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台湾人ですが、平安時代の歴史の流れや登場人物の背景についてよくわからないので、大河ドラマを見て疑問だらけです。いつもレキショックさんのチャンネルを見て勉強しています。今日もいい内容で大変勉強になりました。ありがとうございます😊😊😊
紫式部が実資にもともと好意的だった理由は、何となく推察できます。行事や有職故実に詳しい実資はその学識の高さから学者のように感じられ、彼女の父や家風にとっては馴染み深い感じがあったのではないでしょうか。他の少々おちゃらけた貴族らと異なり、一本芯の通ったような気質も感じていたのかもしれません。彰子陣営にとっては、この二人の親和性の高さが幸いしましたね。彰子との初対面で昔一条帝に蔵人頭として仕えていたことを思い出し急に感涙する実資も、彼らしくないけれど何だか人間臭くて演技ではない真心そのものが感じられるので、そんな思いも彰子に伝わったように感じられます。紫式部を通じて彰子サイドの実情や公にはされない内実などを知れたことで、実資には非常に助けとなり”小右記”があれほど詳しい一次資料となったわけで、後世の私達から見れば紫式部に大いに感謝しなければなりません。”権記”が諸事情を慮って書かなかったこと、”御堂関白記”が政治的理由や後世に伝えたくないため敢えて記さなかった点をも、実資が忖度なしに書き残したことで、歴史上大いに意義深くなっているのですから。
そういえば藤原宣孝は最初まひろに実資を進めてたな…
音量調整をミスって少し音声が小さめになっています。申し訳ありません。
伝える情報の取捨選択って難しいよなぁ。
実資さんは私の今住んでる所に荘園をお持ちだったようで、『小右記』に地名が書き残されているようで、木曽義仲様由来の地名命名説が伝説だったとわかりました!大河でこんなに活躍されるとは、今年初めて知った方なのに役者さんの上手さと相まって実資様推しになりました!紫式部を介して結構色々あったのですね!日記の力おそるべしです。実資様動画色々とありがとうございます🎉
ドラマでも次週で 彰子は実資と協調して道長に意見する様なので、そこに式部が介在するのでしょう。
倉本先生『小右記』を現代語訳で完訳した偉業を地元の図書館が全館揃えてあったので、8巻辺りの紫式部とのやり取り辺りの所が面白いかな?!と借りて読んだのですが、素人には😅完読出来ず😢このような動画で、わかりました😂レキショック様すごい参考文献!読みこなしておられる!時間があれば読んでみたいのありました😂
これは、かなり珍しい記述ですね。紫式部が彰子の取次ぎをしていたという話は聞きますが、実資までが、その相手とは相当重要な事柄まで、取り次いでいたんですね。
漫画の吹き出し💬が良い‼️
いつもながら深い内容ですね。ドラマでは、各人物が今どこに住んでいるのかがよく分からないのですが、一条天皇の死の直前は彰子、敦成は一条院におり、一条天皇死後は彰子は琵琶殿、敦成は内裏。敦成即位後は彰子は内裏に移ったということですね。ドラマの中で偏つぎをしていたのは、たまたま敦成が琵琶殿に遊びに来ていたという設定ですね。
小右記小野宮流右大臣日記
藤式部が970年生まれなら14歳上ですね。宣孝といい、オジサマが気が合う感じなんでしょうかねー。
父・為時の兄の孫ですからね。わざと、分かりやすく、貧乏くさく描かれていますが、実際は、文人・歌人・村上天皇の中で親しく交流していた親王さまも通われる、お家柄です。堤中納言邸に住み、母方も財を成して歌人・文人と交流し合うお家柄。コチラは、現代までお寺が残していますし。宣孝は、家系にしては世渡りが良いようです😊
実際の道長と紫式部の関係を宇宙世紀ものっぽくすると 道長「よくも彰子をこうも育ててくれた‼️」 紫式部「左大臣様、皇太后様の御前にございます‼️」
BGMをなくするか、小さくしてください。
鼻くそが、なあ、すご❤いらなあ
台湾人ですが、平安時代の歴史の流れや登場人物の背景についてよくわからないので、大河ドラマを見て疑問だらけです。
いつもレキショックさんのチャンネルを見て勉強しています。
今日もいい内容で大変勉強になりました。ありがとうございます😊😊😊
紫式部が実資にもともと好意的だった理由は、何となく推察できます。行事や有職故実に詳しい実資はその学識の高さから学者のように感じられ、彼女の父や家風にとっては馴染み深い感じがあったのではないでしょうか。他の少々おちゃらけた貴族らと異なり、一本芯の通ったような気質も感じていたのかもしれません。彰子陣営にとっては、この二人の親和性の高さが幸いしましたね。彰子との初対面で昔一条帝に蔵人頭として仕えていたことを思い出し急に感涙する実資も、彼らしくないけれど何だか人間臭くて演技ではない真心そのものが感じられるので、そんな思いも彰子に伝わったように感じられます。紫式部を通じて彰子サイドの実情や公にはされない内実などを知れたことで、実資には非常に助けとなり”小右記”があれほど詳しい一次資料となったわけで、後世の私達から見れば紫式部に大いに感謝しなければなりません。”権記”が諸事情を慮って書かなかったこと、”御堂関白記”が政治的理由や後世に伝えたくないため敢えて記さなかった点をも、実資が忖度なしに書き残したことで、歴史上大いに意義深くなっているのですから。
そういえば藤原宣孝は最初まひろに実資を進めてたな…
音量調整をミスって少し音声が小さめになっています。
申し訳ありません。
伝える情報の取捨選択って難しいよなぁ。
実資さんは私の今住んでる所に荘園をお持ちだったようで、『小右記』に地名が書き残されているようで、木曽義仲様由来の地名命名説が伝説だったとわかりました!大河でこんなに活躍されるとは、今年初めて知った方なのに役者さんの上手さと相まって実資様推しになりました!紫式部を介して結構色々あったのですね!日記の力おそるべしです。実資様動画色々とありがとうございます🎉
ドラマでも次週で 彰子は実資と協調して道長に意見する様なので、そこに式部が介在するのでしょう。
倉本先生『小右記』を現代語訳で完訳した偉業を地元の図書館が全館揃えてあったので、8巻辺りの紫式部とのやり取り辺りの所が面白いかな?!と借りて読んだのですが、素人には😅完読出来ず😢このような動画で、わかりました😂レキショック様すごい参考文献!読みこなしておられる!時間があれば読んでみたいのありました😂
これは、かなり珍しい記述ですね。紫式部が彰子の取次ぎをしていたという話は聞きますが、実資までが、その相手とは相当重要な事柄まで、取り次いでいたんですね。
漫画の吹き出し💬が良い‼️
いつもながら深い内容ですね。
ドラマでは、各人物が今どこに住んでいるのかがよく分からないのですが、一条天皇の死の直前は彰子、敦成は一条院におり、一条天皇死後は彰子は琵琶殿、敦成は内裏。敦成即位後は彰子は内裏に移ったということですね。
ドラマの中で偏つぎをしていたのは、たまたま敦成が琵琶殿に遊びに来ていたという設定ですね。
小右記
小野宮流右大臣日記
藤式部が970年生まれなら14歳上ですね。宣孝といい、オジサマが気が合う感じなんでしょうかねー。
父・為時の兄の孫ですからね。わざと、分かりやすく、貧乏くさく描かれていますが、実際は、文人・歌人・村上天皇の中で親しく交流していた親王さまも通われる、お家柄です。堤中納言邸に住み、母方も財を成して歌人・文人と交流し合うお家柄。コチラは、現代までお寺が残していますし。宣孝は、家系にしては世渡りが良いようです😊
実際の道長と紫式部の関係を宇宙世紀ものっぽくすると 道長「よくも彰子をこうも育ててくれた‼️」 紫式部「左大臣様、皇太后様の御前にございます‼️」
BGMをなくするか、小さくしてください。
鼻くそが、なあ、すご❤いらなあ