとうございます!自分も考察していて、1匹目は賢いという家族の評価で、2匹目はアホだという家族の評価なので、今回のを聞きながら、その評価はひょっとして違うのではないかなと思いました。
きっと聴覚優位なわんちゃんもいるかと。足音だけで人間を識別したり、お菓子の袋だけに反応したり…😂
犬も言語寄りだと頭イイって評価を得られるのか、、、、。
言語と画があるのであれば、"音"もあるのではないかと思いました。かくいう私も、音楽を聴くのが好きなのですがネット上で音楽にまつわる論評(とりわけ素人のもの)を目にすると、「この人は音楽ではなく情報を聞いて(評して)いるな」と感じる事が多々あります。私は私の好きな音楽嗜好を言葉にするのが非常に難しいと感じるのですが、ビジュアルにするのも何か違う、やはり、音楽は音楽でしかないと確信めいた感情があります。これはサウンドシンクとでも言うのでしょうかね笑
まじで共感
この動画では、言語と視覚という軸でお話が進んでいますが、言語優位・視覚優位・聴覚優位に分けている本もあります。本田真美さんの「医師のつくった『頭のよさ』テスト 認知特性から見た6つのパターン」(光文社新書)がわかりやすいです☻言語優位・視覚優位・聴覚優位をそれぞれさらに二つに分けているので、「6つ」となっています。タイトルだけ見るとちょっとそぐわない気もするかもしれませんが、まさにお考えにぴったりの内容だと思います。
『花束みたいな恋をした』で、菅田将暉が話している途中で「この前電車に揺られていたら…」という言い回しをしたことが有村架純が恋に落ちる大きなきっかけとして描かれていて、観た時には「何だ洒落臭えなこいつ」と思ったのですが、彼女も言語化能力に興奮する人だったのかもしれないと思い直しました。
「言語に比べて絵が不完全な様式だと思っていた」というのに驚いた視覚思考者です絵は全世界のどの言語の人にも対応できる最高の伝達方法だとずっと思ってました
単語レベルであれば誰でも伝えられるし、誰にでも伝わるけど、例えば今日あったことをすべて伝えろと言われて、それを絵で表現するのは難しいし時間がかかって大変。複雑なことを伝えようと思っても、絵だと意味を一意に定めるのが難しい。というような意味で、意志伝達の手段としては不完全だって意味かと。
@@js-Loliting なるほど!確かにそうですよね。また、例えば折り紙の折り方を文字だけで表そうとすると難しかったり言葉を使っても一意に定まらなかったり伝わりきらないこともあるので、どちらも完全ではなく補い合っていけば良いのかなと思いました。
@@gaerunuma3692 動画なら言語より簡単に伝わるケースは格段に多いですね。TVやビデオ等動画メディアの力について今更講釈を聞きたい人もいないでしょうが
百聞は一見に如かずではないですけど、電話やメールじゃよく分からないから写真で送って!なこともよくありますよね
むしろ言語こそ情報の欠落だらけで虚構性に満ちてる。これを気付かない人たちというのはかなり何らかの障害じみて認知面にハンデがあると思う。
今回のテーマでのお二人の語りは、ゆる言語学ラジオ風にいうと「すごく体重が乗っている」から、いつも以上に臨場感があって惹き込まれる。
これから立場が変わる時に、言語化が苦手かなと思った時に「絵とか図にできる?」って聞いてみようと思いました。
イラストレーターさん達のGartic PHONE配信は、ほぼ絵で会話してるのでゆる言語学ラジオの対局なのかもしれない
視覚思考よりなので小説を読む時は登場人物を思い浮かべて頭の中で動かしながら読んでいるのですが、その中でどうしてもこの2人が同じ顔で脳内再生されるなぁと思いながら読んでいると、実は叙述トリックでこの2人は同一人物の過去の姿と現在の姿だった、ということがありました。通読中、この小説を貸してくれた友人にこの2人がダブって見えると話した時の友人のニヤニヤ顔は忘れられません。
汚い字を書いてると「文字はその人の人格を表す」と言われることがありますが、それを言う人は字を画像として捉えておりビジュアルシンカーなんだなと納得することができました。
書道なども同じですね。
昔、漫画「ことわざ辞典」を買ってもらって・「天は二物(2つの才能)を与えず」っていう欄で、字は上手いけど絵は下手って人が描かれていたのが印象的だけど、ゆる書道学ラジオの夏来さん見てると、絵もお上手!。偏見でしか無かったか。。ちなみに私は絵は得意だが字は苦手派。
水野さんがギュッってなるくらい、ウチはなんで?って詰められるとほんとに言葉が出てこなくて「なんで黙ってるの?」「都合が悪くなるとすぐ黙る」「黙っていればいいと思ってるんでしょ」って言われて二度と立ち直れなくなった
めちゃくちゃ分かる。考えてます。って言うと、「考えてるならその考えてること口にしろよ」って言われるけど、それがとにかく難しいし、それ言われた瞬間自分が何を考えていたのかわからなくなる
お、同じだ、、、。涙出そう。
つらい。その場では上手く出力できないけれど数日経ってから思い返すとあの時はああ考えていたんだなと文章化できてしまうこともあるんだけれど、それを詰めてくる人に伝えるには時間が経ちすぎているんだよな
言語化は出来ても詰めてきてる人を腐す表現しか出てこないから言えないパターンもある
どれだけ遅くなってもいいのでちゃんと言葉で伝えるまで完結させるとその後の関係性が柔和していきますよ。きちんと説明してもらわないと納得できない人はわりと世の中多いので、都合が悪いから黙っていたという考えを相手に改めてもらうという成功体験をしておかないと、今後の人生でそういった人たちを避け続けては自己実現に支障が出てしまうパターンを繰り返します。言語化ヤクザに立ち向かうのは勇気がいりますけどね😂
27:30お初に書きこします「君にはそう見えてるんだ」は絵描きの端くれから解釈すると、人は思ってる以上に形状を記憶していないことを絵描きの大半は熟知してますなので描ける人ははっきり何度も描いた経歴が絵にでるし、逆に絵のド素人さんは何とか形状を思い出そうとして頭の中の記憶の奥から極めて断片的な不確かなイメージを引っ張り出してつたない線にのせるのでその人の認識の奥底というか、かつてどこに目をひかれた記憶があったのか?を垣間見たりする印象が強かったりしますその感想を語った人はおそらく幼いころの堀元さんの視点はそこなのかな?と垣間見た、という感想だったのかと想像します
まあ堀元さんは首を長く描いたことを論評されていると思いこんでいますが、美大生が本当にそう思ったかは実際は謎ですね。
もっとでかい枠で「こういう場でこのような絵を描く人間性」を評価しているかもしれない 絵だけの感想ではない可能性も全然あると思います
インスタが流行りはじめたころに友人に勧められて始めてはみたのですが、写真についてるテキストが読みづらいと文句を言っていたら、友人に「写真を見ろよ」と言われて、「え? 」「は?」となったのを思い出しました。そうか、写真だけで必要な情報が満たされる(と感じる)人がいるのですね。
格闘技を見て「痛いより闘いたい人いるんだなー」とか、パルクール見て「こういうの怖くない人いるんだなー」とか、人をグサグサ傷つける物言いして平気な人もいるんだなーとか、何でもなく見えることにこんなに深く悩む人いるんだなーとか、、、自分にないものを持っている人が世の中にはたくさんいて、その感覚は理解できなくても、人は皆見てる世界が違うんだ、と歳を取るごとにしみじみとわかるようになりました☺️
俺の友人の一人に、自分で文章を書こうとすると言葉が思いつかなくて苦手だって自称する割に、他人の文章(特に発表原稿とかしゃべる際の台本)を推敲させると長ったらしい表現とかをきちっとまとまったきれいな文章にしてくれる人がいる。なんでだろうと思ってたけど、その友人は作曲が趣味だったり脳内でオリジナルアニメ二本と漫画雑誌を隔週で連載してたり、会話するときにオノマトペとジェスチャーを多用する人だから、絵は絵でもアニメーションのような動く絵で思考する人で全体的なリズム感や臨場感をつかむのが得意なのかなと思った。
「言語化できる人が有利な社会に産まれただけ」という話で思い出したんですが、早稲田大学建築学科の入試では学力検査と絵を描く検査の両方を受けるんですよつまり勉強ができれば絵が描けずとも合格できますし、絵がべらぼうに描ければ勉強できなくとも合格できる試験なんですこれはビジュアルシンカーを積極的に取り入れようとしている例かもしれませんね過去問「最高のかくれんぼをしている絵を立体的に、陰影をつけて描きなさい」
結局、言語思考にしろ視覚思考にしろ、不当な評価に対して「本気でやってコレなんです」と弁明できる、というかその発言を信じて受け入れてもらえる環境が大事なんやなと。そしたらああいう悲劇は抑えられる訳で。相互理解・ある意味での多文化共生の重要性を突きつけられる回。
発達障害者にとっての精一杯が「甘え」「自己責任」扱いされるのも全く同じテーマですね。(別コメによると発達障害者はビジュアルシンカーが多いとのこと。当事者の自分も例にもれずビジュアルなので納得。)「ほんとはできないんじゃなくて手を抜いてるんでしょ?」と言われて、「違う!ほんとにできないんだ!信じてくれよ!」「できないものはできない、と認めてほしい!」と常々思っていたので共感します。世には発達障害者が就職するための訓練施設(「就労移行支援事業所」と言います)があり、コミュ力(=言語化力の一種)を身に着けさせようと過酷な訓練を課す施設が多々あります。はっきり言って間違った訓練方針であり、典型的な言語化ハラスメント。施設によってピンキリだが…本当は適材適所をすべきなのに。ベースに「手を抜いてるんでしょ?」があるから、そういった訓練方針が正当化されてしまう。 相互理解が進むと良いんだけどな…今の風潮じゃ厳しいな…
@@アンドロイダー-o8v 正に僕が発達障害当事者なので、割とそういう意識が念頭にありましたね… こういう無理解で起きるトラブルが1番不毛なので…
@@ponpoko_jump 返信ありがとうございます。なんと、当事者なのですね。実は私もなのです。返信に気付かず行き違いで追記を繰り返してたらなぜかコメントが消えたので再掲します。でも当事者ならば既知の内容だったかもしれませんね(就労移行支援とか)。 あと、無理解な側が、自分が無理解である事を自覚できることも必要で、この動画主は自覚してくれた稀有な事例かもですね。(以下、消えたコメントの再掲)発達障害者にとっての精一杯が「甘え」「自己責任」扱いされるのも全く同じテーマですね。(別コメによると発達障害者はビジュアルシンカーが多いとのこと。当事者の自分も例にもれずビジュアルなので納得。)「ほんとはできないんじゃなくて手を抜いてるんでしょ?」と言われて、「違う!ほんとにできないんだ!信じてくれよ!」「できないものはできない、と認めてほしい!」と常々思っていたので共感します。世には発達障害者が就職するための訓練施設(「就労移行支援事業所」と言います)があり、コミュ力(=言語化力の一種)を無理やり身に着けさせようと過酷な訓練を課す施設が多々あります。はっきり言って間違った訓練方針であり、典型的な言語化ハラスメントです。施設によってピンキリではありますが…本当は適材適所すべきなのに。ベースに「手を抜いてるんでしょ?」があるから、そういった訓練方針が正当化されてしまう。現に、動画主(丸眼鏡ESTJのほう)もその本を読んで「改心」する前はそういった価値観を持っていた…こわい…。 相互理解が進むと良いんだけどな…今の風潮じゃ厳しいな…
自称ビジュアルシンカー(物体視覚思考者)です。前回動画の簡易テストでは「はい」が18個(著者ですら16個なのに!)、視覚イメージ鮮明度質問紙(VVIQ)ではハイパーファンタジア(視覚イメージ過剰)の判定でした。スパム判定されそうなくらい長いですが、可能な限り視覚思考者の考え方を言語化してみました。1.注意点(流し読みしてください)第一に、一般化は難しいです。明確な視覚思考者と明確な言語思考者、そしてその中間にたくさんの混合型思考者がいます。さらに視覚思考者にも2種類いて、それぞれ「絵で考える」ということの意味が異なります。第二に、世の中にどれだけの言語思考者・視覚思考者がいるのかは不明です。なお、本書では十分な数のデータがないとしつつも、小学4~6年生のうち3分の1が明確な視覚思考タイプ、4分の1が明確な言語思考タイプ、残りが混合型だったとする調査を紹介しています(とすると、お酒飲むかどうかみたいな質問は無理かな……)。第三に、著者が強調するように、視覚思考とは眼で見ること自体の問題ではありません。脳の働き方、視覚情報の受け取り方の問題です。第四に、社会は言語思考者に少々有利にできていますが、それだけです。著者のテンプル・グランディン教授自身が世界で最も有名な高機能自閉症者の一人であり、視覚思考的な特性を活かして大成功した実業家です(杉山登志郎『発達障害の豊かな世界』第3章参照。博士が来日した際のエピソードが記されています)。第四に、建築家や商売人、物理学者など、視覚思考者に向いている職業もたくさんあります。また、知人である一流の法学者も、「文章は図にしてもらわないと理解できない」と言っていましたから、視覚思考者に向いてないとされる仕事で活躍することだって可能でしょう。本書が指摘するように、社会で成功するにはコミュニケーション能力や職業倫理といった他の能力も必要になってくるのですから。また、著者も強調するように、言語思考者と視覚思考者とが協力することでよりよい仕事ができるのであって、「自分は視覚思考者だから弁護士には向いてないんだ……」などと諦めてしまう人が出るのは著者の本意ではないでしょう。2.読むことその1:かんたんな文章は、絵を思い浮かべて読むまず、カップラーメンの作り方を考えてみましょう。容器の側面に書いてあるアレです。おそらく言語思考者であれば、①作り方を読む。②内容を理解する。③実際に作る。という手順でラーメンを作るでしょう。簡単ですね?これがわからない人なんていませんよね?しかし、私の場合はこうなります。①作り方を読む。②a内容を理解する。②b理解した情報を参考に、実際にラーメンを作る様子を思い浮かべる(イメージトレーニングのようなもの)。②cその手順で上手くいくことを確信する。③実際に作る。うーん、面倒くさいですね!なので私はラーメンの作り方を読みませんし、当然に調味料を入れる順番を間違えます。つまり、「書いてあることを書いてある通りに実行できない」わけです。これは言語優位の社会において致命的で、なんでこんな簡単なことができないんだ?と思われるわけです。堀本さんが「描いてある絵を描いてある通りに模写できない」ようにね。同じ場所に同じ線を引く簡単なお仕事なのに、なんであんなことになるんですか?3.読むことその2:難解な文章は、マーカーを駆使して絵に変えてしまう難解で抽象的な文章を読むときには、こうした具体的なイメージを使うことができません。では、どうやって難しい本を読めばよいのでしょうか?そこで活躍するのがラインマーカーです。マーカーを引いて、文章を絵に変えるのです。あちこちに線を引き、マーキングをし、本に大量の書き込みを加えることで、本を画集に変えてしまうのです。そして読んだ内容は言語的な要約として記憶されるのではなく、いわゆるフローチャートの図として記憶されます。ちなみに、良い本は美しいフローチャートにできますし、悪い本は汚いフローチャートにしかなりません。なお、こうした人間にとって電子書籍は非常に価値が低いものとなります。ペンで自由に書き込めないですからね。実際、電子書籍で読んだ内容はほとんど覚えてないです。おまけ。国語の文章が読めなくて困ってる学生さんは、まず文章を読むという意識を捨ててみてください。あれはパズル、つまり視覚的に処理できるゲームです。①現状はどうなのか、②問題や論点は何なのか、③それに関する著者の意見と根拠は何か、④著者に反対する人の意見と根拠は何か、⑤反対意見に対する著者の再反論と根拠は何か、⑥それらの具体例は何か、といった要素に注目してください。そして、マークや下線を駆使して、それらの要素の関係性について分析してみましょう。問題文を一枚の絵に書き換えるのです。繰り返し練習すれば大抵の文章は読めるようになりますよ。4.書くこと:書くことは読むことの逆さて、上では読むことについて書きましたが、書くことは読むことの逆です。まず、かんたんな文章を書く場合について。先ほどカップラーメンの作り方を書いていた私の脳内では、自分が実際にカップラーメンの作り方を見ながらお湯を注いでいる鮮明なイメージが、背景映像のように流れていました。そして、その映像のとおりに書いていくのです。つまり、私にとって「絵で考える」とはそういうことです。次に、難しい文章を書く場合について。これは文字通りの意味で、パズルゲームそのものです。つまり、実際に色々な「文章のブロック」を書いてみて、それを上手に組み合わせる作業のことです(本書もおそらく同じように書かれています)。私にとって文章を書くのと絵を描くのは同じようなものです。全体の構図やバランスを整えながら絵を描くのが視覚思考者、プリンタで一気に頭から絵を出力するのが言語思考者といったところでしょうか。ところで、お気づきの方もいるかもしれませんが、このコメント自体、「1.注意点 2.読むことその1 3.読むことその2……」といった具合に、意味レベルの文章ブロックを組み合わせて構成されています。このように、私にとって書くこととはまさにパズルそのものなのです。5.じゃあ私にとって都合のいい世界ってどんなの?まず本は絶滅します。『すごい絵画化』みたいな「本」は出ません。視覚メディア隆盛の社会となり、いわゆる「本」はフローチャートやレジュメといった図的なものに置き換えられます。そもそも言語体系からして全く異なるものになっているはずで、もしかするとテッド・チャンが『あなたの人生の物語』で提示したような、文章が1枚の絵になる文字(表義文字)が主流になっているかもしれません。絵が描けない人間が落伍する社会ですね。しかし、視覚思考者から見た現代社会というのはだいたいこんなもんです。
最強の言語化。すごすぎる。視覚思考で国語を解く方法が秀逸すぎる。培った言語適応が文章から溢れてる。
非常に興味深いですね!同じ人間でも物事の捉え方にこうも違いがあるのかと衝撃を受けました。この文章は長いながらもよくまとめられていると思いますので、必ずしも視覚思考者は言語化が苦手なわけではなく、そのコツを掴んでいるかどうか、ということなのでしょうね。
私のメインは視覚思考です。カップラーメン作る話、とても共感しました!国語の文章問題についても、接続語やキーワード、重要文をそれぞれマークして、繋げたり組み合わせながら回答していました。これに関して、暗記科目のテスト勉強を連想しました。私は、音読をしながらマークをして、視覚と聴覚を意識して暗記していました。写真記憶ができるわけではないけれど、解答中に「この単語この写真があるページにあったな、マークしたところだな、図書館で読んでた箇所だな」と景色や雰囲気まで自然と思い出していました。半写真記憶というか、ビミョーな能力というか、これまでに共感してくれる方はいませんでした。言語化は難しいですね。時間も頭も燃費が悪いです。
私もビジュアルシンカーのハイパーファンタジアです。本の絶滅はちょっと寂しいかな。小説を読むのが好きで、自分にとっては映画を観るのと同じくらい頭の中で映像が流れます。どっぷりと本の世界に入るのが好きですし読書は至高の時間です。コミュニケーション、伝達という意味で絵や映像が用いられるのは便利だと思いますが、言葉や文章から映像を想起して頭の中に世界を描いていく楽しみは無くなってほしくないかも。
こんなに色んなことについて長々と書いてあるのに、それを感じさせないくらい読み易い。文体から和訳された洋書の影響をめちゃくちゃ感じる。相当読んでる人の文だと思う。この文章自体が、この方の言う「視覚思考者であることが直接にその人の可能性を狭める訳ではない」という主張の証明にすらなっていると思う。それとも、「視覚思考者は文章が苦手」という考えそれ自体がステレオタイプ的な思い込みに過ぎないのかな?
「絵が描ける」のと「視覚思考者である」は別物の技術な気がする
器用か不器用かってことですよね。言葉にできても描けない、絵は思い浮かべていても言葉にならない。つまり、思っていても解っていても、出力方法の持ち合わせがない。(ヽ´ω`)
言語に比べて訓練する機会が少ないからしょうがないかもしれませんね。
ビジュアルシンカー云々は、あくまでも"イメージがどのような形で頭の中にあるか"という話ですよね。とはいえイラストや絵画という形で思考の内容をアウトプットしたいというとき、絵に起こすには相当な訓練や練習が必要ですが、それは社会的に必須のものとはされていない気がします。言語も絵も、出力をする機会と、そのコツを教える環境が潤沢にあるといいなーと思ったりします
別モノですねえ。どうせなら水野さんには、四角形じゃない外形の装丁や、真ん中にハート型の穴が空いている装丁を作ってもらって、同期から「祖父江慎舐めてんじゃねえぞ!」と言われて欲しかったw
別物の技術だけど、視覚思考者の方が支払うコストが低いから絵が上手くなりがちなのかな
コテンラジオでも、世の中言語化だけじゃない、身体知もあるからな、という話をしていた。言語化に優れた方たちが、一方で言語化を相対化する気づきを得ているのが面白い。
突然絵をくれる友達言葉をしらない森の動物が何かを伝えようとしてる感じがしてとてもかわいいなと思いました
逆に突然喋りかけられる動物たちは「言葉だけ知ってる人間が何かを伝えようとしている」と感じているかもしれないのか…。動物は表情や動き、もしかしたら匂いとか他の手段を使っているのかも。
@@UU-fr8vs@huRi_sUnこの森、居心地が良すぎる…お二人のように優しく相手に寄り添える生き物ばかりになってくれたらいいのに、と思いました。
なんか個人的なトラウマで、辞める同僚に寄せ書き色紙を書かされる時にとにかく全く言葉が出てこなくて、どうして他の同僚はこんなにもスラスラと心にも無い(失礼)褒める言葉を書けるのだろうと毎回絶望しメタモン化していたのを思い出した。
激しく共感しました。。。私の場合は部活でしたが、演奏会の度に後輩に手紙を書く必要があったり、先輩への寄せ書きを書いたり、毎回苦痛でしかなかったです。
激しく共感
めちゃくちゃ分かる。卒業アルバムの寄せ書きとか仲良かった友達でもかけなくて悲しかったわ。
言葉にしてくれてありがとう
定型文を知っていてその中から選択するやつ。挨拶の延長。ストック大事。心にもないのではなく、褒めの多い人は短所分析も平素より激しく言わないだけ。つまりは普段から人に興味がないのも不利。オリジナリティや自己実現的に考える場ではないみたいな。
違う、違うんだよ頭の中に映像があるんだけどそれを出力するソフトウェアがないんだっ!文字起こしも言語化もできないし絵も描けないし、動画作成もできないんだ!絵画をかけるのも言葉にできるもの才能なんだよ。私にはできないんだ。
脳のイメージを出力する研究って進められてたと思うけど、それが実用的になったら、急に逆転する可能性があるのか。
@@すかー-y4e もしそれが実用化されて一般に普及したら私は高速スライドショーの映像を出力する事になりそうです
わかりみが深い。。。子供の頃から悩んでた。
これは本当にそうだと思う例えば友達の顔を思い浮かべるときはほとんどの人が画像で思い出すと思うけど、それを出力できるかは全く別問題ですもんね
どっち思考なのかと思考をいい感じにアウトプットできるかはまた別よね
水野さんと堀元さんの体験を聞いて、同様の体験をしたことを思い出しました。中学生の夏休みの美術の宿題でした。父親と二人で二日間、10時間以上かけて作った32色相環。美術の先生は一瞥の後、「駄目だよこんないい加減なことやっちゃあ、はい次の人。」自分自身の足りなさと世界の広さ、多様さをよく自覚させてくれる雑談回シリーズです。美術の授業がその後の人生で必修でないから、私は助かっているだけなんですね。もっと他人に対して寛大でありたいと思いました。ありがとうございます。
おもしろかったです!私も言語化能力の高い人大好きなので、最近ずっとお2人のPodcast聴いてます水野さんが「ダメだと言ってもらったほうが本当の自分を見てもらえてる」と仰ったのにすごく共感しました
江國香織先生のフレンチトーストに関するエッセイが、パンケーキになってる上に男女も逆転してて、好きなんちゃうんかい!って思ったけど、よく考えればこれこそ堀元さんが言語思考者である証左かも。文章読んでも映像で見えてないってことでは。だから、似たような文章に間違えてる。
キリンの絵のエピソードは、たとえボケだったとしても、むしろそこまで大胆に描いてくれたら、絵描きを志したひとなら「うらやましい」「すごい度胸だ」的な感想を持つと思います。
毎度思う事ですが、よく酒が入ってる状態で明瞭なやりとりが出来るなぁ…と感心してしまいました。流石言語化ヤクザ。
水野さんのキュッとするお話聞いて、凄い会社だと思いました。同じ見方が得意な人を集めるんじゃなくて、そういう相手のボコをデコで埋めるバランスをとる採用ができるって凄い人事とおもったんです。水野さんが見てる世界とクリエイティブ舐めんなが見てる世界の、融合をねらってたんじゃないかとおもって凄いなーって思いました。
自分のことをビジュアルシンカーと思っているけど言語化能力が高い人は惹かれる言語化能力が高い人の書く文章って、絵を思い浮かべるのが楽っていうか、細部まで想像できるっていうか.........なんというか他の文章とは違うんだよな.........だめだ、ビジュアルシンカーが出ている
文章にも、レトリックや言葉選びで演出する書き手と、情景や動きを描写する説明の取捨選択で演出する書き手がいるように思います。もしかしたら、文章を書く人にも言語思考者タイプと視覚思考者がいるのかもしれません。
ビジュアルシンカーですけど、映像制作者の方(女性)が作ったアニメーション見て、「この人マジ天使だ」と思ったことありましたwそう考えると文章で人を好きなるのもなんか納得してしまいました。
大学の卒論を書くのに行き詰まった時、方言地理学が専門の担当教授に言われたのが、「あなたは書きたいことがしゃべれてるから、書けるよ。」だった。ずっとこの言葉に励まされてきた。言語で思考するか、ビジュアルで思考するかなんて今回の話を聞くまで考えたことなかったけど、1番に思い出したのは教授の言葉でした。
考えるときに一旦言語に直してたら、思考スピードが脳内で喋るスピードに依存するから、頭の回転遅くならない?考えるときにまず頭に浮かぶのって概念や立体図形じゃん?って本気で思ってたし、今もそう思ってる
言語思考者ですが、私の場合は頭の中で言語の思考が進んでいく速度は、駅のホームいる時、目の前を横切る通過列車に文字が書いてあって、それをすべて読んでいるといった感じです。ほとんど目にも止まらず、数秒後には以前まで考えていたことは遥か後方にあります。お互いにモノの考え方のプロセスがこんなに異なるなんて、面白いですね!
@@乱鴉 えー!「喋っている」状態とはまた違うんですね?めちゃくちゃ速いですね…!夫は言語思考者なのでよくこの話を2人でしていて、毎回分かりあえずに終わりますw
@@乱鴉言語思考者です、すげーわかる!!!!!!!!!!!
私も同じことを感じましたが、「速読」という能力の存在を考えると、あながちそうでもないかもしれないですね。興味深い。言語思考者は、脳内では言語データを高速処理できるが、それを口にだそうとすると、喋るスピードというボトルネックにつっかえてしまうって感じかなあ
ビジュアルシンカーだからなのかは分かりませんが面接や会議などで自分の感情や思考を言語化しようとする時、涙が出ます。泣きます。ストレスなのか感情が昂ってなのか分かりませんが、すごく泣きます。私だけかもしれません。
私の友達が昔同じことを言っていました!!そして、その子は「なんか調べたらそういう人他にもいるっぽい」とも言っていました!(何をどう調べたかまでは、聞いたかもしれませんが覚えてません😅)その子は、もうそういうもんだと思って割り切ることにしたようですあまり無理なさらないでくださいね😊
グラフィックデザイナーです。会議などでは泣いたことはありませんが、泣きながら作品を作ると魅力的なものになります。むしろそうでないとあまり良いものになりません(残念ながら)。色々なことを思い起こしながら、音楽も使って感情を昂らせる必要があります。おそらくですが、自分の場合はしっかりと自分の内面に向き合って真剣に表現しようとすると涙が出てくるのだと思います。場面は違いますが共感しました。ありがとうございます。
ビジュアルシンカーはおそらく関係ないと思います。「本心を話すと涙が出てくる」と検索すると、仲間がこんなにいたんだって嬉しさとそれぞれの対処法を聞けてちょっと便利です。私は本心や感情、過去の事を話そうとをしようとすると泣いてしまいます不安を煽る動画や記事よりもあるあるとして盛り上がってるものを見た方が良い話題な気がします!😊
現在ITサービスを売る営業をしているのですが、最近になってエンドユーザーの方から「資料をテキストやドキュメントではなく動画形式で欲しい」という依頼いただくことがとても増えたという感覚があります。私自身がゴチゴチの言語思考者なので「テキストの方が動画よりずっと手軽で速く理解できるんじゃないの?」と心のどこかでずっと思っていたのですが、今回の動画を見て蒙が啓かれた心地です。動画コンテンツが手軽に作りやすく、かつ共有しやすくなったことにより、視覚思考者の方にとってもっとフレンドリーな世の中になると良いなあという気持ちになりました。
視覚思考者の胸がキュッとなる話就活のグループワーク議論でのことです。言語化が苦手なのは認識してるため自分を殺してガンガン議論に入り、普段の2倍は話していた。メンバー間で講評をするフェーズにて、他メンバーには「あのタイミングで議論ベクトル戻せて助かったよ」とかポジティブな評価ばかりだったが、私だけ「省エネして議論に参加するのは良くない」という評価だった。俺の200%はみんなの50%くらいなのかなと感じた出来事でした。最後に視覚思考者による偏見あるある。視覚思考者は議論の役割で時の番人やりがち。
逆パターンもあるんだなあ……
絵を描くときに先に線を引きながら何を描くか考えることがあるけど、「しゃべりながら考えている」と同じ様なことをしているのかもしれないと思いました。
偏見極まるけれど、コメントの長文を読んでいると書いた人がどちらに寄りかがわかるように感じて面白かった視覚寄りの方の長文は綺麗に構造整理して整えた文章、言語寄りの方は整理とかはしていないけど自然とするする読める文章。前回から今回を読んでさらに面白かったです、優劣をつけられるものではないのインパクト…!
「言語寄りの方は整理とかはしていないけど自然とするする読める文章」←まさにこのラジオ自体がそうですよね! 私含め、ビジュアルシンカーは言語化が苦手なのを自覚してるので、ボロが出ないように一生懸命推敲する(だから綺麗に構造整理されている)のですが、言語思考者は推敲しなくてもなぜか最初から読みやすい文章がリアルタイムで湧き出すんでしょうね… ゆえにこういったラジオも一発録りで成立する。
その答え合わせはインスタの利用具合。
@@to5148あれもビジュアルシンカーよりの人が使うもんだろうしねw
自分はビジュアルシンカーですがラジオやポッドキャストを聴くのは好きです。普段の日常で脳の視覚分野が酷使されているため、違う脳番地を使うのが息抜きになっているのではと思います。(ただ得意ではないので、1時間以上聴くと疲れる)読書も好きですが、自分が考えていることを全て言葉に落とし込むことが難しいので、的確に表現している文章を読むと感動します。
この話楽しいですね。ビジュアルシンカーだと思いますが、考えてる事に近い言葉を毎回一生懸命探すけど結局どれも違うから、話し始めるまでに時間が掛かるし、ずっと思ってもないこと言ってる様な感覚で、あとからあ〜こっちの言い方の方が近かったなとか後悔したりします。もう30年生きたので、言葉に対しては方向性が伝わればいいくらいには諦めてるけど、日々のコミュニケーションが全て言葉で行われるのはたしかになんだかなという気持ちはあります。周りがビジュアルシンカー多い環境なのでだいぶ生きやすいんだなと改めて思いました。たまにスーツの人達と話すと噛み合わなくてびっくりしますし、こっちがおかしいみたいな言い方されるのに落ち込んだりしていましたが、そこまで気にしなくてもいいんだなと救われました。
子供の時からずっと図工が嫌いだったのは、思考してるものをそのまま絵や粘土に落とし込めないからだった。もし絵の描き方を教えてくれる人が近くにいたら違う世界もあったかもしれない。
風呂場くっさぁ…❤カビだらけ❤理系知識よわよわ❤偶然の社会適合者❤
感情がこれでもかと溢れ出てて草
ゆる言語学ラジオリスナーのメスガキじゃん、と思ったけどそれどころじゃなく普通に上2個最悪だった
水野さんが意図ぜず「ざあ〜こ❤」と「くっさぁい❤」のメスガキ黄金コンボをキメていて変態疑惑が補強される事態に
高校生の時は自分のうちにある思いを言葉にした瞬間に何か別のものになってしまっている感覚がすごくあり、言葉以外で表現する方法を探した結果、音楽にたどり着いた感じでした。でも言語で表現すると表現されたものはそのままの形で伝わるので便利だということは理解しています。
芸大のお友達がキリンを見て良いって言ったのは首が長くて面白い生き物だよね。という素直な気持ちが伝わったからだと思う。
『絵が下手っぴ』『装幀を思いつかない』『視覚思考できない』それぞれ別の事柄のように感じました。
私も別の事柄ではあるとは思いましたが、完全に隔たれているかと言われるとうーん…って感じですね視覚思考できない→自分の視覚イメージを現実に呼び出せない、呼び出さなくても良かった(言語化すれば良いから)、自己表現を言語で完結できた→絵が下手っぴ、装幀を思いつかないみたいな感じで
根源としては同じかなーと思います視覚思考の素質が極端に低いから絵に関する興味や感性、理解、発想が著しく希薄→絵が上手くならない→装丁が思い付かない(必要性も結果も理解できなかった)装丁の例は勉強不足もあるかもしれませんが「(自分が全く必要としてなかったので)必要だと思いもしなかった」のかなあと
たぶんこれ自体も言語思考者とそうでない人の違いが反映されていて、例えばグレートデンとチワワと柴犬を並べた時に「『イヌ』と呼ばれる動物の特徴を備えたものとして捉える人」と、「全く違う動物が並んでいると目に映る人」がいる。言語思考者は「情報の処理を視覚的に行う人」という抽象化された属性でビジュアルシンカーを捉えているから、出力がヘタな人も解釈がヘタな人も入力がヘタな人もおしなべて「ビジュアルシンクがヘタな人」としてまとめている。(個人の感想です)
私の友人でバンドやっている人間は制作物全般に独自の拘りを持っていたから、そうした人もいるって話かなぁと。得意分野は異なれど、クリエイティブ全般得意な方もいるんで。。なんとも。
「伝えたい想いは溢れているのに、伝え方が分からなくて、今でも言葉を探してるんだ」っていうKing GnuのTeenager Foreverが浮かぶのはクリシェですかね
ビジュアルシンカーは「見りゃわかるじゃん」というのがあります❤
言語思考、図画思考、絵画思考はそれぞれ、情報の一次元化、二次元化、三次元化なのかな?と考えました。言語は一方向的で情報量も軽いので喋りやすいし、絵画になると多角的で情報量も重いので喋りづらい。そして、次元を飛び越えるときにはエンコードのような作業が必要なようです。絵画から図にするエンコードを抽象化と呼んで、絵画や図から言語にするのを言語化と呼んでいる気がします。逆に、言語から図にするのは構造化と呼んでいて、言語や図を絵画にするのは美術と呼んでいるのかな。とか思いました。エンコードには様々なスキルがエンコードソフトとして必要になっていて、それが言語化や抽象化・構造化のスキルだったり、あるいは美術にするための様々な技法だったりするのかもしれません。
ほんとに驚きました。正に、自分はこの世界や、考えている事などの本質が先にあり、それ表現するには言語は不完全なものだと考えていました。言語思考者にとっては言語こそが本質で完璧なんですね…根本から、理解とか思考のアプローチが違う、衝撃です
34:34 頭のいい人は言語化が得意って言説が嫌いなのまじでわかる。ある側面を取り出して、頭いいとか悪いとかいうのだいたい安直。
図のタイプの人です。言語は単線的に物事を並べないといけない所が難しいです。図は2軸、面として構造を表現できるので楽です。でも以前どこかの動画でチラッと水野さんが、言語は実は二次元だっていう面白い話がある〜って言ってた気がして、そのトピックがいつか配信られるかな〜と楽しみにしてます。
別のコメントにて、「言語は一次元、図は二次元、絵画は三次元フォーマット」という説を見ました。2人とも似た事をおっしゃっており興味深い。この場合、二次元説における言語と二次元図の違いはどう説明されるのか含めて、配信されてほしいですね。
めちゃくちゃ面白ーい。思い付きですが、日本語って漢字があることでビジュアル寄りの人にも優しくなってる言語な気がしました。英語だとぱっと見でわかりづらいくて苦手…だと感じます。
確かに。ロゴとかならわかるんですけど同じような文字列が延々と続くのでえげつないストレスを感じますね。英語の読みものは焼き払いたいです。しゃべってくれた方が楽です。
@@moon3014 焼き払いたいw 全面同意します!
なるほどー!私もビジュアルシンカー寄りだと思うけど、たしかに英語より漢字のほうが好きだ!
元が象形文字から始まってるからなるほどと思いました。私も漢字の方が好きです。英語は文字の密度が一定過ぎて読みづらい。どこを見ても同じ密度、同じ濃さ。それに対し漢字かな交じり文は漢字が濃く、てにをはや送り仮名が薄いので要点が画像的につかみやすいです。 ・・・というかそもそも、文を「濃い・薄い」という視点でとらえてる時点でビジュアルシンカーの証かもしれない。
@@アンドロイダー-o8v 確かにっ!私も文字を「濃い薄い」で判断してるところあります!
お二人の苦い記憶を聞いて、自分も美術の時間に大真面目に描いて順調だと思っていたら、好きな人から「これで大丈夫なの..?」と言われた事を思い出しました。
堀元さんのレタリングの話しは我々映像思考者が血の滲む努力で絞り出した読書感想文に「もう少し詳しく書きましょう!」と書かれるに似てますね( ≧∀≦)ノ。
比較的「視覚思考者」から言わせてもらえると、「言語思考力と視覚思考力が二律背反の関係である。」という命題は偽であると思われます。両方高い人も低い人もいる。学校教育が出来ない=視覚思考者という方程式が一般だとは考えるひとが居そう。もしこのコメントが意味不明だったならそれは私が言語思考力が低いのだと思います。
りんごがあります って言われたら文章になってる思い出話されたら映像を頭なの中で作って聞いてる内容によって比率が変わってる感覚はあるね
それは多分ふたりも理解していて、話を分かりやすくするために言語vs視覚の構図を作っているのだと思います(おふたりも度々、完全に決められるものではないとか、グラデーションになってるとか、そんな感じのことは一応言っている)
「便宜上二項対立の形で話す」ってやつですね
@@TonyStark_85グラデーションではあるけど、人によって幅が違うって捉えれば二律背反でも整合性が取れそうじゃない?みんなグラデーションの中にある点じゃなくて、幅を持っている。訓練で拡張することもできる。この視覚思考か言語思考かのテストで得られる結果は点で、その人の思考パターンの中央値を表している。学校教育で成果を上げられなかった人は視覚思考の方に寄ってるだけかもしれないし、視覚思考と言語思考の中間にいるけど、どっちの能力も訓練で伸ばしてこなかった人 の可能性もある。
どちらかと言うと、言葉で考えるか、それ以外で考えるか の方がしっくりくる。別に言葉の対局に視覚を置いても間違ってはないし、十分でもない。
自分が当たり前にできることは他人も当たり前にできると思っちゃうから「才能」って怖いよね。小学校の時、跳び箱が飛べなくて放課後に練習している子に「こうやればできるよ」って見せて、「本気でやってる?」って言った奴のグロさがいまだに忘れられない。
今よりもっと音痴だった中1のころ、学校で使う曲の転調が何度聞いても分からなくて聞き直してたら、友達に「それは分かる気がないからだよ」と言われたのを思い出しました…。😢苦い思い出。
言語思考者で辛かったことを聞いていて英検の時の「画像を見て英語で文章を作りなさいという」最悪な問題というトラウマを思い出した。母語だろうが関係なくそもそも画像から情報を読み取れない。
歌詞よりも音の感覚やリズムが心地いい曲に惹かれます初発の動機はそこなんですが、そこから歌詞を調べると結構ハマったりしますね喋りながら考えるのと、考えながら喋るのはちょっと違いますね考えながら喋るタイプなので、つっかえつっかえでたまに沈黙の時間があります逆に頭で連想していることと結びつくとブワッと言葉が出てきますね
ゆる言語学ラジオ、初期の数km歩いたら言語が違う」の頃から見てたけど今回が1番共感したし心が抉られた美術のレタリングの授業で全然作業進まなくて、自分はクリエイティブ向いてないんだって気づいた体験を思い出しました
絵じゃないけど、どんな写真を撮るかで大体どんな人かわかる気がする。こっちの方が、どんなことに興味があって、どんなことに心を動かされる人か直感的に理解できる気がする。
ツイッターで出会った人に本気で惚れ込んだことがあります 文章の書き方やロジックの進め方に親近感を覚え相手のパーソナリティにまで興味を持ち、東京と京都の遠距離だったのですが数回会った上で私の方から告白しました その方とは会うたびに終電ギリギリまでひたすら会話を続けることができます 考え方や指向性に強く共感できるのであれば相手の容姿や所作がどうあったとしても取るに足らないことだと思っていたのですが、実際会ってみてもその考えは揺らがなかったです そういう感覚で生きている人間は極少数だという自覚があったので、堀元さんの話を聞いて堪らなくうれしくなりました
その感覚とても分かりますネットの投稿を読んで、好きになりましたし、会うことは叶いませんでしたが、文字のやり取りを重ねて一定の人間性は感じとれましたし、あとは取るに足らないこと…は本当にその通りです
考えを言葉で説明することは全て本当らしい大嘘をついてるみたいな感覚で、小一から読書感想が書けなかったけど絵はかけたからそういうことなのか……
「言葉で説明することは全て本当らしい大嘘をついてるみたいな感覚」この感覚わかる気がする。業務に必要とかだったり、大した関係じゃなければ気にならないけど、相手と関係が深くなるほど、電話とか文字のやり取りだと空虚に感じてしまう。
じっさい、言語化ってのは虚構化、虚飾化の作業ですからね、本質的に。なのに心が動かされたかどうかってので真実性を誤魔化されてしまう人は危ういと思いますよ。
今回の話を聞いて腑に落ちたことがあります。このチャンネルのサムネを見たときと内容を耳で聞いたときに受ける感覚のギャップが大きかったのですが、それはそれぞれ違う思考で情報を受け入れていたからだということが分かりました。私個人的にはポップすぎるサムネからは二人の会話のおもしろさが伝わらなくて損してるなと感じます。逆にサムネにつられてついクリックした人は本当に楽しめているのかなと心配です
8:07 「言語思考者が~」というより、「言語思考優位過ぎるひとは~」な気がする。逆も同じじゃないかな。グラデーションだとすると正規分布になって、一定以上偏ってるひとはそりゃ外れ値と認識されやすい、みたいな。
友達に似顔絵を描いて見せたら「え。すご。ウケるー」って言われた視覚思考者です。喜びつつも「ウケる」って言葉で情報量薄められた経験があり、いまいち伝わっていなかったのはこういうことかと思いました。
堀元さんと同じく、中学の成績ほぼオールAなのに、数学の図形の時だけCだった言語思考タイプのオバハンですが、幼かった娘が言い淀んでいるたびに、「ちゃんと言葉で言ってごらん!」と叱ってしまった…彼女、中学に上がって数学にxやyが出てきた途端、全然わかんなくなったらしいです。物心ついた頃からお絵描き得意で、現在は漫画家さんとして自立してくれたからよかったけど😅
これ聞いて絵日記という宿題の素晴らしさを実感した一方で、徐々に文章だけになっていったことに言語優位の社会を感じたわ。
うわあめっちゃ共感します絵日記は、両方の処理能力を求められるから、上手く使えれば、自分の能力に関する気づきへのきっかけになりそうですねその一方で、大量の物事を処理できるように社会をシステム化していくほど、受験や資格に代表されるように、言語優位の社会になっていってしまうのはどうにもならなそうですね…
「無題」というアート作品を見て、タイトルをつけないなんて不完全な。。と思っていましたが、つける必要がないということか!むしろ、タイトルをつけることにより不完全になるということかー。
非常に面白いテーマだと思う一方、「言語思考か視覚思考か」という0か1かのように考えてしまうのは危険だと思う例えば言語思考でも「写真で見るより言葉で説明された方が人の顔をイメージしやすい」なんて人は居ないだろうし、視覚思考でも「キャプションなしで絵を見るだけで作者の思いが100%正確に伝わる」なんて人もまず居ないと思う
これの一個前の動画見ましたか?
@@pyxin6789 はい、見ました
11:10 「音楽って人を殴れるんだ」からの「痛感した」は対応取れてて気持ちいい
手首が臭い人と風呂場が臭い人が送るゆる言語学ラジオ
風通しの悪いふたり
ゆる臭い学ラジオ
@@Karakara104センスがない😂
堀元さんが水野家に泊まり込みで作業したらおしまい
@@山田おこじょ-j1i うるさいっ
美術教育に関心を持つ人間として、非常に興味深く聴かせていただきました。言語化・ビジュアル化の得意不得意に決定的な個人差があるとして、それでも一人一人にクリエイティブな活躍の場が与えられる授業があれば良いなぁと…
ビジュアルシンカーの自覚あります。授業とか会議のノートを取っていると、図や絵を描いてしまい、ラクガキしている様に見えることが💦 言語化がお得意なお二人のラジオは、いつも言葉にできないモヤモヤをすっきり言葉にしてくださり、これこれ、私が思ってたこと!!ってなります。いつもありがとうございます。
「言語化能力に興奮する」めちゃくちゃに共感しかないです!!!小説で物語の内容以前に「文体が好き」という作品が一定数あるのですが、友人に全く理解されなかったことがあります
実は以前のオノマトペ回が役に立ってます。言語化が難しく伝えづらい時に、せめて適切なオノマトペを使うよう心がけるようにしてて、絵を使う以外のコミュニケーションツールとして活用してます。
サムネよく見たら「著者と付き合いたい」だったわ「若者と付き合いたい」に見えてた
同じく✋( ˇωˇ )
同じく✋( ˘ω˘ )
さらに同じく✋(^ω^)
同じく✋(╹◡╹)
違く🖐️(╹◡╹)サムネあんま見てなかった
楽しみに待ってました
ぼくも!
奇遇ですね、僕もです😊
たのまち
若者と付き合いたい!に空目しておっさんさぁ…となってしまった著者でよかった〜😌
よくないんだよなぁ
このコメント見るまでずっと若者と付き合いたいだと思ってた…
視覚型だけど文章に惚れる、この人の書く文章が好きというのはあるいわゆる作家買いタイプなんですが、作家そのものに興味はあまり持たないかも自分にとって言語化は考えを枠にはめるものという感覚があります伝達ツールとしては言葉が一番相互間のブレが少なくて使いやすい逆に絵やイメージは人によって読み取るものが違いすぎて相互理解のためのツールとしては使いにくいこれは生まれた時からずっと言葉を扱うための教育を受けてきた結果かもしれません漫画にも読み方のセオリーがあってそれを知らないとちゃんと読めないと聞いたことがありますがそれと同じように学校教育が言葉ではなく絵やイメージの読み方を中心だったら世界の見え方が変わっているかもしれませんねちなみにこの長文を書くのに数十分かかっていますが言語化する前の状態は数秒ですしかもかなり思い浮かんだ内容を削っていますただ、この閃きともいえる数秒は絵でもイメージでもないもっと漠然としたものですそれを絵やイメージ、図にするのも同じか、それ以上に時間がかかりそう
動物がそうだとしたら!で「うわあああすごいいい」ってなりました。水野さんのこんなこと最近思うんだシリーズ楽しいです。
堀元さんの奥さんの一万字を読んでみたくなる回ですねおめでとうございます
堀元さんと同じく、私もとある作家さんに恋をしていた時期がありました。懐かしさから今でもその方の作品を手に取ることがあり、その麗筆な文章に、あの頃に見た春の記憶まで甦ってしまいます。周りの友人からの理解は得られず、だから、堀元さんのお話を聞いて嬉しく思いました。なんだか救われた気分です。
絵を交換しあう…でふと思ったのですが歌会とか句会とかってまさに言語を使ったそれですね!友達に絵を見せた時に「私にはわからない」と言われてめっちゃショックだったのですが今回の動画で謎が解けました。マジで何もわからないとは、、🧐勉強になります!
今日美術館に行ってきました。それぞれの油絵や彫刻を見て、その作者は細かなところまでこだわる几帳面なタイプなんだなとか抽象的に捉える人なんだなということを自然と感じ取っていて、自分は視覚思考者なのかなとふと思いました。
言語思考者は正解を知りたがる傾向にあると感じるのは、言語思考優位の現代教育の弊害かな。マジョリティが正義になる世の中だから、視覚思考者が理解されにくいのも頷ける。05:15 私はビジュアルシンカーなんですが、文章読んで絵が浮かんで、それで好きってなる事あり〼
このビジュアルシンカーに関する回神回だな
幼い頃から本が好きで絵も好きで、絵も得意だったし文章書くのも好きだった自分はどっちなんだろう。ただハッキリとわかったのは、歴史小説読んでるところを覗き込んできて「うわ、字ばっかり!」と拒否反応を示していた全く本を読まない兄はビジュアルシンカーだったんだな、ということ。兄はカーデザイナーになりました。
視覚思考者がいるなら、嗅覚思考者や味覚思考者、触覚思考者もきっといるんだろうなぁ。言語化と絵が下手な自分はきっと後者3種のどれかなんだと信じたい。
音楽家やダンサーの方は、聴覚思考者、動作?思考者ですねグラデーションもあるでしょうから、本当に捉え方は人の数だけありそうです
自分は典型的なビジュアルシンカーだと認識していますが、ビジュアルと言っても平面ではなく、五感プラス第六感のよなものも含めた身体感覚優位の人間だと思っています。
22:57 『なつめさんち』の配信ってそんな感じだなって思いました!絵でのやり取りが楽しすぎる😂ゆる言語学ラジオの対局かもしれないチャンネル😮どっちを見てても楽しいです✨
【参考文献のリンク】
◯ビジュアル・シンカーの脳
www.valuebooks.jp/bp/VS0087585344
◯クジラと話す方法
www.valuebooks.jp/bp/VS0088362069
◯動物たちは何をしゃべっているのか?
amzn.to/4cSMkAB
◯言語の本質
amzn.to/4cUYicU
一生懸命言葉にしたのに「コミュニケーション舐めないほうがいいよ」「手抜きの文章」的な扱いを受けてきた経験が浄化されるようだ
!
高校時代、美術の授業で「嫉妬」を題材に絵を描くことになった。
これが「嫉妬について作文を書け」と言われたらものすごく苦労したと思う。絵なら内面をさらけ出せるが、文章だとメタモンが発動して、結局は私が思う嫉妬からかけ離れたと思う。
私が描いたその絵の裏に先生が「魅力的です」と書いてくれた。なんか伝わった気がして嬉しかったし、ちょっと好きになった。
話すと噛み合わないのにたまに絵をくれて何かを伝えようとしてくれる友達、好きになりそう
コメント欄を拝見して、また私自身を省みて考えるとヴィジュアルシンカーだからと言って、絵にする能力が高いかどうかは関係無いんだろうなと思いました。多分それは逆でも言えて、言語思考だけど、口で話すのは苦手みたいな言語思考の人もいっぱい居るんだろうな。
絵を仕事にしています。
「画像で思考する」ことと「絵を描いて伝える」ことは、少し違うと思います。
ビジュアルシンカーみんなが絵を描ける、絵で情報を伝えられるわけではなく...
藝大生のシェアハウスはこわいこわい帰りたい!とおもいました。
😅😊
共感です!
楽しい会話の中でこの部分だけは疑問に思ったので、同じく思う方がいて、ついコメントしてしまいました😊
言語思考者だから文章上手い、会話上手いが通じないので…
アウトプットの技術はビジュアルもテキストも別途長時間の訓練を要する。そういうことかなと。
アウトプットの繰り返しで、さらに思考の精度が上がる効果はありそうな気がしてます 商売にしようとしている人は意図的に言語や視覚の能力を磨いていますね
言語化教育なので、言語思考者よりもさらに環境や習慣に左右されるのでしょう。言語思考者でもレベル感によって伝えることが得意かどうかは別だと思いますし。
言語化能力が高い人の文章は、ビジュアルシンカーにとっても魅力的ですよ。
ビジュアルに戻しやすいんですよね。
文章は絵なんです。
絵というより没入できる映画かな。
言葉でも絵でも
「君にはキリンがそう見えているんだね」ということなんです。
逆に言語化能力の高い人は、言語化された文章の何に惹かれているのか、知りたいですね。
絵じゃない感じですよね。
わたしは割合としては文章で恋するほうです。「そのキリンは、雲に届きそうなアカシアの葉を食べていた」とか言われたほうが、それを表した絵を見るより、(ああ、首がすごーく長いキリンなんだね、君にはキリンがそう見えてるんだね、と)理解しやすいので、同じものを理解できる言葉が多い言語化された文章に惹かれる気がしています。
@@ninjinika5397
返信ありがとうございます。
お尋ねしたいのですが、「そのキリンは、雲に届きそうなアカシアの葉を食べていた」の情景は絵(イメージ)で浮かぶのでしょうか?
それとも文字のまま理解してるのでしょうか?
私の場合、イメージを言語化できることに感動もするのですが、言語から情景を再イメージできることにも感動してるんですよね。
文章に魅力を感じていないということではないです。
これは言語化能力が高い人達も同じですかね?
確かに理解するなら文章の方が明確ですね。
絵は理解というより、共有する感覚ですかね、私の場合。
@@のりのり3 こちらこそありがとうございます!
私の場合は、文章からイメージを作ることが多いです。私が同じキリンを見て、首の長さに感動したとしても自分の言語化能力では十分に表現できないので、それを脳内に再イメージして共有できるほどの言語化能力に「すげー」となるので、そこは @user-od4jr3et1x さんと同じなのかなぁと思いました。
その文章と同じことを表現した絵を私が見た場合、「きれいな絵だねー」「空が青くてかっこいいね」とは思いそうなのですが、その絵をそのまま受け取ることができなくて、書いた人が首が長いということに感動しているということを共有できずにスルーしてしまう気がします。
「絵というより没入できる映画」にとても共感しました。
自分はビジュアルシンカーですがつい最近絵より文章のほうが好きかもしれないと思った理由がまさにそれでした。
そして言語化能力が高く、ビジュアルシンカーではない人たちの感覚を知りたいと常々思っています。想像もつかないです。
@@ninjinika5397
この比喩表現は凄いですね。
蟻のように小さい自分が見上げたようにも感じるし、首を伸ばして食べているようにも感じる。
イメージ出来るし、疑似体験も出来る。
描き手が好きな動物をその人が気に入ってる面白い特徴を示して描いて見せてくれるなんて、「いい」でしかない…
向こうはツッコミどころを作ったユーモアも込みで受け取ってくれていて、「そう見えてる(その特徴を重視している)んだね」って言ってる感じします。
キリンのアンサーとしてあごが落ちている似顔絵をくれた可能性もありそう。「好きな動物の気に入ってる面白い特徴をツッコミどころ作って誇張して描く」というのが共通しそうだし…時系列分かりませんが。
コミュニケーションになっていそうなので失敗談として受け取ってほしくない…めちゃくちゃ良い…
ビジュアルシンカーヤクザは、二人が記憶に数回ある苦い経験をずっとしてんだ
漫画家です。
ビジュアルシンカー寄りですが、言語化するのも大好きで、思考するとき言語と視覚イメージ両方がかなりはっきりと浮かびます。
漫画家にはゴリゴリのビジュアルシンカーが多いようで、周りの作家さんの多くがビジュアルシンカー。
よく漫画家がアシスタントに依頼するとき、「舌がとろけそうなくらい美味しそうな食べ物を描いて」とか「今にも冒険が始まりそうな、ワクワクする町並みを描いて」などと頼むことがあります。
アシスタントは各々の解釈でそのような絵を描きますが、多くの場合漫画家のイメージと異なり、「これじゃダメ、リテイク」となってしまいます。
こういう漫画家はゴリゴリのビジュアルシンカーで、イメージを具体的な言語に落とし込むことができない、または言語化に多大な精神力を消費するのです。
私は幸い言語化するのに苦がないので、アシスタントさんにお願いするときはなるべく具体的に、どういう要素が欲しいのかを説明しています。
しかし、アシスタントさんにひとり言語思考者がいました。
デッサンや模写はうまく、背景なども基本的には問題ないのですが、「ニュアンスを絵に反映させることができない」と言っていました。
上記のようなニュアンス重視の依頼があるとイメージができず頭が真っ白になると言っていて、これは非常に興味深いぞと思いました。
ビジュアルシンカー回を視聴したことで、「これは興味深いぞ」と思えましたが、これまでの自分だったら
「何言ってんだろうこの人」と思ってしまったかもしれません。
いつも視野が広がり学びとなる楽しいコンテンツをありがとうございます。
一読者でしかないですが、面白い漫画って脚本やセリフ回しがしっかりしてるからむしろ言語化能力の部分の方が優れている気はしますね
絵を書く能力はストーリー関係ないイラストレーターさんもいるように別物の能力のように思えます
@@こんちゃん-z9k そうですね・・・。ストーリーやセリフは言語が必要になる場面ですから、ある程度は言語化能力が必要になります。
漫画の作り方は人によって本当に全然違って、たとえば脚本をガッチリ固めてからそれに合う絵を考えていくタイプや、思いついた場面や絵に合わせてストーリーを考えていくタイプがいます。
おそらく前者は言語思考、後者は視覚思考が有意なタイプでしょう。
絵に関して言えば、漫画はコマの数だけ絵がありますよね。ストーリーの流れ、ページ配分、演出、感情表現などさまざまな理由で「それぞれのコマにそれぞれの絵」が入っています。
しかし、なぜそのコマにその絵を入れたのか、を論理的に言語化できる漫画家は少ないです。特に新人漫画家は「ここはこの構図だ!と思ったから・・・」としか言えない人が多いです。
ストーリーに関しても同じで、「なぜこのストーリーが良いのか」を説明できない。漫画家として活動を続けていくうちに徐々に説明ができるようになっていきます。
つまり言語化能力は後付けで伸びたという人が多いような感覚があります。
父が美術雑誌の編集をしています。ビジュアルシンカーばかりの社会で、ごりごり言語思考をしているわけです。美大生に、自分の作品を言葉で説明できるようになるための講義もしているらしく。
父は、言語思考者の社会と視覚思考者の架け橋になっているのかもしれません。
飼っている(飼っていた)犬の考察ですが、犬にも言語化能力の高い奴と、ビジュアル能力の高い奴がいるのではないかと、聞いていて思いました。
n=2で恐縮ですが、1匹目は散歩とか、行くとか、といった言葉を覚えていて、それらの単語を言うと立ち上がって外に出ようとしていました。
翻って2匹目ですが、どれだけ話をしても反応がほとんどないんですが、
散歩用のロープを見ると立ち上がって外に出ます😮😮
めちゃくちゃ面白い!
論文になりそう。
@@Harusawaxxx さん ありがとうございます!自分も考察していて、1匹目は賢いという家族の評価で、2匹目はアホだという家族の評価なので、今回のを聞きながら、その評価はひょっとして違うのではないかなと思いました。
きっと聴覚優位なわんちゃんもいるかと。足音だけで人間を識別したり、お菓子の袋だけに反応したり…😂
犬も言語寄りだと頭イイって評価を得られるのか、、、、。
言語と画があるのであれば、"音"もあるのではないかと思いました。
かくいう私も、音楽を聴くのが好きなのですが
ネット上で音楽にまつわる論評(とりわけ素人のもの)を目にすると、
「この人は音楽ではなく情報を聞いて(評して)いるな」と感じる事が多々あります。
私は私の好きな音楽嗜好を言葉にするのが非常に難しいと感じるのですが、
ビジュアルにするのも何か違う、やはり、音楽は音楽でしかないと確信めいた感情があります。
これはサウンドシンクとでも言うのでしょうかね笑
まじで共感
この動画では、言語と視覚という軸でお話が進んでいますが、言語優位・視覚優位・聴覚優位に分けている本もあります。
本田真美さんの「医師のつくった『頭のよさ』テスト 認知特性から見た6つのパターン」(光文社新書)がわかりやすいです☻
言語優位・視覚優位・聴覚優位をそれぞれさらに二つに分けているので、「6つ」となっています。
タイトルだけ見るとちょっとそぐわない気もするかもしれませんが、まさにお考えにぴったりの内容だと思います。
『花束みたいな恋をした』で、
菅田将暉が話している途中で「この前電車に揺られていたら…」という言い回しをしたことが有村架純が恋に落ちる大きなきっかけとして描かれていて、
観た時には「何だ洒落臭えなこいつ」と思ったのですが、
彼女も言語化能力に興奮する人だったのかもしれないと思い直しました。
「言語に比べて絵が不完全な様式だと思っていた」というのに驚いた視覚思考者です
絵は全世界のどの言語の人にも対応できる最高の伝達方法だとずっと思ってました
単語レベルであれば誰でも伝えられるし、誰にでも伝わるけど、
例えば今日あったことをすべて伝えろと言われて、それを絵で表現するのは難しいし時間がかかって大変。複雑なことを伝えようと思っても、絵だと意味を一意に定めるのが難しい。
というような意味で、意志伝達の手段としては不完全だって意味かと。
@@js-Loliting
なるほど!確かにそうですよね。
また、例えば折り紙の折り方を文字だけで表そうとすると難しかったり
言葉を使っても一意に定まらなかったり伝わりきらないこともあるので、
どちらも完全ではなく補い合っていけば良いのかなと思いました。
@@gaerunuma3692 動画なら言語より簡単に伝わるケースは格段に多いですね。TVやビデオ等動画メディアの力について今更講釈を聞きたい人もいないでしょうが
百聞は一見に如かずではないですけど、電話やメールじゃよく分からないから写真で送って!なこともよくありますよね
むしろ言語こそ情報の欠落だらけで虚構性に満ちてる。
これを気付かない人たちというのはかなり何らかの障害じみて認知面にハンデがあると思う。
今回のテーマでのお二人の語りは、ゆる言語学ラジオ風にいうと「すごく体重が乗っている」から、いつも以上に臨場感があって惹き込まれる。
これから立場が変わる時に、言語化が苦手かなと思った時に「絵とか図にできる?」って聞いてみようと思いました。
イラストレーターさん達のGartic PHONE配信は、ほぼ絵で会話してるのでゆる言語学ラジオの対局なのかもしれない
視覚思考よりなので小説を読む時は登場人物を思い浮かべて頭の中で動かしながら読んでいるのですが、
その中でどうしてもこの2人が同じ顔で脳内再生されるなぁと思いながら読んでいると、実は叙述トリックでこの2人は同一人物の過去の姿と現在の姿だった、ということがありました。
通読中、この小説を貸してくれた友人にこの2人がダブって見えると話した時の友人のニヤニヤ顔は忘れられません。
汚い字を書いてると「文字はその人の人格を表す」と言われることがありますが、それを言う人は字を画像として捉えておりビジュアルシンカーなんだなと納得することができました。
書道なども同じですね。
昔、漫画「ことわざ辞典」を買ってもらって
・「天は二物(2つの才能)を与えず」っていう欄で、字は上手いけど絵は下手って人が描かれていたのが印象的だけど、ゆる書道学ラジオの夏来さん見てると、絵もお上手!。偏見でしか無かったか。。ちなみに私は絵は得意だが字は苦手派。
水野さんがギュッってなるくらい、ウチはなんで?って詰められるとほんとに言葉が出てこなくて「なんで黙ってるの?」「都合が悪くなるとすぐ黙る」「黙っていればいいと思ってるんでしょ」って言われて二度と立ち直れなくなった
めちゃくちゃ分かる。
考えてます。って言うと、「考えてるならその考えてること口にしろよ」って言われるけど、それがとにかく難しいし、それ言われた瞬間自分が何を考えていたのかわからなくなる
お、同じだ、、、。涙出そう。
つらい。その場では上手く出力できないけれど数日経ってから思い返すとあの時はああ考えていたんだなと文章化できてしまうこともあるんだけれど、それを詰めてくる人に伝えるには時間が経ちすぎているんだよな
言語化は出来ても詰めてきてる人を腐す表現しか出てこないから言えないパターンもある
どれだけ遅くなってもいいのでちゃんと言葉で伝えるまで完結させるとその後の関係性が柔和していきますよ。
きちんと説明してもらわないと納得できない人はわりと世の中多いので、都合が悪いから黙っていたという考えを相手に改めてもらうという成功体験をしておかないと、今後の人生でそういった人たちを避け続けては自己実現に支障が出てしまうパターンを繰り返します。
言語化ヤクザに立ち向かうのは勇気がいりますけどね😂
27:30
お初に書きこします
「君にはそう見えてるんだ」は絵描きの端くれから解釈すると、人は思ってる以上に形状を記憶していないことを絵描きの大半は熟知してます
なので描ける人ははっきり何度も描いた経歴が絵にでるし、逆に絵のド素人さんは何とか形状を思い出そうとして頭の中の記憶の奥から極めて断片的な不確かなイメージを引っ張り出してつたない線にのせるので
その人の認識の奥底というか、かつてどこに目をひかれた記憶があったのか?を垣間見たりする印象が強かったりします
その感想を語った人はおそらく幼いころの堀元さんの視点はそこなのかな?と垣間見た、という感想だったのかと想像します
まあ堀元さんは首を長く描いたことを論評されていると思いこんでいますが、美大生が本当にそう思ったかは実際は謎ですね。
もっとでかい枠で「こういう場でこのような絵を描く人間性」を評価しているかもしれない 絵だけの感想ではない可能性も全然あると思います
インスタが流行りはじめたころに友人に勧められて始めてはみたのですが、写真についてるテキストが読みづらいと文句を言っていたら、友人に「写真を見ろよ」と言われて、「え? 」「は?」となったのを思い出しました。そうか、写真だけで必要な情報が満たされる(と感じる)人がいるのですね。
格闘技を見て「痛いより闘いたい人いるんだなー」とか、パルクール見て「こういうの怖くない人いるんだなー」とか、人をグサグサ傷つける物言いして平気な人もいるんだなーとか、何でもなく見えることにこんなに深く悩む人いるんだなーとか、、、自分にないものを持っている人が世の中にはたくさんいて、その感覚は理解できなくても、人は皆見てる世界が違うんだ、と歳を取るごとにしみじみとわかるようになりました☺️
俺の友人の一人に、自分で文章を書こうとすると言葉が思いつかなくて苦手だって自称する割に、他人の文章(特に発表原稿とかしゃべる際の台本)を推敲させると長ったらしい表現とかをきちっとまとまったきれいな文章にしてくれる人がいる。なんでだろうと思ってたけど、その友人は作曲が趣味だったり脳内でオリジナルアニメ二本と漫画雑誌を隔週で連載してたり、会話するときにオノマトペとジェスチャーを多用する人だから、絵は絵でもアニメーションのような動く絵で思考する人で全体的なリズム感や臨場感をつかむのが得意なのかなと思った。
「言語化できる人が有利な社会に産まれただけ」
という話で思い出したんですが、
早稲田大学建築学科の入試では学力検査と絵を描く検査の両方を受けるんですよ
つまり勉強ができれば絵が描けずとも合格できますし、絵がべらぼうに描ければ勉強できなくとも合格できる試験なんです
これはビジュアルシンカーを積極的に取り入れようとしている例かもしれませんね
過去問「最高のかくれんぼをしている絵を立体的に、陰影をつけて描きなさい」
結局、言語思考にしろ視覚思考にしろ、不当な評価に対して「本気でやってコレなんです」と弁明できる、というかその発言を信じて受け入れてもらえる環境が大事なんやなと。そしたらああいう悲劇は抑えられる訳で。相互理解・ある意味での多文化共生の重要性を突きつけられる回。
発達障害者にとっての精一杯が「甘え」「自己責任」扱いされるのも全く同じテーマですね。(別コメによると発達障害者はビジュアルシンカーが多いとのこと。当事者の自分も例にもれずビジュアルなので納得。)
「ほんとはできないんじゃなくて手を抜いてるんでしょ?」と言われて、「違う!ほんとにできないんだ!信じてくれよ!」「できないものはできない、と認めてほしい!」と常々思っていたので共感します。
世には発達障害者が就職するための訓練施設(「就労移行支援事業所」と言います)があり、コミュ力(=言語化力の一種)を身に着けさせようと過酷な訓練を課す施設が多々あります。はっきり言って間違った訓練方針であり、典型的な言語化ハラスメント。施設によってピンキリだが…本当は適材適所をすべきなのに。ベースに「手を抜いてるんでしょ?」があるから、そういった訓練方針が正当化されてしまう。 相互理解が進むと良いんだけどな…今の風潮じゃ厳しいな…
@@アンドロイダー-o8v 正に僕が発達障害当事者なので、割とそういう意識が念頭にありましたね… こういう無理解で起きるトラブルが1番不毛なので…
@@ponpoko_jump 返信ありがとうございます。なんと、当事者なのですね。実は私もなのです。返信に気付かず行き違いで追記を繰り返してたらなぜかコメントが消えたので再掲します。でも当事者ならば既知の内容だったかもしれませんね(就労移行支援とか)。 あと、無理解な側が、自分が無理解である事を自覚できることも必要で、この動画主は自覚してくれた稀有な事例かもですね。
(以下、消えたコメントの再掲)
発達障害者にとっての精一杯が「甘え」「自己責任」扱いされるのも全く同じテーマですね。(別コメによると発達障害者はビジュアルシンカーが多いとのこと。当事者の自分も例にもれずビジュアルなので納得。)
「ほんとはできないんじゃなくて手を抜いてるんでしょ?」と言われて、「違う!ほんとにできないんだ!信じてくれよ!」「できないものはできない、と認めてほしい!」と常々思っていたので共感します。
世には発達障害者が就職するための訓練施設(「就労移行支援事業所」と言います)があり、コミュ力(=言語化力の一種)を無理やり身に着けさせようと過酷な訓練を課す施設が多々あります。はっきり言って間違った訓練方針であり、典型的な言語化ハラスメントです。施設によってピンキリではありますが…本当は適材適所すべきなのに。ベースに「手を抜いてるんでしょ?」があるから、そういった訓練方針が正当化されてしまう。現に、動画主(丸眼鏡ESTJのほう)もその本を読んで「改心」する前はそういった価値観を持っていた…こわい…。 相互理解が進むと良いんだけどな…今の風潮じゃ厳しいな…
自称ビジュアルシンカー(物体視覚思考者)です。前回動画の簡易テストでは「はい」が18個(著者ですら16個なのに!)、視覚イメージ鮮明度質問紙(VVIQ)ではハイパーファンタジア(視覚イメージ過剰)の判定でした。
スパム判定されそうなくらい長いですが、可能な限り視覚思考者の考え方を言語化してみました。
1.注意点(流し読みしてください)
第一に、一般化は難しいです。明確な視覚思考者と明確な言語思考者、そしてその中間にたくさんの混合型思考者がいます。さらに視覚思考者にも2種類いて、それぞれ「絵で考える」ということの意味が異なります。
第二に、世の中にどれだけの言語思考者・視覚思考者がいるのかは不明です。なお、本書では十分な数のデータがないとしつつも、小学4~6年生のうち3分の1が明確な視覚思考タイプ、4分の1が明確な言語思考タイプ、残りが混合型だったとする調査を紹介しています(とすると、お酒飲むかどうかみたいな質問は無理かな……)。
第三に、著者が強調するように、視覚思考とは眼で見ること自体の問題ではありません。脳の働き方、視覚情報の受け取り方の問題です。
第四に、社会は言語思考者に少々有利にできていますが、それだけです。著者のテンプル・グランディン教授自身が世界で最も有名な高機能自閉症者の一人であり、視覚思考的な特性を活かして大成功した実業家です(杉山登志郎『発達障害の豊かな世界』第3章参照。博士が来日した際のエピソードが記されています)。
第四に、建築家や商売人、物理学者など、視覚思考者に向いている職業もたくさんあります。また、知人である一流の法学者も、「文章は図にしてもらわないと理解できない」と言っていましたから、視覚思考者に向いてないとされる仕事で活躍することだって可能でしょう。本書が指摘するように、社会で成功するにはコミュニケーション能力や職業倫理といった他の能力も必要になってくるのですから。また、著者も強調するように、言語思考者と視覚思考者とが協力することでよりよい仕事ができるのであって、「自分は視覚思考者だから弁護士には向いてないんだ……」などと諦めてしまう人が出るのは著者の本意ではないでしょう。
2.読むことその1:かんたんな文章は、絵を思い浮かべて読む
まず、カップラーメンの作り方を考えてみましょう。容器の側面に書いてあるアレです。おそらく言語思考者であれば、
①作り方を読む。
②内容を理解する。
③実際に作る。
という手順でラーメンを作るでしょう。簡単ですね?これがわからない人なんていませんよね?
しかし、私の場合はこうなります。
①作り方を読む。
②a内容を理解する。
②b理解した情報を参考に、実際にラーメンを作る様子を思い浮かべる(イメージトレーニングのようなもの)。
②cその手順で上手くいくことを確信する。
③実際に作る。
うーん、面倒くさいですね!なので私はラーメンの作り方を読みませんし、当然に調味料を入れる順番を間違えます。つまり、「書いてあることを書いてある通りに実行できない」わけです。これは言語優位の社会において致命的で、なんでこんな簡単なことができないんだ?と思われるわけです。堀本さんが「描いてある絵を描いてある通りに模写できない」ようにね。同じ場所に同じ線を引く簡単なお仕事なのに、なんであんなことになるんですか?
3.読むことその2:難解な文章は、マーカーを駆使して絵に変えてしまう
難解で抽象的な文章を読むときには、こうした具体的なイメージを使うことができません。では、どうやって難しい本を読めばよいのでしょうか?
そこで活躍するのがラインマーカーです。マーカーを引いて、文章を絵に変えるのです。あちこちに線を引き、マーキングをし、本に大量の書き込みを加えることで、本を画集に変えてしまうのです。そして読んだ内容は言語的な要約として記憶されるのではなく、いわゆるフローチャートの図として記憶されます。ちなみに、良い本は美しいフローチャートにできますし、悪い本は汚いフローチャートにしかなりません。
なお、こうした人間にとって電子書籍は非常に価値が低いものとなります。ペンで自由に書き込めないですからね。実際、電子書籍で読んだ内容はほとんど覚えてないです。
おまけ。国語の文章が読めなくて困ってる学生さんは、まず文章を読むという意識を捨ててみてください。あれはパズル、つまり視覚的に処理できるゲームです。①現状はどうなのか、②問題や論点は何なのか、③それに関する著者の意見と根拠は何か、④著者に反対する人の意見と根拠は何か、⑤反対意見に対する著者の再反論と根拠は何か、⑥それらの具体例は何か、といった要素に注目してください。そして、マークや下線を駆使して、それらの要素の関係性について分析してみましょう。問題文を一枚の絵に書き換えるのです。繰り返し練習すれば大抵の文章は読めるようになりますよ。
4.書くこと:書くことは読むことの逆
さて、上では読むことについて書きましたが、書くことは読むことの逆です。
まず、かんたんな文章を書く場合について。先ほどカップラーメンの作り方を書いていた私の脳内では、自分が実際にカップラーメンの作り方を見ながらお湯を注いでいる鮮明なイメージが、背景映像のように流れていました。そして、その映像のとおりに書いていくのです。つまり、私にとって「絵で考える」とはそういうことです。
次に、難しい文章を書く場合について。これは文字通りの意味で、パズルゲームそのものです。つまり、実際に色々な「文章のブロック」を書いてみて、それを上手に組み合わせる作業のことです(本書もおそらく同じように書かれています)。
私にとって文章を書くのと絵を描くのは同じようなものです。全体の構図やバランスを整えながら絵を描くのが視覚思考者、プリンタで一気に頭から絵を出力するのが言語思考者といったところでしょうか。
ところで、お気づきの方もいるかもしれませんが、このコメント自体、「1.注意点 2.読むことその1 3.読むことその2……」といった具合に、意味レベルの文章ブロックを組み合わせて構成されています。このように、私にとって書くこととはまさにパズルそのものなのです。
5.じゃあ私にとって都合のいい世界ってどんなの?
まず本は絶滅します。『すごい絵画化』みたいな「本」は出ません。視覚メディア隆盛の社会となり、いわゆる「本」はフローチャートやレジュメといった図的なものに置き換えられます。そもそも言語体系からして全く異なるものになっているはずで、もしかするとテッド・チャンが『あなたの人生の物語』で提示したような、文章が1枚の絵になる文字(表義文字)が主流になっているかもしれません。絵が描けない人間が落伍する社会ですね。しかし、視覚思考者から見た現代社会というのはだいたいこんなもんです。
最強の言語化。すごすぎる。視覚思考で国語を解く方法が秀逸すぎる。培った言語適応が文章から溢れてる。
非常に興味深いですね!同じ人間でも物事の捉え方にこうも違いがあるのかと衝撃を受けました。
この文章は長いながらもよくまとめられていると思いますので、必ずしも視覚思考者は言語化が苦手なわけではなく、そのコツを掴んでいるかどうか、ということなのでしょうね。
私のメインは視覚思考です。
カップラーメン作る話、とても共感しました!国語の文章問題についても、接続語やキーワード、重要文をそれぞれマークして、繋げたり組み合わせながら回答していました。
これに関して、暗記科目のテスト勉強を連想しました。私は、音読をしながらマークをして、視覚と聴覚を意識して暗記していました。写真記憶ができるわけではないけれど、解答中に「この単語この写真があるページにあったな、マークしたところだな、図書館で読んでた箇所だな」と景色や雰囲気まで自然と思い出していました。半写真記憶というか、ビミョーな能力というか、これまでに共感してくれる方はいませんでした。
言語化は難しいですね。時間も頭も燃費が悪いです。
私もビジュアルシンカーのハイパーファンタジアです。
本の絶滅はちょっと寂しいかな。小説を読むのが好きで、自分にとっては映画を観るのと同じくらい頭の中で映像が流れます。どっぷりと本の世界に入るのが好きですし読書は至高の時間です。
コミュニケーション、伝達という意味で絵や映像が用いられるのは便利だと思いますが、言葉や文章から映像を想起して頭の中に世界を描いていく楽しみは無くなってほしくないかも。
こんなに色んなことについて長々と書いてあるのに、それを感じさせないくらい読み易い。
文体から和訳された洋書の影響をめちゃくちゃ感じる。相当読んでる人の文だと思う。
この文章自体が、この方の言う「視覚思考者であることが直接にその人の可能性を狭める訳ではない」という主張の証明にすらなっていると思う。
それとも、「視覚思考者は文章が苦手」という考えそれ自体がステレオタイプ的な思い込みに過ぎないのかな?
「絵が描ける」のと「視覚思考者である」は別物の技術な気がする
器用か不器用かってことですよね。言葉にできても描けない、絵は思い浮かべていても言葉にならない。つまり、思っていても解っていても、出力方法の持ち合わせがない。(ヽ´ω`)
言語に比べて訓練する機会が少ないからしょうがないかもしれませんね。
ビジュアルシンカー云々は、あくまでも"イメージがどのような形で頭の中にあるか"という話ですよね。
とはいえイラストや絵画という形で思考の内容をアウトプットしたいというとき、絵に起こすには相当な訓練や練習が必要ですが、それは社会的に必須のものとはされていない気がします。
言語も絵も、出力をする機会と、そのコツを教える環境が潤沢にあるといいなーと思ったりします
別モノですねえ。
どうせなら水野さんには、四角形じゃない外形の装丁や、真ん中にハート型の穴が空いている装丁を作ってもらって、
同期から「祖父江慎舐めてんじゃねえぞ!」と言われて欲しかったw
別物の技術だけど、視覚思考者の方が支払うコストが低いから絵が上手くなりがちなのかな
コテンラジオでも、世の中言語化だけじゃない、身体知もあるからな、という話をしていた。言語化に優れた方たちが、一方で言語化を相対化する気づきを得ているのが面白い。
突然絵をくれる友達
言葉をしらない森の動物が何かを伝えようとしてる感じがしてとてもかわいいなと思いました
逆に突然喋りかけられる動物たちは「言葉だけ知ってる人間が何かを伝えようとしている」と感じているかもしれないのか…。
動物は表情や動き、もしかしたら匂いとか他の手段を使っているのかも。
@@UU-fr8vs@huRi_sUn
この森、居心地が良すぎる…お二人のように優しく相手に寄り添える生き物ばかりになってくれたらいいのに、と思いました。
なんか個人的なトラウマで、辞める同僚に寄せ書き色紙を書かされる時にとにかく全く言葉が出てこなくて、
どうして他の同僚はこんなにもスラスラと心にも無い(失礼)褒める言葉を書けるのだろうと毎回絶望しメタモン化していたのを思い出した。
激しく共感しました。。。私の場合は部活でしたが、演奏会の度に後輩に手紙を書く必要があったり、先輩への寄せ書きを書いたり、毎回苦痛でしかなかったです。
激しく共感
めちゃくちゃ分かる。卒業アルバムの寄せ書きとか仲良かった友達でもかけなくて悲しかったわ。
言葉にしてくれてありがとう
定型文を知っていてその中から選択するやつ。挨拶の延長。ストック大事。心にもないのではなく、褒めの多い人は短所分析も平素より激しく言わないだけ。つまりは普段から人に興味がないのも不利。オリジナリティや自己実現的に考える場ではないみたいな。
違う、違うんだよ
頭の中に映像があるんだけどそれを出力するソフトウェアがないんだっ!
文字起こしも言語化もできないし
絵も描けないし、動画作成もできないんだ!
絵画をかけるのも言葉にできるもの才能なんだよ。私にはできないんだ。
脳のイメージを出力する研究って進められてたと思うけど、それが実用的になったら、急に逆転する可能性があるのか。
@@すかー-y4e
もしそれが実用化されて一般に普及したら私は高速スライドショーの映像を出力する事になりそうです
わかりみが深い。。。
子供の頃から悩んでた。
これは本当にそうだと思う
例えば友達の顔を思い浮かべるときはほとんどの人が画像で思い出すと思うけど、それを出力できるかは全く別問題ですもんね
どっち思考なのか
と
思考をいい感じにアウトプットできるか
はまた別よね
水野さんと堀元さんの体験を聞いて、同様の体験をしたことを思い出しました。
中学生の夏休みの美術の宿題でした。
父親と二人で二日間、10時間以上かけて作った32色相環。
美術の先生は一瞥の後、
「駄目だよこんないい加減なことやっちゃあ、はい次の人。」
自分自身の足りなさと世界の広さ、多様さをよく自覚させてくれる雑談回シリーズです。
美術の授業がその後の人生で必修でないから、私は助かっているだけなんですね。
もっと他人に対して寛大でありたいと思いました。
ありがとうございます。
おもしろかったです!
私も言語化能力の高い人大好きなので、最近ずっとお2人のPodcast聴いてます
水野さんが「ダメだと言ってもらったほうが本当の自分を見てもらえてる」と仰ったのにすごく共感しました
江國香織先生のフレンチトーストに関するエッセイが、パンケーキになってる上に男女も逆転してて、好きなんちゃうんかい!って思ったけど、よく考えればこれこそ堀元さんが言語思考者である証左かも。
文章読んでも映像で見えてないってことでは。
だから、似たような文章に間違えてる。
キリンの絵のエピソードは、たとえボケだったとしても、むしろそこまで大胆に描いてくれたら、絵描きを志したひとなら「うらやましい」「すごい度胸だ」的な感想を持つと思います。
毎度思う事ですが、よく酒が入ってる状態で明瞭なやりとりが出来るなぁ…と感心してしまいました。流石言語化ヤクザ。
水野さんのキュッとするお話聞いて、凄い会社だと思いました。
同じ見方が得意な人を集めるんじゃなくて、そういう相手のボコをデコで埋めるバランスをとる採用ができるって
凄い人事とおもったんです。
水野さんが見てる世界とクリエイティブ舐めんなが見てる世界の、融合をねらってたんじゃないかとおもって凄いなーって思いました。
自分のことをビジュアルシンカーと思っているけど言語化能力が高い人は惹かれる
言語化能力が高い人の書く文章って、絵を思い浮かべるのが楽っていうか、細部まで想像できるっていうか.........なんというか他の文章とは違うんだよな.........だめだ、ビジュアルシンカーが出ている
文章にも、レトリックや言葉選びで演出する書き手と、情景や動きを描写する説明の取捨選択で演出する書き手がいるように思います。
もしかしたら、文章を書く人にも言語思考者タイプと視覚思考者がいるのかもしれません。
ビジュアルシンカーですけど、映像制作者の方(女性)が作ったアニメーション見て、「この人マジ天使だ」と思ったことありましたw
そう考えると文章で人を好きなるのもなんか納得してしまいました。
大学の卒論を書くのに行き詰まった時、方言地理学が専門の担当教授に言われたのが、
「あなたは書きたいことがしゃべれてるから、書けるよ。」だった。
ずっとこの言葉に励まされてきた。
言語で思考するか、ビジュアルで思考するかなんて今回の話を聞くまで考えたことなかったけど、1番に思い出したのは教授の言葉でした。
考えるときに一旦言語に直してたら、思考スピードが脳内で喋るスピードに依存するから、頭の回転遅くならない?考えるときにまず頭に浮かぶのって概念や立体図形じゃん?って本気で思ってたし、今もそう思ってる
言語思考者ですが、私の場合は頭の中で言語の思考が進んでいく速度は、駅のホームいる時、目の前を横切る通過列車に文字が書いてあって、それをすべて読んでいるといった感じです。ほとんど目にも止まらず、数秒後には以前まで考えていたことは遥か後方にあります。
お互いにモノの考え方のプロセスがこんなに異なるなんて、面白いですね!
@@乱鴉 えー!「喋っている」状態とはまた違うんですね?めちゃくちゃ速いですね…!
夫は言語思考者なのでよくこの話を2人でしていて、毎回分かりあえずに終わりますw
@@乱鴉言語思考者です、すげーわかる!!!!!!!!!!!
私も同じことを感じましたが、「速読」という能力の存在を考えると、あながちそうでもないかもしれないですね。興味深い。
言語思考者は、脳内では言語データを高速処理できるが、それを口にだそうとすると、喋るスピードというボトルネックにつっかえてしまうって感じかなあ
ビジュアルシンカーだからなのかは分かりませんが面接や会議などで自分の感情や思考を言語化しようとする時、涙が出ます。泣きます。
ストレスなのか感情が昂ってなのか分かりませんが、すごく泣きます。
私だけかもしれません。
私の友達が昔同じことを言っていました!!そして、その子は「なんか調べたらそういう人他にもいるっぽい」とも言っていました!(何をどう調べたかまでは、聞いたかもしれませんが覚えてません😅)
その子は、もうそういうもんだと思って割り切ることにしたようです
あまり無理なさらないでくださいね😊
グラフィックデザイナーです。会議などでは泣いたことはありませんが、泣きながら作品を作ると魅力的なものになります。むしろそうでないとあまり良いものになりません(残念ながら)。色々なことを思い起こしながら、音楽も使って感情を昂らせる必要があります。
おそらくですが、自分の場合はしっかりと自分の内面に向き合って真剣に表現しようとすると涙が出てくるのだと思います。場面は違いますが共感しました。ありがとうございます。
ビジュアルシンカーはおそらく関係ないと思います。
「本心を話すと涙が出てくる」と検索すると、仲間がこんなにいたんだって嬉しさとそれぞれの対処法を聞けてちょっと便利です。
私は本心や感情、過去の事を話そうとをしようとすると泣いてしまいます
不安を煽る動画や記事よりもあるあるとして盛り上がってるものを見た方が良い話題な気がします!😊
現在ITサービスを売る営業をしているのですが、最近になってエンドユーザーの方から「資料をテキストやドキュメントではなく動画形式で欲しい」という依頼いただくことがとても増えたという感覚があります。
私自身がゴチゴチの言語思考者なので「テキストの方が動画よりずっと手軽で速く理解できるんじゃないの?」と心のどこかでずっと思っていたのですが、今回の動画を見て蒙が啓かれた心地です。
動画コンテンツが手軽に作りやすく、かつ共有しやすくなったことにより、視覚思考者の方にとってもっとフレンドリーな世の中になると良いなあという気持ちになりました。
視覚思考者の胸がキュッとなる話
就活のグループワーク議論でのことです。
言語化が苦手なのは認識してるため自分を殺してガンガン議論に入り、普段の2倍は話していた。
メンバー間で講評をするフェーズにて、他メンバーには「あのタイミングで議論ベクトル戻せて助かったよ」とかポジティブな評価ばかりだったが、私だけ「省エネして議論に参加するのは良くない」という評価だった。
俺の200%はみんなの50%くらいなのかなと感じた出来事でした。
最後に視覚思考者による偏見あるある。
視覚思考者は議論の役割で時の番人やりがち。
逆パターンもあるんだなあ……
絵を描くときに先に線を引きながら何を描くか考えることがあるけど、
「しゃべりながら考えている」と同じ様なことをしているのかもしれない
と思いました。
偏見極まるけれど、コメントの長文を読んでいると書いた人がどちらに寄りかがわかるように感じて面白かった
視覚寄りの方の長文は綺麗に構造整理して整えた文章、言語寄りの方は整理とかはしていないけど自然とするする読める文章。
前回から今回を読んでさらに面白かったです、優劣をつけられるものではないのインパクト…!
「言語寄りの方は整理とかはしていないけど自然とするする読める文章」←まさにこのラジオ自体がそうですよね! 私含め、ビジュアルシンカーは言語化が苦手なのを自覚してるので、ボロが出ないように一生懸命推敲する(だから綺麗に構造整理されている)のですが、言語思考者は推敲しなくてもなぜか最初から読みやすい文章がリアルタイムで湧き出すんでしょうね… ゆえにこういったラジオも一発録りで成立する。
その答え合わせはインスタの利用具合。
@@to5148あれもビジュアルシンカーよりの人が使うもんだろうしねw
自分はビジュアルシンカーですがラジオやポッドキャストを聴くのは好きです。
普段の日常で脳の視覚分野が酷使されているため、違う脳番地を使うのが息抜きになっているのではと思います。(ただ得意ではないので、1時間以上聴くと疲れる)
読書も好きですが、自分が考えていることを全て言葉に落とし込むことが難しいので、的確に表現している文章を読むと感動します。
この話楽しいですね。
ビジュアルシンカーだと思いますが、考えてる事に近い言葉を毎回一生懸命探すけど結局どれも違うから、話し始めるまでに時間が掛かるし、ずっと思ってもないこと言ってる様な感覚で、あとからあ〜こっちの言い方の方が近かったなとか後悔したりします。
もう30年生きたので、言葉に対しては方向性が伝わればいいくらいには諦めてるけど、日々のコミュニケーションが全て言葉で行われるのはたしかになんだかなという気持ちはあります。周りがビジュアルシンカー多い環境なのでだいぶ生きやすいんだなと改めて思いました。
たまにスーツの人達と話すと噛み合わなくてびっくりしますし、こっちがおかしいみたいな言い方されるのに落ち込んだりしていましたが、そこまで気にしなくてもいいんだなと救われました。
子供の時からずっと図工が嫌いだったのは、思考してるものをそのまま絵や粘土に落とし込めないからだった。
もし絵の描き方を教えてくれる人が近くにいたら違う世界もあったかもしれない。
風呂場くっさぁ…❤
カビだらけ❤
理系知識よわよわ❤
偶然の社会適合者❤
感情がこれでもかと溢れ出てて草
ゆる言語学ラジオリスナーのメスガキじゃん、と思ったけど
それどころじゃなく普通に上2個最悪だった
水野さんが意図ぜず「ざあ〜こ❤」と「くっさぁい❤」のメスガキ黄金コンボをキメていて変態疑惑が補強される事態に
高校生の時は自分のうちにある思いを言葉にした瞬間に何か別のものになってしまっている感覚がすごくあり、言葉以外で表現する方法を探した結果、音楽にたどり着いた感じでした。
でも言語で表現すると表現されたものはそのままの形で伝わるので便利だということは理解しています。
芸大のお友達がキリンを見て良いって言ったのは
首が長くて面白い生き物だよね。という素直な気持ちが伝わったからだと思う。
『絵が下手っぴ』
『装幀を思いつかない』
『視覚思考できない』
それぞれ別の事柄のように感じました。
私も別の事柄ではあるとは思いましたが、完全に隔たれているかと言われるとうーん…って感じですね
視覚思考できない
→自分の視覚イメージを現実に呼び出せない、呼び出さなくても良かった(言語化すれば良いから)、自己表現を言語で完結できた
→絵が下手っぴ、
装幀を思いつかない
みたいな感じで
根源としては同じかなーと思います
視覚思考の素質が極端に低いから絵に関する興味や感性、理解、発想が著しく希薄
→絵が上手くならない
→装丁が思い付かない(必要性も結果も理解できなかった)
装丁の例は勉強不足もあるかもしれませんが「(自分が全く必要としてなかったので)必要だと思いもしなかった」のかなあと
たぶんこれ自体も言語思考者とそうでない人の違いが反映されていて、例えばグレートデンとチワワと柴犬を並べた時に「『イヌ』と呼ばれる動物の特徴を備えたものとして捉える人」と、「全く違う動物が並んでいると目に映る人」がいる。
言語思考者は「情報の処理を視覚的に行う人」という抽象化された属性でビジュアルシンカーを捉えているから、出力がヘタな人も解釈がヘタな人も入力がヘタな人もおしなべて「ビジュアルシンクがヘタな人」としてまとめている。(個人の感想です)
私の友人でバンドやっている人間は制作物全般に独自の拘りを持っていたから、そうした人もいるって話かなぁと。得意分野は異なれど、クリエイティブ全般得意な方もいるんで。。なんとも。
「伝えたい想いは溢れているのに、伝え方が分からなくて、今でも言葉を探してるんだ」っていうKing GnuのTeenager Foreverが浮かぶのはクリシェですかね
ビジュアルシンカーは「見りゃわかるじゃん」というのがあります❤
言語思考、図画思考、絵画思考はそれぞれ、
情報の一次元化、二次元化、三次元化なのかな?と考えました。
言語は一方向的で情報量も軽いので喋りやすいし、
絵画になると多角的で情報量も重いので喋りづらい。
そして、次元を飛び越えるときにはエンコードのような作業が必要なようです。
絵画から図にするエンコードを抽象化と呼んで、
絵画や図から言語にするのを言語化と呼んでいる気がします。
逆に、言語から図にするのは構造化と呼んでいて、
言語や図を絵画にするのは美術と呼んでいるのかな。とか思いました。
エンコードには様々なスキルがエンコードソフトとして必要になっていて、
それが言語化や抽象化・構造化のスキルだったり、
あるいは美術にするための様々な技法だったりするのかもしれません。
ほんとに驚きました。
正に、自分はこの世界や、考えている事などの本質が先にあり、それ表現するには言語は不完全なものだと考えていました。
言語思考者にとっては言語こそが本質で完璧なんですね…根本から、理解とか思考のアプローチが違う、衝撃です
34:34 頭のいい人は言語化が得意って言説が嫌いなのまじでわかる。ある側面を取り出して、頭いいとか悪いとかいうのだいたい安直。
図のタイプの人です。言語は単線的に物事を並べないといけない所が難しいです。図は2軸、面として構造を表現できるので楽です。
でも以前どこかの動画でチラッと水野さんが、言語は実は二次元だっていう面白い話がある〜って言ってた気がして、そのトピックがいつか配信られるかな〜と楽しみにしてます。
別のコメントにて、「言語は一次元、図は二次元、絵画は三次元フォーマット」という説を見ました。2人とも似た事をおっしゃっており興味深い。
この場合、二次元説における言語と二次元図の違いはどう説明されるのか含めて、配信されてほしいですね。
めちゃくちゃ面白ーい。
思い付きですが、日本語って漢字があることでビジュアル寄りの人にも優しくなってる言語な気がしました。
英語だとぱっと見でわかりづらいくて苦手…だと感じます。
確かに。ロゴとかならわかるんですけど同じような文字列が延々と続くのでえげつないストレスを感じますね。英語の読みものは焼き払いたいです。しゃべってくれた方が楽です。
@@moon3014 焼き払いたいw 全面同意します!
なるほどー!私もビジュアルシンカー寄りだと思うけど、たしかに英語より漢字のほうが好きだ!
元が象形文字から始まってるからなるほどと思いました。私も漢字の方が好きです。英語は文字の密度が一定過ぎて読みづらい。どこを見ても同じ密度、同じ濃さ。それに対し漢字かな交じり文は漢字が濃く、てにをはや送り仮名が薄いので要点が画像的につかみやすいです。 ・・・というかそもそも、文を「濃い・薄い」という視点でとらえてる時点でビジュアルシンカーの証かもしれない。
@@アンドロイダー-o8v 確かにっ!私も文字を「濃い薄い」で判断してるところあります!
お二人の苦い記憶を聞いて、自分も美術の時間に大真面目に描いて順調だと思っていたら、好きな人から「これで大丈夫なの..?」と言われた事を思い出しました。
堀元さんのレタリングの話しは我々映像思考者が血の滲む努力で絞り出した読書感想文に「もう少し詳しく書きましょう!」と書かれるに似てますね( ≧∀≦)ノ。
比較的「視覚思考者」から言わせてもらえると、「言語思考力と視覚思考力が二律背反の関係である。」という命題は偽であると思われます。
両方高い人も低い人もいる。学校教育が出来ない=視覚思考者という方程式が一般だとは考えるひとが居そう。
もしこのコメントが意味不明だったならそれは私が言語思考力が低いのだと思います。
りんごがあります って言われたら文章になってる
思い出話されたら映像を頭なの中で作って聞いてる
内容によって比率が変わってる感覚はあるね
それは多分ふたりも理解していて、話を分かりやすくするために言語vs視覚の構図を作っているのだと思います
(おふたりも度々、完全に決められるものではないとか、グラデーションになってるとか、そんな感じのことは一応言っている)
「便宜上二項対立の形で話す」ってやつですね
@@TonyStark_85グラデーションではあるけど、人によって幅が違うって捉えれば二律背反でも整合性が取れそうじゃない?
みんなグラデーションの中にある点じゃなくて、幅を持っている。
訓練で拡張することもできる。
この視覚思考か言語思考かのテストで得られる結果は点で、その人の思考パターンの中央値を表している。
学校教育で成果を上げられなかった人は視覚思考の方に寄ってるだけかもしれないし、視覚思考と言語思考の中間にいるけど、どっちの能力も訓練で伸ばしてこなかった人 の可能性もある。
どちらかと言うと、言葉で考えるか、それ以外で考えるか の方がしっくりくる。
別に言葉の対局に視覚を置いても間違ってはないし、十分でもない。
自分が当たり前にできることは他人も当たり前にできると思っちゃうから「才能」って怖いよね。
小学校の時、跳び箱が飛べなくて放課後に練習している子に「こうやればできるよ」って見せて、「本気でやってる?」って言った奴のグロさがいまだに忘れられない。
今よりもっと音痴だった中1のころ、学校で使う曲の転調が何度聞いても分からなくて聞き直してたら、友達に「それは分かる気がないからだよ」と言われたのを思い出しました…。😢苦い思い出。
言語思考者で辛かったことを聞いていて英検の時の「画像を見て英語で文章を作りなさいという」最悪な問題というトラウマを思い出した。母語だろうが関係なくそもそも画像から情報を読み取れない。
歌詞よりも音の感覚やリズムが心地いい曲に惹かれます
初発の動機はそこなんですが、そこから歌詞を調べると結構ハマったりしますね
喋りながら考えるのと、考えながら喋るのはちょっと違いますね
考えながら喋るタイプなので、つっかえつっかえでたまに沈黙の時間があります
逆に頭で連想していることと結びつくとブワッと言葉が出てきますね
ゆる言語学ラジオ、初期の数km歩いたら言語が違う」の頃から見てたけど今回が1番共感したし心が抉られた
美術のレタリングの授業で全然作業進まなくて、自分はクリエイティブ向いてないんだって気づいた体験を思い出しました
絵じゃないけど、どんな写真を撮るかで大体どんな人かわかる気がする。
こっちの方が、どんなことに興味があって、どんなことに心を動かされる人か直感的に理解できる気がする。
ツイッターで出会った人に本気で惚れ込んだことがあります 文章の書き方やロジックの進め方に親近感を覚え相手のパーソナリティにまで興味を持ち、東京と京都の遠距離だったのですが数回会った上で私の方から告白しました その方とは会うたびに終電ギリギリまでひたすら会話を続けることができます 考え方や指向性に強く共感できるのであれば相手の容姿や所作がどうあったとしても取るに足らないことだと思っていたのですが、実際会ってみてもその考えは揺らがなかったです そういう感覚で生きている人間は極少数だという自覚があったので、堀元さんの話を聞いて堪らなくうれしくなりました
その感覚とても分かります
ネットの投稿を読んで、好きになりましたし、会うことは叶いませんでしたが、文字のやり取りを重ねて一定の人間性は感じとれましたし、あとは取るに足らないこと…は本当にその通りです
考えを言葉で説明することは全て本当らしい大嘘をついてるみたいな感覚で、小一から読書感想が書けなかったけど
絵はかけたからそういうことなのか……
「言葉で説明することは全て本当らしい大嘘をついてるみたいな感覚」この感覚わかる気がする。
業務に必要とかだったり、大した関係じゃなければ気にならないけど、相手と関係が深くなるほど、電話とか文字のやり取りだと空虚に感じてしまう。
じっさい、言語化ってのは虚構化、虚飾化の作業ですからね、本質的に。
なのに心が動かされたかどうかってので真実性を誤魔化されてしまう人は危ういと思いますよ。
今回の話を聞いて腑に落ちたことがあります。このチャンネルのサムネを見たときと内容を耳で聞いたときに受ける感覚のギャップが大きかったのですが、それはそれぞれ違う思考で情報を受け入れていたからだということが分かりました。私個人的にはポップすぎるサムネからは二人の会話のおもしろさが伝わらなくて損してるなと感じます。逆にサムネにつられてついクリックした人は本当に楽しめているのかなと心配です
8:07 「言語思考者が~」というより、「言語思考優位過ぎるひとは~」な気がする。逆も同じじゃないかな。
グラデーションだとすると正規分布になって、一定以上偏ってるひとはそりゃ外れ値と認識されやすい、みたいな。
友達に似顔絵を描いて見せたら「え。すご。ウケるー」って言われた視覚思考者です。喜びつつも「ウケる」って言葉で情報量薄められた経験があり、いまいち伝わっていなかったのはこういうことかと思いました。
堀元さんと同じく、中学の成績ほぼオールAなのに、数学の図形の時だけCだった言語思考タイプのオバハンですが、幼かった娘が言い淀んでいるたびに、「ちゃんと言葉で言ってごらん!」と叱ってしまった…
彼女、中学に上がって数学にxやyが出てきた途端、全然わかんなくなったらしいです。
物心ついた頃からお絵描き得意で、現在は漫画家さんとして自立してくれたからよかったけど😅
これ聞いて絵日記という宿題の素晴らしさを実感した一方で、徐々に文章だけになっていったことに言語優位の社会を感じたわ。
うわあめっちゃ共感します
絵日記は、両方の処理能力を求められるから、上手く使えれば、自分の能力に関する気づきへのきっかけになりそうですね
その一方で、大量の物事を処理できるように社会をシステム化していくほど、受験や資格に代表されるように、言語優位の社会になっていってしまうのはどうにもならなそうですね…
「無題」というアート作品を見て、タイトルをつけないなんて不完全な。。と思っていましたが、つける必要がないということか!むしろ、タイトルをつけることにより不完全になるということかー。
非常に面白いテーマだと思う一方、「言語思考か視覚思考か」という0か1かのように考えてしまうのは危険だと思う
例えば言語思考でも「写真で見るより言葉で説明された方が人の顔をイメージしやすい」なんて人は居ないだろうし、視覚思考でも「キャプションなしで絵を見るだけで作者の思いが100%正確に伝わる」なんて人もまず居ないと思う
これの一個前の動画見ましたか?
@@pyxin6789 はい、見ました
11:10 「音楽って人を殴れるんだ」からの「痛感した」は対応取れてて気持ちいい
手首が臭い人と風呂場が臭い人が送るゆる言語学ラジオ
風通しの悪いふたり
ゆる臭い学ラジオ
@@Karakara104
センスがない😂
堀元さんが水野家に泊まり込みで作業したらおしまい
@@山田おこじょ-j1i うるさいっ
美術教育に関心を持つ人間として、非常に興味深く聴かせていただきました。言語化・ビジュアル化の得意不得意に決定的な個人差があるとして、それでも一人一人にクリエイティブな活躍の場が与えられる授業があれば良いなぁと…
ビジュアルシンカーの自覚あります。授業とか会議のノートを取っていると、図や絵を描いてしまい、ラクガキしている様に見えることが💦 言語化がお得意なお二人のラジオは、いつも言葉にできないモヤモヤをすっきり言葉にしてくださり、これこれ、私が思ってたこと!!ってなります。いつもありがとうございます。
「言語化能力に興奮する」めちゃくちゃに共感しかないです!!!小説で物語の内容以前に「文体が好き」という作品が一定数あるのですが、友人に全く理解されなかったことがあります
実は以前のオノマトペ回が役に立ってます。言語化が難しく伝えづらい時に、せめて適切なオノマトペを使うよう心がけるようにしてて、絵を使う以外のコミュニケーションツールとして活用してます。
サムネよく見たら「著者と付き合いたい」だったわ
「若者と付き合いたい」に見えてた
同じく✋( ˇωˇ )
同じく✋( ˘ω˘ )
さらに同じく✋(^ω^)
同じく✋(╹◡╹)
違く🖐️(╹◡╹)
サムネあんま見てなかった
楽しみに待ってました
ぼくも!
奇遇ですね、僕もです😊
たのまち
若者と付き合いたい!に空目しておっさんさぁ…となってしまった
著者でよかった〜😌
よくないんだよなぁ
このコメント見るまでずっと若者と付き合いたいだと思ってた…
視覚型だけど文章に惚れる、この人の書く文章が好きというのはある
いわゆる作家買いタイプなんですが、作家そのものに興味はあまり持たないかも
自分にとって言語化は考えを枠にはめるものという感覚があります
伝達ツールとしては言葉が一番相互間のブレが少なくて使いやすい
逆に絵やイメージは人によって読み取るものが違いすぎて相互理解のためのツールとしては使いにくい
これは生まれた時からずっと言葉を扱うための教育を受けてきた結果かもしれません
漫画にも読み方のセオリーがあってそれを知らないとちゃんと読めないと聞いたことがありますが
それと同じように学校教育が言葉ではなく絵やイメージの読み方を中心だったら世界の見え方が変わっているかもしれませんね
ちなみにこの長文を書くのに数十分かかっていますが言語化する前の状態は数秒です
しかもかなり思い浮かんだ内容を削っています
ただ、この閃きともいえる数秒は絵でもイメージでもないもっと漠然としたものです
それを絵やイメージ、図にするのも同じか、それ以上に時間がかかりそう
動物がそうだとしたら!で「うわあああすごいいい」ってなりました。水野さんのこんなこと最近思うんだシリーズ楽しいです。
堀元さんの奥さんの一万字を読んでみたくなる回ですね
おめでとうございます
堀元さんと同じく、私もとある作家さんに恋をしていた時期がありました。
懐かしさから今でもその方の作品を手に取ることがあり、その麗筆な文章に、あの頃に見た春の記憶まで甦ってしまいます。
周りの友人からの理解は得られず、だから、堀元さんのお話を聞いて嬉しく思いました。なんだか救われた気分です。
絵を交換しあう…でふと思ったのですが
歌会とか句会とかってまさに言語を使ったそれですね!
友達に絵を見せた時に「私にはわからない」と言われてめっちゃショックだったのですが
今回の動画で謎が解けました。マジで何もわからないとは、、🧐勉強になります!
今日美術館に行ってきました。
それぞれの油絵や彫刻を見て、その作者は細かなところまでこだわる几帳面なタイプなんだなとか抽象的に捉える人なんだなということを自然と感じ取っていて、自分は視覚思考者なのかなとふと思いました。
言語思考者は正解を知りたがる傾向にあると感じるのは、言語思考優位の現代教育の弊害かな。
マジョリティが正義になる世の中だから、視覚思考者が理解されにくいのも頷ける。
05:15 私はビジュアルシンカーなんですが、文章読んで絵が浮かんで、それで好きってなる事あり〼
このビジュアルシンカーに関する回
神回だな
幼い頃から本が好きで絵も好きで、絵も得意だったし文章書くのも好きだった自分はどっちなんだろう。
ただハッキリとわかったのは、歴史小説読んでるところを覗き込んできて「うわ、字ばっかり!」と拒否反応を示していた全く本を読まない兄はビジュアルシンカーだったんだな、ということ。兄はカーデザイナーになりました。
視覚思考者がいるなら、嗅覚思考者や味覚思考者、触覚思考者もきっといるんだろうなぁ。
言語化と絵が下手な自分はきっと後者3種のどれかなんだと信じたい。
音楽家やダンサーの方は、聴覚思考者、動作?思考者ですね
グラデーションもあるでしょうから、本当に捉え方は人の数だけありそうです
自分は典型的なビジュアルシンカーだと認識していますが、ビジュアルと言っても平面ではなく、五感プラス第六感のよなものも含めた身体感覚優位の人間だと思っています。
22:57 『なつめさんち』の配信ってそんな感じだなって思いました!絵でのやり取りが楽しすぎる😂ゆる言語学ラジオの対局かもしれないチャンネル😮どっちを見てても楽しいです✨