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こういう時代だったと分かってるから俺を捨てた親は怨めない。むしろ感謝している。餓死などにせず養護施設に預けてくれたことを。
昔、外国人が日本の家屋を見て「ウサギ小屋」と言ってたらしいけど、これ見て納得した
松崎さん一家、貧乏子沢山だけど、お母さんがいない間、お父さんがきちんと仕事休んで子どもの面倒みて、洗濯して、りんご剥いてやって。もちろん炊事もしてたんだろうね。自分の子どもの世話をするのは当たり前だけど、そして故郷から出てきて頼る親戚も身近にいなかったのかもだけど、お父さん純粋に偉いなあと思いました。子どもが喧嘩して叱ってたけど、他の場面では子ども見つめてニコニコしてたし。小さい末っ子ちゃん抱き寄せてたり。作るだけ作って妻にお任せ、だけではないんだなと関心しました。純粋に子どもが好きなお父さんなんだろうけど。
北海道か東北の方だね。子供さん、かわいいね。
子沢山の松崎さんの最後のシーンなんだかんだ幸せそう何気にこの時代で父親育休の概念が既に存在してた事にびっくり
冒頭の俯瞰映像から始まり、部屋のロング早回し、唐突な電車カット、玄関前をドリーしながら人々の音声を重ねる。カットは少ないがとても良く伝わる撮影と映像編集で感動しました。
マツザキさんご夫妻仲が良くて、子供達が明るくて‥狭くても幸せでいっぱい。
行き当たりばったりでも、何とかなった時代。今なら即、一家心中。てか、その前に離婚だわな。
@@四条時政さん 当時の女性は本当に立派でしたよね
67年生まれだけど田舎だったので貧乏でも家だけはデカかったなぁ。
あとお前の態度もね
この映像とにかくアングルにこだわり感じる凄い
@@Ender_7 映像だけじゃなく音もいいね。最初の人々の悲痛な心の声からの不気味なSEなんか最高です😐
冒頭からドローン撮影のようだ…当時としてはさぞかし画期的なカメラワークだったのだろう。
そう!気になったけど、貧民窟に足場を組んで、ケーブル張って、カメラをつるしたのでは?セットなしじゃ撮れないし、ビデオじゃなくフィルムだったはずですよね。金かかってるよ〜
「ドローン無いのにどうやって撮ってるの?」って思いました。すごいですよね!
06:05 この布団に飛び込んでいく瞬間が最高の幸せだろうと想像に難しくない
何だかんだ言って松崎さん一家は超しあわせだね〜😊出産準備で奥さんが入院している間は子供たちの面倒よく見るし。番組最後の、生まれたての赤ちゃんを中心に一家が輪になり赤ちゃんを優しく見守る俯瞰映像もホンワカしてよかった!
昭和40年代、うちもいつも階段下の3畳間で6人が食卓を囲んでた。今は10何畳かのリビングに妻とふたり。時には一人で侘しく飯を食う。会話も無く、テレビに話しかける。広くなっても 失う事も多い。
では今の快適さを捨て前に戻しますか。自分が望んでやった状態変化で消えてしまったモノを取り戻すために。でもその気はないのに愚痴って何か変わりましたか。
テレビは見るんですね(^-^;提案ですがテレビは消してインテリアなどで居心地良くして植物を置き心静かに音楽など聞いて美味しい物を食べる静かで豊かな心安らぐ生活になると思いますよ^ - ^
どこの家庭も子供が小さい頃が一番幸せかもしれんな
貧しく狭いながらも楽しい我が家ホントは父母は苦しかったんだろうけどなんとか生きてる今がある父ちゃん母ちゃんありがとう!
左官の松崎さん、いい親父っさんだな!こんな人が親父だったら、悪い子供にはならないね。最高!
1967年の動画が残って2020年の今見れるのもスゴイね
世界最古の映像は1895年のもので今でも観られる。
今2023.9.20😊
なう(2024/08/14 21:05:48)
最近スーモをたくさん見るけど、1LDKでもロフトでも、3畳以下の部屋一つも見ないのはこの方々が膨大な書類を整理して、人の身体的精神的な健康を保つための間取り?を決めてくれたからなんだね。感謝。
この時代はニュース映画、ドキュメントも効果音を上手く使い、想像力を掻き立てるので好き
予算も機材も限られていたので、人間が知恵を絞って番組を練り上げて行った結果だと思います。
マツザキさんは、5,6回都営住宅に当選しなかっただけで、絶対当たらんと、諦めているが、大阪では、20回抽選に外れると、優先枠が設けられ市営住宅に入れた。我が家も、その制度の恩恵で当時最先端の憧れの団地に住めることになった。確か、昭和41年のこと。ただ、子供には、四畳半に5人暮らしだろうが、2DKの団地暮らしだろうが、実感としては、そんなに差はなかったように思う。大人には、いろいろ気苦労があるかもしれないが、幼い子供は、たいして気にしない。マツザキさんの子供たちも、みんな明るくたくましい。まさに、貧乏人の、子だくさん。しかし、日本人は、そんな時代のほうが幸福だった、と感じるひとも多い。
最先端の憧れの団地。今で言う高級マンションみたいな感じなのかな?
こんな時代が幸せなはずないやろ。女性の自殺とかめちゃめちゃ多かった時代やし。
@@taoniro5010 さんへ。確かに、1950年代後半の五年間ほど、男女とも自殺者数は多かったが、平成に入って3万人を超える自殺者が十年連続を記録したことはどうなのか。「幸せなはずないやろ」ー幸福の感じ方はひとそれぞれであり、他人が決めるものでもない。
赤ちゃんを囲む、子供達の笑顔が優しいですね!
人同士が同じ空間にいると利害関係が発生する
昭和42年の日本の国民の暮らしってこんなにギューギュー詰めになって暮らしていたんだ。これは本当に息苦しいだろうな。一人一人のプライベートが確保できないと家族とは言え、ストレスが溜まるだろうな。昔の人がたくさん辛い思いをして、今の暮らしがあるんだなと本当に感謝です。
墨田区民です。小学校低学年までの頃は吾嬬製鋼(現 JFEスチール)があり、そこを中心に中小の関連鉄工所がいくつもあって、それらで働いている人達の一家が沢山住んでいたのと、戦後の復興住宅が立ち並んで正にあのまんまでした。東京に働き口を見つけ結婚しても住居の狭さは職場ありきで離れられなかった時代だったんでしょうね。ニュータウンだのベッドタウンだの郊外に居を持てたのはもう少し先、ホワイトカラーの人達で、ブルーカラーの人達ほど、故郷から離れ、古びたアパートからも抜け出せずにいたと。防災関連でいえば先ず京島が有名ですが、それだけでなく寝食の狭さも問題だったんだなと、この映像で知りました。これから10年ほどの先に区内ではあちこち団地が建ち並ぶのですが、これらの結果を受けての都市開発事業だったと思うと感慨深いです。
つい最近の話じゃないですか。日本が良くなったのも、つい最近ですね。こういうのを見ると、ここまで生きてきてくれた、全ての先祖や、昔の世代の人たちに感謝。
やっぱり私もそこに行きつきます。今現在、不自由なく健康に暮らせることをありがたく思います。
@@junfan15 全く同感です。こういう動画を見るまで、実感はなかなかできませんでした。
こういう時代を知らない世代らしい書き込みが多くて、世代間分断されているのかと思います。
80年代の10年くらいじゃね?日本が安定してたの
本当ですね!世界の歴史も必要だけれど身近なおじいちゃんお父さん世代の文化風習などの歴史を学ぶのも必要です。
私自身の生活を思い出させる懐かしいドキュメンタリーです(1947年生)。4.5畳に親子(父母、私、妹)で生活していました。私の大学進学とともに父がアパートを借りてくれました。流石に兄妹が同室って問題だって思ったって父が問わず語りに語っていたのを思い出します。この頃に郊外に公営での分譲宅地が始まったと記憶しています。
子供たちの存在は国家の未来そのものなのだと改めて痛感する。貴重な映像に感謝。
この映像を見ていると、ただただ苦しいだけでなく、日本人の底力や強さ素晴らしさが見えてくる。
この時代のお役人は、どうすれば国民が豊かに暮らせるか真剣に考えていたのが分かるね。
現代でお役人が個人の生活にこんなに干渉する計画したら叩かれるだろうしなぁ
自身の出世のことしか頭にない役人は見苦しい。これが本来の姿
今で例えるなら権限を行使して各家庭にお役人が制限は皆無の状態で自由に干渉出来てお役人からのお達しには何でも強制力が存在して市民や町民、村民には従う義務が発生する様な物なのでこの当時と同じ様にはいかないかな?と。逆に今と違ってお役人が強い権限を握っていたからこそ可能だったとも言えますが。
今だと4人家族なら50万円必要とかわけわからん数値出してきよるしな
まあ、世の中のサイクルよね、豊かな時代は多い時代は小さな政府、そうじゃない時代は大きな政府になるもんやろ
マツザキさん家族はこの映像を観たことあるのだろうか。現在もお元気だろうか。気になりますね。
ご存命ならご夫婦は90才くらいでしょうか?お子さんとお孫さんに囲まれて幸せな余生を送って戴けてると救われますね (#^.^#)
この時代の人たちが一生懸命働いたから我々の今の暮らしがある。感謝して我々も次の世代のために頑張らねば。
政治家が言わなくちゃいけない言葉ですよー
頑張っても、頑張った分以上に、政府や株主や上級国民達に搾取され消費されてしまい、将来には負債だけが残るのが、今の日本社会。もうすぐ破綻。
昔は働いたら、働いた分だけ国も個人も結果が目に見えるように上がってたからまず国民の年齢層も活気も今の日本と全然違かったと思う。何も見えない世の中で、昔のエネルギーを今の若者たちに出さなければと言うのは何か可哀想なきが、、
竹中と小泉が貧困日本を創生した。
@@千葉-u8u よくわかってるやんその通りや
松崎さんちは子供作りすぎだけどお父さんの子供に対する話し方とか仕事休んで家事するところとか、子供達の仲の良さとか素敵な家族だなと思う
この世代は普通じゃない?自分の親も8人兄弟っていってたな。
うちの祖父も祖母も7人やら8人兄弟って言ってたから確かにこの時代だと当たり前の人数かもしれませんね😊
いや、1967年は私は田舎暮らしの小学5年だったけど兄弟は2人が1番多く4人5人は1割程度だった。 たくさんの兄弟は戦後1950〜1952年くらいまでの現在団塊世代までだと思う。
狭いながらも楽しい我が家。子供の頃を思い出しました。
私は42年生まれ。5歳まで板橋で家族四人、四畳半一間でした。なつかしいなぁ
私も昭和42年生まれです。47年まで板橋ということは高島平の団地は当時まだ建設中だったんですかね?
今はかなり貧乏な私だけど、赤ちゃん時代~4歳か5歳頃の我が家は、そこそこに恵まれてた方だったことが良くわかる。。1階には会社が入っててガラス張りで中が見えていた。上が住居になっている3LDKの新築のビルだった。赤ちゃんだった妹と2人でちょこちょこと走り回ってたなぁ。屋上で近所の子供同士でよく遊んでた。あの頃がが1番幸せだったなぁ。両親揃っていたし。。全て父の会社が倒産するまでのことだけど。
これも懐かしいんですけどね。今現在56歳です。東京生まれの私の人生は目眩く変化した時代に翻弄されて大変でした。
最後のシーン涙が出た。松崎さん今もご存命なのかな。沢山の孫ひ孫に囲まれてのんびり微笑んていてほしい。
すでにくたばってます
子作りどこでしたんかな。。。。
@@おでんの大根-w8x 友達いないのね。かわいそうに。
@@takesjpn これやからカスカープはww
地獄って言ってる割に松崎さん一家は楽しそう
貧乏でもそれなりに仲の良いコミュニティがあれば楽しい思い出になるんだよな狭くてボロい集合住宅だったけど、遊び相手に困らない、あの頃に戻りたいと思う時もある
絶対楽しい 俺金持ちの地域に生まれた貧乏だったからかなりしんどかったw
亡くなった爺さんや婆さんが生きてた時代や。頑張ってくれはったんやなって思うと、リスペクトしかない。
この頃は皆貧しかったけれど共同体の中で守られている安心感がありました。子供だけで遊んでいてもそばにいる大人が気にかけていてくれました。夜でも窓は開けっ放しで寝ることが出来るくらい治安も良かったですが、今は無理ですね。今は豊かなのに窮屈ですね
そりゃ文明のレベルが低いから当然だよ。今は家庭内、校内暴力って許されないけど、昔は暴力だらけ。不衛生の極み。とても安心とは言えないんだが。
警察庁が発表してる犯罪統計を見たらすぐわかるんですけど、凶悪犯罪も含めて当時のほうが今よりも遥かに件数が多く治安は明らかに現在の方が良いですね。今の方が治安が悪く感じるのはマスコミなどが発達したせいで全国各地の犯罪のニュースなどがあなたの目に届くようになっただけで、犯罪件数自体はこの映像当時に比べると激減しています。つまり、当時のほうが治安がよく安心感があり、今は治安が悪いので窮屈であるというのは統計的事実に反したあなたの偏見ということになりますね。
犯罪などの治安の悪さを指摘されている部分を見てこのコメントなのか…?
ドローンのない時代のスタート時の俯瞰動画すごい。昔の家族の絆は、今よりつよかったのかもしれないが、それにしても一間で数人暮らすとは驚きでした。
竹竿にカメラをぶら下げて撮影。。
ヘリで低空飛行したりしたのかと思ってた。
釣り竿では無理かな。ロープを張ってカメラを滑り落としているのか…実際は判りません。
@@jq3ahg 昭和40年代にヘリコプターってなくね?知らんけど。
@@すき焼き-r5v 様日本の放送局がヘリを所有し始めるのが昭和30年代でこの映像が昭和40年代だと思いますのでヘリコプターはあったと思いますが緊急事態でもないので使えたのかどうかはわからん。
テレビの下に足を入れて寝れる。足が疲れなくなった。それから仕事を休まなくなった。これ衝撃。
昭和27年生まれの女性ですが、田舎の家に生まれたので、家族5人でも、自分の部屋があり、今と余り変わりませんでした。が、都会は、大変な住宅状況だったんですね。この動画で初めて知りました。
田舎もんにはわからんやろうねこの苦労は
@@おでんの大根-w8x お前さんのものの言い方よ!
@@unknownnothing1004 は?
@@おでんの大根-w8x は?じゃねえよゴミ
1955年ニューヨーク都市圏を抜いて現在も東京圏3800万~4000万人世界一更新中。現在タワマンタワビル乱立の帝都一極集中東京と大都市への人材供給さえ覚束なりつつある少子高齢化の深刻な地方、何処で間違ったんでしょうね?
いつの時代でも子供というのは環境に適応して力強く生きているなぁ。
そりゃあ私たちだって、赤ちゃんの頃にアマゾン奥地の未開の部族に預けられたら、その暮らしに適応しているでしょうしね。子供の適応力はすごいです。
その世界しか知らないしね
今はSNSで上の生活をいつでも見る事ができるから、ギャップに苦しむ子が多いそうな。
1967年ですでにドローン視点での撮影がすごい
思いました。これはどうやって撮影しているのだろう。
ヘリだともっと画面がブレるだろうし、クレーンに乗って撮ってるのでしょうかねぇ
ロープ張って、そこにカメラをセットしてトロッコみたいに移動させてるんです。凄い手間が掛かってますね。
@@jazzrock0924 ほえ〜〜〜、すごい手法で空撮視点を作ってるんですね!!発想と撮影手間に頭が下がりますわ。
@@jazzrock0924 左側にうっすらカメラの影が見えますね
1968年の大卒初任給約3万円。民間のアパート家賃1万5千円。電化製品もバカ高い。普通の暮らしをするだけなら今は恵まれてるよね。コロナなんかぶっ飛ばせ!
昔のこと語んなよ。気持ち悪い昔はあーだこーだうるせー
@@user-zr1jq7wh1b え?まじで謎すぎて草
@@user-zr1jq7wh1b 少しは外出たほうがいいぞ👍
@@user-zr1jq7wh1b ここはそもそも昔を懐かしむ、又はその時代の背景とか生活を知る為のところですよ
@@user-zr1jq7wh1b ならば、そもそも「この動画を見るな!」と言う話。
私自身が生まれ育った時代の映像です。懐かしい。不平不満を言えばキリがない。いかに現代が恵まれているか、改めてわかります。
そうですか。現代も悲惨だと思います。ま、私も20年後には、今の若い世代は恵まれてる。昔は大変だった。とか言ってると思います。結局、その時代に生きればその時代の視点が当たり前になってしまいますから。
当時ってPCもインターネットもスマホも無いし、それだけでもう無理!コロナなんて当時流行ってたら、死亡者数がとんでもなかったでしょうね笑
@@yoomat66 いやいや普通に今の若者から見ても今の時代は恵まれてるから笑笑
@@俊介大好き-e1q そうですか。私は20年後には、昔はスマホっていう充電しないと使えない物があって、冷蔵庫も手動で開けてたり不便だったんだよ。とか言ってるはず(笑)
文明ってこれから先どれだけ進歩するんだろ。最後はどこに行き着くのか。ある程度のラインに達したら飽和状態(?)とかになんないのかな?
先人達の努力と苦労には感謝しかないです
タイトルに「リアル三丁目の夕日」とあるけど、これから見たらあの家族はブルジョア(?)だな。
この番組の2年後くらいに始まった日曜夕方のアニメなんかは世田谷の豪邸住まいですよね。
はっとりやすひろ さん波平は東大卒、マスオは早大卒、それぞれ三菱商事や三井物産並みの商社社員で今なら双方の年収合わせて4000万円の家庭ですから。
@@Byaamyaa その設定はデマですよ。
子供に食うもんもくわせんで家賃だけ払えますかってかっこいいですね。本当であってほしい
戦後だから食事の辛さを知ってるんでしょうね
言葉はカッコイイのは認めますがでも、今の時代それ通用しないです。強く賢く滞納無しでお願い致します。厳しいですよ。
なんで今の時代の話してるんや…
大所帯を養う父ちゃん凄いな。
中卒製造機!
大黒柱が良く似合う
昔は子沢山でしたね〜子供は労働力だから
子供達がヨイトマケのうたを歌っていたのが何とも感慨深いです。
リンダの歌も歌っていて、時代を感じました。
ヨイトマケって…自分たちの暮らしぶりだろうけど、意味も分からず特に劣等感もなく暮らせた時代なんだろうな。
懐かしい。もう少しマシだったけど、私の両親も一生懸命だったのを思い出します。最後の方でお母さんが赤ちゃんを抱っこして歩いて近所の人も一緒に喜んでいる姿…とっても温かい映像。私も幼い頃ご近所の方に本当によくしてもらいました。この動画を見て改めて当時の方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。素晴らしい動画をありがとうございます。
1960年生まれです。俺ん家も笑っちゃうほど貧乏だったなあ。でも金持ちもしっかりいた。あの時代は貧乏と差別がセットで、教師が家庭訪問で1秒も長居したくなさげで悲しい思いをしたものです。
私も1960年生まれです。教師の家庭訪問で家を知られるのが本当恥ずかしかったです。先生の子供への差別ありましたよねえ😅ほろ苦い思い出です。
私(昭和40年生)の生まれた京都では生まれた時からものがあふれ、食べすぎると太るよという時代でした。休日はみんなでデパートに行き、持ちきれない買い物をタクシーで帰る。クリスマスツリーを飾り、ケーキを注文する、季節ごとにヨソイキを買ってもらう。うちはただのしがない散髪屋です。金持ちではありません、エリアもごく普通の町です。今よりずっと豊かで、戦後たった20年で日本は凄いなと後に思い返したものです。一方この動画のような景色も当たり前にあったのですね。色んな思いが書けまぐりました。UPありがとうございます。
このくらいの子育ての方が逞しく人間力を養えるのかな?ってつくづく思う今日この頃
ナショジオなんかで見る現在の発展途上国の家族がこんな感じだな。
松崎さんちは子供作りすぎではあるが旦那が仕事を休んで子守りや家事を頑張っているのは偉い
ずっと昔のような話に見えるけれど、自分の父が生まれた頃だと考えるととてもリアルに感じる。
逆に言えば、子供がたくさん居る、今とは真逆の時代です。少子化の今の時代と比べると、まだ未来が明るく思える時代だったのかもしれません。
高度成長期だから夢や希望はあったんだろうな。でも、しばらくしたらオイルショックとか不景気になっていくんだろうが。現在は、夢も希望もないわ。感染症でこんなに厳しいことになるとはな・・・
@@yamato868サンそのオイルショックから立ち直り、バブル景気へと向かって行きました。 今よりもずっと希望に満ち溢れてましたね。
第二次世界大戦で300万人がお亡くなりに成りました。終戦の翌年、380万人が生まれて人口は一年で元に戻りました。
希望はあったけど浮き足立ってた。誰も現実的に考えることはなかった。だからバブルが崩壊した時なす術が無かったんだよ。その証拠にネットや書籍で調べても高度経済成長期、特にオリンピック不況に関しての資料は一切出てこない。
この時代は確かに物質面では貧しかったけど精神面では豊かだったと思うわ。遊び相手にも困らないし、誰かが助けてくれる。今ほど格差も感じなかったし。同じ苦労でわかり合えた安心感と頑張れば相応に返ってくる。
この時代を子どもとして過ごした世代です。田舎の暮らしでしたので、こういう過密はなかったと思います。周りは何世代かで暮らす農家、兼業農家が多く家は広かったです。文化住宅で両親と子ども2〜3人の各家族もありましたが、2〜3部屋と台所みたいな造りでした。大都市ではこうだったのかと、驚いています。
幸福はどんな家に暮らすかではなく、どのように暮らすかであろう。
いやぁ狭過ぎて衛生環境が悪い最低基準以下の住宅環境で暮らすのは厳しいよ
パソコンのエクセルなんて影も形もない時代にこれだけ膨大なデータを収集、整理するのは想像以上に大変だったと思います。 昭和30、40年代は牧歌的で人情味あふれる古き良き時代のイメージがありがちですが、実際は社会環境、生活環境は劣悪なところも多くて今以上に酷い格差社会だったそうですね。
私も同じ感想ですね。1人当たり2.5畳のデッドラインを出して、あくまでそれは十分なスペースではなく既に破綻しているという数値であるという分析も凄いと思いますね。
パソコンでなんでも数字を加工出来るから頭使わなくなってバカになってるってのもあると思いますね。
逆で金持ちいなくてみんな貧乏だったんじゃないかしら
>堀江俊之しかしながら、自殺者の割合いは豊かになった令和3年の今のほうが多いと・・・!
だからこそ、統計を集める課(公務員)の職員が増えた。
私は昭和32年生まれで四畳半一間で親子三人食事するのも寝るのも同じ 兄弟姉妹が居なかったからまだ救いだったただ 隣近所の結びつきはとても良かった 味噌 醤油の貸し借り 子供が夜泣きすれば隣のおばちゃんがあやしてくれる 狭いながらも今よりは楽しい我が家な感じでした親は大変だったとは思いますが 子供に愚痴ったりは決してし無かった 本当に感謝して居ます😊🍀
三畳一間、トイレ流し下駄箱共同、トタン屋根、木枠の窓、洗濯は洗濯板で固形石鹸使用、親は共働きで私は6歳で保育園年長、衣類は親戚からのお古、でも貧しいと思った事はあまりなかった。周りも同じ様な生活をしていた。10歳になる時、都営住宅に当選して家族皆んなで泣いた。そんな当時でも小学三、四年生で算盤、五、六年生で習字を習わせてくれた両親には感謝しています。今改めて親に感謝の気持ちを伝えたいですね。
どうやって合体したのか凄いな松崎さん(笑)
トラック野郎のジョナサンの家みたい
忍者ハットリくんみたいに天井で寝たのかも。
私は昭和50年代生まれです。親が若く貧乏だったため、私が生まれたときの家は、8畳一間のアパートでした。テレビも時代遅れの12?14インチ?の白黒テレビでした。弟が生まれてもそのアパートで、家族四人が3枚の布団で並んで寝ていました。私が幼稚園までその家だったので、うっすらと記憶にあります。アパートは10戸だったのですが、他の部屋は一人暮らしや若い男女ばかりでした。この映像までではないですが、今から考えると「質素な生活をしていたな」と思います。
途上国だったんだよね『奥様は魔女』のアメリカ生活をテレビで観て格差に愕然としたわー
貴重な 動画をありがとうございます
昭和37年生まれです。布団並べて寝てました。風呂は銭湯(笑)
38年です。夏はタライで行水でしたね!
クレヨンしんちゃんの野原一家は、庭付き一戸建て(何部屋もある)に住んでいるのに、寝る時はいつも家族一緒に川の字になって寝ている。なぜ?
@@中田マスオ-g2p アレは漫画だし、マジレスすると小さな子供を別部屋で寝かせるのは心配だろう。この映像は致し方無い場合の話やな。あんただって小さい時は両親の部屋で寝ていただろう!意味の分からんコメントすな!普通に考えたら理解出来るぞ!
まだ私は良かったんだと、改めて感じました。我が家も9人家族でしたが、父が空き家を探して部屋数は小さいながらも4部屋あり、今思えば外には勝手に物置件、部屋みたいな……でも家族で過ごせた日、懐かしさと幸せを感じてます。あの空き家は家賃いくらだったのか?勝手口は重い木のドア。風呂はドラム缶。板にうまく乗らないと浮いてしまう。台所、風呂の区別はなんかベニヤ板のようだった。風呂は父が無理やり作った感じ。今じゃ大変な事だ。貧しい生活の中にも家族でいられる夜が好きだった。何十年後に家があった場所に行くと小さな更地に草が。呆然と立ちすくみ過ぎた時を感じた時、涙がこぼれました。みんなに会いたいな……と。
なんでこんなおどろおどろしい音楽なんだろうw
殺人や誘拐事件のドキュメントの音楽だよね
この時代に生まれましたがでもこのチャンネルなんかこわい😱
ここのコメント見て、、、、ダメ、、、はぁ腹が苦しい、、、笑いが止まらん!!!家に帰ってから見て正解だった!
@@おおとらことり ……と、言いますと。うまり情緒不安定と受け止めてよろしいでしょうか?wお薬出しておきますねー😏
メロドラマ(死語)でもお化け(幼児語)w出そうな音楽だったな。
実質、この頃と今の格差社会はなんも変わってないんだな…と思ってしまう。ただ昔は部屋が狭くても貧乏でも子だくさんだったが、今はそんな状態では結婚しない、子どもも作らないっていう人が増えたってことかな。
文明の終りを察する本能でしょう。
この時代は、額に汗して働けば、その分だけ賃金が増えていった時代なので、皆が上を向き、家族を増やしても仕事量を増やして稼ぐ事が出来たので結婚して子供を量産していた。
@@四条時政さん 稼ぐだけなら今だって可能でしょう、サービス業や介護職なんか引く手数多、掛け持ちでバイトなんかしたらまさに額に汗して働けばその分賃金は増えるでしょう。この時代の賃金ベースに照らし合わせても現代でも十分「稼ぎ」具合で言ったら稼げる。ただ現代人はそれをやらない
単純に男女雇用機会均等法 結婚せずに働く方法を選んだ女の方が増えたためじゃないですかね
メチャクチャ狭い部屋で家族も窮屈そうだけど楽しそうな気もします 貴重な映像ありがとうございます
1967年の映像ですか⁉️昭和だと 昭和42だったと思います。私は 中学1年生 でしたね‼️その頃は、皆 風呂もない六畳一間に 5人で住んで居ましたね‼️風呂も無く 冬は 隙間風が入って来る 様な 借家でしたね‼️昭和 30年代から40年代始め迄ほとんどの家は貧乏でしたね‼️銭湯の値段は大人 が27円子供が15円幼児が 7円でしたよ‼️風呂も毎日は入らず月に 15日位 銭湯に行った記憶がありますねぇ‼️ 映像を見て懐かしく思いました。
@@吉野元宣 風呂代が大人27円ですか!衝撃的な値段ですね!物価の移り変わりに驚きます 家族そろって銭湯に行くのはなんか暖かみがあるような気がしますね
9人目産まれるって、凄いわ。
昭和20年代だったら「作れ産め」の風潮はあったと思います。 戦争で多くの人が亡くなり、人口が減ってましたし、子供は未来の希望です。
年金に頼るより自分の子供に頼る風潮が子沢山の基本的な考え。
@@君モグタン >>年金に頼るより自分の子供に頼る風潮が子沢山の基本ある意味今より健全でマトモな考え方だな
@@君モグタン 今20ですが、その考えを持ち始めてます。大学行くのは一人でいいので、大学に行かなければ大して学費は問題じゃないだろうと
トラック野郎のジョナサン思い出した。
今の建築基準法がどういう考えや背景を基にしてできたかをリアルで観れたのが面白かった!
福岡市在住。昭和40年代後期までは普通だよ。俺も小学校までこんなとこで暮らしてた。親は共働き。食うには困らない。ただいかんせん、賃貸が今みたく多くはなかったんだ。便所は離れの共同ボットン便所。臭いし、寒い日、外出るのがつらくて。洗濯機、買おうと思えば買えるが、置く場がない。洗濯は共同の洗濯場で鍵付きの水道(!)でやる。お陰でお袋は30代で腰をやられてしまった。その後悲願の市営住宅に当選。家ん中にトイレ、風呂がある!感動したもんさ😭😭
線香山ほど持って先祖と親戚の墓参り行ってくる
貴重な動画。ありがとうございます。
クーラー無くても生きていけたな。
番組序盤の子供達、今何処でどんな住居に住んでるのだろうか…。
松崎さん一家 お父さん 子供たち 奥様を守る姿 とてもカッコいいです 決していい環境では無いですが、今より 幸せを感じる
いやー浅見さん一家の部屋が小さい頃の俺んちとそっくりw家具をどう置けば良いかで年中模様替えしてたなあ。(昭和40年生)
私は現在57歳ですが、畳で寝たことが何年もなかった経験をしているので懐かしくも辛かったことを思い出します。私の年齢では考えられないほど複雑な家庭状況で廃車になった幼稚園バスに家族4人で暮らしていた事が 今の自分を作ってくれました。買ってでも苦労をしろと言いますが本当ですね。
自分は1965年生まれ、大阪府豊中市南部庄内地区の文化住宅で育ちました。 最初は3部屋に5人。自分は2段ベッドの下段が部屋代わりでした。 後にすぐ近所の4部屋に引越しました。 それでも部屋数は足りないので、姉は女の子だから1部屋を、自分は兄と一緒の部屋で、寝る時に狭くて、学習机の足の上にも布団を敷いてて、そのボコっとしてたのがちょっと痛かったですwそういや近所に、2部屋で6人兄弟の8人家族が居ました!こんな感じですよ!
既に家庭で揉まれて世に出てくるという昭和人のパワー・・・
お前の名前ザ昭和臭くて草
ド田舎で生まれてよかった。当時のサラリーマンの生活の厳しさが伝わってくる。失われた30年というが幸せになった
53年前に生活していた人々は今頃どうしてるんだろうか。当時子供だった子が10歳とすれば現在63歳で、お父さんは当時40代だとすると今はもう90代~100歳前後。この時代50代以上だった人はもう殆ど生きてないだろうし、人生ってのはあっという間なんだなって、こういう半世紀前の映像を見ると改めて思う。
この頃の子供です。便利なものはなかったけど、人が物の代わりに?生活に彩りを与えてくれていたように思います。親戚の家に行ったり、親戚が来たり、千葉県あたりの民宿に行ったり、今の生活からあの頃には戻れませんが、子ども時代にあまり不満を感じたこともありませんでした。当時はあれが当たり前でした。
わたしは小学校四年生まで、6畳と3畳の二間続きの借家に祖父母・両親・弟・妹とで暮らしていました。でも、楽しかった事しか覚えていません。それよりも、2階建ての一軒家に引っ越し、自分の部屋で聞いた深夜の北風の音が意味なく怖かったです。
マツザキさんこの状況でどーやって営んだんだろw子だくさんなのが凄いw
起きて半畳、寝て一畳とか昔の人は言っていたと思う。
後、目つむって寝たらどんな豪邸でも一緒って。
これ見たかったんです!!ありがとうございます!!今見ても当時の居住環境がどれだけ劣悪だったのとやはり住む場所がいかに大事で生き物の精神面にどれだけ影響を与えるかがはっきりわかりますね。NHKアーカイブで昔やっていたのだとゲストに木の実ナナさんがいて子供の頃凄い狭くて今じゃ考えられないほど住環境が悪く両親、兄弟と3畳半で生活していたって話が衝撃でした。今恵まれている自分の状況を無駄にしないようにしたいと思います。
>今見ても当時の居住環境がどれだけ劣悪だったのと今の基準で語れますまい
自分が一人前になるための苦労すらしない全国のこどオジ、こどオバどもに見せたい動画だな
自分は五才でした。郊外にすんでましたが、今思えば都内よりましだった。でも心が反比例して貧しい人が増えたようだ。
これは良い番組。この頃の官僚・役人には本当に熱意があった。本当の人権意識とか問題意識いうのはこういうもので、満ち足りてる者が屁理屈こねて弱者を憐れみ強者を批判することじゃない。リーゼントのお父さんに今の時代のイクメンの話したら鼻で笑われるね。家事を全てこなしてることよりも、この状況で子供たちを伸び伸びとまっすぐ育ててることが本当にすごい。だから狭さと密度が家族の絆の強さにさえ繋がっている。自分の経験からも、卑屈になってない親から十分な愛情が注がれていれば小さな子供にとっては狭さとか貧しさって実はそれほど重要な問題じゃないんだよね。でもそれが出来る人たちばかりではなく自死や無理心中を選んでしまう人たちもいる。それはその人達が弱いせいではないから責められるべきでは絶対にない。ほのぼのと三丁目の夕日をするにはとてつもなく強い人間力が必要になるが、昭和ほどの向上心も夢も持てない今の日本では比較的裕福な状態でもボロボロと国民が零れ落ちている。最近はさすがにみんな気付き始めてるけど、意図的にそれらを持てなくしてるのは自民党政権とそれに追従する官僚たち・そしてその政権下で蓄財のみに熱心になった企業たちであることは間違いない。
コミュニケーション能力は現代人より高い人が多いだろうな。
だからニート、引きこもりなんていなかった。兄弟、近所の子供の人数が多いから他の人との折り合いを自然に学ぶ。今の人達は、他人のことを気にしすぎ。子供のときの社会経験が少ないからだ。
この世代の奴らはプライベートゾーンという概念が無いからウザイ。コミュ力高いか?疑問。
@@かめたろう77 昭和生まれのガキが生意気なこと言ってんじゃねーぞ。
今求められているコミュ力と当時のとでは違うんじゃないかな?当時の人は人見知りはしなかっただろうけどコミュ力あるかって言われると微妙
@@0010-e2i お前は明治か大正生まれなのか…?
子供の頃、蚊帳の中で家族で雑魚寝してたのを思い出して、なつかしく拝見しました。
昔の人って本当に偉いですね。日本が崩れてきたのはバブルからでしょうか。
私もこの時代に生まれましたが、やっぱりお風呂なしで部屋せまいから、ずっと母と1つの布団で寝ていました!😅
家賃も厳しいのに奥さん妊娠中ってのが衝撃だ。
貧乏子沢山ってな闇だね
子供はこんな狭い場所でも苦になりませんね押し入れの中とか元々狭い場所が好きだからこの頃は子沢山が多いのかと調べると、すでに出生率が2ちょいぐらいになってるようです
@@F-Racing_Trickster 闇じゃねーよ陰キャ
娯楽が少ないからね。お母さんは家族のために頑張っていた時代。
先々まで見通して金の心配しながら子供を作る考えの方が異常なんだよ
久しぶりにこの番組見たけど、なんかモチベーションあがるな。
42年生まれの長屋暮らし押し入れから隣に醤油をかりたり、友人の部屋にいったりまさになんでもありの時代家賃なんか3000円ぐらいでしたね、近くに温泉もあったし、コンビニもスーパーもないけど本当に夢のような黄金の日々でしたね川で魚をとったり、やまで山菜やカブトムシを採って町に売ったら馬鹿売れ、東京のような華やかさはないけど老若男女問わす満面の笑みでキラキラしてた時代、今は電車に乗ると染み染み寂しいそうな侘しい顔してますねコンプライアンスやなんやらやたらとウザイし、キリキリカリカリして安心感がないのかな、クリスマスなど何故か痛々しくてみられないね、今の時代なにかが足りないのかも?
自分の子供時代の映像をアップして戴き感謝。一人当たり2.5畳が基準だったそうですが、自分の家は4畳半+3畳+台所1畳に一家四人が暮らしていました。風呂無し、トイレ共同。窓を開けると隣の壁が迫っていて、上を見上げると空が1本の帯のように見えました。今から思えば劣悪な住環境ですが、周囲も皆そんな感じでしたので惨めな気持ちは微塵もありませんでした。ただ、近所の同級生が住んでいた松下の社宅には子供部屋があって驚いた記憶があります。
凄いいい動画だな。この頃の人たちも、同じように思っていたんだろうな。
ウルトラセブンが放映していた年なだけにどこかにメトロン星人が潜んでるような雰囲気がありますね。
こういう時代だったと分かってるから俺を捨てた親は怨めない。
むしろ感謝している。餓死などにせず養護施設に預けてくれたことを。
昔、外国人が日本の家屋を見て「ウサギ小屋」と言ってたらしいけど、これ見て納得した
松崎さん一家、貧乏子沢山だけど、お母さんがいない間、お父さんがきちんと仕事休んで子どもの面倒みて、洗濯して、りんご剥いてやって。
もちろん炊事もしてたんだろうね。
自分の子どもの世話をするのは当たり前だけど、そして故郷から出てきて頼る親戚も身近にいなかったのかもだけど、お父さん純粋に偉いなあと思いました。
子どもが喧嘩して叱ってたけど、他の場面では子ども見つめてニコニコしてたし。
小さい末っ子ちゃん抱き寄せてたり。
作るだけ作って妻にお任せ、だけではないんだなと関心しました。
純粋に子どもが好きなお父さんなんだろうけど。
北海道か東北の方だね。
子供さん、かわいいね。
子沢山の松崎さんの最後のシーンなんだかんだ幸せそう
何気にこの時代で父親育休の概念が既に存在してた事にびっくり
冒頭の俯瞰映像から始まり、部屋のロング早回し、唐突な電車カット、玄関前をドリーしながら人々の音声を重ねる。カットは少ないがとても良く伝わる撮影と映像編集で感動しました。
マツザキさんご夫妻仲が良くて、子供達が明るくて‥狭くても幸せでいっぱい。
行き当たりばったりでも、何とかなった時代。
今なら即、一家心中。
てか、その前に離婚だわな。
@@四条時政さん
当時の女性は本当に立派でしたよね
67年生まれだけど田舎だったので貧乏でも家だけはデカかったなぁ。
あとお前の態度もね
この映像とにかくアングルにこだわり感じる凄い
@@Ender_7 映像だけじゃなく音もいいね。最初の人々の悲痛な心の声からの不気味なSEなんか最高です😐
冒頭からドローン撮影のようだ…当時としてはさぞかし画期的なカメラワークだったのだろう。
そう!気になったけど、貧民窟に足場を組んで、ケーブル張って、カメラをつるしたのでは?セットなしじゃ撮れないし、ビデオじゃなくフィルムだったはずですよね。金かかってるよ〜
「ドローン無いのにどうやって撮ってるの?」って思いました。すごいですよね!
06:05 この布団に飛び込んでいく瞬間が最高の幸せだろうと想像に難しくない
何だかんだ言って松崎さん一家は超しあわせだね〜😊出産準備で奥さんが入院している間は子供たちの面倒よく見るし。
番組最後の、生まれたての赤ちゃんを中心に一家が輪になり赤ちゃんを優しく見守る俯瞰映像もホンワカしてよかった!
昭和40年代、うちもいつも階段下の3畳間で6人が食卓を囲んでた。今は10何畳かのリビングに妻とふたり。時には一人で侘しく飯を食う。会話も無く、テレビに話しかける。広くなっても 失う事も多い。
では今の快適さを捨て前に戻しますか。自分が望んでやった状態変化で消えてしまったモノを取り戻すために。でもその気はないのに愚痴って何か変わりましたか。
テレビは見るんですね(^-^;
提案ですがテレビは消して
インテリアなどで居心地良くして植物を置き
心静かに音楽など聞いて美味しい物を食べる
静かで豊かな心安らぐ生活になると思いますよ^ - ^
どこの家庭も子供が小さい頃が一番幸せかもしれんな
貧しく狭いながらも楽しい我が家
ホントは父母は苦しかったんだろうけど
なんとか生きてる今がある
父ちゃん母ちゃんありがとう!
左官の松崎さん、いい親父っさんだな!こんな人が親父だったら、悪い子供にはならないね。最高!
1967年の動画が残って2020年の今見れるのもスゴイね
世界最古の映像は1895年のもので今でも観られる。
今2023.9.20😊
なう(2024/08/14 21:05:48)
最近スーモをたくさん見るけど、1LDKでもロフトでも、3畳以下の部屋一つも見ないのはこの方々が膨大な書類を整理して、人の身体的精神的な健康を保つための間取り?を決めてくれたからなんだね。感謝。
この時代はニュース映画、ドキュメントも効果音を上手く使い、想像力を掻き立てるので好き
予算も機材も限られていたので、人間が知恵を絞って番組を練り上げて行った結果だと思います。
マツザキさんは、5,6回都営住宅に当選しなかっただけで、絶対当たらんと、諦めているが、大阪では、20回抽選に外れると、優先枠が設けられ市営住宅に入れた。我が家も、その制度の恩恵で当時最先端の憧れの団地に住めることになった。確か、昭和41年のこと。ただ、子供には、四畳半に5人暮らしだろうが、2DKの団地暮らしだろうが、実感としては、そんなに差はなかったように思う。大人には、いろいろ気苦労があるかもしれないが、幼い子供は、たいして気にしない。マツザキさんの子供たちも、みんな明るくたくましい。まさに、貧乏人の、子だくさん。しかし、日本人は、そんな時代のほうが幸福だった、と感じるひとも多い。
最先端の憧れの団地。今で言う高級マンションみたいな感じなのかな?
こんな時代が幸せなはずないやろ。
女性の自殺とかめちゃめちゃ多かった時代やし。
@@taoniro5010 さんへ。確かに、1950年代後半の五年間ほど、男女とも自殺者数は多かったが、平成に入って3万人を超える自殺者が十年連続を記録したことはどうなのか。「幸せなはずないやろ」ー幸福の感じ方はひとそれぞれであり、他人が決めるものでもない。
赤ちゃんを囲む、子供達の笑顔が優しいですね!
人同士が同じ空間にいると利害関係が発生する
昭和42年の日本の国民の暮らしってこんなにギューギュー詰めになって暮らしていたんだ。これは本当に息苦しいだろうな。一人一人のプライベートが確保できないと家族とは言え、ストレスが溜まるだろうな。昔の人がたくさん辛い思いをして、今の暮らしがあるんだなと本当に感謝です。
墨田区民です。
小学校低学年までの頃は吾嬬製鋼(現 JFEスチール)があり、そこを中心に中小の関連鉄工所がいくつもあって、
それらで働いている人達の一家が沢山住んでいたのと、
戦後の復興住宅が立ち並んで正にあのまんまでした。
東京に働き口を見つけ結婚しても住居の狭さは職場ありきで離れられなかった時代だったんでしょうね。
ニュータウンだのベッドタウンだの郊外に居を持てたのはもう少し先、ホワイトカラーの人達で、
ブルーカラーの人達ほど、故郷から離れ、古びたアパートからも抜け出せずにいたと。
防災関連でいえば先ず京島が有名ですが、それだけでなく寝食の狭さも問題だったんだなと、
この映像で知りました。
これから10年ほどの先に区内ではあちこち団地が建ち並ぶのですが、
これらの結果を受けての都市開発事業だったと思うと感慨深いです。
つい最近の話じゃないですか。日本が良くなったのも、つい最近ですね。
こういうのを見ると、
ここまで生きてきてくれた、全ての先祖や、昔の世代の人たちに感謝。
やっぱり私もそこに行きつきます。今現在、不自由なく健康に暮らせることをありがたく思います。
@@junfan15 全く同感です。
こういう動画を見るまで、実感はなかなかできませんでした。
こういう時代を知らない世代らしい書き込みが多くて、世代間分断されているのかと思います。
80年代の10年くらいじゃね?日本が安定してたの
本当ですね!世界の歴史も必要だけれど身近なおじいちゃんお父さん世代の文化風習などの歴史を学ぶのも必要です。
私自身の生活を思い出させる懐かしいドキュメンタリーです(1947年生)。4.5畳に親子(父母、私、妹)で生活していました。私の大学進学とともに父がアパートを借りてくれました。流石に兄妹が同室って問題だって思ったって父が問わず語りに語っていたのを思い出します。この頃に郊外に公営での分譲宅地が始まったと記憶しています。
子供たちの存在は国家の未来そのものなのだと改めて痛感する。
貴重な映像に感謝。
この映像を見ていると、ただただ苦しいだけでなく、日本人の底力や強さ素晴らしさが見えてくる。
この時代のお役人は、どうすれば国民が豊かに暮らせるか真剣に考えていたのが分かるね。
現代でお役人が個人の生活にこんなに干渉する計画したら叩かれるだろうしなぁ
自身の出世のことしか頭にない役人は見苦しい。これが本来の姿
今で例えるなら権限を行使して各家庭にお役人が制限は皆無の状態で自由に干渉出来てお役人からのお達しには何でも強制力が存在して市民や町民、村民には従う義務が発生する様な物なのでこの当時と同じ様にはいかないかな?と。
逆に今と違ってお役人が強い権限を握っていたからこそ可能だったとも言えますが。
今だと4人家族なら50万円必要とかわけわからん数値出してきよるしな
まあ、世の中のサイクルよね、豊かな時代は多い時代は小さな政府、そうじゃない時代は大きな政府になるもんやろ
マツザキさん家族はこの映像を観たことあるのだろうか。
現在もお元気だろうか。
気になりますね。
ご存命ならご夫婦は90才くらいでしょうか?
お子さんとお孫さんに囲まれて幸せな余生を送って戴けてると救われますね (#^.^#)
この時代の人たちが一生懸命働いたから我々の今の暮らしがある。
感謝して我々も次の世代のために頑張らねば。
政治家が言わなくちゃいけない言葉ですよー
頑張っても、頑張った分以上に、政府や株主や上級国民達に搾取され消費されてしまい、将来には負債だけが残るのが、今の日本社会。
もうすぐ破綻。
昔は働いたら、働いた分だけ国も個人も結果が目に見えるように上がってたから
まず国民の年齢層も活気も今の日本と全然違かったと思う。
何も見えない世の中で、昔のエネルギーを今の若者たちに出さなければと言うのは何か可哀想なきが、、
竹中と小泉が貧困日本を創生した。
@@千葉-u8u よくわかってるやんその通りや
松崎さんちは子供作りすぎだけどお父さんの子供に対する話し方とか仕事休んで家事するところとか、子供達の仲の良さとか素敵な家族だなと思う
この世代は普通じゃない?自分の親も8人兄弟っていってたな。
うちの祖父も祖母も7人やら8人兄弟って言ってたから確かにこの時代だと当たり前の人数かもしれませんね😊
いや、1967年は私は田舎暮らしの小学5年だったけど兄弟は2人が1番多く4人5人は1割程度だった。
たくさんの兄弟は戦後1950〜1952年くらいまでの現在団塊世代までだと思う。
狭いながらも楽しい我が家。子供の頃を思い出しました。
私は42年生まれ。5歳まで板橋で家族四人、四畳半一間でした。なつかしいなぁ
私も昭和42年生まれです。47年まで板橋ということは高島平の団地は当時まだ建設中だったんですかね?
今はかなり貧乏な私だけど、赤ちゃん時代~4歳か5歳頃の我が家は、そこそこに恵まれてた方だったことが良くわかる。。1階には会社が入っててガラス張りで中が見えていた。上が住居になっている3LDKの新築のビルだった。赤ちゃんだった妹と2人でちょこちょこと走り回ってたなぁ。屋上で近所の子供同士でよく遊んでた。あの頃がが1番幸せだったなぁ。両親揃っていたし。。全て父の会社が倒産するまでのことだけど。
これも懐かしいんですけどね。今現在56歳です。東京生まれの私の人生は目眩く変化した時代に翻弄されて大変でした。
最後のシーン涙が出た。松崎さん今もご存命なのかな。沢山の孫ひ孫に囲まれてのんびり微笑んていてほしい。
すでにくたばってます
子作りどこでしたんかな。。。。
@@おでんの大根-w8x 友達いないのね。かわいそうに。
@@takesjpn
これやからカスカープはww
地獄って言ってる割に松崎さん一家は楽しそう
貧乏でもそれなりに仲の良いコミュニティがあれば楽しい思い出になるんだよな
狭くてボロい集合住宅だったけど、遊び相手に困らない、あの頃に戻りたいと思う時もある
絶対楽しい 俺金持ちの地域に生まれた貧乏だったからかなりしんどかったw
亡くなった爺さんや婆さんが生きてた時代や。頑張ってくれはったんやなって思うと、リスペクトしかない。
この頃は皆貧しかったけれど共同体の中で守られている安心感がありました。子供だけで遊んでいてもそばにいる大人が気にかけていてくれました。
夜でも窓は開けっ放しで寝ることが出来るくらい治安も良かったですが、今は無理ですね。
今は豊かなのに窮屈ですね
そりゃ文明のレベルが低いから当然だよ。
今は家庭内、校内暴力って許されないけど、昔は暴力だらけ。不衛生の極み。
とても安心とは言えないんだが。
警察庁が発表してる犯罪統計を見たらすぐわかるんですけど、凶悪犯罪も含めて当時のほうが今よりも遥かに件数が多く治安は明らかに現在の方が良いですね。
今の方が治安が悪く感じるのはマスコミなどが発達したせいで全国各地の犯罪のニュースなどがあなたの目に届くようになっただけで、犯罪件数自体はこの映像当時に比べると激減しています。
つまり、当時のほうが治安がよく安心感があり、今は治安が悪いので窮屈であるというのは統計的事実に反したあなたの偏見ということになりますね。
犯罪などの治安の悪さを指摘されている部分を見てこのコメントなのか…?
ドローンのない時代のスタート時の俯瞰動画すごい。
昔の家族の絆は、今よりつよかったのかもしれないが、それにしても一間で数人暮らすとは驚きでした。
竹竿にカメラをぶら下げて撮影。。
ヘリで低空飛行したりしたのかと思ってた。
釣り竿では無理かな。ロープを張ってカメラを滑り落としているのか…実際は判りません。
@@jq3ahg 昭和40年代にヘリコプターってなくね?
知らんけど。
@@すき焼き-r5v 様
日本の放送局がヘリを所有し始めるのが昭和30年代で
この映像が昭和40年代だと思いますのでヘリコプターはあったと思いますが緊急事態でもないので使えたのかどうかはわからん。
テレビの下に足を入れて寝れる。足が疲れなくなった。それから仕事を休まなくなった。これ衝撃。
昭和27年生まれの女性ですが、田舎の家に生まれたので、家族5人でも、自分の部屋があり、今と余り変わりませんでした。が、都会は、大変な住宅状況だったんですね。この動画で初めて知りました。
田舎もんにはわからんやろうねこの苦労は
@@おでんの大根-w8x
お前さんのものの言い方よ!
@@unknownnothing1004 は?
@@おでんの大根-w8x は?じゃねえよゴミ
1955年ニューヨーク都市圏を抜いて現在も東京圏3800万~4000万人世界一更新中。現在タワマンタワビル乱立の帝都一極集中東京と大都市への人材供給さえ覚束なりつつある少子高齢化の深刻な地方、何処で間違ったんでしょうね?
いつの時代でも子供というのは環境に適応して力強く生きているなぁ。
そりゃあ私たちだって、赤ちゃんの頃にアマゾン奥地の未開の部族に預けられたら、その暮らしに適応しているでしょうしね。子供の適応力はすごいです。
その世界しか知らないしね
今はSNSで上の生活をいつでも見る事ができるから、ギャップに苦しむ子が多いそうな。
1967年ですでにドローン視点での撮影がすごい
思いました。これはどうやって撮影しているのだろう。
ヘリだともっと画面がブレるだろうし、クレーンに乗って撮ってるのでしょうかねぇ
ロープ張って、そこにカメラをセットしてトロッコみたいに移動させてるんです。凄い手間が掛かってますね。
@@jazzrock0924
ほえ〜〜〜、すごい手法で空撮視点を作ってるんですね!!発想と撮影手間に頭が下がりますわ。
@@jazzrock0924 左側にうっすらカメラの影が見えますね
1968年の大卒初任給約3万円。
民間のアパート家賃1万5千円。
電化製品もバカ高い。
普通の暮らしをするだけなら今は恵まれてるよね。コロナなんかぶっ飛ばせ!
昔のこと語んなよ。気持ち悪い
昔はあーだこーだうるせー
@@user-zr1jq7wh1b え?まじで謎すぎて草
@@user-zr1jq7wh1b 少しは外出たほうがいいぞ👍
@@user-zr1jq7wh1b ここはそもそも昔を懐かしむ、又はその時代の背景とか生活を知る為のところですよ
@@user-zr1jq7wh1b
ならば、そもそも
「この動画を見るな!」
と言う話。
私自身が生まれ育った時代の映像です。懐かしい。不平不満を言えばキリがない。いかに現代が恵まれているか、改めてわかります。
そうですか。現代も悲惨だと思います。ま、私も20年後には、今の若い世代は恵まれてる。昔は大変だった。とか言ってると思います。結局、その時代に生きればその時代の視点が当たり前になってしまいますから。
当時ってPCもインターネットもスマホも無いし、それだけでもう無理!コロナなんて当時流行ってたら、死亡者数がとんでもなかったでしょうね笑
@@yoomat66 いやいや普通に今の若者から見ても今の時代は恵まれてるから笑笑
@@俊介大好き-e1q そうですか。私は20年後には、昔はスマホっていう充電しないと使えない物があって、冷蔵庫も手動で開けてたり不便だったんだよ。とか言ってるはず(笑)
文明ってこれから先どれだけ進歩するんだろ。
最後はどこに行き着くのか。
ある程度のラインに達したら飽和状態(?)とかになんないのかな?
先人達の努力と苦労には感謝しかないです
タイトルに「リアル三丁目の夕日」とあるけど、これから見たらあの家族はブルジョア(?)だな。
この番組の2年後くらいに始まった日曜夕方のアニメなんかは世田谷の豪邸住まいですよね。
はっとりやすひろ さん
波平は東大卒、マスオは早大卒、
それぞれ三菱商事や三井物産並みの商社社員で今なら双方の年収合わせて4000万円の家庭ですから。
@@Byaamyaa その設定はデマですよ。
子供に食うもんもくわせんで家賃だけ払えますかってかっこいいですね。本当であってほしい
戦後だから食事の辛さを知ってるんでしょうね
言葉はカッコイイのは認めますが
でも、今の時代それ通用しないです。強く賢く滞納無しでお願い致します。厳しいですよ。
なんで今の時代の話してるんや…
大所帯を養う父ちゃん凄いな。
中卒製造機!
大黒柱が良く似合う
昔は子沢山でしたね〜
子供は労働力だから
子供達がヨイトマケのうたを歌っていたのが
何とも感慨深いです。
リンダの歌も歌っていて、時代を感じました。
ヨイトマケって…自分たちの暮らしぶりだろうけど、意味も分からず特に劣等感もなく暮らせた時代なんだろうな。
懐かしい。
もう少しマシだったけど、私の両親も一生懸命だったのを思い出します。
最後の方でお母さんが赤ちゃんを抱っこして歩いて
近所の人も一緒に喜んでいる姿…とっても温かい映像。
私も幼い頃ご近所の方に本当によくしてもらいました。
この動画を見て改めて当時の方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
素晴らしい動画をありがとうございます。
1960年生まれです。俺ん家も笑っちゃうほど貧乏だったなあ。でも金持ちもしっかりいた。あの時代は貧乏と差別がセットで、教師が家庭訪問で1秒も長居したくなさげで悲しい思いをしたものです。
私も1960年生まれです。
教師の家庭訪問で家を知られるのが本当恥ずかしかったです。
先生の子供への差別ありましたよねえ😅
ほろ苦い思い出です。
私(昭和40年生)の生まれた京都では生まれた時からものがあふれ、
食べすぎると太るよという時代でした。休日はみんなでデパートに行き、
持ちきれない買い物をタクシーで帰る。クリスマスツリーを飾り、
ケーキを注文する、季節ごとにヨソイキを買ってもらう。
うちはただのしがない散髪屋です。金持ちではありません、エリアも
ごく普通の町です。今よりずっと豊かで、戦後たった20年で日本は
凄いなと後に思い返したものです。
一方この動画のような景色も当たり前にあったのですね。
色んな思いが書けまぐりました。UPありがとうございます。
このくらいの子育ての方が逞しく人間力を養えるのかな?ってつくづく思う今日この頃
ナショジオなんかで見る現在の発展途上国の家族がこんな感じだな。
松崎さんちは子供作りすぎではあるが
旦那が仕事を休んで子守りや家事を頑張っているのは偉い
ずっと昔のような話に見えるけれど、自分の父が生まれた頃だと考えるととてもリアルに感じる。
逆に言えば、子供がたくさん居る、今とは真逆の時代です。
少子化の今の時代と比べると、まだ未来が明るく思える時代だったのかもしれません。
高度成長期だから夢や希望はあったんだろうな。
でも、しばらくしたらオイルショックとか不景気になっていくんだろうが。
現在は、夢も希望もないわ。感染症でこんなに厳しいことになるとはな・・・
@@yamato868サン
そのオイルショックから立ち直り、バブル景気へと向かって行きました。 今よりもずっと希望に満ち溢れてましたね。
第二次世界大戦で300万人がお亡くなりに成りました。
終戦の翌年、380万人が生まれて人口は一年で元に戻りました。
希望はあったけど浮き足立ってた。誰も現実的に考えることはなかった。だからバブルが崩壊した時なす術が無かったんだよ。その証拠にネットや書籍で調べても高度経済成長期、特にオリンピック不況に関しての資料は一切出てこない。
この時代は確かに物質面では貧しかったけど精神面では豊かだったと思うわ。遊び相手にも困らないし、誰かが助けてくれる。今ほど格差も感じなかったし。同じ苦労でわかり合えた安心感と頑張れば相応に返ってくる。
この時代を子どもとして過ごした世代です。田舎の暮らしでしたので、こういう過密はなかったと思います。周りは何世代かで暮らす農家、兼業農家が多く家は広かったです。文化住宅で両親と子ども2〜3人の各家族もありましたが、2〜3部屋と台所みたいな造りでした。大都市ではこうだったのかと、驚いています。
幸福はどんな家に暮らすかではなく、どのように暮らすかであろう。
いやぁ狭過ぎて衛生環境が悪い最低基準以下の住宅環境で暮らすのは厳しいよ
パソコンのエクセルなんて影も形もない時代にこれだけ膨大なデータを収集、整理するのは想像以上に大変だったと思います。
昭和30、40年代は牧歌的で人情味あふれる古き良き時代のイメージがありがちですが、実際は社会環境、生活環境は劣悪なところも多くて今以上に酷い格差社会だったそうですね。
私も同じ感想ですね。
1人当たり2.5畳のデッドラインを出して、あくまでそれは十分なスペースではなく既に破綻しているという数値であるという分析も凄いと思いますね。
パソコンでなんでも数字を加工出来るから頭使わなくなって
バカになってるってのもあると思いますね。
逆で金持ちいなくてみんな貧乏だったんじゃないかしら
>堀江俊之
しかしながら、自殺者の割合いは
豊かになった令和3年の今のほうが多いと・・・!
だからこそ、統計を集める課(公務員)の職員が増えた。
私は昭和32年生まれで四畳半一間で親子三人食事するのも寝るのも同じ 兄弟姉妹が居なかったからまだ救いだった
ただ 隣近所の結びつきはとても良かった 味噌 醤油の貸し借り 子供が夜泣きすれば
隣のおばちゃんがあやして
くれる 狭いながらも今よりは楽しい我が家な感じでした
親は大変だったとは思いますが 子供に愚痴ったりは
決してし無かった 本当に
感謝して居ます😊🍀
三畳一間、トイレ流し下駄箱共同、トタン屋根、木枠の窓、洗濯は洗濯板で固形石鹸使用、親は共働きで私は6歳で保育園年長、衣類は親戚からのお古、でも貧しいと思った事はあまりなかった。周りも同じ様な生活をしていた。
10歳になる時、都営住宅に当選して家族皆んなで泣いた。
そんな当時でも小学三、四年生で算盤、五、六年生で習字を習わせてくれた両親には感謝しています。
今改めて親に感謝の気持ちを伝えたいですね。
どうやって合体したのか凄いな松崎さん(笑)
トラック野郎のジョナサンの家みたい
忍者ハットリくんみたいに天井で寝たのかも。
私は昭和50年代生まれです。
親が若く貧乏だったため、私が生まれたときの家は、8畳一間のアパートでした。
テレビも時代遅れの12?14インチ?の白黒テレビでした。
弟が生まれてもそのアパートで、家族四人が3枚の布団で並んで寝ていました。
私が幼稚園までその家だったので、うっすらと記憶にあります。
アパートは10戸だったのですが、他の部屋は一人暮らしや若い男女ばかりでした。
この映像までではないですが、今から考えると「質素な生活をしていたな」と思います。
途上国だったんだよね
『奥様は魔女』のアメリカ生活をテレビで観て
格差に愕然としたわー
貴重な 動画をありがとうございます
昭和37年生まれです。
布団並べて寝てました。風呂は銭湯(笑)
38年です。夏はタライで行水でしたね!
クレヨンしんちゃんの野原一家は、庭付き一戸建て(何部屋もある)に住んでいるのに、寝る時はいつも家族一緒に川の字になって寝ている。なぜ?
@@中田マスオ-g2p
アレは漫画だし、マジレスすると小さな子供を別部屋で寝かせるのは心配だろう。この映像は致し方無い場合の話やな。あんただって小さい時は両親の部屋で寝ていただろう!意味の分からんコメントすな!普通に考えたら理解出来るぞ!
まだ私は良かったんだと、改めて感じました。我が家も9人家族でしたが、父が空き家を探して部屋数は小さいながらも4部屋あり、今思えば外には勝手に物置件、部屋みたいな……でも家族で過ごせた日、懐かしさと幸せを感じてます。あの空き家は家賃いくらだったのか?勝手口は重い木のドア。風呂はドラム缶。板にうまく乗らないと浮いてしまう。台所、風呂の区別はなんかベニヤ板のようだった。風呂は父が無理やり作った感じ。今じゃ大変な事だ。貧しい生活の中にも家族でいられる夜が好きだった。
何十年後に家があった場所に行くと小さな更地に草が。呆然と立ちすくみ過ぎた時を感じた時、涙がこぼれました。みんなに会いたいな……と。
なんでこんなおどろおどろしい音楽なんだろうw
殺人や誘拐事件のドキュメントの音楽だよね
この時代に生まれましたがでもこのチャンネルなんかこわい😱
ここのコメント見て、、、、ダメ、、、はぁ腹が苦しい、、、笑いが止まらん!!!家に帰ってから見て正解だった!
@@おおとらことり
……と、言いますと。
うまり情緒不安定と受け止めてよろしいでしょうか?w
お薬出しておきますねー😏
メロドラマ(死語)でもお化け(幼児語)w出そうな音楽だったな。
実質、この頃と今の格差社会はなんも変わってないんだな…と思ってしまう。ただ昔は部屋が狭くても貧乏でも子だくさんだったが、今はそんな状態では結婚しない、子どもも作らないっていう人が増えたってことかな。
文明の終りを察する本能でしょう。
この時代は、額に汗して働けば、その分だけ賃金が増えていった時代なので、皆が上を向き、家族を増やしても仕事量を増やして稼ぐ事が出来たので結婚して子供を量産していた。
@@四条時政さん 稼ぐだけなら今だって可能でしょう、サービス業や介護職なんか引く手数多、掛け持ちでバイトなんかしたらまさに額に汗して働けばその分賃金は増えるでしょう。この時代の賃金ベースに照らし合わせても現代でも十分「稼ぎ」具合で言ったら稼げる。ただ現代人はそれをやらない
単純に男女雇用機会均等法 結婚せずに働く方法を選んだ女の方が増えたためじゃないですかね
メチャクチャ狭い部屋で家族も窮屈そうだけど楽しそうな気もします 貴重な映像ありがとうございます
1967年の映像ですか⁉️
昭和だと 昭和42だったと思います。
私は 中学1年生 でしたね‼️
その頃は、皆 風呂もない
六畳一間に 5人で住んで居ましたね‼️
風呂も無く 冬は 隙間風が入って来る 様な 借家でしたね‼️
昭和 30年代から40年代始め迄
ほとんどの家は
貧乏でしたね‼️
銭湯の値段は
大人 が27円子供が15円
幼児が 7円でしたよ‼️
風呂も毎日は入らず
月に 15日位 銭湯に行った記憶がありますねぇ‼️
映像を見て懐かしく思いました。
@@吉野元宣 風呂代が大人27円ですか!衝撃的な値段ですね!物価の移り変わりに驚きます 家族そろって銭湯に行くのはなんか暖かみがあるような気がしますね
9人目産まれるって、凄いわ。
昭和20年代だったら「作れ産め」の風潮はあったと思います。 戦争で多くの人が亡くなり、人口が減ってましたし、子供は未来の希望です。
年金に頼るより自分の子供に頼る風潮が子沢山の基本的な考え。
@@君モグタン >>年金に頼るより自分の子供に頼る風潮が子沢山の基本
ある意味今より健全でマトモな考え方だな
@@君モグタン
今20ですが、その考えを持ち始めてます。大学行くのは一人でいいので、
大学に行かなければ大して学費は問題じゃないだろうと
トラック野郎のジョナサン思い出した。
今の建築基準法がどういう考えや背景を基にしてできたかをリアルで観れたのが面白かった!
福岡市在住。昭和40年代後期までは普通だよ。俺も小学校までこんなとこで暮らしてた。
親は共働き。食うには困らない。ただいかんせん、賃貸が今みたく多くはなかったんだ。
便所は離れの共同ボットン便所。臭いし、寒い日、外出るのがつらくて。
洗濯機、買おうと思えば買えるが、置く場がない。洗濯は共同の洗濯場で鍵付きの水道(!)でやる。お陰でお袋は30代で腰をやられてしまった。
その後悲願の市営住宅に当選。家ん中にトイレ、風呂がある!感動したもんさ😭😭
線香山ほど持って先祖と親戚の墓参り行ってくる
貴重な動画。ありがとうございます。
クーラー無くても生きていけたな。
番組序盤の子供達、今何処でどんな住居に住んでるのだろうか…。
松崎さん一家 お父さん 子供たち 奥様を守る姿 とてもカッコいいです 決していい環境では無いですが、今より 幸せを感じる
いやー浅見さん一家の部屋が小さい頃の俺んちとそっくりw
家具をどう置けば良いかで年中模様替えしてたなあ。(昭和40年生)
私は現在57歳ですが、畳で寝たことが何年もなかった経験をしているので
懐かしくも辛かったことを思い出します。
私の年齢では考えられないほど複雑な家庭状況で
廃車になった幼稚園バスに家族4人で暮らしていた事が 今の自分を作ってくれました。
買ってでも苦労をしろと言いますが本当ですね。
自分は1965年生まれ、大阪府豊中市南部庄内地区の文化住宅で育ちました。 最初は3部屋に5人。自分は2段ベッドの下段が部屋代わりでした。 後にすぐ近所の4部屋に引越しました。 それでも部屋数は足りないので、姉は女の子だから1部屋を、自分は兄と一緒の部屋で、寝る時に狭くて、学習机の足の上にも布団を敷いてて、そのボコっとしてたのがちょっと痛かったですw
そういや近所に、2部屋で6人兄弟の8人家族が居ました!こんな感じですよ!
既に家庭で揉まれて世に出てくるという昭和人のパワー・・・
お前の名前ザ昭和臭くて草
ド田舎で生まれてよかった。当時のサラリーマンの生活の厳しさが伝わってくる。失われた30年というが幸せになった
53年前に生活していた人々は今頃どうしてるんだろうか。当時子供だった子が10歳とすれば現在63歳で、お父さんは当時40代だとすると今はもう90代~100歳前後。この時代50代以上だった人はもう殆ど生きてないだろうし、人生ってのはあっという間なんだなって、こういう半世紀前の映像を見ると改めて思う。
この頃の子供です。便利なものはなかったけど、人が物の代わりに?生活に彩りを与えてくれていたように思います。親戚の家に行ったり、親戚が来たり、千葉県あたりの民宿に行ったり、今の生活からあの頃には戻れませんが、子ども時代にあまり不満を感じたこともありませんでした。当時はあれが当たり前でした。
わたしは小学校四年生まで、6畳と3畳の二間続きの借家に祖父母・両親・弟・妹とで暮らしていました。
でも、楽しかった事しか覚えていません。
それよりも、2階建ての一軒家に引っ越し、自分の部屋で聞いた深夜の北風の音が意味なく怖かったです。
マツザキさんこの状況でどーやって営んだんだろw
子だくさんなのが凄いw
起きて半畳、寝て一畳とか昔の人は言っていたと思う。
後、目つむって寝たらどんな豪邸でも一緒って。
これ見たかったんです!!ありがとうございます!!
今見ても当時の居住環境がどれだけ劣悪だったのとやはり住む場所がいかに大事で生き物の精神面にどれだけ影響を与えるかがはっきりわかりますね。
NHKアーカイブで昔やっていたのだとゲストに木の実ナナさんがいて子供の頃凄い狭くて今じゃ考えられないほど住環境が悪く両親、兄弟と3畳半で生活していたって話が衝撃でした。
今恵まれている自分の状況を無駄にしないようにしたいと思います。
>今見ても当時の居住環境がどれだけ劣悪だったのと
今の基準で語れますまい
自分が一人前になるための苦労すらしない全国のこどオジ、こどオバどもに見せたい動画だな
自分は五才でした。郊外にすんでましたが、今思えば都内よりましだった。でも心が反比例して貧しい人が増えたようだ。
これは良い番組。この頃の官僚・役人には本当に熱意があった。
本当の人権意識とか問題意識いうのはこういうもので、満ち足りてる者が屁理屈こねて弱者を憐れみ強者を批判することじゃない。
リーゼントのお父さんに今の時代のイクメンの話したら鼻で笑われるね。家事を全てこなしてることよりも、この状況で子供たちを伸び伸びとまっすぐ育ててることが本当にすごい。だから狭さと密度が家族の絆の強さにさえ繋がっている。
自分の経験からも、卑屈になってない親から十分な愛情が注がれていれば小さな子供にとっては狭さとか貧しさって実はそれほど重要な問題じゃないんだよね。
でもそれが出来る人たちばかりではなく自死や無理心中を選んでしまう人たちもいる。それはその人達が弱いせいではないから責められるべきでは絶対にない。
ほのぼのと三丁目の夕日をするにはとてつもなく強い人間力が必要になるが、昭和ほどの向上心も夢も持てない今の日本では比較的裕福な状態でもボロボロと国民が零れ落ちている。
最近はさすがにみんな気付き始めてるけど、意図的にそれらを持てなくしてるのは自民党政権とそれに追従する官僚たち・そしてその政権下で蓄財のみに熱心になった企業たちであることは間違いない。
コミュニケーション能力は
現代人より高い人が多いだろうな。
だからニート、引きこもりなんていなかった。
兄弟、近所の子供の人数が多いから他の人との折り合いを自然に学ぶ。
今の人達は、他人のことを気にしすぎ。子供のときの社会経験が少ないからだ。
この世代の奴らはプライベートゾーンという概念が無いからウザイ。
コミュ力高いか?疑問。
@@かめたろう77 昭和生まれのガキが生意気なこと言ってんじゃねーぞ。
今求められているコミュ力と当時のとでは違うんじゃないかな?
当時の人は人見知りはしなかっただろうけどコミュ力あるかって言われると微妙
@@0010-e2i お前は明治か大正生まれなのか…?
子供の頃、蚊帳の中で家族で雑魚寝してたのを思い出して、なつかしく拝見しました。
昔の人って本当に偉いですね。
日本が崩れてきたのはバブルからでしょうか。
私もこの時代に生まれましたが、やっぱりお風呂なしで部屋せまいから、ずっと母と1つの布団で寝ていました!😅
家賃も厳しいのに奥さん妊娠中ってのが衝撃だ。
貧乏子沢山ってな
闇だね
子供はこんな狭い場所でも苦になりませんね
押し入れの中とか元々狭い場所が好きだから
この頃は子沢山が多いのかと調べると、
すでに出生率が2ちょいぐらいになってるようです
@@F-Racing_Trickster
闇じゃねーよ陰キャ
娯楽が少ないからね。お母さんは家族のために頑張っていた時代。
先々まで見通して金の心配しながら子供を作る考えの方が異常なんだよ
久しぶりにこの番組見たけど、
なんかモチベーションあがるな。
42年生まれの長屋暮らし押し入れから隣に醤油をかりたり、友人の部屋にいったりまさになんでもありの時代家賃なんか3000円ぐらいでしたね、近くに温泉もあったし、コンビニもスーパーもないけど本当に夢のような黄金の日々でしたね川で魚をとったり、やまで山菜やカブトムシを採って町に売ったら馬鹿売れ、東京のような華やかさはないけど老若男女問わす満面の笑みでキラキラしてた時代、今は電車に乗ると染み染み寂しいそうな侘しい顔してますねコンプライアンスやなんやらやたらとウザイし、キリキリカリカリして安心感がないのかな、クリスマスなど何故か痛々しくてみられないね、今の時代なにかが足りないのかも?
自分の子供時代の映像をアップして戴き感謝。
一人当たり2.5畳が基準だったそうですが、自分の家は4畳半+3畳+台所1畳に一家四人が暮らしていました。風呂無し、トイレ共同。窓を開けると隣の壁が迫っていて、上を見上げると空が1本の帯のように見えました。今から思えば劣悪な住環境ですが、周囲も皆そんな感じでしたので惨めな気持ちは微塵もありませんでした。ただ、近所の同級生が住んでいた松下の社宅には子供部屋があって驚いた記憶があります。
凄いいい動画だな。この頃の人たちも、同じように思っていたんだろうな。
ウルトラセブンが放映していた年なだけにどこかにメトロン星人が潜んでるような雰囲気がありますね。