@@Bloomerschwater様 詳しくはAinu-History of the I ndigeneous people of Japan DOCUMENTARYという動画にあります。弥生人が縄文人を北方に駆逐した、モンゴルとアイヌがサハリンで戦いそれに圧迫されたアイヌが南方に進出し大和政権と戦いになったなどかなり大胆な史観を展開しているので面白いです。エミシについては、最後まで地方分権に固執し、中央集権のヤマト政権に敗れたと分析していました。その他の動画も大河ドラマ出演中の森長可が登場したり、聞いたことのない武将が出てくるのでおすすめです。
アテルイとモレのお墓🪦、清水寺にあるんですよね。
行った時に、思わず拝み、拝礼した東北人のワタクシ。
かなり前に東北を旅行したときに、水沢駅のそばに跡呂井という地名があるのを見て、アテルイの名はまだ残ってるんだ!と感動した記憶があります。
アテルイも坂上田村麻呂もともに英雄だぁ
阿弖流為と母礼の碑は京都の清水寺境内にひっそりとあるよ。清水寺を建てたのが坂上田村麻呂だからね。
伊治城近くに居住しているものですが、中学の修学旅行で清水寺に行き、二人の碑に参拝してきました。
朝廷に帰順した騙し討ちにされた
アテルイよ、永遠に!
自分から興味を持って調べないと蝦夷地征伐に関わる一連の戦いは学校でも教えないし、資料も乏しいから本当助かる
あーそういうことね
確かに戦いに関しては教科書は大して語らないよね
こんなことがいついつ起こりました〜以上
みたいな
@sexual_aggressorそいうより、古代日本の重要な流れなのにこれ自体ほとんど教えてませんよ
教科書は重要なこと全く教えなくて本当に困るわ。
東北は歴史の流れに飲み込まれた初めての戦いですね。次は、前九年後三年の役、頼朝に奥州征伐。豊臣の奥州仕置、そして、戊辰戦争。
歴史に挑んでは跳ね返された、東北の歴史に心が痛みます。だからこそ、阿弖流為は英雄だと思います。
坂之上田村麻呂がアテルイを助けたい!って思うのが武士の一番大事な教え「惻隠の情」が既に体得してるんだよなー。
昔、サントリーの社長が首都移転計画の際に対抗馬の仙台に「蝦夷」発言をして東北で大炎上しましたね?しかも宮城は日本で二番目のサントリーウイスキーの消費地だったので、莫大な売り上げとシェアを落としたとか?
未だにサントリーは東北で不人気ブランドになってます。
熊襲って言ったのでは?
未開人呼ばわりした挙げ句に、九州の部族である熊襲と言ったんで、何言ってんだ?と東北だけでなく、九州からも顰蹙を買ったんですよ。
70過ぎの酒好きの親父がいまだにサントリーだけは飲んでないのはそのせいか
@@CX-EURO400東北蔑視発言→何故か九州もとばっちりパターンが時たまありますよね😅
松本龍の東日本大震災被災地蔑視発言の時然り
いや、サントリーは東北でも人気ブランドですよ。
@@真島吾郎-i2rはーい!オフレコです!コレを放送した社は終わりますよー!
ふざけんB利権!
水沢にはアテルイの大きな像が建っています。是非来てみてね。
アテルイは、剛腕(a-tek-luy)モレは、寝呆助
(mo-le)を、意味する、アイヌ語の名前です。
北海道にアイヌが大挙して渡ってきたのは、たしかに鎌倉時代になってからですが、本州では、平安時代のエミシの、酋豪の、墓の、被葬者が、ミトコンドリアD.N.A.解析の結果タイプÀ
(アイヌやネイティブアメリカンが属するグループ)特にナスカ人に、近いことがわかったりと、鎌倉以前から小集団が、本州に、定住していたことは、確かな様です。北海道の先住民問題と、本土のアテルイは、なんの関係もありません。彼は都に対して200億円の、捏造文化博物館建てろとか、左翼プロ市民が教員の、胡散臭い(アイヌ語教室)に、血税ドバドバ4億よこせ!とか
無茶を言ってたわけではない。ただ自分たちの生活を、まもりたかつただけだ。
北海道の(赤犬協会)系の強欲なアイヌと、古代のエミシを同列に、語るような、(クソミソ論)は、東北人に対し失礼である。
いやぁ阿弖流為は人物だな。清水寺に詣でることがあれば手を合わせたい。
東北の人にはこれからも阿弖流為を大事にしてもらいてぇもんだ。
阿弖流為の本拠地って大谷翔平の地元だな
混血で弥生寄りみたいな?
戦の時の陣形のアニメーションが、とっても分かりやすかったです!
こういうの、読んだり聞いたりしてもあんまり分からないタイプなのですが、
地図の上でそれぞれの動きを書いてもらって、すごく分かりやすかったです✨
大きな馬の上から反りのついた刀で斬撃するなどかなり強かったと言われますね
それが日本刀の起源になったと言われてますよねー
胆沢城があったとされる場所には現在埋蔵文化調査センターという施設が建っていますが
昔は付近の畑から土器や瓦などがボコボコ出てきたとの事です
東北の騒乱は、このあと平安時代にも前九年の役、後三年の役があり、さらに後の鎌倉政権による奥州藤原氏の征服で完全に統一されたと言えます。
一方で、アテルイのような物語は、ヤマトが中部や関東を制圧する段階でも、数多くあったと思います。
アテルイは文字文明が定着した後の征服事業だから歴史に残されただけであり、それ以前の東国でも数多の勇者が戦いを繰り広げたはずです。
アテルイかわいそうだな
故郷を守ろうとしたのに、だまし討ちで負けて殺されるなんて。
北の将星「アテルイ」として名前が残っています。
私はそれを誇りとしています。
無駄だったとは思いたくありません。
実家のある山形県南陽市に大和朝廷軍がベースキャンプにつかったであろう場所に小さい社が建っており、また近くに坂上田村麻呂が朝廷軍の勝利したあとに建てた熊野神社があります。
もし日本が東西分裂して東ドイツみたい国ができてたら、独自の民族アイデンティを醸成するためにこういうのが歴史教育にふんだんに盛り込まれてそう
私の生まれ故郷はこのいくさの舞台でした。国家がひとつに統合されていく過程ではこのような事象は多く観られる事なので否定はできません。 しかし、もしアテルイが東北の統治に一役を担っていたのなら…
歴史は大きく変わっていたのでしょうね。 とても楽しく拝見させていただきました!😊
坂上田村麻呂はアテルイの統率力を直接対峙した者として評価していたのでしょうね。しかし朝廷にしてみれば単なる辺境の野蛮人。もしも処刑されてなければ。残念ですね。
アテルイとモレの話は地元に語り継がれていますね。都に連行されたらどうなるかは解っていたと思うのですが粛々と死を受け入れた。死して名を残す。彼らは地元では英雄です。
助命嘆願って田村麻呂の騙し討ちを美談にしたかったんだろうな。
色々なコメント、意見があります。
私のような東北の人間にすれば「他所からの侵略者」に対する英雄の考えが大きいです。
日本国家としての考えはともかく、アテルイ様は地元を守ろうとした英雄です。
余命・幾何も無い僕ですが、清水寺に訪れる事があれば墓参りしたいと思います。
ウクライナがロシアから祖国を守ろうとした現代の時系列と全くを以ってちがわないと思うのは私の考え違いでしょうか。。。
400年の時代差やここから一気に文明化したという違いがあるとはいえ
やっぱこの東北現地軍の規模見たら源平の藤原軍17万とかめちゃくちゃ盛ってるんだろうなって
数が多かったのは間違いないでしょうが豊かな奥州藤原氏とはいえ17万は流石に誇張でしょうね。
まあ当時は数を隅々まで正確に数える手段もないと思いますから、攻め込まれないための抑止力としての喧伝だったのかもしれませんね
中世温暖期の影響で
多くの移住民がいたと思われます。
当時の日本の人口が大体600~700万人程度と推計されている。
このとき頼朝が動員した兵数と足すと数十万という数になる。
流石にそれはちょっと言い過ぎやろとはなるな。全部で数万でも相当凄い。
この話を聞くと、カエサルとウェルキンゲトリスクを連想せずにはおれないのだよなあ。
アテルイ側は毒矢を使っており、当時の軽装スタイルでは掠っただけで御陀仏となるので多少の数的不利は問題にならなかったでしょうね。
弥生の東征自体は早くも弥生時代前期には青森県の津軽にまで到達していますが、その後に弥生の技術を吸収しつつ古墳時代に導入された馬も手に入れて独自進化した縄文勢力の大きな巻き返しがあったと思われ、彼らを蝦夷と呼んでいるのだと思います。
そこまで進化していたなら、統一した王朝にはならなかったのでしょうか?
進化していたからこそ、誰かが誰かの上に立つと、必ず何代か後に権力を盾に独裁する奴らが出てくるのがわかってたんでしょ
だから、みんな仲のいいお隣さん状態で持ちつ持たれつの社会が維持できてたって事では?
問題は誰かが窃盗したり殺人したりすると一瞬で瓦解しちゃうんだけどね
@@長澤颯-w7x国として成立するほどの生産力がなかっただけでしょ。その上寒いから人口も増えづらい。極めつけに定期的に討伐軍がくるなら自営するだけで精一杯だったんじゃない
@@イキリインキャ中年そもそもあのあたりには日高見国があったとも言われています。
講和条件を180℃ひっくり返す安定の朝廷スキル
古代の歴史って、面白いですね。細かいところまで,ありがとうございます😊
岩手県や宮城県北部にいる親類縁者の話では田村麻呂が敗れたって話が残っているらしい。その後、平安朝や鎌倉政権の支配下を受けた人たちが伝承し続けているところを見ると事実では無いかと思っている
武力で敵わないからこそ調略に転じたとも言えるでしょう。安倍氏も奥州藤原氏も自治政権の意味合いも強かったところを見ると朝廷も慎重に支配を続けたのだと想像します
戦略・結果からみても蝦夷軍、特に阿弖流為はかなりの戦闘経験があったのでしょうね。
馬と弓を使った蝦夷の戦い方は後の平安武士に受け継がれたと聞いたコトある‼️😁👍
なかなかセンシティブな内容。蝦夷を先祖に持つ人は東北にたくさん住んでいる。瞳の真ん中あたりが少し碧い人を見かけたことがある。山形の人だったなぁ。
この時代から多賀城ってあったのか😮
とある外国人RUclipsrがアテルイが武士の始まりで、騎馬隊の技術は、蝦夷の敗残兵が各地に散らばったことによりもたらされ、従来の政府軍の重装歩兵から変化したと分析していたのが興味深かった。
kwsk
@@Bloomerschwater様
詳しくはAinu-History of the I ndigeneous people of Japan DOCUMENTARYという動画にあります。弥生人が縄文人を北方に駆逐した、モンゴルとアイヌがサハリンで戦いそれに圧迫されたアイヌが南方に進出し大和政権と戦いになったなどかなり大胆な史観を展開しているので面白いです。エミシについては、最後まで地方分権に固執し、中央集権のヤマト政権に敗れたと分析していました。その他の動画も大河ドラマ出演中の森長可が登場したり、聞いたことのない武将が出てくるのでおすすめです。
面白かったです。機会がありましたらコシャマインの戦いをお願いします。
めちゃくちゃ分かりやすい!
桓武天皇は日本屈指の名君だとは思うけど、このことがあるから〜あんまり好きじゃない。
これアニメ映画アテルイでやってた戦いだわな。仮面の男の正体が失踪した伊治呰麻呂とかいう設定がよかった。
動画の感じだと、アテルイは後半からゲリラ戦でもやっていたのかな?
よくこんな詳しい記録が残ってるな
ネットもないのに、すごいですよねー
この時代はなんか変わった名前のように感じるんだよね
阿弖流為は最後、清水寺で処刑されたと埋蔵文化財センターの先生が講演会でおっしゃってました。
北は蝦夷・南は薩摩隼人に悩まされた大和朝廷
その薩摩が幕末で官軍になって、東北が幕府を守るために奥越列藩同盟を結成するとは数奇な運命だよ
日本刀の生みの親っしょ 蝦夷
因みに紀広純はかなりのエリート貴族
祖父が大納言紀麻呂
紀古佐美は紀広純のいとこ
めっちゃ面白い動画ありがとうございます
なんだけど、それだけにナレーションソフトの読み間違いが気になっちゃう
阿弖流為‥
悪路王などとも書かれたりねぇ‥‥
可哀想ですねぇ‥
原哲夫さん 続編 頼む
その頃6000人を数百日間東北に送る食料どうやって集めて運んだんだろうね。
結局のところ、この当時の蝦夷と呼ばれてた人たちは同じ大和民族だけど違う文明だったと考えていいのかな?
アイヌ民族とは全然関係なさそう?
蝦夷=出雲族
大和民族というくくりが雑すぎる。中国が漢族ではなく漢民族と称するのと同じ、その国に住む民族の集合体のようなもの。
白村江の戦いでボロ負けしたあとに再建した軍隊でリベンジするか国内統一するかの二択で後者を選んだおかげで今の国の形に収まったわけだし北日本とかで分裂して存在してても困るわ
つか武士の起源って散った俘囚じゃなく軍事貴族で日本刀だって律令制軍団の標準装備だった剣がルーツでしょ
判官贔屓で言いたいんだろうけど無茶がすぎる
この後、朝廷は軍を解体して、兵部省と刑部省が名前だけの無人の役所にしてしまうという謎行動を取るんですよね…
縄文の文化をまだ色濃く残していた東方地方が、渡来人文化の影響を受けて帝国化・中央集権化していく大和朝廷に飲み込まれていく過程
大和朝廷の民族も、一定程度縄文起源だとは思います
ドラマ良かったなぁ。大沢たかお。
阿弖流為って清水寺にも関わりあったような?
異民族??それは間違いではないか。蝦夷(えみし)は縄文人。
弥生系のヤマト王権からしたら縄文人の蝦夷は異民族である‼️🤔
北上川を利用して退路を制限した上で釣り野伏せで相手を挟撃するって、よっぽど兵の練度が高くないとできない芸当だし、手取川で柴田勝家率いる織田軍を大敗させた上杉謙信みたいだあ…
巣伏の戦いとはスパルタのテルモピュライの戦いの様だった。アテルイがまるでレオニダスの様に感じた。
“This is EMISHI!”
興味深い動画ありがとうございます。
故郷を守るために戦う男は、国、時代を超えてかっこいいですよねー
征夷大将軍の東北伐か
あんまり歴史で習わないんだよな
平安時代は藤原氏と平氏源氏で大半が占められてる
平将門も出番がかなり少ないしな
アテルイ処刑は非情だとは思うけど、その後反乱らしい反乱がなかったのなら、判断は間違ってはなかったんやろなぁ。
まぁ仕方ないよね…仮にアテルイやモレにその気が無くても持ち上げる連中が出るだろうし何より東北で力を蓄えて統一王権を作られて関東にまで侵攻されて豪族の中で蝦夷に寝返る連中が出る可能性だってあるから…小さい頃は桓武天皇が悪く思ったけど日本を安定化させるには仕方の無い判断だったと思いますね…
鉄剣の分布を考えると6世紀には越から津軽海峡を抜けて岩手手前までは朝廷の影響下だったと思えたり。問題は内陸部だったのかな?とか
実際の乱がおこる頃には蕨手刀(製鉄)や馬(畜産)が使われているんで蝦夷の文化レベルも決して低く無かったのかな?とか思ったり
大和朝廷から見て勢力の及ばない範囲は一括りに蝦夷と呼ばれていたように
魏志倭人伝でも朝鮮半島のよく分からん国々から以東を当時は一括りに倭としていたと思います
わかりやすさを狙ったぼかもしれないが、城と言ったて奈良時代なんだから天守閣のアイコンはおかしいと思う。
面白かった
蝦夷側は武器の革命(鉄製武器と弓等)が遅かったのと軍隊の組織化で不利だったのだろうと推測しています。
アテルイ軍の戦い方が鬼島津な件。
島津の鹿児島(九州南部)は同じように異文化の先住民で隼人族(勇猛で有名だった)といわれていました。713年に大隅国が建国され、現在の国分地域に国府が設置され支配されますが、同じように国司が殺害され反乱がおきました。
現在では古墳時代に日本列島で船での交流があったことが判明しているので口伝で戦術なども伝わっていたのかも
奥州から九州に伝わったんですかね
蝦夷にはアテルイとかシャクシャインとか格好いい名前多いのか?
あと大谷翔平ね
完全に島津の釣りの伏せですね。
大和軍は日本刀にこだわりあり日本刀で追撃したら、槍兵に反撃され背後から弓で一網打尽ですな!
東北は、大規模な反乱は坂上田村麻呂の遠征でなくなったようですが、奥州藤原氏など、完全な支配は及ばなかったようですね。平将門の父親も奥州反乱で長く戦い戦死しています。東北の支配完成は頼朝の奥州征伐であると思います。
はっきり言った方がいいと思うんですよね、そろそろ(主さんに対してではなく)。日本列島は多民族国家だったと。アイヌ、大和、琉球。全然、別なんですよ。600年頃には関東に朝鮮族も定住していた。だから我々はその混血なんです。そう考えると、京都奈良も一地域の一文化に過ぎなくて、日本の誇る伝統文化ではない。で、問題はアイヌや琉球の歴史や文化が「同等に扱われてない」って事です。俺は関東の家系なんで関西なんぞどうでもいい。
結構言われてるぞ。縄文時代から縄文人が既に結構な混血だっただろう。
関東内陸部に来たのは当時は高麗人。高麗(こま)、駒とか地名になごりがある。
俺も東北人で思いはあるが、何しろ大和文化を受け入れたのは先祖の選択だ。
これは今現在、俺の主たる文化的ルーツが奈良や京都にあるという事になる。
つまり、日本文化は奈良・京都だけのものではないという事。
しかるに地域的文化ではなく、全国的な日本人の文化的ルーツになる。
一方琉球やアイヌの文化は地域的で、それぞれの地域の人々が守る必要がある。
そういう人にとっちゃ日本文化と同等かそれ以上かも知れないね。
当然、我々日本人のルーツの一部でもあって、注目なり協力なりはすべきとは思うけどね。
@@azumarZX
文化的ルーツが畿内にあるとおっしゃっていますが、遺伝的ルーツも畿内にあるでしょう。東北に住んでいた異民族が大和的な文化を受け入れていったという側面もなくはないでしょうが、主軸は関東以西からの移民による文化の移入でしょう。私も東北人ですが、現在の東北人は蝦夷の人々の文化を「自分たちの文化」もしくは「自分たちの先祖の文化」として語る立場にはないと思います。
もののけ姫のアシタカの故郷やな。
蝦夷ももっと組織化したら朝廷作れましたね。
次の戦国自衛隊は、この時代に行ってほしい。
この時代は民族が違うというだけで争うのは愚かという考えはなかったらしい。
異民族同士は基本的に対立するものですよ。歴史の常です。
現在でも異民族同士仲良く…なんてのは少数で対立してることの方が多いです。民族同士の戦争なんて世界では日常茶飯事です。現在でも
日本という国のできてゆく過程だから・・・
国土があるかなら広げて当然
今の中国のような事日本もしてたんやな
まぁこればかりはね…当時の皇室からしたら脅かす存在だったし…
つい100年前もしてたよ
どこまで記録が本当か怪しいからなぁ
恵比寿って神様やのにな😊
この後あたりから北海道にも、本州の日本人が入り始めます。この頃の北海道には縄文人(=日本人の先祖)がおり、アイヌはまだ樺太から侵入して来ていない時代のことです。アイヌの北海道侵入は鎌倉時代です。
これでわかるとおり、アイヌは北海道の先住民族などではありません。その後、アイヌも含めて、「エミシ」などと言われるようになりました。アイヌが「エミシ」に含められたのは、このように後の時代の話です。
なお、アイヌから色濃い縄文人の血が検出されるのは、アイヌの侵入当初から、縄文人や日本人との混血が生じていたことと、アイヌの習慣に妾(めかけ)制度があり、同じ部族内での近親婚が多かったので、血が濃くなったものです。
後から来た人から見て先に住んでたら先住民だと呼ぶんじゃないんですか?
最初にそこに到達した人類を先住民と呼んでいるんですか?
となると、東北地方に残るアイヌ語由来の地名、アイヌ、琉球人に残る一部本土日本人とも共通したDNA、これらをどう説明するのかね?
つまり弥生人・天皇(朝鮮や大陸からやってきた人)が縄文人・アイヌ(古来から日本に住んでた人)を侵略したってことか
@@ektherising 私もそれは気になります。もしアイヌが鎌倉時代に流入したとすれば、日本人を象徴する噂の遺伝子の学説に大きな矛盾が生じてしまいます。
@@ektherising そのDNA、ほんとうに証拠なんですか?じつは世界中で共通するものだったりしませんか?
「アイヌ」をロシア人ぽいイメージしてるのはあとから来たイメージですよ? そもそも「蝦夷」という言葉が差す地域がどんどん移動してるのに
日高見国、蝦夷。
毛人って、その人が混血だと言いたいだけかもよ。
朝廷からしたら得たいの知れない地域の住民相手に警戒するのは仕方がないけど・・・。
まあ向こうさんも考えていることは恐らく同じなのでしょうけどね。
東北の人がやけに近畿地方を毛嫌いしてるのはまさかこの1000年以上前の出来事で···?()。
古代日本の蝦夷言葉はもしかして・・・
東北弁は言語文法が日本語と違うと言われ
アテルイとかモレとか何処か欧米人の様な名前
関東や東北の地名も何処となく外国の様な地名が沢山
縄文言語の名残
日本列島を西東に分けて比べれば
西は大陸中華圏の伝承で東は太平洋文化の名残の様相
糸静線がその後の文化人類の境界線になった事が事実ですので
古代関西と関東は全く違う国と言う方が正論
数百キロ海峡で分断されていた事実の糸魚川構造
三国志並の高度な戦略だぞ
大谷翔平はこの辺の血入ってそう
火怨
阿弖流爲は天照居…。😄
倭国と大和国は別の国で別の民族だよ
なんか、C国共産党のやり方と一緒
大谷翔平の先祖もきっといたんだよ。
知らんけど。
日高見国と言っても部落の連合体だったからね。
関西人の方がやばい。特に河内😂
その頃の北海道は先住民の純粋な縄文人だけでなく、オホーツク文化人が入植していたはずだ。
まだその頃はエゾに渡る造船技術は無かったと思う。あくまで本州平定が目的だね。まあ命かけて丸木舟で津軽海峡渡ったアイヌ系はいたかも。
こう云う動画を見せられると、血が騒ぎ出すようです。
なんとなれば、自分、蝦夷の末裔と自認してるから。
青森県出身で、母方は弥生系、父方は縄文系のハイブリッドだけど^^;
自分が縄文系だと意識し始めたのは、八重洲口にあった出光美術館に展示されてた縄文式火炎土器に不思議な衝撃を受けてから。
鼻は低く扁平な顔だけど、一応胸毛ありますよ^^;
ま、今更異議を唱えても、詮無い事だけど。Time goes by・・・
縄文系の人、弥生系の人なんてのは現代には存在しないですよ。
弥生時代や古墳時代ならともかく、現代人はみんな縄文人と弥生人(+その他)の遺伝子を同じような比率で持ってますから。
確かに、縄文っぽい・弥生っぽい形質を持つ人はいますがそれはたまたまそういう形質が確率的に発現しただけであって縄文や弥生の遺伝子を多く持っているわけではないです。
(分かりにくいかもしれないので言い換えると、縄文っぽい見た目をしているからと言って縄文人の血が濃いと言えるわけではないということです。)
学校の教育だと名前だけ出てきて意味が分からなかったな、こんなドラマがあったなんて、後天皇のことってあまり教えないね。
坂上田村麻呂が素晴らしすぎて これは侵略ではなく平定で間違いないでしょう 味方をふやして 敵を減らす
大陸って進んでたのか?後進国と位違う?藤原京は7.8万人がきちんと暮らす大都市。西安は4万人程度の塀に囲まれた町。どう考えても先進国には思えない。西安は不潔で足、食糧もそれほど良い状況ではなさそうだ。シルクロードは海の道と考えるのが普通のようだし、終点はハバロスクだったようだし、そこには縄文人が待っていたようだ。大陸も半島も後進国でしょう。
その後進国に遣唐使や遣隋使を送って文化や技術を学んでたのは草
誇張はあるかもしれないですが、唐の時代では人口100万人以上だったらしいですよ。
こんにちは
いちこめ
う
夷の天照で天照夷 (アテルイ)
いちこめ