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四国説自体の概要は知ってましたが、双方の状況を丁寧に説明され非常に興味深い内容でした。
戦国無双って、けん玉や髪飾りやタオルで戦う奴がいたり一見無茶苦茶だけど、絶妙に史実や新説を取り入れてて面白いゲームなんだな
2014年に発見された長宗我部元親書状により、本能寺の変の原因として四国説が俄然超目されるようになりましたよね。私もこのニュース、はっきり覚えています。画期的な証拠だなあと感じました。そして、この動画を通してすべての流れを概観すると、さらにいろいろな事情も浮かび上がって来ます。自分の苦労を反故にされ、メンツを潰されただけでなく、その仕事の継続も許されず交代させられる、追放された佐久間の例から領地没収の危険も考えられる、これからの織田家中での自分の立場、地位、序列など様々な不安がよぎったことでしょう。そのさなか、本能寺に当の信長、嫡男信忠が少数の兵のみで滞在していて、他の有力武将は京都から離れた地にいる!これほどのグッドタイミングはない!と光秀が考えたのは、最もだと思います。ただ、賛同者をしっかり固めず、事後のプランをはっきり持っていなかった。それこそが、いかにも突発的なチャンスを掴んでの行動だと思わせます。
信長の「捨56し」は、遠くに追い払われる光秀(日向守)のみならず秀吉(筑前守)も大いに感じていたので、秀吉は一計を巡らし光秀を道具として主君を撃たせたとの見解も捨てきれません。事件によって一番得をしたのは秀吉だから・・・。
四国説は強いですね。長宗我部元親か三好長慶あたりが大河ドラマになったら、更に研究も進みそうですね。
すごく説得力がありますね。信長の身内びいきが謀反の原因は十分考えられそうです。
歴史ってほんとロマンがあります!☺️
徳島県出身なので、三好がんばれーって思ってしまうなあ実家の目の前に、一宮城という山城が見えていました。そこからほど近い河川敷(早渕)のあたりで、長宗我部との戦があったと聞いています。いま、高知に行くなら川下に回っていい道を行くけど、当時だから峻険な剣山の方向から長宗我部が攻めてきたと聞いて、なんだか怖いなあと思ったことがあります。石碑もあるけど、もう文字が読めないんですよね。ほんの400年前なんですね。
信長って日本社会にありがちな、昔っから付き従ってくれてた家臣は年功序列で評価するのではなく能力不足ならクビにしてしまう、結果がすべての外資系企業の先駆け、時代の先駆者かと思っていましたけど意外とただ単に身内びいき、子供思いなだけだったんですね・・・。信長の意外な一面
信長-秀吉の四国政策は石山、紀伊、中国の情勢や他戦線とのかけ合いで協調と征伐が二転三転していて時期や人物関係が複雑ですよね。
内容的には知っていることでしたがまとめ方やお話がとても上手なのでとても面白かったです
加来某先生の解説より面白い。
光秀も惟任姓もらってる時点で九州あたりに飛ばされるの分かってただろうしそりゃ悩むよなぁ
惟任と九州にはなにか関連性があるのですかる
@@student-beer日向
@@student-beer惟任は九州の名族です。ちなみに丹羽がもらった惟住もそうです
本能寺の変に向けて盛り上がってきましたね!ブシドーさんも動画の投稿など、多忙になると思いますし、暑さも続くようです。お体に気をつけて頑張られてください😊
大河で全くと言っていいほどスポットライトを浴びない長宗我部家主人公の大河そろそろやって欲しい!!
色々な地域が大河主人公にと手を挙げてますね。桑名市は本多忠勝を推してます。どちらも観てみたいですね。
長宗我部大河は最後が…(´;ω;`)ブワッ 盛親と十河と仙石の息子とまさかの大坂で再会ってのがある意味一種のビッグイベントだと思う
司馬遼太郎 「夏草の賦」でやってもらえんかのー。
武士道さんの動画、歴史に詳しくなくても、すっと納得して次に進めるから本当に楽しいです!紀伊半島の県境をじっくり見て、三重が思ったより大きい!奈良がかなり下にある!とか思ってました😂歴史を学ぶと地理にも興味がわきますね。この頃は鹿狩りする原野であったろう関東田舎住まいなので、関西への憧れがどんどん強くなります。
光秀様の解説ありがとうございます。私の大好きな武将の一人です。信長様への恨みは本当にあったんですね。四国問題は何かで聞いた事はあります。でも今でも分かりません。光秀様は、本能寺には、いなかったんですよね。だとしたら!黒幕は誰なのか?また、分かりやすい解説で教えて下さい。今日の解説本当にありがとうございます。お身体に気をつけて下さいね😊コメントが長くてすみません😢⤵️⤵️
本能寺の変に四国の情勢が関与している説、初めて知りました!そしてとても分かりやすかったです。歴史の綾、面白いところ、と表現されていたところに共感しました。ありがとうございました。
長曾我部が本願寺残党との戦いをサクッと片づけることができてたら三好康永の介入もなくてまた違ったかもなぁ
凄く説得力がありますね。他の解説サイトだったかTVのバラエティだったかで、本能寺の変の少し前に信孝が丹波等光秀の領地のはずの在地武士に指図の文を出してたなんて話もあったので、下手な怨恨説よりも可能性は高そう。
わかりやすかった!やっぱり信長は康永を配下にする時点で新規勢力の長宗我部より三好家を利用した方が早いし安定すると思ったのだと思う!長宗我部も秀吉に相談したのは光秀を信頼していなかったからなのかな?その後の長宗我部の動きも解説して下さい!
四国問題が最有力と思ってので、今回の大河のストーリーは『そっちかー』って思いました。光秀の家臣はテッキリ家康がターゲットだと勘違いしてたって話もありましたけどね。。
本能寺は戦の本陣ではないので信長も家康も顔を知らない足軽歩兵に家康を討つと命じて信長を殺せること位光秀なら計算すると思います。四国の件とは別に信長から家康を殺せと密命されてたとも考えられますが、一次資料が足りないのにこれだけ憶測が出るのには違和感あります。
京都に僅かな手勢で信長と信忠が居て、次男は伊勢、三男は四国渡海前、他にも宿老は各戦線で敵対大名と対陣中ですぐに戻ってこれない。そして自分も年齢を重ねて先が見えた。「戦国の男に生まれた以上この機会を掴まずになんとする。」他にも理由はあったでしょうが、まぁ明智光秀もあのチャンスに戦国武将の血がたぎったんでしょうね。
長宗我部元親を主人公にした司馬遼太郎の「夏草の賦」を読んだことあるので少し知ってましたが、動画見てすごく勉強になりました。動画すごく面白かったです!!
なんか有名なあれか😯😯面白い説、明智光秀のけじめ👍かっこいい
長宗我部元親もまさか信長がいきなり死ぬなんて夢にも思ってなかっただろうな その後は中富川の戦いや引田の戦いで十河在保や仙石秀久に勝利して阿波をゲット この時まではかなり運が良かった
まあ信長が生きてても家臣を納得させるために阿波でちょこちょこは戦ったでしょうが、すぐに降伏して結果的に土佐安堵という、秀吉にされたのと同じ処遇結果になったかと思います。
まあ動画では一切触れられてないけど、光秀自身も信長の甥(弟の遺児)に娘を嫁がせてるから、信長に難癖つけられそうになったら先手を打って隠居→信長の甥に家督を譲りますよ、と逃げ道はあったんだけどね。
次の戦国時代は長宗我部大河、実現して欲しいですね面白そうです😊土佐はこの先、山内一豊がやって来て幕末まで支配が続くわけですから長宗我部には厳しい未来だけど
こんばんわ!本能寺の変!光秀四国問題分かりやすい解説ありがとうごさいます。武士頭先生これからの大河ドラマの解説楽しみです。
四国問題で不満が溜まってたとしても。光秀はチャンスがなければやってなかったかもね。
今年は家康メインの大河なのでこの線はなかなか難しいかもしれませんが、今後いつかやるであろう戦国大河での四国問題がベースの本能寺の変、楽しみですね
阿波の三好、讃岐の十河、淡路の安宅は一族ですからね… 村上水軍、来島水軍、安宅水軍、真鍋水軍…瀬戸内海にだけ着目しても面白いですよね
確かに本能寺の変の解像度が上がりました☺
本能寺の変の直後、四国征伐軍の多くが逃亡し信孝は身動き出来ず、秀吉が来てから動いてますからね。光秀は四国征伐軍に手を回しており、元親を救う手筈だったんでしょうか。となると、光秀と元親の関係が本能寺の変の一因というのは説得力があります。
信長が三好氏に肩入れし始めた理由に毛利攻めが絡んでいたり、佐久間信盛追放後にその領地を信忠信雄に分け与えるなど、身内贔屓していたのは、初めて知りました。武士道さんの話を聞いて、光秀が謀反を起こしたくなった不安や焦りが分かったような気がしました。長宗我部元親。それなりに知名度はあるけど、どんな人生を辿ったのかはあまり知られていない人物ですし、大河ドラマ化とかしたら面白そうですね。土佐守護は細川京兆家ではなかったですか?元親の父・国親は細川高国からの偏諱、元親は細川晴元からの偏諱ですし。土佐一条家はいわゆる土佐七雄といわれる土佐の国衆の盟主的な立場だったような気がします。
確かに長宗我部元親とのようやく取りつけた協定を簡単に破棄されて四国征伐された事でメンツ丸々潰されて今後の活躍を期待できなくなったというのは一因としてありそうですね。
戦国時代最大の、ミステリー本能の寺の変色々な説があると聞きました、朝廷黒幕説、幕府黒幕説、みっちゃんが信長さんの、パワハラに我慢できなくゃキレちゃった説、みっちゃん野望説などなどありますがそれ、プラス四国黒幕説まで、あったのが初耳でした。あと、秀吉さん黒幕説、家康さん黒幕説あったのね、さあ、どうする家康は、本能寺の変は、家康さんが黒幕説かな?ワクワクします、私大好き明智光秀さんのクーデターの話たから、私明智光秀さん歴女だからこの解説動画ありがとうございました
四国黒幕説などない。動画を見もしないで投稿しているだろう。
確かに四国説はに黒幕は出てこないからな😆
秀吉の甥で後の豊臣秀次はこの頃、三好康長の養子に入ってて、三好信吉と名乗ってなかったっけ?だから長宗我部元親は秀吉に「オイ!勝瑞城の件。康長が来るっておかしくね?ノッブは四国は好きにしていいよ👍って言ったよね?おかしくね?」って話したんかな?
間違いなく大きな要因の一つでしょうね。この数年前から外様の部下は京から離れ、各方面軍として領地拡大に向けて駆り出され、段々と息子など血縁者に京近隣を領地させ、血縁体制が濃厚になってきたんですよね。
一条氏が土佐守護だったとは知らなかった。
これは武士道さんの誤りだと思う。土佐は細川京兆家の分国で、細川駿河守家が代々守護代を務めていた。
長宗我部元親が豊臣秀吉に訴えて👍
俺もこれが本能寺の変の大きな要因だと思ってます。戦国無双3でもこの説でストーリーが作られてましたが。
やっぱり歴史は点で見ないで線で見ないとダメですよね。
え?土佐の守護職は管領細川家が兼務していて、土佐一条家は国司だけど守護職ではなかったと思いますが。
その通り。嘘を教えちゃいかんよ😮
齋藤利三の娘が春日局というにも興味深い事実ですね。どうする家康の光秀と信長は仲が良く光秀で信長を裏切る気配が無いですよね。。 光秀は家康を安土での毒殺に失敗し。挽回のため本能寺で打つ計画に変更、しかし、どこでどう間違ったのか本能寺には信長がいた的な展開なのでは。。光秀の本能寺に家康がいるから討てと信長の偽命令は信長に深く怨念をもつ家康と伊賀忍者が仕組んだ偽情報。 確か実際に光秀の家臣が残した覚書か何かに本能寺で家康を襲ったと書かれていたとか。妄想ばかりふくらみ本能寺の展開が楽しみです。
6:00秒 ~ かすかな音ですが、BGMが「ピーポーピーポー」になってますね。たまたまのハプニングかも知れませんが、何とも言いがたく、面白いですね。
武田討伐で殴られたり、安土城家康接待で蹴られたりとか、ドラマでの恨みつらみよりも武士道さんの説の方が納得感がありますね。身内贔屓がすぎると部下からそっぽ向かれますよね。
林秀貞の追放も影響してそうですね、佐久間信盛の場合は19ヶ条の件がありましたが林秀貞の場合は難癖ですものね。
難癖っちゃ難癖だけど、林自身も大昔、弟側について信長をガチで殺そうとした罪を許してもらった弱みがあるんだよね。
自分の治める長浜をじきに没収されるからいち早く姫路に乗り込んだ秀吉がすごいわね。
外交取次役って担当外交破綻すると出奔や裏切りとか結構してますからね、石川数正、荒木村重あたりもその可能性が
一条家は国司で、守護は細川では?その縁で国親は細川高国からの偏諱と聞いた事があります。うん?元親って晴元からの偏諱なのかな?
勝瑞城の件は知らなかったのですごく良かったです。 長宗我部側としては、切り取り次第の大前提では三好側に楔を打たれるを許す、打ってくる可能性を想定出来なかったのかな? 長宗我部といえば夏草の賦 四国王長宗我部贔屓にさせる懐かしく好きな作品
土佐の坂本龍馬の家紋にも桔梗が入ってますが、明智光秀が土佐に関係が有ったとは目から鱗が落ちました😂
坂本四郎二郎が明智左馬之助の子孫という噂が出て現在否定されてますが、細川家から光秀が武田と内通していた証拠が出てきた以上武田勝頼生存説もあって一概に全否定出来なくなってきました。山県昌景の家紋も桔梗紋ですし。
現在、坂本家の明智後裔説は疑問視されていますが、坂本家は本能寺の変後に土佐に逃れた明智の後裔を自称していたとか。その際、坂本城から取って「坂本」を苗字に、家紋を桔梗紋にして明智家を「匂わせ」してたんだとかwちなみに明治16年に出版された坂崎紫瀾の『汗血千里駒』という本が「明智後裔説」の初出になるそうです。
一条兼定さんも関白一本手前で人生どん底に落とされたり可哀想な運命2代前の土佐一条氏は中国大内氏、九州大友氏と強い縁戚関係をもって京一条氏は弟が継ぐなどしてワンチャン天下を狙ってたんじゃなかろうかと面白い人物なのでしっかり考証された四国の大河ドラマ見てみたいなぁ
こういう話を聞くとワクワクする部分があるのになぜ自分は理系に進んでしまったのか
どんな分野に行っても歴史は俺達男子の嗜好の趣味やで☺️
私も理系出身です。理系出身の歴史好きな方々は多分世の中にたくさんいらっしゃると思いますよ。
文系・理系関係なくね?🤔
戦国時代と言えど、兵を動かす口実は必要だからね。
これこそ長宗我部大河への道になるんじゃない。本能寺の変四国と繋げるためにも。
いよいよ『どうする家康』本能寺の変が近づいてきました。ドラマでのこれまででは、とにかく信長に従順でまったく謀反の企みなど微塵も感じさせていない、でも邪悪そうな顔をした(し、失礼・・)光秀ですが、実は心中ではどんなことを考えていたのかが早く知りたいし、それをドラマでどう描くのか今から楽しみで仕方ありません。そういえば今気づいたけど今回のドラマでは信長の正室の帰蝶(濃姫)って、まだ1回も登場してないな。誰が演じるのかな、それとも濃姫登場せずで終わるのかな。これまでの過去のドラマでの本能寺の変では最後濃姫も信長といっしょに戦ったという描き方されてること多かったから、そのへんをどうするのか注目したいです。
勝瑞城に本願寺残党が入ったって話は初耳やなぁ
来島は、「くるしま」と覚えていたのですが、最近の研究で、変わったの?
文字テロップで訂正入ってますねくるしまで正しいです
長曾我部だけでなく、後北条や島津もやってほしい
四国で面目を失ったのもあるけど武田と通じてたのが露見するのを恐れたとかもありそうなんせ光秀は狡猾で策謀に長けた野心家だったらしいですから
不安だから失敗した場合はもちろん成功してもその後一族や家臣も皆殺しのリスクが高い賭けに出るという心境が理解できません普通に考えれば謀反を起こした場合のほうがはるかにすべてを失う可能性が高いです信長を殺した後上手く立ち回れるつもりだったのでしょうか?そんなことができるなら織田家で生き残る道を探す方がずいぶん簡単だったろうと思いますね
本能寺の変の長宗我部説って、斎藤利三絡みの姻戚関係からだと言われていて、信長の野望シリーズで姫が嫁いだ先の大名を攻めたらほぼ姫は処刑され家臣の忠誠度が下がる、という設定の影響受け過ぎでは?(婚姻関係を結んでも、戦は起っていた例はあるし)と軽く流していましたが、解説を聞いて確かにとは思いました。光秀と信盛を比べたら・・・と考えてしまいますが、それは当の本人がどう感じていたかわかりませんし、荒木村重の例もあるので「人の心はわからぬものよ」という鬼平犯科帳の長谷川平蔵の言葉が突き刺さります。
四国出身だから、長宗我部元親の大河ドラマみたい!
四国問題に加えて光秀にとって受け入れられない問題がありました。
一方で光秀家臣の利三に切腹命令が出ていてうけいれられなかったんですね。
僕は、明智光秀が本能寺の変を起こす深層心理のキッカケの一つとして四国問題があったのは間違いないと思っています。ただ、信長を討った後の光秀の行動が余りにそれまでの計画性など皆無に近い行動をとっているので何処まで影響が有ったのかは分からず、1番のキッカケと言うほどでは無かったのだと思います。1番のキッカケはやはり、信長親子が手薄な状態で京都に滞在し自身が手勢を集めれた。だと思います。そして、長宗我部を重要視しているなら、味方にしたかったとはいえ細川にあのような内容の手紙を送らず、長宗我部に上洛を促す書状を出していたはずなのと、手紙が残っていなくとも長宗我部が変後それに呼応するように動いたと言う部分がないからです。
長曾我部の大河ガチで見たいです
阿波国、勝瑞城、瀬戸内海の水軍、なんかワクワクするなあ。
秀吉派閥vs光秀派閥の出生競争が裏にあると思います。秀吉は毛利攻めという理由にかこつけて、三好を取り込み、光秀派閥に圧を掛けて行ったのは間違いないです。
光秀は元親くん担当で仲良くやってたのに信長が光秀!四国は三好くんにあげると言われたらね光秀は嘘やん!となるわな
待ってました(*^^*)とても分かりやすくて面白いですね!これは自分的にも色々調べたり分かった事が織田信長の本能寺の変は朝廷や幕府が裏で明智をハメタって感じだと思います。それを隣の部屋で細川が聞いてしまったって言われてたので自分はそれを聞いたりしてますけどそれが本当なのかその時代の方にしか分からないですし。信長が居なくなってその後の貢献争いで秀吉より明智がやってた方が天下統一できてたかなぁと思います。
たしかに今だに征夷大将軍義昭をかくまう毛利を倒す方が優先ですよね
図とか地図とかあるともっとわかりやすいんだけど。
一条は守護じゃなくて国司だろと思ったら国司という一次資料は無かった。公家大名ですらないとかWikiに書かれててじゃあ何なんだっていう。
土佐一条家は荘園を領地にする地方政府という立ち位置ですよ。閣僚級に土佐一条家、加久見家、飛鳥井家、直臣官僚家より時代によって四家ほど家老として閣僚として扱い意思決定機関となってます。対外軍事力自衛隊としての立ち位置である武家の長官が西原家です。土佐一条家の一門序列は加久見、飛鳥井、西原の順ですね。
加久見城跡行ったことあります。加久見氏の娘は京都から下向した一条教房の側室となり初代土佐一条氏となる房家も産み、昔から明やベトナム方面と貿易していたらしく、近年大学の調査で明の天目茶碗など出て来ていて相当財力があったのではと云われています。家臣団の墓も四国随一の立派な岡山の御影石を使った五輪石です。現土佐清水市の加久見には多蔵山(宝山)と呼ばれる一条家再興の為の資金を埋めた伝説のある山があります。あまり有名ではないですが色んな伝説がありとても面白い場所です。
秀康&忠輝を切って徳川家安泰を計る家康は‥織田家の家督騒動からおもうところがあったのでしょう。
光秀自身は不満を押し殺したとしても、家臣が暴走して、処分を恐れてやむを得ず先手を打ったということはないのでしょうかそういう理由なら根回しが不十分であったことも不思議ではないと思います。
やられた信長側の「是非に及ばず」どう捉えるのもありますがその言葉も言ったのか信憑性はどうなのでしょうか
「是非に及ばず」は太田牛一が本能寺から逃げ延びた女人衆に聞いたと記してるみたいですね、ただこれは朝倉に攻められた時にも信長はこの言葉を使っているみたいで此れを根拠に太田牛一の創作では無いか?と言う人も居てますが真相はわからないですね。ただ自分が思うに信長は普段からなるべく主語を省きたいタイプだと思われる節があるので(例えば「で、あるか」とか)信憑性云々で言うのであればアリだと思います。
センゴクでもこのへん描かれてましたが信長の路線変更はどう考えるべきか...各地方軍団長の再編構想があったっぽいですね
これですね。本能寺のきっかけは、信長の三男。ある意味、黒幕は三男。
面白いんだが、地味な黒幕説
別に長曾我部元親が黒幕なんて言ってないが。アタマおかしいんじゃね?
明智光秀の性格はどうなんでしょうね戦国時代には詳しくないので
長宗我部元親が四国を平定して家康同様同盟国として確立するのは難しいのかな?
戦国BANASHさん、以前NHKから広報スタッフ頼まれてたよね。ってことは今作は四国説?
長宗我部元親の大河やるなら、司馬さんの夏草の賦を原作にやってほしいです。
長曽我部の大河やって欲しい!愛媛の歴史マニア?です
光秀の所領を全部娘婿の信重に渡すくらいは余裕で有り得そう
映像化するなら元親、盛親父子の物語にしたら面白い。
一条は守護ではないと思います。
本能寺の変後に光秀は長曽我部とコンタクトとってる気配ありますか?それさえ出てくれば確定に近いんだけどね
地元の武将の長宗我部君、信長君と交渉を持ってた、窓口が、明智光秀君だったらしい、徳島県を、切り取ってたらしいんだけど、三好君が、秀吉君とつるんでて、内部分裂気味なようだな、
来島は、きしまじゃなくて、くるしまです。地名としても、くるしま海峡とか言います。
長宗我部も土佐だけで満足しとけばいいのに・・
四国統一目前から土佐だけになるってだけじゃ無く、長宗我部が倒そうとしていた三好氏を優遇しようとしている事が脅威だった様に思いますけどね。仮に三好の水軍や秀吉が毛利攻めで活躍したりすれば、恩賞として土佐も三好氏や秀吉に与えて、長宗我部氏は追放とか小国へ国替えとかされる可能性もあるでしょうし、それが無くても敵対勢力である三好氏が織田の支援や許可を得て土佐に攻め込んで来る可能性もあったでしょうし。
長宗我部元親の言うだけ番長(機会が在ったのに実力が伴っていない)の所為w本能寺の変が無かった場合。ノッブが三浦よしのレシート並みの長文をキンカン頭に送り付ける場面を妄想するw(絶対あり得ないが)
光秀、優秀だけど年だったから左遷されたのかな
最大の理由は、信長と信忠が同時に京の洛中にいた事でしょう。これがなければ、どんな動機があるにせよ、この事件はなかったと思います。
あ、1つありましたね。光秀精神病説です。ただ、これは今となっては証明不可能だしなあ。
四国説をテレビで取り上げてた時に、磯田さんも言及してましたね。不満や不安溜まってたけど、京都に行けば信長と信忠を討てる...この千載一遇のチャンスが無かったら謀反はしなかったって。謀反した後の計画が無いのも、直前まで迷ってた証拠だと思います
@@MarceRonald712 しかも、信忠は京に滞在する予定はなくて、急にそうしたようです。当時の通信技術からして、この事を知りえたのは光秀のみ。逆に言えば黒幕説はかなり厳しいかな。
どうする家康は家康黒幕説と見せかけてただの「偶然、光秀に先越されただけ」になりそうなんで、つまらない真相になりそうな予感です。あんな秀吉以上に風見鶏風の光秀が今さら家康と共謀するなんてとても思えません。
正直それをやりそうな気はしてますね、、
@@m.i.9104 共感ありがとうございます。
それ以前に家康がちゃんと天下を獲るプランを練っているのか心配です。姉川の戦いの時には信長倒しても乱世に逆戻りと家臣が諌めていたのに、今回も信長を殺した後のプランが無ければ全く成長していないことになります。
信長の次男三男は、生年月日が少しの差で逆だが、母親の里の格が違うので信長の命令で次男三男が決まった。三男の守役は柴田勝家。
秀吉の三好家介入で長宗我部に脅威を感じ 信長に四国介入させた?
長曾我部元親の話は、明智光秀の末裔で、本能寺の変の著書で知られる明智健三郎さんが自分の会社の職場の先輩だったので、その本を読んで聞いてましたが、改めて判りやすかったです。
遠交近攻政策ですな
私は信長の自作自演せつに1票です。
四国説自体の概要は知ってましたが、双方の状況を丁寧に説明され非常に興味深い内容でした。
戦国無双って、けん玉や髪飾りやタオルで戦う奴がいたり一見無茶苦茶だけど、絶妙に史実や新説を取り入れてて面白いゲームなんだな
2014年に発見された長宗我部元親書状により、本能寺の変の原因として四国説が俄然超目されるようになりましたよね。私もこのニュース、はっきり覚えています。画期的な証拠だなあと感じました。そして、この動画を通してすべての流れを概観すると、さらにいろいろな事情も浮かび上がって来ます。自分の苦労を反故にされ、メンツを潰されただけでなく、その仕事の継続も許されず交代させられる、追放された佐久間の例から領地没収の危険も考えられる、これからの織田家中での自分の立場、地位、序列など様々な不安がよぎったことでしょう。そのさなか、本能寺に当の信長、嫡男信忠が少数の兵のみで滞在していて、他の有力武将は京都から離れた地にいる!これほどのグッドタイミングはない!と光秀が考えたのは、最もだと思います。ただ、賛同者をしっかり固めず、事後のプランをはっきり持っていなかった。それこそが、いかにも突発的なチャンスを掴んでの行動だと思わせます。
信長の「捨56し」は、遠くに追い払われる光秀(日向守)のみならず秀吉(筑前守)も大いに感じていたので、秀吉は一計を巡らし光秀を道具として主君を撃たせたとの見解も捨てきれません。事件によって一番得をしたのは秀吉だから・・・。
四国説は強いですね。
長宗我部元親か三好長慶あたりが大河ドラマになったら、更に研究も進みそうですね。
すごく説得力がありますね。
信長の身内びいきが謀反の原因は十分考えられそうです。
歴史ってほんとロマンがあります!☺️
徳島県出身なので、三好がんばれーって思ってしまうなあ
実家の目の前に、一宮城という山城が見えていました。
そこからほど近い河川敷(早渕)のあたりで、長宗我部との戦があったと
聞いています。いま、高知に行くなら川下に回っていい道を行くけど、
当時だから峻険な剣山の方向から長宗我部が攻めてきたと聞いて、
なんだか怖いなあと思ったことがあります。
石碑もあるけど、もう文字が読めないんですよね。
ほんの400年前なんですね。
信長って日本社会にありがちな、昔っから付き従ってくれてた家臣は年功序列で評価するのではなく
能力不足ならクビにしてしまう、結果がすべての外資系企業の先駆け、時代の先駆者かと思っていましたけど
意外とただ単に身内びいき、子供思いなだけだったんですね・・・。信長の意外な一面
信長-秀吉の四国政策は石山、紀伊、中国の情勢や他戦線とのかけ合いで協調と征伐が二転三転していて時期や人物関係が複雑ですよね。
内容的には知っていることでしたが
まとめ方やお話がとても上手なのでとても面白かったです
加来某先生の解説より面白い。
光秀も惟任姓もらってる時点で九州あたりに飛ばされるの分かってただろうしそりゃ悩むよなぁ
惟任と九州にはなにか関連性があるのですかる
@@student-beer日向
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本能寺の変に向けて盛り上がってきましたね!ブシドーさんも動画の投稿など、多忙になると思いますし、暑さも続くようです。お体に気をつけて頑張られてください😊
大河で全くと言っていいほどスポットライトを浴びない長宗我部家主人公の大河そろそろやって欲しい!!
色々な地域が大河主人公にと手を挙げてますね。
桑名市は本多忠勝を推してます。
どちらも観てみたいですね。
長宗我部大河は最後が…(´;ω;`)ブワッ 盛親と十河と仙石の息子とまさかの大坂で再会ってのがある意味一種のビッグイベントだと思う
司馬遼太郎 「夏草の賦」でやってもらえんかのー。
武士道さんの動画、歴史に詳しくなくても、すっと納得して次に進めるから本当に楽しいです!
紀伊半島の県境をじっくり見て、三重が思ったより大きい!奈良がかなり下にある!とか思ってました😂歴史を学ぶと地理にも興味がわきますね。
この頃は鹿狩りする原野であったろう関東田舎住まいなので、関西への憧れがどんどん強くなります。
光秀様の解説ありがとうございます。私の大好きな武将の一人です。信長様への恨みは本当にあったんですね。四国問題は何かで聞いた事はあります。でも今でも分かりません。光秀様は、本能寺には、いなかったんですよね。だとしたら!黒幕は誰なのか?また、分かりやすい解説で教えて下さい。今日の解説本当にありがとうございます。お身体に気をつけて下さいね😊コメントが長くてすみません😢⤵️⤵️
本能寺の変に四国の情勢が関与している説、初めて知りました!
そしてとても分かりやすかったです。
歴史の綾、面白いところ、と表現されていたところに共感しました。
ありがとうございました。
長曾我部が本願寺残党との戦いをサクッと片づけることができてたら三好康永の介入もなくてまた違ったかもなぁ
凄く説得力がありますね。
他の解説サイトだったかTVのバラエティだったかで、本能寺の変の少し前に信孝が丹波等光秀の領地のはずの在地武士に指図の文を出してたなんて話もあったので、下手な怨恨説よりも可能性は高そう。
わかりやすかった!やっぱり信長は康永を配下にする時点で新規勢力の長宗我部より三好家を利用した方が早いし安定すると思ったのだと思う!長宗我部も秀吉に相談したのは光秀を信頼していなかったからなのかな?その後の長宗我部の動きも解説して下さい!
四国問題が最有力と思ってので、今回の大河のストーリーは『そっちかー』って思いました。
光秀の家臣はテッキリ家康がターゲットだと勘違いしてたって話もありましたけどね。。
本能寺は戦の本陣ではないので信長も家康も顔を知らない足軽歩兵に家康を討つと命じて信長を殺せること位光秀なら計算すると思います。四国の件とは別に信長から家康を殺せと密命されてたとも考えられますが、一次資料が足りないのにこれだけ憶測が出るのには違和感あります。
京都に僅かな手勢で信長と信忠が居て、次男は伊勢、三男は四国渡海前、他にも宿老は各戦線で敵対大名と対陣中ですぐに戻ってこれない。そして自分も年齢を重ねて先が見えた。
「戦国の男に生まれた以上この機会を掴まずになんとする。」
他にも理由はあったでしょうが、まぁ明智光秀もあのチャンスに戦国武将の血がたぎったんでしょうね。
長宗我部元親を主人公にした司馬遼太郎の「夏草の賦」を読んだことあるので少し知ってましたが、動画見てすごく勉強になりました。
動画すごく面白かったです!!
なんか有名なあれか😯😯面白い説、明智光秀のけじめ👍かっこいい
長宗我部元親もまさか信長がいきなり死ぬなんて夢にも思ってなかっただろうな その後は中富川の戦いや引田の戦いで十河在保や仙石秀久に勝利して阿波をゲット この時まではかなり運が良かった
まあ信長が生きてても家臣を納得させるために阿波でちょこちょこは戦ったでしょうが、すぐに降伏して結果的に土佐安堵という、秀吉にされたのと同じ処遇結果になったかと思います。
まあ動画では一切触れられてないけど、光秀自身も信長の甥(弟の遺児)に娘を嫁がせてるから、信長に難癖つけられそうになったら先手を打って隠居→信長の甥に家督を譲りますよ、と逃げ道はあったんだけどね。
次の戦国時代は長宗我部大河、実現して欲しいですね面白そうです😊
土佐はこの先、山内一豊がやって来て幕末まで支配が続くわけですから長宗我部には厳しい未来だけど
こんばんわ!本能寺の変!光秀四国問題分かりやすい解説ありがとうごさいます。武士頭先生これからの大河ドラマの解説楽しみです。
四国問題で不満が溜まってたとしても。光秀はチャンスがなければやってなかったかもね。
今年は家康メインの大河なのでこの線はなかなか難しいかもしれませんが、今後いつかやるであろう戦国大河での四国問題がベースの本能寺の変、楽しみですね
阿波の三好、讃岐の十河、淡路の安宅は一族ですからね… 村上水軍、来島水軍、安宅水軍、真鍋水軍…瀬戸内海にだけ着目しても面白いですよね
確かに本能寺の変の解像度が上がりました☺
本能寺の変の直後、四国征伐軍の多くが逃亡し
信孝は身動き出来ず、秀吉が来てから動いてますからね。光秀は四国征伐軍に手を回しており、元親を救う手筈だったんでしょうか。
となると、光秀と元親の関係が
本能寺の変の一因というのは説得力があります。
信長が三好氏に肩入れし始めた理由に毛利攻めが絡んでいたり、佐久間信盛追放後にその領地を信忠信雄に分け与えるなど、身内贔屓していたのは、初めて知りました。
武士道さんの話を聞いて、光秀が謀反を起こしたくなった不安や焦りが分かったような気がしました。
長宗我部元親。それなりに知名度はあるけど、どんな人生を辿ったのかはあまり知られていない人物ですし、大河ドラマ化とかしたら面白そうですね。
土佐守護は細川京兆家ではなかったですか?元親の父・国親は細川高国からの偏諱、元親は細川晴元からの偏諱ですし。
土佐一条家はいわゆる土佐七雄といわれる土佐の国衆の盟主的な立場だったような気がします。
確かに長宗我部元親とのようやく取りつけた協定を簡単に破棄されて四国征伐された事でメンツ丸々潰されて今後の活躍を期待できなくなったというのは一因としてありそうですね。
戦国時代最大の、ミステリー本能の寺の変色々な説があると聞きました、朝廷黒幕説、幕府黒幕説、みっちゃんが信長さんの、パワハラに我慢できなくゃキレちゃった説、みっちゃん野望説などなどありますがそれ、プラス四国黒幕説まで、あったのが初耳でした。あと、秀吉さん黒幕説、家康さん黒幕説あったのね、さあ、どうする家康は、本能寺の変は、家康さんが黒幕説かな?ワクワクします、私大好き明智光秀さんのクーデターの話たから、私明智光秀さん歴女だからこの解説動画ありがとうございました
四国黒幕説などない。動画を見もしないで投稿しているだろう。
確かに四国説はに黒幕は出てこないからな😆
秀吉の甥で後の豊臣秀次はこの頃、三好康長の養子に入ってて、三好信吉と名乗ってなかったっけ?
だから長宗我部元親は秀吉に「オイ!勝瑞城の件。康長が来るっておかしくね?ノッブは四国は好きにしていいよ👍って言ったよね?おかしくね?」って話したんかな?
間違いなく大きな要因の一つでしょうね。この数年前から外様の部下は京から離れ、各方面軍として領地拡大に向けて駆り出され、段々と息子など血縁者に京近隣を領地させ、血縁体制が濃厚になってきたんですよね。
一条氏が土佐守護だったとは知らなかった。
これは武士道さんの誤りだと思う。
土佐は細川京兆家の分国で、細川駿河守家が代々守護代を務めていた。
長宗我部元親が豊臣秀吉に訴えて👍
俺もこれが本能寺の変の大きな要因だと思ってます。戦国無双3でもこの説でストーリーが作られてましたが。
やっぱり歴史は点で見ないで線で見ないとダメですよね。
え?土佐の守護職は管領細川家が兼務していて、土佐一条家は国司だけど守護職ではなかったと思いますが。
その通り。嘘を教えちゃいかんよ😮
齋藤利三の娘が春日局というにも興味深い事実ですね。
どうする家康の光秀と信長は仲が良く光秀で信長を裏切る気配が無いですよね。。
光秀は家康を安土での毒殺に失敗し。挽回のため本能寺で打つ計画に変更、しかし、どこでどう間違ったのか本能寺には信長がいた的な展開なのでは。。光秀の本能寺に家康がいるから討てと信長の偽命令は信長に深く怨念をもつ家康と伊賀忍者が仕組んだ偽情報。 確か実際に光秀の家臣が残した覚書か何かに本能寺で家康を襲ったと書かれていたとか。
妄想ばかりふくらみ本能寺の展開が楽しみです。
6:00秒 ~ かすかな音ですが、BGMが「ピーポーピーポー」になってますね。
たまたまのハプニングかも知れませんが、何とも言いがたく、面白いですね。
武田討伐で殴られたり、安土城家康接待で蹴られたりとか、ドラマでの恨みつらみよりも武士道さんの説の方が納得感がありますね。身内贔屓がすぎると部下からそっぽ向かれますよね。
林秀貞の追放も影響してそうですね、佐久間信盛の場合は19ヶ条の件がありましたが林秀貞の場合は難癖ですものね。
難癖っちゃ難癖だけど、林自身も大昔、弟側について信長をガチで殺そうとした罪を許してもらった弱みがあるんだよね。
自分の治める長浜をじきに没収されるからいち早く姫路に乗り込んだ秀吉がすごいわね。
外交取次役って担当外交破綻すると出奔や裏切りとか結構してますからね、石川数正、荒木村重あたりもその可能性が
一条家は国司で、守護は細川では?その縁で国親は細川高国からの偏諱と聞いた事があります。うん?元親って晴元からの偏諱なのかな?
勝瑞城の件は知らなかったのですごく良かったです。 長宗我部側としては、切り取り次第の大前提では三好側に楔を打たれるを許す、打ってくる可能性を想定出来なかったのかな? 長宗我部といえば夏草の賦
四国王長宗我部贔屓にさせる懐かしく好きな作品
土佐の坂本龍馬の家紋にも桔梗が入ってますが、明智光秀が土佐に関係が有ったとは目から鱗が落ちました😂
坂本四郎二郎が明智左馬之助の子孫という噂が出て現在否定されてますが、細川家から光秀が武田と内通していた証拠が出てきた以上武田勝頼生存説もあって一概に全否定出来なくなってきました。山県昌景の家紋も桔梗紋ですし。
現在、坂本家の明智後裔説は疑問視されていますが、坂本家は本能寺の変後に土佐に逃れた明智の後裔を自称していたとか。その際、坂本城から取って「坂本」を苗字に、家紋を桔梗紋にして明智家を「匂わせ」してたんだとかw
ちなみに明治16年に出版された坂崎紫瀾の『汗血千里駒』という本が「明智後裔説」の初出になるそうです。
一条兼定さんも関白一本手前で人生どん底に落とされたり可哀想な運命
2代前の土佐一条氏は中国大内氏、九州大友氏と強い縁戚関係をもって京一条氏は弟が継ぐなどしてワンチャン天下を狙ってたんじゃなかろうかと面白い人物なので
しっかり考証された四国の大河ドラマ見てみたいなぁ
こういう話を聞くとワクワクする部分があるのになぜ自分は理系に進んでしまったのか
どんな分野に行っても歴史は俺達男子の嗜好の趣味やで☺️
私も理系出身です。理系出身の歴史好きな方々は多分世の中にたくさんいらっしゃると思いますよ。
文系・理系関係なくね?🤔
戦国時代と言えど、兵を動かす口実は必要だからね。
これこそ長宗我部大河への道になるんじゃない。本能寺の変四国と繋げるためにも。
いよいよ『どうする家康』本能寺の変が近づいてきました。ドラマでのこれまででは、とにかく信長に従順でまったく謀反の企みなど微塵も感じさせていない、
でも邪悪そうな顔をした(し、失礼・・)光秀ですが、実は心中ではどんなことを考えていたのかが早く知りたいし、それをドラマでどう描くのか今から楽し
みで仕方ありません。そういえば今気づいたけど今回のドラマでは信長の正室の帰蝶(濃姫)って、まだ1回も登場してないな。誰が演じるのかな、それとも
濃姫登場せずで終わるのかな。これまでの過去のドラマでの本能寺の変では最後濃姫も信長といっしょに戦ったという描き方されてること多かったから、その
へんをどうするのか注目したいです。
勝瑞城に本願寺残党が入ったって話は初耳やなぁ
来島は、「くるしま」と覚えていたのですが、最近の研究で、変わったの?
文字テロップで訂正入ってますね
くるしまで正しいです
長曾我部だけでなく、後北条や島津もやってほしい
四国で面目を失ったのもあるけど武田と通じてたのが露見するのを恐れたとかもありそう
なんせ光秀は狡猾で策謀に長けた野心家だったらしいですから
不安だから失敗した場合はもちろん成功してもその後一族や家臣も皆殺しのリスクが高い賭けに出るという心境が理解できません
普通に考えれば謀反を起こした場合のほうがはるかにすべてを失う可能性が高いです
信長を殺した後上手く立ち回れるつもりだったのでしょうか?そんなことができるなら織田家で生き残る道を探す方がずいぶん簡単だったろうと思いますね
本能寺の変の長宗我部説って、斎藤利三絡みの姻戚関係からだと言われていて、信長の野望シリーズで姫が嫁いだ先の大名を攻めたらほぼ姫は処刑され家臣の忠誠度が下がる、という設定の影響受け過ぎでは?(婚姻関係を結んでも、戦は起っていた例はあるし)と軽く流していましたが、解説を聞いて確かにとは思いました。
光秀と信盛を比べたら・・・と考えてしまいますが、それは当の本人がどう感じていたかわかりませんし、荒木村重の例もあるので「人の心はわからぬものよ」という鬼平犯科帳の長谷川平蔵の言葉が突き刺さります。
四国出身だから、長宗我部元親の大河ドラマみたい!
四国問題に加えて光秀にとって受け入れられない問題がありました。
一方で光秀家臣の利三に切腹命令が出ていてうけいれられなかったんですね。
僕は、明智光秀が本能寺の変を起こす深層心理のキッカケの一つとして四国問題があったのは間違いないと思っています。
ただ、信長を討った後の光秀の行動が余りにそれまでの計画性など皆無に近い行動をとっているので何処まで影響が有ったのかは分からず、1番のキッカケと言うほどでは無かったのだと思います。
1番のキッカケはやはり、
信長親子が手薄な状態で京都に滞在し自身が手勢を集めれた。
だと思います。
そして、長宗我部を重要視しているなら、味方にしたかったとはいえ細川にあのような内容の手紙を送らず、
長宗我部に上洛を促す書状を出していたはずなのと、手紙が残っていなくとも長宗我部が変後それに呼応するように動いたと言う部分がないからです。
長曾我部の大河ガチで見たいです
阿波国、勝瑞城、瀬戸内海の水軍、なんかワクワクするなあ。
秀吉派閥vs光秀派閥の出生競争が裏にあると思います。秀吉は毛利攻めという理由にかこつけて、三好を取り込み、
光秀派閥に圧を掛けて行ったのは間違いないです。
光秀は元親くん担当で仲良くやってたのに
信長が光秀!四国は三好くんにあげると
言われたらね
光秀は嘘やん!となるわな
待ってました(*^^*)
とても分かりやすくて面白いですね!
これは自分的にも色々調べたり分かった事が織田信長の本能寺の変は朝廷や幕府が裏で明智をハメタって感じだと思います。
それを隣の部屋で細川が聞いてしまったって言われてたので自分はそれを聞いたりしてますけどそれが本当なのかその時代の方にしか分からないですし。信長が居なくなってその後の貢献争いで秀吉より明智がやってた方が天下統一できてたかなぁと思います。
たしかに今だに征夷大将軍義昭をかくまう毛利を倒す方が優先ですよね
図とか地図とかあるともっとわかりやすいんだけど。
一条は守護じゃなくて国司だろと思ったら国司という一次資料は無かった。
公家大名ですらないとかWikiに書かれててじゃあ何なんだっていう。
土佐一条家は荘園を領地にする地方政府という立ち位置ですよ。閣僚級に土佐一条家、加久見家、飛鳥井家、直臣官僚家より時代によって四家ほど家老として閣僚として扱い意思決定機関となってます。対外軍事力自衛隊としての立ち位置である武家の長官が西原家です。土佐一条家の一門序列は加久見、飛鳥井、西原の順ですね。
加久見城跡行ったことあります。加久見氏の娘は京都から下向した一条教房の側室となり初代土佐一条氏となる房家も産み、昔から明やベトナム方面と貿易していたらしく、近年大学の調査で明の天目茶碗など出て来ていて相当財力があったのではと云われています。家臣団の墓も四国随一の立派な岡山の御影石を使った五輪石です。現土佐清水市の加久見には多蔵山(宝山)と呼ばれる一条家再興の為の資金を埋めた伝説のある山があります。
あまり有名ではないですが色んな伝説がありとても面白い場所です。
秀康&忠輝を切って徳川家安泰を計る家康は‥織田家の家督騒動からおもうところがあったのでしょう。
光秀自身は不満を押し殺したとしても、家臣が暴走して、処分を恐れてやむを得ず先手を打ったということはないのでしょうか
そういう理由なら根回しが不十分であったことも不思議ではないと思います。
やられた信長側の「是非に及ばず」どう捉えるのもありますがその言葉も言ったのか信憑性はどうなのでしょうか
「是非に及ばず」は太田牛一が本能寺から逃げ延びた女人衆に聞いたと記してるみたいですね、ただこれは朝倉に攻められた時にも信長はこの言葉を使っているみたいで此れを根拠に太田牛一の創作では無いか?と言う人も居てますが真相はわからないですね。
ただ自分が思うに信長は普段からなるべく主語を省きたいタイプだと思われる節があるので(例えば「で、あるか」とか)信憑性云々で言うのであればアリだと思います。
センゴクでもこのへん描かれてましたが信長の路線変更はどう考えるべきか...
各地方軍団長の再編構想があったっぽいですね
これですね。本能寺のきっかけは、信長の三男。ある意味、黒幕は三男。
面白いんだが、地味な黒幕説
別に長曾我部元親が黒幕なんて言ってないが。アタマおかしいんじゃね?
明智光秀の性格はどうなんでしょうね
戦国時代には詳しくないので
長宗我部元親が四国を平定して家康同様同盟国として確立するのは難しいのかな?
戦国BANASHさん、以前NHKから広報スタッフ頼まれてたよね。
ってことは今作は四国説?
長宗我部元親の大河やるなら、司馬さんの夏草の賦を原作にやってほしいです。
長曽我部の大河やって欲しい!
愛媛の歴史マニア?です
光秀の所領を全部娘婿の信重に渡すくらいは余裕で有り得そう
映像化するなら元親、盛親父子の物語にしたら面白い。
一条は守護ではないと思います。
本能寺の変後に光秀は長曽我部とコンタクトとってる気配ありますか?それさえ出てくれば確定に近いんだけどね
地元の武将の長宗我部君、信長君と交渉を持ってた、窓口が、明智光秀君だったらしい、徳島県を、切り取ってたらしいんだけど、三好君が、秀吉君とつるんでて、内部分裂気味なようだな、
来島は、きしまじゃなくて、くるしまです。地名としても、くるしま海峡とか言います。
長宗我部も土佐だけで満足しとけばいいのに・・
四国統一目前から土佐だけになるってだけじゃ無く、長宗我部が倒そうとしていた三好氏を優遇しようとしている事が脅威だった様に思いますけどね。
仮に三好の水軍や秀吉が毛利攻めで活躍したりすれば、恩賞として土佐も三好氏や秀吉に与えて、長宗我部氏は追放とか小国へ国替えとかされる可能性もあるでしょうし、それが無くても敵対勢力である三好氏が織田の支援や許可を得て土佐に攻め込んで来る可能性もあったでしょうし。
長宗我部元親の言うだけ番長(機会が在ったのに実力が伴っていない)の所為w
本能寺の変が無かった場合。
ノッブが三浦よしのレシート並みの長文をキンカン頭に送り付ける場面を妄想するw(絶対あり得ないが)
光秀、優秀だけど年だったから左遷されたのかな
最大の理由は、信長と信忠が同時に京の洛中にいた事でしょう。これがなければ、どんな動機があるにせよ、この事件はなかったと思います。
あ、1つありましたね。光秀精神病説です。ただ、これは今となっては証明不可能だしなあ。
四国説をテレビで取り上げてた時に、磯田さんも言及してましたね。
不満や不安溜まってたけど、京都に行けば信長と信忠を討てる...この千載一遇のチャンスが無かったら謀反はしなかったって。謀反した後の計画が無いのも、直前まで迷ってた証拠だと思います
@@MarceRonald712 しかも、信忠は京に滞在する予定はなくて、急にそうしたようです。当時の通信技術からして、この事を知りえたのは光秀のみ。逆に言えば黒幕説はかなり厳しいかな。
どうする家康は家康黒幕説と見せかけてただの
「偶然、光秀に先越されただけ」
になりそうなんで、
つまらない真相になりそうな予感です。
あんな秀吉以上に風見鶏風の光秀が
今さら家康と共謀するなんてとても思えません。
正直それをやりそうな気はしてますね、、
@@m.i.9104
共感ありがとうございます。
それ以前に家康がちゃんと天下を獲るプランを練っているのか心配です。姉川の戦いの時には信長倒しても乱世に逆戻りと家臣が諌めていたのに、今回も信長を殺した後のプランが無ければ全く成長していないことになります。
信長の次男三男は、生年月日が少しの差で逆だが、母親の里の格が違うので信長の命令で次男三男が決まった。三男の守役は柴田勝家。
秀吉の三好家介入で長宗我部に脅威を感じ 信長に四国介入させた?
長曾我部元親の話は、明智光秀の末裔で、本能寺の変の著書で知られる明智健三郎さんが自分の会社の職場の先輩だったので、その本を読んで聞いてましたが、改めて判りやすかったです。
遠交近攻政策ですな
私は信長の自作自演せつに1票です。