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エベレストベースキャンプからの帰りに加藤保男さんの石碑のあるタンボチェのゴンパに立ち寄りました。小学生の頃に動画内で紹介されている書籍をたまたま図書館で見つけて読み、エベレストへの興味が湧いたものの、まさかそれから数十年後に自分がそこにいるとは・・・と感慨深かったです。
コメントありがとうございます。加藤さんの慰霊碑があるのですね!
2015年のネパール大地震で、その場所が崩れてしまいました。碑はもうそこに行けないほど高くに取り残され、削られて崖下から見上げるだけ。何とかしたいと強く思っています。カモシカ隊の後輩にあたる世界山岳ガイドの近藤健司氏も賛意を表明してくれたが、とても困難なことのようです。
おかえりなさい。登頂に関係なくてもおかえりなさいです(*´ー`*)
僕から山を取ったら何も残らない。この短い言葉に加藤の生き様が凝縮されている気がする。手足の指を凍傷で失い、婚約者との結婚を目前に控え、母親との別れ際にもう生きて戻れないかもしれないとの予感があっても、山に登るしかなかった加藤。大好きだったエベレストで永遠の眠りについているのは加藤にとって本望だったと思いたい。
でもやっぱり布団の上で死にたかったと思いますよ。
@@yukkuri_adventureちょwww
お兄さんの判断ご立派ですね。家族なら生存を諦められないし、捜索して欲しいと思うでしょうし、なかなか出来ることではないと感じます✨
コメントありがとうございます。登山家であるからこそ、絶望的な状況で救助隊も危険であることが分かったのだと思います。
お兄さんも非常に優秀な登山家で、初めは「あの滝男の弟」といわれていたくらいだそうです。
加藤さんは子供のときのヒーローでした加藤保男さんを取り上げてくださりありがとうございます。
コメントありがとうございます。私は植村さんや小西さんの現役時代を知りませんが、当時はヒーローだったのですね。今の平出さんや山野井さんのような感じでしょうか。
全くぶれずに我が道を最後迄貫き通した姿はもはや天晴れだと思う。
コメントありがとうございます♪最後まで挑戦を忘れませんでした
動画ありがとうございます。お母様との別れがもう…😢 エベレストに魅入られたような最期。二次遭難を恐れて救助隊派遣を断念させたお兄様、御立派ですね。加藤さん小林さん、お二人の眠りが安らかでありますように。
コメントありがとうございます♪お兄さんも著名な登山家なので、判断が冷静だったと思います。
とても深い感銘を受けました。そして、こうして遭難された方々のお話しはそれぞれ違い、なんとも言えない気持ちになります。今ではこんな勇敢な若者も見ないし、山といえばお年寄り、みたいですが、真のクライマーとは、一般人からは憧れです。山の神様になって、安全に登山ができるように見守っておられる事でしょう。
ありがとうございます♪冬のヒマラヤに挑戦する日本人は殆どいなくなりました。
なんと凄まじい…!手足の指を無くして再度山に挑み続けるエネルギーは畏怖すら感じる。加藤さんにとってあるいは登山家にとって山とは何なのでしょうね
コメントありがとうございます♪山に挑み続けることは、生きることと同意義なのでしょうね
職場
生きる事と同じ…そうかも知れませんねひとつの困難を越えたら、次の困難に行ってしまう何故かは本人にも分からないそこに山があるからさ…😂山に好かれた先人たち😊
加藤さんは伝説の登山家です。絶対もっと知られて評価されるべき。
コメントありがとうございます。そうですね、ここまでエベレストに情熱を燃やした登山家はいなかったでしょうね。
今は絶版になった山渓社の自叙伝を読みました。残念ながら引っ越しの時に紛失したが。加藤さんと湯浅先生とは大学山岳部リーダー講習会で、一緒に3月の大日岳に山スキーで登らせてもらった。当時、エベレストのサミッターであった加藤さんはスーパスターのオーラを纏っており、憧れの的でした。人類初のエベレスト三冠王という勲章と引き換えに散った加藤さん…合掌!尚、日本山岳協会隊、日テレの番組はリアルタイムで見ていた。中村さんもお疲れ様でした。
凍傷による手足の指の切断後にもかかわらず、登山する姿勢はすごいですね。
コメントありがとうございます♪山をやめたら生きている意味がないと思ったようです。
憧れの人だった。快挙のニュースを聞くたびに歓喜し、次の登山の報道を知るたびに不安に駆られ、無事下山するまでの期間を、どうにもやりきれない思いで過ごした。怖かった。いつも「もうやめて」と思い続け、それでいて3冠王のニュースには躍り上がったものだ。急転直下の訃報を聞いたとき、作りかけのお節料理が、すうっと上にあがっていくのが見えた。気が付くと自分が床に倒れたのだった。保男さん忘れないあの日の悲しみ。「聞こえますか加藤さん返事してください、声が出せなかったらプッシュだけでもしてください。帰国するまでこのスイッチは切りません。保男さん!!」撤収して帰る仲間の叫び声が今も聞こえる。加藤星と名付けられた星が光る。永遠に…
コメントありがとうございます。お詳しいですね、加藤保男さんに近しいかたでしょうか?
@@yukkuri_adventure 加藤保男さんが日本人として世界のトップに立って活躍した世界の中の日本登山の歴史を、過ぎ去ったものとして忘れ去られそうな昨今、こんなふうに丁寧に世に紹介してくれる人がいることに、心から感謝します。保男さんのお姉さんは今も大宮で健在です。お知らせしようと思う。きっと喜んでくださるでしょう。
指を失ったあと山に戻るだけでもすごいのに、メスナーと競うほどになるだなんて、身体能力にも精神力にも脱帽するしかありません。
コメントありがとうございます。精神力というか執念はすさまじいですね、単に登攀能力だけでしたらもっと優れた人はいそうですが。
加藤やっちゃん、本当にカッコよかったです。1973 年のこの登山で、手と足の指を凍傷で切断して、富士山でリハビリのスキーをしていました。兄、滝男さんや、今井通子さん達が作った、JECC ( 日本エキスパート、クライマーズ クラブ) の中で、メキメキと頭角を表した、やす坊!こと、加藤やっちゃん、今、生きていないのが、残念です!それと、あんなに甘いマスクの日本人登山家には、会ったことがありません。心から、ご冥福をお祈り致します。
コメントありがとうございます。男前で女性からもてたようですね。
凍傷からの回復劇が凄すぎる。手術をして階段も満足に登れない状態だったのに翌年マッターホルン、更に翌年には7800m峰とか一足飛びどころじゃなくて驚愕
コメントありがとうございます。リハビリの努力は尋常ではなかったでしょうね。
凍傷恐ろしいです。私は雪国に住んでますが、手足の指さきを失う恐ろしさ、絶望感しかないです。そこまでしてまで成し遂げたいのが登山家という人達なんでしょうね
コメントありがとうございます。山に登ることは生きることと同意義なのでしょうね。
私も登山は詳しくないのですが、いつも楽しく拝啓させて頂いてます。加藤さんの超人的な執念と輝きを知ることが出来ました。加藤さんの登山には賛否両論あるかもしれませんね。世俗的な善悪を超えた挑戦だったと思います。エベレストを登る人にしか、加藤さんの心を推し量ることが出来ないような気がしました。クオリティーの高い動画ありがとうございました。また、楽しみにしています。
コメントありがとうございます♪また過分なお褒めの言葉を頂きありがとうございます。加藤さんの挑戦を一般人の常識で推し量ることは出来ないですね
何故か、登山が好きな人たちは山に惹かれるように登っていくんですよね…………命の危険が常に隣り合わせでも…なんとも不思議な話
コメントありがとうございます。危険と隣り合わせであるからこそ、惹かれているのだと思います。
選ばれし者のみに許される生き様。何がここまで加藤氏を駆り立てたのか・・・。我々凡人はただその軌跡をなぞる事しか出来ません。
コメントありがとうございます。やはり困難の追求そのものが生きることと同意義だったのでしょうか
悲しいですね😭無事帰ってこその成功のような気がします🥲でも指を13本失いながらのチャレンジ凄いです👏
コメントありがとうございます♪そうですね、加藤さんの冬季エベレストは厳密には登頂といえないと思います。
小学校のころに、この方の話しを知りました。残された母親の言葉が印象に残った。
コメントありがとうございます。お母さんも本を出されています。
@@yukkuri_adventure エベレストに消えた息子よですね
凄まじい話だな。自分は登山と言ったら高尾山と大山(丹沢山系)しか登った事がないのでその凄さは計り知れないです。
コメントありがとうございます♪常人には理解不能の領域です。
登山は全く詳しくないのですが、いつも興味深く楽しく拝見しています。登山家の精神力や体力、本当にすごいですね。そして山は美しく恐ろしいです‥。
コメントありがとうございます。加藤の精神力と凍傷から再起した気力は驚愕に値しますね
13本の指を失いそれでも冬季エベレスト山頂アタックに選ばれ成功するなんて、凄まじい精神力ですね…しかし、決死の思いで人類初の偉業を達成しても、さらに塗り替えられ、さらにその上を行こうと試み、その結果…その是非を論じる事はできませんが、冒険とはかくも厳しい世界であるか、と毎度思います。
コメントありがとうございます。山に賭ける情熱がすさまじいですね。
体の一部を失ってもなお挑み続けた冒険家魂に感涙を禁じえないご冥福を
コメントありがとうございます。よく再起されたものだと思います。
お!久しぶりの更新だ!やはりよく登山関連の著書読まれてクオリティ高い動画作成してくれるなぁ
コメントありがとうございます。しばらく更新できておらず、お待たせしてしまいました。出来るだけ関係図書は読んだうえで、動画を作成するようにしています。
登山家としての人生を燃え尽きたんだろうな… 山に魅せられた男の宿命世界最高峰の懐に抱かれて 安らかに眠れ
コメントありがとうございます。本当に登山家としての燃え尽きた人生ですね。最後の地も世界最高峰でした。
昔、今は無き伝説の雑誌『ビックリハウス』に何故かこの人のインタビューが載っていたんだけど、「僕は絶対山で死にたくない」という一言が強烈に記憶に残っていたので、遭難のニュースを聞いた時は子供心にとても複雑な気持ちになったのを、未だに忘れられない。
コメントありがとうございます。登山家はみんな山では死なないと言うのですが、実際には植村さんや長谷川さんも山で亡くなりました。
このときメスナーはどこかの8000メートル峰を敗退していた。私は「彼(加藤)は登った。僕は登れなかった。でも僕は生還した」という周刊誌に載った記事を読みました。メスナーは7000メートル以上の高所では泊まらないというやり方でした。
コメントありがとうございます♪メスナーも同時期に8000m峰冬季登頂に挑戦して断念していたはずです。
確かに加藤氏は冬季エベレスト登頂を果たしましたが下山してこそだとは思いました…それでも障がい者に認定されてまで挑戦することには凄さしか感じられないです。同じく障がいを背負っているものとして尊敬します。追記:いつか竹内洋岳さんの紹介もしてください!
コメントありがとうございます。竹内さんはいつか取り上げなければならないと思い、計画中です。
面白いチャンネルを知ってしまった♪登山家さんの事なんて普通に生活してたら知ることなど無いだろうに・・・山と言う怪物に果敢に挑戦する人々をこれからも見ていきたい・・・孤高の人って漫画パラッと読んだ事あったけど 読み返して見ようと思た♪
コメントありがとうございます。孤高の人は面白いですね、加藤文太郎の動画もアップしていますので是非ご視聴ください
凄いオールスター。
3シーズン制覇ですからね
長谷川恒男って凄いな
超人ですね
70年代の登山雑誌を賑わした著名な登山家はその後殆どが山から帰ってこなかった
コメントありがとうございます。御存命なのはラインホルトメスナー氏ぐらいかもしれませんね
やすべえさんは、メスナーへの対抗心はあったでしょうね。しかし、足の前3分の1が無くてクライミングしちゃうって想像もできないです。あと、遭難時の滝男さんのドライな反応にもいろいろ考えさせられちゃいますね。
コメントありがとうございます。足指切断後は困難なクライミングから離れて、高所登山中心になったみたいです。
毎度思いますがメスナーの記録がすごすぎてにわかには信じがたい思いですが心肺能力がよほど優れていたのでしょうかね。もしそうだとしたら最終的に登山の能力とは本人の努力ではなく産まれ持った身体能力に依存するものという残酷な結果が突きつけられる気がします。
コメントありがとうございます。高所への順応性は先天的なもので、年齢や体力に影響されないと言われていますね。
加藤さんの冬季エベレスト登頂、その後のニュースはリアルタイムでよく覚えています。加藤さん、森田さん、長谷川さん…厳しい世界です。
コメントありがとうございます。そうすね、凍傷から再起した小西政継さんも亡くなってしまいました。
南西壁は2,500m弱くらいでしょうか。末端のウエスタンクウムが約6,500mくらいですからね。加藤保男さんは私が駆け出しのころの憧れの人でした。動画ありがとうございます。
すみません、標高差4000mというのは間違いですね。ご指摘ありがとうございます。
そんな体になってもまだ登るのやめられないなんてまるでジャンキーじゃないか!登山中毒だよ
コメントありがとうございます♪はい、中毒です
さいたま市見沼の市営霊園に加藤さんの墓があります。山をイメージした広く立派なお墓です。
お墓も山をイメージしているのですね、ありがとうございます♪
いつも拝見する度にBGMのセンスが凄く良く見てていて心地よいです。特に10:44から流れるBGMが凄く好きです。差し支えなければ教えていただけないでしょうか?
コメントありがとうございます♪まんぼう二等兵さんのワスレナグサですruclips.net/video/XVS89TkyxTw/видео.html&feature=share
加藤を批判し、「冬季8000メートルでビバークすれば死ぬのは当たり前」と言った小西政継も、酸素切れでマナスルに登頂し行方不明になった。自分も同じ愚を行ってしまったわけだ。人が物事の価値、意味を真に理解するのは、生命の危機に直面したときなのかもしれない。
コメントありがとうございます。小西さんはなぜビバークしたんだ、何が何でも下るべきだったと述べられてますね。
保男さんが小学校で講演した時の詳細がネットで見れるようになっていて、それを拝読して彼に興味を持ちました。イケメンでニヒルな山男。以後登山家について調べていますが、なんと山で散る人の多い事か… まさに、山に生き山に死す。魅せられた男達というのは、こうまでして未踏の地に行きたがるのでしょうかね。夢追い人は美しいが、悲しい物語を美談にしてはいけないですよ。残された人の気持ちを思うと。ただ、人の本当の死は、人から忘れ去られた時と思う。ならば、彼らは肉体は死すとも、その記録と共に生き続けるのでしょうね。それは、彼らにとっては本望なのかもしれない…
コメントありがとうございます。山で死ぬことは山男の本望ではないと思います。ただ生死ギリギリの挑戦を続けることは本望であったと思います。
冒頭1分あたりからのBGMがかわいらしくて好きです。何の曲ですか?
コメントありがとうございます。お転婆恋娘のアレンジです。
手足の指が凍傷で切除されている登山者を山仲間の知り合いが何人かいます。反社会的立場の方から指の存在数で一目おかれ入院中兄貴呼ばわりされたとかの武勇伝の持主の猛者もいてます。厳冬期のクライミングを継続する登山家は煙草を止めます。指先の毛細血管が煙草が原因で血行障害を引き起こし指先の体温が低下し凍傷になる可能性が高く成るからです。
コメントありがとうございます。冬山で登攀するような人はあまりたばこをしない印象です。テントの中で吸ったらひんしゅくですし、外で吸うのも大変ですしね。
有り難う御座います。私も若い頃煙草が原因でテントを追い出されました。山行で冬の硫黄尾根経由槍ヶ岳北鎌下降の際で愛煙家は雪洞でビバークしろとリーダーからの命令、それ以来我慢して煙草を止めることができた、今では、あの言葉に感謝してます。雪洞ビバークする事なく今に至る。昨日加藤文太郎のコメントでは北鎌平の雪洞ビバークの時は、槍ヶ岳西稜尾根にアタック前日です。此の時は、メンバー3名私も含め愛煙家でした。
OLYMPUS OM-1という一眼レフカメラのカタログに姿が載っていた。1983年頃だったが、その時には、もう故人だったことをこのチャンネルで知った。
コメントありがとうございます。カメラの広告をされていましたね。男前でした。
作中登場した多くの方々が山で最期を迎えられているんですね。月並みな言い方しか出来ませんが、厳しい世界ですね。
コメントありがとうございます♪山で亡くなっていないのは、メスナーさんと滝男さんくらいですね。森田さんも長谷川さんも、山で亡くなってしまいました。
その志は誉れ高い、だが山に呑まれた気狂い まあ男は何時だって夢見て笑って死ぬ生き物か
たしかに吞まれちゃってますね、、
長谷川さんが助けに行きましたが、この時にベースキャンプからとんでもない言葉が無線から聞こえたと有名な話しですが、キャンプ側の人は否定してますね。どちらが本当なのでしょうね?
コメントありがとうございます♪長谷川さんの動画で取り上げましたが、私は事実のような気がします。
小西政継や長谷川恒男といった、「非エリート」系アルピニストからは、実力では一目置かれつつも、距離を置かれていました。大学山岳部を主軸とし、全盛期だった日本山岳会の寵児ではあっても、多大のスポンサー支援と日本テレビの岩下ディレクターの自己満足的演出。その結果がメスナーも酷評した、部分的ソロでサポーターをも巻き込んだ最期のアタックでした。マスコミに持ち上げられ、マスコミの犠牲になったクライマーだったと思います。パイオニアとしてはエベレスト初登頂の植村直己には及びません。
コメントありがとうございました。確かにバリエーションでも無酸素でもないので、登攀価値は低いのかもしれません。
クルティカを取り上げていただけると嬉しいです
コメントありがとうございます。ローツェで亡くなった方ですね、調べてみます。
@@yukkuri_adventure ありがとうございます。ククチカではなく、クルティカのほうが山の世界で話題になっているのでいいかな!
登山はリクレーションとして楽しむものだという認識からすると、命かけてここまでやらなくてもと思う人もいるかもしれませんね。
命を賭けてこそ、見えてくるものが加藤にはあったのかもしれませんね、
永遠、無限のエベレストへのチャレンジ、凡人には、わからない。死への最終点を、探し求めているのが、しんどい、ハッピーエンドが無いみたい、合掌。
本人は決して死ぬつもりで登ってる訳ではないですが、、傍目からみたらそう見えますね
オリンパスのCMで見た。綺麗な写真でやさ男の風貌だった
コメントありがとうございます。男前で女性からはかなりモテたそうです。
「帰ったら結婚しよう」はあかんてー!
残念ながら死亡フラグとなってしまいました。
👍👍👍
サムアップありがとうございます♪
加藤保憲は帝都物語の男です
誰ですか?
加藤保男さんや長谷川恒夫さんて、超人的な山男だったんですね。一寸古いが、松濤明 氏を取り上げてほしいです。
コメントありがとうございます。少し古いですが、松濤明さんの動画は作成済みです。宜しければご視聴ください。ruclips.net/video/3KPJJ5B2Cpw/видео.html
登山がスポーツ化しているよなぁ記録記録記録…なんか悲しい
コメントありがとうございます。この時代は誰もが未踏ルートを追い求めていました。
最初の登頂時に、酸素残量1時間と判った時点で登頂を中止するべきでした。三度目も帰りの酸素が無くなっています。まるで立派な人みたいに持て囃しているけれど、登山家としては失格。無事に下山して初めて登頂成功です。二度目以外は無事に下山できていない。一度目に生き残れたのは運が良かっただけでしかありません。しがらみに縛られていたのは気の毒だけど、撤退する勇気が登山の大原則。こういう、帰りを待っている人の気持ちを考えられずに我武者羅な無茶をする人をマスゴミ含めて持ち上げるようなことをするから、同じように無茶・無理をする人が続いて死者や悲しむ遺族を増やしてしまう。二度目に頂上に達した時のお父さんのマスコミへの言葉、「帰ってきてからにしてくれ」に無事を祈る待つ者の気持ちがあふれていて悲しいです。
無事下山を願う家族にバンザイしろってマスコミはどうかと思います。
ナントカの戦争という、ものの例えがありますが、一見、趣味や芸術に見えて、軍事的に貢献しているものがあると思います。「これだけできる人が、日本の味方をするぞ。」と、伝えることは、ミサイルや軍艦と同じくらい戦力の一つではないかと思います。単に武器だけあっても、ならば危険だからとっとと潰そうと本気で来るでしょう?協調性があって人なつっこい強い男性が日本にいたら、まあすぐには使わないかと様子を見てくれたりするのではないでしょうか。結局プラマイゼロかもしれないけど、どこかで無駄にならず、平和とかになってると良いですね。
コメントありがとうございます。当時、ヨーロッパの登山家たちは日本人の命知らずな山への挑戦をみて、神風特攻隊を連想したと言われています。
@@yukkuri_adventure様戦争が始まってしまったら、いかに自害するかは考えましたが、活発に生きる方々の気持ちは、とうとう、解りませなんだ。
登山家ってマゾしかいないのかよ~(^^)/
否定出来ません。
いつかは、山に抱かれて眠ることになる。それで本望なんだ。
本望ではなかった気がします。やはり加藤さんも下山したかったでしょうね。
ご本人もさることながら、ご家族の覚悟が・・・(T_T)
コメントありがとうございます。お兄さんも著名な登山家でした。
ヤンジャンの孤高の人は自問自答ばかりで、こっちの方が楽しめた
コメントありがとうございます。孤高の人の加藤は保男ではなく、文太郎の方ですね
フラグ立てちゃうから死んじゃうんだよ;;
コメントありがとうございます。帰ったら結婚しようはタブーですね。
ガンダムの黒い三連星のジェットストリームアタックはこれから命名されたみたいだ⁉
コメントありがとうございます。どういうことですか?
登場人物がほとんど若くして亡くなってる…
パチンコに勝ち続けることに生涯をかけるのと何が違うのか教えてほしい。最後は必ず負ける。
コメントありがとうございます。パチンコに生涯を捧げても、こうして語り継がれることはなかったでしょうね。
両足のつま先から10cm切断しても諦めなかった人と言えば、1965年にマッターホルン北壁を登攀した芳野満彦氏を思い出します。そんな前例が既にありますから加藤氏も諦めなかったのかな?少なくとも参考にはしていただろうな、、、という気がしました。(私個人の勝手な推測ですが、、)
コメントありがとうございます。実は加藤さんの自伝には小西さんとともに、芳野さんの話も出てきています。小西さんのほうが知られているかな、と思って動画では小西さんの名前だけを上げてしまいました。芳野さん、申し訳ございません。
栄光の岸壁の人ですね。
俺この登山から帰ったら結婚するんだ、完全に死亡フラグじゃないですか・・・
まさにそうです。婚約者のかたもお可哀そうです。
他の手足を切断した人に勇気を与える?流石に思い上がりだろう動画面白かったです
コメントありがとうございます。視覚障害のかたなどもエベレストに登頂されてますので、加藤さんの登頂に触発されるかたもいたかもしれません。
登山家と言うのは、どうしてそんなに死に急ぐんだろう。常人の自分には理解出来そうにない世界だ。
コメントありがとうございます。『山は逃げない』はウソ、登れるチャンスがあるなら突っ込むべきという言葉も裏ではあります。
みんな早死にしてる人多いなぁ( ´-`)
この時代の登山家はみな山で死んでますね。
未熟😢
メスナーの化け物ぶりが伺い知れる…よ。
メスナーは別格ですね!
@@yukkuri_adventure メスナーのエベレスト…お願い出来ませんかね?
生きて帰れなきゃクリキノブカズと変わらんやん
登頂できているので全然違います。
@@yukkuri_adventure 婚約者、家族、友人を泣かせちゃね。ありきたりな言い回しだけど家に帰るまでが、、だよ。
やはり、山は麻薬と同じでやめられず中毒になり、最後は、やはり命ォ落としてしまうのですね?それでは失礼致します。😂😂😂😂
1
最初のコメントありがとうございました
兄弟でバカなことしてたのか…
加藤滝男・保男兄弟は当時有名だったようです。
こういう登山で、ハクキンカイロとかもっていくのはダメなのかな?ハクキンカイロだったら少量の燃料で長時間暖かいし、結構有効だと思うんだけどな。
コメントありがとうございます♪1gでも荷物を軽くしないといけないのて、どうでしょうか?
エベレストベースキャンプからの帰りに加藤保男さんの石碑のあるタンボチェのゴンパに立ち寄りました。小学生の頃に動画内で紹介されている書籍をたまたま図書館で見つけて読み、エベレストへの興味が湧いたものの、まさかそれから数十年後に自分がそこにいるとは・・・と感慨深かったです。
コメントありがとうございます。
加藤さんの慰霊碑があるのですね!
2015年のネパール大地震で、その場所が崩れてしまいました。碑はもうそこに行けないほど高くに取り残され、削られて崖下から見上げるだけ。何とかしたいと強く思っています。カモシカ隊の後輩にあたる世界山岳ガイドの近藤健司氏も賛意を表明してくれたが、とても困難なことのようです。
おかえりなさい。
登頂に関係なくてもおかえりなさいです(*´ー`*)
僕から山を取ったら何も残らない。この短い言葉に加藤の生き様が凝縮されている気がする。手足の指を凍傷で失い、婚約者との結婚を目前に控え、母親との別れ際にもう生きて戻れないかもしれないとの予感があっても、山に登るしかなかった加藤。大好きだったエベレストで永遠の眠りについているのは加藤にとって本望だったと思いたい。
でもやっぱり布団の上で死にたかったと思いますよ。
@@yukkuri_adventure
ちょwww
お兄さんの判断ご立派ですね。家族なら生存を諦められないし、捜索して欲しいと思うでしょうし、なかなか出来ることではないと感じます✨
コメントありがとうございます。
登山家であるからこそ、絶望的な状況で救助隊も危険であることが分かったのだと思います。
お兄さんも非常に優秀な登山家で、初めは「あの滝男の弟」といわれていたくらいだそうです。
加藤さんは子供のときのヒーローでした
加藤保男さんを取り上げてくださりありがとうございます。
コメントありがとうございます。
私は植村さんや小西さんの現役時代を知りませんが、当時はヒーローだったのですね。今の平出さんや山野井さんのような感じでしょうか。
全くぶれずに我が道を最後迄貫き通した姿はもはや天晴れだと思う。
コメントありがとうございます♪
最後まで挑戦を忘れませんでした
動画ありがとうございます。お母様との別れがもう…😢 エベレストに魅入られたような最期。二次遭難を恐れて救助隊派遣を断念させたお兄様、御立派ですね。加藤さん小林さん、お二人の眠りが安らかでありますように。
コメントありがとうございます♪
お兄さんも著名な登山家なので、判断が冷静だったと思います。
とても深い感銘を受けました。そして、こうして遭難された方々のお話しはそれぞれ違い、なんとも言えない気持ちになります。今ではこんな勇敢な若者も見ないし、山といえばお年寄り、みたいですが、真のクライマーとは、一般人からは憧れです。山の神様になって、安全に登山ができるように見守っておられる事でしょう。
ありがとうございます♪
冬のヒマラヤに挑戦する日本人は殆どいなくなりました。
なんと凄まじい…!
手足の指を無くして再度山に挑み続けるエネルギーは畏怖すら感じる。加藤さんにとってあるいは登山家にとって山とは何なのでしょうね
コメントありがとうございます♪
山に挑み続けることは、生きることと同意義なのでしょうね
職場
生きる事と同じ…
そうかも知れませんね
ひとつの困難を越えたら、
次の困難に行ってしまう
何故かは本人にも分からない
そこに山があるからさ…😂
山に好かれた先人たち😊
加藤さんは伝説の登山家です。絶対もっと知られて評価されるべき。
コメントありがとうございます。
そうですね、ここまでエベレストに情熱を燃やした登山家はいなかったでしょうね。
今は絶版になった山渓社の自叙伝を読みました。残念ながら引っ越しの時に紛失したが。加藤さんと湯浅先生とは大学山岳部リーダー講習会で、一緒に3月の大日岳に山スキーで登らせてもらった。当時、エベレストのサミッターであった加藤さんはスーパスターのオーラを纏っており、憧れの的でした。人類初のエベレスト三冠王という勲章と引き換えに散った加藤さん…合掌!尚、日本山岳協会隊、日テレの番組はリアルタイムで見ていた。中村さんもお疲れ様でした。
凍傷による手足の指の切断後にもかかわらず、登山する姿勢はすごいですね。
コメントありがとうございます♪
山をやめたら生きている意味がないと思ったようです。
憧れの人だった。快挙のニュースを聞くたびに歓喜し、次の登山の報道を知るたびに不安に駆られ、無事下山するまでの期間を、どうにもやりきれない思いで過ごした。怖かった。いつも「もうやめて」と思い続け、それでいて3冠王のニュースには躍り上がったものだ。急転直下の訃報を聞いたとき、作りかけのお節料理が、すうっと上にあがっていくのが見えた。気が付くと自分が床に倒れたのだった。保男さん忘れないあの日の悲しみ。「聞こえますか加藤さん返事してください、声が出せなかったらプッシュだけでもしてください。帰国するまでこのスイッチは切りません。保男さん!!」撤収して帰る仲間の叫び声が今も聞こえる。加藤星と名付けられた星が光る。永遠に…
コメントありがとうございます。
お詳しいですね、加藤保男さんに近しいかたでしょうか?
@@yukkuri_adventure 加藤保男さんが日本人として世界のトップに立って活躍した世界の中の日本登山の歴史を、過ぎ去ったものとして忘れ去られそうな昨今、こんなふうに丁寧に世に紹介してくれる人がいることに、心から感謝します。保男さんのお姉さんは今も大宮で健在です。お知らせしようと思う。きっと喜んでくださるでしょう。
指を失ったあと山に戻るだけでもすごいのに、メスナーと競うほどになるだなんて、身体能力にも精神力にも脱帽するしかありません。
コメントありがとうございます。
精神力というか執念はすさまじいですね、単に登攀能力だけでしたらもっと優れた人はいそうですが。
加藤やっちゃん、本当にカッコよかったです。1973 年のこの登山で、手と足の指を凍傷で切断して、富士山でリハビリのスキーをしていました。兄、滝男さんや、今井通子さん達が作った、JECC ( 日本エキスパート、クライマーズ クラブ) の中で、メキメキと頭角を表した、やす坊!こと、加藤やっちゃん、今、生きていないのが、残念です!それと、あんなに甘いマスクの日本人登山家には、会ったことがありません。心から、ご冥福をお祈り致します。
コメントありがとうございます。
男前で女性からもてたようですね。
凍傷からの回復劇が凄すぎる。手術をして階段も満足に登れない状態だったのに翌年マッターホルン、更に翌年には7800m峰とか一足飛びどころじゃなくて驚愕
コメントありがとうございます。
リハビリの努力は尋常ではなかったでしょうね。
凍傷恐ろしいです。私は雪国に住んでますが、手足の指さきを失う恐ろしさ、絶望感しかないです。そこまでしてまで成し遂げたいのが登山家という人達なんでしょうね
コメントありがとうございます。
山に登ることは生きることと同意義なのでしょうね。
私も登山は詳しくないのですが、いつも楽しく拝啓させて頂いてます。
加藤さんの超人的な執念と輝きを知ることが出来ました。
加藤さんの登山には賛否両論あるかもしれませんね。
世俗的な善悪を超えた挑戦だったと思います。
エベレストを登る人にしか、加藤さんの心を推し量ることが出来ないような気がしました。
クオリティーの高い動画ありがとうございました。
また、楽しみにしています。
コメントありがとうございます♪
また過分なお褒めの言葉を頂きありがとうございます。加藤さんの挑戦を一般人の常識で推し量ることは出来ないですね
何故か、登山が好きな人たちは山に惹かれるように登っていくんですよね…………命の危険が常に隣り合わせでも…なんとも不思議な話
コメントありがとうございます。
危険と隣り合わせであるからこそ、惹かれているのだと思います。
選ばれし者のみに許される生き様。何がここまで加藤氏を駆り立てたのか・・・。我々凡人はただその軌跡をなぞる事しか出来ません。
コメントありがとうございます。
やはり困難の追求そのものが生きることと同意義だったのでしょうか
悲しいですね😭無事帰ってこその成功のような気がします🥲でも指を13本失いながらのチャレンジ凄いです👏
コメントありがとうございます♪
そうですね、加藤さんの冬季エベレストは厳密には登頂といえないと思います。
小学校のころに、この方の話しを知りました。残された母親の言葉が印象に残った。
コメントありがとうございます。
お母さんも本を出されています。
@@yukkuri_adventure
エベレストに消えた息子よですね
凄まじい話だな。
自分は登山と言ったら高尾山と大山(丹沢山系)しか登った事がないのでその凄さは計り知れないです。
コメントありがとうございます♪
常人には理解不能の領域です。
登山は全く詳しくないのですが、いつも興味深く楽しく拝見しています。
登山家の精神力や体力、本当にすごいですね。
そして山は美しく恐ろしいです‥。
コメントありがとうございます。
加藤の精神力と凍傷から再起した気力は驚愕に値しますね
13本の指を失いそれでも冬季エベレスト山頂アタックに選ばれ成功するなんて、凄まじい精神力ですね…
しかし、決死の思いで人類初の偉業を達成しても、さらに塗り替えられ、さらにその上を行こうと試み、その結果…その是非を論じる事はできませんが、冒険とはかくも厳しい世界であるか、と毎度思います。
コメントありがとうございます。
山に賭ける情熱がすさまじいですね。
体の一部を失ってもなお挑み続けた冒険家魂に感涙を禁じえない
ご冥福を
コメントありがとうございます。
よく再起されたものだと思います。
お!
久しぶりの更新だ!やはりよく登山関連の著書読まれてクオリティ高い動画作成してくれるなぁ
コメントありがとうございます。
しばらく更新できておらず、お待たせしてしまいました。
出来るだけ関係図書は読んだうえで、動画を作成するようにしています。
登山家としての人生を燃え尽きたんだろうな…
山に魅せられた男の宿命
世界最高峰の懐に抱かれて 安らかに眠れ
コメントありがとうございます。
本当に登山家としての燃え尽きた人生ですね。
最後の地も世界最高峰でした。
昔、今は無き伝説の雑誌『ビックリハウス』に何故かこの人のインタビューが載っていたんだけど、
「僕は絶対山で死にたくない」という一言が強烈に記憶に残っていたので、遭難のニュースを聞いた時は
子供心にとても複雑な気持ちになったのを、未だに忘れられない。
コメントありがとうございます。
登山家はみんな山では死なないと言うのですが、
実際には植村さんや長谷川さんも山で亡くなりました。
このときメスナーはどこかの8000メートル峰を敗退していた。
私は「彼(加藤)は登った。僕は登れなかった。でも僕は生還した」という周刊誌に載った記事を読みました。
メスナーは7000メートル以上の高所では泊まらないというやり方でした。
コメントありがとうございます♪
メスナーも同時期に8000m峰冬季登頂に挑戦して断念していたはずです。
確かに加藤氏は冬季エベレスト登頂を果たしましたが下山してこそだとは思いました…
それでも障がい者に認定されてまで挑戦することには凄さしか感じられないです。
同じく障がいを背負っているものとして尊敬します。
追記:いつか竹内洋岳さんの紹介もしてください!
コメントありがとうございます。
竹内さんはいつか取り上げなければならないと思い、計画中です。
面白いチャンネルを知ってしまった♪
登山家さんの事なんて普通に生活してたら知ることなど無いだろうに・・・
山と言う怪物に果敢に挑戦する人々をこれからも見ていきたい・・・
孤高の人って漫画パラッと読んだ事あったけど 読み返して見ようと思た♪
コメントありがとうございます。
孤高の人は面白いですね、加藤文太郎の動画もアップしていますので是非ご視聴ください
凄いオールスター。
3シーズン制覇ですからね
長谷川恒男って凄いな
超人ですね
70年代の登山雑誌を賑わした著名な登山家はその後殆どが山から帰ってこなかった
コメントありがとうございます。
御存命なのはラインホルトメスナー氏ぐらいかもしれませんね
やすべえさんは、メスナーへの対抗心はあったでしょうね。
しかし、足の前3分の1が無くてクライミングしちゃうって想像もできないです。
あと、遭難時の滝男さんのドライな反応にもいろいろ考えさせられちゃいますね。
コメントありがとうございます。
足指切断後は困難なクライミングから離れて、高所登山中心になったみたいです。
毎度思いますがメスナーの記録がすごすぎてにわかには信じがたい思いですが心肺能力がよほど優れていたのでしょうかね。もしそうだとしたら最終的に登山の能力とは本人の努力ではなく産まれ持った身体能力に依存するものという残酷な結果が突きつけられる気がします。
コメントありがとうございます。
高所への順応性は先天的なもので、年齢や体力に影響されないと言われていますね。
加藤さんの冬季エベレスト登頂、その後のニュースはリアルタイムでよく覚えています。
加藤さん、森田さん、長谷川さん…厳しい世界です。
コメントありがとうございます。
そうすね、凍傷から再起した小西政継さんも亡くなってしまいました。
南西壁は2,500m弱くらいでしょうか。
末端のウエスタンクウムが約6,500mくらいですからね。
加藤保男さんは私が駆け出しのころの憧れの人でした。
動画ありがとうございます。
すみません、標高差4000mというのは間違いですね。
ご指摘ありがとうございます。
そんな体になってもまだ登るのやめられないなんて
まるでジャンキーじゃないか!登山中毒だよ
コメントありがとうございます♪
はい、中毒です
さいたま市見沼の市営霊園に加藤さんの墓があります。山をイメージした広く立派なお墓です。
お墓も山をイメージしているのですね、ありがとうございます♪
いつも拝見する度にBGMのセンスが凄く良く見てていて心地よいです。
特に10:44から流れるBGMが凄く好きです。
差し支えなければ教えていただけないでしょうか?
コメントありがとうございます♪
まんぼう二等兵さんのワスレナグサです
ruclips.net/video/XVS89TkyxTw/видео.html&feature=share
加藤を批判し、「冬季8000メートルでビバークすれば死ぬのは当たり前」と言った小西政継も、酸素切れでマナスルに登頂し行方不明になった。自分も同じ愚を行ってしまったわけだ。
人が物事の価値、意味を真に理解するのは、生命の危機に直面したときなのかもしれない。
コメントありがとうございます。
小西さんはなぜビバークしたんだ、何が何でも下るべきだったと述べられてますね。
保男さんが小学校で講演した時の詳細がネットで見れるようになっていて、それを拝読して彼に興味を持ちました。イケメンでニヒルな山男。以後登山家について調べていますが、なんと山で散る人の多い事か… まさに、山に生き山に死す。魅せられた男達というのは、こうまでして未踏の地に行きたがるのでしょうかね。
夢追い人は美しいが、悲しい物語を美談にしてはいけないですよ。残された人の気持ちを思うと。
ただ、人の本当の死は、人から忘れ去られた時と思う。
ならば、彼らは肉体は死すとも、その記録と共に生き続けるのでしょうね。
それは、彼らにとっては本望なのかもしれない…
コメントありがとうございます。
山で死ぬことは山男の本望ではないと思います。
ただ生死ギリギリの挑戦を続けることは本望であったと思います。
冒頭1分あたりからのBGMがかわいらしくて好きです。何の曲ですか?
コメントありがとうございます。
お転婆恋娘のアレンジです。
手足の指が凍傷で切除されている登山者を山仲間の知り合いが何人かいます。反社会的立場の方から指の存在数で一目おかれ入院中兄貴呼ばわりされたとかの武勇伝の持主の猛者もいてます。厳冬期のクライミングを継続する登山家は煙草を止めます。指先の毛細血管が煙草が原因で血行障害を引き起こし指先の体温が低下し凍傷になる可能性が高く成るからです。
コメントありがとうございます。
冬山で登攀するような人はあまりたばこをしない印象です。
テントの中で吸ったらひんしゅくですし、外で吸うのも大変ですしね。
有り難う御座います。私も若い頃煙草が原因でテントを追い出されました。山行で冬の硫黄尾根経由槍ヶ岳北鎌下降の際で愛煙家は雪洞でビバークしろとリーダーからの命令、それ以来我慢して煙草を止めることができた、今では、あの言葉に感謝してます。雪洞ビバークする事なく今に至る。昨日加藤文太郎のコメントでは北鎌平の雪洞ビバークの時は、槍ヶ岳西稜尾根にアタック前日です。此の時は、メンバー3名私も含め愛煙家でした。
OLYMPUS OM-1という一眼レフカメラのカタログに姿が載っていた。
1983年頃だったが、その時には、もう故人だったことをこのチャンネルで知った。
コメントありがとうございます。
カメラの広告をされていましたね。男前でした。
作中登場した多くの方々が山で最期を迎えられているんですね。月並みな言い方しか出来ませんが、厳しい世界ですね。
コメントありがとうございます♪
山で亡くなっていないのは、メスナーさんと滝男さんくらいですね。
森田さんも長谷川さんも、山で亡くなってしまいました。
その志は誉れ高い、だが山に呑まれた気狂い まあ男は何時だって夢見て笑って死ぬ生き物か
たしかに吞まれちゃってますね、、
長谷川さんが助けに行きましたが、この時にベースキャンプからとんでもない言葉が無線から聞こえたと有名な話しですが、キャンプ側の人は否定してますね。どちらが本当なのでしょうね?
コメントありがとうございます♪
長谷川さんの動画で取り上げましたが、私は事実のような気がします。
小西政継や長谷川恒男といった、「非エリート」系アルピニストからは、実力では一目置かれつつも、距離を置かれていました。大学山岳部を主軸とし、全盛期だった日本山岳会の寵児ではあっても、多大のスポンサー支援と日本テレビの岩下ディレクターの自己満足的演出。その結果がメスナーも酷評した、部分的ソロでサポーターをも巻き込んだ最期のアタックでした。マスコミに持ち上げられ、マスコミの犠牲になったクライマーだったと思います。パイオニアとしてはエベレスト初登頂の植村直己には及びません。
コメントありがとうございました。
確かにバリエーションでも無酸素でもないので、登攀価値は低いのかもしれません。
クルティカを取り上げていただけると嬉しいです
コメントありがとうございます。
ローツェで亡くなった方ですね、調べてみます。
@@yukkuri_adventure ありがとうございます。ククチカではなく、クルティカのほうが山の世界で話題になっているのでいいかな!
登山はリクレーションとして楽しむものだという認識からすると、命かけてここまでやらなくてもと思う人もいるかもしれませんね。
命を賭けてこそ、見えてくるものが加藤にはあったのかもしれませんね、
永遠、無限のエベレストへのチャレンジ、凡人には、わからない。死への最終点を、探し求めているのが、しんどい、ハッピーエンドが無いみたい、合掌。
本人は決して死ぬつもりで登ってる訳ではないですが、、
傍目からみたらそう見えますね
オリンパスのCMで見た。綺麗な写真でやさ男の風貌だった
コメントありがとうございます。
男前で女性からはかなりモテたそうです。
「帰ったら結婚しよう」はあかんてー!
残念ながら死亡フラグとなってしまいました。
👍👍👍
サムアップありがとうございます♪
加藤保憲は帝都物語の男です
誰ですか?
加藤保男さんや長谷川恒夫さんて、超人的な山男だったんですね。
一寸古いが、松濤明 氏を取り上げてほしいです。
コメントありがとうございます。
少し古いですが、松濤明さんの動画は作成済みです。宜しければご視聴ください。
ruclips.net/video/3KPJJ5B2Cpw/видео.html
登山がスポーツ化しているよなぁ
記録記録記録…なんか悲しい
コメントありがとうございます。
この時代は誰もが未踏ルートを追い求めていました。
最初の登頂時に、酸素残量1時間と判った時点で登頂を中止するべきでした。
三度目も帰りの酸素が無くなっています。
まるで立派な人みたいに持て囃しているけれど、登山家としては失格。
無事に下山して初めて登頂成功です。
二度目以外は無事に下山できていない。
一度目に生き残れたのは運が良かっただけでしかありません。
しがらみに縛られていたのは気の毒だけど、撤退する勇気が登山の大原則。
こういう、帰りを待っている人の気持ちを考えられずに我武者羅な無茶をする人をマスゴミ含めて持ち上げるようなことをするから、同じように無茶・無理をする人が続いて死者や悲しむ遺族を増やしてしまう。
二度目に頂上に達した時のお父さんのマスコミへの言葉、「帰ってきてからにしてくれ」に無事を祈る待つ者の気持ちがあふれていて悲しいです。
無事下山を願う家族にバンザイしろってマスコミはどうかと思います。
ナントカの戦争という、ものの例えがありますが、
一見、趣味や芸術に見えて、軍事的に貢献しているものがあると思います。
「これだけできる人が、日本の味方をするぞ。」
と、伝えることは、ミサイルや軍艦と同じくらい戦力の一つではないかと思います。
単に武器だけあっても、
ならば危険だからとっとと潰そうと本気で来るでしょう?
協調性があって人なつっこい強い男性が日本にいたら、
まあすぐには使わないかと様子を見てくれたりするのではないでしょうか。
結局プラマイゼロかもしれないけど、
どこかで無駄にならず、平和とかになってると良いですね。
コメントありがとうございます。
当時、ヨーロッパの登山家たちは日本人の命知らずな山への挑戦をみて、神風特攻隊を連想したと言われています。
@@yukkuri_adventure様
戦争が始まってしまったら、いかに自害するかは考えましたが、活発に生きる方々の気持ちは、とうとう、解りませなんだ。
登山家ってマゾしかいないのかよ~(^^)/
否定出来ません。
いつかは、山に抱かれて眠ることになる。
それで本望なんだ。
本望ではなかった気がします。
やはり加藤さんも下山したかったでしょうね。
ご本人もさることながら、ご家族の覚悟が・・・(T_T)
コメントありがとうございます。
お兄さんも著名な登山家でした。
ヤンジャンの孤高の人は自問自答ばかりで、こっちの方が楽しめた
コメントありがとうございます。
孤高の人の加藤は保男ではなく、文太郎の方ですね
フラグ立てちゃうから死んじゃうんだよ;;
コメントありがとうございます。
帰ったら結婚しようはタブーですね。
ガンダムの黒い三連星のジェットストリームアタックはこれから命名されたみたいだ⁉
コメントありがとうございます。
どういうことですか?
登場人物がほとんど若くして亡くなってる…
パチンコに勝ち続けることに生涯をかけるのと何が違うのか教えてほしい。
最後は必ず負ける。
コメントありがとうございます。
パチンコに生涯を捧げても、こうして語り継がれることはなかったでしょうね。
両足のつま先から10cm切断しても諦めなかった人と言えば、1965年にマッターホルン北壁を登攀した芳野満彦氏を思い出します。そんな前例が既にありますから加藤氏も諦めなかったのかな?少なくとも参考にはしていただろうな、、、という気がしました。(私個人の勝手な推測ですが、、)
コメントありがとうございます。
実は加藤さんの自伝には小西さんとともに、芳野さんの話も出てきています。
小西さんのほうが知られているかな、と思って動画では小西さんの名前だけを上げてしまいました。
芳野さん、申し訳ございません。
栄光の岸壁の人ですね。
俺この登山から帰ったら結婚するんだ、完全に死亡フラグじゃないですか・・・
まさにそうです。
婚約者のかたもお可哀そうです。
他の手足を切断した人に勇気を与える?流石に思い上がりだろう
動画面白かったです
コメントありがとうございます。
視覚障害のかたなどもエベレストに登頂されてますので、加藤さんの登頂に触発されるかたもいたかもしれません。
登山家と言うのは、どうしてそんなに死に急ぐんだろう。常人の自分には理解出来そうにない世界だ。
コメントありがとうございます。
『山は逃げない』はウソ、登れるチャンスがあるなら突っ込むべきという言葉も裏ではあります。
みんな早死にしてる人多いなぁ( ´-`)
この時代の登山家はみな山で死んでますね。
未熟😢
メスナーの化け物ぶりが伺い知れる…よ。
メスナーは別格ですね!
@@yukkuri_adventure
メスナーのエベレスト…お願い出来ませんかね?
生きて帰れなきゃクリキノブカズと変わらんやん
登頂できているので全然違います。
@@yukkuri_adventure
婚約者、家族、友人を泣かせちゃね。
ありきたりな言い回しだけど家に帰るまでが、、だよ。
やはり、山は麻薬と同じでやめられず中毒になり、最後は、やはり命ォ落としてしまうのですね?
それでは失礼致します。😂😂😂
😂
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最初のコメントありがとうございました
兄弟でバカなことしてたのか…
加藤滝男・保男兄弟は当時有名だったようです。
こういう登山で、ハクキンカイロとかもっていくのはダメなのかな?ハクキンカイロだったら少量の燃料で長時間暖かいし、結構有効だと思うんだけどな。
コメントありがとうございます♪
1gでも荷物を軽くしないといけないのて、どうでしょうか?