Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
整数と整数論 みたいな雰囲気ですかね?動画内で言われている、理論を使う、というのも体系化された中の自明ではない定理を使う、ということだと思うので「整数論によると3+2=5」と言われても、定義そのものや定義から明らかなものだけを用いてるから整数論っぽくないなと感じるのと同じで。圏論の場合は、圏の定義そのものを知らない、定義から明らかと言えるものが1つも思いつかない、という人もいるので感覚に個人差がありそうです
マロ主です.動画ありがとうございます.よくおっしゃってないのによくおっしゃってるとか言ってすみません!!
お前かよ!
@@alg-dx✌('ω'*✌)ピースピース(✌*'ω')✌
alg-d先生ともしかしたら主義主張が違うかもしれないですが、数学をある分野へ応用したとき、その数学を使わないとなかなか見えなかったり気付けなかったりする非自明な主張や構造を導けないと数学を応用した成果があったと胸を張れないように思います。(複雑すぎる分野を数学の言葉で見通しよく整理することも価値があると思いますが、見通しよく整理したことで何かが見えてきて初めてはっきり成果があったと言えるように思います。)
数学に圏論を応用しました!
さすがプロ!
圏論の歩き方っていう本だと、可換図式を考え始めたあたりから圏論っぽいよねみたいな感じだった気がする
自然界にモノイドの構造がある!とか圏論的哲学!とか言ってるひともいるけど、圏になっています!だけじゃなくて、作った圏から何がわかるのか言ってくれないと何がしたいのかわからないんだよね。圏になってます!とかいいながら合成についてまったく確認してないこともあるし。それじゃあただの有向グラフじゃん。
圏論的哲学とか圏論的心理学みたいのは本当に「圏です」しか言ってなかったりするしなんなら圏にするために無理矢理恣意的に前提を捻じ曲げてたりするから、「そんなんで普遍性を語るな」とかなる
群構造を結局考えないのに群使ってるみたいな印象をなんとなく感じた
自分の中では、複数の対象を跨ぎ出すと論って感じがします。群論なら複数の群の間の関係や群から別の群を作ったり、圏でもそうですね。集合論の公理は(群の公理が群を定めてる様に)集合論の宇宙(というかモデル)が対象なので、複数の集合論のモデルの間の関係や集合論のモデルから別の集合論のモデル作ったりしたら集合論って気がします。
今回の話だと、圏論的量子力学において、モノイダル圏の中でやってますというのは圏でしかないということだと思いますが、そのあとの箱と線を使った操作は圏論的と言えるほど圏論を使っているでしょうか?
数学の人にとって定義や構成は非自明な命題を証明するための道具だけど、外部の人からすると数学の人が考えた「筋の良い」定義や構成の中からヒューリスティックな道具として便利なものを見つけられれば十分だったりするので、その温度差があるような気がする
投稿ありがとうございます。ところで、「全ての概念はKan拡張」なら全部圏論になってしまわないでしょうか?また、「随伴を作ったら圏論」という主張は理念に反しますか?
世の中には概念でないものが沢山あるし、随伴はKan拡張です
整数と整数論 みたいな雰囲気ですかね?
動画内で言われている、理論を使う、というのも体系化された中の自明ではない定理を使う、ということだと思うので
「整数論によると3+2=5」と言われても、定義そのものや定義から明らかなものだけを用いてるから整数論っぽくないなと感じるのと同じで。
圏論の場合は、圏の定義そのものを知らない、定義から明らかと言えるものが1つも思いつかない、という人もいるので感覚に個人差がありそうです
マロ主です.動画ありがとうございます.よくおっしゃってないのによくおっしゃってるとか言ってすみません!!
お前かよ!
@@alg-dx✌('ω'*✌)ピースピース(✌*'ω')✌
alg-d先生ともしかしたら主義主張が違うかもしれないですが、数学をある分野へ応用したとき、その数学を使わないとなかなか見えなかったり気付けなかったりする非自明な主張や構造を導けないと数学を応用した成果があったと胸を張れないように思います。(複雑すぎる分野を数学の言葉で見通しよく整理することも価値があると思いますが、見通しよく整理したことで何かが見えてきて初めてはっきり成果があったと言えるように思います。)
数学に圏論を応用しました!
さすがプロ!
圏論の歩き方っていう本だと、可換図式を考え始めたあたりから圏論っぽいよねみたいな感じだった気がする
自然界にモノイドの構造がある!とか圏論的哲学!とか言ってるひともいるけど、圏になっています!だけじゃなくて、作った圏から何がわかるのか言ってくれないと何がしたいのかわからないんだよね。圏になってます!とかいいながら合成についてまったく確認してないこともあるし。それじゃあただの有向グラフじゃん。
圏論的哲学とか圏論的心理学みたいのは本当に「圏です」しか言ってなかったりするしなんなら圏にするために無理矢理恣意的に前提を捻じ曲げてたりするから、「そんなんで普遍性を語るな」とかなる
群構造を結局考えないのに群使ってるみたいな印象をなんとなく感じた
自分の中では、複数の対象を跨ぎ出すと論って感じがします。群論なら複数の群の間の関係や群から別の群を作ったり、圏でもそうですね。集合論の公理は(群の公理が群を定めてる様に)集合論の宇宙(というかモデル)が対象なので、複数の集合論のモデルの間の関係や集合論のモデルから別の集合論のモデル作ったりしたら集合論って気がします。
今回の話だと、圏論的量子力学において、モノイダル圏の中でやってますというのは圏でしかないということだと思いますが、そのあとの箱と線を使った操作は圏論的と言えるほど圏論を使っているでしょうか?
数学の人にとって定義や構成は非自明な命題を証明するための道具だけど、外部の人からすると数学の人が考えた「筋の良い」定義や構成の中からヒューリスティックな道具として便利なものを見つけられれば十分だったりするので、その温度差があるような気がする
投稿ありがとうございます。
ところで、「全ての概念はKan拡張」なら全部圏論になってしまわないでしょうか?
また、「随伴を作ったら圏論」という主張は理念に反しますか?
世の中には概念でないものが沢山あるし、随伴はKan拡張です