【東日本大震災】震災遺構・関連施設をめぐる①【今も残る傷跡】
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- Опубликовано: 4 авг 2022
- 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に甚大な被害と多くの犠牲者をもたらしました。
関係者の懸命な努力によって復興が進み、日常が取り戻りつつありますが、今でも復興半ばにある地域、かつての姿と大きく変わってしまった地域、3月11日で時が止まったままの場所がたくさんあります。
今回からの動画は、福島県から宮城県、岩手県の太平洋側を北上して、震災遺構や関連施設をめぐり歩いたものになります。あの時何が起こったのか、今はどうなっているのか、教訓や課題は何なのか、などについて感じることや学びがあるかと思います。
この動画はパート①になります。福島県のJR富岡駅からスタートして夜ノ森、双葉、相馬、宮城県の山元町までの内容になります。
※各施設の状況や帰還困難区域等の状況は、2022年6月時点のものになります。
【次の動画】
②→ • 【東日本大震災】震災遺構・関連施設をめぐる②
③→ • 【東日本大震災】震災遺構・関連施設をめぐる③
④(さいご)→ • 【東日本大震災】震災遺構・関連施設をめぐる④【終】
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/ akihiroba
#東日本大震災 #震災遺構 #防災
自分は2016年にボランティアで植樹を海岸にしに行きました。
まだ震災遺構のところはこんなにも復興が進んでいないとは...人が戻らない結果ですかね...
当時の若い衆は皆もう大人になり、戻れない、戻らないが自然な考えなのかもしれませんね。
実は植樹をしている時に瓦礫を発見したことあります。あの時の瓦礫、今でも覚えてます。色々想像する部分があって胸が痛かったです。
工事で頑張って地元民を迎え入れようと復興庁が頑張ってますがまた人気がないのが、胸が痛みますね...
そうですね、どうしてもインフラや交通の利便性、仕事、学校のことを考えると戻れない、戻らないという選択をした方も多いと聞きました。
三陸鉄道の駅、気になってます、駅名は忘れましたが
これまでの想定外は今後の想定内になりました。原発もしかりですね。
島国日本ですから、海の恩恵と脅威は切り離せません。
あとは我々次第…と思いながら見せていただきました。感謝です。
そうですね、国や自治体ができることもありますが、最終的には個人や集団内の意識次第ですね。