【実践】Windows3.1発売31周年!実際に動かして楽しみたい!?
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- Опубликовано: 11 июл 2024
- Windows3.1は1993年5月18日に発売が開始されました。
発売31年を記念して実際にWindows3.1を操作しながら当時を振り返ります。
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▼目次
00:00 イントロ
00:15 Windows起動
00:58 メイン
02:03 コントロールパネル
08:41 アクセサリー
10:58 ゲーム
12:27 アプリケーション
#パソコン #Windows3.1 #後藤PC塾 - Хобби
懐かしすぎる😂
ありがとうございます。
懐かしい😂
アプリが固まるとOSまで固まって再起動したなぁ
懐かしいです。
私はWindows2.11が最初でしたが、3.1がでた時にはNHKもニュース発表しましたからね。
フロッピーディスク3枚で起動させてました。確か3.1からはフロッピーディスクも10枚ぐらい必要だったとウル覚えがあります。良い思い出です。
3.1はインストール面倒でした・・・。
そんなにありましたっけ?
私は、2HD 1.44 でしたが
枚数は覚えてませんね・・・
懐かしいですね〜 私の初めてのパソコンは今でも持ってますが、NECーPC8001しばらく使っていましたが、その内Windows3,1を使用95が出て来た時には感動しました。楽しい時代でした〜
私もPC-8001とディスプレイをお年玉で中古を買い、友達とバスで持って帰りましたね・・・。
機能が少ないから、ほんと画面がシンプルイズベストですね
当初はDOSアプリ使う時と切り替えて使っていて、Win3.1のみで完結していなかったなぁ
あと今でもATOK使いです!2017版です!最新版は年間契約版のみになりました。。。
私はAtok for 一太郎2019でした。
サブスクは嫌なので今後は悩みます・・・。
懐かしいもの ありがとうございました^^ ついフロッピーでインストールしていたのを思い出しました。
コメントありがとうございました。
懐かしいですね~ DOSVでロータス123、データベースソフトは日本製の
「桐」を苦労しながら使っていました。
・OSとエクセル等のインストール用のフロッピーディスクを順番に並べて
インストール作業に半日がかりだったことなどなど・・・
懐かしい映像有難うございました。
こちらこそ、ご視聴ありがとうございました。
管理工学研究所の桐、多変お世話になりました。私の場合はV3から始まりDOS最終版V5、Win版9まで・・・出費大変でした。因みにスプレッドシートはマルチプランを使ってました。
ハードケースに入ったフロッピーと
分厚い マニュアルが数冊・・・
「桐」は使ってましたねぇ!
最初に買ったソフトがこれでした
(それまでは自作でプログラミング)
当時は、かなり値段高かった
(一太郎よりも高かったですね)
データ自体への考え方が、”米” とは違ってて、
使いやすかったのですが、Windows への対応が遅れた(失敗?)
ために、安い「access」が出てきて
しぶしぶ乗り換えて今に至ってます・・・
懐かしいですね(^^)
ジャジャーン が懐かしい
技術者歴はそれなりに長かったのですが、パソコンにおいては遅れをとっていて
windows3.1が初めてでした。懐かしいの一言です。
起動時にwinと打たなければならないという話が本当だったのは憶えています。
今日の先生、何だかとっても嬉しそうです。
コメントありがとうございました。
懐かしさで嬉しそうな表情だったのかもしれません・・・。
懐かしかったです,初めてPC(PC-8001)を買った日を思い出しました。お金が無くてモニターはグリーンモニターでした。
私の場合父親がビデオデッキと引き換えに友達から長期借用してきた>PC8001+グリーンディスプレイ
WindowsNT3.51がおなじUIを使用していたので、凄くなじみがあります。
当時某銀行さんのOAプロジェクトに参加していたので、納品するPCの壁紙はhana256、スクリーンセイバーは花に設定するのが使用でした。懐かしいですね~ww
そんな仕様があるとは。
初めてのWindows3.1のインストールは複数枚のFDでした。インストール中にファイルを結合していますという表示を見てスケールの大きさに驚いた記憶があります。当時のHDDは40MBでした。
PC98系を使ってたのでFDの容量は1.25MBでした。僅かな差ですがDOS/V機(懐かしい呼び方)の1.44MBがうらやましかったです。
面白かった。それにつきます。あの頃は面白かったです。
ご視聴ありがとうございました。
高校の電算室?に98のwin3.0Aがありましたが、授業としてはROMBASICを立ち上げていたかな?
比較的最近まであったWinCEにwin3.xUIの残り香みたいなものは感じましたね。
パソコンはWin95から使い始めましたので3.1はあまりいじったことが有りません。90年代初頭はサン・マイクロシステムズのワークステーションでLSIの設計をしていましたがOSはUNIXだったのでWindowsに触れる機会は少なく事務所ではMACが多かったです。
メモリー量はウィンドウの数で管理しているみたいです。
3.1は友達の家で触ったり、学校の授業で触った事はありますが、自宅のPCがスペック不足でインストール出来ず。
その頃の、9801DAやRAが未だにFAパソコンとして使われていることに驚き
壊れない事の価値を思い知らされますが、98で建てたビルも他者に渡り
商売上手とは言えないのも長寿命でしょうかね?
サウンドは他のと入れ替えてました!10でも古いサウンドに入れ替えられるのは驚きました!w
Windowsがオペレーティングシステムへ進化した最初のバージョンですね
まあWin9x系以前はOSじゃねえいうヒトも一部いますが(TдT)
ソリティアで最初に出てた青い色のカード、
手詰まりすると右上の太陽が「ベー」ってやるんだよね。
3.1でもなったのかな?
私は、この頃はWindowsには興味なかったんですよね。
自動車で言えば今のEVやHVと同じで技術的な面の話として、GUI環境には相当なメモリのグラフィックカードが必要だと思っていたのと、XMS環境としての16bitカーネルでは一般保護エラーは回避できないと思っていたからです。
Windows95からようやく、64MByteくらい積めば安定してExcelやIEが動くと思っていましたので、私のGUI環境は97年くらいのWindows95からです。
3.0 が3.1a とbに進化して行ったと思います 当時Configの設定は必須でSmartdrvが出てきてメモリにHDDを使ったり、苦労して使ってました
config も autoexe もTXTで書きましの追加をしないと
プリンターなどは動かなかったですよね・・・
因みに、バッティングが多かった!
Winsockを使ってネットワーク通信してたなぁ。バッファローのRAMディスクとか使ってた覚えがある。
RAMディスクありましたね・・・。
@@gotopc もう少し思い出しました。Windows 3.1をまともに動作させるためには640 KB RAMの壁を越えて主メモリアクセス空間を拡張する必要があり、拡張メモリという外部メモリを主メモリのウィンド空間にマッピングする仕組みが導入され、それに対応したメモリボードとしてBafalloがEMSメモリボードという製品群を出していたのでした。動画でメモリが足りないというのは、この拡張メモリが動作していないからなんでしょう。仮想PCでそれをエミュできる方法があるかどうかは知りません。
追記
上の説明正確ではありません。確か80386が使えるようになるとメモリの制限がかなり緩くなって、プロテクトメモリとかが使えるようになり、実用できるレベルに近づいたように記憶しています。EMM386とかいうドライバが活躍していた時代です。
いかに効率よく利用するか、config.sysを工夫した記憶があります。
懐かしい。
私は、ジャストシステムのワープロ「一太郎ver3」を使い文書作成につかってました。
当時、赤い箱のデザインでソフトは価格が5万円。当時、半角と全角が使い分けが出来て優秀なソフトだった。
その後、マイクロソフトのワードとの戦争(確か著作権、名称の問題なんだったと思うが、「裁判」に負けて「ワープロ戦争」は主導権を渡すことになった。この頃から 「やり方」 が汚かったのです)
pcソフトの雑誌「PCジャパン?」で話題になった。だったか
その後MSは世界を制していったのはご存じの通り。
私は、「ワード」ではなく、いまだに「一太郎」です。
というより、「ATOK」使いたいためですが・・・
一太郎Ver.3は良かったです。ずーっと使ってました。
VJEはβとかγとか使ってました。
「VJE」も「松茸」?だったかな
も使った・・・
懐かしいです。我が家、当時のNECとEPSONの DOS機とDOS-V機を8台ほど保存しています。老後の遊び用にと思っていたのですが、怪しくなってきました。アナログモデム28kBPS?、ネット環境も貧弱でした。音声、画像ファイルの送受信も大変でした。
8台はすごいです。
windows95のノートからは液体が出ていました。コンデンサからの液漏れ?
懐かし。ソフマップで買ったDOS/Vマシン(インテル486DX2 66MHz)に付属してたDR DOSじゃWin3.1動かなくてIBM DOSも買ってやっとWin3.1動かしてた。
VLバスとかいうISAバスより速いスロットにVGAカード挿して当時ハイレゾとか言われてた640 x 480より大きい解像度で表示して喜んでました。
今回もハイレゾにして録画しました。面倒だったです・・・。
VL懐かしいですね、私はFMV DX4機を使っていました。
win3.1は、終了するときにストップボタン押してHDのシッピングゾーンに下ろすってのもうなくなってたかな?
当時はデザイン会社にいて、Mac使ってて圧倒的優越感があった笑
たまに事務処理用にwindowsとかms-dos使ったけど、つかいにくくて泣きそうだった笑
昔はヘッド退避でSTOPを押すがありましたね・・・。
たしか、win95 以前だったと思いますが、
esc を押して終了させないと
ヘッドが円盤上に残ってしまって
ディスクが疵付きました。
当時は、Mac にしようかと悩んで較べましたが、
マシンの内部も含めて、
いじり倒すには、IBM 互換機(dosv)
のが自由度があったりしまして、Macにはいきませんでした・・・
最初に買ったパソコンが3.1だった
バンドルされてたアリーナというゲームばっかりやってたよ
windows59のビブロなら物置に有ります。動くかどうか不明です。
ご提示のハードウエアーで動作するものが有ること自体スゴイ。
同95は何かあると、落ちる、止まる、動かない、でした。
MSDOSで直接ディレクトリーを動かす方が速いのでは?、現在のconfig.sys,autoexec.bat はどこにある、どこなのでしょうか?。IT専門者でないとできないでしょうか。PCが普及して何年もたちますが、日本語の漢字はへん16進法つくり16進法で 今もかわらないのでしょうか、そうするとアルファベットと漢字の混合での現在の不具合は変換時間だけなのでしょうか。memoは基本(テキスト)として、入力不可の場合のコピーペーストで入力していました。
ディレクトリ
懐かしい響きですね。
フォルダよりもディレクトリの、
木に例える概念が好きです。
何もMac のマネしなくてもって、
まだ思ってますが・・・
ハードディスクにおまけで付いてたランチャーソフトの出来が良すぎてwinは一切立ち上げなかった気がする
何それ? msdosアプリ起動するだけのバッチファイルのこと?それだったらWindows 不要だね。
ひょっとして、Eosystem ?
本気で使おうとするとUAE、原因不明のエラー、が出てそれまでの努力が水の泡。
98では粗解決していたけど16ビットDOSコード時代はポインターに依存していた事など動作中のエラーが多かった。
日本語版の3.1は何だかなと95まで移行出来なかっけど、タイ人の知合いの英語版3.1をメンテナンスとIE入れた時は全然違うのでこれなら使えるわって思ったものです。
懐かしい…
ぼくが専門学校にいた頃のOSなので単純計算すると…29年前ですね(現在48歳)
その時にその専門学校で使ってたのがWindows3.1でした
途中一太郎の話が出てきましたが
当時は表計算ソフトにLotus1-2-3というのがありました
ワープロソフトでは一太郎かWord
表計算ソフトではLotus1-2-3かExcel
そんな時代でしたね…
あなたよりもう少し前ですが
ワープロは「一太郎」がほとんどで、そこに「松」が少々と
まだなんかあったような記憶があります・・・
ワードは日本語の能力不足で使用には耐えなかったと記憶してます。
「一太郎」役所関係で使われていて
ほぼ独占といった状態だったようでした。
表計算はロータスの一択。あとなんかあったような・・・
エクセルはまだなかった記憶がありますね
その後、マイクロソフトの陰謀によって
エクセルとワードの天下になってしまってますが
あの頃は、好みで選ぶことができましたね・・・
@@peaojaru3626 Wikipediaによれば表計算ソフトは「Lotus1-2-3」の他に「三四郎」があって
そういえば三四郎使ってる中学の先生いたなあ…と思い出しました
「一太郎」も「三四郎」もジャストシステムが発売してるソフトでしたが
専門学校にいた当時は「一太郎」と「Lotus1-2-3」といった組み合わせが大半を占めてました
今は強制ではないにしろOfficeプリインストールほぼ一択
まあ…OSがマイクロソフトのOSですもんね
こうなるのも無理はない…か?って感じです
窓やスクリーンセーバの描画がぎこちない件。現代のビデオチップではGDIのハードウェアアクセラレーターが省かれているため、CPUは当時と比較にならないほど速くなっているにも関わらずGDIに関しては描画が極端に遅くなっています。古いビデオカード(とドライバ)があれば当時の速度で描画されますよ。
壁紙はhana使ってましたww
一太郎2005のCDなら手元に残ってました
やはりhanaが最高です・・・。
後藤さん、配信お疲れ様で在ります。
Windows3.1懐かしいですね❗
私が使い出したのはWindows95からで
在りますが、3.1も知って居りますよ、
今、家にはWindows95日立フローラが 在りますが、ハードデスクが壊れたので、同じタイプのソケットのハードデスクを購入して取り付けましたが、80ギガバイトの物なので、BIOSでは取り敢えず認識するのですか、フロッピーディスクを入れ、Windows95CDを挿入してインストール途中でエラーに成ってしまいますね❗
矢張りハードデスクの認識が上手く出来無いので在りますかね!?
又試して見ようと想いますがね!?
何時も、在り難う御座います。
感謝で在ります。
どうぞ御自愛の程御活躍下さいませ、
失礼致します。
合掌
いつもご視聴ありがとうございます。
日立フローラ懐かしいですね。
引き続きよろしくお願いします。
確かプログラムマネージャーを下にアイコン化してWindowsを終了する方法があったと思うのですが思い出せない。
まだ1台はWindows3.1の現役があります。それでしか使えない特殊なソフトがあるので、変えられないのです。
勉強させていただいています。
昔のWindowsはインターネットが必須ではないから今でも使えるのでは、
懐かしい
これはイチバン面白かった・・・
当時のマシンが動作することが脅威です!
※⇒ この珍しいコンテンツまた見るので暫く残して置きます
私は、WIN95の頃に起動ができなくなってゴミとなりました。
因みに、スペックが 98から買い替えた DOSVマシンで
CPU486、メモリ 4GB☓4、HDD 350MB ☓ 2、
モニターは飯山の21インチ(1600ドット ☓ 1200ドット)
ビデオカード がステルス(だったと思う)
解像度が800 ☓ 600が標準の時代に
1600 ☓ 1200ドットで使用するために
高いビデオカードで
最新鋭の最速マシンを無理して組みました・・・
コメントありがとうございました。
アリーエキスプレスでWin3.1搭載のミニPC売ってるけど
まだ需要あるのかな
でも平成世代は新鮮かも
さすが何でもありですね・・・。
@@gotopc 色々あって気になりますが、、使う用途が。。w
ネットサーフィンするだけでも一苦労だったよね。そもそも標準ブラウザという概念もなかった。ということはブラウザソフトも買わなきゃならなかった時代。
デバイス繋いだらドライバが勝手に当たるとかありえないので、付属FDDは絶対無くせない。
でも、当時はそれが普通だと思ってて、カチャカチャやってるだけでも楽しかった。
0:45 立ち上がったら、表示されるエクスプローラーのスタートメニュー。
これって、Win11に似ているのでは❓とか、視ていて思いました。
もし、そうなら、デザイン的には先祖返り❓とか❓(笑)
過去にヒントがあるかもしれないですね。
3.1から95にアップグレードのフロッピー13枚、まだ持っています。まあ記念と言うことで…ちなみに英語版です。
windows xpや7といった良き時代のMSを思い出しました
今より軽量でシンプルで勝手な余計なアプデも無く圧倒的に優れていた
オンライン前提で広告主に忖度しまくるOSは使いにくさばかりが目立つ
もしかしてこの方はロードランナー?
意外と昔のマックに似てるかも
PC音痴の私は、この時代のPCを絶対に仕えない。これだけは自信がある。キリッ
私も検索しないときついです・・・。
当時、兄がパソコン組んじゃった‼️と自慢するので、少しいぢってみようと電源入れたら、ダメ‼️いぢったら
Windowsが壊れるだろ‼️と思い切り怒られた記憶があります。
そもそも、ギガ単位のメモリーが積めない。
そりゃ落ちるわな。
Windows95のSONY VAIO メモリー32メガ。当時64メガに積み替えるのに¥60,000見積もられたw
PC雑誌のおまけCD-Rの動画を再生するだけでも、フリーズしてたな。