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3:46 義円「俺が将軍…」家臣「ご承知くださいますな」義円「…やむをえまい…」(まんが日本史より)
天皇も将軍も首相も結局思ったほど独裁できないのが日本なんだよなぁ
分かりやすく端的で素晴らしい。頭の中にすっと入ってくる話はずっと残ります。
将軍がやられて真っ先に逃げ出したり、すぐに赤松討伐に動かなかったりしたのは、実態が不明だったというのもあるけど、まず将軍不在の状態で功績を上げても恩賞を出す人がいないからなのよね。桶狭間の戦いとか沖田畷の戦いみたいに総大将がやられて、敵に報復せずに周囲がまっさきに逃げ出したのってそういう社会的背景があるんだわな。
2:42 足利義持は、お尻の付き物をひっかいて死んだという。
赤松軍は悪くないような。滅亡は可哀想な気がする
現任では国名に人民や民主主義を入れている国が独裁国家である。
足利義教の将軍専制、諸大名への統制&継承干渉、延暦寺への制裁などは江戸幕府から見れば、当然の処置。つまり、時代の先駆者。
日本中世における中央集権化(絶対王政)が続かなかった例。
意外だけど、日本って完全な絶対王政や独裁政権が誕生した事が無い国なんだよね………
これは隣の韓国の燕山君もそうだ。
本来は独裁政治と恐怖政治は関係はないぞ。多数決による恐怖政治だってあるわけで。足利義教の失敗は恐怖政治であって独裁ではないんではないかなあ
その通りですね多分日本人の悪癖で独裁政治そのものを悪と感じてしまうからでしょう。本来であれば独裁権力を握ってどのような成果を上げるかで評価すべきです。その点では「義教」は当時の政治課題に成果を残しているんです、最後の「守護大名の統制」に失敗しましたが、もっと評価されていい人物と私は考えます。
@@パワーボム-z9e 厳密にいうと、独裁を目指す手段として恐怖政治をとった……というべきですよね。そしてそれは、室町幕府としては抱える構造問題の解決策としては、割と正しい方向でした。『成功するならば』。『室町幕府がなぜ失敗したのか』を理解することは、『織田政権がどうしてあのような知行システムをとったのか』『徳川幕府のシステムがなぜああいうものになったのか』を理解する上で大切ですよね。
扱いがヴォルデモート卿は言い得て妙
公家の邸宅で行われた闘鶏のせいで人がごった返して義教の行列が進めなくなって洛中での闘鶏禁止、洛中にいるすべての鶏を追放みたいな話もあったな。因みに足利義教の首塚は大阪の崇禅寺にあったはずだけど。どうも領国に赤松満祐が変える途上ここに放置して後に討伐に参加した細川持賢が埋葬したとか。で細川氏の菩提寺になったのだが、ここは細川ガラシャの墓があることの方が有名で義教の首塚と並んでいる。
赤松氏再興のきっかけになった「長禄の変」もやってほしいです。というか、赤松氏はゴタゴタが多い家だったので、再興から織田政権による衰亡までやってほしいです。
簡単な流れで言えば室町幕府の設立と安定化に寄与して嘉吉の乱でぶち壊し、応仁の乱で幕府権威をさらに失墜に追いやった家だからな
@@ペンタゴンチャートの魔道師 足利義教の夜伽の相手をしていた赤松貞村の末裔です笑円心公が先祖だと喜んでいたが、室町時代のジャニーズと同じだから笑えんわ
最終的には「関ヶ原の戦い」で滅びました。
おもしろかった。ありがとう
○んだとたん掌返してボロクソ言う親王は草
独裁者ってどの時代も末路は哀れなものだな…
京都の繁栄と凋落というテーマで義満誕生から始めて嘉吉の変で締める大河ドラマを観てみたい…
カタルシスがねぇ・・・・・
平安中期から現代までの歴史の中で足利義詮~義教の時代が唯一大河ドラマ化されてないですからね。
…一休宗純と重ねたらワンチャンある…かな
「嘉吉の乱」は「花の乱」で取り上げていました。
公方様は短気を鎮める為に猿楽でも鑑賞なさるがよろしいかと
義教は独裁者というより、独裁者になりそこねたという感じがする。
兵庫県の斎藤知事、足利義教の生まれ変わりかも…
確かにそうかもしれませんね顔も何となく似ている気がするし
京都の六月というのは政変が起きやすい時期なのかな。
織田信長はむしろ温和やぞ
「失敗しても無能でも裏切り者でも猿でもまあええねん。やる気があって、困ったらワイに相談してくれるならそれでええわ」うーんこれはぐう聖
最近ではむしろ室町幕府を再考しようとしていた保守寄りの統治者って認識
@@黒煙-i3q義昭がもう少し大人しかったら...(まぁ義輝の同母弟だし無理か)
@@john_andaman3498義昭の息子を本人の代理として擁立していましたしね😊
下郎下民には普通よりめっちゃ優しくて、幹部クラスも似たようにあまりにも馴れ馴れしいのが信長の強みでもあり弱み無意識にパワハラしてくる上司というか、本人は親しみの表現と思ってパワハラやってるタイプというか無自覚に人の地雷を踏んで敵を作るタイプ
大河ドラマ「花の乱」で第一話で嘉吉の変取り上げられてましたね。萬屋錦之介扮する山名持豊(宗全)が、赤松の兵をバサバサ斬っていく場面が渋くてカッコよかった。
義教に討伐された持氏には、春王丸と安王丸という2人の幼い息子が居たけど、当初は京都で扱いを詮議する予定だったが、その途中で2人揃って首を斬られてしまいました。この2人の悲劇も、義教の恐怖政治を伝えるエピソードとして有名ですね。
もう1人末っ子の永寿王丸だけは特別に処刑を免れ、後に成氏と名乗って鎌倉公方を再興し応仁の乱と並んで戦国時代幕開けのきっかけになる長享の乱を起こすことになりました。
このチャンネルの霊夢ちゃん、主観が傾きすぎ。
写真はポル・ポトじゃなくて「金日成」だね
自民党の裏金議員
戊辰戦争とかも見てみたいですね。明治の士族反乱も面白そう
その籤、誰が当たりを引くか予め決まっていたのでは。やり手と評判の義円を次期将軍にする事が決まっていて、重臣が決めたのではなく天命で決まった事にした可能性が高そう。
鎌倉公方これが後の「古河公方」になり、鎌倉には、「堀越公方」が誕生します。
義教の因果が信長に報い。
永享嘉吉の乱ですね。足利義教は苛烈で知られていますが、長く僧籍にあった反動だったのですかねぇ…。将軍の権威を取り戻そうと躍起になったが故だったのかもしれませんが、彼の行いが結果的に将軍や幕府の権威を失墜させるきっかけになろうとは…。
くじ引きなんて権威0の将軍選出経緯がな
くじ引きは神託なので、むしろ神に選ばれた聖なる将軍ってことです。権威は倍増、だから超独裁ができたんです。
@@足利義輝-y6o そんなやんごとなき方々が伯付けで勝手に作った論理は民衆からしたら笑い話だよ将軍就任して早々に室町期で最大規模の一揆されてるしな舐められないように苛烈になったのは明らか
@@nattousenbei クジと言っても三管領家の人間が自分の推す人物を書いてクジにしてその中から引いたから全員義教推しだった可能性もある、かなり頭が良かったと言われてるし
兄の義持が臣下に頭を押さえられていましたから。義持の息子の義量が酒浸りになるのは無理も御座いません。
義円、後のぴえんである
満祐の最期は坂本城でなく、要害の城山城ではないですか?また義教からすれば、苛烈な性格もあるが、くじ引きから将軍継承する事が家臣達に舐められるゆえに強硬な態度で権威を付けようとしたのではないでしょうか?
四職…戦国に入ったら全て低迷…
中学校、高校の日本史の教科書で年号と出来事が簡単に羅列されていたとなんとなく思い出した。京都市の観光案内書にこういう記載が詳しくあると楽しいですね😀
山名宗全、義教が斬られた宴席に出ていたんだ。これは知りませんでした。そして彼のその後の赤松討伐への動きも意外とぐだぐだで「へ?」となってしまいました。応仁の乱では西軍総大将なんですけどね。
嘉吉の変って山名と細川の人間も切っちまったって話を聞くけどなそれとこの赤松家は旧南朝に奪われた三種の神器を取り戻して守護に復帰した後は応仁の乱で播磨美作備前を取り返すために奮闘して応仁の乱を長引かせた話がありますね(-。-;応仁の乱の終戦自体にひたすら反対してたとか…
足利六代将軍義教が赤松満祐にだまし討ちされた時、義教側近の家臣共は、誰一人仇を討とうとする者がおらず、みな我れ先に逃げ出した。室町時代の道義観念は皆無に近い。前の鎌倉時代、後の戦国時代より酷い😡室町時代の個人主義、利己主義は現代に近い。
いつの時代もそんなもんよ
京極高数はその場で奮戦して死んだで
大内持世は足利義教の寵臣でも無いけど、将軍を守るべく戦って死んでいるぞ。大内の赤松への遺恨と細川との勘合貿易の利権対立が後の応仁の乱参戦の伏線。
山名熙貴、細川持春、京極高数、大内持世、正親町三条実雅、らは抵抗してきられています。山名熙貴は〇亡。高数、持世は後日〇亡。持春は片腕を〇損。実雅は軽傷です。
山名熙貴、細川持春、京極高数、大内持世、正親町三条実雅、らは抵抗してきraれています。山名熙貴は〇亡。高数、持世は後日〇亡。持春は片腕を〇損。実雅は軽傷。
義円はギレンにみたいだな。
トランプ氏かい
サディスティック義教👩🎤
日本も王政復古した方が
独裁者でも有能なら問題ないんやで
独裁者のほとんどが有能なのは最初の方だけだから問題なんやで
シンガポールとか
独裁者が有能過ぎて死後大変なことになった国がありましたね…ユーゴスラビアとかいう…
独裁者が不死を切望するのは当然っちゃあ当然よね。自分の後を自分以上に任せられる後継者が居ない不安が有能な独裁者自身をも劣化させる。
存在はいません!う〜〜ん。哲学。
江戸幕府のように実権がない将軍の時代の方が安定している。室町幕府時代はどこかしらで必ず争いがあったし。
足利将軍のほうが徳川将軍よりも実権がない将軍が多い。それに軒並み短命揃いだし。
徳川将軍は何にもしてなさそうな将軍でも人事権はしっかり行使しているてかトップはそれで十分義教はなんでもかんでも自分でやろうとして自滅したパターン天皇の教育をしっかりやって皇統を安定させたのは義教の一番の功績と言っていい
学校で、室町幕府は領地を余り持っていなかったのが原因と先生に教わったけど
室町は根本的にひたすら足利一族の内輪揉めやでw特に義教以降はひたすら喧嘩してる。
義教暗殺後の応仁の乱からの戦国時代を終わらしたのが独裁者だったけど彼も暗殺されたのが皮肉ですね
容姿といい恐怖政治といい、最期無防備なところといい信長に似てる
イニシャルM.Aに殺されるところといい
@@whiteblack0017 同じですね^_^
籤引き将軍は「やり過ぎ」だったね、飴と鞭を上手く使い分けないと。「俺は神からも選ばれたエリートなんだ!」みたいなノリで躍起になりすぎちゃったかな。俗世間的にみれば、籤引きで選ばれた時点で求心力があまりなさそうだけど。
くじ引きなんぞ適当な手段で将軍を選ぶからバチが当たったんですかね。義満がもっと長生きをしていれば、義持も廃嫡されており、跡継ぎを決めないまま亡くなるなんてことも無かったのでしょうから、いくつもの不運や不幸が重なって戦国時代へと繋がって行ったんでしょうね。
足利義教が沖縄を日本にしたんだよ。
「恐怖」では世は治められない。後年、織田信長も同じ轍を踏むことになる…
3:46
義円「俺が将軍…」
家臣「ご承知くださいますな」
義円「…やむをえまい…」
(まんが日本史より)
天皇も将軍も首相も結局思ったほど独裁できないのが日本なんだよなぁ
分かりやすく端的で素晴らしい。頭の中にすっと入ってくる話はずっと残ります。
将軍がやられて真っ先に逃げ出したり、すぐに赤松討伐に動かなかったりしたのは、実態が不明だったというのもあるけど、まず将軍不在の状態で功績を上げても恩賞を出す人がいないからなのよね。桶狭間の戦いとか沖田畷の戦いみたいに総大将がやられて、敵に報復せずに周囲がまっさきに逃げ出したのってそういう社会的背景があるんだわな。
2:42 足利義持は、お尻の付き物をひっかいて死んだという。
赤松軍は悪くないような。滅亡は可哀想な気がする
現任では国名に人民や民主主義を入れている国が独裁国家である。
足利義教の将軍専制、諸大名への統制&継承干渉、延暦寺への制裁などは江戸幕府から見れば、当然の処置。つまり、時代の先駆者。
日本中世における中央集権化(絶対王政)が続かなかった例。
意外だけど、日本って完全な絶対王政や独裁政権が誕生した事が無い国なんだよね………
これは隣の韓国の燕山君もそうだ。
本来は独裁政治と恐怖政治は関係はないぞ。多数決による恐怖政治だってあるわけで。
足利義教の失敗は恐怖政治であって独裁ではないんではないかなあ
その通りですね多分日本人の悪癖で独裁政治そのものを悪と感じてしまうからでしょう。本来であれば独裁権力を握ってどのような成果を上げるかで評価すべきです。その点では「義教」は当時の政治課題に成果を残しているんです、最後の「守護大名の統制」に失敗しましたが、もっと評価されていい人物と私は考えます。
@@パワーボム-z9e
厳密にいうと、独裁を目指す手段として恐怖政治をとった……というべきですよね。
そしてそれは、室町幕府としては抱える構造問題の解決策としては、割と正しい方向でした。『成功するならば』。
『室町幕府がなぜ失敗したのか』を理解することは、『織田政権がどうしてあのような知行システムをとったのか』『徳川幕府のシステムがなぜああいうものになったのか』を理解する上で大切ですよね。
扱いがヴォルデモート卿は言い得て妙
公家の邸宅で行われた闘鶏のせいで人がごった返して義教の行列が進めなくなって洛中での闘鶏禁止、洛中にいるすべての鶏を追放みたいな話もあったな。因みに足利義教の首塚は大阪の崇禅寺にあったはずだけど。どうも領国に赤松満祐が変える途上ここに放置して後に討伐に参加した細川持賢が埋葬したとか。で細川氏の菩提寺になったのだが、ここは細川ガラシャの墓があることの方が有名で義教の首塚と並んでいる。
赤松氏再興のきっかけになった「長禄の変」もやってほしいです。というか、赤松氏はゴタゴタが多い家だったので、再興から織田政権による衰亡までやってほしいです。
簡単な流れで言えば室町幕府の設立と安定化に寄与して
嘉吉の乱でぶち壊し、
応仁の乱で幕府権威をさらに失墜に追いやった家だからな
@@ペンタゴンチャートの魔道師
足利義教の夜伽の相手をしていた赤松貞村の末裔です笑
円心公が先祖だと喜んでいたが、室町時代のジャニーズと同じだから笑えんわ
最終的には「関ヶ原の戦い」で滅びました。
おもしろかった。ありがとう
○んだとたん掌返してボロクソ言う親王は草
独裁者ってどの時代も末路は哀れなものだな…
京都の繁栄と凋落というテーマで義満誕生から始めて嘉吉の変で締める大河ドラマを観てみたい…
カタルシスがねぇ・・・・・
平安中期から現代までの歴史の中で足利義詮~義教の時代が唯一大河ドラマ化されてないですからね。
…一休宗純と重ねたらワンチャンある…かな
「嘉吉の乱」は「花の乱」で取り上げていました。
公方様は短気を鎮める為に猿楽でも鑑賞なさるがよろしいかと
義教は独裁者というより、独裁者になりそこねたという感じがする。
兵庫県の斎藤知事、足利義教の生まれ変わりかも…
確かにそうかもしれませんね顔も何となく似ている気がするし
京都の六月というのは政変が起きやすい時期なのかな。
織田信長はむしろ温和やぞ
「失敗しても無能でも裏切り者でも猿でもまあええねん。やる気があって、困ったらワイに相談してくれるならそれでええわ」
うーんこれはぐう聖
最近ではむしろ室町幕府を再考しようとしていた保守寄りの統治者って認識
@@黒煙-i3q義昭がもう少し大人しかったら...(まぁ義輝の同母弟だし無理か)
@@john_andaman3498
義昭の息子を本人の代理として擁立していましたしね😊
下郎下民には普通よりめっちゃ優しくて、幹部クラスも似たようにあまりにも馴れ馴れしいのが信長の強みでもあり弱み
無意識にパワハラしてくる上司というか、本人は親しみの表現と思ってパワハラやってるタイプというか無自覚に人の地雷を踏んで敵を作るタイプ
大河ドラマ「花の乱」で第一話で嘉吉の変取り上げられてましたね。萬屋錦之介扮する山名持豊(宗全)が、赤松の兵をバサバサ斬っていく場面が渋くてカッコよかった。
義教に討伐された持氏には、春王丸と安王丸という2人の幼い息子が居たけど、当初は京都で扱いを詮議する予定だったが、その途中で2人揃って首を斬られてしまいました。
この2人の悲劇も、義教の恐怖政治を伝えるエピソードとして有名ですね。
もう1人末っ子の永寿王丸だけは特別に処刑を免れ、後に成氏と名乗って鎌倉公方を再興し応仁の乱と並んで戦国時代幕開けのきっかけになる長享の乱を起こすことになりました。
このチャンネルの霊夢ちゃん、主観が傾きすぎ。
写真はポル・ポトじゃなくて「金日成」だね
自民党の裏金議員
戊辰戦争とかも見てみたいですね。明治の士族反乱も面白そう
その籤、誰が当たりを引くか予め決まっていたのでは。やり手と評判の義円を次期将軍にする事が決まっていて、重臣が決めたのではなく天命で決まった事にした可能性が高そう。
鎌倉公方これが後の「古河公方」になり、鎌倉には、「堀越公方」が誕生します。
義教の因果が信長に報い。
永享嘉吉の乱ですね。足利義教は苛烈で知られていますが、長く僧籍にあった反動だったのですかねぇ…。
将軍の権威を取り戻そうと躍起になったが故だったのかもしれませんが、彼の行いが結果的に将軍や幕府の権威を失墜させるきっかけになろうとは…。
くじ引きなんて権威0の将軍選出経緯がな
くじ引きは神託なので、むしろ神に選ばれた聖なる将軍ってことです。権威は倍増、だから超独裁ができたんです。
@@足利義輝-y6o
そんなやんごとなき方々が伯付けで勝手に作った論理は民衆からしたら笑い話だよ
将軍就任して早々に室町期で最大規模の一揆されてるしな
舐められないように苛烈になったのは明らか
@@nattousenbei
クジと言っても三管領家の人間が自分の推す人物を書いてクジにしてその中から引いたから
全員義教推しだった可能性もある、かなり頭が良かったと言われてるし
兄の義持が臣下に頭を押さえられていましたから。
義持の息子の義量が酒浸りになるのは無理も御座いません。
義円、後のぴえんである
満祐の最期は坂本城でなく、要害の城山城ではないですか?
また義教からすれば、苛烈な性格もあるが、くじ引きから将軍継承する事が家臣達に舐められるゆえに強硬な態度で権威を付けようとしたのではないでしょうか?
四職…
戦国に入ったら全て低迷…
中学校、高校の日本史の教科書で年号と出来事が簡単に羅列されていたとなんとなく思い出した。
京都市の観光案内書にこういう記載が詳しくあると楽しいですね😀
山名宗全、義教が斬られた宴席に出ていたんだ。これは知りませんでした。そして彼のその後の赤松討伐への動きも意外とぐだぐだで「へ?」となってしまいました。応仁の乱では西軍総大将なんですけどね。
嘉吉の変って山名と細川の人間も切っちまったって話を聞くけどな
それとこの赤松家は旧南朝に奪われた三種の神器を取り戻して守護に復帰した後は
応仁の乱で播磨美作備前を取り返すために奮闘して応仁の乱を長引かせた話がありますね(-。-;
応仁の乱の終戦自体にひたすら反対してたとか…
足利六代将軍義教が赤松満祐にだまし討ちされた時、義教側近の家臣共は、誰一人仇を討とうとする者がおらず、みな我れ先に逃げ出した。
室町時代の道義観念は皆無に近い。前の鎌倉時代、後の戦国時代より酷い😡
室町時代の個人主義、利己主義は現代に近い。
いつの時代もそんなもんよ
京極高数はその場で奮戦して死んだで
大内持世は足利義教の寵臣でも無いけど、将軍を守るべく戦って死んでいるぞ。
大内の赤松への遺恨と細川との勘合貿易の利権対立が後の応仁の乱参戦の伏線。
山名熙貴、細川持春、京極高数、大内持世、正親町三条実雅、らは抵抗してきられています。
山名熙貴は〇亡。高数、持世は後日〇亡。
持春は片腕を〇損。実雅は軽傷です。
山名熙貴、細川持春、京極高数、大内持世、正親町三条実雅、らは抵抗してきraれています。
山名熙貴は〇亡。高数、持世は後日〇亡。
持春は片腕を〇損。実雅は軽傷。
義円はギレンにみたいだな。
トランプ氏かい
サディスティック義教👩🎤
日本も王政復古した方が
独裁者でも有能なら問題ないんやで
独裁者のほとんどが有能なのは最初の方だけだから問題なんやで
シンガポールとか
独裁者が有能過ぎて死後大変なことになった国がありましたね…
ユーゴスラビアとかいう…
独裁者が不死を切望するのは当然っちゃあ当然よね。
自分の後を自分以上に任せられる後継者が居ない不安が有能な独裁者自身をも劣化させる。
存在はいません!
う〜〜ん。哲学。
江戸幕府のように実権がない将軍の時代の方が安定している。室町幕府時代はどこかしらで必ず争いがあったし。
足利将軍のほうが徳川将軍よりも実権がない将軍が多い。それに軒並み短命揃いだし。
徳川将軍は何にもしてなさそうな将軍でも人事権はしっかり行使している
てかトップはそれで十分
義教はなんでもかんでも自分でやろうとして自滅したパターン
天皇の教育をしっかりやって皇統を安定させたのは義教の一番の功績と言っていい
学校で、室町幕府は領地を余り持っていなかったのが原因と先生に教わったけど
室町は根本的にひたすら足利一族の内輪揉めやでw
特に義教以降はひたすら喧嘩してる。
義教暗殺後の応仁の乱からの戦国時代を
終わらしたのが独裁者だったけど彼も
暗殺されたのが皮肉ですね
容姿といい恐怖政治といい、最期無防備なところといい信長に似てる
イニシャルM.Aに殺されるところといい
@@whiteblack0017 同じですね^_^
籤引き将軍は「やり過ぎ」だったね、飴と鞭を上手く使い分けないと。「俺は神からも選ばれたエリートなんだ!」みたいなノリで躍起になりすぎちゃったかな。俗世間的にみれば、籤引きで選ばれた時点で求心力があまりなさそうだけど。
くじ引きなんぞ適当な手段で将軍を選ぶからバチが当たったんですかね。義満がもっと長生きをしていれば、義持も廃嫡されており、跡継ぎを決めないまま亡くなるなんてことも無かったのでしょうから、いくつもの不運や不幸が重なって戦国時代へと繋がって行ったんでしょうね。
足利義教が沖縄を日本にしたんだよ。
「恐怖」では世は治められない。後年、織田信長も同じ轍を踏むことになる…