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あの有名な豊ヶ岡駅がなくなるのは寂しいです
ようこそ、新十津川へ…悲しいよー…新十津川駅…
新十津川駅舎も解体されてしまいました…
十津川警部シリーズで、テレビでやったそうですが、仕事の都合で、私は見逃してしまいました!小説版は大事に、残しておきます!
4年前までの3年間と2012年からの数ヶ月間、札沼線新川駅の近くに在住でした。朝早くに一日散歩きっぷを買い、娘と札沼線の旅で何度も全区間乗車を楽しんでました。その2012年の春には新十津川駅で降りたら、すぐ近くに建つ病院の職員託児所に預けられた3歳くらいの可愛い子供たちが祭ハッピを着て歓迎のために駅舎へ来て、チューリップの絵が描かれた、それはまた可愛いお手製うちわを下車した皆さんに配ってたのを思い出します。そのうちわは今でも保管してますが、手に取る度に新十津川駅の思い出が蘇ってきます。あの新十津川の子供たちはもう、中学生くらいになるのかな…とても印象が残ってる札沼線の思い出です。
西村京太郎さんの、小説のタイトルは、札沼線の愛と死、新十津川町を行くで、実際に十津川警部が新十津川駅に降りたんです!遂に解体された…
札幌~北海道医療大学・新十津川間以前は気動車しか走ってなかった。😦
新十津川駅…悲しい、最近西村京太郎さんが、小説として…実際に十津川警部が、小説の中で、訪れてます!ミステリーファン、必見です!
廃止前からデジカメでの撮影をしていましたがそのカメラが譲り物とゆうこともあり経年劣化し壊れてしまいそのデータが見れなくなって悲しいです…
そうでしたか…それは悲しいですね…
頼むから1人で北海道に行けるようになるまではどこも廃線にならないでくれ.....
私に取っての札沼線廃止区間はかなり前になってしまいます。札幌から特急列車に乗り滝川へ、物臭な私は新十津川迄タクシーで行きました。料金は1500円位だったかと、因みにその頃は新十津川発着が1日に3往復あった頃ですからかなり前ですね。私以外は同じ人達が五人位居ました。
新十津川駅…テレビで放送してましたけど始発が終電と言うことは乗り遅れるともう終わりですね…
乗り遅れたら翌日まで列車はありません…
今月7月4日に旧新十津川駅に行って来ました。駅周辺や線路がすっかり雑草で覆われてしまい、あの手入れが行き届いた風景とは程遠い悲しい風景がありました。当初5月末から駅舎の解体や駅周辺の再開発の予定だったのが遅れているのか、7月になってから開始された様でした。ショベルカーによってホーム対面の防風林替わりの雑木林の伐採が始まっていました。ショベルが駅舎隣にも置かれてあり、そろそろ駅舎の解体が始まりそうな感じでした。解体後は、鉄道記念公園になったり、宅地化や生活道路が敷設されたり、線路に分断されている農地を整地、整備後に来春以降になるようですが、希望者に有償で土地譲渡されるようです。訪れた動画をアップしていますので、興味がおありでしたらご覧ください。なお、旧石狩月形駅は、旧豊ヶ岡駅間までの短い距離をトロッコを走らせる計画があるので、駅舎の解体計画は今の所ありませんよ。トロッコ計画もはっきり決まっている訳ではないので、その計画もどうなってしまうかわかりませんが・・・
昨日(7/24)に新十津川駅跡に行ってきたのですが、解体工事が始まってました・・・足場が組まれ外壁内壁がはがされ始めて骨組みが剥き出しに。沼田方面に伸びていた線路の端にあった車止めもホーム内に移動、札幌方面の右カーブ手前には大きく盛り土がされていて、かつての面影がほぼ消えてしまいました・・・ホームを一部保存してメモリアル広場を作るようですが、駅舎の解体現場はやはり寂しいものですね
解体が始まってしまいましたね…
新十津川町の駅・線路は全て無くなり畑に分かってはいたけど寂しいですね
廃線数年前に乗ったのですが、新十津川では出発の際に近所の子供達が手を振って見送ってくれました。札沼線の痕跡はどんどん消えていきますが、子供達の記憶に残っていればいいですね。
廃止が決まった札沼線には、秋と冬の2回、乗りに行きました。冬に乗ったときにはキハ40単行に乗っているのは自分独りだけ。寂しい感じでしたが、廃線間近のワイワイ感がなく、しみじみといい感じでしたね。
私も廃止間際のワイワイ感は苦手です。
まだ廃線から日も浅いというのに、いつもながらひろりんさんの廃線・駅跡愛には頭が下がる思いです。もう訪れる事は無いでしょう…と云いつつ、数年後にはきっと再訪するのでしょうね。鉄道の延伸と共に北海道の地域経済も発展し、廃線と同時に衰退してゆく様を観るのは侘しいものがありますが、忘れない様に記録に残しておく事も重要ですね。いつも貴重な映像有難うございます。
また行ってしまいそうです…何も無くなっても行ってしまいそう…
廃止前や廃止直後のバス転換あたりまでは熱心に追いかける人が多数いますが、半年後以降の変化を追って記録を撮られる人ってホント少ないんですよね。深名線の跡なんか特にそう。廃線後火災で焼失した幌加内駅舎も、焼けるまでの健在な姿をアップしている人ほとんど見かけませんし。そういう意味でもひろりんさんの活動は今後も注目に値すると思います。
5年ほど前に実家の晩生内に帰った時まだ駅舎が有ったのに!又周辺が、変わりましたねー、、、愛知県より!
本当に電車を駅するのが大好きだなー!JR北海道わ
線路のど真ん中に電柱が…ここから先は絶対に通さないと言う強い意思を感じる
あそこに電柱建てなくても…やはり強い意志を感じますね…
@@hiroring0323 「ここは汽車は通しません」
真ん中が空いている列車作らないと、、、
詳しい内容は、控えさせて頂きます!西村京太郎さんも、お亡くなりになりましたので…
錆びたレール、踏切でぶった斬られたレール、解体される運命の駅舎は見ていて切なくなります。
切ないですね…
現役時代の写真を見ると胸がキュンと成りました✨
新十津川駅はバス旅の乗り継ぎで映ったり鉄道ひとり旅でも現在の廃止路線を十津川から医療大学まで景色が色々と映し出されてました。
廃止の半年ほど前に初めて訪れました。あの時のきっぷ、小幌→新十津川は宝物。今度この辺りを訪ねてみようと思っています。沿線ずっと、ザ・北海道な景色が好きだったなぁ・・・。
小幌→新十津川…いいですね~
@@hiroring0323そのきっぷを新千歳空港の窓口で頼んだ時の女性係員の表情が面白かったです(笑)
3月26日に桑園から北海道医療大学まで往復して来ました。エアポート編成でUシート乗車して快適でした。18キップ利用で得しました。新十津川から北海道医療大学までは、以前に乗車しました。
廃止されなかった駅は逆に利用客が多いのでJR北海道にとっては本当にありがたい路線であるのも実情ですね。新駅もできるので、ますます札沼線も賑わうと思うと嬉しいです。
残った部分の札沼線は、近年の北海道では珍しい発展している路線ですね。
2028年に北広島へ大学そのものが移転すると現在の終着駅も廃駅?札沼線さらに短くなるのか?
短くなる可能性も…
新十津川駅…利用してみたかった
新十津川の駅舎も解体されてしまいましたね…
2020年4月17日。その日は私の父が亡くなり、いろいろ手続きやら何やらでバタバタして、ひとまず夕飯を食べようと家でTVをつけたら札沼線部分廃線のニュースが。それだけに印象深い日でした。GWいっぱいまで運行するって聞いてたけどコロナで予定が早まってしまった。乗りに行けなかったのは返す返すも惜しかった。
ひろりんさん、こんにちは。以前北海道の廃線を伺った者です。行ってきました。ここの石狩月形駅は、たまたま列車が来てないだけで、暫くしたら来るんじゃないかと錯覚すら覚える感じでたまりませんでした。他に、勇網線・名寄本線・天北線・羽幌線・留萌本線(増毛)・歌志内線・夕張支線・万字線も巡ってきました。個人的には万字駅が惹かれました。ひろりんさんのアドバイスとUp画がとても参考になりました。感謝、感謝です!!これからもいい画のUpよろしくお願い致します。
ガッツリ巡ってこられたようですね~楽しんでこられましたか?
私は学生時代迄新琴似に住んでた関係で時たま札沼線を利用する事がありましたよ!懐かしいですね。当時は単線非電化のローカル線でしたが今では生活路線に成長、複線電化が北海道医療大学まで実現しましたね!それ以北は廃止されてしまいましたが。がんばって欲しいですね。余談ですが、以前ワイド劇場十津川警部事件簿では新十津川や一部の駅等のロケ撮影にも使われましたね!🤓
この路線が現役の頃横を車で走っていました。廃線直後に走ると黒いビニール袋で覆われた遮断機が悲しそうにいました。今は遮断機も所々撤去されて、レールも撤去され始めました。今のうちにいっぱい写真とって見ておこうと思います。
数年後には景色も変わってしまうと思うので、写真を撮るなら今のうちですね。
札沼線は新十津川まで乗ったのが1985年春が最初で、次に乗ったのが2012年に2回乗りました。いずれもキハ40でした。'85年の時は往復しましたが2012年の時は新十津川駅から滝川駅まで徒歩(真冬だったので1時間ぐらいかかった)、もう一回は中央バスで行きました。廃止直前のダイヤが朝9時台で新十津川駅から当別行きがなかったのが疑問だった…。自分は昼の時間帯の列車に乗りました。新十津川駅には馬がいた時期がありました。そして国道275号線から入るのに駅の位置がわかりづらかったです。風景は単調でしたが札幌エリアから一番近いローカル線というのが興味深いです。札沼線ではありませんが道内の違う区域で数年前にキハ40に乗った時、屋根の塗装からオレンジ色が少し見え、懐かしく感じました。
新十津川駅にいたポニー懐かしいですね…
当初ゴールデンウィーク明けの廃止日だったのが異例の2週間前倒しに驚きました。今のご時世とはいえ、地元の方々とマニア達はショックだったと思います。国鉄時代に買った新十津川駅の硬券入場券がコレクションのうちの一つです。もう一つは石狩当別から大学前と書かれた長いサイズの硬券(合格祈願と書かれているので縁起切符)もあります。昭和60年(1985年)のものです。大学前とは現在の北海道医療大学駅の旧駅名です。その約36年前に買った券を見るとその駅がまさか終着駅になるとは夢にも思いませんでした。又、大学前仮乗降場として1981年12月に誕生し、今年で40年になります。学園都市線の愛称の発祥も40年とは意外と歴史が浅い方だと思います。本当は電化される前のディーゼルカーが往来する路線時代の方が好きですが…。時代の流れを感じます。ちなみに札沼線に初めて乗ったのが1984年の春頃で釜谷臼駅(現:あいの里公園駅)から札幌駅まで乗った時です。乗った駅が無人駅だったので車内できっぷ(車片という名前の券❓️)を買いました。まだあいの里地域も建設中(ほぼ更地❓️)の時代でした。
ひろりんさんの、小さな駅に対する愛をひしひしと感じます😌✨
小さな駅好きなんですよね~
廃線廃駅を詳しく紹介していますね。ただ、廃線廃駅だけでなくほかにもいろんなものを紹介してほしいと思う。BGMはいいと思う。廃校とかの紹介にもこのB BGMを使用してほしい。
晩生内でいとこが米農家営んでいて何度も行ったことがあるのですが列車が走っているのを一度も見ることはなかったなぁ・・・・・。懐かしい景色です
列車の本数は少なかったですからね…
新十津川から先の1972年廃線区間も是非今度お願いします!と言いたいところですが、なかなか厳しいのでしょうかね…?もうほとんど何も残ってないらしいですし、、
和の旧駅舎も解体されてしまいましたし、残っているのは碧水だけなので…
札沼線末端部はとっくに役目を失い、遅いくらいの廃線でしたが、鉄路を愛するものとして無条件に、札比内駅の現役時代の夜の写真がぐっとくる。。。
よくここまで残っていたなという感じでしたね。札比内駅は何度も行きました…
札沼線末端部の廃止が迫っている頃、羽沢横浜国大〜新十津川という切符を発券してもらいましたが、例の休止で乗れずじまいとなってしまいました。生まれたての駅と終わりゆく駅を結ぶ約6ヶ月間のみの切符でした。
乗れなかったのは残念でしたが、羽沢横浜国大〜新十津川の切符はいいですね。
BGMがとてもいいのですが、そのBGMの名前は何でしょうか? ありがとう。
BGMは「夏の思い出」です。ruclips.net/video/j72rz_MZxrs/видео.html
@@hiroring0323 ありがとう。
札沼線は北海道医療大学駅から新十津川駅まで国道275号線と付かず離れずの位置で平行してました。大抵立体交差やアンダーパスの形で国道と鉄道がクロスする箇所がありますが、この札沼線はずっと平行状態でした。国道275号線は札幌~旭川方面の近道で夏場のみしばしば使ってました。出来れば新十津川駅と滝川駅の連絡路線が欲しかったなぁ。それがあれば札沼線が残っていたかも知れない…。
石狩金沢の待合室、まるで保存されてる車両みたいで好きでした。廃止後の姿はやっぱり切ないです。
明かりが灯らなくなった駅舎は切ないですね…
石狩月形駅から10分くらいの所に住んでたので、すごい懐かしかったです...知来乙駅で降りて月形町まで友達と星空見ながら歩いたのも良い思い出...駅舎解体されないで欲しいな、、
廃線跡でもインターネットラジオが聞けますから忘れません。AMラジオに別れを告げましょう。ラジオの聞こえづらさにさよならですよ。
1994年度まで東日本学園大学と名乗っていて、駅名は大学前と言う表示で非電化の汽車が走っていました。当時は当別から新十津川までは朝昼晩の3往復有りました。
廃線前に乗っておこうと思いつつ、そのタイミングを見事に逃してしまい、結局乗ることができなかった。流行り病のせいでとどめを刺された感じになっちゃったのは、本当に気の毒というか残念というか…
寂しい最期でしたね…
同じ札沼線とは思えないほど学園都市線電化区間のダッシュ時の混雑は凄いです。函館本線はダッシュ時に3両編成の札幌行きを走らせていましたが車内はぎゅうぎゅう詰めの大混雑で6両編成へと変更になりました。それでも車内の混雑は解消されていません。
私も行って来ましたよ4月に友人といっしょに新十津川迄廃駅巡りして来ましたよ、以前列車で新十津川まで行きましたがこんなところに駅があったんだと新鮮な感じでした。それと新十津川駅は老朽化の為に8月位に解体するそうです。
行かれていましたか~新十津川駅は8月頃に解体ですか…
14:29 豊ヶ岡駅 周辺の農地も緑に呑まれてますね 虚しい…
北海道では農地が原野に還っていることもよくありますね…
ひろりんさんコメントです。札沼線の部分廃止区間ですが、全盛期は駅員もいる駅もありましたし、浦臼駅前には国鉄バスの駐車場もありました。新十津川駅も部分廃止が先!ありさみしい感じかなと言っていた人がいました。ここの路線の駅は変わった名がありましたね。札比内駅とかです。今はバス停留所になりましたね。廃止区間はバスが3分割で走っていますが浦臼から当別までは車内で乗り継ぎ券を発行しています。外出が今より楽になったら廃線跡巡りをしようと思います。以上です。
浦臼や新十津川も駅員さんがいて、晩生内も簡易委託をしていましたね。石狩月形以北が全て無人駅になっても、末期まで札比内が簡易委託をしていたのは嬉しかったですね。
国鉄バス時代、浦臼駅からは区間列車代行の月形駅ゆき(鉄道の切符で乗れるバス)も走ってましたし、今の奈井江行きの町営バスも国鉄バス。新十津川を経由して滝川ゆきの路線もあったので一大ターミナルでしたね。
@@Su---- さん今返信します。その通りです。懐かしいですね。以上です。
北海道在住です! 最高です昔の写真見てびっくりですよ、国道から見る今の景色と全然違って民家があって!!おっふの連続
オチの新十津川もある意味
@@豪-t6u かもね
北海道の中ではそこまで不便な土地でも無いのに、集落が消えていたりして驚きました。
廃線になる3年前に乗りに行きましたけど、新十津川で降りる時鉄道好きと思われる小学生の付き添いのご婦人以外全員運転手に18切符を見せていたのが、あに図らんやでした。新十津川から先、石狩沼田までの廃線跡は鉄橋が残っているのと雨竜駅跡に碑がある程度でした。
石狩追分駅跡にも碑ありますよ~地元民より
まだ比較的新しい廃線だから綺麗に残ってるな…
まだ1年なのでほとんど残っていますね。
懸念されている通り、大半の駅が数年後には跡形も無く消滅していそうですね。それにしても一往復区間の過疎具合は凄いですね。逆に昨年まで良く存続したというべきでしょうか。石狩金沢駅の灯りが付いた写真は凄く綺麗ですが何とも言えない寂しさが漂っていて今回のベストショットじゃないかと思います。
来年辺り二駅は消えてそうですね
あと10年経ったら新十津川以北と何ら変わらない感じになりそう。
石狩金沢駅は台風直後に行ったんですが、見たことも無い空の色をしていたので予定を変更して立ち寄って写真に収めました。
コロナで撮り鉄が集まるのを防ぐために最終運転を繰り上げ、さよなら列車も中止になり、寂しい幕切れになってしまった路線。。新十津川周辺が逆に発展しているのは、滝川駅にほど近いためかもしれませんね。
寂しい最期でした…新十津川は川を越えたら直ぐ滝川ですもんね。
@@hiroring0323 新十津川(役場前)~滝川駅間は、今でも結構な本数(鉄道の10倍以上w)の路線バス走ってますよね。一日1本の札沼線を降りた後、滝川駅に向かって石狩川の橋を歩いてるマニアさんをよく見かけました。ほぼ平地だし30分ちょいで行けますから。
もうだいぶ解体が進んでいるようです新十津川駅とかは跡形もないようですよ
駅舎、待合室の撤去がかなり進んでいるようですね…
あと、かつて沿線だった月形町は「月形町」の名の後に直ぐ(いきなり)番地が来るという住所表記の地区が有るそうです。[他に、茨城県境町や静岡県下田市など]
駅舎が、しっかりしてる所は、残してほしいですね。豊ヶ岡駅の跨線橋からの駅の写真、ほんと美しいですね。もう、二度と見られないのがさみしいです。廃止されない方法がなかったのか、悔やまれます。乗ってみたかった。
こんなに味のありすぎる路線が1年前まで残っていたのが凄いですね。もう二度と見ることが出来ないと思うと寂しいです…
今回の廃止区間は,数回撮影に出向いたので,記憶にしっかり残っているゆえ,線路が斬られた光景は余計寂しく感じるものですね。豊ヶ岡駅の跨線橋に吹雪の中立って撮影したとか,月形駅近くの洋食屋さんのカレーが美味しかったとか,閉店ギリギリの浦臼温泉に入って夜の撮影で冷えきった身体を温めたとか,忘れられないですね。そして,金沢駅近くの酵母パンのおじさん,どうしているかなぁと思ったりします。廃止になったところにわざわざ行くことは少ないのですが,沿線で出会った人と再会したい(向こうは全く覚えていないでしょうけど)なぁと,改めて感じました。
月形の洋食屋さんはいつの間にか店名が変わっていたけどやっている人は同じみたい。私もカレーライスを食べた事があります。30年程前はライダーハウスもやっていて有蓋貨車の中で一晩を過ごしました。
1976年は大学前駅自体がまだなかったんですね・・・
1976年には駅が出来そうな雰囲気すらありませんでした…
おっふから始まる路線ですね。そしておっふな気持ちで終わる。本州でこれだけ平野が広がればそこそこ人家があるものですが、やはり北海道ですね。
思っていたよりもおっふ案件が多かったです。
廃線前に南下徳富駅だか行きましたが既に終汽車が行った後でした。昼の12時すぎだったんですがね。新十津川にも行きましたよ。なんかの証明書もらいました。何も無いところが多かったので言葉にならないが正解でしょう。沼田まで繋がっていたのが信じられない。でも新十津川の駅すぎたところに遺構があるんですよね。水道管通してる影響で橋梁だけが残ってます
9:10 側線あったってことは昔は交換液だったのかもしれないなんか側線入ってたから一瞬スルー線に見えました
札沼線は駅舎とホームの間にスペースのある駅が多かったですね。この感じだと貨物側線でしょうか。
幼少期に少しだけ時刻表と地図が好きだった自分がyoutubeが出てきて毎日のように鉄道動画を見るようになり札沼線と三江線だけ乗りに行きました。(新十津川の駅名マグネットが冷蔵庫に付いてます)奈良の十津川村から学生が丁度来てました、交流を続けて欲しいです。過疎化→廃線→終焉の流れが悲しいですね。
まだ、日に数本の新十津川行きがあった頃に乗りました。当時は石狩当別で乗り換えでした。新十津川まで行った戻り、疲れて寝こけて、気づいたらまた新十津川に向かっていて顔面蒼白になった(その日に千歳から飛行機で帰宅予定だった)のも、今は笑い話の思い出。ちなみに、浦臼からバスで奈井江、そこから特急で札幌へ向かうことができ、飛行機には間に合いました。予定外のバス移動で鉄道では見られなかった石狩平野の景色が見られたのも、かえってよかったと思っています。ホームを残す駅には、キハ40を置いてほしいですね。車両があると、現役当時の雰囲気が感じられます。
今となってはいい思い出ですね。キハ40も解体が進んでいますから、どこかで保存して欲しいですね。
札沼線のラストランは確かテレビでもやってましたねなんだか切ない感じでした
急遽前倒ししての突然のラストランでしたからね…
貴重な資料との比較、とても分かりやすいです。
ありがとうございます!
続きです。豊ヶ岡駅は、あの木造駅舎を移築して保存して欲しいと思うのですが、どうなるのか気になります。これも前に書きましたが、ホームや駅舎の下にある土砂が雪解け水や雨で流されてしまうと、それが線路にまで及びそうな気がしてなりません。札比内と晩生内は、姿形が似ていることから「兄弟駅」とも言われていましたが、昨シーズンの大雪の影響で晩生内が今回の廃駅でも最も早く解体され、札比内もおそらく次の冬が来る前に解体されそうな気がします。>もう訪れることはないでしょう私ならば、まだ更地になった様子をこの目で見ていませんので、今年の秋(天候次第)か来年の春にここを訪れたいです。国道に面していてアクセスしやすいですから、滞在時間はものの数分でしょうけれども。札的駅ですが、偶然、同じ日の下り&上り列車に乗車していた人がここで下車し、近くにある坂本龍馬一族の墓へ行った様子を投稿しています。私は別に龍馬のファンでもないですし、仮にファンであったとしても車で行っていると思いますけれども。この動画は、4本シリーズになっていまして、札的駅で降りるところは3本目の最後、龍馬一族の墓に関しては4本目になります。ruclips.net/video/gNfoolTKCv8/видео.htmlruclips.net/video/Q7B0nhPUl-g/видео.htmlruclips.net/video/zyhsDBoZoyU/видео.htmlruclips.net/video/iMhkluBB7XE/видео.html浦臼駅は、上の動画の中で、往時の様子を偲ぶことができます。隣接して歯医者さんが入居している建物がありますので、その歯医者さんが撤退でもしない限り、線路やホームは別にしても建物は何時までも残りそうな気がします。それにしても、鋼製の屋根がへこむとは、いかにこの冬の雪(積雪・降雪量)がが凄かったかということを物語っていると思います。鶴沼駅は、もう少し市街地寄り、道の駅とかがある場所にあれば利便性がよかったのでは思います。窓枠は意図的に外されたのでしょうね。於札内駅は、駅名標のすぐ隣にある柵が錆びてボロボロになっていたのが印象的です。末期にはトラロープで補修されていまして、他の方がラストラン当時の早朝に撮影した動画では、冒頭に日の出と共に撮影され、私もコメントしています。ruclips.net/video/seVnnV9i7jE/видео.html>凄い立地ですね。アクセスを考えれば、南側の道路に接する形で建てれば良かったと思います。昨年9月に行きましたが、レンタカー(軽自動車)であの細い道路を走るのは気が引けますので(自家用車でもどうだか)、踏切の近くに車を停めて徒歩で行きました。南下徳富駅まで来ますと、手前の於札内もそうですが、両側に田畑が広がるので「いよいよ終点間近だな」という雰囲気になりましたね。1972年に新十津川⇔石狩沼田間が廃止されるまでは、順に南下徳富・下徳富・中徳富・(新十津川・石狩橋本を挟んで)上徳富・北上徳富と、石北本線の「白滝兄弟シリーズ」みたく「徳富兄弟シリーズ」で駅巡り(スタンプラリー)ができたかも知れません。下徳富駅は、以前、新十津川からの上り列車で十数人の団体が下車したことがあります。どうせならば、石狩当別までとは言わなくても石狩月形まで乗って欲しかったところですが。ここもこの5月に行きました。駅舎は解体しても松の木は残して欲しいところですが、今後が気になります。中徳富駅の跡地は、ウィキペディアから所在地を調べておかないと、絶対に辿り着けないと思います。何しろ、石碑も何もなく、ただ線路が通っているだけでしたから。私はそれで調べると共に、ストリートビューで線路東側にある青い車庫を目印にしておきました。新十津川駅についてですが、貴方のことですから、多分、解体中若しくは解体後の様子を動画に上げると思いますので、その時にコメントしたいと思います。
私も廃線直後に新十津川駅に行って来ました。最後に十津川警部シリーズでやってくれたのがせめてもの救いですかね。
医療大学前〜新十津川駅間は、かなり前にまだ南下徳富駅〜新十津川駅の間が3往復あった時に、一日散歩きっぷ(道央券)を使って、乗ったことが有ります😉本数が3往復と少ないので、直ぐに折り返しましたが、今思うと新十津川駅をじっくり見て、それから滝川までバスか何かを利用して移動して、滝川駅から札幌圏の方に戻れば良かったなぁと、廃線になってしまった今、ちょっと後悔しているところです…😥
いや〜改めて見ると寂しい限りです。新十津川駅の記念切符いつまでも大事にします
廃線後は初めて行きましたが、廃線前の賑わいが嘘のように寂しい景色ばかりでした…
月形までは残しても良いと思ったんですがねえ・・・部分廃止は仕方なかったとはいえ歯痒いです。
一時期は月形までの存続検討の話もありましたね…
@@hiroring0323 医療大学前までの路線も非電化のままで増強されていたら、月形までは残したかもしれませんね。なにせ、1路線で電化区間と非電化区間の並行運用。一往復だけのディーゼルカーの運用維持、それに関連する保守点検費用はバカにならないでしょうから、廃止も納得です。
一昨日(7/27)、クソ暑い中を移動中に新十津川駅に立ち寄りました。なーんにもありませんでした。厳密にいうと基礎だけ残ってて建物は跡形もなく。乗らなきゃ廃止は仕方ないですよね…。
旧駅舎解体されてしまいましたね…
このチャンネルだと街は発展してますがパワーワードになるんやな、
数年前に新十津川駅に行っておいて良かった。新十津川役場に寄って記念証みたいなものを貰った記憶もある。ちゃんと新十津川駅から列車にも乗ったし。駅前のグッズ売り場の売店は無くなったのかなぁ。
私も役場に行って記念証貰いました。駅前のグッズ売店は閉店したようですね…
@@hiroring0323 「寺子屋」昨年秋で閉業しちゃったんですね。地元のご高齢の方が経営されていて、列車が来ない時間帯は地元の方たちの井戸端会議場でまったりとおばちゃんと話すことができたので残念。4年ほど前、店で硬券入場券を売ってたおじちゃんも、晩年は施設に入られたとの話を伺いました。
中小屋には温泉が有りますよね?
ありましたね。今は営業していたか分かりませんが…
鉄道が地域を捨てた訳でもなく、地域が鉄道を捨てた訳でもなく、人々が地域を捨てたんだな
南下徳富で終電逃したら the end
ですね…
最初と最後がある意味凄かったですね何も無かったところにポッと湧いたところが終着駅になってたり意外に発展してたり踏切だけが速攻処分されてましたね
思っていたよりも変化が激しかったですね。特に最初と最後が…
札沼線の廃線区間の状況を見ると、BRTになった気仙沼線や大船渡線がはるかに良かったと思える廃線区間です。(まだ、並行して路線バスがかなりの本数運行しているのが幸いです。)
新十津川とか浦臼だと、特別急行がバンバン走ってる函館本線の方に行ってしまいますからねぇ…
そうなってしまいますね…
@@hiroring0323 月形は岩見沢から遠いし、当別か札幌までクルマでーとなるのでしょうけど
@@bakutaWRC2002 浦臼からだと、わざわざ函館本線側に行って電車乗る人はほとんどいないと思います。川向こうの一番近い奈井江駅は一時間一本。特急停車なし。品川~蒲田と同じ距離なので歩いては行けないし、町営バスは一日4~5本。大病院は月形にあるし。
@@Su---- ご指摘ありがとうございます。町営バス、そんなに本数無いんですか…
@@bakutaWRC2002 わずかながら需要のあった通院も、くしくも新十津川駅前と医療大学に大病院が設置されたので、わざわざ川を越えて普通電車しか停まらない駅の街に行く需要はほとんどないのかと。しいて挙げれば高校生通学客くらいでしょうか。この辺りの遠距離通学の小学生はもうほとんどスクールバスでしょうし。
先日、月ヶ岡から新十津川までの中徳富を除いた全駅を見て回りました。どの駅も駅跡はまだそのままのところも多いですが、その前後は自然に帰りつつあるようですね。。。
現在、新十津川駅は解体中のようです…
@@hiroring0323 あの日自分が業者に鉢合わせたのがやはり間違いじゃなかったんですね。ホントぎりのタイミングでした。行っておいて良かったです。
@@ふぁびN ギリギリ間に合いましたね~
札沼線は日本の地方鉄道が歩んだ歴史といってもいいかもしれません。新十津川を地盤とした政治家東武(あずまたけし)による我田引鉄による敷設の後、戦時中の不要不急線扱い(最長距離)で引き剝がされた、という時点で当該区間の運命はすでにきまっていたのでしょう。そして、月形高校の生徒から廃止容認された時点で、当該区間の「学園都市線」としての命脈が尽きたといえます。新十津川~石狩沼田は田中角栄以前の赤字83線で廃止、地方交通線への指定、全線廃線の危機から一転して沿線人口の大幅な人口増に伴う新駅設置、JRに移行してからの末端部のワンマン化、多数の改良気動車の投入、高架化、複線化、電化、ICカード対応。そして、新方式による区間廃線。これらをたった1つの路線で経験したのはほかにあるでしょうか?しかも、北海道医療大学駅は、数少ない現存する不要不急線指定区間で、しかも電化区間です。ロイズタウン駅が完成したとき、改めて札沼線現存区間と廃止区間とを取り上げてほしいと思います。
沿線の集落がことごとく消滅していて、もう何十年も前にすでに鉄道の使命がなくなっていたのに、一日一往復なんて運輸収入を上げる気がさらさらない状態で運行を続け無駄に赤字を垂れ流していた。ここはもっと早くに廃止するべきだった。
2008年の夏に青春18きっぷで浦臼駅まで行きました、駅前通りの突き当たりに小さなスーパーがありました、あそこでジュースとお菓子を買った時におばちゃんから声かかってきて、"あら台湾人ですか?こんな何も無い所によく来たね"..."何も無い"って言うのは一つの特徴だから何も無いではないですよ、もう二度と電車で行けなくなったのは寂しい...
何も無いのが良いんですよね。
@@hiroring0323 「浦臼の駅は何もない春」に駅もない街になりました。
昔は 浦臼リゾートが期待されてて富良野エクスプレスのようなリゾート列車の夢を見た時期もあった札沼線 まだ 浦臼リゾートが事件になる前には札幌⇆浦臼 なんて列車もあった晩生内 於札内(これ読める人少ないし)札沼線には頑張ってほしかったです。 神内ファームの偉い人も亡くなってこの地域はどうなるのでしょうね
元々何もない場所に関しては、昔の写真でも現在の写真でも同じ感想を抱きます。 |Д゜)きれいですね。
全部見ました!!札沼線のUPありがとうございます😭😭跡形もなくなくなってしまうのでしょうか…
一部は保存されるようですが、ほとんどは跡形も無くなってしまいそうですね…
2年前に新十津川駅と豊ヶ岡駅行きました新十津川駅まで解体されてしまうとは
新十津川駅まで解体されてしまうのは寂しいですね…
序盤に4連続おっふでしたね.豊作でした.沿線を巡るのは大変でしたか.
初っ端からおっふの連続でした。駅跡がはっきりしているので、いつもに比べると楽でした。
廃線になると知ってから何10回も乗りに行って殆どの駅に訪問したなぁ(下徳富除く)これからどうなっていくのか気がかり
数年後には景色がガラッと変わってしまいそうですね。
しかし、駅どころか何もなかった場所が札沼線(もうそう呼ばないかもしれないが)の新たな終着駅になるとはねぇ...
終着駅らしい雰囲気はさすがにありませんが…
晩生内を含めてこれからも何度か伺うのではないかと思っております。
何も無くなった駅跡にもまた行ってしまいそうです…
北海道医療大学駅を境に方や札幌へと続く電化路線、方や連続「おっふ」地帯と落差の激しい路線ですね
本当に落差の激しい路線でしたね。
キツネサン、登場しましたね❗
キツネさん、いらっしゃいました~
このコロナ禍で、ひっそりと廃線になってしまいましたよね…日本一早い終電で有名な路線でしたね。もう医療大学以降は列車の音が響かないと思うと寂しくなります(TT)
数年後には、農耕地に飲まれるか、原野に飲まれるかになりそうですね。。。車掌車駅も木造駅舎も最後の姿になりそうですね。。。
線路が農地を分断しているので、数年後には農地に飲まれそうですね…
中華に土地買われて北海道が乗っ取られるか、かな。どっちにせよ、絶望的な北海道に変わりは無い
新十津川と浦臼の廃線跡は農地へ転換されることが決まっているみたいですので、数年後には1972年に廃止された新十津川⇔石狩沼田間みたいに廃線跡を探索するのは難しくなりそうですね。木造駅舎では、晩生内が最も早く解体されて更地になっています。新十津川も間もなく解体が始まり、札比内もおそらく次の冬が来る前までに解体されそうです。石狩金沢・本中小屋・中小屋の緩急車を用いた駅舎ですが、積雪には耐えうるものの、既に役割を終えたわけですから譲渡される当別町がどうするのか注目したいです。
去年9月、北海道医療大学、石狩金沢、石狩月形、豊ヶ岡、浦臼、新十津川を訪問しました。今になれば、他の駅に寄らなったのが残念でなりません。豊ヶ岡では藪がガサガサ音がしたときはビビりましたね。新十津川では記念乗車券をGETしました。
豊ヶ岡でそんな音がしたらビビりますね…
えっ?石狩月形駅が撤去予定ですか。さみしいですね。久しぶりに私も乗車経験のある廃線です。、、、おっふばっかりですな。
ほとんどが撤去予定なんですよね…
0:45 でた!【掟破りの逆おっふ !!】昔の方がおっふ案件という新しいパターン。
まさかの逆おっふでした~
昔は「大学前」という駅名で駅前に自販機があってそこで初めて コーンポタージュ というお洒落な 飲み物を飲んだんだよ。
あの有名な豊ヶ岡駅がなくなるのは寂しいです
ようこそ、新十津川へ…悲しいよー…新十津川駅…
新十津川駅舎も解体されてしまいました…
十津川警部シリーズで、テレビでやったそうですが、仕事の都合で、私は見逃してしまいました!小説版は大事に、残しておきます!
4年前までの3年間と2012年からの数ヶ月間、札沼線新川駅の近くに在住でした。
朝早くに一日散歩きっぷを買い、娘と札沼線の旅で何度も全区間乗車を楽しんでました。
その2012年の春には新十津川駅で降りたら、すぐ近くに建つ病院の職員託児所に預けられた3歳くらいの可愛い子供たちが祭ハッピを着て歓迎のために駅舎へ来て、チューリップの絵が描かれた、それはまた可愛いお手製うちわを下車した皆さんに配ってたのを思い出します。
そのうちわは今でも保管してますが、手に取る度に新十津川駅の思い出が蘇ってきます。
あの新十津川の子供たちはもう、中学生くらいになるのかな…
とても印象が残ってる札沼線の思い出です。
西村京太郎さんの、小説のタイトルは、札沼線の愛と死、新十津川町を行くで、実際に十津川警部が新十津川駅に降りたんです!遂に解体された…
札幌~北海道医療大学・新十津川間以前は気動車しか走ってなかった。😦
新十津川駅…悲しい、最近西村京太郎さんが、小説として…実際に十津川警部が、小説の中で、訪れてます!ミステリーファン、必見です!
廃止前からデジカメでの撮影をしていましたがそのカメラが譲り物とゆうこともあり経年劣化し壊れてしまいそのデータが見れなくなって悲しいです…
そうでしたか…
それは悲しいですね…
頼むから1人で北海道に行けるようになるまではどこも廃線にならないでくれ.....
私に取っての札沼線廃止区間はかなり前になってしまいます。札幌から特急列車に乗り滝川へ、物臭な私は新十津川迄タクシーで行きました。料金は1500円位だったかと、因みにその頃は新十津川発着が1日に3往復あった頃ですからかなり前ですね。私以外は同じ人達が五人位居ました。
新十津川駅…テレビで放送してましたけど始発が終電と言うことは乗り遅れるともう終わりですね…
乗り遅れたら翌日まで列車はありません…
今月7月4日に旧新十津川駅に行って来ました。
駅周辺や線路がすっかり雑草で覆われてしまい、あの手入れが行き届いた風景とは程遠い悲しい風景がありました。
当初5月末から駅舎の解体や駅周辺の再開発の予定だったのが遅れているのか、7月になってから開始された様でした。
ショベルカーによってホーム対面の防風林替わりの雑木林の伐採が始まっていました。
ショベルが駅舎隣にも置かれてあり、そろそろ駅舎の解体が始まりそうな感じでした。
解体後は、鉄道記念公園になったり、宅地化や生活道路が敷設されたり、
線路に分断されている農地を整地、整備後に来春以降になるようですが、希望者に有償で土地譲渡されるようです。
訪れた動画をアップしていますので、興味がおありでしたらご覧ください。
なお、旧石狩月形駅は、旧豊ヶ岡駅間までの短い距離をトロッコを走らせる計画があるので、
駅舎の解体計画は今の所ありませんよ。
トロッコ計画もはっきり決まっている訳ではないので、その計画もどうなってしまうかわかりませんが・・・
昨日(7/24)に新十津川駅跡に行ってきたのですが、解体工事が始まってました・・・
足場が組まれ外壁内壁がはがされ始めて骨組みが剥き出しに。
沼田方面に伸びていた線路の端にあった車止めもホーム内に移動、札幌方面の右カーブ
手前には大きく盛り土がされていて、かつての面影がほぼ消えてしまいました・・・
ホームを一部保存してメモリアル広場を作るようですが、駅舎の解体現場はやはり寂しいものですね
解体が始まってしまいましたね…
新十津川町の駅・線路は全て無くなり畑に
分かってはいたけど寂しいですね
廃線数年前に乗ったのですが、新十津川では出発の際に近所の子供達が手を振って見送ってくれました。
札沼線の痕跡はどんどん消えていきますが、子供達の記憶に残っていればいいですね。
廃止が決まった札沼線には、秋と冬の2回、乗りに行きました。冬に乗ったときにはキハ40単行に乗っているのは自分独りだけ。寂しい感じでしたが、廃線間近のワイワイ感がなく、しみじみといい感じでしたね。
私も廃止間際のワイワイ感は苦手です。
まだ廃線から日も浅いというのに、いつもながらひろりんさんの廃線・駅跡愛には頭が下がる思いです。
もう訪れる事は無いでしょう…と云いつつ、数年後にはきっと再訪するのでしょうね。
鉄道の延伸と共に北海道の地域経済も発展し、廃線と同時に衰退してゆく様を観るのは侘しいものがありますが、忘れない様に記録に残しておく事も重要ですね。
いつも貴重な映像有難うございます。
また行ってしまいそうです…
何も無くなっても行ってしまいそう…
廃止前や廃止直後のバス転換あたりまでは熱心に追いかける人が多数いますが、半年後以降の変化を追って記録を撮られる人ってホント少ないんですよね。深名線の跡なんか特にそう。廃線後火災で焼失した幌加内駅舎も、焼けるまでの健在な姿をアップしている人ほとんど見かけませんし。
そういう意味でもひろりんさんの活動は今後も注目に値すると思います。
5年ほど前に実家の晩生内に帰った時まだ駅舎が有ったのに!又周辺が、変わりましたねー、、、愛知県より!
本当に電車を駅するのが大好きだなー!JR北海道わ
線路のど真ん中に電柱が…ここから先は絶対に通さないと言う強い意思を感じる
あそこに電柱建てなくても…
やはり強い意志を感じますね…
@@hiroring0323 「ここは汽車は通しません」
真ん中が空いている列車作らないと、、、
詳しい内容は、控えさせて頂きます!西村京太郎さんも、お亡くなりになりましたので…
錆びたレール、踏切でぶった斬られたレール、解体される運命の駅舎は見ていて切なくなります。
切ないですね…
現役時代の写真を見ると
胸がキュンと成りました✨
新十津川駅はバス旅の乗り継ぎで映ったり鉄道ひとり旅でも現在の廃止路線を十津川から医療大学まで景色が色々と映し出されてました。
廃止の半年ほど前に初めて訪れました。あの時のきっぷ、小幌→新十津川は宝物。今度この辺りを訪ねてみようと思っています。沿線ずっと、ザ・北海道な景色が好きだったなぁ・・・。
小幌→新十津川…
いいですね~
@@hiroring0323そのきっぷを新千歳空港の窓口で頼んだ時の女性係員の表情が面白かったです(笑)
3月26日に桑園から北海道医療大学まで往復し
て来ました。エアポート編成でUシート乗車し
て快適でした。18キップ利用で得しました。
新十津川から北海道医療大学までは、以前に乗
車しました。
廃止されなかった駅は逆に利用客が多いのでJR北海道にとっては本当にありがたい路線であるのも実情ですね。新駅もできるので、ますます札沼線も賑わうと思うと嬉しいです。
残った部分の札沼線は、近年の北海道では珍しい発展している路線ですね。
2028年に北広島へ大学そのものが移転すると現在の終着駅も廃駅?
札沼線さらに短くなるのか?
短くなる可能性も…
新十津川駅…利用してみたかった
新十津川の駅舎も解体されてしまいましたね…
2020年4月17日。その日は私の父が亡くなり、いろいろ手続きやら何やらでバタバタして、ひとまず夕飯を食べようと家でTVをつけたら札沼線部分廃線のニュースが。
それだけに印象深い日でした。
GWいっぱいまで運行するって聞いてたけどコロナで予定が早まってしまった。乗りに行けなかったのは返す返すも惜しかった。
ひろりんさん、こんにちは。
以前北海道の廃線を伺った者です。行ってきました。
ここの石狩月形駅は、たまたま列車が来てないだけで、暫くしたら来るんじゃないかと錯覚すら覚える感じでたまりませんでした。
他に、勇網線・名寄本線・天北線・羽幌線・留萌本線(増毛)・歌志内線・夕張支線・万字線も巡ってきました。
個人的には万字駅が惹かれました。
ひろりんさんのアドバイスとUp画がとても参考になりました。感謝、感謝です!!
これからもいい画のUpよろしくお願い致します。
ガッツリ巡ってこられたようですね~
楽しんでこられましたか?
私は学生時代迄新琴似に住んでた関係で時たま札沼線を利用する事がありましたよ!
懐かしいですね。当時は単線非電化のローカル線でしたが今では生活路線に成長、複線電化が北海道医療大学まで実現しましたね!それ以北は廃止されてしまいましたが。がんばって欲しいですね。余談ですが、以前ワイド劇場十津川警部事件簿では新十津川や一部の駅等のロケ撮影にも使われましたね!🤓
この路線が現役の頃横を車で走っていました。
廃線直後に走ると黒いビニール袋で覆われた遮断機が悲しそうにいました。
今は遮断機も所々撤去されて、レールも撤去され始めました。
今のうちにいっぱい写真とって見ておこうと思います。
数年後には景色も変わってしまうと思うので、写真を撮るなら今のうちですね。
札沼線は新十津川まで乗ったのが1985年春が最初で、次に乗ったのが2012年に2回乗りました。いずれもキハ40でした。'85年の時は往復しましたが2012年の時は新十津川駅から滝川駅まで徒歩(真冬だったので1時間ぐらいかかった)、もう一回は中央バスで行きました。廃止直前のダイヤが朝9時台で新十津川駅から当別行きがなかったのが疑問だった…。自分は昼の時間帯の列車に乗りました。新十津川駅には馬がいた時期がありました。そして国道275号線から入るのに駅の位置がわかりづらかったです。風景は単調でしたが札幌エリアから一番近いローカル線というのが興味深いです。札沼線ではありませんが道内の違う区域で数年前にキハ40に乗った時、屋根の塗装からオレンジ色が少し見え、懐かしく感じました。
新十津川駅にいたポニー懐かしいですね…
当初ゴールデンウィーク明けの廃止日だったのが異例の2週間前倒しに驚きました。今のご時世とはいえ、地元の方々とマニア達はショックだったと思います。国鉄時代に買った新十津川駅の硬券入場券がコレクションのうちの一つです。もう一つは石狩当別から大学前と書かれた長いサイズの硬券(合格祈願と書かれているので縁起切符)もあります。昭和60年(1985年)のものです。大学前とは現在の北海道医療大学駅の旧駅名です。その約36年前に買った券を見るとその駅がまさか終着駅になるとは夢にも思いませんでした。又、大学前仮乗降場として1981年12月に誕生し、今年で40年になります。学園都市線の愛称の発祥も40年とは意外と歴史が浅い方だと思います。本当は電化される前のディーゼルカーが往来する路線時代の方が好きですが…。時代の流れを感じます。ちなみに札沼線に初めて乗ったのが1984年の春頃で釜谷臼駅(現:あいの里公園駅)から札幌駅まで乗った時です。乗った駅が無人駅だったので車内できっぷ(車片という名前の券❓️)を買いました。まだあいの里地域も建設中(ほぼ更地❓️)の時代でした。
ひろりんさんの、小さな駅に対する愛をひしひしと感じます😌✨
小さな駅好きなんですよね~
廃線廃駅を詳しく紹介していますね。ただ、廃線廃駅だけでなくほかにもいろんなものを紹介してほしいと思う。BGMはいいと思う。廃校とかの紹介にもこのB BGMを使用してほしい。
晩生内でいとこが米農家営んでいて何度も行ったことがあるのですが列車が走っているのを一度も見ることはなかったなぁ・・・・・。
懐かしい景色です
列車の本数は少なかったですからね…
新十津川から先の1972年廃線区間も是非今度お願いします!と言いたいところですが、なかなか厳しいのでしょうかね…?もうほとんど何も残ってないらしいですし、、
和の旧駅舎も解体されてしまいましたし、残っているのは碧水だけなので…
札沼線末端部はとっくに役目を失い、遅いくらいの廃線でしたが、鉄路を愛するものとして無条件に、札比内駅の現役時代の夜の写真がぐっとくる。。。
よくここまで残っていたなという感じでしたね。
札比内駅は何度も行きました…
札沼線末端部の廃止が迫っている頃、羽沢横浜国大〜新十津川という切符を発券してもらいましたが、例の休止で乗れずじまいとなってしまいました。生まれたての駅と終わりゆく駅を結ぶ約6ヶ月間のみの切符でした。
乗れなかったのは残念でしたが、羽沢横浜国大〜新十津川の切符はいいですね。
BGMがとてもいいのですが、そのBGMの名前は何でしょうか? ありがとう。
BGMは「夏の思い出」です。
ruclips.net/video/j72rz_MZxrs/видео.html
@@hiroring0323 ありがとう。
札沼線は北海道医療大学駅から新十津川駅まで国道275号線と付かず離れずの位置で平行してました。大抵立体交差やアンダーパスの形で国道と鉄道がクロスする箇所がありますが、この札沼線はずっと平行状態でした。国道275号線は札幌~旭川方面の近道で夏場のみしばしば使ってました。出来れば新十津川駅と滝川駅の連絡路線が欲しかったなぁ。それがあれば札沼線が残っていたかも知れない…。
石狩金沢の待合室、まるで保存されてる車両みたいで好きでした。廃止後の姿はやっぱり切ないです。
明かりが灯らなくなった駅舎は切ないですね…
石狩月形駅から10分くらいの所に住んでたので、すごい懐かしかったです...
知来乙駅で降りて月形町まで友達と星空見ながら歩いたのも良い思い出...
駅舎解体されないで欲しいな、、
廃線跡でもインターネットラジオが聞けますから忘れません。AMラジオに別れを告げましょう。ラジオの聞こえづらさにさよならですよ。
1994年度まで東日本学園大学と名乗っていて、駅名は大学前と言う表示で非電化の汽車が走っていました。当時は当別から新十津川までは朝昼晩の3往復有りました。
廃線前に乗っておこうと思いつつ、そのタイミングを見事に逃してしまい、結局乗ることができなかった。
流行り病のせいでとどめを刺された感じになっちゃったのは、本当に気の毒というか残念というか…
寂しい最期でしたね…
同じ札沼線とは思えないほど学園都市線電化区間のダッシュ時の混雑は凄いです。
函館本線はダッシュ時に3両編成の札幌行きを走らせていましたが車内はぎゅうぎゅう詰めの大混雑で6両編成へと変更になりました。それでも車内の混雑は解消されていません。
私も行って来ましたよ4月に友人といっしょに新十津川迄廃駅巡りして来ましたよ、以前列車で新十津川まで行きましたがこんなところに駅があったんだと新鮮な感じでした。それと新十津川駅は老朽化の為に8月位に解体するそうです。
行かれていましたか~
新十津川駅は8月頃に解体ですか…
14:29 豊ヶ岡駅 周辺の農地も緑に呑まれてますね
虚しい…
北海道では農地が原野に還っていることもよくありますね…
ひろりんさんコメントです。札沼線の部分廃止区間ですが、全盛期は駅員もいる駅もありましたし、浦臼駅前には国鉄バスの駐車場もありました。新十津川駅も部分廃止が先!ありさみしい感じかなと言っていた人がいました。ここの路線の駅は変わった名がありましたね。札比内駅とかです。今はバス停留所になりましたね。廃止区間はバスが3分割で走っていますが浦臼から当別までは車内で乗り継ぎ券を発行しています。外出が今より楽になったら廃線跡巡りをしようと思います。以上です。
浦臼や新十津川も駅員さんがいて、晩生内も簡易委託をしていましたね。石狩月形以北が全て無人駅になっても、末期まで札比内が簡易委託をしていたのは嬉しかったですね。
国鉄バス時代、浦臼駅からは区間列車代行の月形駅ゆき(鉄道の切符で乗れるバス)も走ってましたし、今の奈井江行きの町営バスも国鉄バス。新十津川を経由して滝川ゆきの路線もあったので一大ターミナルでしたね。
@@Su---- さん今返信します。その通りです。懐かしいですね。以上です。
北海道在住です! 最高です
昔の写真見てびっくりですよ、国道から見る今の景色と全然違って民家があって!!おっふの連続
オチの新十津川もある意味
@@豪-t6u かもね
北海道の中ではそこまで不便な土地でも無いのに、集落が消えていたりして驚きました。
廃線になる3年前に乗りに行きましたけど、新十津川で降りる時鉄道好きと思われる小学生の付き添いのご婦人以外
全員運転手に18切符を見せていたのが、あに図らんやでした。
新十津川から先、石狩沼田までの廃線跡は鉄橋が残っているのと雨竜駅跡に碑がある程度でした。
石狩追分駅跡にも碑ありますよ~
地元民より
まだ比較的新しい廃線だから綺麗に残ってるな…
まだ1年なのでほとんど残っていますね。
懸念されている通り、大半の駅が数年後には跡形も無く消滅していそうですね。
それにしても一往復区間の過疎具合は凄いですね。逆に昨年まで良く存続したという
べきでしょうか。石狩金沢駅の灯りが付いた写真は凄く綺麗ですが何とも言えない寂しさ
が漂っていて今回のベストショットじゃないかと思います。
来年辺り二駅は消えてそうですね
あと10年経ったら新十津川以北と何ら変わらない感じになりそう。
石狩金沢駅は台風直後に行ったんですが、見たことも無い空の色をしていたので予定を変更して立ち寄って写真に収めました。
コロナで撮り鉄が集まるのを防ぐために最終運転を繰り上げ、さよなら列車も中止になり、寂しい幕切れになってしまった路線。。
新十津川周辺が逆に発展しているのは、滝川駅にほど近いためかもしれませんね。
寂しい最期でした…
新十津川は川を越えたら直ぐ滝川ですもんね。
@@hiroring0323 新十津川(役場前)~滝川駅間は、今でも結構な本数(鉄道の10倍以上w)の路線バス走ってますよね。一日1本の札沼線を降りた後、滝川駅に向かって石狩川の橋を歩いてるマニアさんをよく見かけました。ほぼ平地だし30分ちょいで行けますから。
もうだいぶ解体が進んでいるようです
新十津川駅とかは跡形もないようですよ
駅舎、待合室の撤去がかなり進んでいるようですね…
あと、かつて沿線だった月形町は「月形町」の名の後に直ぐ(いきなり)番地が来るという住所表記の地区が有るそうです。[他に、茨城県境町や静岡県下田市など]
駅舎が、しっかりしてる所は、残してほしいですね。
豊ヶ岡駅の跨線橋からの駅の写真、ほんと美しいですね。
もう、二度と見られないのがさみしいです。
廃止されない方法がなかったのか、悔やまれます。
乗ってみたかった。
こんなに味のありすぎる路線が1年前まで残っていたのが凄いですね。もう二度と見ることが出来ないと思うと寂しいです…
今回の廃止区間は,数回撮影に出向いたので,記憶にしっかり残っているゆえ,線路が斬られた光景は余計寂しく感じるものですね。
豊ヶ岡駅の跨線橋に吹雪の中立って撮影したとか,月形駅近くの洋食屋さんのカレーが美味しかったとか,閉店ギリギリの浦臼温泉に入って夜の撮影で冷えきった身体を温めたとか,忘れられないですね。そして,金沢駅近くの酵母パンのおじさん,どうしているかなぁと思ったりします。
廃止になったところにわざわざ行くことは少ないのですが,沿線で出会った人と再会したい(向こうは全く覚えていないでしょうけど)なぁと,改めて感じました。
月形の洋食屋さんはいつの間にか店名が変わっていたけどやっている人は同じみたい。私もカレーライスを食べた事があります。
30年程前はライダーハウスもやっていて有蓋貨車の中で一晩を過ごしました。
1976年は大学前駅自体がまだなかったんですね・・・
1976年には駅が出来そうな雰囲気すらありませんでした…
おっふから始まる路線ですね。そしておっふな気持ちで終わる。本州でこれだけ平野が広がればそこそこ人家があるものですが、やはり北海道ですね。
思っていたよりもおっふ案件が多かったです。
廃線前に南下徳富駅だか行きましたが既に終汽車が行った後でした。昼の12時すぎだったんですがね。新十津川にも行きましたよ。なんかの証明書もらいました。
何も無いところが多かったので言葉にならないが正解でしょう。沼田まで繋がっていたのが信じられない。でも新十津川の駅すぎたところに遺構があるんですよね。水道管通してる影響で橋梁だけが残ってます
9:10 側線あったってことは昔は交換液だったのかもしれない
なんか側線入ってたから一瞬スルー線に見えました
札沼線は駅舎とホームの間にスペースのある駅が多かったですね。この感じだと貨物側線でしょうか。
幼少期に少しだけ時刻表と地図が好きだった自分がyoutubeが出てきて毎日のように鉄道動画を見るようになり
札沼線と三江線だけ乗りに行きました。(新十津川の駅名マグネットが冷蔵庫に付いてます)
奈良の十津川村から学生が丁度来てました、交流を続けて欲しいです。
過疎化→廃線→終焉の流れが悲しいですね。
まだ、日に数本の新十津川行きがあった頃に乗りました。当時は石狩当別で乗り換えでした。
新十津川まで行った戻り、疲れて寝こけて、気づいたらまた新十津川に向かっていて顔面蒼白になった(その日に千歳から飛行機で帰宅予定だった)のも、今は笑い話の思い出。
ちなみに、浦臼からバスで奈井江、そこから特急で札幌へ向かうことができ、飛行機には間に合いました。予定外のバス移動で鉄道では見られなかった石狩平野の景色が見られたのも、かえってよかったと思っています。
ホームを残す駅には、キハ40を置いてほしいですね。車両があると、現役当時の雰囲気が感じられます。
今となってはいい思い出ですね。
キハ40も解体が進んでいますから、どこかで保存して欲しいですね。
札沼線のラストランは確か
テレビでもやってましたね
なんだか切ない感じでした
急遽前倒ししての突然のラストランでしたからね…
貴重な資料との比較、とても分かりやすいです。
ありがとうございます!
続きです。
豊ヶ岡駅は、あの木造駅舎を移築して保存して欲しいと思うのですが、どうなるのか気になります。
これも前に書きましたが、ホームや駅舎の下にある土砂が雪解け水や雨で流されてしまうと、それが線路にまで及びそうな気がしてなりません。
札比内と晩生内は、姿形が似ていることから「兄弟駅」とも言われていましたが、昨シーズンの大雪の影響で晩生内が今回の廃駅でも最も早く解体され、札比内もおそらく次の冬が来る前に解体されそうな気がします。
>もう訪れることはないでしょう
私ならば、まだ更地になった様子をこの目で見ていませんので、今年の秋(天候次第)か来年の春にここを訪れたいです。国道に面していてアクセスしやすいですから、滞在時間はものの数分でしょうけれども。
札的駅ですが、偶然、同じ日の下り&上り列車に乗車していた人がここで下車し、近くにある坂本龍馬一族の墓へ行った様子を投稿しています。私は別に龍馬のファンでもないですし、仮にファンであったとしても車で行っていると思いますけれども。
この動画は、4本シリーズになっていまして、札的駅で降りるところは3本目の最後、龍馬一族の墓に関しては4本目になります。
ruclips.net/video/gNfoolTKCv8/видео.html
ruclips.net/video/Q7B0nhPUl-g/видео.html
ruclips.net/video/zyhsDBoZoyU/видео.html
ruclips.net/video/iMhkluBB7XE/видео.html
浦臼駅は、上の動画の中で、往時の様子を偲ぶことができます。隣接して歯医者さんが入居している建物がありますので、その歯医者さんが撤退でもしない限り、線路やホームは別にしても建物は何時までも残りそうな気がします。
それにしても、鋼製の屋根がへこむとは、いかにこの冬の雪(積雪・降雪量)がが凄かったかということを物語っていると思います。
鶴沼駅は、もう少し市街地寄り、道の駅とかがある場所にあれば利便性がよかったのでは思います。窓枠は意図的に外されたのでしょうね。
於札内駅は、駅名標のすぐ隣にある柵が錆びてボロボロになっていたのが印象的です。末期にはトラロープで補修されていまして、他の方がラストラン当時の早朝に撮影した動画では、冒頭に日の出と共に撮影され、私もコメントしています。
ruclips.net/video/seVnnV9i7jE/видео.html
>凄い立地ですね。
アクセスを考えれば、南側の道路に接する形で建てれば良かったと思います。昨年9月に行きましたが、レンタカー(軽自動車)であの細い道路を走るのは気が引けますので(自家用車でもどうだか)、踏切の近くに車を停めて徒歩で行きました。
南下徳富駅まで来ますと、手前の於札内もそうですが、両側に田畑が広がるので「いよいよ終点間近だな」という雰囲気になりましたね。
1972年に新十津川⇔石狩沼田間が廃止されるまでは、順に南下徳富・下徳富・中徳富・(新十津川・石狩橋本を挟んで)上徳富・北上徳富と、石北本線の「白滝兄弟シリーズ」みたく「徳富兄弟シリーズ」で駅巡り(スタンプラリー)ができたかも知れません。
下徳富駅は、以前、新十津川からの上り列車で十数人の団体が下車したことがあります。どうせならば、石狩当別までとは言わなくても石狩月形まで乗って欲しかったところですが。
ここもこの5月に行きました。駅舎は解体しても松の木は残して欲しいところですが、今後が気になります。
中徳富駅の跡地は、ウィキペディアから所在地を調べておかないと、絶対に辿り着けないと思います。何しろ、石碑も何もなく、ただ線路が通っているだけでしたから。私はそれで調べると共に、ストリートビューで線路東側にある青い車庫を目印にしておきました。
新十津川駅についてですが、貴方のことですから、多分、解体中若しくは解体後の様子を動画に上げると思いますので、その時にコメントしたいと思います。
私も廃線直後に新十津川駅に行って来ました。
最後に十津川警部シリーズでやってくれたのがせめてもの救いですかね。
医療大学前〜新十津川駅間は、かなり前にまだ南下徳富駅〜新十津川駅の間が3往復あった時に、一日散歩きっぷ(道央券)を使って、乗ったことが有ります😉
本数が3往復と少ないので、直ぐに折り返しましたが、今思うと新十津川駅をじっくり見て、それから滝川までバスか何かを利用して移動して、滝川駅から札幌圏の方に戻れば良かったなぁと、廃線になってしまった今、ちょっと後悔しているところです…😥
いや〜改めて見ると寂しい限りです。新十津川駅の記念切符いつまでも大事にします
廃線後は初めて行きましたが、廃線前の賑わいが嘘のように寂しい景色ばかりでした…
月形までは残しても良いと思ったんですがねえ・・・
部分廃止は仕方なかったとはいえ歯痒いです。
一時期は月形までの存続検討の話もありましたね…
@@hiroring0323 医療大学前までの路線も非電化のままで増強されていたら、月形までは残したかもしれませんね。なにせ、1路線で電化区間と非電化区間の並行運用。一往復だけのディーゼルカーの運用維持、それに関連する保守点検費用はバカにならないでしょうから、廃止も納得です。
一昨日(7/27)、クソ暑い中を移動中に新十津川駅に立ち寄りました。
なーんにもありませんでした。
厳密にいうと基礎だけ残ってて建物は跡形もなく。
乗らなきゃ廃止は仕方ないですよね…。
旧駅舎解体されてしまいましたね…
このチャンネルだと
街は発展してますがパワーワードになるんやな、
数年前に新十津川駅に行っておいて良かった。
新十津川役場に寄って記念証みたいなものを貰った記憶もある。
ちゃんと新十津川駅から列車にも乗ったし。
駅前のグッズ売り場の売店は無くなったのかなぁ。
私も役場に行って記念証貰いました。駅前のグッズ売店は閉店したようですね…
@@hiroring0323 「寺子屋」昨年秋で閉業しちゃったんですね。地元のご高齢の方が経営されていて、列車が来ない時間帯は地元の方たちの井戸端会議場でまったりとおばちゃんと話すことができたので残念。4年ほど前、店で硬券入場券を売ってたおじちゃんも、晩年は施設に入られたとの話を伺いました。
中小屋には温泉が有りますよね?
ありましたね。
今は営業していたか分かりませんが…
鉄道が地域を捨てた訳でもなく、地域が鉄道を捨てた訳でもなく、人々が地域を捨てたんだな
南下徳富で終電逃したら the end
ですね…
最初と最後がある意味凄かったですね
何も無かったところにポッと湧いたところが終着駅になってたり意外に発展してたり
踏切だけが速攻処分されてましたね
思っていたよりも変化が激しかったですね。
特に最初と最後が…
札沼線の廃線区間の状況を見ると、BRTになった気仙沼線や大船渡線がはるかに良かったと思える廃線区間です。
(まだ、並行して路線バスがかなりの本数運行しているのが幸いです。)
新十津川とか浦臼だと、特別急行がバンバン走ってる函館本線の方に行ってしまいますからねぇ…
そうなってしまいますね…
@@hiroring0323 月形は岩見沢から遠いし、当別か札幌までクルマでーとなるのでしょうけど
@@bakutaWRC2002 浦臼からだと、わざわざ函館本線側に行って電車乗る人はほとんどいないと思います。川向こうの一番近い奈井江駅は一時間一本。特急停車なし。品川~蒲田と同じ距離なので歩いては行けないし、町営バスは一日4~5本。大病院は月形にあるし。
@@Su---- ご指摘ありがとうございます。町営バス、そんなに本数無いんですか…
@@bakutaWRC2002 わずかながら需要のあった通院も、くしくも新十津川駅前と医療大学に大病院が設置されたので、わざわざ川を越えて普通電車しか停まらない駅の街に行く需要はほとんどないのかと。しいて挙げれば高校生通学客くらいでしょうか。この辺りの遠距離通学の小学生はもうほとんどスクールバスでしょうし。
先日、月ヶ岡から新十津川までの中徳富を除いた全駅を見て回りました。どの駅も駅跡はまだそのままのところも多いですが、その前後は自然に帰りつつあるようですね。。。
現在、新十津川駅は解体中のようです…
@@hiroring0323 あの日自分が業者に鉢合わせたのがやはり間違いじゃなかったんですね。ホントぎりのタイミングでした。行っておいて良かったです。
@@ふぁびN
ギリギリ間に合いましたね~
札沼線は日本の地方鉄道が歩んだ歴史といってもいいかもしれません。
新十津川を地盤とした政治家東武(あずまたけし)による我田引鉄による敷設の後、戦時中の不要不急線扱い(最長距離)で引き剝がされた、という時点で当該区間の運命はすでにきまっていたのでしょう。
そして、月形高校の生徒から廃止容認された時点で、当該区間の「学園都市線」としての命脈が尽きたといえます。
新十津川~石狩沼田は田中角栄以前の赤字83線で廃止、地方交通線への指定、全線廃線の危機から一転して沿線人口の大幅な人口増に伴う新駅設置、JRに移行してからの末端部のワンマン化、多数の改良気動車の投入、高架化、複線化、電化、ICカード対応。そして、新方式による区間廃線。
これらをたった1つの路線で経験したのはほかにあるでしょうか?しかも、北海道医療大学駅は、数少ない現存する不要不急線指定区間で、しかも電化区間です。
ロイズタウン駅が完成したとき、改めて札沼線現存区間と廃止区間とを取り上げてほしいと思います。
沿線の集落がことごとく消滅していて、もう何十年も前にすでに鉄道の使命がなくなっていたのに、一日一往復なんて運輸収入を上げる気がさらさらない状態で運行を続け無駄に赤字を垂れ流していた。ここはもっと早くに廃止するべきだった。
2008年の夏に青春18きっぷで浦臼駅まで行きました、駅前通りの突き当たりに小さなスーパーがありました、あそこでジュースとお菓子を買った時におばちゃんから声かかってきて、"あら台湾人ですか?こんな何も無い所によく来たね"...
"何も無い"って言うのは一つの特徴だから何も無いではないですよ、もう二度と電車で行けなくなったのは寂しい...
何も無いのが良いんですよね。
@@hiroring0323 「浦臼の駅は何もない春」に駅もない街になりました。
昔は 浦臼リゾートが期待されてて
富良野エクスプレスのような
リゾート列車の
夢を見た時期もあった札沼線
まだ
浦臼リゾートが事件になる前には
札幌⇆浦臼 なんて列車もあった
晩生内 於札内(これ読める人少ないし)
札沼線には頑張ってほしかったです。
神内ファームの偉い人も亡くなって
この地域はどうなるのでしょうね
元々何もない場所に関しては、昔の写真でも現在の写真でも同じ感想を抱きます。
|Д゜)きれいですね。
全部見ました!!
札沼線のUPありがとうございます😭😭
跡形もなくなくなってしまうのでしょうか…
一部は保存されるようですが、ほとんどは跡形も無くなってしまいそうですね…
2年前に新十津川駅と豊ヶ岡駅行きました
新十津川駅まで解体されてしまうとは
新十津川駅まで解体されてしまうのは寂しいですね…
序盤に4連続おっふでしたね.豊作でした.
沿線を巡るのは大変でしたか.
初っ端からおっふの連続でした。
駅跡がはっきりしているので、いつもに比べると楽でした。
廃線になると知ってから何10回も乗りに行って殆どの駅に訪問したなぁ(下徳富除く)
これからどうなっていくのか気がかり
数年後には景色がガラッと変わってしまいそうですね。
しかし、駅どころか何もなかった場所が札沼線(もうそう呼ばないかもしれないが)の新たな終着駅になるとはねぇ...
終着駅らしい雰囲気はさすがにありませんが…
晩生内を含めてこれからも何度か伺うのではないかと思っております。
何も無くなった駅跡にもまた行ってしまいそうです…
北海道医療大学駅を境に方や札幌へと続く電化路線、方や連続「おっふ」地帯と落差の激しい路線ですね
本当に落差の激しい路線でしたね。
キツネサン、登場しましたね❗
キツネさん、いらっしゃいました~
このコロナ禍で、ひっそりと廃線になってしまいましたよね…
日本一早い終電で有名な路線でしたね。
もう医療大学以降は列車の音が響かないと思うと寂しくなります(TT)
寂しい最期でしたね…
数年後には、農耕地に飲まれるか、原野に飲まれるかになりそうですね。。。車掌車駅も木造駅舎も最後の姿になりそうですね。。。
線路が農地を分断しているので、数年後には農地に飲まれそうですね…
中華に土地買われて北海道が乗っ取られるか、かな。
どっちにせよ、絶望的な北海道に変わりは無い
新十津川と浦臼の廃線跡は農地へ転換されることが決まっているみたいですので、数年後には1972年に廃止された新十津川⇔石狩沼田間みたいに廃線跡を探索するのは難しくなりそうですね。
木造駅舎では、晩生内が最も早く解体されて更地になっています。新十津川も間もなく解体が始まり、札比内もおそらく次の冬が来る前までに解体されそうです。
石狩金沢・本中小屋・中小屋の緩急車を用いた駅舎ですが、積雪には耐えうるものの、既に役割を終えたわけですから譲渡される当別町がどうするのか注目したいです。
去年9月、北海道医療大学、石狩金沢、石狩月形、豊ヶ岡、浦臼、新十津川を訪問しました。今になれば、他の駅に寄らなったのが残念でなりません。豊ヶ岡では藪がガサガサ音がしたときはビビりましたね。新十津川では記念乗車券をGETしました。
豊ヶ岡でそんな音がしたらビビりますね…
えっ?石狩月形駅が撤去予定ですか。さみしいですね。久しぶりに私も乗車経験のある廃線です。
、、、おっふばっかりですな。
ほとんどが撤去予定なんですよね…
0:45 でた!
【掟破りの逆おっふ !!】
昔の方がおっふ案件という新しいパターン。
まさかの逆おっふでした~
昔は「大学前」という駅名で
駅前に自販機があって
そこで初めて
コーンポタージュ という
お洒落な 飲み物を飲んだんだよ。