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毛利輝元の思考・コンプレックスへの言及や分析は面白かったです。感謝
織田家が毛利をかなり脅威として見ていたことを言及されてたの流石です
元就含めた毛利を、こんなにアゲて話してくれるしかかくさんがいてくれて嬉しい!
シカカクさんは毛利氏ガチ勢ですからね。中国地方の歴史を知りたいなら彼のチャンネルですよ
しかかくさんと知り合いだったんですね。二人とも江戸時代の創作より一次史料を重視し史実を元にした歴史解説なので凄く勉強させてもらっています
なるほど、だから毛利家は秀吉とあっさり和睦したんですね。毛利視点の話、とても勉強になりました。ありがとうございました。
しかかくさんの中国地方戦国期に関する「問題提起」は研究環境に恵まれた山口・広島の史料館の学芸員さんも注目する本物理系の博士・科学者の中国地方戦国期へのアプローチは大人気です。
元就は子・孫たちのメンタリティまで見越した上で拡大政策を戒めていたんですね、とても興味深くいいお話でした。武士道さん、しかかくさん、ありがとうございました。
毛利と秀吉との和睦がなぜあんなにスムーズに行ったのか釈然としなかったのですが、毛利側の視点から見るとよくわかりますね。すごく面白かったです。
播磨地方出身なので、姫路に来てくれて嬉しいです!!
日本史大好き外人ですこの前に大返しの備中高松城から姫路城までの区間を三日かけてハイキングしました(備中高松城〜沼城、沼城〜相生駅、相生駅〜姫路城)歩きながら秀吉すごいなと思ってましたが当時としては驚くほどの速さではなかったことは初めて知りました賤ヶ岳の戦いでの美濃大返しも少し速い感じですかね毛利家の立場からの解説も面白かったです
秀吉は、強行軍で移動しながら、自分の部下・家臣だけではなく堀秀政のようにたまたま同行していた織田信長の家臣とも協力して作戦を練って、多くの使者を派遣して誰が敵か味方かも確定しない状況で織田信長の傘下の武将の取り込み工作をやったり、おまけに別動隊の水軍の編成まで指示していたのだから驚異的ですよ。単に決まった戦場を目指して部隊を移動させていただけではないので、政治工作の必要が無かった賤ケ岳の戦いとはかなり違います。
なんか秀吉よりも、吉川経家の覚悟とか知れて胸が詰まった。
おー、しかかくさんとコラボとは!嬉しいです。
凄く楽しかったです。😊
それで、毛利より宇喜多の人質が無事返されたと言う事でしょうか?
しかかく氏の動画は以前より登録して拝見しております。
しかかくさんとのコラボありがとうございます🙇織田や字喜多、浦上なども絡めて色々と知ることができました
しかかくさんご登場!アメリカ行きっぱなしと思ってましたが行ったりきたりしてるんですね😮お名前にそんな由来があったとは!武士道さんもお疲れ様です!🙇また貴重なお話し楽しみにしてます!
輝元の関ヶ原前後の詳しい話しは興味ある是非続編を見たいです
お二人の熱がこもったお話が聞けてあっという間に感じました!しかかくさんのお面はハルゴザコラボの時に用意されてて使わなかった幻のお面でしょうか笑
しかかくさんとのコラボ嬉しいです、秀吉は自己アピールに長けた人物ですねえ宇喜多が重用された理由もわかりました、関ヶ原で主力として奮戦するのも納得。
勢力や配下の武将を失った毛利家の千載一遇の追撃戦をせず、一族を失った吉川元春にしてみれば復讐戦の機会すら許されず、毛利家から豊臣大老まで上り詰めた小早川隆景は好きになれない。
ライブで言っていたしかかくさんの鹿マスク、出番がありましたねー
シカカクさん日本に来てたんだw次は右京太夫政元先生ですね!
しかかくさんの今のペースだと、中国大返しまで行くのは…。れ…令和中には見れるといいなっ!
良いですね。しかかくさんがすこ。あれ?日本に居るんだな。
いつの間にこんなロケを!武士道さん、しかかくさん、お疲れ左馬頭でした!
しかかくさんグラニフのTシャツですやん
毛利就慶さんとのコラボ待ってます!!
やはり、現在の近代人の方は昔の当時の状況、感覚の事が解らない方が多々ですよね。 当時の道の幅、夜間は常夜灯も街灯もなし、 当然、山陽道などもなし 途中片側は崖で狭く、滑落する可能性が高い場所を足軽ですら、大きな各種荷物を背負い狭い山道を歩いて超える(しかも、1万人以上の大軍) 歩いて移動の模試、シュミレーションなどをするやる方は、殆ど居ない!ですよね。
これは天狗のお面も期待して良いですか・・・?
そのうちで結構ですので、毛利歴史ちゃんねるのお殿様とのコラボも期待しております。
寒そうなのが気になる
三木家などの裏切り?将軍の命令に従ったのなら裏切りとは言えないでしょ。
秀吉さんがみっちゃんと、戦うため、中国から、おお返しした話は、歴史で、習ったりしました。現代なら、マラソンだね、秀吉さんやるぞマラソンだね、
安国寺恵瓊の秀吉評は、読み方を間違えている。「さりとてはの者である」というのは、文脈的におかしい。「さりとて八の者である」と読んだ方がスッキリとする。「八」とは差別用語で、身分が卑しいという意味である。読み方で意味が180度変わる。安国寺恵瓊の推察眼が鋭いのであれば、関ヶ原で西軍に参加していない。
「八が差別用語である」 に関する論拠と解説プリーズ。また、恵瓊の西軍参加については毛利輝元が総大将なんだから仕方がない。
@@力哉-l5t 「「はち」に関しては平安後期のものとして「本朝はちや由来記」がある。それは、「洛中洛外から畿内まで夜になると忍び出てあらし廻り、官裁をもって警戒しても、元来が忍びになれた者ゆえ、ここかと思えば又あちらの飛燕のような早業にて立ち廻り」と、その反体制ぶりをとき、なんとしても取締りのできかねた当時の模様をのべ、「よって京はいうに及ばず、国々にても手をやき、毒をもって薬になさんと、八の者をよび、これに乱暴盗賊の防ぎをさせたところ、その功が現われてか日本国中にこの八の支配(司法警察)がひろまった」とでている。つまり戦国時代にあっては、「八の者」つまり「はちや」といわれた連中は、安国寺といった寺方や、それまでの既成勢力側からみれば、それは賎民にひとしい原住系の人間だからして、「藤吉郎さりとて八[の者]にて候」とは、これは軽蔑をこめて書かれた」ものである。以上です。
『通説』と『俗説』の区別は明確にしてください。あなた方が生まれる前に否定された通説を、最近否定されたと言われると『えっ!』ってなる。。。
んなもん研究が進めばひっくり返されるもんもあるでしょ
@@matukawatositane 通説の話をしている。遠い昔に否定された通説を、最近否定されたと動画内で言っている。俗説として最近まで言っている一般人が多かったのは事実なので、区別して欲しいと言っている。新資料が出てくるので、歴史が永遠に確定しないのは当然。『定説』と言い切るのは困難で学者の多くが唱える説を『通説』と言い、一次資料じゃなく江戸時代の物語などを元に一般人に拡まっているものが『俗説』。レベルの高いチャンネルだから『えっ!って思った。俗説を垂れ流しているチャンネルがほとんどの中で、このチャンネルはレベルが高い。
「裏切る」は「一神論」の考えでしょう。「八百万の神」がいるなら、考え方だって無数にあるわけだしwただ、それが嫌で江戸幕府は儒教を無理やり強制させたのでしょwww
毛利輝元の思考・コンプレックスへの言及や分析は面白かったです。感謝
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理系の博士・科学者の中国地方戦国期へのアプローチは大人気です。
元就は子・孫たちのメンタリティまで見越した上で拡大政策を戒めていたんですね、とても興味深くいいお話でした。
武士道さん、しかかくさん、ありがとうございました。
毛利と秀吉との和睦がなぜあんなにスムーズに行ったのか釈然としなかったのですが、毛利側の視点から見るとよくわかりますね。すごく面白かったです。
播磨地方出身なので、姫路に来てくれて嬉しいです!!
日本史大好き外人です
この前に大返しの備中高松城から姫路城までの区間を三日かけてハイキングしました
(備中高松城〜沼城、沼城〜相生駅、相生駅〜姫路城)
歩きながら秀吉すごいなと思ってましたが当時としては驚くほどの速さではなかったことは初めて知りました
賤ヶ岳の戦いでの美濃大返しも少し速い感じですかね
毛利家の立場からの解説も面白かったです
秀吉は、強行軍で移動しながら、自分の部下・家臣だけではなく堀秀政のようにたまたま同行していた織田信長の家臣とも協力して作戦を練って、多くの使者を派遣して誰が敵か味方かも確定しない状況で織田信長の傘下の武将の取り込み工作をやったり、おまけに別動隊の水軍の編成まで指示していたのだから驚異的ですよ。
単に決まった戦場を目指して部隊を移動させていただけではないので、政治工作の必要が無かった賤ケ岳の戦いとはかなり違います。
なんか秀吉よりも、吉川経家の覚悟とか知れて胸が詰まった。
おー、しかかくさんとコラボとは!嬉しいです。
凄く楽しかったです。😊
それで、毛利より宇喜多の人質が無事返されたと言う事でしょうか?
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しかかくさんとのコラボありがとうございます🙇
織田や字喜多、浦上なども絡めて色々と知ることができました
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お名前にそんな由来があったとは!
武士道さんもお疲れ様です!🙇
また貴重なお話し楽しみにしてます!
輝元の関ヶ原前後の詳しい話しは興味ある
是非続編を見たいです
お二人の熱がこもったお話が聞けてあっという間に感じました!
しかかくさんのお面はハルゴザコラボの時に用意されてて使わなかった幻のお面でしょうか笑
しかかくさんとのコラボ嬉しいです、秀吉は自己アピールに長けた人物ですねえ宇喜多が重用された理由もわかりました、関ヶ原で主力として奮戦するのも納得。
勢力や配下の武将を失った毛利家の千載一遇の追撃戦をせず、一族を失った吉川元春にしてみれば復讐戦の機会すら許されず、毛利家から豊臣大老まで上り詰めた小早川隆景は好きになれない。
ライブで言っていたしかかくさんの鹿マスク、出番がありましたねー
シカカクさん日本に来てたんだw
次は右京太夫政元先生ですね!
しかかくさんの今のペースだと、中国大返しまで行くのは…。
れ…令和中には見れるといいなっ!
良いですね。しかかくさんがすこ。
あれ?日本に居るんだな。
いつの間にこんなロケを!
武士道さん、しかかくさん、お疲れ左馬頭でした!
しかかくさんグラニフのTシャツですやん
毛利就慶さんとのコラボ待ってます!!
やはり、現在の近代人の方は
昔の当時の状況、感覚の事が
解らない方が多々ですよね。
当時の道の幅、夜間は常夜灯も
街灯もなし、
当然、山陽道などもなし
途中片側は崖で狭く、滑落
する可能性が高い場所を
足軽ですら、大きな各種荷物を
背負い狭い山道を歩いて超える
(しかも、1万人以上の大軍)
歩いて移動の模試、シュミレーション
などをするやる方は、殆ど居ない!
ですよね。
これは天狗のお面も期待して良いですか・・・?
そのうちで結構ですので、毛利歴史ちゃんねるのお殿様とのコラボも期待しております。
寒そうなのが気になる
三木家などの裏切り?将軍の命令に従ったのなら裏切りとは言えないでしょ。
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安国寺恵瓊の秀吉評は、読み方を間違えている。
「さりとてはの者である」というのは、文脈的におかしい。
「さりとて八の者である」と読んだ方がスッキリとする。
「八」とは差別用語で、身分が卑しいという意味である。
読み方で意味が180度変わる。
安国寺恵瓊の推察眼が鋭いのであれば、関ヶ原で西軍に参加していない。
「八が差別用語である」 に関する論拠と解説プリーズ。
また、恵瓊の西軍参加については毛利輝元が総大将なんだから仕方がない。
@@力哉-l5t
「「はち」に関しては平安後期のものとして「本朝はちや由来記」がある。
それは、「洛中洛外から畿内まで夜になると忍び出てあらし廻り、官裁をもって警戒しても、元来が忍びになれた者ゆえ、
ここかと思えば又あちらの飛燕のような早業にて立ち廻り」と、その反体制ぶりをとき、なんとしても取締りのできかねた当時の模様をのべ、
「よって京はいうに及ばず、国々にても手をやき、毒をもって薬になさんと、八の者をよび、これに乱暴盗賊の防ぎをさせたところ、その功が現われてか日本国中にこの八の支配(司法警察)がひろまった」とでている。つまり戦国時代にあっては、「八の者」つまり「はちや」といわれた連中は、安国寺といった寺方や、それまでの既成勢力側からみれば、それは賎民にひとしい原住系の人間だからして、
「藤吉郎さりとて八[の者]にて候」とは、これは軽蔑をこめて書かれた」ものである。
以上です。
『通説』と『俗説』の区別は明確にしてください。
あなた方が生まれる前に否定された通説を、最近否定されたと言われると『えっ!』ってなる。。。
んなもん研究が進めばひっくり返されるもんもあるでしょ
@@matukawatositane
通説の話をしている。
遠い昔に否定された通説を、最近否定されたと動画内で言っている。
俗説として最近まで言っている一般人が多かったのは事実なので、区別して欲しいと言っている。
新資料が出てくるので、歴史が永遠に確定しないのは当然。
『定説』と言い切るのは困難で学者の多くが唱える説を『通説』と言い、
一次資料じゃなく江戸時代の物語などを元に一般人に拡まっているものが『俗説』。
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俗説を垂れ流しているチャンネルがほとんどの中で、このチャンネルはレベルが高い。
「裏切る」は「一神論」の考えでしょう。「八百万の神」がいるなら、考え方だって無数にあるわけだしwただ、それが嫌で江戸幕府は儒教を無理やり強制させたのでしょwww