【読経のすすめ(延命十句観音経:木魚ありをお唱え致します)】坐禅のあとに読みたいお経編

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  • Опубликовано: 8 фев 2025
  • 【読経のすすめ】坐禅のあとに読みたいお経編
    延命十句観音経:木魚ありをお唱え致します。
    陽岳寺RUclipsチャンネルでは「坐禅のすすめ」と題して、僧侶と一緒に坐禅をしていただけるようにご準備しております。画面をご自身の横に置いて、僧侶と並んでお座りいただけます。
    坐禅のあとに読みたいお経として、動画をご準備しました。ご一緒にお唱えください。または動画を流しながら、ただ単に、お手合わせいただくだけでも構いません。
    延命十句観音経とは、10の句、42文字と短いお経です。
    ー 十句観音経 ー
    観世音 南無仏
    与仏有因 与仏有縁
    仏法僧縁 常楽我浄
    朝念観世音 暮念観世音
    念念従心起 念念不離心
    なぜ短いのか。その理由は、観音さまへの信「観音さまに帰依いたします」の本質・髄をずばりとお伝えしやすく、感じやすく、お唱えしやすいためです。
    ー 十句観音経(拙訳) ー
    観世音菩薩。み仏にこの心身をお任せします。
    み仏との因がある、わたしには仏さまの心がある。み仏との縁がある、わたしは仏さまの心に気づくことができる。(産まれながらにして、仏さまと因縁があるのです。 )
    もろびとみな仏法僧との縁があります。わたしの本来無心の心とは、常に、安楽であり、けがれがないものなのです。(まるで観音さまの心です)
    一日のはじまり朝にもナム観世音菩薩と念じます。一日のおわり夕方や夜にもナム観世音菩薩と念じます。
    この一念一念とはわたしの心身にある観世音菩薩の御心より起こります。いつなんどきも観世音菩薩の御心とわたしの心身は離れません。
    ◆観音さまへの信を、お伝えしやすい
    意訳しますと、このようになりますでしょうか。
    神道でいう祝詞のように、仏さまにたいして奉読し奉る「表白」的な側面と、帰依していますと自分に向かって言う「宣言」的な側面があろうかと存じます。意味の世界、意味を取ろうとする場合は、意訳的な解釈・くみとり方がよろしいでしょう。
    意訳を読むと、観世音菩薩、観音さまはわたしたちと離れていない。寄り添う、慈悲の象徴であることを十句観音経は表現していることが分かります。
    意訳しますと、観音さまへの信を、お伝えしやすいものです。
    観音さま。観自在菩薩、観世音菩薩、観世自在菩薩、光世音菩薩と漢訳のお経には記されています。
    臨済宗でもよく読まれる法華経普門品に「救うべき相手に応じて姿形を変える」「苦しみをうく衆生が一心にそのみ名をお唱えすれば、ただちにその音声を観じて解脱させる(様々な苦難を逃れられる)」とあるように、観音さまとは今を生きている私たちを見守ってくださっているお姿が有名です。
    <観世音菩薩よ、わたしは観世音菩薩の仏心を拠り所とします。>
    臨済宗は「衆生本来ほとけなり」「人はみな仏である」と申します。いたらない私だからこそ、同じように苦しみ悩む隣人の助けとなることができる。その姿を菩薩として見出しいています。
    どうでしょうか。人はみな観音のように、立場や相手に応じて、姿や形や言葉遣いを変え、寄り添うことができる存在です。親が子を、子が親を、同僚を、同級生を、友人を、見守ることができるはずではないだろうか。
    この観世音菩薩の仏としての本質(こころ)は、たしかなことだ。この仏心を、しっかりと見出します、という宣言が、はじめの2句でありましょう。
    <産まれながらにして、仏さまと因縁があるのです。>
    <仏さまと、仏さまの教えと、教えを慕う仲間たちとのつながりがある。いつの世も、わたしたちの本質(こころ)である仏心・無心とは安楽であり、私の本質はくもりもくもりがないということもない程にからっとしている>
    法華経普門品には「七難にあっても、み名を一心に念ずれば、お助けくださる」とあります。自分の子どもが、大切な人が、火事のなかに取り残されたとき、地震で、津波で、事故で、病で・・・真っ先に飛び込んででも助けようと思うものです。レスキューの方がだれかを助けようとしている場面を見るとき、おもわず頑張ってくれ!と願わずにはいられないでしょう。この持って生まれた精神は、ほとけのこころ、仏心。慈悲の心です。慈しみと、悲しみに寄り添う心。いつの世も、だれかのために人事を尽くす時こそ無心となり楽しみであり、自己都合を忘れた造作のない行いをする姿が清らかである。常楽我浄です。
    慈悲の行いとは、そこまで大きいことをしなくてもいい。笑顔で接したり、ありがとうと言ったり、困っているひと苦しんでいるひとの幸せを祈ったりでもいいのです。小さな一歩が、大きな流れを変えることになるはずですから。
    <朝に、夕なに、観世音菩薩を念じます。>
    <この念ひとつひとつとはわたしの心身にある観世音菩薩の御心より起こっている。いつなんどきも観世音菩薩の御心とわたしの心身は離れないというまでもないほどに、離れていない。両のてのひらがぴたりと合わさるように>
    日本人はみな声なき声を聞いてきました。虫の鳴く音を、季節の訪れだと認識するように。吹く風を、咲く花を、故人からの知らせだと認識するように。蝉の鳴く声を、短い命のなかを精いっぱい生ききっている証明だと認識するように。
    お墓やお位牌にむかって目をつむり、手を合わせ、故人との対話をする時間が必要です。なぜ必要か。人とは安らぎを求める生き物ですが、手を合わせ祈る中で、心の安らぎがおのずと生まれるからです。こころは離れていないと実感できるからです。
    わたしの心身にある観世音菩薩の御心より起こっている、もろびとみな持って産まれてくる慈悲心。これだけは、無常、無我の世において、壊れないのですから。
    ◆観音さまへの信を、感じやすい
    さて、ここでは、漢文でお唱えすることもしていただきたいと存じます。
    『無心』に触れていただくことが、十句観音経の肝要なところだからです。
    あまり説明をしすぎるのもよくない、ということは、どのような業界においてもありますでしょう。美術館や博物館にて説明文ばかりを読んで、実物を見ているようで見ていない。言葉を尽くしてしまったが故に、かえって受け取り方が狭まってしまう、それそのままに受け継ぐことができない・・・そんなことをしていませんでしょうか。
    意訳だけであると、「み仏にお任せします、帰依します」「無心の心とは、常楽で浄いのです」「観世音菩薩の御心とわたしの心身は離れません」と言う時点で、差別の世界・分別の世界におり、『無心』から遠ざかってしまうのです。感じるまではいきません。
    楽しもう!と思ってしまった途端、本当に楽しむことができなくなってしまうかのようにです。
    食べ放題や飲み放題の元を取ろうと考えた結果 量を頼んでしまい、美味しくいただくことをせず、楽しむことを忘れてしまうときのように。
    やってやるぜ!あれをああしてこうして・・・と思ったらば、本来の力を発揮できなくなってしまった時のようにです。
    本当は「楽しむ」ことを、「楽しむ」ためにどうすればいいかを、産まれながらにして知っているにもかかわらず、目をくらまされてしまう。もしかめけん玉のコツのように「造作をしない」ことが肝要なのです。造作しないところこそ、楽しいのです。
    観世音菩薩の心と私の心はひとつである。・・・という前から、すでにひとつなのですから、わざわざ言う必要はないのです。「与仏有因」、産まれながらにしてわたしたちに備わっている本来清浄としたこころを、すっかり見て取ること。
    ただ、観世音。ただ、南無仏。ただ、与仏有因与仏有縁。ただ、仏法僧縁常楽我浄。ただ朝念、観暮念観世音。ただ、念念従心起、念念不離心。
    ただただ、観世音菩薩の御心に包まれている、無分別・無差別のはたらきでいまを生きている様子を、御読経いただくことを通じて、体現されるのがよろしいかと思うのです。
    この『無心』の心(本質・髄)が、もろびとみな産まれながらにして持つ、安らかなる心でありましょう。
    仏教だからとか、けん玉だからとか、あいつは嫌いだからとか、好きだからとか、分別・差別は、そもそも無いのです。区別はありますが。
    まるで事実をそのまますくいとるかのように、漢文で、そのまま御読経いただきたいのです。
    十句観音経とは、・・・つらい思いをしている。悲しい思いをしている。・・・そんな人々に対して、よりそう、観音さまのお姿を慕うお経です。慈悲の象徴である、観音さまのようになっていこうというお経でもあります。
    人の一生とはいかに短く、つらく、苦しく、ままならないものなのか。自然災害や戦争や感染症などとの関わりを通して、何度も何度も思わされては、忘れて、何度も同じことを思います。
    私たちができることとは、ただただ、1日1日歩みを進めることだけです。心あるままに、足を動かすしかない。このわたしが考えつづけるしかない。ここに観音もともに歩んでいると思って。
    短いながらも、短いからこその、お経です。お手合わせいただき、お唱えください。
    RUclipsの動画経由ではありますが、この動画をご縁にして、「お経をただお読みする」体験をとおして観音さまの、わたしの『無心』に触れていただく。こころ安らかにお過ごしいただける時間をお取りいただけたら嬉しいです。
    下町深川の禅寺 陽岳寺 www.yougakuji.org
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    #延命十句観音経 #陽岳寺 #臨済宗

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