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現役教員ですが、ここ最近おっしゃっている通りの事を感じます。和を以って貴しと為す、とは言いますが、どんなにアンサンブルが揃っていても、それが内から出る音楽への心が最初にないと、音楽ってただの作業になってしまうのではないかと感じました。卒業すると楽器を続けない子が多いのがその表れかと。多くの部活で部活動ガイドラインが守られるようになり、活動時間が制限された今、部活動でできることは賞を追うことではなく生涯学習として芸術を楽しめる人間を育てることなのではないかと思います。色々な考えがあると思いますが、車田さんの仰っていることに共感いたしましたので思わずコメントいたしました。
和をもって、よしとすな。ですね。
同感 賛成🙋♂️
激しく同感です。かつて恩師から、譜面にいくら情報を落とし込んだところで、「音楽」を「音楽にするのは、大変な事なんだよ。」と、言われた本質を再確認できました。ありがとうございます❗️とてもわかりやすい動画なので、一般の方々にも伝わっている事を願います。
一糸乱れぬ演奏でフルトヴェングラー氏と比較されるカラヤン氏でさえ、小澤征爾氏に「オーケストラはドライブするな、キャリーしろ」と演奏家の自発性を強調されていましたよね。BPOの第1コンサートマスターだった安永徹氏も「全員音程が完全に揃っていたらシンセサイザーみたいな無機質な音になる」とおっしゃっていました。この前の高校の吹奏楽のお話とともに、音楽の表現ということについて考えさせられる動画、ありがとうございます。
「車田さん」こんにちは!今朝も「イイお話」伺いました。今時、殊に日本にとってはとても難しいテーマだったと思います。「車田さん」の音楽を愛すればこそのやむにやまれぬ「意志」からのトークだったと思います。先ずは「車田さん」の人柄に魅せられる視聴者の方々多いと思いますね。他方やっぱ厳しい「反論」に立ち向かわなければならないかもの「反論も在り!」御免なさいね。1978年ある公開講座で「アイザックスターさん」が言いました「いま音楽は世界中でみんな同じになってしまった」これを想い出しています。1970年頃から世間が変って行ったように思われますが(90歳)1975年?頃ある雑誌でドイツ人指揮者(カルルミュンヒンガー?リヒター?忘れました)が「50年位たてば元に戻るだう!」あれから50年経ってしまいましたが、今の日本の音楽事情を「車田さん」のようにお話になる人は稀有なような気がしています。音楽は個人?かチーム?かの話題はまだまだムツカシイかもしれないですね僕個人としては「先ずは個人あっての音楽である」の「車田さん」の力説を力強く支持させてください。素晴らしいお話振りに感動しました。「車田さん」は稀有なお方です有り難う御座いました。
なるほど。どうして吹奏楽コンクールの全国大会を聴いていて、感心はしても感動しないのはなぜかがよくわかりました。音楽に対する強い意志を持ったプレーヤーを育て、そういう人たちのエネルギーの方向性が揃っている、そういうことが起きていないんですね。有名な指導者に対し、個人の意思は置いておいて従順に軍隊のような統率を見せる生徒たち、そういう団体に最高の賞を与えたくなる気質というものが日本人にはありますね。
お正月の番組で目隠しをして高価な物を当てる番組があります。その一つに、学生さんとプロの吹奏楽がありますよね。私は毎年ビンゴ‼️です。車田さんのお話の通り、きちんと揃っているのが学生さんの演奏です。✌️綺麗だけど何か物足りない‼️ 自分の感覚を言語化してもらえてスッキリです。
今日のお話はとても興味深いものでした。先日BBCプロムスでベルリンフィルのマーラーを聴いた時、とても感動しました。ひとりひとりの演奏家の音がピカピカに輝いて聞こえたのです。本当に素晴らしい演奏だと思いました。これまではハーモニーが重要だと考えていましたが、その日以来、個人の音楽、方向性、信念みたいなものが重要かなと思い始めました。そう思った直後にこの動画を見たので、もうめっちゃ、よおく理解できました。本当にありがとうございます!!
とても感動したので、私の先生🎻に、この動画をシェアしました。「うなづけることばかり。話し方もとても紳士ですね」と、アンサンブル全員に共有されました。年代も経験年数もバラバラですが、楽しく良い音楽を作っていきたいです♪ありがとうございます❤
きちんと揃っていて聴きやすい音楽はBGMに最適だけど、音楽を聴きたい!時は個性のある演奏の方が味わい深くて満足感があるなあと思っていました。車田さんの解説で腑に落ちました。ありがとうございます!
いつも大切なお話をありがとうございます。伺いながら、脳裏に「歌劇 カルメン第二幕 うまい話がある」が流れて来ました。ソリスト5人による5重奏。それぞれがハラによからぬものを秘めた悪だくみの音楽なのですが。。この曲など正に、奏者一人一人が音楽的に自立していないと成立しない曲かと。。。子供たちの部活の、押さえつけられたような合奏を聴くのは辛いことです。一人でも多くの顧問に気付いてほしいです。
昔ベルリンでベルリン・フィルをよく聴いていましたが、いつも思ったのは、個人のプレーの素晴らしさが全体と見事に調和しているということでした。各パートのソロが出てくると、あんなに大きなオケ全体が室内楽のような響きになるのに感心しました。また、彼らが他のパートの音をよく聴いていることもわかりました。個人と全体は調和において矛盾しないのがいい演奏なのですね。
まったくおっしゃるとおりです。しかし、これは日本の文化や日本人の性格に基づく問題ばかりとはいえません。日本独自の音楽、お能や長唄、歌舞伎に纏わるいくつかの音楽、浄瑠璃の音楽には指揮者はいないのです。その演目の内容に向かって、演奏者や演者がまさに全力疾走していないとその舞台は成立しません。その舞台に立つために個人個人が技量を上げようと個人個人が努力を重ねて行きます。一流のお能や長唄、歌舞伎の舞台はある意味格闘技の様相を呈する時があり、それは感動的です。盆踊りや日本各地のお祭りにおいても、オレガオレガとなだれ込む気ひつは日本人にはあります。それを受け入れる土壌もあるのですが、ナンカうまくいきませんね。時間をかけるしかないと思います。
この点に関してはまったく同意します。私が大学の合唱団に入った時に、4年の執行部が偉大な決断をしました。たてにハーモニーがそろうことに意識が行き過ぎて、音楽が横に流れていないという欠点を克服するために、その当時二期会の中心な立場にあった東京芸大の畑中良輔先生に指導を仰ぐことになったのですが、これは、ここで言う生きた音楽の喜びを歌える合唱団にならなければならないという先輩たちの決断でしょう。最初の年の「ジプシーの歌」は、合唱としては不揃いのとんでもない演奏ですが(私家版のレコードで音源が残っています)、しかし、この合唱団がこれから良い方に変わって行くだろうという希望を感じさせるものでした。 ただ、音楽を表現できた上で、メンバーが一糸乱れぬ音演奏をすることへのあこがれもあります。キングズ・シンガーズの初来日の時の「金比羅船々」で、航空アクロバットチームブルーエンジェルスのアクロ飛行を見るような一糸乱れぬ演奏に「こんな事ができるのか」と唖然とした事があります。
全面的に同感です。一糸乱れぬ高校吹奏楽部の演奏を聴きましたが、何の感動もありませんでした。私はポピュラー音楽のバンドを組んでいますが、同じ方向を見ているかどうかが最大のポイントだと思います。多少演奏技術が未熟でもそういう人と一緒に演奏したい。
車田先生、今回も素晴らしいお話をありがとうございました。車田先生のお話はいつも僕が上手く言語化できずにモヤモヤしていることを代弁してくれてすっきりすると同時に、自分の音楽観が間違いではなかったと再確認させてもらえます。いつもありがとうございます。これからもついて行きます(笑)
??ん?」。ー
人工の林と天然の森の違いみたいな感じがします。林は綺麗に整ってるけど、他の生き物を育てる恵みは少なく森は雑多な環境だからこそ、木の実など恵みが多いです。
私は、個性的な演奏とはなんであるのか、ということを考えてみましたが、基本的なことがしっかりしていないといけないなと思いました。そのうえで、プロの音楽家が協力して、作られる音楽が、多くの人々を感動させると思います。
中学生の頃にクラシック音楽に魅了され,本当に好きになりました。高校時代に親の反対で吹奏楽部に入れず,本当にモヤモヤ20年30年も引っ張っていたのですが・・だけど,もしも入ってやっていたなら,(クラシック)音楽が嫌いになっていたかもしれないなと思いました。それはともかく,こんなご時世だからこそ,クラシック音楽,芸術は必要だと思います。
良い生け花にはやはり良い花材を求めます。ただ上手な方は、そこら辺の雑草群をホテルに飾れる一品に仕上げてきます。(自分がやると単なる生ゴミ堆積) そのあたりが個の輝きと、アンサンブルの関係かも。社会でも自分が上手い人と、他人を引き立てるのが上手い人がいるような気がしています。
かつてオケの演奏聞くのが大好きな大学の教授が、「N響なんて官僚的な音出すばかりでちっとも面白くない。うちの大学のオケの方がずっとまし」と言っていたのを思い出しました(どこかに同じ事書いていたらすみません^^;;) 音楽の根本的な部分……おのおのが楽しんでいるのがあまり感じられなかったからかもしれませんね。白人率ほぼ百%のボストンのオルガンコンサートでも、時々「自分がない演奏」を聞く事があります。人から言われた通りにひいているんだろうなぁとか、間違うのが怖いんだろうなぁ……とか、楽しむより音楽を恐れている感じが伝わってしまう……。ただまあ、日本人の方が気質的にそういう罠に陥りやすいとは思います。日本人気質も、うまく機能すれば素晴らしい結果を出せると思う時もありますね。東京オペラシンガーズが小澤の指揮で歌ったロ短調ミサとか、すごい統一感なのですが、魂にズドンと響き渡るような力強さがあり、私にとっては衝撃的でした。
最高にいいお話でした
車田さんの音楽談話はいつも考えさせられます。個人的に思う事は、今の若い世代は同じ曲を同じ聴き方しかしない(出来ない)ように感じます。シューベルト、ピアノソナタ18番いいですね💓大好きな曲です。シューベルトも北オーストリアの風景を馬車の車窓から眺めていたのでしょうか
シューベルトもきっと色々な景色を眺めていたと思います😊😊
車田さんのお話は、いつも単に音楽の話で終わるのではなく、文化や社会への深い洞察にまで広がりがあり、とても興味深く、面白いです。穏やかでフェアな視点も尊敬してます!このチャネルに会えて毎日が豊かになりました。有難うございます🙏🏻🤲😊✨✨
かなり前ですが、FMでメンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管、1939年録音、第二次大戦下で行われたライブの録音のマタイ受難曲を聞きました。ナチスがポーランド侵攻の最中での演奏会で、すすり泣く声が聞こえ、演奏者と聴衆が一体になって、みんな涙ぐんでいるような演奏だったと思います。
同感です。最近のプロの演奏でも、その傾向があるように思います。かつては、各国のオーケストラには一聴しただけで分かる特徴やサウンドが有りました。今はどこのオーケストラも同じ様な響きで面白くないですね。もっと個性が欲しいです。
共感しました。
サッカーのたとえ話がとても分かりやすかったです。この感情の沸き立ちは、大なべ1つがぐつぐつ言っているのでなく、鍋やらヤカンやらいろんなものが沸き立っている、そんなにぎやかさを感じさせます。
「和を以て貴しとなす」これは日本の良い民族性ですね。古代から最近まで日本は稲作の村社会でしたがその村では自分だけの考えでは村から疎まれたり排除されたりします。他人のことを思いやれば村全体の利益になりますし自分にも恩恵があります。狩猟社会では個人の各種能力で獲物を獲得する。
アマチュアのソプラノ カウンターテナーです。ただ ただ 「同感です!!!」音楽の本質、raison d'etre にかかわる「突っ込んだ」お話をしてくださるのが、本当にうれしいです!
夕食の時間で、家族全員揃って、車田さんのお話しを聞きながら、家族会議みたいな感じで話し合っていました!いつも有意義な動画、ありがとうございます😊
フルトヴェングラーは偉大ですね🎶😊
多様性の国アメリカで小学生を始めた私は今日の先生のご意見に大賛成です。本日のテーマには多様性が関係すると思いますが、小学校の担任の先生が黒人だった私の疑問は、ホィットニーヒューストンとかオペラポップスが歌える黒人がいます。一般には黒人には音楽のセンスがあるなんて言われます。私の不勉強のせいかもしれませんが、先生のように優れた黄色人種のオペラ歌手がたいくさんいるのに、なぜ有名な黒人のオペラ歌手は少ないのでしょうか?私が存じているのはジョン・ホリデーさんだけです。
50年以上前になりますが大学で混声合唱をしていました。最近、NHKBSPで東京オ○○シンガースの佐藤真「土の歌」を聴きました。プロのオペラ歌手の集まりのコーラスだけあって、確かに縦横の揃った発声も素晴らしい演奏でしたが何か訴えてくるものが感じられず物足りなさを覚えた次第です。最終曲「大地嶺賛」は熱い想いが無くてはならないのに、只々綺麗なだけです。いわれるような「個人の訴えかける思い」が不足している演奏だと感じた次第です。
アンサンブルといつても完璧に揃うことよりも、それぞれの演奏家の強い思いが大切ということかなと思いました。ただ、理解したつもりがそうではないかもしれないとも思いました。 「それぞれの強い思いがあり、同時にアンサンブルが揃えば、それこそが一番理想なのだろうか?」それとも、「それぞれの強い思いがあれば、ひとつに完全に揃う筈はない、と理解すべきなのか?」…と妙な思いに囚われてしまいました。 おつしやるとおりだと思いつつも、自分は車田先生のご趣旨を正しく理解できているのだろうか、と思ったりもします。
ご趣旨とはずれるかもしれないのですが、「それぞれの方向が微妙に違うような、しかし、辛うじてバラバラにならない」とか、「方向が微妙にずれていくようて、しかし、また、纏まってくる」とか、そういう『揺らぎ』を味わうのかな、と思ったりしました。あるいは、ひとつの枠の中を、各演奏者が自由に泳いてみる(指揮者としては、各演奏者に自由に振る舞ってもらう)とか、そういうことかなと思いました。極論すると、カデンツァがもともとは演奏家の即興だったような(作曲家からも離れてしまう)ことに似てるかなと思いました。
「運命」の冒頭なんか分かりやすいですよね。縦を合わせに行くと本当にショボい音になります。
たしかに、フルトベングラーの第九。男声が入る前に、楽団全員が突っ込んでいくような感じは迫力がありますよね!「隣の人に合わせて・・・」などとやっていたら、あの音は生まれないです。個性を最大限出しながら全体としてまとまっている様子は、ジャズを聴いているとよく感じます。また、ジャンルは全く違うのですが、ハードロックのディープパープルを聴いていても、よく感じます。
クラシックと関係のないコメントになってしまい大変恐縮ですが、自分は先生が仰る日本独特の音楽観が一番出ているのは個人的にはここ2~30年のJ-POPやJ-ROCKだと思います。歌詞のことはわかりませんが、メロディーラインやコード進行があからさまに聴き手に媚びていて聴いててとても気持ち悪く感じます。洋楽だともっと聴き手を突き放してくれ、あのくらいの距離感の方が個人的には快適に感じます。話を本題に戻して、後半に仰っていることを最初に強く感じたのはカルロス・クライバーが来日した時のベートーヴェン7番の放送でした。腕利きのバイエルンのオケメン達がクライバーの棒の下自発的に同じベクトルに向かっていくあのエネルギーに仰天したことを今でも覚えています。
車田さんのこのアカウントで、もうすぐ50番目の動画になりますね!50番目記念で何かお祝いの動画にする予定でしょうか?とても楽しみにしてます^_^
個人的には、中高生の部活動でも、指導者がきちんと導けば、一人ひとりが意思をはっきり出して、かつ気持ちの方向を合わせる演奏をすることは可能なんじゃないかと思うのですが…(もちろん中高生なりの、拙い演奏にはなるとは思いますが)ただ、そんな指導をしていたら縦横音程を揃える時間がなくなるから、部活動ではそういうところはスルーされてるんでしょうね…また、そもそも指導者自体、「縦横音程は揃ってないけど一人ひとりがはっきり意思表示している演奏」の良さを理解していない可能性も…
野球のイチローさんも、個人として最高のプレーをすることが結果的にチームのためになるとおっしゃってました昔の日本ではチームプレイといえば「個を犠牲にする」というようなニュアンスで理解されていましたが、最近は日本でも個人プレーの集合がチームプレーであるという考えが少しずつ浸透してきたように思います大谷選手の二刀流なんて、30年前の日本では実現しなかったでしょうね
私の飲み会ネタのひとつに「ソリストはオーケストラよりも上手い人がやると思ってませんか?」と聞いてから「実は目立ちたい人がソリストで、協調性のある人がオーケストラをやるので、ソリストが上手いというわけではないんですよ」という流れの話があるのですが、結構みんな驚いてくれます。ソリストになれなかった人たちがオーケストラをやっているという誤解はかなり根強いんだと思います。
プロのソリストになるには、音楽的にも技術的にもより優れたものが求められますね😊上手くないとやはりできません。
@@kazuhisakurumada 先生から返信をいただけるなんて光栄です。ありがとうございます。ソリストの方々が上手いことは当然ですし周知の事実だと思うのですが、「オーケストラの人たちはソリストよりも下手」という偏見があると感じているのでこんな話をしています。実際、オーケストラの方々もソリストに負けなくありむっちゃ上手いですからね。
日本ほどたくさん練習している国はないです。ヨーロッパでは部活はないのでみんな民間のクラブがやっています。普通吹奏楽などは週に一回集まって練習しています。ですから日本の吹奏楽とヨーロッパの吹奏楽を比較することは難しいです。しかしヨーロッパの吹奏楽がレベルが低い、とは言えません。やはり音楽を表現する伝統があります。日本の吹奏楽はコンクールで勝つために音符を完璧に演奏することに重きを置いていて本来の音楽で何かを表現するということがおろそかにされています。個人プレーかチームプレーか、個人が音楽を表現出来なければチームでも音楽を表現することは出来ません。日本は個人プレーがおろそかにされています。日本最高クラスの吹奏楽でもソロプレーヤーのレベルは高くないです。もちろん音符は正しく吹いていますが。アメリカなどは学校でやっていますがそれほど練習はしていません。土日はもちろん休みです。それが当たり前ですよね。音楽でもスポーツでも日本人は練習のやり過ぎで体も頭も慢性疲労を患っています。本人たちは気が付いていないですが。最悪なのは子供たちが音楽を心から楽しむということを学べないことです。ですから学校を出ると殆どの人が音楽を止めてしまいます。もったいない話です。
合唱は響きを作ることを重視して、声が出ることにとらわれてしまうってこともありますよね。声はいいんだけど、情感が感じられない、クレッシェンドがただボリュームを上げていくだけで、気持ちの高まりを感じられない、ていうのがよくあります。それと、コンクールで1位を取るような合唱団は、難しい和声の曲を縦にそろえて「決まった!」て言うのを重視してるな、と言うところもありました。縦も大事だけど、音楽のだいご味はいかに気持ちよく横に流れていくか、だと思うんですけどね。
👍☺️☺️
日本では「みんなが同じことをする」ことをチームワークといいますよね。それぞれに個性があって、主張があって、凸凹があるけど、うまく組み合わせると力を発揮するよね、という発想はありません。音楽だけに限った話ではありません。それでは「みんなができること」しかできなくなるので、技術的にも落ちぶれました。
いつも愉しく観させて頂いています。昔の話になりますが、PCでWindows 95の頃、音楽ソフト、楽譜ソフトが発売され(Macにはもっと前から優秀なものがあったが50万円とか…) 数万円のソフトで楽譜を入力 (吹奏楽の指導で楽譜ソフトで譜面を作ってみるかと…) ついでに未だプアーでしたが譜面に音色楽器を選んで演奏も可能でしたので…、3連符も正確⁈ スコア総譜を打ち込めばパート譜も印刷出来る、演奏出来る…各はパート1音色一人分、リズムは人間よりも正確、とても無味乾燥で音楽とは思えない BGMにもなら無いレベルでした。←今はソフトも改善されてとても良くなっているとは言っても大同小異。3連符…0.33333…、割り切れ無い訳ですが、正確な演奏って⁇音大に入ってから"リンゴで説明を受けたのですが、1個のリンゴを3つに割ったのが3連符リンゴを半分に2個にしたのが八分音符で 1/2 0.5では無いのです。1小節 も 大きな1つのリンゴで4拍子なら 4つに分けて更に細かく(ナイフで刻む) 小さな子には4拍子は1小節を4個のリンゴと捉えても良い。コンピューターに寄る演奏が一番正確な筈 …でもそれは音楽を全く感じさせない演奏でした。
追記です…、上のリンゴの話しも、教職課程の講義の中で 初めて聞いたのですが…、教職を取らない人は 知る由も無い…。昔のWindows版の楽譜ソフトの楽譜は 実際 使えなかったです今でも、安めの楽譜はWindows版ソフトで作った譜面は おかしい⁇ …です。譜面も1小節を4拍子だからと言って4等分はしないのですが…最初の♩を書いた所から後ろの小節線迄の長さの4等分では無い…。1拍めの音符は前の小節線の直ぐ後ろには書かない…見やすい1拍目の始まりの位置が。が最近のは大分修正はされているのですが…、その譜面では2小節分とか4小節、一段分を一気に視野入れて見てリズムの把握が出来ずに1つ1つ1拍毎に読まないと…。その点はMacで製作の譜面は綺麗で見やすいです。Macで作ったか否かは見て分かります。写譜の専門家の書いた手書きの譜面の方が 音楽的で演奏、特に初見演奏は し易いです。伝統的な楽譜出版社の活字の様に綺麗な譜面、特に欧州のものは 楽譜の専門家による手書きの譜面…ヘンレ ペーターブライトコップフ ベーレンライター …。読み易い、見易い音楽を感じられる譜の起こし方そこにも答えが在る様に感じます。今の若い子達は コンピューターで作られた譜面 Windows版を見て演奏もしているので平気なのかも知れませんが…。ついでに書くと、吹奏楽全国大会出場校の 楽譜は汚いです‼︎元の音符が見えない位鉛筆で色々書き込んであります!…大事な音符は◯で囲む…ほぼ全部◯◯◯◯… って書く意味あるの⁈特に大切は何重も◯が沢山。先輩に指導で書かれたり自分で書き込んだり…で楕円◯だらけ。5線譜の周りには… テンポ‼︎音程‼︎ 指揮を見る‼︎ ブレス!の書き込みにも更に何重も◯。音符にカラーラインマーカーで数色…赤の音符は主音の時、黄色は第3音←低めに吹く 青は第5音←ほんの少し高めに吹く(長調の時)…さらに、メロディーパート演奏中は緑の帯線、和音パートはオレンジ…等 よく言えばカラフルな楽譜。と言う方法で全国金賞を獲った学校のを見て 真似る広がる…。(心有る先生は賞は獲るものではなく頂くものだとは言ったが…)指導する先生が音大卒では無く、本人の勉強、アナリーゼの為にスコアに書き込むのは、やぶ坂では無いが…。パート譜にも同様に色を真似て書き込ませる。…デイトレーニング、練習曲集に初心者に分かりやすく説明には意味も有るとは思いますが…。先輩から引き継ぐ、練習曲集の譜面には上記した◯だらけの書き込み有りの譜面で伝統を引き継ぐ。本当に 書き込みに意味があるのかと…。見て機械的に完璧に吹けるのが優秀⁈感じる…、皮膚呼吸する穴も大きく開いて…音を体幹する 音楽に浸るそう言う大切なものを捨てていると言うか 育てていない。指導者の(本人も)自己満足⁈
私はアスリートで聞くとよくわかります。バスケットをしてて一流のプレヤーは個人的に優れています。そしてどのチームにいってもそのチームにあわせられるのです。それができないプレーヤーは二流と思います。
日本の有名な劇作家によると「ほかの役者のセリフの間に自分のセリフを一生懸命思い出しているため、下手な役者はあまりセリフを間違えない。上手な役者は舞台でほかの役者のセリフを聞いている。そして自分の出番で、その瞬間に心の底から湧き上がってきたかのようにセリフを言う。すると数か月も稽古を繰り返したセリフが必然で生じたように聞こえる」演劇でもあるオペラに、そういう逸話はありますか
お話を聞いていて、福沢諭吉の「一身独立して、一国独立す」を思い出しました。「一国独立して、一身独立す」はありえません。何故ならその場合は、個人は全体に従属してしまうからです。かつて指揮者の大野和士さんが、いい音は指揮者の棒に合わせて演奏してでるものではないと言っていました。その場合には単調な音になる。良い音は、演奏者ごとに違う。指揮は演奏者の良い音を出そうとする軌跡を邪魔せずに、全体のアンサンブルをまとめることだというのです。
最後におっしゃっているように、個を殺してしかチームに参加しない場合は、チームプレーは出来ていないことになるかと思いますね。一方でチームプレーをする気のない不誠実な個人プレーもまた何も生み出さない・・・。
『攻殻機動隊』というアニメの中で、チームプレーに関する以下のような表現があるそうで、中々に含蓄のある内容かと存じます。【我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。】
こんな夜遅くにハートマークを!?と思ったら、ドイツ時間は17時過ぎでした😇
一矢乱れぬ演奏は面白くないとは云っても、ソ連時代のムラビンスキー指揮のグリンカ「ルスランとリュドミラ序曲」はつまらないですか? これ程の縦も横も一矢乱れぬ名演奏は無いと思いますが、当時のソ連の特質か名指揮者ムラビンスキーの力量でしょうか?日本人プレーヤーは技量は凄く良くても、ソロで聴くと物足りないのは何故でしょうか?
今回も勉強になり、かつ興味深いお話をありがとうございます。例えば北の将軍様の軍事パレードは規律正しくよくそろっていて奇麗ですが見ていて感動はしません。日本の名門吹奏楽部の指導者も北の将軍様みたいに軍事教練並みの恐怖で統制し(つまようじ一本落ちていても激怒し)、コンクール好成績の積み重ねにより毎年勘違いして、音楽という芸術を捻じ曲げているような指導者が持てはやされているとすれば滑稽です。まずはそれぞれのplayerの音楽性の成長が必要であることがよくわかりました。
いえ、あの一糸乱れぬマスゲームに感動してしまう人も常に一定数いるのです。かつて、教員上がりの金丸信が訪朝した時にあれを見せられて感動して籠絡されたように。特に上の世代になればなるほどに。昔の東京オリンピック入場時の日本の行進を見ていても判るように。その比率が常に高いのが日本人集団というだけです。人類の性ですね。逆に低いというか、個人主義の伝統が徹底してるのがアングロサクソン系と言われてますね。ナチスドイツ式の行進を見せられると思わず吹き出してしまった人も多かったそうで。
@@ごる原にゃん なるほど.ご指摘ありがとうございます.
現役教員ですが、ここ最近おっしゃっている通りの事を感じます。
和を以って貴しと為す、とは言いますが、どんなにアンサンブルが揃っていても、それが内から出る音楽への心が最初にないと、音楽ってただの作業になってしまうのではないかと感じました。
卒業すると楽器を続けない子が多いのがその表れかと。
多くの部活で部活動ガイドラインが守られるようになり、活動時間が制限された今、部活動でできることは賞を追うことではなく生涯学習として芸術を楽しめる人間を育てることなのではないかと思います。
色々な考えがあると思いますが、車田さんの仰っていることに共感いたしましたので思わずコメントいたしました。
和をもって、よしとすな。ですね。
同感 賛成🙋♂️
激しく同感です。かつて恩師から、譜面にいくら情報を落とし込んだところで、「音楽」を「音楽にするのは、大変な事なんだよ。」と、言われた本質を再確認できました。ありがとうございます❗️とてもわかりやすい動画なので、一般の方々にも伝わっている事を願います。
一糸乱れぬ演奏でフルトヴェングラー氏と比較されるカラヤン氏でさえ、小澤征爾氏に「オーケストラはドライブするな、キャリーしろ」と演奏家の自発性を強調されていましたよね。BPOの第1コンサートマスターだった安永徹氏も「全員音程が完全に揃っていたらシンセサイザーみたいな無機質な音になる」とおっしゃっていました。
この前の高校の吹奏楽のお話とともに、音楽の表現ということについて考えさせられる動画、ありがとうございます。
「車田さん」こんにちは!今朝も「イイお話」伺いました。今時、殊に日本にとってはとても難しいテーマだったと思います。「車田さん」の音楽を愛すればこそのやむにやまれぬ「意志」からのトークだったと思います。先ずは「車田さん」の人柄に魅せられる視聴者の方々多いと思いますね。他方やっぱ厳しい「反論」に立ち向かわなければならないかもの「反論も在り!」御免なさいね。1978年ある公開講座で「アイザックスターさん」が言いました「いま音楽は世界中でみんな同じになってしまった」これを想い出しています。1970年頃から世間が変って行ったように思われますが(90歳)1975年?頃ある雑誌でドイツ人指揮者(カルルミュンヒンガー?リヒター?忘れました)が「50年位たてば元に戻るだう!」あれから50年経ってしまいましたが、今の日本の音楽事情を「車田さん」のようにお話になる人は稀有なような気がしています。音楽は個人?かチーム?かの話題はまだまだムツカシイかもしれないですね僕個人としては「先ずは個人あっての音楽である」の「車田さん」の力説を力強く支持させてください。素晴らしいお話振りに感動しました。「車田さん」は稀有なお方です有り難う御座いました。
なるほど。どうして吹奏楽コンクールの全国大会を聴いていて、感心はしても感動しないのはなぜかがよくわかりました。
音楽に対する強い意志を持ったプレーヤーを育て、そういう人たちのエネルギーの方向性が揃っている、そういうことが起きていないんですね。有名な指導者に対し、個人の意思は置いておいて従順に軍隊のような統率を見せる生徒たち、そういう団体に最高の賞を与えたくなる気質というものが日本人にはありますね。
お正月の番組で目隠しをして高価な物を当てる番組があります。その一つに、学生さんとプロの吹奏楽がありますよね。私は毎年ビンゴ‼️です。車田さんのお話の通り、きちんと揃っているのが学生さんの演奏です。✌️綺麗だけど何か物足りない‼️ 自分の感覚を言語化してもらえてスッキリです。
今日のお話はとても興味深いものでした。先日BBCプロムスでベルリンフィルのマーラーを聴いた時、とても感動しました。ひとりひとりの演奏家の音がピカピカに輝いて聞こえたのです。本当に素晴らしい演奏だと思いました。これまではハーモニーが重要だと考えていましたが、その日以来、個人の音楽、方向性、信念みたいなものが重要かなと思い始めました。そう思った直後にこの動画を見たので、もうめっちゃ、よおく理解できました。本当にありがとうございます!!
とても感動したので、私の先生🎻に、この動画をシェアしました。
「うなづけることばかり。話し方もとても紳士ですね」と、アンサンブル全員に共有されました。
年代も経験年数もバラバラですが、楽しく良い音楽を作っていきたいです♪
ありがとうございます❤
きちんと揃っていて聴きやすい音楽はBGMに最適だけど、音楽を聴きたい!時は個性のある演奏の方が味わい深くて満足感があるなあと思っていました。
車田さんの解説で腑に落ちました。
ありがとうございます!
いつも大切なお話をありがとうございます。
伺いながら、脳裏に「歌劇 カルメン第二幕 うまい話がある」が流れて来ました。ソリスト5人による5重奏。それぞれがハラによからぬものを秘めた悪だくみの音楽なのですが。。この曲など正に、奏者一人一人が音楽的に自立していないと成立しない曲かと。。。
子供たちの部活の、押さえつけられたような合奏を聴くのは辛いことです。一人でも多くの顧問に気付いてほしいです。
昔ベルリンでベルリン・フィルをよく聴いていましたが、いつも思ったのは、個人のプレーの素晴らしさが全体と見事に調和しているということでした。各パートのソロが出てくると、あんなに大きなオケ全体が室内楽のような響きになるのに感心しました。また、彼らが他のパートの音をよく聴いていることもわかりました。個人と全体は調和において矛盾しないのがいい演奏なのですね。
まったくおっしゃるとおりです。
しかし、これは日本の文化や日本人の性格に基づく問題ばかりとはいえません。
日本独自の音楽、お能や長唄、歌舞伎に纏わるいくつかの音楽、浄瑠璃の音楽には指揮者はいないのです。
その演目の内容に向かって、演奏者や演者がまさに全力疾走していないとその舞台は成立しません。
その舞台に立つために個人個人が技量を上げようと個人個人が努力を重ねて行きます。
一流のお能や長唄、歌舞伎の舞台はある意味格闘技の様相を呈する時があり、それは感動的です。
盆踊りや日本各地のお祭りにおいても、オレガオレガとなだれ込む気ひつは日本人にはあります。
それを受け入れる土壌もあるのですが、ナンカうまくいきませんね。
時間をかけるしかないと思います。
この点に関してはまったく同意します。私が大学の合唱団に入った時に、4年の執行部が偉大な決断をしました。たてにハーモニーがそろうことに意識が行き過ぎて、音楽が横に流れていないという欠点を克服するために、その当時二期会の中心な立場にあった東京芸大の畑中良輔先生に指導を仰ぐことになったのですが、これは、ここで言う生きた音楽の喜びを歌える合唱団にならなければならないという先輩たちの決断でしょう。最初の年の「ジプシーの歌」は、合唱としては不揃いのとんでもない演奏ですが(私家版のレコードで音源が残っています)、しかし、この合唱団がこれから良い方に変わって行くだろうという希望を感じさせるものでした。
ただ、音楽を表現できた上で、メンバーが一糸乱れぬ音演奏をすることへのあこがれもあります。キングズ・シンガーズの初来日の時の「金比羅船々」で、航空アクロバットチームブルーエンジェルスのアクロ飛行を見るような一糸乱れぬ演奏に「こんな事ができるのか」と唖然とした事があります。
全面的に同感です。一糸乱れぬ高校吹奏楽部の演奏を聴きましたが、何の感動もありませんでした。私はポピュラー音楽のバンドを組んでいますが、同じ方向を見ているかどうかが最大のポイントだと思います。多少演奏技術が未熟でもそういう人と一緒に演奏したい。
車田先生、今回も素晴らしいお話をありがとうございました。
車田先生のお話はいつも僕が上手く言語化できずにモヤモヤしていることを代弁してくれてすっきりすると同時に、自分の音楽観が間違いではなかったと再確認させてもらえます。
いつもありがとうございます。
これからもついて行きます(笑)
??ん?」
。ー
人工の林と天然の森の違いみたいな感じがします。
林は綺麗に整ってるけど、他の生き物を育てる恵みは少なく
森は雑多な環境だからこそ、木の実など恵みが多いです。
私は、個性的な演奏とはなんであるのか、ということを考えてみましたが、基本的なことがしっかりしていないといけないなと思いました。そのうえで、プロの音楽家が
協力して、作られる音楽が、多くの人々を感動させると思います。
中学生の頃にクラシック音楽に魅了され,本当に好きになりました。
高校時代に親の反対で吹奏楽部に入れず,本当にモヤモヤ20年30年も引っ張っていたのですが・・
だけど,もしも入ってやっていたなら,(クラシック)音楽が嫌いになっていたかもしれないなと思いました。
それはともかく,こんなご時世だからこそ,クラシック音楽,芸術は必要だと思います。
良い生け花にはやはり良い花材を求めます。ただ上手な方は、そこら辺の雑草群をホテルに飾れる一品に仕上げてきます。(自分がやると単なる生ゴミ堆積) そのあたりが個の輝きと、アンサンブルの関係かも。社会でも自分が上手い人と、他人を引き立てるのが上手い人がいるような気がしています。
かつてオケの演奏聞くのが大好きな大学の教授が、「N響なんて官僚的な音出すばかりでちっとも面白くない。うちの大学のオケの方がずっとまし」と言っていたのを思い出しました(どこかに同じ事書いていたらすみません^^;;) 音楽の根本的な部分……おのおのが楽しんでいるのがあまり感じられなかったからかもしれませんね。
白人率ほぼ百%のボストンのオルガンコンサートでも、時々「自分がない演奏」を聞く事があります。人から言われた通りにひいているんだろうなぁとか、間違うのが怖いんだろうなぁ……とか、楽しむより音楽を恐れている感じが伝わってしまう……。
ただまあ、日本人の方が気質的にそういう罠に陥りやすいとは思います。
日本人気質も、うまく機能すれば素晴らしい結果を出せると思う時もありますね。
東京オペラシンガーズが小澤の指揮で歌ったロ短調ミサとか、すごい統一感なのですが、魂にズドンと響き渡るような力強さがあり、私にとっては衝撃的でした。
最高にいいお話でした
車田さんの音楽談話はいつも考えさせられます。
個人的に思う事は、今の若い世代は同じ曲を同じ聴き方しかしない(出来ない)ように感じます。
シューベルト、ピアノソナタ18番いいですね💓
大好きな曲です。
シューベルトも北オーストリアの風景を馬車の車窓から眺めていたのでしょうか
シューベルトもきっと色々な景色を眺めていたと思います😊😊
車田さんのお話は、いつも単に音楽の話で終わるのではなく、文化や社会への深い洞察にまで広がりがあり、とても興味深く、面白いです。穏やかでフェアな視点も尊敬してます!このチャネルに会えて毎日が豊かになりました。有難うございます🙏🏻🤲😊✨✨
かなり前ですが、FMでメンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトへボウ管、1939年録音、第二次大戦下で行われたライブの録音のマタイ受難曲を聞きました。ナチスがポーランド侵攻の最中での演奏会で、すすり泣く声が聞こえ、演奏者と聴衆が一体になって、みんな涙ぐんでいるような演奏だったと思います。
同感です。最近のプロの演奏でも、その傾向があるように思います。かつては、各国のオーケストラには一聴しただけで分かる特徴やサウンドが有りました。今はどこのオーケストラも同じ様な響きで面白くないですね。もっと個性が欲しいです。
共感しました。
サッカーのたとえ話がとても分かりやすかったです。この感情の沸き立ちは、大なべ1つがぐつぐつ言っているのでなく、鍋やらヤカンやらいろんなものが沸き立っている、そんなにぎやかさを感じさせます。
「和を以て貴しとなす」これは日本の良い民族性ですね。
古代から最近まで日本は稲作の村社会でしたがその村では自分だけの考えでは村から疎まれたり排除されたりします。他人のことを思いやれば村全体の利益になりますし自分にも恩恵があります。
狩猟社会では個人の各種能力で獲物を獲得する。
アマチュアのソプラノ カウンターテナーです。
ただ ただ 「同感です!!!」
音楽の本質、raison d'etre にかかわる「突っ込んだ」お話をしてくださるのが、本当にうれしいです!
夕食の時間で、家族全員揃って、車田さんのお話しを聞きながら、家族会議みたいな感じで話し合っていました!いつも有意義な動画、ありがとうございます😊
フルトヴェングラーは偉大ですね🎶😊
多様性の国アメリカで小学生を始めた私は今日の先生のご意見に大賛成です。本日のテーマには多様性が関係すると思いますが、小学校の担任の先生が黒人だった私の疑問は、ホィットニーヒューストンとかオペラポップスが歌える黒人がいます。一般には黒人には音楽のセンスがあるなんて言われます。私の不勉強のせいかもしれませんが、先生のように優れた黄色人種のオペラ歌手がたいくさんいるのに、なぜ有名な黒人のオペラ歌手は少ないのでしょうか?私が存じているのはジョン・ホリデーさんだけです。
50年以上前になりますが大学で混声合唱をしていました。最近、NHKBSPで東京オ○○シンガースの佐藤真「土の歌」を聴きました。プロのオペラ歌手の集まりのコーラスだけあって、確かに縦横の揃った発声も素晴らしい演奏でしたが何か訴えてくるものが感じられず物足りなさを覚えた次第です。最終曲「大地嶺賛」は熱い想いが無くてはならないのに、只々綺麗なだけです。いわれるような「個人の訴えかける思い」が不足している演奏だと感じた次第です。
アンサンブルといつても完璧に揃うことよりも、それぞれの演奏家の強い思いが大切ということかなと思いました。ただ、理解したつもりがそうではないかもしれないとも思いました。
「それぞれの強い思いがあり、同時にアンサンブルが揃えば、それこそが一番理想なのだろうか?」
それとも、「それぞれの強い思いがあれば、ひとつに完全に揃う筈はない、と理解すべきなのか?」
…と妙な思いに囚われてしまいました。
おつしやるとおりだと思いつつも、自分は車田先生のご趣旨を正しく理解できているのだろうか、と思ったりもします。
ご趣旨とはずれるかもしれないのですが、「それぞれの方向が微妙に違うような、しかし、辛うじてバラバラにならない」とか、「方向が微妙にずれていくようて、しかし、また、纏まってくる」とか、そういう『揺らぎ』を味わうのかな、と思ったりしました。
あるいは、ひとつの枠の中を、各演奏者が自由に泳いてみる(指揮者としては、各演奏者に自由に振る舞ってもらう)とか、そういうことかなと思いました。
極論すると、カデンツァがもともとは演奏家の即興だったような(作曲家からも離れてしまう)ことに似てるかなと思いました。
「運命」の冒頭なんか分かりやすいですよね。縦を合わせに行くと本当にショボい音になります。
たしかに、フルトベングラーの第九。男声が入る前に、楽団全員が突っ込んでいくような感じは迫力がありますよね!「隣の人に合わせて・・・」などとやっていたら、あの音は生まれないです。
個性を最大限出しながら全体としてまとまっている様子は、ジャズを聴いているとよく感じます。また、ジャンルは全く違うのですが、ハードロックのディープパープルを聴いていても、よく感じます。
クラシックと関係のないコメントになってしまい大変恐縮ですが、自分は先生が仰る日本独特の音楽観が一番出ているのは個人的にはここ2~30年のJ-POPやJ-ROCKだと思います。歌詞のことはわかりませんが、メロディーラインやコード進行があからさまに聴き手に媚びていて聴いててとても気持ち悪く感じます。洋楽だともっと聴き手を突き放してくれ、あのくらいの距離感の方が個人的には快適に感じます。
話を本題に戻して、後半に仰っていることを最初に強く感じたのはカルロス・クライバーが来日した時のベートーヴェン7番の放送でした。腕利きのバイエルンのオケメン達がクライバーの棒の下自発的に同じベクトルに向かっていくあのエネルギーに仰天したことを今でも覚えています。
車田さんのこのアカウントで、もうすぐ50番目の動画になりますね!50番目記念で何かお祝いの動画にする予定でしょうか?とても楽しみにしてます^_^
個人的には、中高生の部活動でも、指導者がきちんと導けば、一人ひとりが意思をはっきり出して、かつ気持ちの方向を合わせる演奏をすることは可能なんじゃないかと思うのですが…(もちろん中高生なりの、拙い演奏にはなるとは思いますが)
ただ、そんな指導をしていたら縦横音程を揃える時間がなくなるから、部活動ではそういうところはスルーされてるんでしょうね…
また、そもそも指導者自体、「縦横音程は揃ってないけど一人ひとりがはっきり意思表示している演奏」の良さを理解していない可能性も…
野球のイチローさんも、個人として最高のプレーをすることが結果的にチームのためになるとおっしゃってました
昔の日本ではチームプレイといえば「個を犠牲にする」というようなニュアンスで理解されていましたが、最近は日本でも個人プレーの集合がチームプレーであるという考えが少しずつ浸透してきたように思います
大谷選手の二刀流なんて、30年前の日本では実現しなかったでしょうね
私の飲み会ネタのひとつに「ソリストはオーケストラよりも上手い人がやると思ってませんか?」と聞いてから「実は目立ちたい人がソリストで、協調性のある人がオーケストラをやるので、ソリストが上手いというわけではないんですよ」という流れの話があるのですが、結構みんな驚いてくれます。ソリストになれなかった人たちがオーケストラをやっているという誤解はかなり根強いんだと思います。
プロのソリストになるには、音楽的にも技術的にもより優れたものが求められますね😊上手くないとやはりできません。
@@kazuhisakurumada
先生から返信をいただけるなんて光栄です。ありがとうございます。ソリストの方々が上手いことは当然ですし周知の事実だと思うのですが、「オーケストラの人たちはソリストよりも下手」という偏見があると感じているのでこんな話をしています。実際、オーケストラの方々もソリストに負けなくありむっちゃ上手いですからね。
日本ほどたくさん練習している国はないです。ヨーロッパでは部活はないのでみんな民間のクラブがやっています。
普通吹奏楽などは週に一回集まって練習しています。
ですから日本の吹奏楽とヨーロッパの吹奏楽を比較することは難しいです。
しかしヨーロッパの吹奏楽がレベルが低い、とは言えません。
やはり音楽を表現する伝統があります。
日本の吹奏楽はコンクールで勝つために音符を完璧に
演奏することに重きを置いていて本来の音楽で
何かを表現するということがおろそかにされています。
個人プレーかチームプレーか、個人が音楽を表現出来なければチームでも
音楽を表現することは出来ません。日本は個人プレーがおろそかにされています。
日本最高クラスの吹奏楽でもソロプレーヤーのレベルは高くないです。
もちろん音符は正しく吹いていますが。
アメリカなどは学校でやっていますがそれほど練習はしていません。
土日はもちろん休みです。
それが当たり前ですよね。音楽でもスポーツでも日本人は練習の
やり過ぎで体も頭も慢性疲労を患っています。本人たちは気が付いて
いないですが。
最悪なのは子供たちが音楽を心から楽しむということを
学べないことです。ですから学校を出ると殆どの人が
音楽を止めてしまいます。もったいない話です。
合唱は響きを作ることを重視して、声が出ることにとらわれてしまうってこともありますよね。声はいいんだけど、情感が感じられない、クレッシェンドがただボリュームを上げていくだけで、気持ちの高まりを感じられない、ていうのがよくあります。
それと、コンクールで1位を取るような合唱団は、難しい和声の曲を縦にそろえて「決まった!」て言うのを重視してるな、と言うところもありました。
縦も大事だけど、音楽のだいご味はいかに気持ちよく横に流れていくか、だと思うんですけどね。
👍☺️☺️
日本では「みんなが同じことをする」ことをチームワークといいますよね。それぞれに個性があって、主張があって、凸凹があるけど、うまく組み合わせると力を発揮するよね、という発想はありません。音楽だけに限った話ではありません。それでは「みんなができること」しかできなくなるので、技術的にも落ちぶれました。
いつも愉しく観させて頂いています。
昔の話になりますが、PCでWindows 95の頃、音楽ソフト、楽譜ソフトが発売され(Macにはもっと前から優秀なものがあったが50万円とか…) 数万円のソフトで楽譜を入力 (吹奏楽の指導で
楽譜ソフトで譜面を作ってみるかと…) ついでに未だプアーでしたが譜面に音色楽器を選んで演奏も可能でしたので…、3連符も正確⁈
スコア総譜を打ち込めばパート譜も印刷出来る、演奏出来る…各はパート1音色一人分、リズムは人間よりも正確、とても無味乾燥で音楽とは思えない BGMにもなら無いレベルでした。←今はソフトも改善されてとても良くなっているとは言っても大同小異。
3連符…0.33333…、割り切れ無い訳ですが、正確な演奏って⁇
音大に入ってから"
リンゴで説明を受けたのですが、
1個のリンゴを3つに割ったのが3連符
リンゴを半分に2個にしたのが
八分音符で 1/2 0.5では無いのです。
1小節 も 大きな1つのリンゴで
4拍子なら 4つに分けて更に細かく(ナイフで刻む)
小さな子には
4拍子は1小節を4個のリンゴと捉えても良い。
コンピューターに寄る演奏が
一番正確な筈 …でも
それは音楽を全く感じさせない
演奏でした。
追記です…、
上のリンゴの話しも、教職課程の
講義の中で 初めて聞いたのですが…、教職を取らない人は 知る由も無い…。
昔のWindows版の楽譜ソフトの楽譜は 実際 使えなかったです
今でも、安めの楽譜はWindows版ソフトで作った譜面は おかしい⁇ …です。譜面も1小節を4拍子だからと言って4等分はしないのですが…最初の♩を書いた所から後ろの小節線迄の長さの4等分では無い…。1拍めの音符は前の小節線の直ぐ後ろには書かない…見やすい1拍目の始まりの位置が。が最近のは大分修正はされているのですが…、
その譜面では
2小節分とか4小節、一段分を
一気に視野入れて見てリズムの把握が出来ずに1つ1つ
1拍毎に読まないと…。
その点はMacで製作の譜面は綺麗で見やすいです。Macで作ったか否かは見て分かります。
写譜の専門家の書いた手書きの譜面の方が 音楽的で演奏、特に初見演奏は し易いです。
伝統的な楽譜出版社の
活字の様に綺麗な譜面、特に欧州のものは 楽譜の専門家による手書きの譜面…ヘンレ ペーター
ブライトコップフ ベーレンライター …。読み易い、見易い
音楽を感じられる譜の起こし方
そこにも答えが在る様に感じます。
今の若い子達は コンピューターで作られた譜面 Windows版を
見て演奏もしているので平気なのかも知れませんが…。
ついでに書くと、吹奏楽全国大会出場校の 楽譜は汚いです‼︎
元の音符が見えない位鉛筆で
色々書き込んであります!…
大事な音符は◯で囲む…ほぼ全部◯◯◯◯… って書く意味あるの⁈
特に大切は何重も◯が沢山。
先輩に指導で書かれたり自分で
書き込んだり…で楕円◯だらけ。
5線譜の周りには… テンポ‼︎
音程‼︎ 指揮を見る‼︎ ブレス!
の書き込みにも更に何重も◯。
音符にカラーラインマーカーで数色…赤の音符は主音の時、黄色は第3音←低めに吹く 青は第5音←ほんの少し高めに吹く(長調の時)
…さらに、メロディーパート演奏中は緑の帯線、和音パートはオレンジ
…等 よく言えばカラフルな楽譜。
と言う方法で全国金賞を獲った学校のを見て 真似る広がる…。
(心有る先生は賞は獲るものではなく頂くものだとは言ったが…)
指導する先生が音大卒では無く、
本人の勉強、アナリーゼの為に
スコアに書き込むのは、やぶ坂では無いが…。パート譜にも同様に
色を真似て書き込ませる。
…デイトレーニング、練習曲集に
初心者に分かりやすく説明には
意味も有るとは思いますが…。
先輩から引き継ぐ、練習曲集の譜面には上記した◯だらけの書き込み有りの譜面で伝統を引き継ぐ。
本当に 書き込みに意味があるのかと…。
見て機械的に完璧に吹けるのが優秀⁈
感じる…、皮膚呼吸する穴も大きく開いて…音を体幹する 音楽に浸る
そう言う大切なものを捨てて
いると言うか 育てていない。
指導者の(本人も)自己満足⁈
私はアスリートで聞くとよくわかります。
バスケットをしてて一流のプレヤーは個人的に優れています。
そしてどのチームにいってもそのチームにあわせられるのです。
それができないプレーヤーは二流と思います。
日本の有名な劇作家によると「ほかの役者のセリフの間に自分のセリフを一生懸命思い出しているため、下手な役者はあまりセリフを間違えない。上手な役者は舞台でほかの役者のセリフを聞いている。そして自分の出番で、その瞬間に心の底から湧き上がってきたかのようにセリフを言う。すると数か月も稽古を繰り返したセリフが必然で生じたように聞こえる」演劇でもあるオペラに、そういう逸話はありますか
お話を聞いていて、福沢諭吉の「一身独立して、一国独立す」を思い出しました。「一国独立して、一身独立す」はありえません。何故ならその場合は、個人は全体に従属してしまうからです。かつて指揮者の大野和士さんが、いい音は指揮者の棒に合わせて演奏してでるものではないと言っていました。その場合には単調な音になる。良い音は、演奏者ごとに違う。指揮は演奏者の良い音を出そうとする軌跡を邪魔せずに、全体のアンサンブルをまとめることだというのです。
最後におっしゃっているように、個を殺してしかチームに参加しない場合は、チームプレーは出来ていないことになるかと思いますね。一方でチームプレーをする気のない不誠実な個人プレーもまた何も生み出さない・・・。
『攻殻機動隊』というアニメの中で、チームプレーに関する以下のような表現があるそうで、中々に含蓄のある内容かと存じます。
【我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。】
こんな夜遅くにハートマークを!?と思ったら、ドイツ時間は17時過ぎでした😇
一矢乱れぬ演奏は面白くないとは云っても、ソ連時代のムラビンスキー指揮のグリンカ「ルスランとリュドミラ序曲」はつまらないですか? これ程の縦も横も一矢乱れぬ名演奏は無いと思いますが、当時のソ連の特質か名指揮者ムラビンスキーの力量でしょうか?
日本人プレーヤーは技量は凄く良くても、ソロで聴くと物足りないのは何故でしょうか?
今回も勉強になり、かつ興味深いお話をありがとうございます。例えば北の将軍様の軍事パレードは規律正しくよくそろっていて奇麗ですが見ていて感動はしません。日本の名門吹奏楽部の指導者も北の将軍様みたいに軍事教練並みの恐怖で統制し(つまようじ一本落ちていても激怒し)、コンクール好成績の積み重ねにより毎年勘違いして、音楽という芸術を捻じ曲げているような指導者が持てはやされているとすれば滑稽です。まずはそれぞれのplayerの音楽性の成長が必要であることがよくわかりました。
いえ、あの一糸乱れぬマスゲームに感動してしまう人も常に一定数いるのです。
かつて、教員上がりの金丸信が訪朝した時にあれを見せられて感動して籠絡されたように。
特に上の世代になればなるほどに。昔の東京オリンピック入場時の日本の行進を見ていても判るように。
その比率が常に高いのが日本人集団というだけです。人類の性ですね。
逆に低いというか、個人主義の伝統が徹底してるのがアングロサクソン系と言われてますね。ナチスドイツ式の行進を見せられると思わず吹き出してしまった人も多かったそうで。
@@ごる原にゃん なるほど.ご指摘ありがとうございます.