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歌志内市は、りょーゆーが撤退するなどスーパーマーケットすら無くなってしまって、今やセイコーマートが貴重なスーパーの代わりとなりました。「セイコーマートは、道民の誇り」というコメントをよく見かけますが、地域の台所にもなる姿はまさに誇りです。
スーパーマーケットも無くなっているんですね…北海道ならどんな過疎地にもあるセイコーマートはやはり偉大ですね。
くるまがあれば砂川のふじスーパーに買い物に出ているのかなと思いますバスもあるしね
@@hiroring0323 占冠村にはセイコーマートも無くなってしまいました。
セイコーマートではありませんが、湧別町芭露にあった農協の店舗もスパー→ハマナスクラブになっていましたね。
本当にキツい財政状況でも、駅の記憶を、今日現在でも残そうとしてくれているので、市の方々が頑張ってくれていますね。。。
こういうのがあると訪れてみたくなりますね。
北海道の その時 が見られる良い動画ですね。ありがとう。
今から40年くらい前かな、祖父が歌志内の炭鉱マンで、小学生だった頃夏休みにはよく遊びに行きました。当時は手稲始発歌志内行きの直通列車があり弟と二人で行ったのを覚えてます。でも列車で行ったのは後にも先にもその一回だけ。砂川からバスの方が利便性良かったもんなぁ。色んな思い出のある街、これからも応援します。動画ありがとうございました!
手稲から直通列車もあったんですね。歌志内市は頑張っているようなので、私も応援します!
空知炭鉱以外の場所は「おっふ」状態ではなく、堅実でミニマムな市政運営をされている様子がうかがえますね旧沿線の様子から、市民の皆さんが歌志内市を大切しておられることが伝わってきますやっぱり「歌志内の本気」はそこここに感じられ、栄枯盛衰感は否めないものがありますが…いつも綿密な調査、お疲れ様です!
撮影ご苦労さまです。昔はこの歌志内市も炭鉱があった時は今より人口が多かったのですね。途中何カ所か道路沿いに駅名標あるのは珍しいです。かつてここが炭鉱で栄えた所であり、石炭等を運ぶ歌志内線があった事を知る為には、いい物だと思います。
すべての廃線跡にもインターネットラジオが聞けちゃいますのが本当ですよ。
運炭路線の廃線ですので、てっきり「おっふ…」の連発かと思いきや寂れながらも市街地は残り駅名標だけでも復元するという予想外のポジティブさに少し安心しましたが最後の炭鉱跡で特大のおっふを喰らいましたw それにしても砂川駅に屯している猫が可愛いですね。遊んでくれますか?
人口は少ないですが、意外にもそれほど廃れてはいませんでした。砂川駅の猫は遊んでくれませんが、いつも数匹いらっしゃいます。
@@hiroring0323 道北への大動脈な道央自動車道沿いの砂川はともかく、交通網から離れた地域の歌志内が寂れるのに任せず頑張っているのは応援したくなりますね。しかし猫さん遊んでくれませんか…近所に遊んでくれる猫が最近はいないので猫成分が深刻に不足していますw
動画投稿お疲れ様です。歌志内線の始まりの砂川駅の広大な敷地から漂うターミナル駅感。駅名標を設置する動きは、鉄道が、ここにあったと言う事実を伝えてくれるので、涙を誘います。
駅名標の設置は嬉しいですね。
歌志内、私が存在を知った頃は7000人くらいいました(それでも日本最小)が、なんと3000人を下回りましたか。良いところですが、特に産業もなく、今後も厳しそうですね。そんな場所でもスピード違反取締はしっかりやっていました。見どころは、温泉と雲海くらいでしょうか。雲海は感動しました。ここは人口は減っていますが、路線バスは1時間に1本程度は確保されており、交通はまだなんとか維持されていますね。しかし、ここまで人口が減るとどうなるやらですね。
人口はかなり減りましたが、夕張ほどは廃れていない印象でした。
@@hiroring0323 さん、たしかにそうですね。交通量もそこそこあり、「3000人の村」と考えれば栄えていますね。かもい岳温泉も古びてはいましたが、宿泊者は多かったです。(コロナ前です。)帰りに夕張市も通りましたが、夕張支線廃線前にも関わらず、夕張の方が悲壮感漂っていました。周辺に見どころ(鉄道関係・炭鉱関係が主ですが)も多いので、ここを見た人はぜひ足を運んでほしいと思います。
私も取り締まりやってるのを見て驚きました。地域では有名になってるようです。あの地点の取り締まり。安全運転に心掛けねば。
赤歌署のバカ警官がやってる速度取り締まり。交通安全に全く意味のない国庫納付金を集める為だけに利用されてるバカ警察。もっと車が通らなくなり過疎化が更に進む。
公開してくれてありがとうございます
鉄道の廃線と、街の衰退はどちらが先かではなく、同時並行的に起こるもので、基本は不可逆的なものなのでしょうね、、
人口3,000人未満では市とは名ばかりの状態ですね。財政難であることは容易に想像がつきますが、かつては炭鉱から掘り出される石炭産業で栄えていたことを伝えてくれる施設があるだけでもありがたいです。
現在の市制移行の要件が人口50,000人以上ですからね…
1割にも達してないのですか…
撮影お疲れ様でした。私、西歌駅近くに小学生の頃住んでいまして、住んでいた市営住宅が映っていて、本当に懐かしく思いました。当時通っていた小学校や図書館、近くにあった自動車学校の閉鎖は残念ですが、仕方ないですね。亀田商店は今もあるのか気になります。
沿線にお住まいだったんですね。当時とは随分変わってしまったんでしょうね…
亀田商店は今はデイサービスセンターになりました。
@@アズっちん そうだったんですね!息子さんが後を継がれたんでしょうか。亀田のひげのおじさん元気かなぁ
兄の方は自分と同級生ですが、札幌で古着屋をやってます。
撮影、編集お疲れ様でした。歌志内、温泉に入りに行ったことがあります。とっても良いお湯でした。近所の方達も来ていて町の銭湯みたいな感じでしたよ。炭鉱と共に発展し炭鉱と共に衰退した町。北海道にはよくある風景なのかも知れませんが、やはり寂しい気持ちになりますね。当時の音や空気に触れたくなります。関係ない話ですが今回の航空写真1976年の写真でしたね。私の生まれた年、今から45年前。ちょっと嬉しかったです。
貴重な動画をありがとうございます。労作でしたね。感謝いたします。九州も地底から北海道の炭鉱で働く人と日本を支えてきたのですが。エネルギー革命とやらに振り回されましたね。その是非はここでは議論しませんが。状況が落ち着いたら旅したいと思いました。
娘が歌志内で仕事していたことがあって、この街に行ったことがあります。なんとも言えない気持ちになる街でした。驚いたのが私の知見が乏しいのか農業を営む家が一戸もないということ。北海道の街で。さみしさいっぱい感じてしまいましたが、市役所の方たちはすごく頑張っているって聞きました。
山の中なので農業には向かないんでしょうね…歌志内市は頑張っている感じがしました。
農家が一軒もないとは意外な話ですね。同じ空知の万字炭山近辺はりんごやぶどうなどの有名な産地です。歌志内はそれ以上に炭鉱が繁栄して、まず沿線に炭住や炭鉱設備が隙間なく建設され、なおかつ鉄道の両サイドを山に挟まれ、農地に適した広い土地が確保できなかったという地形的な要因もあったのかもしれませんね。
近ごろワイン用のぶどう畑ありますにしても水田畑作には向かない地形ですし屯田兵や内地からの開拓民によって開かれたでわけではなく国策による財閥の炭鉱経営しだいの街ですからねぇ😊
@@雷やケン太 さん。ここらへんも果物生産に乗り出してきたのですね。道央道から眺めると、砂川~深川あたり、山寄りに果物らしき畑があるのが見えたりしますが、炭鉱地区での展開はあまり聞いたことありませんでした。
聞いた話ですが、最盛期には炭鉱が7つあって、急峻な坂の上までハーモニカ長屋が建っていたが、閉山により上の方から取り壊され、歌神の上の方を整備した結果神威岳スキー場ができたそう。一体どんなところに住んでいたのかと。
今更の駅名標、よく予算が出ましたね♪3000人ぢゃあ、本当、村レベルすよね。。。ゆめつむぎ、結構凄いすね★いつか有れば行ってみます♪
何度か歌志内には行っていますが、ゆめつむぎは初めて行きました。充実した展示で楽しめました~
@@hiroring0323 さん入場料は1万円程度で宜しいですかね?www
待ってました!歌志内もザ炭鉱町なので炭鉱が終わればこうなるのは必然的ですが…3000人くらいなのは知ってましたがピーク時は46000人いたなんて今の姿では想像できない…夕張と一緒やな…
人口がピーク時の1/15以下ですからね…夕張もそのくらい減っていたような…
昔、北海道に渡るもんは線路の分岐で思案したそうな。街で地道に稼ぐか、手っ取り早く金になる炭鉱と。で、金になる炭鉱へと行く人は多かったそうな。でも炭鉱事故がよくあった時代、そういう人たちの犠牲の上に成り立っている今の日本。
こんにちは。今現在に鉄道の痕跡を記そうという試みは嬉しいですね。あちこちに有りはしますが、やはり鉄道とは「心の拠り所」なんでしょうか。かつての物を残すならいざ知らず、記憶を残すだけで何の役にも立たないもの(生きていく上では)を新たに設けるという事を考えても、やはり人間には鉄道が必要なんです。とてもありがたい取り組みだと思います。いつもありがとうございます。
「子供の頃に鉄道に乗って連れていって貰った。」「通学でよく利用した。」という想い出があるからなのでしょうね。 でも、数十年後にそういう記憶や体験が無い世代の方が増えてきて、その後はどうなるのだろう❓と考えてしまうと寂しい気持ちになります。
@@織紙刹那-k7zさん。そうですよね。「昔ここに鉄道が通ってたんだ」「ふ~ん、それで?」で終わってしまいそうで怖いです。鉄道が一時代を支えたのは間違いない事ですが、日本の交通行政も道路に大きく傾いているので、都市部の近郊線、観光路線くらいしか残れないのでは?という気がしてしまいます。
地図で見てもすごいところにある市ですよね。寂れゆく中でも駅名標を設置して記憶を残そうとしている点は素晴らしいですね。
立地が良くないので、炭鉱閉山で人口流出が止まらないようです。駅名標を設置しようという動きは素晴らしいと思います。
自分にとって最初で最後の 歌志内線。長かった跨線橋も今はもう。その時は日没後で何も見えませんでしたが、ひろりんさんのお陰で、今それを。いつも ありがとうございます。
Google Mapで追いながら、拝見しました。楽しいドライブでした。
倍の人口の港町生まれですが、駅舎は廃線になったあとバスターミナルになりましたが今はもう線路も駅も撤去されてしまいました。昭和62年ぶりに実家に帰りましたが駅がだだっ広い野原になっていて心が乾燥しました。国鉄時代の硬券をバスに転用しており、終点までのを窓口で買うのが好きでした。
懐かしいね。母方がこの沿線だったので夏休みによく行ってた。歌志内線は本数少なくて砂川駅で結構待った記憶ある。昔の砂川駅って急行しか止まんなくてすごく不便だった。当時はまだ石勝線開通前だったから特急「おおぞら」とかライラックとかバンバン通過しまくってた。歌志内線は函館本線側のホームなんだけど上砂川支線はすっごい遠くてはるか彼方にホームがあったのを覚えている。
上砂川支線のホームだけ遠く離れた場所にありましたね~
動画ありがとうございます😄あちこちで歌志内市は過疎化進んでるて見かけます。元々炭鉱で賑わってたらしいので閉鎖されたら致し方ないとは思いますが寂しいですね😞
砂川駅で猫さんを見つける辺り、流石ひろりんさんですね。(笑)私の砂川駅の思い出と言えば、駅の西南に在る駐車場🅿ですね。駐車場🅿の料金は無料なのですが、駐車出来る台数が多くない事とバックでの駐車が下手なので利用する時はいつも苦労をしています。 歌志内線は、私が訪れた時は駅名標の「え」も枠も立っていませんでした。最近では、グーグルマップを利用していますが、遺構は何も遺っていないので、正直、「この辺りなのかな~」と模索や考えながら散策しています。駅址にモニュメントや駅名標を設置して戴けるのは本当に有難いです。 それにしても、駅址のモニュメントのみを撮影して去る方が居る中、歌志内・郷土館「ゆめつむぎ」はともかく、5:08 「サイクリング レストハウス」もしっかり探索・撮影されているのは、流石❕ ひろりんさんですね。 話は歌志内線の事ではありませんが、郷土館「ゆめつむぎ」の裏手で、更に空知炭鉱側にスギ科のメタセコイアが植えられていました。この木は、石炭に成る木と言われているらしいです。
どこに行っても猫さんを探してしまいます…
いつも丁寧な動画をありがとうございます😀歌志内まで原野に還った場所が1つもなくて意外と思っていたのですが、営業運転していなかった空知炭鉱でまさかのフェイントおっふ😅自治体の性格が現れるのかもしれませんが、令和になってから駅名標を新設したりサイクリングロードを整備したりと、背伸びせずに財政を有効活用して街を維持し、鉄道の軌跡を伝えていこうという姿勢が嬉しいです。
人口は少ないですが、それほど廃れた印象はありませんでした。駅名標設置の試みは嬉しいですね。
北海道シリーズやっぱり好きです
今年秋に一人で歌志内に会いに行きました!空知炭鉱から石炭運んで蒸気機関車が煙を吐いて走っていました!自分の住んでた家も面影なく苦しい気持ちで帰宅しました!ありがとう!
@@mitsueoouhida1277 歌志内の街も当時とは随分雰囲気が変わってしまいましたね…
懐かしいですね。小学生の頃自治会でスキー研修で神威岳スキー場行きました。年に一回くらい友達とスキー担いでみんなで行きましたね。その頃は降りると大勢のスキー客で賑わってましたね。学校でも神威岳スキー場でしたので、年に何回も行きました。一時期倒産したり大変な情勢とは思いますががんばって欲しいですね。確か3斜面くらいで間違えると降りれるかなと恐怖するくらいの急斜面も有りました。そこをなめ猫世代の私達の一人が直下行で挑み途中で二回転してそのまま落ちて行ったのも今は笑えるけど、一つ間違えたら一生の汚点でしたね。
なめ猫世代でしたか~
初めまして。私の母方の祖父母が歌神駅の近くに住んでおり、両親と厚別駅から列車に乗って遊びに行った幼少の頃の記憶があります。とても懐かしく拝見しました。
初めまして。当時と比べると随分変わってしまったんでしょうね…
歌志内線と上砂川支線は,網走からの「急行大雪」(夜行)で砂川に来て,歌志内線⇒中央バス⇒上砂川支線と乗り継ぎました。その後歌志内線が先に廃止されたため,上砂川支線だけをもう一度乗りに行きましまね。歌志内線廃止の頃に,人口が一万人を切り,市制返上も検討されていた程でした。しかしその後の自治体合併でも合併はなく,市制もそのままですね。市の財政がどうなのか,眺めてみたいと思います。(一応元地方公務員)
夕張と圧倒的に違うところは、完全原野オッフ駅がなかったこと、駅名標を設置して駅跡を残す努力をしてるということでしょうか。ただ近未来、史上初の三桁人口の市になりそうな気がすることを考えると、この先どうなることやら…
石炭産業の衰退で貨物輸送が衰退、廃止、旅客は自家用車やバスに移行されて旅客輸送も衰退、やがて路線そのものが廃止と北海道の鉄道の栄枯盛衰の歴史に漏れなかった路線になりますね。慰めは遺構が色々残されていたり、駅名標を設置したりしている事になるでしょう。毎度ですが取材、編集、配信お疲れ様でした。ありがとうございます。
ひろりんさん、お疲れ様です。かって栄えた街も、ずいぶんさみしくなりましたね。残ってる家も、空き家率高そうですね。でも、なんらかの形で、ここに鉄道があった証を残してくれるのは、嬉しいですね。人口三千人切っても、市として機能してるのか心配です。
駅跡に駅名標を設置するという試みは嬉しいですね。既に限界自治体なので人口が増えることは無さそうなので、心配ですね…
歌志内線はどんな車両が走っていたんでしょうね...想像が出来ませんでした...歌志内市はいつ廃墟になってもおかしくありませんね...長く続いてほしいと願うばかりです...
これは上砂川も同様ですが砂川が近いだけに意外と粘れるのではないかと。それ故、歌志内線も上砂川線も札沼線と違って最後まで「住民の足」としてはそれなりに機能はしてたんだよなぁ。この2つが消滅する時は多分中空知全体がなかなかな状況になっているかと。
私が居た当時はまだ炭鉱があり滝川機関区のD51が石炭列車を引っ張っていました。途中からDD51のディーゼルに変わりましたけど。旅客列車はお決まりのキハ22が始発から通学時の2便は3両編成。そのほかの時間は2両でした。そのうちキハ40に変わり最後は1両で走ってました。
3000人で市が成り立っているのがすごいな。
3000人以下の人口だと、村から町の移行条件も満たしていませんからね…
@@hiroring0323今は上湧別町と合併した湧別町ですが、名寄線や湧網線が健在だった頃にも上湧別や遠軽との合併話があったのですよね。もしその当時合併が実現していれば市になっていたかも知れません。
祖母が住んでいたので今でも墓参りなどで訪れますが鉄道はなんとなく記憶にあります。
私は残念ながら歌志内線には乗ることが出来なかったのですが、上砂川支線は廃止の1週間前になんとか乗ることができました。その時、上砂川駅近くで、砂川~上砂川~歌志内という経路を通るバスのバス停があることに気づきました。そのバス停のポールからこの路線は1時間に3本もバスがあることが分かり、歌志内線転換バスはかなり充実したものだなという印象でした。しかし、これも 1994年のことですので、今は違うのでしょうね。
砂川~上砂川~歌志内~赤平のバス、今でも1時間1本運行中です。歌志内のチロルの湯に行くこともできます。
@@FAnneMarry そうだったのですね。湧網線や天北線等は転換バスすら一部廃止になっている様ですが、歌志内線転換バスは頑張っているのですね。ひろりんさんのこの動画でも「おっふ」は歌志内線沿線ではありませんでしたし、まだ街の形が残っている様でよかったなと思いました。
歌志内市は中々大変そうですね。でも鉄道の記憶を残そうとしてるが涙ぐましい努力に見えます。
歌志内市は頑張っているようなので、応援したいですね。
鉄道で発展した街は、廃線になると街も衰退するんですね。各自治体が、駅名標示板を設置してくれている事は、この路線に愛着がある表れでしょうね
えーっと、96年当時全線徒歩踏破時の話を… 長文になりますがご容赦ください当時は廃線8年後だったので結構遺構が残っていました焼山駅跡は恐らく今と同じです、サイクリングロード開始地点の休憩所が新設されていましたね文珠駅は築堤上に北海道によくある万字線万字駅タイプの駅舎が残っていた気がしますホームもありました西歌駅も確か駅舎は残っていたかなぁー青色トタン屋根の、当然中には入れませんでしたが神威駅は駅舎内に神輿みたいのがあったかな、相対式ホームもあった気が歌神駅はアスファルト敷きのホームが残っていて待合いもあったかなで、終点歌志内駅ですが、駅跡は郵便局になったのは変わっていませんがバス停だけで何もないことはなく当時はバスターミナルがあったのですよただ、96年当時既に売店は閉鎖されシャッターは降りていましたもっと書きたいことはありますが長くなるのでとりあえずまとめて書きました簡単ですが途中チロルの湯には入りましたw
徒歩で走破されていましたか!遺構が残っているときに行ってみたかったですね。
3年前に辿りましたけど、今以上に何もありませんでした。駅名表示板が立っただけでも進歩ですね。歌志内駅跡は近くにタクシーの営業所があったので、この辺りに駅があったのだろうなと想像できました。立坑櫓が残っていたのが嬉しかったです。
町おこし協力隊さんの発案で駅名標の設置が行われたようです。ほとんどの炭鉱施設が撤去された中、立坑櫓が残っているのは嬉しいですね。
1988年ってつい最近の事と思ってましたが、時の流れは思ったより早いようです。
時の流れは早いですね…
横から失礼します。北海道にとって、黒いダイヤが無くなってからのそれは、花の色 の 様なものだったのかも。
歌志内線は独立していたからお取り潰し、上砂川支線は函館本線の支線だったから残った、両者にさほどの違いはないはずなのに…と宮脇俊三先生が嘆いておられましたが、上砂川支線も長くはなかったですね…。
ほぼ同じところを走っていた路線でしたが、路線名のおかげで上砂川支線は歌志内線より6年延命されましたね。
奥さんの実家が歌志内なのでこの15年ほどは毎年夏に通ってました。廃線跡も巡りましたが毎年建物が減ってるのをひしひしと感じていました。「ゆめつむぎ」はいい施設なのでおススメです。あと、道の駅併設の温泉も。実は歌志内~小樽間が北海道で初めて敷かれた鉄路だったのですよ。廃線とは少し違いますが、焼山近くの砂川ループ橋も紹介すればよかったのに。
あのループ橋も凄いですね…
なんだか、郷愁を感じるとっても素敵な動画ですね(*^^*)!これからも、動画投稿を無理せず、頑張ってくださいね!楽しみにしています。
ありがとうございます!これからも頑張ります!
北海道の廃線は多いですね。私の母の実家も無人駅になり駅前の商店街が無くなっていました。何か子供の頃記憶が無くなったようで悲しくなりました。
寂しいですね…
自分の父もかつては炭鉱夫で、反対側の赤平炭鉱勤めでしたが、空知炭鉱までヘルプで行ったり逆にヘルプが来たり等の話はしておりましたね。夕張や三笠等も結局炭鉱無しでは成立し得なかった街ですが、炭鉱夫という様々な事故の尽きない職種であることと時代の潮流から遅れてしまい廃坑→人工流出→廃線という流れは変えられないのかな…と思ってしまった次第です。。。
「鉄道目線」でしか見ていなかったのですが、歌志内~赤平間は直線距離でほんの3km程度というのが驚きでした。鉄道で両駅間を巡ると乗換や待ち時間で2時間近くかかったようです。一方、旧文殊駅と旧上砂川市内もたった1kmで、こちらは車で山越えしたことありますが一瞬でした。鉄道営業当時は路線バスも走っていたようですので、うまく使えば乗りつぶしの裏技になったのかと思われます。
@@Su---- まだバス路線あるのかな?歌志内線や上砂川線が廃線になった頃、中央バスで「砂川~上砂川~歌志内~赤平」という系統が、そこそこの本数で走ってた記憶が。
自動車学校跡が、何とも寂しそうに見えました。
原形が残っているだけに、寂しいですね…
行ってみたい!早い時期に行きたい!貴重な情報を有り難うございました。投稿日:2021-09-11。
西歌、神威、歌神の駅跡に駅名標も設置されて、歌志内の資料館も見応えがあるので巡った甲斐がありました。
「歌神」駅、意味があるかと思ってしまいました。歌志内線の跡が何も残っていないのは寂しいですが、郷土館に遺構が集められていて、今でも見ることが出来るのは良かったですね。
歌志内線は遺構が残っていないので、後回しになっていたんですよね。郷土館は見応えがあって良かったです!
m1022000さんへ・今日9月15日に、あなたのコメントを拝読しました。歌神(かしん)駅は、歌志内と神威の間に位置する事から各々の頭文字を取りこう名付けられたと、ひろりんさんが明かされたそうです。中央線の国立駅の名付け(国分寺と立川の間に有るから)のパターンと同じですね。あなたが、記念(郷土)館の存続を支持されるというお考えに私も賛同します。
もはや私も記憶が微かなんだけど、確か昔はドサ回りの演歌歌手が必ずここに詣でていたらしい。
駅名からほんの一時期「美唄」→「歌神」の切符がブームになりました。私は当時の逆「歌神」→「美唄」の簡易切符(硬券)ではないものを持っています。
確か歌志内線って最高の営業係数62とかと言う東海道新幹線並みの収益だとかと聞いたことあります。3番線っていくらか定期も来てたような気もします、あとそこから見える側線も途中でひっぺがされてるんですよね。初めてホーム入ったのは最近ですが2年前自転車で来たときはクリスタルのビラありました
歌志内市立図書館は建物の老朽化か規模縮小かで近隣のコミュニティセンターに移ったみたいですね。財政が苦しくなっても行政サービスを残そうと努力してくれるのはありがたい限りです
歌志内市は頑張っている感じがしますね。
歌志内駅周辺は確かに建物は減ってはいますが建物がほとんど残ってない状況ではなくある程度建物が集まった状態に感じますね
車の交通量はそこそこ有るから、悲惨な状態にはなってない感じ。
1982年に東北新幹線開業のさいに出た「大宮駅から乗る女」の、秋庭豊とアローナイツのメンバーの皆さまは、実は歌志内市の炭鉱夫出身だったと知るやビックリでした。
懐かしいですね!昔、祖父母が砂川の焼山に住んでた関係で歌志内線の存在は知っていましたから。✌️🤓
焼山辺りも当時とは随分変わりましたね。
ひろりん氏の動画を見る時は古い時刻表と一緒に見てるんやけど歌志内線は1ページ内に函館本線の一部、胆振線の上り、万字線と一緒くたで笑ってしまった砂川の次の焼山っちゅう駅、下りの2本と上り2本が通過してるが不思議やわ午後に小樽始発で函館本線内は停車駅が急行かむい並みの歌志内行き快速とか興味深い当然、線内は各停やけど沿線用務客の便を図ったんかな
こんばんは😃🌃歌志内線ですかまたまた北海道嬉しいです。歌志内市人口もかなり減ってしまいました。でも頑張って欲しいですね。歌神駅が好きでした(*^^*)関係ないお話ですが夕張のスキー場今年はオープン出来そうです。ホテルは無理ですが。少しだけ明るい話題が出来ました。何時もお疲れさまです
歌志内市には頑張ってもらいたいですね。ようやく夕張にも明るい話題が出てきましたか。
もう歌志内市は3000人ですか、S56年頃で人口が10000人を下回ってました、昔は駅に石炭貨車が列が沢山止まってましたね、バス本数も多くて賑やかだったのに夕張市以上に厳しいと思います。
今年に入って3000人切ってしまいましたね…
駅前の郷土館「ゆめつむぎ」の名称が、あまりにも哀しい「儚い過去の夢を紡いで思い出している」ようで......
歌志内を現しているような名前で…
人口3,000人の自治体ですが、札沼線沿線ですと、月形町とほぼ同じです(参考:当別町は15,400人=札幌のベッドタウンですから例外的ですね。浦臼町は1,700人、新十津川町は6,500人)。なお、月形町の人口に、刑務所の受刑者が含まれているか迄はわかりません。そんな歌志内市ですが、同じくかつては炭鉱で栄えた夕張市や三笠市と共に、そんなに遠くない将来、自治体そのものが消えてしまうのではないでしょうか。廃線跡をサイクリングロードに転用している例はあちこちにありますが、道北の方では、そのサイクリングロードそのものが維持出来なくなって荒れ果てているのを見たことがあります(ここの動画だったかどうかは忘れましたが)。財政が厳しい歌志内に於いて、それを維持するのも大変だろうと思います。自動車学校の廃墟は、全国にあるみたいです。少子化の影響もあって、首都圏でも例外ではありません(跡地はマンション等になったりしますが)。信号機の白と緑の背面板は、今となっては珍しいですね。この動画で一般道路にある信号機も映っていますが、かなり年季が入ったものばかりですね。もっとも、北海道は寒いので、電球の熱で雪が溶けないLEDの信号機は普及しにくいと聞いたことがあります。旧西歌駅跡にあるなんだか分からない石碑こそが「旧西歌駅跡地の碑」ではないでしょうか。旧歌志内駅跡、終着駅だったのですから、せめて石碑か銘板くらい設置して欲しいところです。
昔の写真を整理してたら、上砂川支線の砂川駅4番線やそれに続く跨線橋の写真が出てきた。3番線を越えたところで一段下がって板張りになってたことも写真見て思い出した。いまは4番線やその跨線橋も跡形もないんですね。涙
今はあの長い跨線橋もぶった斬られて、上砂川支線の4番線も跡形も無く…
出来るのなら、その写真、観てみたいですね。
14:30左下にあった学校らしきものが失くなっていて、やっぱ鉄道は町の発展に欠かせないものなんだと認識させられた感じがします
歌志内は、住民少いですが、交通量は多いですよね😅出身地夕張より人口少いですが、街は歌志内の方が栄えてるように見えますね
歌志内市内は交通量は多いですね。人口は夕張の半分程度ですが、あまり廃れた印象は無いですね。
上砂川線は乗る事が出来たのですが歌志内線は廃止されていたので砂川駅でなのこりを探したのを覚えています
歌志内市の栄枯盛衰は石炭と密接な関係あるのは石炭に頼ってきた町は何処も同じ。歌志内はスイスの町並みを模した美しい町なのだが産業が無さすぎる。ベッドタウンとして…近くの町も似たような石炭の町。露天掘りはしてるが輸入炭とコストの面で拮抗出来ないのであろう。石炭の町が甦るのはまた石炭需要が右肩上がりで増えてまた石炭を掘るしかないだろう。
国内トップクラスの馬具、革製品メーカーソメスサドルの創業地ですねこの会社は一昨年?ぐらいに市街に移転してしまいましたが…
基幹産業も無くなって、農地は減反の影響からか、農業では食っては行けない時代、そんな事、実はカラーの航空写真が撮られた70年代には既に判ってたんですよね、一部は。
炭鉱に依る街と運炭鉄道は、さすがに炭鉱自体が無くなってしまうとにっちもさっちもいかなくなってしまいますね。「ゆめつむぎ」も維持ができるのかどうか怪しいような気がします。それにしても今になって駅名標設置とは、どういう風の吹き回しなのだろう。
ゆめつむぎは僕も200円(だったような)出して入館しました。中々充実した内容で良かったです。
充実した展示内容で200円なら大満足でした。
歌志内線についてですが、バス停留所前の会館ですか。ここをバスターミナルと思う人がいるかも?あとは私も歌志内駅跡を教えてもらった時この辺り一帯との返答がバス停留所向いの家の人に教えてもらいました。ここはバス路線が砂川ー上砂川ー歌志内回り赤平行きがあり、鉄道と競っていました。今も健在ですがバスもかつてのドル箱路線も客は減るかなです?鉄道路線代替バスの焼山回り歌志内行きは廃止でしょう。鉄道もバスも路線の7割ほど?が乗らないと言う結果かなと思いました。廃止前に全国放送のTVドラマ昨日悲別での舞台になったのですが、悲別浪漫座も今は悲しげか?以上です。
遠く九州に住む私にとっては、「うたしない(歌志内)」や「そらち(空知)」は旅情がそそられる地名ですね。
北海道らしい地名ですよね。
そういえば昔、北海道?に幸福駅とかなかったですかねぇ。今も電車走ってるのかな。
幸福駅は北海道の広尾線の駅でしたが、1987年に廃線になっています。廃線後に駅跡は保存され、現在も観光名所でお土産屋さんなどもあります。
@@hiroring0323 さん駅舎は廃線・廃駅後に一度建替えられたと思います。駅前のお土産屋さんには、「愛国 ⇒ 幸福」と「幸福 ⇒ 愛国」とのセットに成った硬券が購入出来ます。 以前、3連休明けに訪れた時は、「昨日までは、(カップルの)お客さんがいっぱい(多く)来てました。」とお話をされていました。私は何度か訪れた事があるのですが、その時は、年配の女性がお店に立っておられたのですが、ある日に訪れた時は、年配の男性が接客されていました。「(いつもの方は)どうしたのだろう❓」と思いましたが、お伺いする事は出来ませんでした。 客車列車も静態保存されています。板張りのホームも健在です。ある年に訪れた時は、線路の間から木がそれなりの高さまで成長。その後に訪れると、その木は無くなっていました。数人で客車内を掃除している方々にも遭った事があります。(恐らくですが、あの木を伐ったのもこの方々かもしれません。)週に一回来て、掃除などをされているのだか。廃線・廃駅に成ったとはいえ、その後の維持管理は大変なんだなぁ。と感じました。本当に頭が下がる想いです。
急速な人口減少とは裏腹に、炭鉱住宅はかなり残っている感じですね。人口を考えると無人の建物もかなり多いはずですが、歌志内市の財政では取り壊す余裕もないのでしょうね…
僕が中学生だった数年前は5000人はいた記憶があるんだけど、、、めちゃくちゃ減ってるな
急激に減っていますね…
炭鉱で栄えた街もいまや市の人口が3000人しかいないこれじゃいつ街がなくなってもおかしくないやはり北海道の鉄道は炭鉱によって栄え閉山になると急激に人が減って鉄道も廃止になって線路や駅舎ホームもなくなり道路に変わってしまいかなり寂しくなりますね。
歌志内に限らず空知エリアはきついところ多いですからねぇ。
すべてのエリアなどにもインターネットラジオが聞けちゃいますのが本当ですよ。
人口は都市部に集中、地方は衰退。あと10年後、20年後にはどうなるんでしょうか?森林が広がるならまだいいのですが、山々には延々続くソーラー発電とかになると目も当てられません。特に北海道は中国人が投機目的?で土地を買い漁っているので、今の日本のザル法では心配です。
かつての街がソーラーパネルになってしまった所もありますからね…
水源地のある土地買い漁ってるとも聞きますね
普段北海道の廃線は何かしらが消えたりしてるけど歌志内線は駅名標が設置されたり集落消滅って事が無い…
北海道かつ人口最少の市ですが、そこまで廃れている印象は無かったですね。(実際は廃れていますが)
西歌にしても神威にしてもそうは人家が減っていないような・・・鉄道が既にあてにされていなかった様子は伺えます。もっとも「市(し)」は「力士(りきし)」より過酷なんですよ。力士は負け越したら番付は下がりますし、横綱なら引退もできます。しかし市は昇格すると降格も引退も出来ず、市としての面目を保ち続けなければならないのです。
炭鉱街あるあるですね、立派な廃校があちこちにある。出身の幌内もそうですが、炭鉱で栄えた町は集落が点在しそれぞれに学校がある。長屋がびっしり建っていた斜面も自然にかえっています。寂しいですね。
幌内のご出身でしたか。北海道の旧炭鉱街は厳しいですね…
今も残る長屋のような建物は、炭住でしょうか。建物だけで住人はなし、かも知れませんね。夕張と、市として存続できなくなるのはどちらが先か、それだけは避けたいと踏ん張ろうという感じがします。
線路も駅もなくなってしまうのはとても淋しい限りです
何かしら残っていれば観光資源にもなったんでしょうが…
夕張より人口が少ないとは、知りませんでした。でも夕張と比べても廃れてはないですね
人口は夕張の半分以下ですね…夕張のように廃墟が街中に無いので、廃れた印象はあまり無いですね。
@@hiroring0323 財政的に仕方ないのかもしれないですが、それでもあの廃れ方はスゴいですよね...
@@botoku4545 市街地であれだけ廃れている所は珍しいですよね…
夕張は市街地を分散させすぎたのが原因…
北海道はどんどん地方から廃線になってきますね
その内大都市間連絡線以外無くなりそうですね
@@豪-t6u さん札幌市に一極集中、地方は過疎。新幹線を延伸するという話がありますが、それが無意味に成って来るのでは❓と思わされます。 人口は「密」よりも、適度にバラけていた方が好いように思います。
多分将来的には千歳線以外は廃線になる
@@織紙刹那-k7z 北海道の広さと人口を考慮すると札幌市もバラけている方だと思いますよ、本州の都会と比べてまあ2位の旭川ですら札幌に対抗するのは不可能なレベルなので1地域に集中させすぎているというのは間違いなく、3箇所ぐらいいい勝負のできる市町村があれば広さも生かせるのになとは思いますが
幹線の特急退避の為に盲腸線は廃線になっている例も多く、国鉄の赤字の大きさが手に取るように分かりますね。
上砂川支線の在りし日には、急に跨線橋が木造校舎の廊下のようないで立ちで、「上砂川方面へお越しの方はこの先にお進み下さい」と書かれた額のような案内が掲げられていました。
ゆめつむぎ行ってみようと思いました。まだ緊急事態宣言下なので明けたら🚙💨💨💨
歌志内市や夕張市を見ていると、かつて、炭鉱で栄えた街なのに寂れ具合が…
賑やかだった時代があっただけに寂しいですね…
もし戦争でも起きて石油も石炭も液化ガスも輸入出来なくなったりしたら、コストとか言ってられずに国内で石炭掘らないといけなくなるのでは?なんて時々思います。炭鉱や鉄道がもう一度必要とされたりして
国内にはまだまだ石炭が埋まっていますからね。
北海道の他の自治体も歌志内みたいな状態に近いところ多いのだろうな…(札幌等除く)
北海道だと札幌近郊以外はこんな場所が多いですね…
ここに来たか(笑)バリバリ夕張と同じで、炭鉱閉山からの人口流出・・・・・一部のマニアには、大人気なんですがね~(廃墟マニア)セコマも、24時間営業やってないみたいだし、市の合併も失敗したし(どこも引き受けてもらえない)関西人目線では、かしまし娘の庄司歌江さんの出生の地で有名W(かしまし娘知ってるかな~)
歌志内市は高齢化率50%を超えました。人口の半分以上が65歳以上。出生数は20人弱/年、残酷な自然減に見舞われています。これから来る冬の期間は、とんでもない降雪量。あちこちの空き家屋が雪で倒壊させられています。私達が生きている間に、人口がゼロとなるか廃市になるか。
歌志内市も限界自治体ですからね…立地も気候も良くないので厳しいですね…
砂川駅には猫ちゃんが厳しい自然の中生きているんですねえ・・・「北の猫から」です。
「歌」つながりでご存命中に三遊亭圓歌師匠にお越しいただくイベントがあってもよかったですね。「しんおおくぼ~」じゃなく「うたしない~」ってアナウンスしてもらうとか。
あそこにセキが所狭しと並ぶ姿を一度は見たかったものです
全盛期は石炭満載のセキが屯していたんでしょうね。
おっふ要素が無いと思われた砂川駅、駅舎改築中で予想外のオッフ…。
まさかの駅舎改築中…
歌志内市の人口が3000を切ったとは…やはり、元炭鉱の町はそうなってしまうのかしら。北海道の鉄道もこれからどうなるやら。留萌本線は廃止確定したのかしら?根室本線の災害運休区間も復旧する兆しはない。将来は、北海道新幹線が札幌延伸したら、函館本線さえも存続が危うい。
留萌本線は廃止に反対している自治体がありますが、もう風前の灯ですね。函館本線山線はバス転換が濃厚です…
炭鉱なら九州北部の鉄道もだいぶん整理されましたね。
歌志内市は、りょーゆーが撤退するなどスーパーマーケットすら無くなってしまって、今やセイコーマートが貴重なスーパーの代わりとなりました。「セイコーマートは、道民の誇り」というコメントをよく見かけますが、地域の台所にもなる姿はまさに誇りです。
スーパーマーケットも無くなっているんですね…
北海道ならどんな過疎地にもあるセイコーマートはやはり偉大ですね。
くるまがあれば砂川のふじスーパーに買い物に出ているのかなと思います
バスもあるしね
@@hiroring0323 占冠村にはセイコーマートも無くなってしまいました。
セイコーマートではありませんが、湧別町芭露にあった農協の店舗もスパー→ハマナスクラブになっていましたね。
本当にキツい財政状況でも、駅の記憶を、今日現在でも残そうとしてくれているので、市の方々が頑張ってくれていますね。。。
こういうのがあると訪れてみたくなりますね。
北海道の その時 が見られる良い動画ですね。ありがとう。
今から40年くらい前かな、祖父が歌志内の炭鉱マンで、小学生だった頃夏休みにはよく遊びに行きました。当時は手稲始発歌志内行きの直通列車があり弟と二人で行ったのを覚えてます。でも列車で行ったのは後にも先にもその一回だけ。砂川からバスの方が利便性良かったもんなぁ。色んな思い出のある街、これからも応援します。動画ありがとうございました!
手稲から直通列車もあったんですね。
歌志内市は頑張っているようなので、私も応援します!
空知炭鉱以外の場所は「おっふ」状態ではなく、堅実でミニマムな市政運営をされている様子がうかがえますね
旧沿線の様子から、市民の皆さんが歌志内市を大切しておられることが伝わってきます
やっぱり「歌志内の本気」はそこここに感じられ、栄枯盛衰感は否めないものがありますが…
いつも綿密な調査、お疲れ様です!
撮影ご苦労さまです。
昔はこの歌志内市も炭鉱があった時は今より人口が多かったのですね。
途中何カ所か道路沿いに駅名標あるのは珍しいです。
かつてここが炭鉱で栄えた所であり、石炭等を運ぶ歌志内線があった事を知る為には、いい物だと思います。
すべての廃線跡にもインターネットラジオが聞けちゃいますのが本当ですよ。
運炭路線の廃線ですので、てっきり「おっふ…」の連発かと思いきや寂れながらも市街地は残り
駅名標だけでも復元するという予想外のポジティブさに少し安心しましたが最後の炭鉱跡で特大の
おっふを喰らいましたw それにしても砂川駅に屯している猫が可愛いですね。遊んでくれますか?
人口は少ないですが、意外にもそれほど廃れてはいませんでした。
砂川駅の猫は遊んでくれませんが、いつも数匹いらっしゃいます。
@@hiroring0323 道北への大動脈な道央自動車道沿いの砂川はともかく、交通網から離れた地域の歌志内が寂れるのに任せず頑張っているのは応援したくなりますね。しかし猫さん
遊んでくれませんか…近所に遊んでくれる猫が最近はいないので猫成分が深刻に不足して
いますw
動画投稿お疲れ様です。
歌志内線の始まりの砂川駅の広大な敷地から漂うターミナル駅感。
駅名標を設置する動きは、鉄道が、ここにあったと言う事実を伝えてくれるので、涙を誘います。
駅名標の設置は嬉しいですね。
歌志内、私が存在を知った頃は7000人くらいいました(それでも日本最小)が、なんと3000人を下回りましたか。良いところですが、特に産業もなく、今後も厳しそうですね。そんな場所でもスピード違反取締はしっかりやっていました。
見どころは、温泉と雲海くらいでしょうか。雲海は感動しました。ここは人口は減っていますが、路線バスは1時間に1本程度は確保されており、交通はまだなんとか維持されていますね。しかし、ここまで人口が減るとどうなるやらですね。
人口はかなり減りましたが、夕張ほどは廃れていない印象でした。
@@hiroring0323 さん、たしかにそうですね。交通量もそこそこあり、「3000人の村」と考えれば栄えていますね。かもい岳温泉も古びてはいましたが、宿泊者は多かったです。(コロナ前です。)帰りに夕張市も通りましたが、夕張支線廃線前にも関わらず、夕張の方が悲壮感漂っていました。周辺に見どころ(鉄道関係・炭鉱関係が主ですが)も多いので、ここを見た人はぜひ足を運んでほしいと思います。
私も取り締まりやってるのを見て驚きました。地域では有名になってるようです。あの地点の取り締まり。安全運転に心掛けねば。
赤歌署のバカ警官がやってる速度取り締まり。
交通安全に全く意味のない国庫納付金を集める為だけに利用されてるバカ警察。
もっと車が通らなくなり過疎化が更に進む。
公開してくれてありがとうございます
鉄道の廃線と、街の衰退はどちらが先かではなく、同時並行的に起こるもので、
基本は不可逆的なものなのでしょうね、、
人口3,000人未満では市とは名ばかりの状態ですね。財政難であることは容易に想像がつきますが、かつては炭鉱から掘り出される石炭産業で栄えていたことを伝えてくれる施設があるだけでもありがたいです。
現在の市制移行の要件が人口50,000人以上ですからね…
1割にも達してないのですか…
撮影お疲れ様でした。
私、西歌駅近くに小学生の頃住んでいまして、住んでいた市営住宅が映っていて、本当に懐かしく思いました。
当時通っていた小学校や図書館、近くにあった自動車学校の閉鎖は残念ですが、仕方ないですね。
亀田商店は今もあるのか気になります。
沿線にお住まいだったんですね。
当時とは随分変わってしまったんでしょうね…
亀田商店は今はデイサービスセンターになりました。
@@アズっちん
そうだったんですね!息子さんが後を継がれたんでしょうか。亀田のひげのおじさん元気かなぁ
兄の方は自分と同級生ですが、札幌で古着屋をやってます。
撮影、編集お疲れ様でした。
歌志内、温泉に入りに行ったことがあります。とっても良いお湯でした。近所の方達も来ていて町の銭湯みたいな感じでしたよ。
炭鉱と共に発展し炭鉱と共に衰退した町。北海道にはよくある風景なのかも知れませんが、やはり寂しい気持ちになりますね。
当時の音や空気に触れたくなります。
関係ない話ですが今回の航空写真1976年の写真でしたね。私の生まれた年、今から45年前。ちょっと嬉しかったです。
貴重な動画をありがとうございます。
労作でしたね。感謝いたします。
九州も地底から北海道の炭鉱で働く人と
日本を支えてきたのですが。
エネルギー革命とやらに振り回されまし
たね。その是非はここでは議論しません
が。状況が落ち着いたら旅したいと思い
ました。
娘が歌志内で仕事していたことがあって、この街に行ったことがあります。なんとも言えない気持ちになる街でした。驚いたのが私の知見が乏しいのか農業を営む家が一戸もないということ。北海道の街で。さみしさいっぱい感じてしまいましたが、市役所の方たちはすごく頑張っているって聞きました。
山の中なので農業には向かないんでしょうね…
歌志内市は頑張っている感じがしました。
農家が一軒もないとは意外な話ですね。同じ空知の万字炭山近辺はりんごやぶどうなどの有名な産地です。歌志内はそれ以上に炭鉱が繁栄して、まず沿線に炭住や炭鉱設備が隙間なく建設され、なおかつ鉄道の両サイドを山に挟まれ、農地に適した広い土地が確保できなかったという地形的な要因もあったのかもしれませんね。
近ごろワイン用のぶどう畑あります
にしても水田畑作には向かない地形ですし
屯田兵や内地からの開拓民によって開かれたでわけではなく
国策による財閥の炭鉱経営しだいの街ですからねぇ😊
@@雷やケン太 さん。
ここらへんも果物生産に乗り出してきたのですね。道央道から眺めると、砂川~深川あたり、山寄りに果物らしき畑があるのが見えたりしますが、炭鉱地区での展開はあまり聞いたことありませんでした。
聞いた話ですが、最盛期には炭鉱が7つあって、急峻な坂の上までハーモニカ長屋が建っていたが、閉山により上の方から取り壊され、歌神の上の方を整備した結果神威岳スキー場ができたそう。
一体どんなところに住んでいたのかと。
今更の駅名標、よく予算が出ましたね♪
3000人ぢゃあ、本当、村レベルすよね。。。
ゆめつむぎ、結構凄いすね★
いつか有れば行ってみます♪
何度か歌志内には行っていますが、ゆめつむぎは初めて行きました。
充実した展示で楽しめました~
@@hiroring0323 さん
入場料は1万円程度で宜しいですかね?www
待ってました!
歌志内もザ炭鉱町なので炭鉱が終わればこうなるのは必然的ですが…3000人くらいなのは知ってましたがピーク時は46000人いたなんて今の姿では想像できない…夕張と一緒やな…
人口がピーク時の1/15以下ですからね…
夕張もそのくらい減っていたような…
昔、北海道に渡るもんは線路の分岐で思案したそうな。
街で地道に稼ぐか、手っ取り早く金になる炭鉱と。
で、金になる炭鉱へと行く人は多かったそうな。でも炭鉱事故がよくあった時代、そういう人たちの犠牲の上に成り立っている今の日本。
こんにちは。今現在に鉄道の痕跡を記そうという試みは嬉しいですね。あちこちに有りはしますが、やはり鉄道とは「心の拠り所」なんでしょうか。かつての物を残すならいざ知らず、記憶を残すだけで何の役にも立たないもの(生きていく上では)を新たに設けるという事を考えても、やはり人間には鉄道が必要なんです。とてもありがたい取り組みだと思います。いつもありがとうございます。
「子供の頃に鉄道に乗って連れていって貰った。」
「通学でよく利用した。」
という想い出があるからなのでしょうね。
でも、数十年後にそういう記憶や体験が無い世代の
方が増えてきて、その後はどうなるのだろう❓と
考えてしまうと寂しい気持ちになります。
@@織紙刹那-k7zさん。そうですよね。「昔ここに鉄道が通ってたんだ」「ふ~ん、それで?」で終わってしまいそうで怖いです。鉄道が一時代を支えたのは間違いない事ですが、日本の交通行政も道路に大きく傾いているので、都市部の近郊線、観光路線くらいしか残れないのでは?という気がしてしまいます。
地図で見てもすごいところにある市ですよね。
寂れゆく中でも駅名標を設置して記憶を残そうとしている点は素晴らしいですね。
立地が良くないので、炭鉱閉山で人口流出が止まらないようです。
駅名標を設置しようという動きは素晴らしいと思います。
自分にとって最初で最後の 歌志内線。
長かった跨線橋も今はもう。
その時は日没後で何も見えませんでしたが、ひろりんさんのお陰で、今それを。
いつも ありがとうございます。
Google Mapで追いながら、拝見しました。楽しいドライブでした。
倍の人口の港町生まれですが、駅舎は廃線になったあとバスターミナルになりましたが今はもう線路も駅も撤去されてしまいました。昭和62年ぶりに実家に帰りましたが駅がだだっ広い野原になっていて心が乾燥しました。
国鉄時代の硬券をバスに転用しており、終点までのを窓口で買うのが好きでした。
懐かしいね。母方がこの沿線だったので夏休みによく行ってた。歌志内線は本数少なくて砂川駅で結構待った記憶ある。昔の砂川駅って急行しか止まんなくてすごく不便だった。当時はまだ石勝線開通前だったから特急「おおぞら」とかライラックとかバンバン通過しまくってた。歌志内線は函館本線側のホームなんだけど上砂川支線はすっごい遠くてはるか彼方にホームがあったのを覚えている。
上砂川支線のホームだけ遠く離れた場所にありましたね~
動画ありがとうございます😄あちこちで歌志内市は過疎化進んでるて見かけます。元々炭鉱で賑わってたらしいので閉鎖されたら致し方ないとは思いますが寂しいですね😞
砂川駅で猫さんを見つける辺り、流石ひろりんさんですね。(笑)
私の砂川駅の思い出と言えば、駅の西南に在る駐車場🅿ですね。
駐車場🅿の料金は無料なのですが、駐車出来る台数が多くない事と
バックでの駐車が下手なので利用する時はいつも苦労をしています。
歌志内線は、私が訪れた時は駅名標の「え」も枠も立っていませんでした。
最近では、グーグルマップを利用していますが、遺構は何も遺っていないので、
正直、「この辺りなのかな~」と模索や考えながら散策しています。
駅址にモニュメントや駅名標を設置して戴けるのは本当に有難いです。
それにしても、駅址のモニュメントのみを撮影して去る方が居る中、
歌志内・郷土館「ゆめつむぎ」はともかく、5:08 「サイクリング レストハウス」も
しっかり探索・撮影されているのは、流石❕ ひろりんさんですね。
話は歌志内線の事ではありませんが、郷土館「ゆめつむぎ」の裏手で、更に空知炭鉱側に
スギ科のメタセコイアが植えられていました。
この木は、石炭に成る木と言われているらしいです。
どこに行っても猫さんを探してしまいます…
いつも丁寧な動画をありがとうございます😀
歌志内まで原野に還った場所が1つもなくて意外と思っていたのですが、営業運転していなかった空知炭鉱でまさかのフェイントおっふ😅
自治体の性格が現れるのかもしれませんが、令和になってから駅名標を新設したりサイクリングロードを整備したりと、背伸びせずに財政を有効活用して街を維持し、鉄道の軌跡を伝えていこうという姿勢が嬉しいです。
人口は少ないですが、それほど廃れた印象はありませんでした。
駅名標設置の試みは嬉しいですね。
北海道シリーズやっぱり好きです
今年秋に一人で歌志内に会いに行きました!空知炭鉱から石炭運んで蒸気機関車が煙を吐いて走っていました!自分の住んでた家も面影なく苦しい気持ちで帰宅しました!ありがとう!
@@mitsueoouhida1277
歌志内の街も当時とは随分雰囲気が変わってしまいましたね…
懐かしいですね。小学生の頃自治会でスキー研修で神威岳スキー場行きました。年に一回くらい友達とスキー担いでみんなで行きましたね。その頃は降りると大勢のスキー客で賑わってましたね。学校でも神威岳スキー場でしたので、年に何回も行きました。一時期倒産したり大変な情勢とは思いますががんばって欲しいですね。確か3斜面くらいで間違えると降りれるかなと恐怖するくらいの急斜面も有りました。そこをなめ猫世代の私達の一人が直下行で挑み途中で二回転してそのまま落ちて行ったのも今は笑えるけど、一つ間違えたら一生の汚点でしたね。
なめ猫世代でしたか~
初めまして。私の母方の祖父母が歌神駅の近くに住んでおり、両親と厚別駅から列車に乗って遊びに行った幼少の頃の記憶があります。とても懐かしく拝見しました。
初めまして。
当時と比べると随分変わってしまったんでしょうね…
歌志内線と上砂川支線は,網走からの「急行大雪」(夜行)で砂川に来て,歌志内線⇒中央バス⇒上砂川支線と乗り継ぎました。その後歌志内線が先に廃止されたため,上砂川支線だけをもう一度乗りに行きましまね。
歌志内線廃止の頃に,人口が一万人を切り,市制返上も検討されていた程でした。しかしその後の自治体合併でも合併はなく,市制もそのままですね。市の財政がどうなのか,眺めてみたいと思います。(一応元地方公務員)
夕張と圧倒的に違うところは、完全原野オッフ駅がなかったこと、駅名標を設置して駅跡を残す努力をしてるということでしょうか。ただ近未来、史上初の三桁人口の市になりそうな気がすることを考えると、この先どうなることやら…
石炭産業の衰退で貨物輸送が衰退、廃止、旅客は自家用車やバスに移行されて旅客輸送も衰退、やがて路線そのものが廃止と北海道の鉄道の栄枯盛衰の歴史に漏れなかった路線になりますね。
慰めは遺構が色々残されていたり、駅名標を設置したりしている事になるでしょう。
毎度ですが取材、編集、配信お疲れ様でした。
ありがとうございます。
ひろりんさん、お疲れ様です。
かって栄えた街も、ずいぶんさみしくなりましたね。
残ってる家も、空き家率高そうですね。
でも、なんらかの形で、ここに鉄道があった証を残してくれるのは、嬉しいですね。人口三千人切っても、市として機能してるのか心配です。
駅跡に駅名標を設置するという試みは嬉しいですね。
既に限界自治体なので人口が増えることは無さそうなので、心配ですね…
歌志内線はどんな車両が走っていたんでしょうね...想像が出来ませんでした...歌志内市はいつ廃墟になってもおかしくありませんね...長く続いてほしいと願うばかりです...
これは上砂川も同様ですが砂川が近いだけに意外と粘れるのではないかと。
それ故、歌志内線も上砂川線も札沼線と違って最後まで「住民の足」としてはそれなりに機能はしてたんだよなぁ。
この2つが消滅する時は多分中空知全体がなかなかな状況になっているかと。
私が居た当時はまだ炭鉱があり滝川機関区のD51が石炭列車を引っ張っていました。途中からDD51のディーゼルに変わりましたけど。旅客列車はお決まりのキハ22が始発から通学時の2便は3両編成。そのほかの時間は2両でした。そのうちキハ40に変わり最後は1両で走ってました。
3000人で市が成り立っているのがすごいな。
3000人以下の人口だと、村から町の移行条件も満たしていませんからね…
@@hiroring0323
今は上湧別町と合併した湧別町ですが、名寄線や湧網線が健在だった頃にも上湧別や遠軽との合併話があったのですよね。もしその当時合併が実現していれば市になっていたかも知れません。
祖母が住んでいたので今でも墓参りなどで訪れますが鉄道はなんとなく記憶にあります。
私は残念ながら歌志内線には乗ることが出来なかったのですが、上砂川支線は廃止の1週間前になんとか乗ることができました。
その時、上砂川駅近くで、砂川~上砂川~歌志内という経路を通るバスのバス停があることに気づきました。
そのバス停のポールからこの路線は1時間に3本もバスがあることが分かり、歌志内線転換バスはかなり充実したものだなという
印象でした。
しかし、これも 1994年のことですので、今は違うのでしょうね。
砂川~上砂川~歌志内~赤平のバス、今でも1時間1本運行中です。歌志内のチロルの湯に行くこともできます。
@@FAnneMarry そうだったのですね。湧網線や天北線等は転換バスすら一部廃止になっている様ですが、歌志内線転換バスは頑張っているのですね。ひろりんさんのこの動画でも「おっふ」は歌志内線沿線ではありませんでしたし、まだ街の形が残っている様でよかったなと思いました。
歌志内市は中々大変そうですね。でも鉄道の記憶を残そうとしてるが涙ぐましい努力に見えます。
歌志内市は頑張っているようなので、応援したいですね。
鉄道で発展した街は、廃線になると街も衰退するんですね。
各自治体が、駅名標示板を設置してくれている事は、この路線に愛着がある表れでしょうね
えーっと、96年当時全線徒歩踏破時の話を… 長文になりますがご容赦ください
当時は廃線8年後だったので結構遺構が残っていました
焼山駅跡は恐らく今と同じです、サイクリングロード開始地点の休憩所が新設されていましたね
文珠駅は築堤上に北海道によくある万字線万字駅タイプの駅舎が残っていた気がしますホームもありました
西歌駅も確か駅舎は残っていたかなぁー青色トタン屋根の、当然中には入れませんでしたが
神威駅は駅舎内に神輿みたいのがあったかな、相対式ホームもあった気が
歌神駅はアスファルト敷きのホームが残っていて待合いもあったかな
で、終点歌志内駅ですが、駅跡は郵便局になったのは変わっていませんが
バス停だけで何もないことはなく当時はバスターミナルがあったのですよ
ただ、96年当時既に売店は閉鎖されシャッターは降りていました
もっと書きたいことはありますが長くなるのでとりあえずまとめて書きました簡単ですが
途中チロルの湯には入りましたw
徒歩で走破されていましたか!
遺構が残っているときに行ってみたかったですね。
3年前に辿りましたけど、今以上に何もありませんでした。
駅名表示板が立っただけでも進歩ですね。
歌志内駅跡は近くにタクシーの営業所があったので、
この辺りに駅があったのだろうなと想像できました。
立坑櫓が残っていたのが嬉しかったです。
町おこし協力隊さんの発案で駅名標の設置が行われたようです。
ほとんどの炭鉱施設が撤去された中、立坑櫓が残っているのは嬉しいですね。
1988年ってつい最近の事と思ってましたが、時の流れは思ったより早いようです。
時の流れは早いですね…
横から失礼します。
北海道にとって、黒いダイヤが無くなってからのそれは、
花の色 の 様なものだったのかも。
歌志内線は独立していたからお取り潰し、上砂川支線は函館本線の支線だったから残った、両者にさほどの違いはないはずなのに…と宮脇俊三先生が嘆いておられましたが、上砂川支線も長くはなかったですね…。
ほぼ同じところを走っていた路線でしたが、路線名のおかげで上砂川支線は歌志内線より6年延命されましたね。
奥さんの実家が歌志内なのでこの15年ほどは毎年夏に通ってました。
廃線跡も巡りましたが毎年建物が減ってるのをひしひしと感じていました。「ゆめつむぎ」はいい施設なのでおススメです。あと、道の駅併設の温泉も。実は歌志内~小樽間が北海道で初めて敷かれた鉄路だったのですよ。廃線とは少し違いますが、焼山近くの砂川ループ橋も紹介すればよかったのに。
あのループ橋も凄いですね…
なんだか、郷愁を感じるとっても素敵な動画ですね(*^^*)!
これからも、動画投稿を無理せず、頑張ってくださいね!楽しみにしています。
ありがとうございます!
これからも頑張ります!
北海道の廃線は多いですね。
私の母の実家も無人駅になり駅前の商店街が無くなっていました。
何か子供の頃記憶が無くなったようで悲しくなりました。
寂しいですね…
自分の父もかつては炭鉱夫で、反対側の赤平炭鉱勤めでしたが、空知炭鉱までヘルプで行ったり逆にヘルプが来たり等の話はしておりましたね。
夕張や三笠等も結局炭鉱無しでは成立し得なかった街ですが、炭鉱夫という様々な事故の尽きない職種であることと時代の潮流から遅れてしまい廃坑→人工流出→廃線という流れは変えられないのかな…と思ってしまった次第です。。。
「鉄道目線」でしか見ていなかったのですが、歌志内~赤平間は直線距離でほんの3km程度というのが驚きでした。鉄道で両駅間を巡ると乗換や待ち時間で2時間近くかかったようです。一方、旧文殊駅と旧上砂川市内もたった1kmで、こちらは車で山越えしたことありますが一瞬でした。鉄道営業当時は路線バスも走っていたようですので、うまく使えば乗りつぶしの裏技になったのかと思われます。
@@Su---- まだバス路線あるのかな?歌志内線や上砂川線が廃線になった頃、中央バスで「砂川~上砂川~歌志内~赤平」という系統が、そこそこの本数で走ってた記憶が。
自動車学校跡が、何とも寂しそうに見えました。
原形が残っているだけに、寂しいですね…
行ってみたい!早い時期に行きたい!
貴重な情報を有り難うございました。投稿日:2021-09-11。
西歌、神威、歌神の駅跡に駅名標も設置されて、歌志内の資料館も見応えがあるので巡った甲斐がありました。
「歌神」駅、意味があるかと思ってしまいました。
歌志内線の跡が何も残っていないのは寂しいですが、郷土館に遺構が集められていて、今でも見ることが出来るのは良かったですね。
歌志内線は遺構が残っていないので、後回しになっていたんですよね。郷土館は見応えがあって良かったです!
m1022000さんへ
・今日9月15日に、あなたのコメントを拝読しました。歌神(かしん)駅は、歌志内と神威の間に位置する事から各々の頭文字を取りこう名付けられたと、ひろりんさんが明かされたそうです。中央線の国立駅の名付け(国分寺と立川の間に有るから)のパターンと同じですね。あなたが、記念(郷土)館の存続を支持されるというお考えに私も賛同します。
もはや私も記憶が微かなんだけど、確か昔はドサ回りの演歌歌手が必ずここに詣でていたらしい。
駅名からほんの一時期「美唄」→「歌神」の切符がブームになりました。私は当時の逆「歌神」→「美唄」の簡易切符(硬券)ではないものを持っています。
確か歌志内線って最高の営業係数62とかと言う東海道新幹線並みの収益だとかと聞いたことあります。
3番線っていくらか定期も来てたような気もします、あとそこから見える側線も途中でひっぺがされてるんですよね。初めてホーム入ったのは最近ですが2年前自転車で来たときはクリスタルのビラありました
歌志内市立図書館は建物の老朽化か規模縮小かで近隣のコミュニティセンターに移ったみたいですね。
財政が苦しくなっても行政サービスを残そうと努力してくれるのはありがたい限りです
歌志内市は頑張っている感じがしますね。
歌志内駅周辺は確かに建物は減ってはいますが建物がほとんど残ってない状況ではなくある程度建物が集まった状態に感じますね
車の交通量はそこそこ有るから、悲惨な状態にはなってない感じ。
1982年に東北新幹線開業のさいに出た「大宮駅から乗る女」の、秋庭豊とアローナイツのメンバーの皆さまは、実は歌志内市の炭鉱夫出身だったと知るやビックリでした。
懐かしいですね!昔、祖父母が砂川の焼山に住んでた関係で歌志内線の存在は知っていましたから。✌️🤓
焼山辺りも当時とは随分変わりましたね。
ひろりん氏の動画を見る時は古い時刻表と一緒に見てるんやけど
歌志内線は1ページ内に函館本線の一部、胆振線の上り、万字線と一緒くたで笑ってしまった
砂川の次の焼山っちゅう駅、下りの2本と上り2本が通過してるが不思議やわ
午後に小樽始発で函館本線内は停車駅が急行かむい並みの歌志内行き快速とか興味深い
当然、線内は各停やけど沿線用務客の便を図ったんかな
こんばんは😃🌃歌志内線ですか
またまた北海道嬉しいです。
歌志内市人口もかなり減って
しまいました。でも頑張って欲しいですね。歌神駅が好きでした(*^^*)
関係ないお話ですが夕張のスキー場
今年はオープン出来そうです。
ホテルは無理ですが。少しだけ
明るい話題が出来ました。何時も
お疲れさまです
歌志内市には頑張ってもらいたいですね。
ようやく夕張にも明るい話題が出てきましたか。
もう歌志内市は3000人ですか、S56年頃で人口が10000人を下回ってました、昔は駅に石炭貨車が列が沢山止まってましたね、バス本数も多くて賑やかだったのに夕張市以上に厳しいと思います。
今年に入って3000人切ってしまいましたね…
駅前の郷土館「ゆめつむぎ」の名称が、あまりにも哀しい
「儚い過去の夢を紡いで思い出している」ようで......
歌志内を現しているような名前で…
人口3,000人の自治体ですが、札沼線沿線ですと、月形町とほぼ同じです(参考:当別町は15,400人=札幌のベッドタウンですから例外的ですね。浦臼町は1,700人、新十津川町は6,500人)。なお、月形町の人口に、刑務所の受刑者が含まれているか迄はわかりません。
そんな歌志内市ですが、同じくかつては炭鉱で栄えた夕張市や三笠市と共に、そんなに遠くない将来、自治体そのものが消えてしまうのではないでしょうか。
廃線跡をサイクリングロードに転用している例はあちこちにありますが、道北の方では、そのサイクリングロードそのものが維持出来なくなって荒れ果てているのを見たことがあります(ここの動画だったかどうかは忘れましたが)。財政が厳しい歌志内に於いて、それを維持するのも大変だろうと思います。
自動車学校の廃墟は、全国にあるみたいです。少子化の影響もあって、首都圏でも例外ではありません(跡地はマンション等になったりしますが)。信号機の白と緑の背面板は、今となっては珍しいですね。この動画で一般道路にある信号機も映っていますが、かなり年季が入ったものばかりですね。もっとも、北海道は寒いので、電球の熱で雪が溶けないLEDの信号機は普及しにくいと聞いたことがあります。
旧西歌駅跡にあるなんだか分からない石碑こそが「旧西歌駅跡地の碑」ではないでしょうか。
旧歌志内駅跡、終着駅だったのですから、せめて石碑か銘板くらい設置して欲しいところです。
昔の写真を整理してたら、上砂川支線の砂川駅4番線やそれに続く跨線橋の写真が出てきた。3番線を越えたところで一段下がって板張りになってたことも写真見て思い出した。いまは4番線やその跨線橋も跡形もないんですね。涙
今はあの長い跨線橋もぶった斬られて、上砂川支線の4番線も跡形も無く…
出来るのなら、その写真、観てみたいですね。
14:30左下にあった学校らしきものが失くなっていて、やっぱ鉄道は町の発展に欠かせないものなんだと認識させられた感じがします
歌志内は、住民少いですが、交通量は多いですよね😅
出身地夕張より人口少いですが、街は歌志内の方が栄えてるように見えますね
歌志内市内は交通量は多いですね。
人口は夕張の半分程度ですが、あまり廃れた印象は無いですね。
上砂川線は乗る事が出来たのですが歌志内線は廃止されていたので砂川駅でなのこりを探したのを覚えています
歌志内市の栄枯盛衰は石炭と密接な関係あるのは石炭に頼ってきた町は何処も同じ。
歌志内はスイスの町並みを模した美しい町なのだが産業が無さすぎる。
ベッドタウンとして…近くの町も似たような石炭の町。
露天掘りはしてるが輸入炭とコストの面で拮抗出来ないのであろう。
石炭の町が甦るのはまた石炭需要が右肩上がりで増えてまた石炭を掘るしかないだろう。
国内トップクラスの馬具、革製品メーカー
ソメスサドルの創業地ですね
この会社は一昨年?ぐらいに市街に移転してしまいましたが…
基幹産業も無くなって、農地は減反の影響からか、農業では食っては行けない時代、
そんな事、実はカラーの航空写真が撮られた70年代には既に判ってたんですよね、一部は。
炭鉱に依る街と運炭鉄道は、さすがに炭鉱自体が無くなってしまうとにっちもさっちもいかなくなってしまいますね。「ゆめつむぎ」も維持ができるのかどうか怪しいような気がします。
それにしても今になって駅名標設置とは、どういう風の吹き回しなのだろう。
ゆめつむぎは僕も200円(だったような)出して入館しました。中々充実した内容で良かったです。
充実した展示内容で200円なら大満足でした。
歌志内線についてですが、バス停留所前の会館ですか。ここをバスターミナルと思う人がいるかも?あとは私も歌志内駅跡を教えてもらった時この辺り一帯との返答がバス停留所向いの家の人に教えてもらいました。ここはバス路線が砂川ー上砂川ー歌志内回り赤平行きがあり、鉄道と競っていました。今も健在ですがバスもかつてのドル箱路線も客は減るかなです?鉄道路線代替バスの焼山回り歌志内行きは廃止でしょう。鉄道もバスも路線の7割ほど?が乗らないと言う結果かなと思いました。廃止前に全国放送のTVドラマ昨日悲別での舞台になったのですが、悲別浪漫座も今は悲しげか?以上です。
遠く九州に住む私にとっては、「うたしない(歌志内)」や「そらち(空知)」は旅情がそそられる地名ですね。
北海道らしい地名ですよね。
そういえば昔、北海道?に幸福駅とかなかったですかねぇ。今も電車走ってるのかな。
幸福駅は北海道の広尾線の駅でしたが、1987年に廃線になっています。廃線後に駅跡は保存され、現在も観光名所でお土産屋さんなどもあります。
@@hiroring0323 さん
駅舎は廃線・廃駅後に一度建替えられたと思います。
駅前のお土産屋さんには、「愛国 ⇒ 幸福」と「幸福 ⇒ 愛国」とのセットに成った硬券が購入出来ます。
以前、3連休明けに訪れた時は、「昨日までは、(カップルの)お客さんがいっぱい(多く)来てました。」とお話をされていました。
私は何度か訪れた事があるのですが、その時は、年配の女性がお店に
立っておられたのですが、ある日に訪れた時は、年配の男性が接客されていました。
「(いつもの方は)どうしたのだろう❓」と思いましたが、
お伺いする事は出来ませんでした。
客車列車も静態保存されています。
板張りのホームも健在です。
ある年に訪れた時は、線路の間から木がそれなりの高さまで成長。
その後に訪れると、その木は無くなっていました。
数人で客車内を掃除している方々にも遭った事があります。
(恐らくですが、あの木を伐ったのもこの方々かもしれません。)
週に一回来て、掃除などをされているのだか。
廃線・廃駅に成ったとはいえ、その後の維持管理は大変なんだなぁ。
と感じました。
本当に頭が下がる想いです。
急速な人口減少とは裏腹に、炭鉱住宅はかなり残っている感じですね。人口を考えると無人の建物もかなり多いはずですが、歌志内市の財政では取り壊す余裕もないのでしょうね…
僕が中学生だった数年前は5000人はいた記憶があるんだけど、、、
めちゃくちゃ減ってるな
急激に減っていますね…
炭鉱で栄えた街もいまや市の人口が3000人しかいないこれじゃいつ街がなくなってもおかしくない
やはり北海道の鉄道は炭鉱によって栄え閉山になると急激に人が減って鉄道も廃止になって線路や駅舎ホームもなくなり道路に変わってしまいかなり寂しくなりますね。
歌志内に限らず空知エリアはきついところ多いですからねぇ。
すべてのエリアなどにもインターネットラジオが聞けちゃいますのが本当ですよ。
人口は都市部に集中、地方は衰退。あと10年後、20年後にはどうなるんでしょうか?
森林が広がるならまだいいのですが、山々には延々続くソーラー発電とかになると目も当てられません。
特に北海道は中国人が投機目的?で土地を買い漁っているので、今の日本のザル法では心配です。
かつての街がソーラーパネルになってしまった所もありますからね…
水源地のある土地買い漁ってるとも聞きますね
普段北海道の廃線は何かしらが消えたりしてるけど歌志内線は駅名標が設置されたり集落消滅って事が無い…
北海道かつ人口最少の市ですが、そこまで廃れている印象は無かったですね。(実際は廃れていますが)
西歌にしても神威にしてもそうは人家が減っていないような・・・鉄道が既にあてにされていなかった様子は伺えます。もっとも「市(し)」は「力士(りきし)」より過酷なんですよ。力士は負け越したら番付は下がりますし、横綱なら引退もできます。しかし市は昇格すると降格も引退も出来ず、市としての面目を保ち続けなければならないのです。
炭鉱街あるあるですね、立派な廃校があちこちにある。出身の幌内もそうですが、炭鉱で栄えた町は集落が点在しそれぞれに学校がある。
長屋がびっしり建っていた斜面も自然にかえっています。寂しいですね。
幌内のご出身でしたか。
北海道の旧炭鉱街は厳しいですね…
今も残る長屋のような建物は、炭住でしょうか。建物だけで住人はなし、かも知れませんね。
夕張と、市として存続できなくなるのはどちらが先か、それだけは避けたいと踏ん張ろうという感じがします。
線路も駅もなくなってしまうのは
とても淋しい限りです
何かしら残っていれば観光資源にもなったんでしょうが…
夕張より人口が少ないとは、知りませんでした。でも夕張と比べても廃れてはないですね
人口は夕張の半分以下ですね…
夕張のように廃墟が街中に無いので、廃れた印象はあまり無いですね。
@@hiroring0323 財政的に仕方ないのかもしれないですが、それでもあの廃れ方はスゴいですよね...
@@botoku4545
市街地であれだけ廃れている所は珍しいですよね…
夕張は市街地を分散させすぎたのが原因…
北海道はどんどん地方から廃線になってきますね
その内大都市間連絡線以外無くなりそうですね
@@豪-t6u さん
札幌市に一極集中、地方は過疎。
新幹線を延伸するという話がありますが、
それが無意味に成って来るのでは❓と思わされます。
人口は「密」よりも、適度にバラけていた方が好いように
思います。
多分将来的には
千歳線以外は廃線になる
@@織紙刹那-k7z 北海道の広さと人口を考慮すると札幌市もバラけている方だと思いますよ、本州の都会と比べて
まあ2位の旭川ですら札幌に対抗するのは不可能なレベルなので1地域に集中させすぎているというのは間違いなく、3箇所ぐらいいい勝負のできる市町村があれば広さも生かせるのになとは思いますが
幹線の特急退避の為に盲腸線は廃線になっている例も多く、国鉄の赤字の大きさが手に取るように分かりますね。
上砂川支線の在りし日には、急に跨線橋が木造校舎の廊下のようないで立ちで、「上砂川方面へお越しの方はこの先にお進み下さい」と書かれた額のような案内が掲げられていました。
ゆめつむぎ行ってみようと思いました。まだ緊急事態宣言下なので明けたら🚙💨💨💨
歌志内市や夕張市を見ていると、かつて、炭鉱で栄えた街なのに寂れ具合が…
賑やかだった時代があっただけに寂しいですね…
もし戦争でも起きて石油も石炭も液化ガスも輸入出来なくなったりしたら、コストとか言ってられずに国内で石炭掘らないといけなくなるのでは?なんて時々思います。炭鉱や鉄道がもう一度必要とされたりして
国内にはまだまだ石炭が埋まっていますからね。
北海道の他の自治体も歌志内みたいな状態に近いところ多いのだろうな…(札幌等除く)
北海道だと札幌近郊以外はこんな場所が多いですね…
ここに来たか(笑)バリバリ夕張と同じで、炭鉱閉山からの人口流出・・・・・
一部のマニアには、大人気なんですがね~(廃墟マニア)
セコマも、24時間営業やってないみたいだし、市の合併も失敗したし(どこも引き受けてもらえない)
関西人目線では、かしまし娘の庄司歌江さんの出生の地で有名W(かしまし娘知ってるかな~)
歌志内市は高齢化率50%を超えました。
人口の半分以上が65歳以上。
出生数は20人弱/年、残酷な自然減に見舞われています。
これから来る冬の期間は、とんでもない降雪量。
あちこちの空き家屋が雪で倒壊させられています。
私達が生きている間に、人口がゼロとなるか廃市になるか。
歌志内市も限界自治体ですからね…
立地も気候も良くないので厳しいですね…
砂川駅には猫ちゃんが厳しい自然の中生きているんですねえ・・・「北の猫から」です。
「歌」つながりでご存命中に三遊亭圓歌師匠にお越しいただくイベントがあってもよかったですね。「しんおおくぼ~」じゃなく「うたしない~」ってアナウンスしてもらうとか。
あそこにセキが所狭しと並ぶ姿を一度は見たかったものです
全盛期は石炭満載のセキが屯していたんでしょうね。
おっふ要素が無いと思われた砂川駅、
駅舎改築中で予想外のオッフ…。
まさかの駅舎改築中…
歌志内市の人口が3000を切ったとは…やはり、元炭鉱の町はそうなってしまうのかしら。
北海道の鉄道もこれからどうなるやら。留萌本線は廃止確定したのかしら?根室本線の災害運休区間も復旧する兆しはない。将来は、北海道新幹線が札幌延伸したら、函館本線さえも存続が危うい。
留萌本線は廃止に反対している自治体がありますが、もう風前の灯ですね。函館本線山線はバス転換が濃厚です…
炭鉱なら九州北部の鉄道もだいぶん整理されましたね。