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800年前の法が現代にも影響を残してるのはエモいですね
9:28なったらじゃなくて既になってるんだよなー
戦国banashiさんの説明、とても分かりやすく益々歴史好きになりました特に鎌倉時代の歴史の流れは今まで分かりにくかったのですが大河ドラマの解説をしてくださり大河ドラマを毎回楽しみに見ることができましたこれからも歴史の解説を楽しみにしています♪
所領の点で、御成敗式目のほうが律令よりも、今の資本主義の考え方に似ているなというのが今回の動画で知って、あぁそうなのか❗、ある意味時代を先取りしているなぁと感心しきりです。ともあれ「武士の武士による武士のための法律」を初めて作ったという点で、北条泰時の功績は凄いと感じ入っています。
最近どっぷりはまって毎晩寝る前のお楽しみにしてます!
ほぼ毎週登場する解説の流れ「ふざけんじゃねえ、ぶっ潰してやる。て言って戦いが始まって」そんなMr武士道さんの、鎌倉殿解説が好きです。もう次で本編最終回とは御成敗式目研究(植木直一郎)という本も見てみようかなと思いました
今回もとてもためになりました。袴に触れた者です。前に定家や法然が出ていない、とコメントしたら、色々な逆コメントをもらいました。沢山関係者をだせばいいというもんではない、北条との関係では法然ではなく栄西のほうが適切だが別にあえて出す必要はない、なと有難いご意見いただきました。とても勉強になりました。貴君の動画がこんなに熱く観られてるのですね。これからも頑張って👊😆🎵
解説ありがとうございます。先月Togetterまとめで、御成敗式目は明治初期まで有効だったとのまとめがありましたが、それはちょっと眉唾ものではと私は思うのです😅 いずれにせよ長期にわかり我が国に影響を与えたことは間違いないでしょうね。本当に泰時はスゴイ方だと思いました。
御成敗式目8条は民法162条の時効取得と同趣旨ですね。不動産や土地を平穏かつ公然と20年継続占有していれば(善意かつ無過失なら10年)所有権を取得できるというものです。明らかに御成敗式目の影響がうかがえます
やっぱり御家人にとって律令より優先する独立した法令を制定できたのは先の承久の乱で朝廷に圧勝できたからでしょうか
多分大江広元、三善康信が死んだのが直接のきっかけだと思います。ドラマでは情けない描き方ですが、三善さんもすごいんですよ。
3:40 そこまでみたいですね🤔
武士道さん、いつも解説ありがとうございます。3:26 泰時評定衆のメンバーは時房、三浦義村に二階堂一族も入り、新旧バランスよくなっていますね。御成敗式目が江戸時代まで影響力があった意味で、泰時は偉業を成し遂げたと感じますね。ドラマもいよいよ最終回。私も義時亡き後評定衆が集結、または御成敗式目制定で締めると予想しています。
あと北条泰時が、秀吉に先駆けて刀狩りを行ったことも、もっと注目されるべき。泰時の刀狩も、秀吉の刀狩と同じように、没収した刀を大仏に捧げ、平和を希求することを建前としていたのである。
800年前にすでに日本では武器規制してたというのに未だに銃規制出来ないアメリカ(笑)
現代と較べれば、鎌倉時代の社会の発展・変容はゆるやかなものだろうし、追加法のペースも多少は控えめだったろう。しかし、現代の六法全書は、折々の法改訂を受けて、「毎年」のペースで改訂・再版されている。当時の識字率の低さや、出版事業の不存在、司法官僚の量産体制の不備などを思うと、追加法の管理・把握は「超★大変」だったろうなと容易に想像できる。
戦国BANASHIさん、一年間本当にお疲れ様でした。貴殿の深堀で、「鎌倉殿の13人」を深く楽しめました。「源平合戦」を取り上げるドラマはあっても、その後の鎌倉初期(源氏三代~1221年承久の乱~1224年義時死去)を描くドラマはなかったので、しばらく大河ドラマを見ていませんでしたが、今回は1年を通して見させていただきました。三代執権泰時は知っていても二代執権義時(初代執権時政も同じく)は知らない人が大多数でしょう。そこをドラマ化することは、三谷幸喜氏以外にはできなかったでしょうね。三谷幸喜氏の手腕に脱帽です。
御成敗式目の解説の為、古代の律令制〜武家社会の土地人民支配の制度の変遷の解説有難うございます。他の方のコメントも拝見して復習が出来ました(東国国家論の基となる考え方でしょうか?)✍️。『20年の実効支配』は現代の土地の境界線トラブルの時にも効力があるかと思いますが、泰時から続く考え方なんて凄いですね。『俺達の泰時』の凄さを理解出来ました。さあ最終回の義時を見届けねば(自分はリアタイで見られず録画です😫)。
愛知県法のたとえ 笑った〜😂😅
例えで出てきた愛知県だけ交通ルールが法律関係無く特殊(愛知県のルール)ってのは実際(名古屋走り)そうなんだよなw
民法168条ですね。20年はワンジェネレーションなので、所謂道理にかなうって事ですね。
去年、江戸時代の先祖が天皇の外祖父と家系図で分かったことで一般人ですがネットで自分の歴代の多くの先祖が確認できます。鎌倉殿の13人のドラマに32人の先祖が出てました。ちょっと驚きました。😅泰時も先祖で御成敗式目を作った人だったんですね。鎌倉の常楽寺にお墓があると分かったので近い内にお参りに行きたいです。先祖についてRUclipsで詳しく分かるのはいつも有り難く思います。😊
時頼の鉢の木の話は超法規的措置なのか。
墾田永年私財法は?班田収授法は豪族から農地を取り上げて朝廷の下に一元化。租庸調の税が重くて農地を捨てる農民が増えて困ったので私有を3代認めることで開墾を推奨。それでも3代で取り上げられるので効果が薄く、さらに私有を完全に認めることで開墾をより推奨。荘園とか寄進とか武士にとって不利益なことが多かったわな。農地の私有が律令制と乖離してるからね。所領のために命を懸けてるのに朝廷の横やりで好き勝手されたら目も当てられない。
律令は武士のいない時代に作られた、武士が生まれて律令は合わなくなった。
より近いのは民法162条ですね。条文の文章そのものが御成敗式目八条に似ている。
『特別法は一般法を駆逐する』は法規の原則ですよ。今でも。
身分制があいまいな時代に、支配階級でもない侍に対して出された初の民法だもんね。泰時は仁君だったけれど、決して幸せな家庭人ではなかった。
妻と離婚し子供や孫にも先立たれ、寂しい晩年だったようですね。彼からあとの北条得宗家はみな異常な短命です
武士道さん、こんばんは😎いやぁ!今回も興味深く拝見させて頂きました!歴史本(学習マンガですが)で読んだものでは、御成敗式目には公家衆も関心を持っていて地頭との争いを裁いてもらおう、とわざわざ京から鎌倉までやって来て評定所で裁いてもらっていた名も無き公家の話が載ってましたねえ。ちなみに結果は公家の勝訴で、地頭は儂は口が下手じゃ、どうも上手く口が立たん…、と悔しがること頻りでした(笑)。
あ。評定所、ではなく問注所、の間違いですね…。
律令の基本は公地公民だからね。武士とは合わない、
泰時は北条家でも名君だったんだよなぁ。😙
今回今年の大河ドラマで教えられた事は.. 1192 いい国つくろう鎌倉幕府と教えられていた事は、源頼朝が良い国をつくり日本国が良くなった年だとずっと思い込んでいました。実際は武家社会が勢力争いばかりの刀を振り回す社会で朝廷とも常に陰謀がうごめく困った社会時代だったから『良い国をつくろう!』と方向転換しなければならない時代だったのですね🤔 頼朝が世の中を治めるため実行した徳や常識を泰時が整えた『法』が後々徳川の時代でより争い戦のない社会に導かれて日本は本当に良かったと思います☺️ 江戸時代に『武士道』は..人を攻撃したり戦争を始めるためのものではなくなり、護身や『己を律する』修身躾の武道に変化して今にあるんですね。(従来の人々の宗教観に仏教の法を取り入れて世の中をマイルドに導いたのでしょうか.. 武将の性格が大きく時代を左右してしまう良い教訓です。『徳』ある政治を学ばなければ🇯🇵) なるほどです。分かりました(((^_^;) 👍
今も昔も何か見える形を変えるときの最後の出口は、その裏側にある物理的な力【(暴力)≒この時代においては武士そのもの】は、切っても切り離せないわけだが、それをできる限りバイオレンス化させないようにするには、忍びのこころと仏のこころで時間軸を利用して、少しづつ(戦後≒ずつ)仕掛けながら説得させてその力を薄めるしかない。
不動産屋なのですが、20年占有すれば土地獲得できる仕組み、まさに宅建業法の基礎だったんですね!御成敗式目!
班田収授法や三世一身の法は墾田永年私財法が出されたことで事実上終了したのではないですか?荘園はまさしく私有地ですし。
20年ルールがあったから一遍上人が親族から土地を奪われたような気がする。
岸田なんかより泰時総理大臣やってくれ
律令が基本法、鎌倉幕府の家人には、特別法として御成敗式目が適応。そもそも律令制の土地所有は天皇に有ったが墾田永年私財法が律令を骨抜きにして貴族特に藤原氏に土地が集中。結果プライベート警備員として武士が発生。律令が実態に合わないから特別法として御成敗式目が成立とすれば必然性が有る
エンド予想その1。松潤が吾妻鏡を閉じて終了。
あはは、愛知県では黄色信号は止まれではなく「早く行け」、赤信号なり立てでは「止まれるなら止まれ」ですからwww
アメリカ合衆国も黄色信号は早く行けですね!
御成敗式目、貞永式目のスゴイことは、廃止されたのは明治になって刑法と民法が制定された時。江戸時代でさえ通用していて、600年以上使われた法律というのが、御成敗式目。
養老律令ですか?
1896年民法制定迄…約670年間…御成敗式目が日本のルール…例えば…女子への相続等画期的な法と思料。京…栂ノ尾高山寺の明恵上人を人生の師とされた事が決定的でした。
式目というのはあくまでも末端組織の業務処理要領でしかないので律令に優先しない。泰時自身が朝廷に説明している。
班田収授の法とか三世一身法の後に墾田永年私財法が出来て自分で開墾した土地は永遠に自分の物で返さなくて良かったですよね。それは藤原氏に権力集中することになったと思いますが現代に繋がる私有財産法が出来たのは良かったと思います。二十年保持すれば自分の物になるのは現代の民法と同じですが、現代は妨害排除請求権で違法な占有を排除出来るのでその点は進化しているのかな?イギリスでは同じ時期にマグナカルタ出来ましたがその後無効にされてしまったことやイギリスでは私有財産が無いことを考えると日本は進化していると思います。
鎌倉幕府が滅んだあとの建武の新政が古くて武士民衆の不満がたまったと学校の教科書に書かれていたのが印象的、天皇の政治を古いと言わせてしまうほど鎌倉幕府の政治のやり方は当時としては先進的だったんですね。
エンド予想その2。死んだ人々(大半が義時が殺した人)が、義時の周りを囲んで『おめでとう』と言う。
秋篠宮皇嗣殿下がカピバラを殺して食べたと言う話が出てきましたが、皇室では昔からタブーなことだったのですね。
四条天皇って殺されたんじゃね?
滑り石を撒かれたのかな
隣国系着物男
800年前の法が現代にも影響を残してるのはエモいですね
9:28なったらじゃなくて既になってるんだよなー
戦国banashiさんの説明、とても分かりやすく益々歴史好きになりました特に鎌倉時代の歴史の流れは今まで分かりにくかったのですが大河ドラマの解説をしてくださり大河ドラマを毎回楽しみに見ることができましたこれからも歴史の解説を楽しみにしています♪
所領の点で、御成敗式目のほうが律令よりも、今の資本主義の考え方に似ているなというのが今回の動画で知って、
あぁそうなのか❗、ある意味時代を先取りしているなぁと感心しきりです。
ともあれ「武士の武士による武士のための法律」を初めて作ったという点で、北条泰時の功績は凄いと感じ入っています。
最近どっぷりはまって毎晩寝る前のお楽しみにしてます!
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そんなMr武士道さんの、鎌倉殿解説が好きです。もう次で本編最終回とは
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今回もとてもためになりました。袴に触れた者です。
前に定家や法然が出ていない、とコメントしたら、色々な逆コメントをもらいました。沢山関係者をだせばいいというもんではない、北条との関係では法然ではなく栄西のほうが適切だが別にあえて出す必要はない、なと有難いご意見いただきました。とても勉強になりました。貴君の動画がこんなに熱く観られてるのですね。
これからも頑張って👊😆🎵
解説ありがとうございます。先月Togetterまとめで、御成敗式目は明治初期まで有効だったとのまとめがありましたが、それはちょっと眉唾ものではと私は思うのです😅 いずれにせよ長期にわかり我が国に影響を与えたことは間違いないでしょうね。本当に泰時はスゴイ方だと思いました。
御成敗式目8条は民法162条の時効取得と同趣旨ですね。不動産や土地を平穏かつ公然と20年継続占有していれば(善意かつ無過失なら10年)所有権を取得できるというものです。明らかに御成敗式目の影響がうかがえます
やっぱり御家人にとって律令より優先する独立した法令を制定できたのは先の承久の乱で朝廷に圧勝できたからでしょうか
多分大江広元、三善康信が死んだのが直接のきっかけだと思います。ドラマでは情けない描き方ですが、三善さんもすごいんですよ。
3:40 そこまでみたいですね🤔
武士道さん、いつも解説ありがとうございます。
3:26 泰時評定衆のメンバーは時房、三浦義村に二階堂一族も入り、新旧バランスよくなっていますね。
御成敗式目が江戸時代まで影響力があった意味で、泰時は偉業を成し遂げたと感じますね。
ドラマもいよいよ最終回。私も義時亡き後評定衆が集結、または御成敗式目制定で締めると予想しています。
あと北条泰時が、秀吉に先駆けて刀狩りを行ったことも、もっと注目されるべき。泰時の刀狩も、秀吉の刀狩と同じように、没収した刀を大仏に捧げ、平和を希求することを建前としていたのである。
800年前にすでに日本では武器規制してたというのに未だに銃規制出来ないアメリカ(笑)
現代と較べれば、鎌倉時代の社会の発展・変容はゆるやかなものだろうし、追加法のペースも多少は控えめだったろう。しかし、現代の六法全書は、折々の法改訂を受けて、「毎年」のペースで改訂・再版されている。当時の識字率の低さや、出版事業の不存在、司法官僚の量産体制の不備などを思うと、追加法の管理・把握は「超★大変」だったろうなと容易に想像できる。
戦国BANASHIさん、一年間本当にお疲れ様でした。貴殿の深堀で、「鎌倉殿の13人」を深く楽しめました。「源平合戦」を取り上げるドラマはあっても、その後の鎌倉初期(源氏三代~1221年承久の乱~1224年義時死去)を描くドラマはなかったので、しばらく大河ドラマを見ていませんでしたが、今回は1年を通して見させていただきました。三代執権泰時は知っていても二代執権義時(初代執権時政も同じく)は知らない人が大多数でしょう。そこをドラマ化することは、三谷幸喜氏以外にはできなかったでしょうね。三谷幸喜氏の手腕に脱帽です。
御成敗式目の解説の為、古代の律令制〜武家社会の土地人民支配の制度の変遷の解説有難うございます。他の方のコメントも拝見して復習が出来ました(東国国家論の基となる考え方でしょうか?)✍️。『20年の実効支配』は現代の土地の境界線トラブルの時にも効力があるかと思いますが、泰時から続く考え方なんて凄いですね。『俺達の泰時』の凄さを理解出来ました。さあ最終回の義時を見届けねば(自分はリアタイで見られず録画です😫)。
愛知県法のたとえ 笑った〜😂😅
例えで出てきた愛知県だけ交通ルールが法律関係無く特殊(愛知県のルール)ってのは実際(名古屋走り)そうなんだよなw
民法168条ですね。20年はワンジェネレーションなので、所謂道理にかなうって事ですね。
去年、江戸時代の先祖が天皇の外祖父と家系図で分かったことで一般人ですがネットで自分の歴代の多くの先祖が確認できます。
鎌倉殿の13人のドラマに32人の先祖が出てました。ちょっと驚きました。😅
泰時も先祖で御成敗式目を作った人だったんですね。鎌倉の常楽寺にお墓があると分かったので近い内にお参りに行きたいです。先祖についてRUclipsで詳しく分かるのはいつも有り難く思います。😊
時頼の鉢の木の話は超法規的措置なのか。
墾田永年私財法は?班田収授法は豪族から農地を取り上げて朝廷の下に一元化。租庸調の税が重くて農地を捨てる農民が増えて困ったので私有を3代認めることで開墾を推奨。それでも3代で取り上げられるので効果が薄く、さらに私有を完全に認めることで開墾をより推奨。荘園とか寄進とか武士にとって不利益なことが多かったわな。
農地の私有が律令制と乖離してるからね。所領のために命を懸けてるのに朝廷の横やりで好き勝手されたら目も当てられない。
律令は武士のいない時代に作られた、武士が生まれて律令は合わなくなった。
より近いのは民法162条ですね。条文の文章そのものが御成敗式目八条に似ている。
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身分制があいまいな時代に、支配階級でもない侍に対して出された初の民法だもんね。
泰時は仁君だったけれど、決して幸せな家庭人ではなかった。
妻と離婚し子供や孫にも先立たれ、寂しい晩年だったようですね。彼からあとの北条得宗家はみな異常な短命です
武士道さん、こんばんは😎
いやぁ!今回も興味深く拝見させて頂きました!
歴史本(学習マンガですが)で読んだものでは、御成敗式目には公家衆も関心を持っていて地頭との争いを裁いてもらおう、とわざわざ京から鎌倉までやって来て評定所で裁いてもらっていた名も無き公家の話が載ってましたねえ。
ちなみに結果は公家の勝訴で、地頭は儂は口が下手じゃ、どうも上手く口が立たん…、と悔しがること頻りでした(笑)。
あ。評定所、ではなく問注所、の間違いですね…。
律令の基本は公地公民だからね。
武士とは合わない、
泰時は北条家でも名君だったんだよなぁ。😙
今回今年の大河ドラマで教えられた事は.. 1192 いい国つくろう鎌倉幕府と教えられていた事は、源頼朝が良い国をつくり日本国が良くなった年だとずっと思い込んでいました。
実際は武家社会が勢力争いばかりの刀を振り回す社会で朝廷とも常に陰謀がうごめく困った社会時代だったから『良い国をつくろう!』と方向転換しなければならない時代だったのですね🤔 頼朝が世の中を治めるため実行した徳や常識を泰時が整えた『法』が後々徳川の時代でより争い戦のない社会に導かれて日本は本当に良かったと思います☺️
江戸時代に『武士道』は..人を攻撃したり戦争を始めるためのものではなくなり、護身や『己を律する』修身躾の武道に変化して今にあるんですね。
(従来の人々の宗教観に仏教の法を取り入れて世の中をマイルドに導いたのでしょうか.. 武将の性格が大きく時代を左右してしまう良い教訓です。『徳』ある政治を学ばなければ🇯🇵)
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今も昔も何か見える形を変えるときの最後の出口は、その裏側にある物理的な力【(暴力)≒この時代においては武士そのもの】は、切っても切り離せないわけだが、それをできる限りバイオレンス化させないようにするには、忍びのこころと仏のこころで時間軸を利用して、少しづつ(戦後≒ずつ)仕掛けながら説得させてその力を薄めるしかない。
不動産屋なのですが、20年占有すれば土地獲得できる仕組み、まさに宅建業法の基礎だったんですね!御成敗式目!
班田収授法や三世一身の法は墾田永年私財法が出されたことで事実上終了したのではないですか?荘園はまさしく私有地ですし。
20年ルールがあったから一遍上人が親族から土地を奪われたような気がする。
岸田なんかより泰時総理大臣やってくれ
律令が基本法、鎌倉幕府の家人には、特別法として御成敗式目が適応。
そもそも律令制の土地所有は天皇に有ったが墾田永年私財法が律令を骨抜きにして貴族特に藤原氏に土地が集中。
結果プライベート警備員として武士が発生。
律令が実態に合わないから特別法として御成敗式目が成立とすれば必然性が有る
エンド予想その1。松潤が吾妻鏡を閉じて終了。
あはは、愛知県では黄色信号は止まれではなく「早く行け」、赤信号なり立てでは「止まれるなら止まれ」ですからwww
アメリカ合衆国も黄色信号は早く行けですね!
御成敗式目、貞永式目のスゴイことは、廃止されたのは明治になって刑法と民法が制定された時。
江戸時代でさえ通用していて、600年以上使われた法律というのが、御成敗式目。
養老律令ですか?
1896年民法制定迄…約670年間…御成敗式目が日本のルール…例えば…女子への相続等画期的な法と思料。京…栂ノ尾高山寺の明恵上人を人生の師とされた事が決定的でした。
式目というのはあくまでも末端組織の業務処理要領でしかないので律令に優先しない。
泰時自身が朝廷に説明している。
班田収授の法とか三世一身法の後に墾田永年私財法が出来て自分で開墾した土地は永遠に自分の物で返さなくて良かったですよね。それは藤原氏に権力集中することになったと思いますが現代に繋がる私有財産法が出来たのは良かったと思います。二十年保持すれば自分の物になるのは現代の民法と同じですが、現代は妨害排除請求権で違法な占有を排除出来るのでその点は進化しているのかな?イギリスでは同じ時期にマグナカルタ出来ましたがその後無効にされてしまったことやイギリスでは私有財産が無いことを考えると日本は進化していると思います。
鎌倉幕府が滅んだあとの建武の新政が古くて武士民衆の不満がたまったと学校の教科書に書かれていたのが印象的、天皇の政治を古いと言わせてしまうほど鎌倉幕府の政治のやり方は当時としては先進的だったんですね。
エンド予想その2。死んだ人々(大半が義時が殺した人)が、義時の周りを囲んで『おめでとう』と言う。
秋篠宮皇嗣殿下がカピバラを殺して食べたと言う話が出てきましたが、皇室では昔からタブーなことだったのですね。
四条天皇って殺されたんじゃね?
滑り石を撒かれたのかな
隣国系着物男