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面白い!源氏物語が緻密な計算のもとに書かれ、結果的に政治を動かした。単に美しい文章がつづられているわけではないのですね。あらためて紫式部のすごさがわかります。
ドラマでは源俊賢がなぜ光る君を源氏にしたのか?とまひろに聞いてましたが、その通りでしたね。
敦康親王が光る源氏の如く長生きしてくれればなぁ…
敦康親王が光源氏、藤壺が彰子、桐壷帝が一条帝、紫の上が11歳で入内した幼き彰子の見立てであるという指摘、なるほどです。あまりに似た事象を描いた源氏物語に一条帝が不快の念を表さなかったのは、彼の心の広さはもちろんありますが、それ以上に物語の中で描かれているストーリー進行を踏まえて、帝への批判や定子亡き後の己の生き方も念頭にあり、紫式部が意図したような慰めと立ち直りの術にしたかったからかもしれません。後見のない難しい立場の敦康親王の今後の行く末も大きな気掛かりであったでしょうから、一つのヒントとして臣籍降下も考えていたかもしれません。そういう意味で、源氏物語は単なる書物ではなく、帝にさえも一定の影響力を持っていた可能性も感じられます。今まで想像したこともなかったですが、源氏物語は素晴らしい文学作品であると共に、当時の世情や天皇の心の内までも感化させることのできる稀有な読み物だったのかもしれません。
@@cancan5892 でもやっぱり帝の逆鱗に触れるの、普通に考えると怖いですよね。当時死刑はなかったとはいえ。紫式部ってチャレンジングな人だったんですね。
@@パン大好き-s4i さん そうですね。一般的には、やはり表立っての批判は勇気がいりますよね。でも当時の平安時代は、天皇と藤原氏の共同治世的政治形態なので、江戸時代の徳川将軍に楯突くのとは違う気がします。
一条天皇の辞世の句の件は山本淳子先生が仰っていたことで、先生も共通箇所がある以外のことは言えないとしていますが、源氏物語の該当箇所のシチュエーションも加味すると一条天皇が彰子宛の歌を考える上で影響受けてそうだなと思いました。(物語内の歌が執筆当初から本当に載っていた場合)
やはり、定子の出家が、いちいち悔やまれるんですよね。彼女が出家しなければ、伊周、隆家ももっと早く、復帰していたかもしれませんね。また、敦康親王も正当な皇子として認められたかもしれませんね。
光源氏と藤壺の禁じられた愛もまた一条帝と定子の愛を感じさせてくれます、そして努力しても源氏の最愛の人になれなかった紫上に彰子は自らを重ねた部分もあると思います
元ネタを憚って室町時代の話にした忠臣蔵。本人宛なのにそれを良しとした一条帝は心が広い(現代的と書こうとしたが現代でも狭量な人が多いのでヤメたw)。
高師直ならやりそうって思われてて草
光る君
面白い!源氏物語が緻密な計算のもとに書かれ、結果的に政治を動かした。単に美しい文章がつづられているわけではないのですね。あらためて紫式部のすごさがわかります。
ドラマでは源俊賢がなぜ光る君を源氏にしたのか?とまひろに聞いてましたが、その通りでしたね。
敦康親王が光る源氏の如く長生きしてくれればなぁ…
敦康親王が光源氏、藤壺が彰子、桐壷帝が一条帝、紫の上が11歳で入内した幼き彰子の見立てであるという指摘、なるほどです。あまりに似た事象を描いた源氏物語に一条帝が不快の念を表さなかったのは、彼の心の広さはもちろんありますが、それ以上に物語の中で描かれているストーリー進行を踏まえて、帝への批判や定子亡き後の己の生き方も念頭にあり、紫式部が意図したような慰めと立ち直りの術にしたかったからかもしれません。後見のない難しい立場の敦康親王の今後の行く末も大きな気掛かりであったでしょうから、一つのヒントとして臣籍降下も考えていたかもしれません。そういう意味で、源氏物語は単なる書物ではなく、帝にさえも一定の影響力を持っていた可能性も感じられます。今まで想像したこともなかったですが、源氏物語は素晴らしい文学作品であると共に、当時の世情や天皇の心の内までも感化させることのできる稀有な読み物だったのかもしれません。
@@cancan5892 でもやっぱり帝の逆鱗に触れるの、普通に考えると怖いですよね。当時死刑はなかったとはいえ。紫式部ってチャレンジングな人だったんですね。
@@パン大好き-s4i さん そうですね。一般的には、やはり表立っての批判は勇気がいりますよね。でも当時の平安時代は、天皇と藤原氏の共同治世的政治形態なので、江戸時代の徳川将軍に楯突くのとは違う気がします。
一条天皇の辞世の句の件は山本淳子先生が仰っていたことで、先生も共通箇所がある以外のことは言えないとしていますが、源氏物語の該当箇所のシチュエーションも加味すると一条天皇が彰子宛の歌を考える上で影響受けてそうだなと思いました。
(物語内の歌が執筆当初から本当に載っていた場合)
やはり、定子の出家が、いちいち悔やまれるんですよね。彼女が出家しなければ、伊周、隆家ももっと早く、復帰していたかもしれませんね。また、敦康親王も正当な皇子として認められたかもしれませんね。
光源氏と藤壺の禁じられた愛もまた一条帝と定子の愛を感じさせてくれます、そして努力しても源氏の最愛の人になれなかった紫上に彰子は自らを重ねた部分もあると思います
元ネタを憚って室町時代の話にした忠臣蔵。
本人宛なのにそれを良しとした一条帝は心が広い(現代的と書こうとしたが現代でも狭量な人が多いのでヤメたw)。
高師直ならやりそうって思われてて草
光る君