昭和のSLダイジェスト版【後補機付き編】
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- Опубликовано: 17 янв 2025
- 昭和40年代、SLブームの中、全国で活躍していた現役最後の蒸気機関車の記録から、後補機付き運転で活躍するSLをダイジェスト版にしてお届けします。
① 花輪線 68622牽引~貨物列車~逆8620牽引 赤坂田⇒龍ヶ森
花輪線は、東北本線盛岡と奥羽本線大館を結ぶローカル線です。
龍ヶ森信号所をサミットに両方向より33.3パーミルの急勾配が続き、牽引定数の多い貨物列車には前部か後部に補機が付き、中には三重連の運行もあり1970年代のSLブーム時は、全国から大勢のSLファンが訪れ「龍ヶ森銀座」とも呼ばれていました。
ここでは68622が牽引する貨物列車に、後部に逆向きに8620の補機が付き、赤坂田より龍ヶ森に33.3パーミルの急勾配をよじ登ってきました。
② 関西本線 関⇒加太 D51759牽引~貨物列車~D51後部補機付き
関西本線は、名古屋駅から亀山駅、奈良駅を経て、大阪市内のJR難波駅を結ぶ全長174.9km主要幹線です。
この関西本線にはD51やC58が活躍していましたが、昭和48年に無煙化され、その後昭和54年には名古屋駅~八田駅間が、昭和57年に八田駅~亀山駅間が電化。
昭和63年には加茂駅~木津駅間電化され、亀山駅~加茂駅間が非電化で、JR化後は亀山駅~木津駅間の貨物営業も廃止され、現在、亀山駅~加茂駅間は気動車によるワンマン運転が行われています。
関西本線の亀山駅から柘植駅間には、有名な加太越えと言う峠がありました。
峠のサミットには加太トンネルがあり、このトンネルを境に、三重県と奈良県の県境になっています。
加太駅からサミットの加太トンネルには、連続25‰の上り勾配が続く難所でした。
この峠を越える貨物列車には、後部に補機を付けて走る列車もあり、SLファンには大変な有名でした。
③ 関西本線 加太駅⇒加太の大築堤⇒中在家信 D51940牽引~貨物列車~D51後補機付
関西本線の加太駅~柘植駅間は峠を越える区間で、一年を通して、天候の移り変わりが激しく、冬場は雪も降り積雪もありますが、春の時期は雨の降る日が多く、この日の撮影もあいにくの雨模様です。
雨の日の撮影は大変ですが、気温や湿度が低く、SLから排出される煙や、ブラスト音は迫力満点です。
ここでは、加太駅~柘植駅間の板屋付近より、500m程進んだ、加太の大築堤手前の直線区間で撮影しています。。
この日、午後の下り貨物列車は、定数一杯の貨車を、D51が後部補機を従え、満身の走りを見せてくれました。
④ 関西本線 加太駅⇒加太の大築堤⇒中在家信 D51759牽引~貨物列車~D51後補機付 加太築堤
関西本線を走るD51のハイライトは、やはり加太駅と柘植駅間にある加太の大築堤です。
ここの撮影地ポイントは多くの撮り鉄ファンが訪れ、沢山の絶景写真が公表されています。
この築堤には、加太駅前から、線路に並行して走る国道25号線を、柘植方面に3.5Km進んだ地点です。
この先国道25号線は、加太の築堤の下を潜り、線路から外れて峠を越え、柘植駅の手前で再び関西本線と並走します。
この築堤の柘植寄りにお立ち台があり、スケールの大きい写真が撮れる所として、撮り鉄ファンの皆さんは、色んなアングルでの撮影を試みられていました。
こちらもあいにくの雨の中、D51が後部補機を従え、大築堤の晴れ舞台を2台のD51が驀進します。
⑤ 関西本線 中在家信号所 D51253~下り貨物列車~D51後部補機付き・D51単機牽引 上り貨物列車 交換風景
関西本線加太駅~柘植駅間は8.9Kmあり、そしてサミットの加太トンネルを境に、両方向から連続25‰の勾配が続きます。
駅間の距離も長く、列車の本数も増えた昭和3年、ほぼ中間地点に中在家信号場が開設されました。
この信号所は25‰の勾配の途中にあり、列車交換のため、どちらかの列車が、引き上げ線に入った後、再出発する際に、勾配のない平坦線を作った、スイッチバック構造になりました。
この中在家信号所は列車交換のための信号所で、乗客扱いをしないのですが、SLブームの前は、下車することが可能でした。
ここでは、下り補機付貨物列車が先に信号所に到着。上り貨物列車の到着を待つため、信号所の手前で停車。
柘植からの上り貨物列車が遅れて到着。スイッチバックの上り引き上げ線に進入します。
その後、信号待ちをしていた、下りD51補機付貨物列車は、汽笛も高らかに、25‰勾配の途中から発車。
信号所の通過線を渡り、この先の加太トンネルに突進します。
後部補機のD51が、かなりの力で押し上げているのが、煙の色で感じられます。
既にこの時代は関西本線に並行して、名阪国道が開通。
この区間の名阪国道も急な勾配が続くため、静かな山並みに、車やトラックのエンジンを響き渡ります。
⑥ 小浜線 東舞鶴⇒松尾寺 本務機C58365~後補機C1251 貨物列車
小浜線の東舞鶴駅~松尾寺駅間は、線内で一番駅間距離が長く6.1km離れています。
また松尾寺駅の先に県境の峠があり、東舞鶴駅から峠までは連続のぼり勾配が続きます。
ここでは西舞鶴から敦賀に向かうC58牽引貨物列車と、松尾寺から日本板硝子舞鶴工場専用線に入る貨物列車を、C12が後補機となって後押しをします。
松尾寺からは前寄りの貨物を、先頭のC58が牽引して敦賀まで参ります。
後寄りの貨物は、日本板硝子舞鶴工場専用線にC12がバック運転で入ります。
⑦ 播但線 福崎駅 C11177牽引 1627回送列車 C11後部補機付き
播但線にはC57とC11が運用されていました。
C57は播但線の全線を走っていましたが、C11は姫路駅~寺前駅間の平坦区間を担当していました。
C11は姫路駅方面に向かう上り列車が8本、寺前駅方面に向かう下り列車は5本運転されていました。
上り列車が多いのは、姫路駅に向かう朝の通勤輸送の為で、下りは回送列車が別にありました。
ここでは、下りの1627列車は、客車10両の前後にC11を連結して、寺前駅までの回送列車でした。
そして、寺前駅で客車を5両に分割、2台のC11が別々の通勤列車となり、姫路駅まで折り返す運用でした。
⑧ 伯備線 布原信号所⇒備中神代 D51256牽引~下り貨物列車~逆D51665後補機
伯備線を走るD51の牽引定数は330tまでで、幹線でもある伯備線の貨物列車は、牽引定数は620tにもなる長い編成の貨物列車があり、前部又は後部に補機が付きました。
岡山操車場から新見駅まで、D51前重連でやってきた貨物列車は、新見駅からは逆向きで後部に連結、逆後補機として生山駅まで補機仕様にあたります。
これは、生山駅に転車台がなく、再び上り貨物列車の補機仕業に就くためです。
新見への戻りの仕業では、米子からやってくるD51の、前補機または次位補機となりました。
布原信号所は、深い山の谷間にある信号所で、信号所を見渡せる県道が、山の中腹を縦走しています。
その県道からと、沿線からの映像を取り混ぜて、ご覧いただきます。
現在は県道沿いに草木が茂り、伯備線を見下ろすことが出来なくなりました。
⑨ 筑豊本線 筑前山家⇒冷水峠 D511155~逆向きD6032後部補機付き 上り旅客列車
今度は冷水峠の筑前山家側で、筑前山家駅から徒歩で約4Kmの距離でした。
こちらも冷水峠の有名な撮影地ポイントで、R200-300の急カーブや25‰の急勾配が続きます。
山肌に薄っすらと陽があたり始めた早朝。
新聞配達員さんのバイク音が響き渡る中、D511155が牽く上り若松方面の旅客列車がやってきます。
後部には下り補機仕様のD60が、回送で逆向きに連結され峠を登ってきました。
R200-300の急カーブが続くので、車輪とレールの間で、甲高いきしみ音が聞かれます。
まだ気温が低いのか、真っ白な煙と蒸気を残し、汽笛とともに冷水峠に吸い込まれて行きました。
⑩ 田川線 内田信号所⇒油須原駅 前9600~後9600補機付 石灰石専用列車
田川線は、筑豊炭田で採掘された石炭を、苅田港へ運搬するために、敷設された路線です。
黒ダイヤと言われていた石炭は、昭和48年に露天掘りの貝島炭坑を除いて全て消え、高度成長の中、時代の流れとともに、白いダイヤと言われた、石灰石に注目が集まり始めました。
後藤寺線船尾駅近くの、旧日本セメント香春工場では、セメントの原料となる、石灰石を採掘、平成元年まで後藤寺から苅田港まで、石灰石専用列車での鉄道輸送が行われました。
内田信号所側から油須原に向け、10.0‰(パーミル)の長い上り勾配が続きます。
上りの石灰石専用列車は、石灰石を満載するので、牽引定数が多く、後藤寺から補機が付きました。
凄い迫力
悲鳴にも聞こえる排煙音を出しながら峠を上る。涙が出そうになります。
私がSLの撮り鉄にはまったのは、この関西本線加太越えからでした。本当に懐かしいです。
5:23 辺りに福知山?福井局の物適貨車トキ23000 原木専用車が映っていて驚きました、ちょうどTOMIXのトキ22000を改造して制作しようとした矢先でした
SLの列車…古き良き昭和の風景…煙で乗務員やお客さん、沿線住民の方々は大変だったでしょうが、これが通常だった…のんびりしていた頃が懐かしい…
機関車と機関車が
前引き 後押し
何だ坂 こんな坂
何だ坂 こんな坂
福岡県民で苅田町在住です、田川線の石灰石貨物の貨車はかっての石炭貨車の九州用セラ形と北海道用のセキ形の流用ですね、平成元年この路線はJRから第三セクターの平成筑豊鉄道人転換しました、苅田港線はその後コンテナ貨物列車が走っていましたが10年以上前廃線となりましたそして今は線路は剥がされましたが跡地はそのままです。
花輪線も今季から新型気動車に為ってSLは遠い思い出
昔は貨物の鉄道輸送が主役の時代で貨車の連結数も、ローカル線でも多い良い時代でした。
カムバック~貨物列車。
混合列車もよろしく。
伯備線は三重連が有名ですので後補機を付けた貨物列車が走ってるのは知りませんでした。
いまの百済ー名古屋ターミナルの高速貨物を関西線加太峠越えにdd51使って走らせたら沿線はカオスになるやろなー
愛知のdd51が重連でコキ10両くらい引っ張ってくれたら感無量です。