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まだまだ平安に引っ張られてるので江戸にワープできないんです😂言葉が激しくて頭がバグりました😂江戸時代すっかり忘れ去られていた様な京の都はその頃どんな風景で人々はどんな暮らしをしていたんだろう,,とか、宮中の様子はどうだったのかしら,,とか,そっちばかり考えてしまってます😮
綾瀬はるかさんのお稲荷さんは神様だからいろんな時代を自由自在に行き来できる、だからスマホも持ってるという説がツイッターにあって妙に納得しました。
ぶらんべんさんにスマホのこと言われてハッとしました笑
りっせいさんは、転生して昭和からの時代劇を楽しんでいるのですね~私はがっつり昭和生まれで、時代劇今も大好き💕なので、これからのりっせいさんの解説が楽しみです😊ちなみに子供の頃好きだったのは、桃太郎侍、伝七捕物帖、大岡越前ですね~「よよよい、よよよい、よよよいよい!」少し大きくなってからは、必殺仕事人、鬼平犯科帳 ダントツです!
光る君の上品な雰囲気とはうってかわった作品ですよね 😅 お金持ちばっかりいい思いをして、おなかをすかせたり病気になったりするねえさんたちはとてもかわいそうでした。ねえさんたちのために蔦重にはがんばってほしいと思います 😆
当時の世相を表してましたね😅
『べらぼう』今、観ましたが、U-NEXTで未だ『光る君へ』をぐるぐる観続け、大好きな浸り切っていることも相まって、新大河のめまぐるしさと荒々しい時代感についてゆけなかったりしています😅ぶらんべんさんは『べらぼう』のリズム感の方が相性が良さそうでしょか。
私も総集編観て一年間を思い起こしながら物思いにふけってました!
吉原言葉は地方言葉を隠すために作られたと聞きました。鬼平さんは若い時はやんちゃだったらしいですね。指切りげんまんも、吉原から来たらしいです。本当に指を切る人もいたけど、普通は新粉細工で作ったらしいですね。❤
吉原言葉に現代言葉のルーツがあるのは感慨深いです!
昨年のフジテレビ版大奥で田沼意次だった安田顕さんが「田沼様に会いに行け」と言っていた事にニヤけました😆花の井も大奥では家治公の御台さまだった小芝風花さんで、おそらく皆さんとは全く違う楽しみ方をしとります🤣
そういえば大奥でヤスケンさんが田沼役してましたね🤭
早速べらぼうの解説をあげていただきありがとうございます。平安時代は、恋愛も女性も自由だったんだなあ😢花魁って、狐やたぬきなみに人を騙すけど、尾、いらん🟰おいらんから来たらしいと落語で聞いたことがあります😅あと、長谷川平蔵役の中村隼人さん、大富豪同心役の方があってる感じが😢鬼平は、吉右衛門さんが1番好き❤️べらんめんさんの活躍も今後楽しみすぎる😂
吉右衛門さん、松平健さんのようにまだまだ活躍して欲しかったです😭
ゆるい雑談ときどき豆知識、肩ひじ張らない感じで良いです。しかし、りっせいさん、平安貴族の白塗りまろ眉お歯黒もナカナカの仕上がりだったのでは?😂
ほんと、まじ平安だったらマロ眉やんね😂
ゴルフする時に日焼け止めを塗りたくった時の私、なかなかの白塗りになります😊
マロ眉、令和の世で一度くらいやってもいいかなと思いますが、出仕先に行けなくなるので悩ましいです😭
今年は解説があるのかと思っていましたが、一応は投稿を読んでいただけることが多いので、大変ありがたいです。 火事の中、救った男児に名前を唐丸と自分の幼名を与えて、奉公させていますが、葛飾北斎の生年が1760年ということなのでおそらく北斎だということらしいです。 同じ1760年に生まれた甲子夜話の作者の松浦清山(セイザン)は田沼意次のことを甲子夜話で書き残しているのが一部界隈では有名だそうですが、1774年に壱岐守になるので他の有名人とともに出演が期待されます。松浦清山は明治天皇の曾祖父にあたるそうです。 1772年4月の大火の放火犯を捕らえたのが平蔵の父、長谷川平蔵宣雄配下とのこと。また、京都千本出水、七番町にある華光寺(ケコウジ)の記録によれば、宣雄は、安永2年(1773年)6月17日に64歳で死去し、23日に葬儀が執り行われ、逢坂で荼毘に付されたとのこと。大火の翌年、京都で没していることになります。鬼平の晩年、中村吉右衛門の鬼平犯科帳「兇剣」で、鬼平は墓参りに京都の華光寺を訪れています。
華光寺!いいですね。私も訪れてみようかな😊
今回もファンタジー大河と巷で評判ですな😂あちきは好きでありんす😂
我々もファンタジーで参ります🤭
正直私は光る君へでもお歯黒引眉して欲しかった派だから、眉毛無いのは大好きです。あのかぼちゃの意味が分からなくて調べてしまいました、こういう時解説入れて欲しいけど、この大河も分かる人には分かるよね?いちいち解説しないけど!スタイルなのですね、光る君へもそうだったけど。
眉毛についてはいつの時代も世相を反映してて興味深いです🤨
そう言えば京都にはあの時代廓や吉原みたいなのあったんですか?今の京都では舞妓さん芸妓さんが有名ですけど,それって何か関係あったんでしょうか?
京都には島原という遊郭街があって、新撰組隊士達や幕末志士も通ったらしいです。もちろん芸妓もいました。ちなみに京都の舞妓はんは、お茶屋や団子屋の娘が歌舞伎芝居を真似て三味線や踊りを披露したのが起源らしいですね😊
@@surrealjapan1269そうなんですね。そう言えば新撰組とか大石蔵之介さんが京都で遊んだと有名でしたね😂忘れてました。ありがとうございました😊
まだまだ平安に引っ張られてるので江戸にワープできないんです😂
言葉が激しくて頭がバグりました😂
江戸時代すっかり忘れ去られていた様な京の都はその頃どんな風景で人々はどんな暮らしをしていたんだろう,,とか、宮中の様子はどうだったのかしら,,とか,そっちばかり考えてしまってます😮
綾瀬はるかさんのお稲荷さんは神様だからいろんな時代を自由自在に行き来できる、だからスマホも持ってるという説がツイッターにあって妙に納得しました。
ぶらんべんさんにスマホのこと言われてハッとしました笑
りっせいさんは、転生して昭和からの時代劇を楽しんでいるのですね~私はがっつり昭和生まれで、時代劇今も大好き💕なので、これからのりっせいさんの解説が楽しみです😊ちなみに子供の頃好きだったのは、桃太郎侍、伝七捕物帖、大岡越前ですね~「よよよい、よよよい、よよよいよい!」少し大きくなってからは、必殺仕事人、鬼平犯科帳 ダントツです!
光る君の上品な雰囲気とはうってかわった作品ですよね 😅 お金持ちばっかりいい思いをして、おなかをすかせたり病気になったりするねえさんたちはとてもかわいそうでした。ねえさんたちのために蔦重にはがんばってほしいと思います 😆
当時の世相を表してましたね😅
『べらぼう』今、観ましたが、U-NEXTで未だ『光る君へ』をぐるぐる観続け、大好きな浸り切っていることも相まって、新大河のめまぐるしさと荒々しい時代感についてゆけなかったりしています😅ぶらんべんさんは『べらぼう』のリズム感の方が相性が良さそうでしょか。
私も総集編観て一年間を思い起こしながら物思いにふけってました!
吉原言葉は地方言葉を隠すために作られたと聞きました。鬼平さんは若い時はやんちゃだったらしいですね。
指切りげんまんも、吉原から来たらしいです。本当に指を切る人もいたけど、普通は新粉細工で作ったらしいですね。❤
吉原言葉に現代言葉のルーツがあるのは感慨深いです!
昨年のフジテレビ版大奥で田沼意次だった安田顕さんが
「田沼様に会いに行け」と言っていた事にニヤけました😆
花の井も大奥では家治公の御台さまだった小芝風花さんで、
おそらく皆さんとは全く違う楽しみ方をしとります🤣
そういえば大奥でヤスケンさんが田沼役してましたね🤭
早速べらぼうの解説をあげていただきありがとうございます。平安時代は、恋愛も女性も自由だったんだなあ😢花魁って、狐やたぬきなみに人を騙すけど、尾、いらん🟰おいらんから来たらしいと落語で聞いたことがあります😅あと、長谷川平蔵役の中村隼人さん、大富豪同心役の方があってる感じが😢鬼平は、吉右衛門さんが1番好き❤️べらんめんさんの活躍も今後楽しみすぎる😂
吉右衛門さん、松平健さんのようにまだまだ活躍して欲しかったです😭
ゆるい雑談ときどき豆知識、肩ひじ張らない感じで良いです。
しかし、りっせいさん、平安貴族の白塗りまろ眉お歯黒もナカナカの仕上がりだったのでは?😂
ほんと、まじ平安だったらマロ眉やんね😂
ゴルフする時に日焼け止めを塗りたくった時の私、なかなかの白塗りになります😊
マロ眉、令和の世で一度くらいやってもいいかなと思いますが、出仕先に行けなくなるので悩ましいです😭
今年は解説があるのかと思っていましたが、一応は投稿を読んで
いただけることが多いので、大変ありがたいです。
火事の中、救った男児に名前を唐丸と自分の幼名を与えて、
奉公させていますが、葛飾北斎の生年が1760年ということ
なのでおそらく北斎だということらしいです。
同じ1760年に生まれた甲子夜話の作者の松浦清山(セイザン)は
田沼意次のことを甲子夜話で書き残しているのが一部界隈では
有名だそうですが、1774年に壱岐守になるので他の有名人とともに
出演が期待されます。松浦清山は明治天皇の曾祖父にあたる
そうです。
1772年4月の大火の放火犯を捕らえたのが平蔵の父、長谷川平蔵宣雄配下との
こと。また、京都千本出水、七番町にある華光寺(ケコウジ)の記録によれば、宣雄は、
安永2年(1773年)6月17日に64歳で死去し、23日に葬儀が執り行われ、
逢坂で荼毘に付されたとのこと。大火の翌年、京都で没して
いることになります。鬼平の晩年、中村吉右衛門の鬼平犯科帳「兇剣」で、
鬼平は墓参りに京都の華光寺を訪れています。
華光寺!いいですね。私も訪れてみようかな😊
今回もファンタジー大河と巷で評判ですな😂
あちきは好きでありんす😂
我々もファンタジーで参ります🤭
正直私は光る君へでもお歯黒引眉して欲しかった派だから、眉毛無いのは大好きです。
あのかぼちゃの意味が分からなくて調べてしまいました、こういう時解説入れて欲しいけど、この大河も分かる人には分かるよね?いちいち解説しないけど!スタイルなのですね、光る君へもそうだったけど。
眉毛についてはいつの時代も世相を反映してて興味深いです🤨
そう言えば京都にはあの時代廓や吉原みたいなのあったんですか?今の京都では舞妓さん芸妓さんが有名ですけど,それって何か関係あったんでしょうか?
京都には島原という遊郭街があって、新撰組隊士達や幕末志士も通ったらしいです。もちろん芸妓もいました。ちなみに京都の舞妓はんは、お茶屋や団子屋の娘が歌舞伎芝居を真似て三味線や踊りを披露したのが起源らしいですね😊
@@surrealjapan1269そうなんですね。そう言えば新撰組とか大石蔵之介さんが京都で遊んだと有名でしたね😂忘れてました。ありがとうございました😊