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黒電話は、たまに薄っすらと混線してましたよね。
缶切りといえば、鯛味噌のオレンジ色の缶を思い出す。オレ含む兄弟全員が好きだったので食卓には必ず並んでたな。おかげで缶切りの使い方は、小さいころから、かなり慣れてた😅
テレカは使用済でも外国人が美術品として飾ったりしてました
たしか、トマトジュース缶で、プルタブが無くって、専用の穴開けが付いたタイプが有りました。小さい穴を2か所開けて飲みやすくしていました。1か所だけだとスムーズに飲めなかった。
小学生の低学年の同級生の母親が、味噌屋で働いていた!いろんな味噌が、樽に入っていて、お客さんが欲しい味噌を注文するとグラム単位で売っていたけど…いつの間にか、味噌屋無くなっていたな…
都内の江東区にある砂町銀座、あと亀戸とかに、そういう店がまだ残ってます、子供のころから、そこで色々な味噌を買ってました店員さんが味噌樽から、大きいしゃもじで経木の包装に計って載せて、しゃもじは離れたろ頃から樽に投げ入れるパフォーマンスをしてました
@@MrKkhg 貴重な情報ありがとうございます!自分も、江東区に住んでいるいるので、今度、砂町銀座に行ってみます…
缶ジュースも鳥のくちばしみたいな付属の金具で上蓋に穴を2~3ヶ所開けて(飲む穴と空気抜きの穴)飲んでたなぁ...🤔
穴は対面に開けなければならない。でないとジュースが出てこない。
生パイナップル初めて食べた時缶詰のパイナップルが美味しかった。
籐といえば、籐のイスに座っているエマニエル夫人を思い出してしまうのは自分だけでしょうか…
脚を組んで頬杖をついて…
🎶ニャニャニャニャニャニャニャニャニャエマニエ〜ル🎵(テーマ)
大丈夫。みんな言わないだけだから。。。
数年前に某電機店の、8ミリフィルムをDVD化してくれるサービスを利用した。亡くなった親戚の人達が元気に笑ってたり、家族旅行の様子が映っていたり、当時は「恥ずかしいから止めろ」と思ったけど、あの映像を残してくれた両親に感謝している。
缶切りは今でも現役バリバリで使っています。今の缶切りと違い、あの安定感が良くて手放せないです。
自宅に黒電話しかなくて友達や彼女と話するのもハードル高かったな。
昔の黒電話は「他人に貸す」こともあった関係か、玄関の脇に置かれることがありましたね。
そうだったんだ…。靴箱の上にあったもんな。
蠅帳は実家じゃまだまだ現役で使ってるわ
缶切りの尖った部分を、買ってきた本のビニールを破るのに重宝している。
みかんの木箱に短いスキー板をつけてもらいそりを父親に作ってもらいました!懐かしいなぁ😊
みかんやリンゴの木箱、地方に旅行にゆき箱買いして、貨物駅で鉄道貨物で配送する手続きをして指定の日に、届く予定の貨物駅に取りに行くって手間も懐かしい
テレホンカードに似た、プリペイドカードには、他にJR (旧国鉄) より発売されていた 「オレンジカード」 もあった。現金なしで切符🎫が買えた。
オレンジカードの私鉄版として名鉄の「パノラマカード」、近鉄の「パールカード」、名古屋市交通局の「ユリカ」などがありました。これらもマナカなどのICカードに役目を譲り姿を消しました。現在ではQUOカードと図書カード、テレホンカード(もちろん現存)が最後の牙城を守ってますね。
自分はオレンジカードよりもイオカードのほうが使うことが多かった
怪我したところに赤チンを塗り、暫くすると乾いてきて赤色が金色っぽい色に変色していたのは今でも覚えてる。
飲み物は全て瓶入り銭湯に行くと風呂上がりに買って貰ったラムネ、サイダー、牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳まじで旨かった大人になりビールを飲む時も瓶ビーを飲みますね良い動画投稿😆💕✨ございました
懐かしい物ばかりですね😄自分の子供の頃ありましたね😄
藤は日本の固有種だし、平安時代には普通に利用されてましたが?
道民です、昔は小学校は木造で各クラスから煙突が出ていました。日直が毎朝裏庭の石炭置き場から石炭を鉄製のバケツで運んでました。 (*´ω`*)
石炭ストーブ懐かしい弁当を温めたりトースト焼いてました日直がバケツ持って石炭取りに行くんですよね
リンゴの形したガラス食器ありましたね。原色のカラーリングされたコップとか、懐かしいです。
6:08コンビーフ=萩原健一(ショーケン)昭和?😅
ノザキのコンビーフのホーロー看板が線路の所にありましたね。コンビーフといえば、マーガリンを塗った食パンにノザキのコンビーフをよくほぐして塩胡椒マヨネーズであえたやつをパンに乗せて食べるのが好きでした。
元祖飯テロ
@@kirisamereimu36 ノザキのコンビーフは、現在はJFEスチール傘下の川商フーズから発売されています。
ショーケンと言ったら、子供の頃に観ていたドラマ「傷だらけの天使」のOPでコンビーフを丸かじりしていたような。
@@龍羅卯木様 今の時代だと食べ方が汚いとかクレーム多いでしょうね😅
サムネの写真にあるサンヨーの果物缶詰懐かしいです🥫😊昭和の頃、よくサンヨー、明治屋の缶詰が○○商店とかに売っていましたね。
高校生の時友達と8ミリフィルムで特撮映画を作った。撮影後、現像されたフィルムを切り貼りして編集して一本にまとめ、写真屋でビデオ化してもらいアフレコのためにまた集まってビデオデッキで音を入れた。おもしろかったなあ。
久しぶりにビデオを見ようと思ったらビデオテープにカビが生えてて見れなかった
蝿帳は従弟のおうちでよく使ってたのを覚えてますね。私のうちは寝る時に蚊帳を使ってました。テレビはボタン式でしたね。冬の寒い季節とかは、コタツに入りながら、布団叩きを逆さに持って、腕を伸ばしてボタンをつついてました。
ガラス食器といえば、少し前にニトリで幾何学模様入りの小さなサラダボウルを買いました。ホームセンターとかニトリとか食器店で丹念に探せばあるかも。
缶切りは誕生日会などにフルーツポンチを作るためにミカン・桃・パインの缶を開けるのに活躍したなあそれと姫フォークは同じ引き出しに入っていたもちろん容器は花のマークが付いたガラス容器
蝿帳、うちの地方では訛りで「はいちょう」なんて言われてたな。
赤チン、製造終了より前に買ってあってまだあるwww怪我した時はこれが1番効くんよ笑
米穀通帳が昭和57年迄有った。昭和17年から食料管理制度(食管法)に定められた米などの配給制度が有って通帳が無いと米の売買が禁止されていた。味噌、酒、醤油等も樽からの量り売りが多く、瓶や壺を持って行っていた、豆腐も豆腐屋に鍋を持って買っていた。買い物に行く時は買い物籠を持って行くのが常識、肉、魚は竹皮か経木(カンナの削り屑のしっかりした物)に包み更に新聞紙で包装が当たり前、ラップも無ければトレーも無かった。駄菓子屋も元は瓶に入った飴などを1個から売っていた(実際には10円で飴玉5個位だった)メンコ(庄や)、ベーゴマ、おはじき、ビー玉は悪ガキの遊び道具の王道だった。氷冷蔵庫、電気冷蔵庫が普及する迄氷屋から買った氷を木製の箱(内側はステンレス張り)に入れて食品を冷やしていた(要は今のクーラーボックス)8mmフィルムは富士フイルムのシングル8、コダックのスーパー8、16mmフィルムを使うダブル8と3種類有った。8繋がりだと8トラックテープ、8トラと呼ばれたテープレコーダー、デッキが有った、トラック切り替えボタンを押すと別の音楽がに切り替わった。籐製品で現在ほぼ絶滅したのが乳母車、藤製の大きな籠が四輪のクッション付き台車に乗っていた。家具調ステレオセット、木目のスピーカー、レコードプレーヤー、レシーバーが一体に成ったアンサンブル型レコードプレーヤー、レシーバーと左右スピーカーに別れたセパレート型、今のドルビーサラウンドの様な4チャンネルステレオ等が豪華さを電気店で競っていた。
赤チン、製造中止後も輸入はあったのですが、ちょっと前にそれも終了。最後に買おうかすごく迷いました。ちなみに製造中止はおっしゃる通り製造廃液ですが、販売終了はマーキュロクロム自体の水銀です。今世界的に水銀ゼロの流れなのでしょうがないですね。水銀ってほんとに高機能で便利なんですけどね、あの忘れてはいけない悲劇を思えばしょうがないです。化学工場では、圧力測定の水銀マノメータも使用禁止です。あの蒸気量なんて微々たるものですが。水銀は普通に減圧蒸留して精製するんですが、蒸留すると水封ポンプ廃液から確実に水銀が検出されます。検出されると営業停止。(子供の頃は、虫歯の穴埋めは普通にアマルガムだったなぁ。)
ちょっと違うけど、ナショナルの扇風機40年もった。最後は火花散ってお釈迦だったけど😂ちなみに電子レンジとトースターは18年経っているけど、未だにキレイで使ってます。日本製品凄いぜ!😊
私は冷蔵庫。37年もちました。シャープ製。当日7万円で購入しました。
1960年代までアイロンは木箱に入った状態で販売していた。その木箱は1970年代まで我が家の薬箱になっていた。バファリン、正露丸、赤チン、タムシチンキしか入ってなかった。笑当時はどの家庭もそんなもんだったんでしょうか?
携帯が普及する前まではテレフォンカードは欠かさず持っていた。缶切りはまだまだ現役で使用してます😅8ミリフィルム映写機が従兄弟ん家に有って、昔ブルーフィルムって無修正のHな映画が有った。初H映画は小学4生でした。黒電話は17年前まで自宅で使用してました。ビデオテープは現役で見てますよ(^.^)絵柄入りのガラスコップは現在も使用してます😅家庭配置薬は20年前に止めました。藤工芸の長椅子は今腰かけてコメントしてます。蠅帳は流石に40年前に止めました。
昭和61年には 斉藤由貴さんのテレフォンカードに 30万円のプレミア価格が付きました。父親の実家では 『蝿帳』もありましたが それで思い出しましたが 昭和50年代迄 夏は『蚊帳(かや)』を使ってました。中に入る時は 団扇の風で近くを飛んでいる蚊を追っ払ってから 素早くネットをくぐって入るというちょっとしたコツがありました。今でも 赤道に近い途上国向けに ネットに殺虫剤を練り込んだ物を輸出しているそうですね。同じく 今では前ほど使われなくなった「夏はやっぱり 金鳥🐔ですね。」の蚊取り線香も そのような国で『モスキートコイル』として重宝されているとか。缶切りがあるなら『栓抜き』もプロレスでは 凶器としても使われていました。国鉄の急行・特急・新幹線の車両には 窓下のテーブルにも付いてましたね。ところで 洗濯機が370円って?
御歳暮にミカンやリンゴが箱で届きましたね。親戚の家に遊びに行くと、お茶請けにモモ缶、パイナップル缶とか出ましたよ。飲み物は麦茶かカルピス、時代ですね😊
お中元で瓶入りカルピスもらうとうれしかったです😊麦茶は大麦をやかんで煮出して冷めたらガラス製の麦茶容器に入れてましたね。
缶切りは無くてはならない物でした
物置を整理してたら、直径20Cm位の、ガラス製灰皿が出てきた。コレ、今の御時世じゃ持ってるだけで違法なんだよなぁ・・・。
ヤクザ/ヤンキーの定番凶器01年の窪塚洋介主演映画『GO』でもメインウェポン
月刊OUTのT編集長は灰皿で編集者を血祭りにあげていたという伝説が・・・。
@@古澤修-b1m 様いにしえのアウタシアンは過激でしたからねぇ(笑)
は?ウチは2〜30はあるけど?そもそも売ってるけどと思ってググってしまいました。銃刀法で(持ち歩くと)凶器と見做され違法って事ですね。
@@user-middlemountmirror 様火サスでも凶器扱いされてましたね(笑)
お茶の箱は湿気ずらいので、うちでは、お茶を箱買いして桐箪笥代わりに着物とか収納してたなぁ(笑)。
タイトルを見て動画を見る前に自分が最初に連想した>生活に欠かせなかった商品 は活版印刷だなあ。たぶん自分の隣が印刷屋さんだったのと小学校の社会科見学が新聞社の活版印刷だった影響なのかな。昔はあんなので新聞刷ってたとか昭和すげえ時代だったなあw
学校ではガリ版だったなあ。あとは湿式の青いやつ
ソフト麺
昔、親戚からりんごを送られたことが何度かあって、木箱にクッションの代わりにおがくずを入れられていた覚えがあります😄りんごよりおがくずのほうが多かったなって思った覚えがありましたね😅そんな木箱が携帯のネットショップで売られていて、送料含めて三千円ほどで売られていて買いました😄ベンチチェストとして利用しています😄
籐製品ってネコの爪研ぎにうってつけなんですよね。某ネコ漫画で、籐家具をネコにボロボロにされて、飼い主が激怒したシーンを思い出しました😻😠
氷で冷やす冷蔵庫、映画「窓際のトットちゃん」に出てたなぁ。
赤チンもなんだけど、黄色いガーゼ素材で傷口に貼って包帯巻いて使ってた薬があったと思うんだけど💊分かる人いるのかな。赤チンは話題に上がるけどその黄色いガーゼ素材の薬が話題にあがるのを見たことがない😢
リバガーゼですかね? 祖母の家にまだあります!
りんごは木箱に籾殻が懐かしい。田舎から送って貰って、子供だったから籾殻で遊んで身体中がチクチクしたのも思い出。昔、音楽用カセットテープに映像が撮れる機械が物凄く短い時期に販売していましたよね。(友人に話してもそんなの無いと言われて)
ビデオがテープじゃなくなり久しいですけど、外国製のおもちゃのカセットテープビデオは聞いたことがあります。
その籾殻で焚き火して 焼き芋🍠焼いたら美味しかった。
😊😊や😊やささせせせ😅
缶ジュースも鳥のくちばしみたいな付属の金具で上蓋に穴を2~3ヶ所開けて飲んでたなぁ...🤔
@@kiss832 発売されたばかりの缶ジュースはそうでしたね。「こつぶ」とか。後は御贈答用の缶に入った油とか😉
小学生🎒男子なら欠かせないものは水筒やな✋僕の仲良し女子達はブルマてことでしたなⓂ💯
おばあちゃんの家に藤細工の枕があったのを思い出しました。使ったことないけど
海外製や大きな缶詰はまだまだ缶切りが必要なんだよね。
ブルーフィルム・・・
これは地方と中央の違いもあるのかもしれないのでしょうが、テレカが昭和の生活に欠かせないアイテムというのは少し唸るんですよね。これは正しくは平成1桁なのではないかとね。むしろ昭和の公衆電話あるあるは10円ジャラジャラなのではないかと…。
うん。公衆電話の上に10円玉を何枚も積み上げたりしてましたよ。
缶詰と缶切りの話をしていて、缶切りの発明時期のネタをスルーできる忍耐力よ…
懐かしい、私は、1973年、2月、生まれ何で
ビデオテープは80年代の録画したのはまだ見れます。後にテープ自体軽量化されて来たのがダメになりがち。メイドインK のはノイズだらけになりましたね。電化製品は古いのは重たいがその方が長く使えていた感じしますね。
籐の家具…とうのかぐかな?
公衆電話で忘れられないのがアドレス帳!当時仕事上必須アイテムなんだけど、よく電話の上に置き忘れることがあって一度だけ取引先のアドレスを書き留めたやつを置きっぱなしにしたことがあった。あんときはあせった!(;^ω^)
アドレス帳が入れられる腕時計『カシオデータバンク』もありましたね。
テレカはお土産で、その地域の風景写真のヤツをよく買いましたね。値段も手ごろで、貨幣価値もあって、良いお土産でした。今だったら、アマギフのカード?とかに写真を入れて売るとかできたらイイのかな?とか思ったり思わなかったり。缶切りはそんなに難しいかなぁ?小学校低学年でも開けられたけど。ってか、イマドキの細いのは難しいけど、持つところが縦のヤツはそれほど難しくないと思う。缶切りの要らない、コンビーフの缶詰は秀逸だったと思う。おらはアラフィフだが、赤チンってのは使った事ないのよね。すでに無色のマキロンが主流だったと思う。リンゴ箱もミカン箱も見た事ないんだよなぁ。でも、衣類や寝具類は茶箱だったw家にフルーツの缶詰がある時は……あ、お父さんがパチンコ行ってやがったな。って。w
りんごの木箱は昭和の漫画では作者の執筆デスクだったり歌手のステージになってたりしていましたが、たいていはまだヒットしていない=貧乏の象徴にもなっていました。
りんごの木箱➠テレビ台にカスタムしました。下に車輪を取り付けて😂
昔の貧乏漫画家のステレオタイプに、みかんの木箱を机にして描いてるというのがよく使われてた記憶があります。うろ覚えだけど手塚治虫とか藤子不二雄とか松本零士とか吾妻ひでおとかにあったような?
五分(ごふん)じゃなく五分(ごぶ)ね
電気紙芝居。
お風呂のかき混ぜオール。お湯があっちい時は必ずこのかき混ぜオールを使ってました。最近はあるのかな?
此方のチャンネルで流れてる映像時々関連動画で出てきます✨Everyday life in bygone days in Tokyo 1966と言う動画ですよね
黒電話は、たまに薄っすらと混線してましたよね。
缶切りといえば、鯛味噌のオレンジ色の缶を思い出す。
オレ含む兄弟全員が好きだったので食卓には必ず並んでたな。
おかげで缶切りの使い方は、小さいころから、かなり慣れてた😅
テレカは使用済でも外国人が美術品として飾ったりしてました
たしか、トマトジュース缶で、プルタブが無くって、専用の穴開けが付いたタイプが有りました。小さい穴を2か所開けて飲みやすくしていました。1か所だけだとスムーズに飲めなかった。
小学生の低学年の同級生の母親が、味噌屋で働いていた!いろんな味噌が、樽に入っていて、お客さんが欲しい味噌を注文するとグラム単位で売っていたけど…いつの間にか、味噌屋無くなっていたな…
都内の江東区にある砂町銀座、あと亀戸とかに、そういう店がまだ残ってます、子供のころから、そこで色々な味噌を買ってました
店員さんが味噌樽から、大きいしゃもじで経木の包装に計って載せて、しゃもじは離れたろ頃から樽に投げ入れるパフォーマンスをしてました
@@MrKkhg 貴重な情報ありがとうございます!自分も、江東区に住んでいるいるので、今度、砂町銀座に行ってみます…
缶ジュースも鳥のくちばしみたいな付属の金具で上蓋に穴を2~3ヶ所開けて(飲む穴と空気抜きの穴)飲んでたなぁ...🤔
穴は対面に開けなければならない。でないとジュースが出てこない。
生パイナップル初めて食べた時缶詰のパイナップルが美味しかった。
籐といえば、籐のイスに座っているエマニエル夫人を思い出してしまうのは自分だけでしょうか…
脚を組んで頬杖をついて…
🎶ニャニャニャニャニャニャニャニャニャエマニエ〜ル🎵(テーマ)
大丈夫。
みんな言わないだけだから。。。
数年前に某電機店の、8ミリフィルムをDVD化してくれるサービスを利用した。
亡くなった親戚の人達が元気に笑ってたり、家族旅行の様子が映っていたり、
当時は「恥ずかしいから止めろ」と思ったけど、
あの映像を残してくれた両親に感謝している。
缶切りは今でも現役バリバリで使っています。
今の缶切りと違い、あの安定感が良くて手放せないです。
自宅に黒電話しかなくて友達や彼女と話するのもハードル高かったな。
昔の黒電話は「他人に貸す」こともあった関係か、玄関の脇に置かれることがありましたね。
そうだったんだ…。靴箱の上にあったもんな。
蠅帳は実家じゃまだまだ現役で使ってるわ
缶切りの尖った部分を、買ってきた本のビニールを破るのに重宝している。
みかんの木箱に短いスキー板をつけてもらいそりを父親に作ってもらいました!
懐かしいなぁ😊
みかんやリンゴの木箱、地方に旅行にゆき箱買いして、貨物駅で鉄道貨物で配送する手続きをして
指定の日に、届く予定の貨物駅に取りに行くって手間も懐かしい
テレホンカードに似た、プリペイドカードには、他にJR (旧国鉄) より発売されていた 「オレンジカード」 もあった。現金なしで切符🎫が買えた。
オレンジカードの私鉄版として名鉄の「パノラマカード」、近鉄の「パールカード」、名古屋市交通局の「ユリカ」
などがありました。これらもマナカなどのICカードに役目を譲り姿を消しました。
現在ではQUOカードと図書カード、テレホンカード(もちろん現存)が最後の牙城を守ってますね。
自分はオレンジカードよりもイオカードのほうが使うことが多かった
怪我したところに赤チンを塗り、暫くすると乾いてきて赤色が金色っぽい色に変色していたのは今でも覚えてる。
飲み物は全て瓶入り
銭湯に行くと風呂上がりに
買って貰ったラムネ、サイダー、牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳まじで旨かった
大人になりビールを飲む時も
瓶ビーを飲みますね
良い動画投稿😆💕✨ございました
懐かしい物ばかりですね😄自分の子供の頃ありましたね😄
藤は日本の固有種だし、平安時代には普通に利用されてましたが?
道民です、昔は小学校は木造で各クラスから煙突が出ていました。
日直が毎朝裏庭の石炭置き場から石炭を鉄製のバケツで運んでました。 (*´ω`*)
石炭ストーブ懐かしい
弁当を温めたりトースト焼いてました
日直がバケツ持って石炭取りに行くんですよね
リンゴの形したガラス食器ありましたね。原色のカラーリングされたコップとか、懐かしいです。
6:08
コンビーフ=萩原健一(ショーケン)
昭和?😅
ノザキのコンビーフのホーロー看板が線路の所にありましたね。コンビーフといえば、マーガリンを塗った食パンにノザキのコンビーフをよくほぐして塩胡椒マヨネーズであえたやつをパンに乗せて食べるのが好きでした。
元祖飯テロ
@@kirisamereimu36 ノザキのコンビーフは、現在はJFEスチール傘下の川商フーズから発売されています。
ショーケンと言ったら、子供の頃に観ていたドラマ「傷だらけの天使」のOPでコンビーフを丸かじりしていたような。
@@龍羅卯木様 今の時代だと食べ方が汚いとかクレーム多いでしょうね😅
サムネの写真にあるサンヨーの果物缶詰懐かしいです🥫😊昭和の頃、よくサンヨー、明治屋の缶詰が○○商店とかに売っていましたね。
高校生の時友達と8ミリフィルムで特撮映画を作った。撮影後、現像されたフィルムを切り貼りして編集して一本にまとめ、写真屋でビデオ化してもらいアフレコのためにまた集まってビデオデッキで音を入れた。おもしろかったなあ。
久しぶりにビデオを見ようと思ったらビデオテープにカビが生えてて見れなかった
蝿帳は従弟のおうちでよく使ってたのを覚えてますね。
私のうちは寝る時に蚊帳を使ってました。
テレビはボタン式でしたね。冬の寒い季節とかは、
コタツに入りながら、布団叩きを逆さに持って、
腕を伸ばしてボタンをつついてました。
ガラス食器といえば、少し前にニトリで幾何学模様入りの小さなサラダボウルを買いました。ホームセンターとかニトリとか食器店で丹念に探せばあるかも。
缶切りは誕生日会などにフルーツポンチを作るためにミカン・桃・パインの缶を開けるのに活躍したなあ
それと姫フォークは同じ引き出しに入っていた
もちろん容器は花のマークが付いたガラス容器
蝿帳、うちの地方では訛りで「はいちょう」なんて言われてたな。
赤チン、製造終了より前に
買ってあってまだあるwww
怪我した時はこれが1番効くんよ笑
米穀通帳が昭和57年迄有った。
昭和17年から食料管理制度(食管法)に定められた米などの配給制度が有って通帳が無いと米の売買が禁止されていた。
味噌、酒、醤油等も樽からの量り売りが多く、瓶や壺を持って行っていた、豆腐も豆腐屋に鍋を持って買っていた。
買い物に行く時は買い物籠を持って行くのが常識、肉、魚は竹皮か経木(カンナの削り屑のしっかりした物)に包み更に新聞紙で包装が当たり前、ラップも無ければトレーも無かった。
駄菓子屋も元は瓶に入った飴などを1個から売っていた(実際には10円で飴玉5個位だった)
メンコ(庄や)、ベーゴマ、おはじき、ビー玉は悪ガキの遊び道具の王道だった。
氷冷蔵庫、電気冷蔵庫が普及する迄氷屋から買った氷を木製の箱(内側はステンレス張り)に入れて食品を冷やしていた(要は今のクーラーボックス)
8mmフィルムは富士フイルムのシングル8、コダックのスーパー8、16mmフィルムを使うダブル8と3種類有った。
8繋がりだと8トラックテープ、8トラと呼ばれたテープレコーダー、デッキが有った、トラック切り替えボタンを押すと別の音楽がに切り替わった。
籐製品で現在ほぼ絶滅したのが乳母車、藤製の大きな籠が四輪のクッション付き台車に乗っていた。
家具調ステレオセット、木目のスピーカー、レコードプレーヤー、レシーバーが一体に成ったアンサンブル型レコードプレーヤー、レシーバーと左右スピーカーに別れたセパレート型、今のドルビーサラウンドの様な4チャンネルステレオ等が豪華さを電気店で競っていた。
赤チン、製造中止後も輸入はあったのですが、ちょっと前にそれも終了。最後に買おうかすごく迷いました。ちなみに製造中止はおっしゃる通り製造廃液ですが、販売終了はマーキュロクロム自体の水銀です。今世界的に水銀ゼロの流れなのでしょうがないですね。水銀ってほんとに高機能で便利なんですけどね、あの忘れてはいけない悲劇を思えばしょうがないです。化学工場では、圧力測定の水銀マノメータも使用禁止です。あの蒸気量なんて微々たるものですが。水銀は普通に減圧蒸留して精製するんですが、蒸留すると水封ポンプ廃液から確実に水銀が検出されます。検出されると営業停止。(子供の頃は、虫歯の穴埋めは普通にアマルガムだったなぁ。)
ちょっと違うけど、ナショナルの扇風機40年もった。最後は火花散ってお釈迦だったけど😂
ちなみに電子レンジとトースターは18年経っているけど、未だにキレイで使ってます。
日本製品凄いぜ!😊
私は冷蔵庫。37年もちました。シャープ製。当日7万円で購入しました。
1960年代までアイロンは木箱に入った状態で販売していた。その木箱は1970年代まで我が家の薬箱になっていた。バファリン、正露丸、赤チン、タムシチンキしか入ってなかった。笑
当時はどの家庭もそんなもんだったんでしょうか?
携帯が普及する前まではテレフォンカードは欠かさず持っていた。
缶切りはまだまだ現役で使用してます😅
8ミリフィルム映写機が従兄弟ん家に有って、昔ブルーフィルムって無修正のHな映画が有った。
初H映画は小学4生でした。
黒電話は17年前まで自宅で使用してました。
ビデオテープは現役で見てますよ(^.^)
絵柄入りのガラスコップは現在も使用してます😅
家庭配置薬は20年前に止めました。
藤工芸の長椅子は今腰かけてコメントしてます。
蠅帳は流石に40年前に止めました。
昭和61年には 斉藤由貴さんのテレフォンカードに 30万円のプレミア価格が付きました。
父親の実家では 『蝿帳』もありましたが それで思い出しましたが 昭和50年代迄 夏は『蚊帳(かや)』を使ってました。
中に入る時は 団扇の風で近くを飛んでいる蚊を追っ払ってから 素早くネットをくぐって入るというちょっとしたコツがありました。
今でも 赤道に近い途上国向けに ネットに殺虫剤を練り込んだ物を輸出しているそうですね。
同じく 今では前ほど使われなくなった「夏はやっぱり 金鳥🐔ですね。」の蚊取り線香も そのような国で『モスキートコイル』として重宝されているとか。
缶切りがあるなら『栓抜き』も
プロレスでは 凶器としても使われていました。
国鉄の急行・特急・新幹線の車両には 窓下のテーブルにも付いてましたね。
ところで 洗濯機が370円って?
御歳暮にミカンやリンゴが箱で届きましたね。親戚の家に遊びに行くと、お茶請けにモモ缶、パイナップル缶とか出ましたよ。飲み物は麦茶かカルピス、時代ですね😊
お中元で瓶入りカルピスもらうとうれしかったです😊麦茶は大麦をやかんで煮出して冷めたらガラス製の麦茶容器に入れてましたね。
缶切りは無くてはならない物でした
物置を整理してたら、直径20Cm位の、ガラス製灰皿が出てきた。
コレ、今の御時世じゃ持ってるだけで違法なんだよなぁ・・・。
ヤクザ/ヤンキーの定番凶器
01年の窪塚洋介主演映画『GO』でもメインウェポン
月刊OUTのT編集長は灰皿で編集者を血祭りにあげていたという伝説が・・・。
@@古澤修-b1m 様
いにしえのアウタシアンは過激でしたからねぇ(笑)
は?ウチは2〜30はあるけど?
そもそも売ってるけど
と思ってググってしまいました。銃刀法で(持ち歩くと)凶器と見做され違法って事ですね。
@@user-middlemountmirror 様
火サスでも凶器扱いされてましたね(笑)
お茶の箱は湿気ずらいので、うちでは、お茶を箱買いして桐箪笥代わりに着物とか収納してたなぁ(笑)。
タイトルを見て動画を見る前に自分が最初に連想した>生活に欠かせなかった商品 は
活版印刷だなあ。たぶん自分の隣が印刷屋さんだったのと小学校の
社会科見学が新聞社の活版印刷だった影響なのかな。
昔はあんなので新聞刷ってたとか昭和すげえ時代だったなあw
学校ではガリ版だったなあ。あとは湿式の青いやつ
ソフト麺
昔、親戚からりんごを送られたことが何度かあって、木箱にクッションの代わりにおがくずを入れられていた覚えがあります😄
りんごよりおがくずのほうが多かったなって思った覚えがありましたね😅
そんな木箱が携帯のネットショップで売られていて、送料含めて三千円ほどで売られていて買いました😄
ベンチチェストとして利用しています😄
籐製品ってネコの爪研ぎにうってつけなんですよね。
某ネコ漫画で、籐家具をネコにボロボロにされて、飼い主が激怒したシーンを思い出しました😻😠
氷で冷やす冷蔵庫、映画「窓際のトットちゃん」に出てたなぁ。
赤チンもなんだけど、黄色いガーゼ素材で傷口に貼って包帯巻いて使ってた薬があったと思うんだけど💊分かる人いるのかな。赤チンは話題に上がるけどその黄色いガーゼ素材の薬が話題にあがるのを見たことがない😢
リバガーゼですかね? 祖母の家にまだあります!
りんごは木箱に籾殻が懐かしい。田舎から送って貰って、子供だったから籾殻で遊んで身体中がチクチクしたのも思い出。
昔、音楽用カセットテープに映像が撮れる機械が物凄く短い時期に販売していましたよね。(友人に話してもそんなの無いと言われて)
ビデオがテープじゃなくなり久しいですけど、外国製のおもちゃのカセットテープビデオは聞いたことがあります。
その籾殻で焚き火して 焼き芋🍠焼いたら美味しかった。
😊😊や😊やささせせせ😅
缶ジュースも鳥のくちばしみたいな付属の金具で上蓋に穴を2~3ヶ所開けて飲んでたなぁ...🤔
@@kiss832 発売されたばかりの缶ジュースはそうでしたね。「こつぶ」とか。後は御贈答用の缶に入った油とか😉
小学生🎒男子なら欠かせないものは水筒やな✋僕の仲良し女子達はブルマてことでしたなⓂ💯
おばあちゃんの家に藤細工の枕があったのを思い出しました。使ったことないけど
海外製や大きな缶詰はまだまだ缶切りが必要なんだよね。
ブルーフィルム・・・
これは地方と中央の違いもあるのかもしれないのでしょうが、テレカが昭和の生活に欠かせないアイテムというのは少し唸るんですよね。これは正しくは平成1桁なのではないかとね。むしろ昭和の公衆電話あるあるは10円ジャラジャラなのではないかと…。
うん。
公衆電話の上に10円玉を何枚も積み上げたりしてましたよ。
缶詰と缶切りの話をしていて、缶切りの発明時期のネタをスルーできる忍耐力よ…
懐かしい、私は、1973年、2月、生まれ何で
ビデオテープは80年代の録画したのはまだ見れます。後にテープ自体軽量化されて来たのがダメになりがち。メイドインK のはノイズだらけになりましたね。電化製品は古いのは重たいがその方が長く使えていた感じしますね。
籐の家具…とうのかぐかな?
公衆電話で忘れられないのがアドレス帳!当時仕事上必須アイテム
なんだけど、よく電話の上に置き忘れることがあって一度だけ取引先
のアドレスを書き留めたやつを置きっぱなしにしたことがあった。
あんときはあせった!(;^ω^)
アドレス帳が入れられる腕時計『カシオデータバンク』もありましたね。
テレカはお土産で、その地域の風景写真のヤツをよく買いましたね。値段も手ごろで、貨幣価値もあって、良いお土産でした。
今だったら、アマギフのカード?とかに写真を入れて売るとかできたらイイのかな?とか思ったり思わなかったり。
缶切りはそんなに難しいかなぁ?小学校低学年でも開けられたけど。ってか、イマドキの細いのは難しいけど、持つところが縦のヤツはそれほど難しくないと思う。
缶切りの要らない、コンビーフの缶詰は秀逸だったと思う。
おらはアラフィフだが、赤チンってのは使った事ないのよね。
すでに無色のマキロンが主流だったと思う。
リンゴ箱もミカン箱も見た事ないんだよなぁ。
でも、衣類や寝具類は茶箱だったw
家にフルーツの缶詰がある時は……あ、お父さんがパチンコ行ってやがったな。って。w
りんごの木箱は昭和の漫画では作者の執筆デスクだったり歌手のステージになってたりしていましたが、
たいていはまだヒットしていない=貧乏の象徴にもなっていました。
りんごの木箱➠テレビ台にカスタムしました。下に車輪を取り付けて😂
昔の貧乏漫画家のステレオタイプに、みかんの木箱を机にして描いてるというのがよく使われてた記憶があります。
うろ覚えだけど手塚治虫とか藤子不二雄とか松本零士とか吾妻ひでおとかにあったような?
五分(ごふん)じゃなく五分(ごぶ)ね
電気紙芝居。
お風呂のかき混ぜオール。
お湯があっちい時は必ずこのかき混ぜオールを使ってました。
最近はあるのかな?
此方のチャンネルで流れてる映像時々関連動画で出てきます✨
Everyday life in bygone days in Tokyo 1966
と言う動画ですよね