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すごい映像を見つけてしまった思いです。昭和37年(1962年)から昭和46年(1971年)まで父、母、弟とここに住んでいました。ロケ映像に出てくる「74号棟」は私らが住んでいた「43号棟」と小道を挟んで反対側にありました。何もかもが懐かしい。74号棟に向かう左手に大きな公園、集会場がありました。その集会場の屋根に当時、もうおい茂っていた街路樹を、猿のように伝わって登り、屋根から飛び降りることができるか?という度胸試しをガキ仲間としたのを思い出します。映像に出てくる公園の遊具の配置、映像の中の遊具で遊んだ記憶。映像に出てくる街路樹は自分の記憶より小さい。もう50年以上昔なのに、まさに手に取るかのような感触を、思い出しました。公園の遊具で遊んだあとに手についた鉄の匂い。かくれんぼしたコンクリブロックの剥げかけた塗装の割れ目に指を入れてほじくりかえしたこと。映像の解説にも出てきますが、団地は、当時、新しい生活スタイルとして世間の注目の的だった。両親もそう言っていました。かなりの高倍率の抽選の結果、入居出来たのは文字通り宝くじに当たった気持ちだったのでしょう。映像に出てくるように、入居後は親戚の人たちが入れ替わり立ち替わり見学に来たのも覚えています。映像に出てくる家族は、世代的にもほぼ、私の親と重なります。母親と行った商店街。いくたびに乾物屋のおばちゃんにおやつ代わりにもらった煮干し。多分動画に出てくるお店です。団地なので、部屋の内装、構造はどこもほぼ同じ。ブザーを押した感触、入り口のドアを開け締めした金属ドアの大音響、ドアの錠をおろした感触。ガスで炊くお風呂。木の湯船の底がぬるっとしてた感触、ローラー洗濯機を使ってた母親の姿。冷蔵庫を開けた扉の重さ。出てくるこの映像には寸分の差もなく、私の当時の記憶が、事実として記録されていることに幸せを感じました。窓を開けた時の空気の香りまで蘇ってきました。当時はどの世帯も晴天の日にはベランダに掛け布団を干してパンパンと叩いていたので、開けっ放しの窓からは、それらの乾いた香りのするほこりっぽい空気が入ってきたのも思い出します。部屋の供給電源が「10アンペアだからなぁ〜」と父がよくぼやいてたのを思い出します。電気炊飯器を使っている時、他の電気製品を使うと必ずブレーカーが飛んでた。初期の頃はヒューズだったとも記憶しています。動画の最後に出てくる、窓から見える給水塔。このお宅ではこの給水塔が窓の右側に見えてますが、我が家からは左に見えていた。あまりに生々しく当時の記憶が蘇って来て、震えが来ています。給水塔は団地の生活の生命線なのに、しょっちゅう断水して、街の給水車が来てバケツで水を運んだことも思い出しました。撮影時のロケ写真をみると、昭特の木製三脚に、カメラは16mmのアリフレックスST。それに400ftマガジンを付けています。ビデオ化の時にグラデーション/カラコレを特にしてなければ、フィルムの色がイーストマンカラーと思われるので、フィルムはKodak5247の400巻でしょうか。当時はタングステン用フィルムしかなく、感度はASA100なので外光も入る状況で色温度変換の#85フィルターを使うと、感度は実質ASA80にまで落ちますので、動画自体に音声が無い割には、ロケ写真を見るとスタッフが多いのは、照明をかなり作らばければならない必要があったのでしょう。子供だった私がひばりヶ丘団地を離れて50年。初めて見る映像に今日出会うことが出来た幸せ。自身も映像関係の仕事なので、過去に日経映像様ともお仕事をよくやらせて頂いたことも思い出し、これもご縁だと思いました。貴重な映像、ありがとうございました。
素晴らしい出会いでしたね。きっと、あなたの為の映像ですね。人間の記憶力について考えてしまいます。
詳しい解説とても助かります🙏昔の貴重な映像がこうしていつでも見られるのはとてもいいですね...!
@@めそ-k7l この映像を見てしまったおかげで、思い出していない深いところの記憶のいろいろがリセットされてしまったかも、というのだけちょっと恐怖を感じています。でも、その後、他にも思い出すことがいろいろありました。
@@passh7745 本当ですね。解説というより、見る上での参考になれば幸いです。皆様とその瞬間を共有できている、と思うと、嬉しく思います。
読ませる文章ですね少しだけ思い出を共有できた気持ちになりました
まさに此処に子供の頃住んでいました。部屋の中、公園、マーケット、集会所(兄が書道教室に通っていました)全てが懐かしく思い出されます。父母も鬼籍に入り、今は隣の東久留米市内に住んでいます。たまに、此処を訪れるのですが、建て替えられてすっかり変わってしまいました。
うちのおばあちゃんおじいちゃんがまだ20代だった時代なのかと考えると人生ってあっという間で何か切ない
笑顔で談笑している大人たちは全員、先の悲惨な大戦を撮影の十数年前に経験していると考えるとなんだかとても感慨深くなってしまった
子供だったはず
@@tachikao8554 子供の頃でも空襲や機銃掃射を目の当たりにした人はいるんじゃないのかな?
戦前の国力を国民生活に等しく回せば昭和15年で達成できたはずです。
@takana4381 そうだね。
@@DEBUSC だからこそ、平穏に暮らせる幸せをかみしめているのかもしれない。
もう50回くらいこの動画見てるかも…何度見ても楽しい。そして作った夕飯サラダだけなのも好きw
こんな当時の最先端を詰め込んでも50年でほぼ消え去るのは凄いよねぇ
当時、団地の近くの平凡な戸建てに住んでいた子供です。水は手動ポンプ、料理はかまどか七輪、暖房は火鉢、それでも隙間だらけの木造家屋は中毒にならない。ボットントイレが当たり前の時代、わが両親より若い団地住まいの人たちは文化生活を営む上流階級のように見えました。当時の団地は今もあります。空き室が目立ち、おばあさんばかり住んでいて、孤独死が多くて、老朽化が進んでいます。当時の憧れを映像で見ると、今は哀愁の涙ばかりです。
平凡でも、余裕のある戸建が良いですよ。心に余裕が出来ますもの。
そうなんですね!!今とはやはり価値観が違いますねぇ。今はタワマンが上流階級に見えますけど、またいずれ変わってくるんですかねぇ。
まるで詩人
建て替えて、綺麗な家になったほうが、みんなそっち住みたくなるもんやろな…で、団地がなくなって新興住宅地ができると、そっちに住みたくなるんだろうか…
初めから住んでいたおばあちゃんたちが、ここを出ることも建て替えることも反対しています。ひとつは家賃が上がること、ひとつは長年の生活パターンが激変すること、さらに思い出の詰まった部屋、古い団地仲間と別れたくないからです。それが建て替えや取り壊しの妨げになっています。
この狭い空間を、いかに優雅に見せるか、広く見せるか、人の立ち位置がとにかく秀逸。この映像撮った監督凄いよな。
団地ってそんなに激狭なんですね…。
それね あと奥さんが美人だ(*^^*)
“ウサギ小屋”とか言われてたしね
ありがとうございます。弊社は記録映画、テレビ番組制作などで定評のある制作会社になります。
@@日経映像チャンネル 素晴らしい技術ですね✨ほれぼれします!
未来が明るいと皆が信じてた時代の映像ってなんか好きなんだよな。
幸福度が高い国の人々は未来はもっと豊かになると信じてるそうです。発展途上国に幸福度が高い人が多い理由の一つ。
団地は人々の夢なんです😅
まぁこの時代と比べたら断然今の時代の方が豊かで明るい世界だけどな
実際この二十年後にはばぶるくるし
確かに今の方が昔よりも何もかも断然楽になったけどその分人々から笑顔が消えたしご近所さんとの会話も少なくなった。外国人が入ってきたことにより治安も悪くなったよね。この頃の方がそういう意味では楽しそうだし治安は良さそうだな…。
ナレーションの方の、当時の女性言葉というかこれがほんとに美しいですね。
当時は、このような喋り方を日常的に聞きました。今や絶滅危惧種、文化の消失ですね。
一度ガス中毒で親子揃って死にかけてるのに、エピソードをあまりにもサラリと話すの豪胆すぎるワ。流石よし子お姉さん。なんだかゾクゾクしちゃう。
よし子お姉さん、又の名をサイコお姉さん。断水解除時にうっかり一階のお宅にまで漏っちゃった際、すっかり恐縮したにもかかわらず、あんまり一階のババァが偉そうなもんだから水とガスを同時に攻めてやったんですって。たちまち一階はガスと水に溢れちゃって、大変、狂喜したそうです。うっかり者の私も他人事じゃないわ❤️
水漏れは恐縮というか建物に対する賠償問題になりますよね?建物の耐用年数が大きく縮まることを考えると。蛇口開けっぱなしとなると、使用者の過失が大き過ぎて火災保険も使えないだろうしな。
@@FEELIN9LUCKY その時は漏らしたガスに火をつけて、一気に木っ端微塵で証拠隠滅ですわ!
@@zensho68 なるほど…引火爆発事故だったという事にすれば、水漏れも不可抗力であり、過失ではなかったという事になりますな。建物にかけた保険で一棟丸ごと建て替えできるから入居者の保険は使わくて良いし、よしこさんもひと安心ですね。
自分は使った事ないけど、各部屋にガス栓があったんですよね・・・我が家の暖房は電気ヒータのコタツとホットカーペットだったので、ガスヒータは使わなかった。なので個室のガス栓がガムテープで封印してた。ていうか、風呂の沸かし方が怖すぎる(;´Д`)
団地が優雅とか、タワーマンションが優雅なのではなく、いつの時代も自分の好みやライフスタイルに合わせた住居を選べるのが、優雅なのだと思います。
そうですね。自分の理想や希望に添ったところに住めてる人は、実際少ないですからね。「自分の収入だと…」の消去法ではなく「ここに住みたい」で選ぶ住居は最高だと思います。まあ結局、その選択ができる時点でお金持ちって事になるんですが。
団地は優雅だったかもしれんが、タワマン人気は精神と思考の貧困さの表れであることは明らかだと思うけどね。
土地利用的には無駄が多いけどね
セキュリティ要らずなら4LLDDKKとかの一軒家が最強やな
団地しか勝たん!
確かに戦後15年でこれだったら皆が憧れる夢の様な暮らしだったのも分かる
昭和35年でこのクオリティなら今でも通用しますよ。今ならツカサのウィークリーマンションで備品が皆揃います。バヤリースが瓶だったのは、酒屋からケース買いしたのか?と想像してしまう。
@@ミントブックス 瓶ビールや瓶ジュースはお客さんもてなすマナーだったと思います。今でも年配の方は、缶しかなくて失礼します、と言う。
@@yellowbirdboy さん缶だと一人でラッパ飲みするイメージですからね。人様に出すものではありませんでした。でも、缶だからすみませんは初耳。缶ケース買いは平成入ってコンビニ普及してからですしね。
@@kraken8689 国民全体の生活水準が上がって、映像中の暮らしはもはや現代人の最低水準という認識になったからじゃないかな。団地、今の感覚ならタワーマンションかもしれない。(私は一軒家が大好きです。)
@KOYUKI N 水洗トイレで台所に給湯器付きって時点で破格だからな
昨日も見たけど、もう待ってられないわ。そうだ、今日も見ちゃお。
内容分かってるのに何回も観てしまう1979年生まれだけど、確かに友達の家の団地がこんな感じだったなって思い出した。団地に住んだこと無いのに懐かしい気持ちになる。
62年前の映像作品で、この映像に映っている「大人」の殆どは亡くなられていて、「子供」すら今は老人となっている事に思いを馳せました。
言い過ぎじゃね?俺も1971年生まれで団地生まれだけど、まだ両親は健在だよ?今51歳だけど、老人なのかな?俺の境遇からこの動画は10年前だけど、そこまで違わないぞ。
@@神様モンガー 1960って書いてるでしょ
@@sita5178 うん、だからね、俺が生まれた約10年前ではあるけど、俺のオヤジは今78歳、カミさんのオヤジは88歳で10歳上なの。でもまだ元気に生きてるわけ。俺の周りの80代はまだ元気に生きてるわけ。「ほとんどが亡くなられていない」わけ。だから言い過ぎじゃね?
@@神様モンガー 元気でいらっしゃるなら何よりですね
@@神様モンガー 華麗にいなされてて草
敗戦焼け野原から15年でこれってのが改めて驚愕するところ。
アメリカと戦争できる程の軍事費を国民生活にまわせば、国民生活が急速に豊かになるのは当然な事です。
@@友野紘智とものひろさと 朝鮮戦争のおかげです。
@@yutakay2022 朝鮮戦争特需の恩恵を受けたのは、日本に戦前に培った高い工業力があったからです。
@@友野紘智とものひろさと その通り
日本は戦前から教養レベルが高くて基礎的な技術力と工業力もあって列強の一角だったから、あれほど酷い敗戦を経験しても短い期間で復興できた。
00:47『私とすみおさんは事前に団地の勉強をしておこうって訳なんです』こういう昭和の口調好きだわ。
公団入居当選者に団地の住まい方を教育するため、の目的なんだろうけど、それ以上に当選した人が楽しみに出来るように作られてる映像だと思った。だから入る予定もない現代のわれわれが観てもほっこりできるのかなと
あら、団地の近代的な美しさが高画質カラー版でも観られるなんて。わたくし嬉しいワ♪
わたくしもですぅ♪
あらまぁ…お姉さんも喜んでいるわ♪
わたくしも嬉しいワ
まあ皆さんお揃いで。気軽にお話しできるところが団地の素敵なところネ♪
あら、ワが三つだわ 石鹸買って来なきゃ
たまに観たくなるんでございますの。
あら、奇遇ですわね、わたくしもですわ。
実はわたくしもですの。
よろしくてよ
うっかり者のアタシ達には他人事ぢやないわ。
あ〜ら、あてくしもザマスのよ?
この時代に建てられた団地が今も残ってて住んでる人がいるってのが凄い
うちの団地も1部建て替え始めてるけどすみっコのほうに旧区画がまだありますよw(;^ω^)
手間がかかる部分、気にしなきゃいけない部分を隠さずに映像にしているのが素晴らしい。共同生活って考え方、今はないもんなぁ。
これだけ共同生活を連呼するのはそれだけ問題が多かったってことだと思うけどね。
覚悟して来てねってことでしょ。今も田舎暮らしには注意喚起されてる。
お上品な声と喋り方なのに「お姉さんこんちわ」ってフランクなの笑う
ベッドとかソファーとか今では当たり前になりつつあるけどこの時は本当に憧れたんだろうな…
1966年から72年までこの団地に住んでました。ダストシュートも焼却炉も間もなく使用禁止になったはず。北集会所でバレエを習ってたわ。名店街も給水塔も懐かしいです。
この人達、幸せそうな顔しているので信じられないけど、戦時中に育ったんですよね……もしかしたら身内が亡くなられたとか、数多くの不幸を乗り越えてきたのかもしれないと思うと泣けてきますわ……
そうですよねー 考えもしなかった空襲とか苦難を乗り越えてられた方達だ…。 感慨深い…
そういう色々な観点から物事を想像出来るコメ主さんが凄い
うちの両親も、昭和10年代生まれ。2人とも戦争体験者。その両親と、団地でささやかな暮らしをしていました。
大正15年生まれの母でした。戦時中は兄たち4人が戦争に赤紙で召集。終戦後も4人とも帰って来ませんでした。叔母が風で戸が揺れ音がすると、息子が戻って来たと寝床から起きて玄関に、約30年間亡くなるまで音がすると〇〇が帰って来たと騒いで居ました。命より鉄が高価な戦争。300万人の尊い命の犠牲があっても、戦後復興頑張った団塊の世代に感謝してます。スマホ離さない世代と同世代を生きてる私です。
この時代の人達はメンタル強そうだよね今は平和過ぎて少しのことでへこたれる人が多いかもまあ自分もその内の一人だけど\(^o^)/
水浸しシーンにかける情熱よ。
わかる。わざわざ撮ったのかい笑
しきりに「共同生活」「社会的生活」が強調されてる点が今となってはとても新鮮に感じました。当時は集合住宅が新しく、うきうきする高揚した気持ちと、互いに迷惑をかけないように気遣って生活しましょうという日本人らしい戒めのようなメッセージだなと思いました。当時は当時で大変なことがたくさんあったと思いますが、これから生活が上向いていくんだ、頑張るぞというエネルギッシュな時代に生きたかったなと思います。貴重な映像をありがとうございます。
こんな貴重映像を公式がアップしてくれるなんていい時代だなぁ
ここのコメント欄の言葉遣いが素敵ですワ
本当ですわ!💩なんてお下品な言葉なんてないですわ!!!
@@ロロ-h1e さっそく現れたわね💩!!!
当時の団地は、今で言うタワマン以上のステータスだったんだよな。庶民の憧れが詰まった住まいだった。
おじいさんに聞いたんだけど、建ってる場所によるって言ってた
流石にそれは大げさ
でも、かまど炊きで薪の準備から始めるごはんの準備やぼっとん便所のバキュームカー(なければ汲み取りで肥溜めに運ぶ生活)に比べたらはるかに便利だよ。憧れるの解る。晩御飯の準備のために、薪からですよ?そこから火を起こしていいあんばいに炊いて。しかも毎日。今の生活から見たら不便だけど、当時の生活からみたら、劇的にいいと思う。夫の両親(義理親)からいびられることもないしね。
@@春風-r1pなるほど…!核家族への憧れもあるのか
@@春風-r1p(;^ω^)汲み取りトイレは、落ちても気づかれなくてそのまま汲み取られて死ぬやつとかいるってオカンに脅されてきたから今でも怖いww
心の豊かさってやつがどの時代も一番大切なんだね
ナレーションの言葉遣いが懐かしすぎてたまらない
この生活が戦後15年後と思うと日本は良く復興したなと思う。
もしかしたら、なにかのボタンのかけちがえで、いまも北朝鮮みたいになってた可能性もあるわけですからね。
朝鮮戦争のおかげ
国際金融資本のバックアップないと何もできないってこった
@@public529stage 韓国人てそう思ってるらしいね
@@MarioFujita 占領がドイツみたいに米英仏ソの4か国統治だったら、ソ連占領地がいまだに北朝鮮みたいに・・・というのはあり得たかも。ローズベルトが死んで、あそこで戦争が終わり、事実上アメリカの単独占領統治になったのが大きい。ローズベルトが生きていたら、あれは親ソ連だったから、日本もドイツのように分割占領だったかも。
8年ほどひばりが丘に住んでてその頃丁度取り壊す直前の時期でしたね、ほぼ廃墟寸前の誰も住んでない団地の雰囲気とかつての賑わいを想像しながら周辺を散歩するのが好きでした。こうして映像で見ると余計寂しさを感じますね
公式が動画をあげてくれるんだから安心よね。
選曲が全てクラシック音楽ですわ😂最初はピアノコンチェルトから始まる団地生活、優雅ですワ♪
当時の団地に住んでましたが、団地の子達はピアノを習っていて、私や音楽好きの父も毎日クラシックピアノ弾いてましたよ❤。ヤマハ音楽教室が始まった頃。。今と違って一日中ピアノ弾いていても、誰も文句すら言わないのんびりしたイイ時代でした😂。今の方が騒音とか窮屈です😭
なんて優雅な話し方。大好きです。
昭和40年代に数年住んでいました。現在80代の両親にもこの映像を見せてあげたいと思います。懐かしい貴重な映像ありがとうございました。
66年生まれです。5歳までは風呂のない町場の長屋みたいなアパートで育ちました。72年に郊外の団地に越したときの母の写真が残っています。こざっぱりした台所で晴れやかな顔です。10年以上遅れての憧れの団地暮らしだったのだと思います。全く、懐かしいとしかいいようがない映像で胸がふさがれるような気持ちになりました。日本全体が上向きの国としての青春時代だったのだ、もう二度とこんな時代は来ないのだ、という気がしてなりません。
キョンキョンと同じ年ヤンケ👼ヒノエウマや🧟
若い世代が「選挙なんて自分に関係なーい」何て言ってるうちはまぁ良くならないだろうな。何でも政府や制度のせいしにて自分は何もしようとしない。今のままじゃ老人中心の糞社会になってますます辛くなるだけなのに
もう来ないでしょうね年寄りが多すぎて支えるのに大変なんで
@@YouSnowbook-SIOTAN テレビ脳ですね。そうやって踊らされてる人ばかりなことがほんとうの問題なんですよ。
64年生まれです。私は10歳までお風呂無しの長屋で暮らし、その後郊外に買っていた土地に家を建て引っ越しました。 都会から土地が安い田舎に行ったので言葉とか風習に慣れるのが大変でした。母がずっと内職し、何年も掛けて土地代を支払い、土地代を支払い終えてから上物の家をローンで建てた様です。 持ち家が持てて母はほっとしてたみたいです。でもお風呂も有って銭湯に行かなくて良くなったり(郊外なので今までの下町と違い銭湯がない)、寒い冬は湯冷めしなくなりましたが、もう母や姉妹と一緒にお風呂に入る事もなくなり寂しかったり、買い物は歩いて行ける距離になかったので母がバイクの免許を取りひとりで買い物に行く様になったので、買い物帰りに一緒に熱々の美味しいコロッケを食べて(恒例)帰る事も無くなった。母は新築の家で誇らしげにして毎日綺麗に保つ為に掃除も勤しんでいたけど、子供心に少し寂しかったなあ。でもみんな一生懸命働いて、その見返りがある時代だった。夢や希望ががあったなあ。仰る通りもうそんな時代は来ないかもしれない。母はもう亡くなったけど色々思い出したよ。古きよき時代?だったのかなあ。今は便利になってそれに慣れてしまってるので昔に戻ると不便さに愚痴っているかもしれない。美化されているのかな。でも懐かしいなあ…。
終戦から15年でここまで変わるのもすごいわ
最後のステレオかけながら団地のベランダでお酒飲むシーン、当時としては至高の瞬間だったんだろうな
今みたいに娯楽に溢れかえってないから、20歳過ぎたらほとんどみんなちゃんとした大人の自覚を持った大人にならざるを得なかった真面目な時代。
ガス中毒になりかけたり水浸しにしたりうっかりとかいうレベルじゃないミスしてて草
2008年にこの団地のご近所に引っ越してきた者です。当時は団地の建て替え前で、住民はほとんどいなくなっており、老朽化した建物群はさながらゴーストタウンの様な佇まいでした。今はすっかり建て替わり、新しいマンション群に生まれ変わっています。この映像を見ると今昔の感があり、往時が偲ばれますね。
なんで一軒家に住まないの?
@@tt-ou7gx「団地の近所に引っ越してきた」って書いてあるから一軒家の可能性もあると思うけど…ひばりヶ丘団地の周りは一軒家の住宅地になってるからむしろ一軒家の可能性のほうが高い
@@tt-ou7gx 当時は田無西原住宅に住んでましたね。JKK東京の団地です。今は引越して、同じ市内ですが一戸建てに住んでいます😄団地は家賃も安いし経済的ですよ。ローンも組まなくていいですし。
@@tt-ou7gx おい!沖ノ鳥島の動画で大暴れしてた中国人やんけ!
但我還是喜歡中國人
ガス中毒ってこわいのね❤️そんな美しく明るい声で言われましても。
😂😂😂
昭和30年代だからなぁw
自分らの入居当時はもう平成だったけど、ガス警報器設置させられたわ。おかげで石油ストーブつけてやっとあったまってきたころに換気しろ換気しろうるさくて、火気でる暖房つかえんかったわww
生きたことない時代なのに懐かしいのはなぜ
団地の素敵ないいところだけじゃなくて、ガス中毒だとか、生活音とか、とても大事な注意事項も教えてくれるんだからとっても素敵な動画だワ!当時の人々の生活の息づかいみたいなものが感じられたワ!
言葉使いが現代の私達と違いますよね。😄丁寧だけど、今聞くと面白いワ。見習わなくっチャ。でも、ワタクシは無理ですノ。なぜかって?だって、もう今の言葉にどっぷり浸かってますもの〜。超ヤバい❗アレ、もう古い❓
素敵な映像でしたワ♪
最高です😂今日一番笑わせてもらいました🤣
ウフフ♪ ユーモアがとってもおありなのネ素敵だワ。
お兄さんのサブローさん。ベランダで、室内で、皆が集まってる中で果物食べてる中でも平気でタバコ吸いすぎ(笑)でも昔はそれが普通だったんですよね。
本当の幸せは、ここにある物ではなく、ここにいる人が、みんな集まっていること!
たまに無性に観たくなるのですわ。
楽しそうだしこれから上がっていくという感じが伝わってくる。良くないこともあることはおそらく分かりつつもこの時代に生まれたかったという思いがあります。
この頃に同じような公団住宅(烏山団地)で幼少期を過ごした還暦女です。記憶の中にあったものが一気に蘇ってきました。台所シンクの中のすのこ、覚えています! 木のお風呂も懐かしい。そしてなぜかやはりシェイカー&カクテルグラス(形まで同じ)もありました←米寿の父に聞いたら「必須アイテムだった」とのこと。窓の上の小窓の役割(ガス中毒防止)をこの動画で初めて知りました。ガス台がスタイリッシュなので欲しくなりましたですw
烏山の団地は写真萌えな作りでした。撮影したかったんですが、すでに立て壊しの塀に囲まれていて撮れなかった記憶があります。8年ぐらい前なのでもう無いかもしれないですね😭
カクテルグラスとシェイカーがなぜ必須アイテムだったのか、お父上に是非聞いてほしいです。流行っていたんでしょうか?
ワとか言わないんだなあ(小並感
同年代ちょっと下です。アイスペールも必須でしたね。父母にとっては家で製氷できるってのが、誇らしく思えた年代だったのでしょう。
亡くなった祖母が公園のことをずっと遊園地と言っていて幼いながらに不思議に思っていましたが動画を見て納得。
急におすすめに出てきたワ。高度経済成長のすごさが伝わってくるワネ。私ったらすっかりハマっちゃって、何度も見ちゃうんだから!
ワイ団地民 今住んでる団地と見比べて高みの見物しようと思ったらまさかの間取り全部一緒で驚愕😱そもそも考えてみればワイの住んでる団地築50年以上だったわ…
どんまいまだイケる👍🏻
ワイも愛知県の古い団地住んでるけどここより広いで。まぁ定期的にリニューアルされてるのもあるけど。
台風で窓割れるからもう嫌だわ(;^ω^)いくら家賃バカ安くっても経年劣化には勝てない。
古い団地って鴨居が低くて頭ぶつけそうになるのよね。昔の人は小さかったからって言うけどこの映像の旦那さんも頭ぶつけそうだよなあ。
この動画は何回見ても飽きないしなんかワクワクする
昭和35年でこの暮らしはレベルの高いいい暮らしだと思う。炊飯器·冷蔵庫·ストーブ等々····懐かしいな〜と。物質的には今とは比較できないけれど、部屋、人、物の佇まいを見ると精神的に豊かで幸せな時代だっただろうと感じさせる。
テレビ、ステレオ、電気炊飯器、冷蔵庫、洗濯機・・・ 憧れの家電がみんなナショナルで揃っているなんていくら月賦とはいえ、これだけ買える経済力だと所得制限に引っかからないの?
今と違うのはゲーム機と携帯電話とインターネットと家庭用コンピューターが無いぐらいじゃないか?性能はかなり劣るけど家電製品もあったしマイカーだってそれなりに普及してたでしょ
@@TwilightExp むしろ昔の公営団地は一定以上の収入が無いと入居できなかった。
ロックレバー付きの冷蔵庫懐かしい。うちにもありました。中に子供が入って、勢いよく占めた瞬間にレバーが入ってしまい、そのまま亡くなったという痛ましい事故が起き、それ以来現在のような磁石によるものになり、内側からも容易に開けられる構造に変わったと聞いています。
@@TwilightExp そいつは逆で、このころはこんな公団住宅に住むような人ってどんな先進的で高収入高学歴な人たちなんだろう、という認識でした。子供ができたくらいの世代(親の実家での同居をやめて)の中の、やる気と収入の両方を兼ね備えた夫婦たちがこぞって住むようになったのです。大人気で抽選の倍率もすごかった。まずは電化製品をいれて新しい便利な最先端の生活を。まだ自家用車は持てない時代です。なので駐車場は整備されていません。
団地の中のリフォームがおわっていない一室はいまでもこんな感じ。たぶんみんなのあこがれだった時代から住み続けている世帯。
今の自分から観ると、団地のこの生活こそ日本の伝統生活感(雑然とした感じとか)を感じるけど、昔の憧れだったんだなぁ、なんか感慨深い
夏場は窓全部開ければ自然風が抜けるから扇風機だけでいけるけど冬がやばい;^ω^)
近所の戸建てに住む還暦ジジイですが完成当時は皇太子夫妻も見学されててその棟のみ当時のまま残されており後はURになってます今で言うアーケードひばりヶ丘名店街懐かしい😭
高画質のカラー映像を見ることができるなんて、本当にワクワクしちゃう!
このような貴重な映像をいつでも無料で観られるなんて素晴らしい時代だな
みなさま悠々とコメントを書いていて素敵でらっしゃるわ。
1960年でこんな近代的な暮らしをしていたら今のタワマンくらいのレベルだと思います。私は1958年生まれですが火鉢でトーストを焼いたりすき焼きを作ったり冷蔵庫に氷を入れたりした暮らしをしていました。
こういう貴重な映像バンバン公開してほしい
弊社ではさまざまな昭和〜平成〜令和の映像を有しています。アップの用意をしているのでチャンネル登録してお待ちください。
@@日経映像チャンネル すごく嬉しいのですが、この動画以外に昭和の動画あげられていますか?あなたのチャンネル見ましたがこれ以外にあがってなかったですよ。。昭和の映像が見たいです。お願いします。
@@日経映像チャンネル 怒られてて草
@@simple.1829 完全無料のコンテンツ提供者に積極的に苦情を申し上げるタイプ
貴重な映像と承知の上で無料で尚且つ早く出せとは何とも厚かましい人ですね。日本人ですか?
幼稚園児の頃、自分の家は一戸建てだったんだけど、友達の家が団地で、単純に階段とコンクリートの建物に感動して、とてつもなく羨ましかった。幼稚園児にとっては、部屋の広さとかは気にならなくて、ベランダが有った事や、友達がすぐ近くに住んでいるって事のほうが重要だった。
同級生の家が団地で暴れると下の階の人から苦情があると聞いてめんどくさいと思いました。今、恐らく当時建てた鉄筋コンクリートの戸建に住んでますが蓄熱で夏は灼熱地獄。設計が悪いのか熱を逃す開口がない。
その友達も小学生の内に引っ越して行っちゃうんですよ。お父さんが出世したりで昇給で戸建て買ったり、はたまた転勤したりで。なので「幼馴染み」が少ない、またはいないなんて事があります。小学校入学時に45人×6クラスだったのが、卒業時には40人×5クラスですからね。
こういった昭和の映像を観ると生きたこと無いのに懐かしい気持ちになって良いなぁとか戻りたいと思っちゃう。現状に不満や未来に対して不安だらけなんやろうな…。😢
この動画みてから、何気なく近所の古い団地を通りがかったとき、この動画に出てくるような「マーケット」の名残と思わしきシャッター街があってなんとなく切なくなった
場所によってはまだ現役で活気のある商店街もあるから応援したいよね
京都いっぱいあるよ
マーケット(ミニ商店街的な)のある棟(上が住居で郵便局とか団地事務所も入ってた)>>うちのとこは、平成中期くらいから一気にさびれて一番最初に建て替えられたわ。八百屋さんは新しくなったショッピングモールに移って営業中。
1階まで水漏れという非常事態でも恐縮するだけで終わるうっかり者のよしこ姉さん強すぎ笑笑
団地生活を全力で優雅に見せて、あなた方は良い暮らしができるんだぞという希望と未来への展望を刷り込みつつ、ガスや水周りの危険性や集団生活で留意すべき事柄を短い尺でしっかり解説してる、オーパーツクラスの粋の詰まった凄い動画だなこの時代ってまだ川沿いにボロ小屋だらけのスラムがあったりで、団地は庶民からしたら文字通り近代生活の象徴だったようだねでも台所クソ狭くてお母さん方は料理しづらそう昔の団地は今ビレッジハウスがリフォームして激安で貸し出してるね
昔の団地は今のタワーマンションの様に憧れの対象だったのですね当時の高揚感が伝わる微笑ましい動画でした
J
家でシェイカーを普通に振れるお父様って素敵〜🥰カクテルグラスで家飲みなんてリッチな生活水準〜✨🍸✨でも、風呂釜が木製、しかも見た事ないガス点火システム‼️リビングで死にかけるというギャップがまた面白い〜🤣
今はカクテルも、スーパーやコンビニで気軽に買えるから自作する人あんまいないかもな(;^ω^)そういう意味じゃあんまり変わってない…。違うのは買うか作るかだけ
団地って「古い、汚い、うるさい」のイメージがあるけど、実は当時の最先端の技術で建ててて骨格がしっかりしてるからリノベーションさえすれば現代でも十分通用するマンションなんだよね。
団地がそんなイメージを持たれているなんて!なんと不躾な!!少なくとも私の近くの団地は古びておりませんよ?!
5階建てエレベーター無し5階住みの恐怖。なので普通とは違い上層階ほど家賃が安かったりした。
実際は不便なことだらけだったのかも知れないけど、飛行機の音やサイレンの音にビクビクしない生活ができるだけでも十分幸せだったんだろうなー
不便な所もそれ以上のものを知らないなら不満を感じないだろうし、不満があっても会話の種にして楽しめたんやろなー
今から見ると和式便所だったり風呂も不便だけど、この時代の人たちの明るい未来への疑いのなさを感じとれて泣けてくる。この頃より豊かにはなったけど幸福度では下がってるよな。
1960年頃はまだ洋式の使い方知らない人も多かったし、和式のほうが無難だったのだと思う。節水の目的でも洋式になった今との違いかと。
別に
作られたもので未来への疑いの無さ感じれんのか?
いやいや。ガス中毒の心配がないエアコンの聞いた部屋、片手に収まるネット機器幸福は急上昇中でしょ。これからは車もそらとぶし。宇宙旅行もできるようになるし。
何十年後かにも、私たちはそのように思われてるのだろう
こういう昔を忍ばせる動画、とても好きですわ。私、何度も見に来てしまいますもの。
今ももちろん楽しいことはあるけど子供時代のパソコンやテレビゲームがなく、毎日外で無邪気に遊んでた頃が一番楽しかったなぁ。こんな時代に戻りたいわぁ
ホントですね。昭和は輝いてましたよね!
あのお風呂には…戻りたくないでしょう😅 あとSNS,PC はもはや便利なツールの色々。本当にあの頃に戻りたい?
3日で慣れると思う。今より束縛感が無いし、自由な時代だったよ。ただスクーターは欲しかった。自由に移動出来る環境に憧れていた。
あと、ボットン便所も!昔の八高線のトイレも垂れ流しだったなぁ。😅わざとウンコ💩する奴もいたり。
子どもたちは外で元気に遊ぶ健全な時代でしたね。
6:40誰も書いてないけど、ここで少年がストローを舐めながらちびちびジュースを飲んでるの、すごく人間くさくて良い
でもそんな飲み方続けてると「みっともないからよしなさい!」ってゲンコツ飛んで来るわよ
今も近くに住んでる者です。昭和40年代、中原小に通っていました、友だちが団地に住んていて当時、憧れの住宅でした、花見とかお祭りとかとにかく華やかな時代でした、ひばりヶ丘団地の最盛期だったかな、とにかく懐かしい。
この映像黒白でしか見たこと無かったからカラー嬉しいですこの時代に生まれてみたかったもう、50回は見てますわ📺
ハウツーでもありドキュメンタリーでもある、ともすれば退屈になりがちな内容をうまく撮ってると感心しました。12:56からの買い物場面は映画の1シーンのように凝った映像で目を引きました(写り込みはご愛嬌)。何より驚いたのは、この60年以上前の映像がノイズもほぼなく完璧な状態であること。デジタル化時のノイズ除去にも限界はあると思うので、フィルムの保管がさぞ素晴らしいのだと推察。これがプロの仕事ですね。
生活風景も60年経ったら貴重映像なんですね
日本社会のエポック的な作品ですね!当時(60年前)は最先端の憧れの住居だったんだよね。美男美女の俳優さんを配した力を入れた作品ですね。ノスタルジー有り、狭くても憧れのリビング有り、風呂入るのも命がけあり、と、素敵な時代。
私は平成生まれなので、自分が生まれる前の日本をカラーでリアルに知ることができて嬉しくなりました!
ナカ~マ
それじゃまるで80年代の映像は全部白黒みたいな言い方だな。(笑)
コメント欄にいる昭和生まれのほとんどが生まれる前やで……
ドリフ大爆笑でカラーテレヒ普及期のコントの中で志村けんが『ポストは赤だったのか…』とか言ってたのは覚えてる
@@遠東まめまき口には出さないけど平成生まれ以上はみんなそう思ってるよ
この映像を観るたび思うことはこの時代はまだ生まれてなかったのですが懐かしい気持ちになります。当時の人々がいかにのんびり生活しているか垣間見ることが出来るのでアップして下さった方、ありがとうございます
いま見ても素敵な気分になる。ものがある豊かさ、新婚、多子、新しい家電や生活様式、共同生活、団地の景観…。全てのシーンの全てのモノに意味がある、何度見ても飽きない動画。1:05 建物の前の道路が舗装されてゴミがない様子を映してる。2:28 「208号室」が2階の8番めのお家だと説明してる。5:30 木造住宅とコンクリート造の結露の違い。ダストシュート、マーケット、流しのトラップ、炊飯器、ガス焚きのお風呂、水洗トイレ…。何もかもが新しかった。11:59 学童の隣で生け花もできるし、15:31 サラダにはフレンチドレッシング(ゆで卵は飾り切り)だし、客人にはカクテルを作るのだ。16:19 「わたくしと彼が、2人して築いていかねばならないわたくしたちの生活」…。そういう決意というか、覚悟というか、いまの人にはあるのだろうか?17:18 夕焼けにもしっかり「給水塔」を紹介。夜には街灯があることも映してる。
風呂の点火に失敗してビックリしてお兄さんに助けを求める旦那がかわいいのです。
オレもこの失敗やったことがある。ガキだったけどビビったわ。
@@紫藤菱安 風呂に点火するの、なんて名前だったかな?乾電池2つ入れて、今はチャッカマン。
13:52
2軒長屋住んでたときそんな感じの進化したやつだったわ。点火のつまみまわすときにコツがいるらしくて、親しか使えなかった。
引越し先を物件サイトで探してるんだけど、これ見てから物件探すと、全てが魅力的な物件に見えてくる不思議!
幼い頃団地住まいでした。亡き父がテーブルであぐらをかいて瓶ビールの栓を抜いて飲んでいた光景をふと思い出しました。録画ビデオすら無い白黒テレビのほうが多かった時代。なんだか穏やかでしあわせだったような気がします。どうして人間はこうも生き急ぐようになってしまったのでしょうね。
この動画気に入ってて何回も視聴していたのでカラー映像で見れるなんて、夢みたいです!カラーで見るとまた違う発見があって面白いですね!
ご覧いただきありがとうございます。
どの時代でも部屋飾りをどうするって憧れは止められねぇんだ
狭い部屋にサイドボードとソファー(椅子)を置いてリッチ感を出そうとしているのが涙ぐましい。そしてテーブルにはお決まりのレースの敷物。当時のウイスキー高かったのよ。奮発してるわね。
ジョニ黒一本いちまんえん!
ラスト、色褪せたフィルムの時より美しい復元カラーのほうが余韻が残るわね。素晴らしいわ。
なんで自分は生まれてもないのに、こんなに懐かしくなるんや
ガス釜で炊いたご飯はそれはもうべらぼうに美味しいでございますわ
6:55ガス中毒のくだりで「亡き王女のためのパヴァーヌ」。選曲が秀逸です。
この動画好き過ぎて定期的に見てます。窮屈そうで大変そうだけど、登場人物はとても楽しそうで輝いて見えます。素敵な映像ですね。
この水準の生活をあの密度でやってた軍艦島の凄さよ
高画質版で見れるだなんて何だかワクワクしちゃう!!♪
なぜか保科有里さんの声で脳内再生された!www
「この動画、定期的にオススメに出て来るのですわ。そしてついつい毎回最後まで拝見してしまうのですのよ。」
カラーで拝見出来るなんて、とても素敵ですわ。どうもありがとうございました!またちょくちょく観に来ますわね
すごい映像を見つけてしまった思いです。
昭和37年(1962年)から昭和46年(1971年)まで父、母、弟とここに住んでいました。ロケ映像に出てくる「74号棟」は私らが住んでいた「43号棟」と小道を挟んで反対側にありました。何もかもが懐かしい。74号棟に向かう左手に大きな公園、集会場がありました。その集会場の屋根に当時、もうおい茂っていた街路樹を、猿のように伝わって登り、屋根から飛び降りることができるか?という度胸試しをガキ仲間としたのを思い出します。映像に出てくる公園の遊具の配置、映像の中の遊具で遊んだ記憶。映像に出てくる街路樹は自分の記憶より小さい。
もう50年以上昔なのに、まさに手に取るかのような感触を、思い出しました。公園の遊具で遊んだあとに手についた鉄の匂い。かくれんぼしたコンクリブロックの剥げかけた塗装の割れ目に指を入れてほじくりかえしたこと。
映像の解説にも出てきますが、団地は、当時、新しい生活スタイルとして世間の注目の的だった。両親もそう言っていました。かなりの高倍率の抽選の結果、入居出来たのは文字通り宝くじに当たった気持ちだったのでしょう。映像に出てくるように、入居後は親戚の人たちが入れ替わり立ち替わり見学に来たのも覚えています。映像に出てくる家族は、世代的にもほぼ、私の親と重なります。
母親と行った商店街。いくたびに乾物屋のおばちゃんにおやつ代わりにもらった煮干し。多分動画に出てくるお店です。
団地なので、部屋の内装、構造はどこもほぼ同じ。
ブザーを押した感触、入り口のドアを開け締めした金属ドアの大音響、ドアの錠をおろした感触。
ガスで炊くお風呂。
木の湯船の底がぬるっとしてた感触、ローラー洗濯機を使ってた母親の姿。冷蔵庫を開けた扉の重さ。
出てくるこの映像には寸分の差もなく、私の当時の記憶が、事実として記録されていることに幸せを感じました。
窓を開けた時の空気の香りまで蘇ってきました。
当時はどの世帯も晴天の日にはベランダに掛け布団を干してパンパンと叩いていたので、開けっ放しの窓からは、それらの乾いた香りのするほこりっぽい空気が入ってきたのも思い出します。
部屋の供給電源が「10アンペアだからなぁ〜」と父がよくぼやいてたのを思い出します。電気炊飯器を使っている時、他の電気製品を使うと必ずブレーカーが飛んでた。初期の頃はヒューズだったとも記憶しています。
動画の最後に出てくる、窓から見える給水塔。このお宅ではこの給水塔が窓の右側に見えてますが、我が家からは左に見えていた。あまりに生々しく当時の記憶が蘇って来て、震えが来ています。給水塔は団地の生活の生命線なのに、しょっちゅう断水して、街の給水車が来てバケツで水を運んだことも思い出しました。
撮影時のロケ写真をみると、昭特の木製三脚に、カメラは16mmのアリフレックスST。それに400ftマガジンを付けています。ビデオ化の時にグラデーション/カラコレを特にしてなければ、フィルムの色がイーストマンカラーと思われるので、フィルムはKodak5247の400巻でしょうか。当時はタングステン用フィルムしかなく、感度はASA100なので外光も入る状況で色温度変換の#85フィルターを使うと、感度は実質ASA80にまで落ちますので、動画自体に音声が無い割には、ロケ写真を見るとスタッフが多いのは、照明をかなり作らばければならない必要があったのでしょう。
子供だった私がひばりヶ丘団地を離れて50年。
初めて見る映像に今日出会うことが出来た幸せ。
自身も映像関係の仕事なので、過去に日経映像様ともお仕事をよくやらせて頂いたことも思い出し、これもご縁だと思いました。
貴重な映像、ありがとうございました。
素晴らしい出会いでしたね。
きっと、あなたの為の映像ですね。
人間の記憶力について考えてしまいます。
詳しい解説とても助かります🙏
昔の貴重な映像がこうしていつでも見られるのはとてもいいですね...!
@@めそ-k7l この映像を見てしまったおかげで、思い出していない深いところの記憶のいろいろがリセットされてしまったかも、というのだけちょっと恐怖を感じています。でも、その後、他にも思い出すことがいろいろありました。
@@passh7745 本当ですね。解説というより、見る上での参考になれば幸いです。皆様とその瞬間を共有できている、と思うと、嬉しく思います。
読ませる文章ですね
少しだけ思い出を共有できた気持ちになりました
まさに此処に子供の頃住んでいました。部屋の中、公園、マーケット、集会所(兄が書道教室に通っていました)全てが懐かしく思い出されます。父母も鬼籍に入り、今は隣の東久留米市内に住んでいます。たまに、此処を訪れるのですが、建て替えられてすっかり変わってしまいました。
うちのおばあちゃんおじいちゃんがまだ20代だった時代なのかと考えると人生ってあっという間で何か切ない
笑顔で談笑している大人たちは全員、先の悲惨な大戦を撮影の十数年前に経験していると考えるとなんだかとても感慨深くなってしまった
子供だったはず
@@tachikao8554 子供の頃でも空襲や機銃掃射を目の当たりにした人はいるんじゃないのかな?
戦前の国力を国民生活に等しく回せば昭和15年で達成できたはずです。
@takana4381 そうだね。
@@DEBUSC だからこそ、平穏に暮らせる幸せをかみしめているのかもしれない。
もう50回くらいこの動画見てるかも…何度見ても楽しい。そして作った夕飯サラダだけなのも好きw
こんな当時の最先端を詰め込んでも50年でほぼ消え去るのは凄いよねぇ
当時、団地の近くの平凡な戸建てに住んでいた子供です。水は手動ポンプ、料理はかまどか七輪、暖房は火鉢、それでも隙間だらけの木造家屋は中毒にならない。ボットントイレが当たり前の時代、わが両親より若い団地住まいの人たちは文化生活を営む上流階級のように見えました。当時の団地は今もあります。空き室が目立ち、おばあさんばかり住んでいて、孤独死が多くて、老朽化が進んでいます。当時の憧れを映像で見ると、今は哀愁の涙ばかりです。
平凡でも、余裕のある戸建が良いですよ。
心に余裕が出来ますもの。
そうなんですね!!
今とはやはり価値観が違いますねぇ。
今はタワマンが上流階級に見えますけど、
またいずれ変わってくるんですかねぇ。
まるで詩人
建て替えて、綺麗な家になったほうが、みんなそっち住みたくなるもんやろな…
で、団地がなくなって新興住宅地ができると、そっちに住みたくなるんだろうか…
初めから住んでいたおばあちゃんたちが、ここを出ることも建て替えることも反対しています。ひとつは家賃が上がること、ひとつは長年の生活パターンが激変すること、さらに思い出の詰まった部屋、古い団地仲間と別れたくないからです。それが建て替えや取り壊しの妨げになっています。
この狭い空間を、いかに優雅に見せるか、広く見せるか、人の立ち位置がとにかく秀逸。
この映像撮った監督凄いよな。
団地ってそんなに激狭なんですね…。
それね あと奥さんが美人だ(*^^*)
“ウサギ小屋”とか言われてたしね
ありがとうございます。弊社は記録映画、テレビ番組制作などで定評のある制作会社になります。
@@日経映像チャンネル 素晴らしい技術ですね✨ほれぼれします!
未来が明るいと皆が信じてた時代の映像ってなんか好きなんだよな。
幸福度が高い国の人々は未来はもっと豊かになると信じてるそうです。
発展途上国に幸福度が高い人が多い理由の一つ。
団地は人々の夢なんです😅
まぁこの時代と比べたら断然今の時代の方が豊かで明るい世界だけどな
実際この二十年後にはばぶるくるし
確かに今の方が昔よりも何もかも断然楽になったけどその分人々から笑顔が消えたしご近所さんとの会話も少なくなった。
外国人が入ってきたことにより治安も悪くなったよね。
この頃の方がそういう意味では楽しそうだし治安は良さそうだな…。
ナレーションの方の、当時の女性言葉というか
これがほんとに美しいですね。
当時は、このような喋り方を日常的に聞きました。今や絶滅危惧種、文化の消失ですね。
一度ガス中毒で親子揃って死にかけてるのに、エピソードをあまりにもサラリと話すの豪胆すぎるワ。流石よし子お姉さん。なんだかゾクゾクしちゃう。
よし子お姉さん、又の名をサイコお姉さん。断水解除時にうっかり一階のお宅にまで漏っちゃった際、すっかり恐縮したにもかかわらず、あんまり一階のババァが偉そうなもんだから水とガスを同時に攻めてやったんですって。たちまち一階はガスと水に溢れちゃって、大変、狂喜したそうです。うっかり者の私も他人事じゃないわ❤️
水漏れは恐縮というか建物に対する賠償問題になりますよね?建物の耐用年数が大きく縮まることを考えると。蛇口開けっぱなしとなると、使用者の過失が大き過ぎて火災保険も使えないだろうしな。
@@FEELIN9LUCKY その時は漏らしたガスに火をつけて、一気に木っ端微塵で証拠隠滅ですわ!
@@zensho68 なるほど…引火爆発事故だったという事にすれば、水漏れも不可抗力であり、過失ではなかったという事になりますな。
建物にかけた保険で一棟丸ごと建て替えできるから入居者の保険は使わくて良いし、よしこさんもひと安心ですね。
自分は使った事ないけど、
各部屋にガス栓があったんですよね・・・
我が家の暖房は電気ヒータのコタツとホットカーペットだったので、
ガスヒータは使わなかった。
なので個室のガス栓がガムテープで封印してた。
ていうか、風呂の沸かし方が怖すぎる(;´Д`)
団地が優雅とか、タワーマンションが優雅なのではなく、いつの時代も自分の好みやライフスタイルに合わせた住居を選べるのが、優雅なのだと思います。
そうですね。自分の理想や希望に添ったところに住めてる人は、実際少ないですからね。
「自分の収入だと…」の消去法ではなく「ここに住みたい」で選ぶ住居は最高だと思います。まあ結局、その選択ができる時点でお金持ちって事になるんですが。
団地は優雅だったかもしれんが、タワマン人気は精神と思考の貧困さの表れであることは明らかだと思うけどね。
土地利用的には無駄が多いけどね
セキュリティ要らずなら4LLDDKKとかの一軒家が最強やな
団地しか勝たん!
確かに戦後15年でこれだったら皆が憧れる夢の様な暮らしだったのも分かる
昭和35年でこのクオリティなら今でも通用しますよ。今ならツカサのウィークリーマンションで備品が皆揃います。
バヤリースが瓶だったのは、酒屋からケース買いしたのか?と想像してしまう。
@@ミントブックス
瓶ビールや瓶ジュースはお客さんもてなすマナーだったと思います。今でも年配の方は、缶しかなくて失礼します、と言う。
@@yellowbirdboy さん
缶だと一人でラッパ飲みするイメージですからね。人様に出すものではありませんでした。でも、缶だからすみませんは初耳。缶ケース買いは平成入ってコンビニ普及してからですしね。
@@kraken8689 国民全体の生活水準が上がって、映像中の暮らしはもはや現代人の最低水準という認識になったからじゃないかな。団地、今の感覚ならタワーマンションかもしれない。(私は一軒家が大好きです。)
@KOYUKI N 水洗トイレで台所に給湯器付きって時点で破格だからな
昨日も見たけど、もう待ってられないわ。そうだ、今日も見ちゃお。
内容分かってるのに何回も観てしまう
1979年生まれだけど、確かに友達の家の団地がこんな感じだったなって思い出した。
団地に住んだこと無いのに懐かしい気持ちになる。
62年前の映像作品で、この映像に映っている「大人」の殆どは亡くなられていて、「子供」すら今は老人となっている事に思いを馳せました。
言い過ぎじゃね?
俺も1971年生まれで団地生まれだけど、
まだ両親は健在だよ?
今51歳だけど、老人なのかな?
俺の境遇からこの動画は10年前だけど、
そこまで違わないぞ。
@@神様モンガー 1960って書いてるでしょ
@@sita5178
うん、だからね、
俺が生まれた約10年前ではあるけど、
俺のオヤジは今78歳、カミさんのオヤジは88歳で10歳上なの。
でもまだ元気に生きてるわけ。
俺の周りの80代はまだ元気に生きてるわけ。
「ほとんどが亡くなられていない」わけ。
だから言い過ぎじゃね?
@@神様モンガー 元気でいらっしゃるなら何よりですね
@@神様モンガー 華麗にいなされてて草
敗戦焼け野原から15年でこれってのが改めて驚愕するところ。
アメリカと戦争できる程の軍事費を国民生活にまわせば、国民生活が急速に豊かになるのは当然な事です。
@@友野紘智とものひろさと
朝鮮戦争のおかげです。
@@yutakay2022
朝鮮戦争特需の恩恵を受けたのは、日本に戦前に培った高い工業力があったからです。
@@友野紘智とものひろさと その通り
日本は戦前から教養レベルが高くて基礎的な技術力と工業力もあって列強の一角だったから、あれほど酷い敗戦を経験しても短い期間で復興できた。
00:47
『私とすみおさんは事前に団地の勉強をしておこうって訳なんです』
こういう昭和の口調好きだわ。
公団入居当選者に団地の住まい方を教育するため、の目的なんだろうけど、
それ以上に当選した人が楽しみに出来るように作られてる映像だと思った。
だから入る予定もない現代のわれわれが観てもほっこりできるのかなと
あら、団地の近代的な美しさが高画質カラー版でも観られるなんて。わたくし嬉しいワ♪
わたくしもですぅ♪
あらまぁ…お姉さんも喜んでいるわ♪
わたくしも嬉しいワ
まあ皆さんお揃いで。気軽にお話しできるところが団地の素敵なところネ♪
あら、ワが三つだわ 石鹸買って来なきゃ
たまに観たくなるんでございますの。
あら、奇遇ですわね、わたくしもですわ。
実はわたくしもですの。
よろしくてよ
うっかり者のアタシ達には他人事ぢやないわ。
あ〜ら、あてくしもザマスのよ?
この時代に建てられた団地が今も残ってて住んでる人がいるってのが凄い
うちの団地も1部建て替え始めてるけどすみっコのほうに旧区画がまだありますよw(;^ω^)
手間がかかる部分、気にしなきゃいけない部分を隠さずに映像にしているのが素晴らしい。
共同生活って考え方、今はないもんなぁ。
これだけ共同生活を連呼するのはそれだけ問題が多かったってことだと思うけどね。
覚悟して来てねってことでしょ。今も田舎暮らしには注意喚起されてる。
お上品な声と喋り方なのに「お姉さんこんちわ」ってフランクなの笑う
ベッドとかソファーとか今では当たり前になりつつあるけどこの時は本当に憧れたんだろうな…
1966年から72年までこの団地に住んでました。
ダストシュートも焼却炉も間もなく使用禁止になったはず。
北集会所でバレエを習ってたわ。
名店街も給水塔も懐かしいです。
この人達、幸せそうな顔しているので信じられないけど、戦時中に育ったんですよね……
もしかしたら身内が亡くなられたとか、数多くの不幸を乗り越えてきたのかもしれないと思うと泣けてきますわ……
そうですよねー 考えもしなかった
空襲とか苦難を乗り越えてられた方達だ…。 感慨深い…
そういう色々な観点から物事を想像出来るコメ主さんが凄い
うちの両親も、昭和10年代生まれ。
2人とも戦争体験者。
その両親と、団地でささやかな暮らしをしていました。
大正15年生まれの母でした。戦時中は兄たち4人が戦争に赤紙で召集。終戦後も4人とも帰って来ませんでした。
叔母が風で戸が揺れ音がすると、息子が戻って来たと寝床から起きて玄関に、約30年間亡くなるまで音がすると
〇〇が帰って来たと騒いで居ました。命より鉄が高価な戦争。300万人の尊い命の犠牲があっても、戦後復興頑張った団塊の世代に感謝してます。スマホ離さない世代と同世代を生きてる私です。
この時代の人達はメンタル強そうだよね
今は平和過ぎて少しのことでへこたれる人が多いかも
まあ自分もその内の一人だけど\(^o^)/
水浸しシーンにかける情熱よ。
わかる。
わざわざ撮ったのかい笑
しきりに「共同生活」「社会的生活」が強調されてる点が今となってはとても新鮮に感じました。当時は集合住宅が新しく、うきうきする高揚した気持ちと、互いに迷惑をかけないように気遣って生活しましょうという日本人らしい戒めのようなメッセージだなと思いました。当時は当時で大変なことがたくさんあったと思いますが、これから生活が上向いていくんだ、頑張るぞというエネルギッシュな時代に生きたかったなと思います。貴重な映像をありがとうございます。
こんな貴重映像を公式がアップしてくれるなんていい時代だなぁ
ここのコメント欄の言葉遣いが素敵ですワ
本当ですわ!
💩なんてお下品な言葉なんてないですわ!!!
@@ロロ-h1e さっそく現れたわね💩!!!
当時の団地は、今で言うタワマン以上のステータスだったんだよな。庶民の憧れが詰まった住まいだった。
おじいさんに聞いたんだけど、建ってる場所によるって言ってた
流石にそれは大げさ
でも、かまど炊きで薪の準備から始めるごはんの準備やぼっとん便所のバキュームカー(なければ汲み取りで肥溜めに運ぶ生活)に比べたらはるかに便利だよ。
憧れるの解る。
晩御飯の準備のために、薪からですよ?そこから火を起こしていいあんばいに炊いて。しかも毎日。
今の生活から見たら不便だけど、当時の生活からみたら、劇的にいいと思う。
夫の両親(義理親)からいびられることもないしね。
@@春風-r1p
なるほど…!
核家族への憧れもあるのか
@@春風-r1p(;^ω^)
汲み取りトイレは、
落ちても気づかれなくてそのまま汲み取られて死ぬやつとかいるってオカンに脅されてきたから今でも怖いww
心の豊かさってやつがどの時代も一番大切なんだね
ナレーションの言葉遣いが懐かしすぎてたまらない
この生活が戦後15年後と思うと日本は良く復興したなと思う。
もしかしたら、なにかのボタンのかけちがえで、いまも北朝鮮みたいになってた可能性もあるわけですからね。
朝鮮戦争のおかげ
国際金融資本のバックアップないと何もできないってこった
@@public529stage 韓国人てそう思ってるらしいね
@@MarioFujita 占領がドイツみたいに米英仏ソの4か国統治だったら、ソ連占領地がいまだに北朝鮮みたいに・・・というのはあり得たかも。ローズベルトが死んで、あそこで戦争が終わり、事実上アメリカの単独占領統治になったのが大きい。ローズベルトが生きていたら、あれは親ソ連だったから、日本もドイツのように分割占領だったかも。
8年ほどひばりが丘に住んでてその頃丁度取り壊す直前の時期でしたね、ほぼ廃墟寸前の誰も住んでない団地の雰囲気とかつての賑わいを想像しながら周辺を散歩するのが好きでした。
こうして映像で見ると余計寂しさを感じますね
公式が動画をあげてくれるんだから安心よね。
選曲が全てクラシック音楽ですわ😂最初はピアノコンチェルトから始まる団地生活、優雅ですワ♪
当時の団地に住んでましたが、団地の子達はピアノを習っていて、私や音楽好きの父も毎日クラシックピアノ弾いてましたよ❤。ヤマハ音楽教室が始まった頃。。今と違って一日中ピアノ弾いていても、誰も文句すら言わないのんびりしたイイ時代でした😂。今の方が騒音とか窮屈です😭
なんて優雅な話し方。大好きです。
昭和40年代に数年住んでいました。現在80代の両親にもこの映像を見せてあげたいと思います。懐かしい貴重な映像ありがとうございました。
66年生まれです。5歳までは風呂のない町場の長屋みたいなアパートで育ちました。72年に郊外の団地に越したときの母の写真が残っています。こざっぱりした台所で晴れやかな顔です。
10年以上遅れての憧れの団地暮らしだったのだと思います。
全く、懐かしいとしかいいようがない映像で胸がふさがれるような気持ちになりました。
日本全体が上向きの国としての青春時代だったのだ、もう二度とこんな時代は来ないのだ、という気がしてなりません。
キョンキョンと同じ年ヤンケ👼ヒノエウマや🧟
若い世代が「選挙なんて自分に関係なーい」何て言ってるうちはまぁ良くならないだろうな。何でも政府や制度のせいしにて自分は何もしようとしない。今のままじゃ老人中心の糞社会になってますます辛くなるだけなのに
もう来ないでしょうね
年寄りが多すぎて支えるのに大変なんで
@@YouSnowbook-SIOTAN テレビ脳ですね。そうやって踊らされてる人ばかりなことがほんとうの問題なんですよ。
64年生まれです。私は10歳までお風呂無しの長屋で暮らし、その後郊外に買っていた土地に家を建て引っ越しました。 都会から土地が安い田舎に行ったので言葉とか風習に慣れるのが大変でした。
母がずっと内職し、何年も掛けて土地代を支払い、土地代を支払い終えてから上物の家をローンで建てた様です。 持ち家が持てて母はほっとしてたみたいです。
でもお風呂も有って銭湯に行かなくて良くなったり(郊外なので今までの下町と違い銭湯がない)、寒い冬は湯冷めしなくなりましたが、もう母や姉妹と一緒にお風呂に入る事もなくなり寂しかったり、買い物は歩いて行ける距離になかったので母がバイクの免許を取りひとりで買い物に行く様になったので、買い物帰りに一緒に熱々の美味しいコロッケを食べて(恒例)帰る事も無くなった。
母は新築の家で誇らしげにして毎日綺麗に保つ為に掃除も勤しんでいたけど、子供心に少し寂しかったなあ。
でもみんな一生懸命働いて、その見返りがある時代だった。
夢や希望ががあったなあ。
仰る通りもうそんな時代は来ないかもしれない。
母はもう亡くなったけど色々思い出したよ。
古きよき時代?だったのかなあ。
今は便利になってそれに慣れてしまってるので昔に戻ると不便さに愚痴っているかもしれない。美化されているのかな。
でも懐かしいなあ…。
終戦から15年でここまで変わるのもすごいわ
最後のステレオかけながら団地のベランダでお酒飲むシーン、当時としては至高の瞬間だったんだろうな
今みたいに娯楽に溢れかえってないから、20歳過ぎたらほとんどみんなちゃんとした大人の自覚を持った大人にならざるを得なかった真面目な時代。
ガス中毒になりかけたり水浸しにしたりうっかりとかいうレベルじゃないミスしてて草
2008年にこの団地のご近所に引っ越してきた者です。
当時は団地の建て替え前で、住民はほとんどいなくなっており、老朽化した建物群はさながらゴーストタウンの様な佇まいでした。
今はすっかり建て替わり、新しいマンション群に生まれ変わっています。
この映像を見ると今昔の感があり、往時が偲ばれますね。
なんで一軒家に住まないの?
@@tt-ou7gx「団地の近所に引っ越してきた」って書いてあるから一軒家の可能性もあると思うけど…
ひばりヶ丘団地の周りは一軒家の住宅地になってるからむしろ一軒家の可能性のほうが高い
@@tt-ou7gx 当時は田無西原住宅に住んでましたね。JKK東京の団地です。
今は引越して、同じ市内ですが一戸建てに住んでいます😄
団地は家賃も安いし経済的ですよ。ローンも組まなくていいですし。
@@tt-ou7gx おい!沖ノ鳥島の動画で大暴れしてた中国人やんけ!
但我還是喜歡中國人
ガス中毒ってこわいのね❤️そんな美しく明るい声で言われましても。
😂😂😂
昭和30年代だからなぁw
自分らの入居当時はもう平成だったけど、
ガス警報器設置させられたわ。
おかげで石油ストーブつけてやっとあったまってきたころに換気しろ換気しろうるさくて、火気でる暖房つかえんかったわww
生きたことない時代なのに懐かしいのはなぜ
団地の素敵ないいところだけじゃなくて、ガス中毒だとか、生活音とか、とても大事な注意事項も教えてくれるんだからとっても素敵な動画だワ!
当時の人々の生活の息づかいみたいなものが感じられたワ!
言葉使いが現代の私達と違いますよね。😄
丁寧だけど、今聞くと面白いワ。
見習わなくっチャ。
でも、ワタクシは無理ですノ。
なぜかって?
だって、もう今の言葉にどっぷり浸かってますもの〜。
超ヤバい❗
アレ、もう古い❓
素敵な映像でしたワ♪
最高です😂
今日一番笑わせてもらいました🤣
ウフフ♪ ユーモアがとってもおありなのネ素敵だワ。
お兄さんのサブローさん。
ベランダで、室内で、皆が集まってる中で果物食べてる中でも平気でタバコ吸いすぎ(笑)
でも昔はそれが普通だったんですよね。
本当の幸せは、
ここにある物ではなく、
ここにいる人が、みんな
集まっていること!
たまに無性に観たくなるのですわ。
楽しそうだしこれから上がっていくという感じが伝わってくる。
良くないこともあることはおそらく分かりつつもこの時代に生まれたかったという思いがあります。
この頃に同じような公団住宅(烏山団地)で幼少期を過ごした還暦女です。記憶の中にあったものが一気に蘇ってきました。台所シンクの中のすのこ、覚えています! 木のお風呂も懐かしい。そしてなぜかやはりシェイカー&カクテルグラス(形まで同じ)もありました←米寿の父に聞いたら「必須アイテムだった」とのこと。窓の上の小窓の役割(ガス中毒防止)をこの動画で初めて知りました。ガス台がスタイリッシュなので欲しくなりましたですw
烏山の団地は写真萌えな作りでした。
撮影したかったんですが、すでに立て壊しの塀に囲まれていて撮れなかった記憶があります。
8年ぐらい前なのでもう無いかもしれないですね😭
カクテルグラスとシェイカーがなぜ必須アイテムだったのか、お父上に是非聞いてほしいです。流行っていたんでしょうか?
ワとか言わないんだなあ(小並感
同年代ちょっと下です。アイスペールも必須でしたね。
父母にとっては家で製氷できるってのが、誇らしく思えた年代だったのでしょう。
亡くなった祖母が公園のことをずっと遊園地と言っていて幼いながらに不思議に思っていましたが動画を見て納得。
急におすすめに出てきたワ。
高度経済成長のすごさが伝わってくるワネ。
私ったらすっかりハマっちゃって、何度も見ちゃうんだから!
ワイ団地民 今住んでる団地と見比べて高みの見物しようと思ったら
まさかの間取り全部一緒で驚愕😱
そもそも考えてみればワイの住んでる団地築50年以上だったわ…
どんまい
まだイケる👍🏻
ワイも愛知県の古い団地住んでるけどここより広いで。まぁ定期的にリニューアルされてるのもあるけど。
台風で窓割れるからもう嫌だわ(;^ω^)
いくら家賃バカ安くっても経年劣化には勝てない。
古い団地って鴨居が低くて頭ぶつけそうになるのよね。
昔の人は小さかったからって言うけど
この映像の旦那さんも頭ぶつけそうだよなあ。
この動画は何回見ても飽きないしなんかワクワクする
昭和35年でこの暮らしは
レベルの高いいい暮らしだと思う。
炊飯器·冷蔵庫·ストーブ等々····
懐かしいな〜と。
物質的には今とは比較できない
けれど、部屋、人、物の佇まい
を見ると精神的に豊かで幸せな
時代だっただろうと感じさせる。
テレビ、ステレオ、電気炊飯器、冷蔵庫、洗濯機・・・
憧れの家電がみんなナショナルで揃っているなんて
いくら月賦とはいえ、これだけ買える経済力だと所得制限に引っかからないの?
今と違うのはゲーム機と携帯電話とインターネットと家庭用コンピューターが無いぐらいじゃないか?
性能はかなり劣るけど家電製品もあったしマイカーだってそれなりに普及してたでしょ
@@TwilightExp むしろ昔の公営団地は一定以上の収入が無いと入居できなかった。
ロックレバー付きの冷蔵庫懐かしい。うちにもありました。
中に子供が入って、勢いよく占めた瞬間にレバーが入ってしまい、そのまま亡くなったという痛ましい事故が起き、それ以来現在のような磁石によるものになり、内側からも容易に開けられる構造に変わったと聞いています。
@@TwilightExp そいつは逆で、このころはこんな公団住宅に住むような人ってどんな先進的で高収入高学歴な人たちなんだろう、という認識でした。子供ができたくらいの世代(親の実家での同居をやめて)の中の、やる気と収入の両方を兼ね備えた夫婦たちがこぞって住むようになったのです。大人気で抽選の倍率もすごかった。まずは電化製品をいれて新しい便利な最先端の生活を。まだ自家用車は持てない時代です。なので駐車場は整備されていません。
団地の中のリフォームがおわっていない一室はいまでもこんな感じ。
たぶんみんなのあこがれだった時代から住み続けている世帯。
今の自分から観ると、団地のこの生活こそ日本の伝統生活感(雑然とした感じとか)を感じるけど、
昔の憧れだったんだなぁ、なんか感慨深い
夏場は窓全部開ければ自然風が抜けるから扇風機だけでいけるけど冬がやばい;^ω^)
近所の戸建てに住む還暦ジジイですが完成当時は皇太子夫妻も見学されててその棟のみ当時のまま残されており後はURになってます
今で言うアーケードひばりヶ丘名店街懐かしい😭
高画質のカラー映像を見ることができるなんて、本当にワクワクしちゃう!
このような貴重な映像をいつでも無料で観られるなんて素晴らしい時代だな
みなさま悠々とコメントを書いていて素敵でらっしゃるわ。
1960年でこんな近代的な暮らしをしていたら今のタワマンくらいのレベルだと思います。私は1958年生まれですが火鉢でトーストを焼いたりすき焼きを作ったり冷蔵庫に氷を入れたりした暮らしをしていました。
こういう貴重な映像バンバン公開してほしい
弊社ではさまざまな昭和〜平成〜令和の映像を有しています。アップの用意をしているのでチャンネル登録してお待ちください。
@@日経映像チャンネル すごく嬉しいのですが、この動画以外に昭和の動画あげられていますか?あなたのチャンネル見ましたがこれ以外にあがってなかったですよ。。昭和の映像が見たいです。お願いします。
@@日経映像チャンネル 怒られてて草
@@simple.1829 完全無料のコンテンツ提供者に積極的に苦情を申し上げるタイプ
貴重な映像と承知の上で無料で尚且つ早く出せとは何とも厚かましい人ですね。日本人ですか?
幼稚園児の頃、自分の家は一戸建てだったんだけど、友達の家が団地で、単純に階段とコンクリートの建物に感動して、とてつもなく羨ましかった。幼稚園児にとっては、部屋の広さとかは気にならなくて、ベランダが有った事や、友達がすぐ近くに住んでいるって事のほうが重要だった。
同級生の家が団地で暴れると下の階の人から
苦情があると聞いてめんどくさいと思いました。
今、恐らく当時建てた
鉄筋コンクリートの戸建に住んでますが
蓄熱で夏は灼熱地獄。
設計が悪いのか熱を逃す開口がない。
その友達も小学生の内に引っ越して行っちゃうんですよ。
お父さんが出世したりで昇給で戸建て買ったり、
はたまた転勤したりで。
なので「幼馴染み」が少ない、またはいないなんて事があります。
小学校入学時に45人×6クラスだったのが、
卒業時には40人×5クラスですからね。
こういった昭和の映像を観ると生きたこと無いのに懐かしい気持ちになって良いなぁとか戻りたいと思っちゃう。
現状に不満や未来に対して不安だらけなんやろうな…。😢
この動画みてから、何気なく近所の古い団地を通りがかったとき、この動画に出てくるような「マーケット」の名残と思わしきシャッター街があってなんとなく切なくなった
場所によってはまだ現役で活気のある商店街もあるから応援したいよね
京都いっぱいあるよ
マーケット(ミニ商店街的な)のある棟(上が住居で郵便局とか団地事務所も入ってた)>>
うちのとこは、平成中期くらいから一気にさびれて一番最初に建て替えられたわ。
八百屋さんは新しくなったショッピングモールに移って営業中。
1階まで水漏れという非常事態でも恐縮するだけで終わるうっかり者のよしこ姉さん強すぎ笑笑
団地生活を全力で優雅に見せて、あなた方は良い暮らしができるんだぞという希望と未来への展望を刷り込みつつ、ガスや水周りの危険性や集団生活で留意すべき事柄を短い尺でしっかり解説してる、オーパーツクラスの粋の詰まった凄い動画だな
この時代ってまだ川沿いにボロ小屋だらけのスラムがあったりで、団地は庶民からしたら文字通り近代生活の象徴だったようだね
でも台所クソ狭くてお母さん方は料理しづらそう
昔の団地は今ビレッジハウスがリフォームして激安で貸し出してるね
昔の団地は今のタワーマンションの様に憧れの対象だったのですね
当時の高揚感が伝わる微笑ましい動画でした
J
家でシェイカーを普通に振れるお父様って素敵〜🥰
カクテルグラスで家飲みなんてリッチな生活水準〜✨🍸✨
でも、風呂釜が木製、しかも見た事ないガス点火システム‼️
リビングで死にかけるというギャップがまた面白い〜🤣
今はカクテルも、スーパーやコンビニで気軽に買えるから自作する人あんまいないかもな(;^ω^)
そういう意味じゃあんまり変わってない…。違うのは買うか作るかだけ
団地って「古い、汚い、うるさい」のイメージがあるけど、実は当時の最先端の技術で建ててて骨格がしっかりしてるからリノベーションさえすれば現代でも十分通用するマンションなんだよね。
団地がそんなイメージを持たれているなんて!なんと不躾な!!少なくとも私の近くの団地は古びておりませんよ?!
5階建てエレベーター無し5階住みの恐怖。なので普通とは違い上層階ほど家賃が安かったりした。
実際は不便なことだらけだったのかも知れないけど、飛行機の音やサイレンの音にビクビクしない生活ができるだけでも十分幸せだったんだろうなー
不便な所もそれ以上のものを知らないなら不満を感じないだろうし、不満があっても会話の種にして楽しめたんやろなー
今から見ると和式便所だったり風呂も不便だけど、この時代の人たちの明るい未来への疑いのなさを感じとれて泣けてくる。この頃より豊かにはなったけど幸福度では下がってるよな。
1960年頃はまだ洋式の使い方知らない人も多かったし、和式のほうが無難だったのだと思う。
節水の目的でも洋式になった今との違いかと。
別に
作られたもので未来への疑いの無さ感じれんのか?
いやいや。
ガス中毒の心配がないエアコンの聞いた部屋、片手に収まるネット機器
幸福は急上昇中でしょ。
これからは車もそらとぶし。
宇宙旅行もできるようになるし。
何十年後かにも、私たちはそのように思われてるのだろう
こういう昔を忍ばせる動画、とても好きですわ。
私、何度も見に来てしまいますもの。
今ももちろん楽しいことはあるけど子供時代のパソコンやテレビゲームがなく、毎日外で無邪気に遊んでた頃が一番楽しかったなぁ。
こんな時代に戻りたいわぁ
ホントですね。昭和は輝いてましたよね!
あのお風呂には…戻りたくないでしょう😅 あとSNS,PC はもはや便利なツールの色々。本当にあの頃に戻りたい?
3日で慣れると思う。今より束縛感が無いし、自由な時代だったよ。ただスクーターは欲しかった。自由に移動出来る環境に憧れていた。
あと、ボットン便所も!昔の八高線のトイレも垂れ流しだったなぁ。😅わざとウンコ💩する奴もいたり。
子どもたちは外で元気に遊ぶ
健全な時代でしたね。
6:40
誰も書いてないけど、ここで少年がストローを舐めながらちびちびジュースを飲んでるの、すごく人間くさくて良い
でもそんな飲み方続けてると「みっともないからよしなさい!」ってゲンコツ飛んで来るわよ
今も近くに住んでる者です。昭和40年代、中原小に通っていました、友だちが団地に住んていて当時、憧れの住宅でした、花見とかお祭りとかとにかく華やかな時代でした、ひばりヶ丘団地の最盛期だったかな、とにかく懐かしい。
この映像黒白でしか見たこと無かったからカラー嬉しいです
この時代に生まれてみたかった
もう、50回は見てますわ📺
ハウツーでもありドキュメンタリーでもある、ともすれば退屈になりがちな内容をうまく撮ってると感心しました。12:56からの買い物場面は映画の1シーンのように凝った映像で目を引きました(写り込みはご愛嬌)。
何より驚いたのは、この60年以上前の映像がノイズもほぼなく完璧な状態であること。デジタル化時のノイズ除去にも限界はあると思うので、フィルムの保管がさぞ素晴らしいのだと推察。これがプロの仕事ですね。
生活風景も60年経ったら貴重映像なんですね
日本社会のエポック的な作品ですね!当時(60年前)は最先端の憧れの住居だったんだよね。
美男美女の俳優さんを配した
力を入れた作品ですね。
ノスタルジー有り、狭くても
憧れのリビング有り、風呂入るのも命がけあり、と、素敵な時代。
私は平成生まれなので、自分が生まれる前の日本をカラーでリアルに知ることができて嬉しくなりました!
ナカ~マ
それじゃまるで80年代の映像は全部白黒みたいな言い方だな。(笑)
コメント欄にいる昭和生まれのほとんどが生まれる前やで……
ドリフ大爆笑でカラーテレヒ普及期のコントの中で志村けんが『ポストは赤だったのか…』とか言ってたのは覚えてる
@@遠東まめまき口には出さないけど平成生まれ以上はみんなそう思ってるよ
この映像を観るたび思うことはこの時代はまだ生まれてなかったのですが懐かしい気持ちになります。当時の人々がいかにのんびり生活しているか垣間見ることが出来るのでアップして下さった方、ありがとうございます
いま見ても素敵な気分になる。ものがある豊かさ、新婚、多子、新しい家電や生活様式、共同生活、団地の景観…。
全てのシーンの全てのモノに意味がある、何度見ても飽きない動画。
1:05 建物の前の道路が舗装されてゴミがない様子を映してる。
2:28 「208号室」が2階の8番めのお家だと説明してる。
5:30 木造住宅とコンクリート造の結露の違い。
ダストシュート、マーケット、流しのトラップ、炊飯器、ガス焚きのお風呂、水洗トイレ…。
何もかもが新しかった。
11:59 学童の隣で生け花もできるし、
15:31 サラダにはフレンチドレッシング(ゆで卵は飾り切り)だし、客人にはカクテルを作るのだ。
16:19 「わたくしと彼が、2人して築いていかねばならないわたくしたちの生活」…。そういう決意というか、覚悟というか、いまの人にはあるのだろうか?
17:18 夕焼けにもしっかり「給水塔」を紹介。夜には街灯があることも映してる。
風呂の点火に失敗してビックリしてお兄さんに助けを求める旦那がかわいいのです。
オレもこの失敗やったことがある。ガキだったけどビビったわ。
@@紫藤菱安 風呂に点火するの、なんて名前だったかな?乾電池2つ入れて、今はチャッカマン。
13:52
2軒長屋住んでたときそんな感じの進化したやつだったわ。
点火のつまみまわすときにコツがいるらしくて、親しか使えなかった。
引越し先を物件サイトで探してるんだけど、これ見てから物件探すと、全てが魅力的な物件に見えてくる不思議!
幼い頃団地住まいでした。亡き父がテーブルであぐらをかいて瓶ビールの栓を抜いて飲んでいた光景をふと思い出しました。録画ビデオすら無い白黒テレビのほうが多かった時代。なんだか穏やかでしあわせだったような気がします。どうして人間はこうも生き急ぐようになってしまったのでしょうね。
この動画気に入ってて何回も視聴していたのでカラー映像で見れるなんて、夢みたいです!
カラーで見るとまた違う発見があって面白いですね!
ご覧いただきありがとうございます。
どの時代でも部屋飾りをどうするって憧れは止められねぇんだ
狭い部屋にサイドボードとソファー(椅子)を置いてリッチ感を出そうとしているのが涙ぐましい。そしてテーブルにはお決まりのレースの敷物。当時のウイスキー高かったのよ。奮発してるわね。
ジョニ黒一本いちまんえん!
ラスト、色褪せたフィルムの時より美しい復元カラーのほうが余韻が残るわね。
素晴らしいわ。
なんで自分は生まれてもないのに、こんなに懐かしくなるんや
ガス釜で炊いたご飯はそれはもうべらぼうに美味しいでございますわ
6:55
ガス中毒のくだりで「亡き王女のためのパヴァーヌ」。選曲が秀逸です。
この動画好き過ぎて定期的に見てます。
窮屈そうで大変そうだけど、登場人物はとても楽しそうで輝いて見えます。
素敵な映像ですね。
この水準の生活をあの密度でやってた軍艦島の凄さよ
高画質版で見れるだなんて何だかワクワクしちゃう!!♪
なぜか保科有里さんの声で脳内再生された!www
「この動画、定期的にオススメに出て来るのですわ。そしてついつい毎回最後まで拝見してしまうのですのよ。」
カラーで拝見出来るなんて、とても素敵ですわ。どうもありがとうございました!またちょくちょく観に来ますわね