昭和42年の国鉄上野駅発車時刻表【電光掲示板風】
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- Опубликовано: 6 фев 2025
- 1967(昭和42)年の上野駅発車時刻表です。
早朝4時30分からスタートします。1分を約1秒として換算し、路線ごとに切り替わります。
乗り入れ路線は、東北本線、常磐線、高崎線です。
中長距離列車のみの表示となっておりますが、参考までに動画末尾に国電の始発終電を記載しております。
中長距離列車の国電運行区間の停車駅は、東北本線・高崎線が尾久・赤羽・大宮、常磐線が日暮里・松戸・我孫子・取手でしたが、朝夕の一部列車は、東北本線・高崎線が浦和、常磐線が柏と北千住(上りのみ、動画には出ません)にも停車していました。
ヨンサントオ改正前、列車愛称が史上最も多かった時代の時刻表となっておりますので、多彩な列車をお楽しみください。「上野発の夜行列車」の数にも注目です。
22:40発の奥羽線経由青森行421レ普通列車は、青森着が翌日22:00。23時間以上かけて上野と青森を結んでいました。
時刻の元データは昭和42年9月のものです。
また、フォントはtabi-mo.travel....
【訂正】
5:24 601急行白山の停車駅から、「軽井沢」が抜けています。
7:14 2003M特急第2ときの備考欄から、「食堂車」が抜けています。
特急大衆化が始まる直前の時刻表ですね。
青森・盛岡行きを謳っていながら仙台で朝を迎えるように設定されたと思しい夜行列車群など、需要の性格は新幹線時代の現代と変わっていないことが窺えます。
上野発盛岡行きや奥羽線経由青森行きなど、その名残が新幹線開業前まで東北地方内で残っていた客車列車が見られますね。
たしか盛岡行きは、短縮されたと言え黒磯-盛岡間列車として1982年まで走っていた記憶があります。
この時代に沿線でカメラを構えたかったです。
上り東京行き。私が生きてる間に復活するとは考えていませんでした。もう少しすると誰も不思議に思わなくなるのでしょうね。
最初の「東北本線・上り」って何気なく書いてて、今でこそ上野東京ラインが走ってますが、これって、東北本線の上野分断前の話なんですよね (^_^)
はつかりの停車駅が凄い!👀
これが本当の特別な急行列車!😲
列車名のフォントが「国鉄体」っぽくて良いですね!
43・10前の時刻表ありがとうございます、このときは高校生で修学旅行で平泉の中尊寺まで行った頃です、また、小4の頃父の実家に行く為に秋田行緩行に乗りましたが昭和42年にこのスジが残ってたのは驚きです。
今の新幹線の役割も、在来線が担わなければならなかったとは、当時の国鉄も大変でしたね。
長岡行普通列車が思ったよりも多い。そして、信越線経由長岡行普通列車があったとは今ではとても想像できない。
気になった事を箇条書きにします。
①東京方面直通列車があった事が驚き
②川崎駅通過の普通列車があった
③(国電の快速ではなく)成田行き普通列車があったのですか!
④足並みの違う長距離列車の密度が半端ない!ダイヤ作成相当大変だったでしょう。
⑤上野発の普通列車が少ないですが、京浜東北線に近距離客をシフトさせて、普通列車の大宮発着とかあったのですか?
⑥長距離普通列車が目立ちます(100キロ前後の列車が少ないですね)
①東北新幹線の工事が始まるまでは東海道線との直通運転がありました。また特急ときの車両など田町電車区所属の車両もいたので、上野〜品川間で回送列車もありました。
②当時は東海道線と横須賀線が東京〜大船間は同じ線路を走っていたので、ラッシュ時間帯は川崎は横須賀線のみ停車して東海道線は通過していました。
⑤大宮発着普通列車の設定はありません。 当時は優等列車最優先のダイヤのため普通列車は後回しで30分、40分間隔があくのは当たり前でした。
これ以外に貨物列車や荷物列車も途中から入ってきますので。
これは東北、上越新幹線開通までの間、沿線人口が増えていくにつれて、普通列車の少なさは一つ課題だったようです。
⑥道路網もまだまだ整備されていない当時は長距離普通列車は新聞や雑誌などの輸送も兼ねていたので日本各地で多く設定されていました。
もちろん急行や特急に乗れない人の長距離移動需要もありました。
平駅。懐かしいです。
分かってても平って言ってしまう時があります。
今は特急が停まる柏や浦和も一部の普通列車しか停まらない時代、あとシレッと湯檜曽に停まる急行佐渡、高崎より先に行く普通列車は井野通過が当たり前だったり大宮通過の特急があったり興味深いてすね。
初手いきなり東京行き出てきてビックリ!
上野東京ラインができるずっと前に東京に繋がる東北本線があったのを見るとほんと新鮮ですね...
元々、東北本線の起点は東京駅ですもんね。東北本線の上野分断は、東北新幹線建設が理由だったと記憶しています。
上野駅も ターミナル駅ではなくなったのは 寂しい。
北陸新幹線の長野開業当初は上野駅さえ止まらない「あさま」がありましたからね。
青森行き普通列車とか寝過したらヤバいのが紛れ込んでて草
東北本線回り、奥羽本線回りの青森行き、信越本線回りの長岡行き、上越、羽越本線回りの秋田行きとか、長距離普通列車もまだまだ活躍していた時代ですね。
ヨンサントウ直前だけに急行列車全盛期の上野駅の時刻表ですね
当時の駅の喧騒が想像できます
いや本当に昔の上野駅はいついっても人がいっぱいいた
はつかり1Dは13時過ぎに出てたんですね。電車化された後の1Мは16時頃の出発だと記憶します。
23時過ぎに青森着で連絡船に乗り換え函館は早朝、札幌に午前中に着く設定ですね。
いわゆる「1便接続」ですね。はつかりと白鳥が本州側、おおぞらと北海が北海道側の接続列車で、接続列車の指定券を持っていると1便の連絡船の優先乗船が出来たような記憶です。青森行の列車は洗面所に連絡船乗船名簿の用紙がぶら下がっていたのを覚えています。
昔は、東北本線は、日光までの乗り入れがメインだったんですね。長距離急行も健在。
夜行列車も充実してて。それと第一・第二って。下りで偶数が存在とは。有難うございました。m(__)m
ある意味強烈なのは11時12分発の125列車青森行き。普通列車なのに東大宮、蓮田、白岡、栗橋、野木、間々田通過とか(当時は浦和(日中通過)、土呂、新白岡、東鷲宮はなかった、つまり赤羽~大宮~久喜~古河~小山の順の「通勤快速」停車駅)、今の宇都宮線を考えたら普通ではない感覚の「普通列車」ですよね…
そして22時40分発の421列車はしれっと奥羽本線経由と書いているし。一瞬南出羽ってどこ? と考えてしまいました。
あと水郡線直通急行磐城石川行きとか、間々田停車(今はなき水戸短絡線経由)の急行水戸・茂木行きとか、当時はすごい世界でしたね。
特急ときの停車駅って今の上越新幹線と殆ど変わらないのに驚いた
現在の時刻を同じ速さで再現してください。たぶん、速すぎて見えないと思う
父方の親戚が女川に居て親父に連れられて何度か乗ったのが常磐線経由7:40発の第1みちのく。同じ時間発で急行陸中の名称のがあった気がするけど、昭和42年より前だったか後だったか記憶が定かではないです。 屋代分割長電乗入れ湯田中行きがあったとは。
当時は普通列車の青森があったんですね!何時間かかるんだろう
6:51一瞬だけ現れた125レ普通青森行き。
普通列車の走行距離じゃない。恐るべし…。
そういえば、昔大阪始発の普通青森行きもあったような…。
昔は貧乏旅行に優しい列車がたくさんあったんだな
普通夜行列車も多いし18きっぷ大活躍
@@kenli10321 さん
ほんと、仰る通りですね。
今は
中・短距離→普通or快速
長距離→特急or新幹線
というように、利用別に完全に分離されてしまいましたね。急行や準急はほぼ廃止されてしまいましたし。
旅情を安価でのんびりと味わえる列車は、もう出てこないのかな…。
@@gingaexpress6539 さん
ご存知のように高速バスが格安かつ楽チンでの長距離移動ができるから・・・
(私は)鉄道vsバスなら断然、鉄道派です。
私はヨンサントオの後からなんですが、11時台の普通列車は123一ノ関行きでした。
@@ゴーゴープラサンミット ヨンサントオで短縮されていますからねー。サンロクトオ以前が長距離鈍行の末期といっても過言ではないかもですね。上野から青森まで各線(常磐線、奥羽本線)経由合わせて何本あったやら。
4:38 3分間隔で新潟行発車て...
昭和42年9月。私が生まれた月です。
22:03発、高崎線普通列車秋田行の存在も衝撃だったが、高崎通過で井野停車の過去は、地元人にとっては”事件”!!
井野通過ですよ
上野から仙台まで普通列車なんて今では想像も付かないですね。
所要時間はどれだけ掛かるのだろう?
乗り通す人はほぼ皆無でしょう。
上野⇔仙台常磐線経由は8時間位かかると思います。
1985年のつくば万博開催前まで常磐線は電気機関車が木造客車を牽引運行していました。上野⇔仙台、上野⇔浪江、上野⇔平
通勤時間帯も走っていました。柏、北千住通過、松戸⇔上野間トイレ使用禁止等、若い方には想像がつかないと思います。赤塚8時5分発仙台14時過ぎの到着の客車通学で、赤塚の隣りの水戸まで通学していましたが、デッキに人が溢れて、デッキの手動扉は開けたまま(混雑で閉められない)しかも乗り切れず、デッキのステップに足を乗せ、半身の体勢で手すりにしがみついているのが当たり前でした。赤塚~水戸間には日本3名園の偕楽園の急カーブが有って、年に何人かはデッキから転落した事を記憶しています。今では社会問題になってしまいますね。つっぱり全盛期でたばこもOKの時代、つっぱりがデッキを占拠してしまうと、たばこを吸い始め、車内奥に行けずデッキは大変な事になっていた事を懐かしく思い浮かべてしまいました。常磐線は交直流電車という特殊な電車で、駒不足もあって、首都圏では、最後まで客車運行が有ったようです。
仙台の大学に進学した友達を訪ねてその客車で赤塚から仙台まで行った事がありました。途中機関車の交換も有って、停車時間が長い印象が有りました。
動画中の5時40分発221レ仙台行普通列車は、仙台着が15時07分で、所要時間9時間27分です。途中駅での長時間停車がありますが、その分も含めて約9時間半ぐらいだったようです。
オハ35系や61系、スハ43系など旧型客車とはいえ木造ではないでしょう。
常磐線ではEF57や56の牽引はあったのかな。
東北本線なら旧型電気機関車のデッキにも乗ったりしていたそうですが。
@@E501-k9o
昭和2年製造オハ31系より鋼製客車なのに昭和60年まで木造客車が走っていたのにはびっくりです。
学生時代は金がなかったので青森~東京間を一日かけて普通列車で移動したりしましたよ。
昔と違って乗り換えが多い。
ひばり前ですか。私の生まれた年です。
5:25 軽井沢通過の急行 見つけ!!
すみません、これはミスですね。軽井沢にはもちろん停まります。
常磐線で上野発仙台行きの普通列車なんて今だったら考えられない。常磐線オンリーなら特急列車のひたちでいくか特急列車で勝田、高萩、いわきで普通列車に乗り換えていくかときわで勝田、高萩、いわきで仙台行きの普通列車に乗り換えていくか、普通列車でのんびりと行って土浦、勝田、高萩、いわきのいずれかで他の普通列車に乗り換えていく位かな←大ざっぱに書いた。細かく書いたらきりないので割愛します。
凄い。
東北本線完全電化前の時刻表は見た事がありませんでした。
見た所盛岡までは電化された頃のようですね。
M、D以外は蒸気機関車+客車だったのかな?
特急はつかりが常磐線まわり、特急やまびこが現在の新幹線やまびこより止まらない、北海道観光号とは?上野発青森行き「普通」が数本。
などなど、見どころが沢山。
6:52の普通青森行きは岩手県の通過が急行並みに多いが、止まらない普通列車という案内だったのだろうか。
ありがとうございます。
6:52の青森行普通は、ちょうど岩手県内で0時台から3時台の深夜帯にさしかかっているため、通過駅が多くなっているようです。
時刻表上では、特に「快速」のような種別は表記されていません。
そもそも、時刻表の凡例に快速という種別がなかったりします。
したがって、現代の感覚だと間違いなく快速扱いされるような列車も、時刻表上では全て普通列車扱いです。
夜中に通る所は主要のとこだけになるのでは駅を閉めてしまうので。
Mは電車、Dは気動車、記号なしは電気機関車でもディーゼル機関車でも蒸気機関車でも客車列車でしょう。
北海道観光号は、青函連絡船を利用した団体列車で、青森行きはその本州部分を担当する列車という事になりますね。
ヨンサントオの前までは常磐線の浪江辺りは普通に蒸気機関車走ってました。年上のいとこや親が言ってました。ちなみに私は1966年生まれです。
常磐線は 平駅 全盛期だった頃だね
普通電車の 平行き はもちろん
ときわ ゆうづる
みちのく もかな
あと 常磐炭鉱が まだ あった頃だから
石炭を のせた 貨物列車が
ばんはん 走ってたころだよね
まさしく 黒い ダイヤ
夜行普通列車多いね
後年になると夜行区間が廃止されて
昼行区間だけが残りました
急行の湘南日光って伊東線まで行くのか。
もはや湘南とは?
KcSakaguciさん
元々、昭和25年に東京ー沼津間で運転を開始した80系電車を「湘南電車」と呼んでいてそのエリアの総称だったのでは?
727レって長野経由?
2936Mってどこ始発?
727レは上越線経由です。特記無い限り、最短距離のルートとなります。
2936M(動画では落ちていますが東京~富士間329M)は、前橋始発です。
上野東京ラインの原型。
4:29
ビュフェ
18:19 一番上、ただの苦行じゃんw
何時間かかるんだ…
急行白山福井行😲 急行鳥海秋田行😲 普通仙台😲 普通直江津😲 はつかり尻内駅停車😁