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子供の頃は交換手がいる電話機で、就労したころはD-60やD-70が普及していて、クロスバー交換機の衰退期でした。その頃は交換4社NEC,日立,沖,富士通が幅を利かせていました。その後にSLT単機能ではなく、ISDNを混在搭載するAI-SLTが普及しかけましたが、ISDNは早々に衰退してもアナログ電話は残りましたが、まさか交換機がなくなる時代がくるとは思ってもいませんでした。それでも市販の電話機や、メタル回線を使用しているかぎりは、-48Vの給電電圧や75Vrmsのリンガーは残るので、それを終端するする局舎装置は残りますね。懐かしい限りです。
昔の犯罪映画で「奥さん、犯人との電話を引き延ばしてください!」というシーンがあるのは、この機械的リレースイッチを一桁ずつ遡る為に交換所内を走り回っていたからなんだよね。最後の桁がある所にたどり着く前に犯人が電話を切ってしまうと、「逆探知失敗!だが犯人は新宿区内の家庭電話を使用したはずだ!」という展開になり、最後の桁まで探し当てると「犯人はあなたの家の中から電話を掛けています。直ぐに逃げて!」という名場面になる。
@@gutchie7 おおっ…そういう事だったのか!アレ昔からどんな事をやってるんだろう…と思ってました。でもこの動画を見た後ならスッと頭にイメージ出来ました。ありがとうございます!
昔、逓信総合博物館の「子供電話教室」みたいなイベント(?)で、ステップバイステップ式の交換機(の、小型のやつ)が、自分のダイヤル操作で動くのを見た事があります。クロスバー式の交換機に切り変わりつつある頃でしたね。電話の仕組みとか、電話マナーとかも教えてくれて有用な教室でした。ダイヤル式電話機(パルス方式)はアイディアの塊!。
自分が小学生の(昭和50年代)クロスバー交換機時代、父が東京四谷の電話局に努めていた時に局に連れて行ってもらい、自動交換機の部屋へ入った時に四谷の各世帯から一対一でつながっている電話線が立ち上がっている電話線の束の太さが巨木の幹より太くてすさまじかったのを子供の頃の自分でもびっくりしたのを思い出しました。家には故障して交換したリレーとか持ち帰ってきたものがありましたね。高校の頃にはISDNの交換機になって保守が専用のテスト機を使わないとならなく、クロスバー時代の父にはチェックが遅いって言ってました。
局は町の中心地に位置していたんですね。携帯になり、土地はいらなくなってデパートか。
昔なんだけど東海道新幹線のこだま号のビッフェにダイヤルの無い公衆電話機が置いてあって〜お金を入れる所があったから受話器を取ってお金を入れたら受話器の向こうから交換手さんから怒られたな〜公衆電話とは違うので先にお金を入れないでと!まず、こだま何号を伝えて相手の電話番号を伝えてから、お金をいくら入れてくれと交換手から言われて交換手さんが相手と繋がった確認ができたらこちらに繋がりましたと一声かけてくれるんよ!まあ〜国際電話もコレクトコールでの話しだけど電話交換手対応だと、相手の電話番号を伝えて相手と繋がると交換手が一声かけてくる感じだったな〜
母は沖縄に電話して相手に繋がるまで半日を要した(しかも沖縄は当時外国なので国際電話)旅館の部屋に置かれたダイヤルの無い黒電話、壁に掛かった黒電話、真っ赤な4号黒電話ヘビが鎌首を立てたようなスタイルの電話機がオシャレだったけど重たくて…(置くと切れてしまうw)4号黒電話のクリーム色…ほしいなぁ今でも。
「特急」にすれば料金は高いですが早く繋いでもらえました。
なかなか取り上げられない分野で興味深かったです。これからも動画配信期待しております。
昔田舎では完全に交換手経由なローカル電話があったりしました最新のローカル交換機を導入したのに、接続が遅いと思ったらステップバイステップ中継局通ることがあって… というホラーを聞いたことがあります
昭和の頃は、接続したものの妙に声が小さく変なノイズが入り始め勝手に切れてしまう…ってトラブルがたまにありました。ある時期から意識しなくなるほど安定しましたが、自動交換機が新型になった時期だった様子。でもそこからTV 電話実現まで長かったですね…。
うちの祖母はまさに「電話交換手」をしてましたねー。近所の「電々公社の電話局」にお勤めに行ってたそうです。花形職業だったそうですよ。すごいなー。
電話交換の仕組みとか、ガチでわからなすぎる。
確か米国のお話だったと思いましたが、70年以上無故障で稼働し続けた電話交換機がついに更新されたという記事を最近読みました(クロスバースイッチかな?)さすがにメンテナンスはされていたのでしょうが、こういう永く使える耐久性の高い技術って良いですよね。やっぱり機構が単純で分かり易いのが「強い」技術なんでしょうか。
昭和47年ごろ。私が通っていた某有名私立中学には、交換手を介さないと繋がらない公衆電話が存在した。確か5円玉が必要で、いつも5円玉を常備していました。空襲もわざと避けたという戦前からある大学の建物の一角にある中学でした。
5円ですか・・・じゃあ交換手も「もしもし」じゃなくて「おいおい」と言っていたとか。
@@douga9996 5円で通話できたわけではなくて、はっきり覚えていないけど、最初に5円入れて交換手を呼んで、繋げてもらったら追加で5円入れるみたいな事だったかと。
今のディスプレイは平面だけど三次元の表示が実用化され触覚まで伝送できるようになると今の通信速度では全く足りないですね。
どこかの飲食店の壁昔の固定電話(マイクとスピーカーが別々レベル)が好きだったたしか電話はできなかった
そういえば、20世紀(昭和末期から)にはパソコン通信があったけどインターネットの台頭によって衰退した。それと同じことが電話でも起きているよね。そう、IP電話という交換機を通さないタイプに移行ってことだね。
AI生成の挿絵がどれもシュールで矛盾に満ちていて楽しかった
今は個人個人が、常時繋がっている方向に進んでますねえ。
40年前、高校生の時、市内局番がない生徒がいて、周りから問い詰められた人がいた。近所のお米屋さんが、仕入先にハンドルぐるぐる電話をかけていた。
ISDNが登場したころ、やはり未来の通信技術の予想があった。そこには、電話回線が高速デジタル化し、リモートワークや、家にいながら新幹線などのチケットが購入できたりと、おおよそ当たっていたが、大外れした予想もあった。例えば、電話は全てテレビ電話になり、新幹線の各座席に公衆電話がついているとかだ。テレビ電話は一部実用化されたが普及はしなっかった。携帯電話やスマホの普及やインターネットの普及は当時誰も予測できなかった。
子供の頃(1960年代)市内通話は自動でしたが、市外には交換手を通してたっけ。完全自動になったのはその後数年してからでした。田舎なので少し遅れてたのかな。
完全自動になった当時は赤電話に「市外通話もかけられます」と書かれたテープが貼られていましたね。
昔の電話機はダイヤルが無く、ハンドルを回して交換手を呼び出してたんだ。
ハンドルを回して呼び出すのが磁石式受話器を上げて呼び出すのが共電式ダイヤル式から磁石式局へ電話するときは「106」番を回して相手先の番号を告げてつなぐ方式か、又は、半自動即時通話と言い市外局番のみをダイヤルして、相手先の交換手を呼び出し相手先の番号を告げてつなぐ方式でした。
逆に数年前に100歳近くで亡くなった祖母は生前にケータイを見て「コレ電話かい?」って信じて貰えなかったよ。電話の進化の早さかな。
@@prc148mbitr 15年前に亡くなった祖父は生前、携帯電話を見て「どうやって料金を払うのか?」と聞いていました。徴兵で軍に所属していた関係からか、無線という概念はあったみたいです。
@@かずさか-p3s ダイヤル式になっても農村共同電話では地域外は「0-100」をダイヤルして交換手に繋いでもらう方式でした。
配信ありがとうございます。とても勉強になりました。キャラクターとてもかわいいです。
16:25から、IP網への移行による生活に与える影響の説明がありますが、利用者側のメリットは特に無いと思います。通話料が少し安くなるぐらいです。IP網への移行は、従来のPSTN網の保守が難しくなってきたことや、IP網を利用することで設備を効率的に管理できることのようなNTT側の都合によるものです。
未来の通信…進化し続けるのだろうが、必要かどうかは別の話。昔、FAXに色々機能を付けて説明書無しでは使いこなせない、しかも必要な機能はごく一部…とかもありました。メーカーもメディアも3Dテレビを推していましたが消滅しました。最近では電気自動車の機能で必要無いモノの集計で「タッチパネル」「ネット接続機能」が挙げられて、車両価格を無駄に上げる原因と言われてました。スマート住宅はそこそこ昔から言われてましたが、外出先でエアコンのスイッチ操作したいか?冷蔵庫の中身を言う程確認したいか?等など疑問に思う所もあります。あえて必要になるとしたら、やはり遠隔医療とかでしょうかね?
昔から有る近所の時計屋さんの壁に書いてある電話番号が三桁(笑)交換手さんも3桁迄なら対応出来そうだね
若かりし頃、市町村毎に、市外局番が、今は、複数市町村が、同じ局番なのね。
「電話」という概念がなくなるかもしれませんね。
もう既に固定電話が職場でしか見ない、使わないモノになってきました。スマホも既に電話としてはほとんど使われてませんから時間の問題ですかね?
まぁ今でも既に無くなりかけてるけど。ボイスチャットとかそういう言い方に変わってるし。電話の需要は電話番号に集約してる気がなぁ。
固定電話という意味なら欲に言う「クレヨンしんちゃん」家庭(=両親+子ども2人+持ち家+自家用車)でも無い場合もあります。子どもも含め家族全員がスマホを持っているのが当たり前。そのうち、LINE(メッセージ)などに集約されて電話という機能が無くなるのでは?と思います。
@@ころべぇ-s1b 10年とか前なら固定電話の有無が各種審査に影響を与えていましたが、今では携帯電話のみを書くのが当たり前。職場のみと言えば、FAXが有名。家庭では使わない人が増えています。
@@ころべぇ-s1b 個人経営の店の前に「でんわ☎でんぽう」と書かれた楕円の看板が懐かしい。日本電信電話公社です。
「0」から電話番号が始まるのは交換機の名残だと思います。いつから0が電話番号の最初に使われるようになったのでしょうか?
電話番号の最初の一桁目は国番号を現していますので、国際通話が自動化された1970年代前後だと思います
@@ch-tk 今も同じかわかりませんが、市内の通話は市外局番が不要でした。言い換えると市街の「局」にかけるときは、0を頭につける必要があったと思います。その「局」とは電話局で、電話局=電話交換機、だと思いました。この動画を見た後ストロージャー交換機について調べたところ、電話番号が4桁の単位になっているのは、その仕組みに由来があるとのこと。電話番号の歴史も面白そうだなと(例えばなぜアメリカの国番号が1で、カナダといっしょかとか)思いました。
19:50 なんか、「They Live」っぽい感じがして、ちょっと怖い。
国際電話の自動化は随分と遅れていたね。
専用回線よりIPはセキュリティーが微妙な気がする
バブルのころ、NTTは日本の電力の1割を消費していたと思う。非常用として車載のガスタービン発電機を持っていた。今は光ケーブルにして電話機の電力は消費者負担だ。 NTTの局の跡地は商業利用されているのかな。今はデーターセンターが電力を大口消費か。山の稜線の反射板は使われているのか。〇応大の教授が名家で、学生が家にお呼ばれで行ったら、電話室があったそうだ。日本は相続税がきついからマンションになってるだろう。国際線の機内映画はミスタービーン1択だった。2000年代初期はギャレーのそばに専用の小部屋があり、パーサーみたいな人がヘッドフォンをして機械を操作していた。テープを入れ替えていたのかな。変な端末が座席に付くようになってHDDから各自が随時、映画をダウンロードできるようになったのはいつからか。パソコンもRUclipsが同じことをするようになった。パソコンと機内はどっちが早かったんだろう。機内が先かな。IEEEが規格を定めたの?これも交換機の1種だな。
電話交換手って、無くなった親が働いていたけど、定年退職していれば2000万はもらえていたみたい??( ̄▽ ̄;)
一方自動化予定で業務が増えても交換手を増員しなかったので頸肩腕症候群(通称けいわん)という職業病が問題になりました。
ISDNはじめちゃん「ISDNおわりでちゅ」
PSTNマイグレは実はもう終わってるという、、、
電子交換機・・・
抜かされちゃいましたね、クロスバー式とデジタル交換機の間の電子交換機。
話の内容はいいと思うけど何の情報も無いトンチキAI画像は正直いらないと思う
交換手のは七十年代まで使ってやろ米国は?ダーティハリーだかブルーサンダーだかで交換手のシーンが有る。なら日本の方が自動化早い
子供の頃は交換手がいる電話機で、就労したころはD-60やD-70が普及していて、
クロスバー交換機の衰退期でした。その頃は交換4社NEC,日立,沖,富士通が幅
を利かせていました。その後にSLT単機能ではなく、ISDNを混在搭載するAI-SLTが
普及しかけましたが、ISDNは早々に衰退してもアナログ電話は残りましたが、ま
さか交換機がなくなる時代がくるとは思ってもいませんでした。それでも市販の
電話機や、メタル回線を使用しているかぎりは、-48Vの給電電圧や75Vrmsのリン
ガーは残るので、それを終端するする局舎装置は残りますね。懐かしい限りです。
昔の犯罪映画で「奥さん、犯人との電話を引き延ばしてください!」というシーンがあるのは、この機械的リレースイッチを一桁ずつ遡る為に交換所内を走り回っていたからなんだよね。
最後の桁がある所にたどり着く前に犯人が電話を切ってしまうと、「逆探知失敗!だが犯人は新宿区内の家庭電話を使用したはずだ!」という展開になり、最後の桁まで探し当てると「犯人はあなたの家の中から電話を掛けています。直ぐに逃げて!」という名場面になる。
@@gutchie7 おおっ…そういう事だったのか!アレ昔からどんな事をやってるんだろう…と思ってました。でもこの動画を見た後ならスッと頭にイメージ出来ました。ありがとうございます!
昔、逓信総合博物館の「子供電話教室」みたいなイベント(?)で、ステップバイステップ式の交換機(の、小型のやつ)が、自分のダイヤル操作で動くのを見た事があります。
クロスバー式の交換機に切り変わりつつある頃でしたね。
電話の仕組みとか、電話マナーとかも教えてくれて有用な教室でした。
ダイヤル式電話機(パルス方式)はアイディアの塊!。
自分が小学生の(昭和50年代)クロスバー交換機時代、父が東京四谷の電話局に努めていた時に局に連れて行ってもらい、自動交換機の部屋へ入った時に四谷の各世帯から一対一でつながっている電話線が立ち上がっている電話線の束の太さが巨木の幹より太くてすさまじかったのを子供の頃の自分でもびっくりしたのを思い出しました。
家には故障して交換したリレーとか持ち帰ってきたものがありましたね。
高校の頃にはISDNの交換機になって保守が専用のテスト機を使わないとならなく、クロスバー時代の父にはチェックが遅いって言ってました。
局は町の中心地に位置していたんですね。携帯になり、土地はいらなくなってデパートか。
昔なんだけど東海道新幹線のこだま号のビッフェにダイヤルの無い公衆電話機が置いてあって〜
お金を入れる所があったから受話器を取ってお金を入れたら受話器の向こうから交換手さんから怒られたな〜
公衆電話とは違うので先にお金を入れないでと!
まず、こだま何号を伝えて相手の電話番号を伝えてから、お金をいくら入れてくれと交換手から言われて
交換手さんが相手と繋がった確認ができたらこちらに繋がりましたと一声かけてくれるんよ!
まあ〜国際電話もコレクトコールでの話しだけど電話交換手対応だと、相手の電話番号を伝えて相手と繋がると交換手が一声かけてくる感じだったな〜
母は沖縄に電話して相手に繋がるまで半日を要した(しかも沖縄は当時外国なので国際電話)
旅館の部屋に置かれたダイヤルの無い黒電話、壁に掛かった黒電話、真っ赤な4号黒電話
ヘビが鎌首を立てたようなスタイルの電話機がオシャレだったけど重たくて…(置くと切れてしまうw)
4号黒電話のクリーム色…ほしいなぁ今でも。
「特急」にすれば料金は高いですが早く繋いでもらえました。
なかなか取り上げられない分野で興味深かったです。これからも動画配信期待しております。
昔田舎では完全に交換手経由なローカル電話があったりしました
最新のローカル交換機を導入したのに、接続が遅いと思ったらステップバイステップ中継局通ることがあって… というホラーを聞いたことがあります
昭和の頃は、接続したものの妙に声が小さく変なノイズが入り始め勝手に切れてしまう…ってトラブルがたまにありました。ある時期から意識しなくなるほど安定しましたが、自動交換機が新型になった時期だった様子。でもそこからTV 電話実現まで長かったですね…。
うちの祖母はまさに「電話交換手」をしてましたねー。近所の「電々公社の電話局」にお勤めに行ってたそうです。花形職業だったそうですよ。すごいなー。
電話交換の仕組みとか、ガチでわからなすぎる。
確か米国のお話だったと思いましたが、70年以上無故障で稼働し続けた電話交換機がついに更新されたという記事を最近読みました(クロスバースイッチかな?)さすがにメンテナンスはされていたのでしょうが、こういう永く使える耐久性の高い技術って良いですよね。やっぱり機構が単純で分かり易いのが「強い」技術なんでしょうか。
昭和47年ごろ。私が通っていた某有名私立中学には、交換手を介さないと繋がらない公衆電話が存在した。
確か5円玉が必要で、いつも5円玉を常備していました。
空襲もわざと避けたという戦前からある大学の建物の一角にある中学でした。
5円ですか・・・じゃあ交換手も「もしもし」じゃなくて「おいおい」と言っていたとか。
@@douga9996 5円で通話できたわけではなくて、はっきり覚えていないけど、最初に5円入れて交換手を呼んで、繋げてもらったら追加で5円入れるみたいな事だったかと。
今のディスプレイは平面だけど三次元の表示が実用化され触覚まで伝送できるようになると今の通信速度では全く足りないですね。
どこかの飲食店の壁昔の固定電話(マイクとスピーカーが別々レベル)が好きだった
たしか電話はできなかった
そういえば、20世紀(昭和末期から)にはパソコン通信があったけどインターネットの台頭によって衰退した。それと同じことが電話でも起きているよね。そう、IP電話という交換機を通さないタイプに移行ってことだね。
AI生成の挿絵がどれもシュールで矛盾に満ちていて楽しかった
今は個人個人が、常時繋がっている方向に進んでますねえ。
40年前、高校生の時、市内局番がない生徒がいて、周りから問い詰められた人がいた。
近所のお米屋さんが、仕入先にハンドルぐるぐる電話をかけていた。
ISDNが登場したころ、やはり未来の通信技術の予想があった。そこには、電話回線が高速デジタル化し、リモートワークや、家にいながら新幹線などのチケットが購入できたりと、おおよそ当たっていたが、大外れした予想もあった。例えば、電話は全てテレビ電話になり、新幹線の各座席に公衆電話がついているとかだ。
テレビ電話は一部実用化されたが普及はしなっかった。携帯電話やスマホの普及やインターネットの普及は当時誰も予測できなかった。
子供の頃(1960年代)市内通話は自動でしたが、市外には交換手を通してたっけ。完全自動になったのはその後数年してからでした。田舎なので少し遅れてたのかな。
完全自動になった当時は赤電話に「市外通話もかけられます」と書かれたテープが貼られていましたね。
昔の電話機はダイヤルが無く、ハンドルを回して交換手を呼び出してたんだ。
ハンドルを回して呼び出すのが磁石式
受話器を上げて呼び出すのが共電式
ダイヤル式から磁石式局へ電話するときは「106」番を回して相手先の番号を告げてつなぐ方式か、又は、半自動即時通話と言い市外局番のみをダイヤルして、相手先の交換手を呼び出し相手先の番号を告げてつなぐ方式でした。
逆に数年前に100歳近くで亡くなった祖母は生前にケータイを見て「コレ電話かい?」って信じて貰えなかったよ。電話の進化の早さかな。
@@prc148mbitr
15年前に亡くなった祖父は生前、携帯電話を見て「どうやって料金を払うのか?」と聞いていました。
徴兵で軍に所属していた関係からか、無線という概念はあったみたいです。
@@かずさか-p3s ダイヤル式になっても農村共同電話では地域外は「0-100」をダイヤルして交換手に繋いでもらう方式でした。
配信ありがとうございます。とても勉強になりました。キャラクターとてもかわいいです。
16:25から、IP網への移行による生活に与える影響の説明がありますが、利用者側のメリットは特に無いと思います。
通話料が少し安くなるぐらいです。
IP網への移行は、従来のPSTN網の保守が難しくなってきたことや、IP網を利用することで設備を効率的に管理できることのようなNTT側の都合によるものです。
未来の通信…進化し続けるのだろうが、必要かどうかは別の話。
昔、FAXに色々機能を付けて説明書無しでは使いこなせない、しかも必要な機能はごく一部…とかもありました。
メーカーもメディアも3Dテレビを推していましたが消滅しました。
最近では電気自動車の機能で必要無いモノの集計で「タッチパネル」「ネット接続機能」が挙げられて、車両価格を無駄に上げる原因と言われてました。
スマート住宅はそこそこ昔から言われてましたが、外出先でエアコンのスイッチ操作したいか?冷蔵庫の中身を言う程確認したいか?等など疑問に思う所もあります。
あえて必要になるとしたら、やはり遠隔医療とかでしょうかね?
昔から有る近所の時計屋さんの壁に書いてある電話番号が三桁(笑)交換手さんも3桁迄なら対応出来そうだね
若かりし頃、市町村毎に、市外局番が、今は、複数市町村が、同じ局番なのね。
「電話」という概念がなくなるかもしれませんね。
もう既に固定電話が職場でしか見ない、使わないモノになってきました。
スマホも既に電話としてはほとんど使われてませんから時間の問題ですかね?
まぁ今でも既に無くなりかけてるけど。ボイスチャットとかそういう言い方に変わってるし。
電話の需要は電話番号に集約してる気がなぁ。
固定電話という意味なら
欲に言う「クレヨンしんちゃん」家庭(=両親+子ども2人+持ち家+自家用車)でも無い場合もあります。
子どもも含め家族全員がスマホを持っているのが当たり前。
そのうち、LINE(メッセージ)などに集約されて電話という機能が無くなるのでは?と思います。
@@ころべぇ-s1b 10年とか前なら固定電話の有無が各種審査に影響を与えていましたが、
今では携帯電話のみを書くのが当たり前。
職場のみと言えば、FAXが有名。家庭では使わない人が増えています。
@@ころべぇ-s1b 個人経営の店の前に「でんわ☎でんぽう」と書かれた楕円の看板が懐かしい。日本電信電話公社です。
「0」から電話番号が始まるのは交換機の名残だと思います。いつから0が電話番号の最初に使われるようになったのでしょうか?
電話番号の最初の一桁目は国番号を現していますので、国際通話が自動化された1970年代前後だと思います
@@ch-tk 今も同じかわかりませんが、市内の通話は市外局番が不要でした。言い換えると市街の「局」にかけるときは、0を頭につける必要があったと思います。その「局」とは電話局で、電話局=電話交換機、だと思いました。この動画を見た後ストロージャー交換機について調べたところ、電話番号が4桁の単位になっているのは、その仕組みに由来があるとのこと。電話番号の歴史も面白そうだなと(例えばなぜアメリカの国番号が1で、カナダといっしょかとか)思いました。
19:50 なんか、「They Live」っぽい感じがして、ちょっと怖い。
国際電話の自動化は随分と遅れていたね。
専用回線よりIPはセキュリティーが微妙な気がする
バブルのころ、NTTは日本の電力の1割を消費していたと思う。非常用として車載のガスタービン発電機を持っていた。今は光ケーブルにして電話機の電力は消費者負担だ。 NTTの局の跡地は商業利用されているのかな。今はデーターセンターが電力を大口消費か。山の稜線の反射板は使われているのか。
〇応大の教授が名家で、学生が家にお呼ばれで行ったら、電話室があったそうだ。日本は相続税がきついからマンションになってるだろう。
国際線の機内映画はミスタービーン1択だった。2000年代初期はギャレーのそばに専用の小部屋があり、パーサーみたいな人がヘッドフォンをして機械を操作していた。テープを入れ替えていたのかな。変な端末が座席に付くようになってHDDから各自が随時、映画をダウンロードできるようになったのはいつからか。
パソコンもRUclipsが同じことをするようになった。パソコンと機内はどっちが早かったんだろう。機内が先かな。IEEEが規格を定めたの?これも交換機の1種だな。
電話交換手って、無くなった親が働いていたけど、定年退職していれば2000万はもらえていたみたい??( ̄▽ ̄;)
一方自動化予定で業務が増えても交換手を増員しなかったので頸肩腕症候群(通称けいわん)という職業病が問題になりました。
ISDNはじめちゃん「ISDNおわりでちゅ」
PSTNマイグレは実はもう終わってるという、、、
電子交換機・・・
抜かされちゃいましたね、クロスバー式とデジタル交換機の間の電子交換機。
話の内容はいいと思うけど何の情報も無いトンチキAI画像は正直いらないと思う
交換手のは七十年代まで使ってやろ米国は?ダーティハリーだかブルーサンダーだかで交換手のシーンが有る。なら日本の方が自動化早い